2016-07-17

自分天才じゃない

人生の全ての時間プログラミングビジネスに捧げてきた人間がいる。そういう人は、きっと毎日仕事が楽しくて、そして、いっぱい稼いでいるのだろう。

でも自分はそうじゃない。

変人と呼ばれて育ち、病気と折り合いをつけ、自分能力を過信して倒れ、真っ白な部屋で2年ほど過ごした。

才能があった。だから努力したことが無かった。追い越されることを知らなかった。

難しい本が読めた。だから自分は偉いのだと思っていた。一生をかけても全ては読めないと気づけなかった。

未知を知らなかった。だから自由研究が怖かった。そもそも研究に値する自由テーマなんてものを見つけられなかった。

金銭感覚に無関心だった。ウチは貧乏から大学に行けない。その事実意味することが分からなかった。

友人関係を作らなかった。隣人の名前を覚えられないということが、どれだけ失礼なことなのか悟れなかった。

どれもこれも、大人になってから気づいて、赤面したことだ。

全ての選択肢で正解を選んできたと思っていたのに、結論から言えばほとんど全ての選択が間違っていた。

転生して最初から人生をやり直すなんていう作品が多くなってきているが、自分には無理だ。また同じ間違いを繰り返すだけだ。

自分天才じゃない。よくて秀才。いや凡才の類だ。

生産性のせの字すら知らなくても、書くコードの桁と質が違うプログラマに幾人も出会ってきた。

あしかし。幸いにも。

IT業界が頭から尻尾までブラックだと知れ渡ったことで、プログラマを志願する若者は減ってきている。

おまけに、親にスマホだけを買い与えられ、PCを触ったことすら無い世代が育ち、新卒青田買いすらできない状態になってきている。

地方にもはやプログラマ求人は無く、東京一極集中労働力を吸い上げるシステムへと変貌したが、それにも限界がくるだろう。

凡才の俺にとって、これはチャンスだ。

諸条件の重なりによって、プログラマ需要供給関係は崩れ、プログラマは完全に不足してきている。

まりプログラマ35才定年説」は崩れていく一方であり、俺と同い年の連中がしたり顔で語っていた「プログラマ不要論」は幻想だということだ。

自分天才じゃない。

でも現状を分析する限り、自分時代に逆らって生きているわけではなさそうだ。

人生の全ての時間プログラミングビジネスに捧げてこなかった人間でも。俺は、毎日仕事がそこそこ楽しくて、そして、そこそこ稼いで生きられればいいと思っている。

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