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はてなキーワード: ソ映画とは

2016-04-10

映画秘宝ランキング投票者で『進撃の巨人』をdisったやつを調べてみた。

はてなブックマーク - 今の日本映画にもの申す…「レベルが本当に低い!」 英映画配給会社代表が苦言 (産経新聞) - Yahoo!ニュース

yingze 映画評論界隈は分からんけど、ネットで有名になった前田有一春日太一以外の評論家は、新劇巨人をどういう評価したのだろう。興味ある。

俺も気になったから調べてみた。


知らない人のために言っておくと『映画秘宝』は、『進撃の巨人』の脚本担当した町山智浩氏が立ち上げた映画雑誌です。つまり、「身内」の雑誌。今も原稿書いてます。そのため、『映画雑誌』のライター寄稿者はみな『進撃の巨人』に対して、難しい政治的判断を求められたわけです。

で、その結果をまとめてみた。ちなみに編集も巻末でその年のベストを発表してるけど、ワーストは出さない慣例。



参考資料:『映画秘宝 2016年3月号』「2015年度HIHOはくさいアワード」(知らない人のためにざっくりいうと、映画秘宝主催するゴールデンラズベリー賞みたいなもの


総合ランキング

1. 『進撃の巨人 前編』

2. 『ターミネータージェネシス

3. 『ギャラクシー街道

4. 『進撃の巨人 後編』

5. 『アベンジャーズエイジ・オブ・ウルトロン


以下、『進撃の巨人』に投票した人間コメントの主旨(not 抜粋)。


會川昇アニメ脚本家小説家)「『大人向け怪獣映画』を作ろうと考えることが子供じみていて、それを乗り越えて『本物』を作ることができるのはほんの一握り」

大場しょう太(宣伝プロデューサー映画祭ディレクター)「今更自分が呈すべき苦言は何もない」

岡本敦史(秘宝編集部所属ライター)「みんな『でも食人描写はいい』と擁護するけど、それすらどこがいいのかわからない」

尾崎一男映画評論家)「前後編を一本とみなすとさほど悪くないけれど、前編を一本の映画として見た場合そうとう酷いでき。後編冒頭のダイジェストのほうがまだよく出来てる」

小野寺生哉(カナザワ映画祭ディレクター)「特撮は良かったけど、脚本ドラマ部分がヒドすぎる。本作を巡る場外乱闘も醜かった(おそらく春日太一twitter のこと)」

餓鬼だらく(ライター)「ドラマ部分が不自然

キシオカタカシ「『マトリックス レボリューションズ』の再来」

北原香(秘宝編集部)「一番期待値との落差が酷かった映画

佐々木浩久映画監督プロデューサー)「芝居を軽視しすぎ。こういうのを面白く撮れないと日本映画ダメになる」

ジャックハンター吉田(元プロレスラーコラムニスト)「関係者には申し訳ないが、ピンとくるものがなかった。前後スタイル日本映画界の病巣」

中野貴雄脚本家)「人喰い巨人秘密なんて別に知りたくもない」

長野辰次(ライター)「マンガ実写化功罪について考えさせられた」

五郎・あれは七年殺しだろう平山平山夢明)「すべてに薄味。つくり手にキチガイが一人しかいなかったのが敗因」

藤原カクセイ(特殊メイクデザイナー)「お話も演技もなんら驚きがない」

プッチー・ミンミン(ライター)「前編は楽しめたのだが」

まぐれものマンガ編集者)「前編は尖っていたが、後編は『型にはめられたくない』という型にハマってしまっていた」

三留まゆみ映画評論家)「なんだかんだ言って好き」

モリタタダシ(ライター)「期待を膨らませて見に行ったものの、時間と金を浪費した感覚だけをお持ち帰り」

山田誠二(プロデューサーコミック脚本家)「キャラと結末の変更がファンにはちょっと受け入れがたかったよね」


番外編:

ダイノジ大谷お笑い芸人)「感想を求められそうな状況がめんどくさくて観られなかった」

すぎむらしんいち漫画家)「マッドマックス特赦によって今年のクソ映画はみんな無罪」(どうでもいいが、特赦になったからといって無罪にはならない)

髙橋ヨシキ(映画秘宝アートディレクター)「何かというとヴあああああと叫んでばかりの邦画全部。」(票にはなってないが、当然『進撃の巨人』も含まれる)

樋口毅宏小説家)「『プレイボーイ』の映画評で毎月レビューしてると『日本映画は才能のない連中の巣窟か?』と思うことしばし」(『進撃の巨人』をレビューたかどうかは不明



結論:わりとみんなdisってた。

2016-03-22

あなたが実写進撃の巨人を見て悪口を言うべき3つの理由

1.私に新しいシキシマ成分を与えるため

以上です。

3つもあるはずがない。

とりあえず前編の本編時間の90分とレンタル代の500円を無駄にする代わりに10分くらい無駄にしてこのエントリを読んでくれ。

最初にシキシマ説明だけしておくと、シキシマとは実写進撃の巨人に登場するオリジナルキャラクターであり、大体はリヴァイ立ち位置であるが、どうやらエレンの兄(伏線はあるが説明はない)で最後自分のオンナにしたはずだったのに結局初恋の男であるエレンに奪い返されてしまったミカサに「あなたの壁は?」とくそぺらっぺらな言葉を投げかけられることによりラスボス無理心中を図ったもっさりヘアにダサいヒゲを生やした埃っぽい長谷川博己のことです。

去る2015年9月1日、見えてる地雷でお馴染みの実写映画進撃の巨人(前編)」を私はわざわざ一人で見に行った。

そして、開始10分で「クソ映画だとわかっていながらファーストデーの映画料金である1100円と上映時間の90分をわざと無駄にした」ことで神の怒りを買い、その罰として拷問を受けていることを理解した。

なんとこの映画、「文明の廃れた地球っぽいとこで壁に囲まれ暮らしているバイトの続かないどう見ても20代半ばの三浦春馬不発弾の上で飛び跳ねながら『俺が活躍する場所はここじゃねえ。東京ヒップホップで食ってく』旨の発言をしているのを水原希子が惚れてる目で見てる」という絵に描いたような大学生恋物語を見せられるところから始まる。

開始10分ですでにクソ映画。求めてたものとまったく違うじゃないか。

確実にこの先80分クソ映画を見せられるという気付きをどうしたって得るでしょこれ。

ああ、無念、私は拷問を受けることになったのだ。

私、クソ映画を見せられここに眠る

そもそもにして私は進撃の巨人に触れたことがほとんどない。

なぜ見に行ったのかというと、進撃の巨人原作が好きな友達映画を見た上で「メディアミックスにおいてストーリー面のみで批判されるのは納得がいかない」と言っており、「じゃあ原作ストーリーを知らない人間(私)が見れば原作とは関係なしに映画として面白いのではないだろうか?」という気持ちが起こったかである

とりあえず先に結論から言うと、めっちゃソ映画なんで「大切な家族人質に取られその解放条件としてこの映画を見せられている」くらいの気持ちで見ないと死にます絶対です。純粋面白さに対する期待はすべてその手で殺してください。よろしくお願いします。

話を続けます

かくして、1100円に対する貧乏性と事前になんとなくこの事態予測していたために逃げられないように自分に課した「その直後に上映されるジュラシックワールド映画の席を取ることにより今出て行ったらどうにか時間を潰さなければもう1100円を無駄にする」という枷と罰だというなら受けるしかないという決意のために、私はその後80分の拷問を受け入れることにしたのだった。

その後、

「『壁外に巨人なんていないことを証明してやるぜ』と自分に惚れてる女にいいところを見せるためというアホなヤンキー青春映画文法により水原希子とオマケの本郷奏多を連れて壁の近くに行く三浦春馬

すると壁を守ってる兵隊に見つかって捕まりそうになったので反撃するアホなヤンキー青春映画文法そのままの三浦春馬

兵隊のお偉いさんであるピエール滝が知り合いだったというアホなヤンキー青春映画文法で助かる三浦春馬

そしたら壁よりめっちゃおっきい巨人が現れてドーンって爪先蹴りで壁が破壊されて3メートルくらいの穴が開いたのでそこから量産型どう見ても人間が演じている設定上知能のないはずなのに人間っぽい動きしかしない巨人』がいっぱい入ってきて人間を食い散らかす」流れを

監督による『俺が考えた最強にかっこいい巨人による殺戮グロシーン』というぺらっぺらの演出で見せられる拷問を受け、

神様に「違うんです。無駄にするつもりはなかったんです。面白いかもって思ったんです。本当です」と何度も心の中で謝罪をする。

この映画原作ストーリーがかけ離れているうんぬんはとりあえず置いておいて(私が原作ストーリー知らないし)、

脚本が下手、演出が下手、映画としてすべてが不完全で、

予算以外すべて『映画を撮ったことがないくせに自分のおつむの中でだけ一流だと思い込んでる高校生レベルで本当につらい。

んで、「水原希子巨人に食われて死んで(当然死んでない)、守れなかった女の仇を取るためにもう一つ壁の内側で兵隊になるというアホなヤンキー青春映画文法を辿る三浦春馬本郷奏多、あといっぱい」が出てくる。

作中ではさくっと2年が経ち、ようやくヒップホップ信者三浦春馬がきちんとした目的意識を持って動き始めたかと思いきや、

素人の寄せ集め兵隊集団の同じ班である無意味好戦的三浦貴大煽り合いで喧嘩をする」という統制の取れてなさを猛烈アピール

このことにより、アホなヤンキー青春映画文法永遠に終わらない気配を見せつけられ、絶望がより明確に。

この辺りで大きな声で「乳首」とか「性器」とか「こんなの初めて」とか言ってくれる石原さとみが現れてほんの少しの救済が図られるが、焼け石に水とはまさにこのこと。

巨人から一番外の壁を奪取するために内側の壁から出た三浦春馬たち

(この辺りでモブキャラ巨人つえー演出のための使い捨てとして登場するがほとんど全員が無能なのでサンナギくんという作中唯一の良心だけ覚えておいてくれると私が喜ぶ)

(この際食料がない設定なのにサンナギくんがデブとか非常に些細な問題

が当然のように兵隊とは思えないクソみたいな働きにより巨人殺戮されまくる」辺りで場面転換。

突如、「よくわからない地下のような空間(今後もう一度出てくるが説明はない)で全身を逆光で陰を作り、めちゃくちゃ日本人体系のおっさんがめちゃくちゃもた…もた…と装備を確認する」シーンが挿入される。

監督の『俺が考えた最強にかっこいい最強の男の映画内登場シーン』という意図は察せられるものの、

どう見てもダサい

めっちゃダサい

まじでダサい

「地上で三浦春馬たちが死にそうなのにのんびりと自分かっこいいアピールをする日本人体系のおっさん」という演出の下手さにより生み出されたスベリ要員。

それが、シキシマである

もうね。光明光明。わかる?わかるよね?当然わかるよね?私は神によって天罰を受けていて、その天罰がまだ半分もあるのかと絶望を味わってた時にね、現れたわけよ救世主が。私を拷問から救ってくれる男が。もうね。するよね入信。するよね信仰。当然だよね。この男により私の1100円と90分が救われるんだって思ったらね。感謝するよね。当然ね。

まり、その瞬間、シキシマは私の神になった。私が無駄にした1100円と90分を救ってくれた神に。

カルトに入信させる時、相手を極限状態に追い込んで判断能力を鈍らせるって手法があるって聞いたことがあるんだけど、まさにそれだったってわけ。

ついでに本当に監督演出下手なので、たぶん監督の中でキムタク役であろうシキシマの初セリフ巨人を倒した後の

「たまにはいい女の巨人に会いたいねえ」なんだけど、

スルーされた上に大して誰にも称賛されず、さらにその後続いて出てきた巨人を前にその場にいたモブキャラたちに今しがたの功績を完全に無視されて「もう終わりだあ」とか言われます

最高。

キムタク役のもっさり髪型おっさん最高。

スベリ要員確定。

その後「シキシマ三浦春馬を見初めてさっきの地下空間に連れていき、婚活パーティーよろしく三浦春馬にかっこいい俺を猛烈アピール

シキシマ巨人を倒せてなおかつ死んだはずの水原希子を連れていただけでなく巨人を倒せるほどに成長させていたために三浦春馬は猛烈に心酔」し、

こうして私は三浦春馬と一緒にシキシマ教徒になったのであった。めでたい。

それからリンゴ大好きシキシマくんによるリンゴ食べさせタイム」を経て、

まあその後はわりとどうでもいいんだけど

三浦春馬と既成事実作ろうとしたシングルマザーホラー映画のえろいことした奴から死ぬ法則に基づき巨人に食われて死に、

ついでにそこで先にセックスしてたいちゃつき方が電車内のうざいカップルであるモブ二人もその法則に則って死に、

他にもいっぱいモブが死に、

三浦春馬ビルの上で巨人が出てきてるのに自分は一切戦わずに指示してくるシキシマに従ってなんとか巨人を倒すものの多勢に無勢で死にかけたところ巨人覚醒して暴れて残りの巨人をぶち殺す」

というのが大体の前編のストーリー

ソ映画、ああクソ映画、クソ映画

でもクソ映画しか私の教組であるシキシマが出てないんだから、みんなにシキシマ認知してもらうにはこのクソ映画を見てもらうしかなくない!?

しか今日ついさっき後編のブルーレイが届いてそこに豪華版だからついてる絵コンテ集を読んでしまえば私は新しいシキシマ成分を得ることができなくなるんだよ!?だったらこの世のありとあらゆる人間にシキシマ認知してもらうために映画を見てもらって、まあうんもう称賛されないことは理解してるから称賛しろなんて贅沢は言わないので批判でもコキおろしでも何でもいいから私に新しいシキシマを見せてよ!あなたの目から見たシキシマは私にとって新しいシキシマからそれを感じさせてよ!お願い!

って思ってこのエントリを書きました。

ついでに前編を凌ぐクソ映画の後編では

「国のお偉いである国村隼が芋女が落とした芋をわざとらしく踏んで悪役アピールをしたのでミスリードかと思ったらまじで悪役でなおかつ最初に壁壊した巨人ラスボス」で、

「その国村隼にレジスタンス扱いされてたシキシマミスリードかと思ったらまじでレジスタンスで実は巨人になれ」たり、

私がシキシマ教徒の先輩だと思ってた「水原希子全然シキシマのこと好きじゃない」のに

そんな「水原希子三浦春馬に敗れたシキシマがぺらっぺらの言葉をかけられて国村隼に最初不発弾を抱えて突っ込んで無理心中」をしたり、

無意味に「三浦貴大が死んだ」り、

カップリング厨の監督による先の電車カップルと同レベルのアルサシャのいちゃいちゃを見せられたりするけど、

後編のシキシマははっきり言ってただのDV男なので見なくて大丈夫です。

とりあえず前編を見てくれ。

そして時間と金無駄にした本気のヘイトを見せてくれ。頼んだぞ。

何でもいいからシキシマ認知した人によるシキシマへの感想が見たいんです。よろしくお願いします。

2016-03-21

http://anond.hatelabo.jp/20160321033629

大体そういう感じの批判が多いよね。

「良い映画」の呈示がなくて、「クソ映画」って言われるの。

2016-03-05

中学の頃友達と見た映画

中学生の時に女友達4人くらいで映画を観に行った。

ちゃんと調べないで映画館に行ったら観たかった映画はその日の上映を終えており、よく知らない映画2本のどちらかを観るしかなかった。

それで『オースティンパワーズ』を観ることになった。ポスターから面白いコメディ映画だと判断した結果だ。

オースティンパワーズ』をご存知だろうか。とんでもなく下劣下ネタを延々並べるだけのクソ映画だった。あれは辛かった。

帰りは皆言葉少なに解散した。残念な思い出である

2015-12-17

http://anond.hatelabo.jp/20151217163633

そうしたキモオタ妄想話を真面目に受け取ったバカ痴漢冤罪テーマのクソ映画なんか作るから悪いんだよ。発禁にすべきだろあんデマ映画

2015-12-04

http://anond.hatelabo.jp/20151204204441

クソな洋画増田が見てない

映画館上映されずDVDのみ発売はまだマシ

翻訳されないクソ映画が来てないだけ

2015-09-15

2chまとめにまとまるような作品ばかりのオススメ映画まとめに価値はない!

いまさらトリアーとかハネケとか教えてもらわなくても情強はてなユーザー様はご存知なんだよっ!!

お前たちが求めているのはもっと最悪になれる、もっと最悪な映画だっ!

ということで俺が「後味最悪のオススメ映画ベスト10」をお前らに教えてやるッ!

三行でなっ!

10位!『ウォーム・ボディーズ

 表層は青春ピュアラブストーリー meets ゾンビ映画だ!

 しかし、見てくれに騙されるな!!!

 ラストシーンに込められた「おれたち」への悪意を読み取ったとき! この映画は最悪の後味に変わる!!!

9位!『灼熱の魂』!

 (明示はされないが)レバノンあたりの混乱を背景に綴られる亡き母の悲劇の個人史!

 必死に生き抜こうとした女性の前にある日つきつけられる残酷で俗悪な真実を前に震えろ!!

 西野カナみたいに!! 西野カナみたいに!!!

 イヤ映画帝王ドゥニ・ヴィルヌーヴだと『プリズナーズ』も最高に後味がというかむしろ咀嚼してる最中から最悪でいっそ気持ちいいぞ!!!

8位!『ナイトクローラー』!

 なんとただいま絶賛公開中! まだ見てない不届きものは今すぐ観ろ! 金券屋でチケット買ってでも観ろ!!

 爬虫類じみたヤバイ目つきの底辺サイコパスが圧倒的成長(笑)を遂げて社会的成功する物語、といえば聞こえはいいかもしれんが、実際のところはヤバイやつがヤバイ手法のし上がっていくピカレスクロマンだ。

 一切共感を呼ばない人格主人公が次々と成功を手に入れていく様は『ウルフオブウォールストリート』と並んで「でも今エスタブリッシュメント以外で金持ってるやつらって、ほどよくこういう感じだよな……」というよくわからない諦念を催させて最高に厭な気分になるぞ!!!


7位!『祇園の姉妹』!

 きたあああああ!!! 日本からは厭な映画帝王(二人目)にして、世界に冠たる巨匠溝口健二エントリーだ!

 おっとりした姉とイマドキで要領のいい妹、ふたり芸妓はんがそれぞれに自分たち幸せ希求するんだけど……というお話

 ラストの妹(当時十九歳の山田五十鈴のしぼりだすような怨嗟は、昭和一年から戦争をぶちぬいて現在まで届く、重い重い叫びだ。

6位!『人間の條件六部作!!

 六部作計9時間30分の大河映画! その9時間30分のあいだただひたすら主人公が、善きことをなそうとして裏目裏目に出まくるというイヤ展が続いていくぞ!

 厭な気分にひたりたいときにはとにかくこの映画だ! どのシーンを切っても最悪な気分になれること請け合い

 もちろん、無常感溢れるラストあなたに最悪の後味を約束するぞ!!!

5位!『STAND BY ME ドラえもん!!!

 みんな大好きドラえもん3Dバージョンだ!!

原作の感動話を忠実に繋げたら、のび太が惚れるに値しない最低のクズ野郎になりました!」とF先生原作から感動を否定しにかかるまさかの展開。ドラえもんで育った一億二千万日本国民の皆様は「おれたちは今までこんなクズ野郎冒険ドラマに涙していたのか……」と厭な意味で泣けてくるぞ!

 これこそが21世紀の「ドラ泣き」だっ!

4位! 『カティンの森!!!

 厭な事件ファンのみんな! もちろん「カティンの森事件は知ってるよね??? 知らなきゃググろう!

 要約すると、ある日とつぜん隣国侵略され捕虜と鳴った弱小国軍人たちが、森のなかで食肉のごとく「「「処理」」」」された凄惨虐殺事件だ!

 その事実を踏まえたうえで!どういうラストシーンになるか予想してほしい!予想しまたか???

 どのくらい厭な気持ちになりましたか???

 その厭な気持ちを二百倍ほど濃くした後味をあじわえるのが『カティンの森』です!!!

 

3位! 『忍者ゾンビ!!!

 人生墓場ゾンビ映画!!! アーサー・C・クラーク法則を軽やかに超越して99.9999999%の高確率でどうしもようない駄作を量産しつづけるこのジャンルが生んだリーサル・ウェポンがこれだ!!!

 実写版デビルバン』はまだいい……知名度があるぶん、他の人達とクソさを笑いながらシェアできるからコミュニケーションになるから

 しか!!!まず断言してもいいがこの『忍者ゾンビ』はお前の周囲じゃひっっっっっとりも観てない!!!感想を共有できない!笑いあえない!!!!まさに最悪さがその後の人生で何十年にもわたってつづいていくのだ!!! 「あの地獄を味わったのはおれだけなんだ……」という嘆きとともにな!!

 マイナーソ映画にぶちあたったときのやりばのない絶望! それを一人で抱えて生きなければならないときのやるせなさ! あえて内容は説明するまい! 『忍者ゾンビ』は究極のマゾ映画だ!!

2位! 『ブラック・シー

 今年公開された映画では指折りの「後味最悪」映画だ!

 一攫千金サルベージをあてこんだおんぼろ潜水艦密室で、憎しみいがみ合うクルー(全員元無職)たち!

 そんな部下たちを「本当の敵は『やつら』なのに……」とはがゆい思いで仲裁する船長

 次から次へと襲いかかるエクストリームな困難を、犠牲を払いながらも乗り越えていく彼らだったが……

 いったい誰が悪いのか! 生まれた俺が悪いのか! 生まれ社会が悪いのか! 何もしないで生きていくならば、それすら容易くないのが現代格差社会!!!!! 絶望しろ!!!

 本当はちょっとだけ後味いいです。

1位! いいかげん気づいてきたな! これはランキングではない! おもいついた順におもいついた映画をおもいつきで並べているだけだ! 

そういうわけで、いいかげんネタもつきてきた!! そもそもおれはそんなに映画詳しくないぞ!!!! 普通にミリオンダラー・ベイビー』とかすすめるブロガーとして生まれたかった……

 最悪中の最悪の後味を残す映画は、あなたの心のなかに……



 どうしても何か決めろってんなら、『ミスト』ってことで。

2015-09-06

NETFLIXとかHuluとか。

新しく買ったテレビリモコンに大きな「NETFLIXボタンがあったので、なんとなくNETFLIX契約してみたが、契約後にHuluラインナップ見てビックリした。

まりに品揃え数が違いすぎる。あんまり海外ドラマ見ないので、NETFLIX限定ドラマとかも全然ありがたみを感じない。これ即やめしてHulu契約しなおしてもいいレベルだな。

ってかどっちにしろアニメドラマばっかりなのね。もっと流し見しつつ、それなりに楽しめるコンテンツとかあればいいのに。バラエティとかライブ動画とか、エロじゃなくていいのでグラビアとか。

とりあえず実写版の「やるっきゃ騎士」見ておいた。クソ映画だった。

2015-08-04

誰だよマッドマックス面白いっつったの

あの世界観で火炎放射器弾薬の空打ちするってなんなの?バカなの?

ギターしか見所がないクソ映画だったじゃねえか

2015-08-01

映画進撃の巨人」観てきたよ!話はアレだけど、特撮が最高

映画進撃の巨人」見てきました。監督は「平成ガメラ」の特撮監督である樋口監督脚本は「あの」町山智浩さん、ってことで、かなり期待して見に行ったんですが…

話は突っ込みどころ満載

脚本というか、話は突っ込みどころ満載で、正直、調査兵団間抜け集団しか見えない描写が多々あって、かなりキツかったです。

エレン君、ミカサにゾッコンLOVEモード

映画では、原作以上にエレンは「ミカサミカサ!」とミカサに夢中です。たとえば、兵士ミカサの肩を掴んだだけでミカサに触れるなぁ(# ゚Д゚)!!(マジギレ)」と殴りかかるくらいミカサに執着してるんですね。

でも、「なぜエレンミカサにこんな恋心を抱いているのか?」が劇中で全くといっていいほど描かれていないし、二人が絆を深めるシーンもないので、エレン可愛い幼なじみに盛っている思春期童貞しか見えてなくて(実際にエレン童貞設定だと思いますが)。

原作では、「共に人殺しをしている」という特別関係があるからミカサエレン関係特別ものになっていますが、映画ではそれをパージしていますパージする事自体は悪いことではないと思うのですが、「人殺し」にかわる何かの要素を入れないと、「何でこんなに執着しているのか?」がわからず、単に盛っている思春期しか見えなくて、かなり残念な感じになっています

謎のNTR(ネトラレ)要素

エレンミカサへの恋心はかなりしつこく描写されるんですね。でも、第一回目の巨人の襲撃でエレンと生き別れになった後、ミカサは、立体機動を教えてくれたシキシマ隊長映画オリジナルキャラクター)と出来てしまっていて。

で、シキシマ隊長エレンに見せつけるように、自分のかじったリンゴを「お前も食べるか?うまいぞ」とミカサ差し出して、ミカサリンゴをかじるんですね。その間接キッスを見たエレンは「うわぁあああああああああああ!」と発狂いや、お前は童貞か!調査兵団の仲間が巨人踊り食いされてもそれなりに落ち着いていたのに、間接キッスで発狂する男、エレン。この男、童貞である

で、このNTRシーンがその後のシーンのカタルシスにつながるなら、ありだと思うんですよ。でも、全くつながってきません。正直、まるまるなかったとしても話は通ります

主人公を成長させるために主人公精神的に追い込むのは、少年漫画ではよくある手法ですが、NTRで追い込んでも仕方ないだろ!個人的には、NTRてズタボロになった男が自分の使命に目覚める話、大好きなんですけど、それは日常劇の話で、進撃の巨人みたいな話でそれをやられても「人が死んでんねんで!」しか思えません。

脚本家町山智浩さんは、早稲田大学時代に、彼女サークルの先輩に寝取られ経験があるそうで、podcastでも何度も語っていたんですが、それが関係しているんでしょうか。

巨人の前で乳繰り合うエレン

失意のエレン君。でも、すぐに調査兵団シングルマザーキャラクターが「あら、意外と子供なのね♡」「歳上は嫌い?」と迫ってきて、おっぱいを揉ませてくれます(この間、実に3分

エレン君もなし崩しにおっぱいをもんでしまう。いや、緊張感ゼロか!人が死んでんねんで!

まず、このシングルマザーキャラクターエレン君の関係それまで全く描かれていないので、「歳上は嫌い?」と迫ってくるのが、かなり唐突です。なんですかね、巨人が襲ってくる未来では、人類全員発情してるんでしょうか、そのくらいの盛りっぷり。

で、誘われるままにおっぱいを揉もうとすると、そこで巨人襲来。シングルマザーは服をはだけたまま踊り食いされてしまう。もうね、調査兵団が油断しまくりの間抜け集団しか見えないんですよ。

調査兵団間抜け集団

原作でも描かれていた「爆薬で開いてしまった穴を塞ぐ作戦」が映画の中でも実行されます。で、その爆弾は「人類最後爆弾」とされていて、これがなくなると、永遠に穴をふさげなくなるってしろものです。

けれど、その爆弾を積んだ車を謎の覆面男(非武装)にアッサリ奪われてしまう。なぜ奪われたかって?兵士が誰も車にのっていないからセキュリティどうなってんだよ!真面目に仕事しろ

覆面男に車を奪われたことがキッカケで作戦を失敗してしまうんですけど、なんていうんですかね「詰めが甘いってレベルじゃない」ので、正直、見るのが馬鹿らしくなりました。

序盤の巨人襲撃でミカサエレンは生き別れになってしまうんですね。で、再開すると、ミカサエレンにそっけない態度をとる。

ところどころのシーンが死ぬほどダサい

あと、脚本問題をいうと、ところどころのシーンが死ぬほどダサい問題があります

たとえば、壁に囲われたつかのまの平和辟易しているエレン君が不発弾を何度も蹴り飛ばすシーンがあって。そこで、最後不発弾を見てエレン君が「俺もこいつと一緒だ…」って言うんですね。いや、それ口で言わなくてもわかるよ!口で説明しなくても、意味ありげに不発弾にあたりちらす、現状に不満を抱えた男がいれば「俺もこいつと一緒だな」なんて言わなくていいから。こういう「説明過剰」の脚本町山智浩さんは何度も批判してきたと思うんですが、忘れちゃったんでしょうか。

あと、悶絶したのがミカサとシキシマ隊長リンゴを食べるシーン。シキシマ隊長サタン意識していると町山智浩さんがおっしゃっていたので、ミカサリンゴをすすめるシーンは「エデンズアップル」のメタファーでしょう。(町山智浩さんは失楽園構造物語を語るのが大好きだから

いやさぁ…いまどきリンゴを「エデンズアップル」のメタファーとして描くって、ダサすぎるよ!手垢つきすぎて垢太郎をつくりだせるくらいじゃないですか。そこをドヤ顔リンゴをシャキッと噛むカメラ目線のシキシマ隊長が出てくるもんだから、もう悶絶ですよ。

原作ファンは憤死する可能性があるので見ない方がいいかも

事前にアナウンスされたように、原作とは「壁に囲まれていて、巨人が襲ってくる」「キャラクター名前」くらいしか一致していないので、原作の「あのミカサ」「あのアルミン」を見たい人は、本当に行かない方がいいです。

エレン巨人に変身できる理由などの重要設定も、原作とは大分変わっていて、原作真理教の人は「原作とちがう!」のラッシュで憤死すること確定なので、「巨人が出てくる映画」として見ることができない人は見ない方がいいと思います

でも、抜きどころがあればOK

で、色々と突っ込んできたんですけど、上のようなことなんて、全部どうでもいいことなんですよ。リアリティ詰将棋をやっても映画面白くなるわけじゃないし、矛盾がなければいい映画かっていうと違う。

突っ込みどころがあっても人の心を掴む映画はいくらでもある。たとえば、ブルース・リードラゴンシリーズなんて、映画としての出来はイマイチだけど、ブルース・リーアクション一発で、世界中男子の心を掴んだわけじゃないですか。

から、どんなに突っ込みどころがあっても、映画としての「抜きどころ」があればOKなんですよね。

じゃあ、この映画の抜きどころはどこか?もちろん、「巨人人間踊り食い」「立体機動装置アクションシーン」「エレン巨人vsモブ巨人」じゃないですか。

この3つがよくできていれば、エレン君が嫉妬深い童貞野郎でも、調査兵団職務中に乳繰り合う間抜け集団でも、何でもいいんですよ。この3つがよくできていれば。じゃあ、この3つはどうだったか

巨人人間踊り食いはかなり頑張っていた

序盤のシーンで、人類の築いた壁が超大型巨人によって破壊されて、その穴から巨人が侵入してきて、人類踊り食いされます

進撃の巨人といえば、このシーンですよね。このシーンはかなり頑張っていた

特撮CGを上手く融合させた巨人ビジュアルは、原作巨人が持っていた「妙なゆがみ」をしっかり再現できていて。人間ではあるんだけど、人間の理とは違う生き物である巨人の不気味さを、実在感を持って表現できていて、心を掴まれました。

あと、踊り食いですね。PG12指定なので、残酷表現には限界あるかな‥と思っていたんですが、しっかりグロをやりきっている。人間が噛みちぎられたり、引きちぎられる、原作絶望感が映像でも再現されていて、持ってかれます。血もバンバン出るし、身体もバンバンちぎられるので、オジサン、大満足!

立体軌道は「CGの上でワイヤーで動いてます」感がすごかった

みんなだいすき、立体機動装置アクション。これはどうだったか

個人的には「かなり残念」だと思いました。なんていうんですかね、巨人CGを背景にワイヤーで移動しています感が凄くて、実存感や浮遊感が足りないというか。

製作陣は「スパイダーマン」の飛翔アクションくらいのクオリティ意識したそうですが、映画スパイダーマン」の跳躍シーンほどの、躍動感、スピード感、開放感は全然ないです。

CG合成が上手くないのか、背景から動きが浮いていて、スパイダーマンのような「市街地蜘蛛の糸でかけめぐってる!」ってリアリティ全然伝わってきませんでした。なんだろう、「ツィーーーー」と移動している感じ。

もちろん、邦画としては頑張っている方なんでしょうけど、満足のいくものでは到底ないと思います

エレン巨人vs巨人だけは最高

でもね、でもね、これだけDisってきて、僕がこの映画を嫌いになれないのは、ちゃんと抜きどころがあるからなんですよ。

この映画原作のように、エレン君がハイパー巨人化してモブ巨人駆逐するシーンがラストにあるんですが、このシーンが最高で。さすが平成ガメラ樋口監督、素晴らしい仕事ぶり。

エレン巨人も他の巨人特撮中心に使ってとってあるので、「存在感」「重量感」がある。ここを安いCGだけでやってしまうと、どうしても「ペラい感じ」「ゲームムービー感」が出ちゃうんですけど、特撮なので、パンチやキックの重み、衝撃がスクリーンを通じてビシビシ伝わってくる。

かつ、最新の編集技術で、とろくなりがちな特撮バトルがスピーディーになっているし、血しぶきのエフェクトクール。それまでのイライラが溜まっていた分、「やれ!駆逐しろ!」とアドレナリンどくどくですよ。

重みだけでなく、スタイリッシュさもあわせもつこのシーンは、新しい和製怪獣映画の名シーンとして、平成ガメラ渋谷崩壊レベルには語り継がれるくらいの出来だと思いますラスト怪獣映画としての出来はすさまじいので、特撮映画ファンなら絶対劇場に足を運ぶべき。

文句を言うのは見た人だけの特権

たぶん、これから進撃の巨人について、「突っ込みどころ満載!」とか「原作崩壊!」みたいなレビューがわんさかあがってくると思うんですよ。でも、それで「ふーんクソ映画なんだ(鼻ホジホジ」とわかった気になるのは、人として本当にダサいし、やめた方がいいと思う。

あのな、オレは1800円払って見たか文句言ってんだ。貶してんだ。1800円も払わずに、ネットレビューだけ見て、見た気になってこの映画を貶す奴は俺がぶっ殺す。あと、こういう特撮映画DVDで見て「なんか迫力いまいちだったね」とか言う奴も俺がぶっ殺す。

進撃の巨人若い人なら誰でも知っている超人作品だし、「意外と健闘してた」でも「クソ映画だった」でも話のネタにはなるし、議論できるので、それだけでも劇場に見に行く価値はあると思います。ぜひ、劇場に足を運んでみてください。

2015-05-17

セブンってクソ映画昨日からCSでやってるけど

あれモーガン・フリーマン真犯人だったらすげえ面白い映画になったよな。

ってこの増田うどん食いながら思った

http://anond.hatelabo.jp/20150515133737

2015-03-01

http://anond.hatelabo.jp/20150301183841

昔、悲劇的なクライマックスから何事もなかったようにドタバタハッピーエンドで〆る映画を見た。当時は感情移入ながら見たから混乱したし、人が死んでんねんで!?と憤ったりしたけど今思うといつもの堤幸彦ソ映画なだけだった

2014-12-29

http://anond.hatelabo.jp/20141229013147

記憶にあるバタフライエフェクトと違うんだが続編の方か?

2は見たけどクソ映画過ぎて内容忘れた、3は見てない

1は面白い

2013-12-28

風立ちぬ』や『おおかみこども』を観て


「感動した(泣)」頭は悪い/性格はいい→結婚相手にしたい

「ねぇ、あそこってどういう意味?」頭は並/性格も並→友達にしたい

「なにこのクソ映画(激おこ)」頭はいい/性格は悪い→一生関わりたくない



☆追記

同様に「○○してる奴wwww」や「結局モテようとしている!」のような

思慮の足りない人間を叩いて、そうではない自分に優越感を抱いているかしこい方々は、

画面を介さない限り一生お付き合いしたくありませんので、そのまま画面に閉じこもっていることを推奨します。


画面越しに見るあなたたちの滑稽な姿は、その日あったイヤなことが和らぐ程度には役に立っていますので、

しろ結婚しないこと、友達ができないことに腹を括って道化であり続けることを選んではいかがでしょう。


それでも頭がいいあなたたちが結婚したり、友達を作ったりしようと思ったら、

結局あなたたちが馬鹿にしている彼らの姿を真似して、受け入れるしかありません。

滑稽でも、自分でも滑稽だと思っていてもオシャレしたり、積極的に話しかけたり、モテようとするんだよ!


性格が悪く面も悪い人が、なにもせず面もよく性格もいい人とお近づきになれるという思い上がりが、

あいつらは馬鹿で、俺らはかしこい、だから見下す権利があるという思い上がりが、

そうすることでしか弱い我が身を守れない、隠れて石を投げ続けるかしこ人間生存戦略が、

私は間違った道であると、警鐘を鳴らしていきます

2013-07-07

ヨハネスブルグの読者たち

うあああ自称SF読みども超気持ちわりーーーーーーーー。

(13.7.11追記) うわああああ気持ちわりーブクマいっぱいついてるううううー。

伊藤計劃幻視したヴィジョンをJ・G・バラード手法で描く、というが読後に感じたのはバラード的なものを読んだというよりは、90年代に読んだいくつかのサイバーパンク小説に通徹していた一種の非情無常をはらんだ物語たちのことであった。バラードテクノロジー3部作や『ウォー・フィーバー』に近いものがあることも確かだがそれらと比較するのは野暮であろう。これは21世紀に生きる我々の問題を扱った「今」を生きる小説なのだから


政情不安内戦グローバリズムの暗部、といった人類の憂鬱現在未来。そこで生きる人々の日常とともに、「未来ガジェット」をも魅力的に描き出す。現代日本SFにとって亡霊のような存在になってしまっている伊藤計劃が、代表作『虐殺器官』で実現したこのスタイルを、宮内悠介はこの『ヨハネスブルグの天使たち』で踏襲しています


テロが頻発し、持つ者と持たざる者が極端に現れつつある現代社会の延長線上に待つものは何か?それを問うているのが本書である。(略)どのような宗教民族イデオロギーといった価値観は対立するものと表裏一体であることを、強く意識させられる。

「今を生きるための小説」「グローバリズムの暗部」「イデオロギーの対立」「民族紛争」「考えさせられた」…。

いつからSF読者こんなに気持ち悪くなったの?

SF小説それ自体が社会を語るものであることは否定しないけど、

「とにかく作品を通じて社会を語らなければならない」という強迫観念が、同調意識として

ここ最近増しに増してるのはなんなんだよ。あー気持ち悪い気持ち悪い。

伊藤計劃の『虐殺器官』『ハーモニー』といった大天才の大傑作があって、以後立て続けに批評家レビュワーによる伊藤作品を踏まえた社会評が発表されて、

あーやべーSFスゲーじゃんめっちゃ社会語れんじゃん、俺が社会語れんじゃん!といった風潮ができて。

虐殺文庫版が10万部を超えるベストセラーになり、SF野郎のみならず意識高い学生たちもここぞとばかりに殺到し、ぼくのわたしの社会評を発表する最高にダルい場所ができあがった。あー気持ち悪い。

しかしその死後気鋭の作家ポンポン表れるはずもなくて、ラノベ作家による駄作JA・Jコレの連発にガッカリしながらも

いかに救いようのないゴミを褒めちぎるかとか、イヤミスブームに乗っかったどうしようもない駄作コミュニケーションを図ったりといったあたらしい遊びで時間を潰したり新時代体現する新人作家を探していたのは読者も恐らく出版社も同じこと。

そこにようやく以後を書けそうな作家が現れた。それが「盤上の夜」で創元SF短編賞山田正紀賞を受賞した宮内悠介

小説の腕それ自体は処女作がいきなり直木賞候補にノミネートされたことで折り紙つき

そんな奴が地域紛争911テーマ連作短編集を出したもんだから既存社会語りたいおじさんはもちろん、伊藤ウェーブに乗り遅れたぼくも社会を語りたいぼくがわたしが殺到して、結果こんなんになるよねーって感じ。

おまけにそのムーブメントを煽るような帯。”伊藤計劃幻視したヴィジョンをJ・G・バラード手法で描いた”。

何が言いたいのかさっぱりわからないが社会語りたいマンにはこれが何かの免罪符に見えるんでしょうかね。

やるせない。そういう思いが読後、胸の中を占め尽くす。登場する高層建築物言語宗教の問題はバベルの塔彷彿とさせて。間違いなく、9.11後、世界の在り様は変わってしまったのだろう。作中で言うところの分岐点だったのかもしれない。DX9はそのままLARsの運用問題を問うているように思える。DXに人格コピーすることは果たしてその一つの解になり得るのか・・・考えさせられる良作だった

こういう輩は「意識させられました」「考えさせられました」をいくら繰り返したところでなんの意味もないことを社会科見学で学ばなかったんだろうか。

んなもん「あなた恋人が突然死んでしまったら、どうしますか?」系クソ映画感想にでも垂れ流しとけばいい。

お前は著者が丁寧に羅列してる参考文献の一冊にでも手を伸ばしたのか?

せめてタイトル検索をかけるくらいのことはしてるんだろうな?

最後に賢そうなことを言おうとして一番アホっぽく見える、最大公約数感想引用して終わる。あーイラつく全員死ね

まず舞台がねー、ヨハネスブルグニューヨーク、ジャララバード(アフガニスタン都市)、ハドラマウト(南アラビアの一地域)、それから西東京バリエーションに飛んでいるがそのいずれもがアフリカやら中東あたりのなんかとっても危なそうな地域と絡んでいる(すげー知能の感じられない把握の仕方だが)まずこの舞台設定が珍しいよね。

追記。

補足で言いたいことはだいたいブクマで書いてもらってると思うんで、

twitterに書かれてたこれにだけ返事しときます

ところで他人の感想をこき下ろした本人は”ヨハネスブルグの天使たち”を読んでるのかね?そしてなぜ自分感想を書いて勝負しないの?作者である宮内先生にではなく、近親憎悪的に他の読者に当り散らすのはなぜ?つまり一番語りたがってるのは自分なのに、口に出すのが怖いの?やり返されるから

A1.読んでます

A2.えっ…感想で勝負?wwwwしょwwwか、かか、かんそうで、しょ、しょうぶ?

  感想ってあの?か、かんそうでww??しょうぶwwwwか、感想でしょwwww勝負www

  ブハーッwwwwプッ…クハッ…ゲェェェェーッwwwww

  褒めちぎり野郎が互いのレビューを舐め合うためのセルフプロデュース会場での相互オナニー作法なんざ知るか。

  小説はてめえの装身具でも承認欲を満たすためのツールでもねえんだよ。本から出てけ。

A3.俺が気持ち悪いと思っているのは作者でも作品でもなく読者だからです。

  ブクマで「SF小説はそもそも社会を語るものから~」とかいってるバカ共もそれくらい読み取ってください。

  「お前は本当に気持ち悪い」という文章からSFは昔からそうなんだ」とか「お前はどうなんだ」を導きだして「感想で勝負しろ!!!」とか抜かしちゃう人すごいなー。ボーグバトルじゃねえんだぞ。

  あー気持ち悪い。

2013-01-22

個人的にはかなり満足度の高かったヱヴァQ感想

どこの集計かもよくわからんのですが、ヱヴァQの評判が悪いそうで。

そう思う人が多いのも仕方ないとも思うのですが、個人的には楽しめたのでそのあたりについて

ヱヴァ解釈論ブーム」が落ち着いてきた感のある今頃になって適当に書き綴ってみる。


キニートが一念発起してちょっと間違った方向に全力で頑張ってしまったヱヴァ破のラスト

ヱヴァQを語るうえで前作とのつながりについては言及しないわけには行かないですね。

たぶん今回ヱヴァQがっかりした人は結構割合ヱヴァ破のラストにグッと来ていたと思います

かくいう私もグッと来ました。シンジさんかっこよかったっすね。

でも、あれってヱヴァQ見てから再度見直すと、シンジさんのちょっとしたミスが気になってしまます

それは、


「僕がどうなったっていい、世界がどうなったっていい、だけど綾波は…せめて綾波だけは、絶対助ける!」


というシンジさんのセリフです。

これがシンジさんをシンジさんたらしめているセリフなんですが、ここに含まれるちょっとしたミス

のちの世界に多大な影響を及ぼしてしまます


そうです。「世界がどうなったっていい」という部分は口にしても願ってもいけなかったんです。

だってヱヴァ初号機とシンジさんの組み合わせではその願いが具現化してしまうんですから

シンジさんの願いを叶えるべく、初号機さんは世界犠牲にしてでも綾波を救おうとしちゃうんです。


ここでのシンジさんの不幸は、己の力量を正確に把握できていなかったことでした。

己の何気ない考えや言葉世界に及ぼす影響をまったく考えていなかったことでした。

あの時のリツコさんの言葉が本当なら、とことん貪欲に「世界綾波も救って幸せ暮らしてやる」って願えば

世界への甚大な影響はなかったんじゃないんでしょうか?それとも「古い生命体は滅ぶ」の方が優先されるんでしょうか?

そんなのみんなで新しい生命体になればいいじゃん!Yes貪欲!No More 遠慮!


やりきった達成感でポジティブシンジさんとそのせいで多大な迷惑を被った周りの温度差が著しい序盤

そしてヱヴァQの序盤です。

我らのヒーローであるシンジさんが周りからひどい拒絶を受けてしまう序盤ですが、これもこの時の状況を考えると

周りの反応も仕方ないんではないかと思ってしまうんです。

だってシンジさんのせいで被害を被ってない第三者である我々視聴者はともかく、ヴィレの面々はシンジさんが

間違った方向に全力出しちゃったせいで甚大な被害を受けた被害者なわけです。

それだけでも拒絶するに十分な理由なのに、あろうことかサルベージ計画実行中に覚醒してます

回収後の調査で科学的には14年前の碇シンジという個体と同一である可能性が非常に高いという結果が出てるとはいえ、

世界犠牲にして綾波を救おうとした生命体が情報収集のために碇シンジという生命体に擬態している可能性もあるわけです。

おいそれと警戒を解くわけにも、情報をべらべらしゃべるわけにもいかないのは、ヴィレ側の立場としては仕方ないのではと思います

いつまた世界犠牲にして綾波を救い出そうとするやもわからない生命体に心を開けという方が無茶です。

まぁ、結果としては「綾波なんて救えてないよ」という絶望的な現実シンジさんに伝えてしまうわけですが。


無い勇気を振り絞って頑張った結果が徒労だったという現実直視できない中盤

外見や声だけはまるっきり同じの綾波モドキがシンジさんを悲しい現実から救いに来てくれちゃったおかげで

シンジさんは現実から目をそらして綾波モドキと一緒に逃亡します。

「やっぱり綾波は救えていたんじゃないか」という自分の信じたい現実(虚構)が目の前に現れてくれたおかげでシンジさんは

まだ何とかポジティブです。しかしそれも徐々に揺らいでいきます

自分が救ったはずの綾波(モドキ)が自分の知ってる綾波と違うことが徐々に露わになり始めますが、シンジさんはその現実から

目をそらしてしまます。その現実逃避がよく表れているのが「綾波段ボール小屋の前に積まれた本」ですね。

「お前は俺が救った綾波のはずだ」という願望の押しつけを積み重ね、それでも無視する綾波モドキに対してついには「もういいよ!」と当り散らして

積み上げた本を散らかしてしまます。高く積まれた本が崩れる様は、シンジが「自分努力は徒労どころか害悪しかなかった」という

つらい現実をやっと受け入れたことを表していたように思います


この綾波モドキとのやり取りと並行して描かれた、ヱヴァQで評判の悪い真夏(かどうか不明)の昼の淫夢にも触れなくてはならないでしょう。

つらい現実から目を背け続けるシンジさんをカヲル君は優しく慰め、つらい現実を優しく噛み砕いてシンジさんに受け入れさせようとします。

拒絶と無関心しかない世間で唯一自分を認めてくれる存在が目の前にあれば、だれでもそれに縋るでしょう。ほかに縋れるものなんてないから。


そしてカヲル君はこのどうしようもない現状の打開策(とカヲル自身が信じている事)をシンジに伝えます

そりゃやるでしょう。受け入れがたい現実を受け入れたことでシンジさんは自分にとてつもない力があることだけは自覚できたからです。

自分には力がある。前回は使い道を間違ったけど、今回は道しるべを示してくれる人がいる。これはいける!」

この時点で道しるべを疑うことをシンジさんに期待するのは酷というものです。


また間違った方向に全力で頑張って、たった一人の友達を殺してしまった終盤

不吉な番号が付いた13号機に二人で乗り込み、汚名返上のため再度やる気120%のシンジさんは、視界に入る大好きだった綾波似て非なる生命体を

疎みながらも目的のために前進します。

そこで、自信満々でシンジさんを導いてきたカヲル君が異変に気づきます

「何かがおかしい」

でもシンジさんは止まれません。

だってもうすぐ汚名返上できるんだから

自分努力した結果が正しい方向に修正されるんだから

目の前に広がるクソッタレ現実から逃げられるまであと一歩というところまで来てるんだから

ここまできてもシンジさんの行動の原動力は「現実逃避」です。

船頭が迷い始めているのに漕ぎ手が止まりません。

もうすぐ答えに手が届きそうなときに「なんか不安からやめよう」なんて言われても止まれません。

なぜならこの言葉シンジさんにとっては「このクソッタレ現実ともうしばらく付き合おう」に等しいからです。

「もうすぐでこのクソッタレ現実から逃げきれるのになんでわざわざつかまってやらなきゃいけないんだ」

と考えてしまうのも無理はない。止まれない。

そしてまた世界に多大な迷惑を及ぼしかけてしまます


2度も多大な迷惑をかけたにも関わらず息を切らして駆けつけて助けてくれる美少女が居る幸せに気づかないニブチン

せっかくやる気を出したにもかかわらず2度やって2度失敗してしまったシンジさんは絶望してヒキニートに戻ります

仕方ないことですね。頑張っても無駄だったんだもの。むしろ害悪だったんだもの。2度やって2度とも。

自分が頑張れば頑張るほど他人が迷惑する」というつらい現実と2度も直面させられては、こうなってしまうのも無理はない。


しかし、俺はシンジさんが羨ましくて仕方ない。

だってこんだけ迷惑かけても、息を切らして自分に駆けつけてくれる絵にかいたようなツンデレ美少女が居るんですよ?

ふざけんな、何がシンジさんだこの野郎。かわいそうな自分に酔ってんじゃねぇぞ。

こんなに幸せ物語ありますか?超絶ご都合主義アニメじゃねーか。

映画感想を分かち合う友人もいない、人生の伴侶もいない、電話の着信履歴が1年近く残る、メールが来るのはスパムだけな俺より全然マシじゃねーか。

いっちょまえに絶望気取ってんじゃねぇぞ。どんだけ幸せなんだこの野郎。



シンジさん改めボケカスキニートシンジの心の変遷をたどりながら2回見ました。

同じ映画を2回見たのはこれが初めてです。

世間的にはクソ映画なのかもしれませんが、俺にとってはかなり満足度の高い映画でした。

まぁ、こういう意見もあるってことで。

2013-01-13

体罰容認論を完璧論破できる12のQ&Aへ完全に反論できる12体罰

http://anond.hatelabo.jp/20130113151019

ここは増田だ。ここでならいっしょに遊べる。

議論の前提…体罰暴力です。暴力違法です。相手が子供なら、なおさら

 体罰暴力です。暴力刑法で禁じられています。たとえば、上司が部下相手に「お前のためを思って」暴力をふるったら、起訴されます。それは誰もが理解できることのはずです。大人相手に許されないことは、子供相手にはなおさら許されません。教室で、体格にも立場にも差がある人間同士の体罰なら、より許されないと考えるべきです。

前提の時点で「体罰暴力=悪」の図式が完成してるので、別に後の設問論破せんでもよくなくなくなくなくないですか。まあでもしかし、体罰肯定派は「暴力ではない」か「暴力だとしても違法だとしても実質的機能してるんだよクソが」なみなさんなので、そもそも前提から相容れませんね。

多分体罰肯定派のヒトたちはここで去ってると思います。文化が違う。

それはさておき、前提を結論と直結させる論法特に刑法で禁じられてはいませんが、世人と申しますか俺はムカつきます。たとえば、上司が部下相手に「サビ残はうちのルールから(=You are belonging to our base over the night.)」と言い放ち、かつ部下の反論を拒否した場合、激怒されます。それは羊と遊んで暮らす牧人でも理解できる感情のはずです。リアルに許されないことは、増田相手にはなおさら許されません。ネットで、誰も暴力指導論なんか肯定しない同士の喧嘩なら、より許されないと考えるべきです。

1.子供のためを思う愛の気持ちがあれば、ある程度の体罰は容認される

 愛があれば違法行為が許されるのであれば、ストーカーだって「愛のために」行動していますストーカーは「彼女には僕しかいない。僕と結ばれるのが彼女のためだ。フヒヒ」と考えて行動しているわけですから。また、子供虐待している親も、みな「子供のしつけのため」といいます。もちろん、違法行為は「愛」や「相手のためを思う」によって正当化できません。そもそもその体罰子供利益になるかどうかは、絶対者ではない教師にはわかりません。

この質問、前提に則ったら「体罰は悪だから『ある程度』だろうがダメ」でよくないですか? それはさておき。

哀しいことに世の中には間違った「愛」と正しい「愛」がありますストーカーの「愛」は「真実の愛」ではありません。

おや? お笑いになる? 愛なんて相対的なものから、正しいも間違うもあるか、と? 

相対的だからこそ、互酬的だからこそ、客観的に判断を下せるのです。

この場合あなたは一方的な愛(の皮をかむった単なる言い訳であるがここでは無視する)を「正当化できない」と断じてます

では子供のほうから「いや、あれは愛だった。自分の為になった」と言い出した場合は? 感情は常に即時的に評価されるわけではありませんよ? そもそも利益でいうなら、その時にためになるかならないかは本人にわかりようがないじゃありませんか。

ごんぎつね」を思い出してください。あなたはかわいそうなごんを盗人と決めつけ、その場で射殺するのが正しい選択であったと思いますか?

それと、もうひとつ。教師は絶対者ではないかもしれませんが、経験者です。長年の実績がございます。何人もの「その後」を知っているという裏付けがございます当事者高校教師が、まさにそんな人間だったのでは?

2.今回の体罰はひどすぎた。だが、ある程度の体罰なら容認される

 「ある程度」の線引は個々の教師の恣意になってしまます。顔をグーで殴るのも、一部の教師にとっては「ある程度」でしょう。大人相手に「ある程度の平手」をしたら、起訴されます子供相手なら、なおさら許されません。

この質問、前提に則ったら「体罰は悪だから『ある程度』だろうがダメ」でよくないですか? それはさておき。

さきほども申しました通り、体罰教師だってプロです。なんのプロかと申しますと、暴力プロです。プロなので、加減くらい楽勝でわかります

よく言うでしょ? 「喧嘩プロより素人の方が危ない。なぜなら素人は加減がわからいから、うっかり殺してしまうこともあるって」。何の漫画でしたっけ? カノセ先生? 

もちろん、今回の事件は加減のわからないクソ教師がひきおこした哀しい事件だったわけですが、それは個別のケースの話。サイコパス一定割合でどこの階層にも発生しますし、サイコパスを扱った映画は一定確率でクソ映画です。で、質問者は「だが(一般として、どうだろう)」と提起しています世間の教師が他の大多数の職業より子供と接している時間が長いのは確かでしょうし、だからこそ、彼らは子供の分野で(一般に)信頼性が高い、とされているのです。もちろん、幼児性愛者は一定割合でどの職業にも発生します。

3.体罰がなければ、スポーツで強くなることはできない。したがって、部活動には体罰がある程度は容認される

 欧米では体罰が厳しく禁止されている国があるが、スポーツの強い国はいくつもあります体罰を使わなくても成果がでる以上、違う方法をとるべきです。元プロ野球選手で、早稲田大学スポーツ化学科で修士号をとっている桑田選手も「体罰スポーツが強くなることはない」と明言しています。もちろん、違法である以上、たとえ効果があってもやるべきではありません。

 欧米では体罰が厳しく禁止されていないうえに政治的恫喝やドーピングまで行ってオリンピックメダル獲得数一位に幾度となく輝いた国がありました。ソ連です。あと欧米に限らなければ、体罰が奨励されている国でもそこそこスポーツの強い国もいくつかあります日本とかね。体罰を使って一定の成果がみこめる以上、その方法継続すべきです。早稲田大学と名乗る謎の所沢体育大学修士号をとった桑田選手も「体罰スポーツが強くなることはない」と明言していますが、彼が論文執筆のためにプロ野球選手六大学野球選手を対象に行ったアンケートでは「『体罰必要』『ときとして必要』との回答が83%」を占めていた(ソース朝日)と明かされていますプロ野球六大学野球とそれぞれ最高峰選手たちが体罰の効果を認めているのです。

 桑田投手はそこで「でも、肯定派の人に聞きたいのです。それでもいいのか、と」と反駁を試みているのですが、正直、それこそ個人の経験論で、全然科学的でも実証的でもないです。体罰肯定派の感情論の鏡写しみたい。よって桑田選手はアンサーの補強材料として採用しかます

 あと「違法から」。その通りですね。日本法治国家です。自分で言った「前提」をなぜここでだけ繰りかえすのかわかりませんが、正しいです。でも前提のとこでも言いましたが体罰肯定派の人は「違法だろうが関係ない」か「暴行じゃないからお兄ちゃんじゃなくても触法じゃないよね」というスタンスなのです。哀しいですね。あなたとは文化が違うんです。

4.体罰のように厳しくプレッシャーをかけて伸ばすのは、子供の成長には必要だ。

 教育心理学脳科学などのあらゆる点から「褒めて伸ばす方が効果的である」という結果が出ています。なぜなら、厳しいプレッシャーにかけられると、人間の脳の学習・記憶をつかさどる海馬神経細胞破壊されるからです。一方で、褒められると、ドーパミンが分泌され、神経細胞接続の強化やモチベーションの強化がされ、技能が向上します。たとえば、運動技能についてのこんな実験もありますhttp://www.nips.ac.jp/contents/release/entry/2012/11/post-223.html

 教育心理学脳科学臆面もなくセットでだしてくる度胸には賛嘆の念がたえないのですが、けしからんことに筋肉ゴリラ体罰教師どもはそんな小難しいことは理解しちゃくれません。彼らは古代ギリシャ人ばりの経験主義者なので、愚直に「実験」を繰り返して自分で得たデータしか信用しません。

ゴリラリンク先の記事を見てこう言うでしょう。「スポーツオタクキーボード遊びと違うんじゃイ」

一理あるとは思えませんか? 実験は「褒めると運動機能が向上する」ことは証明していますが、「体罰を加えると伸びない」ことは証明していません。

海馬がぶっこわれるですって? 愛あふれる体罰が生徒にストレスを与えるわけないじゃないじゃありませんか。そもそも厳しいプレッシャーなら、試合で感じてしかるべきです。

5.私が子供の頃は体罰なんて当たり前だった。したがって、体罰は容認するべき

 「昔はやっていた。故にその行為は正当である」という論理論理のように見えて、実際には何の意味もありません。昔はやっていたがゆえに正当化されるなら、奴隷制度だって正しいことになります。常識的に考えれば「昔は間違っていた」と認める思考に至るはずです。(たとえ自分の『昔』を否定することになったとしても)

いい落としの詐術ですね。別に爺どもは「昔もやってたから今も」を無条件に実行する思考回路が備え付けられたロボットではありません。

「昔はやっていた。」→「おかげで俺は立派に育ったし、成功したし、あの時の教師には感謝している」(New!)→「故にその行為は正当であ」り、現在でも行われるべきだ、としているのです。

おっしゃるように価値観およびその基準は時代によって変動します。昔は正しかったことが今も正しいとは限りませんし、今正しいことが未来永劫正しくあるとは限りません。それどころか明日にだって変わるかもしれません。たとえば、某居酒屋チェーン経営者フォロワー東京都知事選を見ればわかるように、今の日本奴隷制度を正しいと考える人間は大勢存在するのです。

というか、欧米の常識に照らし合わせて考えれば、日本人サラリーマン奴隷と形容してさしつかえありません。

その国において、奴隷の子供を奴隷として扱うのはむしろ当然では?

6.私は体罰によってまっとうになった。だから体罰は正しい。俺はその教師に感謝してすらいる。

 あなた個別の例を一般化するべきではありません。人間はひとりひとり違うのですからあなたに効果があったからといって、他人に効果があるわけではありません。

一般化しているのは体罰否定派の方では? なぜ某バスケ部のケースを「特別」と考えないのです? 高校はひとつひとつ違うのですからひとつの高校にゆきすぎがあったからといって、他校で自殺者が出ているわけではありません。

あと前述の桑田さんのアンケートですが、サンプル約550人のうちの83%、つまり約456人が体罰の効果を肯定しています。彼らは「一般」ではないのですか? 彼らは個別の約456人であり、ひとりひとりがテロリストですか?

7.体罰がなくなったから、子供ゆとりになり、学力が低下したじゃないか

 第一に、子供学力は低下していません。他の国のレベルがあがったので、相対的に位置が低くなっただけです。日本の中での絶対値としては下がっていません。むしろ、昔と今のセンター試験の問題を見る限り、今の子供の方が昔の子供よりも遥かに高度な内容に取り組んでいます。そもそも、子供教育レベルには様々な因子が絡むため、「体罰のある/ない」だけで論じることは不可能です。

さすがにこの仮想敵サンドバッグすぎでしょ……。ゆとりは政策であって体罰とは関係ないだろ……。

でも、絶対値としても下がっていますし、勉強をしない子供パーセンテージも増加しています。ググッたらでました。http://www.ritsumei.ac.jp/acd/ac/itl/outline/kiyo/kiyo11/10_oki.pdf

つーか、そもそもそういうデータが出なけりゃ「俗論」も生まれないよねえ。

上記論文体罰を要因として組み込んでいないのはまことに遺憾です。

8.体罰は言っても聞かない相手に言うことを聞かせるには有効だ。したがって、必要だ。

 桑田真澄選手は「怒鳴るコーチが多すぎる。大声で怒鳴るのは、『私には言って聞かせて子供を納得させる能力がない』と言っているようなもの」と述べています。大人になれば、相手に言うことを聞かせるのには、言って聞かせて合意形成をするしかありません。教育者ならば、容易な方法をとるのではなくて、たとえ厳しくても社会に出て必要合意形成指導方法の手本を自分が見せておくべきでしょう。

社会に出れば、理不尽かつ非論理的で説得力皆無の怒鳴り声に晒される場面はいっぱいいっぱいあります。いっぱいです。そして、それは「言って聞かせる」ことにおいてしばし効果を発揮するのです。ちなみに社会様で言うところの「言って聞かせる」は、「おれの意に有無を言わさず沿わせる」という意味です。予防と予行の両面において、「大声で怒鳴る」は正しいです。

野球部なんかで先輩がよく後輩に対して理不尽に怒鳴る光景が目撃されますが、あれはサル社会でいう「模倣」にあたります

9.体罰ダメにすると、教育現場が萎縮してしま

 それは正しい萎縮です。文明社会は「ぶっ殺してぇ」「ヤリてぇ」「ブン殴りてぇ」という欲望を法律によって萎縮させることで成り立っているからです。体罰をやめることが萎縮であるなら、今までが違法状態であり、萎縮が正しい状態といえます

たとえば、はてなダジャレを禁止にするとなんとかいうidのヒト(思い出せない)が、ひいてはネットダジャレ界が萎縮してしまうわけですが、いかがでしょう。

いかがでしょう、と問うたところで「そんなものは間違った萎縮じゃないか」とお答えになる向きもございましょう。しかし、ちょっと待って欲しい。風のささやきに耳をすませてもらいたい。「正しい萎縮」ってそもそもなんですか? あなたはそのものさしをどこで? おお、おお! なんということか! もしや……体罰の意義を曲解しておられる!? なんたること。

いいですか、別の体罰ゴリラたちは「ぶっ殺してぇ」「ヤリてぇ」「ブン殴りてぇ」と欲望しておるわけではないです。ゴリラをはじめとした類人猿たちは動物たちの中でも人間についで最も知性と情の深い動物として知られています

彼らはむしろ文明的な秩序を志向しているのです。群れを規律し、統制するための愛の鉄拳が振り下ろされるのです。

正しいこと、美しいことを禁止して発生する萎縮が「正しい萎縮」であるなら、ダジャレ禁止も世界を非文明化しクソどもの跋扈を許す蛮行であるという点で、また「正しい萎縮」であるはずです。

10.体罰を禁止にすると、生徒を管理するのが難しくなる

 そもそも教師の仕事は「未成熟な子供を教え導く」という、半端じゃなく、難しく、大変な仕事です。難しいのがデフォルト、大変で困難なのがデフォルトです。たとえ難しくて厳しくて無駄に思えても「言って聞かせる」しかないのです。

それに、不良高校でも体罰に頼らずに教室を運営している教師はいるし、体罰が厳しく禁止されている欧米国でもきちんと生徒を指導できている教師はいくらでもいるでしょう。たとえ厳しくても、その道を選ぶべきです。もし、「そんなの無理だよ」というのなら、それはその教師が言葉による合意形成が出来ないということであり、「じゃあ、やめたら。」としか言えません。何かの問題解決に「殴って解決」が許されるのは、ハリウッド映画だけです。

根性論ですか。体罰教師っぽいですね。欧米では底辺は底辺であり、暴力の使用不使用にかかわらずみんなが天使みたいな良い子に育ってるわけじゃないと思いますが? 「言って聞かせる」なんてチンタラ効率の悪いことしてるから米国で銃乱射事件が耐えないのでは? 

「言って聞かせる」は万能ではありません。もちろん、一手段ではあるでしょう。ならば「言って聞かせ」てもダメな子を身体から矯正するのもまた一手段なのでは? 使える道具があるのになぜわざわざ禁止する必要が? あと今時「殴って解決」がハリウッド映画て、ハリウッドて。

11.未熟な子供には言って聞かせることなんて無理。したがって、体罰必要だ。

 精神が未熟な状態にあるから体罰が認められるなら、障害を持つ人への体罰だって正当化されることになります。持論をぶつの勝手ですが、まともな法治国家ではそれは認められません。

 障碍者定義に「精神が未熟な状態」にあるもの、なんて差別的な文言はどこにもありません。偏見をぶつの勝手ですが、まともな民主国家では認められません。っていうか、たぶんゴリラゴリラ(学名なので差別語ではない)は子供障碍者平等に扱うと思います。なぜ分ける必要があるのですか? 彼らをおなじカテゴリーとしてみなすなら、「正当化」は可能です。

12.法律で禁止されているから、ダメというのは思考停止では?

 では、権力者による暴力正当化されている国にでもいってみてはいかがでしょうか。法律は、社会が決めた規範の中でも、ほぼ最低限のレベルに属する規範です。その程度の規範すら守れない人間が、人を教え導ける立場にあるとは思えません。

あ、その論法、「原発が嫌なら日本を出て行け」で見たことある問題提起しただけでファンファンウィーヒッツザ国外追放処分にされるとはあなた権力者による暴力正当化されている国の愉快な仲間たちかなにかでしょうか? 

ところで、教師志願者たちのなかには生きている上で何かしらの法を犯してきた可能性、たとえば大学新歓飲み会未成年ながら飲酒してしまうとか、動画サイト違法エロ動画を覗くとかしてきた可能性が常にあるわけですが、彼らは「最低限の規範すら守れない人間」として採用試験にはねられてしまうのでしょうか。もしそうであるのなら、彼ら彼女らがかわいそうでしかたありません。

終わりに 

「何を屁理屈のことをグダグダと」と思うかもしれません。私も書いていてそう思いました。でも、そんな「当たり前の増田風景」が共有されていないのが怖いなぁ、と思っています。まともな常識と脳みそがあれば、増田に入り浸るのはダメだ、ダメ人間だというのはわかると思いますしかし、「自分は常識として正しいか論理的にも正しい」という謎論理によって自分の足場で戦える対話方式というステージでの八百長論破を高度に形式化して使える人がいるのは、正直こわいです。

体罰容認論を完璧論破できる12のQ&Aへ完全に反論できる12体罰

http://anond.hatelabo.jp/20130113151019

ここは増田だ。ここでならいっしょに遊べる。

議論の前提…体罰暴力です。暴力は違法です。相手が子供なら、なおさら

 体罰暴力です。暴力刑法で禁じられています。たとえば、上司が部下相手に「お前のためを思って」暴力をふるったら、起訴されます。それは誰もが理解できることのはずです。大人相手に許されないことは、子供相手にはなおさら許されません。教室で、体格にも立場にも差がある人間同士の体罰なら、より許されないと考えるべきです。

前提の時点で「体罰暴力=悪」の図式が完成してるので、別に後の設問論破せんでもよくなくなくなくなくないですか。まあでもしかし、体罰肯定派は「暴力ではない」か「暴力だとしても違法だとしても実質的機能してるんだよクソが」なみなさんなので、そもそも前提から相容れませんね。

多分体罰肯定派のヒトたちはここで去ってると思います文化が違う。

それはさておき、前提を結論と直結させる論法特に刑法で禁じられてはいませんが、世人と申しますか俺はムカつきます。たとえば、上司が部下相手に「サビ残はうちのルールから(=You are belonging to our base over the night.)」と言い放ち、かつ部下の反論を拒否した場合激怒されます。それは羊と遊んで暮らす牧人でも理解できる感情のはずです。リアルに許されないことは、増田相手にはなおさら許されません。ネットで、誰も暴力指導論なんか肯定しない同士の喧嘩なら、より許されないと考えるべきです。

1.子供のためを思う愛の気持ちがあれば、ある程度の体罰は容認される

 愛があれば違法行為が許されるのであれば、ストーカーだって「愛のために」行動していますストーカーは「彼女には僕しかいない。僕と結ばれるのが彼女のためだ。フヒヒ」と考えて行動しているわけですから。また、子供虐待している親も、みな「子供のしつけのため」といいます。もちろん、違法行為は「愛」や「相手のためを思う」によって正当化できません。そもそもその体罰子供利益になるかどうかは、絶対者ではない教師にはわかりません。

この質問、前提に則ったら「体罰は悪だから『ある程度』だろうがダメ」でよくないですか? それはさておき。

哀しいことに世の中には間違った「愛」と正しい「愛」がありますストーカーの「愛」は「真実の愛」ではありません。

おや? お笑いになる? 愛なんて相対的なものから、正しいも間違うもあるか、と? 

相対的だからこそ、互酬的だからこそ、客観的に判断を下せるのです。

この場合あなたは一方的な愛(の皮をかむった単なる言い訳であるがここでは無視する)を「正当化できない」と断じてます

では子供のほうから「いや、あれは愛だった。自分の為になった」と言い出した場合は? 感情は常に即時的に評価されるわけではありませんよ? そもそも利益でいうなら、その時にためになるかならないかは本人にわかりようがないじゃありませんか。

ごんぎつね」を思い出してください。あなたはかわいそうなごんを盗人と決めつけ、その場で射殺するのが正しい選択であったと思いますか?

それと、もうひとつ。教師は絶対者ではないかもしれませんが、経験者です。長年の実績がございます。何人もの「その後」を知っているという裏付けがございます当事者高校教師が、まさにそんな人間だったのでは?

2.今回の体罰はひどすぎた。だが、ある程度の体罰なら容認される

 「ある程度」の線引は個々の教師の恣意になってしまます。顔をグーで殴るのも、一部の教師にとっては「ある程度」でしょう。大人相手に「ある程度の平手」をしたら、起訴されます子供相手なら、なおさら許されません。

この質問、前提に則ったら「体罰は悪だから『ある程度』だろうがダメ」でよくないですか? それはさておき。

さきほども申しました通り、体罰教師だってプロです。なんのプロかと申しますと、暴力プロです。プロなので、加減くらい楽勝でわかります

よく言うでしょ? 「喧嘩はプロより素人の方が危ない。なぜなら素人は加減がわからいから、うっかり殺してしまうこともあるって」。何の漫画でしたっけ? カノセ先生? 

もちろん、今回の事件は加減のわからないクソ教師がひきおこした哀しい事件だったわけですが、それは個別のケースの話。サイコパス一定割合でどこの階層にも発生しますし、サイコパスを扱った映画一定確率でクソ映画です。で、質問者は「だが(一般として、どうだろう)」と提起しています世間の教師が他の大多数の職業より子供と接している時間が長いのは確かでしょうし、だからこそ、彼らは子供の分野で(一般に)信頼性が高い、とされているのです。もちろん、幼児性愛者は一定割合でどの職業にも発生します。


3.体罰がなければ、スポーツで強くなることはできない。したがって、部活動には体罰がある程度は容認される

 欧米では体罰が厳しく禁止されている国があるが、スポーツの強い国はいくつもあります体罰を使わなくても成果がでる以上、違う方法をとるべきです。元プロ野球選手で、早稲田大学スポーツ化学科で修士号をとっている桑田選手も「体罰スポーツが強くなることはない」と明言しています。もちろん、違法である以上、たとえ効果があってもやるべきではありません。

 欧米では体罰が厳しく禁止されていないうえに政治恫喝ドーピングまで行ってオリンピックメダル獲得数一位に幾度となく輝いた国がありました。ソ連です。あと欧米に限らなければ、体罰が奨励されている国でもそこそこスポーツの強い国もいくつかあります日本とかね。体罰を使って一定の成果がみこめる以上、その方法継続すべきです。早稲田大学と名乗る謎の所沢体育大学修士号をとった桑田元選手も「体罰スポーツが強くなることはない」と明言していますが、彼が論文執筆のためにプロ野球選手六大学野球選手を対象に行ったアンケートでは「『体罰必要』『ときとして必要』との回答が83%」を占めていた(ソース朝日)と明かされていますプロ野球六大学野球とそれぞれ最高峰の選手たちが体罰の効果を認めているのです。

 桑田投手はそこで「でも、肯定派の人に聞きたいのです。それでもいいのか、と」と反駁を試みているのですが、正直、それこそ個人の経験論で、全然科学的でも実証的でもないです。体罰肯定派の感情論の鏡写しみたい。よって桑田選手はアンサーの補強材料として採用しかます

 あと「違法だから」。その通りですね。日本法治国家です。自分で言った「前提」をなぜここでだけ繰りかえすのかわかりませんが、正しいです。でも前提のとこでも言いましたが体罰肯定派の人は「違法だろうが関係ない」か「暴行じゃないからお兄ちゃんじゃなくても触法じゃないよね」というスタンスなのです。哀しいですね。あなたとは文化が違うんです。

4.体罰のように厳しくプレッシャーをかけて伸ばすのは、子供の成長には必要だ。

 教育心理学脳科学などのあらゆる点から「褒めて伸ばす方が効果的である」という結果が出ています。なぜなら、厳しいプレッシャーにかけられると、人間の脳の学習記憶をつかさどる海馬の神経細胞破壊されるからです。一方で、褒められると、ドーパミンが分泌され、神経細胞の接続の強化やモチベーションの強化がされ、技能が向上します。たとえば、運動技能についてのこんな実験もありますhttp://www.nips.ac.jp/contents/release/entry/2012/11/post-223.html

 教育心理学脳科学臆面もなくセットでだしてくる度胸には賛嘆の念がたえないのですが、けしからんことに筋肉ゴリラ体罰教師どもはそんな小難しいことは理解しちゃくれません。彼らは古代ギリシャ人ばりの経験主義者なので、愚直に「実験」を繰り返して自分で得たデータしか信用しません。

ゴリラリンク先の記事を見てこう言うでしょう。「スポーツオタクキーボード遊びと違うんじゃイ」

一理あるとは思えませんか? 実験は「褒めると運動機能が向上する」ことは証明していますが、「体罰を加えると伸びない」ことは証明していません。

海馬がぶっこわれるですって? 愛あふれる体罰が生徒にストレスを与えるわけないじゃないじゃありませんか。そもそも厳しいプレッシャーなら、試合で感じてしかるべきです。

5.私が子供の頃は体罰なんて当たり前だった。したがって、体罰は容認するべき

 「昔はやっていた。故にその行為は正当である」という論理論理のように見えて、実際には何の意味もありません。昔はやっていたがゆえに正当化されるなら、奴隷制度だって正しいことになります。常識的に考えれば「昔は間違っていた」と認める思考に至るはずです。(たとえ自分の『昔』を否定することになったとしても)

いい落としの詐術ですね。別に爺どもは「昔もやってたから今も」を無条件に実行する思考回路が備え付けられたロボットではありません。

「昔はやっていた。」→「おかげで俺は立派に育ったし、成功したし、あの時の教師には感謝している」(New!)→「故にその行為は正当であ」り、現在でも行われるべきだ、としているのです。

おっしゃるように価値観およびその基準は時代によって変動します。昔は正しかったことが今も正しいとは限りませんし、今正しいことが未来永劫正しくあるとは限りません。それどころか明日だって変わるかもしれません。たとえば、某居酒屋チェーン経営者フォロワー東京都知事選を見ればわかるように、今の日本奴隷制度を正しいと考える人間は大勢存在するのです。

というか、欧米の常識に照らし合わせて考えれば、日本人サラリーマン奴隷と形容してさしつかえありません。

その国において、奴隷の子供を奴隷として扱うのはむしろ当然では?

6.私は体罰によってまっとうになった。だから体罰は正しい。俺はその教師に感謝してすらいる。

 あなた個別の例を一般化するべきではありません。人間はひとりひとり違うのですからあなたに効果があったからといって、他人に効果があるわけではありません。

一般化しているのは体罰否定派の方では? なぜ某バスケ部のケースを「特別」と考えないのです? 高校はひとつひとつ違うのですからひとつの高校にゆきすぎがあったからといって、他校で自殺者が出ているわけではありません。

あと前述の桑田さんのアンケートですが、サンプル約550人のうちの83%、つまり約456人が体罰の効果を肯定しています。彼らは「一般」ではないのですか? 彼らは個別の約456人であり、ひとりひとりがテロリストですか?

7.体罰がなくなったから、子供ゆとりになり、学力が低下したじゃないか

 第一に、子供の学力は低下していません。他の国のレベルがあがったので、相対的に位置が低くなっただけです。日本の中での絶対値としては下がっていません。むしろ、昔と今のセンター試験の問題を見る限り、今の子供の方が昔の子供よりも遥かに高度な内容に取り組んでいます。そもそも、子供教育レベルには様々な因子が絡むため、「体罰のある/ない」だけで論じることは不可能です。

さすがにこの仮想敵サンドバッグすぎでしょ……。ゆとりは政策であって体罰とは関係ないだろ……。

でも、絶対値としても下がっていますし、勉強をしない子供パーセンテージも増加しています。ググッたらでました。http://www.ritsumei.ac.jp/acd/ac/itl/outline/kiyo/kiyo11/10_oki.pdf

つーか、そもそもそういうデータが出なけりゃ「俗論」も生まれないよねえ。

上記論文体罰を要因として組み込んでいないのはまこと遺憾です。


8.体罰は言っても聞かない相手に言うことを聞かせるには有効だ。したがって、必要だ。

 桑田真澄選手は「怒鳴るコーチが多すぎる。大声で怒鳴るのは、『私には言って聞かせて子供を納得させる能力がない』と言っているようなもの」と述べています。大人になれば、相手に言うことを聞かせるのには、言って聞かせて合意形成をするしかありません。教育者ならば、容易な方法をとるのではなくて、たとえ厳しくても社会に出て必要合意形成指導方法の手本を自分が見せておくべきでしょう。

社会に出れば、理不尽かつ非論理的で説得力皆無の怒鳴り声に晒される場面はいっぱいいっぱいあります。いっぱいです。そして、それは「言って聞かせる」ことにおいてしばし効果を発揮するのです。ちなみに社会様で言うところの「言って聞かせる」は、「おれの意に有無を言わさず沿わせる」という意味です。予防と予行の両面において、「大声で怒鳴る」は正しいです。

野球部なんかで先輩がよく後輩に対して理不尽に怒鳴る光景が目撃されますが、あれはサル社会でいう「模倣」にあたります

9.体罰ダメにすると、教育現場が萎縮してしま

 それは正しい萎縮です。文明社会は「ぶっ殺してぇ」「ヤリてぇ」「ブン殴りてぇ」という欲望を法律によって萎縮させることで成り立っているからです。体罰をやめることが萎縮であるなら、今までが違法状態であり、萎縮が正しい状態といえます

たとえば、はてなダジャレを禁止にするとなんとかいうidのヒト(思い出せない)が、ひいてはネットダジャレ界が萎縮してしまうわけですが、いかがでしょう。

いかがでしょう、と問うたところで「そんなものは間違った萎縮じゃないか」とお答えになる向きもございましょう。しかし、ちょっと待って欲しい。風のささやきに耳をすませてもらいたい。「正しい萎縮」ってそもそもなんですか? あなたはそのものさしをどこで? おお、おお! なんということか! もしや……体罰の意義を曲解しておられる!? なんたること。

いいですか、別の体罰ゴリラたちは「ぶっ殺してぇ」「ヤリてぇ」「ブン殴りてぇ」と欲望しておるわけではないです。ゴリラをはじめとした類人猿たちは動物たちの中でも人間についで最も知性と情の深い動物として知られています

彼らはむしろ文明的な秩序を志向しているのです。群れを規律し、統制するための愛の鉄拳が振り下ろされるのです。

正しいこと、美しいことを禁止して発生する萎縮が「正しい萎縮」であるなら、ダジャレ禁止も世界を非文明化しクソどもの跋扈を許す蛮行であるという点で、また「正しい萎縮」であるはずです。

10.体罰を禁止にすると、生徒を管理するのが難しくなる

 そもそも教師の仕事は「未成熟子供を教え導く」という、半端じゃなく、難しく、大変な仕事です。難しいのがデフォルト、大変で困難なのがデフォルトです。たとえ難しくて厳しくて無駄に思えても「言って聞かせる」しかないのです。

それに、不良高校でも体罰に頼らずに教室を運営している教師はいるし、体罰が厳しく禁止されている欧米国でもきちんと生徒を指導できている教師はいくらでもいるでしょう。たとえ厳しくても、その道を選ぶべきです。もし、「そんなの無理だよ」というのなら、それはその教師が言葉による合意形成が出来ないということであり、「じゃあ、やめたら。」としか言えません。何かの問題解決に「殴って解決」が許されるのは、ハリウッド映画だけです。

根性論ですか。体罰教師っぽいですね。欧米では底辺は底辺であり、暴力の使用不使用にかかわらずみんなが天使みたいな良い子に育ってるわけじゃないと思いますが? 「言って聞かせる」なんてチンタラ効率の悪いことしてるから米国で銃乱射事件が耐えないのでは? 

「言って聞かせる」は万能ではありません。もちろん、一手段ではあるでしょう。ならば「言って聞かせ」てもダメな子を身体から矯正するのもまた一手段なのでは? 使える道具があるのになぜわざわざ禁止する必要が? あと今時「殴って解決」がハリウッド映画て、ハリウッドて。

11.未熟な子供には言って聞かせることなんて無理。したがって、体罰必要だ。

 精神が未熟な状態にあるから体罰が認められるなら、障害を持つ人への体罰だって正当化されることになります。持論をぶつの勝手ですが、まともな法治国家ではそれは認められません。

 障碍者定義に「精神が未熟な状態」にあるもの、なんて差別的な文言はどこにもありません。偏見をぶつの勝手ですが、まともな民主国家では認められません。っていうか、たぶんゴリラゴリラ学名なので差別語ではない)は子供障碍者も平等に扱うと思います。なぜ分ける必要があるのですか? 彼らをおなじカテゴリーとしてみなすなら、「正当化」は可能です。

12.法律で禁止されているから、ダメというのは思考停止では?

 では、権力者による暴力正当化されている国にでもいってみてはいかがでしょうか。法律は、社会が決めた規範の中でも、ほぼ最低限のレベルに属する規範です。その程度の規範すら守れない人間が、人を教え導ける立場にあるとは思えません。

あ、その論法、「原発が嫌なら日本を出て行け」で見たことある問題提起しただけでファンファンウィーヒッツザ国外追放処分にされるとはあなた権力者による暴力正当化されている国の愉快な仲間たちかなにかでしょうか? 

ところで、教師志願者たちのなかには生きている上で何かしらの法を犯してきた可能性、たとえば大学新歓飲み会未成年ながら飲酒してしまうとか、動画サイトで違法なエロ動画を覗くとかしてきた可能性が常にあるわけですが、彼らは「最低限の規範すら守れない人間」として採用試験にはねられてしまうのでしょうか。もしそうであるのなら、彼ら彼女らがかわいそうでしかたありません。


終わりに 

「何を屁理屈のことをグダグダと」と思うかもしれません。私も書いていてそう思いました。特に12のQでもないですし。あんな怠い映画が12もあってたまるか。でも、そんな「当たり前の増田の風景」が共有されていないのが怖いなぁ、と思っています。まともな常識と脳みそがあれば、増田に入り浸るのはダメだ、ダメ人間だというのはわかると思いますしかし、「自分は常識として正しいか論理的にも正しい」という謎論理によって自分の足場で戦える対話方式というステージでの八百長論破を正当化する人が多いのは、正直こわいです。たとえば、今回の事件で、元増田が掲げた数字が12ではなくて、30だったら、みんなあきれ果てて38もレスしなかったと思います。次からは50個くらいQ&Aを用意してくると誰にも絡まれなくて具合がよろしいです。

あと、

なんだっけ、

そうそう。



汚物は消毒だー!

体罰容認論を完璧論破できる12のQ&Aへ完全に反論できる12体罰

http://anond.hatelabo.jp/20130113151019

ここは増田だ。ここでならいっしょに遊べる。

議論の前提…体罰暴力です。暴力は違法です。相手が子供なら、なおさら

 体罰暴力です。暴力刑法で禁じられています。たとえば、上司が部下相手に「お前のためを思って」暴力をふるったら、起訴されます。それは誰もが理解できることのはずです。大人相手に許されないことは、子供相手にはなおさら許されません。教室で、体格にも立場にも差がある人間同士の体罰なら、より許されないと考えるべきです。

前提の時点で「体罰暴力=悪」の図式が完成してるので、別に後の設問論破せんでもよくなくなくなくなくないですか。まあでもしかし、体罰肯定派は「暴力ではない」か「暴力だとしても違法だとしても実質的機能してるんだよクソが」なみなさんなので、そもそも前提から相容れませんね。

多分体罰肯定派のヒトたちはここで去ってると思います文化が違う。

それはさておき、前提を結論と直結させる論法特に刑法で禁じられてはいませんが、世人と申しますか俺はムカつきます。たとえば、上司が部下相手に「サビ残はうちのルールから(=You are belonging to our base over the night.)」と言い放ち、かつ部下の反論を拒否した場合激怒されます。それは羊と遊んで暮らす牧人でも理解できる感情のはずです。リアルに許されないことは、増田相手にはなおさら許されません。ネットで、誰も暴力指導論なんか肯定しない同士の喧嘩なら、より許されないと考えるべきです。

1.子供のためを思う愛の気持ちがあれば、ある程度の体罰は容認される

 愛があれば違法行為が許されるのであれば、ストーカーだって「愛のために」行動していますストーカーは「彼女には僕しかいない。僕と結ばれるのが彼女のためだ。フヒヒ」と考えて行動しているわけですから。また、子供虐待している親も、みな「子供のしつけのため」といいます。もちろん、違法行為は「愛」や「相手のためを思う」によって正当化できません。そもそもその体罰子供の利益になるかどうかは、絶対者ではない教師にはわかりません。

この質問、前提に則ったら「体罰は悪だから『ある程度』だろうがダメ」でよくないですか? それはさておき。

哀しいことに世の中には間違った「愛」と正しい「愛」がありますストーカーの「愛」は「真実の愛」ではありません。

おや? お笑いになる? 愛なんて相対的なものから、正しいも間違うもあるか、と? 

相対的だからこそ、互酬的だからこそ、客観的に判断を下せるのです。

この場合あなたは一方的な愛(の皮をかむった単なる言い訳であるがここでは無視する)を「正当化できない」と断じてます

では子供のほうから「いや、あれは愛だった。自分の為になった」と言い出した場合は? 感情は常に即時的に評価されるわけではありませんよ? そもそも利益でいうなら、その時にためになるかならないかは本人にわかりようがないじゃありませんか。

ごんぎつね」を思い出してください。あなたはかわいそうなごんを盗人と決めつけ、その場で射殺するのが正しい選択であったと思いますか?

それと、もうひとつ。教師は絶対者ではないかもしれませんが、経験者です。長年の実績がございます。何人もの「その後」を知っているという裏付けがございます当事者高校教師が、まさにそんな人間だったのでは?

2.今回の体罰はひどすぎた。だが、ある程度の体罰なら容認される

 「ある程度」の線引は個々の教師の恣意になってしまます。顔をグーで殴るのも、一部の教師にとっては「ある程度」でしょう。大人相手に「ある程度の平手」をしたら、起訴されます子供相手なら、なおさら許されません。

この質問、前提に則ったら「体罰は悪だから『ある程度』だろうがダメ」でよくないですか? それはさておき。

さきほども申しました通り、体罰教師だってプロです。なんのプロかと申しますと、暴力プロです。プロなので、加減くらい楽勝でわかります

よく言うでしょ? 「喧嘩はプロより素人の方が危ない。なぜなら素人は加減がわからいから、うっかり殺してしまうこともあるって」。何の漫画でしたっけ? カノセ先生? 

もちろん、今回の事件は加減のわからないクソ教師がひきおこした哀しい事件だったわけですが、それは個別のケースの話。サイコパス一定割合でどこの階層にも発生しますし、サイコパスを扱った映画一定確率でクソ映画です。で、質問者は「だが(一般として、どうだろう)」と提起しています世間の教師が他の大多数の職業より子供と接している時間が長いのは確かでしょうし、だからこそ、彼らは子供の分野で(一般に)信頼性が高い、とされているのです。もちろん、幼児性愛者は一定割合でどの職業にも発生します。


3.体罰がなければ、スポーツで強くなることはできない。したがって、部活動には体罰がある程度は容認される

 欧米では体罰が厳しく禁止されている国があるが、スポーツの強い国はいくつもあります体罰を使わなくても成果がでる以上、違う方法をとるべきです。元プロ野球選手で、早稲田大学スポーツ化学科で修士号をとっている桑田選手も「体罰スポーツが強くなることはない」と明言しています。もちろん、違法である以上、たとえ効果があってもやるべきではありません。

 欧米では体罰が厳しく禁止されていないうえに政治恫喝ドーピングまで行ってオリンピックメダル獲得数一位に幾度となく輝いた国がありました。ソ連です。あと欧米に限らなければ、体罰奨励されている国でもそこそこスポーツの強い国もいくつかあります日本とかね。体罰を使って一定の成果がみこめる以上、その方法継続すべきです。早稲田大学と名乗る謎の所沢体育大学修士号をとった桑田元選手も「体罰スポーツが強くなることはない」と明言していますが、彼が論文執筆のためにプロ野球選手六大学野球選手を対象に行ったアンケートでは「『体罰必要』『ときとして必要』との回答が83%」を占めていた(ソース朝日)と明かされていますプロ野球六大学野球とそれぞれ最高峰の選手たちが体罰の効果を認めているのです。

 桑田投手はそこで「でも、肯定派の人に聞きたいのです。それでもいいのか、と」と反駁を試みているのですが、正直、それこそ個人の経験論で、全然科学的でも実証的でもないです。体罰肯定派の感情論の鏡写しみたい。よって桑田選手はアンサーの補強材料として採用しかます

 あと「違法だから」。その通りですね。日本法治国家です。自分で言った「前提」をなぜここでだけ繰りかえすのかわかりませんが、正しいです。でも前提のとこでも言いましたが体罰肯定派の人は「違法だろうが関係ない」か「暴行じゃないからお兄ちゃんじゃなくても触法じゃないよね」というスタンスなのです。哀しいですね。あなたとは文化が違うんです。

4.体罰のように厳しくプレッシャーをかけて伸ばすのは、子供の成長には必要だ。

 教育心理学脳科学などのあらゆる点から「褒めて伸ばす方が効果的である」という結果が出ています。なぜなら、厳しいプレッシャーにかけられると、人間の脳の学習記憶をつかさどる海馬の神経細胞破壊されるからです。一方で、褒められると、ドーパミンが分泌され、神経細胞の接続の強化やモチベーションの強化がされ、技能が向上します。たとえば、運動技能についてのこんな実験もありますhttp://www.nips.ac.jp/contents/release/entry/2012/11/post-223.html

 教育心理学脳科学を臆面もなくセットでだしてくる度胸には賛嘆の念がたえないのですが、けしからんことに筋肉ゴリラ体罰教師どもはそんな小難しいことは理解しちゃくれません。彼らは古代ギリシャ人ばりの経験主義者なので、愚直に「実験」を繰り返して自分で得たデータしか信用しません。

ゴリラリンク先の記事を見てこう言うでしょう。「スポーツオタクキーボード遊びと違うんじゃイ」

一理あるとは思えませんか? 実験は「褒めると運動機能が向上する」ことは証明していますが、「体罰を加えると伸びない」ことは証明していません。

海馬がぶっこわれるですって? 愛あふれる体罰が生徒にストレスを与えるわけないじゃないじゃありませんか。そもそも厳しいプレッシャーなら、試合で感じてしかるべきです。

5.私が子供の頃は体罰なんて当たり前だった。したがって、体罰は容認するべき

 「昔はやっていた。故にその行為は正当である」という論理論理のように見えて、実際には何の意味もありません。昔はやっていたがゆえに正当化されるなら、奴隷制度だって正しいことになります常識的に考えれば「昔は間違っていた」と認める思考に至るはずです。(たとえ自分の『昔』を否定することになったとしても)

いい落としの詐術ですね。別に爺どもは「昔もやってたから今も」を無条件に実行する思考回路が備え付けられたロボットではありません。

「昔はやっていた。」→「おかげで俺は立派に育ったし、成功したし、あの時の教師には感謝している」(New!)→「故にその行為は正当であ」り、現在でも行われるべきだ、としているのです。

おっしゃるように価値観およびその基準は時代によって変動します。昔は正しかったことが今も正しいとは限りませんし、今正しいことが未来永劫正しくあるとは限りません。それどころか明日だって変わるかもしれません。たとえば、某居酒屋チェーン経営者フォロワー東京都知事選を見ればわかるように、今の日本奴隷制度を正しいと考える人間は大勢存在するのです。

というか、欧米常識に照らし合わせて考えれば、日本人サラリーマン奴隷と形容してさしつかえありません。

その国において、奴隷の子供を奴隷として扱うのはむしろ当然では?

6.私は体罰によってまっとうになった。だから体罰は正しい。俺はその教師に感謝してすらいる。

 あなた個別の例を一般化するべきではありません。人間はひとりひとり違うのですからあなたに効果があったからといって、他人に効果があるわけではありません。

一般化しているのは体罰否定派の方では? なぜ某バスケ部のケースを「特別」と考えないのです? 高校はひとつひとつ違うのですからひとつの高校にゆきすぎがあったからといって、他校で自殺者が出ているわけではありません。

あと前述の桑田さんのアンケートですが、サンプル約550人のうちの83%、つまり約456人が体罰の効果を肯定しています。彼らは「一般」ではないのですか? 彼らは個別の約456人であり、ひとりひとりがテロリストですか?

7.体罰がなくなったから、子供ゆとりになり、学力が低下したじゃないか

 第一に、子供の学力は低下していません。他の国のレベルがあがったので、相対的に位置が低くなっただけです。日本の中での絶対値としては下がっていません。むしろ、昔と今のセンター試験の問題を見る限り、今の子供の方が昔の子供よりも遥かに高度な内容に取り組んでいます。そもそも、子供教育レベルには様々な因子が絡むため、「体罰のある/ない」だけで論じることは不可能です。

さすがにこの仮想敵サンドバッグすぎでしょ……。ゆとりは政策であって体罰とは関係ないだろ……。

でも、絶対値としても下がっていますし、勉強をしない子供パーセンテージも増加しています。ググッたらでました。http://www.ritsumei.ac.jp/acd/ac/itl/outline/kiyo/kiyo11/10_oki.pdf

つーか、そもそもそういうデータが出なけりゃ「俗論」も生まれないよねえ。

上記論文体罰を要因として組み込んでいないのはまこと遺憾です。


8.体罰は言っても聞かない相手に言うことを聞かせるには有効だ。したがって、必要だ。

 桑田真澄選手は「怒鳴るコーチが多すぎる。大声で怒鳴るのは、『私には言って聞かせて子供を納得させる能力がない』と言っているようなもの」と述べています。大人になれば、相手に言うことを聞かせるのには、言って聞かせて合意形成をするしかありません。教育者ならば、容易な方法をとるのではなくて、たとえ厳しくても社会に出て必要合意形成指導方法の手本を自分が見せておくべきでしょう。

社会に出れば、理不尽かつ非論理的で説得力皆無の怒鳴り声に晒される場面はいっぱいいっぱいあります。いっぱいです。そして、それは「言って聞かせる」ことにおいてしばし効果を発揮するのです。ちなみに社会様で言うところの「言って聞かせる」は、「おれの意に有無を言わさず沿わせる」という意味です。予防と予行の両面において、「大声で怒鳴る」は正しいです。

野球部なんかで先輩がよく後輩に対して理不尽に怒鳴る光景が目撃されますが、あれはサル社会でいう「模倣」にあたります

9.体罰ダメにすると、教育現場が萎縮してしま

 それは正しい萎縮です。文明社会は「ぶっ殺してぇ」「ヤリてぇ」「ブン殴りてぇ」という欲望を法律によって萎縮させることで成り立っているからです。体罰をやめることが萎縮であるなら、今までが違法状態であり、萎縮が正しい状態といえます

たとえば、はてなダジャレを禁止にするとなんとかいうidのヒト(思い出せない)が、ひいてはネットダジャレ界が萎縮してしまうわけですが、いかがでしょう。

いかがでしょう、と問うたところで「そんなものは間違った萎縮じゃないか」とお答えになる向きもございましょう。しかし、ちょっと待って欲しい。風のささやきに耳をすませてもらいたい。「正しい萎縮」ってそもそもなんですか? あなたはそのものさしをどこで? おお、おお! なんということか! もしや……体罰の意義を曲解しておられる!? なんたること。

いいですか、別の体罰ゴリラたちは「ぶっ殺してぇ」「ヤリてぇ」「ブン殴りてぇ」と欲望しておるわけではないです。ゴリラをはじめとした類人猿たちは動物たちの中でも人間についで最も知性と情の深い動物として知られています

彼らはむしろ文明的な秩序を志向しているのです。群れを規律し、統制するための愛の鉄拳が振り下ろされるのです。

正しいこと、美しいことを禁止して発生する萎縮が「正しい萎縮」であるなら、ダジャレ禁止も世界を非文明化しクソどもの跋扈を許す蛮行であるという点で、また「正しい萎縮」であるはずです。

10.体罰を禁止にすると、生徒を管理するのが難しくなる

 そもそも教師の仕事は「未成熟子供を教え導く」という、半端じゃなく、難しく、大変な仕事です。難しいのがデフォルト、大変で困難なのがデフォルトです。たとえ難しくて厳しくて無駄に思えても「言って聞かせる」しかないのです。

それに、不良高校でも体罰に頼らずに教室を運営している教師はいるし、体罰が厳しく禁止されている欧米国でもきちんと生徒を指導できている教師はいくらでもいるでしょう。たとえ厳しくても、その道を選ぶべきです。もし、「そんなの無理だよ」というのなら、それはその教師が言葉による合意形成が出来ないということであり、「じゃあ、やめたら。」としか言えません。何かの問題解決に「殴って解決」が許されるのは、ハリウッド映画だけです。

根性論ですか。体罰教師っぽいですね。欧米では底辺は底辺であり、暴力の使用不使用にかかわらずみんなが天使みたいな良い子に育ってるわけじゃないと思いますが? 「言って聞かせる」なんてチンタラ効率の悪いことしてるから米国で銃乱射事件が耐えないのでは? 

「言って聞かせる」は万能ではありません。もちろん、一手段ではあるでしょう。ならば「言って聞かせ」てもダメな子を身体から矯正するのもまた一手段なのでは? 使える道具があるのになぜわざわざ禁止する必要が? あと今時「殴って解決」がハリウッド映画て、ハリウッドて。

11.未熟な子供には言って聞かせることなんて無理。したがって、体罰必要だ。

 精神が未熟な状態にあるから体罰が認められるなら、障害を持つ人への体罰だって正当化されることになります。持論をぶつの勝手ですが、まともな法治国家ではそれは認められません。

 障碍者定義に「精神が未熟な状態」にあるもの、なんて差別的な文言はどこにもありません。偏見をぶつの勝手ですが、まともな民主国家では認められません。っていうか、たぶんゴリラゴリラ学名なので差別語ではない)は子供障碍者平等に扱うと思います。なぜ分ける必要があるのですか? 彼らをおなじカテゴリーとしてみなすなら、「正当化」は可能です。

12.法律で禁止されているから、ダメというのは思考停止では?

 では、権力者による暴力正当化されている国にでもいってみてはいかがでしょうか。法律は、社会が決めた規範の中でも、ほぼ最低限のレベルに属する規範です。その程度の規範すら守れない人間が、人を教え導ける立場にあるとは思えません。

あ、その論法、「原発が嫌なら日本を出て行け」で見たことある問題提起しただけでファンファンウィーヒッツザ国外追放処分にされるとはあなた権力者による暴力正当化されている国の愉快な仲間たちかなにかでしょうか? 

ところで、教師志願者たちのなかには生きている上で何かしらの法を犯してきた可能性、たとえば大学の新歓飲み会未成年ながら飲酒してしまうとか、動画サイトで違法なエロ動画を覗くとかしてきた可能性が常にあるわけですが、彼らは「最低限の規範すら守れない人間」として採用試験にはねられてしまうのでしょうか。もしそうであるのなら、彼ら彼女らがかわいそうでしかたありません。


終わりに 

「何を屁理屈のことをグダグダと」と思うかもしれません。私も書いていてそう思いました。特に12のQでもないですし。あんな怠い映画が12もあってたまるか。でも、そんな「当たり前の増田風景」が共有されていないのが怖いなぁ、と思っています。まともな常識脳みそがあれば、増田に入り浸るのはダメだ、ダメ人間だというのはわかると思いますしかし、「自分は常識として正しいか論理的にも正しい」という謎論理によって自分の足場で戦える対話方式というステージでの八百長論破を正当化する人が多いのは、正直こわいです。たとえば、今回の事件で、元増田が掲げた数字が12ではなくて、30だったら、みんなあきれ果てて38もレスしなかったと思います。次からは50個くらいQ&Aを用意してくると誰にも絡まれなくて具合がよろしいです。

あと、

なんだっけ、

そうそう。



汚物は消毒だー!

体罰容認論を完璧論破できる12のQ&Aへ完全に反論できる12体罰

http://anond.hatelabo.jp/20130113151019

ここは増田だ。ここでならいっしょに遊べる。

議論の前提…体罰暴力です。暴力違法です。相手が子供なら、なおさら

 体罰暴力です。暴力は刑法で禁じられています。たとえば、上司が部下相手に「お前のためを思って」暴力をふるったら、起訴されます。それは誰もが理解できることのはずです。大人相手に許されないことは、子供相手にはなおさら許されません。教室で、体格にも立場にも差がある人間同士の体罰なら、より許されないと考えるべきです。

前提の時点で「体罰暴力=悪」の図式が完成してるので、別に後の設問論破せんでもよくなくなくなくなくないですか。まあでもしかし、体罰肯定派は「暴力ではない」か「暴力だとしても違法だとしても実質的機能してるんだよクソが」なみなさんなので、そもそも前提から相容れませんね。

多分体罰肯定派のヒトたちはここで去ってると思います文化が違う。

それはさておき、前提を結論と直結させる論法特に刑法で禁じられてはいませんが、世人と申しますか俺はムカつきます。たとえば、上司が部下相手に「サビ残はうちのルールから(=You are belonging to our base over the night.)」と言い放ち、かつ部下の反論を拒否した場合、激怒されます。それは羊と遊んで暮らす牧人でも理解できる感情のはずです。リアルに許されないことは、増田相手にはなおさら許されません。ネットで、誰も暴力指導論なんか肯定しない同士の喧嘩なら、より許されないと考えるべきです。

1.子供のためを思う愛の気持ちがあれば、ある程度の体罰は容認される

 愛があれば違法行為が許されるのであれば、ストーカーだって「愛のために」行動していますストーカーは「彼女には僕しかいない。僕と結ばれるのが彼女のためだ。フヒヒ」と考えて行動しているわけですから。また、子供を虐待している親も、みな「子供のしつけのため」といいます。もちろん、違法行為は「愛」や「相手のためを思う」によって正当化できません。そもそもその体罰が子供の利益になるかどうかは、絶対者ではない教師にはわかりません。

この質問、前提に則ったら「体罰は悪だから『ある程度』だろうがダメ」でよくないですか? それはさておき。

哀しいことに世の中には間違った「愛」と正しい「愛」がありますストーカーの「愛」は「真実の愛」ではありません。

おや? お笑いになる? 愛なんて相対的なものから、正しいも間違うもあるか、と? 

相対的だからこそ、互酬的だからこそ、客観的に判断を下せるのです。

この場合あなたは一方的な愛(の皮をかむった単なる言い訳であるがここでは無視する)を「正当化できない」と断じてます

では子供のほうから「いや、あれは愛だった。自分の為になった」と言い出した場合は? 感情は常に即時的に評価されるわけではありませんよ? そもそも利益でいうなら、その時にためになるかならないかは本人にわかりようがないじゃありませんか。

ごんぎつね」を思い出してください。あなたはかわいそうなごんを盗人と決めつけ、その場で射殺するのが正しい選択であったと思いますか?

それと、もうひとつ。教師は絶対者ではないかもしれませんが、経験者です。長年の実績がございます。何人もの「その後」を知っているという裏付けがございます当事者高校教師が、まさにそんな人間だったのでは?

2.今回の体罰はひどすぎた。だが、ある程度の体罰なら容認される

 「ある程度」の線引は個々の教師の恣意になってしまいます。顔をグーで殴るのも、一部の教師にとっては「ある程度」でしょう。大人相手に「ある程度の平手」をしたら、起訴されます。子供相手なら、なおさら許されません。

この質問、前提に則ったら「体罰は悪だから『ある程度』だろうがダメ」でよくないですか? それはさておき。

さきほども申しました通り、体罰教師だってプロです。なんのプロかと申しますと、暴力プロです。プロなので、加減くらい楽勝でわかります

よく言うでしょ? 「喧嘩プロより素人の方が危ない。なぜなら素人は加減がわからいから、うっかり殺してしまうこともあるって」。何の漫画でしたっけ? カノセ先生? 

もちろん、今回の事件は加減のわからないクソ教師がひきおこした哀しい事件だったわけですが、それは個別のケースの話。サイコパスは一定の割合でどこの階層にも発生しますし、サイコパスを扱った映画は一定の確率でクソ映画です。で、質問者は「だが(一般として、どうだろう)」と提起しています世間の教師が他の大多数の職業より子供と接している時間が長いのは確かでしょうし、だからこそ、彼らは子供の分野で(一般に)信頼性が高い、とされているのです。もちろん、幼児性愛者は一定の割合でどの職業にも発生します


3.体罰がなければ、スポーツで強くなることはできない。したがって、部活動には体罰がある程度は容認される

 欧米では体罰が厳しく禁止されている国があるが、スポーツの強い国はいくつもあります体罰を使わなくても成果がでる以上、違う方法をとるべきです。元プロ野球選手で、早稲田大学スポーツ化学科で修士号をとっている桑田選手も「体罰スポーツが強くなることはない」と明言しています。もちろん、違法である以上、たとえ効果があってもやるべきではありません。

 欧米では体罰が厳しく禁止されていないうえに政治恫喝ドーピングまで行ってオリンピックメダル獲得数一位に幾度となく輝いた国がありました。ソ連です。あと欧米に限らなければ、体罰奨励されている国でもそこそこスポーツの強い国もいくつかあります。日本とかね。体罰を使って一定の成果がみこめる以上、その方法継続すべきです。早稲田大学と名乗る謎の所沢体育大学修士号をとった桑田選手も「体罰スポーツが強くなることはない」と明言していますが、彼が論文執筆のためにプロ野球選手六大学野球選手を対象に行ったアンケートでは「『体罰必要』『ときとして必要』との回答が83%」を占めていた(ソース朝日)と明かされていますプロ野球六大学野球とそれぞれ最高峰選手たちが体罰効果を認めているのです。

 桑田投手はそこで「でも、肯定派の人に聞きたいのです。それでもいいのか、と」と反駁を試みているのですが、正直、それこそ個人の経験論で、全然科学的でも実証的でもないです。体罰肯定派の感情論の鏡写しみたい。よって桑田選手はアンサーの補強材料として採用しかます

 あと「違法から」。その通りですね。日本は法治国家です。自分で言った「前提」をなぜここでだけ繰りかえすのかわかりませんが、正しいです。でも前提のとこでも言いましたが体罰肯定派の人は「違法だろうが関係ない」か「暴行じゃないからお兄ちゃんじゃなくても触法じゃないよね」というスタンスなのです。哀しいですね。あなたとは文化が違うんです。

4.体罰のように厳しくプレッシャーをかけて伸ばすのは、子供の成長には必要だ。

 教育心理学脳科学などのあらゆる点から「褒めて伸ばす方が効果である」という結果が出ています。なぜなら、厳しいプレッシャーにかけられると、人間の脳の学習・記憶をつかさどる海馬神経細胞が破壊されるからです。一方で、褒められると、ドーパミンが分泌され、神経細胞接続の強化やモチベーションの強化がされ、技能が向上します。たとえば、運動技能についてのこんな実験もありますhttp://www.nips.ac.jp/contents/release/entry/2012/11/post-223.html

 教育心理学脳科学臆面もなくセットでだしてくる度胸には賛嘆の念がたえないのですが、けしからんことに筋肉ゴリラ体罰教師どもはそんな小難しいことは理解しちゃくれません。彼らは古代ギリシャ人ばりの経験主義者なので、愚直に「実験」を繰り返して自分で得たデータしか信用しません。

ゴリラリンク先の記事を見てこう言うでしょう。「スポーツオタクキーボード遊びと違うんじゃイ」

一理あるとは思えませんか? 実験は「褒めると運動機能が向上する」ことは証明していますが、「体罰を加えると伸びない」ことは証明していません。

海馬がぶっこわれるですって? 愛あふれる体罰が生徒にストレスを与えるわけないじゃないじゃありませんか。そもそも厳しいプレッシャーなら、試合で感じてしかるべきです。

5.私が子供の頃は体罰なんて当たり前だった。したがって、体罰は容認するべき

 「昔はやっていた。故にその行為は正当である」という論理論理のように見えて、実際には何の意味もありません。昔はやっていたがゆえに正当化されるなら、奴隷制度だって正しいことになります常識的に考えれば「昔は間違っていた」と認める思考に至るはずです。(たとえ自分の『昔』を否定することになったとしても)

いい落としの詐術ですね。別に爺どもは「昔もやってたから今も」を無条件に実行する思考回路が備え付けられたロボットではありません。

「昔はやっていた。」→「おかげで俺は立派に育ったし、成功したし、あの時の教師には感謝している」(New!)→「故にその行為は正当であ」り、現在でも行われるべきだ、としているのです。

おっしゃるように価値観およびその基準は時代によって変動します。昔は正しかったことが今も正しいとは限りませんし、今正しいことが未来永劫正しくあるとは限りません。それどころか明日だって変わるかもしれません。たとえば、某居酒屋チェーン経営者フォロワー東京都知事選を見ればわかるように、今の日本で奴隷制度を正しいと考える人間は大勢存在するのです。

というか、欧米常識に照らし合わせて考えれば、日本人サラリーマン奴隷と形容してさしつかえありません。

その国において、奴隷の子供を奴隷として扱うのはむしろ当然では?

6.私は体罰によってまっとうになった。だから体罰は正しい。俺はその教師に感謝してすらいる。

 あなた個別の例を一般化するべきではありません。人間はひとりひとり違うのですからあなた効果があったからといって、他人に効果があるわけではありません。

一般化しているのは体罰否定派の方では? なぜ某バスケ部のケースを「特別」と考えないのです? 高校はひとつひとつ違うのですからひとつの高校にゆきすぎがあったからといって、他校で自殺者が出ているわけではありません。

あと前述の桑田さんのアンケートですが、サンプル約550人のうちの83%、つまり約456人が体罰効果を肯定しています。彼らは「一般」ではないのですか? 彼らは個別の約456人であり、ひとりひとりがテロリストですか?

7.体罰がなくなったから、子供がゆとりになり、学力が低下したじゃないか

 第一に、子供の学力は低下していません。他の国のレベルがあがったので、相対的に位置が低くなっただけです。日本の中での絶対値としては下がっていません。むしろ、昔と今のセンター試験の問題を見る限り、今の子供の方が昔の子供よりも遥かに高度な内容に取り組んでいます。そもそも、子供の教育レベルには様々な因子が絡むため、「体罰のある/ない」だけで論じることは不可能です。

さすがにこの仮想敵サンドバッグすぎでしょ……。ゆとりは政策であって体罰とは関係ないだろ……。

でも、絶対値としても下がっていますし、勉強をしない子供のパーセンテージも増加しています。ググッたらでました。http://www.ritsumei.ac.jp/acd/ac/itl/outline/kiyo/kiyo11/10_oki.pdf

つーか、そもそもそういうデータが出なけりゃ「俗論」も生まれないよねえ。

上記論文体罰を要因として組み込んでいないのはまこと遺憾です。


8.体罰は言っても聞かない相手に言うことを聞かせるには有効だ。したがって、必要だ。

 桑田真澄選手は「怒鳴るコーチが多すぎる。大声で怒鳴るのは、『私には言って聞かせて子供を納得させる能力がない』と言っているようなもの」と述べています。大人になれば、相手に言うことを聞かせるのには、言って聞かせて合意形成をするしかありません。教育者ならば、容易な方法をとるのではなくて、たとえ厳しくても社会に出て必要合意形成指導方法の手本を自分が見せておくべきでしょう。

社会に出れば、理不尽かつ非論理的で説得力皆無の怒鳴り声に晒される場面はいっぱいいっぱいあります。いっぱいです。そして、それは「言って聞かせる」ことにおいてしばし効果を発揮するのです。ちなみに社会様で言うところの「言って聞かせる」は、「おれの意に有無を言わさず沿わせる」という意味です。予防と予行の両面において、「大声で怒鳴る」は正しいです。

野球部なんかで先輩がよく後輩に対して理不尽に怒鳴る光景が目撃されますが、あれはサル社会でいう「模倣」にあたります

9.体罰ダメにすると、教育現場が萎縮してしまう

 それは正しい萎縮です。文明社会は「ぶっ殺してぇ」「ヤリてぇ」「ブン殴りてぇ」という欲望を法律によって萎縮させることで成り立っているからです。体罰をやめることが萎縮であるなら、今までが違法状態であり、萎縮が正しい状態といえます

たとえば、はてなダジャレを禁止にするとなんとかいうidのヒト(思い出せない)が、ひいてはネットダジャレ界が萎縮してしまうわけですが、いかがでしょう。

いかがでしょう、と問うたところで「そんなものは間違った萎縮じゃないか」とお答えになる向きもございましょう。しかし、ちょっと待って欲しい。風のささやきに耳をすませてもらいたい。「正しい萎縮」ってそもそもなんですか? あなたはそのものさしをどこで? おお、おお! なんということか! もしや……体罰の意義を曲解しておられる!? なんたること。

いいですか、別の体罰ゴリラたちは「ぶっ殺してぇ」「ヤリてぇ」「ブン殴りてぇ」と欲望しておるわけではないです。ゴリラをはじめとした類人猿たちは動物たちの中でも人間についで最も知性と情の深い動物として知られています

彼らはむしろ文明的な秩序を志向しているのです。群れを規律し、統制するための愛の鉄拳が振り下ろされるのです。

正しいこと、美しいことを禁止して発生する萎縮が「正しい萎縮」であるなら、ダジャレ禁止も世界を非文明化しクソどもの跋扈を許す蛮行であるという点で、また「正しい萎縮」であるはずです。

10.体罰を禁止にすると、生徒を管理するのが難しくなる

 そもそも教師の仕事は「未成熟な子供を教え導く」という、半端じゃなく、難しく、大変な仕事です。難しいのがデフォルト、大変で困難なのがデフォルトです。たとえ難しくて厳しくて無駄に思えても「言って聞かせる」しかないのです。

それに、不良高校でも体罰に頼らずに教室を運営している教師はいるし、体罰が厳しく禁止されている欧米国でもきちんと生徒を指導できている教師はいくらでもいるでしょう。たとえ厳しくても、その道を選ぶべきです。もし、「そんなの無理だよ」というのなら、それはその教師が言葉による合意形成が出来ないということであり、「じゃあ、やめたら。」としか言えません。何かの問題解決に「殴って解決」が許されるのは、ハリウッド映画だけです。

根性論ですか。体罰教師っぽいですね。欧米では底辺は底辺であり、暴力の使用不使用にかかわらずみんなが天使みたいな良い子に育ってるわけじゃないと思いますが? 「言って聞かせる」なんてチンタラ効率の悪いことしてるから米国で銃乱射事件が耐えないのでは? 

「言って聞かせる」は万能ではありません。もちろん、一手段ではあるでしょう。ならば「言って聞かせ」てもダメな子を身体から矯正するのもまた一手段なのでは? 使える道具があるのになぜわざわざ禁止する必要が? あと今時「殴って解決」がハリウッド映画て、ハリウッドて。

11.未熟な子供には言って聞かせることなんて無理。したがって、体罰必要だ。

 精神が未熟な状態にあるから体罰が認められるなら、障害を持つ人への体罰だって正当化されることになります。持論をぶつのは勝手ですが、まともな法治国家ではそれは認められません。

 障碍者定義に「精神が未熟な状態」にあるもの、なんて差別的な文言はどこにもありません。偏見をぶつのは勝手ですが、まともな民主国家では認められません。っていうか、たぶんゴリラゴリラ(学名なので差別語ではない)は子供も障碍者平等に扱うと思います。なぜ分ける必要があるのですか? 彼らをおなじカテゴリーとしてみなすなら、「正当化」は可能です。

12.法律で禁止されているから、ダメというのは思考停止では?

 では、権力者による暴力正当化されている国にでもいってみてはいかがでしょうか。法律は、社会が決めた規範の中でも、ほぼ最低限のレベルに属する規範です。その程度の規範すら守れない人間が、人を教え導ける立場にあるとは思えません。

あ、その論法、「原発が嫌なら日本を出て行け」で見たことある問題提起しただけでファンファンウィーヒッツザ国外追放処分にされるとはあなた権力者による暴力正当化されている国の愉快な仲間たちかなにかでしょうか? 

ところで、教師志願者たちのなかには生きている上で何かしらの法を犯してきた可能性、たとえば大学新歓飲み会未成年ながら飲酒してしまうとか、動画サイト違法エロ動画を覗くとかしてきた可能性が常にあるわけですが、彼らは「最低限の規範すら守れない人間」として採用試験にはねられてしまうのでしょうか。もしそうであるのなら、彼ら彼女らがかわいそうでしかたありません。


終わりに 

「何を屁理屈のことをグダグダと」と思うかもしれません。私も書いていてそう思いました。特に12のQでもないですし。あんな怠い映画が12もあってたまるか。でも、そんな「当たり前の増田風景」が共有されていないのが怖いなぁ、と思っています。まともな常識脳みそがあれば、増田に入り浸るのはダメだ、ダメ人間だというのはわかると思いますしかし、「自分常識として正しいか論理的にも正しい」という謎論理によって自分の足場で戦える対話方式というステージでの八百長論破正当化する人が多いのは、正直こわいです。たとえば、今回の事件で、元増田が掲げた数字が12ではなくて、30だったら、みんなあきれ果てて38もレスしなかったと思います。次からは50個くらいQ&Aを用意してくると誰にも絡まれなくて具合がよろしいです。

あと、

なんだっけ、

うそう。



汚物は消毒だー!

体罰容認論を完璧論破できる12のQ&Aへ完全に反論できる12体罰

http://anond.hatelabo.jp/20130113151019

俺は基本的に体罰撲滅派で、なぜなら自分が殴られて不快な思いをする可能性を一ミリでも排除したいからです。

だが、今はどうでもいい。予防線に使おうとは思わない。

ここは増田だ。野犬に噛まれるくらいは日常茶飯事!

議論の前提…体罰暴力です。暴力は違法です。相手が子供なら、なおさら

 体罰暴力です。暴力刑法で禁じられています。たとえば、上司が部下相手に「お前のためを思って」暴力をふるったら、起訴されます。それは誰もが理解できることのはずです。大人相手に許されないことは、子供相手にはなおさら許されません。教室で、体格にも立場にも差がある人間同士の体罰なら、より許されないと考えるべきです。

前提の時点で「体罰暴力=悪」の図式が完成してるので、別に後の設問論破せんでもよくなくなくなくなくないですか。まあでもしかし、体罰肯定派は「暴力ではない」か「暴力だとしても違法だとしても実質的機能してるんだよクソが」なみなさんなので、そもそも前提から相容れませんね。

多分体罰肯定派のヒトたちはここで去ってると思います。文化が違う。

それはさておき、前提を結論と直結させる論法特に刑法で禁じられてはいませんが、世人と申しますか俺はムカつきます。たとえば、上司が部下相手に「サビ残はうちのルールから(=You are belonging to our base over the night.)」と言い放ち、かつ部下の反論を拒否した場合激怒されます。それは羊と遊んで暮らす牧人でも理解できる感情のはずです。リアルに許されないことは、増田相手にはなおさら許されません。ネットで、誰も暴力指導論なんか肯定しない同士の喧嘩なら、より許されないと考えるべきです。

1.子供のためを思う愛の気持ちがあれば、ある程度の体罰は容認される

 愛があれば違法行為が許されるのであれば、ストーカーだって「愛のために」行動していますストーカーは「彼女には僕しかいない。僕と結ばれるのが彼女のためだ。フヒヒ」と考えて行動しているわけですから。また、子供虐待している親も、みな「子供のしつけのため」といいます。もちろん、違法行為は「愛」や「相手のためを思う」によって正当化できません。そもそもその体罰子供の利益になるかどうかは、絶対者ではない教師にはわかりません。

この質問、前提に則ったら「体罰は悪だから『ある程度』だろうがダメ」でよくないですか? それはさておき。

哀しいことに世の中には間違った「愛」と正しい「愛」がありますストーカーの「愛」は「真実の愛」ではありません。

おや? お笑いになる? 愛なんて相対的なものから、正しいも間違うもあるか、と? 

相対的だからこそ、互酬的だからこそ、客観的に判断を下せるのです。

この場合あなたは一方的な愛(の皮をかむった単なる言い訳であるがここでは無視する)を「正当化できない」と断じてます

では子供のほうから「いや、あれは愛だった。自分の為になった」と言い出した場合は? 感情は常に即時的に評価されるわけではありませんよ? そもそも利益でいうなら、その時にためになるかならないかは本人にわかりようがないじゃありませんか。

ごんぎつね」を思い出してください。あなたはかわいそうなごんを盗人と決めつけ、その場で射殺するのが正しい選択であったと思いますか?

それと、もうひとつ。教師は絶対者ではないかもしれませんが、経験者です。長年の実績がございます。何人もの「その後」を知っているという裏付けがございます当事者高校教師が、まさにそんな人間だったのでは?

2.今回の体罰はひどすぎた。だが、ある程度の体罰なら容認される

 「ある程度」の線引は個々の教師の恣意になってしまます。顔をグーで殴るのも、一部の教師にとっては「ある程度」でしょう。大人相手に「ある程度の平手」をしたら、起訴されます子供相手なら、なおさら許されません。

この質問、前提に則ったら「体罰は悪だから『ある程度』だろうがダメ」でよくないですか? それはさておき。

さきほども申しました通り、体罰教師だってプロです。なんのプロかと申しますと、暴力プロです。プロなので、加減くらい楽勝でわかります

よく言うでしょ? 「喧嘩はプロより素人の方が危ない。なぜなら素人は加減がわからいから、うっかり殺してしまうこともあるって」。何の漫画でしたっけ? カノセ先生? 

もちろん、今回の事件は加減のわからないクソ教師がひきおこした哀しい事件だったわけですが、それは個別のケースの話。サイコパス一定割合でどこの階層にも発生しますし、サイコパスを扱った映画一定確率でクソ映画です。で、質問者は「だが(一般として、どうだろう)」と提起しています世間の教師が他の大多数の職業より子供と接している時間が長いのは確かでしょうし、だからこそ、彼らは子供の分野で(一般に)信頼性が高い、とされているのです。もちろん、幼児性愛者は一定割合でどの職業にも発生します。


3.体罰がなければ、スポーツで強くなることはできない。したがって、部活動には体罰がある程度は容認される

 欧米では体罰が厳しく禁止されている国があるが、スポーツの強い国はいくつもあります体罰を使わなくても成果がでる以上、違う方法をとるべきです。元プロ野球選手で、早稲田大学スポーツ化学科で修士号をとっている桑田選手も「体罰スポーツが強くなることはない」と明言しています。もちろん、違法である以上、たとえ効果があってもやるべきではありません。

 欧米では体罰が厳しく禁止されていないうえに政治恫喝ドーピングまで行ってオリンピックメダル獲得数一位に幾度となく輝いた国がありました。ソ連です。あと欧米に限らなければ、体罰が奨励されている国でもそこそこスポーツの強い国もいくつかあります日本とかね。体罰を使って一定の成果がみこめる以上、その方法継続すべきです。早稲田大学と名乗る謎の所沢体育大学修士号をとった桑田元選手も「体罰スポーツが強くなることはない」と明言していますが、彼が論文執筆のためにプロ野球選手六大学野球選手を対象に行ったアンケートでは「『体罰必要』『ときとして必要』との回答が83%」を占めていた(ソース朝日)と明かされていますプロ野球六大学野球とそれぞれ最高峰の選手たちが体罰の効果を認めているのです。

 桑田投手はそこで「でも、肯定派の人に聞きたいのです。それでもいいのか、と」と反駁を試みているのですが、正直、それこそ個人の経験論で、全然科学的でも実証的でもないです。体罰肯定派の感情論の鏡写しみたい。よって桑田選手はアンサーの補強材料として採用しかます

 あと「違法だから」。その通りですね。日本法治国家です。自分で言った「前提」をなぜここでだけ繰りかえすのかわかりませんが、正しいです。でも前提のとこでも言いましたが体罰肯定派の人は「違法だろうが関係ない」か「暴行じゃないからお兄ちゃんじゃなくても触法じゃないよね」というスタンスなのです。哀しいですね。あなたとは文化が違うんです。

4.体罰のように厳しくプレッシャーをかけて伸ばすのは、子供の成長には必要だ。

 教育心理学脳科学などのあらゆる点から「褒めて伸ばす方が効果的である」という結果が出ています。なぜなら、厳しいプレッシャーにかけられると、人間の脳の学習記憶をつかさどる海馬の神経細胞破壊されるからです。一方で、褒められると、ドーパミンが分泌され、神経細胞の接続の強化やモチベーションの強化がされ、技能が向上します。たとえば、運動技能についてのこんな実験もありますhttp://www.nips.ac.jp/contents/release/entry/2012/11/post-223.html

 教育心理学脳科学臆面もなくセットでだしてくる度胸には賛嘆の念がたえないのですが、けしからんことに筋肉ゴリラ体罰教師どもはそんな小難しいことは理解しちゃくれません。彼らは古代ギリシャ人ばりの経験主義者なので、愚直に「実験」を繰り返して自分で得たデータしか信用しません。

ゴリラリンク先の記事を見てこう言うでしょう。「スポーツオタクキーボード遊びと違うんじゃイ」

一理あるとは思えませんか? 実験は「褒めると運動機能が向上する」ことは証明していますが、「体罰を加えると伸びない」ことは証明していません。

海馬がぶっこわれるですって? 愛あふれる体罰が生徒にストレスを与えるわけないじゃないじゃありませんか。そもそも厳しいプレッシャーなら、試合で感じてしかるべきです。

5.私が子供の頃は体罰なんて当たり前だった。したがって、体罰は容認するべき

 「昔はやっていた。故にその行為は正当である」という論理論理のように見えて、実際には何の意味もありません。昔はやっていたがゆえに正当化されるなら、奴隷制度だって正しいことになります。常識的に考えれば「昔は間違っていた」と認める思考に至るはずです。(たとえ自分の『昔』を否定することになったとしても)

いい落としの詐術ですね。別に爺どもは「昔もやってたから今も」を無条件に実行する思考回路が備え付けられたロボットではありません。

「昔はやっていた。」→「おかげで俺は立派に育ったし、成功したし、あの時の教師には感謝している」(New!)→「故にその行為は正当であ」り、現在でも行われるべきだ、としているのです。

おっしゃるように価値観およびその基準は時代によって変動します。昔は正しかったことが今も正しいとは限りませんし、今正しいことが未来永劫正しくあるとは限りません。それどころか明日にだって変わるかもしれません。たとえば、某居酒屋チェーン経営者フォロワー東京都知事選を見ればわかるように、今の日本奴隷制度を正しいと考える人間は大勢存在するのです。

というか、欧米の常識に照らし合わせて考えれば、日本人サラリーマン奴隷と形容してさしつかえありません。

その国において、奴隷の子供を奴隷として扱うのはむしろ当然では?

6.私は体罰によってまっとうになった。だから体罰は正しい。俺はその教師に感謝してすらいる。

 あなた個別の例を一般化するべきではありません。人間はひとりひとり違うのですからあなたに効果があったからといって、他人に効果があるわけではありません。

一般化しているのは体罰否定派の方では? なぜ某バスケ部のケースを「特別」と考えないのです? 高校はひとつひとつ違うのですからひとつの高校にゆきすぎがあったからといって、他校で自殺者が出ているわけではありません。

あと前述の桑田さんのアンケートですが、サンプル約550人のうちの83%、つまり約456人が体罰の効果を肯定しています。彼らは「一般」ではないのですか? 彼らは個別の約456人であり、ひとりひとりがテロリストですか?

7.体罰がなくなったから、子供ゆとりになり、学力が低下したじゃないか

 第一に、子供の学力は低下していません。他の国のレベルがあがったので、相対的に位置が低くなっただけです。日本の中での絶対値としては下がっていません。むしろ、昔と今のセンター試験の問題を見る限り、今の子供の方が昔の子供よりも遥かに高度な内容に取り組んでいます。そもそも、子供教育レベルには様々な因子が絡むため、「体罰のある/ない」だけで論じることは不可能です。

さすがにこの仮想敵サンドバッグすぎでしょ……。ゆとりは政策であって体罰とは関係ないだろ……。

でも、絶対値としても下がっていますし、勉強をしない子供パーセンテージも増加しています。ググッたらでました。http://www.ritsumei.ac.jp/acd/ac/itl/outline/kiyo/kiyo11/10_oki.pdf

つーか、そもそもそういうデータが出なけりゃ「俗論」も生まれないよねえ。

上記論文体罰を要因として組み込んでいないのはまこと遺憾です。


8.体罰は言っても聞かない相手に言うことを聞かせるには有効だ。したがって、必要だ。

 桑田真澄選手は「怒鳴るコーチが多すぎる。大声で怒鳴るのは、『私には言って聞かせて子供を納得させる能力がない』と言っているようなもの」と述べています。大人になれば、相手に言うことを聞かせるのには、言って聞かせて合意形成をするしかありません。教育者ならば、容易な方法をとるのではなくて、たとえ厳しくても社会に出て必要合意形成指導方法の手本を自分が見せておくべきでしょう。

社会に出れば、理不尽かつ非論理的で説得力皆無の怒鳴り声に晒される場面はいっぱいいっぱいあります。いっぱいです。そして、それは「言って聞かせる」ことにおいてしばし効果を発揮するのです。ちなみに社会様で言うところの「言って聞かせる」は、「おれの意に有無を言わさず沿わせる」という意味です。予防と予行の両面において、「大声で怒鳴る」は正しいです。

野球部なんかで先輩がよく後輩に対して理不尽に怒鳴る光景が目撃されますが、あれはサル社会でいう「模倣」にあたります

9.体罰ダメにすると、教育現場が萎縮してしま

 それは正しい萎縮です。文明社会は「ぶっ殺してぇ」「ヤリてぇ」「ブン殴りてぇ」という欲望を法律によって萎縮させることで成り立っているからです。体罰をやめることが萎縮であるなら、今までが違法状態であり、萎縮が正しい状態といえます

たとえば、はてなダジャレを禁止にするとなんとかいうidのヒト(思い出せない)が、ひいてはネットダジャレ界が萎縮してしまうわけですが、いかがでしょう。

いかがでしょう、と問うたところで「そんなものは間違った萎縮じゃないか」とお答えになる向きもございましょう。しかし、ちょっと待って欲しい。風のささやきに耳をすませてもらいたい。「正しい萎縮」ってそもそもなんですか? あなたはそのものさしをどこで? おお、おお! なんということか! もしや……体罰の意義を曲解しておられる!? なんたること。

いいですか、別の体罰ゴリラたちは「ぶっ殺してぇ」「ヤリてぇ」「ブン殴りてぇ」と欲望しておるわけではないです。ゴリラをはじめとした類人猿たちは動物たちの中でも人間についで最も知性と情の深い動物として知られています

彼らはむしろ文明的な秩序を志向しているのです。群れを規律し、統制するための愛の鉄拳が振り下ろされるのです。

正しいこと、美しいことを禁止して発生する萎縮が「正しい萎縮」であるなら、ダジャレ禁止も世界を非文明化しクソどもの跋扈を許す蛮行であるという点で、また「正しい萎縮」であるはずです。

10.体罰を禁止にすると、生徒を管理するのが難しくなる

 そもそも教師の仕事は「未成熟子供を教え導く」という、半端じゃなく、難しく、大変な仕事です。難しいのがデフォルト、大変で困難なのがデフォルトです。たとえ難しくて厳しくて無駄に思えても「言って聞かせる」しかないのです。

それに、不良高校でも体罰に頼らずに教室を運営している教師はいるし、体罰が厳しく禁止されている欧米国でもきちんと生徒を指導できている教師はいくらでもいるでしょう。たとえ厳しくても、その道を選ぶべきです。もし、「そんなの無理だよ」というのなら、それはその教師が言葉による合意形成が出来ないということであり、「じゃあ、やめたら。」としか言えません。何かの問題解決に「殴って解決」が許されるのは、ハリウッド映画だけです。

根性論ですか。体罰教師っぽいですね。欧米では底辺は底辺であり、暴力の使用不使用にかかわらずみんなが天使みたいな良い子に育ってるわけじゃないと思いますが? 「言って聞かせる」なんてチンタラ効率の悪いことしてるから米国で銃乱射事件が耐えないのでは? 

「言って聞かせる」は万能ではありません。もちろん、一手段ではあるでしょう。ならば「言って聞かせ」てもダメな子を身体から矯正するのもまた一手段なのでは? 使える道具があるのになぜわざわざ禁止する必要が? あと今時「殴って解決」がハリウッド映画て、ハリウッドて。

11.未熟な子供には言って聞かせることなんて無理。したがって、体罰必要だ。

 精神が未熟な状態にあるから体罰が認められるなら、障害を持つ人への体罰だって正当化されることになります。持論をぶつの勝手ですが、まともな法治国家ではそれは認められません。

 障碍者定義に「精神が未熟な状態」にあるもの、なんて差別的な文言はどこにもありません。偏見をぶつの勝手ですが、まともな民主国家では認められません。っていうか、たぶんゴリラゴリラ学名なので差別語ではない)は子供障碍者平等に扱うと思います。なぜ分ける必要があるのですか? 彼らをおなじカテゴリーとしてみなすなら、「正当化」は可能です。

12.法律で禁止されているから、ダメというのは思考停止では?

 では、権力者による暴力正当化されている国にでもいってみてはいかがでしょうか。法律は、社会が決めた規範の中でも、ほぼ最低限のレベルに属する規範です。その程度の規範すら守れない人間が、人を教え導ける立場にあるとは思えません。

あ、その論法、「原発が嫌なら日本を出て行け」で見たことある問題提起しただけでファンファンウィーヒッツザ国外追放処分にされるとはあなた権力者による暴力正当化されている国の愉快な仲間たちかなにかでしょうか? 

ところで、教師志願者たちのなかには生きている上で何かしらの法を犯してきた可能性、たとえば大学の新歓飲み会未成年ながら飲酒してしまうとか、動画サイトで違法なエロ動画を覗くとかしてきた可能性が常にあるわけですが、彼らは「最低限の規範すら守れない人間」として採用試験にはねられてしまうのでしょうか。もしそうであるのなら、彼ら彼女らがかわいそうでしかたありません。


終わりに 

「何を屁理屈のことをグダグダと」と思うかもしれません。私も書いていてそう思いました。特に12のQでもないですし。あんな怠い映画が12もあってたまるか。でも、そんな「当たり前の増田風景」が共有されていないのが怖いなぁ、と思っています。まともな常識と脳みそがあれば、増田に入り浸るのはダメだ、ダメ人間だというのはわかると思いますしかし、「自分は常識として正しいか論理的にも正しい」という謎論理によって自分の足場で戦える対話方式というステージでの八百長論破を正当化する人が多いのは、正直こわいです。たとえば、今回の事件で、元増田が掲げた数字が12ではなくて、30だったら、おれは疲れて果ててこんな真似しなかったと思います。次からは50個くらいQ&Aを用意してくると誰にも絡まれなくて具合がよろしいです。

あと、

なんだっけ、

うそう。



汚物は消毒だー!

体罰容認論を完璧論破できる12のQ&Aへ完全に反論できる12のQ

http://anond.hatelabo.jp/20130113151019

俺は基本的に体罰撲滅派で、なぜなら自分が殴られて不快な思いをする可能性を一ミリでも排除したいからです。

だが、今はどうでもいい。予防線に使おうとは思わない。

ここは増田だ。野犬に噛まれるくらいは日常茶飯事!

議論の前提…体罰暴力です。暴力は違法です。相手が子供なら、なおさら

 体罰暴力です。暴力刑法で禁じられています。たとえば、上司が部下相手に「お前のためを思って」暴力をふるったら、起訴されます。それは誰もが理解できることのはずです。大人相手に許されないことは、子供相手にはなおさら許されません。教室で、体格にも立場にも差がある人間同士の体罰なら、より許されないと考えるべきです。

前提の時点で「体罰暴力=悪」の図式が完成してるので、別に後の設問論破せんでもよくなくなくなくなくないですか。まあでもしかし、体罰肯定派は「暴力ではない」か「暴力だとしても違法だとしても実質的機能してるんだよクソが」なみなさんなので、そもそも前提から相容れませんね。

多分体罰肯定派のヒトたちはここで去ってると思います。文化が違う。

それはさておき、前提を結論と直結させる論法特に刑法で禁じられてはいませんが、世人と申しますか俺はムカつきます。たとえば、上司が部下相手に「サビ残はうちのルールから(=You are belonging to our base over the night.)」と言い放ち、かつ部下の反論を拒否した場合激怒されます。それは羊と遊んで暮らす牧人でも理解できる感情のはずです。リアルに許されないことは、増田相手にはなおさら許されません。ネットで、誰も暴力指導論なんか肯定しない同士の喧嘩なら、より許されないと考えるべきです。

1.子供のためを思う愛の気持ちがあれば、ある程度の体罰は容認される

 愛があれば違法行為が許されるのであれば、ストーカーだって「愛のために」行動していますストーカーは「彼女には僕しかいない。僕と結ばれるのが彼女のためだ。フヒヒ」と考えて行動しているわけですから。また、子供虐待している親も、みな「子供のしつけのため」といいます。もちろん、違法行為は「愛」や「相手のためを思う」によって正当化できません。そもそもその体罰子供の利益になるかどうかは、絶対者ではない教師にはわかりません。

この質問、前提に則ったら「体罰は悪だから『ある程度』だろうがダメ」でよくないですか? それはさておき。

哀しいことに世の中には間違った「愛」と正しい「愛」がありますストーカーの「愛」は「真実の愛」ではありません。

おや? お笑いになる? 愛なんて相対的なものから、正しいも間違うもあるか、と? 

相対的だからこそ、互酬的だからこそ、客観的に判断を下せるのです。

この場合あなたは一方的な愛(の皮をかむった単なる言い訳であるがここでは無視する)を「正当化できない」と断じてます

では子供のほうから「いや、あれは愛だった。自分の為になった」と言い出した場合は? 感情は常に即時的に評価されるわけではありませんよ? そもそも利益でいうなら、その時にためになるかならないかは本人にわかりようがないじゃありませんか。

ごんぎつね」を思い出してください。あなたはかわいそうなごんを盗人と決めつけ、その場で射殺するのが正しい選択であったと思いますか?

それと、もうひとつ。教師は絶対者ではないかもしれませんが、経験者です。長年の実績がございます。何人もの「その後」を知っているという裏付けがございます当事者高校教師が、まさにそんな人間だったのでは?

2.今回の体罰はひどすぎた。だが、ある程度の体罰なら容認される

 「ある程度」の線引は個々の教師の恣意になってしまます。顔をグーで殴るのも、一部の教師にとっては「ある程度」でしょう。大人相手に「ある程度の平手」をしたら、起訴されます子供相手なら、なおさら許されません。

この質問、前提に則ったら「体罰は悪だから『ある程度』だろうがダメ」でよくないですか? それはさておき。

さきほども申しました通り、体罰教師だってプロです。なんのプロかと申しますと、暴力プロです。プロなので、加減くらい楽勝でわかります

よく言うでしょ? 「喧嘩はプロより素人の方が危ない。なぜなら素人は加減がわからいから、うっかり殺してしまうこともあるって」。何の漫画でしたっけ? カノセ先生? 

もちろん、今回の事件は加減のわからないクソ教師がひきおこした哀しい事件だったわけですが、それは個別のケースの話。サイコパス一定割合でどこの階層にも発生しますし、サイコパスを扱った映画一定確率でクソ映画です。で、質問者は「だが(一般として、どうだろう)」と提起しています世間の教師が他の大多数の職業より子供と接している時間が長いのは確かでしょうし、だからこそ、彼らは子供の分野で(一般に)信頼性が高い、とされているのです。もちろん、幼児性愛者は一定割合でどの職業にも発生します。


3.体罰がなければ、スポーツで強くなることはできない。したがって、部活動には体罰がある程度は容認される

 欧米では体罰が厳しく禁止されている国があるが、スポーツの強い国はいくつもあります体罰を使わなくても成果がでる以上、違う方法をとるべきです。元プロ野球選手で、早稲田大学スポーツ化学科で修士号をとっている桑田選手も「体罰スポーツが強くなることはない」と明言しています。もちろん、違法である以上、たとえ効果があってもやるべきではありません。

 欧米では体罰が厳しく禁止されていないうえに政治恫喝ドーピングまで行ってオリンピックメダル獲得数一位に幾度となく輝いた国がありました。ソ連です。あと欧米に限らなければ、体罰が奨励されている国でもそこそこスポーツの強い国もいくつかあります日本とかね。体罰を使って一定の成果がみこめる以上、その方法継続すべきです。早稲田大学と名乗る謎の所沢体育大学修士号をとった桑田元選手も「体罰スポーツが強くなることはない」と明言していますが、彼が論文執筆のためにプロ野球選手六大学野球選手を対象に行ったアンケートでは「『体罰必要』『ときとして必要』との回答が83%」を占めていた(ソース朝日)と明かされていますプロ野球六大学野球とそれぞれ最高峰の選手たちが体罰の効果を認めているのです。

 桑田投手はそこで「でも、肯定派の人に聞きたいのです。それでもいいのか、と」と反駁を試みているのですが、正直、それこそ個人の経験論で、全然科学的でも実証的でもないです。体罰肯定派の感情論の鏡写しみたい。よって桑田選手はアンサーの補強材料として採用しかます

 あと「違法だから」。その通りですね。日本法治国家です。自分で言った「前提」をなぜここでだけ繰りかえすのかわかりませんが、正しいです。でも前提のとこでも言いましたが体罰肯定派の人は「違法だろうが関係ない」か「暴行じゃないからお兄ちゃんじゃなくても触法じゃないよね」というスタンスなのです。哀しいですね。あなたとは文化が違うんです。

4.体罰のように厳しくプレッシャーをかけて伸ばすのは、子供の成長には必要だ。

 教育心理学脳科学などのあらゆる点から「褒めて伸ばす方が効果的である」という結果が出ています。なぜなら、厳しいプレッシャーにかけられると、人間の脳の学習記憶をつかさどる海馬の神経細胞破壊されるからです。一方で、褒められると、ドーパミンが分泌され、神経細胞の接続の強化やモチベーションの強化がされ、技能が向上します。たとえば、運動技能についてのこんな実験もありますhttp://www.nips.ac.jp/contents/release/entry/2012/11/post-223.html

 教育心理学脳科学臆面もなくセットでだしてくる度胸には賛嘆の念がたえないのですが、けしからんことに筋肉ゴリラ体罰教師どもはそんな小難しいことは理解しちゃくれません。彼らは古代ギリシャ人ばりの経験主義者なので、愚直に「実験」を繰り返して自分で得たデータしか信用しません。

ゴリラリンク先の記事を見てこう言うでしょう。「スポーツオタクキーボード遊びと違うんじゃイ」

一理あるとは思えませんか? 実験は「褒めると運動機能が向上する」ことは証明していますが、「体罰を加えると伸びない」ことは証明していません。

海馬がぶっこわれるですって? 愛あふれる体罰が生徒にストレスを与えるわけないじゃないじゃありませんか。そもそも厳しいプレッシャーなら、試合で感じてしかるべきです。

5.私が子供の頃は体罰なんて当たり前だった。したがって、体罰は容認するべき

 「昔はやっていた。故にその行為は正当である」という論理論理のように見えて、実際には何の意味もありません。昔はやっていたがゆえに正当化されるなら、奴隷制度だって正しいことになります。常識的に考えれば「昔は間違っていた」と認める思考に至るはずです。(たとえ自分の『昔』を否定することになったとしても)

いい落としの詐術ですね。別に爺どもは「昔もやってたから今も」を無条件に実行する思考回路が備え付けられたロボットではありません。

「昔はやっていた。」→「おかげで俺は立派に育ったし、成功したし、あの時の教師には感謝している」(New!)→「故にその行為は正当であ」り、現在でも行われるべきだ、としているのです。

おっしゃるように価値観およびその基準は時代によって変動します。昔は正しかったことが今も正しいとは限りませんし、今正しいことが未来永劫正しくあるとは限りません。それどころか明日にだって変わるかもしれません。たとえば、某居酒屋チェーン経営者フォロワー東京都知事選を見ればわかるように、今の日本奴隷制度を正しいと考える人間は大勢存在するのです。

というか、欧米の常識に照らし合わせて考えれば、日本人サラリーマン奴隷と形容してさしつかえありません。

その国において、奴隷の子供を奴隷として扱うのはむしろ当然では?

6.私は体罰によってまっとうになった。だから体罰は正しい。俺はその教師に感謝してすらいる。

 あなた個別の例を一般化するべきではありません。人間はひとりひとり違うのですからあなたに効果があったからといって、他人に効果があるわけではありません。

一般化しているのは体罰否定派の方では? なぜ某バスケ部のケースを「特別」と考えないのです? 高校はひとつひとつ違うのですからひとつの高校にゆきすぎがあったからといって、他校で自殺者が出ているわけではありません。

あと前述の桑田さんのアンケートですが、サンプル約550人のうちの83%、つまり約456人が体罰の効果を肯定しています。彼らは「一般」ではないのですか? 彼らは個別の約456人であり、ひとりひとりがテロリストですか?

7.体罰がなくなったから、子供ゆとりになり、学力が低下したじゃないか

 第一に、子供の学力は低下していません。他の国のレベルがあがったので、相対的に位置が低くなっただけです。日本の中での絶対値としては下がっていません。むしろ、昔と今のセンター試験の問題を見る限り、今の子供の方が昔の子供よりも遥かに高度な内容に取り組んでいます。そもそも、子供教育レベルには様々な因子が絡むため、「体罰のある/ない」だけで論じることは不可能です。

さすがにこの仮想敵サンドバッグすぎでしょ……。ゆとりは政策であって体罰とは関係ないだろ……。

でも、絶対値としても下がっていますし、勉強をしない子供パーセンテージも増加しています。ググッたらでました。http://www.ritsumei.ac.jp/acd/ac/itl/outline/kiyo/kiyo11/10_oki.pdf

つーか、そもそもそういうデータが出なけりゃ「俗論」も生まれないよねえ。

上記論文体罰を要因として組み込んでいないのはまこと遺憾です。


8.体罰は言っても聞かない相手に言うことを聞かせるには有効だ。したがって、必要だ。

 桑田真澄選手は「怒鳴るコーチが多すぎる。大声で怒鳴るのは、『私には言って聞かせて子供を納得させる能力がない』と言っているようなもの」と述べています。大人になれば、相手に言うことを聞かせるのには、言って聞かせて合意形成をするしかありません。教育者ならば、容易な方法をとるのではなくて、たとえ厳しくても社会に出て必要合意形成指導方法の手本を自分が見せておくべきでしょう。

社会に出れば、理不尽かつ非論理的で説得力皆無の怒鳴り声に晒される場面はいっぱいいっぱいあります。いっぱいです。そして、それは「言って聞かせる」ことにおいてしばし効果を発揮するのです。ちなみに社会様で言うところの「言って聞かせる」は、「おれの意に有無を言わさず沿わせる」という意味です。予防と予行の両面において、「大声で怒鳴る」は正しいです。

野球部なんかで先輩がよく後輩に対して理不尽に怒鳴る光景が目撃されますが、あれはサル社会でいう「模倣」にあたります

9.体罰ダメにすると、教育現場が萎縮してしま

 それは正しい萎縮です。文明社会は「ぶっ殺してぇ」「ヤリてぇ」「ブン殴りてぇ」という欲望を法律によって萎縮させることで成り立っているからです。体罰をやめることが萎縮であるなら、今までが違法状態であり、萎縮が正しい状態といえます

たとえば、はてなダジャレを禁止にするとなんとかいうidのヒト(思い出せない)が、ひいてはネットダジャレ界が萎縮してしまうわけですが、いかがでしょう。

いかがでしょう、と問うたところで「そんなものは間違った萎縮じゃないか」とお答えになる向きもございましょう。しかし、ちょっと待って欲しい。風のささやきに耳をすませてもらいたい。「正しい萎縮」ってそもそもなんですか? あなたはそのものさしをどこで? おお、おお! なんということか! もしや……体罰の意義を曲解しておられる!? なんたること。

いいですか、別の体罰ゴリラたちは「ぶっ殺してぇ」「ヤリてぇ」「ブン殴りてぇ」と欲望しておるわけではないです。ゴリラをはじめとした類人猿たちは動物たちの中でも人間についで最も知性と情の深い動物として知られています

彼らはむしろ文明的な秩序を志向しているのです。群れを規律し、統制するための愛の鉄拳が振り下ろされるのです。

正しいこと、美しいことを禁止して発生する萎縮が「正しい萎縮」であるなら、ダジャレ禁止も世界を非文明化しクソどもの跋扈を許す蛮行であるという点で、また「正しい萎縮」であるはずです。

10.体罰を禁止にすると、生徒を管理するのが難しくなる

 そもそも教師の仕事は「未成熟子供を教え導く」という、半端じゃなく、難しく、大変な仕事です。難しいのがデフォルト、大変で困難なのがデフォルトです。たとえ難しくて厳しくて無駄に思えても「言って聞かせる」しかないのです。

それに、不良高校でも体罰に頼らずに教室を運営している教師はいるし、体罰が厳しく禁止されている欧米国でもきちんと生徒を指導できている教師はいくらでもいるでしょう。たとえ厳しくても、その道を選ぶべきです。もし、「そんなの無理だよ」というのなら、それはその教師が言葉による合意形成が出来ないということであり、「じゃあ、やめたら。」としか言えません。何かの問題解決に「殴って解決」が許されるのは、ハリウッド映画だけです。

根性論ですか。体罰教師っぽいですね。欧米では底辺は底辺であり、暴力の使用不使用にかかわらずみんなが天使みたいな良い子に育ってるわけじゃないと思いますが? 「言って聞かせる」なんてチンタラ効率の悪いことしてるから米国で銃乱射事件が耐えないのでは? 

「言って聞かせる」は万能ではありません。もちろん、一手段ではあるでしょう。ならば「言って聞かせ」てもダメな子を身体から矯正するのもまた一手段なのでは? 使える道具があるのになぜわざわざ禁止する必要が? あと今時「殴って解決」がハリウッド映画て、ハリウッドて。

11.未熟な子供には言って聞かせることなんて無理。したがって、体罰必要だ。

 精神が未熟な状態にあるから体罰が認められるなら、障害を持つ人への体罰だって正当化されることになります。持論をぶつの勝手ですが、まともな法治国家ではそれは認められません。

 障碍者定義に「精神が未熟な状態」にあるもの、なんて差別的な文言はどこにもありません。偏見をぶつの勝手ですが、まともな民主国家では認められません。っていうか、たぶんゴリラゴリラ学名なので差別語ではない)は子供障碍者平等に扱うと思います。なぜ分ける必要があるのですか? 彼らをおなじカテゴリーとしてみなすなら、「正当化」は可能です。

12.法律で禁止されているから、ダメというのは思考停止では?

 では、権力者による暴力正当化されている国にでもいってみてはいかがでしょうか。法律は、社会が決めた規範の中でも、ほぼ最低限のレベルに属する規範です。その程度の規範すら守れない人間が、人を教え導ける立場にあるとは思えません。

あ、その論法、「原発が嫌なら日本を出て行け」で見たことある問題提起しただけでファンファンウィーヒッツザ国外追放処分にされるとはあなた権力者による暴力正当化されている国の愉快な仲間たちかなにかでしょうか? 

ところで、教師志願者たちのなかには生きている上で何かしらの法を犯してきた可能性、たとえば大学の新歓飲み会未成年ながら飲酒してしまうとか、動画サイトで違法なエロ動画を覗くとかしてきた可能性が常にあるわけですが、彼らは「最低限の規範すら守れない人間」として採用試験にはねられてしまうのでしょうか。もしそうであるのなら、彼ら彼女らがかわいそうでしかたありません。


終わりに 

「何を屁理屈のことをグダグダと」と思うかもしれません。私も書いていてそう思いました。特に12のQでもないですし。あんな怠い映画が12もあってたまるか。でも、そんな「当たり前の増田風景」が共有されていないのが怖いなぁ、と思っています。まともな常識と脳みそがあれば、増田に入り浸るのはダメだ、ダメ人間だというのはわかると思いますしかし、「自分は常識として正しいか論理的にも正しい」という謎論理によって自分の足場で戦える対話方式というステージでの八百長論破を正当化する人が多いのは、正直こわいです。たとえば、今回の事件で、元増田が掲げた数字が12ではなくて、30だったら、おれは疲れて果ててこんな真似しなかったと思います。次からは50個くらいQ&Aを用意してくると誰にも絡まれなくて具合がよろしいです。

あと、

なんだっけ、

うそう。



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