依怙贔屓という奴で昔から男性社会では当たり前のように行われてきた事が女性が入った事で突然の変化に戸惑い、
昔からある昭和気質のせいで女性は社会では結婚する以外に良い事はないと教え込まれてきた層が今もいるの対して
男性主義者と呼ばれる人たちの粗を探し出して女性を敵視するのは悪だと言わんばかりである。
とかく昔からドラマにはある一定のプロパガンダがあってそれを基に色々な批判、主に男性社会へのアイロニーを込めた社会風刺劇を
繰り広げてきたものだ。
それが今では男性が少し配慮を欠いた行動をとっただけで女性差別だ、男性主義だ、女性は虐げられてる等と言われのない噂話を根拠に
様々な批判をして男性が全て悪いかのように煽動するようになった。
それならば女性だけの女性による女性のための女性向けドラマだけを作ればいいのではないか。
しかしながら、過去には男性社会に揉まれても反抗して雑草魂のように自らを周囲を奮い立たせる男勝りの女性ドラマが多くあった。
それではダメなのだとしたら、もはや男性は全て排除しなくてはいけなくなる。
男性社会を形成したのは男性というレッテル貼りを続けるのであればそれも仕方のない事だろう。
一体どうすれば男性主義だの女性差別だのとレッテル貼りを辞めてくれるのだろうか。
「女は家事さえ出来ればいい、結婚するのに勉強は邪魔にしかならない」
確かにこの時代の女性は女性主義云々を考えようにも社会が男性しか求めなかった時代だから仕方がないだろう。
しかし、このドラマでさえ時代背景を正確に捉えていても女性はこれはおかしいと唱えるのである。
日本社会では閉鎖的な男性社会であったのは周知の事実であるのにも拘らずだ。
これではお遊戯の桃太郎で子供が全員桃太郎になったり、かけっこは全員が同着であるべきだという主張と同じである。
この時ほど女性主義が一人善がりだと思った事はない。
女性主義という束縛から解放されている女性もいるし、そうじゃない女性もいる。 個別の問題だから、全体を語ると語弊がでると思う。
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