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2021-09-08

なぜオタク妊娠を好むのか

かつて誰が言ったかオタクとは「エロ漫画で抜ける者」を指すらしい。

曰く、普通の男はエロ漫画では抜けない、と。

それはともかく、なぜオタク妊娠を好むのか?

エロ漫画を読んでいると頻繁に妊娠示唆する描写が現れる。

思いつく限り挙げると、

・膣断面図を用いたグラフィカルな受精描写

・「今日安全日(ウソ)だから中に出して♡」

・「孕め!孕め!オラ!!」

・「おまえがママになるんだよ!」

・オークやゴブリンの子を孕むエルフ

等々・・・

これらの描写3次元エロコンテンツ(AV等)ではマイナーだ。

顔射、挟射、外出しが一般的だし、中出しプレイがある場合も「中に出す」ことが目的であり、妊娠について特に触れることはない。

妊婦モノに至ってはさらに稀だ。

なぜこのような傾向の差異がみられるのだろうか?

プレイボーイ・プレイガールの多い増田諸氏ならとっくにお気づきだろうが、現実における妊娠はとてつもなくめんどくさい。

セックスが好きなら極力避けたいものだ。

日常的にセックスを嗜む男たちは女が妊娠したとわかるや否や、あの手この手を使って責任から逃れようとする。

中出し気持ちよさは得たいがめんどくさい妊娠は極力避けたい。

それが普通の男というものだ。

ではなぜオタク妊娠を好むのか?

まず考えられるのはオタクにとって現実セックス幻想に近いものだということだろう。

日常的に女性と接する機会すらない非モテオタクにとってセックスファンタジーであり、妊娠させると自分気持ちよくなると勘違いしているのかもしれない。

いやいやまて、と。さすがにオタクと言えども一度もセックスしたことがない者は極少数だろう。

お金を払えばだれだって体験を得られるのが現代社会だ。

と、ここで核心が現れる。

そう、オタクセックスはできても妊娠はさせられない生き物なのだ

オタクにとってセックスとはお金を払ってするものであり、もちろんその際はゴム有りのセーフセックスが基本である

よっぽどの間違いが起きない限り、妊娠させてしまうことはない。

からこそオタクにとって妊娠は憧れであり、だからこそオタク妊娠を好むのではないのだろうか。

2015-02-14

はじめて18禁ポルノ映画を見てきた

サブカルな一日を過ごして5時間半にも渡る18禁映画を見たものの、感想を書くとグーグルアドセンスに文句言われそうだからこっちに書くよ。

見たのはこれ(リンク先はwikiなのでエロ画像などはありません。)

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%8B%E3%83%B3%E3%83%95%E3%82%A9%E3%83%9E%E3%83%8B%E3%82%A2%E3%83%83%E3%82%AF

ダンサー・イン・ザ・ダーク監督が手がける鬱映画で、セックス依存症女性自由放漫にセックスしてはそれゆえに人間関係ダメにしたり、人生ダメにしていくお話

それを童貞インテリがひたすら聞くと言う構図になっていて、回想が映像化されてる。

ざっくり言うと

・悪友がいて、その子の性で性に目覚めたプレイガールになって、愛の無いセックスしまくるようになる。

・悪友は愛を見つけたけど、当の本人は色狂いであり続け、イタズラに男を食い続ける道を突き進む。

・それがどんな相手に対しても無差別にそうなってしまうため、時と場合によっては心と体が一致しなくなっていき、人を滅ぼしたり、自分の見を滅ぼしたりする。

・心がセックスに興味がなくなっても体が欲したり、逆になったりするがそれでも色狂いであり続ける。

・そうあり続けるために、どんどんアングラな方に手を出していき…

というのが簡単な内容。

内容自体セックスの話であるようで、マイノリティ全般へのメッセージとして読み取れるきっちりとした話。(なんでセックスでその話をしてるかというと、性癖に関することは心と体のズレが生じやすく、それでいて治すのが難しい。しかも、正常と言う基準が難しい曖昧ものしかないから一般の人にとって「少数派として生きるということを理解させやすい題材だから」なのよね…)

だけど、ジレンマとしてはセックスを描くことで上映される場所は減り、見る人がマイノリティであるため、マイノリティ理解させるためのわかりやす映画構成が丸々野暮ったく映る作品にできあがってしまった。

それにセックスを山のように描くことで、映画を見るための体力や精神力のすり減りようが酷くなってとても見られるものでなくなってしまった。

ポルノ映画ってあんな落ち着かないものなんだな!内容も描写も見ていて疲れる。大勢ポルノを鑑賞すること自体に疲れ、股間がモゾモゾするともっと疲れる。アダルトビデオエロコンテンツみたいに抜くことを目的としてない「表現としてのポルノ」だから描かれること自体否定する気はない。でも、アングラものとして扱われても当然だと思えるだけの負担感が映画作風からも、大勢ポルノを見るということからも感じられた。

マイノリティな考えの中で生きている人への副教材的な部分と、エールとしての部分両方が感じられる映画だけど、前者のためにやった演出は公開の仕方と矛盾してしまっていたから「ここまでわかりやすく作るのは野暮ったい」と感じてしまった。

一方で応援する方もする方で、一般の人にわかるような結論に落とし込もうとぐらつく描写をしてしまったため、「こういう映画じゃないよね?」というラスト10分になってしまった。

いいメッセージなんだけど、くどい。

邦画では絶対にやってくれないことを突き通してるけど、媚びてる感じが残る。

一度は見て欲しいけど、二度は見る必要がない。

76点ぐらいの映画でした。

もうちょっと疲れないポルノ映画があれば、見てみたいし、昨日見に行ったような映画座という場所での映画鑑賞もすごく興味深かったのだが、映画けが今一つ刺さりきらなかった。

平凡な邦画よりはずっと面白いんだよ?色狂いであっても女性であると言う両立したバランス感覚のある描写リアルで、息をのむんだよ?

でも、ポルノを使わないでもっと高等かつ野暮ったくなく、それでいて伝わるように描いたアニメ作品存在することを考えたら「これはなぁ…」と言う感想でした。

ポルノとしての評価は…基準が少ないから参考になることは言えない。

ただ、一人の半生…それもめんどくさい性癖に目覚めた女の話だからマニアックな性と肉体(若くて乳首や肌がきれいな女性と老けて乳首が黒ずんでくっきりと出た女性が同一人物を演じてる)のが多様に描かれてるのがAVアニメではできないことをしていて面白かった。

ただ、ポルノ映画を見たのはこれがはじめてだから、どれだけポルノとして完成度が高いかはわからん

そもそも、どんなポルノ映画を見ていけば、ポルノ映画に通じることができるかがわからん

わからん。なんもわからん。こんな増田誰が喜ぶかもわからん

 
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