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2019-06-19

山戸結希は最高

こんな種類の文章増田に投げるのは気が引けるしお呼びでない感が強いけど、どこに吐き出していいかからいか増田に投げさせてもらう。誰かに聞いてほしいけど、わたしのことを知ってる人に言うには恥ずかしい。

映画ホットギミック」を観た。浴びたといったほうがいい。

観ているあいだたびたび「最高」の文字が頭のなかを多数埋め尽くしサムズアップの絵文字がしたから泡みたいに湧き上がって消えていく。

1点注意があるとすれば山戸結希映画をみるとき映画をみるつもりではいけない。

これは山戸結希映画なのだ

前作の「溺れるナイフ」を観ていたのにわたしはこの3年で忘れかけていた。

なんなら溺れるナイフよりも映画として映画してないので注意が必要だ。

わたしはその感覚を思い出すまで、映像が始まりタイトルが出てくるまでの十数分(推定)を要したがタイトルが出てきて、さて本編というところでは完全に順応したのでとても楽しむことができた。

この感覚がなかなかなじまない人にはずっとピンとこない2時間なのかもしれない。

なのでこれは私個人の感想しかなく語彙力もないため他の人が読んでもなんの参考にもならないであろう文章だなと思う。

監督とほぼ同世代の、たぶんクラスタとしても似たような位置にいる、サブカル好きな女の視点から感想

画面を通して伝わってくる山戸結希の好きなものたちはわりとそのまま刺さる、そういう感じ。ていうかこういう文章を書いてる時点でだいたいお察し。

ちなみに試写でみて公開は来週なので内容についてはあんまり触れないようにする。

まずストーリーを追おうとしてはいけない。眺めているだけで勝手物語は進んでいくのだから理解をせずひたすらに受け止める。

そのストーリーを受け止めるに徹しているあいだに目の前にはこれでもか!!!というほど監督の「好き」が詰まっているであろう画面が繰り広げられていく。セリフの間に差しまれマンションの模様めいた外観、遠目の夜景、スチル写真セリフが流れているあいだもなんの関連性もなくどかどかと差しまれていく。(いや、関連性はあるのかもしれないが、そのときの私はすでに脳がトリップしており目の前の映像をみても「最高!!!」としか思えない知能指数しか持ち合わせていなかった。)分割され左右の色味が違う画面、乾いたコンクリートの質感、こだわったアングルトリミングされた画角、風になびく黒髪のボブヘア、大きめのパーカーから伸びる細い脚、揺れる視線

リアリティ」なんてものも求めてはいけない。こんなこと言うやついるか?なんて愚問だ。言うやつがいるかどうかではなくて「ここでこれを言わせる」。ここで、この声色で、このセリフが投げかけられる。意味が通っているのかなどではなく、コラージュのように、画面、セリフ、そして表情を次々と浴びていく。

これが映画に詳しくないわたしのなかで一番気持ちがいい山戸結希映画の観方だ。

ちなみに初っ端から少女漫画原作映画ダーッ!!!」的なセリフオンパレードで、これが20代も半ばを過ぎたわたしの心にはかなりきつい。おじさんたちは鼻で笑い飛ばすこともできるだろう。もしかしたら中高生ならもう少してらいなく受け入れられるのかもしれない。が、わたしはそのセリフにキャッキャする心を10年前にはそこいらに捨ててしまっていて、でもそれにキャッキャした心を持ち合わせている過去は確かにあるので、どこか浮足立つ気分と羞恥とのあいだでグラグラと揺さぶられる。「わたしのその過去を掘り起こさないで!」みたいなめちゃくちゃデリケートなところをくすぐられている気分になる。悪意があるわけでもなければ、感じるのも「不快感」というよりは「羞恥心」なので心のデリケートなところではあるけれど土足で踏みにじられているわけではなく、くすぐる。画面の中にいる主人公女の子をみていても似たようなことを感じる。こういう主人公女の子みたいに扱われてみたかったなという自分、そう思うのは恥ずかしいと思う自分。そうやってデリケートゾーンをもてあそばれているあいだにも画面はどんどんと切り替わる。美しい、かっこいい、かわいい。いつのまにかその心の深いところに隠していた感情がその美しい、かっこいい、かわいいで貫かれていく。

そこまでくると、「んなわけあるかよww」という気持ちが芽生えても「でも最高だからいい」でぶん殴って倒すことが可能になる。

そんでまず清水尋也最高って気持ちになる。声がいい、背が高くてスタイルがいい、眼鏡似合う、うざったい髪型似合う。「こういう前髪長い男好きな人、いるよねーww」うるせえ最高だ。

そんでそのあと板垣瑞生最高って気持ちになる。声色が甘い、目線が甘い、溶けたような顔がうまい少女漫画セリフが似合う。さっきの浮足立気持ち羞恥心とのあいだで一番グラグラしたのは板垣瑞生最高ゾーンときで完全に敗北して浮足立ちまくる。

ここまできて堀未央奈は最高って気持ちになる。めちゃくちゃかわいいしょっぱなからわりとかわいいではあったんだけど、不安げな顔と嬉しそうな笑顔で完全に俺が守るから!!!ってわたしのなかのイキリ男子が総立ちした。し、わたしのなかのJKがこの子みたいになりたいって叫んでた。

山戸結希は本当に女の子のための映像を撮るのがうまいのは、男の子が最高にかっこよくて美しくて、さっきから言うみたいにわたしがとうにそんな気持ち捨ててしまっていても何度でもゾンビみたいに蘇らせてくるだけの威力少女漫画の中の男に恋をする気持ちにさせる、ってのがまずあるんだけど、女の子が最高にかわいい瞬間の多幸感にあふれた映像、恋をする女の子女の子視点で画面に落とすのがめちゃくちゃにうまいところだと思う。

板垣瑞生最高と堀未央奈最高が交互に襲ってきた時点でわたしは完全に肩までホットギミックに浸かった。もうなんでもいい、最高だって手放しになっちゃった

そしてそんな気持ちのまま、思春期少女気持ちで、映画を観ているととうとう、

間宮祥太朗は最高、がやってくる。間宮祥太朗は本当に最高で、まずべらぼうに演技がうまいことが演技とかあんまりわかんないなーと思ってるドドド素人映画を観る趣味もそんなにきちんとないようなわたしにもわかるほど演技がうまい。胸がぎゅうぎゅうになって少女の私は完全に間宮祥太朗のことが好きになってしまう。目線、表情、声色。浮足立つようなしぐさやセリフも、間宮祥太朗の切実な感情が透けて見える演技で一気に温度を持つ。さっきリアリティを求めるなとは言ったけどあったらあったで最高の気持ちになってしまう。人ってゲンキンな生き物なので。求めてはいけないけど。

最後リミッターを外した山戸結希が怒涛の渦になって息をつく暇もない勢いで殴りかかってくるのだけどわたしはそれを観ながら本当に息が苦しかった。ぼっこぼこに殴られて勝手に涙が出てくるけど感動したとかそういうんじゃなくて、デリケートゾーン握られたままぼこぼこにされたら勝手に涙が出てくる仕様なのだ心臓もっと奥のほうにどかどかと全部に蛍光ペンひいてあります!そういうセリフだけ残しました!みたいな、日常生活の会話では絶対にないエモを毛糸にしてぐるぐるぐるぐると神経質に手のひらでもんだ塊みたいな言葉たちがどかどか投げ込まれて息が苦しくなるし涙が出てくる。クライマックスに向けての盛り上がりかとも思うけどなにか大きな謎が解き明かされたとか、思いがかなったとか、そういうことではなくて、頭の中「最高」で埋め尽くされたわたし頭蓋骨なかに最高が上塗りして、そして、最高…!で終わる。

初めてキスをしたとき気持ち、この子に今夜ついてったらどうなっちゃうんだろうというドキドキ、自分のことを求める人がいると身をもって知ったときの驚きと高揚感。忘れてたと思ってたけど私の中にまだあった。20代も後半で、アラサーといわれるわたしはもう若い女の子ではないけれど、ずっとずっと女の子でいられるような気持ちになる。

女の子ではなくなってしまいかけてから女の子のかわいさを身に染みてわかるようになって女子アイドルを好きになるなどしたので、女の子のかわいさをわかったうえで、また女の子になれるなんてそんなにうれしいことはない。

思春期女の子気持ちのままこんな感想文を書いてしまうし、推敲もしないまま、日本語もぐちゃぐちゃなまま、オンラインに投げる。

わたしはもう高校生でもないからこんなに自分に酔っているような文章は恥ずかしいと思っていたのに、どうしてもこうなってしまった。だって最高だから

山戸結希は最高だ

2016-01-02

山戸結希監督おとぎ話みたい』を観て

山戸結希監督の『おとぎ話みたい』の初日公演テアトル新宿であったので、行ってきた。

ずいぶんと言葉愛着のあるひとなのだな、という印象だ。作中、高校生主人公を通して山戸監督言葉が「これまでか」という程に発せられる。

「元来、踊りとは身体を売り物にするものであって、嫌らしいものであるから。その身体性を意識して、私は踊るのです」

といったような台詞連続してゆく。ぼくはこういった言葉が嫌いでなくて、むしろ好物であったりするものから、楽しみながら観た。「こんな女子高生おるんかいな」という感覚は否めなかったけれども。

上映後に山戸監督がふっとあらわれて、いや、「あらわれて」という表現は適切ではなくて、ぼくがスタッフ女の子認識していたひとりがいきなりマイクをもって、「監督の山戸です」と話をはじめたから衝撃を受けたというのが実際のところなのだけれど、とにかく山戸監督が話をはじめたとき、ぼくが感じたのは、「やっぱりこのひとは小難しい言葉を好むひとなんだ」ということだった。「証左」ということばをあなた日常で使うか。三十年前の大学生はもしかするとつかったのかもしれない。

山戸監督とりまくそれぞれに対しては、頭のなかで文筆をして、それを読み上げているような、そんな印象を受けていて、ぼくはやはり文章が大好きなものから、それが若い女性の声で再生されるのを耳にすると、妄想世界現実になった気がして、「ああ嘘くさいけどやっぱり最高だ」、と思ってしまうのだった。

 
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