はてなキーワード: ポケベルが鳴らなくてとは
ポケベルのサービス終了というニュースで、真っ先に連想したのがGO!GO!7188というバンドのこと。
その特徴的なバンド名の由来は、ポケベルで557188が「のま(ハートマーク)」を意味するからで、「のま」はメンバーの知人の名前らしいとデビュー当時に言われていた(メンバーが明言したことは無いらしいので、どこから広まった話なのかは分からない)。
で、バンドがメジャーデビューして数年後にメンバーの浜田亜紀子さんが結婚を発表したのですが、それに伴い名義が「ノマアキコ」に変わったときは何というか点と点が繋がった感じで意味もなくテンションが上がったことを覚えている。
そんなこともあって、世代ではない自分にとってポケベルといえば「ポケベルが鳴らなくて」よりGO!GO!7188という印象が強い。
(余談だが、ノマさんが今やっていたPIGGY BANKSというバンドから「産休から復帰できるめどが立たない」という理由で今日脱退発表があって驚いた)
若人にはわかるかなあ わかんねえだろうなあ
これといって何をしたわけでもないのに女から集中的に嫌われてバッシングで消えたのが不思議だった
当時は幼かったしポケベルが鳴らなくても見てなかったし
しかしさっきポケベルが鳴らなくての粗筋と顔写真を見て納得いった
おっさんが29歳年下の娘の親友と不倫をして家庭を崩壊させるドラマだが、あまりに不倫女と裕木奈江の雰囲気がはまりすぎていたのではなかろうか
当時はおっさんがなえちゃんはいい!と褒め称えるCMがあった記憶があるし、おっさんの夢の愛人ポジションで売りすぎた
頭が弱そうなぶりっこで媚て薄幸と弱さと若さを武器に夫を奪う略奪女という不快な雰囲気が強い上にさほど美人ではなく大根だ
あーだから嫌われたのかと
今はハリウッド女優をやって、代表作はレイキャビックホエールウオッチングマサカーと言う捕鯨一家とホエールウオッチングをしてる人達が壮絶に殺しあう映画で、ブラジル人が演じる日本人夫婦のメイド役として狡く立ち回り他のキャラを騙し殺し生き延びて奥さまになりすまし逃げ延びる役らしい
何だか納得いった
「ポケベルが鳴らなくて」という曲があります。
20年くらい前の、今ではAKBで有名な秋元康が作詞した曲です。
好きな人からの連絡を待っている時の気持ちや、その連絡の有無に振り回される様子、かといって自分からは連絡出来ないもどかしさなどが綴られており、
連絡手段がポケペルからスマホへと進化した現代においても、人の気持は変わらないものだなぁと思います。
特にタイトルの「現実よりも愛してる」というフレーズは衝撃的で、それに加えて核心的です。
あくまで私見ですが、不倫をする人、叶わぬ恋を追い駆けたい人というのは、心のベクトルが相手に向いているようでいて、その実は自分の方だけを向いているという人が多いように見受けられます。
そういった人たちにとって大事なのは、「相手が誰か」ということではなく、「その相手を通じて自分がどういった状況に陥るか」なのではないかと思ったりもします。
そして、本人としても自分が思い描く理想としての相手と、実際の相手との間の齟齬に少なからず気付いてはいて、その上でなるべくそれに気付かないフリをしている。
それの行き着く先が「現実よりも愛してる」なのかなと思います。
ポケベルやラインでのやり取りでしたら、実際に会う場合よりも情報量が少ない分、理想に限りなく近い状態の相手とやり取りすることが出来ますからね。
しかしここまで極端ではなくとも、人というものが何かを好きになるというプロセスは、結局のところ、こういった「自分勝手な翻訳」を抜きに語ることは出来ないのかもしれません。
好意好感を抱くのは対象自体にではなく、自分のレンズを通した上で自分のセンサーに感知された、加工された対象だと、言えなくもないですからね。
Webサービスは「ポケベルが鳴らなくて」を超えるスピードで風化する
聞き手も歌い手も第二次ベビーブーマーで層が厚く、またベビーブーマーが幼少時に受けたピアノの習い事の成果が、
90年代に結実した格好。
http://anond.hatelabo.jp/20130223005242
しかし、90年代のような「音楽人口ボーナス」は、今後は望むべくもない。
若年人口が半減し、ピアノ購入が7分の1になる、ということは、音楽才能人口が14分の1になる、という計算。
このままでは日本音楽界は「お先真っ暗」であるが、21世紀、さらに22世紀の日本は、
1990年代の音楽黄金時代の「遺産」で、細々と生きていく、というスタンスで、別に構わないのでは?
新たにプロの音楽家を育てなくても、音楽義務教育を全員に施さなくても、別にいいじゃん。
当時(90年代)の豊富なJ‐POP作品を何度もリピートするだけで、結構豊かな音楽生活を送れるし、
というか当時の音楽作品全部聞こうとすると、一生あっても足らない。
「他に正業持っていて、趣味に90年代音楽を聞く程度」という人だと、一生かかってしまう)
因みに90年代で、1年間に発行される音楽CDが年間2万種類だったと記憶している。
この中にはクラシック、ジャズ、洋楽、演歌など、J‐POPカテゴリ外の音楽もあるだろうが、
恐らく90年代1年間でJ‐POPはその中の10%、2千種類はあっただろう。
で、仮に2100年生まれの人が、「1990年代J‐POPに目覚めて」、
15歳から「毎日1種類の90年代アルバムを聴く」としても、聴き終わるのに
55年間かかる、つまり70歳になってやっと聴き終わる。
まさに「一生掛けなければ、90年代J‐POPは消費できない」のである。
あと思ったのは「音楽って、経年劣化がしにくいコンテンツだな」ということ。
歌詞の内容は、多少古びることがあって、「ポケベルが鳴らなくて」というコンテンツに対して、
「ポケベルって何?」と突っ込むことはあるが、基本的な男女の情愛とかは経年しても変わらないし、
メロディーはそもそも経年しても変化しない。
だから数百年前のコンテンツであるクラシックも、現代に通用している。
静止画コンテンツ(マンガ)、動画コンテンツ(映画、テレビドラマ)だとコンテンツが経年劣化しやすい。
トレンディドラマなんかは、90年代の一時期でないと理解されない、支持されないコンテンツだったろう。
だから、経年劣化しない90年代J‐POPというコンテンツを「遺産」として、今後の日本はしっかり活用していっては?