はてなキーワード: 学歴社会とは
ただの経験則だが
30も超えてくると、どの同僚がどの大学出身かなんて話しないけど
こいつスゲ~できるやつだ、と思ったら大概自分より上位の大学だし
同僚が優秀すぎてツライなーという職場は周りの方が偏差値良かったりする
学歴フィルターは無いと豪語して、大学出てない人もそこそこ居る会社だったとしても、多くは似た学歴の人が集まってる
こいつとは話が合うなーと思ったら、同じ大学院出身だったのは笑った
偏差値10くらい変わってくると、もう同列の同僚として付き合うのがちょっと辛くなってくると思う
もちろん負けないように努力はするんだけど、学歴高いやつの方が当たり前の如く真面目なので、そいつも同じくらい努力してる
逆に、どうやっても勝てねーなあと思ってた人の学歴が二段くらい上だったりすると、妙な安心感を覚える
それは多分かっこ悪いことなんだけど、同じようにやってるのに勝てない相手を見て「何で俺はこんなにダメなんだ」と落ち込むよりは
元々初期パラメータが違うやつと思ったほうが、仲良くできると思う
昔とある作品の製作委員会に身を置いていたことがあるので、思い出を書く。
製作委員会というのは「製作」をする人たちの集まりであって「制作」をする人の集まりではない。
私も最初ここの違いが全く分からなかったが、中に入ってようやく理解した。
つまり、「その作品を作るためにお金を出した人たちの集まり」であって
原作者や監督や声優や脚本家が集まっているところではないのである。
(このへんがネット上では未だにけっこう誤解されている気がする。)
これは良いとか悪いとかいう話ではなく、カネのために集まった組織なのだから当然の話である。
■どんな人がいるのか/どんなことを考えているのか
会議に出席するのは、出資社(出版社とか、TV局とか、広告代理店とか、製作費を出す会社)から送られてくる、各担当者だ。
いろんな会社から、いろんな人が出て来て、異業種交流会みたいで、けっこう面白い。
そして、ここがポイントだと思うのだけど、この会議に出席してくるのは、必ずしも映像業界に詳しい人間ばかりではない。
彼ら(そして私もそうだったが)のミッションは2つ。
1.出資金以上のリターンを持ち帰ってくること
2.本業へ良い影響があるように、動き回ること
1つ目は分かりやすいと思う。株買って儲けようとするのと同じだ。投資だ。
でも、それ以上に、各社担当者にとって大切なのは、2つ目なのである。
例えば、広告代理店。
彼らが委員会に出資するのは、「その作品の広告の仕事が欲しいから」 以外には無い。
仮にその作品が映画だったら、映画のTVCMだけで何億円という発注を獲得できるのである。
それ以外にも、新聞・雑誌・交通広告・ウェブ広告・・・いくらでも仕事は降ってくる。
例えば、出版社。
出版社が参加している場合は、原作の出版元であることがほとんどである。
彼らが委員会に出資するのは、「原作がバカみたいに売れまくる事」を期待すること以外に無い。
そのための宣伝費と思えば、映像化する際の出資なんて大したことは無い
そもそも作品性なんてものは、監督や制作側の担当領域なので、製作委員会の担当社員からすれば、自分たちでどうにかできるわけでもない。
だから、 2つ目の目的=自社の利益になりそうなこと の達成ばかりに力を入れ始める。
■どんどん仲が悪くなる
各社が2つ目の目的を達成しようとすると、どうしてもバラバラな動きになる。
それぞれ目指すところ(=自社の利益)が違うからだ。当たり前だけど。
2社だけなら良いが、委員会はたいてい5社6社は当たり前。
ということで、担当者の仕事は「複数社間の利害調整」がメインになる というカラクリである。
■個人的な思い出
自分の経験からすると、他社の担当者とケンカしていたか、ケンカの仲裁をしていた思い出しかない。
何がめんどいって、「みんな業界が違う」 ので、企業文化どころか、業界文化が違う。
「こんなこと当たり前だろ」が各社バラバラなので、話がとにかく合わない。
それが一番面倒だった。
まず共通言語を作るところから始めるのが正しいんだろうけど、正直そんな時間はないので
出版社と広告代理店とTV局(この3つは大抵どの作品にもいると思う)の人たちの文化がとにかく古すぎて、いっつもイライラしていた思い出がある。いわゆるギョーカイ人側の人たちですね。
会社の人と話せば5秒で終わる話が、なんやかんやで1か月かかるなんてザラである。
ただ、いろいろな業界のお作法などが垣間見れたのは面白かったと言えば面白かった。
普通の会社にいながら、ギョーカイ人と触れ合える経験なんてあまり無いし。
スキルとしては、複数社間の利害調整能力というものが身についたと思う。大抵のケンカは仲裁できるようになった。
当然のことながら、映像に関する知識はあんまり身についていない。
自分は下っ端だったし、作品が成功するかなんてのは比較的どうでもよくて、目の前の仕事をこなすのに精いっぱいだったのが正直なところ。
だから、ネットで製作委員会方式が諸悪の根源扱いされるのも無理はないな、とは思う。
でも、本当に映像を作ってる人たち(監督とか)は、こうした状況を理解した上で、うまく利用してやろうという人もたまにいて、そういう人はどんどん有名になっていった。
今は全く違う仕事をしているので、最近どうなっているのかも知らないけど、
ケモノなんとか の騒動があったので、思い出して書いてみました。
(ケモノなんとか は見てません)
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こんな糞記事にコメントしてくれた方、ありがとうございます。
>だけど「複雑な力学が働いてるから、たつきが善というわけでは無いぞ」と言いたいのかな、と思った。
もちろんたくさんの人に愛される作品を作った人という点では善だと思いますが、組織の中でどう見られるかは別の話なのですよね。悲しいかな・・・
>「いわゆるギョーカイ人側の人たち」の考え方が古いのは何が原因なんだろう?
やはり比較的、伝統的な手法を重視しますよね。これは別に製作委員会がどうこう、という話ではないと思いますが。
過去の成功体験に人間というのは縛られてしまうものなのだな、ということです。
立場も分かるので、ボロクソに叩くほどのことでもないと思っています。うまく操作してあげればそれでよいのです。ある意味わかりやすい人たちです。
まさに、ですね。普通こうした問題は事前に根回しがされるので、可視化されることは少ないと思うのですが、このパターンは珍しいですよね(だから騒がれているのだと思いますが)
ただ、その手前で十分に調整がなされたかどうかは分かりませんが、監督のツイートは説明不足過ぎるがゆえに事態を悪化させただけで、窮状を訴えるには良い手段ではなかった、と感じています。
いずれにせよ、調整がうまい人がいるかいないか は委員会運営には重要な要素ですね。
>これを敷衍すると、出版利権のカドカワが同人とか一枚絵とかウチ通さずに出してんじゃねーぞ、全部抜かせろって話?
そのへんは作品によって契約内容が違うので、外からはなんとも言えないところかと・・・
ただ、この業界頭悪い人しかいないので(汗)、契約なんてあってないようなものでして・・・今どうなのかは知りませんが。
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最近は、制作会社自身が出資するケースも増えてきていると聞きます。個人的には良い傾向かと思います。
ただ、最後は出資比率のパワーバランスになるので、常任理事国入りできなければあまり意味ない・・・というのもあるかも。
それこそディズニーじゃないけど、制作側でも札束で関係者を引っ叩ける存在が生まれると良いですね・・・
これはね、自分自身も含めてそうだと思っています。ほんと自分はバカなんで・・・残念ですが・・・!
自分のことはさておき、頭が良いことがアドバンテージになりにくいんです。
頭が良いかは二の次で(もちろん良いにこしたことはないですが)、そんなことよりとにかく「運がいい奴」が残る場所だなー、と個人的には思います。
逆に言うと、みんながディスりがちな「学歴社会」ではないので、それはそれで居心地が良い人もいるかも?
半分ぐらい当たってます笑
というか、逆に言うと「制作」の領域が神格化されすぎていて、現場の忙しい人は業務上何もタッチできないんですよね・・・
良く言えば分業化、なのかもしれませんが。
だから、よっぽど個人的に好きじゃない限り、興味もなかったです。
実際にものづくりにも参加できていたら、全然違ったんじゃないかな、と思いますが。どうなんでしょうか。
>ケンカ
ケンカ と書きましたが、ケンカするほど仲が良い というのは全くその通りで、意外と「現場に近い者同士」は、会社が違っても強い連帯感が生まれがちだと思います笑
会社同士はケンカしてても、現場の担当者同士はちゃーんと仲良くしています。
ある意味、「なんか知らんけど偉いっぽい人達」という共通敵が生まれるので、超連帯しやすいです!
だから、仕事で嫌なことも納得いかないことも沢山あったけど、それ以上に楽しいこともたくさんありましたよ!
今日本では国民の借金の増加について議論が繰り広げられている。特に、現在問題になっているのは学生ローンすなわち奨学金である。長引いた不景気に伴う就職難や収入の不安定な階層の高学歴化によって自己破産する家庭が出現している。日本政府は日本の学歴社会化を待ち望んでいるが、奨学金ローンによる弊害を知った庶民が高学歴化(高校卒業後の進学)を諦め、景気の自然回復(とはいえ不況から普通になっただけだが)による有効求人倍率の上昇や企業努力などによる働きやすい環境の整備などもあって、早期就職を選択する若者が急増している。これは政府にとって痛い現実だ。世界は経済や社会の成熟に合わせて学歴社会が進むのが当たり前(北欧や韓国がその例)だが、日本の学歴社会化は減速している。(日本の大学現役進学率は1990年代の不況以降上昇し続けてきたが、2010年代に入ってから減少に転じた。)これは日本社会を成熟させるに当たって解決せねばならない問題だ。
そこで、私は、ローン式の学生奨学金制度を順次廃止して、給付式の奨学金に移行させる、学生奨学金改革を提案したい。その前提として、人口増加率の減速に合わせた学校の整理を行わなければならない。具体的には底辺の私学に対する閉校勧告や公立学校の整理で、学生ローンの原因となっているランニングコストの削減を図る。一般的に、日本では高偏差値の学校ほど志望倍率や学生人口が多く、低偏差値になるにつれて倍率や人口が少なくなる傾向がある。欧州で教育インフラの成熟がうまくいっているのは、まず大学の絶対数が少ないために、公的機関によるランニングコストの負担が軽減されているからである。底辺校は切り捨てられる流れにし、学生ローンでまかなっていた教育コストの負担が公的に行える土壌になればよい。ついでに、加計学園のような底辺校の新規開設も止めさせるべきだ。底辺校の粗製乱造は公共にも学生のためにもならない。そういう学生は浪人して別の大学を志望するなり、大学進学が必要なければ高卒就職する方がよい。大体日本の学歴社会なんて韓国よりは100倍ましなのだから。
なお、今ある学生ローンについてだが、私が教育界隈を司る大臣や役人であれば、徳政令によって債権や債務を帳消しにすることを考える。「自己責任」という意見もあるだろうが、大学の学費ローンは住宅ローン並みと同じくほぼ一生付き合わされる重い負担である。その負担を軽減したほうが、経済復興の加速や若者の消費意欲の向上にも繋がるのではないか。私は国公立大学を卒業した中流の上の家庭出身だが、それでも元大学生としての経済的な痛みは理解できている。もし、地方自治体レベルでもいいから選挙や政治シンポジウムに参加する際には、是非とも日本の学生ローン問題について取り上げてみたいと思う。
とにかく、学生ローンというのは日本社会にとって喫緊の課題であるので、次の国会や自治体の議会において取り上げられればと思う。いや、選挙のときに争点にされなければならないレベルになっているのではないかと思う。しかしながら、私は公務員として働いており、娘や息子も今年受験して来年公務員になる予定があるので、民間人のように政治思想を自由に語れないという不自由さもあるのだが……。
<現状>
1.戦後、日本は経済発展を続け(高度経済成長)、高等学校進学は当たり前となり、さらに上位の
高等学修機関(大学・短期大学・専門学校等)への進学率も上昇してきた。
2.上述の高度経済成長の最終期であったバブル景気(崩壊)までの約20年間(1972年~92年)
は、女性の社会進出の影響もあり、女性の進学率は上昇傾向にあったが、全体としては30%
台で推移してきた。(それ以上は上昇しない20年だった)
http://www.mhlw.go.jp/toukei_hakusho/hakusho/
http://www.garbagenews.net/archives/2014387.html
3.バブル崩壊の影響が出始めた1993年以降、進学率は急速に上昇し続け、2000年代中期に
は50%を超えた。(大学進学率も2009年に50%を超えた)
4.一方で、少子化の勢いは加速する中で、主に私立大学が急激に増加しており、上述の進学率の
上昇とも相まって、近年では大学進学が当たり前という風潮が生まれた。
5.しかし、これも上述のように長引く不況や非正規労働者の増加といった雇用環境の変化により、
親の教育費への負担感は一層増大し、奨学金の乱立により、貧困状態に陥る学生が増加する
という社会問題も出てきている。
6.また、日本の大学は、「入学しにくいが卒業はしやすい」、「唯一学生らしく遊べる時期が大学生
時代」という独特な文化もあり、企業の就職面接においても、本業であったはずの学んだ事や
研究してきた事は重視せず、「部活動でリーダーを務めた」、「ボランティア活動をやった」など
7.上述の大学進学率の上昇の原因をしっかりと研究した者は少なく、ネット上にも諸説あるが、
バブル崩壊後の長い不況と雇用環境の変化(失われた20年)により、それまでは高等学校卒業
で就職していた層が、「大学卒業」という資格を得るためだけに大学に進学するようになったと
考える事ができる。
8.大学数が増加し、いわゆるフリーパスで入学できる大学(Fランクの語源)が増加した事も背景
にある。
9.企業においては、採用時にも、採用後にも、学生時代に学習してきた事を活かそうというシステム
になっておらず、新入社員研修でその会社の社風に合致した人材の育成を開始する。詳細な業務に
ついては配属先に丸投げという文化が定着している。
<提言>
1.仕事を創出している企業の経営者・人事部門などの採用する側の意識から、学歴に対する昔の
イメージをなくし、高等学校卒業者、短大・専門学校卒業者、大学卒業者を、それぞれの年代
ごとに、何を学んできて、どういった成績だったのか、しっかり確認する。
2.「リーダーシップがある」、「コミュニケーション能力がある」、「ストレスに強い」などと
3.上記にも言える事だが、人事は「思考停止」してはならない。そして、真の意味で多様性を求
めるべきである。即ち、高等学校卒業者、短大・専門学校卒業者、大学卒業者、ひいては大学
男は働かないといけないという性別規範のせいで長時間労働がまかり通ってて。
それは女は家庭のことをするという性別規範があるからこそ、可能。男は長時間働く、女は家庭のことをする(加えて労働力減少により、家庭のことをしながら男並みに働けと要求されるのが現代)という選択肢以外が許されないの、生きづらいだろう。
女として生きづらさを感じるのは、社会が男目線で作られてるから、男の性欲を満たすコンテンツで溢れてたり、メディアに出てくる女は男の理想を描いたものでしかなかったりすること。芸能人にしろ漫画のキャラにしろ、男目線でウケる「女」が圧倒的大多数。(日本より行き過ぎた韓国は整形ばかり)
男の芸能人はブサイクや太った人もお笑い以外で許されてるのに、女でそれが許されているのはお笑いだけ。
男が女をモノ扱いするから、風俗やAVやグラビアといった性ビジネスも盛んだし。それに加えて、生きづらい社会でコンプレックスを感じやすいからか、大人の男にロリコンが多い。韓国にも多いのかな?
男尊女卑が強い地域ほど、女性をモノ扱いする男目線な社会が強く、そこに暮らす人たちは男女ともに病んでる人が多い。どの都道府県とは言わないけど。(新聞見てたらわかるはず、変な事件が多い都道府県がいくつかあるから。人口密度も関係してるかもしれんが、一番人口密度が高い東京より変な事件が多い地域が数カ所あるのは、人口密度が高いことに加えて東京への劣等感とともに育つから、なのかなぁ。
関東の数カ所と四国の某県と中部の某県と。四国の某県は人口密度の高さも原因かもしれないが
脱線終了。
ということは、男尊女卑だからって男が生きやすいわけじゃない。
男も女も生きづらいのに、得をする人間がいるから、まかり通ってる。
システムを変えられる層は男が圧倒的大多数で、既得権益を得てる層だから、変えようとしないのか?という考えと、最近気付いた仮説としては、そういう高学歴エリートの家庭は専業主婦の母親がいるから、問題だと思わないのでは、と。
高学歴になるためには親の高収入が必要、高収入のためには長時間労働で家庭のことをする人間が必要、そうすると、超エリートの育った家庭は父親が長時間労働で母親が専業主婦で家庭のことを全てする、という家庭が多くなる。
そういう風に、専業主婦の母親を見て育っているから、性別役割分業の考えから抜け出せないのかな?と思うのが、最近。
日本も韓国も、生まれつきどうしようもない性別と、生まれつきどうしようもない家庭環境で決まる社会だから、自殺率が高いのでは。
学歴社会についても一応、少し触れておく。
当たり前とされているけど、これが当たり前でいいのかな?
今の日本では、親の経済力で学歴が決まる。教育が無償ではないため、お金をかけないと良い学校には行けない。
学歴が重視されない社会なら、学歴にこだわる必要はないが、学歴で就ける職が決まって高学歴は高収入の仕事に就けるが、低学歴は低収入の仕事にしか就けないという学歴差別がある社会だと、大学までの受験や大学での就職活動で必要以上に競争する必要が出てくる。
競争すらできず、親と同じ社会階層に落ちる人間と、受験や就活で競争させられる人間と…どっちも不幸。
新卒一括採用という採用する側に都合が良く、終身雇用が崩壊した現代では時代遅れなシステムもあり、そういった、やり直しのきかない社会システム(学歴主義や新卒一括採用)に加え、男尊女卑という性別役割分業を押し付けてくるシステムがあり、他の先進国より高い自殺率になっているんだと思う。
韓国を叩いている人間は心のどこかでは日本が嫌いなんじゃないかな、めちゃくちゃ似てるし(占領してた影響? 日本のせいなの?
余談。
最近知ったのは、男であることで得をしていない層(長時間労働という損ばかりで低収入)が、女叩きをしているらしい、ということ。
その道の人が喉から手が出る程欲しがる賞なんかも受賞して、
傍から見ると画家として順風満帆な人生を送ってきたように見えると思う。
戦争で家が燃え盛る中、貴重品には目もくれず画材だけ持って逃げたり、
駆け出しの頃余裕のなさからちょくちょくヒステリーを起こしたりとか、
そのせいでうちの家系はアート関係の仕事に対して風当たりが強い。
父が美大ではない一般の大学を出、一般企業にサラリーマンとして就職した際は
孫の私は小さい頃よく祖父の家に預けられていた。
(私も祖父も都内住みなので、母が忙しい時、面倒を見てもらっていた)
父が幼かった頃はまだ生活に余裕がなく、祖父が子供の面倒を見る事はなかったが、
絵が売れるようになってからできた孫の私の事はかなり可愛がってくれた。
祖父は私にお古の画材をくれ、好きに絵を描いていいと言ってくれた。
幼稚園児の絵なんてプロの目から見なくても下手くそだし、祖父から絵を褒められた事は一度もない。
それでも下手な絵を量産し続ける私を見る祖父の目がとても優しかったのは覚えている。
やがて私は外で鬼ごっこをするよりも絵を描く方が楽しいと思うような子供に育った。
放課後はその事一緒にスケッチブックを持って公園に絵を描きに行くのが定番のコースになった。
小学生の頃、近所のお絵かき教室に行きたいと何度頼んでも全部無視された。
でもテレビでみかけた新体操の選手を見て一言可愛いと言った次の日には新体操の教室を探してきてくれた。
数学が苦手だとぼやいたらすぐにそろばん教室に行かないかと勧められた。
家族は私が絵を描く事以外に興味を持ってほしかったのだと思う。
一回だけ口を滑らせて「美大とか美術系専門学校に行きたい」と言ってしまった事がある。
父は大激怒、あんな鬼のような形相をした父親を見たのは後にも先にもあの時だけだ。
「お前に祖父のような才能はない」
「美大に行くような奴はそれしか生き方を知らないろくでなしだけだ」
「お前は絵の為だけに人生を棒に振れるのか、そうとは思えない」という電話がかかってきた。
でも「美大楽しそう」は中学に入ったばかりの小娘の言葉だったのだ。
隠れてノートに絵を描いてはいたものの、普通の大学に入って普通にOLとして就職をする道を選んだ。
それでも社会人になっても絵を描きたい欲が抑えきれず画塾に通い始めた。
この頃になるともうこれから芸術の道に進む事はないだろうと安心したのか、家族から白い眼で見られる事もなくなったし、
祖父のコネでもらった展覧会のチケットも興味があるのなら、とくれるようになっていた。
画塾に通い始めた事も「社会人になって趣味を持つのは大事な事」と肯定的な目で見てくれるようになって、少し認められた気がして嬉しくなった。
ただ一言「お前、絵描くの好きだったんだな、知らなかった」と言われるまでは。
あぁ、幼稚園・小学生の頃あんなにお絵描き教室に行きたいと頼み込んだの覚えていないんだ。
後、大学で一人暮らしを始めてから同人漫画も描き始めた。もちろん家族には言っていないけど。
同人イベントで金銭のやり取りをするようになってから、絵一本で祖母、父、そして父の妹を食わせ、大学まで行かせた祖父のすごさを再認した。
親戚が私に才能がないと言った気持ちもわかる。私は祖父になれなかった。なろうとする事すらおごましい。
でもこの趣味で出会った友人達には美大とかアート系の専門学校に通っていた人も多くて、やっぱり羨ましくなってしまう。
そしてその人達のほとんどは家族の言う「芸術の道に進むしか能がないろくでなし」ばかりではないし、
卒業後普通のOLとして社会人をやっていけている人にもたくさん出会った。
祖父が自営業の画家として生計を立てていたように、フリーランスとしてやっている人もいる。
何より皆、人より絵を描くのが得意な「社会常識のある普通の人」だったのだ。
美術を専攻するとOLという道は閉ざされるから絶対に稼げないという親戚の言葉は
嘘だった。
そして思ってしまうのだ。
正直言ってしまうと同人誌はそこそこ売れているので、私に絵の才能が全くなかった訳ではないと思う。
もし美大に行けてたら…祖父の様に専業画家として大成功する事は無理でも、デザイン系のOLとかで生活できる程度に稼ぐ事はできていたのかな…と。
甘い考えだってのはわかっているけれども。
父の口癖はこうだった。
「本当に何かをやりたい人はどんなに反対されても勝手にやる。祖父は家が燃え盛る中、泣きながら画材を持ちだして死にかけた。手塚治虫は戦争中、絵の具がなかったから自分の血で絵を描いた。芸術の道に進むというのはそういう事だ。」
きっとそうなのだ。
私が本当に美大に行きたかったのなら、親戚中に反対された中学の時点で家出でもすればよかったのだ。
バイトをできる年齢になったらお金を貯めて、学費は自分で賄えばよかったのだ。
そうしなかったのは心の底から美大に行きたいと思っていなかったからなのかもしれない。
ないとは思うけど、明日北朝鮮のミサイルが東京に降ってきたら、私は真っ先に通帳とか印鑑とかを持って逃げると思う。
そして、足腰が弱ってあまり歩けなくなってしまった祖父は、それでも若かった頃と同じようにパニクりながらカンバスと絵の具を持って避難するだろう。
そういうところなのだ、親戚が「芸術家はろくでなしだ」と言うのは。
明日のおまんまがなくなって、家族全員打ちひしがれていても、スケッチブックが燃えなかった事を泣いて喜ぶような人だから。
本物のミサイルなんてそうそう見れるもんじゃないと喜び勇んでスケッチを始めるかもしれない。
因みによく一緒に公園へスケッチに行ってくれた幼馴染は高校から画塾に通う事を許され、無事美大に合格。卒業後は有名なゲーム会社に就職した。
彼女がものすごい努力をしていたのを私は知っているし、就職の報せを聞いて私も嬉しかった。
でも北朝鮮のミサイルに対して彼女はどういう行動をとるだろうか?
私が趣味の世界で出会ったデザイン系の仕事に就いている人達は?
紙と鉛筆を持って逃げるだろうか?
幼馴染とは今でも仲がいい。
同人活動を通じてできた友人の中にはジャンルが変わっても付き合ってくれ、一緒に旅行に行くような仲の人もできた。
積極的に美大とか専門の話はしないけれども、そういう話題になっても自分の知らない世界の話を聞くのは単純に楽しいし、新刊のネタになるかもとワクワクすることもある。
でも嫉妬心を全く覚えないと言ったら嘘になる。
日本が火の海になった中で、紙と鉛筆でなくて通帳と印鑑を持って避難するような人だったとしても、彼女達が美大進学を許された特権階級である事は変わりないのだ。
一時期このもやもや感から逃れたくて、絵を描く事を伴わない趣味を探した事がある。
スポーツをしてみたり、美味しいご飯屋さんを探してみたり。
このスポーツ団の制服が可愛いから模写したいとか、肉の「照り」の部分を絵の具でどう表現しようかとか気付くと考えてしまっていたけれども、頑張って思考の外に追い出していた。
お気に入りだったのが音大出身で抜群の歌唱力を売りにしている子。
彼の美しい歌声に乗った異国の言葉は心地よくて、生まれて初めて海外アーティストの曲を買った。
ある日、彼が番組の企画でファンの為にイラスト色紙を書いてくれる事になった。
その日の彼は機嫌が良かったのか、普段はあまりしないプライベートな話をしながら色紙を書いてくれた。
小さい頃から歌う事が好きだった事。
歌手を目指し挫折した経験を持つ母が、音大に合格した時泣いて喜んでくれた事。
色紙を書き終えた彼はそれを満足そうにカメラに見せ、言葉をつづけた。
「歌も好きだけど…絵を描く事も好きです。上手くはないけどね。僕の従姉妹がこの絵を見たら笑ってしまうかも、彼女は美術大学に通っているんだ。」
頭を鈍器で殴られたような感覚がした。
今までアイドルと言うのは自分とは全く別の世界に住んでいる人間だと思っていた。
この世に存在しないくらい見た目が美しくて、スタイルが良くて、歌やダンスが上手で。
だからどんなにイケメンのアイドルを見てもこんな人と付き合いたいとか、
どんな美人アイドルを見てもこんな風に美しい女性になりたいとか、そういう気持ちが湧いてきた事はなかった。
特に彼は外国人だったので、そうした傾向が強かったんだと思う。
でも彼の口から「美術大学」という言葉がでてきた瞬間、一気に身近な存在になってしまった気がした。もちろん悪い意味で。
音楽も芸術だという当たり前の事を思い出し、生まれて初めてアイドルに対して悔しいという気持ちが湧いてきてしまった。
彼は芸術家になる事を親から応援されてきたんだ。従姉妹さんも美大に通っているという事は、きっと一族の大半が協力的なんだろう。
美大に行きたいという言葉を発した時に、罵詈雑言を浴びせられるのではなく、彼の母親の様に応援してほしかった。
彼が歌うのが好きだと気付いた母が、彼を合唱団に入れてくれたように、お絵かき教室に行きたいとせがんだ私の事を父に認めてほしかった。
お絵描き教室が駄目なら新体操も駄目だろうと思って発した言葉だったのに、すぐに新体操の教室を探してきてくれた親に対してショックを覚えたんだ。
美大コンプレックスから離れる為に始めた趣味だったのに、またもや同じ気持ちを味わったあの日、結局このコンプレックスはどこに行ってもついてくるんだなという絶望感を覚えた。
もちろん、高校から画塾に通って美大進学をした幼馴染、趣味を通じて知り合った美大出身の友達。
皆親を説得するために苦労をしたんだと思っている。
そしてただでさえ狭き門である芸術系の就職活動を成功させる為に、
血反吐を吐く様な努力をして作品ポートフォリオを作り上げたんだろう。
きっと私には想像もつかないような辛い道のりだったに違いない。
大好きなアイドルと彼の従姉妹だって、日本よりさらに厳しい学歴社会と言われる韓国で音大・美大進学を決めるのには相当な覚悟があったはずだ。
音大に合格して彼の母が泣いたのだって、その一悶着があったからという事もあるかもしれない。
でも。本当に悪いけど。その内誰だって祖父のレベルに達しているとは思えない。
祖父が彼女達と同じ年齢だった頃に描いた絵を見ると、素人目から見ても月とすっぽんの差がある。祖父の様な天才じゃなくても美大に行かせてもらえる彼女達。特に幼馴染は「本当は美大に行きたかった母親が大賛成」してくれて、祖父の様な絵に対する執着心もないのにすんなり画塾に通わせてもらえて、本当に羨ましかった。
家出なんかしなくたって、絵の具の代わりに血を使わなくたって、北朝鮮のミサイルが降り注ぐ中、愛用の画材を泣きながら探し回らなくたって。
もしかしたら、私にも美大に行かせてくれと説得できたのかもしれない。
彼女達が本当に羨ましい。泣くほど羨ましい。
祖父の様に絵を描く事しかできないわけでもなく、(少なくともデザイン系OLをやれる程度のコミュ力はあって)、でも祖父の様な並外れた才能があるわけでもない彼女達が
祖父が天才じゃなければ。数回頭を下げただけで私も美大に行かせてもらえたかもしれないのに。
祖父の事は聞かれない限り他人に話してはいない。父の職業ならまだしも祖父の事を聞かれる事は稀だし、自分から言いふらすような事でもない。
でもごくたまにある。お祖父ちゃんは何をしている人なの?と聞かれる事が。
そして答えると大抵「だから増田さんも絵が上手いんだね!」と返ってくる。
(もちろんお世辞だ。私は下手ではないと思っているけれども、上手くもないと思う。ただ、そういう仕事をしていない限り社会人になってまで絵を描いている人は案外少なく、相対的にそう見えるだけだ)
絵を描く楽しさを教えてくれたのは祖父。
お金にならないのに、今まで絵を描き続けてこれた情熱を持てたのも、祖父の遺伝なのかもしれない。
でもそれを仕事にしなかったのも間接的には祖父が関わっている。
そして何より、私には祖父ほどの才能がなかったのだ。
長くなったから、先に一番言いたいことを書く。
ネット上で見る糞ニートは、本当に糞ニートだけど、でも自殺するよりはマシなんだよ。
私は、中2くらいからほとんど学校いかないまま卒業して、通信制高校に通った。
悪い子じゃない。何も問題ない。
だから死なないで。
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いじめられた子が自殺するというニュースを聞くたびに思うことがある。
私の結論を言うと、「良い子」でいることを、無意識のうちに子ども自身が縛られてるんだろうと思う。
そして親も、「良い子でいろ」と無意識のうちに縛ってしまっていることに気付いてないんだろう。
私には、デキの良い姉がいて、私は「アンタはもう風邪とケガだけ気をつければいい」と言われて育った。
「良い子でいろ」と求められた事がないまま育った。
だから、中学でいじめられた時、速攻で「行きたくない」と親に言った。
いじめと言っても、上履きを隠された程度だけど、これに耐えてたら悪化するのが目に見えてた。
お母さんからは色々将来についてグダグダ言われたけど、「死ぬよりマシでしょ」と言ったら黙ったので、それで数年間やり過ごした。
でも姉には、親も無意識で「良い子でいてほしい」と思っており、姉はそれを無意識で感じ取って生きてきたんだと思う。
姉は、学校ではいじめにこそ合わなかったが、ブラック企業に入社し、ストレスと過労で倒れてもなお耐え続けた。
ボッロボロできったない肌になって、頭に何個かハゲができても、休まない姉が不思議でならなかった。
「会社を休むような子は良い子じゃない」って、姉の中の「小さい子」が頑なに言ってたんだろう。
何回休めって言っても姉は休まなかったので、私もキレて「バカじゃないの?そんな状態で、そんな会社に行くの頭狂ってるって」と言ってしまった。
当然、姉もキレた。
「自由にさせてもらってたアンタに何が分かる!」って何回も言いながら、泣きながら、ボコスコに殴られた。顔に飛んでくるのが涙かツバかわからなかった。
仕事とは何かとか、働くことの大変さとか、じゃなくて、「親から自由に育てられたこと」を何回も言いながら姉は泣いてた。
そこで、お母さんは姉に「良い子」を無意識で強要してたことに気付いたと言ってた。
お母さんが、「お姉ちゃんの元気が一番大事だから。それだけで十分だから」って言ったら、姉はやっと休職手続きを取った。
休職期間の間、姉は狂ったように昼夜問わずゲームして、漫画読んで、ネットしてた。
「良い子がしないこと」を反動でめっちゃしてた。煙草は身体に合わなかったらしい。酒はめっちゃ飲んでた。
それでスッキリした状態で「転職しよう」と決めた時、私の知ってるお姉ちゃんに戻ってた。嬉しかった。
学校や、学歴社会が、確かに逃げ場のない教育空間を作ってるかもしれない。
でも、「行かない」って選択肢を選べない子になってる理由は、それだけじゃないかもしれない。
姉がどんどん化け物みたいになっていてて、夜中に帰ってきた時に出くわすと心臓に悪かったから、私のためにもなった。でも殴られたのは痛かったから、ラーメンおごってもらった。
肌も髪もキレイになった姉は、新しい会社でまあ普通に働いてる。
お母さんも毎日金麦(のどごし生から寝返ったらしい)飲んで、テレビのアナウンサーにツッコミ入れてる。
すっかり存在忘れてたけど、お父さんはコロコロで絨毯キレイにしてる。
私の知ってる、私の家の普通が戻ってきた。
「行かない」って選択肢を選ぶことで「良い子」でいることに繋がることもあるんだ。
最後に、別に「子供が自殺するのは親のせいだ」って責めてるわけじゃない。
悪いのはクソなことするヤツと、クソなことを看過するヤツ。
ただ、もしいじめられて悩んでる子にかける言葉で悩んでるなら、「良い子でなくていい」って言ってみてはどうかなって思っただけ。
東大とかみたいにレベル高いところに通っているわけではないし、言ってしまうとMERCH以下の偏差値しか無い大学に居るので「お前が馬鹿だからそう思うだけ」と言われたら説得力のある返しができないのだけれど、それでも大学の授業が薄っぺらいと主張したい。
今年で大学生活も3年目に入り、順当に行けば後期には単位の取得が完了するペースなのだが、得たものが一切ないといえるほど大学での授業内容が頭に残っていないのだ。
単位取得はしているけれど成績という観点から見ればC評価が多く、ギリギリ赤点を避けている現状なので授業内容が頭に入ってないんだろうとも考えられる。
けれども単位取得の肝を担っている学期末テストの内容が『授業中に再生した動画で言及した企業のマーケティング戦略は何だったか?』というのはひどすぎるのではないだろうか。
自慢ではないがマーケティングについては当大学内で比較した場合に限るけれど、ある程度の知識を私は持っていると自負しているが、流石に特定の企業が行っていたマーケティング戦略なんて動画を見ていなかった私に解けるわけがない。
せめて、商品の販売個数を計測する戦略とか書いてくれれば何となく当たりをつけることは出来るが一切とっかかりになる情報がないので授業出席者しか解けないのだ。
授業に出席しないものは、いかなる知識を保有していようとも単位は上げませんと言っているようなものである。
そもそもの話私が大学に行かないのは、授業時間90分のうち、教授の雑談が半分以上を超えていてどのタイミングで本旨に触れるかわからないからである。
教授がゼミ生と一緒に福岡に行った時に食べた食事がとても美味しかった話など、至極どうでもいいのでとっとと必要な話をして終わらせてほしいというのはおそらく講堂にいる生徒全員が等しく思っていることだろう。
適当で面白みのない授業を展開する教授ばかりではないのはだが、どちらが多いかと言われれば上記のようなゴミ教授ばかりである。
こうやって教授を批判するかの言葉を連ねると「彼らは有名大学を出ていて高知能、その話を楽しめないキミは低知能」とマウントを取られる。
しかし東大を出ているとか、有名大学の院を出ているとか私からすればどうでもよいことなのだ。授業がつまらないという事実は私の中で変わることはないのだから。
やっていることは市販されている本(自著であることが多い)を朗読しているだけで、自宅で必要な部分は覚えられる。そんな「教授いる?」と感じるような講義内容でどこに「教授は頭いいなぁ」と感じる要素があるのか。私が異端なだけで世の中の人は資格や肩書だけで知能を判断する、判断基準が外部にしかない人ばかりなのだろうか。
つまるところ大学というのは教育ビジネスであり、肩書を得られるのを対価に金を払って、脳死しながら授業を消化し続ける場所なのだ。
私が声を大にして言いたいのは「大多数の人間にとって大学は一切必要ない」ということ。
企業が大卒を要求していて、大卒の給料が高いからしょうがないので大学に行って卒業しようと考えているだけで、そこで何を学べるかはどうでもいいのだ。
しかし私はそこまで割り切ることができず、大学を学ぶ場所と考えてしまったいたからこうして不満が爆発しているのだと思う。
私は運がいいことに文系大学に進学しているが、小さい頃にパソコンを祖父から貰い、そして2つ上のいとこがネット関係に非常に強かったため影響を受けIT関係に強くなった。
そして大学ではこれまた運がいいことにビジネスに精通した人間たちと仲が良くなり、今後の希望を得た。
情報量を多くする気はないのでこれを読んだ奇特な人は「騙された人間」と私を罵るかもしれないが、それはどうでもいいことだろう。
私の周りは大学に通うことを強く勧めたが、結局それは私に合わず、彼らに合わなければ日々鬱屈とした思いを抱えながら、ただ授業を消化する人生を歩んでいた。
アドバイスに従った結果、得られたのは大学と私が合っていなかったという知見だけである。
このことから「アドバイスと称して意見をぶつける人間は、個人を見ていない」というのが判明する。
彼ら助言をする人間は最大公約数的な、大体の人間にとってベストではないがベター程度にはなるはずという意見をぶつけることで自身の人生の正当化をしつつ、悦に入ってるだけなのだ。
確かに最終的に選択をしたのは私であるが、どれだけの人間が周りの人全てが自分と反対の意見を述べている中、自分の考えを押し通すことが出来るのか。
私は大学生になり人に恵まれたおかげで、本当の考えを通せたのであって、高校生の頃であれば貫くことはできないだろう。
結局、大学の授業が薄っぺらいというのはこの「多様性を認めず一般論を勧める人間」が大学への進学を勧めているからなのだ。
だから教育という存在はまるで利権を貪る団体のように怠惰でありながら肥大してしまった。
大学というのはそもそも専門性の高い話を学び、その専門的技術を社会のために使うのを目的とした教育機関だ。
特に能のない私のような人間が大学に行ったところで卒業したという事実を抱えて企業に入り、一切学んだことを使わないで終わるのが関の山である。
学歴社会は確かにフィルターとして有効な部分もあるが、その企業が学歴フィルターをかけているのが世間にバレればまるで現在の検索エンジンがハックされるようにそこに向けて最適化されてしまう。
つまり大学進学するものは優秀で専門性の高い人間だから採用するというのが前提にあって学歴フィルターは機能していたのに、そこがハックされてしまったがためにバツグンな効果を発揮するとはならなくなった。
ハックされていない採用基準は意図した人材を取得できるため優秀であるが、認知されてしまえばそこに注力できる人間を採用する弱い基準となってしまう。意図しない人材を確保することになる。
起業家の話を聞いてみると「東大生のほうが統計的に話がわかる」と語る。
つまり学歴フィルターは大卒で区別するのでなく、東大生などの超難関校とそれ以外で区別するようにしたほうが建設的だ。(給料も含め)
そうすれば無駄に大学に通う人間も減るし、ビジネス大学も少なくなる。大卒枠を争って貧困に悩む人間も減る。
私が問題提起したいのは以下の2点。
・何も考えずに一般論で「大学はいったほうが良いよ」と個人を見ずに語るやつは口を閉じよう
・企業は大卒で学歴をフィルタリングしても効果が薄いので、給料から難関大学(基準はMERCHかそれ以上?ここはわからない)とそれ以外で分けるべき。もしくは意図した人材を採用できてかつハックされていない新しい採用基準を見つける。
こうして大学が少数精鋭になれば教育者も生き残りをかけて力を尽くし、怠惰で肥えた教授も減ることだろう。
私はとにかく薄っぺらくて意味のない授業が大学から消滅してほしいので、教育機関こそ激戦のビジネス社会のように苦しみながら競争して欲しいと思っている。
確かに科学の力というのは重要だとは思うが、現在私の身の回りで生活に欠かせないと思うものを作っているのは企業であり大学で教鞭をとる人ではない。私が知らないだけで企業にその教授も協力しているのかもしれないが、それなら大学ではなく企業で研究させてもらえばいい。
つまり「安定してるー」とアホ面下げて年に数回、偉そうにゴミみたいな本を書きながら教壇に立つ輩は荒波にも稀ながら淀んだ精神を磨き上げるべきだということ。
そもそも大学はいま腐るほどあるわけだけれど、その全てが科学において必要ではないだろう。それならばなおのこと競争化させて精鋭化させなければいけない、なぜ「研究」という話になった途端嫌儲精神が発作的にでてくるのか。
何度も書いている気がするけれど、その大学の競争化をする上で最も邪魔なのは一般論を振りかざして大学に行かせようとする無能な働き者と大卒でフィルタリングする企業だ。
個人を見ないで、自分の人生訓を元にとりあえず精神でアドバイスするやつは総じて糞だし、対してその人を案じているわけではない。
こうした一般論で武装した人間に対して、正論に感じようが自分の感性と考えを元に対抗できるように成長することが、幸福につながるだろうしひいてはこの薄っぺらい大学の授業の減少につながる。
「学歴は関係ない。本人次第」なんて言える人間は本当の天才かドアホぐらいで、企業は学歴を重視する。
底辺大学から天才を見つけるのは至難の業だ。なぜなら天才は頭がいいのでもっといい大学に行けるし実際行っているからだ。
では東大から天才を見つけるのは?難しいことではあるが底辺大学から天才を探すよりはずっと簡単だ。
それは確率論の話で、ゴミ山から金を発掘するより金山から金を発掘した方が早いという話だ。
それを理解もせずに自分は努力してるだの、社会が理解してくれないだの、甘えことを抜かしているやつはさっさと現実を見ろ。
企業もアホの相手をしている暇はないんだ。面接をすればその時間の給料が発生するし、面接をした相手がそんなこともわからない低能ならその給料分無駄になる。
それでも納得がいかないなら今すぐ学歴フィルターに弾かれないだけの大学に行けばいい話。それだけの頭脳があるなら簡単な話だろう?
ま、そんな戯言を抜かしてるようなドアホは真っ当なところに就職できないだろうけどな。私のように。
うちの職場にもいる。
あと、電車が人身事故で止まったときの言動にも品位が表れるよなーと思う。
理由は何であれ人が死んでることについて、なんでそんなに雑に扱えるのか理解に苦しむ。
それと「昔、仕事で身近にうつ病になった人がいて~」のような話をするときにも、同じように品位が表れる。
しかも、そういう低レベル言動をするヤツが子持ちだったりするんだよね。絶望しかない。
一般的に、結婚して子供を持つと人格レベルとか社会的信用が上がるけど、判断基準がおかしいよなぁって思う。
まあ統計的には正しいのだろうけど。
でも学歴社会って「勉強以外がクソだったり不運な人間であっても、勉強だけできさえすれば下克上のワンチャンある」という格差是正の側面もあるわけで、その「結婚と子供によって無条件に社会的信用が上がる」ことと似てるんだよね。
クズでも、学歴と結婚相手と子供があれば社会に認めてもらえるわけ。少なくとも建前上・書類上の処理は。
世の中って難しいなー
韓国人の友人は割と多く、性格は人それぞれで苦手な人もいるけれど、彼らを嫌いではなかった。
ネットには韓国人といえば悪い話のオンパレードで、わざわざ韓国人と付き合おうとするのは韓流好きの一部の女性たちと相場は決まっている。
私は韓流に全く興味がなく、正直韓国にも興味がなかったしどちらかといえば国そのものにいい印象はなかったが、人に関してはそんなに悪い人たちばかりではないと感じていた。
しかし、今回のはちょっと印象が違った。パンチが効き過ぎていた。
勤めていたのは大企業だし、在住歴も長く話す内容や感覚、話し方も日本人とあまり変わらず、また話も面白い。韓国ドラマなんかと違い、食事の仕方も綺麗だったし…
しかし、四角が丸になるくらいの端々に、学歴への強いコンプレックス、家族との微妙な力関係がにじみ出ていた。
話すときにはずっと唇に手をやっていた。甘えが満たされてない人の仕草だ…
大学も職場も、親が言うから入ったと何度も言っていた。仕事は辞めたいらしい。(こういうことをまだ仲良くもない私に話してしまうことに驚いた)
つまり、総合的な印象としては、目上の人絶対の社会で、ものすごく古い価値観に押さえつけられながら自分の意見を受け入れてもらえず虐げられながら生きてきて、学歴社会でのコンプレックスも強く、自信がない反面プライドが高く、しかしそうした韓国の価値観から逃れることができない中でなんとか必死に仕事にしがみついている…そんな感じがした。
こうした人はもちろん日本人にもいるけれど、眼つきとか仕草とか、なによりオーラにまで上記の印象が強くにじみ出ていて、正直寒気がした。たとえばもし付き合ったら絶対にDVされるだろう。
本当の自分を奥深く抑圧させられているけれど、一方で押さえつけてくる社会価値観を自分の中にも持っていて、抑圧を自分で生み出してるみたいだった。かわいそうになった。日本で名前を知らない人はいない大企業に勤めているのに、何もかもがコンプレックスのようだ。
韓国ではDVや精神病が多いと聞くけど、もしかしたら韓国人の多くは彼と同じような生き方をしているのかもしれない。
思えば、いままでに会った韓国人はほとんどが、イデ女子大学に通う学生だった。彼女たちは国際感覚も身についているし、きっと社会の上澄みだったんだろう。彼の生き方は、多くの韓国人は彼と同じように、社会や家族に抑圧され、自分個人ではどうにもできないフラストレーションを溜めながら生きているのかもしれない、と想像を拡げるのに十分だった。
ただ、上記の理由で、自分の中で交際相手からは外したにも関わらず、話していて楽しかったのは不思議だ。韓国人はよく話すというが、確かに話題が豊富で話していてとても楽しいかった。
だから、人間性に対する恐怖心と、会話の楽しさがないまぜになって混乱した。
彼と別れてから、ああ誰でもいい日本人に会いたい、会って恐怖をデトックスしたいと感じた。身体の芯が冷えていて寒気が止まらなかった。
そんな一夜だった。
あ、それと、彼の家族が自分の飼っていた犬を食べてしまったと聞いて、時代のズレっぷりに驚いて思わず笑ってしまった。私は別に犬喰いを野蛮な風習とは思っていないんだけど、ポロっと、日本でも昔食べていましたよ、すごく昔だけどって答えたら、一瞬目が怖かったのは気のせいだったかな…犬肉は臭くてまずいらしいよ。
真面目に答えず、出来る限り嘘と虚構を織り交ぜて答えていきたい。
例えば、君が大人になったとき、自主的に行う習い事は役に立つものだろうか。これは半分YESである。なぜなら学校で習う勉学とは違い、その習い事は君が役に立つと思って勉強しているものだからだ。だが、なぜ半分はNOかというと、例えばパソコン検定1級だとしても、それで培われたスキルを使えるような機会がなければ、君が役に立つと思っていてもそれは事実上「役に立っていない」のである。仮に活かせる機会があっても、それがなくなった時点で「役に立たなくなる」。つまり「役に立つもの」とは、それ自体は役に立つかどうかは決まっていないのである。
そして人格が成熟するにつれて、「役に立つ」というものが恣意的かつ限定的な意味合いを多分に含んでいることに気づくのだ。環境、自身の置かれる立場、自分のやりたいこと、という前提のもと「役に立つもの」を決めているのである。側面が変われば役に立つものが変わるのならば、様々な事柄を習う学業がほぼ役に立たない、或いは役に立たなくなるのは必然である。
だが、それを踏まえると、学歴社会というものはある意味で実に分かりやすい。勉強の内容が(活用できるという意味合いで)役立つかどうかはともかく、それに対してどれだけ頑張ったかという大雑把な実績で測られるのだ。本来、限定的かつ恣意的な「役に立つもの」を、より汎用的なものに仕立て上げている。その観点から見れば、学業は役に立っていないにも関わらず、事実上はとても役に立つものなのである。何が役立つか、何を役立てるべきか、何を役立てたいか分からない、意志薄弱で未成熟な人間にとってこれは案外悪いことではない。
というわけで、質問の答えとしては「学校で習う勉強が役に立つかどうかはともかく、悪いようにはしない」といったところだ。もちろん、より限定的かつ恣意的な“役立つもの”の前では霞むが。なので何かを見据えて、自分にとってよりやるべきことがあると信じているのならば、それを最適化するための「役立つもの」を手に入れようとすればいい。もし、そんなものは特に思いつかず、ただ目の前から逃避したいだけでそんなことを言うのなら、ぶつくさ言いながらも勉強したまえ。
なあに、仮にそれらが無駄になってしまっても安心するがいい。側面によって「役立つもの」が変わるのならば、いずれにしろ大多数の人間は培ってきた「役に立つもの」を、実質わずかしか役立てていないことになる。勉学問わずほとんどのものは「役に立たないもの」なのである。
イエス・キリストを殺した罰として、イスラエルの部族の肌を赤くしたのが由来だ。
キリストがアメリカに爆誕したのは有名だが、なぜアメリカにいたかというのもそれが関係している。
当然、信心深い人間は啓示を受けているので、これを知っている人は多いと思うが。
私はクリスマスの予定を体よく誤魔化すためにユダヤ教ではあるが、やはり神というものは地元密着型の方が親近感が沸くのだろうな。