なるほど、確かに正しそうに見える。
私は卵の状態ではそれが何かわからない、という前提に立っていたからだ。
ところがやはりそれでも不都合が生じる。
「俗に言う鶏」の呼び名が決められないことだ。
つまり、「俗に言う鶏」の形状をしていてもその生物の過去の状態がわからなければそれを鶏と呼ぶことはできない、ということになる。
呼び名について遡及性が働かない、というのが私の主張だ。
○○の形状をした何か、では不都合だからな。
「要は、覚悟がないんでしょ?」ってこと?
覚悟って何。覚悟なんて言葉使わなくても語れる内容じゃん?
単に「そのように決断した」ってだけじゃん。
作らない決断する人もいるし、
ただなんとなく決断しない人もいる。
ナンパする人もいるし、しない人もいる。
「鶏卵先後問題」(けいらんせんごもんだい、と呼ぶことにしよう)は、
世界で最初の鶏と、世界の最初の鶏の卵で、どっちが先か、という問題でしょう。
いずれにせよ過去の話なんだから、
現在進行形での区別云々は問題にならないのではないかな。
私は別の考え、と主張している。
「卵が先か鶏が先か」は「個体として卵が先か鶏が先か」ではないか、と言っている。
よって、個体として最初に区別できるのは卵であるから卵が先だ、っていう話。
って、コピペ改変なわけだが。もう一つ。
名古屋コーチンの卵は名古屋コーチンの卵であって鶏の卵とは呼べないかといえば、鶏の卵とも呼べるし鳥の卵とも呼べる。
ある卵の名称は唯一の名称をもつわけではない。鶏が産んだ卵を鶏の卵と呼べるように、鶏になるひよ子が孵化する卵を鶏の卵と呼んでも差し支えない場合もあるだろう。鶏が産んだ卵を鶏の卵ではなく腐った卵と呼ぶべき時もあるだろう。
さてもう一つ
「卵が先か鶏が先か」の鶏はどんな鶏だろうか。
親が鶏ではない鶏だろうか。しかし、鶏以外から鶏が生まれるのだろうか。
いや、鶏の親となるような鳥のどちらかは、はやはり鶏と呼ぶべき鳥ではないだろうか。
鶏の親は、それほどはっきりと鶏ではないと言える鳥なのだろうか。
全く別種の鳥から鶏とはっきり言えるような鳥が生まれるだろうか。
当時、鶏か否かははっきり区別できるような物ではなかっただろう。
だから、「卵が先か鶏が先か」はそもそろ論ずることができない。
さらにもう一つ
鶏とはいつ発生したのだろうか。
鶏とは鶏という概念が生み出された時、鶏が鶏となったのである。
そのとき、卵はなかっただろうか?おそらくあっただろう。
よって、鶏と卵は同時に発生した。
というのは、実はどうでも良くて。
「卵が先か鶏が先か」の鶏とは鶏の卵から生まれた鳥と定義し、卵とは鶏がうんだ卵と定義する。
すると、どちらが先であるか結論をだす事ができなくなる。
この言葉は、その結論の出せない状態を言い表す言葉であり、結論のでる条件ではこの言葉は意味をなさない。
したがって、「卵が先か鶏が先か」との問は結論がないのが正解。
それは結論の先取りだな。
「鶏の卵から産まれたものを鶏と呼ぶ」という立場の人がいたらどうするのか?
その場合、当然、卵が先、ということになる。
日本語の場合、鶏の卵もうずらの卵も同じ卵と呼ばれるので、
鶏が定義されてしかる後に鶏の卵が定義されるのが「自然」な感じがするが、
これは「必然」ではない。
鶏の卵とうずらの卵を別の単語で呼ぶような言語もあり得るんだから。
この問題が難しいのは、時間的な前後関係と論理的な先後関係の両方が
交錯していることなんだな。
国会中継を見る。
朝遅めに起きて、テレビつけるとやってるから。
そんで、なんか大相撲中継と雰囲気が似ているなー、と思った。
なんか、紙もって
「ぎちょぉーーーーーーーーーーーーーーー」
とか吟じている、おっさんとかいる。
明らかに今とずれている変な様式が生きている、そこが似てるなー、と。
卵 A を鶏の卵 1 号としてしまうと不都合が生じる。
卵 B は鶏が生まれてこなければ鶏の卵 2 号と呼ぶことが出来ないからだ。
もしこれを鶏が生まれる前に鶏の卵 2 号と呼んでしまっては定義が変わってしまう。
遡ってしか卵の呼び名を決めることができない場合、現在進行形で卵の区別を行いたい場合に不便だ。
よって遡って卵の呼び名を決めることはないと考える。
http://anond.hatelabo.jp/20081002225923
> そもそも無性卵を食べる卵とする
これは区別を必要としない、と言う意味のはずだよ。
私はずっと有精卵でも無精卵でも鶏の卵と言うはずだ、食べる卵ではあらゆる卵を包含してしまい区別が出来ない、と主張しているのだから。
一応釣られておくが、そもそも社会福祉があるから余計な負担が生じるのがけしからんってのがネオリベなわけで、その制度を放置して貧乏人殺してもネオリベ的な解決になってないだろ。
適当に話曲げてるなあ。
区別が必要ないなんて誰も言ってないだろうに。
鳥が生まれる卵と、生まれない卵がどーたらいう増田に、こう区別したら?と提案しただけ。
そしたら増田があーだこーだ言い出したんだろうに。まあどっちにせよ終わりで。
鶏1号は卵Aが育ったもので、
鶏1号は卵Bを産んだとする。
卵A→鶏1号→卵B
あとは、卵Aと卵Bのどちらを「鶏の卵1号」と呼ぶかで、
これは誰かが指摘していたように定義の問題。
卵Bを「鶏の卵1号」と呼ぶこともできるし、
後から遡って卵Aを「鶏の卵1号」と呼ぶこともできる。
あぁ、そうか。
でも私は卵には区別が必要だ、と言っていて卵が区別できるかどうかなんてどうでもいいんだ。
ところが区別なんか必要ない、見ればわかるじゃないか。
と言い始めたので、もうここで反論する気をなくした。
私は見てもわからない、あなたは見ればわかる。
それだけの話であって卵に区別が必要かどうかとはなんの関係も無いのだから。
バナナ食べてる人を見ると思うんだけど、
あれって薬漬けなわけだよね。
そんなことより卵焼きが食べたい。