はてなキーワード: 良心とは
母と母の再婚相手(父は10年前に他界した)に、とある許しがたいことをされたので私は怒りに怒り、もうかれこれ1年ほど連絡をとっていない。
もともと、本当に私はこの人から生まれ落ちたのか?と思うほど話が全く通じなかったし、毒親かと疑うこともあった。ネグレクトされていた時期もある。
ずっと連絡もこなくて快適だったんだけど、最近になって鬼のように連絡がくる。メッセージ、電話、LINE……全部無視してるけど。
内容は「母親の連絡を無視するなんて人間としてどうかしてる」「親だとわかってこの仕打ちか」「親を大事にしないと地獄に堕ちる」……など。結局、すべて自分の思う通りに子を支配したいだけなのである。前はこんなにひどくなかったけど、片鱗はあったよね。どんどんひどくなってゆく。
「日韓関係を諦めたくない」両国のTwitterユーザーがハッシュタグに込めた思い
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/www.buzzfeed.com/jp/sumirekotomita/hashtag-japan-korea
翻訳元:http://cafe.daum.net/ok1221/9Zdf/1691571
どうでもいいことしてるねwwwww
ほんとだよ。
または本人が直接デモをするとか。
ほんとそう。
お前たちの国民性と同じだと思うのか。
wwwwwwwwww
なんでそうしながら安倍を選ぶの?
私たちは嫌い。
それでも不買wwwww
良い記事だ。
それで?日本人たちの大多数が韓国の制裁を歓迎しているんだけど。
国民意識の違いを明確に見せる事例だと思う。
好きです日本。
私たちもムンが恥ずかしいです。
如何でしたでしょうか。
韓国人観察をたしなむ人間なら「#好きです韓国」を見た瞬間頭から尻まで完璧に予想できる反応です。
ということです。
繰り返しますがこれは煽りや無理難題のつもりでいってるのではありません。
「#好きです韓国」を相手の理性や寛容さとして見ている人は殆どいません。
弱さ、弱気と捉えてここぞとばかりに強い要求を飲ませなければならないと吹き上がっています。
これは韓国人が特に甚だしいだけで、どこの国の人間でもこういう状況で「#好きです韓国」みたいなものを見たら
こういう風に相手が弱気になってるととらえて付け上がるものです。
「ホワイト国に戻せ」どころではないたくさんのことを注文しているのがわかると思います。
友好に資するどころか、嗜虐心を刺激してより攻撃的にさせていることをよく見てください。
その卑屈な態度で韓国人のマウント欲を刺激し「よーしじゃあこれとこれとこれをやれ!」と興奮させる。
→実際に日本社会は韓国人の期待したように動かないので「後頭部打撃だ!(だまし討ちと言う意味の韓国のネット用語だけど最近はメディアにも載る)」と怒る。
韓国人の上下関係欲を刺激しては裏切る、ということを繰り返して歪んだ希望と落胆のループに陥らせているわけです。
そもそも韓国と日本にはあまりにも大きすぎる感性の違いや歴史韓の違いがあります。
そこを無視して「好きです韓国」とか「仲良くやろうぜ」とやるのは現実から目を背ける動きです。
「NO日本」呼びかける旗掲げるも当日撤回 批判殺到で=ソウル市中区 | 聯合ニュース
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/jp.yna.co.kr/view/AJP20190806003800882
さすがにこれちょっとさー。
「日本語をちゃんと読んで?」とか「普通に論理的に考えて?」というレベルなんですが。
韓国の人たちだって戦争を始めたいと思ってるわけはない。こういう声が上がることを日本人として素直に歓迎したいし応援する/スターいっぱい付いて良かった反面、戦争したがりなブコメが多くて頭痛がする。
2019/08/06
いいですか。
「戦争になるから」「戦争反対」なんていうことを理由にしてません。
書いてもないこと幻視する前に本文をきちんと読みましょう。
頭痛がするのはこっちだよ。
どの国にもネトウヨみたいのもいれば理性的な人もいる。当たり前のこと。
2019/08/06
冷静な市民の声があがるのと、それを受け入れて謝罪できる行政があるなら、まだましなんじゃないかな。次からは始める前に気づければなおよし
いいですか。
行政が旗を出すことについては「これは違う」と反対する声が大半でした。
なんで違うのか、なんで反対なのかというと
「不買運動やボイコット運動が官製のような印象になるからやめろ」
と言ってるんです。
日本から文句をつけにくいだろう、フリーハンドで敵対行為や嫌がらせをし続けられるだろう、
という戦略的な話をしてるんです。
「敵対行動のエスカレートに市民が待ったを掛けた」のような読解をしてる人は0点です。
だって本当にどこにもそんなこと書いてないんですが。
そして書いてあることをそのまま読むだけで、
市民の反対の理路ははっきりしてるんですが。
ボイコット運動やNOJAPAN運動はノリノリでやってる最中ですよ今も。
それを止める人なんかどこにもいない。
むしろやってる同士でうっかり日本のカメラとかキーボードとか持ってて炎上して謝罪したりしてる状況。
「敵対行動のエスカレートに待った」が韓国市民の声なら、なんでNOJAPAN運動自体が批判されないんです?
そこ考えただけででも「敵対行動の制止があった」って読解はなんか変だってわかるじゃん。
いやそもそもNOJAPAN運動の盛り上がり自体を良くわかってないのかな。
とにかく、この綜合ニュースはせっかくストレートに報じてくれてるんですよ。
だからこの記事だけでもちゃんと読んだら韓国で何が起きてるかわかるはずなんです。
今回は韓国ウォッチャー要らない。
たとえば時事ドットコムは反対した市民の本音の部分が削除されてもっと良識的っぽい批判になってるの。
ふと思った。世の中の大半のアニメ・映画・小説・漫画・寓話・落語等は、一般的な感性を持つ人を対象にしている。例えばアンパンマンは、悪いことをするバイキンマンを子供に変わって退治する正義のヒーローであり、慈愛に満ちた作品だと思う。猫や犬の動画や画像が反乱するのは、そういう可愛い動物を好きな人が多いからだろう。猫をいじめる動画がtwitterでいいねを大量につけている風景を見たことがない。
だけど世の中には慈愛だとか罪悪感だとかを感じない人だっている。猫は虐待の対象だったり、自分より能力が低い人間を人として扱わない上司や同僚も多いだろう。
そういう人たちは、多くの人が好きな作品や観念をどう受け止めているんだろうか?
サイコパスの特徴的性格は、冷酷・無慈悲・尊大・良心の欠如・罪悪感の薄さなど
https://kotobank.jp/word/%E3%82%B5%E3%82%A4%E3%82%B3%E3%83%91%E3%82%B9-173303
2-2-2ロックについてはそれぞれ思うことがあると思うが、
シーンの状態を考えればやむを得ない選択であったのは間違いない。
一般プレイヤーの、とくに下の方の「基本はタンク0ですwwwww」みたいなのも
鰤の思惑とは全くかけ離れていたわけだ。
プロリーグのGoatsは見所も多かったし、
「基本から外れた」ものであることを認識することが可能であり、
それはそれで、という感じであったが
最近始めたプレイヤーにとってそれがデファクトスタンダードになることは憂慮すべき問題であろう。
最近始めたプレイヤーが2-2-2を体験する場がないままレベル25になり、
クイックマッチの「俺が良ければすべて良し」という気持ちで臨まれるのは
鰤が望んでいないことは、クイックマッチとライバルマッチの立ち位置に関する言及からも明らかだ。
また、その新規参入者に関しても、
ゲーム自体が発売から3年経っていることもあり頭打ち感があるのだと思われる。
今からひとりでに始める人はそんなに多くないだろう。
例えば友人に誘われたプレイヤーが、その人と一緒にクイックマッチを始めたとする。
自分たち2人を除く4人の野良プレイヤーが好き放題にダメージロールを選んで
なおかつ相手方も適当な6ダメージなどでゲームが始まってしまったら
戦術的なことを教えようと思っても教えるべき内容を教えることもできない。
ただ、ひとりでに始める可能性があるとすれば
プロプレイヤーの配信やOWLを見た人が憧れて、というものが考えられる。
これらの人については現状かなり絶望的な導入を体験することになるだろう。
なぜなら憧れのゲームを購入し、インストールし、チュートリアルを済ませ、
クイックプレイを始めたところ、憧れたようなシーンは全く訪れない。
一人ずつ突っ込んでは死んでいくだけの腐海が広がっているからだ。
これらはゲーム全体としても、
故に鰤の思惑を実現するため、ユーザーの良心に頼ることは不可能であると判断した結果が
ロールキューであったのだろう。
そしてそれがこのタイミングになったのもやむを得ないと考える。
アニメなんてなくても生きていける。
そう論じるのは簡単なことだ。
だが
人間はそもそも不完全なものであり、合理性のみで人生を全うすることは難しい。
それが出来る人間もいようがその数は決して多くない。
アニメに限らず、ゲーム、酒、タバコ、異性、ギャンブル、車、ゴルフ、音楽、アイドル、スポーツ観戦、特撮、映画、小説…
多くの人間は一見非生産なものにひと時その身を浸して癒やしを得、日々の暮らしにおける心の糧にしているものだ。
まずこういったものに批判をすること自体禁酒法時代のアメリカや天保の改革の風俗取締令のようなナンセンスさがある。
すでに多くの批判が寄せられているが、大阪芸術大学の純丘曜彰教授の例のコラムの改稿前のものを長くなるが引用し、思うところを述べていきたい。
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/夢の作り手と買い手。そこに一線があるうちはいい。だが、彼らがいつまでもおとなしく夢の買い手のままの立場でいてくれる、などと思うのは、作り手の傲慢な思い上がりだろう。連中は、もとより学園祭体験を求めている。だからファンなのだ。そして、連中はいつか一線を越えて、作り手の領域に踏み込んでくる。/
あまりに痛ましい事件だ。だが、いつか起こると思っていた。予兆はあった。たとえば、16年の小金井事件。熱烈なファンが豹変し、本人を襲撃。アイドルやアニメは、そのマーケットがクリティカルな連中であるという自覚に欠けている。
もとはと言えば、1973年の手塚プロダクションの瓦解に始まる。同じころ、もう一方のアニメの雄、東映も労働争議で多くの人材を放出。かれらは、それぞれにスタジオを起こした。だが、これらのスタジオは、アニメの製作ノウハウはあっても、資金的な制作能力に欠けており、広告代理店やテレビ局の傘下に寄せ集められ、下請的な過労働が常態化していく。
そんな中で74年日曜夜に放送された『宇宙戦艦ヤマト』は、視聴率の低迷以前に予算管理と製作進行が破綻して打ち切り。にもかかわらず、時間帯を変えた再放送で人気を得て、77年に映画版として大成功。当初はSFブームと思われ、78年の『銀河鉄道999』や79年の『機動戦士ガンダム』が続いた。しかし、サンリオ資本のキティフィルムは、80年に薬師丸ひろ子主演で柳沢きみおのマンガ『翔んだカップル』を実写化し、SFではなく、その背景に共通しているジュブナイル、つまり中高生モノの手応えを感じており、81年、アニメに転じて『うる星やつら』を大成功させる。
このアニメの実際の製作を請け負っていたのが、手塚系のスタジオぴえろで、その応援として、同じ手塚系の京都アニメーションの前身が稼働し始める。そして、その後のアニメ業界の大勢の方向を決定づけたのが、84年、この監督だった押井守の映画版オリジナルストーリー『うる星やつら2 ビューティフル・ドリーマー』。SF色を取り入れた学園コメディで、学園祭の準備が楽しくて仕方ない宇宙人の女の子ラムの夢に世界が取り込まれ、その学園祭前日を延々と毎日、繰り返しているという話。
アニメには、砂絵からストップモーションまで、いろいろな手法があり、セル画式だけでも、『サザエさん』や『ドラえもん』のようなファミリーテレビ番組はもちろん、『ドラゴンボール』や『ワンピース』のような人気マンガを動かしたもの、『ベルサイユのばら』『セーラームーン』のような少女マンガ系、『風の谷のナウシカ』や『AKIRA』のようなディストピアSF、さらにはもっとタイトな大人向けのものもある。
にもかかわらず、京アニは、一貫して主力作品は学園物なのだ。それも、『ビューティフル・ドリーマー』の終わりなき日常というモティーフは、さまざまな作品に反復して登場する。たとえば、07年の『らき☆すた』の最終回第24話は、『BD』と同じ学園祭の前日。エンディングでは、あえて『BD』のテーマ曲を下手くそに歌っている。つまり、この作品では、この回に限らず、終わりなき日常に浸り続けるオタクのファンをあえて挑発するようなトゲがあちこちに隠されていた。しかし、「エンドレスエイト」として知られる09年の『涼宮ハルヒの憂鬱』2期第12話から19話までとなると、延々とほとんど同じ夏休みのエピソードが繰り返され、『BD』に悪酔いしたリメイクのような様相を呈する。
もっと言ってしまえば、京アニという製作会社が、終わりなき学園祭の前日を繰り返しているようなところだった。学園物、高校生のサークル物語、友だち話を作り、終わり無く次回作の公開に追われ続けてきた。内容が似たり寄ったりの繰り返しというだけでなく、そもそも創立から40年、経営者がずっと同じというのも、ある意味、呪われた夢のようだ。天性の善人とはいえ、社長の姿は、『BD』の「夢邪鬼」と重なる。そして、そうであれば、いつか「獏」がやってきて、夢を喰い潰すのは必然だった。
なぜ学園物が当たったのか。なぜそれがアニメの主流となったのか。中学高校は、日本人にとって、最大公約数の共通体験だからだ。入学式、修学旅行、学園祭、卒業式。教室、体育館、登下校。だが、実際のファンの中心は、中高生ではない。もっと上だ。学園物は、この中高の共通体験以上の自分の個人の人生が空っぽな者、いや、イジメや引きこもりで中高の一般的な共通体験さえも持つことができなかった者が、精神的に中高時代に留まり続けるよすがとなってしまっていた。それは、いい年をしたアイドルが、中高生マガイの制服を着て、初恋さえ手が届かなかったようなキモオタのアラサー、アラフォーのファンを誑かすのと似ている。
夢の作り手と買い手。そこに一線があるうちはいい。だが、彼らがいつまでもおとなしく夢の買い手のままの立場でいてくれる、などと思うのは、作り手の傲慢な思い上がりだろう。連中は、もとより学園祭体験を求めている。だからファンなのだ。グッズを買い集め、「聖地」を巡礼し、そして、連中はいつか一線を越えて、作り手の領域に踏み込んでくる。それが拒否されれば、連中がどう出るか、わかりそうなものだ。
『恋はデジャブ』(93)という映画がある。これもまた、同じ一日をループで繰り返しながら、主人公が精神的に成長するという物語。この話では、主人公だけでなく、周囲の人々も同じ一日を繰り返す。つまり、主人公の成長を待ってくれる。だが、映画と違って、現実は、そうはいかない。終わりの無い学園物のアニメにうつつを抜かしている間に、同級生は進学し、就職し、結婚し、子供を作り、人生を前に進めていく。記号化されたアニメの主人公は、のび太もカツオも、同じ失敗を繰り返しても、明日には明日がある。しかし、現実の人間は、老いてふけ、体力も気力も失われ、友人も知人も彼を見捨てて去り、支えてくれる親も死んでいく。こういう連中に残された最後の希望は、自分も永遠の夢の学園祭の準備の中に飛び込んで、その仲間になることだけ。
起業する、選挙に立候補する、アイドルやタレント、芸人になる、小説やマンガの賞に応募する、もしくは、大金持ちと結婚する。時代のせいか、本人のせいか、いずれにせよ、人生がうまくいかなかった連中は、その一発逆転を狙う。だが、彼らはあまりに長く、ありもしないふわふわした夢を見させられ過ぎた。だから、一発逆転も、また別の夢。かならず失敗する。そして、最後には逆恨み、逆切れ、周囲を道連れにした自殺テロ。
いくらファンが付き、いくら経営が安定するとしても、偽の夢を売って弱者や敗者を精神的に搾取し続け、自分たち自身もまたその夢の中毒に染まるなどというのは、麻薬の売人以下だ。まずは業界全体、作り手たち自身がいいかげん夢から覚め、ガキの学園祭の前日のような粗製濫造、間に合わせの自転車操業と決別し、しっかりと現実にツメを立てて、夢の終わりの大人の物語を示すこそが、同じ悲劇を繰り返さず、すべてを供養することになると思う。
まずはこの業界全体、作り手たち自身がいいかげん夢から覚め、ガキの学園祭の前日のような粗製濫造、間に合わせの自転車操業と決別する必要がある。もう学園祭は終わったのだ。休もう。番組も、映画も、穴を開けて休もう。あれだけの京アニの惨事を目の前にしながら、よりタイトな状況で黙々と規定の製作スケジュールをこなそうとしていることこそ、異常だ。こんなときくらい、京アニにかぎらず、業界の関連全社、いったん立ち止まって、仕事や待遇、業界のあり方、物語の方向性、ファンとの関係を見直し、あらためてしっかりと現実にツメを立てて、夢の終わりの大人の物語を示すこそが、同じ悲劇を繰り返さず、すべてを供養することになると思う。
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「京アニは学園ものだけ」という言説に対し、傷痍軍人の女性が戦後を生きる「ヴァイオレット・エヴァーガーデン」の存在意義が改めて燦然と光り輝いているという事実。劇場版も企画されており以降もシリーズ化されればそれはもう「学園ものだけ」という批判にはあたらない、はずだったのだが…。
また京アニオリジナルの源流をたどればMUNTOという異世界ファンタジーもあり、今後何が飛び出すか、その可能性は無限に満ちていた。
日本のオタク作品の大半が確かに学園ものなのは事実であるが、それは世界観の説明が容易であること、多くの視聴者が経験していて没入しやすいこと、といったアドバンテージがある、いわば「手堅い」ジャンルゆえ。
京アニは決して裕福な会社であったとは言い切れないし、またアニメ業界自体流行り廃りが激しく、そんな中で一定の収益を手堅くあげる選択をとっても批判されるいわれはあるまい。
エンドレスエイトがいまだに物議を醸す存在であるのは事実だが、話題性が1期よりは希薄になりがちな2期ハルヒを「語る」上で大きな要素になっているという点では意義のある存在ともいえるのかもしれない。
終わりなき学園祭としてひとつの象徴となった「ビューティフル・ドリーマー」、
うる星やつらが漫画版で約9年、アニメ版で約5年もの長きに渡り「途切れることなく」続いた学園ものであった記憶もあって、ことにアニメに対して古い感性の人間ほど「終わりなき青春」を延々続ける印象もあるが、
近年の製作ペースは1クール12話、月にならせば3ヶ月ほどのスパンが基準で、シリーズが続いても2クールか長くても4クールあたりが殆どで、1年を通して続くことはもはや一部の例のみで、1クールないし2クールベースの途切れ途切れの発表ペースになっている。しかもうる星が3年を超えて学生生活を描き続けたのに対し、妥当な時間経過とともに終わり即ち「卒業」があるのも近年の特徴。
しかもアニメファンは常にコンテンツの新陳代謝にさらされる中で、コンテンツの完結を一区切りとして、同じ制作会社だからといって次に提示される新コンテンツを必ず追い続けてくれるとは限らない。
1期で好評だったシリーズ物の2期ですら、1期以上に人気を得るのは実際難しい。
そしてこの御仁が憂うまでもなくアニメ自体卒業していく人間も確かに存在する。
そういった熾烈なレッドオーシャンで波間の泡のように浮いては消えていくのがアニメ制作会社の非情なる現実。
そんな熾烈な世界にあって健気に誠実に作品を作り続け、また大きな落ち込みもなく良質な作品を供給できる会社を存続させてきた、業界の良心の要石のような会社が京アニであって、それはこういう批判の俎上に上げるべき存在ではそもそもない。
事件前からかねがね用意されていたであろう「ぼくのかんがえた日本アニメ概論」をここぞとばかりに持ってきたのだろうが、世界的に見ても比類なきほど理不尽な、そして悲惨な事件に対して論じるにはあまりにも適さない代物であったと言わざるを得ない。
このケースは犯人の特性も含めて極めて異常であり、安易な因果応報的論説にははめ込めないほどの歪さ不条理さがあるのだ。いやしくも大学教授を名乗る立場にふさわしくない浅薄さであったと言わざるを得ない。
この御仁が禄を食んでいる大阪芸大は早くからサブカルチャーに特化した今やオタク御用達の大学であり、辺境にありながら高い人気を持ち続けているのはそれ故もあるのに、そこからオタク批判をすること自体、あたかも親の庇護を受けながらヤンキーやってるイキリ中学生のようであり甚だ滑稽でしかない。
まぁ一方で確かにアニメ作りすぎなのは事実であるが、それは業界全体レベルの話であり京アニを論って言う話ではない。それは数を作らないと食えないという業界構造にこそ問題があり、是正されるべきものであるのは論を俟たない。だが、かつて勇名を馳せた会社ですら粗製乱造なものも見受けられる中、ひとつひとつの作品を売れる売れないに関わらず本当に誠実に作ってきた会社を取り上げて言うことではない。まして「麻薬の売人以下」とまで蔑まれるいわれはない。
あとアニメうる星はその後綺羅星の如く多くの俊英を生み育てる土壌になり、アニメ産業及びアニメ文化の嚆矢ともなったという意味で意義深い作品であり、とりわけビューティフル・ドリーマーはアニメ制作班の若き野心とオリジナリティに溢れた傑作であったことも付け加えておく。だがそれに内包されている批判精神は今や一周回って定番になってしまい、それをもってアニメ批判オタク批判をするには「今更感」で一杯で陳腐化していることも。
最後に
人的物的、そして心理的にも大きなダメージを負い再起すらも危ぶまれる中、これからの再起を表明した八田社長と京アニには、深い敬意を表しつつ、事件前に比肩する制作体制を整えるのはおそらくまだ時間がかかるであろうとも、その行く末を見守っていきたいし、微力であれ力添えもしていきたいものである。
そして、亡くなられた方のご冥福と、負傷された方のご快癒をお祈りしつつ、件のコラムのような浅はかな批判論を払拭する新たな可能性に満ちた作品群を期待したい。それがいつになろうとも。
レペゼンが炎上して乗っかった人たちも炎上してるのは自業自得だなとしか思わないけれど、落合とかいうあの人が表現の自由というワードを持ち出してきたから馬鹿馬鹿しくて匿名ダイアリーなんか書いてしまっている。
表現の自由を声高に叫ぶ人って自由と野放しをはき違えてないかと思うことが最近多い。犯罪行為みたいにわかりやすいものじゃないからなのかもしれないけど、表現の自由とやったらいけないことは別の話なのでああいう話題で表現の自由とか言い出すのはナンセンス以外の何物でもない。大体品性ってものはないのか、ないんだろうな。
カンディンスキーの著作で「表現には必然性がないといけないし、それがない表現は二流。表現の自由は表現の可能性を制限しないために必要だけど表現は良心に基づいて行われるべき」みたいなことが書いてあって全くその通りだなあと思って以来座右の銘です。カンディンスキーに詳しいわけではないのでうろ覚えだし造形上の問題の話かもしれないけど、あらゆる表現に通じるものだと思う。
法律で表現の内容を縛ることは絶対にやってはいけないが、社会が倫理観に欠ける表現を認めていいのかといったら良くないしそもそもそんな表現はされないほうが良いに決まっている。自由と好き勝手の違いもわからない奴が表現の自由とか言ってんじゃねえよ笑っちゃうから。
あれがなんで地上波でやらないかってくだらなくてつまらないからだ。ネットだから世の中に発信されてしまったけれど、本当なら発信される前に切り捨てられていたはずのものだ。
民泊法の改正などもあったけれど、値段の安さ(1泊4500~6000円ぐらいの宿が沢山ある)もあってなんだかんだAirbnbを利用して旅行する人は沢山いる気がする。
ある日、好きな人が友達と旅行に行くと言い出した。旅行の相手に関しても察しがついていて、私と別で会っている女友達なんだろうな〜と察しがついていた。
無性に悲しくなりながら話を聞いていたところ、Airbnbで宿を見つけて泊まるとのことだった。
そんな話を聞いてしばらく日にちが経った後、ついなんとなくAirbnbのアプリを開いて面白い宿がないか適当に眺めていた。
そういえば、好きな人はここら辺に泊まったんだろうなーと適当に宿の検索をかけたところ、ある宿のレビュー一覧で目に入るものがあった。
好きな人と旅行に行っていたはずの女友達が書いたと思われるレビューだった。
名前も使っているアイコンもFacebookで使っていたもので、あーこれは完全に一致だなと胸が痛くなりながらその女が丁寧に書いたレビュー何度も読み込んでその女と好きな人が行ったであろう観光地を頭に巡らせてしまった。悲しいけどどうしようもない。どうしようもないのでそいつのアカウントをスパム報告しようかと思ったけど最後の良心で我慢した。
ちなみになんでこんな情報が見れてしまうのかを丁寧に説明すると以下の通りである。
1,このサービスでは宿を利用したユーザーは毎回レビューを書く決まりがある。書かなくても良い場合はあるかもしれないけど、大体マナーとして書くことになっている。
2,そしてユーザーのプロフィールはAirbnbからできるだけ分かりやすい個人情報(顔写真、所在地など)を提示してプロフィール上に表示することを求められる。
3,書いたレビューは、名前とアイコンと一緒に利用した宿のプロフィール内のレビュー一覧の中に表示されるので、Airbnbに登録しているユーザーなら誰でも見られるようになっている。
4,よって、ネトストしたい対象の顔と本名、大まかな旅行先の位置と時間さえ絞って少し時間をかけたら簡単に発見できてしまうのだ。
もしあなたの結婚相手や恋人に浮気の疑惑がかかっていたとしたら、この方法で試すのもアリかもしれない。Airbnb限定だけど。ネトスト上級者の方はすでにやってそうな気がする。
逆に自分が浮気・不倫をしている場合は、安い・キッチンが使えるからといった理由で安易にAirbnbを使うのはオススメしません。フィルター検索が充実しているおかげで簡単に絞れます。
自動車暴走で母子を殺害、大勢の犠牲者を出した飯塚幸三は死刑になったほうが日本の未来の為になる。
医者に自動車の運転をやめるよう言われていたのにも関わらず身勝手にも自動車の運転に執着し、母子殺害他、大勢の犠牲者を出したテロリスト飯塚幸三を日本国民は絶対に許さない!
飯塚幸三は死刑になるべきだ。極刑に。そうしなければ遺族の無念は永遠に晴れないのだから。
飯塚幸三の自動車運転を阻止しなかった良心のカケラもない人格破綻な家族へのバッシングももっとするべきだ。
それと「高齢者はマニュアル車限定にしろ」が意味ないことぐらい交通事故の統計を見ればわかるのにまだ言ってる奴は恥ずかしい。
マニュアル自動車全盛時代のほうが交通死者が多かったのは統計を見ればすぐわかることだし、老人は踏み間違い以外にもあらゆるミスのリスクが高いので自動車の運転をやめさせるのが唯一かつ根本的な施策でもある。
だからこそ国、都道府県市町村は免許返納させるためにいろいろな施策を進めてる。
自動車の運転をさせないのが最善の解決策。自動車の運転さえしなければ重大事故なんて起こしようがないのだからね。
車離れは重大事故離れ。高齢者ドライバーはテロリストと同等の有害性があるので見つけ次第クルマごとボコボコのスクラップにして焼却処分したほうが社会の為だ。
池袋で飯塚幸三の自動車が暴走して大量の死傷者が出た惨事も、自動車の運転さえもっと徹底的に禁止させていれば防げた惨事だ。
高齢ドライバーは逆走し対向車線の車に衝突する惨事も起こしている。もはや有害性においてテロリストと何も変わらない。
旦那様が生セックス好きすぎてまーた妊娠しちゃったから中絶したよ!!夫婦関係は良いです。中絶を決めた経緯とか感想とか、長くなるから最後に書くね。
中絶はスピード命なため妊娠発覚した翌日、すぐ病院へ。事前にググって初診料1万円手術料経産婦8万円(消費税別)で決めました。相場からしてたぶんお安い。
なんか無駄にだだっ広くてぼろい病院で、待合室にだらけたじいさんがいるなと思ったら、そのじいさんがお医者さまでした。デスクは天才物理学者並みに書類がうず高く積まれ、雪崩書類ごしにお医者さまから問診を受ける。
「違います」
「じゃあなにやってる人?勤め先はどこ?」
「えっ??業種はまあIT関係で、勤め先は六本木です」(←お医者さまには正直にいったけどこれはもちろん全部嘘だよ!)
「六本木ヒルズ?」
「違います」
なにこの会話?いらなくない??
「今まで中絶何回したの?えっ新宿?何て病院?幾らでした?12万?へ~安く済ませたね!!」
ということで翌日手術。
なんだかんだドキドキソワソワしちゃって眠れない夜を過ごして手術当日。顔を合わせていちばんにお医者さまから「新宿の○○クリニックは25万だったよ!!」と報告を受ける。
「そうですか~」
「高すぎだよな。いつか事故起きるよ。高いと文句つけたくなるだろ。うちは汚いとかぼろいとかネットで悪口書かれてるけど値段は安いから良心的だぞ」
そういうもんだろうか…、安かろう悪かろうも考えものじゃないのか…。超どうでもいいから適当に合槌をうつ。
「手術終わったらこの薬飲んで。○○産婦人科って書いてあったら恥ずかしいだろうから別の袋に入れておいたよ優しいだろ」
陰気なばあちゃん看護婦の案内で別室に通され、保健室のようにカーテンで区切られたベッドのある部屋で着替え。ベッドの壁を見てぎょっとする。そこには無数の「ゴメン」の文字の落書きが。どうやら壁に彫られている模様。怨嗟を感じて笑える。いやペンキ塗ってよも~。どん引き。
股裂き診察台に座らされ、そこで麻酔を注射され、意識を失い、子宮内残存物質吸引の痛みで目を覚ます。痛い…と抵抗するも、両脇から二人の看護婦にがっちり脚をホールドされてなだめられる。
半覚醒の状態で導かれ、呪いの落書きがある壁際のベッドへ。麻酔が抜けた頃に携帯を確認をすると、病院に来てから1時間も経っていない。手術時間は10数分で終わっていた。何かもう歩けそう…と思ったけど大事を取って壁の落書きを読むことに。「ゴメン」の彫刻以外にもボールペンで書かれた落書きが結構あって「愛梨ごめんね…」とか「たーくんごめん…もしまた生まれることがあったらパパとママのところに来てね…」とか「手術おつかれさま、お互いつらい思いして大変だったよね…分かるよ」とか色々書いてあった。最後の落書きには不覚にも励まされる。術後1時間ほどして寝るのにも飽きてきたので帰宅。お腹は普通に痛かったです。
手術レポは以上。まるで何も感じてないかの様に書きましたが、もちろんメンタルは超やられました!!おろす子供への罪悪感は、瞬間的に無意識に覚えるから、どんな理論武装しても「悪いなあ嫌だなあゴメンゴメン」と思ってしまう。思いたくないんだけどね!!以下術後の罪悪感について長々書く。
「命は大事!」って言うけど、それは社会的な洗脳なんじゃないか。思考してるか感情もあるか分からない胎児を殺すことは大した罪でもないと私は今自分に言い聞かせている。わざとカマキリ殺す罪と、うっかり転んで子宮内の受精卵を殺しちゃう罪と、中絶の罪に、大差あるかどうか分かんないじゃん。もしかしたら受精卵もカマキリも超痛がってたかもしれないけど、そうじゃないかもしれないし、そんなの誰にも分かんないんだから自分の精神の健康のために、都合のいい方に考えても良くない?子供の頃カマキリ殺して、そのことそんなに気に病んだかよと思う。
もし中絶が罪ならそれを実現させたのは自分だけなのか。色々なことが重なってたら、私も中絶せずに産んでいた未来があった。自分の場合だったら、旦那さんの帰宅がもっと早くて、今いる二人の子供がもっと大きくて、前回の出産時に大量出血してなくて、さらには日本がもっと子育てに寛容で手厚い国なら、私は中絶せずに産んでいたのだ。周りの環境と己の体調が中絶させた訳で、本質的には私は産みたかったのだから、罪を負うべきは周りの環境にあるのではないのか。
私が「もう金輪際出産しない!」と宣言しているにも関わらず、旦那様は「は~ゴムつけたくない」だの「生でセックスしたい」だの言って避妊をしなかったのが一番ギルティ。きっと旦那さまの中では「妊娠したら三人目産めばいいと思ってるから俺の生セックス要望は悪くない」という回路ができてたんだろうなと思う。生セックスの果実を味わうのは、どっちかといえば旦那さんの方なのに、中絶というペナルティを受けるのは自分だけっていうの不公平過ぎムカつく。何がどうであれ、中絶の罪と私の精神を失調した罪は、ぜんぶぜ~んぶ旦那様にあるって思ってるよ!だって私は中絶の痛みを負ったんだから罪の方は旦那さんが全部負うべきだよね??ということは話しました。それでは全人類の怨嗟を増田に流して合掌。南無~。
【追記】
何人か指摘している「ゴム以外の避妊すればよかったじゃん!!」という点について全力で言い訳します
●ミレーナ
これやりたかったけど持病のせいで出来ない。ミレーナのために持病の根治を目指すも、週2の病院通いに挫折
経験あり。その時めちゃくちゃ吐いて一日動けなかったので拒絶感があった
●ピル
ミレーナを諦めてピルにしようと生理日の記録を最近始めてた。次生理来たら病院行くぞ~と思ってたら妊娠した
●口頭でちゃんと断る
婚活アプリで知り合った男性達への不満を募らせたクソ女さんの体験談を置いておくね。
クソ女さんが上から目線でアドバイスとか草。くらいのテンションで読んでくれていい。
クソ女さんは比較的真剣交際を目指すタイプのアプリで活動していたよ。
→勝手に指定してきた日にちに予定があることを伝えただけなのに貴方の感情を押し付けられても困惑するだけだよ。『残念だけど謝らなくていいよ、いつなら空いてる?』が正解だよ。
→会う前に雰囲気を確認したいと言って顔写真を送ってもらったんだけど案の定不細工寄りだった時のおはなし。
大丈夫でしたか?と聞かれてもさすがにお世辞は言えないから心配しないでください、だけ返したらトラウマがあるので心配で…とのこと。顔まではギリギリセーフでも顔面コンプレックスを持ち出してこちらの良心に訴えかけてアポをもぎ取ろうとする気持ちはアウトだよ。結果的にFOしたよ。
不細工を気にしてるならなおさら顔写真は載せておこう。余計なトラウマを重ねるだけだから。
要件は済んだのだからもう約束の日の直前までメッセージのやりとりを続ける意味がない、という考えは理解できなくもないけど、その間にも女性のもとには他の男性からのメッセージがどんどん届いているよ!
約束の日が遠ければ遠いほど、その男性は過去の人になっていくよ。女性側からのドタキャンを避けるためにも面倒くさくても1日1往復くらいはやりとりを続けて、いつでも最新の男でいた方が確実だと思う。
アプリ辞めるのでLINE交換しませんかタイプの男性も多いけどそういう作戦なのかな?個人的にはアリだと思う。
・何人くらいとやりとりしているのか聞く
→女性というだけで引くほどいいねが来るのが婚活アプリ市場だよ。
気を使って全然やりとり続かなくて…と返したら同じですねって返されたけど同じなわけ無いよね。聞くだけ無駄よ。
→集合場所や集合時間が決まったら大まかな流れを決めておこう。
周辺の食事ができる場所、お茶ができる場所、時間がつぶせる場所などを把握しておくといいと思うよ。
クソ女さんが出会った中では、14時に集合してお茶をした後、夜ご飯までに時間があるから散歩しましょうかと言われたのが最悪の初回アポだったよ。何時間歩かせるつもりやねんクソボケがこちとらヒール履いてんのじゃいという気持ちになったよ。
夜ご飯もお店が決まってたり予約していたりした訳じゃなさそうだったからその場で解散したよ。
初対面の人とブラブラ買い物もよっぽどフィーリングが合う人じゃないとしんどくなっちゃうかな。
・シワシワヨレヨレの部屋着みたいな服
→お洒落じゃなくていいから、ピシッとした服を着て行こう。厚手のTシャツとか堅苦しくない程度のジャケットとかが無難かな。
こちらとしてはどんなに期待していない相手でもそれなりに見えるようにお洒落をしていくわけで、手間暇かけてメイクをして行ったのに隣に髪の毛ボサボサ毛玉だらけのニットを着た男性が歩いていると自分何してるんだろうって思ってしまうよ。
・恋愛の話に触れない
→中途半端に趣味の合う男性、会話の引き出しが多い男性にありがちなんだけど、会話が盛り上がり過ぎて既に友達モードだよ。恥ずかしくても照れ臭くても、2回目のアポくらいには恋愛の話をしよう。女性に目の前の男性は恋人候補だという意識を持たせよう。
長くなったけど、まだまだあと120個くらいは書き出せるね。
ていうか貧困層の良心とか、それによる安全とかにフリーライドしてる。
日本以外だと、金持ちとか商店とかは、「自己責任」で軍や傭兵崩れのガードマン雇って自衛するコストがかかる。
貧困層には食い扶持あたえておとなしくしてもらった方が、与えずに略奪や犯罪をされるより、社会全体のトータルコストは安上がり。
災害とかだと突如として貧困層が大量発生するけど、略奪にならずに外人記者がビビってたろ。
空き巣や詐欺はあったみたいだけど、命の危険は少ないし、既存の犯罪者が出張っただけで、貧困層が犯罪にはしる数は(諸外国に比べると)少ないと思う。