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はてなキーワード: 羞恥とは

2019-10-11

anond:20191011060411

同じ性癖を持っています

昔は、いくつかのそういう系のサイトをよく見ていました。自分は、動画よりテキストのほうが興奮しますね。妙齢女性のおもらしは羞恥の極みだと思います

結構簡単検索で見つけた気がするのですが、最近はヒットしなくなっているのでしょうか。

2019-09-13

[]野外で合法的全裸になりたかったので、オーストリア混浴してきた

【初めに】

 コピーミスで一節が抜けていた。申し訳ない。【】で囲まれた部分が追記である

【本文】

 服を着るのが苦手だ。できることなら裸で生活したい。

 ビジネスホテルに泊まるときは大抵全裸だし、男女関係なく素っ裸で過ごしたら、さぞ気持ちがいいだろう。

 そんなことを呟こうものなら、不審者扱いされるのは目に見えている。挙句の果てに、公共の場で脱ぎだして陰部を露出する不審者予備軍と誤解され、警察のお世話になるかもしれない。

 だが、よく考えてほしい。ああした人たちは、自分全裸特に陰部を見てほしいのであって、裸になりたいのとは少し違う。それに、皆様も思うことはないだろうか。たとえば大浴場に浸かったときの安らぎ。もしもそれが露天風呂だったらなおのこと心が緩み、湯の中に嫌なことが溶けていく思いがしないだろうか。

 目の前にどこまでも緑が、あるいは紅葉が広がっていたら。あるいは、絶えることのないとどろきを繰り返す海洋が広がっていたのなら。これほどまでに自由を感じつつ、大いなる存在に受け止められている安心感を覚える場所はないはずだ。何も身にまとうことなく立っていると、海風が全身をそっと撫でていき、普段どれほど重いものを身にまとってきたかを、嫌でも意識させられる。

 とはいえ、男女混浴可能場所国内でも限られている。ましてや、近年は混浴マナーの低下が甚だしく、混浴を取りやめてしま地域も多いと聞く。ある意味では仕方がないのかもしれない。混浴誕生した時代とは、私たち羞恥心感覚も変わってしまった。

 そういうわけで、私は混浴文化がまだ息づいている、ウィーンにまで足を運んだのである。概して、ドイツオーストリアを含む中東欧の人々は裸体に対するタブーが弱く、混浴についても寛容なである。緯度が高いので、全身で太陽を浴びたいのだろうか。冬になると日照量不足で気分が落ち込む私としては、その気持ちはよくわかる気がした。

 もっとも、私は全裸になるためだけにオーストリアに飛ぶような酔狂人間ではない。

 私は建築美術にも関心があり、この旅行の主目的は、クリムトシーレ、ココシュカといった人々の作品を鑑賞することであった。なので、脱衣はどちらかといえば、時間が空いたときのおまけである

 日本と同じで、月曜日には休業の美術館が多い。なので、月曜日にそうした巨大温泉施設に向かった。ウィーン中心街からおおよそ三十分ほどのオーバラー駅前の、テルメ・ウィーンと呼ばれるところである

 駅を出ると目の前に巨大な建物があり、そこからは既に硫黄香りがしている。そうしたところは我が国温泉とよく似ており、妙な安心感がある。片言のドイツ語で入場料を払い、タオルレンタルを済ませ、ロッカーに向かった。

 ロッカーのカギは電子式で、かざすと自動的に開閉されるというものだ。慣れるまでに時間がかかったが、すぐに便利だとわかった。荷物を持ったままガチャガチャと回すのは大変だからだ。ちなみに、このロッカールームの時点ですでに混浴で、男性女性関係なく着替えている。もちろん、慎み深い人のために個室の更衣室もあるのだが、別料金だ。

 ちなみに、温泉施設ではあるがすべて全裸で過ごすわけではなく、全裸なのは奥のサウナコーナーのみである。そのために私は一応水着を持参しており、ついでに防水のバッグも持ってきた。

 まずは、せっかくなので水着エリア温泉を楽しむ。とはいえ水着エリア温水プール同然であり、浸かっているとあたたかいが出て風に当たるとすぐに水着が冷えてしまうといった代物である。せいぜい人肌程度であり、温まるには不足である

 これはときどき指摘されることだけれど、日本人の湯加減の好みは、ヨーロッパの人々のそれよりもかなり高いらしい。ハンガリー温泉大国で知られているが、やはりそこも湯加減はぬるい。ただ、その程度の温度でなければ、ガイドブックで見かけるように、湯につかりながらのんびりとチェスの対局をやるわけにもいかないだろう。

 他にも、子供立ち入り禁止エリアというのがあり、ムーディーな照明と共に、カップル夫婦がぷかぷかと浮かびながら語らっているコーナーがあった。ここも温水プールほとんど温まらない。日本温水プールみたいに、塩素臭くないのはありがたいのだが、やはり汗をかかないと物足りなく感じてしまう。

 そうしたわけで、水着エリアを堪能した後に移動しようとしたのだが、サウナエリアがどこかわからない。あちこちうろつきまわり、子供に泳ぎを教えているらしい人やスタッフと思しき人物に、「ヴォー・イストサウナ?」(サウナはどこですか?)などとつたないドイツ語で尋ね歩くうちに、やっとのことでたどり着いた。

 なお、このゲートの先は別料金であり、鍵をタッチして入る。清算は帰りだ。そして、注意書きにはドイツ語と英語で「この先水着の着用を禁じる」と書かれている。なんとも徹底していることだ。私は軽快な電子音と共にその奥へと進んだ。

 サウナコーナーは、それほど変わった印象はなかった。ただ、見かける男性が皆素っ裸なので、私も水着を脱いだ。それほどの羞恥を感じなかったのは、一つには周囲には男性しかいなかったからだろう。それに、ここでは全裸が正装なのだ。だったら、むしろ何か着ている方が恥ずかしいのではないか。そんなことを思ったのである

 サウナ入り口には温度が書かれており、四十五度、五十度、六十度、それから九十度に分かれている。ひとまず五十度のところに入ると、既に老夫婦がくつろいでいた。ここで初めて裸の女性と遭遇した。

 二人は、私の存在を気にかける様子もなく、くつろいだ様子だった。私も、確かに目の前に女性がいるのだなあ、ということは考えたのだが、気にしてもしょうがなかったので、ぼんやり天井を眺めることにした。男性で前を隠している人はほとんどいなかったので、自分もそれに倣ったのだけれど、個人的には気持ちが良かった。世間体を気にせずにリラックスした姿でいるのは、何とも言えず心地よい。

 ちなみにその老夫婦のいたサウナでは、腰かけるところがチェアベッドのようになっており、仰向けにくつろげるような形になっていた。うとうとしているといつの間にか隣に座った男性が、ペーパーバックで何やら読んでいる。お風呂ではなくてサウナ読書、贅沢この上ない時間だ(もっとも、後で注意書きを見たら、サウナの中の読書禁止、と書かれていたのだが)。

 しばらくして、サウナを出てシャワーを浴び、他の温度のところを回ったり、冷水プールに体を浸したりした。日本温泉露天風呂がメインで、サウナ複数あるところは珍しい気がするが、ここでは様々なタイプサウナがあり、存分に楽しめた。

 たとえば、スチームサウナというのがあり、ここでは猛烈な蒸気で包まれる。汗が蒸発しないのでなかなかにつらいし、持っていたタオルもすぐにびしょ濡れになってしまうのだが、熱風がきつくないので、肌には優しい気がした。眼鏡をかけていると、何が何だかからなくなってしまうのだが。

 ちなみにこの眼鏡裸眼で転ばないように、日本サウナ用の眼鏡をわざわざ購入したものである

【ところで、このサウナコーナーには、外がある。サウナなので当然素っ裸で歩くのだが、これが気持ちがいいことこの上ない。芝生の上を歩けば、まるで熱帯民族になったようで愉快だ。そして、歩いた先には小屋があるのだが、そこもまたサウナである

 そこでは、おおよそ温度は九十度で、定期的にスイッチオンオフになる。オンになると、そこにはタオル一枚のおじさんがやってきて、香りのする水を炉に撒く。そして、巨大なタオルサウナの人々に熱風を浴びせるのである

 それがまた非常に心地よい。異様な高温のはずで、現に乳首が痛いほどなのだが、それでも不思議と生きている実感が与えられるというか、幸福感と高揚感が感じられる。それは他の人々も同じなのだろう。おじさんのパフォーマンスが終わると、一斉に歓声と拍手がする。ロウリュウ、と呼ばれるものに近いのだろう。

 そのあとも、おじさんは一人一人に熱風を送る。そのたびにあおがれた人々は嬉しそうだ。私も、「ゼア・グート。アバー・ゼア・ハイス」(とても気持ちがいいですが、とても暑いです)と、定冠詞活用無茶苦茶ドイツ語で応じた。すると隣のおじさんがあおがれたときに「カルトカルト」(寒い寒い)などというものから、思わずその場は笑いに包まれた。

 私に向かって風を送るときに、両手を合わせてお辞儀をしてくれた。たぶんタイかどこかと間違えているのだろうが、悪意よりも親しみを感じたので、こちらも会釈した。腰かけるところが熱すぎて胡坐をかいていたので、仏像か何かと勘違いしたのかもしれない。

 その後、全身をほてらせながら野外にある二十五メートルほどのプールで体を冷やした。何往復か泳いでから、仰向けになって曇り空を眺めているうちに、これほどの幸せなはないだろうな、と感じられた。何のしがらみもなく、何の規制もなく、ただ存在するだけ。過度な欲望もなく、競うこともなく、誰から干渉されない時間だけそこにあった。

 それに、水着を身につけずに泳ぐと体を締め付けるものが何もなくて、全身を区別せずに流れていく水が本当に心を自由にしてくれる。それに、誰もお互いの裸をじろじろ見たり気にしたりしないのも、気持ちが良かった。あたたかな無関心というか、あるがままの姿を受け入れてもらっている感覚になるのだ。

 人間身体のどこに猥褻なところがあるのだろう、表現規制は何のためにあるのか、などと大げさな議論が頭の中に形を取ろうとしたが、そうしたもの普段日の当たらない陰部に太陽が差す気持ちよさに溶けてしまった。

 そうしたわけで、私は結局三時間以上もそこで過ごすことになった。】

 さて、三時間過ごしたので、そこではいろんな人を見ることができた。もちろん、凝視したわけではないけれど、それでも混浴に来るオーストリア人にはいくつかのパターンが認められた。

 その一、スポーツマンタイプものすごい筋肉量で、アスリートか何かのようだ。これだけ鍛えていれば、自分身体に恥ずかしいところなど、どこにもないと言わんばかりだ。ギリシアローマ彫刻そっくりであるスポーツマン同士で何やら楽しげに話していることが多い。

 その二、力士タイプ。非常にでっぷりとした肥満体系のおじさん。人からどう見られているかそんなに気にしていない印象。こちらも堂々と歩いており、楽しそうにしている。

 その三、老夫婦。なんというか日本混浴にもいそうな、のんびりした雰囲気ときどき湯船の中で抱き合ったり、ほっぺたにキスしたりしている。ちなみに、注意書きには「キス以上のことはしちゃダメ!」「十六歳未満の入場禁止!」と書かれている。

 その四、比較若いカップル、あるいは若い男女。よくわからないのだけれど、「みんなで渡れば怖くない」的な感じで一緒に来たのかもしれない。

 ちなみに日本人は私だけだった。それから一人だけアフリカ系の人がいた。それ以外はみんなヨーロッパ系。

 で、こうして振り返ってみると、比較若い人が多い。それでも、私はあまり気にならなかった。というのも、前も言った通りここは全裸が正装なのであり、それについてとやかく言うほうが変だ。確かに、きれいで魅力的な人もいたし、中には私の好みの人もいたのだが、雑踏ですれ違う以上の感慨はなかったし、わざわざ振り返ることもなかった。

 混浴について、猥褻だとか下品だとかい意見があるが、私はまったくそう思ない。そもそも、ここは風呂サウナであり、いい湯だな、以外の感想はない。たぶん、混浴について批判的な人は、マナーの悪い人と一緒になってしまったのか、そもそも風呂がそこまで好きではないか、なのではないか。人様のことだから勝手判断差し控えるが。

 というか、見えそうで見えない極小ビキニなんかよりも、素っ裸の方がよっぽど上品な気はする。潔いし。隠すから下品だとか猥褻だとか言われるんじゃなかろうか。みんな最初からすっぽんぽんだったら、誰も気にしないだろうし。隠せば隠すほど、そこに注意が向くし、逆説的にそこに注目してくれと言っているようなものな気がする。

 それと、全然関係ないけど、女性でも腋毛もじゃもじゃの人は多いのは面白い。話には聞いていたが、実際に目にするとやはり興味深い。陰部がどうなっているかはじろじろ見なかったからわからないけれど、向こうの人は剃っているとはよく聞く。ただ、そんなことも温泉気持ちいいのでどうでもよい。

 そういうわけで、私はオーストリア混浴を十分に楽しんできた。予想していた通り、とても気持ちが良かった。日本にも類似したサービスがあればいいのに、と思ったが、マナー一定の水準に保つことは難しいだろう。きっと、ナンパしたりじろじろ見たりする行為が横行するに違いない。一度絶えてしまった、混浴文化を再びメジャーにするのは、難しいだろう。

 プールサイドで裸のまま横になり、夢うつつのまま時間が過ぎていく経験は非常に贅沢だった。しかし、これは今の温泉文化とは、少し違うかもしれない。

 個人的には、自分がやりたいことをやったので、満足している部分はある。今後どうするかはわからない。恋人がいないときだったので、とりあえず全裸になってはみたのだが、もしも今後も恋人が見つからず、行きたい場所が思いつかなかったら、どこか別の国でヌーディストビーチに行くかもしれない。それか、趣向を変えて、全裸ハイキングか全裸マラソンかに挑戦するかもしれない。

 もっとも、この混浴体験ですっかり気が済んでしまい、数年後には興味すら持たなくなっている可能性もある。それはわからない。

 ただ、やりたいことをやってみて、それなりに面白かった。それで十分なのかもしれない。

 皆様の快適な全裸ライフの参考になれば幸いである。

 最後に、脱いではいけないところで脱ぐのは絶対にやめましょう。これだけは強調しておく。

最後に】

 本記事カクヨムにも掲載されている。私が投稿者本人であることは、カクヨムでは連載中であり、現時点でも未公開になっている部分が含まれていることが証拠になる。

【付記】

 ヌードバイクみたいな、ヌーディスト活動経験者の増田は、ほかにもいらっしゃるのだろうか。あるいは、ヌーディズムに関心がある、だけでも潜在的にはどれほどいるのだろう?

アクセス

 地下鉄U1の終点、Oberlaa駅

2019-09-02

叱られすぎると反省できないよね(叱り方戦略について)

昔、そこそこ仲の良かった男子結構くだらない事でめちゃくちゃ叱られてグレてしまった

グレたと言っても、自習時間に机をドンドコしたり、補習をサボってバッセンに行く程度だったけど、まあうちの学校ではグレてる部類だった

彼はそのうち課題を出さなくなり、その事で他の先生にもしょっちゅう叱られるようになり、余計態度を硬化させる負のスパイラルに陥って

もともと下がっていた成績もガタ落ち、結局3浪して消息不明になった。f欄に行ったという噂も聞いたが、謎だ。

彼を叱った先生とついこの間お話しした際に、彼についての話も出たのだが、「怒りすぎちゃったなあ」と後悔していた。他にも彼の没落の原因はあったのだろうが、アレがキッカケになったのは確かだった

宿題やったの!?」「今やろうと思ってたのに!」みたいなの、大人になってもずーっとあるよね。あんまり叱られすぎると反感や怒りが先行してしまって、なかなか自分省みることが出来なくなる

叱られて伸びないタイプの人は、やんわりと諭してあげるのが一番良いのだと思うが、叱る側に立つと結構難しい

「叱る」とはどうあるべきなのだろう

鬼の生活指導に叱られて、不登校になってしまった女の子中学時代いたが、彼女にとっての「叱られる」は、しょっちゅう叱られている剽軽男子にとっての「叱られる」とは同じ叱られ具合でも全く違うものだったろう

クラスメイトの前で「ちゃんとやれよ!」と一言言う事だっておとなしく真面目な子と活発で不真面目な子とでは受け取り方が全く違う

前者の場合先生にみんなの前で怒られた」という羞恥を引き起こす、精神的苦痛は絶大だ

本人のタイプに合わせて指導法をきめ細かく変えてやるのが一番人を伸ばす叱り方だと思うが、「人によって叱り方が違う」というのは集団不公平感を生む

教室のような閉じた、それでいて壁のないオープン集団の中で人によって態度を変えながら叱るのは難しい

そう考えると、何か悪いことをした子はそっと別室に連れて行き叱るのが適切なようにも思える

しかし、自分自身小学校のころよく知らない先生と二人きりの教室で隣に座って密着されながら委員会資料作成をさせられたのは軽くトラウマなのでそれはそれで問題があるように思う

一対一での指導、は多分ロリコン教師欲情させるシュチュエーションになってしまうし、閉鎖的な空間上下関係が残るのも監獄実験のような状態になって「叱りすぎ」を誘発しそうだ

職員室で叱るという手もあるが、他の先生の前で叱られるというのも精神的な負荷が大きいだろう(忘れ物が酷くて何度やられたことか)

保健室で「厳しい担任先生」と話をそばで聞くだけの「優しい保健室先生」という二対一のお説教が思いつく限り一番良いように思う

仕事量を考えると養護教諭ではなく、昼休みだけ来る外部カウンセラー数人で回すのが風通しが良く現実的な形になるだろう

これが家庭の場合「厳しいお母さん」と「優しいお父さん」のような役回りでの叱り方になるのだろう

しかし、甘やかすだけ甘やかす父(母)に子供がなつき、損な役回りをさせられる母(父)の言う事を子供がきかなくなる、というようなケースも聞くので、適宜「厳しい」と「優しい」は交換しながらやっていく必要がある筈だ

「叱る」一つの手前でも、どちらがどちらの役割をするのか話し合う必要があるのはやや面倒だが、子供の糧になる「叱る」のためにはそのぐらいの手間は必要ではないだろうか

職場で叱るケースでも、教育係を一人に一任せず「直属の厳しい教育係」と「見守る優しい先輩」というロールで叱ってみるのも一つの手なのではないだろうか

我々は普段から「叱る」と「怒る」を混同し、ただ感情を発露させるだけの行為を目下の相手にしてしまう事が多いが、効率的に人を成長させるためには「叱る戦略」をきちんと考えて叱るべきだ

個人的に、教育現場における「叱る=怒鳴る」は論外である。怒鳴る事によって相手を萎縮させ、内省させる間も与えない行動が反省を促すとは到底思えない。

生徒、部下の立場は怒鳴られても怒鳴り返すことの出来ない立場である。おずおずと返答をしても「言い訳をするな」と一蹴される恐れがある。怒鳴る行動は対話の機会を奪うのだ。

勿論、いじめや命を落としかねない悪ふざけには少なからず「怒鳴る」のコマンド必要かもしれない。事の重大さに気づかずヘラヘラ対話による説教を聞き流すような生徒もいる。なぜ「怒鳴る」が必要になるのだろうか。この場合「怒鳴る」はどのような効果を発揮しているのだろうか。

主観的かつブラッシュアップの足りない考えではあるが、一つの仮説がある。「怒鳴るとは上下関係をわからせる手段ではないか」という仮説だ。そもそも動物としての観点で見ると大声とは威嚇の手段の一つである動物のように大声を上げることで、相手を威嚇し、上下関係再確認させるのだ。プラスして、感情をあえて大袈裟表現することで「自分真剣だ」と伝える意味もあるだろう。(しか演者時点が自身の演技に呑まれ可能性はかの有名な監獄実験で示されている通りであるので、十分な精神力と慎重さが求められるだろう)

社会動物である我々は猿山の猿のように、狼の群れのように序列に弱い。だから不真面目な相手を前にした場合、この「怒鳴る」という行為はある程度有効なのだろう。怒鳴るは相手の「話を聞く真剣さ」を+5するというようなコマンドなのかもしれない。

人間感情は複雑なように見えて案外単純だ。悲しい時に怒る、傷ついた時に傷つける、というような行動も一見ブラックボックスを抜け出たものに見えるが、案外類型的なものである。それはピンボールの玉がピンに当たって跳ね返りながら、最終的にはいくつかの穴に収束していくのに似ている。無限可能性を持ちながらも、個々のピンでの跳ね返り方はある程度の予測がつく。我々の行動自体が、大したパターンを持たないからこそ、我々は相手気持ちを思いやり、共感できるのだ。

宿題やったの!?」という言葉子供時代私たちにもたらしてきた感情は「後ろめたさ」「反省」「反感」である。この感情パターン類型的だからこそ、私たちに「先に言われるとやる気なくすよね〜」という共感をもてる。

というように、人間感情がある程度パターンとして把握できる以上「叱る」のマニュアル化可能ではないだろうか。

「優しく諭す」というコマンド相手の「真剣さ」には効果が薄いかわりに「反感」の数値はあまりあげない。だが「真剣さ」の数値が低いと「反省」には至れない。

「怒鳴る」というコマンドは逆に「真剣さ」には絶大な効果を持つ、が、「反感」のポイントを高めてしまう。「反感」の数値が一定を超すと「反省」への道は閉ざされる。

前述の優しい医者と怖い医者戦略も、数値化で説明してみよう。怖い医者は「真剣さ」「内省を促す」方面に強いキャラクターであり、優しい医者は「反感」という感情共感し、怒りを和らげ「落ち着き」を取り戻させるヒーラーのような役割キャラクターである

「叱る方と叱られる方」という絶対的上下関係に、そのどちらでもない第三者を加える事で、叱り手の感情暴走を抑えるとともに、第三者による「共感」で叱られる側の精神負担を減らし、自分省みる余裕を与える。

無論、感情の数値の動き方には個人差があるので、叱り手は自分コマンド相手にどんな影響をどの程度与えるのかを考えながら叱り具合を調節していく必要がある。 と言っても、その個人差もある程度はパターンに当てはまるように思う。不真面目だが誠実な子、真面目だが反抗的な子、結局は要素の集合体である。実際に「元気な子(そして剽軽悪戯っ子)」「明るい子(そして優しくてポジティブな子)」「大人しい子(繊細で真面目な子)」という安易パターン化はあらゆる人間関係において常に行われている※。タイプに応じてコマンド駆使の仕方のマニュアルがあれば、どんなボンクラでも効果的な「叱る」ができるだろう。

※これには幾らか問題がある。私のように「大人しい子(割合図太く不真面目で陰険な子)」という相反するイメージの要素を持つ人間は取りこぼされる。そして不理解大人失望し私は余計陰険になった。教室のような大人数を把握すべき空間では、雑なラベリングが横行して、かえって正確な人格の把握の障害となるかもしれない。ここにもいくつかの心理検査を用いた人格パターン化による把握が必要かもしれない。

このように数値化して考える方法を主張すると必ず人の心が通っていない、愛がないという人が現れる、が、なんの考えもなしに相手の叱られた後の情動予測せずに感情をぶちまける事の方がよっぽど動物的で、「人の脳味噌」という回路を通わない非効率不合理なくだらぬ行動だと私は思うのだが。

(だいたい愛の鞭なんて言うが、恐怖政治よりインセンティブによる動機付けの方が効果がある事なんかもう数十年前から言われているのだからいい加減卒業してほしい。)

叱る、は上手くいけばとてもポジティブ効果を発揮する。しかし下手にやればかえって人から反省の機会を奪う。説教正論気持ちが良すぎるので、叱り手側は容易に権力を振りかざす楽しさに呑まれしまう。だから、叱る前に一呼吸置いて、叱る戦略を立ててみるのはどうだろう。戦略という言葉大袈裟かもしれない。叱る前に叱られた相手気持ちを考える、それだけの事だ。

人材育成教育現場、家庭での指導法においては、「叱り方マニュアル」の作成も試みとして楽しそうだ。心理テストで振り分けられた生徒や人材ごとに診断チャート作成し、それを参考に叱り方戦略を立てる。大規模に実験調査結果を取り続ければ有効性を立証できるかもしれない。最終的にはAIが掛けるべき言葉演算し、叱り手という演者がそれに従うようなディストピア教育が出来上がるかもしれない。AIの愛のない教育、は痛烈にこき下ろされそうだが、「データを集め、型に当てはめ、パターン化された指導をする」という一連の行動は学習行動として常日頃個々人が行なっている事であるし、そこに統計処理がより得意なAIを解すのはそれほど不自然でないように思う。

教育者には当たり外れが多すぎる。一生涯呪い殺したいようなクソもいれば、人生の節目のたびにあって感謝の意を述べたくなるような聖者もいる。マニュアルさえあればどんなクソにも一定ラインを超えた指導ができるようになる筈なのに……!と思うと悔しいばかりだ。しかし、こうなると今度は「マニュアル一辺倒の叱り方」という批判が生まれてくるだろうか。教師マニュアル依存、なんてニュース流れるようになるのも嫌な話である。優しい医者と怖い医者も何も知らずに信じ込めるとステキ装置ではあるが、そんなプログラムだと言われてしまうと薄っぺらさにがっかりしてしまう。マニュアル化した叱り方は叱られる側に不信感をもたらす逆効果となるかもしれない。うーん、難しい(そこまで進んだ未来だと生徒もプログラムが組まれたのをわかった上で乗れるほど慣れるかもしれない、AIカウンセリラーを利用したマインドセット人生の基本になるのだ!←楽しそう)

まあ、今のところは感情的に怒る前に、相手情動予測しながら諭してあげるというのがいいと提案してみることにします。つまるところは思い遣り。プラスして、叱るときは座って目線を合わせるっていうのも提唱してみる。叱り手側も怒りをセーブやすいし、叱られ側も対等な立場での対話であると感じやすい、と思うから。(座って足組んでる奴から立たされて叱られるのも、立った状態で目の合わない相手を見上げながら叱られるかもつまらないもの。)それと、誰かが厳しく叱られていたら、優しい第三者として「反感」や「落ち込み」に共感してあげたりね。まあ普通のことです。しか実践はクソムズイ。人生手強いね

(思い出話あるあるを書こうと思っていたのに、思いのほか筆が乗って長文増田になってしまった。noteにでも貼るべきだったかな、図解しながら書き直したくなってきた。ところで、25件を無限リロード中の増田様方には大変ご迷惑をおかけします、すまない。途中送信しちゃっただけなので再投稿の甘えではないんだよ!)

2019-08-27

anond:20190827113410

「正当な理由なく、人を著しく羞恥させ、又は人に不安を覚えさせるような行為として、公共の場所又は公共の乗物において、衣服その他の身に着ける物の上から又は直接に人の身体に触れること」に当てはまらなければOKやな

2019-08-07

私の一生

私は子供の頃から記憶力が良かった。初めての記憶は一歳の頃で新しい家を見て期待に胸を膨らませていたものだった。

新しい家は何もかもが新しくとても興奮したのを覚えている。

ところが、この記憶力がのちに私を悩ませることになるのだった。

私が8歳の頃、兄が私のベットに入ってくるようになった。そして私の体を舐め回すのだ。私はこれはおかしいと感じてはいたが、なにしろ私は母親に愛された記憶がないのだ。とても親に言えることはできなかった。父親母親に逆らうことはできないようだった。そんな父は何の助けにもならないのは明らかであった。

私はそれから毎日、兄の虐待を耐えるしかなかった。それは私が中学になるまで続く事になる。私は小学六年生の頃に生理が始まり性教育も受け、どうしたら子供ができるかもわかるようになった。

その頃兄の虐待エスカレートし、もはや子供ができても何らおかしくないものとなっていた。

はいざとなれば都会に出て子供おろしてもらうしかないだろうと思い悩んでいた。この時の孤独感は今でも忘れることができない。

私のできる抵抗と言えば、ジャージを履いてその紐をきつく締める事ぐらいであった。

やがてその事は突然父親に知られる事となった。私はやっと解放されたのだ。

この時の気持ちは何ともぼんやりしたものだった。ただただ、あぁ終わったのだなと言う思いしかなかった。

散々夜中に目が覚めて知らないふりをするだとか、私の毛布に精液が付着しているのをもう我慢する必要はなくなったのだと思ったのだった。

から謝罪される事はなかった。それはやはり私の勘が正しかったのだ。私は誰にも顧みられる事のない子供であったのだった。

それからは何もなかったかのような日常が続いた。私は普通を装い普通高校へと進学した。

私が高校3年の頃に制服を盗まれると言う事が起きた。私は困って母親制服を盗まれた旨を伝えたのだが、母親は「へぇ」と言っただけで何もする事はなかった。

仕方なく皆が冬服で登校する中一人夏服で登校する羽目になった。その時の羞恥は今でも忘れられない。私は制服を盗まれた上に親に放置されていると言う事を宣伝して歩いている気分だった。普通なら怒られる様な事態なのに先生も何も言わない。どこかから聞いたのかもしれない、関わるのが面倒くさかったのだろう。誰も何も言わない。私はまたしても顧みられる事のない子供となった。

しばらくして私を不憫に思った同級生が私に制服をくれるまで私は夏服で登校し続けた。

2019-06-25

風俗嬢引退プレイに付き合ったら大を漏らした

去年からお世話になっているエステ嬢が引退すると聞いた。

テクニックは勿論、顔やスタイル性格に至るまで俺の理想とするオキニの嬢で、向こうもLINE交換提案してくれるほど仲良くしてくれてたので、卒業と聞いたときはかなり胸に来た。

でも、写メ日記よりも先に引退報告のメッセージを送ってくれたのは嬉しかった。

人妻なので、もう風俗業界に足を踏み入れることはないらしい。

「これで会うのが最後か」と思うと、俺は無性に寂しくなった。

どうせ最後なら何か思い出を作りたいと思い、オプションで初めて「撮影」をやってみることにした。

今思えばこれが間違いだった。

指名予約は滞りなく進み、なんとか店の最終時間ねじこんでもらえることになった。

プレイルームに足を踏み入れた瞬間に寂寥感を抱いた。夜中の静かな時間ということもあり、寂しさがこみあげてきてなんだか泣きそうになった。

向こうも少しくらいは寂しさを感じてくれているのか、「もう会えなくなるなんて寂しい」って3回は言ってくれたと思う。目が合うと自然キスしていた。

嬢は30代前半の人妻だけど、夫には風増で働いているとは伝えずに働いているらしい。

とても穏やかな性格だけど、指名するたび少しずつSっぽいところが見えてきて、そこが好きだった。

彼女の柔らかい身体に包まれながら唾液の交換・・・その様子も、スマホでしっかりと撮影しました。自撮り棒の脚立に固定してマッサージされている様子も撮影。運良く嬢の献身的な様子を沢山映すことが出来た。

引退プレイに沢山思い出を残せるよう、時間はじっくり遊べるよう指定した。全身をローションまみれにしてもらい、前立腺の刺激に取り掛かってもらった。

アナル舐めもしてあげよっか?」って聞かれたけど、最後キスもしたかったので遠慮した。

自分の尻の穴舐めた口とキスは流石に嫌だった。

つん這いになって肛門晒し、指を奥まで突っ込まれた。

まずは前立腺の前に、オーソドックス愛撫である指の出し抜き。興奮してると、これだけでドライオーガズムに達せそうな感じ。

美女肛門を責められる羞恥を堪能していたところ、違和感を覚えた。

便意を催してしまった。

最近アナルめにも慣れてきて、肛門を刺激された際の猛烈な便意も楽に耐えられるようになったハズなのに、その日に限ってどうしても我慢できない感じの便意だった。

さらに嬢が「浣腸プレイにしよっか?」と突然追い打ちをかけてきた。

流石に漏らしそうだったので最初は断った。でも便意に耐えながらの愛撫があまり気持ちよくなく、もったいない気持ちになったので後から頼んでみることにした。

予想通り、すぐに盛大な音を出して実が出てきた。

もちろん俺の排便の一部始終もきっちりスマホ撮影されている。

なぜか風俗嬢の引退プレイで俺が主演の浣腸プレイ動画撮影をしているシュールなことになった。

もうトラウマレベルで恥ずかしかった。

なんでオッケーしてしまったのか・・・浣腸されて直腸に液体の入った僕は、嬢の目の前で、盛大に放出してしまった。

しかもそれをガッツリ見られてしまった。

嬢も「こんな強烈な光景は初めて」と言って乾いた笑いを浮かべてたので、印象には残せたかもしれない。

とても有終の美とは言い難い、強烈な性体験だった。

2019-06-21

anond:20190621120422

羞恥で隠してるんじゃなくて、ぶつけたり傷がつくと、菌に感染やすくなるので

胸はともかく、内臓と同じような局部は隠すと思う。

という無粋な事はおいといて、水着というか普段着で水にはいればいいんじゃねえのその場合

普段着がどんなものかもしらんが

2019-06-20

これ読んだんだけど、

スマートロックに締め出され、東京で朝までスマホも財布もなしでサバイバルした話

https://www.gizmodo.jp/2019/06/smartlock-lock-out-goodby-gafam.html

全裸で外に締め出された記憶がよみがえった。

中学生当時ひとりで公園の茂みとかで全裸になって、絶対に人に見られてはいけないというスリルを楽しみながらそこに性的快感も見出すという、端的に言えば露出プレイ羞恥プレイ)にはまってたんだけど、ある日手近なマンションでそのプレイを試みた。

最上階より上の、閉鎖されていて出られない屋上への階段なら誰も来ないと思ってそこに制服など全て隠し、数フロア階段下りたりしてスリルをたのしんでいたけど、人気が無く余裕な感じになってきたので、さらなる刺激を求めて外階段非常階段)に出てみたら、非常階段への扉が外からは回らないオートロックになってて焦った。

この焦りこそ求めていた刺激ということはなく、完全に血の気が引いて性的興奮もなにもなくなったのが印象深い。

幸い管理人不在だったので誰にも見つかることなく無事にエレベータ最上階に戻った。20年位前のことなのでカメラはなかったはず。

フィクションです。

2019-06-19

山戸結希は最高

こんな種類の文章増田に投げるのは気が引けるしお呼びでない感が強いけど、どこに吐き出していいかからいか増田に投げさせてもらう。誰かに聞いてほしいけど、わたしのことを知ってる人に言うには恥ずかしい。

映画ホットギミック」を観た。浴びたといったほうがいい。

観ているあいだたびたび「最高」の文字が頭のなかを多数埋め尽くしサムズアップの絵文字がしたから泡みたいに湧き上がって消えていく。

1点注意があるとすれば山戸結希映画をみるとき映画をみるつもりではいけない。

これは山戸結希映画なのだ

前作の「溺れるナイフ」を観ていたのにわたしはこの3年で忘れかけていた。

なんなら溺れるナイフよりも映画として映画してないので注意が必要だ。

わたしはその感覚を思い出すまで、映像が始まりタイトルが出てくるまでの十数分(推定)を要したがタイトルが出てきて、さて本編というところでは完全に順応したのでとても楽しむことができた。

この感覚がなかなかなじまない人にはずっとピンとこない2時間なのかもしれない。

なのでこれは私個人の感想しかなく語彙力もないため他の人が読んでもなんの参考にもならないであろう文章だなと思う。

監督とほぼ同世代の、たぶんクラスタとしても似たような位置にいる、サブカル好きな女の視点から感想

画面を通して伝わってくる山戸結希の好きなものたちはわりとそのまま刺さる、そういう感じ。ていうかこういう文章を書いてる時点でだいたいお察し。

ちなみに試写でみて公開は来週なので内容についてはあんまり触れないようにする。

まずストーリーを追おうとしてはいけない。眺めているだけで勝手物語は進んでいくのだから理解をせずひたすらに受け止める。

そのストーリーを受け止めるに徹しているあいだに目の前にはこれでもか!!!というほど監督の「好き」が詰まっているであろう画面が繰り広げられていく。セリフの間に差しまれマンションの模様めいた外観、遠目の夜景、スチル写真セリフが流れているあいだもなんの関連性もなくどかどかと差しまれていく。(いや、関連性はあるのかもしれないが、そのときの私はすでに脳がトリップしており目の前の映像をみても「最高!!!」としか思えない知能指数しか持ち合わせていなかった。)分割され左右の色味が違う画面、乾いたコンクリートの質感、こだわったアングルトリミングされた画角、風になびく黒髪のボブヘア、大きめのパーカーから伸びる細い脚、揺れる視線

リアリティ」なんてものも求めてはいけない。こんなこと言うやついるか?なんて愚問だ。言うやつがいるかどうかではなくて「ここでこれを言わせる」。ここで、この声色で、このセリフが投げかけられる。意味が通っているのかなどではなく、コラージュのように、画面、セリフ、そして表情を次々と浴びていく。

これが映画に詳しくないわたしのなかで一番気持ちがいい山戸結希映画の観方だ。

ちなみに初っ端から少女漫画原作映画ダーッ!!!」的なセリフオンパレードで、これが20代も半ばを過ぎたわたしの心にはかなりきつい。おじさんたちは鼻で笑い飛ばすこともできるだろう。もしかしたら中高生ならもう少してらいなく受け入れられるのかもしれない。が、わたしはそのセリフにキャッキャする心を10年前にはそこいらに捨ててしまっていて、でもそれにキャッキャした心を持ち合わせている過去は確かにあるので、どこか浮足立つ気分と羞恥とのあいだでグラグラと揺さぶられる。「わたしのその過去を掘り起こさないで!」みたいなめちゃくちゃデリケートなところをくすぐられている気分になる。悪意があるわけでもなければ、感じるのも「不快感」というよりは「羞恥心」なので心のデリケートなところではあるけれど土足で踏みにじられているわけではなく、くすぐる。画面の中にいる主人公女の子をみていても似たようなことを感じる。こういう主人公女の子みたいに扱われてみたかったなという自分、そう思うのは恥ずかしいと思う自分。そうやってデリケートゾーンをもてあそばれているあいだにも画面はどんどんと切り替わる。美しい、かっこいい、かわいい。いつのまにかその心の深いところに隠していた感情がその美しい、かっこいい、かわいいで貫かれていく。

そこまでくると、「んなわけあるかよww」という気持ちが芽生えても「でも最高だからいい」でぶん殴って倒すことが可能になる。

そんでまず清水尋也最高って気持ちになる。声がいい、背が高くてスタイルがいい、眼鏡似合う、うざったい髪型似合う。「こういう前髪長い男好きな人、いるよねーww」うるせえ最高だ。

そんでそのあと板垣瑞生最高って気持ちになる。声色が甘い、目線が甘い、溶けたような顔がうまい少女漫画セリフが似合う。さっきの浮足立気持ち羞恥心とのあいだで一番グラグラしたのは板垣瑞生最高ゾーンときで完全に敗北して浮足立ちまくる。

ここまできて堀未央奈は最高って気持ちになる。めちゃくちゃかわいいしょっぱなからわりとかわいいではあったんだけど、不安げな顔と嬉しそうな笑顔で完全に俺が守るから!!!ってわたしのなかのイキリ男子が総立ちした。し、わたしのなかのJKがこの子みたいになりたいって叫んでた。

山戸結希は本当に女の子のための映像を撮るのがうまいのは、男の子が最高にかっこよくて美しくて、さっきから言うみたいにわたしがとうにそんな気持ち捨ててしまっていても何度でもゾンビみたいに蘇らせてくるだけの威力少女漫画の中の男に恋をする気持ちにさせる、ってのがまずあるんだけど、女の子が最高にかわいい瞬間の多幸感にあふれた映像、恋をする女の子女の子視点で画面に落とすのがめちゃくちゃにうまいところだと思う。

板垣瑞生最高と堀未央奈最高が交互に襲ってきた時点でわたしは完全に肩までホットギミックに浸かった。もうなんでもいい、最高だって手放しになっちゃった

そしてそんな気持ちのまま、思春期少女気持ちで、映画を観ているととうとう、

間宮祥太朗は最高、がやってくる。間宮祥太朗は本当に最高で、まずべらぼうに演技がうまいことが演技とかあんまりわかんないなーと思ってるドドド素人映画を観る趣味もそんなにきちんとないようなわたしにもわかるほど演技がうまい。胸がぎゅうぎゅうになって少女の私は完全に間宮祥太朗のことが好きになってしまう。目線、表情、声色。浮足立つようなしぐさやセリフも、間宮祥太朗の切実な感情が透けて見える演技で一気に温度を持つ。さっきリアリティを求めるなとは言ったけどあったらあったで最高の気持ちになってしまう。人ってゲンキンな生き物なので。求めてはいけないけど。

最後リミッターを外した山戸結希が怒涛の渦になって息をつく暇もない勢いで殴りかかってくるのだけどわたしはそれを観ながら本当に息が苦しかった。ぼっこぼこに殴られて勝手に涙が出てくるけど感動したとかそういうんじゃなくて、デリケートゾーン握られたままぼこぼこにされたら勝手に涙が出てくる仕様なのだ心臓もっと奥のほうにどかどかと全部に蛍光ペンひいてあります!そういうセリフだけ残しました!みたいな、日常生活の会話では絶対にないエモを毛糸にしてぐるぐるぐるぐると神経質に手のひらでもんだ塊みたいな言葉たちがどかどか投げ込まれて息が苦しくなるし涙が出てくる。クライマックスに向けての盛り上がりかとも思うけどなにか大きな謎が解き明かされたとか、思いがかなったとか、そういうことではなくて、頭の中「最高」で埋め尽くされたわたし頭蓋骨なかに最高が上塗りして、そして、最高…!で終わる。

初めてキスをしたとき気持ち、この子に今夜ついてったらどうなっちゃうんだろうというドキドキ、自分のことを求める人がいると身をもって知ったときの驚きと高揚感。忘れてたと思ってたけど私の中にまだあった。20代も後半で、アラサーといわれるわたしはもう若い女の子ではないけれど、ずっとずっと女の子でいられるような気持ちになる。

女の子ではなくなってしまいかけてから女の子のかわいさを身に染みてわかるようになって女子アイドルを好きになるなどしたので、女の子のかわいさをわかったうえで、また女の子になれるなんてそんなにうれしいことはない。

思春期女の子気持ちのままこんな感想文を書いてしまうし、推敲もしないまま、日本語もぐちゃぐちゃなまま、オンラインに投げる。

わたしはもう高校生でもないからこんなに自分に酔っているような文章は恥ずかしいと思っていたのに、どうしてもこうなってしまった。だって最高だから

山戸結希は最高だ

2019-06-02

天使 焦燥 関係 粘着質 羽 形而上 幽霊 屋上 薄紫 規範 妄想 屍体 女 無表情 残酷 迷走 陰核 夜 過去 驟雨 矢 憂苦 母親機会 意図的 破瓜 斜陽 無防備 脳髄 充実 無力感 果実 紅潮 神聖視 震動 無数 裸 花壇 懐疑 判断 舞台裏 悲傷 不意 免罪符次元 谷間 消極的 筆跡 刺激 黄金分割 幻覚 同等 慟哭 饒舌 望郷 下半身 肉塊 恍惚 否定 白墨 時間 淫液 支配 居心地脊髄 射精 変貌 御法神 緊張 視界 吐息細胞 苦痛 五官 断続的 証明 断片 逆撫 肉孔 孤独感 屹立 階段 保健室笑顔 給水塔 非道 快楽 我侭 近道 思春期 容赦 世界 気怠 猫 憧憬 休館日 淫猥 怪物 口腔 空 同化 圧力 感覚 網膜不思議 悲鳴 存在 弔問客 赤面 標本 無言 潤滑油 芳醇 自分 一瞥 凝視 液体 過信 雑木林 命運 陰鬱 神秘警報 放物線双眸 一筋 凶裂 突然 舌先 狭間 廊下 透過速度 秘肉 空虚 朦朧 天国 躊躇 煙草 錯覚 悲鳴 唯心的 収縮 自意識 忽然 不可能輪郭 彼岸 絞 無念 緋色 毛根 蠢 足早 脆弱 緩急 阿頼耶識 経緯 媚薬高潮 情事 性的衝動 違和感 構成 堕落 動悸 胸元教師 妖艶 複雑 子宮崩壊 硬直 整理 辟易 肉壷 発端 膨張 一抹 長髪 対峙 奥底 好奇心 警告 曖昧 払拭 偶像 人形 正反対柔肌 後悔 磁力線 重心 出血 不変 障害 役割 邪気 艶 窓際 凄絶 土埃 小水 焦点 符合 脚立 抵抗 拒否反応 維持 消毒 昼 必死勃起 蜜 金網 触発 混沌 丁寧 記憶 漆黒 満足感 激怒 抗議 汗 着席 飛沫 初恋 驚愕 眼鏡 白濁 益体 戦慄 相似形 特有 殴打 淫情生物学 逡巡 天然 理由 邪魔者 非才 縁石 悲願 努力 暴言 施設 尋常意味心 平静 隘路 裏手 肉 反射的 義務 渇望 肉感 気配没頭 自涜 皮肉 夕闇 津液 空白 様相 奇妙 卵 顕現 同居 溶解 不安 絶頂 才能 露呈 叙情陳腐 懸命 痙攣 粘膜 密集 安堵 接点華奢 分解 喉仏 自覚 水滴 歪曲 無情 沈黙 質感 橙 講釈 先端 素直 具象 高揚感 無駄 準備室 感心 残留 陽光 閲覧 司書 彷徨実習授業 夕刻 根拠 吐露 連日 相応 無彩色 悲哀 偏在 容易 耳元 焦慮 隙間 落第 狂熱 理性 源泉 出入口 清楚 積極的 搬入 消失盲信 慎重 苦悶 満喫 愉悦 軌跡 脳裏 悪意 恋人 贖罪 内臓 蔵書 一緒 羞恥 熱気 溜息 虚言 透明 不可思議 動揺 拒絶 間髪 柑橘乱暴 視線 接合部 供物 指定席 浄化 嗜虐心 単語 永遠 花心 境界線 解体理論武装 本棚 地獄 器官 呪詛 几帳面 縄尻 精神 翼蔽雑然 雰囲気 将来 畏怖 迷走 蹂躙 憎悪 懊悩 侮辱 如実 脳髄 下腹部 雛鳥 黒板 愁嘆 衝突 陶酔 中途半端 別離 痛覚 眩暈 子供 霧散狂騒 性交 言葉少女 さよならを教えて 天使 焦燥 関係 粘着質 羽 形而上 幽霊 屋上 薄紫 規範 妄想 屍体 女 無表情 残酷 迷走 陰核 夜 過去 驟雨 矢 憂苦 母親 機会 意図的破瓜 斜陽 無防備 脳髄 充実 無力感 果実 紅潮 神聖視 震動 無数 裸 花壇 懐疑 判断 舞台裏 悲傷 不意 免罪符 次元 谷間 消極的 筆跡刺激 黄金分割 幻覚 同等 慟哭 饒舌 望郷 下半身 肉塊 恍惚 否定 白墨 時間 淫液 支配 居心地 脊髄 射精 変貌御法神 緊張 視界 吐息細胞 苦痛 五官 断続的 証明 断片 逆撫 肉孔 孤独感 屹立 階段 保健室 笑顔 給水塔 非道 快楽 我侭 近道 思春期容赦 世界 気怠 猫 憧憬 休館日 淫猥 怪物 口腔 空 同化 圧力 感覚 網膜不思議 悲鳴 存在 弔問客 赤面 標本 無言 潤滑油 芳醇 自分 一瞥凝視 液体 過信 雑木林 命運 陰鬱 神秘警報 放物線 双眸 一筋 凶裂 突然 舌先 狭間 廊下 透過速度 秘肉 空虚 朦朧 天国 躊躇 煙草 錯覚悲鳴 唯心的 収縮 自意識 忽然 不可能 輪郭 彼岸 絞 無念 緋色 毛根 蠢 足早 脆弱 緩急 阿頼耶識 経緯 媚薬高潮 情事 性的衝動 違和感 構成 堕落 動悸 胸元 教師 妖艶 複雑 子宮崩壊 硬直 整理 辟易 肉壷 発端 膨張 一抹 長髪 対峙 奥底 好奇心警告 曖昧 払拭 偶像 人形 正反対 柔肌 後悔 磁力線 重心 出血 不変 障害 役割 邪気 艶 窓際 凄絶 土埃 小水 焦点 符合 脚立 抵抗 拒否反応維持 消毒 昼 必死 勃起 蜜 金網 触発 混沌 丁寧 記憶 漆黒 満足感 激怒 抗議 汗 着席 飛沫 初恋 驚愕 眼鏡 白濁 益体 戦慄 相似形 特有殴打 淫情 生物学 逡巡 天然 理由 邪魔者 非才 縁石 悲願 努力 暴言 施設 尋常意味心 平静 隘路 裏手 肉 反射的 義務 渇望 肉感 気配 没頭自涜 皮肉 夕闇 津液 空白 様相 奇妙 卵 顕現 同居 溶解 不安 絶頂 才能 露呈 叙情陳腐 懸命 痙攣 粘膜 密集 安堵 接点 華奢 分解 喉仏 自覚 水滴 歪曲 無情 沈黙 質感 橙 講釈 先端 素直 具象 高揚感 無駄 準備室 感心 残留陽光 閲覧 司書 彷徨 実習授業 夕刻 根拠 吐露 連日 相応 無彩色 悲哀 偏在 容易 耳元 焦慮 隙間 落第 狂熱 理性 源泉 出入口 清楚 積極的搬入 消失 盲信 慎重 苦悶 満喫 愉悦 軌跡 脳裏 悪意 恋人 贖罪 内臓 蔵書 一緒 羞恥 熱気 溜息 虚言 透明 不可思議 動揺 拒絶 間髪 柑橘 乱暴視線 接合部 供物 指定席 浄化 嗜虐心 単語 永遠 花心 境界線 解体理論武装 本棚 地獄 器官 呪詛 几帳面 縄尻 精神 翼蔽 雑然 雰囲気将来 畏怖 迷走 蹂躙 憎悪 懊悩 侮辱 如実 脳髄 下腹部 雛鳥 黒板 愁嘆 衝突 陶酔 中途半端 別離 痛覚 眩暈 子供 霧散 狂騒 性交 言葉少女 天使 焦燥 関係 粘着質 羽 形而上 幽霊 屋上 薄紫 規範 妄想 屍体 女 無表情 残酷 迷走 陰核 夜 過去 驟雨 矢 憂苦 母親 機会 意図的破瓜 斜陽 無防備 脳髄 充実 無力感 果実 紅潮 神聖視 震動 無数 裸 花壇 懐疑 判断 舞台裏 悲傷 不意 免罪符 次元 谷間 消極的 筆跡 刺激 黄金分割幻覚 同等 慟哭 饒舌 望郷 下半身 肉塊 恍惚 否定 白墨 時間 淫液 支配 居心地 脊髄 射精 変貌 御法神 緊張 視界 吐息細胞 苦痛 五官 断続的証明 断片 逆撫 肉孔 孤独感 屹立 階段 保健室 笑顔 給水塔 非道 快楽 我侭 近道 思春期 容赦 世界 気怠 猫 憧憬 休館日 淫猥 怪物 口腔 空 同化圧力 感覚 網膜不思議 悲鳴 存在 弔問客 赤面 標本 無言 潤滑油 芳醇 自分 一瞥 凝視 液体 過信 雑木林 命運 陰鬱 神秘警報 放物線 双眸 一筋凶裂 突然 舌先 狭間 廊下 透過速度 秘肉 空虚 朦朧 天国 躊躇 煙草 錯覚 悲鳴 唯心的 収縮 自意識 忽然 不可能 輪郭 彼岸 絞 無念 緋色 毛根 蠢 足早脆弱 緩急 阿頼耶識 経緯 媚薬高潮 情事 性的衝動 違和感 構成 堕落 動悸 胸元 教師 妖艶 複雑 子宮崩壊 硬直 整理 辟易 肉壷 発端 膨張 一抹長髪 対峙 奥底 好奇心 警告 曖昧 払拭 偶像 人形 正反対 柔肌 後悔 磁力線 重心 出血 不変 障害 役割 邪気 艶 窓際 凄絶 土埃 小水 焦点 符合 脚立抵抗 拒否反応 維持 消毒 昼 必死 勃起 蜜 金網 触発 混沌 丁寧 記憶 漆黒 満足感 激怒 抗議 汗 着席 飛沫 初恋 驚愕 眼鏡 白濁 益体 戦慄 相似形 特有殴打 淫情 生物学 逡巡 天然 理由 邪魔者 非才 縁石 悲願 努力 暴言 施設 尋常意味心 平静 隘路 裏手 肉 反射的 義務 渇望 肉感 気配 没頭 自涜 皮肉夕闇 津液 空白 様相 奇妙 卵 顕現 同居 溶解 不安 絶頂 才能 露呈 叙情陳腐 懸命 痙攣 粘膜 密集 安堵 接点 華奢 分解 喉仏 自覚 水滴 歪曲 無情 沈黙質感 橙 講釈 先端 素直 具象 高揚感 無駄 準備室 感心 残留 陽光 閲覧 司書 彷徨 実習授業 夕刻 根拠 吐露 連日 相応 無彩色 悲哀 偏在 容易 耳元 焦慮隙間 落第 狂熱 理性 源泉 出入口 清楚 積極的 搬入 消失 盲信 慎重 苦悶 満喫 愉悦 軌跡 脳裏 悪意 恋人 贖罪 内臓 蔵書 一緒 羞恥 熱気 溜息 虚言 透明不可思議 動揺 拒絶 間髪 柑橘 乱暴 視線 接合部 供物 指定席 浄化 嗜虐心 単語 永遠 花心 境界線 解体理論武装 本棚 地獄 器官 呪詛 几帳面 縄尻 精神翼蔽 雑然 雰囲気 将来 畏怖 迷走 蹂躙 憎悪 懊悩 侮辱 如実 脳髄 下腹部 雛鳥 黒板 愁嘆 衝突 陶酔 中途半端

2019-05-29

anond:20181128231115

おそらくお昼食べる友達がいないってのが大きな原因だと思う。この年頃の女の子にとっては大衆の前でウンコさせられるくらいの羞恥であり屈辱だよ。それが毎日。おそらく体育や家庭科作業なども一人なんじゃないかな。そりゃ結果的に鬱にもなる。ここを解決してあげないと学校は怖いままだと思う

まずは先生相談して、学校ソロ活できるよう配慮してもらえないか相談してみてほしい。休み時間保健室直行とか。奇異な目で見られるから本人にやる気がある場合だけ。んで三年だけ頑張って高校受験で別の高校へ。学校が怖いなら中学は自学で高校受験って手もある。鬱こじらせて勉学すらできなくなったら大学も厳しい。とにかく子供目線で考えてあげて

2019-05-17

女性に対してAEDを使うと痴漢として訴えられるリスクがどうという話

三十代後半の女です。

AEDを使うために女性の服を脱がせたら痴漢として訴えられる可能性が怖いから~という話題について、常識のある女性ならそんな訴えするわけないだろうと思います

不特定多数に半裸状態を見られたかもしれないことへのストレスはあるだろうけど、それは女性がぐっと飲み込むべきことだろうと私は思う)

こういう話題が出るのであれば、女性から全然気にしない!」と発言していくことは重要だと思います

私は全然気にしないです。

親より先には死にたくないから、私が倒れた時には絶対に使ってほしいです。

医療行為を受けるとき羞恥心というのも面倒くさいものだなと思っています

私は物心つく前にちょっと大きな病気をして、物心つき始める頃には完治したものの経過観察と後遺症治療のためにずっと通院&入院していました。

それで検査とか診察とかで上半身裸になることが小さなから多かったのですが、子供なので恥ずかしいみたいな気持ち全然なかったわけです。

でも、中学生にあがる前後くらいですかね。

気が付いたら自分上半身の形状が女性らしくなっていて、「この状態自分の胸は隠すのが普通なのでは?」とふと思ったのです。

見られることが恥ずかしいわけではなかったのですが(例えば上半身裸でレントゲン室に入るとかずっと普通にしてきたし)、

でも「この年頃で恥ずかしがらない自分は変なのでは?」と思って、私は人と違うことが怖い奴なので「恥ずかしがるふりをしないと!」という変な義務感?が芽生えて手で胸を隠すようになりました。

子供ながら担当先生ものすごい数の手術をこなしているのは知っていたから、「裸とか見慣れたものなんでしょうねえ」と思ってたし、全然気にしてなかったんですよ・・・

おばさんになってもそれが癖になって、人間ドックとかでも何となく恥ずかしい雰囲気を醸しながら検診を受けています

裸になる時間が短くなるように人間ドック職員の方が気を使ってくれますし、なんとなくそれに応えないといけないような気もしますし。

さっさとガバッと脱いできっちり検診してもらう方が効率的なのではなかろうかとは思いつつ、なんとなく恥ずかしい感じのリアクションをとる自分自身も面倒くさいですけど・・・

何が言いたいのかというと、羞恥というのは周囲の価値観とか雰囲気に引きずられる部分があるから、「AEDで服を脱がせるのは普通」という認識をみんなが明確に持つようになればいいなあということです。

ただ、AED使用の様子を傍観者の人がスマホ撮影とかは勘弁です。

ニュース映像として価値があるのかもしれないし(撮影当人は「人助けは大切!」みたいな啓蒙に使えるという善意である可能性もある)、私はAED使用されているところを人に見られるのは仕方ないと思えますけど、撮影はいやです。

例えば、手術映像学術的な目的撮影したいとか事前に交渉あるなら応じるべきか否かちゃんと考えますけど、知らない人のスマホやらクラウドやらの中に自分の半裸写真があるのはすごく気持ち悪く感じます。そんな映像が残っていたらAEDを使ってくださった方に迷惑をかける可能性もありますし。

人に半裸状態を見られて喜ぶ女性は少数だと思いますので、直接救助に関わらない人は見て見ぬふりで立ち去るのも優しさなのかなと思います

男性でも倒れているところを不必要にジロジロ見られるのが嫌だという人はいるでしょうしね。

2019-05-16

要は忍耐がないだけでしょ?

漫画を読めば何かしら不愉快表現の一つや二つはあるものだけど、

そこで「不愉快だなーつまんねー」で終わらせずに、

不愉快から絶対に目にしたくない」までいってしまっているのが現状。

処女厨」が非処女ヒロイン激怒してクレームを入れるのも、

「観察者羞恥」とか言って無能キャラの失敗を排除しようとするのも、

検索避け」が不十分だと学級会でつるしあげられるのも、

ぜんぶ繋がってる。

「私は嫌いなものを見たくない」というのが

おまえらには私が嫌いなものを私に見せない義務がある」になってしまっている。

フィクションに限らない。

はてブだと「特定サイトNGにしたい」と要望するヤツがやたら増えた。

広告やアフィは絶対に見たくない。

あのサイト検索結果に出るからGoogleは質が落ちた。

あのユーザーツイートが流れてくるからTwitterは使えない。

そんな文句ばっかりだ。

色々なサービスでなまじブロック機能実装されているか

その快楽に染まってしまって余計に忍耐が薄れているのだと思う。

完璧ブロッキング

あるいは完璧ゾーニングを求め、

それが出来ないと製作者を攻撃して表現をやめさせる。

不毛すぎるんだよ。

2019-05-09

anond:20190509104804

デメリットがあるからだよ。

・排便の快感が得られない

・排尿の快感が得られない

・漏らしちゃう系の羞恥プレイができない

こんなに大きなデメリットがある以上、食べない訳にはいかないだろ。

2019-04-19

昭和の大物漫画家ってフェチが明らかすぎるよな

手塚治虫はどう見ても人外っ娘好きだし

藤子F不二雄はどう見ても露出羞恥好きだし

横山光輝はどう見てもホモ

2019-04-16

羞恥プレイ

制汗剤のCM観てたJKの娘が

「そんなに脇のニオイが気になるなら、何でノースリーブで混んでる電車の吊り革につかまる?」

って言うんで、

「(羞恥プレイ的に)それがいいんじゃないか」

って返したら超絶ドン引かれた。

誤解だってば(誤解じゃない)

2019-03-04

anond:20190304165144

からオタクの側で、それを「常識的にありえない」って批判してるって話だよ

関連した他のいくつかのブコメで、「オタクだって批判してる、オタク責めるな」って言い逃れしてるから

これを批判するなら、のうりんだってダメだろって話してんだよ

茶々入れるだけなら喋るな(言論弾圧


乳袋+胸元をはだけて腕で強調+赤らんだ羞恥の表情の合わせ技ですら、表現の自由戦士は闘ったんだぞ

それが、水着が見えてる程度で「常識」とか「公」とか言い出しちゃってんだから

マジ嗤うって話だよ

ストパンセクハラ騒動の危うさ

セーラームーンギリギリ感でもセクハラにはならず

ガルパン水着ポスターセクハラにはならず

ゲンジツのスケート競技とかもセクハラにはならないのだから

少女スカート着用なし+水着が覗いているという「組み合わせの背徳感」でしかないんだよな

実際問題ストパンのあれは下着ではなくて水着なのだ

でも、ダメだっていうオタクは多くて、こんなのだめに決まってる、自衛隊は頭おかしいって言うんだよ

あれがポルノの訳はないが、自衛隊という公が使うのはだめに決まってると

常識的に考えてアウトだと


この論で行くと、のうりんとかアウトな気がするんだけれど、あっちはものすごい擁護が湧いたじゃん?

地元関係するアニメイベントなんだからアニメキャラ使うの当然とか

局部は見えていないとか

乳袋の何が淫猥なのかとか

胸の谷間がはだける程度普通とか

羞恥に見える表情は暑いだけとか

おじさんにはオタクの言ってることが理解できないよ

2019-03-03

anond:20190303115720

サードニクス騒動とか記憶にあたらしいのにな

胸を強調したポーズ羞恥に赤らんでるような表情の、どう考えても性的もの意図されたポスター

あれは違うだろ、どこが性的なんだと喚いていた表現の自由戦士

ストライクウィッチーズポスターでこれダメだろとか言い出すの

流石に嗤う

並べてみりゃどっちのポスター健全に見えるか

一目瞭然だよな

それこそお前らがいつも揶揄してる、お気持ち問題

2019-02-28

anond:20190228102305

そのビデオちょっと見た事あるけど、性行為羞恥が無いとすると、単に『部位が擦れて気持ちいい』くらいまで価値が下がってしまって、『痒い所を引っ掻くと気持ちがいい』のと変わらなくなっちゃうんだよね。それだと本当につまらいから、やっぱり女優さんとかは若干でも羞恥の演技を入れざるを得ない。矛盾があるよね。

2019-02-15

anond:20190215155235

でもそんなのいっぱいあるじゃん

詐欺だって、返すつもりだった、って言われりゃそれまでだし

食い逃げも、逃げるつもりで頼んでないとダメだし

著しく羞恥させる目的で、だっけ?そういうのもあったよね

犯罪要件意図を含むものって結構たくさんあるよ

それを証明できずにつめられりゃ冤罪になりやすいのはわかるけどさ

今回のこれだけに特別な話じゃなくない?

2019-02-14

anond:20190212104740

羞恥ことわざ集→http://petapen.mints.ne.jp/koi/koto_a.htm

「あぁん~喘げばこう責める」から、「んああぁっ~と言えばイったも同然」まで。クソつまらない

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