はてなキーワード: ラテンとは
アラフォーなんだけどコロナ前辺りから、邦楽の新譜を全然聞かなくなったのに気づいて今年はじめからサブスクでガンガン聞いて楽しかったのでここに残しとく。
だいたい2020前後から直近の曲までビビッと来たものの感想と昔の曲を添えて。あ、下記は全部自分が好きになった曲になります。リピ確定な。
・mabataki / Vaundy
むぉしきみぃぐあー、好き。テンポを早くしたCreep(レディオヘッド)。コード進行もほぼ同じ(厳密だと3小節目がsus4)。
Vaundyの別曲、踊り子って曲も同じような進行。ばらの花(くるり)感があるのはストリングス8分刻みのスタッカートのせいかもかも。
サビ4小節目の転調すばらしい(0:56あたり)。大サビ(2:39あたり)のメロがきれいに一旦終了してカタルシス。
AメロのGlitch Hopリズムや雰囲気はCloser / Lemaitreをめっちゃ意識してると思う!(当たって!)
ヒゲダンのコード進行のキレイさってKANっぽくて整理されてて文句言えない隙がない。ヒゲダンの息子だったら生きにくいよな。
・The Diamond Four / ももいろクローバーZ
ももクロはココ☆ナツと走れが好きなんだけど、このラップも好き。
ファンキートラックはリップスライムのFUNKASTICを思い出す。
・the Moment / Ryohu(呂布カルマではない)
Harfby味あるゴスペルサンプリングをベーシックにしたトラックに何言ってるかわかんねえけどカッコいいラップ曲。
増田がゴスペル好きだったので。appleのCMに使われてた思われるんだわ。
アコギのリズム・ギターとタム回しがきもちい。Aメロ終わりのコードD♭が予定調和崩壊のキモ。
声質はとにかく今旬の量産型だけど女の子の歌がYUIの歌をR&B風にした感じと男女で歌ってるのが好き。
・DOGLAND / PEOPLE1
サビで爆発&マリリン・マンソン(デスメタ)ぽいダーク感。ぬーさん(king gnu)風味もある。
ヴィジュアル系追っかけゴスバンギャに大人気!(おらバチボコしたんぞダウナー系女子に大人気!)
こういう三連符メロ&リズムは今の主流だと思うけど、水戸黄門テーマソング「あゝ人生に涙あり」のタンタタタタン、
コード進行がD♭M7 →EM7 →B♭m/E♭ この3コードだけ(アウトロは変わる)なのでシンプル。
アウトロはサンダーキャットぽい動くベースがキモい、いや気持ちいい。この質感は音楽のモンクレールや!
Youtubeでよく聞くLo-fi hip hopサウンドを表現しつつ自らのファン層に「やっぱりおしゃれなんです、僕」をちゃんと伝えてて好き。
こういう打ち込みはDJ Mitsu the beats(gagle)が心地いいので良かったらぜひ。
声質のせいか星野源の歌ってメロディーが聞こえにくい曲が多いんだけどこれはよく聞こえる。そうそう、喜劇はまさに星野源やないかーい。
・ただ君に晴れ / ヨルシカ
令和夜シリーズ(YOASOBI ずとまよ)の一角ヨルシカ。ゆるく歪ませたサウンドとペンタトニック地獄、最近には珍しくギターソロがある、うまい。
ギターヒーローはまだ死んでなかった。良かった、太陽がまた輝くとき 矢を射るよ。
サビ4小節目のディミニッシュコードがオサレ&エモでキュン死。ジャケもムチムチ死。
1サビ終わり(1:10~)からギターでいとしのレイラ/クラプトンを弾いている。私より先に弾くとわ気に食わないけど愛しい。
・踊 / ado
最近の曲、"唄"はいいんだけど"踊"より大衆に迎合した感があってウルトラソウル透。
どどどど(1:43)が好き。
トラックはダブステップ〜ラテン〜しゅわしゅわハウス〜みたいに飽きのこないアレンジ。
・ビビデバ / 星街すいせい
Vの事は何も知らんがadoライクの唄&音。PVも面白い。トラックの中でずっと117時報が鳴ってて□□□の00:00:00を思い出した。
ひとつだけ残念なのはトラックがプロいので完成されていて予定調和なところ。でもPVがかわいい♡からまあいいか!ってなる。
・グッドな音楽を / ねぐせ。
シンプルなバンドサウンド。ほんと何も考えなく聞ける。あ、ウルフルズ!それな。
1回聞けば覚えるサビメロが好き。
・およげ!たいやきくん / MONO NO AWARE
「たいやきの尻尾を集めてCome togetherで煮込みました。ね、面白いでしょ?」感がすごく、ウザ過ぎて好き。
・dasu . Hikage no onna / Otoboke Beaver
・あふれる / tricot
イントロからポップなんて大嫌いっ!感あふれる三和音sus2コードのギターリフというかカッティングが印象的。
今っぽくない透明抜けするボーカルが心地良い。
ハイパーポップの代名詞(でいいよね)。サビはDubstepからの派生。Bメロからのリズムがサビで半分になって
アホほど気持ちいシンセアルペジオとトゥントゥン降りてくるタムもからまって、
・Still in my heart / PSYQUI ぷにぷに電気
これもハイパーポップ(だと思う)。このあたりのぶつ切り感(1:30)とかおもいっきりテレビですわ。
・OPENING / KMNVERS
二人のラップバランスが好き。ラップの言葉の置きどころがHALCARI風で今っぽくはないがそこがいい。
トラックがドラム、ベース、SE、ブラスサンプルぐらいなのでシンプル。そのせいか声が聞きやすいぜよお疲れSUMMER。
・WurtS / Talking Box
「こんな夜中に卓球でもしてんのかお前」みたいな速さで、ゆるふわピッチベンド全開シンセが気持ちいいイントロ。
イントロのフレーズ待ち構成がこの曲のカタルシス。サビで倍速リズムになればどの曲も大抵楽しい。
歌は何言ってるかわかんねえけど…山嵐の未体験ゾーンも何言ってるかわかんなかったわ。何言ってるかわかんねえくらいでいいんだわ。
・New Jeans / New Jeans
ほんと2STEPガラージHOUSE。2000年くらいにM-floもよくこのリズムを取り入れててcome againのサビなんか2STEP。
K-POPって生バンドサウンド文化が少ないから打ち込み文化なんだろね。クラブサウンドを昇華させて耳障り良くするのがうまいよね。
2024は2STEPの流行くるかなー過去二回失敗してるからこねえだろなー。
・Away With Me / Tomggg, raychel jay
テイ・トウワっぽくもありPOPうううううう。渋谷を思い出す。この雰囲気は悪いこと起きない
・救われ升 / ポップしなないで
月曜AM4:00くらいに小便で起きまして。中年の中途覚醒まっしぐらですわっはっは!
そんでもって変な曲だなとおもったらサビの歌詞が良くて、ああいいなあなんて思いながらまた寝ちまったんです。
で朝起きたら私、透明になってたんですね。。もとい、この曲ベースが無いから粋で好き。
・エナジー風呂 / U-zhaan, 坂本龍一, 環ROY, 鎮座Dopeness
教授のenergy flowをベーシックに、U-zhaanのタブラとラップがうまく融合した作品。
とにかくラップがいい。1:23~からの"たぶん"と"ざぶーん"の応酬がもうきもちいい。
むかしリゲインのCMに使われてたと思うんだけどあの頃はリラックスとかブームだったねえ。
”禅問答なのかこれは”と意識させられそうなディアンジェロもほっこりシンプルなイントロ。こういうの好きマジ大トロ。
寝起きで歌ってんかおまえ的な声はBONNIE PINK好きならマストバイ。さよならバイバイ、元気でいてね
・あわいに / TOMOO
「畠山美由紀のような声を持った聖女は転生して歌手になる!」みたいな曲。
アレンジは、ほぼ恋 / 星野源なので安心して聞ける。フルートや他の管楽器も聞こえてほっこりするね。
大好きな人はいると思うけど、まじ嫌いな人を作らなそうな声と歌詞。Presentっていう曲もよかたよ。
■総評
最近の曲の歌は言いたいことが多く、説明も多い。本当に多い。(←まじ老害)
これはSNSや映像コンテンツの歌詞文字の影響なのか。また、一曲の長さが2分台はザラ。時間節約でまじタイパ。
コード感ていうのはマッキー「どんなときも」でいうとイントロからシンセピアノが鳴るんだけど、よく聞くとAメロやサビでもずっと鳴ってて曲を通して和音がわかりやすく全体を支えてる感じ。
あと楽器は歌の裏でクリーントーンのエレキが一人で遊んでたりベースがうねってる。ジュディマリみたいにやんちゃ。
そうそう、ベースの音量大きいよね。リズムも。DTMやダンスの影響かな。
あれかな、2000年くらいに管楽器ブームがあってエゴラッピンとかスカパラとかWhat's Loveとか流行ったけど(あの時は椎名林檎すらエゴラッピンに寄せてたよね)あんな流れと似てる。
いうても実は響けユーフォニアムの影響なんですけどね。3期もたのしみ。
さいごに、、、歳をかさねても新しい文化にちゃんと浸れるのはうれしい!たのしい!大好き!
とは言え、ギリシャ人は明らかにアルファベットというものの発明者であって、それ以前のフェニキア文字などのアブジャドとは一線を画していると思うぞ。フェニキア文字(やアラム文字や古代エジプト文字)はアルファベットではないからね。
また、ラテンアルファベットがギリシャ文字のバリエーションだというのは確かにそうなんだけれども、ラテン語に合わせて改変しているわけで、その点がラテンアルファベットをほぼそのまま踏襲した英語とは違っている。中世以降の英語は明らかに Latin-envy だろ。スペリングもそうだし古英語時代の固有文字まで廃止してラテン語(とフランス語)に媚びてやがるし。
そうだなあ。そう言えば初期の頃のラテンアルファベットはかなりギリシャ語っぽい形をしてたみたいだしな。Xは初期からだったのか。
ちなみにYはフランス語では「ギリシャの i 」みたいな名前(イ・グレック)だったと思うので、たぶん後から加わったんだと思う。
姫のチークがかわいすぎる
クラシックが嫌いとかじゃなければ捨てるところのない名作。2000のほうも見るべきシーン目白押し
ずっと派手な色彩でずっと楽しい。うるさい
子供の頃は犬は飼い主に似るみたいなシーンを繰り返し観てた
ヘビがシューシュー歌うTrussst in meは必聴。実写の少年が可愛すぎる
ジャズ猫のシーンが有名だけど、スケールとアルペジオも推しておこう
1作目もいいが2作目にヴィランとして出てくるトカゲのジョアンナちゃんが最高にかわいい
歌がいい、映像美と合わせて何度も見たい
ずっと野獣のままでいいのに
人類は愚か
スティッチは犬
エルサが氷雪系最強すぎて愛おしすぎる
質問文は原意をくんで変更してある。
そうおっしゃっていただけると大変ありがたい。
これだけでブルマー増田として記事を書いてきた甲斐があったというものだ。
前述のエロマンガソムリエの友人も実は評論島に足を運ぶらしく、全国のエスカレーターの機器の分析だとか、その土地ならではの文物を記録した優れた同人の存在を教えてくれた。また、先行研究としてはこちらがある。
ブルマーの歴史・改訂版 [オペレーション・ボックス(しづみつるぎ)] オリジナル - 同人誌のとらのあな全年齢向け通販
ウィキペディアに載っていないような、英語圏・共産圏のショーツ型のブルマーの分布について論じているのも、自分だけだという自負はある。
単純にブルマー増田の素顔・正体を見られたくないというのもあるのだが、そもそも売り物にするだけの水準に達していないと考えている。確かに書き溜めてきた量はそれなりになるが、例えば事実確認がいい加減だ。
また、出版するならば引用元のサイトに画像の転載の許可を願わねばならないが、これも膨大な量になる。
もっとも、はてなという企業に万一のことがあれば、この研究というか随筆を誰も読めなくなってしまうのは損失かもしれないという、迷いはゼロではない。
(韓国のブルマーについて扱った記事で)アフリカの文化を紹介すると称して、トップレスで釣っているyoutubeチャンネルを批判しているが、タイトルに「おっぱい」を引用し、そのくせ対して議論を深めていない貴君も同罪ではないか?
雑談のつもりだったのでそういう意図はなかったが、言われてみればその通りだ。
やりかたが不適切だったかもしれない。異国の文化なのでもっと敬意を持って扱うべきだった。謝罪したい。
トップレスについてはいずれ真面目に考えてみたいと考えている。
自分は海外で何度かヌーディストビーチや混浴サウナの経験があり、性的でない裸体を実践してきた。その点でも大変興味がある。隠せば隠すほど性的視線を向けたくなる一方、全裸でも堂々としていれば爽やかだというのが実体験である。
ところで、次項にまとめた表や、過去のブルマー増田まとめを見ていただくと、実はブルマーだけについて議論した記事よりも、ブルマー以外のものについて語っている記事のほうがブクマは伸びている。
露出度が増えれば増えるほど伸びているのだ。
特に100以上のブクマを稼いだのは、デビュー作のインパクトがあったイギリスのブルマーを除けば、手塚ブッダのおっぱい、陸上ブルマー(ビキニタイプ)、それからビーチバレーのビキニの記事である。
投稿日 | 記事名 | ブクマ数 |
---|---|---|
2023/5/23 | ソ連のノーパンブルマー少女 | 3 |
2023/6/29 | 体操着さまざま ウクライナ語ウィキペディアより | 14 |
2023/7/10 | エアロビのレオタードとタイツ、60年代から90年代まで | 12 |
2023/8/28 | anond:20230828074847(無題) | 1 |
2023/12/28 | スイスのブルマーと各国のブルマーの呼称、VtuberとパンチラMV | 18 |
2024/1/4 | 韓国のブルマーについての短信、あとアフリカのトップレス | 92 |
2024/1/8 | ブルガリアのブルマー、台湾とルーマニア、手塚漫画と少女漫画 | 39 |
2024/1/11 | チェコのサマーキャンプ、ドイツのブルマ再び、バルト三国のブルマ(男の子のブルマーについて書いた) | 2 |
一旦ここでまとめておこうと思ったのは、たとえば旧ユーゴスラビアのブルマーを調べても、画像があまりヒットしなかったので段々面倒くさくなり、ここで区切ろうかという気持ちになったからだ。
はじめのうちは、旧ユーゴスラビアのブルマーについてまとめて書こうと思っていたのだが、独立した七か国について並行して調べているうちに目移りしてしまい、調査が体系的に進まなかった。
また、前回はバルト三国をまとめて記載してしまったが、本来は各国の体操着の変遷については一か国ごとにまとめて記事を書くべきだろう。以前はポーランドやチェコ、ドイツのブルマーについては記事を独立して記載している。歴史はそれだけの深みがあるはずだ。
しかも、考えてみれば、旧ユーゴスラビアやコーカサス地方の国々については、そもそも地理や歴史をほとんど知らない。バルト三国や東欧諸国は二十世紀の歴史を扱った書物で多少聞きかじっているし、その国ごとのイメージや著名な出身者を思い浮かべることをできるが、前述の国々についてはそうではない。旧ユーゴスラビアと聞いて最初に出てくるのがチトーとミロシェビッチだ。あとはドブロブニクくらい。
その国のブルマー事情について調べる前に、まずは当該地域の基礎知識を身に着けるべきではないか。それが礼儀ではないのか。
あと、コーカサス地方では文字がラテンアルファベットもキリル文字でもない。自動翻訳に書けるので困らないのだが、キリル文字はギリシア文字を知っていると読みが推測できる一方、アルメニアやジョージアの文字は全く推測できないので心理的な壁を感じる。
調べていない国もまだたくさんあると気づいた。
ベネルクス三国やデンマークもまだだ。オーストリアについてもドイツの陰に隠れてしまっている。
これくらいの数で区切ったもう一つの理由が、記事なら見返すときに便利だからだ。
あと、最初のうちはanond:でリンクを貼れば、http:のようにリンク数制限に引っかからないと気づかず、8~9個でまとめていたのだけど、その名残り。
https://www.youtube.com/watch?v=31MQBXy2g3w&ab_channel=MilanDubek
https://www.youtube.com/watch?v=q7ktb56-Y-4&ab_channel=AMASLOU
https://www.redbull.com/hr-hr/stvari-koje-moras-znati-o-odbojci
はっきり言ってわからないことだらけだ。
そもそも各国のブルマーがどんな素材でできているのかはあまりわかってない。
また、色合いについてもあいまいだ。意外と白黒写真が多いため、例えばドイツのブルマーが黒だったことは文章からわかった。画像が荒く、提灯ブルマーかショーツ型ブルマーかはっきりしないことも多々ある。
国によっていつからいつまでブルマーだったのかも、正確な数字はわからない。
日本国内でさえ地域差があったのだからはっきりしないのは当たり前かもしれないが、日本ほど体操服の変遷を記録しているのは英語圏くらいしかない。
ブルマフェチがいるかどうかという問題だけでなく、その国の歴史をどれくらいアーカイブ化しているか、また、その国のネット利用者数や総人口という問題ともかかわっていそうだ。実際、人口が数百万規模の国だと検索してもヒット率が格段に落ちる。数千万規模の国とは格段の違いがある印象だ。
あとは、以前にちらりと新聞や広告、SNSなどで調べたいとも書いたのだけれど、それ以外にアーカイブ資料を使いたいと感じている。
実際、韓国のブルマー写真は「Korea Democracy Foundation」というNPOの画像だし、ポーランドの場合はポーランドのポズナンのデジタルアーカイブだ。
もしかしたら各国のデジタルアーカイブが、ブルマーについて調べる良い資料となるかもしれない。
あとはdeviantartのフェチの人のつぶやき。
各国のブルマー事情を考えると、アメリカだとバスケットボールのときにブルマーだったという証言があるし、バレーボール部もブルマーだったようだ。つまり、同じ体育の授業でも内容によって服装が違っていた可能性がある。
実際、国内でも創作ダンスの授業でレオタードだったという例もあるようだ。
https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q14254151119
https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q12227793622
つまり、例えばバレーボールではブルマーが広く使われていたが、それが体育の授業一般ではどうだったかははっきりしない。バレー部がブルマーでも授業は短パンってこともあるだろう。
個人的には、バレーボールだけの画像を積極的に探さなかった理由がそれだ。自分が知りたかったのは、ブルマーが体育の授業の制服として使用されていたかどうかだった。バレーボールで検索すると、プロの選手の画像がヒットし、学校教育での実態がわからなくなる。
最初の調査理由がそれだった。ときどき、何のために調べていたのかがぶれてしまうので、そのあたりは気を付けたい。
一旦ブルマーを休んで、へそ出しやトップレス、ヌーディズムについて調べてもいいだろう。
というか、いい加減にネットだけの調査だけでなく、書籍で調べるべきなのだろうが、積んである本が多すぎる。
それにしても、ブルマーに対する執着の根っこにあるのが、小学生時代に憧れていたお姉さんの、パンツのようなハイカットブルマーだとしたら、初恋? をこじらせ過ぎである。
今気づいた。
ブルガリア語のキーワードについてかなり突っ込んで考察してくださっている。
やはり熱意のある方の増田は読んでいて嬉しくなる。
時間を見つけて精読させていただく。
トップレスの民族はフツーに現存するやんけ anond:20201102080505
以上。
(追記あり。一番下)
↑書いた人です。この件でもう一つ気になっていたことがあって追加で調べていたんだけど、ある記事で驚いてしまったんで見てほしい。
https://woman.excite.co.jp/article/child/rid_Enfant_537708/
「「ドイツではまだ授乳室が少なく(中略)みんな普通にどこでも授乳していますよ」(中略)授乳時には授乳ケープもつけません。カフェのテラス席で与えているママもいるし、公園でも普通に与えていて、“青空おっぱい”と呼んでいるそうです。」
「オーストラリアから2歳と0歳の子どもを連れて帰国し、東京での生活が始まったときの逆カルチャーショックは、まだ心に焼きついています。それまでは自由にどこでも授乳をしていたのに、日本に帰ると周囲の目を気にして授乳する場所を探さなければならない、授乳ケープをつけないと恥ずかしい。」
「ワシントン州は2001年に女性が公共の場で授乳する権利を保護し、授乳や母乳を搾る行為は公然わいせつ罪にあたらないとする法律を施行しました」
自分、授乳室っていうのは「(母親が)見られないようにする」ためのものなんだなって普通に思ってたんだけど、ここ見ると「(通行人が)見せられないようにする」ためのものであり、むしろどこでも授乳できるようにしろ、ってことの方が論点になっている。で、そうやって見ると、なんかどうも後者の方がスタンダードなのでは……?と思うような記述がちょくちょく見つかるんですよね。他にもいくつか挙げてみると、
スウェーデン(2018)
https://laxmedpotatis.weebly.com/home/9168928
「スウェーデンは公共の場での授乳に比較的寛容と言われており、実際に授乳している人もたまに見かけますが、所構わず授乳することに関しては過去にエチケット専門家の発言をきっかけとしてSNS上などで議論にもなったりしているようです。」
フィンランド(2020)
http://baby-trip.jpn.org/top/interview/010-2
「ただし「ここの授乳室には扉がなく、外から丸見え状態でした(笑)」。 扉がない授乳室は他にも結構あったようです。」
別に外国の事例を持ち出してきて日本もこうしろって言いたいわけじゃないし、見えていない文化的背景もあると思う。だけどはてブでは1ミリも存在しなかった観点なので、とにかく書いてみる。
いくつか気になったコメントがあったので追加調査。なんかこの話題って、想像で批判したり(しかも事実と違う)、調べればわかりそうなことを言いっぱなしで放置する人がいつにも増して多い。
「日本は母乳AVがジャンルとして確立してるけど海外はどうなの?」
pornhubにmilkって入れて検索してみた。全28499件中、日本人475件、ラテン人4001件(フランス人、ロシア人など各国名500件程度)。これだけだとカバーされてない件数がかなり多そうなんで、人気順でソートしてみると日本語と英語でだいたい半々くらいかなあという印象。ちなみに「母乳」は229件。日本固有の特殊性癖と主張するのは無理がありそうだ、くらいは言えるだろうか。
というかpornhub初めて見たよ……。正直きついんで、誰か詳しい人追ってほしい。
「性的に見ようとする視線と「あくまで体のパーツであって授乳は隠すものでもない生活の一部」という当事者の視点の戦いなので、海外がこうだから……と安直に取り入れられない。時間がかかると思う。」
まあそうですね、と思うんですが、ウーマンエキサイト記事の「授乳室が増設、完備されることは素晴らしいことですが、逆にそちらに追いやられ、ますます外での制限が増えてしまうのではないかということが心配なのです。」も当事者の視点ですよね。なんで今回だけこっちの視点一色になってるのかは気になる。
「儒教国で比較したらどうか知りたいと思ってしまった。授乳中にじいさんばあさんに話しかけられたらちょっとしんどいのではないだろうか。」
↑には書かなかったんですが、韓国、台湾は設置が進んでいるような印象を受けました。それでも地方の普及はまだ少ないようです。この調子だと誰かが言ってた「外国人が日本の授乳室の多さに驚く記事」、本当にあるんじゃないだろうか。
「文化がちがーう」
観途中→観終わった
・嘘…滅茶苦茶面白い…
そのまま6〜7時間見続けちまった…
・吹き替えで観たから最初は「中の人が同じじゃからアニメが脳内再生され、
実写を補助する形でオモロを感じとるんじゃ」と思ったけど
・コビメッポの福利厚生が厚すぎて
ここまでヘルメッポさんな人三次元にいるんだ…
カッコよすぎでしょ
・バギーさん、なんかシャンクスさんへのデカめの感情剥き出し気味だった?
なんか「受け入れられないフリークスの哀しみ」的な雰囲気がセリフから
滲み出てた?
オタクの誇張抜きで成層圏レベルになっとる 動いてもカッコよさが
崩れないの何なの?キャラクターBGMのラテン?な曲と合わさって
カッコよすぎる
・サンジきゅんの料理シーン、カッコよすぎでしょ最高という心と
クソッオシャレ…悔しいッ…という心と心がふたつあった
・首領クリークが若干細めで「ヒロアカ作者の人、少しガッカリしたのかな」
とよぎった
略 笑いながら受け入れるシーンの演技、良
なんだ、こいつ?
ハンガリー人の名前を名姓の順に書くし、ダブルアキュートとかダイアクリティカルマークとか英語っぽい言い方するし、あんまりヨーロッパっぽくないんだけど。アメリカあたりの英語圏に留学経験とかある英語かぶれorアメリカかぶれ?
ハンガリーとポーランドの違いという話なら、やっぱりハプスブルク二重帝国とか大ポーランドとかポーランド分割とかの歴史にも触れて欲しいよね。それと、ポーランド語は印欧語族スラブ語派なのでロシア語と親戚だけど文字はラテンアルファベットだとか、ハンガリー語はそもそも印欧語族ですらないとかもね。(ヨーロッパなのに!)
もう一つ大事なポイントは、ハンガリーもポーランドも共にカトリックの国という重要な共通点があって、文字がラテンアルファベットなのもそのせいで、東方教会(オーソドックス)のロシアとは文化圏が違うということも。(ポーランドはスラブ語圏なのにね!)
だから両国は東欧というよりも中欧という言い方の方が歴史的には多用されていたと思う。だって東方教会の文化圏(キリル文字)じゃ無くて西方教会の文化圏(ローマ字)なんだもん。
あと、僕が思うには、ハンガリーが混同されやすいのはポーランドじゃなくてチェコやスロバキアなんじゃなかろうか。ほら、ハンガリー動乱とプラハの春とかあったじゃん。
ここでいう「ラテン語」というのは古代ローマで使われていたものではなく「中世ラテン語」なんだよ。
中世ラテン語(ちゅうせいラテンご、英: medieval latin)は、中世にカトリック教会で文語として用いられたラテン語である。
現代におけるラテン語と同様、あくまでも第2言語として使用されたものである。
各使用者は必ず別の言語を母語としてもっており、そうした諸言語の特徴が、音韻・文法両面で、中世ラテン語に大きく影響している。
現代でも学術用語として似非ラテン語を使ったりするけどそれに近い。
つまり中世ラテン語としての「sectio caesarea」というのは一種の造語なんだよね。
そして、だからこそ由来がはっきりしてないわけ。
日本では'76年に、フィレス・レーベルの作品がまとめて再発売されたことがありましたが、ボックス形式としては本邦初で、しかもCDのボックスとしては今回が世界初ということになります。また同時に、<ヒーズ・ア・レベル>という、関係者のインタビューを中心にした本が白夜書房から発売されます。それを読みながらこのBOXを聞きますと512倍楽しく聞けることを保証致します。
1958年、17才にして彼は”スター”でした。この後ポップスの歴史を彩ることになるクリスタルズやロネッツ、キャロル・キングやバリー・マン、ビーチ・ボーイズやビートルズの誰よりも先に<NO.1ヒット>を持っていた!、このことが良くも悪くもスペクターのその後の人生を決定づけたと思います。ポップス史上、#1ヒットを星の数ほど作り続けたリーバー&ストラーや、ジョージ・マーチンも、自らの#1ヒットはなく、このことが彼を単に<プロデューサー>の範疇では捉えられない最大の理由です。<彼を知ることは、彼を愛することだ>というデビュー曲の<彼>は、もちろんスペクター本人の意味で、そこには強引さ、傲慢さも感じられますが、実はそれが力強くもあり、<スターの要素>そのものだともいえます。彼の仕事ぶりを評して、全てを自分一色に染めてしまう、という批判をよく聞きますが、これはことの本質を理解してい居ない人の発言です。かれは<裏方>ではなく<スター>なのです!それを、アーティストの持ち味を引き出すのがプロデューサーの仕事だ、という常識的な意味で彼を捉えようとするから批判的になるのです。彼こそが<スター>で、誰が歌おうか演奏しようが、他の人は全て脇役なのです。単に映画監督と言う視点でヒッチコックを捉えるとおもしろい解釈は生まれない、というのにも似ています。(誰が主演でもヒッチの映画になります。黒沢さんもそうですね。)
デビュー・アルバム「TEDDY BEARS SING」のB-1「I DON'T NEED YOU ANYMORE」の<ステレオ・バージョン>はナント、リード・ボーカルの女の子の声が左で、真ん中がフィルのコーラス、しかも、ところどころリード・ボーカルの3倍くらいの大きさでコーラスが<邪魔をする>といってもいいほどの前代未聞のバランス!です。
デビュー前からしてこうなのですから、自己主張とかワガママなどという、なまやさしいことではないのです。
SCHOOLもの
のちにブラック・ミュージックにのめり込んでいった彼ですが、スタートは白人ポップスでした。まずは自らのヴォーカリスト、ギターリスト、および作曲家としての才能を試すところからはじめた、というところでしょうか。'50年代後半は、まだ黒人音楽は一般的ではありませんでしたが、若者の間では熱狂的な指示を得ていました。スペクターもいろいろな黒人アーティストを聞いていたようですが、こと自分のデビューに関しては、世間的に穏便な方法をとったところなど<奇[...]
また'50年代中期には「暴力教室」をはじめ「HIGHSCHOOL CONFIDENTIAL」など<怒れる若者>をテーマにした映画が続々と作られ、その代表としてJ・ディーンが登場し、代表作が「理由なき反抗」-REBEL WITHOUT A CAUSE -でした。このように、当時の若者のキー・ワードの一つは<REBEL>であり、「乱暴者」のマーロン・ブランドのような皮ジャン、サングラス、バイクというスタイルが流行しました。
彼のでデビュー・ソングはたしかに<学園もの>でしたが、それまでの、例えばドリス・デイの「先生のお気に入り」調のホンワカしたものではなく、女の子が自分の想いを直接的、また積極的に<ナゼわかってくれないの?>と切々と歌い上げるというのは冬至の若者のフィーリングにピッタシきたようです。実はこの手法、スペクター特有の<ソフィスティケーションの中の直接性>というもので、彼を理会する上で大事なことなのです。
ある程度、あるいはそれ以上の音楽の素養がなければミュージシャンや作曲家になれなかったジャズと違って、ギター1本あればだれでもロックンローラーになれる、というのがロックの時代でした。子供が技術を会得して成長し、大人の仲間入りをするのがジャズだとすると、ロックは、子供が子供のままで音楽ができるというのが特徴でした。ヒョットしたらオレにもなれるかもしれないと、多くのシロウトがわれもわれもと参加したことが、音楽の単純化に拍車をかけました。ジャズが豊満でふくよか、とすると、R&Rは骨と皮だけといえましょう。ジャズが大人の音楽で、背景はナイトクラブと女性とお酒が似合いましたが、子供の音楽として誕生したR&Rの背景に一番ピッタリだったのはナント、<ガレージ>でした。
麻雀同様4人(あるいは3人)いればすぐにできたのがR&Rの特徴でしたが、ニュー・ヨークのようにせまいところで大声を上げれば、お母さんに怒鳴られるだけですからストリートへ出るわけです。50'sのDoo Wapブームの背景は街角-ストリート・コーナーが似合ったわけです。
それにくらべて土地の広大な中西部や西海岸は車がなければ不便なので、当選、どこの家にもガレージがあり、ここが若者の格好の練習場所となりました(蛇足ですが、今の日本のロックのサウンドの背景は<貸しスタジオ>--密室--ではないでしょうか?)。さて、楽器は感覚でどうにか弾けますが、作曲というのは簡単そうでもやはり多少の音楽の素養は必要です。しかし、若者の、なんでもいいからR&Rをやりたい!という想いはこんなことではくじけません。骨と皮だけのロックを、さらに皮も捨てて骨だけにしたのです。それが<ギター・インストゥルメンタル>でした。これは、楽器を感覚的にかき鳴らすだけですから、とりあえずだれにでもできました。ジャズの単純化がロックとすれば、これはさらに、ロックの単純化で、その極致であったわけです。
これが<ガレージ・サウンド>の正体でしたが、この時代に呼応するかのように、新しく生まれた現象がありました。それは、録音機が少しずつ普及し始め、ガレージや居間などでの<ホーム・レコーディング>が行われるようになったことです。そして、デモ・テープのような、ある意味では乱暴
チャートに登場するようになり、まさに音楽の大衆化が、内容だけではなく、音質までにも及んだのです(エルビスもバディ・ホリーもデビュー曲は地方の、オヤジさんが社長、オカミさんが専務、というような町工場風のスタジオで録音したものです)。
それまでの録音は、演奏者と録音技師はガラスを隔てて別々の仕事場でした。技師が演奏者にマイクの使い方を指導することはあっても、演奏者の方が技師に注文をつけるというケースはめったにありませんでした。しかし、ホーム・レコーディング特有の、機械いじりの好きな少年の思い付きや、また機材不足からひねりだした斬新な工夫は、新しいサウンドの母体となるのです。
スペクターは、テディー・ベアーズの録音の時から、スタジオ内と調整室を行ったり来たりして、録音技師を困らせていたようですから、コダワリの姿勢は最初からのようです(口述しますが、後年よくいわれるワグナー好きやソウル・ミュージックの追求というのは、スターにありがちな<後付け>である、と私は考えています)。
このホーム・レコーディングが、実は<スペクター・サウンド>の根幹なのです!<BACK TO MONO>の意味もこのことなので、一つのかたまり、大人数、熱気、乱雑の中の整理、複雑の単純化、そして<ホーム>、これが彼の求めたものでした。かたまりは<MONO>、大人数はミュージシャンの数、熱は<ハル・ブレインのドラム>、整理は<J・ニッチェのアレンジ>、単純化は<L・レビンのミックス>、そしてホームは<西海岸>、これがスペクター・サウンドの中味の分析ですが、詳しくはこれも後述します。
この当時のロックンロール少年と同じく、スペクターもギター少年でした。本名のフィル・ハーヴェイとしてインスト・レコードも発表しています。また'58、'59年はインスト・ロックの当たり年で、チャンプ栖の「TEQUILA!」が#1になったり、B・ホリーのインスト版ともいえるファイヤーボールズ、リンク・レイ、そしてジョニーとハリケーンズ、サント&ジョニー、サンディー・ネルソン(「TO KNOW HIM~」のドラムはデビュー前の彼です)、そして極め付きはギター・インストの王者、デュアン・エディーの登場でした。
日本ではなぜか、ほとんど評価されませんでしたが、ギターリストとして一番の人気とヒットのあった人で、そのサウンドのユニークさとポップ・シーンへの影響は大きいものがありました。またイギリスでの人気は特に異常で、'60年の人気投票では1位でした(すごい!)。近年リバイバル・ヒットした「PETER GUN」などは後の<007シリーズ>や<バット・マン>のもとになったともいえますし、日本では未公開の映画「BECAUSE THEY'RE YOUNG」のテーマは、彼の"トワンギー・ギター"と流麗なストリングスとのコンビネーションは、すぐアル・カイオラが取り入れて「荒野の7人」となって登場、西部劇のインスト・テーマの基本形となりました。また「ビートルズがやってくる ヤァ!ヤァ!ヤァ!」のジョージ・マーチン楽団の「リンゴのテーマ」も、まさにD・エディーのマネジャー兼プロデューサーがレスター・シルで、テディー・ベアーズの録音の際、隣のスタジオで仕事をしていて知り合ったといわれ、この人と出会ってなければ<スペクター・サウンド>はこの世に存在しなかったといえるほど重大な出会いでした。
シルはこの時すでにスペクターがプロデューサー向きであることを見抜き、早速契約を結び、最初に買った曲のタイトルがナント「BE MY GIRL!」。
スペクターについては、まわりにいた人に才能があったので、本人にそう才能があったわけではない、という人もいますが、これは間違いです。確かにまわりにいた人々は有能でした。しかし、彼はプロデューサーとして一番重要な要素である<何をやりたいのか>ということが明確にありました。それは前にも述べましたがいろいろな意味での<直接性>というテーマを持っていたことです。これはもちろんR&Rのイディオム(佐野元春調)ですが、荒々しいサウンドの中の直接性より、スペクターがポップスに折り込んだ直接性の方がより<暴力的>ですらありました。
例えば、R&Rの時代になって<BE>という動詞で始まるビッグ・ヒットは「BE MY BABY」が第1号です(BE CAREFUL~などの慣用句を除く)。簡単なようですが、作る側にまわってみると、これが簡単に言い切れるものではないのです。まさにこれをスパッと言い切れるのが<スター>なのです。「TO KNOW HIM~」の断定と「BE」の命令。このシェイクスピア調の、時代がかったともいえる口調が、逆に新味を呼んだのではないでしょうか。この大時代的で、且つ直接的な手法は「I WANT TO HOLD YOUR HAND」(ユーモアの点ではJ&Pの方が数段上ですネ!)に共通したものを感じます。
シルと契約直後、スペクターはD・エディのセッションを見学しています。さっそく実地訓練をさせようというシルの計らいで、時は'59年の4月の後半でした。この年のエディーの最大のヒットは6月に発売された「FORTY MILES OF BAD ROAD」(9位)で、この曲はナント<ベース・ドラムだけをイントロでフィーチャーした、ポップス史上初のヒット曲>なのです。さて、ベース・ドラムのイントロといえば「BE MY BABY」ですが、この2曲の因果関係についての疑問を、10年ほど前の<ニュー・ミュージック・マガジン>で発表したことがありましたが、時期的にはこの推論が成り立つようです。が、モチロン、その因果については全く憶測の域は出ておりません。
エディーのスタジオは1トラックのテープ・レコーダーが1台しかないという粗末な設備ながら、そのエコーを駆使してのサウンド作りは、特に録音にはうるさかった若き日のスペクターには刺激的な体験だったと思われます。トワンギー・サウンドの秘密であった水道管やドラム缶をエコーに使用するという一風変わった手法は(そのためシルは何10個もドラム缶を買い、しかも一番響きのいい缶を探したといいます)スペクターが興味を持たなかったはずはありません。
そのような多彩な録音技術を駆使していた人は、D・エディー・サウンドの製作者<リー・ヘイズルウッド>でした(エンジニアはエディー・ブラケット)。ヘイズルウッドといえばナンシー・シナトラとのデュエットやアストロノーツの「太陽の彼方に」の作者として日本ではおなじみですが、エディーのプロデューサーとして最初に評価された人なのです。
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中したスペクターは、一瞬たりともヘイズルウッドの背後から離れなかった>と発言しています。
その後シルは、スペクターをプロデューサーにすべく、今度はニュー・ヨークのリーバー&ストラーのもとへ送り込みました。’60年代の代表的なコンビがレノン&マッカートニーとすれば、’50年代はリーバー&ストラーの時代で、ロック・ビジネスを目指す人々にとっての目標でした。スペクターの学校の先輩でもあった彼らのデビューに一役買っていたのが、これまたレスター・シルでした。シルがマネージャーをしていたコースターズをきっかけに、ドリフターズ、そしてエルビスへの曲提供やプロデュースを行い、初のR&Rにおける独立プロデューサーとしての地位を確立したのがこの二人なのです。
スペクターにとって、このニュー・ヨークでの修行時代の最大の収穫はベン・E・キングのヒット曲「SPANISH HARLEM」をJ・リーバーと共作できたことでしょう。これはR&Rビジネスへの切符を手に入れた、つまり、お墨付をもらったということ......って、最大の自信となったことは疑う余地はあり.....
ま.... ドリフターズの「THERE GOES MY BABY」...にストリングスをフィーチャーする手法を....ことも<スペクター・サウンド>への引金になったと、私は思います。その手法でプロデュースしたジーン・ピットニーの「EVERY BREATH I TAKE」は、全くドリフターズ調でしたが、すでに<スペクター・サウンド>は出来上がっていた、ともいえる、本家を凌ぐ作品でした。<ゴフィン&キング>との最初の作品でしたが、この日のセッションにはリーバー&ストラーをはじめ、B・バカラック、B・マン&C・ウェイル、アルドン出版社の代表のD・カーシュナーら、そうそうたる顔ぶれが集まったといいます。そしてこの作品が、ここに集まった全ての人にスペクターの印象を強く与えることとなり、一緒の仕事が始まるわけです。特にこの曲で印象深いのはドラムのフレーズですが、G・ゴフィンの証言によれば、フィルはドラマーのゲイリー・チェスターに指示をして、それが実に的確だった、ということです。
この修行時代にすでに、J・ニッチェやH・ブレインがいなくても、これだけのものを作っていたことは見落とせません。スペクター・サウンドを作ったのはやはり彼なのです。
この曲は残念ながら大ヒットにはなりませんでしたが、来たるべき<スペクターの時代>の幕開けを飾るにふさわしい素晴らしい曲でした。
また、この頃、レスター・シルとリー・ヘイズルウッドは共同活動を解消、スペクターは新たなパートナー、いわば後釜としてシルと関係を結び、それが二人の頭文字を合わせた<PHIL+LES>の誕生となりました(シルとヘイズルウッドのレーベル名は二人の息子の頭文字から<GREG+MARK>というものでした)。