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はてなキーワード: トップダウンとは

2015-04-17

http://business.nikkeibp.co.jp/article/life/20150416/280063/

エコキャップ運動のみならずベルマークから千羽鶴まで言及されているが、「協力しないと善意がない反社会的悪人とみなされ集団から排除される」とまで飛躍し得るのが日本村社会たる所以だと思う。

なにもベルマークやらペットボトルのふたを集める事が人格の高さにつながるわけじゃないのに、そんなことまで序列化されていく世界視野の狭さは驚くべきものがある。どんな事にも比較と優劣を付けないと気が済まない国民性が良くあらわれている。

こうした見当違いの善意には、しばしば論理合理性が欠けている。そして本人は「善意ゆえに」正しいと思い込んでいる。

いらないと言っているのに色々押し付けてきて、相手が感謝しないと怒りだす人がいるが、こういう運動をしたがるのもそういう手合いが多そうである

結婚式の日取りを占いで決めつけ、従わないと怒りだす母親などは代表的であるが、これこそまさしく「呪い」だ。

(「あなたのために」と言いながら、良いことが起きれば自分のおかげ、悪いことが起きれば「お前の行いが悪い」。そういったものに振り回され、一生懸命他人を呪っている姿を見ると滑稽を通り越して哀れですらある。)

仮に、ペットボトルより現金寄付を募ったらどうでしょうか、などと言おうものなら、発案者は己のメンツを潰されただのという理由で怒りだしそうである

日本母性社会と言われることが、この記事を読んでありありと感じられ、そのねばねばした気持ち悪さは、きっとよく言われる「田舎」な地域ほど強いのだろうと感じた。

集団組織に属すると「個」が消え、「属性」にしかならない気持ち悪さは、しばしばそうした「善意による協力活動」に感じられる。

それが本当に本来目的合理的方法を提案できる個人の集まりならいいが、たいてい理事長だの会長だの、あるいは声の大きい者によるトップダウン型な「お達し」によるものが大きいような気がする。会社組織などは言うまでもない。

今は呪いトレンドアイテムが「ペットボトルキャップ」だが、そのうちまた別なものが必ず流行るのだろうな。

2015-04-04

http://anond.hatelabo.jp/20150403234623

テンプレ的に物事を考えすぎだよ。

左翼安倍独裁者だと主張してるから」ってところで思考停止しちゃだめだよ。

こちらが「独裁的に」と言ってるのは、憲法やら野党やらの足枷を外してトップダウン政策教育理想のものに変えたい、という欲望のことだよ。

実現可能かどうかは別にしてそういう欲望を持っている。

そして、それが出来ているように見える(実際には隣の芝生なんだけと)中国韓国に一種の羨望を感じている。

ネトウヨというのは中韓馬鹿にしながら実のところ中韓と同じことをやれと言っている、

中国のように威圧的に立ち回れ、韓国のようにもっと欧米アピールしろ、とね。

結局、君はテンプレを参照しての考えしか出来ないんだな。

ネトウヨ提示した「反日的中韓」という枠組みから離れられない。

独裁的」と聞けば安倍ちゃんをヒトラー呼ばわりする「与し易い馬鹿左翼」と決め付けてかかる。

まあ10年くらいROMれば落ち着くんじゃないかね。

2015-01-25

無関心は、武器というより丸裸

無関心というテロリストへのそこそこ正しい対抗手段 - maukitiの日記

http://d.hatena.ne.jp/maukiti/20150124/p1

読んだ。ブコメもいくつか。


リンクにある記事

イスラム国人質動画コラ画像海外反応 仏メディア日本人もまたシャルリーだ」と評価

http://www.j-cast.com/2015/01/23226089.html

も見た。

その記事引用のあるNBC記事(おそらく)

Japanese Twitter Users Mock ISIS With Internet Meme

http://www.nbcnews.com/storyline/isis-terror/japanese-twitter-users-mock-isis-internet-meme-n291591

にも目を通しておいた。

もちろん「ISISクソコラ画像グランプリ」の画像もいくつか見ておいた。


テロに対しては、無関心を貫くことが有効

というのは、論理としてはなんとなく理解できる。でもそれを信用するには、その論理に誤りがなく妥当効果があることが前提だが、平和ボケしてるということなのか俺は信用できないでいる。ネットでの言い分なんて、「しっかりした結論なんて生じ得ない、当座かぎりのおためごかし」と思ってしまえば、それでおしまいだったりするわけで。

無関心を決め込むなら、メディアがしっかり情報を統制しないといけないけど、日本マスコミにそんなの期待できるはずないし、日本政府がそこまでガッツリやるとも思えないし。

かといって日本政府が実際に情報管制しいたとして、「それはそれでディストピアじゃね?」って。知る権利がうんたらー、なんて喚く人が出てくるのは目に見えてないすか?


たぶん俺には、テロリストのことがなんにもわかってない。テロリストがわからないからこそ、その対策をも信じられない。

急にUFOが来て宇宙人下りてきたとき、「彼らは地球人と和平を結びに来たんだ!」と言われようが、「戦争だ! 宇宙戦争だ! 早く軍備を!」と言われようが、宇宙人がわからないのだから信じるすべがなく困惑するように。

彼を知り己を知れば百戦危うから

孫子

という言葉もあるが、

戦いは、敵の気持ちを理解したら負けるのだ

マンガうしおととら」 19巻)

という言葉もある。

拘束事件から、些末ではあるがイスラムに関することをググったりした。おそらく俺は知りたかったのだろう。

ISIS、つまり敵について知ることは重要なのかもしれないが、でもそれはISISに対して情でほだされて肩入れしてしまう可能性を秘めちゃいやしませんか、と自問した。それは仲間を集めようとした彼らの術中ではないですか、と。

いや、そもそも無関心を装うのなら、「フランスのように連続テロ日本で発生しようと無視を決め込めますか?」という疑問に、「もちろん」と答える胆力が必要になる。

俺は今現在、こうしてISIS関連のことについて考え、書いてるわけで、無関心を決め込むフリすらできないでいる。

この文章を読んでいる人も同じじゃないか? はてブやらニュースやらテレビやらツイッターやら学校やら仕事場やらで、ISISテロ拘束事件関連のことを検索しては読んだり、見出しに惹かれてページを開いちゃっり、少しでも話題にしてしまった人たちは、みんな落伍者では?



無関心を決め込む。

できる人はいい、すればいい。

出来ない人は?

出来ない人を「まんまとテロリストの図にのりやがって、グズが」と叩くなら、それもいい。ただ「日本人すべてが無関心を決め込む」という解決法には沿わない。

自分の足の動きを意識し始めてしまったムカデのように、無関心を装おうという気概こそが無関心から程遠くさせてしまいそうで。



いや、そもそも「日本人すべてが」という一般化が間違っているのか?

じゃあ「日本人のある程度が無関心を決め込み、その他は自由」とか?

これってトップダウン政策のように、大多数が無関心でいて、落伍者ミニマムに済ませる施策必要になるのでは。本当に政府メディアが腰を上げない限り、机上の空論で終わってしまうような気がする。

から信用もままならないし、おおよそ実践もできそうにない。少なくとも俺には、だけど。



はいえ、俺が「無関心」というものについて、勘違いをしてるだけなのかもしれんね。

だってクソコラが無関心だとは到底思えない。

上の記事にあるように、

ISISの脅しに対抗

を目論んでのものや、もっといえば

テロリズムに対抗する手段としてはそれなりに効果

であるものとも思えない。

そりゃISISの彼らも激怒しちゃいますよね

とあるけど、俺たちはISIS人間を怒らせるのが目的だったっけ?

薄汚い意見かもしれないが、「日本ISISに関連するテロ、人死にさえ出なければ、わりとどうでもいい」なんじゃないのか?

今回、日本人が拘束されて俺がドキッとしたのは、対岸の火事だったはずが僅かではあるもの現実味を帯びて、『テロという暴力と「日本」』として、身近に感じられてしまたからだと思う。フランス風刺画連続テロまでは無関心を決め込めた。時事ネタとして、いずれ過ぎ去るよくあるニュースとして。

実際、北大生の件については、見聞きはしても、記事をわざわざ検索しようなどとは思わない程度に、無関心でいられた。

正直なことをいえば、今回の拘束者が2人とも殺されても、その後ISIS日本とになんら交わりがなければ、俺はどうでもいいと言える(お1人の死亡が囁かれる今でもなお)。


それに、クソコラをつくった「ツイッターユーザー」は、他の人も考えているように、おそらくなにも考えずにやっていた(やっている)のだと思う。コンビニアイスケースに入って写真とったり、ゴキブリ揚げたりするようなヤツらと大差はない、と。

まあそんな認識はどうでもいいのかもしれない。結果として、現実テロ抑制に繋がるのなら。



ISIS日本に金を求てなんかいない。

テロは相手の社会を揺さぶるのが目的

首相のクビを差し出せ。

結構。どれもいいんじゃないですか。だってどれも信用できないんだもの

結果論


みなさんの仰りたいことは承知のこと。「だったら代案、提示してみろよ」でしょ。

できやしませんよ。ワーキングプアですよ、こちとら。まともな教育うけちゃいません。

皆さんと同じ、ただの一般人です。ただの。

ISISの脅威がなくなるまで、全国民1日1枚クソコラ制作義務」とかします?

笑えなくて、ごめんなさいね



無関心というのは、少なくともテロリストを相手に戦う武器としてはそこそこ強力なやり方ではないかと。

それは本当に武器なのか、疑ってしまう。

よくは知らんが、ガンジー無抵抗主義が思い出される。

GANTZ」の新宿での大虐殺のようなシーンでは、その場にいる誰もが無関心ではいられないと思う。

無関心を武器とするなら、ATフィールドくらいの防護壁がないといけないように感じる。

ただ現実で無関心といえば、丸腰・丸裸で鼻歌でもうたいながらスマホいじっていられる余裕のように思われる。

俺、そんな余裕ぶった無関心でテロにあって死にたくないです。

2014-10-28

顧客満足度CS)と従業員満足度(ES)の向上計画

会社でこれらの活動に力を入れ始めたがどうにも同意できなくて困る。

顧客満足度をあげるには仕事の質を向上させないといけなくて、

そのためには従業員仕事会社が好き(ポジティブ)になることが重要らしい。

そんな会社でとりあえず立てた施策を聞いてみると

なんてのを担当を立てて従業員が参加するかたちで行われている。

(むろん業務と兼務からフルで動けるわけではない)

従業員が全員「正規従業員」で部内のグループが小規模なら

ある程度は一体感が出て効果が期待できそうだなとは思うけど、

実際には一つのグループの中に派遣スタッフやら請負業者やらが

ひしめき合って数十人いるような環境で一致団結とはいかないわけで

そのあたりどうにかならないかなと思う。

もちろん文句をいうからには代案を出したいけど、思いつかない。

なぜなら、トップダウンもままならない職場から指揮命令では改善しないし、

関わるスタッフが多いグループが多数をしめているから横連携がうまくいかない。

そんな環境の中みんな自分の業務をこなすのが精いっぱいで

「楽しく仕事をする」というところまで手が届かないんだろう。

・・・と思うと、今やっていること以上の対策なんてできるのか?とも思う。

(私的には給与による貢献に対する報酬が一番効果的な気はするのだけど)

そもそも打ち立てた施策が間違っているかどうかを確認して改善していく

いわゆるというPDCAサイクル的な検証はだれもやらないのが不思議だ。

一応、人間工学がどーとかアクセス解析なんかもやっている会社なのに、

なんで社内でそれをやらないだろう。医者の不養生ということなんだろうか。

以上、軽いパワハラで半強制的イベントに参加させられて、

参加費用を払わされるのは嫌だなあという愚痴でした。(そこかよ)

2014-06-03

教員免許更新制度って全然意味ないよ

金と人が無駄に動くだけ

存在意義は運転免許更新に毛が生えた程度

薬にも毒にもならない講習のために、トップダウン方式で各所に無駄仕事が生まれている。

制度を全く知らない人は、不適格教員排除というイメージを持つかもしれない

しか文科省はそのような目的ではないことを公式アナウンスしている

じゃあ何が目的かというと、平たく言えば視野を広げて新しい知識を取り入れることなんだけど、

文科省監視下にある機関(諸々の大学)で話聞くだけじゃ何の刺激も受けない

2014-05-29

ワイドショー政治の結果じゃないかな

ワイドショー政治って2000年代に出てきた言葉だけど昔からそういう傾向だったんじゃないかな。

http://anond.hatelabo.jp/20140529122721

予算を削りたい政府 + 「国立大ばっかりずるい!授業料高くしろ!」 の結果みたいだね。

つの時代国民同士で足を引っ張り合うなぁ。

大学教育に掛けられる税金の総額は同じだとすると、国立大授業料が低いままなら当然そのしわ寄せが私大に向かうわけで。

私大からしたら国立大学生ばかりに金掛けんなこっちに金寄越せとなるだろそりゃ。


同じどころか法人化以降毎年減らされているのが現状だしなぁ・・。

当時、大学法人化独立行政法人化に研究者たちは反対していたそうだよ。

でもテレビでは「抵抗勢力」として叩かれ、政治家正義の味方として歓迎された。

結局、法人化が通り各大学、各研究所文科省から天下りが落ちてきた。運営費は毎年1%削減。

ついでだから書くけどこの間叩かれて潰れた特定法人国立研究開発法人)は

研究者による研究者のための研究所運営!」みたいな話だったんだよね。本当は。

役所的なシステムを変えよう。研究者を大量の書類から開放しようという改革だった。

いつものトップダウン的に文科省から落ちてくるやつではなく、研究者から立ち上げた話だったので期待度は大きかった。

(話し合いはこんなかんじ)

ネット上ではSTAPは特定法人のために焦ったからどうのこうのと言われているけれどあれはデマだ。

STAPが出てくる何ヶ月も前から決まっていた話だし、そもそも理研殆ど人達はSTAPなんか知らなかった。

それにSTAPが怪しくなって特定法人から理研が外れても理研人達は平然としてたよ。

なぜならば理研産総研は「最初テスト」としてであって、その2つが上手く行けば全ての研究機関適用される話だったからだ。

でもなぜかネット上では理研陰謀で金がどうのこうのと叩かれ、そして計画は流れた。 (産総研理研陰謀にどう関わっているのか教えてくれよ・・)

ワイドショー政治にかなり絶望している。結局TVネットがドコを叩くかなんだよな。

はてブでこんな内容書くと叩かれそうだからここでしか書けなかった。

誰かに聞いてもらいたかったんだ。長々と関係ない話してゴメン。たぶん後で消します。

御用学者が! 理研の回し者め! って思われそうだからこれ貼っておく  google:国立研究開発法人 site:go.jp

2014-04-27

よくある話?

売り上げ3億程度のweb系の会社で働いています

たぶんよくある話なんでしょうけど、気持ちの整理のためここに書きます


入社前はプロダクトの開発を行うと聞いていましたが、実際は全案件フルスクラッチ開発。

お客さんはプロダクトがあるという前提条件に立っているため、実態納期の短い受託開発です。

開発体制は1案件(1000万~2000万ほど)1人のプログラマーで、ドキュメントテストほとんどありません。

ひどい案件ではそのシステムが何をしているかからない、サーバの台数も分からない、CVSも使用されずサーバごとにコード差分があるものさえ。


みんな自分案件で手一杯で、隣の人が何をしているのかも知りません。

技術側で仕事量の調整はできず、トップダウン案件が個人あてに振ってきます

社内の雰囲気刑務所のようで、退職した社員言葉を借りるなら北朝鮮みたいな会社だそうです。


エンジニアは社内で育てればいいという社長方針で未経験の子採用しますが、2年以内に4人中4人が退職、そのうち2人は精神科行きです。

経験1,2年のプログラマ要件定義から開発までプロジェクトのすべてを任せてつぶしてしまパターンです。


エンジニア入社しても平均すると2年程度で辞めていきます退職の発表は当日です。

なぜか事前に社員に知らせることがタブーのようになっています


そんなわけで社内には大量の技術負債まみれのプロジェクト蔓延して、保守運用が開発と技術研究時間を食いつぶしています

ツケはエンジニア個人に集中して退職技術的な蓄積が溜まらない、トラブルが減らない、人が辞めるの悪循環です。


上長にこのままでは売り上げ3億程度から伸ばせない、複数人でプロジェクトを行うようにして個人の過負荷を減らし人を定着させるべきだと相談しましたが、

自分は今ある案件を裁くので手いっぱいで何の権限もないと言われました。

その上長も一時期精神科にかかるほど心身を壊して、現在も社で一番多くの業務をこなしているので何も言えませんでした。


社長にも同じ内容を相談しましたが、組織の問題としては受け取ってもらえず個人の問題として切り捨てら取り合ってもらえませんでした。


数年前からこんな光景が続いて、まったく前に進んでいないんです。

どうやったら前に進めるんだろう。

2014-04-13

部活動改革への抜本的な試案

http://anond.hatelabo.jp/20140412184724

上の元増田の話

 ・部活担当教師が見えない形で被っている負担(この場合は車代差額…維持管理費差額含め、おそらく遠征時のガソリン代も自腹)

 ・対する待遇の低さ(元増田が書いてる一日当たりの手当額は、高額な方。県によっては1,200円とかのところもある。そして「年度末に予算が苦しくなれば打ち切り」。部活動への外部講師の話はしばしば検討されるが、進まないのは「一日1,200円で来てくれるまともな技術指導者講師など、普通はいないから」。)

…に加えて、元増田のように見えない負担を被っている場合

 ・事故などが起きたら全責任を負う立場にある

ということも付け加えるべき。(一日1,200円で来てくれる酔狂な講師がいたとしても、「生徒の怪我等には、あなたも個人として責任も負うことになります」と言えば、また、ためらわれる。というかそれ以前に、頼む側の常識が疑われる案件だろう。)

移動なんて、本来は、マイクロバスなどを借り上げて、その費用部員保護者に請求すべき筋合いのものだが、公立校でそんなことできようはずがない。請求・取りまとめ・精算にかかる事務の手間だけで、あっという間に部の運営は立ち行かない。だから元増田のようなことになる。でも、こういう「自己判断でこっそり移動」をさせるせいで、もし事故などが起きれば元増田を守る方法がない。「生徒を自分の車で移動させていた先生が悪い」となる。下手したら「遠征費を浮かすためにやっていたのだろう」などと批判されかねない。

遠征費!何にでも使える遠征費!そんな便利な金があればオレにくれ!生徒には、選手のお前らには学校や県から補助が出てるからな、と言って、連れて行って飯を食わせてた。出てるのは全国大会ですら、片道交通費の8がけと宿泊費一日3,000円くらいだよ。練習試合じゃ出ねんだよ。残りの交通費学校経費かオレの金だよ。そんで、お前らが今食ってる飯代は10割オレの金だよ、なんて、頑張って全国大会に選ばれた生徒に言えないだろう。保護者から金集めろって? じゃあ「金のない奴は代表辞退しなさいね、つーかそもそも部活なんてやらないでね」って言えんのか? 言っていいのか? どうなんだ? ……すまない。興奮してしまった。(ちなみに私立の学校代表に入ってる場合はいくらか楽ができた。1/5が1/2くらいにはなったよ。)叩きたきゃ叩いてくれ。頭悪いから、自腹切る以外にいい方法思いつかねんだよ。

これは社会が悪いのではなく、そもそも部活動というものが一般社会の想定する常識とかけ離れたところで運営されていることが悪い(どこの社会人が、毎週土日を潰し、自分の子どもをほったらかし、余所の子もの習い事を、足代飯代に身銭を切って面倒見るというのか。しかもそれが、事実上、『業務命令』として下されるとは! そんな人がいることを想定してないのは、社会が悪いんじゃない。そういうことを当たり前にやってる組織が悪いに決まってる)。

自分も、教育の隅に席を占める立場で、かねてからこういう不健全組織学校から切り離すべきじゃないのかと思ってきた。

(ちなみに、公立校で、教師の自己犠牲奉仕活動によらないで成立する部活動は、運動部文化部わず原則一つもない、と言い切ってもいい。)

ただし、これを一種の「社会奉仕活動」だと考えれば、いくらか納得がいかないでもない。海外では休暇などを使って、学校教員積極的社会奉仕活動やプログラムに参加したりする。社会奉仕活動をするのは、教員社会常識を身に付ける上で非常にいい機会だと思うので、本当はそれができるように法や制度を整備すべきだと思うのだけれども、残念ながらそういう風土がない日本では、それに代わる一種の社会奉仕活動として、学校部活動があると考えてもよい。その意味では、「学校部活動」という概念を捨てて、「地域社会・一般からの参加を積極的に受け入れる社会運動団体」化を段階的に進めていくというのが一案だ。つまりクラブチーム化する、ということ。学校部活に、地域小学生社会人、お年寄りまで受け入れるってこと。んで、事務運営にも一般の方(当面はPTAなど)に入っていただく。プロのある運動競技などなら、プロとの提携視野に入れる。これにより、

 ・教員自己研鑽

 ・事務負担の軽減

 ・活動の拡大

 ・児童、生徒数減少への対応

 ・体罰いじめが起きない風土づくり

 ・社会体育と学校体育の連携活性化

……などの利点が見込まれる。だが、その反面以下のような課題も考えられる

 ・保護者部活動にかかる(主として金銭的な)負担の増加

 ・部活動学校から離れ始めると、学校運営への部活動利用が難しくなる(指導困難な学校ほど、生徒指導部活動が一体化している現状がある。運動部員がいるか学校が落ち着いている、など)

 ・現状、これも教員負担している、大会運営などを行う都道府県事務組織運営を誰がするのか、という問題(これは、部活顧問に成り立ての若手教員などは余り分かっていないと思うが、地味に相当の負担)これは、たとえば運動部場合特定運動部都道府県組織だけではなく、都道府県運動部全てを扱う高体連組織、更にはブロック高体連、全国の高体連事務局運営なども含めての話。ブロックや全国の事務局となると、予算立てをしてそれ用の事務員さんなどを雇うことになるが、それ以下の大半の組織では、そんなお金はどこからも出しようがない)

……そのため、こういったこと(一度は考える教員も多いと思うが)には、ちょっと手を出しかねて、結果現状維持、となっていると思う。

それらを踏まえて、個人的には、いまの部活動の現状はやっぱりおかしいと思うし、変えるべきだと思う。しかし、「よりよい対案」や「その対案へソフトランディングさせる方法」というのは、なかなか難しい。従って、こういう場合には、むしろトップダウンで(たとえば文部科学省から「全ての部活動は段階的に社会体育に移行すること」という通達を出すなど)進めるのが、改革するにはベスト方法だと思う。

というわけで、誰か、これを文部科学省の審議委員にでも改革提言してくれまいか?

…ちなみにタイトル煽りです。つまり煽りタイトルをつける程度には本気の提言だということです。

2014-04-09

オブジェクト指向 v.s. 関数型プログラミング

近年、関数型プログラミング重要はいろんなところで叫ばれています

Javaの最新バージョン関数型プログラミングに関する新機能が加わりました。

Rubyも昨今、関数型プログラミングへのサポートが手厚くなってきています

プログラミング教科書大手オライリーからJavascript関数型プログラミングを行うための解説書が発行されました。

関数型プログラミングへの注目度は高まってきています

おそらく、みなさんは既にオブジェクト指向が何か、を知っています

でも関数型プログラミングとは何か、胸を張って語れる人は、周りに見当たらないかと思います

実際、オブジェクト指向によってプログラミングする方法は、わかりやすい解説があちこちにある一方で、

関数型プログラミングとは何か、何が良いのか、ということについての、よいまとめは見つけることはできませんでした。

この記事を読む方の中で、「関数型プログラミングを取り入れるか・取り入れないか」で切実に悩んでいる人は、おそらくいないでしょう。

この記事はあまりかいところに立ち入りません。関数型プログラミングを使う側の立場に立って、利点や向き・不向き、それが導くスタイルを書きました。

みなさんは鳥のように飛んで、高い空から関数型プログラミングとは何か、何が良いのか、を見渡してください。

ふたつのアプローチ比較

オブジェクト指向アプローチは、名前をつけてプログラムを整理する

関数型プログラミングアプローチは、汎用部品でなんとかする

オブジェクト指向アプローチ

Googleが近年リリースした言語、Goには、”継承”を直接サポートする仕組みが無いことが話題になりました。

また、Mac OSXの基幹ライブラリCore Foundationは、ライブラリ自体C言語で書かれているにもかかわらず、その設計方針は明確にオブジェクト指向です。

継承クラスは、オブジェクト指向必須条件ではありません。

オブジェクト指向本質とは、何でしょうか。

その本質とは"名前をつけて対象を識別し、それを扱うこと"、にあります

最もプリミティブなオブジェクト指向対象は、ファイルハンドラです。あるファイルを開いて、読み込んで、あるいは書き込んで、ファイルを閉じる。

これらの処理をまとめたら、わかりやすいですよね?

対象に関する処理を、対象の周りにまとめる。これがオブジェクト指向の基礎的な理念です。

識別することとイコール比較できることは、とても良く似ています

イコールによる比較は、オブジェクト指向では鬼門であることが知られています

PointクラスインスタンスとColoredPointクラスイコール演算をどう決めればいいかに、正解はありません(詳しくは"effective java"をご参照ください)。

また名前をつけて識別する対象は、フワフワしていてはいけません。

たとえば、"軍人階級"をオブジェクトにしたとしましょう。"大佐"クラスのある兵士名前フィールドや、性別フィールドを持っているでしょう。

ところで彼が昇格したときに何が起こるでしょうか。

新たに"少将"クラスインスタンスが作られます。"大佐"クラスを破棄する前に、名前性別、その他沢山のデータを引き継がなくてはいけません。フィールドを増やしたい場合はその都度コード修正を加える必要があります(*)。

なるべくイコール比較を避けたい。対象不安定なものはいけない。では何に名前をつけて、識別するか。そこにオブジェクト指向技術者の熟練度が現れるのです。

関数型プログラミングアプローチ

一方、関数型プログラミングでは、特定の何かに名前をつけるより、極力、汎用部品でなんとかしようとしま

さな関数を、集めて撚り合わせて、新しい関数を作る。

関数自体リストなどのデータ構造に詰めることもよく行われます

実は、関数型プログラミングというのは本質を表していません。

その真の名は、"値指向プログラミング"です。

関数をはじめとして、リスト・ツリーのようなコンテナ手続きを抽象化したもの、回路を抽象化したもの

あらゆる対象を値として、合成し、ときに分解し、新しい値を作ります

変数という概念必要ありません。

変数適用する処理を作りあげることが、とても簡単だからです。

四則演算定義されたデータを詰めたデータ構造もまた、四則演算可能だったり。

値をイコール比較することも、なんのそのです。

誤解を恐れずに言うと、オブジェクト指向トップダウンなのに対し、関数型プログラミングボトムアップです。

関数型プログラミングの利点

読みやすい・理解やす

関数型プログラミングサポートする言語には、沢山の汎用部品定義されています

このような構造インターフェイスとして、様々なライブラリが組まれているので、

たとえばモナドを知っていれば、30分程度でパーサー(解析機)を理解することができて、

パーサーを理解できれば、JSONパーサー・ XMLパーサー・markdownパーサー・C++パーサー ... などを理解するのはとても容易です。

理解やすいこと。これが関数型プログラミングの大きな利点です。

追記:

また、汎用部品と型のお陰で、ライブラリドキュメントが圧倒的にひきやすい、というメリットも有ります

Haskellな人がPythonにトライした結果 - Togetterまとめ

書きやす

関数型プログラミングは「厳密な事前設計必要とするため、簡単なことをやるのにも時間が掛かる」。

よく誤解されていますが、これはウソです。

スクラッチプログラムするのは、非常に手軽です。

>> map (*2) [1,2,3]
[2,4,6]

邪魔な”儀式”や、"おまじない"のコードが徹底的に撤廃されているためです。

関数型プログラミングコードは、潔癖かつ濃密です。

たとえばC言語でint hoge(int x,int y)が定義されているときhoge(3)はなんの意味も持ちませんが(コンパイルコケますが)、関数型プログラミングでは意味があり、実際に有用です。

上の例では、「掛け算をする」(*)関数は、二引数関数ですが、それに引数を渡して作られた「2を掛ける」関数(*2)は、一引数関数になります

関数型プログラミングでは、「簡単なことは簡単にでき、複雑なことは複雑にできる。ただし、間違ったことは殆どできないか、全くできない」。

多くのバグは、コンパイルエラーとして検出されます

また、静的型付けの力によって、コード補完は非常に強力になっていますインテリセンスの比ではないです。

たとえば、関数中のある表記の型を任意に表示できます(GHC/TypedHoles - HaskellWiki)。

やがてやってくる未来には、プログラムテキストエディタで書くことは時代遅れになっているでしょう。

統合環境サポートで、バグミスの少ない、スムーズプログラミングができます

そしてその環境で動くプログラミング言語は、関数型プログラミングサポートした言語なのです。

いつ関数型プログラミング

以下の様な兆候を感じたら、あなたはそのプログラム関数型プログラミングで書くべきです。

一般に、オブジェクト同士の相互作用が複雑になるほど、オブジェクト指向では手に負えなくなっていきます

そういうときは、オブジェクトを直接扱わず、替わりにその"相互作用"を扱うことで、複雑さを軽減するアプローチ有効です。

それこそが関数型プログラミングアプローチです。

オブジェクト指向の利点

初心者にとっては読みやすい・理解やす

特にオブジェクト指向有効なのはプログラミング初心者がそのコードをいじるかもしれないときです。

関数型プログラミングは、強固さと柔軟さの代償として、高い学習コストを伴います

そのため、初学者にとってはハードルが高いのです。

扱う対象があまり複雑でない時は、書きやす

オブジェクト間の相互作用が複雑でなく、着目している(名前をつけている)概念が安定しているとき

そして、プログラムをいじる人たちの間で共通理解が図れているならば、オブジェクト指向が有利です。

関数型プログラミングの得意分野はなにか

数値計算

遅延評価という機能によって、レガシー言語で扱えなかった、巨大な数を扱うことができます

分数を扱うことができます虚数もです。

関数型プログラミングで書かれたプログラムは、正確さが要求される、金融関連の業界で使われています

テキスト処理

手続きとしてパーサーを記述できるので、テキスト処理プログラムはより理解やすく、メンテナンスやすものになります

関数型プログラミングを知らない人は、「正規表現おk」と言いますが、

彼の書いた複雑な正規表現は、半年後には(書いた本人でさえ)理解できなくなっていることでしょう。

並行処理

手続き一般を扱うことができるので、途中で割り込みのある手続きの表現も容易です。

関数型プログラミングサポートしていない言語ではコルーチン(ファイバー)などをつかってなんとかするしかありません。

さもなくば、非並行処理では普通に関数として記述できるところを、並行処理のために、Builder,Strategy,Command,Interpreterパターンを駆使して書き直すことになります

Javascript使いの方は、Deferredなどの構造を使うでしょう(http://qiita.com/KDKTN/items/4c6986049d204f0645d8)。

C++使いの方はBoostで頑張りましょう。破滅的に解りにくいコンパイルエラーメッセージと格闘してください。

レシピ

もう少し簡単な例をあげます

あなたは、あるレシピにしたがって、自動的料理を行うマシン制御プログラムを書いているとしましょう。

料理レシピは、"手続き"ですよね?たとえば、カレー

1. まず玉ねぎを炒める。

2. 飴色になったら、肉を加えて炒める。

3. 野菜を加える。

4. 水を加えて煮る。

5. スパイスを加える。

しかあなたはこの手続きを関数として表現できるでしょうか。

…できませんよね?何故ならば、各ステップの"間に"、マシンのロボアームの位置や動きを調整する処理が必要からです。

これをオブジェクト指向でやろうとすると、各ステップ副作用として、それらの処理を行うことになります

そうすると、マシンが二機に増えた時などの変更量は、絶望的なものになります

あるいは関数として表現するのを諦め、手順全体をDSL記述できるようにします。

このアプローチ関数型プログラミング的です。しか関数型プログラミングサポートした言語の助けなしでは、そのDSL記述するために沢山のユーティリティコードを書かなくてはならないでしょう。

オブジェクト指向アプローチでこの問題をエレガントに解こうとすると、クラス化の粒度を上げる事になります

野菜クラスフライパンクラス、ボイルクラスフライクラス、焼き加減クラス、アームクラス野菜の大きさクラス、切り方クラス、焼き方クラス、"焦げたよ"クラスetc...

こうすると早晩レシピプログラムコードから消え去ることになります。上記のたった5行は、依存性注入のオブジェクトグラフを構築するコードに取って代わることになります。そこには沢山の挙動制御オプションとして付記されているのです。

カレーなど、ある種のレシピ限定することで、見た目の理解やすさを得ることができますが、一方それは表現力を損なうことを意味します。

C言語などではマクロを使うこともできますが、それは結局、関数型プログラミングアプローチ意味するところと同じになります。すなわち、補助のために沢山のコードを書くことになるでしょう。

GUI

iOSのAppstoreアプリは、"無料"と書かれたボタンを押すと、それが"インストール"ボタンに変わり、それをもう一度押すと、ダウンロードの進捗を表すインジケータに変わり、それを押すとダウンロードキャンセルできます

このように、位置は同じなのに、ステートに依って見た目と機能が変わるボタンは複雑です。

これをオブジェクト指向で実現しようとすると、

1. 三つの異なるボタンを同じ位置に置くか

2. 同じボタンが三つの異なる機能を持つか

という下らない問題にぶつかります

一方関数型では、"機能"、"見た目"、"状態"、を独立に扱って、それらを合成してボタンを作るので、迷うことはありません。

「同じ位置にあるUIオブジェクトは、コード上で(インスタンスとして)独立して、他から干渉を受けない」

この条件が満たされているうちは、オブジェクト指向GUIを実現することに無理はありません。

しかし、携帯端末のような小さい画面で、多くの機能を達成するためには、UI要素はコンテキスト依存的に複雑になりがちです。

近年、PCのディスプレイの大きさは、頭打ちになってきました。

画素数は増えているのですが、MacにおけるRetinaのように、複数ピクセルひとつドットを表すようになってきています

これは、ひとつの画面に置かれるボタンなどのUI要素の数は、これから先の未来で増えることはない、ということを意味します。

したがって、未来GUIプログラミングは、注意深く機能ピックアップして制限するというデザイナー努力を脇におけば、

関数型プログラミングの力を頼るしか無いでしょう。

はじめよう、関数型プログラミング

まり

Haskell さいこうなのおおおおおおおおおおおおおおおおおお!! おしっこ漏れちゃうのおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお(゜∀。)ワヒャヒャヒャヒャヒャヒャ

1. google:すごいHaskellたのしく学ぼう を注文する。

2. Download Haskell自分のPCに導入する。

3. コンソールghciと入力して、対話コンソールを立ち上げる。

4. 次の関数コンソールに打ち込んで、結果を見る。即値で書かれているところとかをいろいろ変更してみて、感動する。

take 4 $ map (*2) [1..]

5. ステップ1で買った教科書を読んで、学ぶ。


追記:

いかがでしたか

ちまたには、関数型プログラミングの利点は変数が無いことだ、とか、より安全から、とか、より速いから、などという妄言が満ち溢れています

オブジェクト指向関数型プログラミングは、水と油ではありません。プログラマ自分プログラムに最適なアプローチを選ぶことができます

一般にはあまり知られていないことですが、Haskellにもオブジェクト指向へのサポートがあるんです(Lensライブラリ、これを使用したサードパーティライブラリ最近増えてきています)。

この記事を読んだオブジェクト指向プログラマあなたが、少しでも関数型プログラミングに(そしてHaskell)興味を持ってくださって、ホームセンター大人用オシメのコーナーが大賑わいになれば幸いです。。

2014-04-08

システム」とは境界

なんか最近オブジェクト指向関係の記事や書籍紹介を目にするような気がするのは、新学期が始まったせいなのかな。

オブジェクト指向がよくわかんない、という人は、いったんオブジェクト指向を忘れて、「システム」とはなんぞやという基本の基本を確認することをおすすめする。

Wikipediaシステムの項(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B7%E3%82%B9%E3%83%86%E3%83%A0)の図(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%82%A1%E3%82%A4%E3%83%AB:System_boundary.svg)を見てほしい。

外部環境(Surroundings)において境界(Boundary)が定義されるその内部がシステム(System)なのである

境界こそがシステムを具現化するものであり、要するにシステムの内部はおいといて、境界を通じてシステムの内部と外部でどのような入出力(インターフェース)があるかのを定義するのがシステム定義なのである

これが決まってはじめて内部をどのように構築するのか、サブシステムコンポーネント)間の連携をどうするのか、という話になる。

英語版のページにはしっかりとこう記載されている。

We scope a system by defining its boundary; this means choosing which entities are inside the system and which are outside – part of the environment.

日本語版の項にはなぜか訳されてないが、これが本質的定義であり、システムときいたら即「境界」と思い浮かべるべきである

そんなの当たり前じゃんと思われるかもしれないが、たぶんシステム関係に携わっている多くの人が、「システムって何?」ときかれたら、

 「システムはいくつかの要素によって構成されるもので、その全ての要素は、他の要素に影響を与え・・」

と、いきなりシステム内部の機能的な説明を始めると思う。まず境界インターフェースの話から始める人はむしろ少数だろう。

そうでなければ、世の中に数多あるシステムの「要件定義」「システム設計」「機能仕様書」などトップレベルでの記述もっと明確かつトップダウンになってなければおかし・・・

話をオブジェクト指向に戻すと、

最近話題になっている記事などは、なるほどよく噛み砕いているなあ、とは思うんだけれども、言語・実装・モデルといったものにひきずられてしまって、本来は広い分野や局面における「システム構築の手段」の広い概念であるはずのオブジェクト指向、実装例や用語から再度説明するという堂々巡りをしているという感じがする。

システムの本来の意味が身についたら、オブジェクト指向で説明されているあれやこれやが、このシステムを実現するため手段にすぎず、効率的システムを構築し、サブシステム再利用を容易にするための仕組みや方法論をあるていどまとめて総称したものであることが自然理解できると思う。

2014-03-21

統計が専門でないのに統計解析や機械学習を使っている人たち

に聞きたいんだけど、どこまで原理理解して使ってる?t検定くらいなら手計算でできるレベル

自分は、論文書いたりするためにトップダウン式に勉強してきたので、原理的なところを突っ込まれるときちんと答えられるかどうか微妙

計算はRが全部やってくれるし、解析手法はたくさん出てくるので、一つ一つの手法についてきちんと勉強している時間がない。このままでいいのかなとふと疑問に思ったので。

2014-03-01

http://anond.hatelabo.jp/20140226092640

トップダウンは当然のことだけど、それはおかしい。こんなやつが偉くなるような会社はどうせ潰れる。

2014-02-27

紙とペンの使い方

さいきんのゆとりは、と言われそうなので、三十代半ばと年齢を先に申告しておく。

僕は大学に入るまでほとんどノートをとったことがない。

試験ノートを持ち込めるわけでないし、教科書に書いてあることを黒板に写して、それをノートに写すなんてどうして?と思ってた。

流石に、大学では「データを残すために」紙に記録することにしたけれども、紙に書くことが理解の助けになるとか、記憶の助けになるとは思わない。

忘れてしまうことはノートメモに残すけど、忘れてしまう前提だから残すのだ。

インプットに手を動かすことは無意味だと思う。

逆に、アウトプットのために、紙にかくことはとても有用だと思う。

文章を作る前、数式をたてる前、スライドを作る前、出来上がりのイメージを図にしてから始める。

あれをつくるためには、この順番で組み立てて、それぞれの部品はこうやって表現して、そのためにはあれが必要で、ということを考えるためには、紙とペンはとても有用だと思う。

学校教育では、アウトプットのための紙とペンの使い方をもう少し教えた方がいい。

と、ここまで書いておもったのだが、僕の思考は、まずはアウトラインを決めて、そこに合うように部品を嵌めこむ「トップダウン型」だ。

対して、学校教育は往々にして、知の積み重ね、「ボトムアップ型」だ。

たとえば、乗法交換法則証明を終えてはじめて、掛け算の順序問題から開放されるというように。

それはある意味では正しいと思うんだけどね。

2014-02-26

http://anond.hatelabo.jp/20140226092640

軍隊かよw

末端が考えて動かない組織に未来はないよ。なんでもかんでもトップダウンで動くなんて妄想だね。

2014-02-12

何でソフトウェア開発の手法って上手くいかないの?

私は大規模・小規模、それこそものすごい人数でのチームや、自分一人のプロジェクトまで経験してきた。化石のような連邦事務局でもクールシリコンバレー会社でも働いたことがある。私は12種類以上のプログラミング言語を学び使っていた。私の時代には ウォーターフォール/BDUF (big design up front), 構造プログラミング, トップダウン, ボトムアップ, モジュラーデザイン, コンポーネント, アジャイル, スクラム, エクストリーム, TDD, OOP, ラピッドプロトタイピング, RAD, その他思い出せない様々な手法が生まれた。 でもそれらで上手くいってると思えるものは一つもなかった。

( 注:ここで書いてある「ソフトウェア開発手法が上手くかない」の意味について説明させてほしい。それらはソフトウェア開発のプロセスや、ソフトウェア開発そのものについて予測性や再現性を提供していないという意味だ。ほとんどのソフトウェア開発手法プログラミング工学風のプロセス提供してくれる。しかし、上記の理由でそれだけでは不十分だ )

ソフトウェア開発手法が上手くいってる」っていつ言うことが出来るの?

チーム生産性幸福度メンバーのつながり・1日あたりのコード量・人月コード品質・製造された成果物、、、そういったもの以外でソフトウェア開発手法が上手くいってるか、いってないかを図るものはあるのだろうか?

もちろんどんな手法だって、それに合わせた正しい指標を使えば上手くいってるか・いってないかが計測できる。しかし一番肝心の問題  ーー予算と期限内で要求を満たす事ーー について定常的に結果を図れる開発手法を見たことがない。

上記は私の経験則だけど、僕の知ってる殆どプログラマは同じような事を経験している。それらの話から言えるのは「ソフトウェア開発手法について厳密な研究存在しない。なぜならソフトウェア開発上のすべての要素をコントロール事が出来ないからだ」

こんな思考実験をしてみよう、

つのプログラマのチームがある。どちらも要求・期間・予算はしっかり確定していて、同じ開発環境プログラミング言語・開発ツールを使うとする。一つのチームはウォーターフォール/BDUFをつかう。もう一つのチームはアジャイルテクニックを使う。

この思考実験にはもちろん意味がない。メンバー一人ひとりのスキル性格、お互いにどんなコミュニケーションを取るか、そういったことの方が開発手法よりも大きな影響を与えるのは明らかだ。

アリスター・コッバーンが2003年に"People and methodologies in software development" (http://alistair.cockburn.us/People+and+methodologies+in+software+development) という記事でまとめている。

" 人と人の間で、更には刻々と経過する時間の中で変化するメンバーキャラクターこそがチームの振る舞い、結果に影響する最初の要因だ。 "

私達の最大の敵

私がプログラミングを始めた1970年当時、開発体制プロジェクトマネージャービジネスアナリストシニアプログラマと言った階層構造ガッチリ管理されていた。開発言語やツールを選ぶことは許されていなかった。私はいくつかの大きく複雑なプロジェクトに関わっていたが大体上記の様な働き方だった。成功したプロジェクトもあれば上手くいかないものもあった。

今は開発言語やツールに合わせて、開発手法・働き方をプログラマが選ぶのが当たり前になっている。アナリストやらがプログラマ監査することは殆どなくなった。プロジェクトマネージャーは"リーダー"・"スクラムマスター"という形で矮小化され、管理職権限は無力化され「チームの意見をまとめる事」以外は何も出来なくなっている。

ガントチャートスケジュールドキュメントを使った「厳格なマネジメント」は"ユーザー"や"ステークホルダー"の関与を省かせて、"ユーザーストーリー"を要約していた。今や私の周りではまともな大人が監督してるとは思えないプロジェクトばかりだ。プログラマのカウボーイスタイルコーディングを放っておいてるのに、彼らは自分好きな手法適用するか作るかさせて、1980年代以上に決め事・儀式だらけだ。 

実際、今のプログラマは1970年代COBOL現場以上に手法論について厳格で、盲信している。実際私が最近関わるプロジェクトは、大体の場合何も価値を生み出さないのに一人か二人のメンバーが開発したプロセスや"ベストプラクティス"を背負わされてるものばかりだ。

プログラミングチームが手法論を採用する(多くの場合チームの数名か、一人のいじめっ子が決めるのだが)と、やがて厳格に従うように要求を始め、やがてそれは宗教になる。そうなることではじまる無自覚な攻撃が、手法論やテクノロジー生産性を高めるより早く、チームの生産性を下げてしまう。

で、何がうまくいくの?

私の経験から言わせると、アリスター・コッバーン論文やフレデリックブロックスの「銀の弾丸はない」http://www.cs.nott.ac.uk/~cah/G51ISS/Documents/NoSilverBullet.html で述べられているように、プロジェクト成功させるにはチームメンバーが共通のビジョンを共有する事(その本では「コンセプトの統合」と呼ばれている)が必要だ。特に何かの手法論を指しているのではなく、これと言ったプロセスがない場合でも同じだ。私はプロジェクト管理ツールの「完了ボタンクリックするだけのチームで働いことがあるが、何故か分からないがBDUFアナリスト監査の元で働いていた昔よりも気分が悪いものだった。

私はプログラマ様式やツールにこだわるより、同僚の話にもっと耳を傾け、もっと一緒に働くことに注力したほうが良いとおもう。そしてプログラマ手法論やプロセスについてもっと疑って掛かった方が良いと思う。そうすればみんな魔法の様に生産性が上がる、間違いない。多分プログラマが社交的なスキルを高めるのは他の職業より大変な事だと思う。(私は必ずしもそうだと思っていないが。)でもそういったスキルを鍛える事は、手法論を試すより事よりはるかに元が取れる、間違いない。

これの翻訳です。

http://typicalprogrammer.com/why-dont-software-development-methodologies-work/

注1 '14/02/11 まだ半分しか翻訳してません。(明日完成予定)

注2 '14/02/12 翻訳完了しました。コメントの指摘に対応して文章を一部直しました。ありがとうございます

2014-01-24

http://anond.hatelabo.jp/20140124180930

学生と知って一気に萎えたんだけどがんばるぼくえらい。うそ。書類待ちでひまなんだなう

>どういう設計が正しいと言えるのかよくわからないです。何を根拠にそういうことが言えてるのか。

絶対的に正しいことなんてねえよ。人生設計の正しさに根拠や保証が欲しいの?悪いけどそんなものないよ。

100万人が選択した人生から正しいと思うのか?それって当事者意識薄くない?

誰かが答えを運んできてなんかくれないよ。お前が自分で探して自分で受け入れるしかない。

個人的に言えば、死ぬとき自分幸せだったなーって思える人生が正しい設計だと思うよ。

んで、幸せとは何を考え続けるのが人生なんじゃねーのかなあ。と思う。

>私はなんで親の勝手設計図で子供が手順通りに成長すればそれが良しとされるのか、それを親が良しとするのかが理解できないです。

良しと判断してるのは誰?お前がイメージしてる「世間の人」が言ってるんだろ。手順通りに成長すればよしとはされないよ。てか手順ってなに?

設計図って何?そんなトップダウンのものなんてないよ。子育てボトムアップでの積み重ねだと思うよ。

なにお前って、自分がセッティングした合コンがうまくいってカップル出来ても、ダメだ!修羅場がないからダメだ!って言うタイプなの?

親が良しとする理由を言ったんだよ。念のため。

>えー。それはすごいですね。頑張ってください。

自分が納得出来ないならその根拠を言えよwww自分だけ根拠求めといて自分曖昧にするとかwww

>これね。ポケモンですか... 育成ゲームあるしそっちでいいんじゃないですかね。

本気で言ってるの?または現実ゲームを同一視するほど現実世界に居場所がないの?

おまえ設計図とかゲームとか”誰か”に作られたものを信じ過ぎだし、常に使用者だったり消費者立場しか物言えないのな。

子育てを育成ゲームと同等にしか考えられないのが若さなのか?はたまた単なる想像力の欠如か。

>親のこと喜ばすのに子供作る他ないんですかね。

なんでこの文脈で他のこと書く必要あるんですかね。

>あとセックスに関しては、気持ち良いですし快楽目的でならご自由にしてもらって構わないのです。

童貞乙wwwwwという煽りしかできないごめん。そこはかとない上から目線ありがとうございます。自由にさせていただいております

疲れたお。不毛だとは思うけど一生懸命書いたから許してください。

2013-12-28

http://anond.hatelabo.jp/20131228222221

公正・平等という多元的価値観を、「みんな同じ」という一元的価値観勝手翻訳して誤解してるのが日本人じゃないの。少なくとも、戦前はともかく、戦後教育が「みんな同じ」=画一性をすり込めなどという方針であった時代なんてないので、それを「教育のせい」と言われると違和感があるな。:(言うまでもないことかとは思うけど、公正とか平等というのは、本来、民族・主義・主張が異なっていても公正に平等に扱われるべき、という主張であって、多元的ルーツをもつ集団を前提としてるよね。)

もっとも、日教組は「日教組は長い期間、文部科学省(旧文部省)などの教育行政が、トップダウン方式で画一的教育指向することに反対し、現場教員による柔軟で人間的な教育の実現を訴え対立」してきたと主張してるので、一部の人からは「画一性をすり込めと言われている」と見られていたのかもしれないけど、それ自体も誤解だと思う。

個人的には、同一性圧力が強めに働く日本の傾向については、歴史的に見て明らかにもっと根深いような。

2013-12-05

理不尽な評価

株式会社Aは、ずっと昔からある巨大な企業だ。

普通女の子であるB子新卒でAに入った。

Aでの仕事は辛いが、給料はとても良い。

ボーナスだって出ている。

B子は真面目に仕事をしていた。

B子は社内勉強会研修積極的に参加した。

B子上司の頼み事はなんでも快く引き受けた。


B子が働き出してから何年か経った時、会社の方針として、半期ごとに社員にA/B/Cの評価をにつける事になった。

この評価は給料に反映される。C評価で減った給料がA評価の人に回る。

B評価なら今までと変わらない。株式会社Aでは勤続年数で給料が決まっていた。

導入の理由をB子は詳しく知らなかった。

B子はA評価を求めなかった。

B子自分なりに頑張って仕事をしていたが、A評価は私よりも仕事を頑張っている人が貰えれば良いと考えていた。

ただ、C評価になる理由も無いと考えていた。


B子はそんな発表があってからも、前と変わらず、目の前の仕事一生懸命やっていった。

上司の言う事には逆らわず、どんな仕事にも前向きに取り組んだ。

そして、冬がきた。

B子部長に呼ばれた。

今日は半期の評価が伝えられる日だ。

「もうちょっと頑張りなさい」

評価はCだった。


B子は信じられなかった。

C評価になる理由が全く分からなかった。

今までの仕事に対する姿勢を全て否定されたように感じた。

それは本当に辛い事であった。

B子はしばらく、何もできない日々が続いた。

しばらくして、勇気をもって他の同僚に相談した。

誰に聞いても、B子がC評価になる理由は無かった。

そして、上部の人達をA評価にするために、「C評価にしても文句を言わない人」をC評価にしている可能性がある事がわかった。

それはB子のような人であったり、一年目の社員であったり。

B子部署上司達は、誠実に評価するつもりなど毛頭無かったのだ。



この話を聞いて感じた事。

  • 理不尽な評価はとても辛いことだ
  • 組織は人を評価するという事に、もっと慎重になるべきだ
  • 完璧な評価をすることは絶対にできないのだから、評価する側は少なくとも誠意を見せるべきだ
  • 相対評価がうまく運用される話を聞いた事がない
  • 特に大企業おいて、トップダウンで導入されるシステムが適切に運用される事はないのだろう
  • 理不尽はすぐ横にいる
  • 上の言うことを素直に聞いてるだけだと「あいつは何をしても文句を言わないやつだ」と思われる(それは不幸なことかもしれない)
  • 最高を求めない人は普通にすらなれないのかもしれない

2013-11-09

違和感の正体(個人の感想ですよ)

学習指導要領に書いてある」の回答 - 石田のヲモツタコト

http://d.hatena.ne.jp/IshidaTsuyoshi/20131108/1383913078

前々からこの手の話題で違和感を覚えていたのだけど、元記事を読んでいくつか違和感の正体がComeUpしたので書き留めておきたい。

1.教育の流れが悪い

 "はじめて覚える事"でひん曲がった算数/数学ルールを覚えさせるというのが筋が悪い。

小学2年生で間違いをもらった立式が、可換則を習うと間違いでなくなるという正誤感覚は気持ち悪い。

もうちょっと言うと、テスト用紙に「説明文にそった式を立てること。」といった表現があれば、これを見た大人の意見はずいぶん違うと思う。

2.教師の理由が悪い(適当ではない)

 「学習指導要領に書いてある」というのが本質的な理由にあたらない。

教師の立場文部科学省トップダウン指導は絶対であるというのは、大人なら理解に難くないのだけど。

「こうしないとわからない子供がいる」というのは教える側の理由で、算数世界で「×」にする理由にならない。

そもそもどうしてこういう学習指導要領になったのかが知りたい。この論理的な説明が知りたい。

3.年毎に変わる学習指導要領算数数学ルール範囲を規定する

 2に関係するのだけど、数学世界での理由が挙げられていない為に(そもそもないのだが)、今後の指導要領変更で「やっぱりやめました!」的なことが起こりかねない。

過去にあった、円周率を約3とした悪しき学習指導反省がなされていないのではないかと思った。

4.おわり

以上だけど、違和感ついて1が割合的に大きい。

ものを覚えたり習う時は、

「大きく覚えて後から詳細を知る」または「一つ一つのルールを覚えて大きくする」

のが正則だと思ってたので、正則ではないという違和感が正体だった。

(以上、個人の感想でした)

2013-10-28

実在主義の果てに回避型傾向があるのなら

実存主義の果てには、さぞかし良いものが眠ってるんだろうな

その果てにはすべてがあって、回避主義者が失ったものがあるんだろうか

「just the way you are」だなんてお笑いなのだ

我ら回避主義者

「私」である前に人間で、「自分である前に日本人

常に内包定義によって、トップダウン的に、そして演繹的に定義される

私たちは「私たち私たちだ」とは言わず、「私たちはコレコレこのように定められた、私たちだ」と述べる

主体的存在を表明されるべき自己主張は、客体的存在を提示する観察所見へと変化する

自分の事はどこまでも「法則理論で説明可能な、無個性で替えの利くどこかの誰か」としか表現されない

すべてはデジタル符号に置き換えられ、感情人格も知能も人生も、パロメーターと要素の組み合わせで表現

構成主義者は歓天喜地だよ

2013-08-13

http://anond.hatelabo.jp/20130813012037

管理職甘ったれ馬鹿から

全員が長期休暇を必ず取るという前提で組織を作ってスケジュールを立てれば普通に業務回るし。

最初に制約として休暇日数を決めといて、その制約下でどうすれば良いかを逆算して計画立てて実行すれば実現出来るけど、

逆に全員が土日祝を除く日を1日8時間働く事を前提に計画しておいて、予定より順調だったら休むなんて考えじゃ永遠に長期休暇なんて無理だしね。

個人の業務処理能力や調整能力ではなく、マネジメントの問題だよこれは。

トップダウンじゃないと無理なんだけど、プレイングマネージャ(笑)なんて言葉がある通り、

大抵の管理職って、管理職じゃなくて上級作業員なんだよね。

俺も下っ端時代はロクに休み取れなかったけど、

自分がある経度権限のある立場になって、しっかり計画立てて関係者との調整を行った結果、

自分のみならず部下全員も1週間以上の休暇は取れたしね。もちろん業績は維持して。

国が強制力のある法律を定めれば手っ取り早いけど、何でもかんでもお上に制限してもらわないと実現出来ないってのも情けない話だし、

絶対に抜け道見つけて狡いことする奴が出てくるんだよなー。

まあ、まずは地道に馬鹿共への啓蒙活動からじゃないかな?

2013-05-22

就業前残業の是非について

目下30代半ばのSEである

常々、高稼働の現場を目にするに当たり、自分だけは社畜になるものかと奮闘してきた。

しかし、今年に入ってから、複数人いる現場メンバーを取りまとめるリーダーの不在がいろいろな方面に波紋をよぶため、そろそろ誰かやらないかと、上司から通達があった。実質プレイングマネジャーのため、相当の才覚と忍耐力が必要だ。

当然、私も例え失敗してもいいから今後の昇進を見据えて実績は欲しいところだが、ちょうどメンタルを患っていた時期で、その話に飛びつく自信がなかった。自分の作業はもちろん、日常を安定した気持ちで過ごすだけでも大変なのに、これは相当な負荷だ。

そのため、まごまごしているうちに別の人間が手をあげ、その任を引き受けたため、私自身は仕事に対するモチベーションを極限まで減らし、とにかく自分の身を守るので精一杯という時期をこの3月まで過ごしていた。

しかし、何かやるせない。不甲斐ない気持ちで心は充満していた。そのため、とにかくまともな神経に戻そうとメンタル改善し、体力をつけてから再戦と考えていた矢先、下に人がつくなど、とにかく実績を作る足がかりができた。

ついた人間は開発経験5年くらいなので、ある程度の説明と現場ナレッジを与えれば自然と動いてくれる。しかし、そうはいってもまだ不明なことや未経験なことが多いこの業界で、当然提供すべき情報サポートが日々発生している。

それにしっかりと彼を育てたいと思っているので、相当の時間自分の作業以外にかかる。だが、うちの会社は専らのトップダウンな社風のせいか、「稼働=コスト」としか捉えておらず、当然ながら結果の数字しか判断しない。年収頭打ちの私は、実績を作りつつも稼働を上げない、言わば製造業なら当たり前の「安いコストで良いもの(サービス)を作る」というジレンマに陥ってしまった。

俄然お客にも自社にも良くする法などなさそうなので、現実として(サービス残業をしてでも結果を残そうと決意したが、年齢のせいか思うように連日の残業は続かず、体調を崩すだけなのが判明した。そこで、朝ならばと就業前の1時間を準備や瑣末な作業、確認や整理の時間に割り振り、極力残業せずに業務時間内の成果を最大化するよう自分をし向けた。

ある程度効果があったため、月次の報告書に「就業前時間有効に使って作業効率ができました」との自己アピールを書いたのだが、リーダー決定の時に名乗り出た者がこれを削除した。私的には人の自助努力を無にする隠蔽工作かと訝ったのだが、その後リーダーではないがベテランかつリーダー経験者との話し合いが持たれ、その結果、私の予想を覆した。

彼らの示した要点は以下の通り。

サービス残業を実質していて、稼働が抑えられたからと言って、本当に作業効率が向上したといえるのか?

・就業前時間を作業に当てているのなら、稼働として報告し、その分の対価を得たらどうか? こちら(そのお二人)としては、仕事に対する(私の)モチベーションの高さが感じられる。

・社のトップが早朝残業生活残業を許さないタイプのため、大っぴらに問題提起はできない(逆に作業するなという締め付けがなされる可能性の方が断然高い)

正直、1点目は私の認識の甘さを露呈させてしまったが、2点目に関しては、見識のある妥協点でもあるし、思ってもいない評価だと思いありがたくて感激してしまった。ただ、やはり残念なのはおそらく日本の多くの企業がまだ良解を出せないでいる問題と全くシンクロしていたことだ。

ただでさえ、一部大企業年収アップを決定しているし、成果主義も年々常識化してるはず。そんな中、現場では理解されても、上層から評価を得なければ末端エンジニアは這い上がれないという構図はどうにかならないのかというのが、この時感じた疑問である

2013-04-18

http://anond.hatelabo.jp/20130418102120

数字に現れるブラック企業軍隊ブラック)もやばいけど、この手の隠れブラック北朝鮮ブラック)もやばい

利益が出ているうちは良くても、リストラされたら行き場がなくてやばいですね。

なぜなら「やめたくても辞められない人」を残すから

新卒採用もするけど、「採用にあぶれてどこにも採用されなかった奴」を低賃金で拾う。

から社内にはちょっと問題のある人しか残らない。

まともな人は入ってきても、まぁ中続きしない。やばい臭いをちゃんと嗅ぎ取る。

から結局、社内政治の上手い人が甘い汁を吸う構造

このくだり、すごくわかります

のらりくらり働くには悪くない職場で、だけど多少なりとも先行きを考えられる人には不安で。

高度成長期に若くして創業したオーナー社長は、好景気を知ってるし何もかもが強気

それに較べて、二代目社長バブル世代で他人ごとだし、昔は良かったって話ばかり。

三代目候補は就職氷河期で自信を失っていて、無言でオーナーの言いなり。

親族外も社畜化した上司会社絡みで草加の会合に行かされていたり

同族経営にはコンプライアンスって言葉があってないようなもんで、セクハラ発言や罵倒日常的でした。

知人が働いている同族経営企業は、トップダウン政党支持を強要していて

業務終了後に残業手当ナシで、自●党の応援演説を聞かされたとか。

トップが感銘を受けた本やウヨ系書籍が配布されて、作文提出が必要だと言っていた。

でも人間関係は悪く無いし、条件にあう転職先が見つからいから、みんな文句言いながら辞めない。

数字上は問題ないし、福利厚生もきっちりしてて地元では優良企業で知られているが

トップと周囲の人達の動きが宗教じみていて、話を聞くたびに吃驚させられるよ。

2013-04-16

異動と若さ

限界です。」

言葉前後にあったけど、おおまかにはそういうニュアンスで人事に伝えた。

今のプロジェクトアサインされて半年。おおまかに言って頑張ってきたと思う。

ただ、プロジェクトの状態は、それはそれは酷いものである

(とても辛くて今回の件に至るわけです。)

その前のプロジェクトの良さというか凄さがしみじみとわかる。

PMの回し方は安定感抜群だし、エンジニアは皆出来るし、

その中でも特にあの人のエンジニアリングというのはチートだったな、と。

それに比べると今のプロジェクトはおままごとである

技術的なスーパーマンもいないし、仕事やらないのに馴れ合いばかり。

歴史にしがみついて新しいこともやろうとしない。

環境もメチャクチャ。やることなすこと全てトップダウン

スケジューリングはまるでなってない。その日その時の思いつきの作業が降ってくる。

その劣悪な状況も、変えなければと思ってリファクタリングを続ければ

独断勝手に変えるなと言われる始末。なんとなくのコードで修正されたり。

それでもまぁ、最初は我慢してた。黙って改善してた。意見も言った。

速度早くして、黙らせたかった。でも、短絡的な所は変わらなかった。

ある時を境に、真面目にやってて虚しさを感じてしまったんだよね。

その時からコードが書けなくなった。大好きなコードが。

唯一示せるのがコードだったのに、それも無駄だって、悟ってしまった。

運良く、同じ会社の同じ職域に非常に優秀な人達いるか

そのあたりだけど心の支えにしてきた。

モチベーションは定刻外にも影響するんだなって思った。

割とがむしゃらに勉強する方だけど、それも出来なくなっていた。

土日も切り替えが出来なくて辛かった。

(これについては尊敬する先輩に、なんとか切り替えるようにした方がいいと、アドバイスをもらった。)

不安になった。この年齢のこの時を(年齢は伏せますが)このPJで過ごすことに恐怖すら感じた。

今は自分探究心を持って、爆発したい、そう思っているから。

2013-04-15

ユニクロ社長インタビュー読んで、桜宮高校体罰問題を思い出しちゃった

自分理想に突っ走るトップダウン集団って点で、まんま構造が似てると思うんだよね

スポーツ経営じゃあ畑違いも甚だしいんだけどさ

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