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Cinq idées reçues sur le “nouveau” Front national
フランス語はそんな上手くないし、フランスの政治には全然詳しくないのでひどい訳です。
どんどん誤りを指摘してください。補足してください。何ならもっといい翻訳をつくってください。
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モンペリエ大学とパリ政治学院の政治科学の助教授であるアレクサンドル・デゼは、『問題になっている「新しい国民前線」』の中で、ステレオタイプに反して、国民戦線については、新しい点よりも昔から変わらない点の方がはるかに重要であることを示した。
2014年の選挙での国民戦線の戦績が良くなったことは否定すべくもない。しかしながら、そのことを過大評価してはならない。アレクサンドル・デゼは次のことを思い出すように促す。地方選挙において、国家的レベルと結びつけて考えるなら、1995年のときのように、票の4.7%しか獲得していない。これらの結果を、2012年の大統領選挙の時の人口10000人以上の都市におけるマリーヌ・ル・ペンの結果と比較してみよう。そうすると、今回の地方選挙の結果は、票数に関してはいくらか劣っているものだと言える。ヨーロッパ選挙に関していえば、かつて聞かれたように、29.4%のフランス人が国民戦線に投票したのではない。棄権を考慮に入れるならば、有権者の10%だけである。
奇妙にも、県の選挙の結果は、彼らの前進を示している。ただ、世論調査での高い予想のせいで、この結果は過小評価されている。国民戦線の候補者は43の県で1位であり、1107の小郡(canton)で、降りずに留まっている。
これらの結果というのは、国民戦線を彼らのスローガン通りの「フランスの第一党」とするには不十分なものである。アレクサンドル・デゼは、国民戦線の存在感というのは、市町村レベルでは副次的なものであり、地域圏(1880人の議員のうち118人、議長は1人もいない)・県(4108人の議員のうち62人、議長は1人もいない)・国会(577人の代議士のうち2人)のいずれのレベルでも甚だ不完全なものである。党員の数について言えば、国民戦線には42000人の活動家がいるが、その数は依然共和党と社会党よりも少ない。
2011年1月にマリーヌ・ルペンが国民戦線の党首に選ばれてから、「脱悪役(dédiabolisation)」という戦略が実行されるようになってから、エリゼ宮(※大統領官邸)への道のりは既に引かれたのだ、という声がしばしば聞かれるようになった。しかし、全くそうではない、とアレクサンドル・デゼは静観している。「この読みはメディアの大多数によって共同でつくられ引き継がれたことによって認められているのだから、政治的なフィクションの領域に属するような話である。」
国民戦線は、国政の責任者に至るまでには、おそろしいほどに枠組みを欠いている。他の党との「融和」を誇示するような最近のいくつかの手がかりのうち、いくつかはあまりに短い間であったし、あるいは、内部で問題視されていた。さらに、権力の扉は国民戦線に対して無情にも閉じられたままであるだろう。選挙制度上の理由で、今まさにそうであるように、国民戦線は政治的に孤立したままでいるだろう。「この孤立は、2回に分けての多数決投票が影響力をもつ政治システムのうちでは、権力への道を妨げる最大の障害物になる。」
国民戦線は他の党と同じような党になったのだろうか? マリーヌ・ル・ペンによってなされた刷新というのは、本当に党の顔を変えてしまったのだろうか? アレクサンドル・デゼによれば、これらの疑問への答えは改めて否定的なものである。マリーヌ・ル・ペンの就任の前と後での国民戦線の戦略、プログラムとその支持者を比較して語るところでは、「マリーヌの国民先生とルペンの国民戦線の間には、新しくなったところよりも十分多くの変わらないところが多い」のである。脱悪役? 国民戦線の歴史は、絶え間なく更新される脱悪役の試みの歴史である。したがって、右派へと国民戦線が差し出す手のうちに、あるいは、立派な風貌を打ちだすことによって新しい支持者を集めているとされている周辺的なさまざまな手段のうちに、新しいものは何もないのである。
プログラムに関していえば、国民戦線は常に自らの基礎に立脚している。反体制的批判、国家の特恵、国家の防衛、欧州連合の拒否、ユーロ圏からの離脱、失業と不安の原因と見なした上での移住の拒否である。反リベラルへの再定位は1992年に遡るが、マリーヌ・ル・ペンの社会的な演説は、連続性を担っている。
リーダーシップに関して言うと、マリーヌ・ル・ペンは、彼女の父親のイメージとの対照によってそのメディア上のイメージが形作られている。「このような対照性が推測されていることは、国民戦線に新しく投票するようになった人が、自らの投票を正当化するために持ち出されるような、最先端の議論になっている」とアレクサンドル・デゼは語る。しかしながら、言説における一連の相同性や、マリーヌ・ル・ペンが自分の父親について反対を示さなかった機会を列挙するこの研究者によれば、マリーヌ・ル・ペンと彼女の父親との差は、思われているよりも微々たるものである。例えば、2014年5月に父ルペンが「エボラ殿下」の介入が「人口爆発」と移民の問題を解決しうると主張した時、あるいは、彼が2015年1月に「私はシャルリーではない。私はCharlie Martel(※イスラム教徒のヨーロッパへの進出をイベリア半島までで食い止めた8世紀フランク王国の王)だ」といったとき。これらはいずれも、議員の免責特権の恩恵を被ることはなかった(「人種的憎悪の扇動」として彼女を追及することは、現在進行系で行われている)
最後に、その組織図に関して、「粛清」という幻影を生み出しながら、党によって過激すぎると判断された特定の諸個人を排除した。しかしながら、アレクサンドル・デゼが述べるところでは、「国民戦線は過激な極右のグループや活動家たちと、緊密な関係を維持している。」コゴラン市(Cogolin)の国民戦線の市長は、GI(Génération identitaire)の共同創設者であるジュリアン・ランゲラ(Julien Langella)を広報担当として2014年に起用した。ボーケール(Beaucaire)の国民戦線の市長は、GIのスポークスマンであるダミアン・リュー(Damien Rieu)を、市の広報部長補佐として任命した。二つの例を挙げれば十分だろう。
しかしある時ふと気づいた。 「人を殺せる職につきたい」
俺はそういう人間なのかと、一時はとても悩んだが、この考え方が自分にとってとても自然なことを徐々に受け入れて行った。
それを実行に移すべく、いろいろ調べた。
別に直接殺さなくてもいいのだが、間接的すぎるのもダメだ。車業界で事故を起こすとか、反医療を流布するとか。
殺しているという実感が得られない。
考えた挙句、とある物語に登場する、コロニー落としというものが良いとの確信に至った。
少なくとも数億の人類を殺せる。別に指導者じゃなくて、モビルスーツのパイロットで十分だと思った。
コロニーを地球軌道まで搬送して投下させる、この瞬間を想像するだけで震えが止まらない。
コロニーを落とさねばならぬ
とりあえず、宇宙コロニーに人々が移民するような時代にならないといけないが、とても俺が普通に生きているうちに実現するとは思えない。
そこで宇宙世紀がやってくるまでコールドスリープすることにした。
いつまでコールドスリープしていればいいか分からないし、コールドスリープから目覚める技術も進歩しきってから目覚めないとダメだ。
そこでまずクラウドファンディングでプロジェクトを立ち上げ、資金を調達した。
「最も人を殺せる職業に就くため、宇宙世紀までコールドスリープしてコロニー落としがしたい」
という名前で募集したところ、ネットでバズってしまい、1億ほど集まってしまった。
しかし宇宙世紀までコールドスリープするにはお金が足りなさすぎる。
そこで獲得した1億で、アメリカの弱みを探って、お金をたかることにした。
色々とナショナルトレジャーっぽいことをした結果、失われた合衆国憲法みたいなのを発見してしまった。
これを公表されたら今の地位がやばいぞ、というのを遠回しに伝えたところ、いい感じのお金をくれた。
もちろん暗殺とかされないように、俺が死んだら情報が公開されるぞ、みたいのを組み込んでやった。
そのお金で財団を設立し、ずっとコールドスリープが保持されるように体制を整えて、コールドスリープに入った。
そして目覚めた。しかしまだ西暦は続いていて、宇宙世紀は来ていなかった。
近くにいたAIに話を聞いてみると、どうやら人間は宇宙の生活に適応できなかったらしい。
なんてこった。
それどころか、地球の寒冷化と汚染が進んで、人が住める環境ではなくなっているらしい。
その結果、人類は劣悪な地下環境で過ごすか、地球環境が戻るまでコールドスリープするかを選んだ世界となっていた。
俺の設立した財団は、俺のコールドスリープの維持だけでは非効率と考え、希望する人間のコールドスリープを行う事業を立ち上げ、
世界随一のコールドスリープ管理組織となっていた。今やコールドスリープ管理する人間は20億を超えていた。
すると、財団の創設者である俺は、20億もの人間の生殺与奪を握っていることになっていた。
念願だったコロニー落としはもう叶わないだろう。しかし最も人を殺せる職業というのにはなってしまった。
眠っている人間をそっと殺すというのは、趣きに欠けるかもしれない。
どうしたものか。
「メジャーリーグ史において最も重要な40人」はアメリカの著名スポーツメディア「スポーティングニュース」が先日発表して話題となったもの。ソースはこちら。
The 40 most important people in baseball history, ranked | MLB | Sporting News
ここで挙げられている40人について調べてみたんだけど、筆者はMLBにそこまで詳しいわけではないので、何か誤認・誤訳があったらごめんな。
MLB史上最大のスター。驚異的なペースでホームランを放ち、MLBの野球を「ライブボール時代」へと変えた。当時、ブラックソックス事件により信頼を失っていたMLBは、ルースの人気によって復活し、さらにはアメリカ最大のスポーツにまでなった。
近代MLBにおける初の黒人選手。ニグロリーグで活躍した後、1947年にドジャースでMLBデビューして、MLBの「カラーライン」を打ち破った。またMLBの初代新人王でもある。
1920年、ブラックソックス事件の収拾を図るために、強大な権力を有するコミッショナー職が新設され、判事であったランディスが就任した。事件に関わった8人の選手は永久追放とされ、その厳格な対処がMLBの信頼回復に繋がったと考えられている。
1900年にアメリカンリーグを創設し、現在まで続くMLBの2リーグ体制を作り上げた。審判に権力を与え、違反行為に厳しい罰則を課すことで、クリーンなイメージを生むことに成功した。強権的な性格から、のちにランディスと対立して辞任した。
カージナルスやドジャースのGMを歴任し、MLBで初めて選手育成のためのファーム制度を整えた。また、ジャッキー・ロビンソンと契約して、黒人選手がMLBに参加する道筋を作った。
1966年、エコノミストとしての経験を買われてMLB選手会の代表に就任し、最低年俸の増額、選手年金の拡充、そしてFA制度の導入に貢献した。彼の在任期間中に選手の平均年俸は1.9万ドルから32.6万ドルにまで向上した。
スポーツ用品のSpalding社を興し、ナ・リーグ創設にも関わった。初めて野球のルールブックを出版、ボールの標準化に努めるなど、初期のMLBの発展に尽力した。野球選手としても超一流で、通算勝率のMLB最高記録を保持している。
シカゴ・カブス(の前身)の社長であり、1876年のナショナルリーグの創設者の一人である。のちにナ・リーグの第二代会長に就任して公正かつ厳格な運営を行い、MLBの基盤を作り上げた。スポルディングとは盟友だった。
黒人野球チームのスター選手であり、また球団オーナーとしても成功した。彼の呼びかけによって、1920年にニグロリーグが設立された。「ブラックベースボールの父」と呼ばれる。
野球評論家・統計家で、「野球の父」とも呼ばれる。ボックススコアを考案して試合の記録を取り、「打率」などの指標を提唱した。またスポルディングのもとでガイドブックを刊行するなど文筆活動も盛んに行い、野球の普及に多大な貢献をした。
元はブルワーズのオーナー。MLB選手会とオーナーの対立が激化していく中で、1998年(実質的には1992年)に第9代MLBコミッショナーに就任。リーグの再編、収益分配制度の導入、オンライン配信の開始などにより、就任前と比較して5倍以上とも言われる空前の収益をMLBにもたらした。
ドジャースのオーナー。冷徹な経営者であり、1957年に球団をブルックリンからロサンゼルスへ移転させた。それによりアメリカ西海岸における野球ビジネスを開拓し、経済的には大成功を収めたが、ブルックリン住民からは深く恨まれた。
1977年から1988年まで刊行した「Baseball Abstract」を通じてセイバーメトリクスを提唱した。米国野球学会(SABR)のデータと統計の手法を用いて、RCやRFなどの様々な新しい指標を作り出した。
1974年、ドジャースの選手だったトミー・ジョンに、自らが考案した靭帯再建手術を施し、それを成功させた。この手術は「トミー・ジョン手術」として、いまでは広く施術されている。また、1990年には肩再建手術も成功させている。
ブレーブスで活躍し、ベーブ・ルースの記録を超える通算本塁打755本を放った。黒人のアーロンが白人のルースの記録を破ることには反発もあったが、彼はそれを乗り越えた。通算打点2297点は現在でもMLB記録である。
ヤンキースに所属し、当時の記録である2130試合連続出場を達成して「鉄の馬」と呼ばれた。しかし筋萎縮性側索硬化症に苦しみ引退、そして37歳の若さで亡くなった。背番号の「4」はMLBで初めて永久欠番となった。
野球クラブのニッカーボッカーズや全米野球選手協会(NABBP)において、チームの人数や塁間の距離、一試合のイニング数、バウンドルールの撤廃など、基本的なルールの策定に貢献した。遊撃手のポジションの創始者とも言われる。
(野球ルールの策定に関してはアレクサンダー・カートライトの名前がよく挙がるが、現在ではドク・アダムスを評価する声が多いようだ)
ニグロリーグで活躍した後に、MLBで最初の黒人スカウトとなり、最初の黒人コーチとなった。ニグロリーグ野球博物館の設立や、ドキュメンタリーへの出演、多くのインタビューを通して、ニグロリーグへの関心を高めることに尽力した。
MLBにおけるヒスパニック系選手の先駆けであり、中南米出身で初めてMLB殿堂入りした。慈善活動中の飛行機事故により38歳で亡くなり、そのため慈善活動に貢献した選手に贈られる賞にその名が冠されることになった。
肩、肘、膝に関する整形外科医。1985年、ロジャー・クレメンスに施術した関節鏡手術で脚光を浴び、以降もスポーツ医学の権威として数多くの選手の手術を担当している。
「シューレス」の異名で知られるMLB初期の名選手。しかし、MLB最大の八百長事件であるブラックソックス事件に巻き込まれ、MLBから永久追放された。ファンは彼に同情的であり、いまなお悲運の選手として記憶されている。
最多安打4256本や最多出場3562試合などのMLB記録を持つ「安打王」。しかし、引退後の1989年に野球賭博に関わっていたことが発覚し、MLBからは追放された。
走攻守すべてに優れたMLB史上最高のオールラウンダーであり、当時MLBにおいて台頭しつつあった黒人選手の代表格でもあった。オールスター24回出場は最多タイであり、「オールスターはメイズのために作られた」と評された。
1901年にアスレチックスの初代監督に就任すると、それから1950年まで指揮を取り続け、5度のワールドシリーズ制覇を成し遂げた。もちろん監督の就任期間としてはMLB史上最長である。
上院議員、ケンタッキー州知事、そして第二代MLBコミッショナー。ランディスが黒人参加に否定的だったのに対して、チャンドラーは進歩的であり、1947年にドジャースおよびジャッキー・ロビンソンを支持し、その契約を承認した。
連邦最高裁判所の名判事として著名。1922年、球団が選手の移籍を制限できる「保留制度」について、それが反トラスト法に該当しないとの判決を下した。これにより、現在までもMLBは反トラスト法適用免除の特例として扱われている。
1900年にパイレーツのオーナーとなった。その後のナ・リーグとア・リーグの対立を調停し、「ワールドシリーズ」を提唱して1903年の初開催に尽力した。また1909年に、鉄筋コンクリート製の近代的な球場を建設したことでも知られる。
スコットランド出身のビジネスマン。1934年、野球発祥の地であるクーパーズタウン(これはスポルディングが広めたデマであるが)に野球博物館を作ることを思いつき、そのアイディアがアメリカ野球殿堂の元になった。クリーランド自身は野球に全く興味がなかった。
レッドソックスで活躍し、MLB史上最高のバッターの一人とされる。最後の4割打者であり、通算出塁率.482はMLB記録である。1970年に刊行された、自身の打撃理論を記した「The Science of Hitting」は、後の多くの打者に影響を与えた。
大学で統計を学び、1969年にスポーツ百科事典「The Baseball Encyclopedia」を、1974年からは「Sports Encyclopedia: Baseball」を毎年刊行し、高い評価を得た。他にサッカーやバスケットボールの百科事典も編纂している。
ジョン・マグローらと並んでMLB史上最高の名将とされる。ホワイトソックス、アスレチックス、カージナルスの監督を歴任し、ワールドシリーズを3度制した。データを駆使した細かな継投を得意とし、現代的な「クローザー」というポジションの確立に貢献した。
MLBで首位打者を獲得するなど活躍し、引退後は監督となった。1934年に日本の野球チームと対戦したとき、相手チームに「ジャイアンツ」というニックネームを贈った。1949年に訪日した際にはチームを率いて全国巡業を行うなど、戦後日本に野球を広めるのに貢献した。
アストロズのオーナー。1965年、世界初のドーム球場・アストロドームを建設し、さらにドーム球場では天然芝が使えないために、人工芝アストロターフを開発した。人工芝は70年代に流行し、その走りやすさからMLBの野球をスピーディなものに変えた。
MLBのインターネット部門であるMLB Advanced Media社(MLBAM)のCEO。MLB.comを運営し、試合のオンライン配信や、チケットの販売などを開始したことで、巨額の利益を上げている。
1998年のサミー・ソーサとの最多本塁打争いにより、1994年のストライキで低迷したMLBへの注目を取り戻した。最終的に70本塁打を放って当時の新記録を作ったが、2005年頃からステロイドの使用が確実視されるようになり、その名声は失墜した。
1969年、カージナルスに所属していたフラッドはトレードを拒否し、マービン・ミラーと共に「保留条項は反トラスト法違反であり、トレードは無効である」との訴訟を起こした。裁判には敗れたが、この事件をきっかけにFA制度が導入された。
日本での任意引退を経て、1995年にMLBのドジャースと契約した。30年以上前の村上雅則を除けば、MLBで長年に渡って活躍した初めての日本人選手であり、その後も続々とMLBに移籍する日本人選手たちの先駆けとなった。
1977年のワールドシリーズで、当時のMLBコミッショナーだったボウイ・キューンは、女性記者であることを理由にラットクの取材を許可しなかった。彼女は平等な取材を求めて訴訟を起こし、勝利した。これ以降、全てのチームが取材に制限を設けないようになった。
1920年、カージナルスの選手だった彼は、野球用品メーカーとして有名なローリングス社に、グラブの親指と人差指のあいだに「網」を貼るべきだと提案した。これにより現在の形の野球グラブが完成した。
2002年、レッドソックスのGMに史上最年少となる28歳で就任する。2004年のWS優勝で「バンビーノの呪い」を打ち破ると、2012年には新たにカブスの球団社長となり、2016年のWS優勝で「ビリー・ゴートの呪い」までも打ち破ってみせた。
どこまでホントなのか分からんけど、スウェーデンからの留学生の話。
スウェーデンでは、アルコールを飲んだ後のセックスは、後日女性から訴えられれば確実にレイプ認定される、らしい。
ようするに、日本の痴漢冤罪と同じで、スウェーデン女性はその気になればいつでも男性の社会的信用を失墜させることができるんだとさ。
(そういえば、ウィキリークスの創設者もスウェーデンでレイプ犯認定されてたね)
かの国はフリーセックスで有名だけど、セックスには相当なリスクがあると認識されているらしく、スウェーデン男性の草食化傾向も結構アレらしい。
スウェーデンにかぎらず、北欧社会は少子化こそ改善してるけど、男性の未婚率は日本以上で、完全に女尊男卑の社会構造になってる。
シングルマザーが多いのも、ハイスペ既婚男性が不倫して妊娠しているパターンが多いからだとさ。
(共同親権がベースにあるから、相手男性に子どもを合わせないことを条件に養育費は要求しないらしい)
国中が一部の男性陣の子どもばっかりになるとか、北欧ってちょっとした優生学の国だね。ヒトラーもびっくりだわ。
こういう経験を一度でもしたことのある、もしくは身近にそれを見てきた人間であれば、今回のあの騒動はそれほど驚くべきことではない。大小に関わらず、身内企業では実によくあることだからだ。
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信用と業績の中心を失った企業は緩やかな死を迎える
もしこれで能力のある第三者が離脱せずに経営者側と和解なく経営権を剥奪するというのなら、それはクーデーターにほかならない。
一見して筋道の通った話に聞こえるかもしれないが、これは他人の私物を奪う行為だ。なぜなら、労働者の生産物は常に経営者の資本の上に成り立っているからだ。
自らの資本を持って一企業として自立して、市場から占有率を奪い取るのであればわかる。それこそが自由経済の原則だ。他人の資本で成長しておいて、培った実効支配力を持って母体を乗っ取る行為は寄生虫のそれと何ら変わりがない。
経営者側としては、こうした企業倫理の崩壊を防ぐために時に売上よりも理念を優先する必要がある。売上につながるからといって能力者の行動を野放しにすればいつの間にか企業内の正義が逆転してしまうからだ。
もし有能な人間が、今の企業のスケールが自らの能力に合わないと判断したのであれば今すぐにでも自らの資本で起業すべきである。もしそれができないというのであれば、それは自らの能力に対するおごりだ。なぜなら、その成果物全ては企業の資本があってはじめてのものだからだ。それを忘れて自らの能力を主張することは、エゴ以外の何ものでもない。
ときにそうした人間が会社の批判を行い、さらにそれに多くの人間が同調する姿を目にすることが、それが身勝手以外の何物でもないことは言うまでもないことだ。
しかし、ここには経営者側、能力のある第三者側に共通して不足していると言える点がある。それは自らの立場に対する自覚でありおごりだ。
企業の売上であり利益は、決して個人の活躍だけで成立するものではない。言い換えれば、企業や組織のブランドとは、そこで働く人間全員によって作られているものだからだ。そのブランドを背負うことで、はじめて個人の能力が発揮されているということを忘れてはならないのだ。それは企業で働く人間誰ひとりとして忘れてはならない原則といっていいだろう。
考えてみて欲しい。もし自らが、自らの属する組織や企業の評判の全く届かない土地に立ち、何も持たない状態で今の報酬と同じだけの収益を直ちに得ることができるだろうか。それができないというのであれば、その部分は自らが属する組織に依存している部分にほかならず、それを自らの所有物であると勘違いしている証拠なのだ。
しかし人間とは往々にしてこのことに対して無自覚である場合が多い。だからこそ企業は寿命を避けられないし、つまらぬいざこざで能力のある人間が露頭に迷うことが絶えないのだ。
今回の一見を、メディアはこぞってアイドルグループ解散の危機と報じた。しかし、見極めるべき問題の本質はそこにはない。なぜならそこにあるのは一企業存続の危機であり、そこで働く人間たちの生活の危機にほかならないからだ。口を開けてしまった溝を埋めることも、一度生じた不信感も、ましてやぽっかりと穴が空いた能力者の席も、取り戻すことは容易ではない。
今回の件において残念に感じたことは、どこにおいても大人が不在だったことだ。誰しもが自らの利権と正義のもとに行動し、それによって利害が生じる守るべき人間たちを置き去りにしていたからだ。これこそが日本企業が世界に最も劣る点であり、企業寿命が伸びていかない一番の理由でもある。
自らの類まれなる能力に自覚がありながら経営側と折り合えない悩みを抱える人間は、一度の足元を見なおしてみて欲しい。育ててくれた会社も、信用してついてきてくれた人間も、そして自らの家族も、すべてを失ってしまったわたしのようには絶対になってはならない。
ソーシャルゲームのガチャ確率騒動の反応を見て、何が良い、悪いをここで断じるつもりは無いんだけど、なんとなく「ソーシャルゲームは悪いもの」という認識が大分根付いた上で大きな騒動になってるな、という印象を受けました。
ところで、ソーシャルという言葉すら無かった90年代、今でこそゲーム脳等という戯言を信じる人はいないでしょうが、ビデオゲームというものは社会問題になっていました。頭を悪くなるという事もそうですが、ドラゴンクエスト3の恐喝事件や、ゲームセンターは不良のたまり場であるとか、結び付けられた例はいくつもあり、ビデオゲームそのものの問題であるかどうかは疑わしくも、悪いものであるという印象は強まっていくばかりの風潮があった事は否定しがたいかと思います。
そんな中、1996年に現在のCESAであるコンピュータエンターテインメントソフトウェア協会が設立されます。初代会長は上月景正氏。そう、ゲームが嫌いと噂される、コナミ創設者であり元会長その人であります。
ゲーマーにはあまり知られておらず、逆に経済界等ではそれなりに名が知られた方で、84年には自身のポケットマネーから教育財団を設立し、現在までに多くの教育や文化振興に関する支援を行っており、いま活躍するクリエイターやスポーツ選手にもこの支援を受けたという人は多くいるかと思います。
その経緯もあり、ゲームクリエイター上がりの経営者ばかりで、経済界やロビー活動に疎かったゲーム会社各社を取りまとめ、『コンピュータエンターテインメント産業の振興を図り、もって我が国産業の健全な発展及び国民生活の向上に寄与することを目的』としたCESAを設立に大きく寄与した訳です。
その後は皆さんもご存じの通り、ビデオゲームが悪者として扱われない為、市場規模のアピール、ゲームによる悪影響の調査、CERO設立による自主規制といった活動を続け、ビデオゲームは社会的にも認められる娯楽となりました。
コナミは99年にロンドン、02年にニューヨーク、それぞれの証券取引所に上場し、現在まで続いています。米国の凶悪なSOX法(企業が不正行為を行っていないか、財務状況は適正かを厳格に調査されるし、その体制の維持)を乗り切る為、その企業体質はまさに"健全"そのものです。
一方で「最強法務部」と揶揄されるのは、法令順守に取り組み続けた結果負け知らずだが、融通が利かない会社という認知の現れなのでしょう。
ゲームは嫌いだけど、嫌いなゲームを誇れるものにする為に、その健全化に尽力した結果、今のビデオゲーム産業があって、ゲーマーからは嫌われてしまったというのはまあ、幸福な王子じゃありませんが、皮肉な話です。アンチヒーローじゃありませんか。
もしかしたらソーシャルゲーム会社の経営者の中にも、「ソシャゲなんて格好悪い。本当は大嫌い」なんて人が居たら、その人が能力をフル活用して健全化に取り組んだりするなんて、都合の良い話がその後聞けたら面白いなと思う訳です。
もし副作用のない覚せい剤が開発され、安価に大量生産され誰でも入手できるようになったら、人類はどうなるのだろう?
誰もが最低限の生命を維持さえ出来れば、他のことには興味がなくなるはず。テクノロジーの進化も文化の発達も全てストップするに違いない。しかし、どんな世界にもひねくれ者は少なからずいて、「薬に頼った幸福など真の幸福ではない!」とドラック殲滅を目標としたレジスタンスを結成する。ところがそのレジスタンスの中に裏切り者がいて、レジスタンスメンバーにドラックを摂取させレジスタンスを崩壊される(本人は完全に善意で行っている)。ギリギリでドラック摂取を免れた生き残り達は、ドラックの脅威から逃れるため、脳から「幸福を感じる部位」の切除手術を行う。手術により、ドラックに対し無敵になった生き残りのメンバーは、ドラック生産工場に忍び込み、ドラック散布トラップ(一度ドラックを浴びれば、二度とドラック生産工場を破壊しようとは思わない)をものともせず、ついに工場の破壊に成功する。これにて、本当の幸福が世界に取り戻された、かに見えた。一度、最高の幸福を味わってしまった人類は、その幸福が二度と味わえないと知り、自殺が多発してしまう。何とか副作用の無い覚せい剤を復活させようとする者もいたが、副作用の無い覚せい剤により、テクノロジーが失われてしまったため、質の悪い覚せい剤を少量しか作れない。このわずかな覚せい剤をめぐり、争いが多発し、かえって人類は不幸になった。もちろんレジスタンスのメンバーも無事ではない。世界を救ったヒーローになったはずが、大罪人扱い。見つかれば暴徒に殺されてしまう。その上、幸福を感じることが出来ない体になっているため、全く生きがいが無い。メンバーの一部は殺され、多くは自ら命を絶つ。最後の生き残りとなったレジスタンスの創設者は、警察へ出頭し、正当な裁判を受ける。
クトゥルフ神話に特化する形でエロゲの歴史をまとめたWebサイトは存在するし、一般書籍で言えば『エロゲー文化研究概論』(宮本直毅, 2013)では一つのコラムとしてこれを取り扱っていたりする。
ただ、それらで話の主たる軸にクトゥルフ神話が用いられているか否か、という点での検討はされていても、クトゥルフ神話がそれぞれのエロゲにおいて一体どう扱われてきたのか、という点には触れられていなかったりする。
ゴールデンウィークを有意義に過ごすべく、エロゲ史においてクトゥルフ神話がどのように用いられてきたのかをちょっとまとめてみたので(そのためにちゃんと全部プレイしなおしました。実に有意義なゴールデンウィークだったと思う)、増田に垂れ流しておく。
まずエロゲ史にクトゥルフ神話が登場する直前の状況から少し整理しよう。
1991年末、かの有名な「沙織事件」が発生する。ソフ倫が設立される切掛として有名だけれど、同時にこれは内容に対する制約としても一時的に強い影響を及ぼした。
特に社長が逮捕されたフェアリーテールとしては一際慎重な態度にならざるを得ず、単純で直接的なエロというより、エロ以外の何らかの要素を前提とした上でエロ「も」取り入れる、というアプローチが取られることとなった。
そして『狂った果実』(フェアリーテール, 1992/5/1)が発売される。
エロより視覚的、精神的グロさを全面に押し出した傑作であり、エロゲにおける「ヤンデレ」(昨今のステレオタイプとは少し異なりサイコパス色が強いが)の開祖と言っていいものだろう。主人公を精神的、社会的に追い詰め、最終的に狂気に陥れるそのシナリオ展開は多くのプレイヤーに衝撃を与え、同時にエロゲが「エロ以外の18禁的要素を主軸に据え、その過程にエロを取り込んだゲーム」としてもありうるのだ、ということを強烈に知らしめたものでもあった。
こうした中、フェアリーテールはブランドを分ける形でフェアリーテールHARDCOVERを新設し、クトゥルフ神話要素を持つ世界最初のエロゲである『ネクロノミコン』(フェアリーテールHARDCOVER, 1994/6/24)がリリースされることになる。
物語は新聞記者である主人公が自分の先祖の秘密を探るべくインスマスへ向かい、そこで邪神復活の儀式に巻き込まれる、というもの。『インスマスの影』(H.P.Lovecraft, "The Shadow over Innsmouth", 1936)をそのまま使った内容となっている。
原作に足りない女っ気を確保するため、バーの店員や宿屋の女主人、娼館などが配されているけれど、モンスターホラーとしての側面が強く、狂気への言及は殆ど無い。
作品としては丁寧で、よくまとまっていて、つまらなくはない。ただし原作色が強いせいで原作既読者には先の展開がすべて分かってしまい、無難な内容という印象が拭いづらい。しかし現実には当時のプレイヤーのほとんどは原作未読者であり、そういう点ではむしろクトゥルフ神話へ興味を持つ最初の一歩としてよく出来たアレンジだったのではないか、とも思う。
ともあれエロゲ史における最初の使われ方は、このようにモンスターホラーとしてであった。
『ネクロノミコン』から1年が経過し、95年に入ってから2つの作品が発売されることとなる。一つは『YES! HG』(姫屋ソフト, 1995/6/30)、そしてもう一つがかの有名な『黒の断章』(アボガドパワーズ, 1995/7/14)である。
『YES! HG』はオムニバス形式となっており、その中の一編である『豪州怪奇紀行』がクトゥルフ神話要素を持つエロゲとなっている。
物語の内容は応募した覚えのないオーストラリア旅行の懸賞に当たり、彼女と一緒に参加したところ邪神の生贄にされかける、というもの。
クトゥルフ神話の扱い方という点では、『ネクロノミコン』に輪をかけてモンスター色を強めたものである。ディープワンやティンダロスの猟犬といった神話生物が登場するものの、一般人に化けられる、死ぬと水に溶ける、水をかけられると死ぬ、と原作設定とはかけ離れており、どちらかというとモンスター映画的な怪物を取り扱った物語であり、その怪物の名前をクトゥルフから借用した、といった感もある。逆に言えば、クトゥルフ神話に関して一切知識がなくとも既存のモンスターホラーものとして理解ができる内容であり、『ネクロノミコン』では若干あったグロテスクさもない。そのためより取っ付き易い感があり、短編ながらよくまとまっていることからもっと一般ウケしていい作品と思うが……知名度は今回紹介する中ではおそらく最も低いと言えるだろう。
そして『YES! HG』に遅れること1ヶ月、自転車操業の零細新興メーカーから『黒の断章』が発売される。
あるマンションの一室で一家皆殺しの猟奇殺人事件が発生したことを端緒に、同マンションに入居していた探偵がこれを解決しようと首を突っ込み、連続殺人事件に巻き込まれ、その謎を解く鍵を自分の失った記憶に見出していく、という内容である。
前半は猟奇殺人事件を巡るミステリとして、そして後半に入るとラヴクラフト色が全面に現れたものとなる。下敷きにしているのは『死体蘇生者ハーバート・ウェスト』(H.P.Lovecraft,"Herbert West-Reanimator", 1922)、そして『壁のなかの鼠』(H.P.Lovecraft,"The Rats in the Walls", 1924)である。
クトゥルフ神話モノとして知らない奴はいないといえるほど有名な本作であるが、実のところモンスター要素はほとんど無い(そもそも『死体蘇生者ハーバート・ウェスト』は邪神も神話生物も登場しない内容であるが)。しかし「黒人の神父」の熱弁の中でのさりげない「神々」という複数形、「呪い」への「ギアス」(C.A.Smith,"The Seven Geases",1934)というルビなど、作中の随所に仕込まれたこうした細かいネタは一切作中で説明されることはなく、それがわからなくて物語が理解できないようなことはないが、プレイヤーの知識へのくすぐりが実にうまい作品である。
一方で、本作のシナリオの核はあくまで「家族愛」である、という点への言及も必要だろう。原作へのオマージュを込めつつ独自要素を持ち込み、後日談めいた二次創作的なその内容は、単にその用語や設定を流用したものとは明らかに一線を画したクオリティを持っている(例えば不老不死にさせられた女性については、お腹にいる殺すことも生まれることもできない胎児を家族と呼びうるのか、といった辺りはSF的、倫理的に今なお考えさせられるものがある)。
『ネクロノミコン』、『豪州怪奇紀行』とは異なり、本作はモンスターホラーとしてではなくクトゥルフ神話を扱った最初のエロゲであると言え、また原作の二次創作的側面を持たせた物語は(多少粗はあるものの)有名作の名に恥じない出来栄えである。
一方で『黒の断章』においてもやはり、狂気の描写はほとんど無いに等しいものであった。
クトゥルフ神話における狂気とは、異端の知識を人間の脆弱な脳が処理しきれなくなり、破壊された状態である。クトゥルフTRPGにおけるSAN値の取り扱いもこれを示したものと言っていいだろう。
他方、92年の『狂った果実』を筆頭に狂気についてはエロゲにおいて断続的ながら取り扱われ続けていた。この時代で言えば『サークルメイト』(ボンびいボンボン!, 1994/5/13)、そしてエロゲ史上初のビジュアルノベルである『雫~しずく~』(Leaf, 1996/1/26)があげられるだろう(『for Elise ~エリーゼのために~』(CRAFTWORK, 1996/12/6)もこの線では秀逸である)。
こうした作品において、狂気とはこれまであったものが破壊されるというより、境界線を踏み越えてしまった状態として扱われる。怪物の血を引いた「選ばれし者」ではない一般人である私たちも、一歩踏み出すことによって「向こう側」へと至りうるのだ、という見方でのこうした「狂気」を、ここでクトゥルフ神話における「狂気」へと接続した作品が登場することになる――『Esの方程式』(アボガドパワーズ, 1996/9/13)である。
物語は蔭洲升という漁村で起きた陰惨な殺人事件の犯人が精神病院から退院したことを端緒として、その元担当医を勤めた探偵助手たる主人公が異常な自殺事件に巻き込まれていく、という物語である。『黒の断章』の続編ではあるが、前作とは独立した事件となっている。
前作同様、前半は東京での猟奇事件をめぐるミステリ、そして後半は蔭洲升が舞台となり、ラヴクラフト色が全面に押し出される。原作は『ネクロノミコン』と同じ『インスマスの影』である。
これまでのクトゥルフ神話要素をもつエロゲにおいて、その猟奇殺人で表現されたものや「向こう側」はグロテスクなものであったし、これ以降もほとんどがそのように表現する。しかし、本作は死に至る状態/死体を「美しく」描く点で明確に異彩を放っている。
「SAN値が下がる」のではなく「啓蒙が上がる」ことで見える世界が変わる(『Bloodborne』FROM SOFTWARE, 2015/3/26)ように、本作は私たちの「啓蒙を上げる」ことを目的とした作品めいた印象を受ける。もちろん四肢切断された「苦痛を伴わない」少女の視覚的な美しさであれば会田誠の『犬』があるし、特に『魍魎の匣』(京極夏彦, 1995/1/5)の影響が本作へ露骨にあることは否定しがたい。
しかし踏切の赤信号のアニメーションの演出に始まる本作は、これをプレイすることで一歩「向こう側」へと足を踏み出しかねないことへの警告めいた不穏さを孕んだ見事なものであると私は思う。
のちの『沙耶の唄』(NitroPlus, 2003/12/26)も同様だが、美しい「向こう側」を描いた作品はエロゲ史において稀なものである。ほとんど無意味な登場人物など色々と欠点も多い作品ではあるが、加点法で見るなら間違いなく名作として語られる作品だろう。
さて、ここで少し時代におけるクトゥルフ神話の状況を整理しよう。
創元推理文庫の『ラヴクラフト全集』は1974年12月13日発売、クトゥルフ神話モノのパロディとしての必読書と言っていいだろう『妖神グルメ』が1984年6月30日発売である。タイタス・クロウサーガはまだ日本語訳が出版されていないが、『アーカム計画』はすでに出ている。ということで、クトゥルフ神話に関する基礎教養としての文献はすでに大体揃っていたと言っていいだろう。
だが、それを調べるためのツールはどうだろうか。
1997年とはYahooが日本で検索エンジンサービスを開始した翌年であり、Googleはまだ会社すら存在しておらず、2chもWikiepdiaも影も形もない時代である(ちなみにWikipediaの日本語版の「クトゥルフ神話」の記事が最初に出来たのは2003年8月)。
現在のように玉石混交とはいえググれば腐るほど情報が出てくる時代とは程遠く、なるほど情報はあるところにはあるが、そこにたどり着くことは容易なことではなかった。
そうした状況下において『マジカルディープ☆ワン』(Vanilla, 1997/4/18)が発売される。様々なクトゥルフ神話上の邪神や神話生物を美少女化した初のエロゲであり(クトゥルフ女体化については80年代に先例があるとの報告がある)、モンスターも狂気もホラーも完全にオミットし、その用語や設定に対するパロディ作となっている。
問題はパロディである以上、クトゥルフ神話に関する広範な教養をプレイヤーが持っていることを前提しなければならない、という点である――正直、時代を考えると無謀としかいいようがない。文字通り10年早すぎた作品であるが、のちに『斬魔大聖デモンベイン』(NitroPlus, 2003/4/25)やラノベ『這いよれ!ニャル子さん』が当たったことを考えれば、その先見性はもう少し評価されてしかるべきかもしれない。
一方で同年末、邪神の名前だけを借りた作品が発売される。ALICESOFTの『アリスの館4・5・6』に収録された『アトラク=ナクア』(ALICESOFT, 1997/12/18)である。
シナリオライター自身が言う通り、本作の中身は一切原作とは関係がない。ゆえに本作をクトゥルフ神話要素を持つエロゲ史の上で語るべきではないが、名作として名高い本作がクトゥルフ神話における邪神の神の名前であることもよく知られたものであることから、エロゲ史上にクトゥルフ神話に対する興味を惹起する効果はそれなりにあったのではないかと思っている。無関係とはいえよく出来た作品であり、返り血を浴びた黒髪美少女に対する審美眼を――「瞳」を多くのプレイヤーに植え付けた、という意味では、これもなかなかに罪深い作品と思う。
さて、3年前に発売された史上2番目のクトゥルフ神話を用いたエロゲを発売したメーカー「姫屋ソフト」について、ここで少しまとめよう。PC-98時代のエロゲに詳しい初老のオッサンでもなければまず知らないメーカーであるが、その有するブランド名「C's ware」といえばWindows95時代のエロゲに詳しい中年のオッサンなら反応することだろう。『DESIRE』そして『EVE burst error』とエロゲ史に残る名作を有し、たまにバグまみれで起動すらしない製品をリリースすることで有名な、そんな泣く子も黙る一大メーカーであった。
そのC's wareから、『アトラク=ナクア』の一カ月後に『DIVI-DEAD』(C's ware, 1998/1/23)がリリースされる。
物語は山奥の学園に転入することになった主人公が、学園内で麻薬のように蔓延する香、見え隠れする異常行為、学園創設者一族の陰惨な過去などに触れていくうち、自分がこの学園に転入させられた目的や持病の発作の原因などが明らかになっていく、というものである。
この作品は、直接的にはクトゥルフ神話要素への言及が一切無い。シナリオファイルを無理やり抽出して全テキストを確認した私は自信を持って断言できる。本当に、ない。
しかしそこで描かれる物語の設定は、ラヴクラフト小説のファンならおそらく確実にニヤつけるものである。「古い穴の底から神を呼び出す」「この地の神と契約を交わし、その血を一族の中に入れた」、そして穴が開きすぎて周辺一帯の人間が狂死したこと。
こうした神と人との関係はまさしくクトゥルフ神話――もっと言えばラヴクラフト神話における典型的なそれである。
また話の筋にはほとんど関係ないにもかかわらず、焼身自殺した建築家が書いた唯一の幻想小説「はての国」への執拗ですらある言及は、作中で関わった人間がほとんど惨たらしく死んでいるという状況も併せてラヴクラフト愛読者に魔術書めいた印象を与えている。
本作に人外は登場するが、クトゥルフ的なモンスターは登場しない。しかし抑制的ながらも明白な狂気、グロテスクな死体などはある意味で『ネクロノミコン』時代におけるクトゥルフ神話の扱い方に忠実と言っていいものであり、具体的に名前こそ触れないものの、その確かなオマージュを感じる内容は良作と呼ぶにふさわしいものであり、その意味では『アトラク=ナクア』の対と言っていいだろう(ちなみにのちの『果てしなく青い、この空の下で…。』(TOPCAT, 2000/06/30)も同様のアプローチを採った良作である)。
そしていよいよ世紀末、電波系エロゲといえば必ず名前の上がる有名作『終の空』(ケロQ, 1999/8/27)が発売される。
ある学校で一人の不良学生が屋上から転落死した三日後、いじめられていた女生徒が同じ場所から飛び降り自殺、同じくいじめられていた男子生徒の妄想が周囲の学生を巻き込み拡散し、一週間後に同じ場所から集団で飛び降り自殺に至る、という事件を何人かの視点で繰り返し読ませる物語である。
正体不明の少女の口から出るナイアルラトホテプという単語、「テケリ・リ」という声など、確かにクトゥルフ神話要素における単語は使われている。
……が、本作はむしろ終末論を用いて『雫~しずく~』を正統に発展させた延長上の作品として語られるべきであり、本作をクトゥルフ神話を軸にしたものというにはちょっと無理があると考えている。
というのも、本作のシナリオにおける終盤は統合失調症の患者を模したそれとなっており、またその視界はシュルレアリスム的な絵で表現される。シュルレアリストの一部が統合失調症の患者の描く絵に魅せられたことも併せて考えれば、そこで語られる内容は言葉遊びめいた意味が通るようで通っていない単語の連結であり、その一部にクトゥルフ神話用語が用いられた、というように私は思っている。
本作はよく出来た作品であり、衒学趣味の上で意味が通りそうで通っていない文を普通に会話が成立しているかのような羅列には思わずニヤリとさせられ、その「向こう側」の表現としては明らかに過去のエロゲとは一線を画したものである。が、クトゥルフ神話の扱い方という点で言うのであれば、『アトラク=ナクア』と同じくらい関係性は無い、というのが妥当なところだろう。
正直、1994年から99年というわずか5年ですでに結構な文章量になってマジかよと。ただこうして見ると、クトゥルフ神話は結構多様な使われ方をしてきた、というのが見て取れるかと思う。モンスターホラーとしての印象が一般には強いのではないかと思うけれど、狂気の表現形態であったり、物語構造としてのそれであったりといろいろ工夫がされている。
2000年以降については余白もないのでこの記事でこれ以上深く言及する気はないけれど、『朝の来ない夜に抱かれて -ETERNAL NIGHT-』(DreamSoft, 2002/06/28)、『斬魔大聖デモンベイン』(NitroPlus, 2003/04/25)、『終末少女幻想アリスマチック』(キャラメルBOX, 2006/10/27)というのが従来に無いひとつ特徴的な筋と思う。いずれもクトゥルフ神話と熱血という組み合わせであり、好き嫌いはあろうがモンスター設定資料集としてのクトゥルフ神話がこれで普及していくように思う。ちなみにこのあたりはDreamSoftがフェアリーテールのブランド、キャラメルBOXが姫屋ソフトのブランドであることを考えると、少し面白いものがある。
なお、この記事については間違った内容が記載されている可能性が十分にある。発売年度は一応いくつか調べた上でおそらく正しいと思われるものを記載したけれど、これももし誤りがあれば申し訳ない。
さて、最後にここまで読んだ奇特な人のために、ぜひプレイ頂きたい史上最高のクトゥルフ神話系エロゲを紹介したいと思う。『人工失楽園』という(文章はここで途切れている)
まず、筆者は4年前に話題になったhttp://anond.hatelabo.jp/20100221221726の増田さんとは別人である。
トリノと同じ4勝5敗で、トリノのカナダ戦から見始めた人達にとっては「ただの負け越し」と思われる人も多いかと思うが、「全敗もあり得る」という事前予想と比べたら大健闘と言って良い。明確に取りこぼしと言えるのはアメリカ戦くらいで、あとは力関係・相性を考えると全敗してもおかしくなかった。韓国戦を取りこぼしと見ている人も結構多いが、今回の韓国代表チームには中部電力、チーム青森も含めて勝ったことがない(中電が勝ったことがある韓国チームとは別)。むしろ良く最終エンドまで勝負になったなとも言える。
タラレバの話しであるが、アメリカとデンマークには勝ったであろうが、他が厳しい。良くて3勝出来たかどうかといったところ。それ以前に中部電力はチーム状態が昨年の日本選手権をピークに下降しているので五輪最終予選でドイツに負けて五輪出場を逃していた可能性のほうが高い。
何しろスキップの藤澤選手とサード兼主将の市川選手との相性が悪すぎる。ストーンを投げた後に2人で指示が逆になっているシーンが目立ちすぎ。これでは他の2人が混乱してしまう。中部電力が日本代表になれなかった理由がここにある。よくよく道銀との成績を比較してみると、昨年は日本選手権以外の全ての公式戦(軽井沢国際、カナダカーリングツアー、代表決定戦)で道銀より成績を下回っていて、現在行われている日本選手権ではこれまで選手権で一度も負けていなかった札幌国際大学にラウンドロビンで負けている。今の中電は道銀、ロコ、国際大を含めた「4強の一角」と言うべきで、女王と言うにはちょっと厳しい。
五輪前におぎやはぎが「選抜制をやってないから応援できない」と言い出すなど毎回話が出てくるテーマだが、今回は興味深いデータが出ている。
イギリス(スコットランド)がバンクーバーまで続けていた選抜制をやめ、今回初めて国内選手権の優勝チームを五輪に出したところ、五輪で初めてメダルを獲得した。
一方、十数人くらいの代表予備軍を抱え、その中で調子が良いメンバーを選抜する形式を続けているロシアはバンクーバーと同じ9位だった。ホーム開催であることを考えると惨敗と言っていいだろう。
そして中国は「所属が中華人民共和国のオリジナルチーム」と言うべき特殊な選抜制を取っているが、見事に後釜が育っていない。
他、メディアによってカナダとスイスが選抜制を敷いていると報道があったが、この2国についてはいずれも誤報である。彼女たちは国内のチーム選考会を経て五輪に出ている。
これは、選抜制を否定するには十分すぎる結果といえるだろう。選抜制は世界の流れに逆行しているのだ。
なぜ選抜制で結果が出ないかについては各自考えて欲しい。1つ間違いなく言えるのは、カーリングはその競技ルールや少人数という特性上、選抜制を敷いてもサッカーのようなメリットを得られるポイントが成立し得ないのだ。またスキップとバイススキップの関係性が相当重い競技でもあるので、1試合に10数名も出場するサッカーや野球ではなく、バドミントンやテニスのダブルス競技に近いものと考えるべきだろう。
ただし、4人編成チームの「5人目」に協会主導で助っ人を選定して入れるというのであればアリである。スコットランドとスイスはこの形式を取っている。
まず、アジアの勢力図が変わる可能性が大。中国チームのスキップが期間未定ながら休養の意向を出しており、またずっと指導してきたコーチが退任した。どれくらいの期間になるかがわからないがしばらく力落ちすることが考えられる。
一方で韓国の躍進が予想される。昨日終わった世界ジュニア選手権で準優勝という結果を出しており、カーリング連盟の金銭面も日本と比べて一桁多い予算が計上されている。韓国内にカーリング場が少ないが、距離がそこまで遠くない日本で練習するという手段が取れるので特にハンデではないだろう。
欧州はスウェーデンとイギリスの2強になるだろう。スイスはOTTさんに限界が見えてきた今、後釜を担うチームがどれだけ力を付けられるかがポイント。一方で今回五輪に出られなかったドイツは「女カーン」ことシェップ選手のチームが内紛を起こしてシェップ以外のメンバーが離脱してしまい、今後は別のチームが代表として出てくる。力に関してはちょっと未知数。今年の世界選手権に出られるからそこまで弱くはないだろうが。
カナダは今回金メダルを取ったJJの今後が未定なのが気になるが、代わりの強豪チームはいくらでもいる。平昌でもメダル第一候補と考えて良いだろう。
まず、世界選手権を日本で「2015年に開催」という愚行はどうにかならなかったのだろうか。平昌五輪出場ポイントが得られる世界選手権は2016年か2017年である。中国韓国になかなか勝てず世界選手権出場がおぼつかなくなっている今、まずは五輪出場が最大の目標になる。その意味でソチで中国に勝ったのは非常に大きかった。苦手意識が払拭できるためである。
国内については環境が一番整っている北海道銀行が引っ張っていくことになるのは間違いない。中部電力はサードかスキップのどちらかが出て行かない限り伸びないだろう。市川選手が道銀の船山選手のように「一歩引いてスキップを操る」事に徹することができれば良いのだが、マスコミ等が許さないだろう。つまり無理。残念ではあるが助っ人色が元々強かった藤澤選手が出て行って、引き取り先を探すのが現実解か。投擲技術は国内No.1と言えるだけに惜しいが。
ロコ・ソラーレは本橋選手の求心力が弱く、シーズン中にメンバー脱退劇を起こしてしまうようでは不味い。チームをまとめる力が根本的に欠けている思われる。今以上のランクアップは難しいか。
実力的に最も将来が期待できるのは札幌国際大学であるが、メンバーは大学卒業を控えており、4月以降の身の振り方が未定。何処か引き取ってくれないだろうか。ずっと同じメンバーでやっているので中電やロコのようなチームワーク面の弱みがなく、ジュニア世代の世界経験も豊富。スポンサーになって損はないチームだと思う。
他は、今の日本選手権でロコを破ったチームフジヤマ(創設者はあの小林宏氏)と、小学生とは思えないショット精度を有するTEAM KARUIZAWAあたりが今後伸びてくるだろう。すぐには無理だろうが、行く行くは代表権獲得争いに入り込めるようになってほしい。
ネットで調べると謎すぎて怖い。
誓いとか掟とか約束とか異常に多いし、儀式的でなにやら怪しい組織、宗教のような特徴がある。
wikipediaなどを読むとフリーメイソンと何らかの関係があるのは明らか。
ボーイスカウトの創設者ロバート・ベーデン=パウエルの弟デビッドはフリーメイソンであった。
ロバートの孫マイケルもフリーメイソンであり、マイケルはオーストラリアのロッジ「ベーデン=パウエル・ロッジNo.488」の元・マスター(Past Master)である。
しかも、日本ボーイスカウト連盟の「ちかいとおきて」はフリーメイソンの基本理念にかなり似ている。
優れた人格形成、国際友愛精神の増進、青少年の健全育成を目的とするとか、こんな曖昧な目的で国際的な巨大組織を作る必要あるのか?
日本最大の掲示板2ちゃんねる。良くも悪くも2000年代以降の日本のインターネットに影響を与え続けてきたこの匿名掲示板が今大きな転機を迎えています。
2009年の秋頃に行われた大規模規制によって2chの書込み数は大幅に減りましたが、今現在進行形で行われている規制はそれを上回る規模です。国内の主要プロバイダは軒並み規制、また規制対象も2chの広範囲に渡っています。
表向きの理由は、運営板と呼ばれる「2ちゃんねるの運用に関わる掲示板、削除依頼を受け付ける掲示板、削除や運用について議論や情報交換をする掲示板(引用wikipedia)」をユーザーが荒らしたからとなっています。しかしこれはあくまで表向きの理由です。別に運営板が荒らされたからといって2chの他の板には何の影響もありませんし、他の板まで規制する理由には全くなりません。
本当の理由は規制の権限を持つ「マグマ大佐」と呼ばれるボランティアの私怨によるものであるという説が濃厚になっています。このマグマ大佐という人はささいな理由ですぐに大規模規制を行う事から2chユーザーからは大変に評判が悪く、名指しで批判を受けることが日常茶飯事となっていました。このユーザーの所業にマグマ大佐がぶち切れ、今回の不可解で大規模な規制に至ったという訳です。
創設者ひろゆきと、名も無きボランティアの尽力、そして数千万の匿名ユーザーの書込みによって2chは日本のネット文化を代表する掲示板になりました。それを、たった1人の私怨に怒り震えるボランティアの手でいとも簡単に壊してもいいのでしょうか。まだ規制が行われて日が浅いという事もあり、この件はまだあまり周知されていないようなので筆を取る事にしました。もしよければ皆さんのご意見ご感想をお聞かせいただければ幸いです。
「地球温暖化防止には原子力発電を」--グリーンピースの創設者らが提言
有力ベンチャーキャピタル、Accel Partnersのゼネラルパートナーを務めるPeter Wagner氏は、原子力を動力とする自動車が10年後にはサンフランシスコの街を走っていると予測している。
原子力で動くといっても、Wagner氏が考えているのは間接的な利用形態だ。自動車に原子炉が設置されるわけではない--サンフランシスコで開催中の「Venture Capital Investing Conference」のパネルディスカッションでも、同氏はそう説明している。むしろ、石油の価格が高騰を続け、地球温暖化が日に日に悪化する現状を考えると、エネルギー源としての原子力について、米国民も容認に向かうはずだ、というのが同氏の見解だ。
Wagner氏が考えているのは、原子力発電により送電網に電力を供給し、この電力を使って各ドライバーが電気自動車を通常のコンセントから充電するというシナリオだ。また、ガレージの屋根にソーラーパネルを取り付け、これを使って充電することもおそらく可能だろうという。
「規模およびコストを考えたとき、(化石燃料消費の)上昇を押しとどめられる存在は原子力をおいてほかにない。原子力の復活は、当然の論理的帰結だ」(Wagner氏)
電気自動車は、実際に道路を走行しているものはまだほとんどないものの、少数ながら支持者を増やしつつある。なかには、ほぼ電気だけで走るプラグインハイブリッド車を趣味で造っている人たちもいる。また、新興企業のTesla Motorsは、オール電気のスポーツカーを7月に発売する計画だ。
とはいえ、原子力は政治の世界ではいまだに敬遠されている。また、一部の科学者は、地球温暖化対策として原子力を用いるべきではないとの考えだ。たとえば、憂慮する科学者同盟(Union of Concerned Scientists)は3つの問題点を指摘している。1つは核廃棄物の問題、2つ目は壊滅的な被害をもたらす大事故の危険性、そして3つ目は原子力発電所がテロリストの標的にされる危険性だ。それでも、最近になって原子力への注目はにわかに高まっている。環境保護団体Greenpeaceの創設メンバー、Patrick Moore氏も原子力に目を向ける1人だ。同氏はGreenpeaceを離れたのち、環境保護団体のGreenspiritを設立し、原子力発電を支持する姿勢を打ち出している。
その主張がさまざまな議論を呼んできたMoore氏は2005年4月、米国議会の小委員会で次のように証言している。「Greenpeaceも含めて、環境保護活動家の大多数は過激な方向に走り、周りが見えなくなっているように思う。その結果、米国の増え続けるエネルギー需要を満たし、エネルギー源を確保していく手段として原子力を利用すればそのメリットは非常に大きいことは明白なのに、この点を見落としてしまっている。米国が常に増大するエネルギー需要を満たそうとするなら、この国の原子力産業は活力を取り戻す必要があるし、成長の余地を与えられなくてはいけない」
※5年前の記事です。
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「ギターバンドはもう流行らない」と言われて、大手レコード会社デッカのオーディションに落ちたビートルズ
「将来コンピュータの重量は、1.5トン以下になるかも知れない。」
Popular Mechanics誌、科学の果てしなき進歩を予測して、1949
「家庭にコンピュータを欲しいと思う人などいる訳がない。」
ケン・オルソン、Digital Equipmentの創設者・社長・会長、1977
常識とは18歳までに身につけた偏見のコレクションのことをいう
なぜ怒鳴りつけたのでしょうか? - reponの日記 ないわ〜 404 NotFound(暫定)
鳴かぬなら、鳴かせてみよう、ホトドギス。
鳴かぬなら、鳴くまでまとう、ホトドギス。
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