はてなキーワード: カリキュラムとは
最近コンピューターサイエンスがプログラマーに必要か否かみたいな話が上がっているが、そもそもコンピューターサイエンスって何だよ。どこまでの範囲をさしてんの?
ググって出てきた情報を整理しただけなので詳しい人、補足・訂正よろしく!
https://www.acm.org/binaries/content/assets/education/cs2013_web_final.pdf
CS2013はACM/IEEE-CSによるカリキュラム標準。
ACM(計算機協会)はコンピュータ分野全般の国際学会、IEEE-CSはIEEE(米国電気電子学会)の中にあるテクニカルソサエティ。
https://www.ipsj.or.jp/12kyoiku/J07/20090407/J07_Report-200902/4/J07-CS_report-20090120.pdf
J07-CSは一般社団法人情報処理学会がCC2001CSをベースにアレンジを加えたカリキュラム標準。今はCS2013を反映したJ17-CSがあるらしいけどその辺は良く分からん。
https://www.ipa.go.jp/files/000024060.pdf
J07ーCSから抜粋。CS2013と比較するとナレッジエリアがあったり無かったり。
ときどき、「体育教師は運動得意だから体育苦手な奴の気持ちがわからない」というのを見かける。
中学の時の走り幅跳びの授業で、自分の実力別に練習のやり方を変えていたんだが、実力が低かった俺のメニューは・・・
「空中に放り出される感覚を養う」
とにかく飛んだだけ。何もわからん。
https://togetter.com/li/1231847
ここに書かれているようなフォームのチェックだとかは一切なかった。
サッカーもちょちょいと蹴る練習パーっとやって試合。柔道は最初からしっかりやってくれたかな。でも柔道はやったことないやつばっかだから当たり前か。
「体育教師は運動得意だから体育苦手な奴の気持ちがわからない」というのは、まったく間違っているというものでもないと思う。
https://twitter.com/koichi_kawakami/status/1511583109116198917
ある研究者の人が、指数関数や微積を義務教育に含めろとおっしゃる。
一般の人間は働き始めたら、「微分?そんなのやったねぇ。」で終わりだ。
「x^nを微分するとnx^(n-1)になる」を覚えている奴が優秀レベルになる。
働き始めたら学校で覚えていたこととは別のことを覚えなくちゃいけない。
何かを忘れて覚えていかないといけないんだ。
微積とお客さんのことを覚えること、大多数の人間にとってどっちが大切だ?
「微積は我々の生活に密着していて~」とかそういう言葉遊びしているんじゃないぞ。
考えてみろ。微積とお客さんのことを覚えること、大多数の人間にとってどっちが大切だ?
言い方悪いけど、ぶっちゃけブラック企業の研修のほうがよっぽど役に立つ。
諸先生方の反応したら、ものの見事に「無駄!!」と断じていたけど。
でも、あそこでぶち込まれるマナーやら仕事術のほうが大多数の人間にとっては大切なんだ。
あんなとこで微積や指数関数が~なんて言ってたら「なに甘ったれてんだゴラ!」ってぶっ飛ばされるだろう。
学問を4年、6年、長くて10年ぐらいかじってきた人間が一般企業で使おうとしても使えない。
それに、今の中学のカリキュラムに微積ぶち込んだら超詰め込み教育になる。
多分だけどこの手の先生は「もっと学問を大切にしろ!」だからさ、ほかの教科も増やせとかいうんじゃないか?
超詰め込みが超超超詰め込みになる。
ぽやーっと理解した中学生が高校行って、中学で増えた分高校では難しいことやって…
今より「あ、俺勉強向いてねぇ」って学問あきらめるやつ増えるんじゃないか?
まさかまさかまさか先生方「微積・指数関数も理解できないのか!」とか言わないだろうな。
一般人には厳しい。
そんなライフプランセミナーのカリキュラムの一つに「定年後の過ごし方」という講習が設けられていることもある。筆者も様々な企業に出かけてライフプランセミナーの講師をやる時に、定年後の働き方や趣味等の見つけ方などについて筆者自身や取材した方々の経験から、心得ておいた方がいいことについて話をする機会も多い。
ところがそういったセミナーに参加している人たち、中でも男性は、ほとんどが定年後の生活に対して自信なさげなのである。夫婦同伴でセミナーに参加するケースも多いのだが、そういう時は決まって女性の方が熱心で、定年退職後の生活プランを積極的に考えているのに対し、男性の方は大概、訪れる定年後というものに対して、今ひとつイメージがつかめていないようなのだ。
さらに言えば、実際に定年した後、活発に活動したり、様々なイベントに参加したりするのは圧倒的に女性が多いそうである。ある全国紙の記者と話していた時に、彼女は「なにかイベントを企画しても来るのは7割が女性。男性はみんな引きこもりがちになってしまうんですよ」と言っていたことを思い出す。一体どうしてそうなるのかが不思議だったのだが先日、ある女性の方々数人と会食をしていた時に出てきた話でその謎が解けた。
一緒に会食した彼女達の年齢はいずれも40~50代、職業は独立したファイナンシャル・プランナーであったり、会社員であったりと様々だったが、いずれの方々にも共通するのは結婚の経験があり、仕事も何度か変わったことがあるということだった。女性の間に混じってお話を聞かせてもらうと、我々男性とは違う発想を垣間見ることができ、とても面白いので、筆者は割とそういう機会が好きだ。
その時、ある1人の女性が言い放った言葉によって、それまでの疑問が氷解した。
それは「男の人って、アウェイになったことがないのよねえ。だからアウェイの立場になると、どうしていいかわからずに混乱してしまうのよ」という言葉であった。その場にいた他の女性もこれには大きくうなずき、さらに「そうそう、特に大企業にずっと勤めていた人ほど、まったくアウェイの経験がないのよね。だから困ったものなの」というコメントも出てきた。確かにそれはそのとおりである。筆者自身、定年まで一つの会社に勤めていた典型的なサラリーマンなので、退職したとたんにアウェイになるという感覚は非常によくわかる。
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なるほどなあ
これはしょうがないよな
どんな感じでした???
https://shannon-lab.co.jp/?p=9737
昨今ではFacebookが開発したJavaScriptフレームワーク「React」が注目を集めています。Facebook、Instagram、Airbnb等の大規模なサービスから、プロトタイプまで幅広い現場で採用されています。
また、GoogleのBaaS(Backend as a Service)「Firebase」が登場し、バックエンドの開発が不要となり、大幅な開発工数の削減が可能となりました。
Reactにフロントエンド、Firebaseをバックエンドとして採用することで、効率的に質の高いWebアプリケーションを開発することが可能になりました。
しかし、ReactやFirebaseは日本語の情報も少なく、学ぶ機会も限られています。本講座では、React、Firebaseの基礎からアプリケーションの開発までマンツーマンで指導を行います。
ReactとFirebaseの基礎を習得し、演習としてSNSの開発を行うことで理解を深めます。
Authentication基礎と会員機能
Firestore基礎とRDBとの違い
Cloud Storage基礎
Cloud Functions基礎
SNS開発演習1
SNS開発演習2
SNS開発演習3
本講座のメリット
開発からデプロイまで、テストツールを使い実際の開発に限りなく近い環境で学ぶことにより、実践で生きるスキルが身につきます。一人でもアプリの開発ができるようにスキルアップしていけます。
受講費 月7万x6ヶ月=42万円+税
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卒業研究も就職予備校も両方やると言う本当の地獄を教えてあげますよ
俺の母校なんだが。
2年制の専門学校なんだけどね。
卒業制作ってカリキュラムがあるんですよ。これは必修になってて、完成しないと卒業出来ない。
そして、はこれ「就職の内々定をもらった会社から、オーダーを貰って作る」というシステムになってる。
ハマると効率いい。俺はハマった方。
卒業制作で作った生産管理システムモドキ。実態は殆ど先生に面倒見て貰って、Accessのテンプレをちょちょっと弄ってお茶を濁したものだった。
そして就職して18年、秘伝のタレのごとく継ぎ足し継ぎ足し、今でもその面倒を見るだけで仕事になってる。
誰も他に分かる奴がいないから好き勝手できて楽しいぞ。クラウド移行を全部趣味全開でやったが誰にも文句を言われない。
でもね。あわないとなかなかの地獄よ?
俺の同級生はデザインコース出身。自社のホームページを作れと言われて、ホームページビルダーを渡され、自分で張り切って写真撮って……いるうちに、何かあったんだろうね。その会社の闇をみちゃったのか、就職したくないと言い始めた。
でも許されないんですよね。
この専門学校の就職は、基本的に学校推薦で決まるから、事態はよっぽどのことが無い限り許されない。先生に軟禁されてゴリゴリに説得される。
国立大学の教員として一個一個長文の返信で説得しようと思ったが、バカ相手に時間がもったいなさすぎてやる気なくしたのでやめる。
大人からサービスを受けることしか知らない子供の知恵で、金払ってるから何をしても許されると考える典型的なクレーマー。
自分から進路を選んどいて「権利」?はぁ?入学時に大学の方針に従う誓約書書かなかったの?誓約した時点で権利なんかないぞ?
大学は「教育と研究の場」であって、「お客様を楽しませるサービス業」じゃねーんだよ。
お前がもし国立大学の学生だとしたら、お前を育てるために多額の税金も投入されて授業料も一部免除されている。
日本は楽して全員が卒業できるのが当たり前の社会だが、卒業は本来は欧米のように努力と競争で勝ち取るものであって
一部の勝ち取った人が企業から評価されていい仕事に就けるというのが本来の姿のはずだ。
やりたくないことを自由にパスできて、「青春を謳歌したい、遊びたい」なんて言ってる大学生なんかどの企業が欲しがるんだよ。
もし大学がそんな制度に変えたら、その大学は一気に偏差値やランクが下がって卒業生は就職もまともにできなくなるぞ。
偏差値の高い大学というなら、それまで積み上げた信用(大学のカリキュラムとか先輩や教員の実績とか)で企業は有利に採用してくれている。
その大学のブランド力を利用して就職するつもりなら、在校生として大学の信用やブランドが維持できるように努力義務を果たせよ。
少なくとも現国、芸術、体育、数学については中学以降のカリキュラムでお前の言ったこと教えてるで。
→非常勤ばかりの可能性が高い。働き方がブラックだと教員の質も授業の質も低い。会社と一緒だ。絶対に確認しろ。
ちなみにそこそこの中堅校でもこれはちょっと危険。時代はITだ。見てわかりやすいものになっているか、デザインは今風かも確認必須。
→新しい取り組みばかりに目が行きがちだが、トレンドを追いかけただけの客寄せパンダの役割をしていることも多かった。その場合はその教育に携わっている先生も付け焼き刃だったりすることが多い。来年あるかどうかわからない取り組みかもしれないので気をつけて。
長年やってきた取り組みに目を向けて決めた方が良い。
→学内予備校や自習室などを入れまくっている学校はそもそも教師の質が低い可能性が高い。学費上乗せで無駄なお金が取られるぞ。そんなんだったら自力で予備校行け。
→プレゼンの仕方を学ぶ場や授業内での発表活動の機会が用意されているかどうかは見た方が良い
あとは大学受験の小論や英検の面接など、筆記以外の試験対策に親身に対応してもらえる場があるかも確認しておくと◯
→どっぷり自称進の可能性あるので危険。ただし教師の質が高い学校なら◯
9実力に見合わなそうな教材や無理な進度でカリキュラムが進んでいないか
→中堅校で中高一貫用教材とか採択しちゃってるとついていけなくなる可能性が高い。検定教科書の学校の方が生徒がイキイキしてたよ。まあ、さいきんはそう言う学校は少ないけど。
→決算報告とか見ておくと良いと思う。経営が危ない学校は突然共学化したり売られたりするからね…
anond:20220805225632 Part1 〜学問の自由とその濫用〜
anond:20220805225835 Part2 〜ポリティカル・コレクトネスという言説戦略〜
anond:20220805230017 Part3 〜Academic Bill of RightsとProfessor Watch List〜
anond:20220805230307 Part4 〜キャンセル・カルチャー批判〜
anond:20220805230534 Part5 〜Ahmedが見立てたキャンセル・カルチャー批判のメカニズム〜
anond:20220805230705 Part6 〜質疑応答〜
https://www.youtube.com/watch?v=FP8rL7KfisI&t=2904s
48:24~53:05
伝統的な大学制度における性差別、人種主義、同性愛嫌悪などに挑戦する改革側を、自由を抑圧する権力者として描き出す
ニューヨーク・タイムズ紙コラム「政治的正しさという覇権の高まり」(1990)
ジョージ・H・W・ブッシュ大統領(当時) ミシガン大学におけるスピーチ(1991 (自分の考えを口に出す自由を脅かす不寛容さとしてのポリティカル・コレクトネス)
報告タイトルにもなってるキャンセル・カルチャーというのは、まさにこの文脈で作り出され拡散されてきた用語です。
これは学問の自由だけに関わるものではなく、幅広く文化活動一般に関して使われていますが、
ただ2010年代、後半ですね特に、から急激に広まってきた「キャンセル・カルチャー批判」についてお話をする前に、
その文脈ていうかその前身とも言える、いわゆる「ポリティカル・コレクトネス」っていうものについて少し確認をしていきましょう。
ポリティカル・コレクトネスという語自体は、
元来共産党が打ち出す公式路線に過剰に忠実な思考や行動を指す、ある左派の間の内輪の自嘲的な用語として使われていたものです。
ところがこれアメリカの文脈ですが、古典学者であるアラン・ブルームによる1987年の『アメリカン・マインドの終焉』、
1990年ニューヨーク・タイムズのコラム「政治的正しさという覇権の高まり」、っていうここら辺を契機として、
各種メディアなどにおいて、ポリティカル・コレクトネスを巡る議論というのが沸き起こる。
1991年5月には、当時のジョージ・H・W・ブッシュ大統領、ブッシュ・シニアがミシガン大学におけるスピーチで、
「ポリティカル・コレクトネスというのは自分の考えを口に出す自由を脅かす不寛容さだ」というふうに言及するに至ると。
現在の日本でポリティカル・コレクトネスというと、
専らポップカルチャーでの表現みたいな、映画とか漫画とかそういうことをイメージされるかもしれませんが、
そもそもポリティカル・コレクトネスについての議論というのは、大学という場をその主要な舞台の一つとしていました。
1980年代アメリカの大学では、女性学・アフリカ研究など新しい学部やプログラムの設立、
それからアファーマティブ・アクションの採用、それから大学におけるセクシャルハラスメントへの対応の開始、
それからコースとかカリキュラムの見直しなどが一気に進んでいくことになります。
これらは全部具体的な制度的変更なんですけれども、それと同時に大学における教育研究というものが暗黙の前提としてきた、
性差別・人種主義・ホモフォビアなどの検討と修正とを迫るものでもありました。
こういう変革への抵抗や反感というものを、単に大学という限られた場所における制度上の闘争という形で提示したら、
それはあんまりアメリカの広い一般大衆の興味を引くことはなかったかもしれない。
けれどもこれをアメリカ的価値の根幹に関わる、思想と言論の自由の危機として提示することで、
伝統的な大学制度の覇権に挑戦する改革側のほうをこそ、逆に自由を抑圧する権力者なのだというふうに描き出すことに成功します。
「この国土において不寛容さが増大していること、論争を解決するのに理性ではなく威嚇を用いる傾向が強まっていることに、私たちはみな警戒心をもつべきだ」。
実際に当時、先ほど申し上げたブッシュ・シニアのミシガン大学演説ではこういう言い方がされている。
「この国土において不寛容さが増大していること、論争を解決するのに理性ではなく威嚇を用いる傾向が強まっていることに、
1980年代から続く共和党政権なんですが、ブッシュ・シニア共和党政権は、
例えば女性の性と再生産に関わる健康と権利の獲得に向けた運動というのを、はっきり言って足踏みさせた政権です。
またHIV/AIDSの流行に対して同性愛嫌悪に満ちた対応で、LGBTコミュニティに深刻な打撃を与えてきた政権でもある。
人種主義に関して言えば、国内の人種差別問題というのも当然温存されていて、
このミシガン大学演説の翌年92年には、ロサンゼルスでの人種暴動というものが起きてる。
にもかかわらずこの演説では、政府共和党によるそういう長年に関わる差別や抑圧が一切問題にされないんですね。
この演説が暴力的な抑圧者だとして名指すのは、そういう差別とか抑圧を指摘して批判してきた側のその差別に対する不寛容、
その差別に対する不寛容が暴力だと抑圧だというふうに名指していく。
ポリティカル・コレクトネスという言説戦略
大学という特定の組織における性差別、人種主義、同性愛嫌悪などに対抗することを目的とした取り組みを、思想・言論への検閲であるかのように見せる
つまり右派が持ち出した「ポリティカル・コレクトネス」というのは、
大学という特定の組織におけるセクシズムやレイシズム、ホモフォビアなどに、対抗することを目的とした取り組みというのを、
逆にあたかもマッカーシー旋風の再来を思わせるかのような、思想・言論への検閲であるかのように見せる、
この枠組みは既存の体制に内在する差別や抑圧から人々の目をそらす、
むしろ多数派こそが「ポリティカル・コレクトネス」なる強権的な弾圧というものから、
思想・言論の自由を守って闘う被抑圧者なのだというふうに主張することに成功したわけなんですね。
anond:20220805230017 Part3 〜Academic Bill of RightsとProfessor Watch List〜