はてなキーワード: エールとは
一念発起して、社会人数年やってから海外に留学した。とても楽しく、お金はなかったけど充実した日々で、日本の仕事での成長を感じない鬱屈した日々ではなくて、本当に勉強に打ち込めて、日本でやっていた仕事や勉強とは別にとても成長を実感した気がしていた。少なくとも人生で抱えていた課題の幾つか、またカタルシスはそこで解消できたと思う。
………
そこは自分がいた日本の大学の同期、後輩との飲み会だった。皆でいろいろ仕事のこと、学生時代の事を話して、今何をしているのかという事も話をした。
僕は留学を糧に仕事も変えて、非常に充実した日々だったのでそれを話したつもりだった。
でも返ってきた反応は単なる鼻持ちならない、海外自慢の人間になっちゃったねという反応だった。
なんだかとても悲しくなってしまった。
少なくとも勉学などに努力している人に対してポジティブにエールを送ることが常識とされている社会から帰ってきて、本当に真水を浴びせられた感覚だったんだ。
テレビをつければくだらない人達がいかに自分がバカなことをしたかの自慢話をしている。
そして周りもそんな馬鹿なことをしたの?と目を輝かせて褒めちぎっている。
彼女はそんな事は当たり前だと言った。そして二度と人前で僕に海外の学校の留学話などしないほうがいいと言った。それはこの日本ではやっかみの対象になるし、イヤミに取る人がほとんどであると。
悲しかったが、すこしばかりの明るい話と教訓もあった。
同じ留学先の友人だった別の日本人の友達にこの話をすると、それは周りがおかしいという。
そこで気がついた。
僕は転職をしたといった。それはなぜか。
そう。僕は日本での就職に学歴が低い事もあってうまくいっていなかったのだ。つまり周りのかつての友人達はその事を知り、且つ彼らもそういった人達だったのだ。
留学先の友達は日本でもいいところを出て企業派遣であった。企業派遣での留学ができるのはかなりのエリートでないと難しい。
だから彼の周りではそんな事でやっかむレベルの人間はいなかったのだ。
BOTとスパムは勘弁だが、時々でもコメント残してくれりゃそれでいい。
はてなプロフィールとTwitter連携、同じハンドルネームがないか検索する。
そんでもってその人の更新がなさそうなサイトでも定期チェックするし、
Twitterなら非公開リストに入れて堪能してる。はてブしかやってなかったらRSS。
以前フォローしまくった時期あったけど、こっちが何もしてないのに
中身が野郎なら、別に嫌いでも否定もしないが監視対象から外す。
ムズムズして困るのは決定打となる性別ツイートしない奴。あれは許されない。
アニメアイコンだけあって守備範囲が偏らない人は確定するのに時間消費するから。
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レイキャヴィク・ホエール・ウォッチング・マサカーってホラー映画なのな。
インタビュー読んだ。
裕木さん「「腐女子の設定で」とは言われていないですけども、外見を気にしないような、黒ぶちのメガネをして、面倒くさいから髪を短くするような。でも、頭はよくて勉強するのは好きで。私の裏設定では格闘技マニアです。
それで、彼女はジムに通っているわけです。テコンドーとか。それで、誰かを倒したくてしょうがないという(笑) 多分、「2ちゃんねる」とかで毒を吐いているような。だから、自分のボスの前でも「この仕事つまんないんですよ」とか、本人に向かって言ってしまうような、毒を隠さない人なんです。」
芝居がすきなんだなー。興味が湧いた。
これといって何をしたわけでもないのに女から集中的に嫌われてバッシングで消えたのが不思議だった
当時は幼かったしポケベルが鳴らなくても見てなかったし
しかしさっきポケベルが鳴らなくての粗筋と顔写真を見て納得いった
おっさんが29歳年下の娘の親友と不倫をして家庭を崩壊させるドラマだが、あまりに不倫女と裕木奈江の雰囲気がはまりすぎていたのではなかろうか
当時はおっさんがなえちゃんはいい!と褒め称えるCMがあった記憶があるし、おっさんの夢の愛人ポジションで売りすぎた
頭が弱そうなぶりっこで媚て薄幸と弱さと若さを武器に夫を奪う略奪女という不快な雰囲気が強い上にさほど美人ではなく大根だ
あーだから嫌われたのかと
今はハリウッド女優をやって、代表作はレイキャビックホエールウオッチングマサカーと言う捕鯨一家とホエールウオッチングをしてる人達が壮絶に殺しあう映画で、ブラジル人が演じる日本人夫婦のメイド役として狡く立ち回り他のキャラを騙し殺し生き延びて奥さまになりすまし逃げ延びる役らしい
何だか納得いった
うっわキッモ・・・としか思えず、ブコメみたいにポジティブにエール送れるのが信じられないような人間性だから彼女できたことないんだろうな俺って
ドーモ、信者です。
最終回、とても良かったと思いました。
これまでの総括として、また、これからのはじめの第一歩として非常に良い物を見させてもらったなと。
そうです。このアニメははじめの第一歩なのです。最終話を経て、我々プロデューサーはバトンを託されました。
シンデレラガールズはこれからも続いていく、広がっていく、進んでいく。そのプロデュースは私達がするのだと。
そう言われた気がして、最終話によくある喪失感・寂寥感ではなく、多幸感と高揚感に包まれ最終話を見届けました。
さて、全話数を語ろうとすると時間もスペースも尽きないので、25話にのみ限って簡単に語らせていただきたいと思います。
25話で描かれた、シンデレラの舞踏会、これはただのライブではありませんでした。
しかし、この混沌としたイベント形式にこそシンデレラガールズらしさを感じました。
フェス形式のイベントではすべてのステージを見ることは出来ません。それはつまり見ていないところでも何かが起こっているということでもあります。
モバマスにおいて、すべてのアイドルをプロデュースすることは時間的にも財力的にも不可能です。だから大抵は担当を決めてその子を集中的にプロデュースしていく。
では、担当ではない子は?それは見えていないだけであって、どこかの誰かの前で何かとっても魅力的なことをやっているのです。
そうこうしてると、舞台裏で美城常務と武内Pの最後のポエムバトルが始まりました。
何を第一義とするかで根本から異なる二人は終ぞ平行線のままでした。しかし、アイドルはその平行線すら越えて行くと答えます。
この言葉に、アイマスというコンテンツがどうしてこんなにも強いのか、その一端を垣間見た気がします。
美城常務と武内P、どちらのプロデュースが正しいのか、このアニメはその決着を付けませんでした。どちらも正しいのです。
そして、二人は和解まではしなかった。和解なんて必要ないのです。ただ必要なのはアイドルたちは凄いのだというコンセンサスのみ。
なんとも力強い宣言ではないでしょうか。
ライブシーンです。
遂にきました「生!ハム!メロン!」そして、3話を踏襲した演出でありつつも、その時は見えていなかった観客の表情がしっかりと見えている。
これだけでもう十分です。泣きます。
フル尺のダンス?デレステで見れる。そんなことよりも、袖から見守る美嘉や、ステージを終えて「いい笑顔です」と言われたときの3人の表情のほうがずっと大切なんです。
作画開放的な意味では後半のほうが注目されてるのでしょうか。実際ものすごいカロリーかけてましたし。
さておき、新曲タイトルに@がついてるということだけで、もう感慨深い。また歌詞の中でシンデレラというワードが出てきました。
これは、最初のテーマ曲であるお願いシンデレラ以来。どういう意味が込められてるかはおいおい考察していきたいところです。
カーテンに映るシルエットから始まるステージ演出は劇マスのM@STERPIECE、後半ダンスをせずに並んで歌ってるのはアニマス最終話の私たちはずっと…でしょうのオマージュでしょうか。
(そういう意味では円盤の修正でも体の揺れだとか細かい動きが加わってるくらいでガッツリ動いてるとか無いんじゃないかと思います。)
ライブシーンの合間合間にステージセットや照明器具、客やスタッフなどを描くのはアイマスの特徴じゃないでしょうか。
こういう描写によって、ステージの実在感(夢や幻想の類ではないのだということ)を表現してるんじゃないかと思ってたりします。
それと、指先の動きに本当に力を入れてます。「自分励ますエールに変わる」のとこの智絵里の指先の動きとか、ゾクゾクするくらい良い。
そして、エピローグ。CPには2期生が入ってきて、ということは1期生は解散したということでしょうか。メンバーはプロジェクトの枠にとらわれずそれぞれの活躍をしているようです。
コレです。コレが見たかった。
平行線を越えていくアイドルの可能性、それを追求していくうえでプロジェクトの枠組みにこだわることは小さすぎる。ならば、解散しつつもCPの活動で得たものを胸に進んでいくというこの美しさ。
765プロという枠組みは壊せなかったがためにアニマスでは描けなかった、ミリオンでもSideMでも描けない、346プロというもうひとつ大きな枠組があるシンデレラのみが描きえたエンディングです。
先輩から受け継いだ衣装で歌うのはお願いシンデレラ、すなわちシンデレラガールズとして最初に出たテーマ曲です。
自分たちをシンデレラガールズと呼び、この曲を歌うことで、1話に再帰するとともに、その先にも遥かに続く大きな流れを想起させます。
こうして、アニメシンデレラガールズは終わりましたが、シンデレラガールズというコンテンツは歩みを止めません。
なかなか品ぞろえがよく、ちょいと高めの燻製缶詰とエールビールをチョイスする。
レジには今どきの子らしく色白ながらも黒髪で素朴な印象の女子高生。
目鼻立ちのはっきりした方ではないが、その年齢特有ともいえる透明感が目を惹きつける。
「いらっしゃいませ、ポイントカードはお持ちですか」
業務上の会話の中にも初々しさが垣間見えて、自分の在りし日を回想する。
女子高生に囲まれて過ごす、人生たった一度きりの黄金時代に、俺は。
「634円です」
ぎこちなさの中にも精一杯の笑顔を作ってみせる彼女は、すこし少年らしさも感じさせた。
発展途上の人間にとってこの息苦しい世界はどう映っているのか。
完全に門外漢の意見だが、同人は仕事じゃなく趣味ベースであることに最大の意義があると思って見ている。
だから、若者が慣れ慣れしいノリでテキトー&カジュアルに絡んでくるケースがあり得る――
それくらいまでに同人文化が進展していることを少しでも「よきかな」と思うなら、雑な頼み方をしてくる人間の存在もある程度看過してやることが必要だと思う。
その上で、ゲンナリすると自分が感じるなら即断ればいいだけのことだ。
未熟な者に合わせて柔軟な対応をする気概がなくなってきたなら、自分はハードルを上げ新参を阻む老害化しているのかもという視点も必要だろう。
もしそう自覚できてしまったなら、ヘタにストレスのたまることを敢行するより、分別のついた人で固めた内輪だけで活動する宣言をしておいた方が良い。
ただのアンソロ依頼方法の話でここまで推測して広げるのは大仰かもしれないが、これはオタク像の変遷に関連していると思う。
いわゆる古き良きネクラな「オタク」は、それらしい神経質さや慎重さも備えている。
けれど今のアニメマンガに熱中する若者は、どちらかというとヤンキーに近い気質をもっている。
それは時代のカウンターとして「オタク」的ダサさを克服しようとした結果にも思える。
意外にオシャレであったり、良くも悪くも照れがなく、考えるよりまずやってみる、深く読むよりまず形から、という所がある。
彼女らとて自分らの未熟さに開き直っているわけではなく、大抵叱れば素直に反省して聞いてくれる。
その過程に巻き込まれたとき、ただ嫌悪感を募らすのではなく、好意的に導いてやることも先輩として一興ではないかと思う。
「かつて自分は鬱病でした…」なんてことをブログなどで書く奴は信用ならない。
なんというか、「昔はヤンチャしてたもんだけど、今はちゃんとカタギでいっぱしの社会人やってますわw」みたいな武勇伝を語る自称元ヤンキーを見たような気分になる。
そのような精神疾患と関わりのなかった人間にそんなことを話したら普通は引かれるだろう。
実際引かれたし、友達もいなくなった。
過去にうつ状態だったことを明かしながら面接に望んだ会社はことごとく落ちたし、面接前の会社説明会と同時に行われる適性検査で鬱病歴やその傾向があるかどうかを問いたいであろう質問にYesと答えたら、もうその時点で落とされた。
十数社受けて三社から内定をもらったときのことだ。(その三社には精神疾患のことは一切伝えてないし、適性検査でも嘘をついて鬱の傾向がないようにも繕った)(まぁ結局その時受かって働いた会社も一ヶ月で辞めて、それからずっと引きこもってるが…)
採用方針なんて会社ごとに違うから何とも言えないかもしれないが、自分の精神疾患歴と採用については何かしら関係はあるはずだ。
というか、わざわざ聞いてくる時点で、それが採用に影響を与えるのは明白である。
鬱病だった、または現在進行形でそうであることを親しい人以外に公開するメリットはあまりない。
それをそうでもない人間に公開してしまった自分はただのバカだっただけなのか。
「鬱病だったけど今は元気になった。同じ痛みがわかる人間として手を差し伸べたり力になってあげたい」と考えて公開している人もいるだろうが、それは果たしてそんなに多いのだろうか。
ブログなどでそのことを公開する場合、それはその人の自己顕示欲を満たしたいがための自分語りの一部で、自分語りをストーリーとしてメリハリを出すための悲劇性を増すための道具として、そしてその壁を乗り越えることが出来ました!という少年漫画的なオチへ持ってこさせるための布石でしかないような書き方が多いように見える。鬱病だったという経歴はセルフブランディングの道具でしかない。今はこんなにブログ書いて精力的に活動して意識高い感じだけど、ちゃんと弱者の痛みも分かってますよ、というポーズをとるためのものでしかない。
鬱病歴を公開した場所(ブログやツイッター)が現実を繋がっていない、垢バレというやつをしていないのであれば、自分語りなんてどうとでも書けるし、書いたところでほぼノーリスクなので、武勇伝なり何なりは多いほうが人目につくだろうからメリットはあるのかもしれない。そんな武勇伝を披露する人も、それに惹きつけられる人間にも正直関わりたくはないけど。
鬱病でずっと引きこもり続けてる人たちはそもそもそんな自分語りを書くほどのエネルギーがないため、鬱病から回復した人の経験談の方が多く出てくるのは必然的だ。
現在進行形で鬱病ですとか言ってる人も見かけるが、何故それを公開するのか分からない。そうすると同情した人たちがこぞって慰めてくれるのか。ブログのPVがあがったり、ツイッターのフォロワーが増えてツイートがよりふぁぼられたりするのだろうか。
自分が生きてる意味はあるのか、誰かと繋がることでそれを自分自身に証明したいという気持ちはまぁ分からなくはないが、自分は症状がひどかった時はネットなんて一切やらなかった。やる気力もなかったし、誰とも繋がりたくなかった。
それを公開したところで誰かが声をかけてくれるとも思わなかったし、声をかけてくれても「うるせえ」ぐらいにしか思わなかったろう。誰に何を言われようと、それが普通の人からは優しい言葉であったとしても、自分にとってはプレッシャーをかけるような、場合によっては悪意のこもったような言葉にしか聞こえないから。自分宛てであろうとなかろうと、全ての言葉が切っ先が自分に向けられているナイフのようにしか見えなかった。
何にしても鬱病がセルフブランディングのための、ブログのPVを上げるための書かれ方をされる方が多い気がしてならない。
自分からしたら、そんなことを大っぴらにひけらかしても何も良いことないように思えて仕方ない。どうなんだ。実際ブログのPV上がったりフォロワー増えたりするのか?
何にしても、とりあえず、そういうことを公開してる人たちは鬱病で苦しんでいる人たちにエールを送っているのだと思うことにしよう。
そしてその上でその人達に聞きたい。
鬱病から回復して再び就職した時、鬱病だったことを公開しているのか?しているならどういう場で(面接の場でなのか、何も言わず就職してある程度仕事にも慣れてきたところで世間話の一つとしてなのかetc)、どうやって伝えたのか?
生きている以上はお金が必要になるので、働かなければならない。回復しても鬱病歴がある(とバレている)人間が働けないなら、それは大きな不安要素だ。
起業やフリーランスとして生きるという方法もあるだろうが、それはそれでリスキーだし、それで食っていけるのかということが新たな不安要素となる。
何にしても、治ったところで働けません、では結局お先真っ暗だ。余計辛くなる。
あなたが鬱病から回復して社会の中に溶け込めていているのなら、それは凄いことだ。褒め称えよう。ブログの読者登録とかフォローとか喜んでしよう。
元記事 http://www.sankei.com/politics/news/150725/plt1507250002-n1.html
要するに知覧の町おこしじゃなかった特攻隊関連資料の世界記憶遺産登録を目指す動きの中で出てきた話だと思うよ、たぶん。はてサの俺が言うんだ、間違いない。
上の記事読めば以下の引用切り貼りクソ文は読まなくて済むよたぶん リンク踏むの面倒な人むけに俺の論旨に沿うよう二つの記事を恣意的に抜粋しつつ書くよ
特攻隊員の遺書や手紙だけでなく、交流のあった女子学生や子どもたちなどの住民による記録も合わせ、『「知覧に残された戦争の記憶」1945年沖縄戦に関する特攻関係資料群』として総力戦の恐ろしさを後世に伝えるものだと、その主旨を説明した。
私たちの目的は、特攻を賛美、美化すること、正当化することではございません。
悲惨な戦争の記憶を後世に伝え、二度と戦争を繰り返さないために申請するものでございます。
(霜出勘平・南九州市長)
プロジェクトアドバイザー、M・G・シェフタル静岡大学教授、もうちょい具体的に語る
今回の申請の中核的な概念に、総力戦の問題があります。(中略)第二次大戦のあらゆる悲惨なもの、火に包まれた都市、陥落した街に兵士に入っての破壊行為、強制収容所、原爆…本当に狂気であり、残虐です。これらは人類全体の失敗を意味すると思います。狂気が私達全体を覆ってしまった時期です(中略)また、それが国家のプロパガンダによって推進され、人々が相互に憎悪しあい、愛国的なレトリックの虜になってしまいました。知覧の資料はそうしたことを示すタイムカプセルだと思います。
総力戦の惨禍の諸相を記録したものの一つとして特攻隊員らの手記などを捉える、それは世界が記憶にとどめるべき遺産たりうる、というところですかね、アウシュビッツと知覧の差異ではなく共通項にこそフォーカスし連携しようという発想もここから出てくるわけですたぶん。個人的にはその志には賛同するものであります。それが実をともなったものになるかどうかはまだ分かりませんが、昔見た知覧特攻平和記念館の展示に特攻作戦の立案者指揮者どものケツを蹴り上げる内容なんて無かった記憶しかないので個人的にはいまいち期待薄ですがまあうっすら期待はしなくはないです
なお、オシフィエンチム市とのやりとりがすんで9/21(国際平和デー)に先方の市長を招いて友好交流協定を締結するという段になってからの地元の反応
「特攻の母」と呼ばれた故・鳥浜トメさんの孫、明久氏は「戦争の“狂気”といえば共通する面もあるが、アウシュビッツと全く違う。知覧は知覧で良いと思う」と話した。
http://www.sankei.com/politics/news/150725/plt1507250002-n2.html
党県連関係者は「地方自治体の取り組みに干渉はしないが、アウシュビッツと異なり、知覧は決して『忌まわしい過去』ではない。(以下略
いや、そもそもプロジェクトアドバイザーに「人類の暗い過去」呼ばわりされてるんですが、それは
これは人類の暗い歴史を賛美するもではなく、そこに光を当て、決して戻ってはならない、とするプロジェクトです。特攻を決して繰り返してはならない、そのためにこの資料が必要なのです。
ちなみに以前の会見での「お前んとこのリヴィジョニストどもは元気してるよなあ?」と言わんばかりのツッコミには
ー私は平和会館を10年ほど前に訪れました。先ほどのご説明では、このような戦争は二度と起こしてはならないとおっしゃいましたが、では、誰がその責任を持っていたのか、ということも言うべきだと思います。平和会館の中ではそれには全く触れられていません。(中略)そういうことについては議論されているのでしょうか。(ドイツの記者)
桑代参事:南九州市は、遺族から寄贈された資料を保存している、いち地方自治体です。そのため、戦争責任については答える立場にないというところです。
シェフタル教授:(前略)取り組むのには時間がかかると思います。このプロジェクトが推進力となって、平和会館を世界各国からより多くの方に訪れていただくためにも、個人的には戦争責任について扱うべきだという、その考えには賛同します。
ー中国が慰安婦関連の資料や南京事件の関係の資料を登録しようとしています。それについてみなさんのご意見はどうでしょうか。(ロイター)
シェフタル教授:私の個人的な意見ですが、歴史家としては、どこの国が努力すべきとかではなく、人類の不幸な時代の歴史についての資料でキチンと検証されたものであるかぎりは、どのようなものであれ登録すべきだと思います
霜出市長:これは大きな問題でありまして、いち地方都市の首長が言及すべきものではないと思います。お許しを頂きたいと思います。
この時点で自治体さんサイドは右巻きの連中のケツ舐めてる認定を下す事に吝かではない(はてサ的には)のですが、大丈夫でしょうかと不安になるところですが、
ー(前略)おっしゃったような精神をこれからどうやったら維持できると考えますか。違う見方を持った、歴史修正主義的な圧力があったとしたらどうしますか。(スイスの記者)
霜出市長:そういう懸念もあろうかと思いますが、これは我々の平和会館としての方針でやっておることでございますので、いろんな方々から圧力があっても断固として我々は、これまで縷々お話したような主旨に基づいて頑張っていきたいと思っております。
おう、頑張れよとささやかなエールを送らせていただく次第であります。
単に「南九州」て言うと熊本宮崎鹿児島の三県だよ、でも何か鹿児島で「南九州最大の」みたいな謳い文句だと「九州最大規模(福岡除く)」みたいなイメージが個人的にあるだよ、ちなみに鹿児島の地元紙は南日本新聞だよ、福岡あたりが西日本名乗るのと同じようなもんだよ!「南九州市」って大雑把過ぎね?って言われても、北九州市だってじゅうぶんおおざっぱだしそもそも川辺郡の川辺市知覧町と指宿寄りの頴娃町の合併で生まれたクソ地名の一つに過ぎないんであまり気にしないでね!加世田あたりが先に「南さつま市」名乗っちゃったから大きく出ないとね、仕方が無いね。ちなみに南さつま市にも万世っていう「最後の特攻基地」があったけどまああんま有名じゃないよね、いまでも航空自衛隊基地ある鹿屋なんかも特攻基地だったんだけどね、知覧だけが群を抜いてメジャーだよね、ていう話は「「知覧」の誕生」に詳しいからみんな読んでね!っていうか知覧と言えばお茶ですよ鹿児島県って静岡に次ぐ茶生産県なんだけどみんな知ってた?溝辺空港から鹿児島市内に向かう高速バスからも霜防止のでかい扇風機が立ち並ぶ茶畑が見えるよ、あと知覧は全国津々浦々にある小京都ズの一員でもあるよ、まあ知覧で一番のおすすめは薩摩英国館だね、トライフル食おうぜ
ちょっと前にチェコ好きが「ヤり捨てられても気にしないで寝て忘れちゃえよ」って書いてて、めめ周辺がこれはひどいヤり捨てと言えばめめがはてなの常識なのにいまごろ叩くとは!って話題になってたじゃん?
あのときはチェコさんそんな話題知らないんじゃないの、こじつけんなよと思ってたけど、今日岡田育のid見つけてふと遡ったらチェコさん岡田育の男体本レビュー2月に書いててブクマされてた。
騒ぎの真っ最中に支持表明してたんだな。知らんかった。あの流れ知ってて、久谷女子で先頭切っておちゅーんに媚びてめめをネタにしてた岡田育本の宣伝してたのか。本のタイトルリンク増やしてたんだろうか。
あの頃から岡田育悪くないスタンスで「ヤり捨て気にすんな」は満を持して書いたのかと思うと引いた。岡田育の本は生きづらい男の子におすすめなんだとさ。おちゅーんと村長は読んだんだろうね。
といっても重病なわけではないのだが、いわゆるメニエールというものらしい。
夜に突然左耳に風切音のような耳鳴りが始まり、翌朝になっても治らないので病院に行ってみたら検査の結果そのように診断された。
耳鳴りによって低音の聴力が半分ほど失われ、三半規管の不調によって奪われた平衡感覚によってめまいとは行かないまでも地に足のつく実感を無くしていた。
ひどい人になると立ち上がれないほどのめまいに襲われるらしいが、それに比べれば症状は軽い方なのだろう。
振り返るとここ2ヶ月位まともに家にも帰れず、家に帰っても育児に追われる毎日でゆっくり休んだという記憶はなかった。
これが20代の頃なら何とかなったのかもしれないが、いまや40を数える肉体には少々過酷だったようだ。
そんな中、身の回りにメニエールを経験していた人が多かったためか思った以上にまわりの反応が優しかった。
何故かこの時、多少症状を大げさに話ながらもなんとなくその優しさに甘えたい気持ちになってしまった。
いつもなら「大したことないです。」と答えてしまうのを今日はやめ、「そうなんです。はじめてのことだから不安で。」と、相手の心配を受け入れてみることにしてみたのだ。
こうして人に甘えてみたのはどれくらいぶりだろうか。
会社ではそれなりのポジションにはなった。それでいて多忙だったのは今回が特殊な案件だったということと、なんとなくどこまで無理できるのかを確かめたいというのもあった。
家庭に帰れば2児の親であり、甘えさせることはできても甘えることは難しい。家で子どもたちにだらけた姿を見せられるでもなく、なんとなく気持ちが落ち着かない日々を過ごしていた。
会社にも大げさに病状を話し思い切って2日間も会社を休むことにした。
なにせパートナーがメニエール経験者ということもあり、家でゆっくりすることをすんなりと許してくれたのだ。
気分転換を兼ねて幼稚園の送り迎えには参加しつつ、出来る限り家では横になっていた。
それでも文句を言われることなく、むしろ気を使ってくれることへのちょっとした罪悪感を楽しんでいた。
発症から2日目。耳鳴りもずいぶんと和らいだのだが、症状はまだ相変わらずだと説明した。
なんとなく甘えさせてくれるかどうかを試してみた気持ちになったのだ。
そんなわたしの気持ちを推し量ったのか、蒲団に横になり続けることは優しい言葉とともにあっけなく許可されたのだった。
それどころか晩のご飯には精のつくような料理までしっかりと用意してくれていた。
その頃、少しずつ罪悪感と甘えたい欲求のバランスが崩れ始めてきたのだ。
わたしはいつも何と戦っていたのだろう。
つらいことをつらいと言えず、だれに何のために強がっていたのだろう。
そんな疑問がふと浮かんできたのだ。
この年になっても自分が泣くきっかけというものがよくわからない。
ただ、この時は幾重にも蓋をしていた感情が溢れかえるようにして目からこぼれ落ちていくのがわかった。
その中にはとてつもない情けなさもあった。
もっと辛い思いを抱えたまま毎日を過ごしている人だっていくらでもいるのだ。
それがこんなことぐらいで何をいちいち感情を乱しているのだ。
診察を受けたところ症状はなくなったとの説明を受けた。
ステロイドを処方しているので、それが切れてから再発しなければ治ったと思っていいらしい。
医者からも薬局からも必ず飲み切るようにとの念を押されたことから考えるに、状況によっては重い症状になり得る病気なのだということを物語っているようにも思えた。
多分、これくらいで済んだのなら運が良かったのだろう。
人は思ったよりも優しいのかもしれない。
多少人に煙たがられても、もう少しだけ肩の力を抜いて生きていこうと思った。
ごめん、トラバ先間違えた。
で、ビッチババアブスを羅列するのはブサイクって言ってるのに増田がブスっていうのは良いんだね。ブサイク男としての自己紹介なのか、ババアビッチブスが刺さって反射的にトラバしてきたババアビッチブスの方かと思ったけど、どちらも違ったのかな?
主張については言及してない、と言われても、文脈で意味の変わる言葉について言及されたから、用途を答えただけだよ。
オタクでもないし(増田をやってるのがオタクと言われたらそうだけど、それを言うなら増田もだよね)言われなくても人生頑張ってるし、頭が悪いかどうかは判断する人の頭の出来もあるから私からはなんとも。
流通とかはわからないのでもしかしたらもう手に入らないやつもあるかもしれないけど。
メジャーなやつというよりも、一度飲んでビール観を広げてほしいというやつを紹介する。
BrewDog Tactical Nuclear Penguin
パンクIPAで日本でも有名なブリュードッグが出す32%のビール。
もともと株主優待用なので出荷数が少ない。去年は日本に来なかった。
一昨年は一本8000円ちょいだったと思う。
キワモノ系かと思いきや深みがあるというか、濃くておいしい。
酔いつぶれたけど。
これもキワモノ系。
俺が飲んだのはブードゥー チョコレートラズベリープレッツェルってやつだけど、
ほんとにチョコレートとラズベリーとプレッツェルの風味がするんだよな。
21th amendment / Hell or High Watermelon
これもキワモノ系かな。でもすいかの味が水っぽくなく濃すぎずちゃんとビールの中に収まってる感じですごいおいしかった。
でも好みは分かれると思う。濃いめのビール。
同社のアールグレイを使ったGunnamatta IPAもお勧め。
Fine Ales / Finebank
度数も低く軽めの味わいながら、スモーキーさが微かに感じられて不思議な爽やかさがある。
赤ワインに使われるカベルネ・ソーヴィニヨンを使ったビール。
関東だと手に入りにくいかも。
同じラインで甲府のアウトサイダーブリューイングで作ってるベリーAを使ったビールもおいしいかも。
ココナッツの味がすごい。柔らかくてまろやかでべたつかない甘さ。
瓶ではしばらくでないと思う。佐倉に行けばわりと飲めるのかな?
たぶん最終工程でゆず入れてるっぽくて、ココナッツとは逆にゆずの酸味と爽やかさがスタウトのコクにとてもよくマッチしてると思う。
この手のビールはとかくベタ甘になりがちななか、しつこくないから何杯も飲める。
そのほか定番の味わいで飲んでみてほしいやつ順不同
ラグニタス リトルサンピンサンピン
イネディット
の、ドイツ語はよくわからないのでいいとして、フランス語はおかしかった。
要するに、北海道を「北」と「海」と「道」にわけて単語を当ててもフランス語の響きにならない。冠詞がないとフランス語にならない。「のーるめーるりゅ」じゃなくて「りゅどらめーるでゅのーる」でないと(ドイツ語として意味が通ってるのかどうかは知らない。英語は冠詞について適当な言語なので、ノース オーシャン ロード、でふつうに英語の響きになっている)。あと、「Rue」はどっちかというと街の小路とかの意味で、北海道の道にあてるならアベニューかルートかなぁ。でも、そういうのをきちんとやろうとすると、2ちゃん的な面白みなくなるなぁ。
ということを思いつつやってみた。ちょっと適当なのもあるけど。
県 | まちがい | ただしい(多分) |
---|---|---|
北海道 | ノル・マリン・リュ Nord Marine Rue (北の海の道) | アベニュー・ド・ラ・メール・デュ・ノール Avenue de la Mer du Nord |
青森 | ブル・フォレ Bleu Foret (青い森) | ラ・フォレ・ブルー la Foret Blue |
秋田 | オトムナル・シャン・ドゥ・リ Automnal Champ de Riz (秋の田) | リジエール・ア・ロトン Rizière a l'Automne |
岩手 | ロシュー・マン Rocheux Main (岩でできた手) | マン・ロシュー Main Rocheux |
宮城 | パラタン・シャトー Palatin Chateau (宮殿の城) | パレ・ロワイヤル Palais Royal |
山形 | モンタニャール・フォルム Montagnard Forme (山間の形) | フォルム・ド・ラ・モンターニュ Forme de la Montagne |
福島 | ジョワイユーズ・イル Joyeuse Ile (幸福の島) | イル・ド・ラ・ボヌール Île de la Bonheur |
新潟 | ヌーヴェル・ラギューヌ Nouvelle Lagune (新しい潟) | (たぶんあってる) |
石川 | ピエルーズ・リヴィエール Pierreuse Riviere (石の多い川) | カイヨー・ド・ラ・リヴィエール Caillou de la Riviere |
富山 | リッシュ・モンターニュ Riche Montagne (富んだ山) | ラ・フォルチュン・ド・ラ・モンターニュ la Fortune de la Montagne |
福井 | ジョワイユー・ピュイ Joyeux Puits (幸福の井戸) | ル・ピュイ・ド・ボヌール le Puits de Bonheur |
山梨 | モンタニャールド・ポワール Montagnarde Poire (山間の梨) | ポワール・ド・ラ・モンターニュ Poire de la Montagne |
長野 | ロン・シャン Long Champ (長い野) | (たぶんあってる) |
岐阜 | フルシュ・オ・コトー Fourche au Coteau (丘にある分かれ道) | (よくわからない) |
栃木 | マロニエ Marronnier (トチノキ) | (たぶんあってる) |
群馬 | トゥルポー・ドゥ・シュボー Troupeau de Chevaux (馬の群れ) | (たぶんあってる) |
茨城 | シャトー・デピーヌ Chateau d’Epine (茨の城) | (たぶんあってる) |
埼玉 | プロモントワール・デュ・ロワ Promontoire du Roi (王の岬) | (なぜ王) |
東京 | エスト・キャピタル Est Capitale (東の首都) | キャピタル・ド・レスト Capitale de l'Est |
神奈川 | ディヴィーヌ・ポム・ドゥ・リヴィエール Divine Pomme de Riviere (川の聖なる林檎) | (よくわからない) |
千葉 | ミル・フォイユ Mille Feuille (ミルフィーユ…じゃなかった、千の葉) | (たぶんあってる) |
静岡 | カルム・コリーヌ Calme Colline (静かな丘) | コリーヌ・トランキル Colline Tranquille |
愛知 | フィロゾフィ Philosophie (哲学) | ラムール・ダンテリジョンス l'Amour d'Intelligence |
三重 | トリプル Triple (三重の) | (たぶんあってる) |
兵庫 | アルスナルArsenal (兵器庫) | (たぶんあってる) |
滋賀 | ヌリサント・ジョワ Nourrissante Joie (栄養のある喜び) | (よくわからない) |
大阪 | グランド・パント Grande Pente (大きな坂) | (たぶんあってる) |
京都 | キャピタル Capitale Citadine (都市の首都、もはや何が何だか) | キャピタル capitale |
奈良 | ポム・ボンヌ Pomme Bonne (良い林檎) | ボンヌ・ポム Bonne Pommeだ |
和歌山 | シャンソン・ジャポネ・ドゥ・モンターニュ Chanson Japonais de Montagne (山の日本の歌) | (たぶんあってる) |
鳥取 | シャス・ドワゾー Chasse d’Oiseau (鳥を獲ること) | (たぶんあってる) |
岡山 | コリーヌ・モンタニャール Colline Montagnard (山間の丘) | (たぶんあってる) |
広島 | ヴァスト・イル Vaste ile (広い島) | グランド・イル Grande Île |
島根 | イリエンヌ・ラシーヌ Ilienne Racine (島の根) | ラシーヌ・ド・リル Racine de l'île |
山口 | アントレ・ドゥ・モンターニュ Entree de Montagne (山の入り口) | アントレ・ア・ラ・モンターニュ Entreé à la Montagne |
愛媛 | エマーブル・プランセス Aimable Princesse (愛らしい姫) | プランセス・エマーブル Princesse Aimable |
徳島 | モラル・イル Morale ile (モラルの島) | イル・ド・ラ・モラール Île de la Morale |
高知 | オー・アンテリジャンス Haut Intelligence (高い知性) | (たぶんあってる) |
香川 | ヌイユ Nouille (麺類) | (たぶんあってる) |
福岡 | ジョワイユーズ・コリーヌ Joyeuse Colline (幸福の丘) | コリーヌ・ド・ボヌール Colline de Bonheur |
佐賀 | スュポール・ド・ジョワ Support de Joie (喜びのサポート) | (たぶんあってる) |
宮崎 | パラタン・プロモントワール Palatin Promontoire (宮殿の岬) | カップ・ロワイヤル Cap Royal |
大分 | グランド・ディヴィジョン Grande Division (大きな分割) | (たぶんあってる) |
長崎 | ロン・プロモントワール Long Promontoire (長い岬) | ロン・カップ Long Cap |
熊本 | ウルス・ヴレ Ours Vrai (本物の熊) | (たぶんあってる) |
鹿児島 | イル・ドゥ・ファオン Ile de Faon (子鹿の島) | (たぶんあってる) |
沖縄 | コルド・オ・プレヌ・メール Corde au Plaine Mer (沖にある縄) | (たぶんあってる) |
やってみたところ、やっぱりドイツ語ほどかっこよくない。結局、構造が英語と似てるからあんまおもしろくないのかも。ドイツ語は何でもかんでも一単語にしちゃうところが厨二病的にいけるのかなあ。シュヴァルツヴェルダーキルシュトルテ。
・完全予約制では、新幹線需要の一見客や、以前からの客だが予約してまでは利用したくない準常連客が、利用しなくなるのではないか
それが続く様では、おそらくは今後の評判にも響く。
故に、何らかの変革を要した。
・店側の対応能力に合わせる(=キャンセルを減らし、有意な回転率を改善する)べく、席数を減らせばどうか
→席数を減らした場合でも、満席状態ならば、時間内に入れない人の方が多い。
改善前と同様で、「利用出来ない/利用し辛い」のは同じ事。
現状、大勢の客が来る状況は変化しないならば、折角の固定客である常連を含め、食事したい客の利便性を損なう。
特に、昔からの常連が利用し辛い状況は、オーナーの理想に反する。
利益率向上にも繋がらない。常連のみならず、一見客であるが急いではいない客、評判を聞いて訪れた新規の客が利用し辛くなる状態は、機会損失。
行列が出来る状況になるとして、それは、予約制に近いものである。
ならば、より徹底して完全予約制とし、確実に食べたい客が利用し易い様に(及び、その様な客の過剰状態も調整出来る様に)して、即刻入りたい飛び込み客・時間が無くて持っていられない新幹線需要の客は、最初からお断りする方が堅実で誠実(なお、作り置きのサンドウィッチやお弁当のテイクアウトとかでの対応なら、アリかも知れない)。
・店側の対応能力に合わせる(=迅速に提供し、キャンセルを減らし、有意な回転率を改善する)べく、メニューを減らせばどうか
それを損なえば、常連客を失望させ、オーナーの理想にも反する。
・予約して入店した常連客が、ナポリタンなど注文していたが。客数は減ったのだから、客がもっと高額な料理を注文してくれないと、客単価が上がらず、営業利益が減少するのではないか。
→あの常連客は、サイドメニュー2品と、食後のコーヒーも注文している。サイドメニューやドリンクは、粗利率が高いものである。メニューの斯様な構成によって客単価を上げる手法も存在するのである。
なお、あの常連客には、塩分控えめというきめ細やかな対応も行なっている。数を熟す慌ただしい店では困難なサービスである。
→常時混雑しているなら兎も角、新幹線需要の一見客は、新幹線の時間に応じて波状に押しかける。
だが、従業員に一日中居て貰ったら、一日全体から見ると、費用対効果的に、無駄になってしまうかも知れない。
また、少数でどうにかしてくれる優秀な人材など、そうそう都合良く確保出来る訳が無い。創真や秘書子級の、修羅場を少数で何とかしてくれる人材は、滅多に居ない。
数だけを増やせば、当然更に人件費が嵩む(料理人の場合はなおの事であろう)。機材の増強も要される。売り上げが増えれば増える程、経費も嵩み、営業利益が減り、赤字となる理不尽な状況すら有り得る。
なお、創真や秘書子らは、遠月茶寮学園の教育課程である「スタジエール」の制度によって派遣された人材であり、おそらく給料は不要である。
・来店客数が、店側の対応能力を超え掛けたら、席が余っていても、満席の札を出し、入店制限を掛ければどうか
→それは、席数を減らす手と、あまり変わらない。
・客が多くて困るなら、いっそ引っ越せばどうか
→立地の良さは、完全予約制であっても有意である。宣伝面での負担も激減する。
現店舗を、三田村オーナーが所有しているとして、それを売却するか賃貸に出し、もう少し地価の低い所へ、新店舗を買うか借りるかして移転するなら(適切な飲食店向けの建物を居抜きで確保出来るなら、なおの事)、賄えるやもだが。
もし、現在地からごく近い場所なら、地価もさして変わらない。或いは、居抜きで移転可能な適切な建物が無いかも知れない。然るべき改装も伴い、一大出費になりかねない。
・常連や、評判を聞いて来た新規客は、空いてる時間帯に来て貰えばどうか
→客にも、それぞれの都合が有る筈。客が合わせろという態度は、ホスピタリティを無視している。それはオーナーの理想から外れる。
ずっと店を支えてきた、一番固い常連客の軽視は、営業的にも悪手。
・完全予約制ではなく、予約優先制ならどうか
→結果として、大量の客(特に新幹線需要の一見客)の波状殺到が店側の対応能力を超えるならば、現状とさして変わらない。
・そもそも、一見客の切り捨ては損ではないのか
そして、オーナーの理想は、討論によって再確認されたが、常連客の重視である。
『洋食の三田村』の苦境の本質は、三田村オーナーが、どの客層を対象とし、どの様な店にするかを決めかね、見失って居た事に起因する。
オーナーが常連客こそが重要と改めて認識した事により、あの店の最大の問題点は、「新幹線需要の一見客を捌きかねていた事」ではなく、「常連客が寛ぐどころか入店も困難となり、折角の常連客・固定客・リピーターが離れていきかねない状況になって居た事」となったのである。
よって、店が対応しかねる大量の一見客は、商機ではなく、むしろノイズの様なものとなったのである。
それに、作中の改善は、一見客の完全な切り捨てではない。美味いという評判を聞いて、予約してでも来たがる、新しく常連客に成ってくれるかも知れない客も居る筈(作中明記はされていないが、予約即入店も、余裕が有るなら可能かも知れない)。
また、現在の新幹線需要の一見客激増は、バブル的なものかも知れない。
その時は当然、新幹線需要の一見客は、相対的に減少するかも知れない。
また、大手のチェーン店が出店すれば、其の方が、大量客を手際良く捌く方向には向いているであろうから、勝機は薄い。
その事態において、常連客が、もし粗末にされ、離れていたら、営業的にも不都合。
なお、上述したが、飛び込みの客(及び、待ち時間が無い客)への、テイクアウトでの対応は、アリかも知れない。
・繁忙時においては、時間が掛かる旨の告知を行えばどうか
→それは、実質、待ち時間が限られている新幹線需要の一見客、或いは長時間待つだけの熱意の無い準常連客への、切り捨てに近い。その意味では、完全予約制への対案には成り辛い。常連客の利便性の面でも万全ではない。
・半年間無策で通したあの無能達が、完全予約制にしたところで、上手く経営出来るのか
以前は、新幹線需要の一見客増加という要素無しでも、常連客が付いていて、経営を支えていた。
また、相応の数の従業員を抱えていた事象が、その必要性(相応の来客の存在)を示している。
この半年間の宜しからざる状況でも経営出来てきた事象も、店の評判や経営的な体力の存在を示してる。
遠月茶寮料理学園が生徒のスタジエール先に選んだという事象も、料理面では優れているという状況証拠になるかも知れない。
特に、料理の美味さについて、作中の設定的に絶対の信用が置ける感覚を持つ創真・秘書子らも認めている。
新幹線需要発生以降において、駅周辺に飲食店が複数有る中で、あの店に客が殺到する事象も、あの店は美味いという評判が立っている証拠かも知れない。
料理が美味いなら、客は来る。
客が来るならば、完全予約制の方が、サービス・ホスピタリティの強化なども含め(上述したが、完全予約制故に可能なサービスも存在する)、状況を制御し易い。
完全予約制は、仕入れなどでの無駄が出辛く、従業員も休みを取り易くなるなど、客が来る自信が有るなら、経営面でも好都合である。
料理の腕以外は頼りないオーナーには、その意味でも向いているかも知れない。
なお、今後更にオーナーの思案に余る問題が発生すれば、外食コンサルに問題解決を外注すれば良い(特にこの作品世界では、遠月グループが、その部門も備えている筈。そもそも、創真らに助言を仰ぐ手も有ろう)。
要するに。
・三田村オーナーには、貫きたい理想が有る。創真達は其れを尊重せねばならない
「洋食の三田村」の改善について、これらの要素の無視は、NGである。
追記
『洋食の三田村』は、完全予約制移行後、客の減少により(従来の常連客が、速やかに復帰するとは限らない)、従業員のリストラが必要になるのではという意見が有るが。
完全予約制移行より後の『洋食の三田村』においては、従来の常連客の或る程度の復帰のみならず、リピーターになるかも知れない新規客の微増も見込まれる。
あれだけ大量に来ていた一見客の流れが完全に絶無になる事は、考え辛いからである。
美味いという評判も有ったが故に来店していた新規の客も居た筈だからである。
故に、そこまでせねばならない営業利益・経常利益の低下は起こり得ないのではないか。
ただし、あの従業員達が、新幹線需要の一見客の殺到していた時期以前からあの人数だった訳ではなく、一見客の激増後、それに対応すべく多少は増員していたなら、また別かも知れない。
フォーク・メタルの世界をご存知ですか。フォークってさだまさしでも、ゆずでもないです。民俗音楽です。
メタルとアイリッシュ、中東、サンバから果ては和琴までがマリアージュ。
邪道という人もいるでしょう。でも好きなんだからしょうがない。
シャウトとバスドラ高速ダブルとという共通性が、様々なご当地音楽を消費しやすくする。
まるで共通インタフェースでラップされた個別ライブラリのよう。
各地域の旋律や、楽器への回帰は、背後に政治的メッセージを持つものも多く、掘れば掘るほど奥が深い。
今日はヴァイキング・メタル入門編として、カバー曲含み、比較的キャッチーなものを中心にご紹介します。
「海賊王に俺はなる」よりだいぶ汗臭くて酒臭いですが、お付き合い下さい。
のってきました、どんどん行きましょう。
MADはさておき歌詞は、朝まで乱闘と歌で酒を飲み明かす、本能のままに生きる漢たちのこと。
当時のマーケティング戦略ゆえ、酒場で格闘ドンジャラホイという素敵な邦題がついてます。
原曲は、あのドイツのディスコ音楽グループ「ジンギスカン」がモデルとしたとも言われるボニーM「怪僧ラスプーチン」
ヴァイキングじゃなくちょっとわき道、東欧〜ロシアをイメージした旋律がメタルに映えます。
赤黒に顔を塗り戦士を奮い立たせるアンセム。こちらに個人の和訳があります。http://ameblo.jp/aoyuki1212/entry-11887199554.html
「友よ、悲惨な話しを告げよう」で始まる、裏切りものがなぶり殺される怖い唄。
キールホールは、縄で人を括って船底をくぐりらせるという船上の私刑。PVの結末が...ヨーホーホー。
サブカルな一日を過ごして5時間半にも渡る18禁映画を見たものの、感想を書くとグーグルアドセンスに文句言われそうだからこっちに書くよ。
見たのはこれ(リンク先はwikiなのでエロ画像などはありません。)
ダンサー・イン・ザ・ダークの監督が手がける鬱映画で、セックス依存症の女性が自由放漫にセックスしてはそれゆえに人間関係ダメにしたり、人生をダメにしていくお話。
それを童貞のインテリがひたすら聞くと言う構図になっていて、回想が映像化されてる。
ざっくり言うと
・悪友がいて、その子の性で性に目覚めたプレイガールになって、愛の無いセックスをしまくるようになる。
・悪友は愛を見つけたけど、当の本人は色狂いであり続け、イタズラに男を食い続ける道を突き進む。
・それがどんな相手に対しても無差別にそうなってしまうため、時と場合によっては心と体が一致しなくなっていき、人を滅ぼしたり、自分の見を滅ぼしたりする。
・心がセックスに興味がなくなっても体が欲したり、逆になったりするがそれでも色狂いであり続ける。
・そうあり続けるために、どんどんアングラな方に手を出していき…
というのが簡単な内容。
内容自体はセックスの話であるようで、マイノリティ全般へのメッセージとして読み取れるきっちりとした話。(なんでセックスでその話をしてるかというと、性癖に関することは心と体のズレが生じやすく、それでいて治すのが難しい。しかも、正常と言う基準が難しい曖昧なものでしかないから一般の人にとって「少数派として生きるということを理解させやすい題材だから」なのよね…)
だけど、ジレンマとしてはセックスを描くことで上映される場所は減り、見る人がマイノリティであるため、マイノリティを理解させるためのわかりやすい映画の構成が丸々野暮ったく映る作品にできあがってしまった。
それにセックスを山のように描くことで、映画を見るための体力や精神力のすり減りようが酷くなってとても見られるものでなくなってしまった。
ポルノ映画ってあんな落ち着かないものなんだな!内容も描写も見ていて疲れる。大勢でポルノを鑑賞すること自体に疲れ、股間がモゾモゾするともっと疲れる。アダルトビデオやエロコンテンツみたいに抜くことを目的としてない「表現としてのポルノ」だから描かれること自体を否定する気はない。でも、アングラなものとして扱われても当然だと思えるだけの負担感が映画の作風からも、大勢でポルノを見るということからも感じられた。
マイノリティな考えの中で生きている人への副教材的な部分と、エールとしての部分両方が感じられる映画だけど、前者のためにやった演出は公開の仕方と矛盾してしまっていたから「ここまでわかりやすく作るのは野暮ったい」と感じてしまった。
一方で応援する方もする方で、一般の人にわかるような結論に落とし込もうとぐらつく描写をしてしまったため、「こういう映画じゃないよね?」というラスト10分になってしまった。
いいメッセージなんだけど、くどい。
邦画では絶対にやってくれないことを突き通してるけど、媚びてる感じが残る。
一度は見て欲しいけど、二度は見る必要がない。
76点ぐらいの映画でした。
もうちょっと疲れないポルノ映画があれば、見てみたいし、昨日見に行ったような映画座という場所での映画鑑賞もすごく興味深かったのだが、映画だけが今一つ刺さりきらなかった。
平凡な邦画よりはずっと面白いんだよ?色狂いであっても女性であると言う両立したバランス感覚のある描写がリアルで、息をのむんだよ?
でも、ポルノを使わないでもっと高等かつ野暮ったくなく、それでいて伝わるように描いたアニメ作品が存在することを考えたら「これはなぁ…」と言う感想でした。
ポルノとしての評価は…基準が少ないから参考になることは言えない。
ただ、一人の半生…それもめんどくさい性癖に目覚めた女の話だから、マニアックな性と肉体(若くて乳首や肌がきれいな女性と老けて乳首が黒ずんでくっきりと出た女性が同一人物を演じてる)のが多様に描かれてるのがAVやアニメではできないことをしていて面白かった。
ただ、ポルノ映画を見たのはこれがはじめてだから、どれだけポルノとして完成度が高いかはわからん。