2016年現在の日本では(おそらくアメリカと西欧諸国でも)、知識階級においては、基本的には知性のある人はリベラルの立場をとりがちだと思われているように思う。つまり
と考えている。ここでP(A|B)とは、「BであるときAの確率」を意味する。上の式は、知性があるならリベラルの立場をとる確率が高いと言っているわけだ。
これを事実だとしよう。
さて、だとすると、ベイズの定理により
P(知性がある|リベラル) ∝ P(リベラル|知性がある)P(知性がある)
P(知性がある|保守) ∝ P(保守|知性がある)P(知性がある)
が成立する。ここで、P(知性がある)が一定だとするならば、P(リベラル|知性がある) > P(保守|知性がある)より、
が成立する。すなわち、リベラルな立場にいたりリベラルな発言をしているならその人物は、保守の立場にいるものよりも知性があるのである。
したがって、保守の立場にいる小池百合子よりも、リベラルな立場にある鳥越俊太郎の方が知性があると言える。
ここで注意すべきなのは、このように一般ピーポーは属人的な事前確率(すなわちP(知性))を考慮しない傾向が一般にある(俗に言う「主語の大きい話をする」傾向がある)ため、
がある上では、本人の資質に限らず、P(知性がある|リベラル)は、P(知性がある|保守)よりも一般に高く見積もられる傾向があるということである。実際にはP(知性がある)は、単純な周辺確率分布ではなく、本人の資質との結合確率として現れるはずである(導出略)。
つまり、同じようなレベルの知性であってもリベラルな発言をしていると、そのレベルの知性で保守的発言をしているよりも知的に優れていると誤って評価されるということだ。また、その評価に安住する危険性も高いだろう。
すなわち、実を言うと
P(知性がある|リベラル∩世間的評価が高い) < P(知性がある|保守∩世間的評価が高い)
と思われるのである(多分こう書くと、世間的評価が高いから知性が高いって言えるのかなどと噛みつかれるだろうが、あくまで式表現として提示しているのである)。同じくらいの知性があると評価されているなら、保守よりもリベラルの人間の方が真の知性レベルは低いのではないか。
今回鳥越俊太郎の件はこの点をまざまざと明らかにし、やはり意思決定にベイズ的思考を投入しなければならない必要性を強く感じさせた。鳥越俊太郎はリベラルな発言をしてはいたものの、「鳥越俊太郎には知性がある」という事前確率は著しく低かったというべきだ。一般的評価はリベラルの立場のいる人間について甘めに働くため、これまで世間的に評判が良かったとしてもリベラルの立場の人間についてはより厳しく本人の知性を見極めなければならなかった。ということであろう。
岡田さんが敵前逃亡したというが、鳥越俊太郎のあそこまでのバカぶりを見せられた後では同情する面もあろう。上の式展開により、「基本的には知性のある人はリベラルの立場をとりがちだと思われている」ような社会においては、保守である自民党よりも、リベラルである民進党の方が候補者選びに苦労することは、決して岡田さんが悪いというよりもこの社会における必然であることが数学的に確認された。
(なんちゃってね)