2013-11-25

虚構新聞が開いた新たな快楽の回路

最近また虚構新聞が叩かれている。

今回の件は置いておくとして、「筒井康隆を二、三冊読んで気が大きくなったオタクでも、そんな恥ずかしいことやらないんじゃない!?」という風刺のサムさをつつくもの典型的な批判だろう。

ただちょっと待ってほしい。

例えば下の記事を読んでみよう。

http://kyoko-np.net/2013110501.html

政治ネタで申し訳ないが、なかなか洗練されているのが分かる。

はいえ、これは風刺とは言いがたい。

しろ「バラバラに獲得した情報の断片が一気に繋がることによる快楽」があるように見える。(例えば今回では鳩山さんの「ルーピー」「トラスト・ミー」などの様々な言動が一つの記事上にバーッと載っけられている)

虚構新聞の記事は、ある意味子供っぽい全能感(自らをモンティ・パイソンになぞらえた当人に従ってサルバドール・ダリ的とでも言おうか)を与えてくれるように思われる。

ただ大切なのは、このような幼稚な快楽摂取があくまでも「アイロニーとしてやっているんですよ」という大義名分によって正当化されることだ。

虚構新聞はこのような複雑な構造を持っている。

よって、虚構新聞のことを「バンクシーに憧れた田舎大学生みたいでイヤ!」というように「風刺のサムさ」のみで批判するのは単純すぎやしないだろうか。

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