はてなキーワード: 柿本人麻呂とは
天智・天武の生涯を通して「日本」が作られるまでの過程を描く。主人公は柿本人麻呂あたり。
国家の一大プロジェクトとしての平安京造営を、蝦夷討伐や藤原種継暗殺などを交えて描く。主人公は坂上田村麻呂あたり。
藤原良房による権力掌握の過程と、そのクライマックスとしての応天門の変を、スリリングな政争劇として描く。
藤原氏同士の権力争いや後宮の女房たちのエピソードなどを交えながら、藤原道長を気宇壮大な人物として描く。
北条時政を中心とした鎌倉幕府の創立とその後の政争を下敷きに、曽我兄弟の仇討ちを描く。
足利義満を主人公として、その半生を追いながら、南北朝後半の動乱と室町幕府の絶頂期を描く。
二階崩れから島津征伐まで、九州に鼎立した大友・龍造寺・島津の三氏の戦いを群像劇として描く。
「剣豪」「剣聖」という呼称の誕生について - Togetterまとめ
と言われているのだが、
詩仙 李白
詩聖 杜甫
詩豪 劉禹錫
詩魔 白居易
詩鬼 李賀
詩佛 王維
詩囚 孟郊
詩瓢(詩奴) 賈島
詩骨 陳子昂
詩狂 賀知章
詩傑 王勃
詩家天子/七絶聖手 王昌齡
これらは優れた詩人にそれぞれの特徴を捉えたアダ名をつけているだけであり、
杜甫の詩には儒教的な思想が反映されているから「(儒教における)聖人」という意味での「聖」なのであって、
日本で言うときの「最も優れているから『聖』なのだ」というようなニュアンスは、そこには無いような感じがする。
かの御時に、おほきみ(み)つのくらゐ、かきのもとの人まろなむうたのひじりなりける。
これは柿本人麻呂が儒教的だと言われているわけではなく、単純に「優れた歌人」という意味での「歌聖」だろう。