はてなキーワード: 高橋ヨシキとは
今回の内容は、一言で表現するならば「論語読みの論語知らず」です。
『映画秘宝』の功績の一つは、マイケル・ムーア監督及び彼の作品を積極的に日本に紹介したことでしょう。これは評価されて良いと思います。私のように『映画秘宝』の記事をきっかけに、マイケル・ムーアの作品と活動を追うようになった人もいるのではないでしょうか。
しかし、マイケル・ムーア作品を紹介した『映画秘宝』自身の振る舞いは、ムーアの姿勢や思想からは懸け離れたものでした。
既に述べましたが、現在のサイズになって以降の『映画秘宝』はスプラッター系ホラー映画、切り株映画を礼賛して「切り株映画は世界の真実を描いている!」と盛んにアジテーションするようになりました。その動きの中で、特に『映画秘宝』が好んで取り上げたのが『悪魔のいけにえ』『食人族』『ホステル』といった「田舎に行ったら襲われた」系の作品群でした。そして、これらの作品群を誌面で紹介する際に町山智浩や高橋ヨシキらが好んで書き添えたのが「非・都市部在住、非・富裕層、高等教育を受けていない人間たちは『野蛮人』」と云う主張でした。
都市部に生まれ育ち、入学金や授業料が高い有名私立大学に通って高等教育を受けることも可能と云う恵まれた境遇で育った、謂わば「上級国民」である町山智浩や高橋ヨシキらにとって、上記のような階層に属する人間たちは、ただそれだけで「差別(しても許される)階級」でした。そして、切り株映画とは「そのような野蛮人たちは嘲笑され、差別されても仕方が無い」という理由を描いていると云うのが、町山智浩や高橋ヨシキらの主張でした。
一度など『映画秘宝』が発行した切り株映画系出版物が、某県において有害図書指定を受けた際には、それに対する報復行為として「某県では斯斯然然の残虐な殺人事件が起きた!だから某県の住民は野蛮人!」というアジテーションを誌面で行った事もあります。このような彼らの言動は、本質的に朝鮮人差別や部落差別と異ならないと私個人は思います。
さて話をマイケル・ムーア作品に戻しますが、『ボウリング・フォー・コロンバイン』等の作品には、全米ライフル協会、ブッシュ政権・米国共和党、ミリシア等を批判的に取り上げる要素が有りました。しかし同時に、取材対象を少なくとも「同じ人間」「同じアメリカ人」として取り扱うという最低限の良識と理性もマイケル・ムーアには有りました。
それに対して、町山智浩ら『映画秘宝』はマイケル・ムーア作品に登場する「アメリカの非・都市部地域に暮らす人々」を指して「土人たち」呼ばわりし続けました。町山智浩や高橋ヨシキらにとっては、マイケル・ムーア作品も所詮は切り株映画と同じく「アホでマヌケなアメリカ白人」=「被・都市部在住、非・富裕層、高等教育を受けていない人間たち」を嘲笑の対象として消費する格好の理由を与えてくれる、娯楽作品に過ぎなかったのです。
また『ボウリング・フォー・コロンバイン』の中では、マリリン・マンソンが「コロンバイン高校銃乱射事件を始めとする無差別銃乱射事件の頻発を引き起すような悪影響を青少年たちに与えた張本人」として槍玉に挙げられ、謂れなき糾弾を受けたという話が出てきます。その事について「君の音楽が彼らの犯行に影響を与えたという主張について、どう思うか?」とマイケル・ムーアから質問されたマリリン・マンソンが、彼自身の口で何を語ったのか。それはこの映画を観て頂くとして、少なくともマリリン・マンソンは「俺は悪くない!悪いのは他のジャンル(例えばギャングスタ・ラップなど)だ!」とは決して言いませんでした。
それに対して『映画秘宝』はどうでしょうか。「切り株映画ファンは悪い事をしないが、美少女アニメを見るような奴らは犯罪者予備軍だからドンドンお上に通報しよう!」と、他人をスケープゴートにしたのでした。
マイケル・ムーアにとっては、たとえ意見や思想が異なろうとも、作品の取材対象である人々は「明日のアメリカを共に築き上げる『同じアメリカ市民』」です。それに対して、町山智浩や高橋ヨシキにとって意見や思想が異なる人間とは「差別しても許される『異人』」に過ぎませんでした。
でも、ひょっとしたら、町山智浩らが心の底で考えていた事は、マイケル・ムーアにバレていたのかも知れません。そんな事を思わせるエピソードが一つ有ります。
ブッシュJr.政権への批判を続けていたマイケル・ムーアが『華氏911』を製作・公開した時のことです。記者会見で、町山智浩はマイケル・ムーアに次のように質問しました。
「ブッシュJr.を政権の座から引きずり下ろす為に、何か僕たち(=町山智浩ら外国人マスメディア)に出来る事は有りませんか?」
マイケル・ムーアは「アメリカ市民を『土人』呼ばわりして人間扱いしない君(=町山智浩や高橋ヨシキ)のような人間に、アメリカの問題を『娯楽』として消費されたくはない」と言いたかったのではないか?この記者会見のやり取りを思い出すと私は、ついそんな想像をしてしまうのです。
恫喝DM事件が発覚した直後に『映画秘宝』編集者が発した「自分たちは映画を通じて『差別』や『不正』と闘う姿勢を学んできた」と云う主張は、事実とは正反対の完全な虚偽であるという事を示す話でした。
時間 | 記事数 | 文字数 | 文字数平均 | 文字数中央値 |
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00 | 80 | 14448 | 180.6 | 46.5 |
01 | 63 | 11341 | 180.0 | 75 |
02 | 29 | 3169 | 109.3 | 56 |
03 | 31 | 3276 | 105.7 | 53 |
04 | 20 | 4271 | 213.6 | 86 |
05 | 51 | 12078 | 236.8 | 46 |
06 | 28 | 5106 | 182.4 | 68 |
07 | 50 | 5681 | 113.6 | 62 |
08 | 74 | 6396 | 86.4 | 53.5 |
09 | 89 | 7518 | 84.5 | 48 |
10 | 134 | 13450 | 100.4 | 44.5 |
11 | 109 | 19533 | 179.2 | 57 |
12 | 122 | 17175 | 140.8 | 53 |
13 | 104 | 18633 | 179.2 | 51 |
14 | 114 | 16493 | 144.7 | 45.5 |
15 | 176 | 15575 | 88.5 | 36.5 |
16 | 138 | 14723 | 106.7 | 60.5 |
17 | 172 | 13877 | 80.7 | 41 |
18 | 117 | 12316 | 105.3 | 44 |
19 | 153 | 18635 | 121.8 | 47 |
20 | 101 | 15947 | 157.9 | 45 |
21 | 102 | 11323 | 111.0 | 50 |
22 | 152 | 13444 | 88.4 | 42 |
23 | 115 | 17745 | 154.3 | 43 |
1日 | 2324 | 292153 | 125.7 | 47 |
ε-δ論法(5), グリーンの定理(4), 高橋ヨシキ(6), サクラバクシンオー(3), 19%(3), オレオ(5), バーサーク(3), 訓話(3), 牡馬(6), 外遊(4), 整数論(3), ヘラクレス(3), ウマ娘(27), 競馬(10), 批評(8), BBA(6), 保育(7), エヴァ(9), 述べる(8), 強姦(10), 敬意(8), 馬(13), ダブスタ(13), 対等(10), ありがち(8), 知的(10), 申し訳(11), ポルノ(9), 人権侵害(7), 殴る(10), 上手い(17), レイプ(19), 暴力(27), ソシャゲ(14), 加害者(14), 息子(19), 真似(13), 物語(17), LGBT(12), 付ける(11)
■「武道をやっている人は礼儀正しい」←嘘 /20210307172141(16), ■村上春樹の文章は「うまくはないが読みやすい」(補足あり) /20210307055157(15), ■不愉快なのは性的消費ではなくダブスタ /20210306230706(13), ■@nabeteru1Q78弁護士は運動部経験が乏しいのでは /20210307155928(11), ■腐女子でフェミニスト /20210306181117(11), ■イシグロ氏の発言について、ある左翼かつリベラルから見た感想 /20210306213555(10), ■プリキュアって大人から過剰に期待されすぎて気の毒だなって思う /20210306213217(10), ■子供に手を上げてしまった /20210307215045(10), ■遊び人は賢者になれるか /20210307064552(9), ■韓国の日本(人種)差別がレッドラインを超えつつある件 /20210306121755(9), ■3大コミュニケーション能力のなさを感じるブコメ /20210307093011(9), ■anond:20210306181117 /20210307104424(9), ■マスコミやまとめサイトの養分になったオタク /20210307184214(9), ■女友だち20人にカメラつけて歩いてもらったことがある /20210307104250(8), ■まーたUBERの配達員がやらかしやがった(追記あり) /20210306205528(8), ■初めてセカンドレイプの被害にあった /20210307042307(8), ■計量スプーンとカップで計る量は適当だった /20210306235434(7), ■子供が鬱病になった /20210306093924(7), ■anond:20210306230706 /20210307092656(7), ■ドラゴンクエスト漫画の個人的最高傑作 /20210307172731(7)
『映画秘宝』で「アニメ好きは犯罪者予備軍だから、お上にドンドン通報しよう!」と高橋ヨシキたちが吹き上がっていた時、アニメ好きを公言している中川翔子は一体どんな気持ちだったんだろうか?
町山智浩「高橋ヨシキ君の前のカミさんがすごいオッパイ大きかったんだけど、ヨシキ君が『俺、町山さん大好きだから、うちの嫁の乳揉んでいいですから』って揉ましてくれたから、俺、揉んだよ!『キスしていいですから』とか言うから、キスもして。」
=引用ここまで=
H23年9月17日に吉田豪が町山智浩に行ったインタビューからの引用です。
こういう人間たちなのだから、深夜午前2時にフリーの女性編集者一人を標的にパワハラをする事について何の疑問も持たず歯止めも効かなかったことは、別に驚きではないのです。元々彼らは「そういう人間たち」なのです。
自分たちの男性コミュニティ内部でのホモソーシャルな関係を優先して、平気で女性の尊厳を踏みにじるのも、二人が「早稲田大学の出身者」と聞くと納得がいく。
早稲田大学文学部の渡部直己のセクハラ事件が発覚した時も、被害者である大学院生の女性とその支持者に対して、大学側と渡部直己の子分の教員が「口を噤むように」と圧力を掛けていた。結果的に渡部は早稲田大学を止めたものの、結局は早稲田派閥と文学ムラのコネで仕事を恵んでもらって生き延びている。
まともに実験ノートも書いていない生物学者が学術上の新発見をしたと大々的に取り上げたのも、彼女が早稲田の人間だったから。
高校生の野球部員が練習試合でホームランを打ったとわざわざニュースにしたのも、彼が早稲田の人間だったから。
早稲田派閥は、悪い意味で「仲間意識」が強い。業績が怪しい人間でも「早稲田の人間」であれば、マスメディア内部にいる早稲田OBがスターに祭りあげようとする。
たとえ不祥事を起こして職を追われても、生き延びられるようにと早稲田派閥が便宜を図る。そのため、現在の早稲田内部に存在する不祥事予備軍の人間たちにも歯止めが掛からない。
「恫喝DM攻撃の被害者へのバッシングを止めよ」と書くのと同時に「袂を分かつ事になりました。自分は今月号で『映画秘宝』を去ります」と高橋ヨシキが書いた意図は何か?
それは「不祥事を起こした人間が『映画秘宝』の側に残るのであって『映画秘宝』を去る自分(=高橋ヨシキ)は不祥事を起こしたような人間とは違うんですよ」と、何も知らない外部の人間に向けてアピールすることが目的だ。
『映画秘宝』公式や双葉社公式が不祥事について謝罪した以上、組織として再発防止に動く。そう思うのが普通だ。不祥事の原因解明や再発防止に一丸となって取り組むつもりならば、それに参加する人間たちが「袂を分かつ」必要は無い。分かれる一方が不祥事再発防止に消極的でない限りは。それなのに、わざわざ「袂を分かち『映画秘宝』を去る」と書いた。その『理由』は何だ?考えろ。それは、高橋ヨシキの努力にも関わらず『映画秘宝』は変わろうとしなかったからだ。非道い!まともなのはヨシキだけだ!
こうして、高橋ヨシキが使う『喧嘩稼業』の田島彬ばりの忍術(心理誘導術)によってコロッと騙された人間たちが「編集部と違って高橋ヨシキは正義の人だ!」と言い始めた。
ただし、それらの「高橋ヨシキは正義の人だ!」と主張する人間たちの発生が、奈良さんたち4人に内部告発を出す決意を促したのだろう。
「人間性には問題が有ったかもしれないが、彼ら(町山智浩・柳下毅一郎・高橋ヨシキ・てらさわホーク)の本業である映画について書かれた記事や本をこれまで読んで楽しませてもらった」と言う人も散見されます。そこで今回は「そもそも、彼らの本業の部分である『映画について書く/語る能力』も、本当は怪しいものではないのか?」と云う点について、てらさわホークを事例として書きたいと思います。
雑誌『映画秘宝』では近年、クリストファー・ノーランをディスる傾向が見られました。おそらく、柳下毅一郎がクリストファー・ノーランを嫌うようになった事が原因なのだと思います。雑誌『映画秘宝』のホモソーシャルな環境の下、柳下毅一郎オジキのご機嫌を損ねないように、子分たちは必死でクリストファー・ノーランを腐すことで忠誠心を示していたのです。それも『映画秘宝』内部だけに留めておけば、馬脚をあらわさずに済んだのかも知れませんが、今となっては完全に後の祭りです。
発端は、映画『マン・オブ・スティール』が公開された当時、てらさわホークがクリストファー・ノーランを叩く記事を『映画秘宝』以外の場で執筆したことでした。ちなみに、本作におけるクリストファー・ノーランは原案・製作であり、監督や脚本ではありません。監督はザック・スナイダー、脚本・原案はデヴィッド・S・ゴイヤーです。
てらさわホークが執筆した記事は、大まかに言えば「原作や過去のスーパーマン作品には無かった要素や描写を、クリストファー・ノーランが付け加えた事によって映画『マン・オブ・スティール』は出来が悪くなった」と、ノーランを糾弾するといった内容のものでした。ところが、てらさわホークよりもアメコミ事情や映画に詳しい(だけでなく、作品との向き合い方についても遥かに誠実な姿勢の)人がはてなユーザーの中に存在した為に、てらさわホークの怪しい点が明るみに出ることになりました。この人が「てらさわホークが『原作や過去のスーパーマン作品には無い』として挙げた事柄は、実際は、いずれも原作や過去作品の中で描かれている。てらさわホークは、原作であるアメコミをきちんと読んでいないのではないか?」と、てらさわホークの『事実誤認』を指摘する記事をはてなブログにアップしました。
この指摘について、てらさわホークは反論文を自身のはてなブログにアップしたのですが、この時、てらさわホークは『致命的と言ってもよいミス』を犯しました。何と、てらさわホークは「それらが原作のアメコミで描かれている事実について、自分も知っている」と反論したのです。その結果「知っていたのならば、ノーランのイメージを悪くする事を意図して『ノーランが原作や過去作品には無かった要素を付け加えた』と云う嘘を故意に書いたのではないか?」と、てらさわホークには新たな批判が向けられる事態になりました。この新たな批判には答える事が出来なかったため、てらさわホークはブログのコメント欄を閉鎖して現在に至ります。
実際にどのような遣り取りがされたのかに関して興味がある人は、はてなブックマークなどで検索してみましょう。今でも読めると思います。
現在のてらさわホークは、アメコミ原作映画に関連する仕事を幾つも手掛けているようですが、彼が本当は「アメコミ事情に暗くて知識に乏しい」のか、それとも「知識は有るが何らかの理由が有れば平気で嘘を書き散らかす」のか、プロフェッショナルのライターとしての自身の能力と姿勢を、てらさわホークは明らかにするべきではないでしょうか。個人的には後者だと推測していますが、このように能力に疑念を抱かれるようなライターが「アメコミの有識者」であるかのように居座り続ける事を許している現状を見ると、本邦の映画ライター業界は余程の人材不足なのでしょうね。
ところで、パワハラ問題の発覚後の3月1日に柳下毅一郎がTwitterで出した謝罪文には「ヨシキくん」の文字は有れど、てらさわホークの「て」の字も見当たりませんでした。もしかして「高橋ヨシキ『ら』」と書いてある『ら』の字が「て『ら』さわ」の『ら』の字なのでしょうか?あれだけクリストファー・ノーラン叩きを頑張ったのに、てらさわホークに対して柳下毅一郎は少し冷たいと思います。『事実誤認』の指摘に対する反論文をブログにアップした時も、てらさわホークは「どうしてクリストファー・ノーランに対して(自分は)カリカリしてしまうのか」と白を切って、ノーランを叩く理由について口を割らなかったんですよ。子分の鑑じゃないですか。
いま単純に町山氏の解説を読んでそう思う人はあまり多くないと思う。
擁護している人達も基本的には過去の映画秘宝の思い出を守ろうとしているだけで、現在の町山氏、高橋ヨシキ氏の解説なんかが良いと思ってる人はまあ居ないと思う。
この増田も最新の秘宝読んで、家族が褒めてる設定にしてるわけだけどさすがに無理じゃねえかなあ。
単純に雑誌として出来が良くないしな、もう。
と云う系統の話です。時々「普段は離れて暮らしている家族と久しぶりに会ったらネトウヨ(とか陰謀論者とか)になっていて恥ずかしいし辛い」と云う話を見ることがありますよね?自分の家族(※特定されないために親兄弟姉妹性別は伏せます)の場合は『映画秘宝』のパワハラ四人組に対して心酔しきっています。先日の奈良さんたちによる内部告発があった後ですらも、それは変わろうとしません。
実は十数年前に『映画秘宝』と云う雑誌の存在を、映画が好きな家族に教えたのは私なのですが、当の私自身はといえば、はてなブックマークでも度々トピックになっていたような彼らのヒドイ振る舞いの数々に嫌気が差して、とっくに何年も前から購読を止めていました。『エド・ウッドとサイテー映画の世界』から欠かさず買っていたバックナンバーも、ほとんどは処分してしまいました。
私としては、町山智浩の度重なる女性蔑視や同性愛者差別の発言、吉田豪によるインタビューで話した「高橋ヨシキの妻に対して町山智浩が行った女性の人権を侵害」、てらさわホークが映画『マン・オブ・スティール』でいい加減な嘘の記事を書いたことなどをメールで教えて「こんな人たちのファンを続けるのは恥ずかしいことだから止めた方が良いよ」と伝えました。しかし、私の家族はSNSで「町山さんの解説はさすがだなあ」とか「高橋ヨシキさんは知性とバランス感覚の持ち主だなあ」とか言っていて、少しも目を覚まそうとしません。
今ネットの一部では『映画秘宝』を守りたい一心でなのか、例の恫喝DM問題の被害者女性をしつこくバッシングする人間もいます。私の家族もそうなるのではないかと心配です。
と云う系統の話です。時々「普段は離れて暮らしている家族と久しぶりに会ったらネトウヨ(とか陰謀論者とか)になっていて恥ずかしいし辛い」と云う話を見ることがありますよね?自分の家族(※特定されないために親兄弟姉妹性別は伏せます)の場合は『映画秘宝』のパワハラ四人組に対して心酔しきっています。先日の奈良さんたちによる内部告発があった後ですらも、それは変わろうとしません。
実は十数年前に『映画秘宝』と云う雑誌の存在を、映画が好きな家族に教えたのは私なのですが、当の私自身はといえば、はてなブックマークでも度々トピックになっていたような彼らのヒドイ振る舞いの数々に嫌気が差して、とっくに何年も前から購読を止めていました。『エド・ウッドとサイテー映画の世界』から欠かさず買っていたバックナンバーも、ほとんどは処分してしまいました。
私としては、町山智浩の度重なる女性蔑視や同性愛者差別の発言、吉田豪によるインタビューで話した「高橋ヨシキの妻に対して町山智浩が行った女性の人権を侵害」、てらさわホークが映画『マン・オブ・スティール』でいい加減な嘘の記事を書いたことなどをメールで教えて「こんな人たちのファンを続けるのは恥ずかしいことだから止めた方が良いよ」と伝えました。しかし、私の家族はSNSで「町山さんの解説はさすがだなあ」とか「高橋ヨシキさんは知性とバランス感覚の持ち主だなあ」とか言っていて、少しも目を覚まそうとしません。
今ネットの一部では『映画秘宝』を守りたい一心でなのか、例の恫喝DM問題の被害者女性をしつこくバッシングする人間もいます。私の家族もそうなるのではないかと心配です。
あの日武道館で『輝きのエチュード』を聴きながら、左隣りの人も右隣の人も、嗚咽を漏らして泣いていました。私も泣いていて、まともにサイリウムを振ることすらできませんでした。会場中から鼻をすする音が聞こえてきました。でも、こんな企画をやられてしまうと、あの武道館は一体何だったんだろうと、そう思わざるを得ません。
別に「卒業」したはずの歌唱担当が『アイカツ』のイベントに登壇することに文句を言いたいわけではありません。「あなたたちは卒業したので来ないでください。歌は全部声優が歌います」なんてことになったら、それこそひどい話です。だからそういうことではなくて、「5周年」にかこつけてイベントを乱発すること自体が問題だと思うわけです(というかもうすぐ6周年じゃないですか?)。「思い出は未来の中に」ではなかったのか。「同じ光のなかこれからも 迷わないでわたし歩いていける」と、あの日誰もがそう思ったのではなかったのか。「心に集めるたくさんの永遠」とは、「いやあアイカツは素晴らしいね尊いねいつまでも終わらないね」と定期的に執拗に確認しないと消えてしまうような「永遠」だったのだろうか。これではまるで、星宮いちごのアメリカ行きを無理矢理引き止めているみたいではないか。なんでも弁当もスターライト学園も全部放ったらかしにして、無理矢理マスカレードをステージに立たせているようなものではないか。霧矢あおいが、光石織姫が、星宮りんごが、一体そんなことをするだろうか。大げさかもしれませんが、そう考えてしまいます。
東日本大震災が起きたあの日を契機に、『アイカツ』は「皆で一緒に笑いながら身近な幸せを改めて感じ、明日を信じる力、未来への夢を持てる作品」を目指してきました。「こんなことが起きたら、いままで話したような作品はできないね」と。
——その後、ゲームおよびアニメの企画は、どうなったのでしょう?
(加藤陽一)大きな転機になったのが、東日本大震災です。コンセプトを固めている最中の2011年3月に、東日本大震災が発生しました。地震が起きた瞬間、僕は東京・浅草のバンダイ本社で『アイカツ!』の会議に出席していたんです。地震で電車が止まったので、車で来ていた僕が3人に声をかけて、皆を送っていくことになりました。TVで原発や津波のニュースを見ながら進むうち、都心で車も動かなくなっちゃって。結局浅草を出て、皆を送って23区内の家に帰るまで12時間位かかりました。そのとき一緒にいたのが、アニメ『アイカツ!』の若鍋竜太プロデューサーと企画スタッフです。車に缶詰状態で、8時間から10時間ぐらい、地震の影響を目の当たりにしながら、皆で『アイカツ!』のことを話しました。まるで合宿みたいな濃い時間でした。「こんなことが起きたら、いままで話したような作品はできないね」という話もその場で出て。それを受けて書き直した企画書の内容が、そのときの僕らの思いを込めたものだったんです。
——どんなふうに変わったのでしょうか?
ネガティブな出来事も起こりえるレトロなスポ根路線は消えてなくなり、代わりに、「皆で一緒に笑いながら身近な幸せを改めて感じ、明日を信じる力、未来への夢を持てる作品」が必要だろうということになったんです。「トップアイドルを目指すスポ根サクセスストーリー」の部分はそのままに、「温かくて前向きな気持ちになれる作品を作ろう」と、企画をブラッシュアップしていきました。この段階の企画書に書いてあることは。現在のところほぼすべてが、作品内で実現しています。あの震災が、『アイカツ!』という作品にとっての転機だったと思いますね。
そして『アイカツ』はたくさんの人を「温かくて前向きな気持ち」にし、たくさんの人が前へと進みました。「今日が生まれかわるセンセイション」、「いつだって、ここから、あたらしい夢 どこにだって行けるよ!」。『アイカツ』を観たたくさんの人が「素敵な明日」を迎え、「未来向きの今」から未来へと全力で走り出したはずです。『アイカツスターズ』もそうです。あれだけの作品を前にして、前作とは別の方向へと舵を切るなど、並大抵の覚悟ではできません。巴山萌菜さんもそうです。私は詳しい動向を追ってはいませんが、TVドラマ『賭ケグルイ』のOPを歌っていたようですし、ワンマンライブもやっていたと思います。STAR☆ANIS/AIKATSU☆STARS!から卒業し、自分の決めた道で頑張っています。
それが、何故こうなるのでしょうか。別にイベントをやるなとは言いません。「卒業」した歌唱担当を呼ぶなとももちろん言いません。ただ、何故今なのか。10周年や20周年まで待てないのか。これではまるで、私たちに「明日を信じる力、未来への夢」なんかないのだと言わんばかりではないか。全く「未来向き」じゃない、完全に過去を向いている。私にビジネスの知見はありませんが、商業的に考えてもこんなやり方では長生きできないと思います。
昨年9月、甘粕試金氏によって『この幼形成熟の世紀に』と題された原稿が公開されました。当時それを読んだ私は「言いたいことはわかるし何も間違ってないと思うけど、アイカツのファンダムはそんな人ばっかりじゃないのになあ」とかなんとか思っていました。でも、どうやらもうそんなことを言ってはいられないみたいです。
『アイカツ!』が放送終了して新シリーズ『アイカツスターズ!』が始まった今『アイドル活動!』よもう一度とばかりに『アイカツメロディ!』が来ることの意味は、先述の原稿の論旨で言えば「和声」的解決を意味することになり、『アイカツ!』も円環的時間の気持ちよさによって欲望を生産する作品だったという結論にならざるをえなくなる。それを証し立てるきっかけになったのが「シリーズ5周年記念企画」の楽曲だったという事実は、フランチャイズの圏内にある作品がファンク的時間を持つことの不可能性をも証明してしまったのではないか。このことに私はほとんど嘔吐せんばかりになってしまったわけです。
「なんで和声的ならダメなの? 気持ちよければ良いじゃん」という問いに答えるには、それだけで一つのまとまった原稿が必要になるのでここでは書きません。フランチャイズに話を絞りましょう。ここ数年で最も忘れがたいフランチャイズ批判、高橋ヨシキさんが『ローグ・ワン』を前にして発表した「幼年期の終わり 〜さようなら『スターウォーズ』〜」を部分的に引用します
観客が耽溺し続けること自体を難ずる権利はぼくにはありません。〔中略〕それでも、観客を「耽溺させることを目的に」商品を作り、供給することは邪悪なことではないかとぼくは思うのです。
〔中略〕
なぜなら、それは観客を消費者へと変え、幼児化させ、駄々っ子のように振る舞うことを是とするものであり、その駄々っ子の口に好物を際限なく突っ込み続けることで、彼らを判断能力を失った中毒患者へと変える行為だからです。
〔中略〕
「前へ!」というのは、ルーカスだけでなく、どのようなクリエイターにとってもいちばん重要な姿勢だとぼくは信じています。その先に何があるか分からなくても、あるいはそれがどういう評価を下されるにせよ、とにかく 「前へ!」。これはクリエイターに課せられた祝福でもあり呪いでもあるのですが、「前へ!」という大前提は旧三部作でも、またプリクエルでも(プリクエルは実は後退していたわけではないとぼくは思っています。何度も言いますがコンセプトに対してエクセキューションが貧しかったのがまずかった)、そして部分的ではあれど『フォースの覚醒』にも共通していました。前へ!
〔中略〕
ところが『ローグ・ワン』は「もはや前に進む必要などない」という、ルーカスフィルム/ディズニーの宣言のように、ぼくには見えました。なぜ前に進む必要がないのか? なぜならそれを誰も望んでいないからです。誰も、 というのは『スター・ウォーズ』世界に耽溺することに慣れきった観客のことです(ぼくも含みます)
〔中略〕
興行的に、『スター・ウォーズ』が「前へ」進む必要がないことを『ローグ・ワン』は証明してしまったのです。
Crazy Culture Guide Vol,30-30,5(http://www.mag2.com/m/0001673228.html)
SWシリーズにまったく思い入れを抱いていないうえに『ローグ・ワン』も(ドニー・イェンがドン・キホーテ役をやっている映画なのだし)楽しく観ることができてしまった私は、当時「はぁ、そういうものなのかなぁ」程度にしか読めなかったのですが、少なからず前のめりに接してきた『アイカツ!』5周年企画に際して、これらの文章は「あっ、この状況を言ってたのか!」という今更の得心とともに蘇ってきました。「前へ」進む必要がないこと、それは「和声」的時間に閉じること、フランチャイズの体系に閉じること、円環的時間=手回しオルガンの歌に耽溺しきることを意味してはいないか。ベケットらを念頭に置いて「終わる必要がない」作品だと言うとき、それは「終わりが永遠に引き伸ばされる」作品の偽装された姿を言っていはしないか。それこそがフランチャイズの罠であり病ではないのか。という疑惧と危惧が一斉に襲ってきたわけです。これは単に「前に書いた文章と矛盾しちゃった」から狼狽えているのではありません。「あれっ、自分は《これ前にも聴いたことあるわ、良いわ〜、知ってるわ〜、延々と続けられる正当な伝統、良いわ〜》みたいなことに気持ちよくなりたくてこの作品を支持してたのか? そもそもこれってそういう気持ちよさを是とする作品だったか?」という、本質的な足場が揺るがされたことに原因があります。それも公式の「5周年記念企画」によって。
甘粕試金『この幼形成熟の世紀に』(http://petrushkajp.blog.fc2.com/blog-entry-165.html)
「アイカツ!シリーズ5thフェスティバル!!」を楽しめる人を悪だとは一切思わないですし、主催者がダメだとも思いません。もちろん、私が正しいとも一切思っていません。私も何かの手違いでチケットを手に入れたら、それはそれでそれなりに楽しめるんじゃないかと思います。そりゃあ声優と歌唱担当が揃ったら嬉しいです。生アフレコなんてしたら最高です。そりゃそうです。ただ、あの日「車に缶詰状態」で「合宿みたいな濃い時間」を過ごし、それを受けて書き直した企画書は、そこに込められた思いは、「皆で一緒に笑いながら身近な幸せを改めて感じ、明日を信じる力、未来への夢を持てる作品」とは、こういう類のものだったのか。木村監督がプロットを書いた「大スター宮いちごまつり」のMCの「みんなの今日が、明日が、少しでも素敵になったらいいな」とは、「いつでも何度でも集まって際限なく盛り上がれる。いつまでも終わりを引き伸ばせる。ずっとここにいられる」という意味だったのだろうか。『アイカツ』が3年半、『アイカツスターズ』が2年かけて描いてきたことは、そういうことだったのだろうか。どうしたって、そう頭を悩ませずにはいられないわけです。そして、“「終わる必要がない」作品だと言うとき、それは「終わりが永遠に引き伸ばされる」作品の偽装された姿を言っていはしないか。”。このことは、常に考えるべき問題であると思います。
でも、ツイッターを見ている限り「歌唱担当戻ってくるなら純粋に楽しめばいいじゃん」「そんなにヒリつくことじゃなくない?」という人が多数派を占めているようです。だから私がおかしいのかもしれません。「めんどくさいオタク」なだけなのかもしれません。なので、「アイカツ!シリーズ5thフェスティバル!!」に行かれる方には、純粋に楽しんで来て欲しいと思っています。皮肉でも嫌味でもなく、本当にただ純粋に、楽しい時間を過ごしてきて欲しいと思います。アイカツファンの方々——あるいは演者やスタッフの方が読んでいないとも限りません——、お気を悪くされた方がいたら、本当に申し訳ありません。拗らせたアイカツファンの戯言だと思って、どうかご容赦ください。
同世代(年齢±5歳程度)に、日常のどうでもいい話を面白く書く男性エッセイストがいない。
「いない」というか、「知らない」。
だから誰か教えてください。
ジェーン・スー
本業は小説家だけど、津村記久子のエッセイも力が抜けていて好きだ。
LGBT(このくくりでいいのかは知らんが)もいる。
少年アヤ
あたり。
あと忘れちゃいけない。本当に大好きだったな。
がっぷ獅子丸。
原田宗徳
小説よりも好きかもしれない。
映画でも音楽でも、特定のジャンルに特化した評論家は男性にもいる。
けどおれは、日常のどうでもいい話が読みたい。
今ちょっと真面目に考えて、出てきたのがオモコロのヨッピーだった。
どんだけテキストサイト好きなんだおれは。
久しぶりにみたら、桃色核実験消えてるし。
松風の人って今、何してるんですかね。
何の話だ。
とにかく、いいひといたら教えてください(切実)