はてなキーワード: バースデーとは
昨今、インターネットの片隅で話題になっている「『おそ松さん』が2期に入ってつまらなくなった/人気が壊滅的に落ちた」問題を考える。以下の内容は、1期の途中で松にハマり、今現在2期を楽しく観ている人間の個人的な見解である事に留意されたし。
※長いよ!
■議題その1「つまらなくなったのか」
さて、1期と2期の違いを考えてみる。1期は実験的ギャグアニメとして、様々なパターンの話が作られた。その中でも、派生松の元になりやすい、パロディ系(例:F6、女子松、デリバリーコント、なごみ)は、腐女子の燃料として発火性が高い。また、感動モノ系(例:エスニャン回、十カノ回)も、男性的というより女性的な感性に訴えかけるものに思える。
しかし、2017年末現在、2期に入ってからの、パロディ系『げんし松さん』『三国志さん』は、腐女子人気が出やすいテイストではない。また、感動モノ系は『松造と松代』の1本のみ。内容も「松造が松代とご無沙汰」という下ネタがベースになっているので、シリアス度は低め。また、女性の共感が得やすい内容でも無い。
(勿論ギャグも求めているだろうが)1期の様な、女性向け萌えも求めている人にとって、2期は今一つ物足りなさがあるのではないか。
放送がない間、アプリゲームや雑誌等で、派生松の元ネタが量産された。けれど、2期発信の派生松はほぼ盛り上がっていない。そして、2期に入り、女性が抱く萌えには繋がらない要素(例:照英さん、1話でのファン描写)も多くなった。これらの要因が「つまらなくなった」「2期に入って変わった」という感想を抱かせる理由だと思われる。
2期1話で分かる通り、『おそ松さん』というアニメ作品(各種コラボは除く)は、女性向けを意識して製作されていない。2期に入り、下ネタ・不条理ギャグについてこられる人だけをターゲットにした「自己責任アニメ」へと完全に舵を切った。故に、ついてこられない人は置いて行かれてしまったのだ。
面白い/面白くないは、あくまで個人の感性に基づくものなので、算数の解答のように、明確な答えを出す事は出来ない。とはいえ、上記のような要因は、批判の理由の一端として挙げられるだろう。
ただ、個人的にはF6が女性向けに作られたものというより、女性向けコンテンツをデフォルメ化した笑い(いわばコロッケのモノマネのようなもの)だと思っている。それは2期1話のファン描写の視点と、何ら違いは無い。そういう意味で、1期と2期で変わったとは、私は感じないし、1期も2期も変わらず面白い。なんなら2期の方が好き。『超洗剤』『返すだス』辺りが好き。
■議題その2「人気が壊滅的に落ちたのか」
答えはいいえ、だ。正確に言えば「1期のような乱痴気騒ぎは収まったが、いまだに根強い人気がある」だ。そもそも1期がおかしかったのだ。円盤が8万枚売れて、オタク以外にも認知され、流行語にもなった。そんなアニメ作品は、稀である。
それが2期に入って、むしろ正常な状態になったように感じる。そもそも、2期の円盤は1万枚売り上げている。普通にアニメ作品としてはヒットの部類なのに、何故「2期大爆死乙wwww」などというまとめサイトが作られなければならないのか。
とにかく、「2期までの長い2年間、何も動きが無かったから、ファンが冷めた」という意見には、真っ向から反論したい。
ますゲーム。アプリゲーム、コンシューマーゲーム、ブラウザゲームと乱立した。そのクオリティはまちまちで、ゲーム内イベント時期が被ったり、ゲームシステムが完全にあん●タだったりと問題は多かったが、それでも「派生松の最大手サークル」としての役割は無視出来ないものがある。
次に、リアルの公式イベント。2.5次元舞台、着ぐるみ松による6つ子バースデーイベント、おそ松EXPO、サンリオピューロランドでのコラボ記念イベント、センバツ上映会。私が足を運んだイベントだけでもこれだけある。他にも、(私が当選しなかった)『松野家のなんでもない感じ』リリースイベントなど、多くのイベントがあった。アニメが放送されていない間に、1つでも公式イベントがあればお祭り騒ぎになるジャンルが多い中、これだけイベントがあるのは、凄い事だ。また、「コラボビッチ」「多すぎてついていけない」と批判の声も多い、各種コラボもリアルイベントの中に含んで良いだろう。
そして何よりドラマCDや『おうまでこばなし』といった、公式監修の作品が世に出ていた事は大きい。アニメの本放送が無いだけで、公式からの供給も、断続的とはいえあったのだ。
2期記念イベントで、6つ子の中の人が、ゲームや『おうまでこばなし』などの収録で頻繁に『おそ松さん』の仕事をしていたので「久しぶりな感じがしない」と仰っていた。私もこの発言を聞いて、その通りだと感じていた。アニメが放映していなくとも、ずっと『おそ松さん』を追いかけていたからだ。だから、2期が始まるまで供給が全く無かったが故にファンが離れた、という指摘はいささか見当違いだろう。
ここまで「2期までの間に動きが無かったから人気が無くなった」という指摘には反論させて頂いた。ただ、2期までに人気が無くなった理由として、もう1点指摘されており、そちらに対しては一切の反論を持ち合わせない。
それは「『おそ松さん』ファンのマナーがなって無さ過ぎてファン人口が減った」という理由である。もうこれについては全面敗訴です。SNS上でもリアルでも、他の『おそ松さん』ファンと殆ど交流していない私ですら、自分の身に降りかかった「本当にあった『おそ松さん』ファンの怖い話」の3つや4つはすぐに出てくる。『おそ松さん』ファンが何かちょっとアレな件に関しては、見て見ぬふりは出来ない。皆様にご迷惑をおかけしてしまい、大変申し訳ありませんでした。いや本当に。自分はちゃんとしてるって思ってるかもしれないけど、外野から見たら充分ヤバい奴だからな。言動には気をつけような。私も気をつけます。
では、そもそも『おそ松さん』ファンは、著しく減ったのだろうか。確かに、円盤の売り上げは減った。だがしかし、ネットで言われてるように、『おそ松さん』はオワコンでファンが全然いないアニメではない、と私は感じる。これは決して、私がファンだから擁護しているのでは無い。実体験としてそう感じるのだ。
前述したように、私は『松野家のなんでもない感じ』のリリイベに当たらなかった。松ステ第2弾の先行は全公演全落ちが当たり前だった(ただし、舞台に関してはキャストさんの人気も加味されるので、『おそ松さん』人気の有無だけでは語れないのも事実である)。センバツ上映会には複数回、色々な松の部屋に足を運んだが、どの回も席は殆ど埋まっていた。平日の昼間でも、ナンジャタウン来園者の多くは『おそ松さん』ファンだった。『おそ松さん』コラボ中のアニメイトカフェへ開店直後に赴いた時も、すぐに客席の8割が埋まった。ラストオーダー直前のタワレコカフェへ飛び込んだ時も、客席の大半が埋まっていた。直前に告知された上、平日だったにも関わらず、着ぐるみ松の撮影会には少なくとも80人は集まっていただろう。
本当にオワコンなら、チケットは百発百中で当たらないとおかしいし、各種コラボは閑古鳥が鳴いていないとおかしい。けれど実態としてはそうではないのだ。そう、『おそ松さん』はまだまだ人気のあるアニメなのだ。
半裸の巨漢柔道男児である大門が躍動するKOF XIVのグランドファイナル。台湾のE.T.選手が安いコンボ(総合火力が低い)を連発するので、日本語解説の二人がひたすら突っ込みを入れる実況が見所。コンボを覚えたら世界最強ですよ、とまで言われたE.T.選手がけっきょく優勝して綺麗にオチがつく。
鉄パイプ市長のハガー(ファイナルファイト)が大好きなPARADIGMさんの試合が面白すぎた。
解説「ハガーを中心としたチームです。バランスもクソもないですね」
ベスト8に入るだけあって、操作もうまいのだけど、とにかく半裸のガチムチおっさんが鉄パイプを振り回してフライングボディプレス、すべてを解決するダブルラリアット、怒りの腹パンを披露しながら並み居る壊れキャラをボコボコにしていくところが痛快きわまりない。
あと空をくるくる舞うRYANLYの春麗も、ストリートファイターシリーズとのギャップがでかすぎて笑うしかなかった。
MVCはカジュアルに永久パターンとか、壊れすぎキャラとか、棚ぼたのハッピーバースデーがあるからゲームをプレイしたことがなくても見ていて楽しい。
りゅうせい選手カルルのハメ殺しに対するふぇんりっち選手ジンの脅威のガードぢからがものすごかった。グランドファイナルのリベンジ成功からの、2ゲーム取られて背水の陣からの怒涛の追い上げでフルセットにもつれ込む展開が熱すぎた。
ただ、ピリピリした試合というには、お互いにこやかにEVO壇上で声を掛け合っていて、あまり頂上決戦という感じはなかった。今日、4Gamerのインタビューを読んで、リアルピンポン状態だったんだと驚いた。
りゅうせい選手:
そういうわけじゃないんですけど,ふぇんりっち選手との試合だけは別で,戦っていてめちゃくちゃ楽しかったですね。大会ではいつも優勝と準優勝を交互に取り合っているようなライバルで,彼とは大会の前にもホテルの部屋で対戦していたんですが,そのノリをEVOの壇上にも持っていけました。2人で楽しみながら対戦しているような気分だったんですよ。
ただ勝ちにいくという戦いじゃなくて,「プレイの内容がいいほうが勝ちにしようよ」みたいな感じで。もちろん,お互いに真剣だったんですけど,楽しんでプレイできました。
「EVO2017]決勝は2人で楽しみながら対戦できた――「BLAZBLUE CENTRALFICTION」部門の優勝者,りゅうせい選手にインタビュー」(http://www.4gamer.net/games/378/G037875/20170719048)
うんと外れの丘陵地帯のさらに奥に行くと急な斜面の山肌になってて
晴れもいいが梅雨で雨も欲しいなぁと仰ってたわ。
この時期梅雨なのに
あまりにも雨が降らないわよね。
雨降って欲しいと思うほど、
最近雨降らないわよね。
梅雨雨欲しいわね。
あー、なんか空気はカラッとしてていいんだけど、
咲いてるサジサイさんも雨を恋しがってる感じだわ。
日本語学習してる人にとってはかなり鬼要素らしいわよ。
「ー」の棒を使うルールとかもなんか有るようで無いみたいで
それも鬼らしいわ。
同じ読みでも
書き分けたりするじゃない。
あれもなんかうまく説明出来ないのよねー。
何の話だったっけ?
梅雨の話ね、
うふふ。
久しぶりに何週間かぶりに
やっぱりそれが美味しくってたまらないわ、
牛乳もすすむわっ!
よくよく考えたら栄養素かなり抜群なんじゃね?って思うほど
美味しいのよね。
茶葉は少な目がいいわやっぱり。
冷蔵庫も整理しなくっちゃ!
すいすいすいようび~
今日も頑張りましょう!
お互いの拠点に立ち入ったことはなく、長期休暇で帰省したときのみ会う。
連絡は週1。週末、お互い翌日に講義が無い日の夜に私の方からLINEを送り、近況報告などをする。
このような感じで3年ほど交際を続けてきた。
彼はとても勤勉で誠実な優しい人間だ。
日々勉学に励み、単位を落とすことなく良い成績を保っている。この姿勢は学生として見習うべきものであると感じる。
また、遠距離なのに女遊びもせず、私の冗長な話を遮らずに聞いてくれる。
すごく、良い人なのだ。
しかし、その人に対して怒りたい気持ちになることもある。愚痴という形にはなるが、いくつか綴っていきたいと思う。
数年前。その日は二人で可愛いお店にパフェを食べに行く予定だった。普段行かないところだったので私はたいへん楽しみにしていた。だが、お店の前に着いたとき、「いちごパフェ800円」と書かれた看板を見て彼はこう言い放ったのだ。
「うわ……高っ」
仕方のないことだ。金銭感覚、お財布事情は人それぞれ。ましてや学生だし、パフェなんぞにお金をかけたくなかったのだろう。
このことについてはきちんと話し合った。でも私の中ではずっと残り続けていて、事あるごとに脳裏をよぎる。
私とパフェを食べることより、限定ウエディング神崎蘭子SSRのほうが彼にとって価値があったのだ。
仕方のないことだ。真面目だけでは生きられない。人生には息抜きが必要である。それが趣味。だから、趣味に費やすお金に関して外野が口出しするのも良くないだろう。
私は彼氏に毎年誕生日プレゼントを贈っている。予算はだいたい3〜6kくらい。誕生日の時期に会えないときは郵送した。
しかし、それはこちらが勝手にしていることであって、モノを貰うために付き合っているわけではないし、見返りを求めることは好ましくない。
でも何かあってもよくない!?
私が今までの誕生日で彼から貰ったものといえばなんか……どこの本屋にもある、よくわからないバースデーブックみたいなやつと、あと1500円の指輪くらいだ。指輪に至ってはせびったようなものだった。
まあいいけど、いいけどさ、学費等でお金がきついとか言ってるわりには……と思わなくもない。私にお金をかけろという気持ちが間違ってるのはわかっている。
でも、オタク活動費にそれだけ使えるならもう少し私に何かあってもいいのではないだろうか。わがままなのかなあ、そうだよなあ……。私には、お金をかけようと思えるだけの価値がある人間になるための努力が足りていないのかもしれない。
映画好きの女子大生を主人公にした、安田剛助先生の『私と彼女のお泊り映画』という漫画があります。僕の大好きな作品です。
この漫画の最新話の一部が2ちゃんねるに抜粋掲載されて、そのスレッドがまとめブログにまとめられたことでちょっとした話題になりました。
映画通の男「邦画はクソ。黒澤映画だけは認める」 女さん「はぁー(クソデカイため息) 論破してやるわ」
【映画】なんだよこの漫画www【注意】 : 2chコピペ保存道場
よくいる「ちょっとオタク入ってるめんどくさい大学生」がここまで見事に再現されるとはwwwww : 無題のドキュメント
この男子大学生が登場する回は実は僕もあまり好きではなくて、というのも、彼のキャラクターが如何にもな“ステレオタイプの自称映画通”すぎるからです。
主人公・小春の最後のセリフ「あなたが好きなのは『映画』じゃなくって『映画が好きな自分』じゃない??」を言わせるためにでっち上げられたキャラクターで、所謂邦画ファンの仮想敵でしかありません。
そういうのを言い負かす啓蒙的な作風はこの漫画に求めるところではありませんでしたし、そもそもこんな事言う自称映画通なんて今どき存在しないだろうと思っていたのですが……
というか、少し引きました。
8名前:名無しさん 2017/04/26(水) 21:36:48.05 ID:M9GbgbRG0
言う女に同意できるわけ無いだろう
別に男が悪いとは思えないのだが
69名前:名無しさん 2017/04/26(水) 21:56:57.52 ID:nt7/WWjT0
265 名前:/名無しさん[1-30].jpg[sage] 投稿日:2017/04/26(水) 22:34:42.86 ID:naDWyRswp
言ってることは間違ってないな
クソみたいな映画を絶賛するアホ女多すぎ
もちろん、邦画に対して肯定的な意見も多くあるのですが、ネット上とはいえこんなアホみたいな大学生に同調する人間が多くいることに驚きました。
そしてここからが本題です。
思えば確かに、ここ最近のネット上での邦画叩きは目に余るものがあるなと感じていました。
個人的に、その流れは三池崇史監督の『テラフォーマーズ』が公開されてから加速していったように感じられます。
漫画原作の映画が増えてきている昨今、『テラフォーマーズ』の出来が芳しくなかったという風説を受けたオタク達が挙って“漫画原作の映画は叩いていいモノ”、そこから派生して“邦画は叩いていいモノ”という風潮を作りあげているのではないでしょうか。
漫画作品が映画化されるという報せが届く度に、2ちゃんねるやTwitterのようなSNS上で、まるで親の敵に出会ったかのごとく、批判の嵐が巻き起こります。続いてビジュアル、予告編が公開されると、その勢いは更に加速していきます。やれ再現度が低いだの、コスプレ大会だの、ダサいだの安っぽいだの。
批判有りきのバイアスを掛けて見れば、正当な評価などできようはずはありません。公開前の作品に対してそこまで否定的なことを書き続けるのは最早ネガティブキャンペーンの一種でしょう。しかもそこから「だから邦画は糞だ」みたいな論調に持っていくのだからもう目も当てられません。
そんな差別主義者、邦画レイシスト達に、僕はモノ申したい。観もしない映画を批判するんじゃないと。邦画は、あなた達の批判オナニーのおかずじゃあ無いんだと。
はじめにことわっておくと、僕自身は別にそれほど邦画が好きというわけでもありません。映画はよく観ますが、圧倒的に洋画のほうが多いです。
こんな記事を書いておいて何を言うのかと思うかもしれませんが、重要なのは映画そのものが好きだということです。日本に住んでいる以上、邦画も映画興行の一角です。邦画の衰退は、日本映画興行全体の衰退につながります。
邦画レイシスト達を批判するのは、邦画を擁護したいというよりは、日本の映画を取り巻く環境に対する悪影響を危惧してのことです。
さて、ネット上で同意の声が聞かれる、「お泊り映画」の大学生の主張ですが、彼が邦画をショボいとする根拠として
の二点をあげています。明らかに、ろくに邦画を見ていない人間らしい的外れな批判ですが、彼はこれが真理だと言っています。
先に言ったように、このキャラクターは小春の最後のセリフを引き出すために設定された馬鹿な仮想敵で、そもそも発言に正当性なんてあるはずはありません。しかし、一部の邦画レイシストは彼同様これが真理だと思っているようです。
わざわざ間違った発言をあえてしているキャラクターの間違いを指摘するのは野暮というものですが、こちらもあえて、彼が如何に的外れは批判をしているのか示しましょう。
まずは、ケータイ小説ばかりのイメージ。といっても、『世界の中心で、愛をさけぶ』がケータイ小説原作でないのは言わずもがな、今日日ケータイ小説なんて名前も聞かなくなった死語同然のワードで、恋空がブームになったのももう随分前です。病気で殺しとけばいいと思っているような邦画といえば、最近だと『バースデーカード』や『四月は君の嘘』、あとは事故死ですが『Orange』あたりもそのイメージでしょうか。なんにせよ、ここ最近ではそれ程多くないように感じられます。
なので、男のイメージを前時代的と断ずることは容易です。ただ、安直なコンセプトという意味では確かに現状邦画の一角を占める存在が有ります。
現在公開中の『PとJK』や『ひるなかの流星』をはじめ、少し遡るだけでも『今日のキラくん』や『オオカミ少女と黒王子』や『溺れるナイフ』や『ヒロイン失格』など、枚挙に暇がありません。加えて、『ハルチカ』や『リライフ』や『君と100回目の恋』など、本来少女漫画が原作ではない映画も、そのイメージに取り込まれています。
しかも、このたぐいの映画はヒロインとその相手役に現在売り出し中の俳優/女優を起用して話題作りをしているので、二点目のアイドル性重視のキャスティングにも引っかかってきます。つまりこの一角は、彼の批判を真向から受けるゾーンということになります。
正直に言うと僕自身、この辺りに対しては公開される度に「またか」という気持ちにもなりますし、違いもよくわかっていません。だって観てないから。
確かに、この一角は邦画の一側面では有りますが、無論これが全体を体現しているわけではありません。マーケティングが大々的だからそのように感じてしまうだけです。
逆に言うと、観ていないからこそそれらの映画がショボいのかどうか判断はできません。
例えば『ひるなかの流星』はレビューサイト「KINENOTE」で67人の平均点73.4点との評価がくだされています。鑑賞人数は少ないですが、キネ旬が運営するサイトなのでそれなりの映画ボンクラ達が集まっているはずなので、この評価はなかなかのものだと思われます。どれも同じように見えても中身が違うのは当然で、玉石混交する中にはちゃんと面白い映画があってもおかしくはないのです。
つまり、コンセプトの安直さがそのまま映画のショボさに繋がるかというとそんなことはないということです。
この程、マイケル・ベイ監督が『トランスフォーマー』シリーズの量産体制に入り、既に14本分もの脚本が仕上がっているという報道がありました。14本って、相当な量ですよ。『トランスフォーマー』は作れば売れるが約束されているからここまで攻撃的な体制が取れるのです。これこそコンセプトの安直さの極みでは無いでしょうか。そして、『トランスフォーマー』シリーズ一本一本がショボい映画ではないことは皆さんご存知のはず。
あとは、マーベルスタジオも自社のコミック原作の映画をどんどん量産していますよね。2020年までの上映計画が既に確立されている。これも当然、作れば売れるが約束されているからです。そして、こちらのクオリティに関しても周知の通り。
少女漫画原作の邦画群もまた作れば売れるが約束されているコンセプトだから量産されているわけですが、それを以って製作が手抜きだと断ずるのは浅はかにも程が有ります。
実際に観てみると、本当にどれも同じような映画に観えるのかもしれません。しかし観てない以上、その一点で批判するには感情に寄りすぎているのではないでしょうか。
それに何より、そういった映画群が対象にしているのは女子中高生です。それが邦画全体であろうはずはありません。安直なコンセプトもアイドル性重視のキャスティングも、それが対象にするのが女子中高生だから効果的なのです。邦画を批判して悦に入ってるような、オタクや中年男性なんて端から対象にしていません。
なのにそれを論ってショボいだの言ってるのは大人げないの一言につきます。
ケータイ小説のような、今で言うなら少女漫画原作のような映画だけが邦画じゃあありません。そんなことを言っている人は、マスメディアの宣伝にしかアンテナを張っていないと自白しているようなものです。映画に対する関心が薄い、芸能ニュースだけをみて映画情報を仕入れている気になっている人間に、邦画全体を批判する権利なんてありません。恥を知ってください。
先程も言ったとおり、僕自身はそれほど邦画を観るわけではありません。昨今よく漫画の実写化失敗例として挙げられる『テラフォーマーズ』も『進撃の巨人』も観ていません。なぜなら興味が無いから。
両作品とも、アニメは観ていました。特に巨人は、現在放送中の第二期も毎週楽しみにしています。大好きな作品です。しかし映画は、特に興味がわきませんでした。
そもそも映画は、テレビ番組や雑誌掲載の漫画とは違い、観るかどうかの判断の多くは観る側に委ねられます。だって、わざわざ映画館に足を運んで、1800円のチケットを買わないと観れないのだから。
ザッピングしていて目にとまることも、とりあえずで録画することも、買っている雑誌をパラ見して視界に入ることもないのです。テレビなんか比じゃないほどに「嫌なら見るな」が成立するコンテンツなんです。
漫画が原作の映画が公開されて、それがひどい出来だったか原作ファンが憤る。これは理解できます。その作品が好きで、その作品の新たな一面が見られるのだと期待に胸を膨らまして劇場に足を運び、目にしたものが原作を踏みにじるような駄作だったなら、それは批判してしかるべきでしょう。また、はじめからバイアスをかけて劇場に臨み、批判箇所をピックアップしながら鑑賞し、帰ってネットにそれを書き連ねる。僕自身はあまり理解できない楽しみ方ですが、それも正当なことでしょう。なぜなら能動的に足を運んでお金を払って鑑賞しているのですから。
しかし、そうでない人間はなんなのか。ビジュアルや予告編が、それどころか実写化の報せが出ただけでクソ認定してメタクソに叩き、果ては邦画の体制までもバッシングする邦画レイシストはなんなのか。原作のファンで、実写化した姿など見たくないというのなら、見なければいい。最初から期待が持てないのなら、無視すればいい。原作が好きだからというペラッペラの免罪符を掲げても、その実やりたいことは何かを批判して快感を得ることでしかないのではないでしょうか。確かに上映期間中はテレビでもCMが流れたり芸能ニュースを席捲することもあるでしょう。でもそんなのは、上映期間中のほんの一ヶ月程度と、それ以前の宣伝期間の、正味二ヶ月程度のものです。それさえすぎれば、余程のものでもない限り、もう目にすることはなくなります。
例えば『銀の匙』や『男子高校生の日常』や『ひぐらしのなく頃に』が実写映画化されたことを覚えている人が果たしてどれくらい居るでしょう。どれもアニメ化もされた大人気作品ばかりですが、映画の方はまず話題に上がりません。その程度のものなのです。
無視していればそのうち過ぎ去っていくのをわざわざ叩くのは、原作愛でもなんでもありません。批判して快感を得たいだけのただのオナニーです。漫画原作映画は、邦画は、邦画レイシストのおかずでは決してありません。
『テラフォーマーズ』も『進撃の巨人』も僕は観ていません。なので両作品に対して言及することは出来ません。便乗している人間はともかく、観た上で批判している人たちの意見は正当なんだろうなと思います。
しかし僕も、漫画実写化の中でも悪名高いあの作品は観ました。そうです、『デビルマン』と『キャシャーン』です。
『デビルマン』は、今でも漫画実写化の際に名前を挙げて「だから実写化は糞だ」という批判につなげる格好の材料となっています。2004年の公開にも関わらず未だに話題性を持続している、ある種伝説的な作品です。
これ一作で邦画批判につなげるのは短絡的に過ぎますが、実際この映画がそびえ立つ糞なのは事実です。僕自身観た作品なので遠慮なく言います。本当に酷いです。苦行かと思えるほどに。評判の悪い映画はあまり積極的に観ようとしない質なので、自分の中ではクソ映画の極北として君臨している作品です。
しかし『デビルマン』は本当に極端な例です。漫画実写化が全てこのレベルなら邦画批判も已む無しと思いますが、このレベルのクソはなかなかひり出せるものではありません。納豆が臭いからという理由で日本料理全体を批判するのはお門違いというものです。というのも、『デビルマン』と同年に公開され、クソ実写化の双璧と並び称される『キャシャーン』が、蓋を開けてみると実はそれほど酷いものでもないからです。
確かに手放しで褒められる作品ではないのですが、少なくとも『デビルマン』に比べると兆倍面白いですし、見応えがあります。PV畑出身の紀里谷和明らしく映像面のこだわりは強く、サイバーパンク的意匠が凝らされたディストピア風美術を日本で展開する舞台は一見の価値が有ります。アニメ原作であることを意識して、アニメーションを取り入れた演出がなされていたのも斬新でした。実写用にブラッシュアップされたキャシャーンのデザインもかっこ良く、今のアメコミ映画の隆盛に先駆けていたとすら思えます。クライマックスで明かされるダークヒーロー然としたキャシャーンの背景も、賛否は別れる気はしますがテーマに重みが出て興味深いです。主演の伊勢谷友介や悪役のブライキング・ボスを演じる唐沢寿明の怪演を始め、キャスト陣も申し分ありません。冗長な展開や説明的且つ啓蒙的すぎるセリフ回しが鼻につくことはあっても、『キャシャーン』は『デビルマン』と並んで語られるような作品では断じてありません。そもそも『キャシャーン』への批判は、設定改変によってキャシャーンのヒーロー像を歪められたことに対するファンの憤りからくるもので、映画そのもののクオリティとは別の由来です。
しかし、漫画実写化の際に『デビルマン』と『キャシャーン』の名前を挙げて批判している人間が居ます。彼らはまず間違いなく『キャシャーン』を観ていません。邦画レイシスト達の共通理解として“『キャシャーン』は叩いていいモノ”があるからの現状なのです。このことからも、邦画レイシストが如何に短絡的で、感覚的に邦画を批判しているかがわかります。彼らは邦画を観ていません。イメージと伝聞でしかものを語れないのです。
近年、僕が観た邦画の中で面白かったと感じた作品をいくつかあげます。(一応、アニメは除きます)
・『ちはやふる 上の句・下の句』
・『アイアムアヒーロー』
・『寄生獣』
・『シンゴジラ』
・『残穢』
・『日本で一番悪い奴ら』
・『SCOOP!』
・『クリーピー』
どれも大々的に宣伝された大作映画ばかりで、映画通が好むミニシアター系とかじゃありません。更に上の三つは漫画原作です。どれも実に面白い邦画でした。これらよりつまらない洋画をいくつも挙げることが出来ます。
映画が好きな人間であれば、意図的に避けようとしない限り邦画を観ることもあると思います。そのどれもが全く琴線に触れない人間など本当に居るのでしょうか。漫画を原作にしていても面白い作品はたくさんあります。邦画全体となれば尚更です。
本当に観ていれば、やたらと批判なんて出来ないはずです。それは、自分の感性も批判することになるのですから。実際、邦画それ自体が肌に合わないという人もなかにはいるのでしょう。しかし、SNSで邦画叩きをしている人間が皆そうなのでしょうか。おそらくそんなことはないでしょう。多くは叩きたいから叩く、邦画は叩いていいモノだから叩く、と思考停止している人間なのではないでしょうか。
自分はモノを見ないで感情的に対象を批判する、欠片の理性も持ち合わせないような人間ですと自白して、恥ずかしくはないのでしょうか。
僕もまたこうして、邦画レイシストなんてアホなネーミングの仮想敵を作って、一方的に批判を飛ばして悦に入っているだけの人間です。さっきも言ったとおり、邦画そのものに対して特別な思い入れはありません。
しかし、こうして文章にして発信することで、仮想敵だと思われた邦画レイシストが食らいついて、話題になってくれることを密かに望んでいます。
映画は好きです。邦画にも好きな作品がいっぱいあります。『銀魂』や『トーキョーグール』や『鋼の錬金術』等、観に行こうと思っている漫画原作の映画もあります。自分の好きなモノを理由もなく批判する人間は当然不愉快です。何よりも僕の映画ライフのために、そんな不快な人間が一人でも考えを改めてくれることを願っています。
私はオタクをやめ、腐女子をやめ、xxクラスタをやめます。今日、持っていたxxの同人誌を、とある同人誌ショップで買い取っていただきました。
本当にxxが好きでした。愛していました。大好きでした。四、五年くらい。xxで生きてきました。これがあったから楽しかったし、幸せだったし、自分に自信を持てるようになりました。青春でした。楽しかった。ありがとうございました。本当にお世話になりました。
☆どこかのxxクラスタさんへ
私がxxで生きてこられたのは、xxを支えたあなたのおかげでもあります。xxを好きでいてくれて、ありがとう。お世話になりました。
もしあなたがxxの本を求めているならば、今日売った本たちが、あなたの元に届くことを願います。
オタクの女の手垢が付いているかもしれない、中古の本ですが、よかったら受け取ってください。
あなたが好きなジャンルのこと、カップリングのこと、本当に好きで好きでたまらない人はいます。同士はいます。だから周りにいないと絶望しないでください。あなたにいい出会いがありますように。
今後も楽しくオタク活動ができますように。何より健康が一番なので、睡眠と食事はきちんと取ってください。美味しいものを食べたりして、きちんと自分を甘やかしてください。
元気でね。立場上、オタクのことを堂々と応援はできませんが、「オタクだった」私として、最後まで皆さんの幸せを祈ります。
☆オタクをやめたい人、オタクに疲れた人へ
オタクって永遠にやめられないと思うじゃないですか。
オタクはやめられます。やめていいものです。周りの考えに縛られないで、自由にやめて大丈夫です。
すぐに全部を断ち切るのは大変だから、ちょっとずつやめていったら良いかと思います。
私はツイッターを3日見ない、一週間見ない、一ヶ月見ない、という風にちょっとずつ慣らしていってみました。ツイッターやめてから、pixivやめる、という風に、段階的に界隈から身を引いていきました。
今でもまだ、焼却しきれていない部分があります。これから変えていくところです。だから、もしオタクをやめたくてもがいている方がいるなら、一緒に頑張りましょう。
意外と、やればできます。最後には。
ここからは独り言です。
リュックに薄い本を詰めてお店まで行ったのですが、一般人に見せてはいけないような本を隠しながら町を歩くの、背徳感があってちょっと楽しかったです……。ホモを背負い歩く私、それを知らずに通り過ぎる人々。めちゃめちゃウケるな。
あと、いくら薄い本でも束になると重い……。ずっしり重量感でした。「これが腐女子の業の重さか……」と思いながら背負いました。(実際はもっと重い罪だと思うけど……。)
あ〜〜っすごいスッキリした!!!ハッピーバースデー私!!!ありがとう昔の私!!!!バイバイ!!!!!おやすみ!!!!!!愛してた!!!!!!
もういつからかハンドルネームが私の名前になってたんだよ。でもハンドルネームの私は死んだ。本名をやっと、私として受け入れられるようになりました。本来の私になりました。なんかクサいけど。そういうわけでハッピーバースデーという言葉を使いたい。オタクだった過去は否定しないし、否定したくない。大事な思い出です。その上で、オタクをやめて大人の階段を登ります。私はシンデレラ。
3月25日におこなわれたモヨコ先生のサプライズバースデーパーティーについて忘れないうちにイベントレポ。
レポとかはじめて書いたので至らないところが多々あると思います。
あと割りと記憶を頼りに書いているのでこまかい違いもあると思います。ご了承ください。
あとめっちゃ長くなったので暇な人だけどうぞ。
今思えばすべては1月13日にはじまったのです。
仕事が終わって家に帰り、久しぶりに自宅のマンガを読み返していました。
ジェリービーンズとReal Clothesを読み終わってスマホを開いたら1通の新着メール。
「《※号外※》安野さんの誕生日を一緒に、お祝いしませんか?さらにサプライズを計画してくださる【実行委員会】も募集!」
それはいつも愛読している安野モヨコ先生のファンメルマガからでした。
「ファンの方と一緒に【サプライズバースデーパーティ】を企画しようと思います!
安野さんには一切内緒で当日、会場に来た安野さんをファンとスタッフがサプライズでお祝いする!という企画です。」
行きます!行きますとも!ていうか実行委員会とか加入したい!みんなで登場キャラのメイクとかしたい!
スーパーハイテンションで参加希望フォームから参加意思を登録。
あっというまに大ファンになり、ジェリービーンズ・ハッピーマニア・シュガシュガルーンなどなど買っては読み、
そして読み返し!
といつも思う私。
展示会も必ず行って、コメントを残して、作品をじっくり堪能したら
もしかしたら先生が見に来ていないかな、とお客さんを眺めるただのやばい人になっていた私。
そして1月26日。
新しいメールが届きました。
内容は応募者が300を上回っていること。(そうでしょうね!みなさんお会いしたいよね!)
じりじりとメールを待ちました。
まあ実行委員会には入れませんでしたが。
新作の鼻下長紳士回顧録を楽しみに日々をすごそうと思っていたころ。
3月1日。
【※ご招待状※】安野モヨコサプライズバースデーパーティに当選しました!
とのメールが!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!
やったーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!
秒でチケットを購入。
1万円しないとか実質無料どころか運営側は大赤字なのでは?????????????????????
ついにお会いできる!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!
持ってるやつ面白みなくね?
着物を着るしかないのでは????????????????????
美人画報でも安野先生がパーティ的な時は着物がいいよね的なお話されてるし
よし着よう。
そして3月25日当日。
いつも使っていないGmailに連絡が届いていることに気づいておらず、めっちゃあわてました。
11時開場でしたが連絡が届いていることに気づいてなんとか11時20分に到着。
お会い出来ないかと思って泣くところでしたよ、、、
高層階なので景色も素敵。
内装というか飾りつけもかわいくって。
いろんなところに小さいキャラクターがいたり、フォトスペースが用意されていたりと至れり尽くせり。
受付で名札を貰ってウエルカムドリンクを貰って、指示された自分のテーブルへ。
気づいたら大好きですって2回も書いてた。恥ずかしいね!
とりあえず紙を提出し、周りを見わたすとまーーーーーーーーーー女子しかいません。
だいたいドレス。たまに私服っぽい方もいて、それはそれで可愛い!
着物は私を入れても数えるくらいでしたね。
同じテーブルになったサーモンピンクの美しいワンピースを着ている美人さんに声をかけると
やっぱり遠征してでも会いたいよね。
そして当然バースデーパーティに来るくらいの方しかいないのでガチ勢しかおらず会話が楽しいこと楽しいこと!!!
くいいじ最高って言って通じる。神。
普段はだいたいシュガシュガルーン、働きマン、さくらんしか通じないから。。。
あと蜂のコスプレをしたお子さんがうろうろしてて可愛かった、、、
エクルたちがあってそれも可愛すぎでした。私も欲しい、、、
そして司会のマリモさんに促されお誕生日おめでとうございますコールの練習をしたり
え??????????????????????????????
これはまさか??????????????????????????
「今、安野先生が会場に向かっているとの連絡が入りました!
キャーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
会場大騒ぎ
だって今日モヨコ先生のイベントだよ??????????????
私を含め緊張がピークに。
同じテーブルの皆さんと緊張する、とか手が震えてきた、とか話していると
いらっしゃるよーーーーーーーーついにいらっしゃるよーーーーーーーーーーーーーわーーーーーーーーーーーーーーー
そして先生到着。
全員「お誕生日、おめでとうございまーーーーーーーーーーす!!!!!!!!!!!!!!!!!」
クラッカーパーン
監督ったら私服そのままかよ、、、、好き、、、、、、、、、、、
モヨコ先生美しすぎ、、、、、、、、、、、、、、、、
モヨコ先生は白のコートにゴールドのニットで白いパンツ、ヒールがゴールドの白いパンプスをお召しで、美しかったです。(語彙力の死亡)
監督はワイン色のほわほわしたパーカー(前のジッパー全閉め)にブラウンのパンツ、黒の靴下でブラウンの革靴。
監督がエスコート役だからパーティだって分かっているのに普通に私服ーーーーーー大好きーーーーーーーーー
会場「えーーーーーーーーーーーーーーー笑」
先生「ホント今日芝居をするっていう打ち合わせを、、、やっぱりちょっと演技がへたなので、、、正直に言います。」
「でもこんなにたくさん綺麗な方々が来てくださっているとは思っていなかったので、それは本当にびっくりしてます。あと、蜂がいるのもちょっと知らなかった笑」
会場「笑」
モヨコ先生の好きな紫をベースにした長方形のケーキで、紫のバラやいちご、
鼻下長紳士回顧録のイラストのクッキーやアイマスク・ビスチェ・ハイヒールのクッキー、おちびさんのクッキーと
ホワイトチョコ?の「Happy Birthday Moyoco」と書かれたメッセージチョコ。
モヨコ先生はずっとファンのみなさんとお話されたり握手されたりしてて。
ゆっくりご飯食べてください!!!!!!!!!って思いました。
そして監督は普通にご飯食べててめっちゃ可愛かったことをここに報告します。
座って、ひざにナプキンしいて、手を合わせていただきますってしてました。
可愛すぎる、、、、、、、、、、、、尊い、、、、、、、、、、、、、、、
スタッフの方がおかわりお持ちしますか?って聞いたのは断って、
自分でとことこおかわりを取りに行かれてて。
結局飲むの?!そして自分で取りにいくの?!可愛い!!!!!!!!!!って思ってました。
モヨコ先生は現在顔出しをされていないとのことで写真NGでしたが
握手とか話しかけるとかはもう全然OKで、モヨコ先生に話しかける長蛇の列が。
当然並び、ついに先生のもとへ。
私「握手してもらってもいいですか」
先生「もちろん!」
ごめんね冷たくて、と仰られたので暖めときます!って握りしめました。
テンションが高くて手が温まってたので。
後ろにも人が並んでいるので
これからも応援してます!お体に気をつけてください!と言って次の人と交代。
幸せすぎ、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、無理、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、
このテンションのまま監督とのツーショット撮影の列に並びました。
一緒に写真を撮ってもらい、
シン・ゴジラ5回見ました、と伝えると
ありがとうございます、って頭を下げられ、
いえいえ!面白かったです!ファンです!これからも応援してます!
と伝えて次の人と交代しました。
自分のテーブルに戻ってからもう死んでもいい、ってうわごとのように呟いたら
死なないで!って言われました笑
しばらく談笑タイムが続き、さっきのケーキが食べられる流れとなり、
そしてプレゼント贈答。
さっき私も書いたコメントも貼られたメッセージブックを実行委員会から。
1人目の方はジェリービーンズを学生の時に読んで虜になったこと。
頂いた力を少しでもお返しできるよう、これからも先生の作品をたくさん買います!と仰られ、
会場から笑い声が起きていました。
オタクとして正しい姿ですね!私もこれからも大好きな作品にはお金をどんどん払っていきます!!!
ある日その事務所からの帰りにひげをはやしためがねの男性を見かけたこと。
そのとき男性は素足にサンダルだったこと。(ここで会場で笑いが起きました。監督、、、好き、、、)
着物の会?にモヨコ先生が出席したとき、とってもモヨコ先生は疲れているはずなのに
着物の話からずれそうになったら話を戻し、ジョークで会場をわかせたりしていて、
居眠りくらいしちゃえばいいのに、ってその編集さんがつぶやくと
「苦労しているんですよ」と呟きが聞こえて、はっと顔を上げると
無表情で前を見つめる監督がいたこと。(ここでまた会場で笑いが。)
ああ、監督とモヨコ先生はお互いがお互いを尊敬していて、理解しあっていて、支えあっているんだな、と感じたこと。
これからも体に気をつけて、と締めくくられ、手紙タイムは終了。
その後スタッフさんが作ったサプライズ動画を見てまた泣きました。
先生はイベントを知っていたとのことでサイン入りのしおりをいただきました。家宝にします。
お土産をうけとり、帰り際ファンのみなさんと現実に帰れない話をしてから解散。
幸せでした
最高でした
本当に行ってよかった
お土産はおちびさんのうちわと湯のみ(小道具なのでお湯を入れると溶けるって言われました。溶けるの?!)
未だに死んだ友達の歳を数えている。
先に言っておくが、これはポエムだ。
15歳で死んだ君は今日30歳になるはずだった。
15歳だった俺は来週30歳になる。
15年経った。
15年も経ったのか。
君が死んだとき、
15歳だった俺は、
毎日途方に暮れ、
挙句、
あの世で君と久しぶりに再会し、
すぐに答えられるよう、
「実はさあ」といつものようにこたえられるよう、
毎日を楽しく生きることにした。
それから15年経った。
早い。
色々あったよ15年。
新しい友達ができて、
新しい家族も増えて、
行ったことのない場所に行って、
食べたことのないものを食べて、
好きな人ができて、
君に話したいことがたくさんあったけど、
ずいぶん忘れてしまった。
とりあえず今話したいことは、
なんだろう。
家を買ったこと。
君が死んでから。
結婚したこと。
俺はまだ少年ジャンプを買っていて、
ワンピースの連載は続いている。
そろそろまた解散すると思う。
来年の今頃には、
君が生きていた人生よりも
信じられないけど、
住宅ローンはまだ34年も残っている。
今回は少年ジャンプ+
一撃のパンチでアグニが住宅側に吹っ飛ばされて大炎上し、あっという間に阿鼻叫喚の地獄に。
これがファイアパンチという奴か……。
まあ、そのパンチがアグニではなくて、敵側のパンチによってもたらされるってのが笑えるが。
その光景を眺める時の表情が呆然といった具合で、かえってリアリティがあるかもしれないな。
ユダの諦めは、現状に元々ウンザリしていたからってのもあるのだろうけれども、大氷河の事実と、今回の積み木を土台から跡形もなく壊されたような結果がきっかけってことなんだろうかね。
タバコを捨てる描写は最初ピンとこなかったが、そういえば少し前の話で再生能力を持った祝福者の吐くタバコの煙を、周りがありたがるみたいな描写があった気がする。
要は今回のあの描写は、タバコを捨てるイコール特別な祝福者として崇められたことへの脱却という解釈でいいのかな。
正直あの部分って、そんな強調して描かれた場面じゃなかったから、ここでタバコを捨てる描写入れられてピンと来るほど印象に残っている読者ってどれだけいるのかなあ。
それとも、コミックスとかで一気に読む場合は、また印象変わってくるのだろうか。
黒霧……。
罰ゲームを食らいまくった状態の黒霧の姿には、不覚にもツボってしまったが。
私はこういうのはツボじゃなかった筈なんだけれども、どこの琴線にふれたんだろう。
それと相まって読後感自体も悪くない。
逆に言えば、それ位しか特筆して褒めるところが見つからないってくらい、特徴がない。
な、なんといえばいいんだろう、今回のエピソード。
メインキャラのアクが強かったのもあるんだけれども、展開といいアンサーといい、理屈といい、紡がれるものが私の中にスッと入ってこない。
すごく歪に感じた。
1話と2話でバックボーンが語られたキャラが、早速バトルロワイヤルして、片方が感慨もなく死ぬというのは、作風であったりこの漫画の方向性を読者に伝える上では機能しているとはいえる。
ただ、まあそれが読者の何割が求めている展開かっていうと疑問符がつくが。
登場するキャラに愛着が湧くかっていうのは購読していく上でのモチベの一つになりやすいから、今後も愛着が湧く前にこういう展開で物語から退場するようなら、気持ちの持っていきように苦労しそうだ。
きょう、17歳になった。
わたしに0:00に届いたLINEはふたつだけだった。嬉しかった。きのうは早めの誕生日プレゼントだとわたしがおいしいと騒いだ手作りのクッキーをかわいい箱に綺麗に詰めて持ってきてくれた子がいた。中にカードが入っていた。優しくていつも笑顔な〇〇が大好きだよ。ちょっと泣いた。
あした、もうきょうだけど。わたしはたぶん仲良しな3人くらいからお菓子と、いつも律儀な1人からプレゼントをもらって、家に帰ってケーキを食べて、家族におめでとうと言ってもらって、前から欲しかった新しいスニーカーを買ってもらうんだと思う。
しあわせ。うれしい。
でもいわゆるスクールカースト上位の子たちの、1センチ角でコラージュされたLINEやDMのおめでとうの数々、CECIL Mc BEEやらMiauler Mewやら、はたまたキャラクターものの大きな紙袋にぎっしり詰まったみんなからのプレゼント、「みんなありがとう!最高の誕生日」と添えられたInstagramにTwitter、たくさん来るいいねとリプライを見ると、わたしの誕生日ってちっぽけで、みんな覚えてなくって、つまりわたしってそういう、いてもいなくても変わらない目立たない地味なブスなんだなあと思ってしまう。
比べるものが見えなきゃいいのにね。
これが現代の闇なのかなあ。
推しが死んでしばらく経ちました。
死因はサービス終了。本当にやるせなかった。
ゲーム名は伏せますが、分かる人には分かるかな。DMMブラウザで出ていたゲームです。
シナリオもキャラクターも良くて、システムの細かい部分とか凝ってて、基本無料でここまでしてくれるのか……と感心しちゃったくらい。
以前からコンシューマーの乙女ゲーが大好きだった私は「ソーシャルの乙女ゲーがどこまでいけるのかな」という好奇心だけで気軽に登録ボタンを押しました。
気持ち悪い女オタクなのは100も承知だけれど彼はすごかった。
群を抜いて魅力的、とかではなかったんだけど、プレイする度に好きになったし、毎日新鮮な気持ちだった。
今までも色々なゲームをやって、たくさんのキャラクターを好きになったけれど、彼ほど好きになった人はいない。今もいない。
シンプルに人柄が好きだし、見た目も年齢も身長も口調も全てが好きで、彼以外のキャラクターももちろん好きなのだけど、彼が別格だった。
うまく説明はできないけれど、今まで好きになったキャラクターへの気持ちとは違う感覚だったんです。
彼が私の唯一のキャラクターで、一生の推しなのだと心から思いました。今でも思っています。
彼のために、とお金をやりくりして、彼のために少ないながら課金をし、彼の誕生日を祝福し、限定カードもムリのない範囲で集めていました。
課金という文化そのものは別ゲーで経験していて、無理な課金は楽しくないと知っていたから。でもこれが間違いだったなと今は思ってます。
彼の誕生日は冬のある月。私は彼の誕生日に課金しよう! と思ってその月までお金をちびちびと貯めていました。
今年の誕生日はどんなカードが出て、どんなイベントがあるんだろうなぁ〜と考えていました。でもその期待は叶わぬ夢となり、貯めたお金は私の財布に入りました。
あの有名なあれです。刀がイケメンになるやつ。ものすごいユーザー数を誇るやつ。めちゃくちゃ流行ったやつ。今も継続して流行してるやつ。
あれもDMMブラウザなんですよね。あのゲームのためにアカウント取得した人も多いんじゃないかな。
私ね、あれを皆がやってる時ものすごく宣伝したのね。せっかくアカウントとったんだから、とりあえずやるだけやってみない?って。クリックするだけだよって。
誰も聞いてくれなかったよね。
彼が居なくなったのはそのだいたい1年後だったよね。
許せなかった。今も許せない。理不尽で逆恨みなのはわかるんだけどさ。
私あれだけ言ったじゃないか。みんなちょっとだけでもやってみて! 面白いよ! って言ったじゃん。
あの時に刀やってた人の1割でもあのゲームをやってくれていたら、もしかしたら彼は生きていたかもしれないのに。
みんな私がどれだけ彼のこと好きだったか知ってたはずなのに。サービス終了が怖いからもしよかったらやってって言ったじゃん。
普通に良いゲームなんだよって言ったじゃん。無料だって言ったじゃん。お願いだって言ったじゃないか。
みんなが一手間を惜しんだばかりに彼は死んだ。
今は刀剣乱舞ユーザー全員が憎くて仕方ない。逆恨みだけど憎い。
人のせいにするだけじゃなかった。
私が課金を惜しんだばかりに彼は死んだ。
私が無理してでも毎月課金していれば彼は生きていたかもしれない。ほんの数日でも長く生きていたかもしれない。
みんなが彼を殺しただけじゃなくて、私も彼を殺すことに加担していた。
自分が許せなかった。冷静に考えれば1ユーザーが毎月数千円課金したところでゲームの寿命なんて変わらないのはわかるよ。
でも自分に力がないばかりに、加えて宣伝力もないばかりに、彼が死んでしまったんだという気持ちは消えない。
ゲームのサービス終了が知らされたのは、彼の誕生日のほんのすこし前。
彼の2度目のバースデーイベントは立ち消え、私は少しでも多くスクショを撮ることに専念することになってしまいました。
せめて最後のお誕生日を祝いたかった。それは叶わなかった。バースデーボイスさえなかった。
おたくも長く続けていくと色んなジャンルに友達が散らばり、色んなジャンルに対する浅い知識が増えていく。
なんとなく今どこのジャンルに活気があるのか、雰囲気でわかるようになる。それはツイッターがあるからだろうし、昔では考えられない量の情報を簡単に手にすることができるからだと思う
そんなわたしがひとつの仮説としてわりと真面目に考え、色んな友人に話していることがある
自分の年齢をはっきりと明記するのがそろそろ嫌な年なので、ぼかした表現にするが、わたしはゆとり世代であり、就職すればゲッという顔をされた平成生まれであり、ジャニーズで言えば八乙女世代、堀越で言っても八乙女三浦春馬世代、アミューズでいうところの三浦春馬戸谷公人水田航生あたりの世代のそろそろしっかりクソババア世代である
だから、エンターテイメントが死にかけているように感じるのは、わたしのアンテナが腐って倒れそうになっているからなのかもしれないし、わたしの知らない世界で新しいエンターテイメントが誕生しているのかもしれない
けれど、わたしの目の届くところにあるエンターテイメントはみんな死にかけている
具体的にどういったことが言いたいかということをわたしが若手俳優のキチガイヲタになった2010年あたりを軸に色んなジャンルのことを考えていきたい
テニミュファーストの最後のドリライがあった年だ。身内がDDでドリライに行っていたから知っている
その年のゴールデンウィークは、戸谷公人の誕生日イベントがあり、新宿御苑のサンモールではたしかDステが行われていたように思う
当時の身内に誘われて遊びに行くとサンモールにものすごい数のおたくがいた。
わたしはというとバースデーイベントのチケットを両部合わせて5枚余らせていたので、その場にいた子達を誘ってみたが、Dステの千秋楽だから無理だと断られた
2010年はそんな年だ。
アミューズでいえば宝石シリーズ及び黒白シリーズが始まった年でもある。
赤坂ボーイズキャバレーに夏を費やしたおたくが何人いたことか。
特撮で言えば、丁度2009年が平成ライダー10周年記念のデイケイドの放送年で、一区切りついたところで、今をときめく菅田将暉が初々しく日曜8時で戦っていた年だ。
とにかくお祭り騒ぎだった。どこの現場も非常に盛り上がり、頭のおかしいおたくがたくさんいた
他のジャンルにも目を向けて行こうと思う
例えばお笑いでは10年連続で開催していたM−1が一度幕を下ろしたのも2010年のことであった。ずっと優勝できずにいた笑い飯がようやくM−1王者に輝いた年である
アイドルではAKB48の第二回総選挙が行われた年である。このあたりがわたしは国民的アイドルという視点でAKBを評価したときの最高潮に盛り上がりを迎えていた瞬間だと思っている
2010年は、エンターテイメントを時の流れで区分したときに大きな区切りとなる年であると考えている
では今度は2010年以前の10年くらいのことを考えてみたいと思う。
わたしが小学校低学年の頃に一斉を風靡したSPEEDが電撃解散をして、その数年後に現れたのがモーニング娘。だった
しかし、ザ☆ピース以来、モーニング娘。は国民的アイドルというポジションを離れ、ハロープロジェクトというジャンルの中に入っていってしまった。
そしてそれ以来、AKBが大学の頃に国民的アイドルと呼ばれるようになるまで、特にアイドルらしいアイドルはわたしの視界には入らなかった
むしろモーニング娘。のあとは、いわゆる巨乳グラドルが台頭してきた時代のように感じるが、残念ながらあんまりわたしはグラドルに興味を持つ性別でも年頃でもなかったので、あまり記憶がない
(小池栄子は気付いたら女優としてもタレントとしても非常に大成していたのでまじですごい巨乳お姉さんだと思っている)
中学校の頃(2000年代前半)は芸人の黄金時代だったように感じる(わたしは芸人のおたくをしていたことがないので実際にいつが黄金時代と定義されるのかはわからないのだけれど)
イメージとして、このあたりから盛り上がって2010年がお笑いの盛り上がりのピークと捉えている
思えばわたしはエンターテイメントに恵まれた世代だったと思う。
小学校のときには体育大会でモーニング娘。のザ☆ピースが流れ、組立体操をした。
高学年のときには笑う犬の冒険を熱心に見て、それがいつのまにか水10になり、中学校の文化祭では先輩たちに目をつけられながらも、有志でゴリエのミッキーを踊った
やんちゃな子たちはごくせんに憧れ、みんなで文化祭のクラスの出し物でごくせんをやり、最後にはスマスマでキムタクたちが踊り流行っていた恋のマイアヒをエンディングで踊った。
週末をこえて学校に登校すれば、みんなエンタの神様の話をしていた。誰がおもしろい、誰のネタがどうだ、誰がかっこいい
ジャニーズも、いわゆる若手三組と呼ばれるNEWS、関ジャニ∞、KAT-TUNが立て続けにデビューした頃で、みんな通学鞄に好きなジャニーズのメンバーの名前をポスカで書いていた
力尽きたので、つづく。
エンターテイメントが死ぬかもしれない話
⚫︎前提
・元々自分のfc2ブログからの転載です
・とにかく長い
・とにかく辛口
・怒らないでください
おたくも長く続けていくと色んなジャンルに友達が散らばり、色んなジャンルに対する浅い知識が増えていく。
なんとなく今どこのジャンルに活気があるのか、雰囲気でわかるようになる。それはツイッターがあるからだろうし、昔では考えられない量の情報を簡単に手にすることができるからだと思う
そんなわたしがひとつの仮説としてわりと真面目に考え、色んな友人に話していることがある
自分の年齢をはっきりと明記するのがそろそろ嫌な年なので、ぼかした表現にするが、わたしはゆとり世代であり、就職すればゲッという顔をされた平成生まれであり、ジャニーズで言えば八乙女世代、堀越で言っても八乙女三浦春馬世代、アミューズでいうところの三浦春馬戸谷公人水田航生あたりの世代のそろそろしっかりクソババア世代である
だから、エンターテイメントが死にかけているように感じるのは、わたしのアンテナが腐って倒れそうになっているからなのかもしれないし、わたしの知らない世界で新しいエンターテイメントが誕生しているのかもしれない
けれど、わたしの目の届くところにあるエンターテイメントはみんな死にかけている
具体的にどういったことが言いたいかということをわたしが若手俳優のキチガイヲタになった2010年あたりを軸に色んなジャンルのことを考えていきたい
2010年、若手俳優の世界は非常に盛り上がっていたと思う。
テニミュファーストの最後のドリライがあった年だ。身内がDDでドリライに行っていたから知っている
その年のゴールデンウィークは、戸谷公人の誕生日イベントがあり、新宿御苑のサンモールではたしかDステが行われていたように思う
当時の身内に誘われて遊びに行くとサンモールにものすごい数のおたくがいた。
わたしはというとバースデーイベントのチケットを両部合わせて5枚余らせていたので、その場にいた子達を誘ってみたが、Dステの千秋楽だから無理だと断られた
2010年はそんな年だ。
アミューズでいえば宝石シリーズ及び黒白シリーズが始まった年でもある。
赤坂ボーイズキャバレーに夏を費やしたおたくが何人いたことか。
特撮で言えば、丁度2009年が平成ライダー10周年記念のデイケイドの放送年で、一区切りついたところで、今をときめく菅田将暉が初々しく日曜8時で戦っていた年だ。
とにかくお祭り騒ぎだった。どこの現場も非常に盛り上がり、頭のおかしいおたくがたくさんいた
他のジャンルにも目を向けて行こうと思う
例えばお笑いでは10年連続で開催していたM−1が一度幕を下ろしたのも2010年のことであった。ずっと優勝できずにいた笑い飯がようやくM−1王者に輝いた年である
アイドルではAKB48の第二回総選挙が行われた年である。このあたりがわたしは国民的アイドルという視点でAKBを評価したときの最高潮に盛り上がりを迎えていた瞬間だと思っている
2010年は、エンターテイメントを時の流れで区分したときに大きな区切りとなる年であると考えている
では今度は2010年以前の10年くらいのことを考えてみたいと思う。
わたしが小学校低学年の頃に一斉を風靡したSPEEDが電撃解散をして、その数年後に現れたのがモーニング娘。だった
しかし、ザ☆ピース以来、モーニング娘。は国民的アイドルというポジションを離れ、ハロープロジェクトというジャンルの中に入っていってしまった。
そしてそれ以来、AKBが大学の頃に国民的アイドルと呼ばれるようになるまで、特にアイドルらしいアイドルはわたしの視界には入らなかった
むしろモーニング娘。のあとは、いわゆる巨乳グラドルが台頭してきた時代のように感じるが、残念ながらあんまりわたしはグラドルに興味を持つ性別でも年頃でもなかったので、あまり記憶がない
(小池栄子は気付いたら女優としてもタレントとしても非常に大成していたのでまじですごい巨乳お姉さんだと思っている)
中学校の頃(2000年代前半)は芸人の黄金時代だったように感じる(わたしは芸人のおたくをしていたことがないので実際にいつが黄金時代と定義されるのかはわからないのだけれど)
イメージとして、このあたりから盛り上がって2010年がお笑いの盛り上がりのピークと捉えている
思えばわたしはエンターテイメントに恵まれた世代だったと思う。
小学校のときには体育大会でモーニング娘。のザ☆ピースが流れ、組立体操をした。
高学年のときには笑う犬の冒険を熱心に見て、それがいつのまにか水10になり、中学校の文化祭では先輩たちに目をつけられながらも、有志でゴリエのミッキーを踊った
やんちゃな子たちはごくせんに憧れ、みんなで文化祭のクラスの出し物でごくせんをやり、最後にはスマスマでキムタクたちが踊り流行っていた恋のマイアヒをエンディングで踊った。
週末をこえて学校に登校すれば、みんなエンタの神様の話をしていた。誰がおもしろい、誰のネタがどうだ、誰がかっこいい
ジャニーズも、いわゆる若手三組と呼ばれるNEWS、関ジャニ∞、KAT-TUNが立て続けにデビューした頃で、みんな通学鞄に好きなジャニーズのメンバーの名前をポスカで書いていた
(ここで一度力つきた)
エンターテイメントがしぬかもしれないはなしの続き。
前回は2000年〜2010年あたりのアイドル、ジャニーズ、お笑いのジャンルでなにが起こっていたのかということをさらっと(わたしの十代の記憶と共に)振り返った
では現在虫の息である若手俳優の世界でなにが起こっていたのかということも一応書き記しておく
まさに2.5次元ミュージカルの王様(なぜ若手俳優の舞台はつまらなく、客席が埋まらないのかおたくが真剣に考えてみたブログ参照)であるテニミュが初めて上演されたのは2003年のことである
当時の話はパイセンたちからのお話でしか聞いたことがないけれど、はじめは客席が埋まらないのでキメ様のライブをおわりにやったりして、キメ様のおたくとかでがんばって埋めていたらしい
ちなみにみんな大好き氷帝学園、いまをときめく斎藤工が出演していた氷帝公演が行われたのは、2005年の話であるから、テニミュ(若手俳優)の世界も前述の通り、やっぱり2010年に向かって右肩あがりの時代だったんだと思う
それでは今度こそ2010年以降、おたくの世界になにが起こってきたのかをふんわり考えてみようと思う
現状として、大きくふたつの問題がエンタメおたく界の中に発生している
ひとつは、村社会としてのおたく世界におけるおたく高齢化社会、ふたつめは、生産的おたくの少数化である
変な話だと思うかもしれない。今日本は国として、ずっと偏見を持たれて消極的に虐げられてきた「おたく」という異常な世界をひとつの国民性としてピックアップしていって、それを日本の特色としてビジネスにしようとしている
そして、おたくではない人たちがおたくの世界に土足で踏み込んできて、自分たちが興味を持った部分のみを取り上げて「これがおたくなんです!」とテレビや雑誌なんかで言っちゃってる
元々こういうサブカル推しの政策になるまでにおたくになっている人たち(わたし含め)は昔の閉鎖的なおたくの世界の中での「みんな違ってみんなとりあえずよし」というのに慣れているからあんまり気にしてないかもしれないけれど、
新規参入してきたおたくの人たちはひょっとしたら、マスコミたちが取り上げた「おたくの世界のひとつの側面」を見て、自分でなにか実体験として掴み取ることもせずにこれがおたくなんだとぼんやりと捉えているだけなんじゃないかとわたしは危惧している
村のコミュニティーの中に入れていようが、村八分されていようが、そこに存在する限り、とりあえず全員村民である
例外ももちろんあると思う。
例えばワンピースが好きだったとして、毎週ジャンプを買い、単行本を買い集め、アニメを視聴し、自分なりに設定についての考察を行う
これをネットなどに発表することなく、誰に見せることもなくひたすらノートに書き綴っていたら、自己完結しているので、他者から村民として認知されることはないと思う
けれど、この人が例えばホームページを立ち上げて自分なりの考察を世界に発表したら、例え誰かと交流を持たなくても、わたしは村民として世界に存在していることになると考えている
他のワンピースのおたくは誰かしらそれを読むだろうし、感想をメールする人もいるかもしれないし、リンクフリーと書いてあったら、リンクページやブログにその考察サイトのURLを貼るかもしれない
かたや、HPを立ち上げたもののアクセスがなかったら、自らサーチに登録するかもしれない
こうして、村の中へと入っていくのである
村の中には色んな人がいる。
一流企業で働いているエリートもいれば、ニートに近いフリーターもいるし、学生もいれば、子持ち主婦もいる
けれど、暗黙の村の掟というものがおそらくどのジャンルのおたくの世界にも存在して、もちろん可視化されたものではないので、最初はわからないのだけれど、どの村にも、RPGゲームで話しかけてくる村民みたいなやつがいて、
これはこうすればいいんだよ、これがどうなんだよ、とふんわりと村の掟を教えてくれていた
物事というものは、完全にゼロから創造されることはない
そこになにかが存在して、そして、基礎とされるルールが存在して、初めてそこからなにかが生み出される
ことにおたくという生き物は、おたくという側面においてイチからなにかを創造する生き物ではないと考える
何かが存在して、それになにかアレンジを加えて、別のなにかに変化させるのがおたくだと思う
おたくというのは、創造されたなにかを完成させる上で不可欠な存在ではあるが、まずはじめは受け手だ
受け手として、その世界に存在するにあたって、どんな世界にもルールがある
けれど、情報化社会の中で、おたく世界の中の村という概念が何年も前から崩れている
これは、若い子に限ったことではない。
マスコミが取り上げたおたくの世界を見て、おもしろそう!と新規参入してきた年配おたくも同様である
そうすると、どういうことが起こるのかというと、新規参入おたくたちはSNSなどのツールばっかりは立派に持っているのだけれど、RPGゲームで話しかけてくれるおたくがいないものだから、
レベル上げの方法を知らずにずっとマサラタウンの横の草むらでコラッタやキャタピーや同じようにそこに留まって地図を持たないおたく同士で、これがおたくなんだー!たのしー!となっている(もちろん例外もいる)(自ら見つけていけるんだから、わたしと違ってまじ天才的だと思っている)
村民おたくとマサラタウンおたくとのおたくの分離化が進む中で、旧型のおたくの高齢化が止まらない
⚫︎「生産的おたくの少数化」とは
どのジャンルにもいると思うのだけれど、ツイッターに常駐していて、キチガイを名乗っている若い自称おたくの子たちがわりと一定数いる
これは本当にかわいそうだ。
なぜならなんの生産性もないツイッターに常駐して時間を無駄に浪費しているということはおたくでもキチガイでもなんでもなくて、生産性の低いただのかまってちゃんだからだ
けれど、それでも時間が潰せるものだから、若い子たちはきっと常駐してしまうんだと思う
ツイッターがリアの頃に普及していなかった世代からすると、完全に異常なので、正直積極的にリプを飛ばして関わり合いになろうとは思わない(自分のことを棚に上げてこんなことを言っているがわたしも相当別のベクトルでやばいヤツなので、関わり合いにならない方がいいと思う)
わたしが若い頃は、ツイッターがなかったので、ひまだったらもっぱらブログを更新するか、様々な匿名掲示板を眺めるか、仲間内でチャットやメールをするか、などしか暇つぶしツールがなかったのだけれど、完全に村社会だったので、
なぜかそんなわたしを見ておもしろそうと思ってくれた色んなお姉さんが色んなことを教えてくれて、暇つぶしの中でも生産性のある暇つぶしツールを与えてくれたというか、
ジャンルやおたくの先輩として、例えばこのライブはどのアーティストのどのライブの影響を受けているから、そっちも見ていた方がいいだとか、
この作品を見て、こういう感想を持つなら、きっとこの作家のこういった本が好きだろうから、読んでみたら?だとか様々なアドバイスをもらった結果、
10年以上かけて、こんな神の視点からブログを書くような高尚おたくに育ったのである
(十代の頃から3歳から10歳以上年上の友達とばかり遊んでいたので、地方の女子高生の身分で東京の女子大の講義にこっそり潜りこんだりしているような変な女子高生だった)
はっきり言って、おたくはおたくとして存在している時点で9割は凡である
だから、自分でなにかを創造することはできないと思った方がいいし、レベル上げの最も簡単な近道は先人に教えを乞うことである
素晴らしいことなのか、残念なことなのか、若い子たちはどう捉えるかわからないが、テニミュというコンテンツが好きでファーストから通っているおたくはたくさんいる
DVDで当時の公演を振り返ることは不可能ではないが、ネルケは財布をしめていくことを決して許さないので、きっと過去の公演のDVDまで買いあさるなんてなかなかできることではない(それに残念ながら逮捕者がでている公演のDVDは発禁になっている)
ひとりそういうババアおたくと仲良くなって、そういう話を教えてもらって、自分の中にインプットして、そこに自分なりの仮説と解釈を加えるだけで、高尚おたくになれるのに、
ツイッターを眺めていると結局同世代同士でつるんでいるのが多い気がする
その点において、タレコミとかで叩かれているような痛いおたくの子たちの方が結局現場で昔からいるババアたちと顔を合わせて、情報戦で勝てないババアたちといかにうまくやっていくかという課題と直面しているので、
よっぽど要領がいいというか、低姿勢で吸収力があるなあと個人的には思う(ババア側の人間)
ここまで読んで、どうして生産性の低いおたくだとだめなんだ、ツイッターで同世代で楽しくつるんでなにがだめなんだ、痛いワタシみたいな高尚おたくになる必要性がどこにあるんだ、と思った人が多数だと思う
なぜダメなのか、
まずひとつめは、マサラタウンの草むらには何年もいられないということ
ふたつめは、マサラタウンの草むらにいただけではポケモンをプレイしたとは言えない
ので、布教ができないということである
例え話だとぴんとこないかもしれないので、それぞれについて解説していく
まず、ファンではなくおたくとして存在する以上、ただ消費するのではなく、消化(昇華)できるおたくにならないと、自分でなにがおもしろくて今コレに時間とお金を費やしているのか、わからなくなるときが絶対くる
おたくを自称するくらい、何かが好きなのだから、どうして自分はそれが好きなのか、それにはどんな魅力があるのか、その魅力は他のものと比べてどう秀でているのか、せめてこれくらいは言語化できた方がいい
というか、これをきちんと言語化できる人は、ロジックツリーなんかに頼らなくてもたいていのことは物事の本質と原因を分析できる人になるから、生きていく上でもたぶん役に立つから便利だと思う
言語化するには、その世界を知る必要がある。
何年もおたくをやっているババアは絶対たいていは厄介なので、積極的に関わり合いになれとは言わない
けれど、ロム専だとしても(もはやロム専という言葉は死語かもしれない)(黙って眺めてヲチっているという意味だと思ってください)自分でなにか発信している人は見ていた方がいい
そこには自分と異なる考えがあるので、自分の考えと比較対照することができ、自分の考えがどういったものなのか、再検討することができ、より強固なものにすることができる
なんでそんな難しく考えなきゃいけないんだろう、ただの趣味なのにと思う人もいるんだろうなあと思う
けれど、よっぽどの天才ではない限り、エンタメを作る側もいきなり完璧なものを作り出すことはできない
特に制作側の人間はおたくが少数派なので、おたくの「これがこうだったらもっと好きになれるのに」ということをことごとく外すことにおいて、才能に溢れている
自分が何かを楽しみ続けるとなったとき、舞台だったらアンケートを書くなり、アイドルだったらツイッターで運営のエゴサにひっかかるようにあーだこーだ言うなり、直接現場で制作に話しかけるなりしないと、
自分の中で、あれ?と思ったもやもやは解消されない
そういうことをしないとエンタメ側もレベルアップしないんだと思う
だいたい、大きくなりすぎたエンタメが衰退する理由として、ひとつはエンタメがおもしろくなっていくということに関して現状のツールでは絶対に限界がくるときがあるということ、
そして、大きくなりすぎたエンタメは、ビジネス化されすぎていて、「こうなったらいいのにな」というおたくの考えの届かないことろへいってしまっていることがあげられるんじゃないかとわたしは思っている
おもしろいエンタメがあると、どうしてもそこにお金が集まってしまうので、ビジネス化されてしまうのは、仕方のないことなんだと思う
けれど、今の日本においてそれが悲惨なのは、たまたま様々なエンタメのジャンルが同じようなタイミングでピークを迎えてしまい、エンタメ世界が、大爆撃でもあったのかという惨状になってしまっていることだ
しかもその間におたく側も情報化社会の中で変形していって、おもしろいエンタメを育てていく体力のあるおたくが少数派になってしまった
アイドルの世界は戦国時代が終わって、きっとこれからあの2009年〜2010年のドラマに溢れたAKBのような盛り上がりを見せてくれるアイドルはもうしばらく現れない
仕事や現実に疲れたアイドルおたくを癒すために様々なハコやショッピングモールで特典券を武器に細々と生きていくアイドルたちとおたくの世界になってしまう
モーニング娘。がミスタームーンライト愛のビッグバンド以降ハロプロの世界に帰ってしまったように、元々アイドルおたくだったひとたちのためのエンタメとしてきっとこれからは存在していく
お笑いも今、バラエテイこそあるものの、若手が芸を披露する場がほとんどない
バラエテイでの面白さなんてその場にはまれば誰でもおもしろいので、お笑い芸人である必要性などなにもない
芸人はなんでもやって当たり前なんだから、それと比べて木村佳乃がなんでもやった方
がおもしろいに決まっている
お笑いのジャンルは今、現場難民(芸人側の) に溢れている結果、おもしろい漫才どころではないんじゃないかという印象だ
ジャニーズも、嵐の人気はおそらく今よりでることはないだろう
そんな中で、わたしたちの青春だった若手三組がそれこそ大爆撃を受けたみたいにメンバーが半分くらいに減っている中で、じゃあその下にくる平成ジャンプが元気なのかというと、最近伊野尾がようやくその美少年さを世間に認識され始めたが(といっても伊野尾はわたしと同い年なのでもう少年ではない)
セクゾもメンバーが増えたり減ったりするので、正直ジャニヲタあがったババアはついていけない。デビューしたユニットでそんなことありえます?よくわからない
じゃあウェストはというと、今の関ジャニくらいになれたらいいねーくらいの認識でしかない、わたしの中では
ファンのひとは怒るかもしれないけれど、こう見えて一応彼らがジュニア時代に松竹や梅芸でお仕事していたときにそれなりに見ていたので、ブチギレするのは超古参のお姉さんたちだけで勘弁してほしい
関西ジャニーズの抱える問題と可能性と闇については触れ出すと話が終わらなくなるので割愛
けれど、上記ジャニーズたちが決して売れないと言っているのではなく、現状の悲惨なエンタメ界を今すぐ引っ張っていく力があるかと考えたときに今すぐは無理だという話なので本当に怒らないでください
若手俳優の世界はおそらく痛みを伴う革命でも起きない限り、もう無理である
アミューズがドリフェスとかやり始めちゃった時点で、あー事務所もそう思ってんのかなーとわたしはおもったぜ
大したビジネスでもなかったのに、いろんな大人がよってたかってダメにした感がある
たぶんこれからたくさんの失業者が発生するというか、まあ引退する子たちがどんどん増えていくと思う
まあ若手俳優はあんまり稼げるお仕事ではないので、その点においては大丈夫かなあと思っているけれど、元ジャニヲタとしてはジュニアが引退したのちに逮捕される流れにはうんざりなので、ちゃんとそれぞれに生きていく道があればいいなと思う
それがエンタメの世界だったらどんなにいいことかとは思うけれど、今若手俳優の世界にはそんなに飯のタネがないので、なにも言えない
結局、若手俳優のあとに台頭してきた読モジャンルも、KPOPも若手俳優よりも早くマイナーの世界へ帰っていってしまったので、
今どこでなにが元気で盛り上がっているのか、わたしの目には見つけられない
それがおそろしくて色んなおたくにこの話をして、今なにが盛り上がっているんだろうと聞いても、みんな首をかしげる。
広告で働いている男の子にもこの話をしてみたけれど、スポーツなんじゃない?と言われてしまった。
残念ながらわたしはスポーツには一切興味がない。あとオリンピックに向けてスポーツが盛り上がるというのは、長らく当たり前のことなので、それはこれまでの Permalink | 記事への反応(0) | 11:26
エンターテイメントが死ぬかもしれない話
⚫︎前提
・元々自分のfc2ブログからの転載です
・とにかく長い
・とにかく辛口
・怒らないでください
おたくも長く続けていくと色んなジャンルに友達が散らばり、色んなジャンルに対する浅い知識が増えていく。
なんとなく今どこのジャンルに活気があるのか、雰囲気でわかるようになる。それはツイッターがあるからだろうし、昔では考えられない量の情報を簡単に手にすることができるからだと思う
そんなわたしがひとつの仮説としてわりと真面目に考え、色んな友人に話していることがある
自分の年齢をはっきりと明記するのがそろそろ嫌な年なので、ぼかした表現にするが、わたしはゆとり世代であり、就職すればゲッという顔をされた平成生まれであり、ジャニーズで言えば八乙女世代、堀越で言っても八乙女三浦春馬世代、アミューズでいうところの三浦春馬戸谷公人水田航生あたりの世代のそろそろしっかりクソババア世代である
だから、エンターテイメントが死にかけているように感じるのは、わたしのアンテナが腐って倒れそうになっているからなのかもしれないし、わたしの知らない世界で新しいエンターテイメントが誕生しているのかもしれない
けれど、わたしの目の届くところにあるエンターテイメントはみんな死にかけている
具体的にどういったことが言いたいかということをわたしが若手俳優のキチガイヲタになった2010年あたりを軸に色んなジャンルのことを考えていきたい
2010年、若手俳優の世界は非常に盛り上がっていたと思う。
テニミュファーストの最後のドリライがあった年だ。身内がDDでドリライに行っていたから知っている
その年のゴールデンウィークは、戸谷公人の誕生日イベントがあり、新宿御苑のサンモールではたしかDステが行われていたように思う
当時の身内に誘われて遊びに行くとサンモールにものすごい数のおたくがいた。
わたしはというとバースデーイベントのチケットを両部合わせて5枚余らせていたので、その場にいた子達を誘ってみたが、Dステの千秋楽だから無理だと断られた
2010年はそんな年だ。
アミューズでいえば宝石シリーズ及び黒白シリーズが始まった年でもある。
赤坂ボーイズキャバレーに夏を費やしたおたくが何人いたことか。
特撮で言えば、丁度2009年が平成ライダー10周年記念のデイケイドの放送年で、一区切りついたところで、今をときめく菅田将暉が初々しく日曜8時で戦っていた年だ。
とにかくお祭り騒ぎだった。どこの現場も非常に盛り上がり、頭のおかしいおたくがたくさんいた
他のジャンルにも目を向けて行こうと思う
例えばお笑いでは10年連続で開催していたM−1が一度幕を下ろしたのも2010年のことであった。ずっと優勝できずにいた笑い飯がようやくM−1王者に輝いた年である
アイドルではAKB48の第二回総選挙が行われた年である。このあたりがわたしは国民的アイドルという視点でAKBを評価したときの最高潮に盛り上がりを迎えていた瞬間だと思っている
2010年は、エンターテイメントを時の流れで区分したときに大きな区切りとなる年であると考えている
では今度は2010年以前の10年くらいのことを考えてみたいと思う。
わたしが小学校低学年の頃に一斉を風靡したSPEEDが電撃解散をして、その数年後に現れたのがモーニング娘。だった
しかし、ザ☆ピース以来、モーニング娘。は国民的アイドルというポジションを離れ、ハロープロジェクトというジャンルの中に入っていってしまった。
そしてそれ以来、AKBが大学の頃に国民的アイドルと呼ばれるようになるまで、特にアイドルらしいアイドルはわたしの視界には入らなかった
むしろモーニング娘。のあとは、いわゆる巨乳グラドルが台頭してきた時代のように感じるが、残念ながらあんまりわたしはグラドルに興味を持つ性別でも年頃でもなかったので、あまり記憶がない
(小池栄子は気付いたら女優としてもタレントとしても非常に大成していたのでまじですごい巨乳お姉さんだと思っている)
中学校の頃(2000年代前半)は芸人の黄金時代だったように感じる(わたしは芸人のおたくをしていたことがないので実際にいつが黄金時代と定義されるのかはわからないのだけれど)
イメージとして、このあたりから盛り上がって2010年がお笑いの盛り上がりのピークと捉えている
思えばわたしはエンターテイメントに恵まれた世代だったと思う。
小学校のときには体育大会でモーニング娘。のザ☆ピースが流れ、組立体操をした。
高学年のときには笑う犬の冒険を熱心に見て、それがいつのまにか水10になり、中学校の文化祭では先輩たちに目をつけられながらも、有志でゴリエのミッキーを踊った
やんちゃな子たちはごくせんに憧れ、みんなで文化祭のクラスの出し物でごくせんをやり、最後にはスマスマでキムタクたちが踊り流行っていた恋のマイアヒをエンディングで踊った。
週末をこえて学校に登校すれば、みんなエンタの神様の話をしていた。誰がおもしろい、誰のネタがどうだ、誰がかっこいい
ジャニーズも、いわゆる若手三組と呼ばれるNEWS、関ジャニ∞、KAT-TUNが立て続けにデビューした頃で、みんな通学鞄に好きなジャニーズのメンバーの名前をポスカで書いていた
(ここで一度力つきた)
エンターテイメントがしぬかもしれないはなしの続き。
前回は2000年〜2010年あたりのアイドル、ジャニーズ、お笑いのジャンルでなにが起こっていたのかということをさらっと(わたしの十代の記憶と共に)振り返った
では現在虫の息である若手俳優の世界でなにが起こっていたのかということも一応書き記しておく
まさに2.5次元ミュージカルの王様(なぜ若手俳優の舞台はつまらなく、客席が埋まらないのかおたくが真剣に考えてみたブログ参照)であるテニミュが初めて上演されたのは2003年のことである
当時の話はパイセンたちからのお話でしか聞いたことがないけれど、はじめは客席が埋まらないのでキメ様のライブをおわりにやったりして、キメ様のおたくとかでがんばって埋めていたらしい
ちなみにみんな大好き氷帝学園、いまをときめく斎藤工が出演していた氷帝公演が行われたのは、2005年の話であるから、テニミュ(若手俳優)の世界も前述の通り、やっぱり2010年に向かって右肩あがりの時代だったんだと思う
それでは今度こそ2010年以降、おたくの世界になにが起こってきたのかをふんわり考えてみようと思う
現状として、大きくふたつの問題がエンタメおたく界の中に発生している
ひとつは、村社会としてのおたく世界におけるおたく高齢化社会、ふたつめは、生産的おたくの少数化である
変な話だと思うかもしれない。今日本は国として、ずっと偏見を持たれて消極的に虐げられてきた「おたく」という異常な世界をひとつの国民性としてピックアップしていって、それを日本の特色としてビジネスにしようとしている
そして、おたくではない人たちがおたくの世界に土足で踏み込んできて、自分たちが興味を持った部分のみを取り上げて「これがおたくなんです!」とテレビや雑誌なんかで言っちゃってる
元々こういうサブカル推しの政策になるまでにおたくになっている人たち(わたし含め)は昔の閉鎖的なおたくの世界の中での「みんな違ってみんなとりあえずよし」というのに慣れているからあんまり気にしてないかもしれないけれど、
新規参入してきたおたくの人たちはひょっとしたら、マスコミたちが取り上げた「おたくの世界のひとつの側面」を見て、自分でなにか実体験として掴み取ることもせずにこれがおたくなんだとぼんやりと捉えているだけなんじゃないかとわたしは危惧している
村のコミュニティーの中に入れていようが、村八分されていようが、そこに存在する限り、とりあえず全員村民である
例外ももちろんあると思う。
例えばワンピースが好きだったとして、毎週ジャンプを買い、単行本を買い集め、アニメを視聴し、自分なりに設定についての考察を行う
これをネットなどに発表することなく、誰に見せることもなくひたすらノートに書き綴っていたら、自己完結しているので、他者から村民として認知されることはないと思う
けれど、この人が例えばホームページを立ち上げて自分なりの考察を世界に発表したら、例え誰かと交流を持たなくても、わたしは村民として世界に存在していることになると考えている
他のワンピースのおたくは誰かしらそれを読むだろうし、感想をメールする人もいるかもしれないし、リンクフリーと書いてあったら、リンクページやブログにその考察サイトのURLを貼るかもしれない
かたや、HPを立ち上げたもののアクセスがなかったら、自らサーチに登録するかもしれない
こうして、村の中へと入っていくのである
村の中には色んな人がいる。
一流企業で働いているエリートもいれば、ニートに近いフリーターもいるし、学生もいれば、子持ち主婦もいる
けれど、暗黙の村の掟というものがおそらくどのジャンルのおたくの世界にも存在して、もちろん可視化されたものではないので、最初はわからないのだけれど、どの村にも、RPGゲームで話しかけてくる村民みたいなやつがいて、
これはこうすればいいんだよ、これがどうなんだよ、とふんわりと村の掟を教えてくれていた
物事というものは、完全にゼロから創造されることはない
そこになにかが存在して、そして、基礎とされるルールが存在して、初めてそこからなにかが生み出される
ことにおたくという生き物は、おたくという側面においてイチからなにかを創造する生き物ではないと考える
何かが存在して、それになにかアレンジを加えて、別のなにかに変化させるのがおたくだと思う
おたくというのは、創造されたなにかを完成させる上で不可欠な存在ではあるが、まずはじめは受け手だ
受け手として、その世界に存在するにあたって、どんな世界にもルールがある
けれど、情報化社会の中で、おたく世界の中の村という概念が何年も前から崩れている
これは、若い子に限ったことではない。
マスコミが取り上げたおたくの世界を見て、おもしろそう!と新規参入してきた年配おたくも同様である
そうすると、どういうことが起こるのかというと、新規参入おたくたちはSNSなどのツールばっかりは立派に持っているのだけれど、RPGゲームで話しかけてくれるおたくがいないものだから、
レベル上げの方法を知らずにずっとマサラタウンの横の草むらでコラッタやキャタピーや同じようにそこに留まって地図を持たないおたく同士で、これがおたくなんだー!たのしー!となっている(もちろん例外もいる)(自ら見つけていけるんだから、わたしと違ってまじ天才的だと思っている)
村民おたくとマサラタウンおたくとのおたくの分離化が進む中で、旧型のおたくの高齢化が止まらない
⚫︎「生産的おたくの少数化」とは
どのジャンルにもいると思うのだけれど、ツイッターに常駐していて、キチガイを名乗っている若い自称おたくの子たちがわりと一定数いる
これは本当にかわいそうだ。
なぜならなんの生産性もないツイッターに常駐して時間を無駄に浪費しているということはおたくでもキチガイでもなんでもなくて、生産性の低いただのかまってちゃんだからだ
けれど、それでも時間が潰せるものだから、若い子たちはきっと常駐してしまうんだと思う
ツイッターがリアの頃に普及していなかった世代からすると、完全に異常なので、正直積極的にリプを飛ばして関わり合いになろうとは思わない(自分のことを棚に上げてこんなことを言っているがわたしも相当別のベクトルでやばいヤツなので、関わり合いにならない方がいいと思う)
わたしが若い頃は、ツイッターがなかったので、ひまだったらもっぱらブログを更新するか、様々な匿名掲示板を眺めるか、仲間内でチャットやメールをするか、などしか暇つぶしツールがなかったのだけれど、完全に村社会だったので、
なぜかそんなわたしを見ておもしろそうと思ってくれた色んなお姉さんが色んなことを教えてくれて、暇つぶしの中でも生産性のある暇つぶしツールを与えてくれたというか、
ジャンルやおたくの先輩として、例えばこのライブはどのアーティストのどのライブの影響を受けているから、そっちも見ていた方がいいだとか、
この作品を見て、こういう感想を持つなら、きっとこの作家のこういった本が好きだろうから、読んでみたら?だとか様々なアドバイスをもらった結果、
10年以上かけて、こんな神の視点からブログを書くような高尚おたくに育ったのである
(十代の頃から3歳から10歳以上年上の友達とばかり遊んでいたので、地方の女子高生の身分で東京の女子大の講義にこっそり潜りこんだりしているような変な女子高生だった)
はっきり言って、おたくはおたくとして存在している時点で9割は凡である
だから、自分でなにかを創造することはできないと思った方がいいし、レベル上げの最も簡単な近道は先人に教えを乞うことである
素晴らしいことなのか、残念なことなのか、若い子たちはどう捉えるかわからないが、テニミュというコンテンツが好きでファーストから通っているおたくはたくさんいる
DVDで当時の公演を振り返ることは不可能ではないが、ネルケは財布をしめていくことを決して許さないので、きっと過去の公演のDVDまで買いあさるなんてなかなかできることではない(それに残念ながら逮捕者がでている公演のDVDは発禁になっている)
ひとりそういうババアおたくと仲良くなって、そういう話を教えてもらって、自分の中にインプットして、そこに自分なりの仮説と解釈を加えるだけで、高尚おたくになれるのに、
ツイッターを眺めていると結局同世代同士でつるんでいるのが多い気がする
その点において、タレコミとかで叩かれているような痛いおたくの子たちの方が結局現場で昔からいるババアたちと顔を合わせて、情報戦で勝てないババアたちといかにうまくやっていくかという課題と直面しているので、
よっぽど要領がいいというか、低姿勢で吸収力があるなあと個人的には思う(ババア側の人間)
ここまで読んで、どうして生産性の低いおたくだとだめなんだ、ツイッターで同世代で楽しくつるんでなにがだめなんだ、痛いワタシみたいな高尚おたくになる必要性がどこにあるんだ、と思った人が多数だと思う
なぜダメなのか、
まずひとつめは、マサラタウンの草むらには何年もいられないということ
ふたつめは、マサラタウンの草むらにいただけではポケモンをプレイしたとは言えない
ので、布教ができないということである
例え話だとぴんとこないかもしれないので、それぞれについて解説していく
まず、ファンではなくおたくとして存在する以上、ただ消費するのではなく、消化(昇華)できるおたくにならないと、自分でなにがおもしろくて今コレに時間とお金を費やしているのか、わからなくなるときが絶対くる
おたくを自称するくらい、何かが好きなのだから、どうして自分はそれが好きなのか、それにはどんな魅力があるのか、その魅力は他のものと比べてどう秀でているのか、せめてこれくらいは言語化できた方がいい
というか、これをきちんと言語化できる人は、ロジックツリーなんかに頼らなくてもたいていのことは物事の本質と原因を分析できる人になるから、生きていく上でもたぶん役に立つから便利だと思う
言語化するには、その世界を知る必要がある。
何年もおたくをやっているババアは絶対たいていは厄介なので、積極的に関わり合いになれとは言わない
けれど、ロム専だとしても(もはやロム専という言葉は死語かもしれない)(黙って眺めてヲチっているという意味だと思ってください)自分でなにか発信している人は見ていた方がいい
そこには自分と異なる考えがあるので、自分の考えと比較対照することができ、自分の考えがどういったものなのか、再検討することができ、より強固なものにすることができる
なんでそんな難しく考えなきゃいけないんだろう、ただの趣味なのにと思う人もいるんだろうなあと思う
けれど、よっぽどの天才ではない限り、エンタメを作る側もいきなり完璧なものを作り出すことはできない
特に制作側の人間はおたくが少数派なので、おたくの「これがこうだったらもっと好きになれるのに」ということをことごとく外すことにおいて、才能に溢れている
自分が何かを楽しみ続けるとなったとき、舞台だったらアンケートを書くなり、アイドルだったらツイッターで運営のエゴサにひっかかるようにあーだこーだ言うなり、直接現場で制作に話しかけるなりしないと、
自分の中で、あれ?と思ったもやもやは解消されない
そういうことをしないとエンタメ側もレベルアップしないんだと思う
だいたい、大きくなりすぎたエンタメが衰退する理由として、ひとつはエンタメがおもしろくなっていくということに関して現状のツールでは絶対に限界がくるときがあるということ、
そして、大きくなりすぎたエンタメは、ビジネス化されすぎていて、「こうなったらいいのにな」というおたくの考えの届かないことろへいってしまっていることがあげられるんじゃないかとわたしは思っている
おもしろいエンタメがあると、どうしてもそこにお金が集まってしまうので、ビジネス化されてしまうのは、仕方のないことなんだと思う
けれど、今の日本においてそれが悲惨なのは、たまたま様々なエンタメのジャンルが同じようなタイミングでピークを迎えてしまい、エンタメ世界が、大爆撃でもあったのかという惨状になってしまっていることだ
しかもその間におたく側も情報化社会の中で変形していって、おもしろいエンタメを育てていく体力のあるおたくが少数派になってしまった
アイドルの世界は戦国時代が終わって、きっとこれからあの2009年〜2010年のドラマに溢れたAKBのような盛り上がりを見せてくれるアイドルはもうしばらく現れない
仕事や現実に疲れたアイドルおたくを癒すために様々なハコやショッピングモールで特典券を武器に細々と生きていくアイドルたちとおたくの世界になってしまう
モーニング娘。がミスタームーンライト愛のビッグバンド以降ハロプロの世界に帰ってしまったように、元々アイドルおたくだったひとたちのためのエンタメとしてきっとこれからは存在していく
お笑いも今、バラエテイこそあるものの、若手が芸を披露する場がほとんどない
バラエテイでの面白さなんてその場にはまれば誰でもおもしろいので、お笑い芸人である必要性などなにもない
芸人はなんでもやって当たり前なんだから、それと比べて木村佳乃がなんでもやった方
がおもしろいに決まっている
お笑いのジャンルは今、現場難民(芸人側の) に溢れている結果、おもしろい漫才どころではないんじゃないかという印象だ
ジャニーズも、嵐の人気はおそらく今よりでることはないだろう
そんな中で、わたしたちの青春だった若手三組がそれこそ大爆撃を受けたみたいにメンバーが半分くらいに減っている中で、じゃあその下にくる平成ジャンプが元気なのかというと、最近伊野尾がようやくその美少年さを世間に認識され始めたが(といっても伊野尾はわたしと同い年なのでもう少年ではない)
セクゾもメンバーが増えたり減ったりするので、正直ジャニヲタあがったババアはついていけない。デビューしたユニットでそんなことありえます?よくわからない
じゃあウェストはというと、今の関ジャニくらいになれたらいいねーくらいの認識でしかない、わたしの中では
ファンのひとは怒るかもしれないけれど、こう見えて一応彼らがジュニア時代に松竹や梅芸でお仕事していたときにそれなりに見ていたので、ブチギレするのは超古参のお姉さんたちだけで勘弁してほしい
関西ジャニーズの抱える問題と可能性と闇については触れ出すと話が終わらなくなるので割愛
けれど、上記ジャニーズたちが決して売れないと言っているのではなく、現状の悲惨なエンタメ界を今すぐ引っ張っていく力があるかと考えたときに今すぐは無理だという話なので本当に怒らないでください
若手俳優の世界はおそらく痛みを伴う革命でも起きない限り、もう無理である
アミューズがドリフェスとかやり始めちゃった時点で、あー事務所もそう思ってんのかなーとわたしはおもったぜ
大したビジネスでもなかったのに、いろんな大人がよってたかってダメにした感がある
たぶんこれからたくさんの失業者が発生するというか、まあ引退する子たちがどんどん増えていくと思う
まあ若手俳優はあんまり稼げるお仕事ではないので、その点においては大丈夫かなあと思っているけれど、元ジャニヲタとしてはジュニアが引退したのちに逮捕される流れにはうんざりなので、ちゃんとそれぞれに生きていく道があればいいなと思う
それがエンタメの世界だったらどんなにいいことかとは思うけれど、今若手俳優の世界にはそんなに飯のタネがないので、なにも言えない
結局、若手俳優のあとに台頭してきた読モジャンルも、KPOPも若手俳優よりも早くマイナーの世界へ帰っていってしまったので、
今どこでなにが元気で盛り上がっているのか、わたしの目には見つけられない
それがおそろしくて色んなおたくにこの話をして、今なにが盛り上がっているんだろうと聞いても、みんな首をかしげる。
広告で働いている男の子にもこの話をしてみたけれど、スポーツなんじゃない?と言われてしまった。
残念ながらわたしはスポーツには一切興味がない。あとオリンピックに向けてスポーツが盛り上がるというのは、長らく当たり前のことなので、それはこれまでの Permalink | 記事への反応(1) | 11:25