はてなキーワード: カリキュラムとは
大学も予備校も高校も受験生たちも……なんというか、日本の大学受験はまだ未開だったんだなあと50代に突入した今冷静に振り返って思う
こういうこと言いっこなしだけど当時の試験問題の総合的レベルは今と比較して冗談みたいに低かったと思うよ
こういうのはスポーツと同じで時代が進めば必ずどんどん洗練されてレベル高くなるもんだから仕方ないことなんだけど、
2000年代くらいからセンターの過去問を戯れに見て(特に数学2Bや化学あたりが)明らかにやばくなってきてるのを感じて、
共通テストに突入してからハッキリとヤバいレベルに洗練されてなおかつ難度が爆上がりしててビビったもん
それにもかかわらず有名国公立の共テやセンターの合格者平均得点パーセンテージが俺の時代と全然変わってなくて
「ああ、AO入試とかの推薦枠が定員の3割もなかった当時と比較して、今一般入試ってもんは明白に次元の違う厳しい競争になったんだな」
と察した
俺たちの時代はさっきも言ったように大学受験界隈が本当に未開も未開で、
「睡眠時間7時間も8時間も取るなんて怠けてたら落ちる。そういう奴は必ず負ける」
とか
「みんなが解けないようなカルト級の難問を制する者が入試を制する」
みたいなアホ丸出しなことを平気で言ってて、
しかもそれが「ハッキリとした誤り」として訂正されることが全然ないくらいには正しい情報共有(そして良質な参考書が今の比じゃないほど少なかった)が難しい時代だった
あと日本史なんかだと
とか
とか
今考えれば「馬鹿じゃねーの、そんな問題に付き合ってられっか」で丸っきり相手にせず、さっさと基礎~標準問題を絶対取りこぼさないよう徹底的に訓練する以外ないんだけど、
当時の受験生たちは
「いーや、あのカルト問題だって実はどこそこ社の教科書にだけはちゃんと掲載されてる情報だったんだぞ?それを捨てるのは甘え。捨てる者は落ちる」
だなんて大真面目に言う者が大半だったから、みんな無駄な努力に無駄な努力を重ね、しかも予備校などの受験産業もそれを後押しした
だから詐欺みたいなカリキュラムの受験塾なんかを個人が立ち上げても余裕で商売になったんだろうなとも思う
例えば、
授業なんぞしないで滝行させるとか
試験とマジで何も関係ないスピリチュアル書籍読ませて感想言わせて詰めて泣かすとか
(実際、こういう笑えないほどお粗末でインパクト強い受験塾は存在していて、なおかつ年間200万とかの受講料を設定していても浪人生は押し寄せていた)
ただし、狂ったように加熱していたのは私大受験だけで国公立は平常運転だった
最後に1989年に私大と国公立両方受験した者達の合否データを示して終わろうと思う
【追記】
自分は、私大受験バブルのピークは過ぎてたとはいえ1993年に慶應経済「のみ」を受験して見事に現役合格したふかわりょうを尊敬している。
彼は電波少年の坂本ちゃん東大受験企画に呼ばれた時や内P唯一のレギュラーだった番組黎明期なんかに慶応卒をドヤる振る舞いを許容範囲で披露していたが、
あんな異常な時代に慶応経済に現役で受かったという事実や自負を全く表に出さない謙虚さは同世代として凄いと思う。
一方、
現役受験の年が私大受験バブルピーク年とほぼ重なっていて、結果的に一浪で明治大学文学部補欠繰り上がり合格した安住紳一郎は、
その浪人期間がいかに苦しく精神的にギリギリだったかをおりに触れて語り、
今でも学歴・受験ネタなら大学高校中学問わずやたらめったら詳しく、
なおかつ「今でも指定校推薦組を許してない」と公言してはばからないが、
あの感じはまるっと全て凄ーくわかる。
運悪くあの当時の受験地獄に晒されることになった世代の中で安住紳一郎の「二浪明治大文学部補欠合格」という結果はそれでもかなりいいほうだし、
結局東京神奈川千葉のどこの私大にも受からず人生捨てたような感じになった奴は腐るほどいた。
(余談だが、
私の地元というか受験可能な公立高校グループのなかでは都立日比谷が1番賢かったのだが、
当時は日比谷ですら現役時に法政合格を確保できれば同級生平均より明白に良い結果だったので
「こんな大学受験厳しかったんなら高校入試のとき大人しく法政行ってたわ」と嘆く奴が絶えなかったという笑えないエピソードがある)
高校では日本史を選択したのだが、歴史を尊ぶという考え方が理解できず、全く身につかなかった。
だって、歴史上の出来事の流れなんて、最適でも合理的でも道徳的でもなく、単なる偶然の羅列でしかない。
それなのに、なんでひとつの規範として覚えなくてはいけないのだろう?という気持ちが否めず、全く興味が持てなかった。
数学や理科のカリキュラム的にしっかりした流れと比べると、歴史なんて単なる出来事の羅列であり、その重要性が全く理解できなかったのだ。
今まで、ニュースやらで聞いた地理に関する情報が全く身につかなかったのは、高校で学んでいなかったからだ。
歴史なんていう無駄知識を覚えるのなら、代わりに地理を学んでおけば、それが底となって、
二馬力なのに世帯収入が手取りで年300万とか400万とかゴロゴロなわけで
そんなやつらに「産め~~~~~いwwwwwwwww」と強要したらどうなるかわかるか?
トップバリュの黄色が贅沢品扱いになる地獄、わかるか? 地元の謎スーパーの謎PBだの謎産地食材を買い時には廃棄物を漁り電気は基本消し懐中電灯でしのぐときもあるしろうそく立てて火事起こすときだってある煮炊きはガス代を使うから躊躇して食中毒を起こし風呂は基本水風呂でそれも無理なら濡れタオルその結果臭いといじめられる子供爆誕デスクトップパソコンなんてあるわけもないし通信料が払えないから激安プランにして月の上旬でギガ切れて全部終わり
そんな環境に自ら踏み込むアホおるか??? 児童手当とかしょっぱすぎんだわ 焼け石に水というか焼け石に霧吹きなんだわ
というか育児・学費・奨学金以前に出産費用が払えませ~んでつまずくんだわ
だったらよ~とりあえず人口だけ確保するんだったら健康な男から採った精液をシリンジに入れて健康な女の子宮に注入するアレとかソレとかで妊娠だけしてもらって産むだけ産んでもらって
あとはもうサヨナラ! 一生会いません! 連絡は親→←子どちらからも絶対できません!! 戸籍にも載りません!!
国の建てたでっけえ施設でまとめて育てます!!! 出産費用も国持ち!! 育てる途中のカリキュラムは就職と労働に繋がる訓練と国益を優先!!! 学問とかいう贅沢は自力で子供を育てられる夫婦の特権ね!!!
もうこれしかないわけよ
続き
えー、医大に明るくないのでわからんのですが、MD-PhDコースは学部4-院3~4-学部2年で学士と修士両方とるルートデス。だから医大に6年居て学部は卒業してなくて院生2年生。かな。
「布施は、MD-PhDコース選択で5年次に大学院入りしたため国家試験は2年後」(80話)
「後期研修が3年 宮崎先輩は2年目なう 来年は病理専門医認定試験」(80話)
布施初登場から2年以内、宮崎登場から2年半以内になるはずだけど、ここまで2年半以上過ぎてる計算をしてしまってる。
日本病理学会総会12~14日(55話)を現実とあわせて4月に仮定してるけどここが変かなぁ。
9月スタート→(4月迎える)→25話 5月→(9月迎える 宮崎病理専攻医丸1年)→33~4話 4月と春が話題→(4月迎える)→(9月迎える 宮崎病理専攻医丸2年)→74話 夏前。
34話から74話の計40話が3、4ヶ月とするとかなりハードスケジュールだから厳しいとみて、もう一回4月を迎えてるとすると宮崎は4年間壮望会に居るはずで
日本病理学会総会とアミノ総会の時期が憶測が多くて混乱の原因。わからんかい。
「壮望会は研修のカリキュラムが自由」(80話)これって9月に専攻変えしても4月から継続して計算してるってこと?でも神経内科1年、病理2年なら後期研修明けてる…
「神経内科の専攻医になって1年で病理に転科したんだ」(80話)
朝加着任(80話) 天羽編
円の謝罪 5/21日。リンチ編の時間軸かな?80話以降?連載と続きモノなら天羽編途中が5月21日前か。
稲垣、緩和ソロ活動判明「緩和をひとりで回してるんだ」(86話)
稲垣、40オーバー「40歳超えてもガキのままだ」(87話)これは16年勤務でわかっていたこと(63話)なので改めて。
VOD治療開始からだいたい「1ヵ月後」(87話)天羽、快方へ
天羽編終了 長い移植前後だけど具体的な日数は数日単位や昼夜表現が多かった。明確に1ヶ月飛んで直後が9月確定なので、都合2、3ヶ月で天羽で夏を過ごした感じか。
病理専門医試験が現実と同じならやや昔が7,8月、近年が(コロナの影響で)9月中旬開催が多い。
宮崎は9/26ぐらいに転科&受験資格が経験3年以上なので9月以降で確定。
「僕の頃は4年のトレーニングが必要だったけど今は3年なんだよ」(88話)
(連載が8年近く経っている。2014開始からここまで2022年(連載時は21年か)。なので最初は4年と言われていた(2話))
とはいえ連載開始時は7-8月開催が多かったので9月に病理に移った宮崎は4年後の9月からさらにほぼ1年待たないと受験できない感じだったのでは…?
https://pathology.or.jp/senmoni/testReport.html
また、宮崎は最短9月25,6日とかに病理転向(1話)なので試験もかなり後ろに倒していることになるか。ここで実は日程調整で一年飛んでましたとなると「後期研修が3年 宮崎先輩は2年目なう 来年は病理専門医認定試験」(80話)がおかしくなる。
宮崎、剖検32、迅速65(88話)
「病理専門医試験願書」に「5月15日」(89話)これは願書を事前に郵送した日付…だよね?あとリアルの申請期限はだいたい4月末っぽい。宮崎の転科事情に合わせて10月試験にずらした関係で願書期限も5月末にずらしたのかな?
試験報告は例年、会報の10月号に掲載しています。 https://pathology.or.jp/senmoni/testReport.html
もし作中の試験を後ろにずらしたなら合格発表もすこしずれるかも。
JS1編。10話から80話かけ3年近く第Ⅱ相試験が続いてることに。
「治療期間は約1年です」(94話)「計18回を2週間間隔で投与します」=36週?
「1ヶ月後にCTを取りましょう」(94話)
「28日後」「4クール終了時点」(95話)「17クール完走をめざします」
約一年360日を17クール等間隔でするなら4クールは96話の80日に近くて95話の28日はおかしいことにならない?
でも80日以上かかって関係改善できない師長やそれだけ無視しつつ復職できる雅がヤバくなっちゃう…
(そういえば指導医っていつまでですかね。専門医試験やった時点で後期研修は修了してるはずでもう資格や上下関係の意味での指導医になってるかな)
宮崎と岸の弁護士編中での18巻末のニアミス振り返り「カレー~また脱いで捨てるんです?」(99話)黒歴史にはならなかったか
24巻完
改めると細木先生出番すくねぇ~。南波も1話の阿吽の呼吸からもっと出番があると思ったら気付いたらそのポジに稲垣先生が居た。
それにわかってはいたけれど改めて医師の道は長いなと。6年通って研修が2+3年。いっぱしの医者になるころには30手前ですよ。アラサー宮崎が新人としてきゃぴきゃぴしてるのは普段未成年の漫画ばかり読んでいるとね。なんかね。ギャップすごいよね。アラサーで悩む教師とか目じゃないぜ。研修医たって並の新卒社会人以上に年上で学を積んでるのに大変だなあと。政治家はさらに年食っても新人ですが。
お話面でもERや外科でもなければ何週間・何ヶ月も治療スパンがあるからわりと時間が飛んじゃうよね。大変だ。それでいて宮崎の研修明けという一種の制限時間はあったし。(90,91話の最終回雰囲気よ)
でもこうやって挙げてみるとなんとかサザエさん時空にはならないように作ってるっぽい?かっちり決めて連載開始したわけじゃないし思ったより頑張ってるなって感じました。
アフタヌーンで大人気連載中の医療漫画「フラジャイル」。そろそろ連載10年が見えてきて、物語も新人宮崎がついに専門医になるなど節目を迎えてきた感があります。作中およそ3年を総決算したような21巻はまさにここで終わってもいい。第一部完。といった面持ちでしたが現在、新薬JS1編へと続いてくれています。
そこで今回、改めて読み直したと共に自分の中での整理のために作中の時間がわかるようなヒントを探してみた。
時間は明確な過去編とされてなければ話数が進むごとに線形に時が進むと増田が決めたんだ。
フラジャイルは今のような長期連載を予定されていなかった。
「5巻の回想シーンで岸先生が壮望会に来たのは7年前」「(18巻では)時効などの関係で3年前設定」
「初期は連載がこんなに長く続くとは思っておらず医事紛争編は構想されていなかったゆえ」
「5巻のことは忘れちゃっていたんですか?」「作家も編集もすっかり忘れて楽しくやってました」
長期連載にありがちな後から立て付けていく設定に深くつっこんでもしかたないね。個人的に岸と森井とのやりとりは時間軸を移してもなんとかなるけれど岸と高柴との関係は長い時間が必要と感じるので医事紛争は(個人的)正史からはずしたいと思いまする。
連載だけ読んでると混乱した部分なので時系列を書いてみる動機だよ。
まとめたようでまとまらない情報を羅列しているだけになってしまった。
特に困ったところが「日本病理学会総会~アミノ株式総会」。かなりぐちゃった。
それに加えいつかは不明だがリアルの専門医の受験資格が経験4年から3年に変わった影響もあるかも
たぶん2017年から3年に。フラジャイル1巻が2014年で、8巻から2017年発刊。
宮崎の試験はハッキリしてるかと思ったけれどそこもなんか怪しいし
あとは
・ 壮望会の悪評と建て直し
もなかなか謎い。あと高柴×岸のエピソードが初遭遇ぐらいしかなくて思ってたより掘り下げてなかった。
岸
森井
火箱
南波
細木
中熊
手嶌
比日野
壮望会
慶桜
岸入る前の壮望会、評判悪し(5話)
稲垣、医者に。「終末期の患者さんと~16年間そう働くのが僕の仕事」(63話)恐らく壮望会以外(27話)。
岸、研修医2年目?「去年、研修医ローテで2週間」前期研修か。
25歳前後?
将棋友道8「今月号」
恐らくすくなくとも9月以内に比日野死亡「治療開始より5日後死亡」
原因はSFTSで作中2011年以前。「当時はわかりませんでした」「SFTSが中国で特定されたのは2011年 それまでは日本でも原因不明」(90話)
稲垣、内科時代。慶桜ケア科に「よそのケア科に2年お世話」「研修先のケア科は慶桜」(85話)
(伴、無菌病棟立ち上げ「昔 伴君が責任者になって立ち上げ」(86話)時期不明「病棟を立ち上げて何年だ …何年もだ」(87話))
およそ13年前で火箱12歳
森井、21歳?大学三年の夏に退学。壮望会の専門学校に入学。(3話)
壮望会病院に入り、6年間は辞められない(3話)
岸、壮望会に転院。高柴と初対面。「7年前」「新しく来た病理の先生ですよね?」(18話)
物語開始前、岸が手嶌と最後に会う。「会うの何年ぶりだったんです?」「…5?6?」(作中1年以上経過)(34話)
岸の性格から正確さは怪しい。岸と手嶌が慶桜以外で会っているなら変ではない(岸の性格から怪しい)。
火箱、アミノ入社?22歳?スタート1年半以上のときに26歳(11巻巻末)。4年生大学から新卒ではいればこの辺り?
新人火箱、十王寺と会う「三ヶ月目」「入社一年目」薬事部所属(67話)
宮崎、医大卒業?。出身大学の病院で初期研修開始(80話)「初期研修は出身大学の病院」
手嶌が慶桜を出る。「岸先生は慶桜を出てね」「僕はしばらく残ったけど~アメリカに留学して~研究職に転向した」(33話)
本郷、最後の彼女(病理医)と別れる「4年と3ヶ月33日彼女いない本郷」至極どうでもいい(55話)
宮崎、壮望会に。後期研修開始(80話)第一志望にフラれる。「どうして後期研修は壮望会を」
一年間は神経内科?「神経内科の専攻医になって1年で病理に転科したんだ」(80話)
この1年って1年目(4月に入り半年後の9月)に転科したのか1年半後の9月に転科したのか…。半年なら半年って言うよねぇ。でも2話の宮崎の発言と矛盾する気がするんすよぉおおおおおお
9月23日-24日開始。院内描写は24日スタート。終了は25日。
24日に騒動、「ゆうべの手術」~「昨日はお世話になりました」で25日
宮崎、専攻研修開始から半年確定?「一応 卒後2年目のドクターなので」(2話)80話の南波の話がわからなくなる。
てかこの流れの"ドクター"とは"博士課程です"って意味でいいの?医者の意味でいい気がするけど。"博士とって2年目"だとまたいろいろ変わってくる…
岸、森井に転職の話をする。
6年間は辞められない条件を知っているなら森井卒業6年後?
森井30歳?
森井慰労会(4話直後?)
火箱登場、宮崎とは初対面。
宮崎、病理診断開始(2-3話間と5話時間経過を加味しても早くなあい?)
4月に入った新人かと思ったが作中4-5月ではない?初期研修のローテーションか?
根拠は9話で半年ほど飛ぶのは不自然。8話で中熊登場して9話冒頭で中熊ポスター。8話で火箱・中熊面識。9話で「先日はどうも」
実際何ヶ月生存したかはわからない?余命どおりならだいたい1年目終了。
火箱、アミノ退社(14話)
(間瀬、アミノ退社)
「あれから数ヶ月」
火箱、ビフィズス入社
(14話終了)
「この前」コンサル窪田参加(15話)
高柴65歳?、定年半年前(15話)
高柴クリニック開院。高柴編終了(20話)
慶桜、中熊により遺伝子検査ラボ設立。円が25歳で技師長に「2年前~25歳にしてラボの技師長に抜擢」(58話)
(手嶌、円と共に新薬開発)「手嶌くん~円も協力してる新薬開発の仲間だね」(時期不明)(61話)遺伝子ラボとは無関係か。ソフト開発し新薬の配列設計を発見。
5月時点で布施がまだ医大5年なので病理の学校は4月以降(25話)
布施「君何年生?」「5年生です」(25話)
人物紹介 年齢
岸不明
森井31歳?
手嶌登場「4月から京都の細胞研究所」~「なられる」へ「やっと慶桜から卒業か」(33話)
流石に何ヶ月も前に挨拶回りは変だと思うので4月前かなと思うけれど、後から見るとかなり早く挨拶してる?
ハル編(35話~)
野球回。(44話)
入局先宣言の話。「5年も~お世話になって」。後期研修終了タイミングの入局(4月)なら意思表示は入局前年の夏までが一般的らしいからここが夏で実際の入局は来年という話か。4月の線は薄い?
火箱が野球をテレビ中継で見ている「今期つれぇ~」(44話)プロ野球は3月末開幕なのでオープン戦でなければ4月以降で「今期」「つらい」とわかるのはやはり前シーズン夏前ぐらいか。
火箱26歳。ビフィズス在籍状態時。
こまごまとした話。3日謹慎や新聞掲載などがあるが明確で大きな時間移動はなし?
布施、院1年目(医大5年生?(80話))。「院の1年目であれくらい深く考えられる人」(55話)(MD-PhDコース)
現実と同じなら4月だが、布施の院1年目=医大5年生なら「布施は、MD-PhDコース選択で5年次に大学院入りした」(80話)だから初登場(8ヶ月経過、5月ごろ)から4月をまたいでないはず…
「神経内科から病理に転向して1年目のザッキー」(55話)1年以上経ってるから2年目だと思うんですが…?
しかし第10X回総会とあって現実的には4月の総会…(55話)実際の総会は4~6月開催と幅はあるけど3月とか年度前にはならない? https://pathology.or.jp/jigyou/meeting-spring.html
4月越えなら
森井32歳?
宮崎29歳?
火箱27歳?
作山、リンチ編
円、27歳?「2年前~25歳にしてラボの技師長に抜擢」(58話)
稲垣、オプジーボ同意後、慶桜の「遺伝子センターラボに1週間もお世話に」(60話)
稲垣、医師16年目?「終末期の患者さんと~16年間そう働くのが僕の仕事」(63話)42歳オーバーか。
ビフィズス、新薬とともにアミノへ(企業買収って数ヶ月はかかるとみていいよね?)(64話)
ビフィズス買収後、火箱、総務部、間瀬、MR(営業)へ「2週間前」(66話)
(株主総6月(69話)→慰安旅行6月末(70話)ならここは5月か)
新人関根先生(65話)また4月ではない?次が総会の話なのでここは4月に入ったガチ新人かも。
「来月末 壮望会病理部のスケジュール抑えてほしいんだけど」(65話)
アミノ編(65話)アミノの株主総会の話だが総会が多い6月になるのかは不明。
数日後?、火箱、アミノの未来を憂う会に。「我々は来月の株主総会で」(66話)
(*2年8ヶ月経過 5/15 宮崎、試験願書提出?(89話))
総会一ヶ月前の買収が5月としたら4月の日本病理学会総会から1ヶ月半(病理総会が4月12~14日)。作山関係で2週間近く使うとしたら買収"完了"が一ヶ月でしてることに。
そもそもオプジーボの同意を取れてから家族への報告に1週間。投与開始から検証&18人の遺伝子検査にいくらか。NDA違反に数日(60話)と2週間でもカツカツ。5月中に関根編こなす必要もあるし。
総会間近、火箱懲戒解雇(68話)
十王寺、株主総会前に退職?「この前の火箱さんの公演が記事になりました」(69話)
株主総会(69話)「後日~十王寺さんの解雇撤回」(「明日から無職」は形式的な話か)
間瀬、開発本部長に。火箱、開発本部 臨床開発3部 JSプロジェクト推進グループグループ長に。春田、火箱部下に。
慰安旅行(70話)「来月末 壮望会病理部のスケジュール抑えてほしいんだけど」(65話)
弁護士編は過去が矛盾してる編なのでここでまとめる。基点がここから3年前なのがネック。(ここまでの予測があっていれば宮崎が転科する数ヶ月前の話になってしまうし、後からみてもすぐに宮崎の実務3年を迎える)
前述のとおり時系列からは切り離すが、過去の各イベントはあったんじゃないかな。
また、過去以外の話の時間は正史として前の編から地続きと考えておく。
森井、「事件があった3年前は俺も壮望会で働き始めたばかりでした」(72話)
後の話では森井のほうが壮望会に先に入ったっぽいのでここでもここに
(6年辞められない縛りがあるのに転職話が出るのが変)
岸、壮望会に。(73話)
(これまでの話でも壮望会での高柴との出会いは7年以上前で矛盾)
患者、菊池通院後2ヶ月。「外来での通院が2ヶ月を過ぎたころ僕に~依頼があった 三年前だ 僕が壮望会に来てまだ数ヶ月にもならないころだった」(73話)
菊池、状態悪化後、「緩和ケア科に移って2週間後に亡くなった」(73話)
森井、彼女に振られる(18巻末)
宮崎、壮望会に居てニアミス(18巻末)宮崎は後期研修から壮望会に入ったので4~9月の間の話(神経内科専攻)とすると、3年前とはあまり矛盾しない。
壮望会、不評から立ち直る「壮望会を立て直した~医師の功績ですよ岸先生とか稲垣先生とか」(74話)
久坂部、米嶋の診療所訪問「2ヶ月前米嶋が働く診療所に~弁護士」(74話)
「今月の予定組むんで」(71話)
森井、「事件があった3年前は俺も壮望会で働き始めたばかりでした」(72話)
「夏も近い」(74話)これジョーク?
えー、医大に明るくないのでわからんのですが、MD-PhDコースは学部4-院3~4-学部2年で学士と修士両方とるルートデス。だから医大に6年居て学部は卒業してなくて院生2年生。かな。
「布施は、MD-PhDコース選択で5年次に大学院入りしたため国家試験は2年後」(80話)
「後期研修が3年 宮崎先輩は2年目なう 来年は病理専門医認定試験」(80話)
布施初登場から2年以内、宮崎登場から2年半以内になるはずだけど、ここまで2年半以上過ぎてる計算をしてしまってる。
日本病理学会総会12~14日(55話)を現実とあわせて4月に仮定してるけどここが変かなぁ。
9月スタート→(4月迎える)→25話 5月→(9月迎える 宮崎病理専攻医丸1年)→33~4話 4月と春が話題→(4月迎える)→(9月迎える 宮崎病理専攻医丸2年)→74話 夏前。
34話から74話の計40話が3、4ヶ月とするとかなりハードスケジュールだから厳しいとみて、もう一回4月を迎えてるとすると宮崎は4年間壮望会に居るはずで
夫は総合電機メーカー勤務、私は薬剤師(現在は子育てに専念中)で2人とも30代前半。一人息子は5歳。世帯年収も貯金も同年代の平均よりあるはずだけど、夫も私も兄弟が多く実家の支援も満足にないため常にお金が足りない。そんな中で息子の将来と、それに付随する教育のお金を考えると満足に子育て支援のない日本で2人目なんて無理。
割とお金を貰ってるので生活はできるだろうが、私の育て方が疑われる。
干されたらどうするん?売れなかったらどうするん?才能なかったらどうするん?
倒産したらどうするん?
正社員ならしばらくは大丈夫だけど、中年になってから倒産したらどうするん?
防衛大の学費無償は魅力だけど、途中で退学したり、せっかく卒業しても戦争になりそうで退官したらどうするん?
大事な息子には医師、官僚、財閥系商社、外資系コンサルのどれかに食い込んで欲しい。そしてそのためには東大(又は国立医学部)に進学しなければならない。そしてそのためには中高一貫に進む必要がある。つまり中学受験と塾が必要。体育の授業でコンプレックスを感じないように幼児教室も必要。ピアノが弾ける男子に憧れがあったのでハイハイするようになった頃から音楽教室にも通ってるし、ピアノが身についたらヴァイオリンのコースでさらに費用が増える。英会話教室と算数教室もこれからどんどん教材費やカリキュラムが増える。すぐに服を汚すけど、友達と遊ぶ時にグロバやGU、ユニクロの服や靴は着させられないので服代も馬鹿にならない。例えタワマンでも集合住宅は嫌なので戸建も建てる。とにかくお金が必要…。
以前までは、理性と感情は対立する概念だと思っていた(感情は理性で押さえつけられるものだと思っていた)が、今のSNSを見てると、そうではないんだなと思う。
具体例を挙げることは本意では無い(一般的事象として捉えたい)ので避けるが、理性は今や、感情を助長させる道具のひとつでしかないと感じることがしばしば。
例えば、自分の感情を道徳的命題として正当化したり、もしくは、法律など別な問題から搦め手で攻めていったり。
つまり、感情が結論として在り、それをいかにして社会的合理性を持つ言説として成立させることができるか、が人々に求められているように感じる。
なんというか、結論に合わせて理屈を作るとは、非常にお役所仕事的な発想だとも思うが、そういう人間が、今のSNSでは支持を取れるのだと思う。
そして、次の段階は、そういう手段として学問を学ばせようとする学科が登場することだろう。
それが、心理学科なのか、社会学科なのか、コミュニケーション学科なのかは知らないが、
他人の感情を社会的に合理化させる言説を理論的に構成する手段を、カリキュラムとして学ばせる学科が、そろそろ登場してもおかしくないと思う。
第一線の数学者は他のどの科学者よりも難しい問題を達成していると思うのだが、特に現代数学において誰でも知っているというような人が全然いない事実にひっかかるものがある。
マルクスみたいな経済学者とか、ファーブルみたいな生物学者など、他の学問には数学者よりは高度なことはしてないというのに一般の人でも知っているという人がいるのに、これはどういうことなのか。
数学者で有名といったら、せいぜいピラゴラスといったような古代人、現代数学でいえばリーマンとかラプラスとかだ。
これらの人物に共通するのは小学校から大学までのカリキュラムで扱う理論や公式の発見者かどうかということに過ぎない。
特に古代人が考えたことは現代から見れば易しいものなので義務教育の内容に採用されやすい。だからあのへんの時代の人物は数学者でも知名度が高い人がいることになる。
ようするに言いたいのは数学者の有名無名はただ単に教育制度次第になっているということだ。
高度な現代数学でも岡潔や望月新一と有名な人はいるじゃないかと言う人もいるかもしれないが、あれらが有名なのも、実績の価値が正しく一般の人にも伝わって認知度が高まってきたというものではない。
岡潔なら統合失調症だったなかで戦時下を生き抜いたこと、望月新一なら自分のコネを使って論文を掲載させたこと。
そういう生き様のセンセーショナルなところがもっぱら庶民の関心を呼び起こしているに過ぎないのだ。
ポアンカレみたいな「未解決問題を解いた人」というわかりやすいラベリングを持った人間が有名なのも本質的には上述したのと同じところにあるのだろう。認知している人の多くが業績の概要と価値だけでも正しく理解してるか疑わしい。実績の内容に関する関心ではなく、未解決問題を解いたという一点で共通認識化されているように思われる。
ちょっと単純化が過ぎるかもしれないが、数学以外の科学者の土俵はもっぱら実験や実証のなかにあると思う。
実験により、何かをしたらこういう結果が出た、という目に見える因果関係を把握する力さえあれば誰でもその分野の大学者になれる素質はあるとさえ言える。
もちろん実際に誰もが知ってる大学者になれるかどうかはもちろん有用な結果をはじき出す実験にこぎつけられたらという話になるが、どちらにせよ彼らは比較的易しい具象の中で研究対象と戦っているということには違いない。
一方で数学ときたら現時点で新規性のある高度な数学論文をしたためるには何万ページという論文が語る知見に対する確かな理解の積み上げが無いと無理だろう。
理解する過程においても数千ページ目にあたるある論文が理解できないとなったときどこに理解の欠落があるか今まで読んだ論文から探しなおさなければならないわけである。
理論の構造自体も目に見えるようなわかりやすい因果関係から成っているのではなく、抽象的なわけだから、知識の欠落がなかったとしてもその理解は純粋に難しい。
しかし高度な論文の作成はその先にあるのだからこの数学の研究というものは果てのない作業なのである。
望月もそのような作業を経てついにはIUTの創出という高みに至ったはずである。
そして望月以外にも当然少なくとも月ごとには相当数、同程度の高みから発した高度な内容の論文が公開されているはずだが彼らの中から一般人にも有名という人は現れて来ない。
ようするに現代数学者は天才である。あの手の分野の数学者は受験勉強を全くせず東大に悠々と合格するような人間がざらであるらしい。もっとも現代数学者の絶対数が少ないのだから「ざら」というのは数ではなく割合の問題なのであろうけど。
そんな数学よりは高度な理解力を要しない学問では誰からも知っている人が出てきているのに、現代数学ではせいぜい専門家の間で有名という程度にしかなれないというのは理不尽なことだと思う。
私にはそれほどの数学の才能はないので数学ができる人間に対して劣等感がある。
だから劣等感の元凶である彼らにはせめてとことん栄誉ある立場にあってほしいのだ。
彼らすら大して評価されないのでは彼らと違って能力のない私には何も救いがないではないか。
あるいはこういうことなのかもしれない。既存の知識を理解するという力と新しい見識を発見する力というのは異なるものなのではないかと。
つまり数学の功績は高度な理解力の上に成り立っているものだけども、高度な理解力をもった彼らがもし別分野を志していたとしたら果たして一般の人の記憶にも残る大学者になれていたのかどうか。
現代数学者にチョムスキーの生成文法もその理論を考え出した背景にある理論も含めてその気にさせれば簡単に理解してしまうだろうが、かといってもし彼らがチョムスキーと同時代に生まれて言語学を志していたらチョムスキーを出し抜いてあのような文法理論を創造できたのだろうか。漢字の世界で白川静みたいな業績を打ち立てることができただろうか。丸山真男のような戦後思想史の巨人になれただろうか。
理解力は結局脳の処理能力という量的な要素に還元されるものに思われるが、理論の創造というものはどのような分野にしても大胆なひらめきがものを言い、これなるものは量化などもちろんできない、一種の特殊能力なのではなかろうか。
数学はむしろ知見が論理的に緻密な状態でに充実に蓄積されているのに比べ、他学問の知見は相対的には雑駁というかなんというか、とにかくそういったところから新しい理論を考え出すのには数学以上に何かアクロバティックな部分が必要にも思える。
コペルニクスだったかは海上の水平線で帆船が見えなくなる事実から地球が丸いということを歴史上最初に悟った人物らしいが、彼のような発見は彼より多くの知識を持った、つまりは理解している天文学者には出来ないはずだと朝日新聞の轡田だかいう論説委員の本に書いてあったと思う。
本当だろうか。現代数学者がその時代に生まれても無理だったのだろうか。でももしそういう発見という意味での知性が特殊な力なのなら、ここは素直に認めておくべきことなのかもしれない。数学者こそ昔の偉人が発見した事実をベースに論文をしたためることができているだけで、彼らがいなかったらならば今のような仕事はまるでおぼつかないものになっていたかもしれない。
ただしコペルニクスやデカルトみたいなあの手の啓蒙思想の潮流で偉人扱いされている人がもしも今生まれたら、史実でその発見をしたときのインパクトと同じぐらいのインパクトを持った発見ができるのだろうかという疑問はある。
しかしできないのだとしてもそれは役割の問題なのだということになるんだろう。コペルニクスにはその特殊能力をもって彼にしかできない発見をしたのだし、現代数学者も彼らの理解力をもって高度な論文を発表している。それでよしとするべきことなのだろうか。19世紀から20世紀のイギリスでは優秀な人間は天文物理学に行くものだという常識・慣習があったのも引っかかる。
学者としての優秀さというのは最終的には理解力のような計り知れるものではない、ひらめく力・直感のセンスで決まると認識があった証左なのだろうか。
そうであるなら私についてもまだまだ人生これからで、数学以外の学問でひらめきを発揮する道はあるのかもしれない。
そうだとすれば劣等感を抱く前提条件も崩れ、数学者が一般に知られていようといまいが気にする問題ではなくなってしまうはずであるけれど、ここまで掘り下げて考えてしまったので、まあそれはそれとしてこの疑問は解消されるまでことあるごとに私を悶々と悩ませるには違いない。
まあそれでも既存の知識を理解することにおいては絶大な才能があること、つまり学者がどんな難解な理論を提唱しようがたちまち理解してしまうという意味で、あらゆる人に対してタイムラグはあるにしてもそれを無視した見かけ上はどちらの方が物事をよく理解してるかということについては遅れを取ることがないという点にはやっぱり羨やむものがあるかな、ノー勉で東大に受かる素質というのも素直に?率直に?畏敬の念に駆られてしまう。
dorawiiより
これの続きで理系科目版
もう一度言うが子を持つ親へ。難関国公立に行ってほしいなら中学受験させろ。
国公立ギリギリ合格ライン層への配慮が復活し、教科書に毛が生えたレベルの問題も散見された。去年はこの層の選抜としてほぼ意味をなさない難易度だったので良い傾向。しかし整数問題では中学受験でおなじみの問題が出題され、今年も中学受験経験者とそうでない人で差がついた。これで2年連続出題だから、大学入試センターは明確に中学受験経験者を優遇するつもりだろう。世知辛い。
本質を理解している人には笑いが止まらないほど簡単に見えるが、公式暗記と典型問題演習で乗り切ってきた人には難しく見えたはず。しかしほとんどの高校のカリキュラムは公式丸暗記と演習を前提とした作りになってるから、泣きそうになりながら解いた子も少なくないはず。予備校関係者が言うのも何だが、学校外で課金して物理を学べるエリートを優遇するというメッセージか。これも世知辛い
時間が厳しいと感じた人が多かったのでは。帰り道で「化学終わったwww」という声がちらほら聞こえてきた。物理or生物→化学で解いた人と、逆の人で差が出てしまいそう。こういう不平等というか運ゲー要素は共通テストの理念に反しないか?と思う。
実質、情報処理能力試験になっていることへの批判は多いが、個人的には賛成派である。各科目における情報処理能力は、長期記憶に蓄積された知識や経験の量が物を言う。つまり勉強を頑張ってきた人は早いし、そうでない人は基本的に遅いからだ。
まだ共通テストという新しいテストの試行錯誤の途中で、色々実験してデータを取っている段階という印象だが、今回は国公立ギリギリ層の選抜としても機能するような問題構成が多くなったのは良かったと思う。
業務の無駄なタスクを消滅させたら、チーム内に無能社員が何人も発生してしまった。
チーム内でタスクの棚卸しをした。その結果、成果にあまり影響しない文書作成のタスクが大量に存在する事が判明した(背景として納品文書の厚みが契約額xx万円につき1cm必要だった時期があったらしいが、電子納品になってその文化が消滅した)ので、当時の顧客担当者に相談の上で全部やめることにした。また一部単純な作業については自動化出来そうだったので、ツール類を整備して実のあるタスクに集中できる環境を揃えた。また価格についてはその分を品質に反映してくれればとのことで、寧ろ増額となった。
無駄なタスクの削減と同時に教育の整備も行った。社内に教育関連の仕事をしている部門があったので、そこと協力して初級〜上級、リーダー向けとカリキュラムを作成し一部はeラーニング化もしてチーム内に展開した。
無駄なタスクは数年を掛けて激減したが、教育はうまくいかなかった。その結果、実力に対して過大なタスクを割り当てられて工数を消費するだけのマシーンと化した無能社員が発生してしまった。そしてリーダーは無能社員の介護に追われることになり、品質と顧客満足度はあがったもののリーダーの負荷も爆上がりすることとなった。教育のテコ入れをしようと社内の教育関連部門に再度相談したが、『人の素養は鍛えられるが、素質は鍛えられない。この業務は素質の影響する部分が大きいように思えるので、採用を頑張った方がよいのでは?』との回答だった。今いる無能社員と新卒が独り立ちするまでの負荷はどうするんだよと思ったが、とは言え専門家がいうことだしある程度は正論なのだろうなと思って引き下がった。
自分達の行いによって品質には直接影響しない面倒な仕事を引き受けてくれる便利な社員を工数消費マシーンにしてしまったが、無駄なタスクの削減自体は顧客との関係維持のためにいずれはやらなければならないことだったと思っている。しかし現在のチーム内の業務分担は明らかに偏っており、まだ給料が安く自分より職位が上の先輩の介護をする必要がある若手のリーダーを中心に不満が高まっている。また社内失職した社員も不安を感じているようで、指示された仕事をこなせない自分の無能さがストレスですという愚痴も聞こえるようになってきた(そう思うなら勉強してキャッチアップして欲しい)。また上司からも明らかに働いていない社員を何とか出来ないかと言われてしまった。アサイン先のリーダーに確認したところ、当該社員に依頼しても時間の無駄なので議事録作成以外の指示を出しておらず、議事録も議論内容を理解できていないのかそれらしい文言が繋がっているだけで修正に時間を取られすぎるのでもう他の人に作らせたいとのことだった。
本音を言えば社内失職した社員を他部署で引き取ってもらい優秀な人材+これから育てる新卒でやっていきたいが、権限も都合の良い受け入れ先もみつからず途方に暮れている。
https://www.nikkei.com/article/DGXZQOUE227KZ0S2A920C2000000/
公立高校で教師をやっている。うちの学校には外国籍の生徒が多数いて、外国籍者対象の入試がある。正直、大変なことは多い。各々日本語習得のレベルも違う子たちに教える先生達の苦労は大きいし、同様の入試制度を持つどの学校の話を聞いても、カリキュラム内外の日本語指導は十分とは言えない。本当に色んな課題とか見えない問題があって、各論で話さないといけないこと多々なんだけど、面倒なのでそれはしない。
ただ、ブコメの「日本語ができないのに高校に入れる必要はない」という意見を読んで、違和感が生じた。なぜか。
一つは単純な理由で、日本人であればどんなに勉強ができなくても、あるいはしなくても高校には入れるからだ(実際外国人も定員割れてるところは入れるけど)。外国人というだけで「日本語ができるようになってから」等と言われてしまうのはおかしい。それは差別以外の何物でもない。実際に生徒を見ていても、学習意欲のない日本人生徒よりも、日本語では劣るが学習意欲の高い外国人生徒の方が、高校という場には似つかわしいと感じるときだってある。
ただ、たしかに「高校入学のための日本語学校/試験」のような制度/体制ができれば理想的だという意見には同意する。とはいえ、その実現は遠い話のことのように思える。その間にも日本語はできないけど高校で勉強したい生徒はいなくならないんだし、とりあえずは今ある学校での日本語指導体制を整えた方がいいんじゃないか、というのが一点。
もう一つは、「まずは日本語だけ勉強しといてね」というのは意外に難しいことだからだ。当然ながら、言語は内容と結びついている。マックで働くのに必要な言語と学校の学習に必要な言語は違う。学校で教科を学びながら日本語を学ばないと、いつまでたっても学習で使う日本語は覚えられない。そして一般に、学習に必要な言語の方が習得には時間がかかると言われている。「まずは日本語を」とやってたら彼らはいい大人になってしまう。
ただ、全く日本語ができない状態だと授業どころではない。そりゃそうだ。なので、現状でも入学までに日本語学校に行くのはよくあるケースだったりする。それでも、その程度の語学力では高校での学習にはやはり不十分で、そのギャップを埋めるのは「学校で」行うのが一番効率がいい。本人の努力と周りのサポートは不可欠だが。
ちなみに、こんなニュースが出てるのは文科省が高校の日本語教育に梃入れしようとしてるからだろうと推測する。この2つ目の理由のようなことはJSLカリキュラムと言われて小中では既に実践されているところもある。高校もそれに続けというノリで、何だかなあと思う節もあるが、現実的にはこの方向性で行くしかないと思っている。
あと、最後に。ブコメを見てて「入試の枠として必要なのか」「割合を上げる必要はあるのか」という意見があったが、同程度日本語ができない外国人同士でも学力は違うので、全て底辺校や特定の学校に押し付けると生徒にとっても学校にとっても不幸なことになると思う。例えば勉強のできる子は学習に必要な概念も母語でわかるので、必要なのは主に訳語になるから日本語習得も早い。そういう子はある程度学力で学校を選べる方が有意義な教育を受けられるとは思う。
アカデミアでよく批判される「論文書かない大学教授」の一人息子。最後に論文書いたの何年前だ、若手のポストを奪っているとか搾取だとか悪人とか言われて、若手アカデミア界では恨まれている。
ごめんね、それ、全部うちの親のことなんだよね。論文長い間書いてないけど、授業は楽しそうにするんだよね、うちの親。授業カリキュラムみたいなのも楽しそうにやってたし…特に教え方がうまいとも思わないんだけどね。でも、論文書いてないから、うちの親がどれだけ恨まれているかわからん…
実際、うちの親を恨んでいる人たちの分野に進むのはさすがに怖いから、親と全然違う分野を志望して博士号取って大学教員やっているけど、博士課程の間は罪悪感半端なかった。博士課程の学費は親に全部出させた。
今は贖罪だと思ってめっちゃ論文書いてる。正月から論文書いてるよ。親世代が背負った罪を償うのが自分の使命だと思っている。今のポストにたどり着くまでに、結構、自腹を切らないといけないことも多かったな…大学教員っていうのはさ、教授の子が論文書いて贖罪するための職でもあるんだと思うよ。劣悪環境を自分に社会から与えられた罰、親世代が社会から搾取した罰を世代を超えて受けているんだと思うことで、劣悪環境でも人並外れてモチベーションを保つことができ、それで業績上げたり形だけでも授業がやれて大学経営が成り立つのであれば、だれも損していないのではないかと思う。
自分の職業をどう思っても、どういう職業理念で働いても、日本では信教の自由のはず。自分にとって大学教員は親世代が作った罪を償うための職なんだよ。自分みたいな業(カルマ)を背負って生まれてきていない人は、大学教員になんてなる必要ないよ。企業に行けばいいと思う。これからも、罪を償うために自腹を切って研究を進めていきますよ。