「アスカ」を含む日記 RSS

はてなキーワード: アスカとは

2016-10-07

マンガエヴァアスカの「汚されちゃったよう」のところセリフも絵もエロすぎてやばい

2016-10-04

君の名は」を見たけどいまいちピンとこなかったんだけど。



でもものすごい興行収入あげてるじゃないですか。

絶賛の嵐、っていうほどなのか。シン・ゴジラの方が、熱いコメントよく見た気もするけども。


これ、共感してるのは、男もなのかな。

どこらへん?

どこら辺ツボった?マジで


どんな風に面白くしてくれんのかなって、見てたんだけど、

入れ替わって、まあ、わかる。

そんな感じでリアクションするかもしれん。うんうん。

お互い入れ替わって、だんだん惹かれ合う。ふむふむ。


でもこの段階。この段階も、実は違和感がある。

完全に一時的に、自分の体になってる、っていうのが、想像難しいけどさ。

それでそいつを好きになるのだろうか。

おっぱいもんで、ちんこもある程度触っているわけでしょ。お互い。

なんか、そこですんなり好きになるのかな。自分好きになるみたいじゃん。

なんていうか、体を何されてるかわからなかったりする、

変さって、あるんじゃないっていう。知ってしまってるだけに、恋愛感情になり得にくくない?

そこで俺のイメージだと、なんか違和感が芽生える。


で、まあ、いろいろあって突然入れ替わらなくなるんだけど、

好きっていう感情は残ってるのに、住所に全く関心示さなくて、全くわからないっていう。

それもなんかね。いやいやいや、どんだけだよ。なんか、なんかしら手がかりあるでしょ。

と思わなくもない。記憶に残ってるものと、残ってないものが都合よすぎるというかね。

まあ、絵とか描けるからって、伏線張ってはいるけども。


で、なんとなく思い出したから、行ってくる、ってなって、

女の先輩と友達、入れ替わっていた事実をあっさり受け入れすぎてるっていうか、

何なのそのリアクション!あっさりしすぎじゃない?もっと、こいつ頭おかしいんちゃうん、って思うでしょう。

まあでも流れ的に、それやっちゃうおかしなっちゃうけど。

でもそこで、そのリアクションないっていうのが気持ち悪い。

なら出すな。絡ますなっていう気がする。


で、村民を助けるっていう流れ、わかる。僕らの七日間戦争的な、あれでしょ。わかる。

わかるんだけど、前段階で、結構ふわふわしちゃてるからもう、なんか全部、ふわふわしてきちゃって、

茶番に見えるというか。

真実を知ってるのは主人公なんだけど、説得しきれてない。証明できてないよね。

でもあそこまでの犯罪に手を染めるというのがね。

何でやねんって思わなくはないですよ。


3年前に髪を結ぶ紐を渡す、っていうのもね、わかる。その感じ。

ドラえもんのび太の魔界大冒険の序盤で、石になってるドラえもんのび太伏線の回収みたいなあの感じわかるよ。

でももう、この段だと、あんまりちゃんと見れない。

冷めてる。


で、最後、わかるんだよ。

いろいろ、全てが終わって会っちゃう。どうしても出会ってしまう。赤い糸からね。

わかる!わかるんだけど。


でも隕石回避、ただ走って伝えるだけで、セッテングは友達がやってたわけだしね。大して何もしてない。

それにお互いをどうやって好きになったかって、

入れ替わって、ちょっと日常生活してただけじゃないですか。

決定的に、お互いに、何か心の隙間を保管するようなことがあったわけでもなくて、

日常歩んで、ちょっと先輩と三角関係になっただけ。

で、現時点では、かなり記憶が薄くなっちゃってるわけでしょ。

頼りになるのは、何となく好きかもっていうなんかよくわからない、気持ちだけ。


そんなんで、思いを募らせる何かがあるんか!みたいな。

なんか一悶着あって離れ離れなら、もう日がな考えてフワフワしちゃう

でもめっちゃ記憶いからね。なんか運命の人いるかも、程度でしょ。

しか最後なんて、ただのリーマンじゃないっすか。もうめちゃくちゃただの日常だし。

何なの?これから同棲して、子供こさえちゃう感じ?

みたいな。


なんか言うほどの恋愛なのっていう。

ピンチになってるけど、隕石回避してるだけで試練でも何でもないしさ。

いや、もう、燃え盛る山にボロボロになって突っ込んで助けに行って半死半生とかなら、

まじかよ、そこまでしてくれたなんて、めっちゃ好き!!っていうのもあるけど。

誘導しただけだからね。

そんだけ。

説得しただけ。


シンジを見ろよ。めっちゃエヴァ乗るの嫌がってて、もう死ぬほど怖い思いしてるよ。

でもアスカとかレイを助けるために乗っちゃうわけ。

すごいじゃん。


こっちは誘導しただけ。誘導しただけなんだよ。


とか思うんだよね。


途中で恋愛的に凹むことがあるわけでなくて、なんか、ヒロインがあえて、自分で女先輩導いちゃってるし。

墓穴!墓穴でしょ!俺は墓穴にはあんまり共感できないんだよ。

アホかってしか思えんし。


というのもあるわけ。


まあでも、泣けるのかな、泣けんの?本当に?

しか赤い糸的なのって、ふわふわやんけ。

もっとこう、しっかりと、人生戦って、そこで出逢おうよ。

せめてロミオとジュリエット的な、どうしようもない運命に引き裂かれてるとかならわかるけど。

もうなんか、赤い糸で決まってて、会って、嬉しいか?本当か。

赤い糸で決めんなって、キレるレベルちゃうんか?



とまあ、もう、突散らかしたけど、俺は共感できなかったんだよ。

なんなんだよ。100億超えただと?なぜ!なぜなんだぜ?

2016-09-21

気持ち悪い」という批判表現思考停止

気持ち悪い」という表現は、自分感情では認められないという点のみで一方的に突き放してしまい、それ以上の議論余地を奪っていると思う。

ブコメを見ていて時々見かけるが、安易に使っていないだろうか。

もちろん、自分自身反射的に同意してしまう時もあるのだが、気持ち悪いと突き放す前に具体的にどういう所に違和感を感じるのか、その正体を探る努力を見せるべきだと思う。

どうせはてなの連中のことだから気持ち悪いという表現を使っても許される、そう思わせたのは劇場版アスカセリフのせいだったりするんだろう。

よっぽとそっちの方が気持ち悪いわ。

2016-09-14

ナコルルってどれくらい人気だったの?

ナコルルって懐かしキャラという印象だけど、90年代はどれくらい人気だったの?

エヴァアスカ綾波に次ぐくらいのポジ

薄い本同人ゲームもたくさんでて、レイヤーも一個小隊くめる位ゾロゾロいたりしたの?

三鷹市ポスター採用とか、ゲーメスト人気投票殿堂入りとかググって分かることじゃない、当時の感じをおっさんハテナーの皆教えてくれ!

あと、春麗不知火舞モリガンかすみ、あたりと比べるとどんな感じ?

2016-09-07

秒速5センチメートル」という作品を見て。

知らない世界を見てみる、というのは多分何かを期待したいっていう無自覚意図があるからなんだろう。

アニメ全般的に嫌いなわけではないが、最近アニメほとんどは嫌いである。理由を上手く説明できないので生理的というしかないが、多分アニメのものが嫌いなのではなくて、なんていうかそこにある空気、ノリみたいなものが性に合わないのだ。生まれつき、徒党を組んだり、人の輪の中に入ったりすることがどうにも苦手で、孤独であることを選択してきたようなところがあるし、多分私は遺伝的にどこかおかしいのかもしれない。だからか、知らない世界に対する興味が人一倍大きいところがある。孤独は広い一つのこの世界を極端なくらい小さな世界と大きな世界に分断し過ぎてしまうからだ。そして、無自覚的に本能的に避けてきたそういう私の知らない世界に入ってみると大抵の場合、痛い目に合う。そもそも私には無理な世界なのだ。私の世界の外に出てはいけなかった。

 

そんな作品が『秒速5センチメートル』だった。

 

もう結構な歳だから、おそらく若い世代向けの作品だろうし、そもそもこの映画アニメタイトルすら知らなかった。いつ頃からか、ネット配信で色々と見るようになってたから、作品リストに入っていれば視覚を通じて脳の中に勝手にそのタイトルインプットされてしまう。で、「君の名は。」が現在大ヒット中で、新海誠って名が結びつけられてしまい、興味を惹かれてしまったのであろう。こういう流れで成功したのは、あのエヴァンゲリオンくらいだ。私はそもそもエヴァ的なムーブメント反吐が出るほど嫌いだったのに、何かのきっかけでふと見てしまいその漆黒ブラックホールから抜け出ることは永遠に叶わなくなるほどの体になってしまった。

 

今回は正真正銘大失敗だ。この、度肝を抜くほどの「誰にだってそんな経験はあるだろう?」「誰もが感じたことあるだろう?こんな感じの切ない経験」感たらありゃしない。これほどまでに押し付けがましい作品を私は見たことがない。ええ、私にだってありましたよ、こんな感じの青春恋愛物語。だけどね、私の場合思い出すのも憚られるほど自分が嫌になるちっとも綺麗な思い出じゃないんです。かつて、いや今も私は最低下劣人間から自分過去が美化など出来るわけはない。だからえげつないことに旧劇場版エヴァシンジアスカの前でオナニーして「俺って最低だ」ってところで「こ、これは俺だ、俺自身だ」って一番見たくもないものを見せられて吐きそうになったんです。心底大笑いしましたね、あの時は。

 

「秒速5」を見た人ならわかるはずです、涙した人ならもっとわかるはず、喩えようもないほどこの作品が描いた世界は美しい世界だった、って。このタイトルが示す、桜の花びらが大気圧下で重力落下する速度が秒速5センチメートルだっていう表現の綺麗さったらありゃしない。最初から最後まで徹底的に美しい。その美しさをね、嫌という程こっちに押し付けてくるんです。シンジである私にこれが受け入れられるはずはない。ええ、どんなに必死こいてミサトに説得されたって私はエヴァには乗りません(笑)

 

というわけでごめんなさいです、「秒速5」は駄作です。だから、もう二度と新海誠に近づくことはないでしょうね。私は虚飾の世界うんざりなんです。それが綺麗であるかどうかは私が決めることであって、そこにある世界の方ではないのです。

2016-08-22

オタクAV

http://anond.hatelabo.jp/20160821082459

オタクAVのくわしいまとめサイトってないんだろうか。オタク性が暴走してエロをはみだしちゃったような作品に興味があるんだけど、探すのは結構難しい。

スタッフ暴走が印象的なのは次の二本。

一本は『コスプレ巨乳アイドル 及川奈央

エヴァンゲリオンコスプレをやってる。レイアスカじゃなくてエヴァ。それも初号機とかじゃなくて量産型の白いやつをボディペインティング表現。こわい。

もう一本は恐竜戦車AV恐竜戦車のオスとメスが登場して、キャタピラを愛撫するシーンがあるらしい。

2016-08-21

シン・ゴジラに乗りきれない人と絶賛する人の差は

普段アニメを見ているかいないかの差だ。

言い換えればアニメ記号文脈をすんなりと把握する能力があるかどうかの差。そしてそれを違和感なく受け入れて物語に入り込めるかどうかの差だ。


アニメを鑑賞するっていうのは実は結構技術がいる。私は普段アニメを見ないので、特に最近アニメ萌えアニメ等はハイコンテクスト過ぎて何が面白いのか、何が行われているのかさえもさっぱりわからないこともある。


ディズニーアニメ等ではそのリアリティラインを丁寧に示してくれるので、違和感なく物語に入り込める。だが、庵野シン・ゴジラ(≒アニメ)は何の示唆も無しに次々とアニメ記号を連発し、普段そういった表現に慣れていない人を置き去りにしてしまうのだ。キャラクターストーリー、背景、セットやディテール、あらゆるものが「アニメ的」でその記号感覚的に理解できないので、ただ「陳腐」なものに写ってしまう。若しくはただ「面白い表現」と言うだけでそれを物語に繋げることが出来ないのだ。


特に今回は実写でアニメをやってるんだということを理解するまで時間が掛かった。


序盤の実写政治ドラマのやり取りから予想していたリアリティラインが、石原さとみが登場した時「??!!!」と、破綻し、全く理解できなくなった。「ん?なんで急にコメディーになったんだ?」と。どういう視点で鑑賞していいかからず混乱した。が、しばらくしてこの感覚前にも経験したと気づいた。エバンゲリオンだ。


バンゲリオンブームの頃、評判を知り、見た。はじめはその質感に興奮した。が、すぐにズッコけた。葛城ミサトペンギンが登場してシンジと如何にもアニメなやり取りを始めたからだ。あー、硬派なアニメって訳ではないのねと。そして最後まで物語りに乗りきれなかった。


シン・ゴジラもそれだった。石原さとみは、アニメキャラだったのか。アスカラングレーだったんだ。登場した瞬間には気づかなかった。アニメを見慣れている人ならすぐに理解してしまうだろう事でも、私にはしばらく分からず、何故こんな大仰な演技してるんだろう?と不思議でならなかった。そうか、アニメとして見ればいいのかと気づいたはいいが普段見慣れていないのでどうしても乗りきれない。面白いのは面白いが、とても覚めた自分がいる。こうして絶賛組との心の距離が離れていってしまうのだ。アスカの声がスクリーンから聞こえる。


気持ち悪い」


http://anond.hatelabo.jp/20160821110422

2016-08-16

anond:20160815111754

(たとえばキャラクターについて言えば、感情を押し殺したようにして淡々と語る綾波市川実日子に、外国語を混ぜたご機嫌なアスカ石原さとみに、真意のわからぬまま無理難題を突きつけてくるゲンドウは〈あの国アメリカに、それぞれ入れ替わっただけである。)

あえてエヴァを引くのなら〈あの国〉はゼーレでは。

ゲンドウくんはあれでも現場の総司令という立場なわけで、矢口ミサトさんとみるなら赤坂さん=ゲンドウくらいだろうか。

そこで米国代表としてか弱い女性を置くことで、日本人男性日本人男性の力で国を守ったという体裁が保たれる。

かつ、あの日本語と英語を織り交ぜたヘンテコな日本語は、彼女をか弱い存在だけでなく変な奴として提示する。国際的観点からでなく、あくま日本人の側から見られた変人だ。

自分にはカヨコは強引でマッチョキャラクターに見えたけれども、それでも「か弱い」という見方もあるんだな。

カヨコの優秀さの描写は足りないような気がしたし、終盤の日米の間で板挟みになって悩むのもとってつけたようには感じたけど。

あの映画は、機械オタクの男が設計室に引きこもってひたすら戦闘機流線型フォルムにうっとりしているだけで、その戦闘機がどれだけ戦争悲劇を生んだか、とか、そうした男の機械オタクたちが生んだ戦争技術によって死んでいった女性への視点が欠如しているだとか、政治的またジェンダー的な観点からさまざまに批判を呼んだが、

少し脱線するけれども、増田は「女性はか弱くて守られるべき」という考え方の持ち主なのかな?

戦争技術によって死んだのは男女関係ないと思うのだけれども。

2016-08-15

インテリの俺が全力でシン・ゴジラ批評するゾ

シン・ゴジラを観た。

エンタメとしては面白い

だが同時に庵野および日本映画限界を示すドキュメンタリーのような映画でもあった。

この映画は、

復興ありき、

再建ありき、

日本にはまだ力がある、

立ち直れる、

そういう答えがもう先にある。

出来レースっぽい。

結論はこれ。もっと詳しく読みたい場合は先に進んで欲しい。

日本万歳の大合唱で負の側面を覆い隠す

これは映画に限らず様々な場面で3.11震災後なんども繰り返されていることだ。

力があるって主張をかたくなに、ほとんど反駁不可能イデオロギーのように保持しているのは、

しろ思考停止の弱体化にしか見えない。

俺は出来る!って盲信しているやつは、強いんじゃなくて自分の弱さを直視できないだけだ。

もっとも、3.11以降繰り返されてるそうした自己欺瞞的な合唱に飲み込まれることは、まぁ仕方ない。

この作品を取り巻く精神的な状況からして、ほとんど不可抗力であるし、それだけで作品のすべてを否定するつもりはない。

しかし、せっかくゴジラほどの大怪物召喚しておいて結果やっぱり俺らスゲーの大合唱かよ、と思わざるをえない。

俺らスゲーの出来レースゴジラ以外の他のテーマでやってくれ、と言いたくなる。

ゴジラというキャラもっともっと掘り下げるべきテーマを蓄えた宝庫なのであって、ゴジラをそんな自己欺瞞物語なかに埋もれさせて浪費してはいけないのだ。

新たな危機に直面すればこそそれに見合った国の体制を改めるよう反省を強いられ、

新たにテーマを掘り下げればこそそれに見合った映画手法発明するよう強いられる。

しかしそうした危機テーマである当のゴジラが、ほとんど空虚存在であるがゆえに(たしかわずかだが神として語られ、放射能の脅威を連想させていても、しかしそれが物語構造のものに関わることはない)、

日本万歳のその国の概念のもの反省を迫る映画にはなっていないし、その手法に関して言えば新たな手法発明どころかエヴァンゲリオンとさして変わらない。

(たとえばキャラクターについて言えば、感情を押し殺したようにして淡々と語る綾波市川実日子に、外国語を混ぜたご機嫌なアスカ石原さとみに、真意のわからぬまま無理難題を突きつけてくるゲンドウは〈あの国アメリカに、それぞれ入れ替わっただけである。)

シン・ゴジラエヴァンゲリオン庵野確立した様々な設定を忠実に引き写している。そこには反省発明も見つけられない。

もちろん何の変化もないわけではないが、

そうした変化が結局は日本の閉鎖的で差別的視野に同一化する点、

自分に力があると信じたいがために他国と異性に対する偏見を利用する屈折した日本男性視点に同一化する点は、

この映画保守的ものにしている部分である

石原さとみによって日本を弱小国として見る可能性が排除される

たとえばエヴァンゲリオンにはなくてシン・ゴジラには見られる新しい部分は、政治の前景化であるとともに、(それがつねに〈日本の〉政治である限りで)他国政府との交渉だろう。

ここに石原さとみが登場するわけだが、彼女キャラクターは、自信を回復したがる日本男性の閉鎖的で差別的欲望奉仕している点で、やはりこの映画保守的ものにしている。

石原さとみのチャラけた演技は真剣に事案に対処している他のキャラクターに比べかなり浮いて見えるが、

しかしあれは日本男性の閉鎖的で差別的欲望からすると必然的な役柄になっているといえる。

演技がわざとらしいために良い演技とは言い難い、と思う観客もいるだろうが、しかしそういう演技も含めて必然的キャラのあり方だと思う。

日本米国の間に女性が入るというのは、日本からみて心理的必然性をもっている。

日本米国関係はいわばスネ夫ジャイアンであって、ジャイアンマッチョなところがあまりに出すぎると(たとえばジャイアンの力のみで事件解決したり、その力がスネ夫である日本に向かったりすると)、日本を守る日本人男性たちのプライドや虚栄心が傷ついてしまう。

そこで米国代表としてか弱い女性を置くことで、日本人男性日本人男性の力で国を守ったという体裁が保たれる。

かつ、あの日本語と英語を織り交ぜたヘンテコな日本語は、彼女をか弱い存在だけでなく変な奴として提示する。国際的観点からでなく、あくま日本人の側から見られた変人だ。

ここでは常識人変人の対は、内部(日本人)と外部(外国人)という対と本質的に繋がっている。変人変人であるのは、その者が外部から来た外国人であるからだ。

「〜アルヨー」とか「〜デース」とかい言葉遣いキャラが、日本人の側から見られた変な奴の象徴であるのと同じで、

彼女の奇妙な日本語は、他の日本人男性と観客とに米国でなく日本から観点を持たせ、その外部から来た変人として石原さとみを見させる。

視聴者たちが米国目線から日本を弱小国として見る可能性が排除される。

このようなわけで、この映画日本男性精神性の問題をそのうちに含んでおり、その点ははっきりと批判されるべきであるが、

しかしその限界をはっきりと映画のなかで示しているという点においては、そうした限界の記録として、ドキュメントとして、歴史的価値が大いにあると思われる。

その点では逆にこの映画評価されるべきだろう。

これほどありありと、日本的および日本男性想像力限界を示した作品はなかなか見つからないのではないか

風立ちぬ』にも認められるドキュメンタリー価値

この点ではジブリの『風立ちぬ』も同じだろう。

あの映画は、機械オタクの男が設計室に引きこもってひたすら戦闘機流線型フォルムにうっとりしているだけで、その戦闘機がどれだけ戦争悲劇を生んだか、とか、そうした男の機械オタクたちが生んだ戦争技術によって死んでいった女性への視点が欠如しているだとか、政治的またジェンダー的な観点からさまざまに批判を呼んだが、

しかしそうした戦中日本精神限界性をはっきりと示していたという点においては、ドキュメントとして大いに価値をもっている。

今回のゴジラもまた、同じような価値をもっているといえる。

こうして、批判されるべき部分は評価されるべき部分ともなる。

したがっておそらく、この映画において賭けられているのは、シリアスコミカル関係性ということになろう。これはどういうことか。

正しい反応とは、それを積極的に笑うというもの

さしあたりこれまでの論述で明らかになったことは、この映画限界証言するドキュメントとしては優秀であるが、それはいわば限界にはっきりと居座っているからであって、丁寧になぞっているからであって、限界を越えようとしているからではない、ということであった。

まりエヴァンゲリオン踏襲し、ナショナルものジェンダー領域において日本男性の閉鎖的で差別的欲望奉仕するこの保守的映画は、

限界を自ら反復し、演じている、ということであった。

日本男性政治家米国女性シリアスセリフを交わす場面で、自身の力への欲望は満たされるだろう。

しかしまた、あることを反復し演じることは、つまりそれを真似することであり、その虚構性を示すことである

そう考えれば、シリアスものコミカルものに転じる。

そしてそれに応じて、批判されるべき部分は、評価されるべき部分ともなるのである

したがって、このように問うことができるだろう。

限界を反復することは、限界に居座ることであると同時に、限界茶化すことでもあるのではないか。つまり限界批判することでもあるのではないか

たとえばエヴァンゲリオンの設定を踏襲することは、新たな手法発明努力放棄することであると同時に、反復しているその設定を茶化し、批判することでもあるのではないか

そうであれば、シン・ゴジラへの正しい反応とは、それを積極的に笑うというものではないだろうか。

まりシン・ゴジラが何かを反復している限りでシン・ゴジラを笑い、またその反復によってシン・ゴジラが茶化しているものを笑う、と。

誰か、あの映画を見て笑ったものはいるだろうか。

あの映画は、諸手を挙げて受け入れられているように見える。

私はその反応をこそもっと批判したい。

2016-08-07

にわかサブカルくそ女、「シン・ゴジラ」を観る。

ゴジラ名前基本的な設定しか知らない。

から来る怪獣で、なんか水爆実験関係してて、悪いだけのやつじゃないっぽい・・・とか、それくらい。

ガメラは2と3だけテレビでやってたの観たけど、あんまり覚えてない。

庵野監督のことも「エヴァの人」ということはわかるけどエヴァは観たことない。

シンジくんとかカヲルくんとかアスカとか綾波レイはわかる。

使徒と戦うとか、シンクロが云々とか、「逃げちゃダメだ」とか「ありがとう」とか、なんとなくは知ってる。

特撮は日曜朝の戦隊ものをたまに観るくらい。ゴーバスターズは良いぞ。

強いていうならパシフィック・リム映画館に7回観に行った。

(今、私が同じ映画を何度も観たり、映画館に年20回以上行ってるのも、すべてはパシリムがあったから)

シン・ゴジラに関する予備知識はゼロ

てもなんか観ないとヤバいヤバいやつな気がする…。

そんな思いに駈られて、行ってきました、シン・ゴジラ

土曜のレイトショー劇場は8割方埋まっていたように思う。

最後列やや下手より。一席あけて右にはおじさん、左には若いカップル

全体的な客層は男の人が多いような気がした。


シン・ゴジラを観た率直な感想一言でまとめると

「思ってたんと違う!!!!」

これにつきる。

断っておくけど、良い意味で。

良い意味で予想と期待を裏切られまくった。



以下、ネタバレ注意の覚書。

はいもののすでに記憶がかなり曖昧なので、間違ってるところもあるかもしれない。






ゴジラがなんか思ってたんと違う!!!

シン・ゴジラゴジラは、第一形態から第四形態まで「進化」する。

それを全く知らなかった私は、初めて巨大不明生物(=ゴジラ)がその姿を現したとき、驚いた。

なんかもうひたすらキモい

目玉ぎょろぎょろで、エラから赤い液体ドバドバさせて、不格好に地面を這いずる姿は、キモいしか言えなかった。

そして私はそれが最初ゴジラだとは思わなかった。

私の知ってるゴジラ二足歩行で、もっと無骨な、かっこいい怪獣というイメージがあったからだ。

「このキモい変なやつを倒しに来るのがゴジラなのかな」とか思ってた。

そんな私の目の前で、ゴジラは突然「進化」した。前足が生え、直立して、吠えた。

「えっ、何それ・・・すごい・・・

そんな私の想いをスクリーンの中で口にしてくれたのが長谷川博己演ずる矢口だ。

観客である私はゴジラを知っている。

でも、映画中の人物たちはゴジラのことを何も知らない。

進化する未知のゴジラは、そんな両者の溝を埋めてくれた気がする。

あの瞬間の「そんなんありかよ」という気持ちは、間違いなく私と映画中の人々との間で一致していた。

そして完全に「私の知っているゴジラ」になった瞬間に流れるゴジラテーマ!これにはめちゃくちゃ興奮した。

ゴジラだ!ゴジラがやってきた!!!!うおおおおおおおおおおおおおおお!!!!!!

応援上映とか絶叫上映とかなら確実に叫んでた。

というか叫びいからどこかの映画館でやってほしい。やってくれると信じてる。

ゴジラに対する「何だそれ、すごい・・・」の瞬間は、完全体の第四形態になってからも何度も訪れる。

まずこのゴジラめちゃくちゃ硬い。

自衛隊の総攻撃もびくともしない。

完全にノーダメージかつノーリアクションで、なんかもう絶望感がすごい。

いったいどうしたらこいつに勝てるのかまったくわからない。

そんな絶望さらに増すのが、火炎放射からレーザー光線発射のシーンだ。

米軍攻撃が効いた!これでゴジラを倒せる!と思った瞬間、ゴジラは口から火を噴く。

この瞬間まで私はゴジラが火を噴くことを完全に忘れていた。

やはりここでも、ゴジラのことを何も知らない映画中の人々と同じ驚愕絶望を味わうことになる。

パシリムで言うと「こいつ飛べるのか!?」のあたり。

しかゴジラは口からだけでなく背面から無数のレーザー光線を発射。

なぎ倒され爆発するビル群、あっさり撃墜される米軍機、理解範疇を越えた圧倒的攻撃力。

もう東京・・・日本・・・人類おしまい・・・という気持ちになってくる。

思ってたんと違う姿で現れたゴジラは、私が知らず知らずの内に抱いていた「ゴジラってこういうもので、きっとこういう話で、こういう映画でしょ」という先入観を完全に破壊した。

からこそ、新鮮な気持ち物語に入り込めたんだと思う。





破壊シーン、戦闘シーンが思ってたんと違う!

私はシン・ゴジラを、パシフィック・リムマッドマックス 怒りのデスロードを観に行くのと同じような気持ちで観に行った。

ドーンってなって、バーンってなってズダダダドカーンってなるのを楽しみにしていた。

そしたら、全然違った。

シン・ゴジラ破壊シーンや戦闘シーンは、全体的にとても地味だと感じた。

最初上陸した第二形態ゴジラはずるずる移動するだけだし、第四形態ゴジラ積極的に街を破壊している印象はなかったし、対する人間の方にも必殺技秘密兵器があるわけでもない。

というかそもそもゴジラは、そういうアクションがメインの映画ではなかった。

ド派手なアクションで魅せる洋画とは全く違う、上手く言えないけれど、とても「日本映画」だった。

でもそれは決して悪い意味ではない。むしろめちゃくちゃ良かった。

東京に巨大不明生物が現れた。そんなとき動き出すのは巨大ロボでも特殊戦隊でもなく、日本政府

そしてひたすら繰り返される、会議会議会議

でも、それが不思議なことに全然退屈じゃない。

「はやくドギャーンってなるとこ見せてくれよぉ」と思いながらも、堅苦しい言葉と、面倒くさい思惑が飛び交う会議シーンに釘付けだった。

思ってたんと違うけどなんかむっちゃ面白いポイントである

正直、政治には明るくないし、次々と表示される役職名全然頭に入って来ないし、聞き取れなかった台詞もあったが、でも入って来なかった情報はきっとなくてもいい情報だったんだと思う。

たぶん映画作った側も真剣理解させようとしてない。

大事なのは、「今の東京に本当にゴジラ(のような巨大不明生物)が現れたらきっとこうなるぞ」という感覚だと思う。

前例のない事態に混乱しながらも結論を急ぐべく無理やり型に嵌めようとして結局対応が後手に回ったりして、そういう「上手くいかない」「そうじゃない」ってとこも含めて、リアルでとても良かった。

でも、もたもたして見える政治家たちも、みんな事態解決し、東京(日本国民)を救うために全力を尽くしている点は皆同じである

そうして面倒な会議を経て、ゴジラの脅威を一通り目の当たりにして、ようやく立ち上がるのが、巨大不明生物災害特設対策本部通称・巨災対だ。

この巨災対はいゆるオタクや変人の集まり個性派ぞろいなのだが、みんな論理的なことしか言わないのがとても良い。

誰もが自分論理に基づき、ゴジラ真剣に向き合っている。

どのキャラクターもたいへんチャーミンである

きっとこんな事態じゃなければ日の目を見ることのなかった厄介者たちが活躍するロマン

アツいのは現場で戦う者だけじゃないのだ。

からと言って、現場で戦う者たちがカッコ良くないわけがない。

自衛隊の皆さんによる戦闘シーンもアツかった。

前述の通り、この映画必殺技秘密兵器は登場しない。

からこそ、隊列を組んで飛ぶヘリや、次々と持ち場につく戦車のかっこ良さが際立つ。

作戦を練り「確実にやります」と言い切る自衛官や、黙々と遂行する自衛隊員たちのストイックさにも惚れる。

戦闘シーンといえば、私が一番興奮したのが新幹線爆撃と在来線爆撃だ。

無人走行ゴジラ突撃する電車たち。

ここでまたゴジラの有名な曲(曲名思い出せない)が流れるのもアツい。

とくに在来線爆撃は、色とりどりの在来線が同じタイミングゴジラ突撃し、爆発と共に宙を舞うのが最高だった。

リアルを追求した今作の中で、実際にあるものを使ったありえそうな攻撃ながらいったい誰が思いついたんだというこの攻撃

マジで映画内の誰の発案なのか教えてほしい。

戦闘シーンで最も「思ってたんと違う!!!!」のは、ヤシオリ作戦だ。

物語の終盤、核兵器による解決をなんとか回避しようと急ピッチで進められたこの作戦

無人機による攻撃在来線爆撃、ビルの爆破によるゴジラの保定を成功させる流れは堅実ながら華があり、とても良かった。

工事車両(建設機械)が好きな私としては、コンクリートポンプ車の活躍も嬉しかった。

そうしてゴジラ活動を完全に停止させ、ヤシオリ作戦大成功に終わるのだが、何が「思ってたんと違う」かって、この作戦終了の瞬間が地味なのだ

観ている側としては、

「やったーーーーーー成功だあああああああああああああああ!!!!!!

と飛び上がってハイタッチして抱き合いたいくらいの気持ちなのに、映画中の人々は一切そういうことはしない。

静かに作戦成功を噛み締め、せいぜい握手をするくらい。

私のこの気持ちどこにやったらいいの状態

でも、あとから思うと、この映画の中ではそれで正解だったのだと思う。誰もが想像もしなかった巨大不明生物の来襲。大きすぎる被害、多すぎる犠牲者を出しながら、成功するかわからない作戦にかけた結果なのだ

現実感がない中で、静かに「俺たちはやった・・・やりきったのだ・・・」と噛みしめるのが、似つかわしいような気がする。

「倒したぞやったああああああ」は、きっと、ゴジラ虚構だと知っている側の感想なのだと思う。





シン・ゴジラに対して言いたいこと、話したいことはまだまだたくさんある。

豪華すぎる出演陣どこにいたのか全くわからなかった、とか。

秘書高良健吾ヤバい、とか。

石原さとみやっぱりめちゃくちゃ美しい可愛いZARAはどこ?、とか。

巨災対のメンバー活躍だけにクローズアップしてもう2時間観たい、とか。

ラストゴジラ尻尾のアップどういうこと?、とか。

でもまとまらないのでこれくらいにしておく。



そもそもこうして書き殴っているのは、こういうことを話したくても話せる相手が周りにいなかったからだ。

劇場を観たあと、複数人で来ていた人たちが口々に感想を言い合っているのが、とても羨ましかった。

私も映画感想あーだこーだ言いたい!好き勝手話したい!

その物足りなさを埋めるように、今まで封印していたネタバレブログレビューを漁って、それでますます我慢できなくなって、この文章を書いている。

ネタバレブログを読んでいて気になったのが、「万人受けはしなさそう」とか「知らない人はわからないんじゃない?」みたいな意見だ。

とくに昔からゴジラが大好きで、新作公開を待ち望んでいた人たちが、よくこう書いていた。

そんな心配無用だぞ!!!

と、にわかサブカルくそ女は思う。

とりあえず私は少なくともあと2回は観たい。

そして売り切れていたパンフをなんとかして手に入れたい。


何も知らなくても、なんかよくわからなくても、ゴジラはすごかったです。





おわり。

2016-08-05

http://anond.hatelabo.jp/20160804221847

(1) いつも思うんだけど作品を作るうえでテーマ政治的主張って必然的に生まれてきちゃうもんだと思うんだよね。

(2) 例えば今回だったらゴジラスペックをどうしようかって話になる。

初代ゴジラ模倣サンプリング)するなら、ゴジラは歩くだけで半端ない放射線をまき散らし、歩いているだけで子ども殺傷しまくるレベルになる。

でもそれだと、原発を巡る問題について、原発全否定とも取られかねない強い立場になってしまう。

庵野は今回そちらに舵を切らなかった。普段まき散らす放射線量は少なく、半減期も短いものとした(作中「福音」とも称される)。

庵野原発全否定の考え方を取らなかったわけだ。

(3) 次に、日本政府対応をどう描こうかって話になる。

岡本喜八日本のいちばん長い日』を模倣するなら、官僚政治家利権争いに夢中で、ぜんぜん協力し合わないでさら悲惨な状況を招くっていう描き方になる。

でも本作でそれをやってると、結局、災害問題についてはどうしようもないんだよ、諦めな。みたいなニヒリスティック立場になる。

エヴァシンジアスカを除いて人類をすべて滅ぼしてしまった庵野にとって、別にこういう立場を採ることも可能だった。

しかし今回庵野はそちらに舵を切らなかった。「どんなに大きな危機でも、みんなで立ち向かえば必ず克服できる」というポジティブ結論を採った。

(4) 結局ストーリーを組み立ててる過程で、どういう意見立場に立つのかっていう選択に迫られることにはなると思うんだよね。

2016-07-31

シン・ゴジラ観たけど

最初に流れる他の映画予告編で真っ先にプリキュアやってて「こういうファン層(大友)向けなんだなあ」って思ったし、

危機感のない関係閣僚会議イライラしたしやっぱり閣僚無能ぽさガンガン出てたし、

ゴジラの幼体みたいのめっちゃ誰?感あって気持ち悪くて怖かったし、

指示が後手後手でどんどん浸食されていくのリアルで笑えたけど笑ってる場合じゃなくて、

そのあと再上陸した時にゴジラ対策マニュアルみたいなのできてて対応速い!すごい!ってなったし、

緊急対策チームみたいなのの曲者モブっぽさ凄くてこれこれ!これを待ってたんだよ!ってなったし、

てか高橋一生とあの女の子(石原さとみでない)めっちゃ萌えたし、

成体になったゴジラ絶望感スゴイし、

鎌倉上陸したって聞いてほっとしてたら()こっちに来てうわわってなるし、

ていうかそういう感覚って、ハリウッドの超大作パニックとか、昔のゴジラでは味わえない、いま日本で見るからこそ感じられるリアルな怖さだと思うし、

閣僚もやるやんけ、ってなったとたん…ってなったし、

石原さとみはまんまヱヴァアスカみたいで実写だこれ!ってなったし、

平泉の狸かんとか、田口動けるデブ感とか、マツダの有能な二世っぽさとかいとおしいし、

攻撃の時はヱヴァのいつもの音楽だし、

「無人在来線爆弾(うろ覚え)」のネーミングのシュールさとプラレール感に笑ったし、

てかそれやりたかたか最後舞台あそこだったのでは?ってなったし、

ゴジラシリーズの正統として、また庵野×樋口両氏の色がしっかり出た、凄く面白い映画だと思います

2016-07-27

http://anond.hatelabo.jp/20160726230833

どっちのアニメも好きだけど、ぶっちゃけ主人公共感したことは無いぞ^^;

アスカ可愛い

戦場ヶ原さんクール!!

BGM(・∀・)イイネ!!

程度にしか見てない。

合わなかったのにどちらも全話見たとしたら、その努力賞賛に値すると思うので、

正直に、全話見たけど、いまいちのめり込めなかったと言えば良いでしょう。

2016-06-04

般若@B-BOY PARK 2007 Notitleリリック

×××で会ったよ兄弟トウカイテイオーだったら賞外。 イケてるアルバム、違うか、どうだい?松井の場外ばりだぜ、ショータイム

ラッパーラッパー偽者ばっか。グラビアアイドルシリコンばっか。 見た目は立派、触れるとやっぱ。 オチとか結局、マザファッカーとかそれしか言えねぇ人に 僕は 薦めてあげるよ DJ OZUMA、オジロ、KREVA、一体どれが リアルオカマ 答えろボケが。

いか?僕ちゃん、良く聴いときな。 中身が無ぇのは単なるノリだ。 “山崎邦正vsモリマン”見ていた方がよっぽど・・・

hook)

ラッパーラッパー。どこに向かった?マイクを持ってどこに向かった? イカしたライムに皆うなった。イカれたライブで心奪った。 ラッパーラッパーステージ立った。 失ったのはブレーキ“待った”。誰かが隣で太いの着火。 俺を燃やすのは・・・

格好はいいけど、カッコ悪ぃな。みんな同じ ファッションリーダー。 どーでもいいが、どんだけBだ? 服なら服屋。俺ならこのラップ。ギドラの頃はやってた奴ら。 10年経つわ そしたらまずは 色んな奴が出したなアルバム 中にはカスが。たまには貸すが。薄れるピースならハナから出すな。ヘドなら出るさ、下ろすぜファスナー。 二言目にはハスラー?何スか?ラスタ?何スか?ギャングスタなんスか? よっぽど聴けよ、チャゲアスカミリヤよりもミリヤンマンカスが。どーでもいいよ。AIにはなれねぇ。DJ KAORIババアは黙れ。

hook)

時間が無ぇよ、少年っぽく 何も変わってねぇ、そう、結局。 Hey YoAPEレイプされたラッパー。 昔の方がちっとぁマシだった。 サビんとこで、テキトーに手あがるより 誇るのはマジな野次だった。前座や予定外の奴がトリを食うのがホントおかしかった。いつかは日比谷で降った雨。今はスキルがあってもくっだらねぇ。 人と違うこと言っちゃダメ?型にハマったラップが“GAME” WHO’S DA BIGGEST?まさにAKZEEBRAからすりゃまるでKJ。俺からすりゃ 湘南乃誰?純恋歌は誰の曲だよ?ハゲマジで雑魚ほど話が無駄に長げぇ。 キャリアはクサビだぜ、腐りかけ。臭い酒よりもずばりだぜ。 俺は俺を超すだけさ、歌に賭ける。 金をかければ、売れるらしいが、その分バカも増えるらしいな。 壁一列に整列させて、引き金を引くブタがほしいな。

×××××、金がほしいな。 誰だってそりゃ金はほしいさ。ホントのことさ。言ってもいいか? 今ほしいモノは生きてる実感。 とあるダチが俺に言った。“最近どうよ?歌の喧嘩あん時の俺はどこにいった?あん時の俺もここさ、HIPHOP

俺の耳がイカれたのさ、マジで。thugだのセレブビッチだのなに?心にくるのは1つもねぇ。DJ、皿に 落とせよ針。バースで刺してトドメでサビ。 笑って聴けよ。K-DUB SHINE。 ここにはもはや何もない。J-RAPは死んだ。俺が殺した。

hook)

https://m.youtube.com/watch?v=RpWFJOIKols

2016-02-13

Qでミサトがついたある嘘と、新世代の思慮不足

コメントありがとうございます(元記事コメント

774さんの意見/主張をざっくりと整理しま

新世代の人々の前に広がった風景(サード後)は、悲惨ものであった

・彼らはそれに触れるうちに慣れてしまった

世界が滅ぶかどうかという危機的状況に置かれている彼らは一個人の生死を優先することができない

シンジ新世代の間にはその点に関し齟齬がある

洗脳猟奇殺人事件と同じく、誰を憎んでいいのか分からない

・サード後はサクラシンジに対し複雑な感情をもって葛藤している

歴史認識(サード、ニアサード)に関して、新世代とシンジの間で相違がある

新世代にとって、シンクロ率とは憎悪/恐怖の対象である

・そのため、サクラ純粋シンクロ率0を喜んでいた

シンジが起こしたサードのせいで、新世代の平穏生活は奪われた

他人を思いやれるほど平和な状況ではない、むしろ十分な対応している

・「怒りと悲しみの累積」をそれぞれが抱えている

・それゆえ、悪意はないにせよ各種の言動に繋がった

シンジ可哀想だが、未来を壊された新世代も同様に可哀想

大体こんな感じですが、もう少し要約したいと思います

<1>

新世代には明るい未来が広がっていたが、サードインパクトによってそれは全て壊されてしまった。サードインパクト後、凄惨風景が彼らの目前には広がり、悲惨暮らしを強いられた。サード(ニアサー関係)を起こしたのは碇シンジであり、新世代は彼に対し複雑な感情を持っている。特にサクラエヴァ搭乗者としてのシンジの側面も兄から教えられているために、余計に葛藤している。

<2>

サードインパクト後、生き残ることで精一杯であった彼らは悲惨暮らしを過ごす中で、人が死ぬことは日常茶飯事になり慣れてしまった。そして、危機的状況の中では人類の存続が最優先であり、シンジ一個人の希望を優先することはできない。この点に関し、シンジ新世代の間で齟齬が生じている。また歴史認識、すなわち「世界はなぜ壊滅的な状況になったのか」という史実に関しても情報錯綜しており、新世代は誰を憎んでいいのか分からない。

<3>

新世代にとって、「シンクロ率」とは憎悪/恐怖の対象であり、サクラ発言純粋な喜びから出たものである他人を思いやれるほど平和な状況ではない上に、各人が「怒りと悲しみの累積」を抱えている。それゆえ、新世代にとって複雑な感情から各種の言動に繋がってしまった。世界崩壊犯人扱いされたシンジ可哀想だが、未来ある人生を壊滅させられた新世代も同時に可哀想存在であり、ヴィレの中に悪者はいない。



まず押さえておきたいポイントですが、肝要なのはサードインパクトです。「破」のラストでは、アスカ精神汚染隔離中、マリと弐号機は戦闘不能に陥り、綾波故障明けの零号機での戦闘を試みるもゼルエルに飲み込まれしまい、残っているエヴァは初号機のみです。

シンジがあのまま残り、何もしなかったと仮定しましょう。そうすると、自ずと零号機と同化したゼルエルは地下のリリス+槍と共鳴を果たし、サードインパクトが起こります。これは旧劇における最後インパクト(初号機+リリス+槍)と同じであり、ほぼ人類生存は期待できません。

すなわち、シンジ勝手な行動を取ろうと取らまいと世界の壊滅は決定的だったわけです。まずこの点が重要。「シンジ勝手な行動を取ったために」世界が壊滅したわけではなく、あの状況においてはシンジの動きに関わらず世界は確実に壊滅します。ダミープラグ処遇を巡ってシンジ追放した時点で、世界の壊滅はほぼ決定的だったのです。これらの事をミサトたちは目前にし、自分たちでは解決不可能問題のを一人の少年に託したはずです。責任転嫁も甚だしい。

そのため、新世代の未来は元々明るくありません。それに加え、戦闘が続き疎開が相次いでいたサード前から推察しても明るいものではありません。戦闘爆弾に見知らぬロボットによる迎撃ドンパチ騒ぎ。当時から元々平和ではなく、明るい未来/今と同じくらいの幸せは元々存在していません。

そうなると、次に問題となるのは「誰が世界を滅茶苦茶にしたか」という史実です。14年間何があったかは分かっていません。しかし、前述のとおり、ミサトたちは一連の内容を把握していますシンジ追放、そして再び手に負えなくなったら都合よく再利用しかも、「自分自身のために!」と応援とまきた。自分たち範疇を超えた問題を一人の少年に託しておいた、これは致し方ありません。初号機に乗れるシンジしか解決できぬ問題ですからしかし、新世代はなぜこの史実を正確に把握していなかったのでしょうか。青葉がビデオも取っていたのに。情報錯綜は当然あるでしょうが凄惨暮らしを強いられたのであるならば、その犯人が知りたいというのは最もです。

14年間の内容は分かっていませんので、ある程度の推察も含みますが、おそらくミサトたちは組織を作るために嘘を伝えました。まさか事もあろうに世界を再建しようとしている幹部たちが、実はこの凄惨な状況を招いたサードインパクト自分たちの力では解決できず、一人の少年に託した上に、失敗に終わった。などという情報を流せば、組織の混乱/疑心は図りかねません。

そのため、「サードインパクト碇シンジによって引き起こされたものであり、自分たちNERVに騙されていた」という主旨の内容を伝えたはずです。そうすれば、ヴィレの総括はしやすくなります嘘も方便というやつですね。その結果、ミサトは建前上シンジに冷たくしなくてはならなかった。オペレーター全員がいる戦闘室ではハッキリと冷たい目線/口調で述べたのに対し、サクラのみが同行した応接間では俯き「もうレイはいないのよ…」と寂しげに呟くだけでした。その後、マーク9の突入時にもサクラがいたために、「身元は私達で管理します、ここにいなさい…!」と言うしかなかったのです。本音はその後のDSSチョーカーの震えに現れている通りであり、シンジ組織統括の大義名分として利用したことへの罪悪感と、そこから生じたシンジの命だけは守りたいというアンビバレント感情の現れです。

新世代には嘘の史実が伝えられました。「碇シンジが君たちの世界をぶっ壊した張本人である」といった旨を教えられたために、たらこ唇は苦い顔をしサクラは憤りを顕わにしました。シンジ新世代の間で、サードインパクト史実に対する認識が異なっているのはミサトの嘘のためです。この齟齬によって、彼らはシンジに対し憎悪/複雑な葛藤を抱くしかなかったのです。旧世代リアクションが異なるのも、嘘があったためと考えると納得いきますね。

彼ら新世代にとっては「自分たち幸せ未来を吹き飛ばしたのは碇シンジである」という史実がありますが、軍人としては問題を分けて考えるべきではありませんか。軍に身を置くのならば、職責と史実は分けて考えるべきです。アメリカ原爆を落とされたからといって、共同戦線を張る際に感情を表に出すなどあってはなりません。さらに言うと、サクラが本当に「サードを繰り返したくない」と考えているのであれば、なおさら自分感情は胸に秘め、”危険対象であるシンジには慎重な扱いが妥当です。シンジ新世代にとって大型地雷みたいなもんで、どこを歩くと爆発してしまうかということには慎重になるべきです。危機的状況が続いて精神的に疲労していたとしても、ここは慎重にならざるを得ません。シンジを最も危険対象として認識しているのであれば尚更、軽はずみな言動は避けるべきです。

さて、シンジはその前のシーンで自己アイデンティティを支えていたエヴァ(「あなたはもう何もしないで」)を奪われ、自己が安定していない心理状況です。774さんのおっしゃるとおり、確かにここのサクラ発言;「シンクロ率は0です。良かった」には曇りがありません。純粋に喜んでいますしかし、前述のとおり、ここは大変に慎重ならざる得ない場面であります。トウジからエヴァ搭乗者であったことをサクラは知っていたはずです、それならばシンジの大変さ/苦労も伝わっているはず。そうであるならば、シンジの拠り所であったエヴァに関する言及は非常に繊細になる必要があります

なぜ、サクラ不用意な発言をしてしまたか。それは、ミサトがここでもう1点嘘を付いていたからです。新世代に伝えられていた2つ目の嘘は、「シンクロ率危険指標である」ということです。サード前はエヴァ搭乗者のポテンシャルを図るポジティブ指標でした。しかし、サードを起こしたのはエヴァエヴァの搭乗者にはある一定シンクロ率必要、そしてシンクロ率危険という考えに至ります。サードを起こしたエヴァに乗るためには碇シンジシンクロ率必要であり、それさえ無ければ金輪際インパクトは起きないと伝えられていたと推察します。ある程度は新世代の思い込みもあります。そのために、「シンクロ率0で良かった」というサクラ不用意な発言に繋がってしまったと考えられます


さて、ここまでの内容を振り返っても、サクラを筆頭に新世代が迂闊であり、配慮に欠けている自己中心的な人物であるという自分結論は変わりません。彼らの苦しみを考慮していなかったのは事実ですが、それらは軍事的な職責とは関係してはいけません。広島/長崎原爆を落とされたからといって、いつまでもアメリカを憎んでいても仕方ありませんし、感情的には理解できても意味のない行動です。ましてや彼女らは軍人マヤさんなんて吹っ切れてビシビシ動いてるじゃないですか、あれもシンジやサードで亡くなった人への贖罪の一つですよ。

もう一つ、彼らが迂闊で自己中心的だというのは、ミサトたちの話を信じこんでしまっている点です。本当にシンジがサードの犯人であるのか、本当に敵であるのか、危険存在であるのか、といったことに思慮を巡らせず、自分たちの都合のいいように解釈し、シンジ原発のような危険物とみなす。悲惨現実は確かに目前にありましたが、そこに思考責任転嫁をするのは納得できません。旧世代、青葉や伊吹日向は度重なる戦闘オペレーションを繰り返して精神がすり減る中でも、自分たちで思慮していました。「ダミープラグは仕方ない措置だった」「そうじゃなきゃ君が死んでいた」と、目前にしたシンジの心情にも折り合いをつけながら分析して答えています。旧世代の行動は利他的ですよね。新世代の彼女から稚拙さが拭えません。感情論支配されている軍人は、利己的/幼稚と捉えられても致し方ないと思われます

また、新世代たちに同情的な目線を向ける必要がなぜあるのでしょうか。そこがよくわかりません。「新世代もいろいろあって辛いんだよ!!だからシンジに気配りできなく当然!!」なんて論理は通りません。彼女たちの先には幸せ未来が広がっていて、なおかつそれをシンジに壊されたと仮定しても、彼女たちに世代的な苦しみへの慮りを要求するのは些か理解に苦しみますシンジ世界をたった一人で守れと言われた、背負わされた、その上理由もなく突然にそれをヤメロと言われた。エヴァを通じて人間関係を築けたのに、アスカ精神崩壊綾波感情リセットされたTV版以上ですね、精神の乱れ具合は。

それで、ぼくは劇中のゆとり世代に腹は立ちますが、物語としては彼らの成長も一つの展開だと思うんですよ。旧世代新世代も力を合わせてお互いに妥協する点を模索して、やっていくストーリーだと思うんです。世代論にかまけてたり、時代環境のせいにするのではなく、当事者意識をもって問題の解決に(能力差があっても)構成員全員で取り組もうというメッセージだと思うんです。左翼/右翼若者/年配で内ゲバ起こしてる場合じゃないんですよ、今の日本って。GDPは下がり年金受給年齢は上がり、消費も増えない。賃金も上がらない。対立してる場合じゃないんですマジで

2016-01-23

エヴァQと旧世紀版のテーマの相違について

エヴァQを今更観て考察を色々読みふけっていたのだけれども、新用語定義をうんうん唸って考察しているページばかりで、作品テーマというか結局庵野はこれで何が言いたいわけ?というところを誰も言及していないので自分で書く。

※追記(2016/4/25):はてな内外からたくさんの反響を頂いて驚いた。投稿後、考えが変わったところもある(特に震災の影響を見逃していたこと、ヴィレの分離の意味について)のだけれど、もう一度全部見直して加筆修正する時間が取れない。近いうちに頑張りたい(ここ見てる人も少ないだろうが)。

TV&旧劇(旧世紀版)のテーマ

新劇場版テーマ考察するにあたって、まず旧世紀版のテーマ確認しておきたい。

結論から言えば、旧世紀版の中心テーマは(1)組織上位の命令とあれば人殺しさえやってしま人間の悪辣さ、(2)若者を自らのエゴの実現のために利用する大人の悪辣さ、(3)自分価値を見出せない現代人のコミュニケーション不全、(4)馬鹿は死ななきゃ治らない、の4つである。以下詳述する。

(1)組織上位の命令とあれば人殺しさえやってしま人間の悪辣さ

旧世紀版において明かされる最大の謎と言えば、使徒とヒトとがほとんど同じ存在であるということである。そのことはミサトの台詞から良く分かる。

私たち人間はね、アダムと同じ、リリスと呼ばれる生命体の源からまれた、18番目の使徒なのよ。他の使徒たちは別の可能性だったの。ヒトの形を捨てた人類なの。」

そして第24話において登場する渚カヲルに至っては、ヒト以上の容姿能力パーソナリティを持つ魅力的な存在として現れた。そのことはシンジも認めるところで、以下のように述べている。

「そうだ。生き残るならカヲル君の方だったんだ。僕なんかよりずっと彼の方がいい人だったのに。カヲル君が生き残るべきだったんだ」

しかし周知のように、シンジはこれを殺してしまう。TV版第25話第26話は主としてこの懺悔に費やされるが、そこで繰り返されるのは、ヒトを守るためには命令通りにカヲル殺害するのは仕方なかったという言葉である

シンジ 「結局、僕はこれに乗るしかないのか?好きな人を殺してまで。父さんやみんなの言う通りに、またこれに乗って戦えっていうの?母さん、何か言ってよ、答えてよ」

テロップ 『何故エヴァに乗るのか?』

碇シンジ 「みんなが乗れって言うから

ここには、人殺しさえも上の命令であれば仕方ないとしてしま人間の悪辣さが表れている。

そしてこの人間の欠陥は、エヴァンゲリオン元ネタとしてしばしば監督自身が挙げる、岡本喜八ブルークリスマス』、富野由悠季イデオン』で繰り返し述べられるテーマでもあり、その両者の背景にあるのは第二次世界大戦である

なお、エヴァ以降の作品であるが、インドネシア大量虐殺を扱ったドキュメンタリールック・オブ・サイレンス』においては、被害者の遺族になぜ家族を殺したと問い詰められた加害者が、シンジと同じ言い訳をしているのが分かる。

(2)若者を自らのエゴの実現のために利用する大人の悪辣さ

ここでいう大人とは、ゲンドウとゼーレの面々である

劇場版では、上記のようにシンジカヲル殺害させ、深い絶望(=デストルドー)に陥れ、そのデストルドートリガーとしてサードインパクト引き起こしている。

その動機は、ゲンドウについては「ユイに再び会いたい」というもので、ゼーレにいたってはキリスト教的な原罪から人間贖罪させたいというものである。どちらも身勝手な発想に基づくもので、到底人類全てを滅ぼす理由とはなり得ない。

ここには、若者自己エゴの実現のために利用する大人の悪辣さが表れている。

なお、エヴァには影響は与えていないが、深作欣二仁義なき戦い』においては同様のテーマが描かれていて、その背景にはやはり第二次世界大戦がある。

(3)自分価値を見出せない現代人のコミュニケーション不全

周知のように、シンジ自分価値エヴァパイロットであることにしか見出せず、それを失って人に見放されることを非常に恐れている。

TV最終話ほとんどこのテーマについての議論に費やされている。その一部を引用する。

碇シンジ 「僕に価値はない。誇れるものがない」

惣流アスカ 「だからエヴァに乗ってる」

碇シンジエヴァに乗ることで、僕は僕でいられる」

(4)馬鹿は死ななきゃ治らない

以上のような問題を抱えた人類は、旧劇場版においてサードインパクト突入し、シンジアスカ以外全滅してしまう。

生き残ったシンジは、隣に横たわるアスカの首を絞めてしまう。これは(解釈余地はあるが)シンジの対人恐怖症がまったく解決されていないことを意味している。馬鹿は死ななきゃ治らないのである

エヴァQテーマ

以上の点を踏まえて、エヴァQでは旧世紀版のテーマをどう扱っているのだろうか。

結論から言うと、シンジは相変わらず人を殺し、大人に利用されている。これは旧世紀版との比較を表にしてみると分かりやすいかもしれない。

旧世紀版新劇場版
殺した対象カヲル君(をはじめとする使徒ニアサーインパクト震源地付近住民
殺害正当化理由上位の命令に従っただけであり仕方がない愛する綾波を救うためであり仕方がない
罪の代償深い絶望周囲の非難
贖罪方法戦自に殺されることを望む2本の槍と13号機で世界の修復をする
上記行為の結果ミサトに自殺を阻止され、戦地に送られるが、デストルドーゲンドウ(とゼーレ)に利用されてサードインパクトが発動。人類シンジアスカを除いて滅亡。世界修復の希望ゲンドウに利用されて、フォースインパクトが発動。目の前でカヲルの首が飛ぶ。

主な変更点としては、①殺害正当化理由が「上位に命令されて・・・」という消極的ものから、「綾波を救う」という積極的ものに変化したこと、②贖罪方法自殺という消極的ものから世界の修復という積極的ものに変化したこと、が挙げられる。

さらに、③「(3)自分価値を見出せない現代人のコミュニケーション不全」という問題がほぼ扱われなくなっている。

これらの変更の結果、エヴァテーマは(その善し悪しはともかく)矮小ものとなった。すなわち、旧世紀版においては第二次世界大戦により露わとなった「人類問題点」ともいうべき大問題が扱われていたのに対し、ここで扱われている問題あくまで「シンジ問題点である。このことは、愛する者のために人殺しをしてしまうというのはいかにもフィクションが好みそうなところで、現実でこれが問題となる例は少ないということからも分かるだろう。

さらに、「(3)自分価値を見出せない現代人のコミュニケーション不全」という問題がほぼ扱われなくなったことでテーマはより普遍性を失っている。

なぜテーマの変更は起こったか(ここは完全に妄想

上記の点を踏まえた上で、なぜテーマの変化が起こったかを考えてみると、私はエヴァ成功自身結婚が背後にあるのではないかと睨んでいる。

エヴァ成功により庵野自身の生きる価値を見出すことができ、「(3)自分価値を見出せない現代人のコミュニケーション不全」という問題が解決できてしまった。

さら結婚により、人殺し正当化理由として「愛する者を救うため」という理由俎上に載ったものと推測される。

次回作はどうなる?

 Qの次回予告においては、次回作では「ファイナルインパクト」が起こることが示唆されている。しかし、それが仮に起きたところで解決される問題は、上記のようなシンジ個人の問題点で、我々からするとどうでもいい問題である次回作はかなり小規模な作品になるんじゃないかと個人的には思う。

2016-01-12

エヴァ最終話はここのやり取りが全てだ

ミサト:そう。辛かったら逃げてもいいのよ。

レイ:本当に嫌だったら、逃げ出してもいいの。

シンジ:でも嫌だ!逃げるのはもう嫌なんだよ!

シンジ:そう、逃げちゃだめなんだ!

ミサト:それは、ただ逃げるほうがもっと辛いと感じているからよ。

アスカ:逃げ出した辛さを知ったから。

レイ:だから逃げるのが嫌なのね。

シンジだって、逃げ出したら誰も相手にしてくれないんだ!

シンジ:僕を捨てないで。お願いだから、僕を捨てないで!

リツコ:人の言うことにはおとなしく素直に従う。それがあの子処世術じゃなの?

シンジ:そうだよ、そうしないとまた捨てられちゃうんだ。

アスカ自分が傷つくのが恐いんでしょう。

ミサト:そう思い込んでいるだけでしょ?

ケンスケ:傷ついているのは、シンジ一人だけじゃないよ。

トウジ:難儀なんは、おまえ一人やないでぇ。

ヒカリ:そう考えると楽だから、そう思っているだけね。

シンジ:うるさい!そんなの関係ないよ!僕のことなんか、どうでもいいんだ!

ミサト:そうやって、すぐに自分価値を放り出す。

レイ:私には、何もないもの

アスカ:まぁた、価値がないんだ、と思い込む!

ミサト:そう思って何もしなければ、傷つくこともないもの

アスカ:人に誉められることで、自分を維持しているのよ。

シンジ:誰も僕を受け入れてくれないんだ。

ミサト:そう思い込んでいるだけでしょ?


まり少なくともTV版のエヴァってのは「逃げること」から逃げず、

自分価値を信じて「逃げてでも生きろ」ってことなんだ。

2016-01-11

飛鳥涼という男について

多分、多くの人は今話題ブログや、いわゆるチャゲアスとしてのアスカだと思うのだが…。

先に個人的にそれほどチャゲアスのファンでないのは断っておく。

自分も調べていてビックリしたのだけど、飛鳥涼名義での楽曲提供(80s、90s)が多くて、その多くが人気の楽曲となっている事、またアジアにおける彼らの人気にびっくりしている。

…。つまり何をいいたいかというと、もうお金に困ることも無いし、ほとんどの人の人生で抱える問題を解決できる立場にいるわけだ。

でもだからこそ、逆にこういう風な刺激がどうしても必要だったのではないかと思っている。

多くのミュージシャン始めクリエイタが同じような問題になりがちだが…、なんか色々考えてしまう。

2016-01-10

対魔忍アサギキャラの簡単な説明

DMM登録ユーザ数70万にんの対魔忍アサギ決戦アリーナであるが、

原作やってなくて登録してるユーザも多そうなので、

下記のような面白キャラたちによって成り立っていることを、

まあ、滅多に記事化されることがないのでつらつら書いてみる。

対魔忍

アサギ

シリーズの顔役対魔忍。ストリートファイターでいうとチュンリー

シリーズ開始当初は20代だったが気が付けば三十路から40歳近い年齢設定になっており、近年は熟女キャラ化している。

彼氏シリーズ1作目で惨殺されていたような気がする。

最初は沢山いる忍者の中の一人という設定だったが、作品を重ねるごとに後付け設定で強化された結果、最強の一角になっている。

最強の一角だけどストーリーの都合で簡単にオークに堕とされる。

サクラ

アサギの妹対魔忍。パチンコ北斗の拳でいうとアミバ

十代後半設定から二十代後半設定。

アサギの強さを表現するためか咬ませとして使われることが多く、とにかく弱い。

10作近くでてきてネームキャラに勝ったことがない。

ムラサキ

サクラの同期対魔忍。パチンコ北斗の拳でいうとジャギ

身体を再生する能力がある。・・・・・・この辺りから能力バトルになっており、作品世界観の影響されやすさが出ている。

再生能力があっても頭を落とされると死ぬらしいし、描写としてもそんなに強くない。

作中ほぼ唯一彼氏役の男がいる。サクラよりは描写上強く、ごく稀に勝つことがある。

ユキカゼ

時代経過後のサクラムラサキの生徒対魔忍。NTR担当アホの子

奇乳ばかりの世界で珍しい褐色貧乳属性

毎回毎回、信じられないアホを見る顔にならざるをえないほどアホな作戦を決行しては失敗する。

正規ルートでは処女ということになっており、「えっ?そうだっけ?」と思う。

唯一リリース時期に応じて歳をとっておらず、時系列整合性不安になる。

電気を操る能力を持っているが、雑魚しか勝てない。

凛子

ユキカゼとツーマンセルを組む対魔忍。紫色の弱い方。

電気を操るユキカゼ相棒なので空間転移能力を持つ。とあるナントカのドートヤラである

一見頼りになる姉貴風だが、戦績はユキカゼさらに下回る弱キャラである

振り返ると、アサギが強化されたというより、アサギよりずっと弱い味方ばっかり増えた、

という話のような気もする。

米連

アスカ

米連のアンドロイド忍者。ユキカゼと同系統アホの子

登場第1作のアサギ3で意味ありげに登場はしたものの、いいところが全くなく、

まりにアホな流れで無力化されており、

何のために出てきたんやこの新キャラ、とおもわせるアホの子である

同じようなアホの子であるユキカゼに一応派手に戦闘で勝利する場面が用意されているのに、

こちらはそんな措置がなく、今後が期待される。

魔族

アサギライバルのおばさん抜け忍。

基本的アサギは強化されていくことに理由けがされているが、朧は特に何の設定もなく、

アサギが強くなるのに連れて作中で強くなっていくのがすごい。

単なる裏切り者だったはずが、最近は昔はいい人だった語りでポイントを稼ごうとしており、あざとい。

イングリッド

ムラサキの敵として設定された気がする魔界騎士(笑)。「くっころ」担当

設定上は朧よりはるかに強いはずなのだが、気がついたら雑魚に毛が生えたぐらいの扱いになっていた。

自信満々に登場しては朧の策にはまって負けるのが半ばお約束になっている。

不知火

ユキカゼオカン

痴女みたいな格好をしたキャラクターの中でも飛び抜けて痴女みたいな格好で登場する痴女

本当に対魔忍だったのか? と思わせるほどに作中描写で強い。

エドウィンブラック

複数作に登場する男性悪役。魔族の首魁であり、一応ラスボスである

エロゲーラスボスなのにエロいことをしない、というストイックな悪役。

桐生

ムラサキ彼氏。魔界医師である戦闘能力はない。

死肉を使って蘇る程度の能力を持つのでまず死なない。

竿役主人公から便利屋の兄ちゃんぐらいに落ちぶれているが、おそらくもう死ぬ場面もなく、

一生を全うするんだろうな、と思うとカチグミのような気もする。

2015-12-16

http://anond.hatelabo.jp/20151216040200

庵野の居ないエヴァという発想がまったく無かった。思いつく監督でどうなるか考えてみる。 ※追記あり

小林正樹版(『切腹』『人間の条件』)

左翼シンジ君が共産主義理想を抱いて封建的なゲンドウに挑むが、ソ連軍の介入に遭ったことで共産主義絶望ジャングル等を転戦した後、饅頭を抱いて死亡。

デヴィッド・フィンチャー版(『ソーシャルネットワーク』『ファイトクラブ』)

ブランド物や最新パソコンなどを買うことに躍起になっていたシンジ君が、商品ではなく戦いの中に真の「人間価値」を見出すようになる。ラストエヴァ消費者金融ビル破壊し、崩れ落ちるビルアスカとともに眺める。

深作欣二版(『仁義なき戦い』『バトルロワイヤル』)

使徒との戦いに勝利するも絶望したシンジ君が、死に場所を求めて破天荒な戦いに身を投じていく。しかし全てはゲンドウ(cv.金子信雄)のシナリオであることに気がつき絶望警察に包囲される中で拳銃自殺

小津安二郎版(『東京物語』)

サードインパクトの中で1つになった人類、ゲンドウはユイとともにシンジに会いに行くが、年老いた両親にシンジは冷たく当たる。崩壊する碇家に同情するレイに、ゲンドウは優しい言葉をかける。

黒澤明版(『生きる』)

肺がんで余命半年を宣告されたゲンドウは、自らの半生を省みて、何の意味も無い人生だったことを悟る。そこで生きた証としてサードインパクトを完成させるが、その葬式で、「あれは私がやったことだ」と手柄を横取りしようと冬月が現れる。

■スチュアートローゼンバーグ版(『暴力脱獄』)

謎の勢力に幽閉されたシンジ君が、単純作業だけをする無為な日々に絶望する。そこに来た新入りカヲルは、つまらない作業をもゲームにしてしまい、楽しみを見出ししまう。そんなカヲルシンジは好きになるが、ある日カヲルが「ゆで卵を30個食えるか、賭けないか?」と持ちかけてくる。

■追記

トラバサム・メンデス版は笑った。登場人物がそれぞれの理想(=「アメリカンビューティー」/ユイに会うこと・贖罪)を抱いてもがく姿は共通。

ブコメ宮崎駿版は考えてみたけど、駿のテーマ(①自然人間、②労働、③物づくりのエゴ)ってのがエヴァ全然合わないのよね。①人も使徒も共に人間側だし、②シンジ君の悩みは労働で解決できていないし、③エヴァ登場人物堀越二郎(ないし豚)みたいなエゴ持ってるやつが居ない。

ログイン ユーザー登録
ようこそ ゲスト さん