人生の全ての時間をプログラミングとビジネスに捧げてきた人間がいる。そういう人は、きっと毎日の仕事が楽しくて、そして、いっぱい稼いでいるのだろう。
でも自分はそうじゃない。
変人と呼ばれて育ち、病気と折り合いをつけ、自分の能力を過信して倒れ、真っ白な部屋で2年ほど過ごした。
才能があった。だから努力したことが無かった。追い越されることを知らなかった。
難しい本が読めた。だから自分は偉いのだと思っていた。一生をかけても全ては読めないと気づけなかった。
未知を知らなかった。だから自由研究が怖かった。そもそも研究に値する自由なテーマなんてものを見つけられなかった。
金銭感覚に無関心だった。ウチは貧乏だから大学に行けない。その事実が意味することが分からなかった。
友人関係を作らなかった。隣人の名前を覚えられないということが、どれだけ失礼なことなのか悟れなかった。
全ての選択肢で正解を選んできたと思っていたのに、結論から言えばほとんど全ての選択が間違っていた。
転生して最初から人生をやり直すなんていう作品が多くなってきているが、自分には無理だ。また同じ間違いを繰り返すだけだ。
生産性のせの字すら知らなくても、書くコードの桁と質が違うプログラマに幾人も出会ってきた。
ああしかし。幸いにも。
IT業界が頭から尻尾までブラックだと知れ渡ったことで、プログラマを志願する若者は減ってきている。
おまけに、親にスマホだけを買い与えられ、PCを触ったことすら無い世代が育ち、新卒の青田買いすらできない状態になってきている。
地方にもはやプログラマの求人は無く、東京一極集中で労働力を吸い上げるシステムへと変貌したが、それにも限界がくるだろう。
凡才の俺にとって、これはチャンスだ。
諸条件の重なりによって、プログラマの需要と供給の関係は崩れ、プログラマは完全に不足してきている。
つまり「プログラマ35才定年説」は崩れていく一方であり、俺と同い年の連中がしたり顔で語っていた「プログラマ不要論」は幻想だということだ。
でも現状を分析する限り、自分は時代に逆らって生きているわけではなさそうだ。
人生の全ての時間をプログラミングとビジネスに捧げてこなかった人間でも。俺は、毎日の仕事がそこそこ楽しくて、そして、そこそこ稼いで生きられればいいと思っている。