2019-08-07

私の一生

私は子供の頃から記憶力が良かった。初めての記憶は一歳の頃で新しい家を見て期待に胸を膨らませていたものだった。

新しい家は何もかもが新しくとても興奮したのを覚えている。

ところが、この記憶力がのちに私を悩ませることになるのだった。

私が8歳の頃、兄が私のベットに入ってくるようになった。そして私の体を舐め回すのだ。私はこれはおかしいと感じてはいたが、なにしろ私は母親に愛された記憶がないのだ。とても親に言えることはできなかった。父親母親に逆らうことはできないようだった。そんな父は何の助けにもならないのは明らかであった。

私はそれから毎日、兄の虐待を耐えるしかなかった。それは私が中学になるまで続く事になる。私は小学六年生の頃に生理が始まり性教育も受け、どうしたら子供ができるかもわかるようになった。

その頃兄の虐待エスカレートし、もはや子供ができても何らおかしくないものとなっていた。

はいざとなれば都会に出て子供おろしてもらうしかないだろうと思い悩んでいた。この時の孤独感は今でも忘れることができない。

私のできる抵抗と言えば、ジャージを履いてその紐をきつく締める事ぐらいであった。

やがてその事は突然父親に知られる事となった。私はやっと解放されたのだ。

この時の気持ちは何ともぼんやりしたものだった。ただただ、あぁ終わったのだなと言う思いしかなかった。

散々夜中に目が覚めて知らないふりをするだとか、私の毛布に精液が付着しているのをもう我慢する必要はなくなったのだと思ったのだった。

から謝罪される事はなかった。それはやはり私の勘が正しかったのだ。私は誰にも顧みられる事のない子供であったのだった。

それからは何もなかったかのような日常が続いた。私は普通を装い普通高校へと進学した。

私が高校3年の頃に制服を盗まれると言う事が起きた。私は困って母親制服を盗まれた旨を伝えたのだが、母親は「へぇ」と言っただけで何もする事はなかった。

仕方なく皆が冬服で登校する中一人夏服で登校する羽目になった。その時の羞恥は今でも忘れられない。私は制服を盗まれた上に親に放置されていると言う事を宣伝して歩いている気分だった。普通なら怒られる様な事態なのに先生も何も言わない。どこかから聞いたのかもしれない、関わるのが面倒くさかったのだろう。誰も何も言わない。私はまたしても顧みられる事のない子供となった。

しばらくして私を不憫に思った同級生が私に制服をくれるまで私は夏服で登校し続けた。

  • はいはいうんちうんち

  • いずれにしても、あなたは強く生きている。 記憶力にも限度があるので、これからは楽しい経験をたくさんして、楽しい記憶で上書いていくと良いですよ。 そのためには、明日から...

  • 今日も女は家族叩き そして現在風俗嬢とエスパー

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