2016-01-19

始まってしまった身内企業滅びへのカウントダウン

こういう経験を一度でもしたことのある、もしくは身近にそれを見てきた人間であれば、今回のあの騒動はそれほど驚くべきことではない。大小に関わらず、身内企業では実によくあることだからだ。

能力のある第三者が社内で実力と実効支配力を強める。

創設者権限で跡継ぎが能力の劣る身内の人間に決まる。

跡継ぎと能力のある第三者との間で軋轢が深まる

大企業場合メディアで社内の軋轢問題が報じられる

中小企業場合取引先にゴシップが広がる

社会的信用を大きく損なう

能力ある第三者とその支配下にある人間企業離脱

信用と業績の中心を失った企業は緩やかな死を迎える

もしこれで能力のある第三者離脱せずに経営者側と和解なく経営権を剥奪するというのなら、それはクーデーターにほかならない。

一見して筋道の通った話に聞こえるかもしれないが、これは他人私物を奪う行為だ。なぜなら、労働者生産物は常に経営者資本の上に成り立っているからだ。

自らの資本を持って一企業として自立して、市場から占有率を奪い取るのであればわかる。それこそが自由経済原則だ。他人資本で成長しておいて、培った実効支配力を持って母体を乗っ取る行為寄生虫のそれと何ら変わりがない。

経営者側としては、こうした企業倫理崩壊を防ぐために時に売上よりも理念を優先する必要がある。売上につながるからといって能力者の行動を野放しにすればいつの間にか企業内の正義が逆転してしまうからだ。

もし有能な人間が、今の企業スケールが自らの能力に合わないと判断したのであれば今すぐにでも自らの資本起業すべきである。もしそれができないというのであれば、それは自らの能力に対するおごりだ。なぜなら、その成果物全ては企業資本があってはじめてのものからだ。それを忘れて自らの能力を主張することは、エゴ以外の何ものでもない。

ときにそうした人間会社批判を行い、さらにそれに多くの人間同調する姿を目にすることが、それが身勝手以外の何物でもないことは言うまでもないことだ。

しかし、ここには経営者側、能力のある第三者側に共通して不足していると言える点がある。それは自らの立場に対する自覚でありおごりだ。

企業の売上であり利益は、決して個人の活躍だけで成立するものではない。言い換えれば、企業組織ブランドとは、そこで働く人間全員によって作られているものからだ。そのブランドを背負うことで、はじめて個人の能力が発揮されているということを忘れてはならないのだ。それは企業で働く人間誰ひとりとして忘れてはならない原則といっていいだろう。

考えてみて欲しい。もし自らが、自らの属する組織企業の評判の全く届かない土地に立ち、何も持たない状態で今の報酬と同じだけの収益直ちに得ることができるだろうか。それができないというのであれば、その部分は自らが属する組織依存している部分にほかならず、それを自らの所有物である勘違いしている証拠なのだ

しか人間とは往々にしてこのことに対して無自覚である場合が多い。だからこそ企業寿命を避けられないし、つまらぬいざこざで能力のある人間が露頭に迷うことが絶えないのだ。

今回の一見を、メディアはこぞってアイドルグループ解散の危機と報じた。しかし、見極めるべき問題本質はそこにはない。なぜならそこにあるのは一企業存続の危機であり、そこで働く人間たちの生活危機にほかならないからだ。口を開けてしまった溝を埋めることも、一度生じた不信感も、ましてやぽっかりと穴が空いた能力者の席も、取り戻すことは容易ではない。

今回の件において残念に感じたことは、どこにおいても大人が不在だったことだ。誰しもが自らの利権正義のもとに行動し、それによって利害が生じる守るべき人間たちを置き去りにしていたからだ。これこそが日本企業世界に最も劣る点であり、企業寿命が伸びていかない一番の理由でもある。

自らの類まれなる能力自覚がありながら経営側と折り合えない悩みを抱える人間は、一度の足元を見なおしてみて欲しい。育ててくれた会社も、信用してついてきてくれた人間も、そして自らの家族も、すべてを失ってしまったわたしのようには絶対になってはならない。

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