はてなキーワード: フロントとは
15年以上前、高校生の時にハロプロのファンサイトを作っていた
さっき、急に思い出して思い立ってwayback machineで検索した
URLは何故か覚えてるもんだな
coolオンラインで作ってた方は残っていたが、iswebで作ったやつは無かった_| ̄|○
coolの方もところどころ残ってないページはあるけど、CGIで作られたゲストブックはほぼほぼ残っていた
ヲタ友と遠征の計画したり、ヤフカテに登録されたのをみんなで喜んだり、荒らしをみんなで叩いてるのを見てなんかエモい気分になってしまった
そういやアンテナもダイアリーも作ってたけど、大学入学のタイミングでヲタ活卒業してアカウント消しちゃったんだよな
今思うと恥ずかしいハンドルネームも、「HTML4.0に対応しました!」とかいうクソどうでも良いウェブマスターからのお知らせも、またほろ苦い思い出だ
MKEditor使ってテーブルレイアウトで作ってたけど、今見てもまあまあまともに作ってて、結果、今もウェブ制作の仕事をしている
エディタはVS Codeになり、フロントはReactで組み、バックエンドはAWSになったけど、当時の若い情熱みたいのを思い出して、また頑張ろうって気持ちになった
だってセキュリティ触ったり営業的なこともするフロントに出るITエンジニアとか
友人に反ワクチンで極左思想でタリバンもびっくりのフェミ思想のキチガイフェミとか一人でもいたら
そんな精神病院in寸前の狂った人間が近くにいればどんなトラブルをもちこんでくるかわからないわけで
これは男でも特にそう
そんな危険な人間真っ当な仕事してる人間が関わったらどんなトラブルに巻き込まれるかわからないでしょ
構って欲しいから自殺未遂とかされて第一通報者が自分とかだったら
仮に全く悪くなくとも「アイツ一体何してんだ」と私生活を悪く見られて仕事に支障が出る
しかし若い女と言うと、当然性格が良くて育ちよくても不注意とか世間知らないからちょっとしたトラブルになることはあるわけで
結局秘密工作員みたいな訓練でも受けてない限り社会的地位そこそこあって稼げる仕事と恋愛遊びを両立できる世の中ではないって構造的な問題なんだと思う
カーボンは高いしアルミで十分、フロントフォークはカーボンがいい。
とにかく明るいもの。
フロントライト(前照灯)は、とにかく明るいもの。通販で1200ルーメンとかうたっているものを買ったがいい。
テールライト(尾灯)も、明るいもの。点滅じゃなくて常時点灯で、とにかく明るいもの。
その他の損害保険でカバーされているなら問題ないが、入ってないなら入っとけ。
年間4000円くらい。
ブレーキが効くか効かないかは生死に関わる部分で、それはすなわちブレーキとタイヤである。
キャリパーブレーキなら、何がついていようと、ブレーキキャリパーをDura-aceに変えておけ。特に体重重いやつ。
Ultegraとdura-aceは全然違う、倍くらい効く(体感)。
ディスクブレーキならグレードの差は分からないが油圧がいい。レジンパッドかメタルパッドどっちが効くかは知らん。怖いならメタルパッドと対応するローターに変えておけ。
いくらレバーを引いてブレーキをかけようとも、地面に接している部分にグリップ力がなければ、ブレーキはかからない。
Continental Grand prix 5000が良い。
Grand prix 4 seasonsでも、Grand prix 4000S IIとかでもいい。
これらはタイヤの中では値が張るものの、摩耗が他のものほどしないし、なんせグリップ力が高い。
雨の日はたいていツルンツルン滑ったりするが、これらはほとんどそういうことを感じない。
通販で12000-14000円くらい。
これは間違いなく必要だ。
よく分からない中華メーカー品より、OGKとかそういうのを買ってほしい。
普通のペダルでも、ビンディングペダルといって靴とペダルが一体化するものでもいい。
ビンディングペダルは最初必ず自転車ごとコケる(立ちごけと言う)ので、練習とか危なくない環境とか必要。
スポーツ自転車は空気入れるところの形がママチャリとは違うので、仏式対応のやつ買っておけばいい。ゲージついてなくていい。
飲み物入れるのに使う。
自転車用のボトルも入れることを考えると、ボトルとペットボトル両対応のものがいい。
工具入れたり、替えのチューブ入れたりする。
錆びないものがいいけど。
こだわりだすと、素材がどうとか言いだすけど、700円くらいのでいいよ。
この前タイヤ替えるときに100円ショップのでできたから、それでいいと思う。
定期的にさそう。
自転車用のものは高いので、チェーンソー用の油とかがオススメ。300円くらいでいい。
GoProとかそういうの。
暗所でもちゃんと映るやつがいいけど、そうなるとGoProとか値が張っちゃう。
正直格好はなんでもいいけど、長袖シャツ+長袖タイツ+レーシングパンツ+フルフィンガーグローブを身につけるのがいいと思う。
長袖シャツや長袖タイツはワークマンの1000円くらいのが夏は涼しくて安くていい。
レーシングパンツといってパッド入りのを履く、少なくとも何かの下に履いておくと長距離走るときに楽。
フルフィンガーのグローブつけるのは、何かあったときのダメージを低減するため。
ビンディングシューズは…趣味だよね。足の幅と長さに合ったもの。
前はどこどこのメーカーがいいとかいうのを思ってたけど、stravaに連動できるなら何でもいいと最近思った。
ANT+に対応しているやつがいい。ケイデンスや速度センサーは1個2000円くらいで2つだから、4000円くらい?
心拍計についてはスマートウォッチで対応しているやつを持ってたらそれ。なくてもいいけどあったが自分の現在の負荷がわかる。
やっぱり、フロント変速スパスパ決まるからシマノ一択。コンポがカンパやスラムなら知らない。
なんだかんだで金がかかる。
正直、自転車専用でなくて汎用品で構わない部分は、汎用品の方が安かったり性能良かったりする。
いまもjQueryをWebアプリケーションの大事なライブラリとして使っている会社は少なくないと思う。
jQueryを会社で使っていると何が問題なのかを語っていこう。独断と偏見によるものなので、jQueryを使っていても問題ない会社も当然ある。たとえばペライチのサイトを作る会社とか小規模サイトなんかでは全く問題ない。
採用困難で売り手市場になっている時代、そして「jQueryを触らなければならない環境 vs モダンフロントエンド環境」という選択肢がある中で、あえてjQueryを選ぶフロントエンドエンジニアは少ない。
また、新人はもはやjQueryを学ぶことはない。彼らはES6以降のJavaScript / TypeScriptを書く。よしんばjQueryを学ぶことになった新人がいたとしても、それはただその新人が可哀想なだけで、現役なわけではない。ラガード(遅滞者)の仲間入りをさせているだけだ。新人でもキャリアをデザインできる新人は「jQueryはオワコン」という情報には触れているので、よほど就活で失敗しない限りはjQueryのところにたどり着かなくなっている。
そもそもバックエンドエンジニアでもモダンフロントエンドを書くような環境が増えてきた中で、2世代も前のjQueryだけでアーキテクチャに関する一考もないコードをメンテしなければいけないので、「jQuery」という言葉だけでフロントエンドエンジニアでなくとも入社を避けがちだ。(jQueryでアーキテクチャがしっかりしている可能性は低い。アーキテクチャがしっかりしているならばjQueryに依存しておらず、jQueryに依存していないのであれば簡単にjQueryから脱却できるはずで、簡単にjQueryから脱却できるならもう脱却しているはずだからだ)
メインストリームの部分はほとんどリプレイスが終わっているというでもなく、すべて現役でjQueryなのであれば尚更問題で、誰もメンテしたがらないコードの出来上がりだ。「弊社はCOBOLで書いてます!」とにこやかに言うようなものだ。
(ただし、さすがにjQueryだけでフロントをやっているという会社の求人をほとんど見かけることはない。無意識のスクリーニングで落としているのかもしれない)
jQueryを使っている会社には、フロントエンドエンジニアは一人もいないと言いきってもいいかもしれない。もしくは、今まさにjQueryをやめようとしているか、たまたま入ってきたフロントエンドエンジニアが今まさに辞めようと迷っているかのどれかだ。
「jQueryを使っていました」というエンジニアは、他社からはフロントエンドスキルが0とみなされる。つまり、フロントエンドエンジニアではないという意味だ。jQueryは、jQueryを使っている会社に対してしか武器にならないのだ(逆はできる)
jQueryを書ける人口自体は増えているだろうが、労働市場からは撤退し始めている。昔jQueryを書いていた人材の人数が上限で、そこから新たに学ぶ人の絶対数が減っているため、全体としては減っている。
私もjQueryは以前業務で書いていたが、もう数年書いていない。特にメリットを感じないからだ。遊びで、生のJavaScriptを書くことはある。
jQueryで入社するのは、昔からjQueryを使っている高齢のエンジニアか、なぜかjQueryを学ぶことになってしまった新人である可能性がある。
そのため、需要と供給に応じて、昔いたようなスキルレベルの人を今の市場で見つけようとすると費用がかかってしまう。jQuery書けますという人材が高年齢化しているのだ。そして世継ぎはいない。
リプレイスはハッキリ言って難しい。モダンなフロントエンドを学習するだけでは足りなくて、それを使いこなせた上でしかもjQueryを使用したカオスイベントコードも読めて、そしてアーキテクチャを考えてリプレイスしなければいけない。
時代が下るにつれて、そうしたハイスキル人材はより高価値になっていき、レア度も単価も高くなる。今そういう人を雇うという判断をしない会社が、どうして今後もっとハイスキルの人を雇えようか。
jQueryを使ったサービスがしっかり利益を出している点もリプレイスを難しくしている。全廃もできない。かと言ってコストに見合わなければリプレイスという経営判断も難しい。経営が困難な状態ならより厳しい。
何も理由がなくjQueryを使い続けたいという奇特な人は多くないはずだ。何か理由があってそうなっているわけだ。カッコよく言うと『ナッシュ均衡』という状態だろう。今会社にいる人材もいわゆる『jQuery人材』が多いため、そこを打破するのはとても困難な道だろう。
jQueryから抜け出すには、すでにいる人材がなんとかしてリプレイスするか、外から連れてきて改革するしかない。しかし大抵の場合、既存の従業員にとってはそんな大変なことをするよりも転職したほうが楽な道だ。(もちろん、「jQueryしかなかったサービスをモダンフロントエンドにした」というのが実績としてある人材はかなり魅力的な人材で引くてあまたなことだろう。その意味ではピンチをチャンスに変えるときの『チャンス』ではある)
ReactやVue.jsに変えたいと思ったとして「じゃあお前それですぐに利益出せんのかよ?」と詰められたら、その論争をクリアしてまで変えるのはほとんど無理に近い。通常、リプレイスそれ自体は価値を生み出さない。リプレイス後に運用コストが低下したり、人材獲得がしやすくなるために利益が出るのだ。リプレイスとは長期の投資であるため、短期的には必ず損失になる。経営が困難な状態でリプレイスしようとするのは、生活困窮世帯にリボ払いをやめさせるぐらい難しい。そのため、まず自分が身銭を切ってリプレイスするしかない。そしてリターンがあるかもわからない身銭は切りにくい。そして同僚は容易に『抵抗勢力』になる。
jQueryを今も使っているということは、裏を返せば「これまでリプレイスをしてこなかった」「リプレイスしようとしたが無理だった」という実績にもなる。
jQueryを使っている会社は、昔からあるコードをもとに書いているため、今もES6以前の文法で書いている可能性がある。そうしてどんどんと情報が少なく、古く、現代で通用しにくいものになっていく。
bundlerを使っていない可能性が高いし、もしかするとCI/CDも無いかもしれない。そうすると、モダンなインフラエンジニア(もしくはモダンなインフラ知識のあるエンジニア)がいないかもしれない。SREという概念がないかもしれない。
世間一般から見ると会社の中が古いのだが、古い会社にいると「自分が古い」とはなかなか思えないものだ。太っちょの集まりの中にいたら「自分はそんなに太ってない」と思うのと同じことだ。
すべては憶測なので、実際は違うかもしれない。
さんざんdisってきたが、そもそもjQueryは何も悪くないし、大変優れたライブラリだ。ちょっとしたプロトタイプを作るときには良いものであるかもしれない。しかも今もjQuery自体はメンテされている。そのため、状態管理さえうまくできていればjQueryだろうがなんだろうが問題ない。
問題は、jQueryというライブラリを使ってきた時代からアーキテクチャが前進していない点にある。何年もずっとその状態だということだ。そこを今日に至るまで誰1人として変えられなかったということだ。特に経営陣は何の問題視もしていない可能性が極めて高い。そうした社内のしがらみが反映された結晶体、それが『使用技術: jQuery』という言葉になっているのだと思う。また、ヤバさは、jQueryのバージョンに反比例する。
jQueryを使っているアプリケーションには、jQueryが担保していなかったアーキテクチャ部分に問題があることが多い。また、どこから呼ばれているか誰もわからない複雑なイベント、SPAもクソもないページ遷移ごとのリロード、誰もどこもテストできず、HTMLにベタ書きで書かれたJavaScriptコード、その場しのぎでデタラメに書かれた関数、無視される変数のスコープ、サポートが終わったライブラリ、ドキュメントを見つけるのすら困難なよくわからないライブラリ、高齢者しか知らない伝説の機能・伝説のハック、などもある。これらはモダンフロントエンドではほとんど発生しないものだ。
そのため、一定の基準として「jQueryを使っているかどうか」で、フロントエンドエンジニアとしてのやりがいがあるかどうかを判別できる。
そうして、フロントエンドエンジニアというのはもうjQueryに見向きもしていない。書けるけど書きたくない。パラレルワールドのようなものだ。
そういうようなことを「使用技術: jQuery」という文言から感じ取ってしまうのだ。
(そしてこれは、実際の仕事の中身が違うかどうかは関係ない。jQueryとは、そういうふうなブランドと化しているのだ)
jQueryを使っている会社からしたら「そんなことはわかっている」という部分で、「じゃあどうすればいいのか?」という部分が気になるところだと思う。
そこで、後編では「どうやってjQueryを全廃すればいいのか?」「実際にどのように全廃したのかの事例」について、だいたい来週ぐらいに書くつもりだ。
お楽しみに!
『文學界』2021年9月号に掲載された桜庭一樹「少女を埋める」を取り上げた、鴻巣友季子による朝日新聞の文芸時評に対して、桜庭が抗議の声をあげ、記事の訂正などを求めた(文中敬称略)。
この問題に関して筆者は「鴻巣友季子の時評は何が問題なのか」に始まる3本の文章を投稿した。その後、桜庭の求めに沿う形で、9月1日に朝日新聞デジタル版の時評で文面が修正され、9月7日付朝日新聞本紙および朝日新聞デジタルに、両者と時評担当者の見解が掲載された。
この記事では総括として、両者の見解を検討するとともに、時評担当者が「期待」しているという「文学についての前向きな議論」のために、この一件にまつわる諸論点を、桜庭と鴻巣が直接言及していない点も含めて挙げる。なお、はてな匿名ダイアリーの仕様でURLの掲載可能数に制限があるようなので、最小限に留めている。
両者の主張は、以下のように整理できるだろう。
桜庭:文芸時評の評者の主観的な読みは、その読みが合理的であるか否かによらず、実際に作品にそう書かれていたかのようにあらすじとして書いてはならない。
鴻巣:文芸時評の評者の主観的な読みは、その読みが合理的であるならば、あらすじとして書いてもよい。
桜庭は主張の根拠として、そのようなあらすじの書き方が「これから小説を読む方の多様な読みを阻害」し、「〝読者の解釈の自由〟を奪」うことを挙げている。
一方で鴻巣は自身の主張を、「あらすじも批評の一部なので、作者が直接描写したものしか書かない等の不文律を作ってしまう事の影響は甚大」であり、「読み方の自由ひいては小説の可能性を制限しないか」という懸念により根拠づけている。
では鴻巣は「あらすじも批評の一部」であるという主張をどのように根拠づけているか。これが不明瞭なのである。
鴻巣は「あらすじと評者の解釈は分けて書いてほしいと要請があったが、これらを分けるのは簡単そうで難しい」と書くが、その後に続くのは、作品の創造的な余白を読者が埋めるという、読解についての文章である。文学の解釈にそのような性質があったとして、それがあらすじと解釈の分離の困難とどう関わるのか、説明されていない(まさかテクストに書いてあることと、書いていない部分から自分が想像したこととが融合してしまって分離できないというのだろうか。テクストは目の前にあるのに)。つまり鴻巣は、「書く」ことについて言及していないのである。解釈は批評の一部でしかない。当然ながら、読んだ=解釈しただけでは批評は成立せず、「書く」ことが必要不可欠である。だからこそ桜庭の主張は鴻巣の読みの否定ではなく、「分けて書いてほしい」というものだったのだ。分けて「書く」ことが「読み方の自由」を否定することにはなるまい。そして実際にデジタル版の時評の文面を「修正」できたのだから、分けて書くことはさほど難しくはないはずである。
鴻巣は「合理性」や「妥当性」にこだわりを見せるが、この見解の文章がそれらを備えているとは言い難い。また、鴻巣は見解を発表する段になっても、そもそも桜庭に何を問われているのか理解していないふりをしている、あるいは単に理解できていない。
繰り返しになるが、問題は「書く」ことなのだ。私小説もフィクションだからどのように読んでもいいとか、誤読される覚悟もなしに私小説など書くなとか、私は鴻巣評のように読んだとか、信用できない過去語りだとか、あるいは鴻巣が誤読しなければこんな事態にはならなかったとか、そんなことは関係ない。どう読んだっていい。批評家が誤読することもあるだろう。批評家が作者の意図しない優れた読解をすることもあるだろう。ただし、自分の読解が生み出しただけの出来事を、実際に作品にそう書かれていたかのようにあらすじとして断定で書くべきではない。
繰り返しになりますが、
「作品からの読み、想像であり、実際のテキストには書かれていないストーリーを、主観的な読みではなく実際にそう書かれていたように紹介する」
のは一線を超えていると思ったのです。
作者だからではなく、他の方の本でも同じように疑問を持ったと思います。
(この部分です) pic.twitter.com/vFmVBO6fhC— 桜庭一樹 (@sakurabakazuki) August 27, 2021
いえ、また繰り返しになりますが、どう評しても自由とは言っておらず、
「読まれ方は自由だが、実際の描写にはないストーリーを、読み、想像で考えたとき、それを主観的な解釈として書くのはよいが、実際にそう書かれていたように客観的事実として書くのは一線を超えている」
と考えています。(続)— 桜庭一樹 (@sakurabakazuki) August 27, 2021
ただそれだけのことを、桜庭は何度も何度も直接本人に訴えかけた。にもかかわらず、鴻巣がその声が受け止め、真摯に答えたとは思えない。
この文章を書いている最中に、『現代ビジネス』上に、飯田一史による記事「「少女を埋める」論争が文学史上「奇妙」と言える“3つのワケ”」が掲載された。そこで名古屋大学大学院教授の日比嘉高(モデル小説研究のフロントランナーと言ってよいだろう)は、「作家である桜庭さんの方がTwitter上で『私小説』『実在の人物をモデルに』と事実に立脚している点を強調している」と述べているが、桜庭は慎重に「テクストという事実」と「現実の事実」の問題を切り分けている。
この記事でご紹介いただいたのですが、わたしの原稿に〝介護中の虐/待〟は書かれておらず、またそのような事実もありません。わたしの書き方がわかりづらかったのかもしれず、その場合は申しわけありません。影響の大きな媒体であり、とても心配です。否定させてください。https://t.co/HdC6Cb8g7b— 桜庭一樹 (@sakurabakazuki) August 24, 2021
(強調は引用者)また今回は「自伝的随想」としてご紹介くださったこともあり、登場人物を離れ、実在の家族に言われなき誤解が降りかかることを危惧したため、わたしはこのように必死になって訂正をお願いすることになりました。それは確かに、評者の方には関わりのない事情ではありますが…(続) pic.twitter.com/8rixc3Ot4c— 桜庭一樹 (@sakurabakazuki) August 27, 2021
桜庭の実存にとって「現実の事実」がいかに重大なものであったとしても、桜庭はあくまでそれを「テクスト(に書いてあるか否か)という事実」と「あらすじの書き方」との問題の下位に位置付けている。主張の動機と主張の根拠を分けるべきである。飯田は、「作家が「トラブルを予防する」ために「事実の側に立つ」点でまず「少女を埋める」はきわめて珍しい事例なのだ」と書いているが、「トラブルを予防する」のは主張の根拠ではなく動機である。この一件を「論争」と表現するのであれば、作家の動機ではなく、作家の根拠にフォーカスするべきである。この記事のまとめ方に〝私は〟断固抗議する。
とはいえ、桜庭の見解にも問題点が指摘できる。それも踏まえて、以下、「文学についての前向きな議論」のための論点を、差し当たり三つ挙げる。
今回の一件に際して、文芸時評の不要説や批評の死が取り沙汰されもした。桜庭もツイートで「批評ではない未熟な文章」などの表現を使い、鴻巣も見解において「批評」という言葉を用いている。
だが、文芸時評は批評でしかないのだろうか? 文芸時評は英語ならliterary review(あるいはbook review)やliterary commentary、フランス語でならchronique littéraireなどと言うだろう。批評critiqueと時評は同一視してよいのか? 批評の要素を備えているとしても、時評には時評に固有のジャンル的特性があるのではないか?
文芸時評が新聞という巨大メディアに掲載されている点をどう捉えるか? 桜庭は見解において朝日新聞の「影響力は甚大」としている。また桜庭は「これから小説を読む方の多様な読み」について言及するが、「これから小説を読まない方」が時評だけを読む可能性も大いにありうるだろう。あるいは前項と関連づければ、文芸誌などの批評は全く読まないが時評は読むという新聞読者はいるだろう。つまり、文学の読者と時評の読者は必ずしも重ならない。
文学の読者であれば私小説で描かれたことが現実でもその通りに起きたと断定できないと承知しているが(あるいは、そのような認識の者を文学の読者と呼ぼう)、時評の読者がそのような前提を共有しているとは限らない。桜庭は新聞の影響力への言及の直後に「私は故郷の鳥取で一人暮らす実在の老いた母にいわれなき誤解、中/傷が及ぶことをも心配し」たと述べている(繰り返すが「をも」という表記に注意。その一点だけで抗議しているのではない)。今回の問題(ここでは主張の論理ではない、現実の現象のレベルである)はそもそも、「文学についての」「議論」だけに収まらないものをも含んでいるのではなかったか?
以上の論点を踏まえて、時評担当者の見解を検討することもできるだろう。
桜庭の見解は冒頭、「私の自伝的な小説『少女を埋める』には、主人公の母が病に伏せる父を献身的に看病し、夫婦が深く愛し合っていたことが描かれています」と書く。鴻巣評の印象を覆すためにあえて母の献身や夫婦の愛を強調したのだろうが、このまとめ方については異議もあった。文芸評論家の藤田直哉が端的に指摘しているのでツイートを引用しよう。
「夫婦が深く愛し合っていたかどうか」を確定する根拠は、虐/待があったかどうかを確定する根拠と同じぐらい、作品のテクストにはないのではないかな。母親がそう言っている、語り手がそう推測したようだ、というところまでは書いてあるが、しかしそれが「作中の事実」かどうかはサスペンドじゃないかな— 藤田直哉@新刊『シン・エヴァンゲリオン論』河出新書 (@naoya_fujita) September 7, 2021
つまり、あらすじに書いてよいのは、「作中の事実」であるべきではないか? 今回であれば、あくまで一人の人物の視点に立って、「私の自伝的な小説『少女を埋める』では、病に伏せる父と、献身的に看病した母とが深く愛し合っていたことを、主人公が見て取ります」くらいが妥当なのではないか。言うなれば、「夫婦が深く愛し合っていた」というのも、「愛しあっていたのだな」という文字列がテクストに書いてあるとはいえ作中人物の「主観的解釈」なのだから、〈そのような解釈が書いてある〉という形であらすじを書くべきではないか。
あるいは、そもそも「事実」と相容れない表現というものもある。極端な例を挙げれば、自分は幸せだと信じ込みながらオンラインサロンの主宰者に投資し続ける人物のことを「幸せな生活を送り」などと書くのは、たとえ作中に「幸せである」と書かれていたとしても、おかしいだろう。幸せは事実ではなく評価だからだ。書かれていないことを想像するとともに、読者は書かれていることについても想像し、評価する以上、書いてあれば何でもあらすじに含めてよいとは限らないのではないか?
最後に、「文学についての前向きな議論」に役立ちそうな文献を、備忘録も兼ねてリストアップしておく。
フロントサービスがあって駅近の2LDKのマンションの賃料は64マンとかやな
年代 | 男性 | 女性 | 感想 |
10代 | 4% | 4% | おれって異端? |
20代 | 22% | 30% | うごメモ(DS、3DS)の生き残り。20代の設定の創作が増えそう |
30代⭐️ | 38% | 36% | 最多ユーザー。blogといえば “はてな” 、エンジニアといえば “はてな” を知る世代・作った世代 |
40代 | 27% | 21% | blogといえばエンジニアといえば “はてな” を作った世代 |
50代以上 | 9% | 9% | 40代と同じく作った世代だけど意外と少ない。盛っていないガチでおハイソな方々が多いイメージ |
割合 | 感想 | |
未婚⭐️ | 50% | - |
既婚:子有 | 29% | ブクマカなイメージ |
既婚:子無 | 14% | - |
未回答・その他 | 7% | 多様性 |
金額 | 割合 | 感想 |
50,000円以上⭐️ | 31% | 子なし多いし、こんなもんだろ感 |
40,000〜49,999円 | 11% | - |
30,000〜39,999円 | 11% | - |
20,000〜29,999円 | 19% | - |
10,000〜19,999円 | 15% | - |
0〜9,999円 | 13% | - |
年収 | 割合 | 感想 |
1000万以上 | 15% | 世帯年収なら違和感ないけど、未婚者多いメディアなんだよなぁ・・・😒 |
800万以上 1000万円未満 | 13% | 年収でも違和感はない |
600万以上 800万未満 | 19% | エンジニア多いのでこんなもんだろ感 |
400万以上 600万未満⭐️ | 25% | エンジニア多いのでこんなもんだろ感 |
200万以上 400万未満 | 19% | - |
200万未満 | 9% | - |
もうすぐ8月も終わる。こんな状況じゃなかったら海外に遊びに行ってヘラヘラしている大好きな夏だし、フジロックとかフェスに行って幸せ噛み締める大好きな夏なんだけど、全く夏らしいことをしていない。私の地域では未だにワクチンの順番が回ってこないから余計遠出なんかもっての外だと思う。でも旅行もライブが大好きだからどこに気持ちをぶつけようか?と思った瞬間、ある人を思い出した。
リゾートバイトで知り合った彼女は冬の間だけスキー場で働いてそれ以外は全部自転車で日本一周をしているそうだ。だから冬の間は一切お金を使わずに過ごし、春夏秋をスキー場で得た給料で過ごしているらしい。だから旅行中もかなりストイックだ。宿泊料なんか勿体ないからとテントを張って野宿をしたり、汗で蒸れるしシャンプーリンスの手間がかかる為坊主にしているらしい。大きい理由としては、悲しいことに単身女性が野宿をするのは男性と比べてリスクが高くなるが故に、ぱっと見ただけでは女性と認識しにくい坊主が1番理にかなっているということだ。全て自転車で移動するのでエコであり密を回避出来るので感染リスクを抑えながら旅行をしている。とキラキラした目で語ってくれた彼女だ。
私は彼女のような勇敢な行動を真似することが出来ない臆病者だが、話を聞いて彼女に憧れを持った。だから今日は日々の怠惰な生活からの脱出と少し生活の質を上げてしまったが故に元に戻れなくなってしまった自分に喝と矯正を兼ねて野宿することにした。目的地は家から20キロ先にある図書館。そこの図書館が1番勉強に集中出来るし、本も沢山あるので自分に教養をつけるのに適しているので明日の朝から図書館に引きこもろうと思っていた。近くには野宿出来そうな公園や橋の下などあるのは把握していたので星空を眺めながら考え事をしようと企んだ。そして今日夕方に先日修理代が1万かかった相棒の自転車と共に出発。プチ野宿だがワクワクが止まらなかった。しかし、30分後に雨が降ってきた。天気予報では晴れだったのに。色んな天気予報のサイトを見たのに。紛れもなく雨が降っていた。急いで目の前にあった百均に寄り雨がっぱを購入して、目的地へと急いだ。歳をとったのか記憶より道のりが遠く感じながら2時間後に到着した。しかし、思ったより静かそうに見えて人通りがあること、街灯が明るすぎること、雑草が生い茂っていて虫が大量にいること、そして何より雨が降っている。楽しみにしていた星空を見ることが出来ない。それでも野宿することに意味があるのでは?と自問自答を続けながらも「10分弱自転車を漕いだらネカフェがあるよ」と頭の悪魔が囁く。
そうだ。タイトル通り私は野宿に失敗をした。今はブランケットに包まりながら鍵付き個室のネカフェにいる。なぜ鍵付きにしたかというと今日は土曜日だ。フロントとドリンクバーに近いオープン席だとダーツやカラオケ目的で来た人達が大勢来ると思われるのでガヤガヤすることを見込んで鍵付きにした。最高に快適だ。しかし、野宿目的でここまで来たのに何故今ネカフェの個室でのんびりしているのだろう。意志の弱さに自分でイライラする。
俺はずっとアジカンが嫌いだった。
きっかけはリライトがヒットしたあたりからソルファ借りて一通り聞いたけど、「ナンバガイースタンを大衆向けに書き換えただけじゃねーか」という感想以上のものを持てなかった。
ナヨナヨしたメガネの変人がフロントマンやってるのも先人のバンドをなぞっただけのような感じがして嫌いだった。似たようなバンド、00年代ごろは鬼のように流行った気がするんだけども。
というか、アジカンが流行り出した頃はキューンレコード自体が丸ごと嫌いだった。キューンのバンドのやつら、どいつもこいつもアニメのタイアップばっかりやってヒット目指そうとしてるのが気に食わなかった。もっと曲で勝負しろや!タイアップなんかやるんじゃねえよ!って思ってた。
でも上記の感情、全部若気の至りだったよ。学生の身分で流行り物が全部嫌で、流行っているものに群がっている人間を見るのも嫌で、流行っているものに影響を与えているバンドだったりミュージシャンみたいなものを「今流行っているものはこいつらが先祖なんだぜ」って気持ちを雑にmixiに書き散らかして優越感に浸りたいだけの学生だった。
別に積極的な理由で流行り物に対して嫌っているわけじゃなかったけど、なんとなく右へならえでみんなが好きなものをみんなと一緒に好きになるのが嫌だっただけなのかもしれない。
でも自分でなんか曲作ろうとかバンド組もうとかなんかしようとかそういう感情も一切なく、ただ流行り物をdisるだけの腐った学生生活を過ごしていた。
その後就職して仕事をしていると大人になったからなのか暇がなくなってしまったからなのか、おおよそロキノン系ロックの細々したヒットチャートに一喜一憂することもなくなった。流行り物の曲も「こういうのが売れてる曲なんだ」っていうのを学習する機会として割り切るようになった。キューンが散々アニメタイアップでバンドをヒットさせようとしてたのも「生きるためにはまあしょうがないよね」ってなんとなく納得するようになった。後藤が原発関係でなんか言ってた時も「政治に口出せるほど偉くなったもんだねえ」「エレキでジャカジャカ電気使って音楽やってんのに脱原発エコロジー標榜してんのか」と内心冷めた目で、でもそういうことをTwitterとかはてブとかに書くこともなく淡々と生きていた。
https://note.com/gotch_akg/n/n6352512c4041
現場に積み上げられてきた熱意。そして、そこにある人生。一方で、自分がよく知る切実な思いとその活動が乱すかもしれない公共衛生。飛び交ういろいろな言葉を前にして、グワグワになっている。
だが、久しぶりのリハーサルのたかだか数時間で、自分が生き返ることも実感した。心の底から、これだ!という実感が溢れ出て、全身をめぐった。エゴイスティックな音楽への欲望が俺には少なからずある。
まずミュージシャンがmixiやアメブロじゃなくnoteで一言ぶち上げる時代の変化に驚いたけど、「オリンピックdisっておいてこの文章かよ」っていう原発のころとなんら変わらないダブスタな政治信条を見せられて、落胆と安堵が入り混じった感情になった。もうこの文章だけ読んだらオリンピックに出るアスリートが書いてんのかフジロックに出るミュージシャンが書いてるのかわからないもん。
まあ分かるよ。ライブなんてコミケやお祭りと一緒で現場で臨場感出さないと客は財布の紐を緩めない。運営もミュージシャンもそういうのわかってるし生活立ち行かないからライブやるんだって。でもオリンピックdisっといて自分のイベントについては日和った感想しか出てこないところが、やっぱり嫌いだなあって思っちゃった。
さっき安堵って書いたのはそういうことだと思う。自分がずっと嫌いだったものを改めて引き続き嫌いでいさせてくれる。
でもこの文章もソルファ聴きながら書いたし、意外といい曲多いのでYouTube Musicでアジカン、気が向いたら聴くよ。だから頑張ってください。
ディーラーオプションで前後のドラレコは付けられるんだけど、自分がすでに持っているドラレコがあるならそっちを自分で取り付けたい。
そうだ、もしかしたらドラレコはもはや人権に近いんだからそれを通す用の配管とかレーンとか既にあるのではないか?
ありませんね。普通にグローブボックスやピラーや天井を外して隙間にケーブルねじ込むしかないですね。LANケーブルでいう空のCD管とかもない。フロントはまあそんなに難しくないけど、リアまでつなぐとけっこう大変。確かにあんなにみっちりものが詰め込まれているのに配管なんて通す余地はないのかもしれない。
だけど、ドラレコの配線なんて殆ど決まっているじゃないですか。直にシガーソケットから電源とるにしろヒューズボックスから取るにしろ、経路は決まりきってる。なら最初からドラレコを通す用の通路くらいあっていいのでは?DIYだけでなく整備士さんにも好評な気がする。ピラー外すとか大げさなことせず、ピラーの端っこにハッチつけてパカッと開ければそこに配線できて閉じればキレイにみえるようにすればいいんじゃないでしょうか?昔は電飾好きな人がいっぱいいてそういう人がいじっていたと思うけど、いま車の電気系統さわる理由なんてドラレコかナビくらいです。ならそういう専用レーンがあって当然かなって思います。
でも、なんか車作ってる人や整備しているにはこういう話をしても通じないんですよね。
空気の流れどうなんだろう?
箱ごと差し出され、自分でマスクをひっぱり出し着用(スタッフの手からは渡さない)
自分がつけてきたマスクは、ビニール袋を渡されその中に入れて口を閉じて持っておく
帰る際に施術中つけていたマスクと自分のしていたマスクを交換し、施術中つけていたマスクはビニール袋に入れて客が密封、店が廃棄
(店がくれたマスクで帰ってもよい)
(そのため「〇日の午前中は出勤していません」とか「〇日だったら21時までいます」になる)
全員が完全無言で接客してくれるかというとそこまででもないんだけど(しゃべりたがる客もいるので)、
マスクしたままカットするのは難しいと思うんだけど常連なので顔は知られてるし担当さんの腕がいいので全然問題ない。
(むしろ「マスクしてても鬱陶しくないようここをこんな感じにしました」等、よきにはからえてくれる。)
どうにも疲れ切っててホテルの外のマッサージ屋に行く気になれず初めて出張マッサージ呼んでみた。
まず、ドライとアロマ二種類あってアロマはホテルのフロントじゃないところに電話しないといけないのと、アロマのが高いのと、あとアロマはえっちなサービスじゃない的ことが書いてあってなんか逆にそういうサービスなのか?って疑ってしまいドライを呼んだ。
マッサージ師の性別は男女(空いてたら)選べたので女性にした。で、一時間くらいでマッサージ師さんが来た。
ベッドの端に横たわるように言われるのでうつ伏せ寝したらベッドの外側に背を向けて横向に寝てほしかったらしい。こんな姿勢でマッサージ受けるの初めてだったのだが、マッサージ師さんがベッドに上がらないようにマッサージするためかな?と想像した。
が、片側が終わって逆向くとき頭を逆方向にするのではなく普通に寝返り打って反対向きに横寝にならされ、マッサージ師さんはベッドにあがりこんできた。
なぜ横向きなんだろう。腑に落ちないものの疲れてるし気持ちよくないわけではないのでまあいいかとそのまま受けた。でもほんとはうつ伏せで背中を押してほしいんだけどなあと思ってるうちに反対側も終わってもう終わりかな?と思ったら今度はうつ伏せになれという。
そしたら私の想像する指圧が始まった。痛気持ちいい、、のと眠いのでマッサージ師さんがベッドから降りてたのか上にいたのかはよくわからなかった。
その痛苦し気持ち眠さのなか終了を告げられた。体起こすと肩が軽くなってた。ほんとは背中がバキバキだったのだが背中は翌日もバキバキだ。
まあでもマッサージ前よりすっきりしたしお礼を言う。支払いはチェックアウト時フロント。アロマだったらいつ払ってたんだろ。
総括して悪くはなかったが眠くても既知のお高いマッサージ屋に行くのが正解だったかなと思った。けど外出てたら眠い、、部屋に呼べばよかったと思ったんだろうなと思うので次こんな場合どうするかはわからない。
俺には実にクソみたいな未練がある。お前らにはあるか?
未練。
それも。ログインもできなくなったソシャゲのトップ画面を、それでも一日一回は習慣のように開いてしまうとか、そういうバカみたいな未練。
そのソシャゲ専用のブラウザをスマホの容量が足りなくなってきても消せなくて、機種変したのにまた入れなおす、みたいな。
それで今日もログインボタンを押しかけてどうしても押せなくてブラウザ閉じてでも気づいたらまた同じ画面の前でためらって、こんなことに時間を使うなんてそれこそバカがすることだって思うのにやめられなくて。
やめられないままもう1年も経ってしまった。
俺は、きみを愛しただけだった。
なのにどうしてきみと一緒にいられなくなったんだろう。
俺の愛したきみはとにかく、残念な、と言われがちな人だった。俺からしてみれば、きみに何も残念なところなどなかった。
きみはただ、自分を隠すのがうまかっただけだ。親しみやすく抜けたところがあるように見せかけて、その心の内側に確固たる信念を秘めていただけ。
けれど、ともかくユーザーの多くに残念、と言われることが多かったのは事実だし、本当に惜しんでくれるユーザーもいたとは思うが、その大半が嘲笑を含んでいたものだったことは俺の被害妄想ではなかったはずだ。
なにせけして長くない歴の中で、団を何度も辞めることになってきた。全て同じ理由でだ。
きみを嘲笑することがまかり通っている場所にいるのが、嫌だった。
それでも、すぐに辞めたわけじゃなかった。3回は耐えた。だいたいいつも4回目くらいで団長に事情を話して自分でも苦言を呈しては周りに笑われたり馬鹿にされたり嫌な目で見られたりして、それからしばらくして、辞める。
そういう辞め方を少なくとも5回とかしたくらい、きみは大多数のユーザーからすると玩具みたいな扱いをしてもいいものだと思われていた。いや、ユーザーだけじゃない。
たまにストーリーに出てきてくれた時、個別ストーリーの時の、選択肢だとか。あるいは番外の漫画だとかでの表現を見るに、きっと運営からも雑に扱っていいくくりにいれられていたんだろう。オタク特有の寒い悪ノリに悪ノリが重なる流れのせいで、それは年々悪化していたように思う。
俺だって別にきみを過剰に褒め称えてほしいとかそういうわけじゃなかった。ただ、そっとしておいてもらえたらよかった。ヨゴレ扱いされてほしくなかった。そういうキャラクターでしょうと言われたって、きみが何でもないことみたいに笑ってみせるのが得意だからって、馬鹿にされたり無碍にされることに慣れてほしくなかった。
俺の大事なきみだったから、せめて俺にだけでも、大事にさせてほしかった。せっかくのきみの個別ストーリーで、きみを貶めるような選択肢を自分が選ばざるを得ないのはつらかった。どんぐりの背比べみたいな選択肢の中からどれが一番きみを傷つけないか苦心して苦悩して選んでも、結局きみを傷つける人たちのひとりになることしかできなかった。
いっそスキップしてしまおうかと思った。でも、どれだけ苦しくてもきみを見ていたかった。
自分のことを少しも話してくれないきみのことを、少しでも知れたらといつも必死だった。笑いかけてくれないか、きみが名前を呼んでくれやしないか。いつだって浅ましく期待してもいた。
そうだ。俺は、いつだってきみに笑っていてほしかった。振り回されることも名前を呼ばれることもからかわれることも、何より幸せだった。そういうささやかな幸せで十分だった。
俺の、愛しいきみ。
きみは誰より強かった。うつくしかった。そして、俺にとっては誰よりも可愛かった。何よりも尊い人だった。世界中の無辜の人々のためにそのちからを揮おうと決めて立ったきみが、ずっと眩しくてたまらなかった。
まばゆいきみは空に輝く太陽のようで。あるいは満天の星そのものだった。
いつだってあんまりきらめいていて真っ直ぐだから、汚して引きずり落としたい人間がいるのも理解はできた。
理解ができたとしても、納得したことは一度だってなかった。嘲笑も侮蔑もきみに相応しいわけがない。
そうやって不満とか悲しさとかが燻る日々が続いていた。
周りでも憤って、あるいは呆れて辞めていく人間が何人かはいたように思う。思う、っていうのは、あの時の俺は後から考えると全然正気じゃなかったので周りのことなんか正直よく覚えていないからだ。
きっかけ自体はイベントの調整についてだった。俺はその調整が示した運営のユーザーに対する姿勢を知ってから、何かの糸が切れたみたいにゲームに対する気力を失った。
毎日馬鹿みたいに真面目にしていた周回も日課もしないで、ずっとずっと考えていた。
俺のこと。
きみのこと。
どうして俺は大多数のユーザーのひとり、になれなかったんだろう。俺が運営から見たときに客として多数派の層にいたら、もしかしたら送ったご意見が受け入れられたりすることがあったんじゃないか。
だっていわゆるメインターゲットに愛された人たちはきみみたいには扱われなかった。たとえ笑われたとしても貶めるようにではなかった。彼らの強さは余すことなく語られて、周りの人々にだってきちんと大事にされていた。ユーザーの大多数にだってヨゴレ扱いされたりしない。貶めてもいいものだなんて思われて踏みにじられることもない。
俺がメインターゲットじゃなかったから、きみは大事にされないのか。
けれど、俺と彼らの愛に何の違いがあるんだろう。
きみを愛していたから、なるべく最速で最終まで開放したつもりだ。
だからか、いつだったかお前のランクと歴で最終まで終わってるのはキモイと笑われたこともあった。別にキモくてもよかった。
満天の星であるきみがもっと、誰よりも輝けるようにってその為ならなんだってしたかった。だから周回だって天井だってなんだってしてきた。新規衣装が出たときは5垢つくって衣装買ったし相性がよさそうなキャラが出たら天井を叩いてだって手に入れた。いつだってきみをなるべくフロントで出せる編成を考えて少しでも使用率を上げようとして、だからもちろん久遠だって一番にあげたけど、そういうことが全部全部無駄なことでしかなかったと突き付けられたような気持ちだった。
どうやったら、きみのために何かを成せたんだろう。きみを大事にできたんだろう。
自意識過剰だって笑われて当たり前、自分だってわかっている。自分ひとりの行動が運営に対して影響を与えるわけがない。
けれど俺は今もどこかで思ってしまう。
愛が報われないことも勿論悲しかったけれど、きみが報われないこともずっとつらかった。
きみに報われてほしかった。たとえきみがそれを望まないとしても。
俺は結局、きみが理念を語るのを愛せても、きみが語る理念は愛せなかったな。
俺はきみが生きていてくれたらよかった。世界の敵になんかなってほしくなかった。きみが築いてきたすべてなんか俺はいらない。思慕も敬愛も親愛も全部全部きみに向けられたままであってほしかった。きみに成り代わりたくなんてなかった。他の誰よりも、きみに報われてほしかった。
そうしてできたら、叶うなら、傍にいて笑っていてくれたら、それでよかったのに。
あの日から俺は気力を少しずつ失って、きみの為に何もできない自分の無力さに嫌気がさして、目標も見失った。
数少ない友人たちも他ゲーに流れていく日々の中、いつの間にかログインすることさえできなくなった。未練だけ、みっともなく残したまま。
今日だって、結局何度も何度もためらって時間を無駄にして、それでログインできないままなんだろう。
ごめん。弱くてごめん。きみの望むような強い人であれなくてごめん。
きみを愛しただけだったんだ。
嘘だ。
俺は、今でもやっぱりきみを愛している。
シエテ。
きみだけを。
今も。
これからも。
ずっと。
運営 | 店舗 | 総数 | 7/24 | 7/25 | 7/26 | 7/27 | 7/28 | 7/29 | 7/30 | 7/31 | コメント |
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三越伊勢丹 | 伊勢丹新宿店 | 56 | 4 | 5 | 3 | 6 | 7 | 7 | 12 | 12 | 全開示(確診日不明) |
7&i | 西武池袋 | 19 | 0 | 1 | 6 | 3 | 1 | 1 | 7 | 別ページにて開示 | |
三越伊勢丹 | 三越日本橋店 | 9 | 0 | 0 | 0 | 1 | 2 | 1 | 1 | 3 | 全開示(確診日不明) |
高島屋 | 高島屋日本橋 | 5+ | 1 | 0 | 1 | 1 | 0 | 1 | 1 | 3日で消去,キャッシュで確認 | |
高島屋 | 高島屋横浜 | 8+ | 1 | 0 | 0 | 1 | 2 | 2 | 2 | 3日で消去,キャッシュで確認 | |
7&i | そごう横浜 | 9 | 1 | 2 | 2 | 2 | 1 | 0 | 1 | 別ページにて開示 | |
東急 | 東急渋谷本店 | 2 | 0 | 0 | 0 | 1 | 1 | 0 | 0 | ShinQsの方が多い | |
小田急 | 小田急新宿本店 | 9+ | 3 | 4 | 2 | 3日で消去,PDF書き換えのためキャッシュ確認も不可 | |||||
三越伊勢丹 | 三越銀座店 | 11 | 0 | 0 | 0 | 0 | 4 | 3 | 2 | 2 | 全開示(確診日不明) |
Jフロントリテイリング | 大丸東京 | 1 | 0 | 0 | 0 | 1 | 0 | 0 | 0 | 全開示(確診から開示まで遅い) | |
京王 | 京王新宿本店 | 開示していない可能性大 | |||||||||
松屋 | 松屋銀座本店 | 6+ | 1 | 1 | 4 | 3日で消去,キャッシュで確認 |
三越伊勢丹はかなり情報を開示してくれているが、他はそうでもない。7&iも頑張らないとまとめページにたどり着けない。
ずっと公開しておくのも変だと思うので、半年も掲示する必要はないと思うが、せめて一週間くらいは見られるようにしておくべきなのでは…?
みなさんは「ウナギ」と聞いてどんなことを思い浮かべるでしょうか。蒲焼などの料理、「うなぎのぼり」といった慣用句、「掴みどころがない」といったイメージなど様々あると思います。最近では「おはよウナギ」なんて言葉も流行りました。
しかし、生き物としてのウナギの生態系は謎に満ちあふれています。川や近海で捕れたり、近年では養殖も盛んになったりしていますが、どこで生まれ、どのようにして日本にやってくるのかがわかっていませんでした。
しかし、塚本さんを始めとする調査チームが始めてウナギの天然受精卵の採取に成功しました。今回は長い間見つからなかったウナギの卵が発見されるまでの壮大な物語を話していただきました。
ウナギは孵化までおそらく1日半、仔魚になるまで半年、合わせて約1年を海水中で過ごし、あとは淡水で生活するそうです。ウナギを図鑑で調べてみると、ほとんどが淡水魚の図鑑に載っていて、海水魚図鑑には載っていないのはこのためだと塚本さんは話します。
では、ウナギはどこで産卵しているのか。これが最大の謎でした。調べ初めは本州近海でしたが、それが沖縄の南、台湾沖、フィリピン近海とだんだんと推定場所が南下していきました。中でもフィリピンではウナギの変態前であるレプトケファルスが見つかるなど期待が高まりましたが、しかし卵は見つかりません。
そこでウナギを捕って調べてみると、あることがわかりました。冬だと思われていた産卵時期が、実は夏だったのです。ウナギは「耳石」を見ればいつその個体が生まれたかがわかるそうです。塚本さんはこれが調査成功の一因だと語ります。
調査対象は、西マリアナ海嶺の南端部に移ります。東西に伸びている塩分フロントと海嶺との交差地点です。塩分フロントとは、異なる塩分濃度の境界のことです。この地点はスコールが多発するため、急に塩分が薄くなる場所があるそうです。調査チームは、ウナギがサケのように海の"ニオイ"を幼い頃に刷り込まれることで産卵するためにこの場所戻ってくるのではないかという仮説を立てました。
そして2009年、4回目の網でついに受精卵が見つかりました。最初は深海の底にあると考えられていましたが、実際は深海の淵の浅いところ(海抜160m程度)にピンポイントに網をかけて見つかったそうです。卵は1日半で孵るのですが、幸運にも孵化直前の56mmの卵が採れました。
ここから親ウナギの行動や産卵の流れなどが明らかになってきました。あるホルモンの分泌をきっかけに、川にいるウナギが昼夜を問わず泳ぎ続ける「ナイトレストレス」状態になり、一目散に産卵場所に向かいます。昼は外敵から身を守るために深海を、夜は精巣や卵を成熟させるために温度の高い表層近くを泳ぎます。ウナギは意外と俊敏で、長距離を泳ぐのに適した泳ぎ方をするそうです。また、60gというわずかな脂肪の量でなんと6000kmもの距離を泳ぐそうです。そして産卵期になるとオスの体は精巣だらけ、メスの体は卵だらけになり、1年の産卵期に複数回産むそうです。新月の夜に乱婚をすると考えられ、新月がくるまではその地点で滞留していると考えられています。そして産卵期を終えると、ウナギはその一生も終えます。
塚本さんがこれから調査したいこととして、「受精直後のタマゴが見たい」とおっしゃってました。今回の卵が採れた付近の水深6000m地帯は調査チーム内で通称「ウナギ谷」と呼ばれていて、そこにウナギの骨の化石や耳石が溜まっているはずであり、「しんかい6500」に乗って調査したいという次の目標を話していただきました。
「そもそもどうしてウナギを研究対象にしようと思ったのか」と参加者から問われ、塚本さんがこれまで研究してきた魚たちを紹介しました。最初はアユ、次にサクラマス、そして今のウナギです。アユは産卵場が淡水にあるのであまり謎が深くなかったのに対し、ウナギの場合は産卵場がわからなかったため、研究が長期化したそうです。
塚本さんの研究とそのエピソードの数々は、「なぜ動物は旅をするのか」というとても壮大な問いであるというお話しが印象的でした。たいへん興味深いお話を伺うことができました。
これ実は難しい問題よ。
1今回の場合はとにかくスピードが求められた開発になっていて、
2しかし同時に画面のアップデートは極力できない(画面が変わると後続が先発が参照したマニュアルを見れない)
まず1なので、導線設計とかよりも機能が優先されるのが予想できる。とにかくできること、一回目と二回目の予約で画面の作りを別にするとかは考える時間なし。
そして2なので、出してフィードバックを得て改善していくというアジャイルの適用もかなり難しい。※まあそもそも役所案件にアジャイル適用自体に諸々ハードルがあるわけだが。いつまでに何を作るからおいくら万円ってできないアジャイルでは役所ひいては納税者は納得しないのよね。
そんなこんなで、とにかくできるようにしてあとは運用でカバーだ!ってなってしまったんやろなぁとは予想できる。
それに対処するためには。いろいろ論理を省くと準委任派遣問わず《2次》請けまでを合法とする。顧客、フロント、開発まで。枝葉のIT派遣企業は潰す(中のソフトウェアエンジニアはメー子とかで引き取る)。