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2018-04-23

DNSブロッキングっていじめだよな

あいキモいよな、無視しようぜ無視」「へへー、仰せのままに」

って手法、とっても日本的だと思います

・・・・・・ってくらい、属人的世俗に塗れた手法に成り下がってしまった気がする。

2018-04-09

anond:20180318203608

元増田のなかで、「無能」の定義曖昧から論理が飛躍している。素直に「無能」を定義すると、「自分能力不足で目的が達成できない人」というような感じになると思う。目的、は「サンドイッチ検品をする」でも、「東大に入る」でも、「幸せ結婚をする」でもなんでもよい。この場合アルバイト社員無能で良い、なんてこともない。無能とは、自分目的が達成できない人なんだから人間幸福追求権がある限り、無能で良い人なんて誰もいない。もし、無能が「能力不足で他人迷惑をかける人」みたいな定義なのであれば、迷惑をかけているので、批判されるのは自然だ。

元増田最後の方で組織論になっているから、それも少し。人の優劣が組織の優劣に影響するのが良いことかどうかは全く自明ではない。一般に、組織属人的状態から脱出させようとすると、官僚化が進み組織のもの効率が落ちることが多い。

1. 起業

小規模企業大企業を打ち負かすことがあるのは、優秀な中枢の数人の能力を存分に発揮することで、組織や規模の不利を超えることができるから

2.高校序列

一般に、偏差値が高い高校ほど校則がゆるい。きつい校則必要ないので、学生の創意工夫が可能になる。

3.教育システム

日本先生は有能でないことが想定されている。中央集権的に学習指導要領を通じて、時間数および教育内容を規定しているから。

これは、先生能力依存しないである程度の水準の教育を保つことに成功している反面、有能な先生の創意工夫の余地を奪っている。優秀な先生学習指導要領制限を取り払うとどうなるか、というのは、「ずっとわかりやすい」参考書予備校存在でわかる。

2018-01-11

anond:20180110192237

リバタリアニズム自由最高ヒャッハーみたいな種類の思想だというのは、左翼右翼ちょっと聞きかじった程度の半端な理解人間による印象操作なんだよ。

ちゃんと調べて、まともな学者の書いた本を読めば、究極に理性的思想だということがわかってくるはず。

北斗の拳みたいな世紀末状態リバタリアニズムの終着、みたいな認識2ちゃんやらの日本ネット上では書かれている事がよくあるけども、とんだ見当違いだよ。

じゃあどっちかというとアナーキズムか、というとそれも違う。アナーキズムだって、反支配ではあるが無秩序を望む思想じゃないし、むしろ調和をめざす非暴力思想だ。

一部のアナーキストが、支配から脱するための暴力革命テロリズムを認めているにすぎない。

話を戻して、リバタリアニズム自由放任表現されるけど、それがややこしくしている。その単語が表すイメージとは次元が違う。

きちっとした法治を是とするのは当然として、その場その場の属人的裁量ではなく洗練された最小限のルールで世の中を究極にシステマティックかつシンプルにしようという考え方。

そうして、自由放任にしても大丈夫、人がどう動こうと失敗しようと必ず救いがあるし報いがある、だから寛容になれる、そういう環境をつくる、という意味での自由放任だ。

そのための最適なルールを、常識に囚われず考え続けることに余念のない人たちがリバタリアン

もともとはリベラルと呼ばれた考え方だけあって、個人人権尊重しようとする考えはしっかり根底にある。

から他人自由侵害することにも特に敏感で、それこそが右翼左翼との違いでもある。

リバタリアニズム的な思考に基づく発言とか政策を切り取ってみると、傲慢や強欲を感じられる事もあるかもしれない。

でもそれは、国家よりもまず個人幸福尊重するからであることがほとんどだ。

長期的視野や全体的視野に立ってみると、国家従属して集団幸福を実現するより、技術進歩に従って個人レベル連携でもうまく機能する社会システムシフトしていったほうが健全だし盤石だし平和的だろうという考えがあるから

そういう感じで、一見突飛な意見も、より良い未来を導くビジョンに繋がっている。

そうではない、「怠惰弱者自己責任から救済する必要がない」だとか「再配分は自発的寄付トリクルダウンで現状でも賄える」みたいな事を言う人は、

かに昔のリバタリアンと呼ばれた人にはそういう人も多かったようだけれども(今でもいないとは言わないが)、もはや現代リバタリアンはそんな強者論理を振りかざす人たちとは違ってきていて、より柔軟で現実的になっている。

でもネットリバタリアニズムを調べて出て来るのは、そういう古臭く悪印象な強者論理ばかりなので、ほとんどの人がそこで学習が止まっている。

リバタリアンとされたミルトン・フリードマンだって、まじめに再配分を考えていて、負の所得税のような今で言うベーシックインカムに繋がる政策を考案したその人であるし。

彼のマネタリズムのようなリバタリアン政策は、あの時代では失敗したけれども、現代そして未来のあらゆるものデータとして数値・属性可視化されるようになった世界では、

金融政策ではないにしろさまざまな分野でリバタリアン的な「裁量よりルール」が有効に働くようになってくるだろう。

リバタリアンと分類されて馬鹿にされる人たちの多くは、一般の人の想像が及ばないくらいの精細な未来人類ビジョンを持っているように感じられる。

その人の専門分野、技術知識によってその推測は本人的には裏打ちされているんだけど、他人からみると理解されない。

「いま」を生きる大衆目線で見ると愚か者の暴論にしか見えず、袋叩きにあうしかないんだけども。それでリバタリアニズム自体もなめられている。

ブコメなんかでも大抵そういう認識の人が目立つ。そういうのを見るとつらい。

もう、別の名前をつけたほうがいい気すらする

2017-12-20

この流れではあちゅうを叩くのは感情で生きるタイプの残念な人

追記

ダメだ。何事にも限度ってものがある。いくら罪を憎んで人を憎まずと言っても、本人が行った悪業とほかの誰かの悪業は別問題と言っても、やはりはあちゅうダメだ。

自業自得コウモリ、嘘つき、媚びを売って利益を得ようとして失敗した結果の逆恨みしか見えなくなってきた。もうこの件にはコメントしない。



仕事で何かやらかした後(数時間後とか翌日とか)にまったくの別件について指摘すると「お前が言うか!?」とか「このタイミングでよく言えるな?反省してないのか?」とか怒られる事がある。

自分の失敗やそれについて反省している事と、別件の直ちに対応しないとマズいことになる問題はまったく別なので本当のところ怒られる意味全然からないのだが社会とはそういうものだと理解して最近はやらないようにしている。

属人的問題であるならば当該個人に対して注意して、その個人反省改善するべきだし、システム的な問題や外部要因の問題、もしくは他の個人に属する問題はそれぞれ別に対応しなければならない。はずだが、感情仕事をする人たちにはわからない。

はあちゅうセクハラ告発した。彼女清廉潔白ではない。しか彼女の日頃の行いと、過去に受けたセクハラは別問題。むしろ過去受けたセクハラ」ではなく岸なんとかって加害者視点で「過去に行ったセクハラ」が存続するのだからそれを問題視すべきなのにそれができない感情で動く大衆にはがっかりする。はあちゅう問題だと思うなら別途対応すればいい。電通の、岸なんとかの、ひいては日本社会セクハラ糾弾するチャンスをわざわざ潰す意味はどこにあるのか。はあちゅう以外のキレイ被害者がもう一人名乗り出ればいいのか?その被害者過去に何か一つでも不適切な行動を取ってたらやはりその被害者を叩くのか?

イジメは良くないがイジメ被害者過去に生き物係をサボってクラスで飼ってるウサギを殺したのだからイジメられるのはしょうがいか

はあちゅう擁護したいのではない。誰が告発したのであれ、誰が被害者であれ、加害者加害者として責任を取るべきだといいたい。

告発者にも問題があるのならヒステリックに叩くのではなく正当に告発なりをすればいいじゃないか

結局多くの人々は安全から石を投げられる対象を探してるだけなのだろう。大変残念な気持ちになる。

2017-09-27

anond:20170927015929

すぐ下に「これほど属人的作品監督を切るリスク過小評価し過ぎだったんじゃないの」と言ってる「カドカワ主体的たつきを切った」論者がいますがな…

いやマジでたつき 切った」とかで検索すれば大量に出てくるよ。

確かニコニコ大百科にも崖から蹴落とすAAと共に「おまえは用済み」みたいなネタが書かれてたし。

https://anond.hatelabo.jp/20170926084702

これほど属人的作品監督を切るリスク過小評価し過ぎだったんじゃないの

カドカワ本営から発表しようが結局は炎上したでしょう

切ったからには軟着陸させる必要があったのに、各方面ケアを怠ったカドカワの落度じゃないのかな

2017-09-08

旦那風邪仕事を休めるのに主婦の私は風邪家事を休めない。男はズルい」みたいな議論がある。

病気仕事がすぐ休める体制というのは、会社属人的ではない業務形態

確立しているということに等しい。

したがって、突然の欠勤がときどきなら許容されるが、ガッツリ何回も休んだら退職

追い込まれ無職になって家族が路頭に迷ってしまうというリスクもあるわけである

奥さん、旦那をいたわってあげてください。

2017-08-30

https://anond.hatelabo.jp/20170830222123

・法定耐用年数と、実際の建物耐久性能は必ずしも比例しない。ローンが付くかどうかは金額と支払い能力担保価値なので、属人的に、物件的に充分ローン付く可能性はある。

リスクは当然高くはなるが、「当たり」のマンションだったら割と儲けものではある。

・ただし畜40年だと耐震的に既存不適格なので、出口に難あり&地震保険火災保険は高くなる。耐震改修工事や大規模改修が済んでればまた別。

償却残が少ない分、税金的な価値は極小化されるので、固定資産税は少なく済む

不動産現物なので、こればっかりは見てみないとなんとも。広尾ガーデンヒルズは築30年以上だが未だにびっくりする値段で売り出されたりする。

2017-07-26

ニセ科学批判ネトウヨが結び付けられるようになったことについて

 最近、ニセ科批判とネトウヨの結びつき、みたいなのについてツイッターでよく見るので、思うところを書いてみることにする。

 先に、俺の立場について書いておくと、もともとニセ科学批判クラスタにいる(た)人間である。以下、いろいろと書き連ねたような事情もあって、最近はニセ科学批判クラスタを批判的に言及することが多くなってきたが、やっぱり世界科学だろう、という思いは変らない。

 余談だが、ニセ科学批判クラスタを批判する人、というのがニセ科学勢力とか、トンデモ勢力というのは意外に成り立たない。そういう連中を自分積極的フォローしてないというのもあるかもしれないが、その手合いはまず自分たちに批判的な人がいることについて詳しく言及すること自体不都合なので、あんまり触れないのではないかとも思う。クラスタの言説に詳しく触れながら批判する人というのは、何だかんだいって「ニセ科学は嫌い」寄りの人間が多いようだ。

 あらかじめ書いておくと、自分見解は、「ニセ科学批判とネトウヨ本来、つながらない」であるしかし、そう言い出す人がけっこういる、というのも理解できないではない。まして、「またネトウヨ連呼厨ガァー!」などと言い出す気にはなれない。なので、どうしてそう思われるようになってしまったのか、といういくつかの自分の思っている理由について書いてみようと思う。

 なお、あくま自分観測範囲ベースなので、それ以上のエビデンス統計的根拠はない。ほしかったら基盤Bでも持って出直してきたら調べてやらんでもない。

 あと、話は基本的ツイッター世界が中心である

3.11以後の動き

 ニセ科学批判とウヨの親和性、という問題が語られるようになったのは、やっぱり3.11以後が決定的である。いちおう、3.11以降について、特に放射能デマをめぐる後始末についていうなら、ニセ科学批判派がおおむね正しかった(細かいとこで間違いや軽口があったのは否定しない)というのは間違いないので、これはどんどん認めていくべきである。そして、その上で、致命的なレッテルを引き寄せる結果となったことについてもそろそろ考えるべきだと思う。

 3.11直後にデマ批判をする人が、今となってはかなり信じがたい形で「ウヨ」と手を結んでいたのは確かだ。これはひとえに、デマの流布をほっておくことが人権問題になりかねない状況だったことによる。一例としては、ゴリゴリ左派左巻健男石井孝明をRTしていたことがあるくらいである。それは、個人的にそこはRTしなくてよかったんじゃないかと思うツイートだったが(別にどうしてもしなきゃいけないRTでもなかった)、しかし当時はそれでも連帯できるところは連帯しないといけない事情だったのも確か。とはいえ、そのRTを見てニセ科学批判派の中にいる自分でも嫌悪感を覚えたので、その外にいて、かつ左派寄りの人がどうとらえたか想像に難くない。

 元々、デマ批判を発信していた人には政治的には左派が多く、その中には、事態が落ち着いた今は左派クラスタのなかへと帰っていった人も少なくない。今となっては、「福島差別」について関心が高いアカウントというのの少なから割合がただのウヨアカウントであり、人権問題危機感を抱いて近づいてきたというよりは単に「ダシにしにきた」ことも明らかになりつつあるのだから、この時期のことについては、ちゃんと後処理をしておくべきではないかと思う。一方で、安易にウヨレッテルを張った側も、そのレッテルについて再検討する必要がある。

多層的な「ニセ科学批判者」

 ニセ科学批判というのは多層的に発信される。最初の発信者、つまり、積極的に資料をあたったり文献をあたって、情報を発信していた人はもちろんいるにしろ、その人たちの話がどう広まっていったかといえば、メディアが広めた場合ももちろんあろうが、ツイッターなどネットではそれを再発信する人によって広まったわけだ。この人たちの中にも濃度がいろいろあって、「なんとなくRTした人」「そういう話を見たら積極的にRTする人」「RTして、自分でもそれをベース意見をいったりする人」「それがさらにバズって積極的ニセ科学情報を集める人」とまあ、いろいろだ。

 こうなると、ニセ科学批判クラスタといっても、もともとの「ニセ科学批判派」の声は流通する情報割合的にはごくわずかということになる。

 俺がやばいと思う層は、じつはこの水増しされた部分であるデマ批判が機能したのはこの部分あってこそなので、水増しという言い方は語弊があるのかもしれないが、しかし、ネトウヨニセ科学批判がむすびつけて論じられることに責任があるのはこの層ではないかとも思う。

 この層、とひとくちにいっても、いくつかある。

(1)善意悪用して、自分イデオロギーをのっける層

 まあこれは文字通りの「ウヨ」層だ。前述の石井孝明とか、池田信夫なんてのもそうだろう。この亜種(1A)としては、ウヨというよりは「左派が憎い」というイデオロギーをかぶせていくケースもある。佐々木俊尚とか、伊藤剛あたりがそうだろうか。そうそう、伊藤剛と昔仲良し今は犬猿の仲唐沢俊一も忘れてはいけない。君たちお仲間だよおめでとう。あるいは、こうやって膨らんだ層を客層にあてこんだ「御用文化人」というケースも亜種(1B)の一つだろう。いちえふの作者なんてのはそうだと思う。最初はけっこうまじめな信念を持って作業員のルポを始めたんじゃないかなー、とは思うのだが。

(2)人を叩くのが好きな層

 言っちゃあ何だが、科学正義であるしかも、ある程度実証が積み重なれば、相対化しようがない正義だ。本当は正義とか正しさなんて一ミリも興味はないのかもしれないが、とにかく人を叩く根拠がほしいならず者にとって、こんな都合のいいものはない。しかも、人権問題としての問題意識までくっついている。人権なんて一ミリも興味がないのかもしれないが、以下同文。

 正義暴走がデンデンという人はネットによく転がっているが、あまりこの点には言及しない、どころかこの正義だけは振りかざすのが大好きだったりもする。彼らの心情は、よくわからない。

(3)理系としての選民思想の持ち主

 一昔前のメディアに流れる文章には、理系に対する嘲笑偏見がいりまじったものというのが結構あった。それを見た理系人が、お前ら哲学で作った飛行機に乗れるのかよ、というような反発を持つのは想像に難くない。俺も昔はそうだったし。それは仕方ないところもあると思う。

 ところが、ネット理系研究者がどっぷりつかっていたり、エンジニアがどっぷりつかっていたりする場なので、そういう人が意外にマスをもてる世界である。それはいいことでもあるんだけど、結果、「理系カルト」のようなものが出来てしまうという面もある。その結果、「文系」をバカにするようなアカウントが出来上がる。昔、科学ネタアニメ談義が話が合うという理由高専生や理系大学生をけっこうフォローしていたのだが、どうもこういう方向に流れていく人が多く、非難がましいツイートが増えた結果リムられたりリムったりブロックされたりが増えた残念な記憶もある。

 これらの人が、放射能デマ批判、さらにはより広いニセ科学批判に群がったわけだ。どれもこれもあまり近づきたくないタイプである

 しかし、本来意味でのウヨはこの中では(1)か、せいぜい(1A)までに限られる。それが全体のうちどれくらいの割合を占めるかというと、あんまり高くないと思われる。おそらく、悪印象のかなりの部分は(2)(3)に起因しているのではないか。(2)と(3)は、本来的にはウヨ思想とは関係がない。しかし(2)はそもそもモラルを欠いている層で、ネットイナゴといわれる集団に近い。そういう人が、ネトウヨ思想親和性を持つのはまあ時間問題である。(3)は正直因果関係を断定しづらいのだが、確かに自分観測範囲では重なる人が多い。理系でもウヨ色の薄い人は理系絶対主義みたいなところには陥らない、みたいな雑な印象がある。

 そうすると、本来関係のない「ウヨ」と「ニセ科学批判」がセットで観測されるということが大量発生する。しかも、(2)(3)は人間性として最悪の、できればブロックしておきたいタイプだ。どこをどういじっても、ニセ科学批判がいい印象を持たれる展開がない。しかも、こういうアカウントに限って、やけにRTされる数が多く、ダメな方向にネットへ広がっていく。

 (この部分追記)「冷笑系」と呼ばれるような集団がともかなり重なっている、というのもいくつかの反応で見かけた。これはもっともだと思う。特に(1A)や(3)あたり。

 後出しじゃんけん承知で言うと、推敲前は言及していたのだけど、定義にやかましい人の怒りが二乗になりそうなのと、話がとりとめもなくなったのでなんとなく端折ってしまった。けれど、ニセ科学批判との関係について考える場合には、「いわゆるネトウヨ」より重要カテゴリーかもしれない。

こじらせびとたちの罪

 ネトウヨ定義というのは曖昧である。むしろ、厳密に定義したところで境界線附近人間大手をふって歩き出すだけなので、ある程度曖昧でいいと思う。ライトノベル定義みたいなものだ。物語シリーズラノベかとか三毛猫ホームズラノベかと言ってる分には意味もあろうが、そこにかこつけて「聖書はラノベでは」とか言い出す奴はつまみ出せばよい。

 しかし、世の中には問題児がいる。自分たちはつまらない理由ネトウヨ扱いされた、だからネトウヨを名乗ってトンチキなことを言い募ってやる!と言わんばかりの連中である。いまどき子供ももう少ししつけられていると思うのだが、そんないい大人がネットにはたくさんいる。被害者意識をこじらせているとしかいいようがない。本人はネトウヨ認定したほうが悪いと思い込んでいるのかもしれないが、申し訳ないが狂人の真似だと言い張って東大路通を走る人間京大生でなければ狂人である京大生でも狂人かもしれない。

 菊池誠氏があんなふうになったのは、一つのきっかけはここにあると思う。しかし、年齢的にも知性的にも社会的立場的にも、責任能力を逃れられる人ではなかろう。自分の不始末は自分でつけていただきたい。きっかけのもう一つの原因(と俺が思ってること)は、次の項で述べる。

 ジャンルは違うけれど、所謂キモくて金のないおっさん」を名乗りたがるネット住民、についても似たようなことが言える。

フィードバックはめぐる

 ツイッターにはRTとかふぁぼという機能がある。ふぁぼはまあいいとして(最近はこれもTLに流れてくるようになったが)、RTは誰が何をRTはしたかが、ある程度分かる。

 RTの基準は人によっていろいろだろうが、まあ第ゼロ近似としては「それに共感するんですね」だろう。直後のツイートで批判的に言及でもしておかないと、そう思われないほうがおかしい、と思う。

 ここでめんどくさいのは、「それに共感するんですね」の「それ」はツイート文章のものであるツイートしてる本人であるか、である。直感的には、前者だろう。後者は雑な見方に映る。ただ、発言属人的に見ない、というのはけっこうなことに見えるが、発言主と合わせて文意判断しない、ただの無責任な態度となることもある。見てる側が、いつも「こいつはどうしようもない奴だな」と認識していれば、それをRTする方も同類とみなされることもある。そんなのおかしい、という人もいようが、そういうものだ。

 さてここで上のニセ科学批判情報の発信の話になる。発信者する側も、自分が発信した情報を受けて賛同し、意見を述べたり非難したりするツイート自分のRTという形で放流するということをよくやる。別に発信者じゃなくてもやると思うからニセ科学批判に集まった人も、さらにそれをやるわけだ。

 ところが、その放流元が「札付き」であった場合、それを「ニセ科学批判に賛同してくれた」という文脈だけで読んでくれる人は、あんまりいない。ごくふつうアカウントなら、はいはい賛同者だね、ということになる。ところがそうじゃない場合問題だ。そりゃあ、ツイート単体ではいいことを言ってるように見えたりするかもしれない。でもそれを、みんな属人的に見ないでくれるだろうな、というのはおめでたい

 でもまあ、そういうことが一度や二度あった、というだけなら、まあどうということもないかもしれない。しかし、これを長く繰り返し続けていくとどうなるか。

 「お前はそういうやつなのか」で離れる人というのは離れられる側にとっても、分かりやすいし素直だ。だが、「お前のRTうぜえわ」で離れる人も出てくる。離れられた側は、もしかしたらなんだか事故にあったつもりになるかもしれない。自分はただ「賛同できるツイートを流しただけなのに」、と。

 それもそうかもしれない。でもそれが繰り返されるうちに、クラスタ自体が、濃縮されてだんだん汚染されていく。そして、やり取りをする相手というのは、本人も気づかないうちに影響を与えていく。フィードバックされちゃうのだ。

 2012年か2013年くらいまでは、きくまこ先生もそこまで変ではなかったが、その後加速するようにヘンな発言が連発されていくのは、こんな感じだったのではないかと考えている。

 ニセ科学批判そのものを凶器として振り回す層というのが出来た結果、その印象がネットイナゴ、あるいはネトウヨと非常に近いものになってしまう。あとは災害が広がるのみだ。子宮がんワクチン水素水、EM菌。本来ならネトウヨと関連付けられる要素なんてないものも、そのスジのアカウントが言及してはバズる、という光景は、「そこ」がイニシアチブを握っている、と認識されることになる。そうなれば、ウヨに批判的な人は近寄りがたくなる。もちろん、もともと発信元として活動していたような人は、自分左派であろうと発信を続けるだろう。でもそこまで中心にいない人は、距離を置くか、あるいはニセ科学批判派の語り口に疑問を持つようになる。

そして深まる左右対立

 このような先鋭化の過程で、本来なら近しいところにいるはずの、歴史修正主義批判や、反知性主義批判(本来意味も、日本独自派生した意味もどっちも含まれる)との溝が深まっていくことになる。めんどくさいことに、これらの集団原発や巨大科学のようなものには批判的で、甚だしい場合放射能デマに一定の親和性がある人もいたりするので、頭が痛い。

 よく、ニセ科学批判クラスタはこれらのニセ社会科学・ニセ人文科学問題には無関心だと言われる。発信する側については実際には必ずしもそうではないアカウントも多いのだが、群がっている層については確かに無関心…… どころか敵意を持っている人が少なくない。理系人が多いので馴染みが薄いし慎重な態度でいる…… というのはなくはないのだろうが、どうもそれだけで済まないところがある。歴史問題法律あたりに目をつけて観察していると、「馴染みが薄いからかかわらない」ではなく嬉々としてトンデモさんを引っ張ってきて何かつぶやいている、という光景を目にして頭を抱えることになる。

 「Aを批判しているのにBを批判しないのはなぜか」はほっといてくれというのは分からないでもない。ただ、それは本当にたまたまのこともあれば、党派性を後ろに秘めてみて見ぬふりをする場合もあるので、けっこう一概には言いにくい論点である状況証拠次第によっては、判断材料として持ちたくなる疑問であるのは確かだ。また、別にこういう「疑問」はニセ科学批判クラスタけが受けるものではなく、左派いちゃもんのように昔から言い立てられてきたことでもあるので、やはり状況しだいでこう問いたくなるのも当然だろう。

 しかしその結果、溝はますます深くなるのである

 こんなことが続いていくうちに、ニセ科学批判クラスタは「身内」に甘い、というような見方もされてくる。そんなことないよ、と言いたいところだが、最近たまにはてブあたりに上がってくるニセ科学批判批判へのブクマコメントなど見ると、妙にニセ科学批判サイドへの批判を矮小化しようとする「ニセ科学批判者」のコメントが見受けられたりして「ああこの人もかあ」という気分になってくる。

経済をめぐる対立

 先日ツイッター問題になっていたのは、これのようだ。mika_berry氏というツイッタラーリフレニセ科学批判とネトウヨのつながりについて言い始めてそれにニセ科学批判派やネトウヨ定義が気になるタイプが反発して少し炎上のようになったらしい。

 経済には明るくないので、具体的なところには踏み込まない。が、ニセ科学批判クラスタ、あるいはもしかしたら理系クラスタまで枠を広げてもいいのかもしれないが、けっこうな割合がいわゆる「リフレ」に近づいたのは確かにそうだなと思う。

 ただしここも距離の違いはけっこうあって、単に「反緊縮」に近づいた人もいれば、はっきり「リフレ」に近づいた人もいる。俺も反緊縮については多分同意すべきなんだろうな、と思う。

 なぜこういう動きが起きたかは分からない。単に、時代的に緊縮はもういい、という風潮だったのかもしれない。反緊縮は数字勘定してイメージやすい「ロジカル」なものからという、もっともらしい理由がつけられるのかもしれない。それはわからないのだが、しかしこの「リフレに近づいた側」の少なからぬ人が、その後決定的にウヨに近づいていくことになる。

 これも理由は分からない。反緊縮には賛同する、という程度の人は、あまりそっちへ動かなかったからだ。アベノミクスなるものがあったからといって、他の論点がいっぱいあるのだから、ウヨに近づく理由にはならないのである。むしろ経済で結果を継続して出せるように安定させるためにこそ、おかしな動きは徹底的に批判すべき、と思うのだが、なぜかそうならない人というのがいた。ニセ科学批判クラスタの外にもそういう人がやはり「なぜか」いて、新たな集団を作るようになる。リフレ経済的に豊かになることを期待するクラスタ、というよりは「政権を応援しマスコミを憎み野党のアラ探しをする」クラスタとなる。経済には明るくないのでよくわからないのだが、アベノミクスのような政策はほっとくだけだと企業が潤うだけだと聞く。こういう人が「再分配を求めるべき」「企業給料をあげよ」というような動きをしたという話を寡聞にして聞かない。本当に経済大事だと思っていたのか、いまいちよくわからないところがある。

おわりに

 昔ながらのニセ科学批判は、党派性から距離を置いているつもりの人が多い。これは「左派が多い」という、上で書いた話とも別に矛盾しない。もちろん、ノンポリもいる。俺だって党派がかるのは大嫌いだ。

 それはいいんだけど、そうありたいと思うこととか、自分たちはそうだと思い込むことは、あんまり何かを担保してくれることではない。

 ここ10年くらいのインターネット歴史は、ノンポリ政治的な層、特にウヨに振り回される歴史だった。

 1970年ごろの学生運動だって、多くは本質的にはノンポリだったという話はよく聞く。でも、左翼運動の迷走についての責任を問われないかといえば、そんなことはないだろう。

 俺が思うのは要するにそういうことだ。ニセ科学批判=ネトウヨというくくりは、なるほど雑だ。だけど、それを一笑に付せる無邪気さは、ちょっと俺には持てない。

(追記しました→https://anond.hatelabo.jp/20170802040735

2017-07-20

社会不適合者だけど仕事疲れた

愚痴&移動中のため乱文です。

大学の時に鬱発症して

新卒で入った仕事を9ヶ月で辞め、

バイト転々とし、

今まで一番長い職歴(といってもバイト)が1年3か月だった。

ところが今居る職場、オープニングから正社員で勤め出して気がつけば2年半。

店長は少々、いや大分アレだけどスタッフ同士は仲が良くて

体調の危機を幾度か乗り越えつつも、合う薬が見つかったのもあってなんとかやってきた。

店長の我が儘も協力してかわしてきた。

地獄のような人手不足も乗り越えてきた。

それが、この度オープニングから一緒にやってきた子が退職するという。

辞めたいわけじゃないがやむを得ない事情だし、事情を聞いて残念だけど仕方ないと思った。

残されたのは私、入社半年の子×2、新人さん。

辞める子は一生懸命新人さんを指導してくれてるし、私も仕事ができる限り属人的にならないよう細々とした仕事(主に忘れた頃にやってくる店長の気まぐれ仕事対応)のマニュアルを本腰入れてまとめてる。

でも、こんな散々な経歴だったせいで私にはいい年してまともな新人教育経験がなく、

根っからコミュ障のせいでなんとなーく途中入社の人たちとも気楽さがなく、

体調の悪いとき退職していく彼女に甘えてたところもあり、

やっていける気がしない…というか、残される同僚に申し訳ない。

こんなのを一番頼りにしないといけないなんて。

そしてなにより正直店長のアレさに疲れたり、プライベートの色んなことが重なって体力の限界を感じつつあったりで、辞めたいという気持ちがあったところなので彼女を少し恨んでるのも否定できない。

とりあえず、以前ハロワで言われた「三年続いた仕事があったらだいぶん印象が違う」という言葉を胸にあと半年は最低やっていく気ではいる。

せっかくここまで続いた仕事なんだから限界まで続けた方がいいよなって気持ちもある。

けどここ数ヶ月、仕事必要最低限の活動だけしてあとは布団に倒れこむだけ、遊びに行った記憶もない状況でプレッシャーだけ増して持つのかな、体力。

あいまぐじぐじ考えてもやっていくしかないんだけどな。

がんばります

2017-06-24

https://anond.hatelabo.jp/20170623233348

それだけ働いたら残業代がすごいことになりそうだけれど、すべてただ働きなんだろうか。

飽和攻撃されていて、全然対応が追いつかない状態というのなら、本来は人を増やすべきだと思うのだけれど、経営者がそこにお金を使いたくないなら、そんなところで働かないのが吉だと思う。

日常的に起きる問題には自動対応できるようにしておくか、誰でも対応できるように手順書を用意しておくかして、自分でやらないといけないことを減らすというのがよいと思うのだけれど、それをする時間がないなら早晩増田退職をした時にそういう属人的知識技術が全部失われることになるわけで、経営者としての危機意識が薄いと思う。

2017-06-23

https://anond.hatelabo.jp/20170623020434

商船の造船自体日中韓世界シェアほとんどを占めているだけど、

船に積まなければならない舶用機器は買い物になる

国内の売上ベースでは造船:舶用機器=2.5:1くらいだったと思うけど、利益率は舶用のほうがいいはず

その中の結構割合製品欧州メーカーだったりそのライセンシーになっている

認証を得られないと事実上船に積んでも航海ができず売れないので

IMOでの国際ルール決めも含めてこの分野は欧州が強い

IoTが進むと機械加工の属人的レベルでなんとかやってきている今の日本の舶用機器メーカーでは

おそらくまともに対応できずにさらにその割合は増えていくと思う

2017-05-19

大企業に勤めるべきかWeb系(メガベンチャー)に勤めるべきか

データ分析系のエンジニアとして生きていくうえで大企業に勤めるのはいことなのかどうかという問題

大企業では教育制度充実、給料良し、クビにならないなど大きなメリットはあるらしい。

でもよくネットで見かける言説は「生ぬるくて成長実感がない」というもの

それに対しWeb系は能力属人的エンジニアにおけるアップオアアウトみたいな雰囲気を感じる。

恐らく危機感だけならメガベンチャーが勝るだろう。

だが、実際大企業に優秀な奴らが多いのは事実だ。

生ぬるい雰囲気享受しつつも実はやるときにはやっている。知識もある。みたいな。

正直何がいいのかわからないよね。

2017-05-11

アニキが苦手

みんなあ!黙ってオレについてこい!

テメエらどうしようもねえ愚図のやることをオレが面倒みてやんよ

誰よりも仕事できるオレサイコー!テメエら、オレのことをアニキとして称えろよな!

って奴なんでどこにでもいるの。なんで声がそんなに大きいの。なんで権力と結びつきやすいの。

人の仕事に全て口出して裁量を奪うのどうにかしてくれんかな。

他人仕事やりがいを全部自分やりがいに変換して満足してんじゃねーよ。それやった分他人の成長の機会を奪って、仕事をどんどん属人的ものにしていってんだぞ。

自分アニキになることで対処しようかとも考えたけど、どうも向いてないんだよなあ。

まあ、アニキにも苦手なことはある。精緻さとか、根本的な効率を考えることとかね。奴の言う事は適当に受け流して、自分の得意な方面勝負しようと思う。けど、その方向の頑張りはうちの職場評価されにくいんだよなあ。

そして属人化された知識マニュアル化する作業をシコシコやってたら、案の定アニキに目をつけられててフリーライドされそうな予感。

どういう方向に動いても絶望かよ。

2017-04-14

http://anond.hatelabo.jp/20170414165217

うん、まあ、それはそれとして

そういう属人的な部分はおいといて、一般論としてどうなんだろう

というか一般的には会社に黙って同人やってるのが大多数なんだろうけどさ

2017-04-05

http://anond.hatelabo.jp/20170404154007

よくFAXを前時代的だと批判する人間がいるが、そういう人たちは

メール 属人的システム

FAX 部署共有システム

ってのをわかってない。

まりFAX,着信確認TELで本来担当以外にも即座の対応をある程度の要求できて

送信者側に有利なシステムなんだよ。

2017-02-28

http://anond.hatelabo.jp/20170228123141

借金玉は占い師的な能力があって、きわめて属人的体験を、知能や能力に大きなばらつきのあるADHD者のライフハックとして一般化して読ませることに長けているのだけど、そもそもおまえ何者なのよ?ってところで引っかかってノンフィクション文学以上のテクストとしては読めない。

2017-02-08

人為的自然死幽霊派遣会社

インターネッツで「タヒね」とか、叫んでいる人がたくさんいるけど、自然死による世代交代は穏便な解決手段です。誰かが犯罪者としてまつりあげられることもないし、血が飛び交うこともない。こころよく思っていなかった人たちも安息する。医療技術の発達前ならば致命傷だった病気から復帰する人もいるけれど、江戸時代平均寿命より長く生きる必要があるのか、じっくりと考えたほうがいいです。みんな長生きにこだわりすぎ。人生目標長生きとかくそくらえです。

さて、組織延命するための制度として、定年とか転勤とか出向とかがあるます。これは自然死人為的に発生させて、組織リフレッシュさせている。これらのことを定期的にすると前任者の不正発見することもできるし、仕事の引継ぎによって属人的仕事化を防ぐこともできる。そういうことを防ぐ知恵のはず。上の重しがなくなることで組織活性化し長続きします。

ところが、人為的自然死による新陳代謝の活発化を阻止しようしている経営者がいる。なぜ、そんな面倒なことをして人を入れ替えるのか。その理由とそのメリットがわからないのだ。わからないことは恥ずかしいし、私欲にまみれて私を脱することができていない。

とある会社の事例を読者の皆さんとシェアしたいと思う。とても有益情報なので拡散希望です。まず、適当派遣会社を作る。そこへ定年したお気にの社員を入れる。そこから本体会社へ定年した元社員を元のポジション派遣する。これで、定年制を無力にする偽装派遣会社が完成する。派遣社員なので、給与会社規定による必要はない。お手盛りにできる。派遣会社は、本当の派遣事業をする必要もないので安泰です。もしあなた就職活動中の学生であれば、この幽霊派遣システムを見つけ次第、一目散に逃げてください。なぞの幽霊派遣会社搾取されるだけです。あなたへの分け前は確実に減ります

最近東京のほうで天下り斡旋ボランティア風の団体を作っていた人が話題です。批判をかわすためには、派遣会社を作って、そこから派遣すればよかった。派遣契約ですから、勤務日数が2日/月で年間1000万円をもらっても、派遣契約ですからで終わります役員派遣顧問派遣部長派遣、とにかく派遣を使えば、いろいろとはかどる。これから天下りダミー派遣会社経由で行われるべきです。高度な判断をする人材派遣するわけですから日雇い派遣とは一線を画す。ノープロブレムです。

このダミー派遣会社はとても儲かる。その代わりに経費が少な目。がっぽり法人税を取られる可能性があるので、都心オフィスを構えて家賃利益飛ばししまうのがおすすめです。この手法世間にあまりにも広まりすぎると、派遣規制が厳しくなる諸刃の剣素人にはおすすめできない

2017-01-28

http://anond.hatelabo.jp/20170128101748

独学というがWeb系だと急にハイレベルで秘伝の社内研修があるとかいうわけでもないよ

ハイレベルが同僚にいて刺激を受けたりとか属人的な当たりはあるかもしれないけれどさ

何かしらサービス作ってみて公開してGithubやQittaあたりで顕名で構築・再現の手順フルでさらけ出してつつかれまくるのが一番手っ取り早いと思う

2016-12-18

EXCEL使いとしてこのまま沈没していく

はてブでよく見る意識高いIT系記事では、EXCELとにらめっこするだけが仕事技術力のないSEは今後淘汰されていくという話をよく見る

まさに俺のことだ。

入社して10年、EclipseもVisualStidioもロクに触っていない。

流行りのテキストエディタには触るけどやることは構築手順書の執筆だ。メモ帳でもできる。

 

日々やってる業務といえば要は代筆業。

営業が色んな客から仕事を取ってくる。仕事内容については、客によって方言がある。

あっちの客が要件定義と呼んでるやつはこっちの客は基本設計だ。そっちの客が機能テストと呼んでるやつはうちでは結合テスト単体テストの一部を指す。

こういうのをいちいち内情に合わせて翻訳し、うちのエンジニアに伝える。

エンジニアは単にアウトプットを出せばいいだけなじゃく、うちの会社品質保証チームのルールに合わせて物をつくらないといけない。そうでないと会社名前リリースできない。

そんな内向きのルールで作った物をまたそれぞれの客向けに再翻訳してリリースする。チェックの結果足りないものは俺が書く。

 

品質保チームの言ってることは間違ってはいない。

世の中はアジャイルカンバンリーンだ。彼らの提唱した業務改善に従っているお陰で、一時期のように無駄な後戻りも属人的作業もだいぶなくなった。

タスクカンバンレベルで分割したことで、エンジニアの手が足りなくなった時にも技術力のない俺が手助けできるようになった。

要は仕様書類や評価計画書を代筆したりすればいい。ここは正直認める。

ただ、アウトプットをお納めする先の客はまだまだウォーターフォールのところばかりだ。奴らは○×設計書、△□評価報告書要求する。そのギャップは誰が埋めるの?

 

はじめはエンジニアチームがみんなでやってたり管理者がやってたんだが、次第に俺に集約するようになった。

そのほうが効率がいいからだ。

そうなったきっかけは、同僚よりわずかながら俺ができなかったからだ。その時点で俺が悪かったのは認める。

ただ、分業してるうちに同僚エンジニアたちは最新の技術と開発環境でどんどんスキルを上げるのに、

俺がやってることといえば客のフォーマットに従ったWORDソースから自動生成されたクラス図を貼り付けて説明を書くとか

Redmineバグチケット数をEXCELに集計して提出書類にするとか、そんなの。何の生産性もない。

 

このままこの会社で働き続けるなら問題ないと思う。特に俺だけ負荷が高いというわけでもない。

しかしこの環境がいつまで続くのか、誰も保障はできないだろう。

もし何かあった時、同僚エンジニア達は市場価値も高く、どんな環境でもやっていけるだろう

じゃあ俺は?EXCELWORDしか使えないエンジニアでもない俺はこの会社から放り出されたら何もできない。

 

じゃあ何したらいいかっていうのも考えられない。日々仕事は積まれていくし、もう決定的な差がついた。

あとは会社が存続することを祈りながらEXCEL使いとしてこのまま沈没していくだけだ。。。

2016-11-11

珍しくよっぴー氏の主張に全面同意できない

初めに断っておくと、僕は広告業界の端っこの方で生きていて、そしてよっぴー氏の大ファンです。

http://yoppymodel.hatenablog.com/entry/2016/11/10/111014

の件について、ファンの僕にしては珍しくよっぴー氏の主張に全然合意できない、というか氏の主張に明確な誤りがある、と感じたのでまとめてみました。



【誤認その1】

広告業界エラい人たち、よっぴー氏の言葉を借りれば蹴鞠おじさん、たちにとって「ライター」が「公共の場」でつぶやいた<「ネイティブ広告ハンドブック2017」が取扱説明書レベルに読解大変で涙です>というツイートは、「もっと読みやすしろボケ」というクレームとして捉えられた可能性が高いです。よっぴー氏はその後の藤代氏とのやりとりに付記して<「素人でいい」なんて誰も一言も言ってないし、「わかりやす説明しろ」も誰も一言も言ってない。>と語ってますが、彼らにはそうとしか読み取れないのです。

なぜならばこの人達世代的にも階層広告業界における商流上位のレイヤー、あるいは研究者という意味です)的にも、「仕事上の愚痴カジュアルツイートする&万人の目に触れさせる」文化に生きていないからです。たぶん彼らは、「は?じゃ、わざわざ公然ツイートしないで日記帳にでも書いとけよ。分かりやすしろって強制したいから公開してんだろ?」と捉えていると思われます

どちらが正しいとかではなく、両者に間に横たわっているのは、おそらくデジタルデバイドしかありません。よっぴー氏はこの誤解に対して「書いてもないことを勝手解釈してケンカ売ってくんじゃねえ」と憤ってますが、一人さみしくつぶやいたならともかく、公衆の場でさらす、というアクションを経ている以上、読み手曲解にも相応の理由があると考えるべきではないかと思います。あと、蹴鞠おじさん達が「ライターともあろうものが、自分の読解力不足晒すとは何事だ」文化に生きている点もあるでしょうね。これもどちらが正しいとかではなく、文化圏が異なるとしかいいようがない。

要するに、この点においては双方に優劣も正誤もなく、互いに差異認識すべきだけ、のように思うのです。先に殴ったのはおじさんたちなので、その点は擁護しようもないのですが、殴り返しちゃったら同じじゃないですかね。


【誤認その2】

高広氏がよっぴー氏に投げかけた一連の内容を、単純な「いやらしいおっさんマウンティング」と捉えているのも事実誤認です。

なぜなら、この振る舞いは、優越感ゲーム手段ではなく、むしろ彼らの「メシのタネそのものからです」。デザイン文章といったアウトプットに対して、属人的価値付与して、単価と受注率を上げ、競合を蹴り落とす戦略的行為です。ちなみに、自分広告業界の隅っこで生きているので蹴鞠おじさんにはよく遭遇するのですが、彼らはあまりにもこの行為自然にこなすので、自分優越感を搾取相手不快を強いている自覚が、実は無いんじゃないかなと感じることがあります

もちろん、これらの行為批判されるべきではあるのですが、少なくとも「蹴鞠」ではないと思うんですよね。広告人としての生存をかけた削り合いです。蹴鞠おじさん、という語感が良さすぎるので引き続き使いますけど。

また、おじさんたちの蹴鞠的な振る舞いが広告業界ダメにした、というよっぴー氏の批判も乱暴に感じます

蹴鞠おじさんたちが、彼らなりに意識を高く持ち、マクルーハンを学んだりしながら、一定以上のクオリティアウトプットしてきたのは事実です。一方で、あまりにも参入障壁が下がり、ゴミのような広告を撒き散らし、単価を下げ、まさに悪貨が良貨を駆逐するようなネット広告の現状を鑑みるに、正直「マクルーハン読んでない奴が広告作るなよ」といった視点必要悪のようなものではとも思います参入障壁はむしろ上げるべき、というスタンス自体は悪いものではないはずで、業界全体がその方向に舵を切らないのであれば、個々の業界人としては高広氏のような振る舞いを取らざるをえないのではないかと思います

ま、とはい蹴鞠であってはやはりいけない。貴族的な内輪遊びではなく、きちんと資格化でもすべきです。マクルーハンも「ネイティヴ〜」も体系化して資格試験を設置し、ステマ優良誤認に加担した広告人から資格剥奪する、とかの方が、少なくともネット上はキレイになるかと思います



最後に。

個人としては、よっぴー氏は今、日本で最も力のあるライターだと思っています。あれだけ尖った面白さを担保しつつ、誰も傷つけずに商品価値を高めるコンテンツを作れる能力は、まさに余人をもって代えがたい。旧態然とした広告業界からは、彼のような素晴らしいライターは出てこず、僕たちは未だに蹴鞠おじさんたちのキャッキャウフフを見せられてるかもしれない。

しかしどうなんでしょう。よっぴー氏や彼に比肩するライターが何人いようとも、「障壁が下がったから参入してきたネットライター」とくくってみれば、そのクオリティはあまりにもひどい。「売れればよい」「注目を集めれば良い」「検索に強ければ良い」といった、ゴミのようなコンテンツが多すぎる。独善的はい職業的矜持を持つおじさんたちが作るものの方が、どれほどマシか知れません。

ゴミ溜めの中から燦めく才能が発掘される様は痛快であっても、撒き散らされたゴミ臭いのです。まして、ゴミを撒き散らかしている人たちが、それで食べていけてるならガマンしますけど。

2016-09-28

CSVダウンロードアップロードに替わるやり方って何か無いのだろうか

PC向けの業務アプリを作っていると、マスタメンナンスの一環として、登録データCSVアップロードダウンロード、もしくはそれらに準ずる機能要求される場合が多い。依頼者曰く、膨大なレコードを1件ずつチマチマ修正する場合に面倒なので、CSVでババーッと修正してドドーッとアップロードできれば一括反映できて簡単でお手軽で便利で定時退社で5時から男だ、という事らしい。

そんな感じで、当初はあくまで一括処理のため、みたいな感じで要求されるのだが、作った後に実際の運用を調べてみるとほぼCSVアップロードだけしか使ってません、みたいな事になりがちだったりする。別にCSVアップロード実装したところで1件ずつ登録したり修正したりする画面が無くなるワケではないし、どっちもあった方が良いのに越したことはない、というのは理解できるのだけど。

CSVアップロードダウンロードによる一括作業あるあるとしては、

ユーザCSV編集するためだけにMicrosoft Excelを準備しなければならない(場合が多い)。折角Webベース業務アプリにしようとなっているのに、Webとは別にCSV編集用のソフトウェア必要というのは本末転倒な感じがする。「大体のパソコンにはWordExcelが入ってますから」が常套句

CSVフォーマット自体バリデーションを持たないため、アップロード後、サーバ側でチマチマとバリデーションを書く必要があり、それらをアップロード時のエラーとして丁寧に表示してやる必要がある。これがすこぶるウザい。リレーションなどが絡むと余計ウザい。ユーザ修正後2度3度4度とCSVアップロードしなければならず、面倒である

データとして一括処理する前の作業が分業になっていて、CSVの行単位で分けたものを最終的にCSVとしてマージするというやり方にしたいという要求がある場合社員1名が10000行のCSVダウンロードし、それを手作業で100行ずつぐらいにしたものを、100人パートタイマー修正させる、等。そういうふうにCSVを分割してくれと言われたこともある。

CSVファイル画像ファイルアップロードして画像登録できるようにしろ、などと言われる。この場合CSVカラム画像名を記載し、同階層にその画像名の画像を配置し、それらをZIPなどで固めてアップロードするなどの方法があるが、手順からして正気の沙汰とは思えない。画像バリデーションなどもウザい。

・そんなふうにしてCSVアップロード実装すると、処理が複雑すぎるせいで、最終的に属人的業務になりがちだったりする。ZIP圧縮するときはこのアーカイバを使えとか、画像jpgだけにしろとか、こちらが特に指定しておらず本来そうしなくてもいいような部分がヘンにローカライズされて面倒なことになっていたりする。

といったものが挙げられるかと思う。

これらに対する実装面での解決策としては、

CSVの取扱をやめる。

・一括処理が必要カラム等をヒアリングし、それを可能とする画面を作る。バリデーション等も考慮

編集時には行(ないしはページ)単位ロックをかけ、複数人での編集で衝突が発生しないよう考慮する。

画像ドラッグドロップ指定できるようにする。

・一括編集バリデーションチェック⇢保存で反映、という流れだけなのでシンプル属人的にならない。

といったようなものが考えつくが、これらを提案しても「いやいやいやいやいやいやいやいや、ここはCSVで」とか言われる事が多かったりして嫌になる。なんで皆そんなにCSVが好きなんだろう。

上記以外に、何か良い代替案とかあったら、是非教えてください。

2016-08-21

SI錯覚人月意味

当然だが遅れている日程を回復させるため、今週末も出勤だった。もう4月からずっとこうなのだから「遅れている」と判断する基準の日程がおかしいと思うのだが、どうやら、責任者間では違う認識のようだ。

かれこれ13年。都内SI屋で働いている。実作業をしたり、一日エクセルファイル更新したり。いろいろやってきた。

中学生の時に初めてパソコンに触れ、ファミコンからスーパーファミコンコンピュータに興味を持ち、進学して色々学んで、興味があるしこの仕事自分に向いていると信じてきたが、最近になって錯覚だっと思い知った。

システム開発/構築の表現人月計算になって久しい。「これくらいの経験スキル知識を持った人間がこれくらいの時間作業し終える」のが基準だと理解していたのだが、真実としては「なんの知識もない、ただただ日本語理解でき、手を雨後がし続けられる人間作業をし終える時間」が人月を指す。したがって、経験スキル知識のある人間から評価される(お給料が高い)わけではない。単に使うほうから見たら「ガチャのあたり」なだけである

また、どうにもこうにも、そういう人でも作業できるようにしておかなければならない、というのが共通認識のようだ。そうでないと「属人的」だと批判される。

結局のところ、知らない人間、興味のない人間ばかりになってしまった。言いたいことはわかるが、知らない人間、興味のない人間では続かない。わかる人間はこうして、休日出勤をして、わからない人でもわかるようにしなければならない。

2016-08-12

鳥越のアホさについて

2016年現在日本では(おそらくアメリカ西欧諸国でも)、知識階級においては、基本的には知性のある人はリベラル立場をとりがちだと思われているように思う。つまり

P(リベラル|知性がある) > P(保守|知性がある)

と考えている。ここでP(A|B)とは、「BであるときAの確率」を意味する。上の式は、知性があるならリベラル立場をとる確率が高いと言っているわけだ。

これを事実だとしよう。

さて、だとすると、ベイズの定理により

P(知性がある|リベラル) ∝ P(リベラル|知性がある)P(知性がある)

P(知性がある|保守) ∝ P(保守|知性がある)P(知性がある)

が成立する。ここで、P(知性がある)が一定だとするならば、P(リベラル|知性がある) > P(保守|知性がある)より、

P(知性がある|リベラル) > P(知性がある|保守)

が成立する。すなわち、リベラル立場にいたりリベラル発言をしているならその人物は、保守立場にいるものよりも知性があるのである

したがって、保守立場にいる小池百合子よりも、リベラル立場にある鳥越俊太郎の方が知性があると言える。

・・・

ここで注意すべきなのは、このように一般ピーポーは属人的事前確率(すなわちP(知性))を考慮しない傾向が一般にある(俗に言う「主語の大きい話をする」傾向がある)ため、

P(リベラル|知性がある) > P(保守|知性がある)

がある上では、本人の資質に限らず、P(知性がある|リベラル)は、P(知性がある|保守)よりも一般に高く見積もられる傾向があるということである。実際にはP(知性がある)は、単純な周辺確率分布ではなく、本人の資質との結合確率として現れるはずである(導出略)。

まり、同じようなレベルの知性であってもリベラル発言をしていると、そのレベルの知性で保守的発言をしているよりも知的に優れていると誤って評価されるということだ。また、その評価に安住する危険性も高いだろう。

すなわち、実を言うと

P(知性がある|リベラル世間評価が高い) < P(知性がある|保守世間評価が高い)

と思われるのである(多分こう書くと、世間評価が高いから知性が高いって言えるのかなどと噛みつかれるだろうが、あくまで式表現として提示しているのである)。同じくらいの知性があると評価されているなら、保守よりもリベラル人間の方が真の知性レベルは低いのではないか

今回鳥越俊太郎の件はこの点をまざまざと明らかにし、やはり意思決定ベイズ思考を投入しなければならない必要性を強く感じさせた。鳥越俊太郎リベラル発言をしてはいものの、「鳥越俊太郎には知性がある」という事前確率は著しく低かったというべきだ。一般的評価リベラル立場のいる人間について甘めに働くため、これまで世間的に評判が良かったとしてもリベラル立場人間についてはより厳しく本人の知性を見極めなければならなかった。ということであろう。

岡田さんが敵前逃亡したというが、鳥越俊太郎のあそこまでのバカぶりを見せられた後では同情する面もあろう。上の式展開により、「基本的には知性のある人はリベラル立場をとりがちだと思われている」ような社会においては、保守である自民党よりも、リベラルである民進党の方が候補者選びに苦労することは、決して岡田さんが悪いというよりもこの社会における必然であることが数学的に確認された。

なんちゃってね)

2016-06-19

全てのRubyエンジニアはだいたい糞である

汎用系のエンジニアからRubyエンジニアとして転職して1年。

コボラー(笑)なんて言われることも多いが、この1年で出会ったRubyエンジニアは全て糞だった。

その特徴はだいたいこの3つだ。

1.テストを甘く見ている

やれテスト自動化だ、やれテスト駆動開発だの口だけ達者なエンジニアの多いこと。

そもそもブラックボックステストホワイトボックステストを分かっていない奴が多すぎ。

テストコードカバレージが100%だったとしても実際の打鍵結果でエラーは弾けることが多いのにリリースしてしまう。

そもそもテストケース表を若いうちに書く習慣が無いからだ。

ドキュメント揶揄し机上デバッグも行わない、こんな状態で「アジャイルですから」とかドヤ顔でいってしまRubyエンジニアは糞である

2.パフォーマンスを考えない

Rubyエンジニアパフォーマンスを考えない。

どのメソッドがどれくらいの負荷なのか意識せず実装を行う。

便利だから、ただそれだけの理由なのである

そもそも自分が行おうとしているソートが何ソートなのか知っているのか?計算回数を考慮した上での実装か?

便利なメソッドがたくさんあるのは知っている。

ただ、中身くらいは知っておこうよ。

eachで回してばかりだから複雑なループ対応もできない。

新人に教えたらバカにされたけど、まずフローチャート書くようにしようぜ。

3.外部ライブラリに対する絶対的根拠の無い信頼

Gemに対する絶対的な信頼感、あれなんなの?

Githubで公開されてましたんで導入しました」じゃねーよ。

結局他のGemバッティングしているじゃねーか。

得体の知れないコードをたくさん詰め込んだプログラムをよく動かせるな。

そんで都合の悪いところだけコードを読んでオーバーライドする。

影響範囲を全く調査せず、Gem絶対神話を唱える。あれなんなの?



いや、Rubyが便利なのは認めるよ。俺だってPLIとかCOBOLより書いてて楽しいよ。

インデント合わなくてコンパイルエラーとかないしな。

でもあまりにもRubyエンジニア糞すぎだろ。

エンジニアもどき量産言語だね。どれか1つでも当てはまった奴は小学校からやり直せ。

日本の将来が心配だわ。


追記

意見がたくさんもらえて喜ばしい。

文化の違いという意見もあったが、「よくわからないけどなんかうまくいく」コードだとデバッグも大変だし不具合も起きやすい。

それで納品するのはプロとしておかしい。

主語が大きい

「だいたい」とあるだろう。全てのだいたいだ。

フローチャート

ロジックを整理するツールとしては優秀。

精神論に聞こえるかもしれないが、フローチャート書いて育ったエンジニアは頭の中でロジックの組み立てと凡その演算回数が計算できるようになるよ。

カバレージが100%だったとしても実際の打鍵結果でエラーは弾ける

あー、ここは誤タイピングだわ。

自動テストカバレージ100%です、そして画面数回触ってリリースしますーっていう奴が多いってこった。

単体だけじゃなく画面使ったテストもケース表書いて網羅性を担保しないとダメだろ。

もちろん慣れて頭に入ってくれば勘所がわかるんだが、そんな属人的ものよりもケース表書くのが無難だろう。

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