はてなキーワード: あまちゃんとは
テレビドラマのベストは単年ぐらいならともかく期間が長くなるとそれぞれの人が自分が見た中でしか選べないので難しい。
これまで見た中で一番網羅性がありそうなのは、TVガイド誌が(一社)日本放送作家協会の協会員に一人10本ずつ選ぶアンケートを2019/12〜2020/1に実施、約700名の会員のうち、回答のあった約150名の選んだものの、本数を集計したオールタイムベスト。
このメンバーだったら、主要なものをだいたい見た上で選んでいるでしょう。
19.いだてん
https://www.amazon.co.jp/テレビドラマオールタイムベスト100-TOKYO-NEWS-BOOKS-TVガイドアーカイブチーム/dp/4065214920
本当のオールタイムは選べなかったため平成に絞って俺もやる。テレビドラマは消えものでアーカイブされにくいジャンルで、時代をここ35年に絞ってみても網羅できないという問題はある。そのため、俺の観ていない重要作の話をどんどんしてほしい。1脚本家1作品に絞った。俺はテレビドラマは脚本家のものだと思っている。
トレンディドラマの代表作の1つにして、トレンディドラマの終末期の傑作。フジ「月9」枠の代表作でもある。「東京では誰もがラブストーリーの主人公になる」をキャッチコピーに掲げ、等身大の若者たちの姿を描き出した。2010年以降の坂元裕二の影響なども考えランクイン。
こちらもトレンディドラマの終末期の傑作であり、お世辞にも男前とは言えない武田鉄矢の叫びは、"トレンディ"の終わりを印象付けた。TBS『高校教師』でも、好きな野島作品に入れ替えてもらって構わない。90年代には確かに野島伸司の時代があった。
田村正和亡き今も、再放送され、パロディされ、やたら話題になる三谷幸喜のコメディ。ホームドラマや恋愛ドラマなど、会話による人間関係の機微などを守備範囲にしていたテレビドラマが、ストーリーのダイナミズムによる面白さにシフトしていったのは、アメリカのコメディから影響を受けた三谷幸喜の功績がある。個人的には『王様のレストラン』のほうが好み。
他のタイトルに合わせて脚本家をクレジットしたが、今作を選出したのは何といっても堤幸彦の出世作ということにすぎる。『ケイゾク』『池袋ウエストゲートパーク』につながる斬新な演出は一時代を築いた。「土曜グランド劇場」に旧ジャニーズの若手が主演していくのもこの頃からで、後の『透明人間』『ごくせん』『マイ☆ボス マイ☆ヒーロー』などにつながっていく。
「テレビドラマ」というフォーマットを映画館に拡張した功罪ある作品。テレビドラマのメディアミックスの先駆けといえ、映画館はこれ以降テレビ局製作の作品であふれることとなった。『踊る大捜査線 THE MOVIE』は未だに実写の日本映画の歴代興行収入1位に燦然と輝いている。今秋新作が公開された。
21世紀最初の朝ドラ。シリーズ化され、現在も再放送されている。『ちゅらさん』が描いた疑似家族によるホームドラマはその後も『すいか』『11人もいる!』『逃げ恥』『カルテット』と平成ドラマの1つのパターンとなった。岡田惠和の功績は膨大な作品数の作品を書いていることで、彼がいなければこの時代のテレビドラマシーンは空洞化していたかもしれない。
クドカンは物語自体の面白さに注目されがちだが、彼の功績は、若者たちがダラダラ話すという「日常ドラマ」を描いて見せたことにある。彼の脚本は、小ネタやギャグがストーリーに連結してゆく。木更津という周縁の田舎の共同体の風景がドラマになるということは革命的出来事だった。大きな物語を失った後のゼロ年代的転換。
遊川が成し得た功績は『女王の教室』の真夜(天海祐希)のような強い、誇張されたキャラクターによるドラマを成立させたこと。それは後の『家政婦のミタ』の大ヒットにもつながった。彼の過剰な演出は賛否が分かれるが、常に時代と向きあい続けるための一つの方法論なのかもしれない。
2000年代後半に停滞していた朝ドラの復権は間違いなくこのドラマからで、この作品がなければ『あまちゃん』ブームもその後の『ごちそうさん』や『あさが来た』『ひよっこ』などの良作、令和の『カムカムエブリバディ』のヒットも存在していなかったと過言しておきたい。そういう意味でハッシュタグなどでのTwitterなどの賑わいにも一役買っている。朝ドラの復権は同時にその後のNHKドラマの復権を意味していた。
TBSドラマの復権ということでいうと後述の『JIN-仁-』を挙げてもよいのだが、その後池井戸潤ドラマの隆盛という意味でも半沢直樹を。いうまでもなく『VIVANT』へと繋がる日曜劇場の系譜である。主演の堺雅人は『リーガル・ハイ』や『真田丸』という傑作でも存在感を示した。
本当は問答無用に最重要作として今作を挙げたかったのだけど、視聴率や知名度を考えて日和ってしまった。今作は『ちゅらさん』で描かれた疑似家族によるドラマ、『木更津キャッツアイ』で書かれた日常のやり取りのドラマを深化させた。そこに大島弓子的ファンタジーをブレンドさせ、ドラマが物語る対象を変えてしまった傑作。
90年代と10年代の坂元裕二を別人とするなら10選にねじ込んでしまいたい。10年代の坂元裕二作品は、テレビドラマが扱えるダイアローグのレベルを一段上へと引き上げた。10話における瑛太と風間俊介の会話は他に代わるもののない名シーンだと思う。現在のドラマシーンは、坂元裕二のフォロワーで溢れている。
これだけトレンディドラマの話をしているのに、鎌田敏夫の名を漏らしてしまい、それは平成以前になってしまうので、それ以降から一作挙げるなら『29歳のクリスマス』を強く推したい。元祖『9ボーダー』。取り巻く環境は変わっても、年齢を巡る憂いは不変のものなんだと。
坂元裕二と並び、この時代の天才をもう1人挙げるなら、野沢尚を挙げてしまおう。野沢の深いキャラクター造形はその後の作品に影響を与えた。彼が存在し続けたら、この選も変わっていただろう。またキムタクドラマも1本を挙げていないというのも偏っている。それだけこの時代の彼の存在は異常だったのだ。挙げるならこの作品を挙げたい。
あるいは今作か。トレンディドラマと2000年代の間には間違いなく北川悦吏子の時代があった。北川悦吏子は近作が色々言われることもあるが、それは(例えばミスチルがそうであるように)強烈に時代と寝た人物にだけ得られる特権だ。そのため、俺は何があっても今後北川悦吏子を擁護し続けていきたいと思う。
この10選からは確実に存在していた深夜ドラマの文脈がごっそりと抜け落ちている。『孤独のグルメ』や『おっさんずラブ』に繋がっていくような深夜ドラマの系譜。『時効警察』はシティーボーイズの放送作家三木聡の最高傑作である。近年では主演だったオダギリジョーが謎の力でそのパロディをNHKドラマ⇒映画化までさせているが、盛大にスベっている。
一部では「朝ドラ史上最高傑作」の呼び声もある今作。戦争もの・女の一代記としての朝ドラ。岸和田の街に生まれ、生きて、老いて、死んでいく強いヒロイン。渡辺あやは強烈な作家性を朝ドラにおいて発揮させ、それはこれ以降の朝ドラの指針が転換される契機にもなったのかもしれない。(だからこそ『純と愛』などが生まれてしまったとも言える)
坂元裕二、岡田惠和、宮藤官九郎、遊川和彦、木皿泉、渡辺あやらの作品を挙げておいて、森下佳子の名前を出さないわけにはいかない。構成力という点で彼女の右に出る者はいないのではないだろうか。森下佳子の手にかかれば、物語における伏線は人生の因果に映り、プロットは運命へと変貌する。TBSドラマの復権のきっかけとしても、今作を挙げておきたい。
野木亜紀子を10選から漏らしてしまったのは痛恨の極みであるが、令和の選が今後もし出来るなら1番に入る人であるのでご容赦いただきたい。社会的テーマをポップにテレビドラマの次元で取り扱い、ヒットさせてしまったのは見事。野木亜紀子はもともと原作ものの実写化の手腕に定評があったが、『アンナチュラル』『MIU』とオリジナル作品もヒットさせている。
場末では売れるかもしれないけど、そういうとこは勤務時間守れないギリ健がなんとか働ける程度の場でありお賃金としては普通に昼職で働いた方がマシなぐらい安い
https://i.imgur.com/GgD8B2H.jpeg
船橋少女殺人事件では主犯の女は無期懲役なので今回もそうなるだろうけどギリ健すぎて割引になる可能性も
「八木原さんは挙動不審な店員さんとして有名でしたよ。レジ打ちなどのミスが多く、『どうしよ、どうしよ』とよくテンパっていた。常に落ち着かない感じで身体を前後にユサユサ揺らしていたり、ブツブツなにか独り言を言っているので、正直気味悪がられていました」
https://bunshun.jp/articles/-/74535?page=2
「八木原さんは勉強がクラスで1番できないくらいだったし、運動も苦手なタイプでした。地味だけど真面目だったので、部活は合唱部で一生懸命やっていたと思います。みんなからは『あまちゃん』とか『八木原』とか呼ばれていました。
いじめられるまではなかったけど、クラスでは浮いた存在というか、みんなから好かれてはなかったです。休み時間や移動教室のときも常に1人でいて、友達はいなかったと思います。
当時から小柄で色白でしたが、髪は長かったです。大人しいタイプで、校則を違反するようなこともなかったので、今回ニュースで事件を知ってすごく驚きました」
https://news.yahoo.co.jp/articles/09de0d23895ff9c84da20edea76dd1d2eaa06398?page=2
https://anond.hatelabo.jp/20240826173020
これを読んで、昔はてブで良く見かけた人って今何してるのかなぁって気になったので調べる。明日から三連休だし、みんなも協力してね(仕事がある人ごめんなさい)
他に思いつく人います?
「虎に翼」を評価してる人って普段どういう作品を楽しんでいるの?
好きなドラマ、映画、漫画、ゲーム、演劇、なんでもいいから教えて欲しい。
なんでかって?
私は虎に翼が面白いとは全く思えない。
正々堂々とハッキリ言っておくのがフェアだろう。
私が朝ご飯をリビングで食べる時間に母親が毎朝見ているから一緒に見せられているが、全然面白くない。
出勤日には食堂や休憩室のテレビで同僚と一緒に見ることもあるが、全然面白くない。
なんでこんなのを見せられなきゃいけないんだろうと思ってる。
つまらない。
虎に翼だけは特別面白いとも思えないし、それ以前にやっていた作品と差があるようにも思えない。
そして、虎に翼は正直言って他のドラマよりもある意味でレベルが低いと思っている。
扱っている題材が単なる恋愛モノに留まっていない分、出来の悪さがより如実に出やすくなっているように感じるからだ。
「じゃあ逆に、虎の翼が好きじゃない人はどんな作品が好きなんだろう」と感じた人もいるだろう。
それに先に応えるのがフェアだろうから回答する。
国産ドラマなら「dele」「民王」「おいしい給食」が最近(もう結構古いな・・・)だと好きだった。
海外ドラマの場合は本当につい最近配信された「フォールアウト」を推したい。
小説だとミヒャエルエンデ、劉慈欣、恒川光太郎、村上春樹といったファンタジー系の作家を好んでいる。
映画ならファンタジー作品だと「チャッピー」のようなSF+人間は愚か、実話系でも「イミテーション・ゲーム」のようにサスペンス寄りなものが好きだな。
全体として、手間暇をかけて世界観、空気感を構築する作品を好んでいるようだ。
さて、じゃあ私は「虎に翼」に対して丁寧な世界観や空気感の構築を感じていないということなのではという仮説が立つな。
うん。そうなんだと思う。
「この時代はこんなにも男女不平等だったんですよ~~~~」と視聴者に語りかける時の説明台詞っぽさは本当になんとかならないのかと感じてしまう。
説明することにばかり意識が言っていて、その中に不自然さが溢れているんだよ。
生まれてから今日まで当たり前のように男女不平等の世界に生きてきた人々であるという感覚がそもそもないとういか、突然あの時代に転生してしまった現代人が必死にあの時代の人間のふりをしているかのような語り口なのはなんとかならないのか。
脚本を作っている人たちの中に、男女の生き方についての「常識」が違ったという前提がすっぽり抜け落ちているようにさえ見えてくる。
「男(女)が~~~なのは当たり前でしょ?」という感覚の当たり前感が薄っぺらい。
劇中でそれをわざわざ再度強調する時の
「女~~~~!!!女ごときが~~~~~!女め~~~~!!!」
「え?女だから駄目なんですか」
「女ごときが~~~俺が間違っているというのか~~~~~」
「それは法律が間違っているんです」
「女~~~~まだ言うか~~~~~~!!!!」
みたいな流れも見ていていい加減うんざりするというか、アレを作劇的に意味があるものだとして監督やディレクターがOKを出している、というよりも後押しをしてより安っぽい作りにしようと頑張っているんだろうなということに程度の低さを感じて目眩がしてくる。
男女平等啓発のための30分程度の教育ビデオならともかく、30時間も尺があるドラマで「物語を通して薄っすらと見えてくる現代とは違う男女観」を浮かび上がらせることを放棄して、露骨にでっち上げた憎まれ役に「女ごときが~~~~」と何度も言わせているのは稚拙と言わざるを得ない。
なぜ、こんなものが評価されているのか、私には本当に不思議でならないんだよなあ。
追記:
皆さんの好きな作品
国産ドラマは「最愛」「vivant」、海外ドラマは「グッドファイト」「トッケビ」、アニメは「PSYCHO-PASS」、本は小説より宇宙物理が好き、映画はネイチャードキュメンタリーが好き。
朝ドラだと「あまちゃん」「ゲゲゲの女房」「エール」大河だと「鎌倉殿の13人」「いだてん」「西郷どん」「真田丸」辺りが好き。
北村薫の推理小説、白石加代子の一人舞台劇「百物語」、柿本人麻呂の長歌、スーシェのポアロ、グールドのバッハとグルダのモーツアルト、ジョージ・セルの「ハーリ・ヤーノシュ」。
漫画課金勢ワイ、この一年で見てるドラマは虎に翼だけ。こんな私が漫画で好きなのは、違国日記、君の心に火がついて、隠密お局、明日カノ、薬屋、町田くんの世界、平和の国の島崎へ、繕い裁つ人、銀太郎さん等
同じくカーネーションが飛び抜けてるという感想だが今回のも秀作。光る君へ、鎌倉殿、拾われた男、エルピス、大豆田十和子、カルテット、大奥(nhk)、MIU404他野木脚本など
今クールはアニメ「ウィンドブレーカー」「転生貴族、鑑定スキルで成り上がる」見てる。/ 一番好きな漫画は「ワールドトリガー」
鎌倉殿と野木亜紀子と坂本裕二が好き…。ごめんね、ど定番で。。マンガは萩尾望都と吉田秋生、小説は恩田陸と村上春樹が好き
虎に翼みたいに、主人公がペラペラよく喋るドラマは掛け合い漫才みたいでわりと好き。逃げ恥とか、ミステリと言う勿れとか、大豆田とわ子とか。
なるほど、色々あるな。
虎に翼以外の朝ドラも見てる人が多くて、大河も見てる人が多いっぽいがそもそも視聴率が高めだからなんともだな。
大河だと鎌倉殿が人気っぽく見えるし、全体として味付けの濃いキャラがたくさん出てきてガヤガヤしてるタイプが好きって傾向が強そうに思える。
なるほど。そもそもの前提として適当に見るような作品として作られているのか。細かい機微を表現することを最初から捨てているとああいった大雑把な演技・脚本になるんだなあ。
「男女の生き方についての「常識」が違ったという前提がすっぽり抜け落ちている」その常識に疑問を抱き戦った女性達の話なのでああなるのは作劇上必然。当時の常識に従い耐え忍ぶ話が見たいなら別の話をどうぞ
ちょっと話が噛み合ってないかな。前提としている常識の違いを台詞によって表現する際の微妙な機微が出せていないという話なんだが。まあこれもそもそもながら見前提の大味演技のせいで削ぎ落とされてしまった部分ということなのかな。だとしても、それを出せない癖にこういった題材を扱うのはなんというか・・・失礼な気がするんだがな。
この人がちむどんどんをどう乗り越えたのかが気になる。
乗り越えられなかった。「ちむどんどんする!ちむどんどんする!」の声を聞きたくなくて別の場所で飯食ってたよその時期。
なんとなく色々分かった気がするので増田で聞いて良かったと思う。
今日はよく寝れたので爽快よ。
そうこなくっちゃ!って感じの日頃のこのペースが大事なのよ。
そんでさ、
いつもいつも私が困っている話題の一つとして多く取り上げられスポットを上げるとしたらのニュースでよく言ってる
つい先日Nintendo Switchの容量ももういっぱい!
ダウンロードできない!
でもできちゃってるのなんでだろうなんでだろう?って思ってたら本体の方に保存を切り替えてそっちの方に保存していたので、
そう言うことなのねって思ったわ。
でね、
ディスクの容量がなくなったら以後録画が取れなくて途中だったら録画容量がなくなりましたけどって言うのよ。
でも私安心!
膨大に録り溜めておいた朝ドラの『ブギウギ』もここ何日かに一気観!
いよいよ今週最終回だしね。
配信でなんとか見れるのよ。
切れてなーい!って言う節の言い方で番組が録れてなーい!ってなっても安心ね。
でも慌ててみないと配信の期限が切れちゃうから見逃しを見逃さないようにしないと。
でも配信終了間際21時55分まで!って切迫したときってあるじゃない。
あれってでもアプリの振る舞いか配信サービスの振る舞いか分かんないけど
少なくとも私はそれ大丈夫セーフだったみたいで、
ぎりぎりに飛び込み前転をかましたい気持ちでぎりぎり視聴するんだけど
情け容赦なく配信時館終了したらその瞬間終了になって聴けなくなっちゃうのよね。
途中でもよ。
聴き始めてから24時間以内で聴き終えないと終了しちゃうと言う。
1週間の猶予はなく、
聴き始めスタートしてから24時間以内に聴いて下さいってスタイルは切迫追い込まれる感あるわよね。
なので
結構長尺の4時間ラジオ番組とかは気合い入れて聴かないと聴ききれないのよ。
そういった
アプリかな?配信サービスの振る舞いで終了期限になったときの振る舞いが違うくなってるのあるから要注意よね。
結構2時間番組とか調子に乗って録画しちゃうと一気になくなっちゃうのよ!
もう早く見るのを終わらせないと次また新しいドラマ朝ドラ始まるじゃん!って思うけれ
よくよく考えたら
朝ドラの毎日15分の尺で半年とかよく長いのドラマやるわよね!って思うわ。
これ毎回毎回1話の終わりに波乱を起こせるわけないじゃん!って思うけど
ココ終盤になって一気にこの波乱を詰め込む感じの『ブギウギ』はなかなか面白かったと言っても過言の言い過ぎでもないかも知れないわ。
だけど『エール』の最終回のエールコンサートはあれは予想外だったので、
最終回史上最高のこえることのできない回だと思うけど、
毎回見続けていたら、
そうでも無いけれど、
今から過去の朝ドラ見始めるシリーズ長いのって思うとちょっと中長期的にと言うより長期的な尺のあの番組ドラマは観るのボリュームが重すぎるわよね。
過去の配信ドラマやってるのはいいんだけどとてもじゃないけど見きれないわ!
まあこんな感じかしら、
うふふ。
昨日晩マーケットに寄ってきたので
お疲れさま割引のくたびれた売れ残った焼き魚を私サルベージュして今日の朝ご飯のお供としました。
煮魚って余りがちだけど私好きなのよね。
魚美味しいのにみんな肉とかなのかしらね?
まあ私みたいなのがいるからそういう魚たちもサルベージュして私の朝ご飯の食卓に並びそして私の胃に沈んでいくんだけどね。
お味噌汁もあれば上等かしら?
気分もきっと上々に爆上がり間違いないこと間違いなしね!
朝起きたらお湯が沸いているの!
感激よ。
すいすいすいようび~
今日も頑張りましょう!
【現状更新】
そろそろ働き始めて一ヶ月、辛すぎる。
「未経験歓迎」っていうふうに言われていたのとお金がなさすぎたので社内SEのアシスタント(ヘルプデスク)職を派遣で働き始めたんだけど、
いざ就業はじめてみたら、研修もろくすっぽないわ、アシストするはずの社内SEは職場辞めているわ、ヘルプデスクの同僚も辞めていて居ないわで地獄。
何をどうしたら良いのかということの指示がないのはもちろん、わからないことを聞くこともできない。
これまでどうしてましたか~って聞いても「担当がいないのでわからないですね」と言われ、とりあえず色々ググって解決しているだけの
未経験のやつがとりあえずいる感じになっていて、これが職場のためになっているのかどうかわからないし本当に辛い。
今はなんとかなっているが、これで機材が大事になっても俺はなにもできないので今からトラブルが起きることを考えると、もう辞めたくて辞めたくて仕方がない。
何度か派遣会社にも「この状態は聞いてないので、別の派遣先にしてくれ」とお願いしているが、「今度の派遣先がここより辛いこともあるから」とかなんとか言われ
聞き入れてくれずに派遣先との契約をやや無理やり更新されて困っている。
俺が社会経験ほぼない精神的あまちゃんなのも悪いんだけどさ、こんな誰にも聞けない状態っていう辛い現場はなかったし、俺に技術力もないので解決することもできないっていうのは
イチローが大人に叱られない若者を嘆いていた記事が話題になっていた
個人的にイチローの件に限らず、優しい言葉で溢れ始めた世の中を清論にあふれる世の中だと思っている
正しい言葉ではなく、清らかな言葉を言わなければいけない世の中
それは先生生徒の関係のみならず上司部下、親子供、友人関係ありとあらゆる場面でその流れになっている
「自分に向いていることを探して、やりたいことをやれば良いんだよ」
「仲良く頑張ろう」
ただ、正直誰もそんなこと信じていないし、現実は清らかではないし理不尽だ
好きなことやっていても才能や経営センスがなければ儲けることはできないし、同期を蹴落とさないと昇進できないし、鬱で休んだらおいていかれるし、仕事外でもスキルを磨かないと大して良い転職先も見つからないし、他人より金を稼いだり努力をしなければ異性は振り向かない
それでも今の世は「表向きは」清論を話すことを要求している
おそらく正論を大事にしようという流れで清論が生まれたのだと思うが、果たして実現すらできない論を正論と呼べるのだろうか
そんな清論でまみれた世の中で本当に清論を真に受けた人たちは理不尽に弱くなり負け、現実を見て清論は絵に描いた餅と気付いた人たちが強くなり勝つようになる
ブクマカでもそんな清論を真に受けて、現実とのギャップに打ちひしがれていそうな人をたまに見る
一方増田は匿名の分清論を言うべきという圧力が少なくなるからか、まだ現実的な話をする人もいるように思われる
(まぁ、そういうぶっちゃけ増田の方が清論信者に燃やしてもらえるから、炎上目的で狙っているだけかもしれないが)
あと厄介なのは清論信者には清論を実行していなくてもなれることだ
ブコメでは「残業は良くない、非効率」と言いつつ本人は勤怠表をちょろまかして360超えるくらい働くか管理職として無限に働いていて、理不尽に対する強度を高めているかもしれない
そのように清論は実行していなくても簡単にでまかせを言えるのだ、更にそれを言っている本人に悪意はない
なぜなら「清らかな世」を求めることは当然だから
ただ、そんな本人が実行しているかもわからない清論を真に受けてしまった人はどうなるか
「あんなにすごい人が清論を言っているのだから自分も清論を信じて大丈夫だ」
そうなるとイチローが言うようにどんどん清論の虚に気づいた人たちに置いていかれ、取り返しがつかない差が生まれてしまう
ただ、一つイチローに反論したいのは「そんな叱れる大人がいても子供が頑張れるわけではない」ということだ
結局、怒られてもやらない子はやらない
そして、ここまで清論を要求される世の中でダイレクトに真実を伝えたらトラブルのもとになる
そんなリスクを他人の人生のために負える人なんていないし、負ったところで相手に届くかもわからない
それでも清論を言わずリアルを伝えようとするイチローは偉いとは思うが意味があるかと言うと微妙だ
ブコメでもイチローに賛成している人もいれば、イチローを老害扱いし清論を信じている人もいた
清論の方を自分も信じたい気持ちもあるので老害扱いする人たちをあまちゃんと切り捨てることもしたくない
続き
(さらに続く)
地上波テレビ、しかも紅白の内容が気になっているおっさんなんて、意識高いはてな村においては最下層の人間として軽蔑されるのだろうが、気になるものは仕方ない。
何が気になっているがといえば、今年の紅白で朝ドラをどう扱うかということだ。
地上波など愚民の見るものと見下して知らない人のために説明すると、紅白では毎年、朝ドラは重要なコンテンツで、主題歌は優先的に選ばれるし、朝ドラの登場人物が応援に駆けつけたり、以前は『あまちゃん』の特別編的なものを展開してみたり、まあいろいろな取り組みをしてきたわけである。
で、今年の下期の朝ドラ『ブギウギ』であるが、笠置シヅ子の生涯を下敷きにしたこのドラマ(ドラマでは福来スズ子)、わりと評判がいいらしい。
なにしろ歌手の生涯の話だから、舞台の歌唱シーンに力が入ってる。そして主役のスズ子を演じる趣里が、なかなかに好演している。
この人は水谷豊と伊藤蘭の娘というバリバリの2世なのだが、もともとバレリーナ目指して挫折した過去があるそうで、女優に転身してからも親のゴリ押しを使った印象が希薄なところが、好感を呼んでもいるようだ。
映画に出てもないうちから映画賞もらったり、なぜかブランドアドバイザーを歴任してたりするどこぞの誰かとちがって、ご両親もしっかりしているのであろう。
ドラマではいい感じに10代から演じていて、とても33歳には見えない。母親役の水川あさみとは実年齢が7歳しか違わないのに親子に見えている。
で、ドラマでは初回で『東京ブギウギ』の公演を再現してみせ、歌唱力もあるところを見せつけて、これはそのまま紅白の企画として使えそうなクオリティであった。
で、今週は、育ての親である服部良一(ドラマでは羽鳥善一)とであって、服部良一・笠置シヅ子としての最初の曲である『ラッパと娘』が大好評になる、というくだりだったが、これもなかなか良かった。
5分の朝ドラで全曲フルコーラスのステージをそのまま流すのは、わりと思い切った演出だと思うが、制作側も趣里の歌手としての実力に信頼をおいているからこそ、だろう。
この『ラッパと娘』という曲、昭和14年(1939年)の日本の曲とは思えないおしゃれな曲なので、知らない方はぜひ聴いてみてほしい。笠置シヅ子のオリジナルも含めてYouTubeにいくつも上がっている。作詞も服部良一だそうだが、変に抒情的な意味などなく、“みんなこの歌歌えば楽しい”くらいの内容であとはスキャット主体なのもかっこいい。日本がアメリカと戦争始める数年前は、まだまだこんな“敵性音楽”が普通に劇場でやれてたんだなあという軽い驚きもある。
で、これを紅白でどう盛り込むのかと考えると、気になるのは羽鳥善一(服部良一)役が、草彅剛ということなのだ。
なにしろ笠置シヅ子の育ての親であり、今週のドラマでも羽鳥善一がノリノリで指揮するバンドをバックに歌うステージが展開されていた。
紅白に趣里を出して企画やるなら、やはり羽鳥善一(草彅剛)も一緒に出ないとすごい不自然なことになるだろう。
おそらく今、NHK内部でいろんな駆け引きやら調整なら行われているのだろうが、堂々と草彅剛を紅白のステージに出したら、ちょっとNHKを褒めたい(←謎の上から目線)
「ボクの考えたサラリーマン」の話に終止している
中小企業ならマルチなことをサせられるなんて「あたりまえ」にある
「普通の会社員生活しらんのだろうな」とまでいうなら、もっと転職して経験つめ
「あたりまえ」にコード書くよ
あとな
規制が入ってなお
どうなると思う?
申告しなくなるんだよ
そういうのが世の中からなくなったと思ってた?
減価償却期間の存在するパソコン等の備品は、買い替えに消極的なオフィスは「たくさん」ある
レンタルは高いしな
キミは社長の何を知ってるんだね?