はてなキーワード: 類似性とは
オタクは世を忍び、腐女子は隠れるべきという時代にそれらと触れ合った世代です。
幕張メッセの件やらポケモン同人誌事件、2ch(現5ch)の電車男にニコニコ動画のボカロや歌ってみた・踊ってみた。
思春期をオタク文化の過渡期と共に過ごした私は、原作は絶対であり正義であると考えています。
ただ、原作は原作として、自分の好みの話の展開、好きなキャラを贔屓したいという想いがあるのは当然だとも考えています。
乱暴に言えば、カレーのレシピにジャガイモ入れろって書いてあるけど、私は入れない方が好きって言うだけの話。
それぞれ好みがあって当然だけど、この人のレシピはこれを入れる。でも、私はそれが好きじゃないから入れない。あるいはこれの方が好きだから、こっちを入れる、みたいな。
その辺のことを理解できていない人たちが、このレシピならジャガイモを入れるはず!とか、なんでこんなもの入れてるんだ、レシピにないだろう!って切れたりしている。
二次創作が二次創作だと理解できない層は、ジャンルの人口増加とともに増えていき、統率が取れなくなるとジャンルの衰退を生む。
このことに身に覚えのあるオタクたちもいると思う。
件の赤安も、同様の過程の末に衰退期に入ってしまったように思う。
大きな分岐点だったのは、今年(2023)の映画だったと思う。
コ哀の民は狂喜乱舞、新蘭の民は怒髪衝天。
ここでよくなかったのは、コ哀の民が一般的な映画レビューサイトで、コ哀が公式かのように発言してしまった事だ。
コナンでは新蘭、コ←哀が公式で、決して二人はくっつくことはない。だからこそ、コ哀の民は今回の映画が嬉しかったのは分かる。だけど、所謂オタク構文がまかり通らない公共の場所でコ哀の発言はよくなかった。twitterやmastdonなどで発言するべきだったね。
じゃあ、コ哀だけが悪いのかというと、そうでもないというのが私の見解だ。
公共の場でバカ騒ぎをする層は、どんなジャンル、どんな分野、どこにだって一定数いる。
バカ騒ぎをしている人を諫めることはあっても、ただ好きなだけの人を探し出して攻撃するのはバカ騒ぎしている人と同じだ。
正直、拳の時の新蘭の狂い方だってハタから見たらあたおかです。
蘭はそんなことしないとか、こんなの蘭じゃないとか。
自分の口に合わなかった、好みじゃなかった。ただそれだけでしょ。
新蘭とコ哀が民族争いをしているだけだったら、私は筆を折らなかったと思う。でも、新蘭の民は赤安の民も兼任している人が多かったのが決め手だった。
そういう人の多くは、新蘭と赤安の類似性を語っていた。イニシャルが同じだとか、属性が同じだとか。
それだけなら私も「確かに~!」と同調できたけど、赤安を公式扱いし、コ哀を非公式、ありえないと否定していたことが気持ち悪かった。
だって、赤安も非公式じゃないじゃん。赤井が降谷に、あるいは降谷が赤井に恋愛感情を持っていると明確に分かる表現ってありましたか? 匂わせすらないですよね?
腐女子は無から有を生み出してカップリングを作るので、あったと言ってもそれをもっと客観視してもらいたい。公式でも何でもない、ありもしないカップリングを公式扱いしている姿は、赤安もコ哀も変わらない。目くそ鼻くそも大概にしてほしい。
ジャンルの衰退を招いていることを、はっきりと認識してもらいたい。
アニメの作画崩壊は制作側の落ち度が大きいので何も言わないが、原作の展開への文句や映画への批判をしながら赤安への愛を語っている人を見ると、本当に辟易する。
作者はあなたのために話を書いているわけじゃないし、小学館は企業なので利益を出さなければならない。
プロモーションなどに関してもそうだ。自分が読者層から、あるいはマーケティングターゲット層から外れたことを自覚してもらいたい。
それでも赤安が好き、新蘭が好きなら、自分だけの、あるいは感覚が近しい人たちとの世界で楽しめばいい。なぜ態々、攻撃する相手を探して回るのか。そんなの、ただのDQNじゃないか。
私はそんな人たちと一緒にいたくない。そんな人たちと同じだなんて、思われたくない。だって、いつ自分に攻撃が飛んでくるかわかったもんじゃない。
私はそこそこ古い腐女子なので、Kコが流行った時も腐女子をしていた。
当時にもそういった過激な思想を持った人がいたけど、情報発信するツールが圧倒的に少なく、被害があまり大きくはなかった。
時代が変わり、オタクが社会のメイン層になり、情報発信が多角的で、安易なこの世界で、私の考えは古いのだろう。それでも自分が愛した物の正当性を広めるために他者を傷つけ陥れるのは、反社と何が違うのだろうか。
私は今でも原作のコナンが好きだし、赤安が好きだ。新蘭も好きだけどコ哀も好きだし、京園や平和はもちろん、Kコや平コ(新)も嗜むし、何だったらコ(新)平が好きまである。ジンバボだってバボベルだってジンベルだって、降志保どころか哀歩哀も大好きだ。
こんな民度の低い、ヤクザにも劣るような人たちの同族だと思われたくない。だから私は赤安を書かなくなった。
ただそれだけの話。
嬉しいライブ「文春は『木原誠二の奥さんの前夫変死事件』をやる気マンマン!新谷発行人がそう言った!」
https://www.youtube.com/watch?v=qiiBmQmVgk4
8:03
さてところで、私はね聞いたです刑事事件で訴えるけどもうそれはもう動いてる。
新谷さんですねまだ刑事事件の方は全く私に特に報告ありません(笑)。
さてそこでですね、(新谷が)考えてるのは他のメディアをどう動かすかということですね。
で、他のメディアを動かす方法としてはですね、一つそのジャニーズ方式であろうかみたいなことをねポロっと言ってました。
ジャニーズ方式というのはどういうことかというとですねいわゆる外国メディアですねこれを動かしていこうかなって感じですねつまり例えばジャニーズはですねあの記者会見なんとかうわさんですかね記者会見やってそれで外国向けに記者会見がありましたね。外国ベースよりねそれでBBCが動いてこれで世界的な問題になってそこから日本の目で動き出したということでこれをですね。いわゆる外国メディアにこれを知らせようと外国メディアを動かそうですよね外国メディアが多いたらこれねこれ外国語では飛びつく可能性あるんですよ。だって日本ねG7の国日本ですよ、この間、サミットが行われたその岸田総理を陰で動かしてるという噂もある官房副長官ですね、しかもいずれは日本の総理候補とも目されてるそれほどの大物です。
>>BBCドキュメンタリーは、ジャニー喜多川氏の「スキャンダル」報道でなにを浮き彫りにしたか
「J-POPの捕食者 ~秘められたスキャンダル」を見る #1
水島 宏明
子どもが「疑問を持ちにくくなり、性的要求を受け入れてしまう」
この番組制作に協力したNPO法人「ぱっぷす」の相談員・後藤稚菜さんは「(一度信頼した)そういう相手から性的なことを求められて、畳みかけられて、理詰めにされたら、やっぱり嫌われたくないとか、いままでの気遣ってくれた関係性とかもなくなってしまうのかと思うと、やっぱり断れなくなってしまう」と少女たちの心理を説明する。
実際にそうした性被害にあった女性Aさんに話を聞くと、中学2年だった14歳の時に「かわいい」などと容姿を褒めるメッセージが男性から頻繁に届き、「会いたい」と求めてきたという。実際に会うとカラオケボックスで同意なく性行為をさせられ、性暴力の被害を経験した。
Aさんは10年経った今も、この日のトラウマの幻覚や幻聴などに悩まされ続けて服薬している。だが「会いに行った自分が悪い」と自らを責めている。
「その相手の男性をものすごく憎んでいるとか、それを思ってしまったら、全部その人の悪意だったと思ってしまって、自分を否定してしまう気がして、全部犯罪って思いたくないと当時は思っていた」と行為を正当化しようとした心理を語る。
グルーミング被害に詳しい弁護士の川本瑞紀さんは、グルーミングによる性犯罪の手口の共通点として「みんなすごくやさしい」「受容的で」「無条件で肯定してくれる」「共感してくれる」と説明する。
https://bunshun.jp/articles/-/61969?page=3
まずグルーミングなど存在しない。それを言い出すと家族制度自体がグルーミングになるので、極左の狂ったイデオロギーにしかすぎません。弁護士とかいっているけど頭にアルミホイル巻いている連中です。
なぜこういう弁護士がいるのか。簡単にいうと金です。家族制度を壊す、異性関係を壊す、恋愛関係を壊す、そうやって儲けているわけです。マスコミ、弁護士、社会学者、全部金です。この記事に出ている連中は全員詐欺師で泥棒です。
sayu
@sayu_nt
ぱっぷすの元副理事長は北原みのり。北原はのりこえねっと共同代表でもありキボタネ(韓国慰安婦団体の日本支部)発起人で理事でもある。PENLIGHT賛同人に辛淑玉、太田啓子、フォロワーにアジュマブックスがいるのも納得
PENLIGHTも北原が立ち上 https://twitter.com/psacoiswhere/s
https://twitter.com/sayu_nt/status/1655845657792614402
このような非科学的なグルーミングというものを罪とか言い出すのは完全に頭がおかしい。
グルーミング自体が似非科学でしかない。そんな専門家は頭がおかしいか詐欺師か金のために嘘をいっているかにしか過ぎない。
まず実名で登場、
しかし新田は「ジャニーズ方式」と言っている。これはBBCに嘘を流したのは、ぱっぷすの国際顧問 キャロライン・ノーマを利用している。ということになる。
グルーミングも嘘をのために用いているに過ぎない。
ぱっぷすのキャロラインノーマはつい最近まで英語で草津町について虚偽の情報を英語で流しており、立場が悪くなると黙って消した。しかし嘘は通った。
草津についても外国人記者の会見を利用しており、極めて類似性が高い。今回の百田に対する発言から、新田はぱっぷすを利用していると判断される。
さらに言うと、週刊文春と発行人の新田哲史ははWBPCを利用している公金チューチュースキームの仲間なので、絶対に暇空茜を悪者に仕立て上げる機会を狙っている。
百田尚樹が暇空に近づいたのも、新田がさせたということだ。百田は新田には逆らえない。殉愛をもみ消したからね。
@s_hakase
百田尚樹の大ベストセラーかつ偽ノンフィクション『殉愛』(幻冬舎)の反証本『殉愛の真実』(宝島社)が数々のウソを暴き裁判に勝っても、幻冬舎側がマスコミを抑え、騒ぎ立てなかったら世間の記憶にも残らず、何も無かったことになる。その教訓から今回は自己犠牲になっても数々の目撃者を作りたい。
https://twitter.com/s_hakase/status/1495008814130921476
その覚悟があるならなぜ議員辞めるんや、というのはある。しかし、この判決と
2018年03月08日 やしきたかじん 宝島社 幻冬舎 殉愛の真実 百田尚樹
3月8日(木)13時15分から、家鋪さくらさんが宝島社を相手取って起こした損害賠償等請求事件の判決公判が開かれました。
判決は、
というものでした。
2015年2月23日、宝島社より「百田尚樹・殉愛の真実」が刊行されましたが、裁判所の判断は宝島社に非はないというものでした。(取材◎鈴木孔明)
https://tablo.jp/case/news002985.html
『殉愛』をめぐる係争
2014年、『殉愛』によって名誉毀損やプライバシー侵害をされたとして、やしきたかじんの長女が、出版元の幻冬舎に、出版差し止めと1100万円の損害賠償などを求める訴えを東京地裁に起こした[45]。
2015年、百田のツイッターにおける発言が「人権侵害にあたる」として、やしきたかじんの長女が東京弁護士会に人権救済を申し立てた。申し立てによると、発言は、やしきたかじんの闘病生活を書いた百田の著作「殉愛」の発行差し止めなどを、長女が発行元の幻冬舎に求めた訴訟をめぐるもの。申し立てで長女側は、「発言は自分に対する脅迫であり、提訴に報復するとの宣言だ」としている[46]。
2016年7月、東京地方裁判所は、「百田氏のノートにはあいまいなメモしかない」と指摘し、長女に関する記述は「真実と認められない」として名誉毀損を認めた[47][48]。その上で、計6カ所の記述が名誉毀損やプライバシーの侵害にあたるとして、幻冬舎にやしきたかじんの長女へ330万円の支払いを命じた[47][48][49][50][51]。また、2017年2月1日に東京高等裁判所で行われた控訴審判決では、更に1か所について名誉毀損にあたる部分があるとして、一審より賠償額を増やし、幻冬舎に対して長女への365万円の支払いを命じた[52]。
2017年12月22日、最高裁判所は幻冬舎側の上告を受理しない決定を下し、これにより二審判決が確定した[53]。
たかじんの元マネジャーの男性が損害賠償を求めた訴訟で、2018年11月28日に東京地裁は百田と幻冬舎に計275万円の支払いを命じる判決を下した。
R5/01/10 【ゲスト:暇空 茜】百田尚樹・有本香のニュース生放送 あさ8時! 第33回 https://www.youtube.com/watch?v=86CT7bfexzc
R5/04/10いてまう宣言ライブ「暇空茜氏、WBPもやっつけると宣言」 https://www.youtube.com/watch?v=vLItZM64EkQ
R5/04/20わくわくライブ「桜ういろう、絶体絶命!最強男『暇空茜』氏が提訴!」 https://www.youtube.com/watch?v=g2K3qc7gcB8
百田尚樹は暇空茜を3回しかこすっていない。そしてジャニー喜多川をたたき始めたのが令和5年4月に入ってから。
つまり、文春の新谷にいわれて暇空を扱うのをやめている。そもそも言及が0になっている。
文春が木原を扱うのが小さいとか言っていたが、百田尚樹と週刊文春はそれ以上である。
なら暇空茜を扱っていないことも圧力があったということになる。
ジャニー喜多川はまず冤罪だ。都市伝説に過ぎない。最高裁の判決?そんなものはない。弁護士がそう解釈しているだけでしかない。なのでネット民は頭が悪い。
そして頭が悪いと簡単にマスコミに騙され、陰謀論に洗脳される。
まず、マスコミと弁護士の名誉棄損は金額が低すぎる。農業アイドルですら600万にしか過ぎない。全く合わない。すくなくともこの10倍は必要だろう。
「AIは権利侵害をしている」という前提が妄想でしかないので全て不成立
権利侵害画像を生成させたユーザーが権利侵害をしたというのではなく、AIツールについて「特定の操作をすれば著作権侵害画像を生成できるんだから権利侵害だ」と言えるなら当然そういう話になる
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/pc.watch.impress.co.jp/docs/news/1506018.html
AI擁護派は「AIは絵筆と同じで、人の手書き絵と同じように出力の類似性と依拠性だけで判断する」で納得して満足してるらしいけど
たとえばこれが絵筆じゃなくてスタンプだったらどうだ?
買ってきたスタンプをぽんと一度おしたら既存の絵の剽窃がでてきたとして、「スタンプはただの道具で罪はない。罪は使った人のもの」とはならんだろ
AI擁護派はAIは絵筆と同じだと思ってるみたいだけど、むしろスタンプの同類では?
スタンプなら印面を見ればすぐに剽窃とわかるけどAIはブラックボックスになってて出力してみないとわからない
「キャラクターのイメージを著しく損なう表現は行わないように」というガイドラインが策定されて以降、ウマ娘運営がGoogleに対してウマシコ絵を著作権侵害コンテンツとして申請し続けている事実を知っているだろうか。
少なくとも今日までに17回も申請しているっぽい。最近のだとこういうの。
「ウマ娘 プリティーダービー」は、株式会社Cygames(以下、当社)が著作権を有する、スマートフォン向けゲームやアニメーション等において展開しているメディアミックスコンテンツです。 下記URL中の画像は、「ウマ娘 プリティーダービー」のキャラクター画像を無許諾で複製、翻案、公衆送信しているものであることを目視確認しました。 下記URL中の画像は当該キャラクター画像に依拠して作成されていることは明らかで、当社の著作権を侵害していると判断するのに足りうる類似性を有しており、更には著作者人格権をも侵害しているものであると判断した為、この度の申請にいたりました。
実際具体的なURLを調べてみると、確かにアウトなものばかりで運営がちゃんと仕事をしていることがわかる。
しかし「これもアウトなのか?」と思う絵もあった。
例えば、この絵。
肌の露出は肩回りのみ。
運営がダメと言ったらどうあがいてもダメなので、これからウマ娘の絵を描こうと思っている人や今描いている人は気を付けたほうがいいと思う。
DMCA申請は、一度通るとGoogleの検索結果に表示されなくなるので。
ウマシコと認定される具体的な基準をまとめると次のようになると思う。
最近チキンレースしてるんのかってくらい際どい絵を描く人多いし、あんまりやりすぎると描けるもの無くなっていくから気を付けよう!
生成系AIイラスト周りの話は正直まともなコト言ってる人がほとんどいなくてうんざりしているし、だからもう当事者を応援する気も起きない。多分まともな人は、それこそ一部のヘイトを盛り上げたり筋の悪い話をばらまいて軽薄ないいねをもらって嬉しくなってる人間について迷惑だと思っているんだろうけど、そういうのも含めて近づきたくないムーブを観測することは多い界隈だからはっきり不愉快のほうが勝ってしまう。
例えばならず者のAI絵師が特定の作家の名前使って「〇〇風」とかやったとして、それってどこにどういう問題があるのか、ということについて説得力のある話を目にしたことはない。しかし例えば「作家の名前はブランドであり商標だから保護対象で他者が営利目的で利用してはならない」という主張は立ちそうとか、少し考えれば思いつく。
じゃあ次に「〇〇風」をタイトルから取っ払って純粋に作風が似ている作品を販売したときにどうかとなる。すでに模倣や盗用についての判例はあるので、それに照らせば大部分のものについてはオリジナルと認められるだろう。「でも明らかに絵柄が似ているし、この人の作品を学習しているAIだ」と来るだろう。で、じゃあそれのなにが問題なのか、という点を説明する必要がある。
絵柄が似ていることも、作品を学習することも、特に違法性はない。同じことを生身の人間がやったときのことを考えればわかりやすいだろう。「いやこれは人間じゃなくて機械がやっていることだから問題なのだ」とくるとする。ではまた機械であることの問題点はなにか、という話になる。
例えばそれは「コストの問題だ」とする。人間よりも圧倒的に短時間・低コストで学習・生成をしてしまうことが問題で、作家の仕事を奪ってしまう、と反論したとする。しかしてあらゆる産業が常にあらゆる技術によって変化し淘汰されている今の社会にあって、なぜイラストだけがコストパフォーマンスを無視して保護の対象となりうるのか。工業機械によって不要になった職人や、自動運転で不要になるドライバーと、何が違うのか。
そもそも人類の叡智がようやくたどり着いた技術について「低コスト」だなんて無理があるだろう。作家は自分の技術のために費やした時間や努力について触れ、だから作品には価値があるといったりする。ならば生成AIが今日の形に至るまでに積み上げられた人類の歩みにも少なく見積もって同じくらいの価値はあるだろう。
さてクリエイティブとは人間の特権なのか。人間が書いているから意味があって、そこに思いがあって、だから作品が生まれるのだ、それこそが価値なのだ。と、ヒューマニズムに訴えるとする。しかしその先に待っているのは集団的疑心暗鬼だ。「あいつは手で書いてると言っているがAIを使っているに違いない」なんてくだらない話が山程出てくるのは想像に容易い。
この筋を進めていけば、手書きは常に手書きであることの証明を要求されるようになり、一方で生成AIは幅を効かせていくので、純粋手書きはオーガニック野菜のような自己完結型の閉じた価値観の中で踊る道化と成り果てるだろう。
そもそもこれは絵柄の類似性とその模倣を見出すことができる例についてにのみ論じられている。人気作家の作風を真似るほうが儲かるから、結果的に作風が差別化されている人気作家の模倣が多いということだろうが。これは裏を返せば、作風に明確なスタイルや傾向がない、あるいは分かりづらい作品や作風については保護する必要はないと言っているに等しい。クリエイティブには優劣があり、できの悪いものについては知らない、となってしまえば掲げたヒューマニズムも一気に足元がおぼつかなくなってくる。
で、ここまでまともな話をしてやったとしても聞く耳を持たない奴らは大勢いるだろう。自分らが墓穴を掘っていることにも気づかずに、グラグラの足元を棚上げしてよくわからない、筋が悪いことを声高に叫んで、いくらかにしょーもない共感を集めて、それで満足してしまっている。
何も私は絵師憎しでこんないじわるを書いているわけじゃない。むしろこのテーマについて真剣に機械の人間の共存を議論し、方向性を模索するべきとさえ思っている。人間が創作をやり続けることには大いに意義があることで、それをなるべく大きな塊として残すのが重要だ。
だけどそれは当事者たちがこの問題に真剣に向き合ってくれればの話で、そうでなければ彼らを応援することもできない。
ただ私はなんとなくわかってしまった。彼らは決して作品や、創作活動や、産業について憂慮して声を上げているわけではない。ただ創作を通して居場所を見出し、創作活動と自分の作品を自分のアイデンティティのように大切にし、それは承認欲求や自己愛の形を取り、インターネットという道具で持って大いに、そして無意味に肥大化し、そしてそれが奪われるかもしれないということについてただ喚いているだけなのだ。
人間が未熟で動機が稚拙で知能が残念だから、自分の弱い心を手っ取り早く守るためのくだらない言葉しか出てこない。
そんなものに、誰が関心を寄せてくれるだろうか。
マッチングアプリでマッチした人にスペックの確認されて悲しかった元増田です。
これ
https://anond.hatelabo.jp/20230521010046
まだ言及されててびっくりしちゃった。
見れる範囲で言及を見ました。寄せられた代表的な疑問に答えたい。
Q 仕事で話しかけてきてる人のレベルをマッチング相手に要求するのはおかしいのでは?
A 例に出した程度の会話は普通の会話だと思ってた。異性の同僚や同期ともするような会話だし。
A 私なりに楽しんで欲しいと思って会話はしたよ。そんなの当たり前じゃん。わざわざ出かけてるんだから相手に楽しかったと思って帰って欲しいし、私も楽しかったと思って帰りたいと思っている。
リードしなって言われたりもするけど、会話ってどちらかが主導権を握るとか接待するとかじゃなくて、お互いが気を遣いあって成立するものだと思うんだけどなあ。でもこの意識が甘えてると捉える人もいるかもしれないってことは念頭におこうと思う。
A そうではないけど、公にしにくい具体的な会話しか思いつかなかったので書かなかった。
だって初対面じゃないんだから、公開できるような会話なんて無くない?
頑張って思い出したら「好きなのミュージシャンのライブのチケットが予想より当たりすぎてしまった」って教えてくれた、とかくらいが言える範囲かなあ。
A 例えば「写真かわいいですね!」とか「女性的な服装でかわいいと思いました!」とか、「こう言えば喜ぶんだろうな」ってことを面と向かって言ってくるのが苦手。これは美容部員さんの「肌綺麗ですね」に該当する。
Q そんな男性が身近にいるならなぜその人と付き合わないのか?
A それは本当にそう。
でも学生時代の友人は私以外の女の子と付き合ったり結婚したりしてるし、職場は小さな会社に入ったので気が引けるし、仕事の関係上知ってることも多いからちょっとなあ…となっている。
私は学生時代からの彼氏と別れてしまった。それについてもまた口汚い批判がつくとは思う。
でも伝えたいのは「学生時代の恋人探しはみんなガチったほうがいい」ってこと。ほんとに。
キャバやホストは行ったことないから分からない。分からないけど「キャバやホストみたいなコミュニケーションを求めてる」って批判に対しては多分それは流石にみんなそうなんじゃないかな?
それは恋愛じゃなくてもそう。
私はぶっちゃけると人事の仕事をしてるんだけど、営業とかじゃなく事務でも他の業種でも、フォローアップで入社後のケアとかすると職場に馴染んでモチベーションが高くいられる人って自分を知ってもらうのが上手いし他人を知るのが上手い人だと思う。
注意事項
・良いも悪いも包み隠さず書いています。特に欠点に関する指摘はボロカスに書いている部分もありますが悪しからず。
・プレイしていると比較的簡単に気付きはするものの、先に知ってしまうと探索の楽しみを半減させるネタバレが含まれます。
評者について
ゼルダ歴9年。クリア済み作品は神々のトライフォース、時のオカリナ、ムジュラの仮面、風のタクト、ふしぎのぼうし、夢幻の砂時計、トワイライトプリンセス、大地の汽笛、スカイウォードソード、ブレスオブザワイルド、夢を見る島(2019)、ティアーズオブザキングダム。スピンオフ作品も加えればゼルダ無双HADX、厄災の黙示録。
後付け設定ではあるものの、公式の書籍にも掲載され、公式サイトでも大々的に紹介されていることを鑑み、物語の一貫性・整合性についてはゼルダ史を非常に重視します。
1. グラフィック
720p30fpsっていつの時代のゲームだよ。とはいえ、現代のゲーム機としてはあまりにも性能が低いSwitchでこの規模のゲームを作るとなれば致し方ないか。
AMDのFSRという超解像技術を採用することにより、低スペックながら美麗なグラフィックとフレームレートの安定を実現と謳われていたが…
・近景ではあまり気にならないものの、遠景ではちらつきが目立つ
・全体的に処理落ちが多くフレームレートが極端に落ちる場所が目立つ(1か所や2か所ではない、ほぼ全域にわたって)
これ、絶対に逆効果にしかなっていないよね。さらに次の理由も併せて、画面を見ているだけでも非常に疲れる。
・デザイン上仕方のない面はあるものの、瘴気など赤色系統のものが多く、画面全体が赤く目が痛くなることもしばしば。
祠や鳥望台をはじめ、視認性の悪すぎるデザインも多い。加えてムービー中の字幕の見づらさもひどい。アクセシビリティガイドラインに完全に違反している。美術・映像スタッフは一体何をやっていたんだと言いたくなるレベルで出来が悪い。
絵そのものの出来はいいのだが、結局上で上げた欠点があまりにも大きいので評価としては10点満点で1点といったところか。
2. UI
前作BotWのUIをほとんどそのまま引き継いだ感じのUIという印象。インベントリがいっぱいの状態で宝箱を開けたときに、その場で手持ちとの入れ替えができるようになったのは純粋に前作から改善されていた点だろう。もっとも、「入念にテストを重ねた」のであればすぐに気づくであろうこの欠点をBotWの時点できちんとしたものにできていなかったのは、UI設計班もテストを行った人間もプレイヤーサイドの快適性をまるで考えていなかったことの証左であり、「できていて当たり前のことができるようになった」だけのこの改善自体はプラス評価には値しない。
スクラビルドの追加により、矢の先端にいろいろな素材を付けられるようになった。これは面白い試みであるが、問題はどの素材を付けるか選ぶのに、いちいち探しにくい。おそらく100はあるであろう矢に付けられる素材を検索するのに、なぜカテゴライズもろくにされていない上に左右移動で1個ずつしか動かせないクソみたいなメニューから検索せねばならないのか。テスターは一体何をテストしてフィードバックしたのか。ソート機能があるとはいえ、あまりにも快適性がおろそかである。
矢のスクラビルド機能を十字上ボタンに割り当てた結果、前作をプレイしているプレイヤーにとっては、シーカーアイテムに相当するゾナウ能力の切り替えとの操作の一貫性の破綻がストレスとなる。シリーズ物でしかも同じハードで出されている以上、タイトル間における操作体系の一貫性は常に注意を払うべきであり、本質的に同じ機能は常に同じ操作に割り当てられなければならない。
評価は文句なしの0点。評価できる要素がない。UI設計班はシロートの集まりなのか?
3. 操作面
良くも悪くもBotW。このゲームが悪いというわけではないのだが、スティック押し込みという悪しき操作法を考えたやつは磔獄門になるべき。ただでさえ低コストのために耐久性が犠牲にされて飛躍的にドリフトしやすくなった、現代のアナログスティックという可動部品に対して、さらに製品寿命を縮める押し込み機能を追加するのは正気の沙汰ではない。誤操作の原因とかどうとかいう以前に単なる計画的陳腐化であり、それに何の疑問も呈さず受け入れている業界も本当にふざけている。
話題が逸れたが、1本指操作に対してジャンプボタンとダッシュボタンが離れているのはストレスでしかない。Yが攻撃、Bがダッシュなのであればジャンプ機能を割り当てるべきボタンはRかZR、あるいは1本指操作にこだわるのであればAボタン(これは実際にはやや使いづらい)である。まあ、TotKでここを変えると上に書いた操作の一貫性に矛盾するのだが。
カメラが非常に使い物にならない。制約も多かったが64ゼルダのほうがまともなカメラである。注目(注目できない)とかもはやいらない。ないほうがいいレベル。
カメラ距離もやたら近かったり、ややアオリ気味のカメラアングルかと思いきや急に変な角度になってみたり、何を映したいのか伝わってこない上に、何を映すべきなのかが分かっていない。
はっきり言って風のタクトのカメラの完成度が高すぎるゆえに最近の3Dゲーのカメラの劣化が余計に目立つ。まともなカメラプログラマーはいないのか。視覚情報が非常に重要なゲームにおいてカメラの性能はゲーム体験の品質を左右する非常に重要な部分であり、絶対に妥協してはならない部分である。特に、普段あまりゲームを触ってこなかったライト層に訴求するにあたり、制作者の自己満足でしかないやたら複雑な操作や、やたら見づらいカメラは、単に本質的でないくだららない理由でゲームのハードルを上げているだけであることにいつになったら気付くのか。
評価は文句なしの0点。操作の快適性はゲーム体験の根本であり、そこが犠牲にされてしまっていてはどんなに面白いゲームもクソゲーまっしぐらである。
4. マップ
使いまわし。これ自体が悪いとは思わない。BotWの時のような新鮮味はないが、(ほとんど)同じマップでなければならないというのも頷ける。
地底と空島が追加されたが、PVなどで比較的アピールされていた割には空島はおまけミニゲームのための追加マップ程度でしかないという印象。もっとも、空に大量の島が浮いていたら空は暗く汚いのでこれは仕方のないことなのだろう。量が少ないといって不満を言うほうが間違っていると思う。その分内容を濃くしてほしかった。
地底マップは実は地上マップの高低を反転しただけのものということに気付いてしまえば、良くも悪くも地上マップを使って探索ができてしまう。個人的にはこれ自体が謎解きだととらえたが、人によってはただの手抜きと取られても仕方がないだろう。破魔の根の位置が地上で祠のある位置と完全に一致していることも、気づいてしまえば探索をするうえで道しるべとなる。地上と地下が完全にLinkしているというのは、デザインとして優れていると思う。
完全に新しいマップを期待していた人には肩透かしだったかもしれないが、評価は7点くらいかな。
5. ストーリー
作品単体としてみても、シリーズとしてみても、あまりにも整合性が取れておらず破綻している。過去作の設定をあまりにも軽視しすぎ。
・初代ハイラル国王が「ゾナウ族の」ラウル???ハイラル王国は神に選ばれしハイリア人の国ではなかったか?
・天から地に降りたゾナウと地上のハイリア人が手を取り合って国を興したと描かれてはいるが、それに対する動機づけが一切なされていない。これまでの設定を変える(公式の言葉を借りれば「新しい史料が発掘された」)のであれば、相応に納得できる理由づけが欲しい。
・初代国王がガノンドロフを封印したのはいいが、ではBotWやTotKよりも過去の時代である、例えば時のオカリナやトワイライトプリンセスなどの時代のガノンドロフは一体何者?ガノンドロフは、4剣+は例外として、それ以外は一貫して同一人物ではなかったのか?そもそもガノンドロフが初めて現れたのは時のオカリナの時代である。「名前だけ同じ別人が時の勇者の時代以降何度も蘇っては滅ぼそうとし、そのたびに封印していましたが、本当の諸悪の根源は別の(初代国王が封印した)ガノンドロフです」とでもいうのか?もしそうであるならば、完全に過去作のストーリーを無に帰す最悪な話である。
・(初代)ガノンドロフがラウル治世下のハイラルを攻め滅ぼそうとしたことについても動機づけがない。王に服従するふりを見せて寝返るのは時のオカリナと同じ展開であるが、決定的に違うのは時のオカリナにおける彼はそうする動機がきちんと説明されていたことである。何の説明もなく「家臣の一人が唐突に魔王となって王国を乗っ取り滅ぼそうとしました」と言われても「ああそうですか」としかならず、そこに納得感は生まれない。
・ガノンドロフがソニアの持つ時の秘石を奪い、闇の秘石に作り変えてしまっているが、それならばなぜ現在のゼルダは、ガノンドロフの手中にあり既に存在しないはずのソニアの時の秘石を受け継げているのか。そもそも過去にワープしたゼルダと当時のソニアがなぜ同時に時の秘石を持っているのか。初歩的なタイムパラドックスだし、この描写が正しいのであればゼルダが持っているのはレプリカかなんかですか?ご都合主義も甚だしい。
・秘石を飲むことにより竜へと転生し、悠久の命を得るが、代償として自我を失い二度と人へは戻れないとされた禁術。砕け散ったマスターソードをゼルダの持つ聖なる力によって長時間かけて修復し、現代へと伝えるために彼女はその禁術を使ったが、なぜか最後は人に戻ってハッピーエンド。散々不可逆性を煽っておいてこの終わり方は何なんだ。戻れてしまうなら禁術でも何でもない。もしも例外的な事例であるのであれば、それを慎重に理由付けしなければならず(「姫を連れて帰ってくるようにと言われているから」は理由にならない)、それもないままハッピーエンドにされても単なるご都合主義であり、納得感もなければ感動もない。
過去作への冒涜と整合性もなければ納得も感動もできない表層だけのストーリーのどこを評価しようというのか。0点を通り越してマイナス100点。
6. バランス面・その他
・プレイヤーの発想次第で好きなようにプレイできることがオープンワールドの良さであるにもかかわらず、いちいち攻略ルートを指定してくるような会話・イベントが多すぎる。そのうえそのルートから意図的に外れると、理不尽を通り越した仕打ちを受けることになる。これではオープンワールドにした意味がない。
・大妖精の開放イベントは、前提イベントとしてシロツメ新聞社のイベントを受注していることが条件となる。オープンワールドの意味をぶち壊す誘導に従ってプレイしないことを選ぶと、そもそもこのイベントを受注しないまま大妖精を見つけてしまい、解放イベントが発生しないのでいつまでたっても服を強化できないことになる。しかもこの前提イベントと大妖精解放イベントとの関連性がなく、前提イベントの存在に気付けても何が前提なのか全く手掛かりがない。
・いちいち敵の攻撃が重い。これは前作からの問題。ろくに装備が整わないうちは、大体すべての攻撃が即死級であり、実質ただのオワタ式ゼルダでしかない。そこに防具強化のために大妖精を訪れても、イベントさえ発生しないので強化できないという余計にストレスな状況に陥る可能性すらある。そして強化もろくにできない状況ではハートを1個2個増やしたところで焼け石に水であり、状況はさして変わらないのでハートを増やす動機さえ発生しない。
・スクラビルドとウルトラハンドの機能の類似性から、これらを分ける必要性がない。そもそもスクラビルドは武器や盾に対して使うものであるから、武器を構えているときにウルトラハンドを使えばスクラビルド機能になる程度でよかっただろう。
・いちいちロードが長い。ただでさえオワタ式でリトライ回数が増加しがちなうえに、広大なフィールドをワープしつつ探索するとなるとロードの長さはストレスでしかない。加えて、馬で走っているだけでもしばしばロード待ちの停止が挟まる。本当にテストしたんですか?
・敵のHP・攻撃力に対して武器が総じて弱い。これはある程度進めてしまうと強い武器が売るほど手に入って戦闘の難易度が極端に低下してしまう前作の問題点を、弱い武器と強い強化素材をスクラビルドすることで強い武器を現地調達させることにより解決を図ったものと理解している。これにより戦闘に適度な緊張感が持続することになり、この点は特に悪い印象は持たなかった。一方で弓は瘴気によって蝕まれていないために元から強いのがバランスが悪い。矢をスクラビルドしてしまうと、どんなにいい素材でも使い捨てになってしまうためだと思われるが、結局は遠距離からヘッショし続けるのが一番楽な戦闘法になってしまった感は否めない。
・前作では地形ギミックなどを活用して、ある意味ズルく戦ってズルく勝つことができたが、そういった敵配置はかなり削減されている。スクラビルドを半ば強制するような戦闘になってしまうのは、結局プレイヤーの選択肢を奪っていることになる上に、いやでも接近戦が増えるためにオワタ式ゼルダの問題点がより強調される。
・全体的に6年かけた割にはバランス調整がいい加減すぎる。
・無駄に精密な操作を要求される場所が多い。そもそも謎解きですらない、どれだけうまく操作できるかチャレンジでしかないような祠もある。これは前作も同じ。
・そもそもゼルダのゲーム体験のキモは謎解きであり、アクションはそのおまけでしかない。やたらとアクションを強要されるようになった前作も含め、本質が変容しているように感じる。「アタリマエを見直す」とは「本質を破壊する」ではないはずだ。アクションをやらせたいのであればマリオで十分である。そういった部分でそりが合わないので余計にストレスを感じてしまうのだろう。
つまびらかに見ていくと、決して100点とはいいがたいゲームである。巷の評価が軒並み100点なのは一種の気持ち悪さすら感じるし、100だらけのレビューにいったい何の意味があるだろうか?欠点から目をそらしているだけのレビューはレビューではないし、これだけの擁護不可能な欠点をすべて覆すほどの魅力があるとは思えない。私はかなりに辛口に評価をしている自覚はあるが、それでも軒並み100というのには非常に強い違和感を覚える。
特に画像生成についてアホみたいな曲解とかあからさまなミスリード記事が出回っているので、文化庁が実際に出している見解を置いておく
https://www.shugiintv.go.jp/jp/index.php?ex=VL&deli_id=54604&media_type=
要約すると、
・AIモデルから生成されたデータについては通常の著作物と同様に著作権侵害の判断がなされる。
・まずこの著作権制度の基本を理解してもらえるよう周知に務める。
以上
以下私見
「通常の著作物と同様に著作権侵害の判断がなされる」というのが非常に重要。
というか、その点が異なるという謎解釈を繰り出してくるのが「AI通したって言えばパクり放題だぜヒャッハー!」する加害側じゃなくて「AI通せば何でもセーフにされてしまう!」と叫ぶ被害側というのは想定外だったんじゃないか?
そりゃあ、意味が分からないだろう。「権利者が本気で権利侵害だと思うなら、個別具体的に訴え出ればいい」という基準で著作権侵害の親告罪化を拒否した本邦の創作界隈が、突如として真逆のことを言い出しているのだから。
が、細かく見ていくと何が起きているかは分かる。
まず前提が食い違っていて、反AI絵師が「権利」と称していたのは法で定められた著作権者の権利やその運用実態ベースの話ではなく、お絵かき因習ムラ独自の基準を守らせることだ。
食い違いが問題になった点を具体的に挙げると、例えば「権利」の侵害になるかどうかについて、最終出力物そのものの類似性ではなく「トレス等の手抜きパクリ行為を行ったかどうか」を非常に重要視している。
言い方を変えると「最終出力物が類似していてもトレスしていないのでセーフ。類似性は同程度でも手抜きのトレスなのでアウト」という基準である。他にも「愛」「オマージュ」等のジャーゴンによって、おおむね絵がお上手な方ほどセーフ範囲が広がる運用がされている。
権利侵害を行う側がコピー機一発で終わらせようが苦労を重ねて超絶技巧を駆使しようが、権利を侵害しているという点で何一つ差がない。そんな当たり前のことを全く理解できなくなっている。
こんな訳の分からない基準がまかり通っていたせいで、真っ当に遵法意識のある業界がロビーしてがっちり法整備した上で繰り出される画像生成AIという新しい道具にぶつかってパニックとヒステリーに陥っている。
「トレスではないから」という実際の著作権とはかけ離れた独自のセーフラインを何故か法的な権利だと思い込んでいたせいで「類似はしているが事実としてトレスではない」i2i粘着なども対処不可能だと勝手に思い込んでしまっている。
「どんな手順と道具を使っていようが最終的に出してきたものの類似性だけで判断される」というごく当たり前の基準でいれば、i2i粘着など粛々と訴えれば済む話だったのだ。
AlphaFoldが昔は2年かけて決定してた構造解析を数分に短縮ってやつ
まあ結局のところ実験は行って、MolecularReplacementとかRefinementに使うだけだから、実際圧縮できるのは(2年かかったものがあったとして)数か月分くらいじゃないかな。適当だけど。
それが世界中で起きたから数兆円くらいはインパクトがあったと思うよ。
加えて予測構造からSBDDももしかしたら出来るかな、という感じで、それでどうなるかというと金があまりないベンチャーが新薬開発できるかもねみたいな。
あとはFoldの類似性からFunctionの予測をしたりとかなんとかあるけどそれこそ「何の役に立つんですか?」ってレイヤーなのでその辺の実用性は不明。海のものとも山のものともつかない。論文にはなるけどね。寄生虫タンパク質のDrugTarget分子を見つけたりできそうだけど報告は聞かない。
ネットの評判を鵜呑みにして某大人気映画を見に行ったら趣味が合わなくてたいへんひどい目にあった、インターネット上で無責任におすすめしてきた奴らふざけんな、という旨の note が大バズりしてますね。
記事に対するネットの反応の大半は呆れとか嘲笑とかもっとシンプルに罵倒とか、まあおおむね炎上と言って良い様相のようです。
ただこれ、単純に繊細なバカがバカなこと言ってるからバカにしてやろう、で済むような話とも思えないんですよね。
当該 note での著者の主張の核は要するに、「私が傷ついたのはネットで当該映画の宣伝をしてたお前らの責任だ」というものです(以下、当該 note から一部抜粋)。
そういう方に聞きたいのですが、こういう、RRRを観るべきでない人間が避けられるような形での宣伝をしましたか。
...
「全人類観るべき」「とりあえず騙されたと思って観に行ってくれ」みたいなことをツイートしたあなたに対して私は怒っています。
「いや別に映画見るように強要されたわけでもなくて、最終的に映画見る判断したのはあなたじゃん…」とか、「いや合わない映画だと判断したらその時点で退出すればよくない…?」などなど、映画をおすすめしてきた人に責任負わそうとするのは無理筋だろとツッコミたくなる気持ちはわかるし実際そういうツッコミをしてる人がインターネット上にも散見されるんですが、ちょっと待ってください、最近似たような論争がはてなで盛り上がってませんでしたっけ。
そうです、皆さん大好き「こども家庭庁ポスター」論争ですね。(当該ポスターは結局無関係なイラストレータの作品と類似性があると指摘されて取り下げとかいうなんだか気の抜けるような決着がついてしまいましたが。)
例のポスターについての論争では、「特に強要されたわけでもなく、ただセックスを持ちかけてきただけの人を性暴力で告発するのは無理があるんじゃない…?」とか、「相手と合わない、不快だと感じたらその時点で相手から距離を取ればいいだけの話で、暴力や権力による強要でも無い限り性暴力扱いするのは無理筋でしょ…?」みたいな主張はおおむねセカンドレイパー、家父長制主義者のミソジニスト、性加害擁護者のたわ言として否定的に扱われていたと記憶しています。
私個人の考えとしてはあのポスターを支持する人が現在の世間の大半を占めているならあのポスターの主張が今後の社会のスタンダードになるのはそれはまあ当然のなりゆきだよね、ぐらいなものなのですが、それと同時にあのポスターを支持しつつ某noteの主張を棄却するのは結構無理筋じゃないかと思えてしまうんですよね。
こども家庭庁の「若年層の性暴力被害予防月間」啓発ポスター問題。
内閣府 啓発用ポスター ほかの作品と類似で使用取りやめ | NHK
最初に問題視されたのが類似性についてだったのか何なのかわからないが表現について色々言われていたのは知っている。
弟は幼い頃から人とコミュニケーションをとるのが苦手で学校時代はいじめからの不登校も経験した。
その弟が大人になってからマッチングアプリをやりたいと言い出し自分はゲイだと告白した。
父も母も私も驚いたが友達もいない彼にもしうまくいって親友やパートナーができたらいいなと彼の将来を考えて皆反対しなかった。
意志が弱く流されやすい弟が相手に何か強要されたときに拒絶できるだろうか。
飲み物にこっそりドラッグを入れるような卑劣な行為を注意力のない彼が見抜けるだろうか。
行政のポスターといえば必ず老若男女取り揃えて多方面に配慮した表現をするのになぜ男性被害者を描かなかったのだろう。
下のほうには「年齢・性別を問わず相談できます」とあるがそれなら尚更なぜ?と思う。
(「性暴力をなくそう」というワードで検索を促す表示があるのでGoogle検索したらトップに出てきたのはこども家庭庁の去年の「女性に対する暴力をなくす運動」で脱力してしまった…)
このようなポスターは啓発であり当事者に気づきを与えるためにあるものだと思う。
その当事者というのはポスターの男女を見て自分に置き換えて考えられるような想像力に乏しい人…知的ボーダーや弟のような発達障害者である可能性も高いのではないだろうか。
ちなみに弟は体が小さく細くて本当に力がない。
たとえゲイでなく異性愛者だったとしても女性→男性の性暴力被害に遭う可能性も十分ある。
性暴力は女性にとって身近な問題だが、改めて誰でも被害者になる可能性がある問題だということを忘れないでほしい。
ポスターはこの機会に多様な人間に届くような表現に修正されることを願う。
※取り下げが決まったので内容を一部直した。
朝のドラマの関係で毎朝のようにTwitterで話題になるということから牧野富太郎博士についてしらべてしまった。その関係で池長という牧野の援助者が神戸出身であることもしった。
その息子さんってのが池長潤さんで、この人は元大司教。神戸出身で大司教ってことは・・・とおもって、しらべたら、やはり中学高校の先輩だった。同窓会からの情報については時々
目を通しているが、この大司教さんのことについては知らなかった。OBといえば、(中途退学だが)有名なコメディアンが関係者にいて、その人のインパクトが凄すぎるのだ!!
すこしまえ、妻子を同窓会につれていった。KOの付属中学出身の親戚がいるらしく類似性を指摘していた。お坊ちゃま学校のOBってどこでもそんな感じなのかな。そんな感想をのこしていた。