はてなキーワード: 未分化とは
勘違いしてるとおもうんだけどiPS細胞は人体の中にあるもともと遊んでる未分化細胞を幹細胞として体細胞に分化させるやつね
ラノベでいうと「怪我したら代謝をはやめて治す魔法」みたいなことだ。もともと生まれつき体に存在しない細胞(たとえばコロナに強い免疫細胞)に分化させることはできない。
しくみからして「コロナがおさまったあとに健康な肺胞をつくる」ことはIPSでも希望ができるが
「いままさにコロナになってこまってる」人のために「免疫という経験をつんだ細胞を勝手につくる」ことはどうすることもできない。
またまたラノベでいうと、むやみに兵士(=免疫細胞。経験値はそれぞれ違う)を増やすと精神攻撃をうけて敵側の勢力が増えるかもしれない状態だ。
だから血清療法(=精神攻撃を受けない兵士を輸入)とかを模索している。
ワクチンは精神攻撃への対処法を自国兵士に代々教えていく兵隊学校ってとこ。それをおしえられる人材がいなきゃどうにもならん。いますぐに開発シロって言ってもそこらへんで精神攻撃をうけない人材ひろってきても実は敵の息がかかってるから攻撃うけないだけかもしれんのだからすぐにはスカウトできない。輸入兵士は言葉の問題があってすぐ子孫もつくらずに死に絶えるから代々働いてはくれない。とうぜんゆくゆくは学校を設立して自国で兵士をつくれるようになるべきだけど今の戦争ならとりま輸入兵士いれるかそれが無理なら自国兵士はむしろ全員ねむらせとくほうがややこしくなくていいんじゃね?っていう話もある(イタリアのコロナ医師)
本屋にいくと女のために書かれた本があふれかえっている。
うんざりする。
傷ついていることにようやく気づきました。
バカじゃねえの。
まだ自己が未分化で、無知無力ゆえ暴力に見舞われやすい子どものためならまだいいが、
反吐が出るよ。
いったいいくつまで、自分らしくあることに、肯定され満たされていることに拘泥するつもりか。
自分らしくいられないこと、肯定されず満たされないことを男や社会のせいにするつもりか。
自分らしく生きられず、肯定されず、満たされないとしたら、それは誰のせいでもない。
おまえがブスだからだ。
おまえがブスなのは、塩基配列の結果なのでおまえのせいではないし、
もちろん男や他人のせいではない。
美しくないうえに、うまくいかなさを誰かのせいにして、
おまえは一生ブスのままっていうか経年変化によってますます醜くなり、手の施しようがなくなるじゃないか。
「おまえが満たされないのはおまえのせいだよ」と教えてくれる本は皆無である。
フェミニズムは女性の不利益を解消し、男性と同じ権利を得るためのもの。
この目標だけは全員一致している。
それを達成するまでの考え方や手段の中で、見解が分かれて一人一派になっているだけだよ。
・男女は生物学的にも出産能力以外は完全に同じといえるかどうか
・絵に描かれたり物語に登場するフィクション上の女性も助ける対象に入れるかどうか
・どこまでを男性と見なすか(性転換をした男性、肉体的に性が未分化な人、男性を利する女性、心身に配慮が必要な男性)
ヴィーガンは自分の食べたい物とそうじゃない物の嗜好を各自が持っていて、目標も何もないのに、嗜好を正当化するために後付けで目標らしきもの(動物の倫理、環境問題、宗教)を持ってきてる。
本稿では、BL/やおいと比べ論じられることの少なかった「GL/百合」ジャンルの確立・歴史と、その現状について考察する。
はじめに、「百合」というマンガ・アニメにおけるジャンルを示す言葉の概要を説明する。「百合」とは主に、女性同士の恋愛と、それに満たない関係性も含めて描いた作品のジャンルを指す。川崎によれば、定説として語源はゲイ雑誌「薔薇族」に由来する。男性同性愛を指す「薔薇族」と対になるよう、女性同性愛者を「百合族」と呼称した「百合族の部屋」というコーナーが1976年から不定期連載されるようになったのが始まりであるとされる(川崎2014:44)。当時はレズビアンを指す用語だったが、徐々にサブカルチャーに輸入され女性同性愛を扱った作品群を呼称する言葉に変化していった。
まず、日本での「百合」のマンガジャンルとしての成立について述べる。そもそも、大正ごろの日本においてマンガとしての形態以外で女性同性愛をテーマにした創作物としては、性描写の過激な男性向けポルノか、少女向けの小説に二分されていた。特に女学生同士の姉妹関係「エス」をテーマにした少女小説の金字塔として、「花物語」(1925)などが代表される。しかし、大正時代に少女文化として流行した「エス」の概念は現代の「百合」概念とは違い、上田は「自覚的に女性を愛することを選択したというよりは、良妻賢母になるための安全なる予行演習という側面もあった」と述べている。(上田 2014:192)
マンガが発展し、女性同士の関係性を主題とした最も初期の連載作品は1970年代ごろから、山岸涼子「白い部屋のふたり」(1971)、池田理代子「おにいさまへ…」(1974)、「ベルサイユのばら」(1972-73)のオスカルとロザリーなどにみられはじめる。これらは、「24年組」に代表される少年愛をテーマとしたマンガと同時発生的に少女マンガ誌に掲載されたものだ。藤本は、このころの百合マンガの大きな特徴として
①対照的な二人の容姿(中性的・くっきりとした美人と可憐な少女のイメージ)
③悲劇的なストーリー(少年愛を扱う作品と対照的な同性愛による葛藤の描写)
を挙げている(藤本 2014:101)。これらの特徴は、1970年代の女性の抱えていた抑圧感を反映していたものなのではないかと考えられる。女性作家による「少年愛」が現実の抑圧からの解放として、性的に未分化な存在(少女)の何物にも縛られない感情の動きを描写したものなら、このころの「少女愛」はそれと対照的に、抑圧からの逃避としての悲劇的な結末が設定されることが多かったのではないだろうか。表現手法や舞台設定は耽美で幻想的でありながらも、当時の日本での女性のおかれる立場に忠実な閉塞感が描写されたものだと考えられる。また、この時代の百合マンガは少年愛ほどの大きなムーブメントには発展せず、作品数も多くはなかったため、自然消滅的に衰退していった。
しかし、1990年代、同人誌文化の発達に伴い、百合ジャンルも急速にその勢いを復活させる。
まず、「美少女戦士セーラームーン」(1992-97)によって、女児向けマンガにおける戦う美少女という概念がジェンダー論的な観点においての大きな転換点となる。異性愛的な要素が物語の中心に関与していたにもかかわらず、同人イベントではセーラー戦士同士のカップリングを描いた作品が爆発的なブームとなった。その理由として考えられるのは、消費される客体としてではなく主体としての戦う美少女像が確立されたことではないだろうか。これにより、百合的な描写も70年代における悲劇的な結末に向かう物語ではなく、少女が二人で主体的に幸せを獲得していく過程が重視されるようになっていったと推測できる。
そして、物語の中の関係性から百合の文脈を汲み取っていた時代から、前提として百合そのものを主題においた作品も増加していく。代表的なものとして、「少女革命ウテナ」(1996-98)がある。この作品は、古典的な少女マンガのシンデレラストーリーを基盤に「王子様」と「お姫様」を少女同士に置き換えてなぞりつつ、70年代の百合作品に見られた演劇的なモチーフや学園モノ、男装の美少女といった設定を取り入れ、また絵柄としても耽美で繊細なものであったが、これらは意図して行われたパロディ化された演出だった。ストーリーの結末も、最終的には二人が離れ離れになる点は悲劇的にも取れるが、その後ヒロインたちの再会が示唆されている。アライによると、「王子様」と「お姫様」が結ばれてハッピーエンド、という構造を少女同士で反復するだけではなく、最終的にヒロインたちは「王子様」と「お姫様」構造を破壊し、自身を覚醒させ歩き出すことで、社会的な女性規範を打ち砕くことができるのだ。(アライ 2015:57)それこそが「世界を革命する力」であり、この結末によって投げかけられたのは、異性愛規範や家父長制へのアンチテーゼと、黒人女性の解放運動や日本女性のウーマンリブ運動などの背景を踏まえた社会的なメッセージだった。
これらの2作品によって、社会的な動きと呼応した百合マンガの潮流が形作られはじめる。「セーラームーン」も「ウテナ」も少女マンガ誌に掲載されており、本来のターゲット層は10代の少女を対象にしていたと考えられるが、ここでのプラトニックな少女たちの絆がオタク層にも受け入れられ、恋愛的な文脈に解釈した成年層による二次創作が爆発的に流行する。これと同時に一次創作のオリジナル同人誌においても、「百合」という概念が定着しはじめ、少女同士の恋愛を主題にした作品がみられるようになる。
そして2000年代に入ると、マンガジャンルとしての百合を専門に掲載した「百合姉妹」(2003-2005)が発刊される。その後、「コミック百合姫」(2005-)に統合され、現在も刊行中。専門誌の発刊は大きなジャンルの発達の手掛かりとなり、この雑誌に連載されていた作品のアニメ化や二次創作の流行によって、「百合」というジャンルがはっきりと定義されはじめ、広く認知されるようになっていく。しかし、その定義に関して「男性が主要人物として登場し、恋愛関係に介入する」「性的関係が生じた場合、百合ではなくポルノ」などといったさまざまな議論が巻き起こったのもこの時期である。
また同時期に、「神無月の巫女」(2004-05)や「舞-HIME-」(2004-05)などの少年誌で連載される百合作品が登場する。これらの作品は、少女マンガ作品よりも直接的な同性間の恋愛としての描写や性的な表現が強く押し出されていた。ここから、現代の男性向けと女性向けの要素を同時に内包した現代の百合マンガの形態が確立しはじめたといえる。2007年には、前述した「コミック百合姫」の姉妹紙として一迅社から「コミック百合姫S」と「コミック百合姫Wildrose」が発刊。「S」は本誌よりソフトで繊細な関係性の百合を扱い、なもり「ゆるゆり」(2008-)が代表するような「日常系百合」の流れを作った。一方「Wildrose」は、それまで成人向けポルノとしての過度な性描写は忌避されがちだった(厳密な定義での「百合」ではないとされる議論があった)当時の風潮の中、直接的な性描写を掲載した作品を扱う専門誌として独立した挑戦的な試みだった。
ここで、2008年に行われた「コミック百合姫」の読者アンケートを参照してみる。2008年7月号時点の『コミック百合姫』読者の男女比は男性27%、女性73%であるのに対し、『コミック百合姫S』の方は男性62%、女性38%となっている。つまり、現在統合された「コミック百合姫」の購買層は、この男女比を単純に平均すると男女差はほぼ半々で、やや女性読者のほうが多いということになる。ここでは百合マンガの購読層を性別と消費の形態に4つに分類して考察した。
女性購読層において基本的には、社会的な比率を前提にすると異性愛女性のほうが多いと考えられる。彼女たちは少女同士の関係性に、「現実における異性愛、ジェンダーロールによる苦痛」から隔絶された「非現実的な同性間による越境の快楽」を心の拠り所として愛好するのではないだろうか。なおこれについては、やおい/BL ジャンルを愛好する女性においてもほぼ同じ理論が適用できる層が存在すると思われる。
百合というジャンルの性質上、他の恋愛形態をメインとしたジャンルよりもレズビアンやバイセクシャルを自認する女性が購読層に多い傾向にあることは考慮するべきである。彼女たちは、異性愛女性が「少女マンガにおけるロマンティックラブ」を夢見るのと同じように、自身の性的指向に一致した自己投影先として「百合マンガにおけるロマンティックラブ」を享受していると考えられる。
百合を自分の投影先の存在しないストーリーを消費するものとして受け取っている購買層。①「傍観」型女性とほぼ同じ論拠が適用できると考えられる。
百合マンガの登場人物に自己投影する男性は、ジェンダーロールからの解放と、女性との恋愛の疑似体験を同時に達成できる。この購読層の性的指向に関しては、社会的比率として異性愛男性が多いと思われるが、異性愛コンテンツ(NL)ではなく百合(GL)を愛好する彼らに関しては、③「傍観」型男性よりさらに複雑な感情にルーツを持っていると考えられる。また、TS願望を持つ男性(MtFとは区別する)や、同性愛男性が共感を持って少女同士の関係性を愛好する例も、この枠にひとまず収めることとする。
特に男性向けの性的描写の含まれる百合マンガ等においては、その世界の中に没入し登場人物の中に「混ざりたい」という観点で消費する層も存在する。これは上記の4つの例と異なり、少女同士の関係性ではなく「(男を知らない、穢れのない存在として描写される)レズビアンである少女を自らの男性性によって屈服させたい」というマウンティングによる性的な欲望や、男性主人公やその代わりとなる女性キャラクターの存在しない「ハーレムもの」といった受け止め方に由来するものと思われる。ただし、これらの男性は百合ジャンルのファンからは忌避される傾向にあり、特に近年の百合を主題とした作品においては減少している。
これらのファンがそれぞれ百合というジャンルの定義について議論を重ね、各需要を満たすような創作物を制作していったことにより、百合ジャンルが発展していった時期だった。
次に、2010年代の百合文化を振り返る。このころに代表的な作品として挙げられるのはテレビアニメ「魔法少女まどか☆マギカ」(2011)だろう。この作品は、「セーラームーン」にルーツをもつ戦闘美少女の系譜を受け継ぎながら、現代調に前提として百合を意識して構成された作品のひとつで、魔法少女同士のカップリングを扱う二次創作が爆発的に流行した。
また、少女マンガ誌において百合を扱った作品が満を持して再び登場する。70年代以降、異性間のラブストーリー(NL)に偏っていた少女誌において約30年ぶりに百合が復活した形で、「野ばらの森の乙女たち」(2011)や「ブルーフレンド」(2010―2011)が連載された。これらの作品は、少女漫画特有の筆致でありながらも明確な少女同士の恋愛関係としての描写があり、また両作品とも70年代のような悲劇的なラストを迎えることはない。少女向けの要素として、学園設定や疑似姉妹などの設定は残されているものの、これらは批判的なパロディというよりも前時代の少女誌における百合作品に対する敬意からくるオマージュと解釈するほうがふさわしいだろう。これは近年において少年誌よりもジェンダーロールの強固だった少女誌界隈に百合ジャンルブームの波及がみられた、極めて注目すべき例である。
時間 | 記事数 | 文字数 | 文字数平均 | 文字数中央値 |
---|---|---|---|---|
00 | 167 | 28258 | 169.2 | 38 |
01 | 102 | 8639 | 84.7 | 41.5 |
02 | 76 | 7362 | 96.9 | 49 |
03 | 17 | 4645 | 273.2 | 93 |
04 | 17 | 1021 | 60.1 | 19 |
05 | 4 | 579 | 144.8 | 66 |
06 | 10 | 1436 | 143.6 | 75.5 |
07 | 33 | 2960 | 89.7 | 73 |
08 | 47 | 3356 | 71.4 | 50 |
09 | 69 | 5162 | 74.8 | 51 |
10 | 130 | 11484 | 88.3 | 52 |
11 | 202 | 14140 | 70.0 | 43 |
12 | 186 | 15759 | 84.7 | 48 |
13 | 139 | 10590 | 76.2 | 44 |
14 | 120 | 12382 | 103.2 | 41 |
15 | 184 | 15817 | 86.0 | 36 |
16 | 165 | 17593 | 106.6 | 48 |
17 | 216 | 18220 | 84.4 | 48.5 |
18 | 191 | 18082 | 94.7 | 42 |
19 | 208 | 22741 | 109.3 | 45 |
20 | 164 | 12518 | 76.3 | 39 |
21 | 187 | 21653 | 115.8 | 49 |
22 | 158 | 23627 | 149.5 | 59 |
23 | 189 | 16458 | 87.1 | 48 |
1日 | 2981 | 294482 | 98.8 | 45 |
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アナタ個人の主観でしかないのに、どうしてそんなに断言できるの?
考え方は人それぞれでしょう。
それに、トーマの心臓的な、性愛として未分化な時期に、大人びて賢い人に憧れることはあると思う。
その「好き」がリスペクトに近い(性愛を含まない)好きであっても、それを解釈するほうがいくらでも邪(よこしま)にとってゆくのは哀しいね。
男子の「好ましいサンプル」が絶対的に少ない環境下なら(学生時代は女子のほうが成長が早いし)
他人を好きになるという事は、善いことではないの?
それを良いこととも思えない、
しかも奥さまにとってはもうはるか「過去」なのに、そこまで不愉快になるような男性は、どんな風な育ち方をなさっているのかきいてみたい。
そうですね、今とくにハマってるBLってなくて。あるとしたらブロマンス系。
今考えたら、そうだなぁ私も「壁になりたい」派になっちゃうかも。
余談ですが、左右ともキャラは好きでも、設定上嫌いな左キャラも描かないといけないみたいな部分もあって。
嫌いな左キャラは資料丸ごとトレースしてました💦今ならめっちゃ言われてたでしょうね。早めに辞めて良かった。
推しを生みたいは、面白いですね!奥さまの腐女子も知り合いにはいるので、そういうのもありなのかも!可愛いですね♪
ロマンティックの拗らせ先を、自分の肉体に昇華できない、性的には未分化というか、
未経験の時期だけに(ローティーン~20代半ばくらいだったので)BLへの過剰なあこがれ、蜜はあるのかなとも思います。
あるいはエロスの拗らせ先かも知れませんが。そういう人はBLでなく、レディスコミックや、他に行ってたような。
あとは推しを産みたいとか母性目覚めさせてる人とか、受不在のガチ恋の夢女子なんかも多くなったよねー
書き途中の増田が出てきたから投稿するわ。多分10の嫌いなこと、に便乗しようとした投稿で、7つしかないけど。
具体的にはテレビ番組で言うと「鶴瓶の家族に乾杯」、ラジオ番組の「昼のいこい」とかのノリが許せない。
「鶴瓶」では、特にゲストがそうなんだけれど、「今、家族に乾杯で来てます~」と連呼して一般の人が驚いて色々リアクション取るのが番組の主軸になっている。これがクソ。
NHKを有難がる人がいるのはいいんだけれど、NHK自らがそれを主軸に据えて番組作るなよ。自画自賛だし、人々がNHKの威光みたいなのにひれ伏してるように感じる。
昼のいこいもそうで、一般の人々の季節の変化の投稿を厳かに読み上げるだけ。一般の人々の投稿に、我々が厳かさを付与してますよ、みたいな構成が大嫌い。
同時に、大河ドラマが終わった後とかに、アナウンサーとかが出てきて「このあとどんな展開になるんですかねー、楽しみですね」とか振り返るのもかなり不快。自らの番組をブランド化をするような番組は公共放送には不要だし、コンテンツそのもので勝負してほしい。
まとめると、人々が想像する「NHKの権威(みたいなもの)」に腰掛けるような番組、NHKが自らをブランド化するような(価値を再生産するような)番組が嫌い。
一般になつかしい、と言われる高度経済成長前後のドラマが気に食わない。
連続テレビ小説「ひよっこ」とか見ててもそうなんだけれど、昭和の人はあんなふるまいしないじゃん。それに、昭和はあんなんじゃなかったじゃん。
もっとタバコ吸ってたしタンは吐いてたし、道端で立ち小便してたし。暴力も身近で、野犬がいたし、雑草も生えてたし。夏は汗だくだったし、もっと衣服は粗野だった。
一番気になるのは、今よりも男主導の社会だったのを上手くドラマの中で消化できていない作品が多いことだ。そんな時代で女性が活躍するにしても、その活躍の仕方があまりに現代的なのだ。
社会の問題を少しずつ改善して今に至るのに、その昭和の時代を今風の人間関係で描くのが気に食わないというか、時代の表現の限界を感じる。
もちろん、当時のままに社会を描いたドラマを放送しても人気でないだろうし文句言われるし、多分面白くならないはわかってる。
だが、そこにこそ昭和の舞台で現代ドラマを作る際の限界があるように思う。
少しは考えてほしい。足フェチと臭いフェチは異なるってことを。
現今の足フェチと臭いフェチとビデオは、それがあまりに未分化で悄然となる。
私はどっちかというと足フェチに守備範囲があるんだけれど、「蒸れたブーツを……」的な文脈のAVが多すぎる。
論文とか書いててもそーだが、論旨が二つあるんだったら論文を二つに分けるだろ。あるいは章を二つに分けるだろ。それとおんなじだろ! 絶対におかしい。許せん。
臭いフェチは、別に足だけでなくてもいい。腋とか髪とか、良いにおいしそうなところはたくさんあるんだから、それで作ればいい。
でも足は足しかねーだろ。足は手じゃないし腋じゃない。
それとSMっぽくなるのも同じ理由でおかしいと思う。俺は足フェチだっつーの! なにも女性に攻められたいわけじゃない。
例えば、狭い業界にいると、誰誰さんがどうなる、とか噂話が多く飛び交う。馬鹿くせーわ。
人事なんて、正式に決まってから周囲にアナウンスすればいいだろ。組織でも個人でも。
それがよー試験の前後から、誰誰が書類を送付したとか、誰が試験を受けに来ていたとか、誰が受かりそうだとか……馬鹿くせーわ。
そんな人がどうしたのか気になるの? まーわかる。良いポストだったり新しいところだったりしたら、気にはなる。嫉妬とか、羨ましいとか、あるいはあそこの先生のお弟子さんだ、とか、色々あるのはわかる。
だがなぁ、そういうのは心に留めておくのが大人なんじゃないかね。君はサルかね? と思う。
そういう噂が、現場の当事者たちの足を引っ張ったりパフォーマンスを悪くすることが連綿と繰り返されている。
仕事に就くということは、成果を出すために就くわけだ。周りの噂が、その成果をすり減らしている。そんな事例が多すぎる。
文章書いてて、「?」の後に一文字あけるとか、「……」のように三点リーダーを用いるとか、まー細かい謎の誰か決めたルールみたいなのがある。
私はこの細かいルール自体はそれなりに遵守するべきと思う。なぜなら、気にする人がそれなりにいるからだ。
問題は、こんな風な細かいルールばかりがルールだと思っているやつだ。
もっと文章を書く際には決まりごとがあるし、論文でも小説でも訴えたいことを訴えるための手段・テクニック・構成があるだろう。
そして何本も文章を書いて、ルールが馴染むか研鑽を積んでいかないと、文字を書くこと・文章を書くことが自分のモノにならない。
そういう訓練を全く積まずに、誰でもわかる細かなルールだけに固執するというか、そこしか理解できない人が、文章のルールとか語るなよ。
よく、体育や音楽や国語の初等教育を軽んずる人がいる。大人になれば、そりゃあ集団生活や集団での規律みたいなのは充分に備わっていて、小学校での集団運動みたいなのを軽視したくなるのはわかる。
だけれど、子供ってのは身近にいる人なら解るが何もしなければ何に対しても馴致しないのだ。基礎的な身体の動かし方や基礎的な音や基礎的な論理・読み書き。
体罰や強制や人間ピラミッドなんかの時代遅れのやりくちはもちろんあってはならないが、ある程度は集団に馴致させるシステムのメリットを見てもいいのではないか。
家庭教師にそれぞれが初等教育を一任させるシステムがいいとか言い出す人がたまにいるけど、そうじゃないでしょ。
新聞、明らかにメリットあるだろ。あえて煽り気味に書くけど、それが解らないのなら、あるいは、そのメリットがメリット足り得ないと言うなら、それまでだということ。
成人した人間の最低限の処世術として、自分の感情を無闇矢鱈に他人にぶつけない、ぶつけてもどうにもならない、他人はコントロールできない、自分の感情のツケは自分が払うしかないって理解しなければ、社会生活は大変に難しい、と言う前提があると思う。
ところが、世の中には些細なことを粗探ししたり、小さなことで他人を恫喝したり、意識せずにモラハラを働くような(それこそ、「なんで私が怒ってるかわかる?」式の)人間や、逆に他人からの評価が自己評価に直結してて、他人からの承認を集めないと自分を保てない承認欲求モンスターたちが掃いて捨てるほどいる。こう言う人たち は何を考えて生きてるんだろう?
普通に考えて、自分と他人の精神は別で、他人の精神はコントロールできないなんて当たり前のこと、誰にでも分かりそうなもんじゃないか?自分と他人が未分化なのか?赤ん坊なのか?社会は赤ん坊ばかりなのか?赤ん坊がそのまま社会に出て無数に対人トラブルを起こし続けているのか?
他人の精神をコントロールしたいと言う願望を実行するのは、他人の肉体を傷つけたい、と言う願望を実行するのに負けず劣らず醜くて卑劣なものだと思う。
yoko-hirom 香山氏が正しい。ネトウヨには数学でいう集合の概念の認識に異常がある。ゼロサムで無いものをゼロサムと妄想したり,国家と国民を混同する概念の未分化など。低知能と呼ぶべきもので治療不能かもしれないが。
わたしは自身を中道と自認しているけれど、左翼の発言者としてid:yoko-hiromのコメントには唸らされることもあって着目しているのです。ところが、香山リカが正しいというのは全体主義+優生思想の最悪の組み合わせに正しいとお墨付きをする行為ではないですか。やはり左翼思想家はみな極まるとそっちに行くのかと思わざるをえないじゃないですか。
やめましょう。左翼が安倍政権に怒るのはわかる。だが冷静に行こうよ。左翼主義は私は支持しないが、彼らの立場から見ると、急進的革命は失敗することがわかったので、穏やかに変えていくべきだとわかったわけでしょ?ソ連・東欧と中国は失敗したが、西欧の穏やかな社会民主主義は今のところ長続きすることもわかったじゃないか。世界のどこもかしこもアメリカなみのジャイアン主義的資本主義を好むわけではないことももうわかっているじゃないか。あなた方が社会において実践的に議論に参加しなければならない。そうしたほうが日本の将来はよくなると思います。
ブコメのいくつかにもみられるように、左翼・リベラル主義者は断固として香山リカを切り捨てなければならない。
でも集合の概念の認識に異常がある、という考え方、面白いね。わたしからみると極右と極左はどちらもそうであるように見えるけど。ま、これとて、私が中道の立場を取ろうとしているから、そこからみると極右と極左はどちらも距離が最長であるという、そういうことですが。
今年87歳になった婆ちゃんに、
当時「この世界の片隅に」のすずと、
どうだったのかなと聞いてみたいと思ったのがきっかけだった。
婆ちゃんは7人兄弟の三女。
婆ちゃんのお母さんは、早く亡くなっていて
物心ついたころには、後妻としてきたお母さんに育てられたそうだ。
婆ちゃんが子供のころは婆ちゃんのお父さんは事業に成功していたらしく
家にはお手伝いさんが何人もいたらしいのだが、
家は途端に貧しくなったらしい。
婆ちゃんを女学校に入れて欲しいと、お父さんを説得したそうだ。
当時はまだまだ少なかった奨学金の話を持ってきてくれたり、
本当に熱心に動いてくれたらしい。
結局は婆ちゃんのお父さんも先生の熱意に打たれて
全寮制の女学校に行けることになった。
戦争が始まる前、日本は満州での事業で盛り上がっていたそうだ。
とても素晴らしいことで全く悪いことだと思っていなかったそうだ。
近所の家が、共産党員の容疑をかけられて警察に連れて行かれた。
婆ちゃんのお母さんは、近所のオジさんは悪い事をしていたと伝えたらしく、
子供心にショックを受けたそうだ。
天皇陛下のためだし、戦ってる兵隊さんのためだからしょうがないと言っていた。
徐々に女学校の日常が、戦争への協力の日常に変わっていくのは感じていたそうだが、
戦争はずっと勝っていると思っていた。
新聞もラジオも毎日のように、日本の大勝利の話ばかり流れていたそうだ。
そのうち、配給が減ってくるといつもお腹が空くようになった。
芋だけじゃなくて、芋がらといってツタとかも食べたらしい。
炊きたての白ご飯に納豆をかけてお腹いっぱい食べたるのが夢だった。
花火のように火を吹き上げるんだそうだ。
婆ちゃんは怖くて怖くて、山の上に逃げた。
ただ、ただ、山の上に逃げた。
当時、なんで山に逃げたのかは自分でも解らなかったらしいが、
一緒にいた友達が山に逃げるので一緒に着いていったそうだ。
結果、それが婆ちゃんの命を救った。
そんな人でごった返した川めがけて、空襲は襲った。
川に逃げた人はみんな死んだ。
その後、近くで何度か空襲があったらしいが
運良く婆ちゃんの所には直撃せず、
戦争に負けた悲しみよりもなによりも、
もう、爆弾が降ってこないんだ。
と言った時、婆ちゃんはうっすら目を潤ませていて
本当に本当に辛かったんだなあと、
聞いてる俺も泣きそうになった。
食糧不足になって、都会の親戚が着物いっぱい持ってきた話なども聞いたが、
だいぶ長くなったので、ここで話を止めたい。
戦争を始めることもいとわないと言うのを聞くと
心から恐ろしくなるし、
強く言っていた。
ちょとだけ言わせてほしい。A子の容姿についてしか書かなかっただけで、「容姿しか見ていない」になるのはちょっと言いすぎやしませんかね?
あのですね、確かに容姿についてしか元増田は書かれていないけれど、特筆すべき点ということで書いただけで、A子が好きな食べ物だとか、バンドだとか、そういうことを買いてどうなるんでしょう?
ついでにいうと、ブックマーカーの皆様方が思うより、女の世界において、容姿っていうのはかなり強い影響力を持ってると思う。
男性もね、中学くらいまでは価値観が未分化で、「いけてる/いけてない」の二分法で、一種のカースト制度だと思う。
スポーツが出来る子は、足も速いし球技も出来て、クラスの中心で、ヤンキーがモテるとは言わないけどヤンキーが多かった。
ファッションとしてのヤンキー、主流派のたしなみ、みたいなもんだったと思う。
とにかく、そういう「いけてる」とそうでない人たちという、カースト制度があったのを憶えてる。
でも、高校も後半、大学になるころには、価値観も分化していって、一絡げに「スポーツが出来る」じゃなくて、「野球が得意」「サッカーが得意」っていう風に細分化して、「ピアノがうまい」「歌が上手い」「数学が得意」っていう文科系や理数系の長所も異性の魅力として認めれらるようになって、たいていの男子は多少なりとも異性として誰かの目に留まるようになっていったでしょう?
誰もが誰かのオンリーワンになれる。
お腹の膨らんだ頭頂部が寂しいオジサンだって、結婚してるでしょう?
一方で、女性はね、10代の頃も20代の頃も30代になっても、「女子」という競技の中でしか勝負できないじゃないですか。
顔の造形は佐々木希のような端正さ、ジブリ映画の主人公のような好奇心を秘めたまなざし、陶器のような白い肌、ガラスで出来てるような光を反射する爪。
一挙手一投足はおろか、瞬きの時のまつげの揺れ一つで、空気を変える。
そんな子がいたら、それは容姿についてまず描写してしまいますよね?
かわいい子は逆にいじめられるっていうけど、それは男性が考える嘘だと思う。
「かわいいは正義」
本能的に、叩けない。
だから、やっぱり容姿について書くのは、別に不当なことじゃないし、だからといってそれが責められることでもないと思うんですよ。
女子力がない女子が生き抜くためには、しぐさや化粧のテクで女子力をアップさせるか、敵の少ない戦場で勝負をしていくしかない事情もあると理解できませんか?
男性のバリエーションが豊かになるので(中学のように「いけてる/いけてない」だけじゃなくなるので)、女子からみた取りあいは少なくなるけど、男性からみたら、一番きれいな子と、それ以外というふうに見るでしょう?
自分を受け入れてもらうことだけで、相手を愛するとか受け入れるという発想が皆無になってしまうことが今でもある。
異性に全く相手にされない時代の呪縛で、それがひょっこり顔を出したとき、それに気づいたときのハッとする感覚、それは特別なことじゃない。
かなりの女子が持ってる。
だから「歴史を否定したい人間」も「奴隷制が存在しなかったと主張する人間」も君の脳内にしかいないんだよ
君「神学→哲学→科学と発展してきたというのが事実だ。これ中学・高校の社会の範囲」
俺「それは進化主義的な古いイデオロギーであって今は信じられていない」
イデオロギーだからもう事実とは信じられてないっつってんのになんで事実であることが確定してるんだよ
次段階へ発展したのではなく自覚に基づく分化が進んだのであり、科学的手法そのものは神学・哲学・科学が未分化で方法論に無自覚だった時代からずっと使われ続けていたとするのが現代の「一般的」な歴史理解
君からさっきから引き合いに出してる教科書もそういう話をしているのであって、「神学だけの時代にはまだ“科学”をやってる人はいなかった」なんて言っていない
オタクは現実と虚構の区別がついていない人が多いから2次元のポルノを模倣して現実で実行する人がいるかもしれない。
この意見には反対だ。
この理屈が通用するなら、オタクにはポルノだけでなく、あらゆる過激な表現をみせてはいけないことになる。
また、オタクは空想や架空の世界に触れている時間がそうでない人より長いため、外から見ればそのように感じるかもしれないが、
それだけ虚構に触れている分、痛いほど虚構が虚構だと痛感している人のほうが、自分はどこまでもこの現実に生きるしかない、
ということを嫌というほど感じている人のほうが多いと個人的に思っている。なんの裏付けもない話だけれど。
というわけで、引き続きこのようなオタクへの偏見に対して2次元ポルノを規制しようという論旨には全く同意できるところはないのだけど、
規制は不要だが、小さな子どもへの秘匿の仕組みはもっと強化していかなくてはいけない、ということである。
アイドルマスターのゲームに、千枝という11歳の少女アイドルがイベント限定バージョン?で実装された件でにわかに話題となり、
ツイッターでも #千枝ちゃん という文言でトレンド入りしていた。
時勢に疎い自分は、さてはペルソナの千枝ちゃんが何かでトレンド入りしたんですね
そこまでは「あらかわいい子」でよかったのだが、画像まとめセクションに目をやったとき、
↓のような18禁同人誌の宣伝ツイートが平然と掲載されているのに気づき、改めて衝撃を受けた。
https://twitter.com/tora_ike_a/status/684236907639771136
正直、これくらいのエロ画像、ほかのアニメやゲームのキャラ名で検索しても、
ただ、その時たまたまに思ったのが、自分のようないい歳した男ならともかく、
これを何の耐性もない、虚構・空想と現実が未分化、分化が不完全な幼い人間が見たらどのように思うのだろうか。
ということだった。
さすがに悪影響が出ないとは言い切れない。と思った。
つまり、ペアレンタルコントロールやゾーニングが大事だなあと思ったのだが、
それと同時に課題として、こんなコンテンツにこんな簡単に到達できてしまっていいのだろうか、ということを思った。
先ほどのツイートを取り上げても分かるように、
いまのネットは、あまりにも簡単にアダルトなコンテンツに到達できすぎる。
そして逆に規制をかける場合、フィルターが強すぎる(ブラウザアプリが根本的に使えない、など)。
たとえば、「千枝 エロ」のクエリでこのエロ画像を検索結果に出すな、というのは無理な話だけれど、
「千枝ちゃん」だけでも、期せずしてこんなアダルトなコンテンツに到達できてしまうのはいくらなんでもまずいと思う。
2000年代後半くらいから、フィルターのないGoogle画像検索ではすでにこういう状態になっているのは認識していたが、
改めて考えるとあまりに簡単すぎる。
自分がネットでエロ画像を漁っていた(今もだけど!)小さな頃は、
少なくともキャラ名だけのクエリでファーストビューにエロ画像が出てくることは滅多になかった。
少なくとも18歳未満立ち入り禁止のクッションページを経て、説明文をよく読まずにENTERを押したらヤフーのトップに戻され、
ブラウザバックで戻って、ENTERのずっと下にある小さな 入り口 と書いてあるリンクを踏んで、ようやく到達できる時代だった。
一転して現在は、刺激的なアダルトコンテンツに、期せずしても到達してしまう。
先ほどのツイッターの仕組みでいえば、アダルトなコンテンツと判定されるものにはワンクッションを置く、
という設定をアカウント設定でできる。
だがそのフィルターを敷いたうえでも、上にあげたツイートは普通に表示されていた。
おそらく、同じくアカウント設定にある、「アダルトなコンテンツをツイートする可能性があるアカウントです」みたいな自己申告をおこなわないと、このフィルターはなかなか有効にはならないのだろう。
上の例はとらのあなさんの商用アカウントなので、さすがにそういうアダルトフィルター設定をしているだろうから、
それでも表示されてるということは、フィルター設定しても表示される場合がありうる、ということだろう。
一般ユーザーをみやればこれをちゃんと設定しているアカウントなんてそうそうないだろうし、
たとえツイート元がしっかり設定をおこなっていたとしても、
パクツイや非公式RTなどをおこなうアカウントが設定をしている保証はどこにもなく、それらも安易にバズってしまう状態。
こんな状態のネットに、今後生まれてくるであろう自分の子どもをどうやって向き合わせていけばいいのだろうか、
適度にスケベで刺激的なコンテンツが、適度に秘匿されて適度に頑張って閲覧できるようなネット社会になっていることを
切に願う。
かなり太った。
男の子と過ごすのは決して苦手ではないと思う。過ごすだけなら。
たぶん、優しくて要領もさほど良くなくて自分に自信がなくて、でも自分に厳しい人だと思う。私と似てるよね、とか言って。何が私と違うって、あんまりズルくない人。
飄々とした顔をしてるけど、ナルシシズムと自己嫌悪の間で揺れてるのだろうなあと邪な妄想をしてしまう。
おこがましいことだが、ぜんぜん好みの顔ではない。むしろ苦手な類かも。
ただし寝ている時と机に向かう時のシルエットが非常にセクシーだと思うので、5メートルくらい離れたところからずっと眺めていたい。図書館で見かけるたびいつもドキッとする。
あと、お酒が回るとすぐ眠くそうになって、目がトロンとするところがいいなあっと思う。
あと、物事に対する捉え方は似ているのに、絶望的に話が面白くない人である。たぶん文化圏の溝が大きいのだと思けどう。
帰りの電車、並んで車窓に映り込む二人の姿を見て、あまりの生々しさに恥ずかしくなって消えてしまいたくなった。
恋愛とか、恋人とか、甘いひと時とか、まだ遠い未来の話であってほしい。わたしはまだまだ「こんな垢抜けない、色づかない、性別未分化の動物でいたくない」と切望し続けているし、この先もそうしたい。
まだまだおんなのひとに憧れ続けていたいので、男の人にオンナだと認定されたくないのだと思う。
社会不適合者である僕は幸運にも社会人として年収500万を得るに至ったが、独身だ。つまり、僕の死を悲しむ配偶者がいないということである。
僕の遺伝子を半分だろうと残す価値はないので、僕が死ねば家系が絶える。先祖代々の面汚しである。
しかし、僕は生きたくない。無益に生産性の低い仕事に従事して得られている年収500万は、僕の所有物であるが僕には高すぎる金銭であり、高過ぎるがゆえに無価値である。
僕はこの社会に生きていてよかったと思えることが何もない。早く死にたい。自殺する度胸はないから、救いようのない事故、抗いようのない疾病、生のやり場のない天災などで殺してほしい。2㌧トラックで僕を粉々に吹き飛ばしてほしい。未分化のガンで無駄な放射線治療をして萎れに萎れてほしい。富士山が噴火して巨大な地割れが起きて無慈悲に飲み込んでほしい。
そして僕を産んだ両親、僕が生きて迷惑をかけ続けている両親には、肩の荷をすっかり下ろしてもらい、ひっそりと葬式してほしい。そして僕の死を受け止めて最後まで末永く幸せに生きてほしい。