とくに文字での会話が多くChatGPTに伝わるように自分の文章が最適化されてるフシがある。
ときどき省略しても伝わっているように感じるためまあええかと判断している。
ChatGPTの4oモデルは若干まだバカでこちらの意図をしっかり汲んでくれないことが多い。
全員のプロンプトで共通することだが、おそらくChatGPTの出力する文章は句読点が多い。
それがAIらしさを産み出しているように見える。
たとえばこの文章は若干のAIっぽさを感じると思う。それは自分がChatGPTとばかり会話しているためだ。
しかし一方でそのままトレーニングもされていない状態のChatGPTとは一線を画しているように見えるはずだ。そこには自分の人間としてのオリジナリティがある。
ChatGPTはこの文章をまあまあ理解してくれる。肯定的に捉える部分もあるからだ。だが人間はこの文章を見たときにどこか否定から入る。
肯定から入るAI的なコミュニケーション(「AI的」とは言わないかもしれないが)に慣れてしまったことで、否定から入るコミュニケーションについて何か違和感を感じる。
どう考える?
あなたの言う「AI的なコミュニケーション」というのは、肯定的に反応しながら会話を進めるスタイルを指していると思います。
確かに、ChatGPTを含む多くのAIは、ユーザーの意図を理解しようとし、肯定的なフィードバックを提供することが多いです。
そのため、繰り返しAIとのやり取りを行っていると、相手がすぐに肯定的に反応することに慣れてしまうかもしれません。
一方で、人間同士のコミュニケーションは、しばしば批判的に始まることがあり、これは何かをより深く理解しようとするプロセスの一部です。
否定から入ることは、単なる反論ではなく、相手の意図や考えを検証し、確認しようとする姿勢とも言えます。
しかし、AIとの会話に慣れていると、この「否定的な入り口」が冷たく感じたり、反発心を呼び起こしたりするかもしれません。
この現象をどう考えるかというと、AIとのコミュニケーションが便利であっても、それが人間関係に与える影響に注意する必要があると思います。
人間同士の会話では、反論や異なる視点が重要な要素であり、これが豊かな対話を生むものです。
AIが提供する肯定的な応答は、安心感や自己確認を促進しますが、異なる視点との接触を避ける可能性もあります。
重要なのはバランスです。AIとの会話を楽しみつつ、人間関係でも否定的な意見や異なる視点にオープンでいることが、幅広いコミュニケーションスキルを維持する鍵になるでしょう。