以前までは、理性と感情は対立する概念だと思っていた(感情は理性で押さえつけられるものだと思っていた)が、今のSNSを見てると、そうではないんだなと思う。
具体例を挙げることは本意では無い(一般的事象として捉えたい)ので避けるが、理性は今や、感情を助長させる道具のひとつでしかないと感じることがしばしば。
例えば、自分の感情を道徳的命題として正当化したり、もしくは、法律など別な問題から搦め手で攻めていったり。
つまり、感情が結論として在り、それをいかにして社会的合理性を持つ言説として成立させることができるか、が人々に求められているように感じる。
なんというか、結論に合わせて理屈を作るとは、非常にお役所仕事的な発想だとも思うが、そういう人間が、今のSNSでは支持を取れるのだと思う。
そして、次の段階は、そういう手段として学問を学ばせようとする学科が登場することだろう。
それが、心理学科なのか、社会学科なのか、コミュニケーション学科なのかは知らないが、
他人の感情を社会的に合理化させる言説を理論的に構成する手段を、カリキュラムとして学ばせる学科が、そろそろ登場してもおかしくないと思う。