今回の件は置いておくとして、「筒井康隆を二、三冊読んで気が大きくなったオタクでも、そんな恥ずかしいことやらないんじゃない!?」という風刺のサムさをつつくものが典型的な批判だろう。
ただちょっと待ってほしい。
例えば下の記事を読んでみよう。
http://kyoko-np.net/2013110501.html
政治ネタで申し訳ないが、なかなか洗練されているのが分かる。
とはいえ、これは風刺とは言いがたい。
むしろ「バラバラに獲得した情報の断片が一気に繋がることによる快楽」があるように見える。(例えば今回では鳩山さんの「ルーピー」「トラスト・ミー」などの様々な言動が一つの記事上にバーッと載っけられている)
虚構新聞の記事は、ある意味子供っぽい全能感(自らをモンティ・パイソンになぞらえた当人に従ってサルバドール・ダリ的とでも言おうか)を与えてくれるように思われる。
ただ大切なのは、このような幼稚な快楽の摂取があくまでも「アイロニーとしてやっているんですよ」という大義名分によって正当化されることだ。
よって、虚構新聞のことを「バンクシーに憧れた田舎の大学生みたいでイヤ!」というように「風刺のサムさ」のみで批判するのは単純すぎやしないだろうか。