はてなキーワード: バースデーとは
○朝食:なし
○夕食:鯖味噌弁当(鯖味噌、大根、練り物、人参、梅干し、ご飯、きんぴらごぼう、たくあんなど)
○調子
東京03のコントDVDを見ながら、Xboxの増田を書いていた。
今日は一気に360編とOne編を書き上げて、残るはXBLA編。
Win10編もやるべきなのだろうか? スチーム編は? とか考えだすとキリがないなあ。
日本のXboxファンとして、少しでも360とOneのバースデーを盛り上げることができたかなあ。
○心ちゃん
心ちゃんにもっと触れていたいが、ゲームもしたい、というジレンマがある。
しかし、そこで気づいたのだが、咲-saki-のアニメを見ながらゲームをすればいいんじゃないか?
けれども、金欠の現状ではDVDを買うのはさすがに無理がある。
なら、月額性の動画配信サイトを利用すればいいじゃないか! ってことをひらめいた。
どうやら、咲-saki-はNetflixというサイトで配信されているらしい。
SD画質なら月額700円ぐらいと非常にリーズナブルなので、ちょうど今日レンタルしてきた東京03のコントDVDを見終わったら導入してみようと思う。
つーか今調べたらバースデーパック990円ってのはあったけど1ピース100円とはどこにも書いてなかったぞ
デマやめろ
(追記)
条件つきだけど、あった。ごめんね★
また、日本のKFC創業45周年を記念し、KFC創業者カーネル・サンダースの誕生日9月9日の「カーネルズ・デー」にあわせ、本年9月9日(水)限定で全店にてご使用いただけるクーポン「『オリジナルチキン』1ピースお試し券」を、チラシやカーネル通信、カーネルPontaクラブ、KFC公式アプリで配布します。クーポンご利用で「オリジナルチキン」1ピースを日本のKFC創業時の価格100円(税込)でご購入いただけます。
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http://nyankichitter.hatenablog.com/entry/2015/08/11/211037
今朝のホットエントリ、子供を産みたくなくて彼氏に振られた人の話を読んで考えたこと。
要約すると以下の三点。
②少子化で国が困るという意見もあるが、個人の人生は国のためにあるのではない。
③自分は子供がいてよかったけど、子供がいなくても楽しい人生は送れる
よく知られていることだが、子供が欲しくて産んだ人でも育児でノイローゼになることはある。
母親がストレスで子供を殺す事件もちょくちょく起きているし、あるいは子供を抑圧して育てていたらある日子供に殺されたなんていう話もある。
お金もじゃんじゃんかかる。今の世の中、お金に多少なりとも余裕がないと子供を産んで育てようという判断はできない。
子育ては片手間で楽々できたという人がいたら会ってみたいが、そういう人がいるとすれば例えばお金にかなり余裕があるとか、祖父母が育児に大変協力してくれるとか、子供がむちゃくちゃ育てやすいいい子だとかっていう幸運に恵まれた人か、もしくは本人がむちゃくちゃ有能な人なんではないかと思う。
とにかく子育ては大変な仕事だ。これを、嫌々やるとなれば相当な苦行になることは間違いない。そうなれば赤ちゃんポストにポイポイするか、修行だと思ってひたすら忍耐するしかない。
そう考えると、やっぱり、軽はずみに「とにかく産んでみればいいじゃん」というべきじゃないんじゃないかと思う。少なくとも産みたくないといっている人には。
②少子化で国が困るという意見もあるが、個人の人生は国のためにあるのではない。
一般論として、日本は少子高齢化が進んでいるので女性は積極的に産むべきだという意見がある。
産みたくないとか、産むべきかどうか悩んでいるという人に「子供を産んだほうがいいよ」という人はこれを根底に持っている人が一部いるんじゃないかと思うんだけど、お国のために産めよ増やせよというのは戦時中じゃあるまいし、個人の人生の自由を否定する意見なのでこれはよくないと思う。
大体、そんなことを言われて産みたくない人がどんどん生むわけがないので、意味もない主張でもある。
ただ、産みたくない人はそう言われると産まないことに不要な罪悪感を覚えるかもしれないのでいうべきではないと思う。
国として、産んでほしいというのはあるわけだから「産みたい人が産みやすい環境を作る」のはよいと思うけど。
③自分は子供がいてよかったけど、子供がいなくても楽しい人生は送れる
実際、自分は子育て中なんだけど、子供がいてよかったことはもちろんある。
日々成長していくのを間近で見られるのは幸せなことだし、自分の誕生日に小さい子供がバースデーソングを歌ってくれるというのは嬉しいものだ。
でもこういう「子供がいてよかったこと」って全然具体的な便益ではないので、「子育ての苦労やコスト」と客観的に比較することはできない。
育児をしてみて、全然いいことなくて大変なだけだったと思う人もいると思う。
だから自分は子供がいてよかったと思うけど、他の人にも子供を作った方がいいよと言ってまわる気には全然ならない。
一方で子供がいなければ、自分の好きな趣味に打ち込む時間とお金が増えるし、特に女性にとっては産休育休もなく仕事が思いっきりできるということもあるので、それはそれで合理的な選択だと思う。
ブコメではどっちかっていうと「とりあえず産んだらいいじゃん」みたいな意見があったけど、そりゃちょっと無責任じゃないかと思った。まあ、ネット上の意見というのは何をいったって無責任なわけだが。子供というのは産んだらもう基本的に「なかったこと」にはできないんだから、子育てはしたい人だけすればよい、と言いたい。
去年増田で盛大に祝ってもらってからもう一年たったと考えると、あっという間すぎてほえ~となる。
父からはそろそろいい人見つけて親を安心させてくれとメールがきた。
やっぱり親としては結婚してようやく一人前・安心できるという感覚が染み付いているんだろう。
もやもやするけど結婚のために結婚するのはなんか違うと思うからいまいちそういうものに積極的になれない。
母からはちゃんとごはんを食べてとメールがきた。あと肛門科にいけと。
思い返せば10代と比べるとなんと無為に過ぎ去った10年だっただろうとむなしくなる。
でも苦痛じゃない。苦痛を感じたら生きていられないほど自分がみじめになるから。
そんなもんだというニュートラルな気持ちで日々過ごし、流れに身を任せる。
死なないように生きていけたらいいね。
元嫁が娘を連れて出て行った。離婚した。
それからもうすぐ2年が経つ。
娘がいる。
当時1歳だった娘は元嫁に引き取られた。
去年、娘には3度会った。
連れてくるのは極不機嫌な娘の祖母。
最後に会った時、
劣悪な環境下での面会は誰にとっても不幸しか呼ばないと感じて、
娘とはそれから会っていない。
それは去年の5月だった。
概ね、もうすぐで1年が経つ。
正月、ホワイトデー、誕生日、クリスマスには手紙を送っている。
これらの手紙が手元に残っていたならば、
きっと何かを感じてくれるだろうという期待を以て、
これが心の支えとなっているのだと思う。
これがやって後悔する可能性のあると感じている行為だ。
大した内容でもない。
およそそれ位。
ただ、俺自身にとっては、相手の不機嫌さを回避するという意味を持つ。
送らなければ送らないで不機嫌になるし、
送れば送ったで、なんで送ってくるんだという不機嫌になる。
やってもやらずとも自分にとってはこころに不快が残る選択肢の内、
より将来にとって意味のある選択という行為という意味とも言える。
良いか、悪いかの選択だけではなく、
悪いの二択から、どちらかを選択せねばならないという局面がある。
やらずの後悔が将来何も生まず、
やって後悔は、それが蓄積して将来極めて重大な後悔となる場合がある。
この言葉は、
点ではなく、時間軸という線、そして両者の感情という視点で捉えると、
非常に深く、趣深い言葉となる。
それは、
やって後悔する方がいいって言い切れる勇気と、
何回目になるのだろうか、もはや正確な回数もサッと思い出せないが、はや20も後半になったのは自覚している。そして、これまで以上に誕生日という実感がわかない。
うまいもん食おうとか、ほしいもん買おうとか、誕生日だから別にどうというわけじゃない。それも「歳をとるのがイヤだから誕生日を意識したくない」というわけではない。
なぜなのか、その理由もすこし考えればわかる。友達も、職場の人も(俺1人の職場)、ましてや彼女もいないこの身ゆえ、今となっては「おめでとう」と祝われることがない悲しい人間だからだろう。
期待しても仕方がないのだ。そもそも直近まで誕生日を忘れてたし。とにもかくにも、イベント感はまるでない。
今日も終わりに近づいたが、今年の誕生日も普段とかわらない1日だった。
なんの変哲もない、無味乾燥で、ただ虚しく老いていくだけの1日。昼過ぎ、出勤時刻ギリギリに起床して、心身にムチを打ち、倦怠感をふり払いながら労働。
そして仕事中の今である。処理すべき雑務から逃げるように、死んだ目をして1人キーボードをカチャカチャさせている。
ここから家に帰って0時になるだろう、睡魔と戦いながら晩飯に風呂。なんだかんだ2時ごろとなる入浴後、さあ落ちついたぞというところで勉強かねての読書タイム。
が、たいてい寝落ち。そして目をさますと昼過ぎ、出勤時刻ギリギリで…こんな毎日をすごしていると、なんというか、生が実感できない。今日の誕生日というこの日も以下同文。
しかし、というかだからこそなのかもしれないが、心の中では「祝ってほしい!」と思っている。「おめでとうと言ってくれ!」と思っている。
そうでなきゃこうして増田に書くこともない。この歳で口に出すのは恥ずかしい(そもそも口に出す人がいない)が、盛大でなくてもいい、どんな手段・方法であれ「おめでとう」という言葉を浴びたい。うーん、これが承認欲求というやつなのだろうか。
そこでだ。なにが縁でこれを読んでるあなた、そうそう、あなた。
まあなんだ、せっかくだからこの機会、この哀れな独り身に「おめでとう」を投げつけてみてはどうだろうか。なあに金がかかるもんじゃあない。
といっても、誰もいってくれないという悲しい事態を避けるために、自分で自分に言っておこう。
ふと思い立ち、これまで俺が殴りつけてきた過去の増田をふり返ってみた。
うん、書いていた。ちょうど7年前のこの日、俺は増田に「20歳、節目となる誕生日を一人でむかえるぜ!ヒャッハー」と書いていた。
ああ、俺は、なんら、成長、して、いない。
http://anond.hatelabo.jp/20150107115743
書いたその日は反応も少なかったのでチラシの裏は誰にもみてもらえないんだなぁくらいに思っていたのですが、翌日からみるみるブクマが増えてどうしていいかわかりませんでした
まず驚いたのは、嫁の鬱病を心配する声が思いのほか多かったということです
最初はそんなわけないって思っていたのですが、そうした声が増えていくうちに少しずつ心配になってきました
もしかしたら、もう少し気づくのが遅かったら取り返しのつかない状況だったかもしれません
皆さんのコメントにも沢山教えていただくことはあったのですが、何よりこちらの記事に頭を叩かれた気分でした
ttp://anond.hatelabo.jp/20150108160833
気分的にはこちらにトラバしたいくらいなのですが、あまりにもKYなので自粛しました
ブコメ数が同じくらいの時はキレイ事を並べやがってくらいにしか思ってなかったのですが、見る見るうちにブコメ数が追い越され、気付いたら自分の記事がはてブトップから消えてしまっていた時にちょっとずつ自分の間違いが見えてきました
自分には仕事の合間をみて時間を作ることが出来たし、時には仕事が長引いたとウソを付くこともありました
だからこうして増田も書けたし、趣味に対する調べ物なんかもしたりしてました
自分にとってみれば、それは家庭で笑顔でいるための必要悪くらいに考えてました
だから子育てにも積極的に参加したつもりだし、バースデーもクリスマスも嫁が喜ぶものを用意してきたつもりでした
そういう行為(好意?)を拒絶されることは、ぼくにしてみれば自分が拒絶されることだと感じてきました
それが積もりに積もってあんな内容を書いたのだと思います
でも、今思うと、嫁にしてみれば自分の時間がさらに切り詰められるようなことだったのかもしれません
とくに母乳主義だった嫁はそれこそ24時間体制で一人の時間を許されていませんでした
結婚前にバリバリの営業職だった嫁にしてみると、専業主婦という受け身で縛られた立場がさらに苦痛に感じられたのかもしれません
それならば自分には何ができるのか、先ほどの増田と頂いたブコメを何度も読んで考えてみました
そうして今朝、今日から始まる幼稚園のために早起きしてお化粧を始めた嫁の後ろから提案してみました
「あのさぁ、もし良ければなんだけど、週に何回かでよければぼくが子供を寝かしつけるからたまには映画みたり自分のしたいことしてみなよ」と
しばらくまっても返事がないのでこれは余計なことをしてしまったなぁと鏡越しに顔を覗いたら、目に涙をためて顔を真赤にしている嫁がいました
同じように色々と思いつめていたんだなぁと思うと、自分のことばかり考えていたことが情けなくなりました
そうして精一杯強がることで嫁は抱えている色々なものと戦っていたのだと思います
http://d.hatena.ne.jp/Yashio/20150105/1420462084
確かに自分の状況にも似ているのですが、唯一違うと感じた点は、むしろぼくがそうして積極的に手を差し伸べていくことで一見わがままとも取れる自分の時間をつくりたいという言葉を言えなくしてしまっていたということでした
今回それに気付くことができなかったら、沢山の指摘にあった通り、ぼくは嫁を鬱病にさせてしまっていたかもしれません
ぼくがありがとうを言わない、嫁をほめないのでは?という指摘も沢山頂きました
これに関しては、自分では一生懸命、それでいてわざとらしくなく伝えるようにしていたつもりでした
だからこそ言わない相手が悪いという図式が自分の中で成り立っていました
ただ、確かに一部の家事に関してはどこかでやって当然と思っていた部分があるかもしれません
更に言えば、そうして言い続けることで自分が善人側に回って、なおのこと嫁を追い詰めていたのかもしれません
今後は感謝を伝えるポイントをもっと日常的な何気ない内容に変えてみようかと思います
ワイン系は嫁の大好物なんですが、シャンパンと見栄を晴れない小市民です
つっこみのコメントが増えていく度に修正の機会も失ってしまいましたのでここで言い訳させてください/////
そうしてようやく口を開いた嫁の言葉は「そういうならそうさせてもらいます」でした
まだ当分ありがとうは聞けそうにありませんが、そんな頑固な嫁が前よりも愛おしく思えました
さいごにひとつ
良く晴れた、ある秋の日。
からころとカウベルのような音を立てて、喫茶店に一人の女性が入ってきた。
正確に言えば、扉に付いているのは高地で放牧されていた牛がつけていたものを喫茶店のマスターが旅先でもらってきたものであるので、事実、カウベルの音なのだが。
ふと、目をやると、カウンターの上に2つのりんごが置いてある。
「りんごだ」
秋恵はそうつぶやいてから、ひどく恥ずかしくなった。りんごを見て、りんごだ、とつぶやくのはなんというか、あまりにもそのままだったからだ。
他に誰も聞いている人が居ないかを確認してから、秋恵は買い出して来た材料を片付ける為に、店の奥に向かった。さほど大きくはない喫茶店なのだが、カウンターの他に何故か調理室がある。
「……よし」
今日は、キッシュを作ろうと心に決めていた。しかし、調理室に入っていざ準備をしてみると、なぜか少し不安がある。秋恵の中では、料理は特技の中には入っていない。どちらかと言うと、手芸であるとか、もっと具体的に言えば手袋を編むのは中々のものだと思っている。
しかし、まだ季節は秋である。手袋をプレゼントにするには少し早い。
サプライズパーティーをする予定で、他のメンバーがマスターを外に連れ出している。まずお茶の時間にケーキとちょっとしたものでサプライズをして、夜はしっかりごちそうを作る予定だ。
まだキッチンは秋恵だけである。というよりも、料理に自信がなかったので、少し早めに来て先に進めようと考えていたのだ。
秋恵の不安は大きくなる。挽き肉とほうれん草のカレーをマスターに美味しいと褒められたので、パーティーらしくキッシュにしようと挽き肉とほうれん草を買ってきたのだが、良く考えたらカレーだから美味しかったのであって、キッシュにしたらぱさぱさにならないか?チーズとかいるのだろうか?
冷凍パイ生地を使って作ったことがあるのはアップルパイだけだ。アレは自分で食べたのだが中々美味しかった。先ほど見たりんごが脳裏をかすめる。
マスターの趣味で、五香粉だのクミンシードだの、調理室には様々な香辛料が溜め込まれている。当然シナモンもある。
「……よし」
もし、誰かが使うつもりのものだったら謝ってあとでスーパーに買いに行けば良い。ちょうど2個あるし、使ってしまおう。
そう思って喫茶店内にとって返したところで、からころと音がなった。
秋恵がりんごに手を伸ばしたタイミングで、ちょうど目があった。
春香が大声を上げる。
「え?いや、ちょっと使わせてもらうかなーと思ったんだけど」
さすがの秋恵も、自分が買ってきたわけでない食材を勝手に使おうとしていたのでしどろもどろに返答していたのだが、途中でハタと気がついた。
「なによ!ちゃんとマスターにも聞いたんだからね、今欲しい物が何かって!」
それを直接聞くなよ、サプライズだぞ妹よ、と秋恵は思ったのだが口には出さない。どうせ面倒な事になるのが目に見えているからだ。この妹は基本的に善良で模範的な市民なのだが、内弁慶である。そして、すぐに懐いて身内扱いするので、知り合いに対して弁慶である。もう、ほぼ弁慶だ。
「ひどい!4つも食べたの?信じらんない!だから彼氏にも逃げられるのよ!」
「ひどいひどい!マスターがリンゴが6個食べたいって言ってたから、ちゃんと昨日のうちにスーパーで買って来て、これから磨こうと思ってたのに!」
「りんご6個?」
ものすごく嫌な予感がする。秋恵は妹をこれ以上刺激しないようにしたいと心の底から思ったのだが、好奇心が勝った。
「それって、もしかしてApple6って言ってなかった?」
まだ妹が何かを喚いているが、秋恵は聞いていない。そう、妹はこういう奴なのだ。春香ちゃんって天然だねと常連客に言われて、農薬なんか使ってませんと突然怒るような娘なのだ。
秋恵がほんのりと妹の天然さ加減に心温めていると、ついに弁慶が物理的に攻撃を仕掛けてきた。慌てて説明を再開する。
「いや、待てって。あたしはまだ使ってないって。これからちょっと借りてパイをつくろうと思ってただけで」
「借りるって使っちゃったら返せないじゃない!」
「だから、まだ使ってないって。あんたのりんごには手を出してないから」
「今触ってたじゃない!」
「いやだから」
結局、春香が納得して残ったりんごを磨き始めるのに、45分かかった。大幅なタイムロスである。
「もう!誰が4つ食べちゃったのよ」
「そりゃわかんないけど、意外とマスターあたりじゃないの?」
秋恵もなんとなくりんご磨きに付き合わされている。こんなことをしている場合ではないのだが、もはやキッシュを作るのと春香を同時に相手にするのは無理だと心の何処かで諦めている。
りんごを磨きながら扉を見やると、無理やり渋い顔を作っているマスターと、夏代が入ってくるのが見える。
「わたし食べた」
先ほどまでの騒動を三割増しで春香がマスターに報告していると、夏代が唐突に告白した。
春香が目を大きく見開いたのをみて、慌ててマスターが補足を入れる。
「僕が先に食べようって言ったんだよ。ね、夏代ちゃん?」
「先に見つけたのはわたし」
「どういうことよ!ナッちゃんマスターといつのまにそんな関係になったのよ!」
秋恵が黙ってりんごを磨きながら噛み合わない会話を聞いていると、なんとなく全貌が掴めてきた。
つまり、こういうことだ。
昨晩、春香がりんごを6個買ってきて、カウンターの上において帰った。どうやらビニール袋に入れたままだったようだ。プレゼントの扱いが雑だぞ妹よ、と秋恵は思ったが当然口には出さない。
閉店清掃をしていた夏代がカウンターのビニール袋に目を留め、閉店前精算をしていたマスターが、りんごを剥いて夏代と一緒に食べたということのようだ。
「おいしかった」
もうぐだぐだである。マスターも一応気がつかないふりで渋い顔をしていたはずだが、すっかり嬉しそうな様子を隠そうともしない。
「まあまあ、結局は僕へのプレゼントを僕が食べたんだし、良いじゃない」
春香は、マスターに頭をなでてもらってすっかりご満悦である。秋恵は、磨いているりんごを夏代がじっと見つめてくるのが少し気になるが、取り敢えずは無視して気になっていることを聞くことにする。
「ナッちゃんさ、ふゆねぇは?」
「ケーキを取りに行った」
もうサプライズでもなんでも無いなと秋恵は思ったが、主に春香のせいなので気にしないことにする。
「や、なんか変だなーとは思ったんだよね。冬美さんがお散歩しませんか、とか言うから。まあ今日は暇だし、ちょっと休憩がてらと思って、冬美さんと夏代ちゃんと一緒にお散歩に出たら」
冬美は散歩の途中で唐突に、厠に、と言ったらしい。マスターはそこがツボだったらしく、いやあ女性が言うと雅だねとか何とか言っているが、それにしてももう少しマシな言い訳は作れなかったのかと秋恵は思う。
「待ってるつもりだったんだけど、冬美さんも時間が掛かるから先に帰っててって言ってたし、先に帰ってきたんだよね」
そのお茶はサプライズのパーティーという打ち合わせを昨晩きちんとしたはずだし、トイレに時間がかかると女性が言うのはどうだろうと秋恵は思ったが、もはや何を言っても無駄な気がしてきている。
からんころんという音とともに、冬美が大きな箱を持って店内に入ってきた。
「あら、みんなでお茶の準備かしら?」
本人は自然なつもりなのだろうが、どうみてもケーキが入っている箱を持っているし、不自然極まりない入り方に秋恵は少し目眩がする。
「わたしミルクティー」
「じゃあ、わたしはマスター特製のブレンドにしようかしら」
「……あたしもブレンドで」
それでもお湯を沸かしカップを揃え、豆を挽いてミルクを温めてと、マスターを中心に淀みなく準備が進むのは、流石に喫茶店での作業に手慣れた姉妹ならではのものだ。
4人がカウンターに並んで座り、マスターはカウンターの作業側に立っている。いつもの光景だ。
普段と違うのは、明らかにケーキが入っている箱が不自然に中央に置かれていることだ。
冬美がたっぷりと溜めてから箱を開き、驚いたでしょう?という顔でマスターを見上げ、マスターはとても嬉しそうだ。まあ、嬉しそうだからもう何も言うまいと秋恵は諦めてりんごを磨いている。
「あたしも!りんご!ほら、お姉ちゃんも渡して!それあたしのプレゼント!」
春香に続き、秋恵も大人しくマスターにりんごを渡す。ほんの少しだけ渡すのが寂しいと秋恵が思ったのは、丁寧に磨いたからだろうか。
「いや、嬉しいな。ありがとう。僕、結構りんご好きなんだよね」
秋恵がApple6がりんご2個になったと知ったらマスターがどんな顔をするだろうかとぼんやり想像していたが、隣からそわそわとした雰囲気が伝わってきたので、怪訝に思って見てみると、冬美が明らかに何かを企んでいる顔をしている。
これは何かまだプレゼントがあるな、サプライズの意味が解っている流石は最年長者だと素直に秋恵は感心した。
「実はですね~、もう一つ」
「え?りんごがまだあるのかな?良かった、生のりんごは好物でね」
「ナマの?」
秋恵は反射的に聞いてしまってから、後悔した。隣の冬美が笑顔のまま突然硬直したからだ。嫌な予感がする。
「そう、僕は焼きリンゴとかはギリギリ大丈夫なんだけど、アップルパイみたいに煮てあるやつがダメでね。くにゅっとした食感がどうにも苦手で」
マスターは基本的には喫茶店のマスターらしく空気を読むし、苦手な食べ物でも相手から出されたものは断らない。ましてや冬美がプレゼントするものを拒否することはありえない。例え砂まみれでも笑顔で食べるだろう。
「も、もう一つは……あ、あたしからの歌です!」
冬美の無理矢理のリカバリーを夏代が台無しにするが、まだマスターは笑顔のままだ。
「な、ナッちゃんもほら、一緒に!ハッピバースデートゥーユー!」
ハッピバースデーディアと一緒に歌いながら、秋恵は思い出す。そういえば調理室でキッシュを作ろうとして不安になったのは、甘い匂いが残っていたからではなかったか。シナモンが目立つ位置に出ていたのは何故だったか。りんごは元々6個あり、マスターと夏代が食べて、今マスターが2個持っているということは、残りの2個はどこに行ったのか。そして、キッシュを作っていないことに気が付き溜息をつきそうになるが、嬉しそうに蝋燭の炎を消すマスターをみて、まあ、幸せそうならば良いかと秋恵は思い直す。
喫茶店の外は、秋らしく良く晴れている。
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【第0回】短編小説の集い
http://novelcluster.hatenablog.jp/entry/2014/09/18/121657
はてブでは「id:zeromoon0 」を入れて感想をいただければ恐縮です。
小学生の頃、その月に誕生日を迎える人にクラスみんなでバースデーカードを送ろう、という企画があった。
そのカードに「お前の誕生日なんかクソもめでたくない、死ねバーカ」と書かれたカードがたくさん届いたような人です。
親もとりたて誕生日を祝ってくれるようなタイプではなく、食事もむしろ残飯が出てきた事がある。
さすがに残飯の時は「今日誕生日なんだけど?」と言ってみたけど「あらそう?おめでとう。」と冷や飯を付きつけられただけだった。
友達同士でプレゼント贈るってのはあったけど、ケーキ食べて歌うたってってのは無い。
そんなんなので、先日Twitterで、40過ぎたオッサンが「今日は俺の誕生日!」とアピールしてケーキの写真載せてるのを見た時は衝撃的だった。
40過ぎのオッサンがこんな子供みたいな事するんだ!
ガキかよ!という嫌悪感と、祝ってもらえるのいいなぁ、という羨ましさ半分。
かといって急に「今日俺の誕生日!」とアピールしだしたら、周囲の人に「あっ…(祝えって事か)……お、おめでとう。」みたいな展開になるのは見えてる。
これはもう金払ってどこかのサービス使ったほうが良いと思ったんだけど
誕生日じゃなくても、最近会社で業績が認められて賞を取ったんだけど
こういうことを言うと「自慢乙」とか言われるのが関の山だし、祝ってくれなんて言い出したら「何こいつ?」って思われる。
だから誰にも言ってないんだけどやっぱり自分としては嬉しいわけよ。
一人でこっそり祝杯もいいけど、誰かとお祝いしたいなぁ。
ただ、エロサイトのためどう拡散していけばよいのかわからず、ここに書いています。
サイトは、今日が誕生日のAV女優を毎日、紹介するサイトです。
TOPで、その日が誕生日の女優すべてが一覧され、女優を選択することで、
女優ごとの個別のページにて複数の出演作品を閲覧することが可能です。
毎日、「ハッピーバースデー!」の気持ちを持ちながら、オナニーできれば、素敵だと思い制作しました。
「オナニー」と「人の誕生」というもしかしたら、最も遠い存在の交わる場所として素敵なピースを創ることができればと思います。
先日、こんな記事が出た。
ヤフーのeコマース革命は第2フェーズへ~小澤氏らに聞く、人員が増え続けても「爆速開発」が可能な理由
http://engineer.typemag.jp/article/bakusokukaihatsu
しかしながら、こういう記事は良いように見えるようにしか書かないのも事実。
実際のところ、どうなんだろうか。
気になった投稿があったので拾って個人が特定できないように書き換えてリポストする。
わたし、ほんと合わなかったんだろうなー(笑)わたしは今のところでがんばるよ。 元からスピード遅かったじゃん。「速度が落ちてません」ってどうなんだ? 人数増えたのに落ちてない、元から遅かった=低下してんじゃんって読めるんだが。 ペットボトルの例は「言われたことだけをやってればいいという風土で 兵隊を育て続けてしまった弊害」ということでしょ。 「水をこぼれるのを防ぎたいんだ」ということまで言わないと意図を読み取れないのってどーなの? 「俺たちがやっているのは終わらない文化祭だ」社畜乙! と、つい、考えてしまった。
仲間を仲間と思わず敵にしてしまって出し抜くような人が多かったですからね。
配属されて部署に行った時に所属するチームに席がなかったとか、 OJTが昼からしかこないしなにも教えてくれなかったとか、 先輩の企画さんにいじめられたとかあったけど、 そんなもんかねーと思ってたし。 鈍感力に優れててほんとうによかったと思ってる。
したっぱ(というと聞こえは悪いかもしれないけれど)同士は敵いなかったんだよ。 いろんな機能のたくさんの開発さんたちと仕事してきたけど、みんな協力してくれたし。 開発としゃべると話が早くて超楽だったし。いちいち確認する必要なかったからね。 いい意味の空気嫁で仕事できてた感はある。 制作メンバーとも仲悪いとかなかったし。 去年の誕生日は開発メンバーがバースデーカードくれた。うれしかったな。 昔いた企画の人の中にはいまだに飲みたい人たちもいるし、いい思い出もたくさんあるんだよ。。。 ほんと残念だよ。 最終的には、あそこにわたしの居場所はなかったし、居場所を得ようとさえ思えなかったからね。
修羅の国で修業したい人には良いところなんでしょうね。
でも、きっと、長く続かない。
どこかで聞いたことのあるようなフレーズ。ググっても見つからなかったのでネット外の伝聞情報をここに記す。
モチェルダウンス(モチェルダウンス)は、イギリスのロックバンド。1969年にヘルシンキで前身バンドを結成、1992年にメジャーデビュー。デビュー以降外部ミュージシャンの起用は多いものの、同じパーマネント・メンバーで活動している。「ハテナノムーラ」がヒットして以降は常に第一線で活躍し続け、現在アメリカを代表するバンドの一つである。
「ローリング・ストーンの選ぶ歴史上最も偉大な100組のアーティスト」において第1327位。
ジョン・レモン
ミンナ・アホネン
先週、数年前はあったはずの預金がほぼ底をついていた。
額にして337円。衝撃過ぎて一度で金額を暗記していた。
給料日を翌週に控えた2011年の9月21日、関東には台風が来ていたが私の心にはそれを凌駕する嵐が迫っていた。
預金337円。正確には別にある貯金用の口座に十数万円が残るが手はつけまいと、ただそのためだけに作った口座なのでそこにある分は預金とはみなしていない。
会社に入社して毎月お金を家に入れていた。給料日。忘れる事もあったが毎週コンビニでジャンプを買う。思い出してすぐにATMで引き出して数日以内には入れていた。
3万円。手取り13万の私が自由に使えるのはここから携帯電話の料金を除いた10万円弱。
高校のころにやっていたバイトの月収およそ二倍。大きな買い物もせず順調に、そしていつの間にか、貯蓄はその額を増やしていた。
しかし会社に入って一年、情けないことにコミュ障をこじらせてお局様に相当嫌われ、しかし幸運が重なり数ヶ月後の異動が決まった。
2009年6月5日、金曜日。吐き出す術を知らなかった私が誰にも話すことなく頼ったのは心療内科だった。
軽度の鬱と診断され(もしかしたらそんな病気など無かったのかもしれないが)、異動が決まり少しは環境がマシになること、趣味が充実していること、生きがいを持っていること。そんな諸々が加味されて通院は2009年の9月26日、ニヶ月ほどで終了した。
その間に家族に通院がバレ、通院の最後の方には薬の副作用で筋固縮になり仕事に支障が出かけた。しかし新しい環境での仕事はそれなりに順調だったし、ネットで見ていたような断薬症状も無かった。
昔よりはコミュ充に近づいたと思うし、失敗は回収できるんだと思えるようになった。
そこまで生きる間に私が家に入れるお金は5万円に増額した。家にお金が無いのは知っていたから。
臨時で貸した時が何度かあった。その時は、給料日に5万円を入れずに相殺して返済とする。そうやって家計を保っていた。
2009年の9月、その頃には大きな額を貸すようになっており、もう毎月のお金は入れずに貸出金から相殺し、そこにまた貸していくそんなやりとりが続いていた。
しかし貸し出す金額は徐々に増え、頻度が増す。数ヶ月に一回だった貸し出しはほぼ毎月になり、7桁を記録しようとしていた私の預金が7桁を記録したのは、いつだったかの給料日後の数日だけだった。
7桁が6桁になった事を少し悔しく思ったが困りはしなかった。マンガが買えて服が買える。何も家を買うわけでも車を買おうとしているわけでも、なかったから。
家族を助けるために。その思いで貸し続けた。
そして2011年9月21日。あれから、通院が終わってから2年。7桁弱あった私の預金は3桁になっていた。
最初はただの使いすぎだと思っていた。2年の間にクレジットカードの使い方を覚えネット通販を覚え、ちょっと良い美容室に行くようになりヘアケアスキンケアだってほんの少し値の上がったものに変えてみたりもした。
友達も増えた。だから都心に遊びに行くことだって増えた。お酒を飲む楽しさを知った。
それでもまだ慎ましい範囲だと思っていたのだが。
収入は増えても控除で減っていく。手取りはほとんど変わっていない。
それでも、何かを控えればまた貯まると、少しだけ考えた。
母から貸出金の履歴を見せてもらうまでの1日だけは。
管理はちゃんとすると言っていた母に貸出金と相殺金の管理を任せていた。小さな手帳に書かれたのは異常な頻度と金額の貸出金の履歴。
近い月にはボーナスの数日後にボーナス額のおよそ半分以上の額を貸していた。
数ヶ月に渡って月手取りの半分以上もしくは同等の額を渡していた。
そこに自分の使った分の引き落としやら何やらが加味されて、これで預金が減らないわけがない。小学生だってわかることだ。
人生ではじめて親に言葉に出来ない苛立ちを覚えた。同時に、仕事は半日で強制帰還されたので台風にははじめて感謝した。
言葉に出来ず感情をうまくコントロールできず、数日間家族と対面するのは食事だけだった。
思い返せば高校時代。進路をどうするか決めていた私を呼び出して
「将来就きたい職業があって、そのために進学するのなら何とかして大学へ行かせられる。
けど、なんとなく進学するのなら、それはできない。」
そう言われた。至極尤もすぎて言葉も出なかった。大学は勉強するために行く場所だ。
専門的な知識を仕入れてそれを将来に活かすのが大学。そう認識した言葉だった。
将来の夢も希望も何もかもを諦めていた私は、その言葉を受けて就職した。氷河期と氷河期の間、ほんの少しだけ回復の兆しが見られた2007年秋。
高校から近い、学校の中での応募枠さえ取れれば内定が取れると言われていた企業へ、普通に、就職が決まった。
一刻はひどい学歴コンプレックスに陥った。しかしそれだって両親にではなく、夢も希望も努力を捨て、しかしあの日からやりたい職業すら見つからずに改めて進学に踏み切れない自分を責める感情でしかなかった。
今日、一週間考え続けた事を母に問うた。本当に我が家にはお金が無いらしい。
そして父の収入は年々減ってきているらしい。
私は辛い心を抑えながらまるで日常の話をするが如く、もう自由にお金を貸せない事を告げた。
考える。何がいけなかったのか。父や母はこの土地に来てから仕事が減ったと言う。ここは母の実家、祖父の土地だ。
建て替えるときに一緒に住みたいかと問われた幼い私が首を縦に振った、そうやってやってきた土地だ。
身につかない習い事をしたいと言った幼い私がいた。勉強が嫌いだったので教材だって使わなかった。
中学の時いわゆる"弄り"と"いじめ"の間に晒されて学校に行きたくないとわがままを言った私がいた。
それでも学校には行かされたが、精神力だけは心がボロボロになったって耐えて自傷しないほどには鍛えられたので、一応感謝している。
引き替えに、誰も聞かないのだと、誰にもうまく苦痛を吐き出すことが出来なくなってしまったのだが。
そう考えると私がいけなかったのだろうか。
もしもいつかの過去に行けるならと聞かれれば、私はあの日に還り何が何でも幼い私に首を横に振らせると答えるだろう。
私がいけなかったのだろうか。ここ数年、いつも私は自分を責め続けている。
平凡で、家族に恵まれて、高校の成績は中の中。テストは概ね平均点。
それなりにおしゃれをして、友だちがいて、普通に恋をして普通に失恋する、密かにそろそろ人恋しいと思うだけのもてない21歳の高卒オタク女だ。
十分に幸せそうなのに、それを客観的に書いている私はこんなにも満たされない。誰でもいいから縋りたい。
思いたち、数日、SNSから姿を消してみたが、取り立てて誰かが「私がいない」と発言することは、ほとんどなかった。連絡もこなかった。
何を期待していたのだろうか。誰にも認識されず必要とされず、自分を責めながら恨みつらみばかり言うだけになった面倒な女を誰が見ていると言うのだろうか。私のいないSNSは見ていて愉快だった。楽しそうだった。
自分は自分を殺さないと思う代わりに、家族が思いつめたら、と、一週間で何度も思う。それでもそんな事は誰にも言えなかった。
病院に行こうとも思ったが、また病院には行きたくない。辛いんじゃなくて、それが甘えではないかと思う自分がいるからだ。
被害妄想だけが蓄積していく。発散するような楽しみはもう寝ることくらいしかない。
それでも寝て起きたら誰もいないと思うと、眠れない日が、たまにある。
今日を含めて16日で、私はもうひとつ年をとる。その日を転機に、私は何かを考えなければならないらしい。
これが誰か知り合いに特定されてもいい。私の家族はネットに疎い。それだけでいい。
いつかの日のために取っておいた15万円しかない貯金や給料日を迎えてわずかに潤った預金は、多分、来月にでも使われることになるのだろう。
書いた色々なことがわがままだと言われても、なんとなくこうやって書き残せたから今日はもう満足だ。