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はてなキーワード: アイロニーとは

2016-05-04

UFO怪談血液型性格判断ってテレビ特集されなくなったな

やっぱり科学的根拠が皆無のもの発言するのが駄目だって批判が多いからだろうかね。

そういえばアニメ昭和アニメばかり推す番組が長い間放送されてきたけど、いつからか無くなったよね。

柴田理恵が毎回同じ場面で泣くシーンが名物だったからね。俺はチャンネル変えてたけど。

日本アニメーションって会社ハウス食品とかが提供してるアニメがよく放送されてたけど、

実はこども劇場って関西(テレビ大阪など)で放送してたアニメ番組もいつの間にか立ち消えになっててその後番組には韓国ドラマ放送されてたりする。

テレ朝系で何時間SPクイズ番組もいつの間にか無くなって今あるのは外国人日本賛美とか外国に住む日本人が凄いとかそういう外国の目から見た日本人像みたいなのが

たくさん放送され出して最近違和感申し訳ない気持ちでいっぱいになってる。

申し訳ないって言うのは、自分は大した日本人じゃないのにテレビではやたら日本贔屓されてて日本人が美化され過ぎてるんだよね。

そりゃノルウェー国立バレエ団の西野麻衣子みたいな超の付く素晴らしい日本人ならともかく、何でもない様な外国の家でシェアしてる日本人とか日本人妻とか

まあ確かに面白い話も多いけど、そこまでして日本人は素晴らしいの!って言いたいのはちょっとした病気じゃないかと思えてならない。

じゃあ何でアルカイダに行った日本人は素晴らしいって放送されないんだろうね。

外国にいる日本人は素晴らしいんなら真っ先に放送しろよって思うわ。勿論アイロニーでだよ?

何かさ、最近安倍総理も在籍してて問題視されてるカルト団体日本会議日本人を賛美する番組を作れって強要されてんの?

それとも電通博報堂などの広告会社テレビ局圧力をかけて日本人世界で最高の民族だって中華思想を吹聴するように急かしてるの?

けどテレビでわざわざ特集するんだから、きっとUFOとか怪談とか血液型性格判断みたいに純粋気持ち日本人スバシイ!を放送してるって好意的に見るよ。

まあ、見ないけど(笑)

2016-04-28

自分アイロニーに酔ってた

クリエイティブ系の仕事(と、濁す)に就いて1年経った。

それでちょっと最近わかってきてショックだったこと。

かつてのぼくはちょっと自意識肥大した学生で、ネットで悪い意味話題になった奴らを皮肉ったり、揶揄するようなツイートをよく書いてた。ブログも持ってて小保方問題とかに一言もの申したりしてた。匿名でそういうことを書くのに背徳感がないわけではなかったが、「クソ」「クズ」的なIQの低い誹謗中傷じゃなくて、問題本質を見抜いたうえでチクリと一刺し、的な、そういうことを書けてる自負があったか快感だった。

で、ぼくがいる職場はそれぞれがクリエイターみたいなものから、全員記名でSNSをやってる。内容は制作物の紹介とか、ちょっとした近況とか。一緒に仕事しててもみんな能力があって良い人ばかり。

からって、先輩たちがたんなる善人ってわけじゃない。やっぱそれぞれ溜めこんでるものはあって、飲み会になるといろんな人の口から頻繁に悪口が飛び出す。悪口やり玉に挙がるのは大きいところだと政策とか、やらかし有名人ポリシーのない同業者とか色々。ウェブ上では淡々作品を載せたりちょっとしたユーモアで和ませたりしてる人たちが、同じくらい鋭い切り口で身近なものバサバサ斬って、アルコールと一緒に消費していく。翌日には全部忘れたように仕事に戻ってる。

それで気付いた。学生の頃に俺がやってたことって、この人たちが思っても言わなかったことをネット上に大公開してただけなんだな、と。

何が「本質を見抜いたうえでチクリ」だよ。そんなん一定レベルに達してたらみんな得られる知見でしかなかった。先輩たちは言ってもどうしようもないと分かってることを見えるところでは言わないだけだ。鋭いことを言えちゃう視点を悪意の発散の免罪符にしてたことがわかって恥ずかしくなった。もちろん先輩らも見えないとこで匿名愚痴ってんのかもしれないけどさ、そうあって欲しいとちょっと思ってしま自分が嫌ね。

王様は裸だと言う側だと思ってたら自分が裸の王様だった気分。あ~やだもう。

2016-04-23

HKT48炎上楽曲はそういう女の子を求める日本社会へのアイロニー

アインシュタインよりディアナ・アグロン」で炎上してるHKTですが

なにしろHKTのメンやヲタは「ブスだけど有能」が売りで一癖も二癖もあるHKT支配人指原が秋元に最も寵愛されているメンなのはわかりきっているし

AKBセンターHKT宮脇がそのルックス以上に頭の良さと強い意志で今の地位にいるのがわかりすぎるほどわかっている。宮脇と同程度のルックスや可愛さだったらわざわざ博多から持ってこなくてもAKB本体に何人もいるのだ

本来この歌を聴くのは熱心な博多ヲタしかいない

炎上してから批判している連中も分析している連中も大半はHKTセンターをめぐる複雑な物語構成や個々のメンの特徴を知らんわけで

博多ヲタならこの歌詞から表層的な意味と裏腹の意味を見出すのだからこのような批判は出ようはずもないのだ

ディアナグロンの名前をだしたのも反語的な意味があると深読みしてもおかしくない

楽曲歌唱の4人はいずれも次期センター候補

田島は初代HKTセンター速読が得意な読書家。秋元が最もアイドルとしての才能を認める一人。

朝長もかつてのHKTセンター。この歌詞に表面的には一番しっくりくるがセンターを外されたときにひどく悔し涙を流すなど熱く秘めた情熱を持っているメンバー

矢吹は元子役でなんでもこなせるスーパーキッズ未来AKBセンター候補

田中美はファンを引き付ける能力が高く、戦略的ファンを増やしている

この4人は間違いなくこの歌詞反語的な意味を読み取っている

確かにこの4人はみな無邪気で女の子らしい一面を指原や宮脇以上に持っているとは思うが

この歌詞に出てくるような何も考えない女の子じゃセンター候補に選ばれることはないのだ

HKTにはこの4人と同年代で先輩の田中菜津美という15歳のメンバーがいる。身長171センチ、口が達者でファッションセンスは最悪、ただし言葉のチョイスと、4万人の観客の前でも臆せず一人でMCができる度胸とスキル高校生になったばかりではありえない天才的なメンがいる。この歌詞とは真逆といってもいい存在秋元はこの田中の話芸を「鶴瓶をみるようだ」として最も高く買っていて、前曲では秋元選抜強硬に推したにもかかわらず他のスタッフスルーされてしまった(秋元意見が必ずしも通らないのだ)秋元が推すのはこういうメンバーなのだ

この「アインシュ・・・」を歌唱しているHKT4人はこのAKBGトップ二人そして秋元が推す同世代田中菜と同じグループの、センター候補の後輩たちなのだからこの歌詞反語的な意味合いだというのは私のようなただのファンの百倍はわかっているのだ

あのMVを見ただけで「あんなの歌わされるなんてかわいそうだ」と言ってる連中は実はあの四人の可愛らしい見た目で実は中身までないと思っているのだ

2015-12-03

☆(007)ダメダメ人生を変えたいM君と生活保護 (ポプラ新書) 池上 正樹

無意識に買わせる心理戦サイモン・スキャメル=カッツ

なぜこの店で買ってしまうのか ショッピング科学 (ハヤカワ・ノンフィクション文庫) パコ・アンダーヒル

33の法則 イノベーション成功と失敗の理由 オリヴァー・ガスマ

愛着障害 子ども時代を引きずる人々 (光文社新書) 岡田 尊司

あのころ未来星新一の預言 (新潮文庫) 最相 葉月

☆儒教ルサンチマン宗教 (平凡社新書 (007)) 浅野 裕一

サードプレイス―― コミュニティの核になる「とびきり居心地よい場所」 レイ・オルデンバー

教育危機経済学 (御茶の水選書) 馬場 宏二

陽のあたる家~生活保護に支えられて~ (書籍扱いコミックス) さいき まこ

排除社会―後期近代における犯罪・雇用・差異 ジョック ヤング

憲法で読むアメリカ史(全) (学芸文庫) 阿川 尚之

☆働かない―「怠けもの」と呼ばれた人たち トム ルッツ

父が子に語る世界歴史〈2〉中世世界 ジャワハルラール ネルー

クリエイティブシンキング入門 マイケル・マハル

クリエイティブ喧嘩術 (NHK出版新書 408) 大友 啓史

コギトピノキオの遠隔思考 ソウルドロップ孤影録 (ノン・ノベル 1003) 上遠野 浩平

竜との舞踏 1 (氷と炎の歌 5) ジョージ・R.R. マーティン

双頭の鷲〈上〉 (新潮文庫) 佐藤 賢一

子どもの難問 野矢 茂樹

☓つねに結果を出す人の「勉強脳」のつくり方 イ シヒョン

皇帝フリードリッヒ二世の生涯 上 塩野 七生

アメリカ史のアイロニー ラインホールド ニーバー

アーミッシュの赦し――なぜ彼らはすぐに犯人とその家族を赦したのか (亜紀書房翻訳ノンフィクションシリーズ) ドナルド・B・クレイビル

この世でいちばん大事な「カネ」の話 (角川文庫) 西原 理恵子

生命保険カラクリ (文春新書) 岩瀬 大輔

統計学を拓いた異才たち(日経ビジネス人文庫) デイヴィッド・サルツブルグ

☆売り方は類人猿が知っている(日経プレミアシリーズ) ルディー 和子

明治・父・アメリカ (新潮文庫) 星 新一

☆☆国をつくるという仕事 西水 美恵子

森有礼 悲劇への序章 (林竹二著作集) 林 竹二

林竹二著作集〈8〉運命としての学校 (1983年) 林 竹二

フィンランドに学ぶべきは「学力」なのか! (かもがわブックレット 169) 佐藤

教育立国フィンランド教師の育て方 増田 ユリ

オッリペッカ・ヘイノネン―「学力世界一」がもたらすもの (NHK未来への提言) オッリペッカ ヘイノネン

コミュニケーション力を引き出す (PHP新書) 平田 オリザ

演劇入門 (講談社現代新書) 平田 オリザ

フィンランド流「伝える力」が身につく本 北川 達夫

図解 フィンランドメソッド入門 北川 達夫

受けてみたフィンランド教育 実川 真由

話し下手でも7割聞くだけで相手を惹きつけられる会話のコツ46 野本 ゆうき

Rules of Attraction Bret Easton Ellis

シェイクスピアハンドブック 河合 祥一郎

生きることのレッスン 内発するからだ、目覚めるいのち 竹内 敏晴

ポストヒューマティーズ――伊藤計劃以後のSF 飯田一史

ラノベのなかの現代日本 ポップ/ぼっち/ノスタルジア (講談社現代新書) 波戸岡 景太

俺のイタリアン俺のフレンチ―ぶっちぎりで勝つ競争優位性のつくり方 坂本

まことに残念ですが…―不朽の名作への「不採用通知」160選 (徳間文庫) アンドレ バーナード

農業で稼ぐ!経済学 浅川 芳裕

足代小フューチャースクールのキセキ 徳島県東みよし町立足代小学校

ホテルメイドでできている(1) (ジュールコミックス) 野崎 ふみこ

ホスピめし みんなのごはん(2) (ジュールコミックス) 野崎 ふみこ

りはめより100倍恐ろしい 木堂 椎

「自分の子どもが殺されても同じことが言えるのか」と叫ぶ人に訊きたい―――正義という共同幻想がもたらす本当の危機 森 達也

ベトナムから来たもう一人のラストエンペラー 森 達也

「奇」の発想―みんな『少年マガジン』が教えてくれた 内田

ファンタジーを読む (岩波現代文庫子どもファンタジーコレクション 2) 河合 隼雄

結婚できないのはママのせい? -娘と母の幸福五百田達成

大人のための私服の教科書 久保田卓也

ルールを変える思考法 (角川EPUB選書) 川上量生

メディアを語る (別冊思想地図β ニコ生対談本シリーズ#2) 川上 量生

(003)世界の美しさをひとつでも多くみつけたい (ポプラ新書) 石井 光太

☆☆津波の墓標 石井光太

鳥貴族「280円均一」の経営哲学 大倉 忠司

☆OLたちの「レジスタンス」―サラリーマンとOLのパワーゲーム (中公新書) 小笠原 祐子

ニッポン定番メニュー事始め 澁川 祐子


金融商品にだまされるな! 吉本 佳生

金縛り]の謎を解く 夢魔幽体離脱宇宙人による誘拐 (PHPサイエンスワールド新書) 福田 一彦

国際メディア情報戦 (講談社現代新書) 高木

高校生からわかるマクロミクロ経済学 菅原

「なんで英語やるの?」の戦後史 ——《国民教育》としての英語、その伝統の成立過程 寺沢 拓敬

石油国家ロシア マーシャル I ゴールドマン

戦うハプスブルク家 (講談社現代新書) 菊池 良生

神聖ローマ帝国 (講談社現代新書) 菊池 良生

陋巷に在り〈1〉儒の巻 (新潮文庫) 酒見 賢一


秘訣は官民一体 ひと皿200円の町おこし (小学館101新書 19) 五十嵐 幸子

B級ご当地グルメまちおこし: 成功と失敗の法則 俵 慎一

町おこし」の経営学ケーススタディー・地域経済活性化 官と民の新たな関係 三井物産業務部「ニューふぁ~む21」チーム

☆なぜ富士宮やきそばB-1グランプリ覇者となりしか? B級ご当地グルメで500億円の町おこし 渡辺英彦

中小都市の「B級グルメ戦略―新たな価値創造に挑む10地域 関 満博

決定力! :正解を導く4つのプロセス チップ ハース

習慣の力 The Power of Habit チャールズ・デュヒッグ

波間の国のファウスト:EINSATZ 天空スリピングビューティ (講談社BOX) 佐藤

戸田誠二作品集リム奇譚 (ぶんか社コミックス) 戸田 誠二

2015-11-15

FBアイコンフランス国旗に変えた人/それを批判する人へ

少々長いタイトル申し訳ない。パリテロを受け、できるだけ多くの人に考えてもらいたいことがあり、要素を詰め込んでしまった結果である。下記では、冷静な文章が残せるように努めたい。また、IDをつい1時間前に取得したばかりのはてな新参者であるため、慣例のようなものスルーしてしまっていたら何卒ご容赦願いたい。

■「FBアイコンフランス国旗に変えるということ」を批判するということ

つくづくFacebook社は行動が早い。 LGBTへの支持を表明するレインボーと同じように、今回のテロへの哀悼を示すトリコロールプロフィール写真を手軽に変更できる機能リリースされた。

ユーザーは続々と自らのプロフィール写真トリコロールに変え、一方でそうしないユーザーはそれに対して続々とアイロニーを寄せている。自分観測範囲内だと、「どうせ何も考えてないんだろ?」「お気軽すぎるんだよな」「で、その写真はいつ元に戻すの?」「承認欲求も大概にしろ」などなど。

レインボーブームときから自分はそれを「冷笑主義」と呼んでいる。これについて掘り下げればキリがないから簡潔に済ますが、「何かをする人」と「それをバカにする人」の二項対立になってしまった日本社会象徴のような光景だと思う。「何かをする人」を下に見て、その背景や動機に何があるかを考えようとせず、一様に冷笑する行為蔓延しているのである

このようなソーシャルムーブメントに対する「冷笑主義」について、自分は「いい加減にしてくれよ」と思ってしまう。民主主義というのは、いつもこういう未熟なところから発展するものなのではないだろうか?小さな波が世論となり、それが政治を動かす光景を、われわれは何度も見てきたはずだ。むやみにアイロニーを飛ばすことは、民主主義の停滞につながるとさえ思う。

そもそも、SNS上でアイロニー飛ばしたって、なんのプラスにもならないのではないか。「憎しみの連鎖を断ち切らなきゃ」とは、プリキュア名言を生んだものである(聞きかじりゆえ、諸兄には何卒ご容赦願いたい)。

FBアイコンフランス国旗に変えるということ

自分は前述したとおり、このようなソーシャルムーブメントには賛成の立場をとる。これだけ冷笑主義が満ち溢れている時代に、アクションを起こした人の勇気はけなされるものでは決してないと思う。

ただ、レインボートリコロールについては、分けて考えなければならない。レインボーを表明することは、すべての人の幸せにつながる(「傷つく人がいない」といった表現は控えるが、つまるところそうだと思う)。しかし、トリコロールを掲げることで傷つく人は、世界中いるからだ。

下記のツイートを見てほしい。

@SaeedSato

敬愛するパリよ、貴女が目にした犯罪を悲しく思います。でもこのようなことは、私たちアラブ諸国では毎日起こっていることなのです。全世界貴女の味方になってくれるのを、ただ羨ましく思います。」 シリア出身UAE在住の女性アナウンサー

https://twitter.com/SaeedSato/status/665424613556535296

まりは、こういうことなのだ。イラクシリアで「100人が亡くなる」といった悲惨出来事が、この1年に何回起きたか。そしてなぜ、それらの国の国旗Facebook上でプロフィール写真にならないのか(Facebookアメリカサービスであることをおいておいても)。なぜ、「#prayforsyria」や「#prayforiraq」がTwitter上でトレンドに入らないのか。

自分自身も今回テロについて調べるなかで、アフガニスタンパキスタンナイジェリアなどで多くの人が亡くなっていることをはじめて知った。無知を恥ずかしく、恐ろしく思った。

Facebookプロフィール写真トリコロールにする」という行為は、個人の自由だ。一個人の「哀悼の示し方」についてアイロニー批判飛ばしたりしてはいけないと思う。加えて、先述したように、それは民主主義問題もつながる。

けれど自分には、そのアイコンが、欧米世界中東世界の分断を深めているように思えてならないのだ。

事件本質を考えるということ

今回の事件が発生してから24時間、(日本の)ネット上で主に見られた議論は「マス・メディアに対する不信や批判」。そして次の24時間は、先述した「トリコロールブームに対する違和感批判」であった。

本当にそれでよいのだろうか。われわれが今、情報収集し、考え、話し合うべきことは、本当にそれでよいのだろうか。自分は、そうではないと思う。この事件本質こそに、目を向けなくてはならない。

軍事力行使テロが封じ込められたとしても、それは新たな憎しみと悲劇を生むだけではないのか。かといって、平和的な対話テロが封じ込められるのか。

難民を受け入れた場合欧州政治的にも経済的にも混乱するだろう。それがテロの温床を生むとの意見否定はできない。しかし、受け入れないという選択肢さら世界を混迷に陥れるだろうし、そもそもそれは「人間として」正しいのだろうか。そして日本は、どのように行動すればよいのだろうか。

オバマ大統領演説にあった”the universal values that we share”、この”WE”とはいったい誰なのだろうか。

誰も正解は分からない。政治家学者でさえも、正しい道を示すことができない。それについて考えることは難しい。自分も、上記のような問題について情報を集めれば集めるほど、考えれば考えるほど、絶望のようなものを覚える。

繰り返すが、今われわれが見つめるべきものは、「トリコロールブームへの批判」でもなく、「メディアへの批判」でもない(これについては長期的に考えるべき問題だ)。この事件本質について考えるのが難しいからこそ、わかりやすい別の何かに怒りをぶつけたくなってしまうが、そこで諦めたり逃げたりしてはいけない。

そのことを伝えたいという想いで、キーボードを打っている。書きたいことは山程あるが、長くなっても意味がないので、このあたりで終わりにしたいと思う。とはいえもうずいぶん長くなってしまったが、このような長文駄文最後までお読みいただいたことに心より感謝を申し上げる。ありがとうございます。浅学菲才な部分も多くお恥ずかしいが、その点はぜひご指摘をいただければ幸いである。

2015-08-09

http://anond.hatelabo.jp/20150809091349

ひにく【皮肉】[二] [0] ( 名 ・形動 ) [文] ナリ  相手の欠点や弱点を意地悪く遠まわしに非難すること。また,その言葉やさま。あてこすりアイロニー。 「 -を言う」 「 -な笑い」

2015-06-05

怪盗と探偵増田ブックマーカー

よぉボウズ・・・・・・知ってるか?

増田は無から文章を創り出す創造的な芸術家だが・・・・・・

ブックマーカーはその跡をみて難癖をつける・・・・・・

ただの批評家に過ぎねーんだぜ?

スターはそこそこ集められても、ブクマはちっとも集められない

はてなーとして怪盗キッドの名台詞が頭について離れない

私に創造力はないのだろうか・・・・・・

追記

マッチです。

なお、「無から文章を創り出す」は釣りに対するアイロニーです。

2014-08-20

http://anond.hatelabo.jp/20140820015153

とても微妙問題を提起していると思った。

元増田の論点に乗れば、確かに、解釈(妄想)と実行のあいだには無限の距離があって、エロい妄想をするということ自体性犯罪の予備軍扱いするなら、共感は得られない。

だけど、今回のテーマは個人の解釈に留まるものではなくて、解釈する共同体(お笑い鑑賞)に矛先が向かっている。

自分どぶろっくというのは知らないから確信もって話せないけど、要約から察するかぎりは、たんに女性の振る舞いを性的解釈するだけでなく、その解釈をアイロニカルに提示することで笑いを誘っているのだろう。

これを鑑賞するひとはどういう考えを内面化するか? と言うと、ひとつには、この種の妄想家の愚かしさを相対的に眺めることができるようになるから男性妄想けん制する役割を果たすかもしれない。

しかアイロニー効果は、たんにその対象を相対化するだけじゃなくて、保存しもする。つまり、「こういうひとって馬鹿でしょ、でも世の中そういうもんなのよね」っていう。アイロニーメタ的な目線から

それだけじゃなくて、この笑いが描く女性は、対象としてしか登場しない。元増田性的主体として現れている(からこれを否定すると女性性的主体性のもの否定するんじゃないか)と書いてるけど、妄想のなかで男の性的欲望に照らして解釈されている女性が「主体的」だなんて(そしてそれを否定したら主体性のものが消えてしまうなんて)、まさか元増田も本気で書いているわけじゃないだろう。

ましてこの笑いにはその妄想嫌悪なり拒絶なりで反応する女性がお仕舞いに現れるわけでもない。自滅する振りをする男芸で閉じていると言っていい。

そういうわけで、自分としては、性差別的な状況を容認するような笑いだと思う。

でも、これが個人の妄想に過ぎないのなら、それはどうしようもない。

だけど、これは公共放送にのってて、その流通には社会メンバーひとりひとりが少なから責任を負ってると思う。

さっきも書いたように、解釈(妄想)と行為あいだには無限のへだたりがある。

問題は、両者を隔ててるものが何か、わからない、ってことだ。

けっきょくは、結果論的に「犯罪を犯したやつ」と「犯さなかったやつ」との区別しかできないかもしれないんだけど、それじゃ犯罪を予防することもできない。

メディアの影響はしばしば指摘されている。

今回のケースでは、どぶろっくお笑いが直接性犯罪を引き起こす、なんてことは言われなくて、そういうものを「ただのお笑い」として流通させようとする社会メディアのありかた全体が問題にされていると思う。

からといってもちろん、規制するための法律を……なんてことは、現状では受け容れられない。

表現の自由は大いに保証されるべき。

でも、そもそも法制度に頼るのって、社会の最終手段とまではいかないまでも、とりうる手段ひとつに過ぎないのでは?

たとえば、隣人がうるさいからという理由で、即警察通報するのって、近隣住民とのコミュニケーションが不在だからこそ起きることだと思う。苦情を直接言う、ということがなくなっている。

同様に、いま、何か世の中でまずいことが起こってると考えたときに、頼れるもの法律しかない、って事態になってるんじゃないか。

ほんとは道徳とか倫理とか、そういうことが語られてもいいと思うんだよね。

表現行為ポルノお笑い加虐性問題にしたいからって、即規制だ、とかそういうことにならずに。

話し合いじゃなにも変わらない、個人では社会を変えられない、そういうペシミズムが、すぐに法や規制行為に頼ろうとする振る舞いに繋がってくるんだと思う。

記事だって元増田だって、これが社会の考え方を変えるとまで信じるのは、ちょっと楽観的すぎるかもしんないけど、でもこういう提案を受けて、規制とまではいかないでも、自分がそれを変えるひとりなんだって意識することは大事なのではないかな。

移動中なんで支離滅裂でごめん。元増田の疑問にちょっとは応答したつもりです。

2014-07-13

残響のテロル』はすべての過去アニメにする神アニメ

なんでもいいから書くといいよと精神科先生にいわれたので書いてみる。

いままで「すべてのアニメ過去にする」傑作アニメはたくさんあった。たとえば絶賛放送中の『アルドノア・ゼロ』もそうだ。『アルドノア・ゼロ』は間違いなく今期最大のヒット作になるだろう。虚淵玄ドイツではゲーテ以来の天才詩人といわれ、フランスではデリダ精神後継者といわれ、ロシアではプーシキンの再来といわれ、アメリカではリアルホイットマンとたたえられ、日本では村上春樹をしのぐノーベル文学賞最有力候補だと一部ではいわれている。だがわれわれはあえて『残響のテロル』に注目している。なぜなら『残響のテロル』は「すべての過去アニメにする」神アニメからだ。「すべてのアニメ過去にする」傑作アニメというのは「すべて」というところからわかるように、それ自体自己言及的になっている。したがって「すべてのアニメ過去にする」傑作アニメというのはすべてのアニメ過去にした瞬間に、それ自身自己言及的に自己自身によって過去に追いやられてしまう。すべてのアニメ過去にした偉大な新時代アニメがその誕生と同時にすでに死んでいるというアイロニカルな構造になっているのだ。このアイロニーから逃れられないのが「すべてのアニメ過去にする」傑作アニメなのであり、従来の傑作アニメというのは生み出されたときにはすでに陳腐化しているというアイロニーから逃れることができないでいた。「すべてのアニメ過去にする」傑作アニメはそれ自体の内に過去を含んでいるのだ。真に創造的な作品から未来志向にも見えるのだが、じつは過去という底なしから伸びてきた腐食した手にからめ取られて引きずり込まれてしまう。そしてその暗黒の沼に自己自身を見る(その手ははるか昔に、生まれる前にすでに死んでいた自分の手だったのだ。死産した胎児の声なき叫びだ)。「すべてのアニメ過去にする」アニメはそれ自身過去にし、過去は更なる過去へとひきずりこまれ、原初過去へと向かい宇宙開闢の瞬間へ向かおうとする意志を持つ。すべては過去になる。すべては過ぎ去る。そして無へと潰れる。だから傑作アニメには一種の悲哀がともなう。そこには悲観しかない。われわれはわかってはいたのだ。傑作アニメを見たとき、それはすでに未来によって乗り越えられているということが。われわれはわかってはいたのだ。結局われわれは無を愛撫していたにすぎないということが。なにもかも過ぎ去って、すでに終わっていた。時間は凍結し、空間から熱が引いていった。だがわれわれの前に『残響のテロル』が現れた! ついに現れたのだ! 『残響のテロル』にはすべての過去が含まれている。便所飯はなにを意味するだろうか。それは食事と排泄の同時性だ。われわれはまだ口と肛門を区別していない。そうだ。これは生命誕生なのだ。きわめて創造性の高い、無垢なる、自由な、永遠意志無限未来への飛翔! 二元論の生じる前のカオスカオス、混濁した幻覚的な性感帯のおそるべき幸福絶頂感のみがみなぎった世界。なぜテロリストアヒル口なのか。アヒルという牧歌的存在にこそ破滅の種がやどっているからだ。戦士戦士によっては倒されない。戦士死ぬのは娼婦の前でだけなのだ。これは歴史証明してきたことだ。アヒル口テロリスト歴史に巣食ってきた処女性に含まれた亀裂、多産性と引き換えに失った平和象徴である射精的安楽こそ世界火種なのだ。「すべての過去アニメにする」神アニメはすべてをアニメとして書き換えていく、外部へと環境へと働きかける力を持つ。すべてをアニメにしていく、そしてそのアニメさらなるアニメをうみだしていく。アニメアニメによって置き換えられ、アニメアニメに繋がることによって、それは永遠に進んでいく。アニメ無限行進。アニメの爆発的連鎖。それはアニメ時空ともいうべきものを作り上げるだろう。それ自体でのびつづけるアニメの網だ。それはもう冷える宇宙ではないだろう。次元を超えた愛だろう。絶頂を越えた世界でわれわれは天使になるだろう。耐えなければならないその圧倒的幸福人間のままでいることは許されないのだ。『残響のテロル』はすべてをアニメにするだろう。なぜ都庁爆破があんなに簡単にできたのか。それはアニメからだ。そしてそれは過去アニメ出来事、つまり主として911の余韻があるわけだが、まさにそのことによって、アニメ出来事現実ととけあい911はたしかにいままでは現実として語られがちだったのだ)、その境界はここにいたって不分明になり、アニメ時空が現実侵食してくることになるのだ。すべてはアニメ的になるだろう。幼稚さという狂気。短絡的な世界崩壊。理性の不発。それは『魔法少女まどか☆マギカ』によって予告されていた悪夢でもあった(Gen Urobuchiは惜しいところまでいっていた。だがかれにはまだ愛が足りなかった。かれは健全すぎたのだ、良識的すぎたのだ、大人すぎたのだ、成熟しすぎていたのだ)。鋭敏な鮮烈な想像力は退化して、茫洋とした曖昧模糊とした神話を呼び寄せる。そこに召喚されたアニメ時空が境界侵犯して現実に襲い掛かってくるだろう。すべては妄想によって形成され、妄想はすべてとなるだろう。きみはやがて逆立ちして排泄するようになるだろう。もちろんわれわれにも恋人ができるようになるだろう! われわれはひとつの体験をすることになる。それは存在のあり方を変えてしまう圧倒的な体験だ。これを見てしまったらもとのままの自分はいられないだろう。なぜならわれわれはひとつの真理を悟ることになるのだから二次元妄想によって書き換えられた世界はどこに行くのだろう。すべてはギャグ様相を呈してきている。われわれはいつも嘆いている。やれやれ子供だましなアニメだな子供向けというのは子供だましということではないのであってうんぬんかんぬん。だがしかし現実のほうがアニメ的であり、アニメ時空的であり、アニメなのではないか。だれがこんな世界にしたのだ。どうして美少女は空から降ってこないのか。いやそれこそアニメではないことの証拠ではないか、いやいや、むしろ美少女が空から降ってこないのは非現実的なのだ。ああとわれわれはさらに嘆く。きみは美少女が空から降ってきたところを見たことがないのか。もちろん『残響のテロル』では美少女が空から降ってくる。ヒロインジャンプしたと見せかけて空から降ったのだ、まさにすべての過去を、すべての飛び降り美少女たちの意志アニメにするために。美少女が空から降ってくるという古典的アニメ表現は『残響のテロル』にいたって、ついにアニメ現実境界をまたいでしまった。これまでアニメ表現アニメ表現しかなかったが、いま彼女飛び降りたことによってすべてはアニメ現実になった。それはたんなる表現ではないのだ、もはや現実なのだアニメなのだ。これまでにうまれた数々の傑作によってすべてが過ぎ去ってしまったが、ついにすべての過去アニメにするアニメが生まれた。アニメ表現がついに次元の壁を越えたのだ。すべてはアニメになるだろう。太陽の死の後、人類が生き残るにはもうアニメになるしかないのだ。われわれは新しい太陽を作ることはできない、だが、新しい太陽アニメにすることはできる。銀河という足枷からわれわれが羽ばたくにはアニメの力がどうしても必要だったのだ。人類はついにアニメを本当の意味で獲得した。と同時に、われわれはアニメになった。われわれの想像力現在認知のありかたをテロリストのように破壊して、すべてをアニメにするだろう。人類はいまやっと白内障から脱して、真に世界を見ることになったのだ。諸君世界は美しいか。

2014-05-28

ONE PIECE』が嫌い。『魔法少女まどか☆マギカ』が嫌い。村上春樹が嫌い。

でもそれ以上に伊藤計劃が嫌い。

なんで世間は『魔法科高校の劣等生』を評価しないんだろう。いま2chアニメ板のアンチスレがどうなってるか知ってる?

伊藤計劃信者アンチ活動してるんじゃないかなと思ってるんだが。あいつらならやりかねない。

伊藤計劃なんて幼稚だよ。佐島勤先生のほうがアイロニーレベルが高い。

2014-05-16

http://anond.hatelabo.jp/20140515235848

ありがとう、すごいわかりやすかった。

パワーバランスの問題か。

でもそれだと、ホットエントリ入ってるこれが、アイロニーに聞こえなくなってくるんだけど。

http://blogos.com/article/86396/

はいつの日か、総理大臣が次のような発言をいつかするのではないかと危惧している。「核兵器は、人類滅亡に直結するので、攻撃のための手段ではない。最大の抑止力を伴う自衛のための手段だ。日本国憲法自衛は認めているので、日本核兵器開発をすることに、何ら問題はない」。

2014-05-10

魔法科高校の劣等生ちょっと読んでみた

何言ってるかまったくわからないところがある。

たとえば、

人の内部世界である演算領域内で組み立てられた魔法式を、無意識領域最上層にして意識領域の最下層たる「ルート」に転送意識無意識狭間存在する「ゲート」から外部情報世界投射することにより、魔法式が投射対象たる「事象に付随する情報体」――これを現代魔法学では、ギリシャ哲学の用語を流用して「エイドス」と呼んでいる――に干渉し、対象情報一時的に書き換わる。

(1巻、pp.104-105)

 文章研究としてこの本をかなり真面目に精読してたんだけど、それでもこの文章読んでなにがなんだかよくわからない。いまの中高生ってこういう文章読めるのか。冗談でもなんでもなくニクラス・ルーマンより難しいと思った。ここまでなにいってるかわからない読書体験(しか小説しかラノベ)なんてはじめてだ。にわか文学ファンはトマス・ピンチョンが好きだけど、そのピンチョンよりはるかに読みにくい。

 ほかにもいろいろあるけど、ちょっと驚いたのは、

達也の浮かべた苦笑いは、苦々しさのないただの苦笑に変わっていた。

(1巻、p.71)

 これ。苦々しさのないただの苦笑ってなんだろう。哲学的といえば哲学的だけど。撞着語法かな? 「苦笑」って辞書的には「にがにがしく思いながら、しかたなく笑うこと」(明鏡国語辞典)なんだよね。いや、べつに辞書が正しいって言ってるんじゃないよ。ことばの意味ってのは文脈に応じてアドホックにどんどん変わっていくものからね。でもそれにしてもこの語法は難しすぎるんじゃないか? ある種のアイロニーなんだろうか。難しい。

俺TUEEEE系の馬鹿っぽい爽快バトルファンタジーかと思って楽しみにしてたのに……。まあでも最後まで読むよ。

2014-04-26

http://anond.hatelabo.jp/20140426024521

あのさ、マジメに説明するけど、

元の文章は「看護婦」を「看護士」と呼び替えることで

そこに含まれている言葉機能、つまり男性なのか女性なのかが

わかるっていうことが失われるって言ってるわけよ。

これはネタとして面白いかは全く別として、間違ってはいない。

それに対してあなたは、「郵便ポスト」という男女の区分がないもの

アイロニーとして提出してる。

でも、これは実際皮肉にもパロディにもなってないのよ。

以上のことより、あなた言語から意味認識する能力

あるいは言語能力のものに著しい欠損があるな、と思うの。

んで、言葉の言外意味や文脈を取るのが非常に苦手なアスペルガーが第一候補。

そもそも言葉を読めない境界性知能が第二候補になるんだよね。

健常者じゃないよ、あなたは多分。

最初ネタ面白くもなんともないけど、そういう問題じゃない。

2014-04-18

ドラマ男性主義みたいなのを悪徳だと非難する風潮がある

依怙贔屓という奴で昔から男性社会では当たり前のように行われてきた事が女性が入った事で突然の変化に戸惑い、

からある昭和気質のせいで女性社会では結婚する以外に良い事はないと教え込まれてきた層が今もいるの対して

男性主義者と呼ばれる人たちの粗を探し出して女性を敵視するのは悪だと言わんばかりである

とかく昔からドラマにはある一定プロパガンダがあってそれを基に色々な批判、主に男性社会へのアイロニーを込めた社会風刺劇を

繰り広げてきたものだ。

それが今では男性が少し配慮を欠いた行動をとっただけで女性差別だ、男性主義だ、女性は虐げられてる等と言われのない噂話を根拠に

様々な批判をして男性が全て悪いかのように煽動するようになった。

それならば女性だけの女性による女性のための女性向けドラマだけを作ればいいのではないか。

しかしながら、過去には男性社会に揉まれても反抗して雑草魂のように自らを周囲を奮い立たせる男勝りの女性ドラマが多くあった。

それではダメなのだとしたら、もはや男性は全て排除しなくてはいけなくなる。

男性社会を形成したのは男性というレッテル貼りを続けるのであればそれも仕方のない事だろう。

一体どうすれば男性主義だの女性差別だのとレッテル貼りを辞めてくれるのだろうか。

「女は家事さえ出来ればいい、結婚するのに勉強邪魔しかならない」

このセリフ連続テレビ小説花子とアン」の引用である

確かにこの時代女性女性主義云々を考えようにも社会男性しか求めなかった時代から仕方がないだろう。

しかし、このドラマでさえ時代背景を正確に捉えていても女性はこれはおかしいと唱えるのである

日本社会では閉鎖的な男性社会であったのは周知の事実であるのにも拘らずだ。

これではお遊戯桃太郎子供が全員桃太郎になったり、かけっこは全員が同着であるべきだという主張と同じである

この時ほど女性主義が一人善がりだと思った事はない。

最近のそれは非常に顕著であるまいか。

いつになったら女性女性主義という束縛から真の意味解放されるのであろうか。

2013-12-22

サードブロガーについて語らずにはいられない

池田仮名氏が自身の見解を発表した。

サードブロガー」という言葉の変遷に見る呪詛と祝福

http://bulldra.hatenablog.com/entry/2013/12/21/121133



これに対して匿名ダイアリーですぐに批判文が投稿された。

池田仮名様について一言いっとくか

http://anond.hatelabo.jp/20131221150536

サードブロガーはなぜバズワードとして終わってしまったのか

http://anond.hatelabo.jp/20131222145816




この2つの記事に共通しているのは、「池田仮名には伝える気がない」というものである

池田仮名様について一言いっとくか


池田仮名の語りはそもそもほとんどの人には全く伝わっていないのである

普通の人は何かを伝えようと思ってるならこんなわからない文章は書かない。

サードブロガーはなぜバズワードとして終わってしまったのか


サードブロガー提唱をした本人は

トマトブロガーになりませんかって茶化す記事があったときに一緒になって笑っていた。

別の人間も、フォースブロガーでもプラスアルファブロガーでもええやんと言い出した。

サードブロガーという言葉はどうでもいいって態度を見せた。

いっぽうで、はてなブログ馬鹿騒ぎに苦々しい思いをしている人たちは、

そいつらをまとめて表現する言葉を欲していた。

から、彼らが大して大事にせずにほったらかしにしてた言葉を使うことにした。

この動きがあった時も、大して反論のようなものは見られなかった。

この時点で、もはやサードブロガー提唱のものではなくなってしまった。

乗っ取りが完了してしまっている。




池田仮名には伝える気が無い」というこれらの指摘には私も同意する。池田仮名村上春樹なのである

村上春樹といえば「パンチを打ってこない作家」として私は認識している。

何か強い主張や信念の発露を期待して読むと、これは見事に裏切られる作家である

池田仮名氏の記事もこれに近い。不必要予防線が多く、何が言いたいのかわからない。また最後に「ま、俺はマジになってないけどね」と言いだすところもソックリである

その記事でも結局最後まで私にパンチが放たれることはなかった。

数々の事実誤認と「判断基準はぼくの内心」を前提にした批判を書いた増田の中では最終的に以下の定義に落ち着いたそうです。人が作った言葉にその定義を上書きすれば名誉回復の余地がなくて無敵ですね。ここまで「言葉」について軽視する人に「ブロガーとは〜」と言われていたのかと脱力しました。

http://bulldra.hatenablog.com/entry/2013/12/21/121133

これらの批判はパンチではない。グサッと来ないのである

まず自分の内心に価値基準があるのは当たり前のことであり、何を言っているのかよくわからない。

またサードブロガー定義が上書きされたことを怒っているが、そもそも私には定義などどうでもいい。

定義がどう変遷しようが、私はサードブロガーらしき人間たちが嫌いなのだから

名誉の問題についても私の責任であるかのように書かれているが、名誉回復くらいは自分でしてほしいもである

池田氏は記事でまた延々とサードブロガー定義歴史について説明しているがあまり意味が無いのだ。

「新しい」は「あらたしい」です!と主張しているようなものだ。

サードブロガープロレスが見たい


もともと、はてな民ブログを書いたり、ブックマークを付けていたわけ。

そこに俺達は古い人間とは違うねんってやってきたのがサードブロガー

なんだよサードって(笑)

ところがやってることはパクリ釣りみたいな記事、低レベルなまとめ、はてな運営とブコメに対する愚痴

プロブロガー志望のニートライターばかりが目立つ。

まあ何人かは生き残るだろうけど。

結局、サードブロガーなんてのは存在しない夢みたいなもの

他者を気にせず、上を目指さない孤高の存在

でも実態は、内輪ネタが大好きな承認欲求が強すぎる連中。

まるでニコ生生主みたいだから、いっそネットラジオとか向いてるんじゃないの?

それとも、もうやってる?

年末に「サードブロガー大集合 ~きのこ釣り師もいるよ~」っていう番組あったら見るよ。

http://anond.hatelabo.jp/20131222203706

上の記事が、大抵の人間見解ではないか


池田氏最後にこんな言葉で記事を閉めた。

こんな実生活関係しない事で、私を含めて多少なりとも熱くなれて良かったじゃんというところです。そうして「無駄時間」「無駄な怒り」「無駄な苛立ち」が消費されたわけですが、その効用については語りません。今日アイロニーを感じながらダンスを踊り続けるのです。たった数ヶ月の間に数々の呪詛を受け続け、変質し続けた「サードブロガー」という言葉に祝福を。

http://bulldra.hatenablog.com/entry/2013/12/21/121133

こうやって最後に「無駄なことごくろーさん」とスカす人間に、言葉についての意識をどうこう言われたくはない。

そういうすかした態度がサードブロガーという言葉を守りきれなかった原因ではないのか。

池田氏や他のサードブロガーたちについてまだまだ言いたいことはあるが、今回はここで終わらせておく。

http://anond.hatelabo.jp/20131211152656

http://anond.hatelabo.jp/20131025010235

2013-12-13

http://anond.hatelabo.jp/20131213140435

対立煽りとかしてるの? それともAA連投? 荒らしルール違反だと思うです。釣りユーモアアイロニーが含まれる知的遊戯だけど、荒らしにはそんなもんないです。おバカさんが暇つぶしてるだけです。

2013-11-25

虚構新聞が開いた新たな快楽の回路

最近また虚構新聞が叩かれている。

今回の件は置いておくとして、「筒井康隆を二、三冊読んで気が大きくなったオタクでも、そんな恥ずかしいことやらないんじゃない!?」という風刺のサムさをつつくもの典型的な批判だろう。

ただちょっと待ってほしい。

例えば下の記事を読んでみよう。

http://kyoko-np.net/2013110501.html

政治ネタで申し訳ないが、なかなか洗練されているのが分かる。

はいえ、これは風刺とは言いがたい。

しろ「バラバラに獲得した情報の断片が一気に繋がることによる快楽」があるように見える。(例えば今回では鳩山さんの「ルーピー」「トラスト・ミー」などの様々な言動が一つの記事上にバーッと載っけられている)

虚構新聞の記事は、ある意味子供っぽい全能感(自らをモンティ・パイソンになぞらえた当人に従ってサルバドール・ダリ的とでも言おうか)を与えてくれるように思われる。

ただ大切なのは、このような幼稚な快楽摂取があくまでも「アイロニーとしてやっているんですよ」という大義名分によって正当化されることだ。

虚構新聞はこのような複雑な構造を持っている。

よって、虚構新聞のことを「バンクシーに憧れた田舎大学生みたいでイヤ!」というように「風刺のサムさ」のみで批判するのは単純すぎやしないだろうか。

2013-11-03

映画ミスト』が面白い

 今さらだが観た。

 面白い

 ヒッチコックの『鳥』みたいな娯楽パニック映画かと思ったら、メッセージ性のある良作だった。

 銃(Gun)と神(Gad)、アメリカ象徴する2つのGが印象的な作品。

 この2つのGと、軍(もっと言ってしまえば連邦政府)が否定的に描かれる。

 他方、車・家族・祖父の植えた樹(ピルリムファーザーズ)はリベラル象徴として肯定的表現されている。

 ああ、やっぱりハリウッドリベラルだなぁと思いながら観た。

 この映画が良いのは、リベラル万歳で終わらないところ。

 自助独立の建国精神体現した主人公が銃を手に取るか否か迷うシーンで、主人公は銃を取ってしまう。

 さらにその銃で擬似家族ともいうべき仲間を殺めてしまい、リベラルは敗北する。

 ラストでは軍隊が颯爽と登場し、「やっぱり連邦政府は頼りになるよね」という強烈なアイロニーで幕引きとなる。

 分かりやす低俗で、人畜無害エンタメ作品を量産するハリウッドはよくシネフィルに叩かれる。

 ただ、時々本作のようなアートも作り、批評家から褒められる。

 そういう意味で歩留まりというか、潤沢な資金があって数を作れるハリウッド製作システムは本当によく出来ている。

2013-10-11

【鍋が釜を黒いと言う】などの言葉がありますけれども

メモとしてここに記す。

  

安冨歩東大話法

小野ホリデイ俯瞰中毒

  

最近この2つについて考えを巡らせている。

  

【個人的感想

小野ホリデイ氏は鋭い。

アイロニーを想起させてくれる。

2013-07-27

正論を言う人間になったらおしまいだ!

これから社会渡り歩く上で、是非とも知っておきたいこととして、世の中始末に負えない乱痴気野郎は数有れど、正論人間ほどタチの悪い、人生の詰んでいる人間は居ない。これは知っておいても損はないだろう。

これから社会へ羽ばたき偉業を成し遂げんとする君たちも、薄々感づいてはいるはずだ。学級委員長生徒会長のような正論マンの不甲斐なさ、そして冬の碧空にも似た慟哭に。

世の中に蔓延正論をなんとかして駆逐せねばならぬ、とまで考える人もいるだろう。また、正論どや顔で言うような族(やから)にだけは俺様はならん!と固く誓っている人もいるだろう。

しかちょっと待ってほしい。ここで大切なのは感情論の排除である。何事も感情的になっては琴をし損じる。感情的と言ってもヤキモキしたキモチを適切な形でストレートに吐き出すのはむしろ良いことである

そうではなく本当の感情は棚にあげて都合のいい別の感情正当化しようと論をひねりだすのが駄目なのだ。結局それは言い訳であり捏造にすぎない。自分にも他人にも嘘をつき、感情的になればなるほどその嘘の対立構造エスカレーションする。

から冷静に思考しなければならないよ。学生時代にロクに人と向き合うことなく2chなどをやり過ぎてきた人は特に注意。面接で俺は友達いるしサークル入ってたしバイトもしてた、なんて人がよくいるけど、

そんなのも名札(title)にすぎないのだよ。中身が肝心。素直な気持ち・意見をどれだけ適応的にやりとり出来たかどうか。その意味正論を文字通り「正しい」と思えるような人は危ないと言ってよい。

結局のところ正論というのも名札にすぎない。正しいと名札がついたことを言えば、一応は一定の力をもつ。絶対無敵とまではいかないが、たいていの場面で有利な形勢に持っていくことが可能であるという意味おいて。

ところがね、第1にそもそもにおいて「勝つ」必要などないのだよ。狡黠な人間になんてなる必要ないとも言い換えられる。ずるい人間って世の中いるよね。それは一種の適応とも言えるが。

よく考えてほしいのは、適応というのは常に不適応の可能性をはらんでいるのだよ。ある方向に適応したということは、他の方向に適応できなかったからかもしれない。ズルいってのはそういうことなんだ。

あらゆるファクターがありうるので一面的に決めつけることはできないけどな。けれどもそれがもし不適応からきた果実だとしたらそんなに哀しい色の果実はない、そう思わないかいということなんだ。

第2に正論はあくまで論の正しさに過ぎない。論とは前提たる命題に推論規則を用いて演繹していくプロセスなのだがな。ともかく論の正しさはあくまで推論の正しさであり前提の正しさではないという中学校から教わってきた当たり前のことなんだ。

当たり前だがみんなすぐ忘れてしまうから常に確認しながら進んでいかないと行けないんだ論者たちは。でないと、、中学生が見てもバカじゃんこの大人たちはって言うようなことが頻発するのだ。

人間は多くの人間自身が考えているよりもスキが多い、不注意が多い、手抜かりが多い生き物なんだ。だから当たり前のことを当たり前にやれる大人になること、これが何よりも大切で、難しいことなんだ。

岡目八目と言ってハタからみて批判するのは簡単だけど実際にそういう立場になったとき自分自身しっかりやることが肝胆だよ。だから正論を畳みかけるように言われてもジト目で疑うことを怠たらない誠実さを忘れてはならない。

そういったことを抜かりなく積み重ねていく先に成長がある。正論を疑うにあたっては、繰り返すが感情的になってはいけない。感情を包み隠さず適切な形で表現するのは良いことではあるが、感情に論がくっつくと

途端に一気にタチの悪い一揆を巻き起こして塗炭の苦しみに見舞われてしまう、と述べたね。ここで1つ感情的にならないコツを教えよう。こと人間関係になると多くの負の感情は恐れからやって来る。

怒りも恐れ、恥ずかしさも恐れ、不安も恐れ、いろんなことが恐れから来ている。そしてそのことをみんな自認したがらない。だからビビり先輩ちーっすwな煽りが万国共通に通用すると。

から恐れを常に認めないといけない。認めるためには心の余裕が必要なの。心に空きスペースがないと駄目なの。ワーキングメモリが一杯になると他の事考えられなくなるでしょう。

実は人間は生きる心構え次第で必要な余裕が雲泥の差なんです。一般には精子いや生死をかけた闘いを日々繰り広げる人ほど沢山の余裕が必要と考えられている。しかし実際は彼らの95%は忙しいの字は心を亡くすと

書くとの格言どおり忙しさのあまり心が狭くなっていますから、それでもなんとかやっていけてるということは実は大して彼らのような生き方のためには別に特段余裕が必要なわけではないんですよ。

ただしそれは「毎日をなんとかやり過ごす上では」不必要ということであり、「日々をよりよく生きるためには」あるいは「今後の人生のためには」もっと余裕が必要ですよ。狭い心のままではいつかSAN値ピンチになります

そう、「よりよく生きるためには」もっともっと余裕が必要なんだよそこの君。倫理(ethics)とは本来は儒教的な処世術ではなく日々をよりよく生きる方法を追求する学問であった。

自分のことばっかり考えてガンガン心を狭めていては結局のところ苦しい境遇に追い込まれていくようにうまく世の中はできている。天網恢々疎にして漏らさずとは至言なり。

オデッセウスの鎖―適応プログラムとしての感情』の紹介文を見てごらんなさい。「感情はなぜ存在するのか。感情がその場限りの自己利益を越えてより合理的に行動を方向づける働きがあることに着目し、

今まで十分に理解されていなかった利他行動など、一見非合理的にも見える行動のメカニズムを鮮やかに解き明かす」。この問題意識と解決の試みに非常に高い知性を感じざるを得ません。

実は感情は我ら人間の誇る高級な機構であったという発見が続々と為されている。そういった感情を捨象してロボットのように正論を言ったり感情捏造して論理で塗り固めたりするのはもう今年で卒業しよう。

来年からはきっぱりケジメをつけて全く新しい人間に生まれ変わるつもりでいこう。ただしだイチローの「変わらなきゃも変わらなきゃ」の精神は忘れちゃならんぞ。必死に変わろうとする人間がよく陥る罠。

変わろうと歯を食いしばることは現状を強く否定することになるが、実は否定すればするほど暗に弥が上にも強く肯定してしまう結果になるのだから、決して無理に変わろうとしてはいけない。

これも人間関係と同じで根底には恐怖がある。忙しさを好む精神の奥底にはしばしば恐怖があるのだ。一般に強くコミットしようとする性向の背後には恐怖があるということ。

から強くコミットしようとするのではなく、ソフトアプローチ。これが大原なのだが、そのためには実はたくさんの余裕が必要なんです。だから言ったとおりでしょう心構え次第で雲泥の差。

余裕といってもロマンティック・アイロニーのやうな嘲笑や放蕩ではなく、きちんと自分の行い、思考を決める規律を自分で定めないといけない。

クラピカも制約を自ら誓約して力を手にしたのだからこの支配から卒業して賜杯を手にするには規律を自らに課すことが必要不可欠といっても過言ではなかろう。

ぱっと見なめし革のような硬質な立派さを漂わせてはいもののそれはあくまで虚構で、その内に秘めたる醜さは計り知れない。だから俺はブランドもののバッグが大嫌いなんだ。

ともあれ人の心にハリボテエレジーのような哀愁があり、それを我々は他者や社会との関係の中で再現しているに過ぎない。しあわせに小石をなげて。

その修正を試みるのがサイコドラマの主旨である。ともあれ正論という古い規律を捨てて感性的であろうとすると俺たちはいとも簡単に自己否定ワナにかかってしまう。だから新しいマイルール必要なのだ

マイルーラ見かけなくなったなと思ってたら2001年3月製造中止。 テレビCM大学文化祭宣伝しだしてから若者の間で非常に人気が出て世論の批判を浴びたことが原因とな。

2013-04-05

小沢健二について 1

「終わらないで欲しいものが実はもう終わりつつあること」に気付きながらも、なおもダンスを踊ること。だがしかし、それがけっして希望未来に繋がりはしないこと、一方では完全に分かってしまってもいて、だからそこには明らかに一種のメランコリーが隠されているのだが、では「終わりつつある」が、遂に「終わってしまった」に変わり、そのことをもはや認めざるを得ないのだとしたら、一体どうしたらいいのだろうか?

「当時、彼の書く歌詞や曲の世界は、あまりにも楽観的で表層的だと揶揄されたりもしたが、そこに同時に苦悩と諦念と、それでもなおそれらに何とかして撃ち勝とうとする「強い気持ち」を見出せなければ、彼のことをわかったことにはならないだろう。阪神淡路大震災地下鉄サリン事件が起こった年に「さよならなんて云えないよ」と「痛快ウキウキ通り」を発表する人間の、何ともいえない複雑さに気付けなければ。」

以上は佐々木敦オザケン論の抜粋だ。

年末あたりから小沢健二を頻繁に聴いている。一言でいえばハマってしまったのだ。いや、というよりも心酔してしまった、といったほうが正確かもしれない。僕の生活を傍から誰かが覗いてみればおそらく気持ち悪がることだろう。とにかくここ最近毎日小沢健二漬けだ。自分生活が、人生が、小沢健二に溢れている。ここには些かの誇張も比喩もない……。

なぜ小沢健二なのか。無論彼の音楽が素晴らしいからで、それは後追いで彼の音楽を知った者としては「今現在聴いても」というような注がどうしても付随するが、事実彼の音楽全然古びていないし、それどころかむしろいまのほうが当時より一層重要性を帯びているとすら感じられるから、なのか……。そう断言したい気持ちもあるのだけど、自分でもよくわからないというのが率直なところだ。ここでいう当時とは彼の活動が全盛を極めた90年代半ばを指すが、その後彼はメディアから急速に姿を消し、CDリリースも絶え絶えになる。これは周知の事実。では小沢健二はいったい何者だったのか/なのか。もちろん彼を過去形で語るのは正しくないし、絶対に間違っているとすら思うけれど、とりあえず90年代の彼の音楽家としての活動とその意義などはひとまず暫定的に総括されて然るべき問題だろうと強く思う。小沢健二はそれぐらい大きな存在だと思うし、その大きに比べると彼は「まだまだ語りきられていない」と思われるのだ。

 

小沢健二音楽リアルタイムではじめて聴いたのは、たぶん「ラブリー」だったと思うし、それ以外はほとんど記憶がない。というのはその当時(94年頃)の僕はまだ小学生音楽のものにあまり興味もなかったし、もしあったとしても彼の曲の良さを感受することは出来なかっただろう、おそらくは。そして物心ついた時には彼はすでに音楽の場から遠のいていた。何れにせよ今まで聞き逃してきたわけだ。といっても今までに何度かニアミスはあった。物心ついてそれなりに音楽を嗜むようになり、そのなかには渋谷系と称される音楽もいくつかあり、とりわけ渋谷系と称されるジャンルにおいて小沢健二は中心的な存在だった(はずだ)。だけど、それでもなぜか意識して小沢健二を聴くことはなかった。なぜだろう、とふと考える。というのも、つい最近まで彼のことを意識して考えたことすらほとんどなかったので自分でもよくわからないのだけど、ひとつ思い当たるふしがあるとすれば、それはやはり当時耳にはさんだ「ラブリー」の印象が大きかったかなのだと思う。もちろん、「嫌い」といえるほど彼の音楽メディアでの振る舞いを見ていたわけではないけれど、それでもやっぱり「ラブリー」のあの底抜けに明るい(今でこそ違う表現ができるのだけど)感じをリアルタイムでは軽薄なものとして受け止めた気がするのだ(いまでも彼の音楽をそういうものとして受け止めている人たちが大勢いる)。だからなんとなく避けてきたというか、ちゃんと聴かなかったのだと思う。そんな僕が小沢健二意識し、興味を持ったのは、彼が所謂反グローバリズム運動に関わっている(らしい)と聞いたからだった。だからはじめは音楽とは関係ない。いやあんなポップな歌を歌っていた人がそんな活動をしてるんだ、という意外性によるものから関係はあるのだけど(そういえばセリーヌに興味を持ったのも彼がべらぼうな反ユダヤ主義者(らしい)と聞いたからだったのだ)。

そんなこんなである何気なくyoutubeで「ある光」を聴いた。そして一瞬にして胸を打ちぬかれた……。真摯、としか形容することができなかった。そこにあるのはなんの修辞もアイロニーもなく、ただひたすらに真摯敬虔な歌だったからだ(それゆえになかなか危険な曲だと思う)。そして続けざまに聴いた「ラブリー」で嗚咽した。この「ラブリー」という曲の持つヘビー級の重さに僕は小沢健二という存在が理解できたような気がした。一見とてもポップで底抜けに明るいこの曲のいったいどこがどう重いのか。彼の音楽は多くの人たちから多幸感溢れる音楽」云々と形容されてきたのだけど、それは正しくない。正確にはこうだ。小沢健二音楽は多幸症である……。多幸症。そう、これはある種の症状であり、とりわけ「ラブリー」に顕著に見られる明るさは明らかに病的である、と。「ラブリー」にはそういった趣を感じるのだ。小沢健二音楽を聴くことは、すなわち完全なる多幸症を生きることを含意するといってもいい。

2013-02-11

イケダハヤトとやまもといちろうとその取り巻きを見て

議論の内容云々以前の問題でどっちも感情を逆なでる臭いアイロニーを言いまくってるだけ。

それを2ch増田NAVERみたいな匿名の場で行ったり、Blogで身分を隠してやるならまだいいんだが、

精悍な顔をした新鋭IT企業取締役人生豊富で髭を蓄えた壮年がやっているのは余りに目に余る。

自分自身の価値を貶めていることに気が付かないのだろうか。

いや、自分自身だけならまだしも、彼らの企業で働いている従業員や部下、

対外的な顔にも気を使っているベンチャー企業の方達も同類に思われて迷惑に思っていることに気が付かないのか。

やるならせめて身分を隠してハンドルネームブランド化して影響力を持たせてやってくれよ。

頼むからさ。

周りが迷惑

2010-08-25

http://anond.hatelabo.jp/20100825094730

だから、そういう物言い大衆の支持を失うって事を、左派は全然理解してないんだよ。「ウィットに富んだアイロニーだから」で、お仲間以外が納得するとでも?

「俺(我々)の中ではこうなんだから正しいのだ」じゃあ、いつまで経っても仲良しグループのなれ合いレベルから脱却できない。「死ね」だの「人の形をした豚」だの、そんな事を平然とネットに書き込める人間を、何も知らないノンポリな人が見たらどう思うか、考えたことある?

そういう想像力が働かないからこの国のリベラルは死にかけてるって事だよ。彼らが忌み嫌う「ネトウヨ」と何ら変わらない。

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