はてなキーワード: 属人的とは
CTO含む
人によるとは思うけど、俺が関わった会社のプログラマの年齢の傾向から言うと全員あてはまる。
過去の栄光を引きずり過ぎ
過去にそれで納品したか、褒められたかしらないけど、遺物を自慢しすぎ
今の時代にそぐわないプロダクトや、フローを自慢気に話されても何の得にもならない
「自動化とか意味ないでしょ、ドキュメントありゃ誰でもできるよ、DBのマイグレーション?めんどくせえ、スキーマのダンプ管理しろよ」
はあ?どんだけ時代に逆行してるんですか?CTOがそれいっちゃオシマイでしょ。時代の流れ読めないの?
そう言ってるヤツのおかげでどんだけチームが苦労してきたと思ってんだよ
「PHPとか誰でもできんだから、フレームワークとかいらないでしょ、そんなの使わずにスピーディに仕事しろよ」
はあ?ひとりでやってろよ
口は達者だけど、svn や git 使えない。svn も使いたくないけど。
誰かの書いた独りよがりのコードのせいで、リリースはだいぶ辛かったりする。
それが最近は自動化や、フレームワークのおかげで、リリースの負荷は軽減されてる。それを全然鑑みないのはマジでクソ。
技術力はひと昔前のトップクラスなのかもしれない(多分そうではないと思っているが)が、マジで迷惑
属人的な要素を排除しようと、自動化やCIでヒューマンエラーを極力抑えても、俺様な一言でまたプロジェクトが壊れる
のつづき
例えば壇蜜のおっぱいには興奮するが街中の女性の胸をガン見はしないように。
「障害」一般にあるイメージを持つこと自体が実は失礼で「あの人の障害」「この人の障害」を見てそれぞれ別々の判断をするべきなんじゃないか?
「欠損女子バーは本人はいいけど障害者のイメージが……」って人はその態度自体が失礼なんじゃないか? ひとまとめにしてしまってるわけだから。
そうじゃなくて「あなたのフック義手はもうマジで魅力的で見てるだけでドキドキします」「けれど街中で見かけた障害者の方の義手をそういう目で見ないようにするし、見たとしてもそれが表に出ないようにします」とかそういうことなんじゃないか?
はてなでも主役はウェーイ系だったのか・・・ - 要件を言おうか
増田でごめんなさい。なんか思うところがあったので。
ここで言われてる「はてなのウェーイ系」と、世間一般的で言われる「ウェーイ系」ってちょっと違う気がするんだよ。だけど、その輪に入れない(入らない)人から見ると、輪の中は凄く楽しく「ウェーイ!」ってやってるように見えちゃう。その気持ちはすごくわかるんだ。
ある集団があれば、自然と多数派ができ、少数派ができる。これは属人的な問題もあるかもしれないけど、多かれ少なかれ、ある意味では自動的に出来ちゃう。集団の中にある、とある派閥に迎合出来る人と出来ない人に別れる、と言ってもいい。
その集団の、その派閥の雰囲気が楽しければ楽しいほど、その輪の中にいる人の笑い声は大きくなる。その光景を輪の外から見れば、それはもうその人にとって、その輪の中にいる奴はみんな、多かれ少なかれ「ウェーイ系」に見えちゃうわけだ。
ある集団では「ウェーイ」しなかった人も、他の集団に行ったら立派に「ウェーイ」してる、なんてのもよくある話。リアルでは「ネクラ系」でもネットの中では「ウェーイ系」、なんてのだってきっと珍しくはない。
だから、今のはてなをウェーイ系が席巻してる、というのはある意味正しくて、ある意味間違ってると思う。
どの時代の、どんな集団でも、ウェーイ系(その集団に属していることを楽しめる人たち)は存在する。そしてその人たちの存在は、その輪に入れない(入らない)人たちをも、同じように顕在化させてしまうわけだ。
これはもう光があれば影が出来る、みたいな話で、もうどうしようもない自然の摂理みたいなものだ。全員が「ウェーイ系」、あるいは全員が「非ウェーイ系」、なんてことはありえない。そんなことが可能なら、世界はとっくに平和になってる。
だからまぁ、ありきたりになってしまうけど解決策としては、あまり気にせず自分らしくいること、他人の評価に左右され過ぎないこと、くらいになるんじゃないかな。
あいつらのせいでこんなにいいブログが埋もれてる!なんてルサンチマンに囚われそうになったら、その負のエネルギーはなんか別の方向に昇華できるといい。難しいけど。
上場により、会社の持分たる株は公に取引されるようになり、会社は社会的な存在となります。つまり、会社が社会の機能の一部を担当し、誰でもその会社の持ち主になることができる存在になります。そして、会社株が有価証券として安心して市民の間で取引されうるよう、会社の事業とその運営に安定性が求められると言えると思います。
ベンチャーを創業して軌道に乗せるというのは、大変なことです。創業者だけで何とかなるものでもなく、創業時の挑戦を支える有能なメンバーの献身的な努力があればこそ、ベンチャーはその描いたビジョンを実現してそれまで存在しなかった事業を確立し、さらに会社として事業を継続していける状態になります。その意味では、創業後しばらくの間はメンバーの属人的能力に依存しますし、途中でメンバーが抜けていくことは会社のためにはマイナスであると言えるでしょう。
しかし、さらに会社が大きくなり、上場して社会的な存在となっていくためには、会社はメンバー構成が変わっても事業を継続していける体制を確立し、会社のビジョンに共鳴した新たなメンバーを会社に加えて事業を継続・成長させていけるようにすることこそが大切だと思います。もちろん、有名なところではGoogleのように、公開会社という立場になっても創業者が議決権の過半数を保有し続けて、創業者の属人的関わりを重視し続ける企業もありますが、Googleは例外の部類と言えるでしょう。
この意味で、僕は創業時を支えたメンバーが上場を機に会社を去っていくことは極めて健全であると思います。本人の立場になって考えてみても、創業時を支えるような能力や好奇心を持ったメンバーにとっては、最初の頃に色々な無茶をしながらも会社を形にしていき、自分たちのしていることがお金になって事業化していくことの興奮に比べれば、安定を第一としなければならない上場企業をじっくり成長させていくというタスクには刺激が足りないとも思えます。たとえ社内の新規事業開発に関わって行くにせよ、株主に説明可能な形を保ちながらの立ち上げというのも非常に面倒なことです。また、上場という形で自分のやってきたことが一段落し、一旦終わりとしたいという思いもあるでしょう。長い間頑張ってきて、燃え尽きたというのもあるでしょう。いずれにせよ、上場に至るまでの長い道のりを支えてきたことで、そういった方々は十分職責を全うされたと言って良いように思います。
社会全体にとっても、ある会社の創業のコアメンバーとして活躍したような人が、その能力をまた他の会社の創業に貢献するために活かしたり、違う分野での活躍の場を探し求めていくことは有効なリソースの使い方であり、望ましいことです。
究極的に言えば、創業者や創業メンバーの成功とは、会社のビジョンが受け継がれていく仕組みと体制を作り、会社自らが新陳代謝を繰り返して成長していくサイクルに乗せて、自分たちは身を引くことなのではないかと思います。自分たちの作ったものが、自分たちの手を離れて、自らの力で事業を継続し成長していくのを見守って行くのは、会社にずっと自分たちが関わり続けていくのとはまた違った喜びがあるはずです。そういうことができる創業者や創業メンバーたちには、どんどん新しい事業に関わってもらって、雇用を増やし、社会を活性化させていくことに貢献してもらうのが良いと思います。
ちゃんと戦略たててる。頭いいな。
まさに http://anond.hatelabo.jp/20150106101234 の人が書いてたコレ
10人の組織でも分かり合えない理由 それはヌシがいるから:永井千佳の音楽ブログ:ITmedia オルタナティブ・ブログ
3・怒られるより先に怒れ
逆に
こうして属人的にならないように整備され、仕事が効率化されると
その整備をした人が切られたりするんだな。
要するに「俺たちに好感を持って貰えるよう頑張りたまえ」なんです。
で、ここでの「俺たち」とは「当店文庫チーム」。
イケメンだの御曹司だのコミュ力抜群だのスポーツ万能だの、女性に引きのある要素を持っているわけでもない。
よく考えてくださいよ。
医者との合コン、高身長との合コン、好みの男性との出会いならば、女性たちはお金を払ってでも参加します。
ハイスペックな女性なら、参加無料でも「時間の無駄だから」と参加しません。
おそらく「こんな本を読んでいる女性が好き」という企画であっても、
知的なイメージの売れっ子イケメン俳優が言っていれば炎上はしていなかったと思います。
というかそういう企画記事、雑誌なんかには普通に載っています。
女性に人気の男性が、ファンの女性に向けて要求したことなら、好意的に受け入れられることが多いです。
「当店文庫チーム」が謎の上から目線で「俺たちに好感を持って貰えるよう頑張りたまえ」と言ってしまったため、
「なぜどこの馬の骨ともわからぬお前らにそんなこと要求されなきゃいけないんだ?」と腹が立つんです。
これって女性差別云々というより「当店文庫チーム」の上から目線に根拠がないことに問題があるんです。
話題それるけど、日俳連のランク制ってのが、よくわからない。いや仕組みはわかるんだけど、なんでそれを導入したのかってことが。
仕事の内容なんて様々なんだから、最低限だけ決めといて、あとは都度交渉であるべきなんじゃないかな。少なくとも報酬が仕事毎に決まるのではなく属人的に決まるってのは奇妙に感じる。
米国俳優組合の場合、契約形態ごとに最低限の待遇だけ決まってて、あとは交渉次第。超有名俳優でも是非やりたいという仕事ならミニマムの報酬でサインしたって構わない。
「ランクが上がって仕事が減った」なんていう事態が生じるのもランク制のせいでしょう。まあランクは申告制だから低いところに留まりたければそうできるのかな。
ネットを見て、普段接することのないような低学歴な方々と議論する機会もあり考えることがあるのですがそもそも彼らは「考え方」がなっていないんじゃないかと。
人と議論をする時、意見を戦わすのではなく属人的な部分を叩いて優越感を得ようとする。
論理的じゃなくて感情的なんですよね。でも、ここを批判してもそもそも理解していないから聞く耳すら持たない。
あと、自分が社会的に下の立場にあることから上の人達に一種の恐怖を抱いており、陰謀論をよく唱えます。
これは天井をみたことが無いことに起因する恐怖なんでしょうが、たとえば高学歴、エリートなどを自分の頭の中で消化・ラベリングし適当なことを述べ見下そうと必死です。
彼らの意見は物事の本質を見ているのではなく、保身であり目的は普段得ることのできない優越です。
こういう彼らには「考え方」や「議論の仕方」などという大人として当たり前のものを身につけてもらう必要がありますが、自分が受けてきた教育を見てもそのようなものは一切ありませんでした。
最近、ネットでバカな人たちと議論をする機会があった。最近のろくでなし子然り、ちょっと前のSTAP騒動然り。
みたいなことを言っている人がいて、その人に対して批判している人達があった。「そんなお前が出なおして来い」だのそんな感じなのだが、それに関する彼女の返事は
といった内容であり、本当にバカだなあと思った。
STAP細胞の時に私は小保方氏擁護の人を煽って論議していたのだが、その時にも相手は論理が行き詰まってくると必ずこちらの属人的な内容に口を出し、頑張って見下そうとしていた。
いやー大変な人たちがいるもんだ。
「議論は意見を戦わせるのであって、個人攻撃は姑息で負けを認めたも同然」といった認識が世間一般の大衆にも広がれば良いのだが。
我が社は社員60名。うち、幹部と呼ばれる人々は6名ほど。
その大半が社運を賭けたプロジェクト、というよりは
社運なんか賭けるつもりはなかったけど結果的に社運と社長の命がかかってしまった
プロジェクトで野戦昇進した人間たちである。それ以前の創業期の幹部は社長以外誰も残らなかったそうだ。
つまり我が社は何度か、社員の過半数が辞職する事態から立ち直って来ている。
故に幹部連中は、即断即決を尊びただひたすらに気が荒い。
怒鳴る、叫ぶ、ぶっ壊すは日常茶飯事であり、会議はと言えば凄惨の一言に尽きる。
議事録に「そいつをクビしろ」「もう二度と来なくて良い」「死ね」が残る始末だ。
では、儲かっていないか?と言えばそれはノーで、我が社の給与は高い。
幹部連中は驚くほどの給与を貰っているし、私の給与も安くはない。
そして、幹部連中はただひたすらに怒鳴りあっているように見せて、きちんと利益は出している。
つまり、これは一種の企業カルチャーであり、彼らの中でこれは正義なのだ。
実際、会議でこいつらいずれ殺しあうのではないか?と思うほど罵りあった後で、
プロジェクトが一服すると幹部たちは連れ立って遊びに行く。海外が多い。
仲が悪いわけではないのだ。彼らは野戦で育った故に、それ以外の文化を知らないのだ。
この野戦カルチャーを適切な企業文化に切り替え、人材の兌換を可能とし流動化を図れとの指示だ。
無論、幹部たちも理解はしているが納得はしていない。なぜなら、彼らは怒鳴る叫ぶぶっ壊すのコミュニケーションが大好きなのだ。
これまでずっとそうやって来たから、他のやり方があるということにもピンと来ないし
また他のやり方が必要だとも思っていない。実際、彼らは少数精鋭でやりたいし新人なんて必要だとは思っていない。
しかし、社長は事業を拡大したいし安定企業にして上場ゴールにたどり着きたい。
ゆえに、とりあえずは新規採用者の定着率を上げて欲しいということである。
これまでに入社した新人の過半数は、野戦将校たちにすり潰されて退職していったそうだ。当たり前だ。
そこで私の登場なわけだが。正直、こんなのどうしろと言うんだ感満点である。
何よりまずいのは、この会社のカルチャーを変化させることが利益を上げる上で正しいかどうか私には確信が持てない。
頑張るしかないんだろう。頑張れるとこまで…。
個人的には、段階的にこの野戦将校達には会社を去ってもらう他ないだろうと思うが
それは利益の源泉を失うことを意味する。属人的能力をメソッド化して共有していくしかない。
利益を生み出すシステムが個人の能力の依存しすぎているため、そんなことが出来るのかと言われれば
頑張るとしか答えられない。
http://diamond.jp/articles/-/53748
記事は「みんなこの改革を理解してないで的外れに反対している」ってことなんだが、この改革や記事の人がまったく理解していない(あるいは意図的に無視している)ことがあって、それは「大半の人は生産性が低い」ってことだ。というか「生産性ってのは属人的だ」って話でもある。
外資も含めていろんな企業で働いたし見てきたけれど、ある仕事を遂行するにあたって、どのくらい仕事できるか、利益に貢献できるかってのは、非常に属人性が高い。いわゆる「仕事できるやつ」ってのは、本当に掛け値なしにできる。同僚の20倍できるやつってのは事実存在する。それは一握りだとしても、10人程度の部署であっても3倍4倍の生産性の違いがあるのはザラだ。それは経験がどうとか年齢がどうとか入社時期がどうだとかじゃなく、もう本当に属人としか言いようがない。人によるのだ。
それでも日本的な企業ってのは、おおよそ給料は横並びだ。できるやつは多少給料に色がついてるだけで、間違っても20倍ももらえない。せいぜい出世が早くなる程度だろう。それすらも企業の規模によってはない場合も多い。現場のエースを管理職に回したら現場が回らない、程度の理由でだ。
生産性が低い労働者ってのが、属人として生産性が低いわけだが、それでも会社に貢献できる(とされている)ことがあり、それが残業なのだ。日本の少なくない企業で、残業というのは業務を終わらせるためのものではなく、「わたしは会社に対して忠誠心高い社員です」というメッセージを、労働者が周囲に示すために行われている事実ってのが現実じゃなかろうか。続くメッセージは「わたしが、給与に対して割り当てられた該当業務において売上ノルマの売上を確保できなくても、給与はちゃんと下さい。なんといってもわたしはこんなにも忠誠心が高いのですから」ということであり、これが「日本の労働は生産性が低い」の光景だ。
「日本の労働文化は国際的に見て生産性が低い」「だから生産性の高い人に対しては報酬で報いるべきである」ってのは正しい。正論だ。でもこの話の本質ってのは「忠誠心とかなんとか奇妙な踏み絵じみたアピをする無能な奴は全部アレしちゃおうぜ」って話なのだ。アレってのはもちろんクビを切るなんて云う安易な話ではなくて、無理やり生産性を上げるってことだ。そのために(スパルタンに)管理するという話でもある。そしてそれはムチとして「残業代カット」を含むだろう。だって同じ給与のエースは、残業をつかわなくても2倍のノルマをこなしているのだから、同一成果同一賃金の法則に照らせば、生産性が低い労働者に対して残業代を払うのは不公平だ。
おそらく圧倒的多数の国民は無意識にせよこれに気がついている。
「労働時間の規制改革」に反対しているのは、べつに「本質が理解できてないから」ではなく「自分がいままで寄生していた」自覚があるからだ。「仕事ができなくても、上司の嫌味を聞きながしながら長時間デスクに座ってればお給料がもらえる既得権益」を守りたいだけなんだ。だからこれは戦略的に見て極めて正しい反対である。
もちろんそんなことをしてれば会社も国も傾くけどな。
ようするにスパイ技術者ってのはいるだろうが、そいつが持っていけるのは今現在の技術まで。
他方、オリジナル技術者は、自分が発明した技術なんだから、さらなる技術革新を見込める。
つまり スパイし続けるためには、引き抜き続けなければいけないから、案外コスト高。
自分で発明していない技術をもって転職する技術者を採用すれば、そりゃまぁ行き着く先は低価格路線だわなぁ。
だからこそ、GoogleやAppleなどの先端的な会社は盗まれるよりも早く技術を革新するという意味でイノベーションを重要視しているし
さっさとブームを変更してくるわけ。あれって、スパイ対策の意味もあるんだよね。
「宝くじを買うやつは情弱」と揶揄する人たちを見るたびに「野暮だなあ」と思う以上にモヤモヤとする嫌悪感のようなものがあった。
宝くじの期待値が~とかテラ銭が~という人は、投資としての宝くじに関して合理性がないと論ずるのだけれど、消費としての宝くじについては無視していることが多い。
宝くじに限らずギャンブルの回収率が1を超えない以上、それらを投資の側面だけから見て断じてしまうのはナンセンスに思う。
ギャンブルは参加すること自体が楽しいものだ。(もちろん人によるが。)投資に対する確実なリターンだけを期待するならギャンブルなんてしないだろう。たぶん。
ギャンブルを語るときには、投資性でなく消費性を主として語らなければ見誤ることがあるように思われる。
宝くじを買うかどうかは、消費としての宝くじに魅力を感じるかどうかに大きく左右される、と僕は思う。
消費としての魅力は、投資としての魅力よりもさらに属人的で、個人の性格による部分が大きい。
「宝くじに何万も使う奴の気がしれない」は「ソシャゲに何万も課金する奴の気がしれない」とか「車に何万もつぎ込む奴の気がしれない」
と言ったことと同列のことで、その違いは単なる嗜好の違いでしかない。
それを「宝くじを買うやつは情弱」派は単に自分が宝くじの消費に魅力を感じないというだけのことを、投資として合理性がないという理由づけをもって、
「宝くじを買わない自分=論理的」で「宝くじを買うやつ=非論理的」だ、という拡大解釈をして安易に見下しているのが嫌な感じのする原因なのかなと思った次第。
あなたも少しは落ち着いた方がいい。
どんなに「合理的な説明内容」であっても、目を三角にして口をとがらせて「黙って人の話を聞けこの低脳」と言わんばかりの調子でまくし立てられたら、大抵の人はウンザリする。しかも、その論拠となるデータを出してる組織(つまりこの場合は東電及び「公的機関」だが)にしてからが、言うことが立て続けにころころ変わり、毎日のようにダダ漏れしてることが「分かった」というニュースが流れる状況にあって、「完全にコントロールされています」と世界に向かって断言する人間がTOPを務めるようでは、それらのデータを信頼できない人が一定数いるのも当然のことだ。
「疑う奴らは、愚かだから疑うのだ」というような、属人的な物の考え方は不毛だよ。
「どうして、疑う人間がこんなにも減らないのか」というように、現状を生んでいる制度や仕組みを問いの対象とする方が、おそらく問題の本質には近づけるはず。
あなたが「合理的」に物を考えられるというなら、「世の中にバカが多いから俺が不幸なのだ」というような同語反復(トートロジー)的な世界認識がいかに非合理的なものか、多分、少し落ち着いて考えれば理解されることと思う。
(自分勝手な理由で)殺人をおかした人や性犯罪をおかした人などに対して、「クズ」や「こういうやつは死ぬべき」と言った敵意を向ける人たちが私は怖い。決して「犯罪を批判するな」というわけではないが、そこに向けられた属人的な敵意が怖い。
このエントリを書こうと思った直接のきっかけは、ホットエントリにあがっていた以下の記事に対するいくつかのブコメだが、これは常日頃から思っていたことだ。
私がなぜそういった敵意を持った人たちを恐れているかと言えば、私と彼ら犯罪者の間に決定的な違いなどない、と考えているからだ。たとえば誰かを疎ましく思い排除したいと思ったことや、外で見かけた女性に対して欲情してしまうことは私もある。
それをもとに行為に及ばないのは、刑法などの現実的なリスクがあるのと、私の中にもいわゆる「良心」のようなものなのがあるからなのだと思う。しかしこの「良心」のようなものを私が身につけているのは、それが「正しいから」なんかではなく、ただただ環境による「偶然」だと思っている。おそらく環境が違えば、このような「良心」を私が持つことはなかっただろう。
ちょっとだけ境遇が違えば私も誰かを殺したり、誰かをレイプしたりすることがあったのかもしれない。あるいは今からでも、なんらかのきっかけでそれらが崩れ、そういった行為に及ぶことは十分にありうるだろう、と思っている。
だから私はそれが怖い。
上場していない中小企業(500人以下)で、ちょっと落ち込み出している業界に属している弊社。
人材の流動性が比較的高い業界の為、優秀な人などはチャンスを見つけてあっという間に去って行く。
優秀な人がいないと売上はさらに下がる。
売上が下がると、優秀な人に発破が掛かってそれについていけない人や不満がある人はさらに退職していく。
仮に退職していなくても、優秀な人は忙しくなるから後継者の育成になかなか手が回らない。
結局、優秀な人だけがスターとなり若手や次点の人はその影に身を潜める。
若手は俗にいうやりがい搾取の状況に陥っている。
やりがいのある仕事だと信じて仕事をしている。夜も休日もする。
でも給料には反映されない。
運が良ければ賞与査定に反映される程度(それすら無い場合の方が多い)
だから辞める。
ぶっちゃけ給料同じでもっと良い会社だって、仕事の忙しさは同じくらいだけど給料が良い会社だって山ほどある。
だから辞める。
優秀・年齢高め・・・辞めるor売れているが忙しいため後継者育成できず属人的になる
非優秀・年齢高め・・・辞めない。売れないし後継者育成まで気が回らない一匹狼化
優秀・若手・・・辞めるor優秀なので仕事が降ってくる人もいる
一部の優秀もしくは運良く育成された人だけが生き延びる状態。
この状態は不安以外の何者でもない。
日常生活にたとえるなら、猛毒性のインフルエンザにかかったらもとから身体が強い人と運がいい人以外生き延びない。
若干の死者(会社で言うと退職者)が出ても、ワクチン使って多くの人が助かる状態では無い。
こんな状態。
俺の場合は基本的に1人なら、どの仕事でも部下の仕事なら俺が代わりに入れるから問題ない。つかそのために上司である俺が居る。
そうじゃない人間なら何がしかのバックアップ体制をとらないのは、それはそれでもんだい。事故だって怪我だってあるんだから。
プログラマー仕事だから属人的なのはしかたがないけど、事故が起きない前提で物事設計してるのはそれはそれでおかしいだろ。
個人情報流出でよくきいたらセキュリティー引いてないとかと同じで、事故が起きてから事故について考えるのは基本的にはダメ。
しかたがない、情状酌量というのはあってしかるべきだけど。それで当たり前ではない。
いや、いた。だな。もう嫌になったから部下は持たない。すまん。