はてなキーワード: 投稿サイトとは
Q.
画像投稿サイトがAIで生成された画像ばかりになる未来を嘆くようなブログ記事を書き、末尾を「いかがでしたか」で締めくくってください。
A.
近年、AIによる画像生成技術が進化し、画像投稿サイトもますますそれらの生成された画像に投稿されるものが増えています。これは私たちにとって悲しいことです。自然界に存在する美しい景色や、人々の感情を表した写真など、人間の手によって撮られた写真の持つ特別な魅力は、AIによって生成されたものでは代替できません。このような状況に、私たちは心を痛めながらも仕方がないと感じています。いかがでしたか
Q.
画像投稿サイトがAIで生成された画像ばかりになる未来を嘆くようなブログ記事を書き、末尾を「いかがでしたか」で締めくくってください。
A.
画像投稿サイトは、近年、人工知能の技術の進歩により、AIが生成する画像が増えています。これらの画像は美しいものもあれば、実際に存在しないものも多く、真実性に欠けています。
このような状況に対して、私たちは深く嘆きます。人間の手によって描かれた画像は、独自の感性や思いが込められています。一方、AIによって生成された画像は人間の感情や思いを持っていないものです。
私たちは、人間の手によって描かれた画像が失われていくことを心配します。人工知能技術は進歩するものの、人間の感性や思いを伝えることはできないということを忘れずに、現代美術や写真などの文化を支え続けることが大切だと考えます。
・tters:テーマごとのハコみたいなのがあってそれにそってゆるく呟けるが、個人の特定ができないので、繋がりを保ちたいあるいは作りたい人向けではない。というかほぼ匿名掲示板。誰だこれが代替ツールだって言ったやつ。全然別もんやんけ。
・くるっぷ:創作してる人向け。ツイートごとに公開設定変更可能。広告はTL内ではなく位置固定、課金で消せる。いわゆるブクマ集みたいなのが自分の投稿でも他人の投稿でもつくれて、公開範囲設定できるし、他人が作ったブクマをフォローして更新されたら通知来るようにできる。日常ツイート(くるっぷ上では通常投稿、通知されない投稿)もできるが、創作あんまりしない人には向いてない。とりとめのない呟きからの会話とか感想実況とかで盛り上がるためのツールではない。SNSと作品投稿サイトの中間なんだけどいいとこ取りではないなという感覚。
・マストドン:できることはほぼTwitter、名称がちょっと違う。呟き以外で違うのはインスタンス(サーバーみたいなもん)。最初にインスタンス選びが必要でインスタンスによってルールや規約が違ったりする。インスタンス違ってもフォロー可能。一つの呟きでMAX500文字までいけるのは嬉しい人といらん人がいそう。呟きごとに公開範囲設定可能だけど後から変更はできない。IDは一回作ったら変えられないのでアカウント作るときは慎重に。
そもそも、Twitterが魅力的で使っているというよりは、自分にとって価値ある情報を提供してくれる人とかおもろいことやってる人が今のところTwitterにしかいないので代替ツールが現状ないってことになってる。つまり求められてるのはツールじゃなくてコンテンツ=人。
おもろい人がいればいいわけではもちろんなくて、そもそも人が集まらないと「これが好きなどこかの誰かに届いてほしい」とか「同じものを見た人の感想が見たい」みたいな欲が解消できない、やっても人がいなきゃ意味をなさない。結局今アクティブに人がたくさんいるのがTwitterだからみんなTwitterに戻っちゃうんだな。
とりあえず人の有無に限らず、Twitterの代替になりそうなツールまだあるよって人は教えてください。(インスタやTikTokは役割が別だと思ってるから書いてない)
なにがダサいかって?
だってアンタら、漫画家目指したりユーチューバーなろうとしたりしたこと、ないでしょ?
ある程度の大人になると、たとえ自分が体験したことがない事象に対しても経験則やら見聞なんかで大体の見当をつけることができるようになって、そうして見立てたことはそこまで大きく外れることなくおおよそ当てることはできると思うよ。
だけどだよ?
じゃあさ、たとえば働いたことがないニートが日中働いてるアンタに向かって「働くことは簡単じゃない」ってしたり顔で言い放ったら、オタクらどうする?
苦笑いして鼻先で笑いながら「働いたこともないヤツが何言ってんの?」って100%言うよね?
だいたい、リスキリングとか称して勉強し直したところでポンコツ脳みそが煙あげるだけの中年とは違って、10代20代なんてのは何かに成功する可能性をまだまだ秘めているわけだ。
漫画家になりたい子は寝る間も惜しんでマンガ描いて、賞に何度も何度も投稿しては落選して、投稿サイトに投稿しては酷評されて、この道が簡単じゃないことを一番知ってる。
ユーチューバーになりたい子は何本も動画あげたところで再生数が3ケタにも満たなくてこの道が難しいことを一番知ってる。
今日明日の共通テストを受けず、就職もせず、自分が君子さまにでもなった気でいる大人たちからすれば"夢物語みたいなこと目論みながら遊んでプラプラしてる”風にしか見えない若者と対峙する機会がこの先あるかもしれない。
だけど決してわかった風な、知ってる風な説教なんてしないほうがいい。
「どうせ食えてないんだろ?」と幾ばくかの小遣いをスッと渡してやる大人のほうが、断然カッコいい。
今般、自カプ〜〜〜!!!となってしまい、久しぶりに二次創作をやっているが、楽しい。
自分が書くのも楽しいし、他の人が書いたのを読むのも楽しいし、原作にはないのに二次創作では定番みたいになってる共通設定がいつのまにか生まれてくるのも面白いし、他の人が書いた作品に自分の解釈の影響を見るようなこともあって(気のせいかもしれないが)、とにかく各作品が相互に影響しあって増えていく感じが面白い。
なによりもここ(二次創作作品の投稿サイト)にいるみんなが、この二人が幸せになる姿を見たい、あとえっちなところも見たいと願い、あの手この手で二人を幸せに(あとえっちに)描こうとしているということが本当に嬉しい。自カプ、一生幸せでいてほしい。たまにバッドエンドの話を書いてしまってごめんね、かわいそうなところも見たいので……。
https://anond.hatelabo.jp/20221211205302
自分の記憶では、晴れて自分用のパソコンを購入してインターネットを始めたのは1997年
その年はエヴァの映画とスレイヤーズのアニメ三期が公開された頃で
いずれもインターネット上の投稿サイトや個人サイトでの二次創作が盛んで、自分はそこからこういったコミュニティを知った
特にエヴァは二次創作人口の数としては男性の方が圧倒的に多かった(女性向けいわゆるBLも盛んではあったが特に男性から叩かれていた記憶はなく、彼女達は寧ろ検索避けはそんなにしていなかった記憶がある。何故ならばおそらく、当時BLといえば実質一つのカップリングしかなかったから)
で、カップリングに分かれた住み分けは、普通にされていたよ?それもかなり細分化されていた
その二つのジャンルに共通するのは恋愛もののカップリング二次創作が盛んであり、それによる個人の好みの差と対立が激しかった事。
つまり自分の記憶では検索避けは「性別を問わず始まったもの」であり、「好きなものを効率良く探し、苦手なものを見ないで済む」ための試みであって
けして女性向けに特有のものではなく、ましてや「男オタからの嫌がらせを受けて仕方なく行った」訳でもなかった
あくまで性別は問わず、カップリングの好みによる細分化とそれによる区分分けだった記憶
それ以降も自分が渡り歩いてきたジャンルはその多くがファンは男女混合で、男女カップリングが殆どだったが
女性ファンの比率が高いジャンル(フルーツバスケットやホスト部のような少女漫画や、アンジェやときメモGSのような乙女ゲー等)でも検索避けは当たり前のようにされていた
勿論、男オタから晒されたり笑い物にされるような事が皆無だった訳ではない
でも私は別に検索避けを、「男オタから叩かれて仕方なく、嫌々ながら」やっていた記憶はないよ
あくまで二次創作を好まない原作ファンや好みの違うカップリングの愛好者の気持ちを考えて、自分がその立場だったら見たくないだろうな、という
そうやって自発的に、別に何ら抑圧等は感じず自然に検索避けしていた女性ファンは、自分の他にも多くいただろう事は
自分のような多くの女オタクにとって、検索避けして他人に配慮する事は別に苦痛でも何でもないの
寧ろ配慮していた方が快適だし楽なの
「AIにより簡単に絵が生成できるようになったことで、手抜きとしか思えない絵が、同人サイトや画像投稿サイトに大量に投稿され、検索が汚染されているので、AI絵師は規制されてほしい」というものである。
ということだ。
恐ろしいことに否定派がAIでない絵師ならまだ看過できると主張する理由は
「AI絵師と比べれば投稿ペースが遅いので、検索の汚染度合いが少なく済むからまだ我慢できる」
なのである。
つまり、AI絵師否定派にとっては下手な絵を投稿すること自体が害悪であり、その害悪を実行する頻度が高いのでAI絵師は否定されるべきであるという主張なのだ。
これは非常に由々しき事態だと私は思う。
何故ならば、もしここで「下手な絵の投稿は控えるべきである」という主張が通れば、その次には手書きの絵師であろうとその標的になるのは明らかだからである。
AIによる粗製乱造でないことを証明するための投稿頻度が最初「30分おき」と設定されていたのが「1時間おき」「2時間おき」「4時間おき」「8時間おき」「1日おき」と増えていくのは明白である。
だがそうやって規制が進むに連れて、クオリティの高い絵を描く者たちの作品であればいくらあっても良いと主張する者たちが現れ対立が起きるだろう。
そしてそこに折衷案が誕生するが、それは間違いなく地獄を生む。
「いいねが100以上の絵を投稿したなら時間を開けなくても投稿して良い」「一定期間の間に得たいいねの数で次のスパンまでの間に投稿できる上限が決まる」といった形で規制が行われるようになるからである。
そうなったとき、「今はまだ下手だが、投稿しながら練習し多くの意見を浴びることで急成長する」というタイプの絵師が成長する機会が損なわれていくのは明白である。
インターネットはかって絵師たちの卵が挑戦し、成長し、挫折し、時に花開き、時に適切な距離を学び直す場所として機能していた。
だが、AI絵師否定派達の語る規制論に動かされた未来においては、挑戦の場としての機能は損なわれ、結果として多くの者たちが自分と絵の適切な関係を学ぶ機会を失うだろう。
黎明期のインターネットにおいて、お絵描き掲示板にはマウスで描いた落書きと、下書きをスキャナで読み取った上からペンタブで丁寧に彩色された絵が平然と並んでいた。
10個の投稿を一度に表示する設定であれば、マウス片手に20分で描いた絵も、日をまたぎ作業時間が何十時間となった絵も同じ一つとして数えられていた。
今でもなお、インターネットにおいて多くの投稿サイトがその方式を取っている。
しかし、もしもその空間が消費者としての都合を押し付けようとする者たちの粗悪な言論に屈すれば、下手な絵はその存在を隠され、上手い絵だけが表示される差別的な階級社会が始まるだろう。
インターネットが育ててきた相互的な絵の共有という文化を破壊し、その上に自分たちが一方的に他社の労力を搾取するのに都合がいい世界を作り上げようとしているのだ。
0いいねも100000000いいねも、5秒で出力された絵も5年をかけた絵も、一枚の絵としての存在そのものは平等であるべきである。
その事実を捻じ曲げようとする者たちに対して、我々は断固として反対の声を挙げていくべきなのではないだろうか?
ノクターンノベルズ(小説家になろうの18禁版)のランキングを「AI挿絵つき」が席巻し始めている。
今現在のランキングだと、1位と12位が全話AI挿絵付きの長編。
1位と12位はNovel AIを使用していると明記されている。
7位は明記がないがおそらくNovel AIと見ている。
AIイラストは、複数の生成イラスト間で同じ登場人物を同じように描くことが苦手だと思っていたが、それもできている。
これは、3Dカスタム少女やコイカツなどで3Dモデルを作っており、それに任意のポーズをとらせて出力した画像をimg2img機能で挿絵に変えているという考察があった。
元々、3Dカスタム少女による画像を挿絵として入れている作者はノクターンノベルズに存在したので、仮説として十分ありうる。
また、上記小説の説明を見ると、AI生成イラストに対してさらにレタッチを行っているらしい。
3Dモデルから直接出力した画像に比べて平面的に描かれるAI生成画像は、修正もしやすいだろう。
3DモデルとAIイラストの良いところを組み合わせる方法で正直賢い。
面白いのはこれがノクターンノベルズでのみ起きていて、小説家になろうでは同様の波が来ていないことだ。
これについては以前読んだこのエッセイを思い出した。
https://ncode.syosetu.com/n3823bk/2/
読み手は、それまでの人生の蓄積のなかから、既知のイメージの張り合わせを行って、描写の内容を“想像”する。
想像の難易度は、小さくて単純なものだと簡単だが、大きくて複雑なものになると極めて難しくなる。
読み手の想像そのままのプレーンな状態に、書き手の指定が、あまりに多く入りすぎると、想像に注釈がたくさん付いた状態になって、すなわち読み手の処理能力に負荷をかける。そうすると想像したものの保持自体が難しくなってくる。
もちろんネット小説と言えども小説を読んでいる人間ならば、この「想像の保持」ができないわけはない。
ただエロ小説の場合それでシコるという巨大なタスクがある関係上、「想像の保持」にかかるコストは通常の小説と異なり、少なければ少ないほどいい。
また、エロ小説というのは読者に「読者の頭の中で作られた映像」をエロく感じさせる必要があるので、本来独特の難しさがあった。
シチュエーションや感情描写やセリフにより、ある意味情念に訴えるような間接的なエロが要求された。
Noval AIは本家Stable Diffusionと違って18禁画像の生成が封じられていないので、その点非常に都合が良い。
Novel AIは、投稿画像のほとんどがpixivやエロゲCGなどの無断転載で占められる悪名高き画像投稿サイトdanbooruから学習したモデルだという。
あそこはコンプラめちゃくちゃな癖にタグ付けが異様に充実していることは以前に書いた。
https://anond.hatelabo.jp/20171022133100
本当に無制限ってことはないだろうが、見かけ上の上限は無い。少なくとも50個くらいは付けられる。
キャラ名や作品名、シチュや場所を表す言葉から、キャラの人数、ポーズ、付けている装飾品の隅々までほとんどタグ化されている。
これは確かにAIにとって非常に学習しやすい環境だろうと思う。
あとネット上のあらゆる画像ではなくpixivやエロゲCGがほとんどなので、小説の挿絵的なものにはかなり向いていそうだ。
ノクターンの多くの小説に挿絵がつくようになるのも良い変化だと感じる。
ただ、それをもたらしているものが違法転載から学習したNovel AIだというのがどうしてもいただけない。
今後、法規制、クリーンなモデルの発展、Novel AIの相当多くの日本人への膾炙からの既成事実化などがあれば、自分も使うかもしれない。
各種イラスト投稿・販売サイトにAI製イラストがUPされることへの批判がよくある。
当然、各種投稿サイトの運営者が規約をどうするかは自由なんだけど
「AI製イラストが大量投稿されることで検索結果が汚染される」ということがよく言われるんだけど、これってホントに問題なんだろうか?
「AI製イラストが大量投稿されることで検索結果が汚染される」
(元)親友とは、もう十年以上さして交流がない。ちなみに親友の接頭語に「(元)」を着けたのは、単に中学を卒業して別々の高校に進学して以降、会う機会が数回しかなかった上に、(元)親友がいつの間にか数多の友達を持つ交遊関係のやたら広い奴になっていたからである。きっと、ぼくの事なんかミリも覚えていないと思う…………そう、それって単なる被害妄想。
中学の頃はヤバいくらいにべったりくっついて離れないくらいの勢いで互いに「親友」と称していたぼくらだが、現在の接点はというとTwitterのほぼ死んでるアカウントと実況アカウントとで相互フォローになっているくらいのものだ。
(元)親友はぼくの知らないオンラインゲームの戦況をひたすらツイートしている。ぼくはアカウントを放置し、他にいくつか所有する趣味垢で呟くのに忙しい。
ぼくは趣味で小説を書く。ただし投稿サイトに粛々と投稿し続けるだけで、本を出したりはしない。(元)親友もどうやら小説書きであるらしい。二次創作の小説を書きイベントで頒布しているようなのだが、具体的にどんな活動ぶりなのかを聞けば言葉を濁すばかりなので、よくわからない。
(元)親友にはぼくの知らない顔がある……時点で、すでに親友とは呼べないのではないか? という悲しい思いがなくもない。
ちなみに、(元)親友はといえば、ぼくのTwitterの放置垢だけでなく趣味垢も知っているから、その気になればぼくの書いた作品を読み放題だ。だが、(元)親友がぼくの書いたものに何かしらの反応を寄越したことは一度もないので、ちょっと読んでドン引きしたか、あるいはそもそも社交辞令でアカウントを聞いて繋がってみただけなのかもしれないな。なんていう非対称性もりもりで実のない関係性というか、関係の断絶なのだろうか。書いててちょっと涙が出てきた。
もはや「謎の元親友のような者」と呼んだ方がいいような気のする彼女のツイ垢を、昨日なんとなく久しぶりに覗いてみたところ、プロフィールにぷらいべったーへのリンクが貼ってあるではないか。ぼくはドキドキしながらそのリンクをクリックした。
中身はやはり何らかの二次創作であるようだ。いわゆるブロマンス。男同士の熱くて強固な関係性を描いたもの。色気とエロは一切書かれていないところが君らしいな、と思ったそばから、それはぼくが彼女に潔癖を求めているからそんな風に思っただけのことだと考えた。
へぇ、ゴリゴリの理系で国語は得意じゃないと昔は言っていたのに、小説はちゃんと書けるんだな。うん、ぼくほどではないと思うけど、上手いと思う。
だが軽い衝撃を覚えたのが、それらの短編小説達が一体何の二次創作なのか、さっぱりわからない事だった。登場人物の名前すら出て来ない。名前が入って然るべき部分は全て一人称か二人称か三人称があてられていた。君ってやつは、どこまでも秘密主義なんだな。
ふと、短編にいいね! とブクマをしてやろうかと魔が差したが、そんな事をしたらいよいよぼくらの関係性は断ち切られてしまいそうな気がして、ぼくはそっとブラウザを閉じた。
ここにしか書けないのでここに書く。Twitterもブログも投稿サイトもぜんぶ見張られているので。
同人誌を作ったりオンラインで公開したりしている。もちろんまったく売れない。びっくりするくらい売れない。イベントには新刊を5冊だけ持っていく。完売御礼ツイートをしてみたくて。でも売れない。そしてオンラインでも評価されない。
賞に送ってもかすりもしねえ。そして無駄に歳をとってしまった。
どうやらそのひとは、10年以上ずっと、ずっとずっとずーっと、ホームページをちまちま更新していた頃から一方的に私を推してくれている。
イベントで凸られたことはないので何の被害もない。だがオンライン上ではいつも見守られている。私が少しでも落ち込んでいるとシュババッと飛んできて長文のマシュマロで慰めてくれる。
でも毎度毎度「先生はすごいです」「神です」「どうしてこんな偉大な作品が描けるのですか」「頑張ってください」「応援してます」「尊敬してます」しか書いてなくて、その言葉で心を動かされたことはない。そんな冷酷な自分が申し訳なくてさらに気持ちが沈んでしまう。
そのひとは、私という人間を好いてくれているのであって私の創作物には興味がないのだ。
私という「推し」の「いつも評価ありがとうございます♡」というリプだけが生きがいなのだ。知らんけど。
作品公開の場をホームページから投稿サイトに移した後もずっとついてきてくれるのはありがたい。更新告知を呟いたらその直後にブクマと評価を入れてくれる。だがたぶんぜったい間違いなく確実に読んでない。投げてくれたコメントは「今回もヒロイン可愛いです!応援してます!」「この先どうなるんでしょう!全裸待機!」的な。いつも感想がトンチンカンなんだよな、これぜったい読んでねえだろ。
更新しても更新しても同じ人間が謎の素っ頓狂なコメントをつけてる作品って無駄に痛々しいじゃねえか。他の読者さんが近寄りにくいだろ。せっかくリンクを踏んでも、あっ…また来ますね…って。常連のオッサンが住み着いてるせいで一見客が即バックする居酒屋やん。ただでさえ誰も来ねえのに。
どうしてこんなに長いこと一方的に懐かれているのかさっぱりわからない。
そして正直うざい。すまない。本当にすまないと思っている。
けれども、そのひとが反応してくれなくなったら私はひとりぼっちだし評価は永遠の0だしきっと寂しい。というか、このひとの正体は私のリアル親友なんじゃねえかなと思っていた。違っていた。それじゃ本当にガチガチの赤の他人がこんなに私を愛して優しくしてくれてるという事実。うーん。だから突き放せない。
こういうのも蛙化現象なんだろうか。誰かの推しになるのもしんどいもんだな。贅沢な話だ。
似たような感じでまったく害のないネットストーカーを飼ってるひといますか?
消えたWeb小説家に執着してたマンガ家がその愛と執念を実らせてついに商業でコミカライズ化させた、という美談を見かけて複雑な気分になってしまった。私を好いてるそのひとが石油王だったらなあ……。まあ私のそのひとは私の作品を愛するどころかひとつも読んじゃいねえんだけど。
ネット上をウロウロするようになってから、何年かに一度は変な人と関わってしまうんですけども。
お互いの顔が見えない所為なんですかね、こういうのって。
面倒臭そうな人だったので元々こちらからはあまり絡んでいなかったんですけど、ちょっと揉めたことで向こうも気不味いのかあんまり声かけてこなくなったんですけどね。
でも取り敢えずイイネは押す…みたいな。絡まなくなっても取り敢えずイイネは押していくみたいな。そういう距離の人だったんですけど。
絡まなくなった代わりに、なんか当てこすりみたいなツイートをするようになってきてた。
私が絵を描いたり、なんか言ってたりすると、どう考えてもそれに絡めた内容で「ちょっと見かけたんだけど、私はこういうのどうかと思うな~」みたいなツイートをするようになった。
うるせぇなーと思いつつも、向こうはフォロイーの人数も多いから私のことではないかも知れないし…とスルーしてた。
ちなみになんでミュートしてなかったかというと、そもそもの浮上率が低かったし、TLにいる時間帯があまり被ってなかったから放っておいただけ。
でもいい加減にこの当てこすりツイート鬱陶しいなぁ。やったら騒ぎそうだけど、もうブロックしてもいいかな?と思っていた矢先。
「とてもショッキングなものを見てしまった。最悪。もうとっくに疎遠にしている人だけど本当に合わないってよくわかった」とか吐き捨てている。
これね、私のこと。
前後のツイート内容から、他サイトに上げてた卑猥な落書きを見たようなんだわ。
ちなみに、その「ショッキングなもの」は、リンクをツイートしたりは別にしてない。
ホームの固定にしてあるツイートのツリーの1つに「エッチな落書き置いてる保管庫はこちら」とリンクを置いてあるだけ。
つまりこの人は、
1)私のホームに行く
2)固定のツリーを開く
3)「エッチな落書き置いてるよ」の注意書き無視してリンク飛ぶ
4)「ここにはドスケベな落書きが置いてあります。ご注意を」と書いてあるページにやって来て
6)作品内容解説の下に折り畳んであるのを「閲覧する」と開いて表示する
…という、いくつもの手順を踏んでまでして、わざわざ「ショッキングなもの」を確認したんですよ。
”とっくに疎遠にしている”私に対して、随分なお手間をかけてくださいましたこと。ほんの数日前まで当てこすりやってたと思うんですけど、彼女の中では”とっくに疎遠”になってたんですね。
こんなの見てしまってショックだ~最悪だ~こんなことするなんて人格疑う~~…と4~5ツイートに分割してグチグチ言ってる。
例えばセンシティブ設定にしていたとしても、本人の意思に関係なくなんらかの形で視界に入る状態で見せてしまったら申し訳なかったと思えるけれど、
あんた自分で見に行ったんでしょ? 複数回の注意書き無視して覗いといて、そういうの書いた私が頭おかしいとか言うなよ。(実際おかしい自覚はある)
作者自身で作品を貶めてるですか。そうですか。でも作者は私だし、親切な注意書き無視したのはそっちだし。
もういい。さすがにブロックだ。私のことなんか見たくもない人間なんだろうから、見えないようにしてあげるね!
…と思ったら、既にフォロワー欄から消えている? あら。反応鈍くてごめんなさいね。リムーブじゃなくてブロックにしておくから安心して。
30分ぐらいして確認してみると、向こうからもブロックされてた(そして鍵かけてた)…おぉ。やっぱり確認に来てたか。
こういうタイプはブロックされたとなると別垢か捨て垢から確認に来るもんなんだよな~ということで、別垢も検索して先回りブロック。
また30分ぐらいしてその別垢数個も確認してみると、こっちもブロック&鍵かけしてる。なんだよ、今日はレスポンス早いな(笑)
こういうことしてる時点で私も相当粘着質だけど、気持ち悪いだの性格的に合わないだのというような相手をしつこく確認して回るほどには粘着してないつもり。
鍵かけてる中で「別垢まで探し出してる気持ち悪い」とか喚いてフォロワーにヨシヨシ恐いでちゅねーってされてんだろうな…
さすがにこれでもう終わったと思いたいけど、…私、なんでこの人にこんなに粘着されてしまったんだろう?と不思議でしょうがない。
最初にそこそこ優しくしたから?(でも声かけられたら社交辞令で優しくは振る舞うだろ)
優しかったのに揉めたから?(揉めた原因も向こうがやらかして説明長文DMとか送ってきたから応対したら勝手に落ち込んでただけ)
それとも、当てこすりを全部無視してたから?(無視するだろムカつくから)
マジでわからん。エッチなの以外の作品は好きだったんです~ってやつなんだろうか…?
そう言われたら本来は嬉しいけど、こういうことされたあとだとキレそうな気分だわ。性癖丸出しに楽しんで書いてたものをショッキングとか言われてみろよ。
そのくせ自分は「今回はイベントネタとしてエッチな番外編書けて楽しかった」とか言ってただろうが。自萌他萎の極まりかよ。
まあ、さすがにもう関わらないだろうから、ちょっと安心してるんですけど。
自分が利用してる投稿サイトとかでアカウント探せるとこは全部検索してブロックしたんで、接触は最低限にさせられたと思うんですよね。
投稿サイトのブロック機能っていうのが、コメントを残したりブクマとかは出来ないけど、作品の閲覧は出来るっていう半端さなのがちょっとあれなんですけど…。
ブロックしてるんだから閲覧もさせないでくれよ!ってのが気持ちです。
…関わらないでいてくれるよな?
(私からはもう関わり合いたくない)
今度 "すんげぇ嫌な性格で、話も通じないキャラ" を漫画に出すことになったんよ。
もちっと具体的なコト言うと "おれはすげぇんだぞって言う割に、実績が雑魚" で
"それを周りに指摘されると、お前の言い分がおかCってキレてくるキャラ" を出したいのね。
でもさー、周りにそんな奴いないわけよ。
みんな常識人でいい人で、こんなワイにも優しいのさ。
だから小説とか漫画とか映画とかで研究したんだけど、こう……もっとピンポイントっていうか
日常的な”おれってこんなにすげぇんだぜ”な発言とか知りたい。
そしたらさ、Twitterにいたのよ。すげぇのが。
そのお方(尊敬してるのでこう呼ぶ)はWEBに小説を投稿してて、一度だけ何かの賞で最終選考に残ったことがあるっぽい。
でもさ、その同じ作品を別の賞に何回も何回も何回も出して、一次選考とかで落選してんのね。
そのたびに、そのお方は
「レギュ違反の判定喰らって読まれずに落とされた(※注 レギュ違反なんしてなかった)」
って言ってんのよ。
さらに驚き! 有名な作品や作家を上げて"おれの作品はこれよりすごい"とか"ハリウッドで受ける"とか堂々とツイート。
さすがのワイも「でぇじょうぶかこのツイ」って心配になるけど、ことあるごとに"ポスト〇〇(海外の有名作家)"って自称してて
かーっ、メンタル鋼すぎて惚れた////////
でさぁ、"RTしてくれたら小説読む"みたいなタグのついたツイートを見かけては、そのお方、毎日のように
"おれの作品すげぇんです。読んでください"ってリプ送ってるわけ。
だからそこそこの数の感想が集まってるわけなんだが、ここでちょっと考えてみてくれ。
自分から"感想ください"って名乗りを上げた結果、ついたレビューやPVは、その作品の実力といえるのか?
そのお方は同じ方法でプロ作家や有名編集者にも感想をもらってて、
それを毎日ほこらしげに"こんなすげぇ人からほめてもらったんだぜぃ"ってツイート。
でもって"みんなおれの作品いいって評価してる。だからおれってやっぱすげー"って言ってる。
ここでまたもや、ちょっと考えてみてくれ。
人の作品に感想送るときって、だいたい「面白かったです」って言わねぇか?
ホラ、辛口で書くとモメそうで面倒だしさ。
特にプロ作家とか編集なんて、褒め褒め中心で書くと思うのな。ワイみたいな小心者もそう。
新人賞の審査とかならべつだけどさ、そうじゃなきゃダメなとこは触れず、いいところだけ書いて終わりにするわい。
何が言いたいかって、投稿サイトの付き合いで書いてもらった"面白かった"は作品の評価じゃねぇのよ。
ただの挨拶なのよ。
そんならPVも何百万っていってるはずだから、とっくに書籍化してるだろ。
でも投稿サイトのランキングにかすりもしない程度のポイントで、"おれの作品はすげぇ"って、
なぜそう思うんだ。
ワイにはさっぱり分からねぇ。
なのにそのお方は何故か"おれの作品が一番高評価だ"って思いこんでるっぽいのな。
さらにそのお方、同じ作品を賞に出し続けてて、新作は書いてない。
……あ、書いてるけどエタ気味っぽい?
いかに自分の作品が素晴らしいかえんえん、えんえん語ってるわけ。
一、二作しか書けてねぇのに、ヒット作たっくさん出してるみてーなノリ。
ワイは思った。
上でも書いたけどさ、とにかくメンタルすげえのよ。
落選し続けても自分の作品が優れていると思い続けてるのがまずすんげぇし、
ここまでポジホジなら、怖いもんねぇだろう。
有名どころの作者より俺の方がすげぇみたいなツイしたとき、
その作家のファンなんかに「はぁ(#^ω^)?????????」ってさすがにツッコまれてたけど、
「馬鹿に絡まれた」と意に介さない姿勢がもうCooooooooooool!!!!!!!!!
それなんやろなぁって思うけど、それでもいいじゃん。
なろうと同じで”おれSUGEEEE”ってなってる方が幸せだよきっと。
実績がないにも関わらず「おれすんけぇ」って言うときの論理展開とか言い回しとか、
anond:20220702054142の追記。基本引用元は元記事ブコメ(https://b.hatena.ne.jp/entry/s/anond.hatelabo.jp/20220702054142)。
frothmouth 公権力でないから規制でない、ってのも今の時代の実態にそぐわない気がするなあ。キャンセルカルチャー批判とか考えるとね/真面目に書いた増田に「精液で全身ドロドロ〜」みたいなブコメ付けられて気の毒
ここで問題にしているのは一般人の抗議運動やボイコットのことで、その手のものは「規制」と考えることは不適切だということである。公権力でないから規制ではないとは言っていない(私人間効力の論点はもう半世紀以上前からある)。せっかくだから書いておこう。
2022年現在、公権力以外の「規制」を論じる意味があるとすれば、デジタルプラットフォーマーの問題だろう。我々の言論はあまりにも出版・放送・通信のインフラに依存している。たとえばツイッターやフェイスブック、「マンガ・アニメ」の類を配信しているプラットフォーム、pixivなんかの同人投稿サイト。こうしたプラットフォームに言論は依存しているので、もはや作者の書く自由を擁護するだけでは何の意味もない。その手のプラットフォーマーが恣意的な管理をすれば言論は生き残れない。一方で、こうしたプラットフォーマーもまた出版の自由を有するから、「持ち込まれた言論は絶対に出版しなければならない」義務を政府が課すことは許されない。そして実例として、SNS各社はプラットフォーム内でのヘイトスピーチを禁止しているし、pixivも同様である。みんなプラットフォーマーというとGAFAしかイメージしないが、もっと小規模なレベルのプラットフォーマーに目を向けるのが大事だ。
言論の流通過程全体を保護するためには―わかりやすく言えば2chの削ジェンヌみたいな滅茶苦茶な「管理」をされないようにしないとけない―プラットフォーマーが私人とはいっても、その行動を公権力によって規制する必要が出てくる。そしてプラットフォーマーのもつ出版の自由との慎重な調整が必要となる。その繊細な調整が表現の自由論の課題にますますなっていくだろう。
なぜ繊細慎重な調整と必要となるか。DPへの介入は、プライバシーや名誉毀損にあたる言論を裁判所が差止めるのと同じ構図だし、言論の分野ではないが、旅館業法が、ホテル・旅館(これも私人だ)に宿泊者を原則として拒否できないとする義務を課すのと同じ構図がある。似たような調整はこれまでも行われてきたわけである。ただ、後者の営業の自由は、もともと社会権を保障したり公平な自由を確保するために制限することが幅広く認められると観念されているのと違って、前者は、差止めの要件がかなり厳しく設定されている(『宴のあと』事件などを見れば明らか)。それは表現の自由がそれだけ「重い」権利だという観念があることによる。プライバシーや名誉毀損と営業に対する介入を比較すれば分かるように、表現の自由(就中送り手の自由)を重視すればするほど、プラットフォーマーのもつ「表現の自由」へ介入するのは困難となる。ブコメした多くの人が「表現の自由」はとにかく大事なんだという観念を持っているようだが、果たして一般論として表現の自由を称揚すればするほど、プラットフォーマーの地位が向上していき、利用者の立場は低下していく関係にある。DPに限らず、出版社も独自のポリシーを持っていて、刑法175条の要求とは別に、原稿に対していろいろな要求をして、修正しないなら出版を拒否する。表現の自由を称揚し、表現の自由の地位を向上させればさせるほど、出版の拒否に対して裁判所が介入するのは困難となっていく。皮肉な話である。「表現の自由」を称揚すればするほど、公権力以外の「規制」はつよくなりうる。私人間同士の対立場面で「表現の自由」を登場させないことには、それなりの理由がある。
なお、私は一般人の抗議運動を「規制」と言っているような人に調整作業をやらせたいと直感的に思えないところがある。その人こそが削ジェンヌになるのではないか。
minominofx66 まずは宇崎ちゃんにしろたわわにしろ、萌え絵やアニメが規制されるべき「エロ」なのか、健全な表現の範囲内なのか、この際だから徹底的に議論して白黒はっきりさせるべきだと思う。
第一に、さしあたって規制されるのは「わいせつ」(刑法175条)である。「エロ」ではない。そして「エロ」とか「健全」かそうでないかという問題は、表現の自由を擁護する上でどうでもいいことである。重要なのは「不健全」でも公権力によって規制されないということではないか。「不健全」なら規制しても良いという観念が前提にあるように見えるのは驚くほかない。アニメ・マンガの類の少なくない作品が不健全とか不道徳とか退廃的とか言わざるを得ないのは確かだろう(少なくともハード・コア・ポルノ的なものなら、だいたいどれかには当てはまるだろう)が、だからといって公権力が刑罰をもって発売頒布を禁止することは許されない。それが表現の自由論ではないの。
第二に、「規制」がどんな規制かも考えなければならない。仮に刑法175条が廃止されたとする。そうすると性器修正処理などは全廃されるだろうが、成人向けの書籍・ビデオ等は依然として年齢制限が課せられる(公権力が法律・条例をもって年齢制限を課すこともあれば、出版業界の内部協定として行うこともある)。販売頒布は禁止されなくても、流通過程が制限されることがある。それは言論の内容に着目したものではなく、付随的害悪(たとえば見たくない人の目に偶然触れるのを防ぐため)の阻止するための規制(内容中立規制というやつだ)である。一般論としてそのような規制は認められなければならないだろう※。付随的害悪を阻止するための規制もいっさい認められず、街路に成人向け書籍の広告を出したり、街頭モニターでビデオを上演したりすることも制限なく認められなければならないというのなら、もはや見解の相違としか言えないが。
第三に、宇崎ちゃんの欠缺ポスターやたわわのポスターに対する抗議や批判は、いかなる意味でも規制ではない(国連からという声もあるが、それは「日本の」公権力ではないし、日本国に対して強制力を持ったなにものでもない)。批判や抗議は、表現の自由がもともと予定するものであろう。「不健全な表現は規制せよ」と主張することすら(私はそうは思わないが)、表現の自由である。それに反論するのも自由だが、そういう主張自体が「規制」と言うのは馬鹿げている。
※
とはいってもこれがかなり厄介で、そのような規制によって出版社に過剰な経済的負担を課し、実質的に内容規制をしていこうという方法がないではない。しかし、付随的害悪の阻止のために合理的な規制を行うことは、一般論としては認めなければならないだろう。あとは個別事例による。
(1)
daydollarbotch 用語はそれっぽいが内容が所々おかしい。嫌がらせがあるなら不法行為たり得るし、間接適用説の下で表現の自由は考慮され得る。判決の引用部分では特にわいせつ表現が表現の自由の保護範囲外とは読み取れない(2階へ
①「わいせつ」に該当してもただちに保護範囲外にならないと最高裁が認定しているという趣旨か。だったら以下は何なのだろうか。なお、これはわたしやあなたが考えているところのあるべき「わいせつ」概念ではなく、最高裁の判例法理では「わいせつ」がどういう扱いを受けているかという問題である。
ところが猥褻文書は性欲を興奮、刺戟し、人間をしてその動物的存在の面を明瞭に意識させるから、羞恥の感情をいだかしめる。そしてそれは人間の性に関する良心を麻痺させ、理性による制限を度外視し、奔放、無制限に振舞い、性道徳、性秩序を無視することを誘発する危険を包蔵している。もちろん法はすべての道徳や善良の風俗を維持する任務を負わされているものではない。かような任務は教育や宗教の分野に属し、法は単に社会秩序の維持に関し重要な意義をもつ道徳すなわち「最少限度の道徳」だけを自己の中に取り入れ、それが実現を企図するのである。刑法各本条が犯罪として掲げているところのものは要するにかような最少限度の道徳に違反した行為だと認められる種類のものである。性道徳に関しても法はその最少限度を維持することを任務とする。そして刑法一七五条が猥褻文書の頒布販売を犯罪として禁止しているのも、かような趣旨に出ているのである。
②間接適用説のもとで「誰の」表現の自由を考慮するかが問題である。抗議者の言動を裁判所が差止めれば、それこそが表現の自由の制限となるから、裁判所が差止の権限を行使するにあたっては、表現の自由の趣旨を取り込んで適用しなければならない、というのが間接適用説だろう(ドイツのリュート判決はこれとそっくりな構図だった)。表現の自由の私人間効力は、抗議者に対して、一般論として相手の表現を一切抑制しないように注意する義務を課すものではない。もしそうだとすれば、あらゆる抗議の類が不法行為になるはずである。
③嫌がらせがあるなら不法行為なのは違いない。それは個別事例による。
関連して。
type-100 175条にしても猥褻物の作成・所持を禁じているわけではない。猥褻性を持つものも表現言論の自由の保護を受け、他の権利との綱引きで規制されている。
確かに、刑法175条はわいせつな文書・図画等の作成・所持を禁じていない。その限りであなたのいうとおり、「保護を受け」ると考えてみよう。しかし、販売・頒布は禁止される。警察が刑法175条の取締りの方針を変更して、性器が露出したり、性行為を描写するあらゆる作品を取り締まったとする。そこで作成・所持だけが保護されたとして、何の意味があるのか。「保護されない」という言い回しが気に入らないなら、「保護のレベルが著しく低い」という風に言い換えた上で読んでいただきたい。加えて、最高裁は作成・所持の禁止まですれば違憲となる、とも言っていない(アメリカなら、Stanley v. Georgia, 394 U.S. 557 (1969) 判決がそう言っているが)。
(2)
CocoA "一般に「エロ」の表現の自由を目指していきたいのであれば、少なくとも刑法175条を廃止しなければならないはずである"<-えっ、廃止に賛成している表現の自由の戦士たちを知らない・・・?
「戦士」なら刑法175条を廃止する署名運動なり政治運動なりをやるべきであろう。あるいは「戦士」とはただのネット弁慶か。廃止が提案されたら賛成するが、そうでなければ特に何かしないのか。
(3)
hom_functor これだけ長文書いても表現を規制する合理的な理由は絶対に説明しないんだよな。「抗議をやめる~ように請求する法的資格を有する」なんて見かけない主張を創作したり反論しやすいブコメをチェリーピッキングするだけ
「規制」なのかという問題か否かを読み取っていただけてないらしい。上記で書いたように、抗議運動なりボイコットなりは「規制」ではない。政治道徳的な観点からそれに理由があれば正当だし、理由がなければ不当だというだけのことである。むろん嫌がらせの類は、不法行為である。抗議運動なりボイコットに理由があるかという部分はともかく、「規制」というおかしな問題設定をしていることが馬鹿げているということだけはくみ取っていただきたいのだが。
(4)
sirobu 表現の不自由展に対する街宣カーも自由を制限する不当な圧力だと思ってるんだけど、増田はそう思わないってことかな?
あなたが街宣カーで街宣される時点で表現の抑圧だと考えていることはよく分かった。そういうレベルから見解が異なるのなら、議論がかみ合うことはないだろう。以下は参考まで。街宣カーで道路を走りながら何か言うだけなら、それは自由である(馬鹿なことを言っているなとは思うが)。問題は街宣カーそれ自体ではなく、殺害予告だったり大量電話のような嫌がらせだろう。また、名古屋市長の支出拒否しかり、大阪府知事の会場施設利用不許可しかり、公権力が規制に乗り出していることを考えれば、表現の不自由展では「不当な圧力」どころか、ズバリ「規制」が問題だった。公権力が嫌がらせを煽っていることも見逃せない(特に名古屋市長の愛知県知事リコール運動)。
(5)
thesecret3 憲法は法律ではないので専門家や判決がどうでも各自が独自の解釈で主張してもいいと思う。自由を保障すると言ったら基本は保障されなければならないのであって政府が邪魔しなければいいってもんではないと私は思う。
なんか進次郎構文っぽいトートロジーが・・・。
これ結局ピクシブが重大不祥事2回目やらかしてくれたおかげですっきり片が付きそう
・ツイッターはもともと複垢は棲み分けの必要があれば(なりすまし目的とかじゃなければ)つかいわけてもいいという規約になってる。
ブラウザを複数種類いれれば切り替えの不便さもない。日常とかしか投稿しないんだけど、ピックブよりはPV稼ぎになりそう。
逆カプ用に育てておくかなぁ(新規垢で大手さんにからみにいくとシャドウバンが面倒なんだ)。
・くるっぷ 1メアドで複垢2つまでもてる。 ワンクッションだのが標準装備。ピクシブとツイッターのいいとこどりしたような投稿サイトでよい。ユーザー数は少な目。
どうせピクシブで出してもツイッターで宣伝しても結局そんなに人来なかったし、これからオンラインイベントとかで合同したりして人を呼ぶ努力すればいいのかも。
・ピクトブランド ちょっと画面がゴチャついてて、くるっぷより見づらい。複垢切り替えもめんどうそう。でもくるっぷもピクトブランドもピクシブよりはマシ。逆カプ絵をお勧めしないのと、ツイッタータイムラインにツイッターカードのサムネ直だしがない。
・ピクスク これが一番面倒なんだ。なにより複垢登録時に「通販サイト」が必要っていいかたされる。本当は無料展示がしたければ上にあげたようなSNSのurlを「通販サイト」欄にぶちこんでおけば充分なんだよね。初心者にはハードル高い。もっとみんなオンラインイベントやればいいのに。
でもまあ、基本的にイベント時以外参照されないので、アカウント設定(アカウント名や個人サイトなど)をその都度、訂正してふりわければ複垢と同じ効果が得られる。
同日開催オンラインだとあきらめて同名両方参加か片方だけ参加かするしかないね
・ピクスペ・とらのあな・フロマ(boothはよくできていて惜しかったが本体がピクシブなので不使用にした)→とらのあなはサークル名・作家名をつかいわけさせてくれてる(納税というか還付金申請もしやすい)。そしてとらのあなから駿河屋あたりにサークル名データが流れているようなのでまあしっかりつかいわければいいか。ピクスペは登録すらしてないごめん。いろんな点でブースよりつかいづらかった時点で自分はダメでした。
・赤ブー これも面倒だけど、まあもう全部カプ名ぶちこめば配置工夫してくれるやろ…緩衝材乙
2垢目 D×C(たまに食べたくなる) 、 C×D×C(オンイベがすごい豪華)
で複垢使い分けてみようかなとおもいました。
こんどC×D×Cに出るけどまわりが百戦錬磨すぎてビビったわ…A×Bもすげーわ C×Dはほんと玉石混交でしかも焼き直し多いから人口多い割に流入微妙なんよね
どうやら5chの言語板では推測を書いてはいけないというどう考えても科学の発展の妨げにしかならないような謎ルールが存在するので、以下、スレに書き込もうと思っていたことをまとめてここに書く。
性癖を性的な癖に言い替えられるような使い方で使っているのはネットかつオタクの文化圏に集中していることは疑いようがないことだと思う。
まずツイッターのbioがそうだ。
これを言ったらツイッターのbioとオタクがどう結び付くのか分からないし視野狭窄としか思えないって言われたけど。
なので他にも例をあげていこう。
cmで有名なシーモアやめちゃコミやrentaよりも蔵書が多い電子書籍サイトだ
・性癖が暴かれる!? 新感覚オフィスラブ!(中略)彼女のヒミツは…「アレ」に人一倍興味があること・・・!?
・性癖ヤバめなオトコに狙われました。
・彼の性癖は歪んでる。~聖母系エリートの悪魔的とろとろ溺愛セックス~
・ひなこは今夜も鷹臣先生を困らせたい おしどり夫婦のナイショの性癖
全て性癖を「性的な癖」と置き換えても成立する文脈で使われている
1000件以上ヒットしたが5件連続でこうなのだから漠然と有意性が感じられるとは思う
全部検証するのは大変骨が折れるので興味がある人がすればいい
また似たような引用方法をしてもくどい感じもするので検索結果のリンクだけ貼っておく
https://www.pixiv.net/tags/%E6%80%A7%E7%99%96/novels
なんか最初のあたりで中国語のものが目立つが、日本語の作品ではやはりそういう性癖の使い方が目立つと思う
・
以下ではなぜこのような性癖の使い方が行われるようになったか推測、かっこよくいえば仮説を書く。
「○○をする性癖がある」があるというのは、一部の国語教師面をした人間からのウザ絡みを避けられるという意味でより無難な書き方をするなら「○○をするのが好き」と言い替えられるだろう。
しかし単に「○○がすき」みたいにというふうに書くとなんか締まりがない感じがしなくはないか?
なんというか名詞の性癖を使うのと比べるとバシッと決まらない感じがするというか、読み手を想定してみればそういった文章は漫然と左から右へと意味内容が流れていくばかりその読み手の頭からするっと抜けてしまうような感じが俺はする。
それに比べて「性癖がある」というのは名詞的な表現だ。その言葉の前で受けている性癖の内容をバシっと捉えて概念化している。
概念化は名詞の効用だと思う。動詞で終わる文章が単に事実や考えを伝えるのに比べると、文章全体ではなく、一つ名詞に読み手の意識が集中される。
名詞が記憶のとっかかりにもなる。そういう意味でも読み手の頭により強く残る。
以前私は「漫画の魅力ってそれが二次元とメタファーされるように」という文を書いて、ここで「そんなメタファーの使い方はしない」というふうに言われた。
しかしこうやって指摘するぐらいの人間はその言わんとすることが伝わっているからこそ、その意味と用法がずれているということに気付けることが指摘の動機となっているはずなのだ。
完璧に正しい用法かの確証はないがおぼろげに自分の伝えたいことにかすっている程度ぐらいの可能性でも感じるなら、少し小難しくてもそういった名詞や特に術語を使うほうが、読み手は「あああのことが言いたいのね」となるのだと思う。
性癖も本来は単に癖と言うのをより生硬にした表現だ。そういう日常的にあまり使われてなかった言葉をあえて使う場合、日常的に使われる言葉が多種多様な場面で使われるためにぱっと読み手の目に入って来てもその言葉だけでは文脈が絞り切れないという意味ではニュートラルに認識されるのに比べれば、そういう言葉は特定のミームというか匂いを帯びやすい。
「性癖」の意味をひとたびずらして「性的な癖」という文脈で使うようになると、もうそういうミームで固定される。
だからそういうミームを共有し合う人間にとっては性癖という言葉を出すだけで、みなまで言わなくても何が言いたいのかなんとなくわかるというか、そういう読解の省エネ的な効果が認められるのだと思う。
とにかく、単に何々が好きというのが読み手に「なんの意味で好きなんだろう」とその実態のより詳しい限定化を課す、すなわちボトムアップ式の理解を課すものだとすれば、性癖と概念で言ってしまえばトップダウン式に何が言いたいのか理解されるという点が便利なのだ。その代償として国語教師面した人間に噛みつかれるリスクを負い得るだけで。
俺がメタファーという言葉を使ったのもそういう効果を狙ったものだ。そもそもメタファー以外に自分の伝えたいことにあてはまる表現が見当たらないって理由も大きかったはずだけども。
(アスペは会話をあまりせず書き言葉が友達だから難しい言葉と思われているもののほうがアスペにとっては身近というのはアスペの悪い癖だ。もちろん俺の「メタファー」は他の定型から見れば理解の浅いずれた使い方なのかもしれないけど、俺にとってはメタファーが理解度という点で使うべき一番ましな言葉だったのだ。そもそも言葉の難しさとは何なのか。たかがカタカナご文字の言葉の難しさをどう規定できるというのか。正も凸も小学生で習う同じぐらいの画数の漢字だが習う時期が全く違う。俺はこれにも納得できないがそれは上記のことに通じる話だと思う。凸が身近な人間にとっては普通の人にとっては正の方がやさしい漢字に思えても、その人にとっては凸の方がやさしいのだ。)
名詞は特技、趣味、性癖というように表とかの項目にするにも都合がいい。
これが一つだけ「性的に好きなこと」とかだったら統一感もない。
角川類語新辞典には「手癖」「尻癖」「酒癖」と○癖という言葉がたくさん載っている。
癖をへきと音読みする言葉は実はそんなに多くないが、それでも日本語、いや日本人の伝統として○+癖という造語法で言葉を作っていく造語意識が背後にあることを伺うことはできる。
基本的に癖の内容を象徴し得るような漢字+癖という組み合わせて作られていることは明らかだ。
酒癖はそのままだし、尻癖は失禁する癖のことで、その現象が起こる場所を示す漢字を使っているという点でちょっとひねっているが、根本はおなじだ。
そんなわけで、もとの性癖は性も癖も似たような意味で使っている漢字を組み合わせた熟語だけども、それとは独立して性的な癖という意味での、酒癖等と同列な「性癖」が今作られるようになっていったとしても、日本人の背後にはそうおう造語意識がずっとあったわけだから、何もおかしくないわけだ。
つまり、両国には地名と両者の国という二つの意味が考えられるがこれらは辞書では別の言葉として別別に立項されているように、あの性癖とこの性癖も辞書で別扱いするべきぐらいに全く別物の言葉なのだというのが私の仮説だ。
よって性癖を性的な癖と言い替えられる文脈で使ったときに「誤用だ」とかいうのは全くずれていて、単なるシノニムとしての衝突に翻弄されているだけなのである。
日本語だとちょっと突拍子なく感じる意見かもしれないが、英語ではスペリングが同じで別の概念として複数立項されている言葉は何も珍しくない(無学かつ個別の事例を覚えてられるほど記憶力よくないので例はあげられないけども)。