はてなキーワード: 情報量とは
まず、静止画よりも動画のほうがわかりやすいと言うのは誰もが納得するところだろう
例えば台風の進路
沖縄到達時点で今後数時間の予測が表示されるが、そこから概算でルートを導き出すくらいのことは出来る。
最新の雨雲レーダーが予測する雨雲の動きが時間経過で動く動画があったとしよう
雨雲の位置や範囲だけでは今後、特定地点に雨雲がかかるかどうかは判断できない
しかし、そこに移動ルートという経過情報が動画で加わると、予想が大幅に楽になる
天気予報上では言及の少ない地域であっても、これらの情報で素人でも予想を立てる事ができる
予報士の解説を聞いてそれを何に役立てるのか?と言う疑問だが、素人が楽に天気を知ろうとするならば、専門家の話ほど必要なものはない
何事も先立はあらまほしき事なりと古来から言われる通り、素人ほど先人の経験や言葉はありがたいものだ
全国の天気図だけでは時間経過による動きがわかりづらい
そこで、予報士の解説と動画資料を組み合わせることで、一般視聴者がわかりやすく、説得力があり、咀嚼できるようになる
そして全国放送では言及されづらい過疎地、遠方への移動やその地方の住民は役立てることが出来る
特に長距離移動が絡む場合の雨雲の動きを事前に知ることは重要で、その都度静止画予報を確認することしかできない場合とは準備の差が大きく出る
そもそも静止画予報と動画予報を併用することで、片方しか選択肢がない場合と比べると、単純に情報量の差が大きい
http://anond.hatelabo.jp/20170123124143
訪れたお店にメニューが複数あり、複数人で訪れたのであれば、メニューは被らないようにしたほうがより多くのメニューを体験することができます。
もちろん、料理の体験において自分で口にすることに勝る情報はないのですが、実際に食事をシェアまでする必要はありません。
目の前に実物があるということがまず大きな情報になりますし、食べた人に料理について話してもらうというような、間接的な情報から直接体験を想像することもできます。これらは実際に注文しなければ手に入らない情報であり、即時性や見知った人の感想であることを考えるとインターネットのレビューよりも付加価値があります。そういった情報が増えることで、食事体験か豊かになることが期待できるのです。つまり、違ったメニューを注文することは、誰かと食事をするときの楽しみの一つになるのです。
同じメニューを頼んでしまうと同じものが二つ目の前にあるということになります。この場合、個々人が料理を自分の口で経験することはできますが、それなら一人で食べに来たときの情報量とさほど変わらなくなってしまいます。先ほど述べたような、相手の経験したことに関する間接的な情報は、自分で直接経験した情報にはどうしても劣ってしまうからです。
もちろん特定のメニューについて体験を共有する目的で来た場合には同じメニューをお互いの口で直接体験することは肝要になりますが、そのような目的があるわけではないのならば互いに別のメニューを選んだ方が、一回の食事でより多くの体験を得られるわけです。
windows。そのライセンス認証の向こう側には日の巨人MSの用意した秘密の花園があるという。
MSへのお布施を納めればそのスイートな世界でビジネスは円滑に進むという。
私は計算機が好きだ。
MSDN?で俺が公開したりギッハブに上げた大規模というよりマルチマシンなアプリは誰が使ってくれるんだ?
確かに正直だ。でも正直すぎるんだ。
俺が知りたいのはそこじゃない。ほらもっと簡単に〜って初心者相手すぎるのも困るんだよ。
ある一点においては感謝している。
Linuxの動くマシンをまともな互換性で安価に提供される市場を構築、維持してくれている点だ。
まあ、それもChromeBookなんかが天下を取れば用がなくなるのかもしれないが
とにかく敷居が高い。入ってもよくわからない。なんだろう情報量がMSのガチ情報しかない。
知りたいことを知るためには、そのガチの世界を、スマートなMS社員が書いた、これぐらい知ってるよね?
って感じの文章か、プロプラ独特の弊社の責任範囲はここまでですがなにか?の足切り情報ばかりだ。
で、さらにMSの独特な世界観を表す用語を理解しなくちゃいけない。
バグ票バンバン切られるイシューのようなOSSの用語で語ってくれるフレンズもいない。
辛い。
増田のようなスタンスを否定する謂れは一切無いし、むしろそういうライトなファンを如何に獲得するかがコンテンツの発展につながることは承知の上で、ではなんでゲームもふれて欲しいという熱心なファンが多いのかというと、やっぱり情報量が段違いなんですね
で、このアイドルゲームのスタンスとしては、アイドルはアイドルであるまえに人間だと
それを表すための膨大で多角的なテキストがゲームには詰まってるのです
しかも最近はソシャゲベースで展開していますから、時間軸という概念を獲得しまして、もはや容易には伝えきれない量になっていて、もう自分でやって自分で発掘してもらうしか無いのです
正直申し訳ない気はしないでもないです
ただ、メディアミックス展開や二次創作だけでなく、大本のゲームを、更に言うなら最新のネイティブアプリだけでなくブラウザゲームのほうも触れて欲しいというのはそういう事情があるのです
色んな媒体で作品化された際、どういった順序で見るのが一番楽しめる(個人の感想です)のかを紹介。
何を根拠に並べているのかというと表現技法と情報量について、だ。
小説→アニメだと原作との突き合わしによる矛盾とかが出てきてしまい、視聴の障害になりやすい(個人の感想です)。
これがアニメ→小説だとアニメで語られなかったことやアニメとの相違点を素直に別作品として受け入れられる(個人の感想)。
よく原作組はアニメの出来にイチャモンや難癖を並べているのも、自分の中で膨らました小説のイメージが再現されなかったからである。
これがアニメ→小説なら最初から別物であると割り切って門をくぐるので余計なぶつかり合いが無い。
その間に漫画があるのは、消化しやすいとか、アニメという絵が付いた媒体から音を無くして入り込む段階とかそんなところ。
本当は最後に持っていきたいところだが、映画は現在公開されていくのが観に行く正義なのでやってほしい。
特に映画公開時期で話題が高騰しているので時間的制約からアニメと漫画くらいしか消化できないだろう。
ドラマCDは本編と関係ないサイドストーリーが多いので一番予備知識いると思う。
なので最後に消化するのが一番よい。
というわけで2017年公開予定、弐瓶勉のSFアクション漫画作品の映画「BLAME!」をよろしく!!!!
BLAME!は小説、ドラマCDがないから漫画だけで予習できるぞ!
ちなみに新装版も発売されているがぶっちゃけ古い方がオススメだ。違いはちょっとした書き直しや表紙の書き直しだが旧版の方が味あっていいです。要らん。
あと次の情報も要注意↓
2月16日(木) ”ツトムの日”に、『BLAME!』劇場アニメ化記念「シドニアの騎士」一挙放送が決定!
↑シドニアの騎士は有名だろうが、BLAME!はまさに人を選ぶ作品だ。
この面白さを理解できるやつと酒を飲んで喧嘩して絶交する。ドン!弐瓶勉ワールド。
追記:
>冲方丁によるノベライズ、小川一水・九岡望・飛浩隆・酉島伝法・野﨑まどによるアンソロジー、という超豪華メンツによる小説版が待ってるぞ。>BLAME!
http://anond.hatelabo.jp/20170207171941
8日ソワレ。情報量が多いので走り書きのみ。感想なし。考察なし。
なお、私は2回目の観劇を謎解きとして挑んだことを大変後悔している。
よほど命知らずの探偵さんでない限り、以下の内容に目を通すことはおすすめしない。
中味のないランキングや、なんの参考にもならない弱小ブログの運営報告、ブログのネタの絞り出しかたの薀蓄・・などなど
最近のはてブでは、本当に中味のないブログのブクマで溢れかえっている。
互助会って昔は、良し悪しは置いといて、もうちょっと情報量というか書き手のエネルギーが溢れてなかったかなあ。
この頃の互助会ブログって、どうしてあんなに中味のないことを書き続けるのだろう。
「1万PVこえましたー」「3ヶ月連続更新達成」「ブログネタがない時でも記事を作るコツ教えます」
・・・いや、無理しなくてもいいよ、誰もそんなの読みたいと思ってないから。アフィで食えるには程遠いじゃない。そんなの状況ひけらかして、自分に引き出しも想像力も洞察力も何もかもない薄っぺらい人間であることを改めて文字にして、何がそんなに楽しいのかなあ・・・
・・と、思ってたんです。
けど、最近なんとなくわかってきました。
あー、また互助会のブログ踏んじゃった、と気づかされるブックマークの並び。
面白かったです!⭐️⭐️⭐️
参考になります!⭐️⭐️⭐️
なるほど!そんな方法もあるのですね!!⭐️⭐️⭐️
これなんかに似てるなあ
ああ、そうだ。
これ依存性患者が集まって自分語りを共有することで依存性に立ち向かう集会でのやりとりによく似てるんだ。
今の自分をさらけ出し、それを否定されずに共有共感される場がある。それが生きる糧となる。
そうゆうことか。
ぼくはここにいてもいいんだ
おめでとー おめでとー
そう思えば、側からはおざなりの儀礼スター交換のための互助会に見えても、
本人たちにとってはコミュニティにつながっていられる貴重な、もしかしたら唯一の場なのかもしれないではないか。
うざければブロックすればいい。
そこがあることで救われる人がいるならばそれでいいではないか。
1 ざっくり言うと
(1)中学受験を視野とするため、今年の4月から小4になる長女を入塾させることにした。
(2)入会金を払い、父親である私が1月に行われた事前説明会に参加した。
(3)いざ説明会を聞くと、これからの学習がかなり大変に感じられ、
漠然とした中学受験のイメージが、リアリティを伴った不安感に変わった。
2 塾選び
とある全国チェーン展開をしている塾の入塾テストを受けて、娘は合格をしていた。
・中堅クラスの進学実績は悪くない
あんまり地頭の良い子ではないため、桜蔭や女子学院等のような高望みはせず、
中堅クラスの中学を目指すことができれば御の字であると考えた。
また、あんまり高望みをして、レベルの高い塾に行くと、周りの秀才に気圧されて
くたびれてしまい、良い結果を生まないことが考えられた。
(私の娘は負けず嫌いである。ただし、勉強はできる方ではない。)
そこで、サピックスのような進学実績トップクラスの塾ではなく、
・結構近い
徒歩で5〜6分で行ける。
小学4年生とは言え、塾がおわって家に帰り着く時刻は
夜8時近くになるので、できるだけ近い方がいい。
他にもっと近い塾はあったが、進学実績がイマイチだったのでこの塾にした。
中学受験が特殊であることは前から知っていたが、その範囲も膨大である。
例えば社会一つをとっても
塾では小4で地理、小5で歴史、小6で公民を教わることになる。
塾を途中から始めるとなると、自力で地理や歴史を勉強しなければならない。
3 入塾説明会
・ほとんどお母さんが参加していた。夫婦で参加している人もいたが、父親は2〜3割くらいであった。
・先生が、1時間まるまる喋りまくりであった。逆に言うと、それだけ情報量が多い説明会であった。
・山のようなテキストを見て、「うわぁ、娘のテキスト多すぎっ・・・!」と思った。
・3月には合格実績発表会等が予定されており、ほぼ毎月何かしらの保護者向けのイベントがあるようであった。
4 所 見
びっくりしたことに、応用クラスになっていた。内心は嬉しかった。娘も喜んでいた。
が、入塾テストが国語60算数48という偏差値であり、いかに算数を向上させるか、
娘は勉強をする習慣があまりついていない。そこそこの量をパパッとやって
今までの娘の進研ゼミに対する姿勢なんかを見ても、放置していれば、
おそらく絶対にやらないだろうから、かなり親が関与する必要があると思った。
動いてるらしい。
それはまぁ一国民がどうこう出来る事ではないし
いちいちその問題に過剰反応するのは政治ジャーナリストや知ったか右翼や左翼やってる人たちがやればいいこと。
すべての国民が今の収入+αを作る事ができればそのα分は確実にこの国は豊かになる。
僕も以前まではそれがわからなかった、ありきたりなビジネス本、自己啓発本を読んで
どうすれば成功出来るのか調べた時期もあった。
どれもこれも精神論が中心で、たしかに一時的にはやる気になるけど、長期的には意味がなかった。
それで自分を救ったのは学習に関する、心理学と脳科学だったわけだけど、それに関してここで書いても
長くなるだけだから置いておく。
●本を読むこと。
これも腐るほどいろんな所で語られてるから聞き飽きた人もいるだろうけど、
具体的に書いていく。
ネットがダメなわけではないんだけど、本すら読んでない人にネットの情報はおそらく精査出来ない。
嘘ニュースや、著者の詳細すら不明のいい加減な情報が山ほど溢れていて、Googleのトップにくるのは大体そういう無意味な情報だったりするわけだ。
それにネットには際限がないから、目的としていた情報からいつの間にかはずれて芸能ゴシップのリンクを踏んでたりする。ぶっちゃけこんな時間を無駄に使ってしまう可能性のあるツールは情報の価値を理解してからじゃないとただイタズラに時間を潰す事になってしまう。
最近はジャンル指定してニュースを取得出来るアプリなんてものもあるから、そういうものやRSSリーダーを使うのならまだ価値はあると思うけど。結局ネット情報は煩雑なものなので、目移りの可能性を除外出来ない。
ネットを「正しく」使うのは正直かなり高度な事なんじゃないかと、ネット10年以上使ってて最近思うようになった。
・どんな本を読めばいいのか。
営業をやってるなら営業の本でいいし、企画をやってるならアイデアやら企画書の本でいい。
本は万能じゃないから、自分に関係するジャンルから初めて、一切読んで無い人は
月1,2冊でいいから読み始めて欲しいと思う。
日本人の知識量、情報量が増えたらそれが国益になると信じてるから言ってるから、別に電子書籍でもいいし、中古でもいい。 正直僕は出版関係の人間だけど、出版社の人間でも書店の人間でも流通の人間でもないから、ぶっちゃけ中古でもいいわ。
一冊でも数百円。新品でも1500円程度だ。 3000円の捻出ならなんとか出来るでしょう。
毎月ちゃんと2冊以上読んでりゃそれだけで十分変化が生まれてくるはず。僕はそうだった。
・何故勉強しないのか
たぶん、というか自分の実体験からするに、勉強しても結果が出るのかわからないのが恐いんだと思うんだけど。
学習関係の話で、脳科学や心理学の本を読んでる人は知ってる事ではあるけど、生まれた時の才能なんてクソ微々たるもので、その後どれだけ継続したかで差がついてるって事を知ってほしい。
これは僕にとって相当なブレイクスルーになった。
正直、才能が必要な世界で働いてる。才能ってものの定義も最近では努力出来るのも才能だ、なんてすごいごちゃごちゃした何にもしないやつの盾にしか使われなくなってるから面倒だから、いちいち定義しないけど。
周りはこの仕事をするのが好きなやつばかりで、そんな中で生きていくのがやっとだった。
それを変えたのが、この事実で、自分がいかに何もしてなかったかってのを自覚させられた。
それから必死こいて勉強して今までやってこれたのは、自分に知識と技術をつければなんでもなんとかなるって思う事が出来たから。
正直、自信ってものを昔から持てなくて、今でもそうなんだけど、必死にやっても結局何にも残らないんじゃないかって今でも思ってる。 でも情報を得る事をやめてしまったら、それを何も創る事が出来ないんだと思って、仕事に関する勉強はもとよりそれ以外のジャンルから何か得られないかと思って毎日何かしらの本は読んでる。
・マンガでいいのかどうか
最近は学習まんがってのもあるし。そこから入ると予備知識がついて読書習慣が無い人も本を読みやすくなるかもしれないし。堅いことなしで、なんでもいいから情報得て欲しい。それは絶対力になるから。
学習漫画以外も、エンタメ関係で働いてる人はもちろんだけど、遊び心ってのはどんな世界でも意味のある事だと思うから、無意味って事はないと思う。
マンガすら読まず芸能ゴシップリンクをネットで踏み続けてるより何倍も増しかとは思うし。
ぶっちゃけ、どのくらい意味があるかはわからんけど、最近はTsutayaにマンガレンタルとかもあるし、漫画喫茶でもいいし。1000冊2000冊読んでみればマンガでも自分の創造力を創るきっかけにはなるかもしれないと思ってる。
エンタメ系の人は腐るほどマンガ読んで損はないと間違いなく思うけど。
他のジャンルの仕事の人はマンガばっかじゃダメかもね、とは思うけど無意味ではないと思う。
ラノベや小説。本じゃないが映画やお笑いDVDとかまぁそれもそれで意味を持つとは思う。
ただ、一緒に仕事に直で関係してる本は毎月1冊、2冊は読んでくれ。
・本を読まないのに収入をあげたがる友人。
僕にはそういう友人がいる。 彼は収入に文句をいっているにもかかわらず正社員採用試験の試験勉強すら二ヶ月前にやっと始めるというタイプだ。
彼は彼で自由に生きてて、それをどうと言う事では決して無い。生き方は自由だと思うからそれを見下したりバカにしたりなんて事は絶対しないんだけど。
収入についてグチグチ言うのに家に返ったらソシャゲとネット。 それは合理的ではないと思って、ここに書きなぐりだけど書いた。
もし彼のような人が沢山いて、収入について少しでも不満抱いてるなら、自分を成長させる本を読んでほしい。
世の中ってのは想像以上にシンプルにできてる。出来るやつってのは何かしらの形でその出来る術を学んでる。
そういう術を偶然身につけちゃいました、みたいな奴も確かにいる。でもそれはもはや「運」だ。運は操れるものじゃない。出会う人や偶然の経験なんてものは望んでれば確実に手に入るものじゃない。
それなら1000円前後で手に入る、先人が残した術を学ぶ方が圧倒的に早い。
だから本を読めば解決するような事を、だらだら何年もグチグチ言って時間を無駄にするような事はシないでほしい。
正直友人に本を読めばいいのに、と話をした事は何度があったが彼は変わらなかったし、こんな増田の駄文に心動かされる人なんていないと思うけど。
僕は日本を守るには一人ひとりの日本人の能力を伸ばす以外無いと思ってるから書いた。
軍事力の話やらは正直専門外で細かい事はわからないけど、世界情勢がこんな時に日本人が日本を守るのは、もっと単純に面白い事やって、金稼いで周りの国に利益をもたらす事なんじゃないかって。
政治の事は正直わかんねーです。
それにわかってたとしても変えられないから非合理だと思うんです。
政治家なら別だけど。いや、政治家ですら上位にいないとほとんど世界に還元出来てないわけだし。
それを一国民が政治について不安になったり悪態つく時間があるなら、目の前の自分の仕事で+αの利益を上げる方が世の中はよくなっていくんじゃねーのって思うんです。
マクロだろうがミクロだろうが、資本主義である以上、金を稼ぐって事はいろんなものを守る力になるんじゃないかって思うんです。
綺麗事とか抜きにして、目の前の仕事でみんなが+αを生み出せればそこで生まれた新しいお金はその分世の中をよくしてくれるよ。僕 はそう信じて仕事してる。
毎月1,2冊、本読んでみてください。
本から何を吸収出来るかは個人差が絶対にあるものだから、100%保証は出来ないけど。
どうしても自己投資したくないって思うなら、図書館でもいいのでなんとか頼んます。
乱文失礼。
LINEモバイルというMVNOに申し込みを行ったのだが、本人確認プロセスで問題が発生し、解決までにネットで7往復7日間+電話1回のやりとりを要した。
LINE社としては特に秘密にしたい意向もないようで、このやりとりの公開も快諾頂いたため、記録として残しておく。
このたびはLINEモバイルをお申し込みいただき、誠にありがとうございます。
お申し込み内容を確認させていただきましたが、ご提出いただいた本人確認書類に不備がございましたのでご連絡いたします。
お手数ですが下記のページより、本メール到着から24時間以内に本人確認書類を再度アップロードしてください。
お申し込みいただきました内容は、下記のマイページよりご確認いただけます。
■不備理由
申し込み時に本人確認書類が未アップロードだったと勘違いし、健康保険証を再度アップロードした(エラー文言を早とちりしていた。これは私のミスである)。
■不備理由
今度はエラー内容を把握、補助書類(東京電力の電気使用量のお知らせ)のみをアップロードした。
■不備理由
1/11にアップロードした補助書類はOKだが1/9にアップロードした本人確認書類はNGということのようだ。もしそうであれば1/9の時点でこのエラーはわかっていたはずであり、1/10の返答メールに不備理由として書いてくるべきではないだろうか。
健康保険証の住所ではマンション名が省略されているため厳密な同一性確認ができなかった可能性を考え、パスポートをアップロードした。
■不備理由
パスポートの何がダメなのか原因が全く想像できず途方に暮れるが、最初にアップロードした健康保険証を再度チェックされた可能性を疑い、パスポートのみを再度アップロードした。
■不備理由
エラー内容が前日と変わった。同じアップロード内容に対して1/12と1/13とで返答が変わっている理由は不明だが、本人確認書類としてパスポートはOKだったと解釈した。
一方で、今度は補助書類が問題だと言われてしまい途方に暮れてしまう。1/12返答時点で補助書類についてのエラーは解消した認識だったので、何が問題なのか判断がつかない。以前アップロードした補助書類が破棄されている可能性を疑い、パスポートと補助書類(東京電力の電気使用量のお知らせ)の両方を同時にアップロードしてみた。
エラー内容をエスパーするやりとりにゲンナリしてきたので、本人確認について定型以外の返答はできないのか?ユーザーがエラー内容を想像するようなやりとりはお互い無駄ではないか?と1/13にマイページのWebフォームから問い合わせた。
その返答メールが届いた。
本人確認書類の不備理由に関しましては、直接お電話でご案内させていただきたく存じますので
大変お手数ではございますが、下記、LINEモバイル カスタマーセンターへ
■不備理由
1/14の返答と同じエラー文言だったので、過去のアップロード内容が捨てられているという仮説は間違いだったと言えそうだ。となると、東電の使用量のお知らせが補助書類の要件を満たしていない可能性が考えられる。もしそうであれば1/12の返答時点でそう伝えてきてほしいところだが、LINE社には1返答について1エラーしか返さないという規則があるのかもしれない。
画像をアップロードして返答を待つやりとりは1往復に1日かかるため、1つの仮説を立ててそれを検証するのに1日かかってしまう。これはさすがに不毛すぎるというものだろう。ところで昨日受け取ったメールによれば、電話経由であれば即座に詳細のエラー内容がわかるようだ。さすがはインターネット時代である。というわけで電話をしてみた。
「申し込み中の者ですが、補助書類に不備があるということで本人確認が進められないため、詳細を教えてください。」
「お知らせだけでは補助書類として受け付けられません。領収印つきの公共料金領収書であれば受け付けられます。」
「私は電気料金をクレジットカード決済しているため、クレジットカード会社からしか領収書は発行されないように思います。つまり、電気・ガス・水道の全てをクレジットカード決済している場合は全て補助書類とはならないということでしょうか。」
「そうなります。他の補助書類としては住民票があります。もしくは、運転免許証など単体で受け付けられる本人確認書類を別途アップロードしてください。」
「私は運転免許証を所持していないのです。」
電気/ガス/水道の3つの公共料金をクレジットカード決済している場合、直近3ヶ月以内の住民票だけが唯一の補助書類になるというのはヘルプを良く読めば読み取れたのかもしれない。ただ、少なくとも補助書類という名前の印象からは私には想像が付かなかった。
そもそも補助書類についてはFAQのような口ぶりだったので、もしそうならメールでの返答文言をもう少し改善できそうなものだ。
住民票を取得するため役所に行く準備をしていたところ、紛失したと思っていた住基カードを発見した。これは補助書類不要の本人確認書類に該当するため申し込みマイページからアップロードしたところ、無事申し込みが受理された。
LINEモバイル申し込み時の本人確認のエラー状態解消が非常に困難だったことを紹介した。
LINEモバイルの本人確認における問題点は2つ、エラー時の定型返答の情報量が不足していること、また本人確認が無駄に厳格になっていることである。前者について言えば、複数のエラーが発生しているときでも1つのエラーしか返さないというのはUI設計として最悪である。今回も複数エラーを提供してもらえればトライ&エラーの回数を半分以下にできたように思う。
後者について言えば、私の場合は1/12の時点でパスポートと健康保険証と2種類の本人確認書類をアップロードしているわけで、十分に本人らしいと判断できるのではないだろうか。この状態において補助書類が無いという理由で蹴るのはお役所的であり、顧客満足度向上の視点が欠けていると感じる。
また、パスポートは写真付きの公的な身分証明書であり、別途補助書類を要求する合理的理由があるのか疑問である。証券会社の申し込みでさえパスポート一発でOKだったように記憶している。
もっとも、こうしたカスタマーサポートの一次受けは外部企業が請け負っていることが多いため、現場でもおかしいと思いつつ日々同じ対応を繰り返している可能性がある。LINE社の担当者はエスカレーションフローの整備および指示内容の見直しなどを進めて頂きたいものである。
誰にも明かしたことがないが、つい数年前デビューしたグループのファンをほそぼそとやっている
といっても別にコンサートに行くわけでもなく、グループメンバーが載っている雑誌を買ったり
出ているテレビ番組を見て楽しむ程度のいわゆる「茶の間」である
数年テレビや雑誌を見ていれば、応援しているグループ以外のジャニーズのことも少しずつ分かってくる
そういう流れで、バックで踊るジャニーズジュニアにも興味が湧いたのである
少年倶楽部というジャニーズが出ている番組で私はあるジュニアに興味を惹かれた
ジュニアが出ている番組も殆ど録画たし、雑誌で読むコーナーも増えた
しかし、茶の間にとってジュニアの情報量は想像以上に少なかった
雑誌にも数ページ分はコーナーが確保されているため、これまでの私は情報欲求が満たされないことは殆どなかった
情報不足になった私はジュニアの情報をネットで探し、「タレコミ」という掲示板や2ちゃんねるなども見るようになった
いろいろな掲示板を見て思ったが、ジュニアの掲示板はかなり荒れている
どの掲示板でも殆どの平和に語られているスレは存在しない かならず誹謗中傷が存在している
とくにジャニーズヲタクにとって僻みの対象となるのが「推され」である
新人ジャニーズが突然テレビで出番を獲得したり良いポジションをもらうとたちまちのうちに「推され・ゴリ推し」認定をされる
こうなってしまうとどんなにそのジュニアが能力が高くて推されに値する人物だったとしても、そのジュニア自体を評価してもらえない
私がファンになったジュニアもいわゆる推されであり、読んで気分の悪くなるような悪口しか書かれなかった
( 私には推されどうこうの区切りがよくわからなかった 実力・人気以上に出番が多いジュニアなんていくらでもいる
それなのになぜだか「ゴリ推し」認定をされない人材がいくつかいる
法則として ①一度デビュー漏れなどの「辛そうな」思いをしている ②デビューしてから一定期間露出が少ない ③雑誌で「人気」投票の順位が高い
④色白 ⑤飛び抜けて顔が整っているわけではない ⑥最初に組んだユニットでセンターではなくサイドやバックについている
こういう人材は何故か能力以上の出番を貰っても誹謗中傷されることが少ない)
しかし、それ以上に驚いたことは、ジャニーズジュニアとそのファンの実態だ
この情報化社会の現代においても相等ローカルな世界がジャニーズジュニアの世界には存在している
詳しくは分からないが、コンサートなどのでたジャニーズは、その後、会場近くで列を組んで出待ちしているファンのために
その列に向かい軽いコミュニケーションをファンとの間に交わすようだ
そこでジュニアによってはこっそりと次の自分の出番の話をしたり、あるいは高価な貢物を貰ったり、ファンとの連絡先の交換をする
(よくジャニーズがスタバのドリンクを飲んでいるイメージがあるが、あれはどうやらファンがスタバカードを貢いでいる影響もあるようだ)
そして、そのような情報はツイッターなどのSNSで限られた相手との間でのみ流通する
(ファン同士で秘密のパスワードを付けた掲示板を作る。私もツイッターに入り込んで情報を得たりした。)
信じられないことに、ファンの中にはそのような「現場でのつながり」によってジュニアとの交友関係を獲得するものや、
(別に私はジャニーズだからといって性欲真っ盛りの期間に鬱憤を一人で発散したりホモに走ったりするのもどうかと思うので否定はしないが)
私はジュニアのことを詳しく知るまでは、ジャニーズジュニアはほんの一握りの出番の中で、ファンを獲得するために奔走するレアキャラで
露出が少ない彼らのファンなど存在しないと思っていた 彼らは貧乏でプライベートを捨てて必死にダンス歌を練習する苦学生のような想像をしていた
しかし、彼らはスタバカードでタダでドリンクを飲む 貢ぎとジュニアとしての稼ぎで高級ブランドを身にまとう
各々に濃いファンがいて彼らと直接の交流を交わす 可愛い女の子が見つかればちょっと恋愛をしてみたりもできる おもったより華やかな世界だ
そしてファンもデビュージャニーズよりももっと近い距離で彼らを応援する コンサートには出待ちし、奥様の井戸端会議の様に
SNSでタレコミ情報を交換する お金や自分を貢いで彼らを豊かにさせる
そんな実態を知って私は掲示板の荒れように妙に納得する 自分の彼氏・息子のように近い存在が狭き狭きデビューの門を争っている
そりゃあ新人は面白くない 自分の彼氏・息子が1番で出番なんて誰にも取られたくない 自分だけが詳しく知っている存在でありたい
私はそんなジュニアとそのヲタクの世界を知り「茶の間の自分にはテレビ雑誌露出の多いデビュー組以外無理だ」と悟った
私の生活は元に戻った。今日も録画番組をみて、雑誌を読み満足する。
まあハッキリ言わせて貰いますけど、原作の方が3倍は面白いな。
お前らが言ってた見やすさ分かりやすさは確かに原作より上だったよ。
でもそこが駄目なんだなあ。
のんびりしすぎてるんだよ。
それと見やすい絵が多すぎるんだよなあ。
見やすいというか書きやすいとか作りやすいと言ったほうが色々と正確だと思うんだけどさあ。
ハイキューの原作ってコートを斜めに切り裂くようなパワーのあるカメラワークが多いわけよ。
こういう事がありましたよってただ描写するんじゃなくてそのシーンが持つ意味が伝わってくるわけよ。
一瞬を切り取っていると同時に一連の動きも描写している漫画としてよく出来た絵なわけよ。
でもアニメはそういうの無いっていうか一瞬の中に無数の情報量が行き交ってる感じがしないんだよねえ。
動画だから漫画だからってだけじゃなくてアニメのカメラワークが分かりやすさ優先しすぎてるんだよね。
原作のカメラワークの段階でもちゃんと読んでれば何が起きてるのかしっかり分かるんだからそのままでいいのにわざわざ俯瞰っぽい感じにしたりボールゆっくり飛ばしたりしてまったりまったりしてんのよ絵が。
それやりたいばっかりに1カットで全てを描ききるって執念を失ってるんじゃねーかな。
お前ら毎秒何文字喋ってるんですかってのはスポーツ物じゃよくある現象だけどさあそれやるにしてももう少し早口にしてよ。
展開がゆったりすぎて試合のスピード感が大幅ダウンしてるんだけど。
まあそれでもそこそこ楽しかったよ。
最初はただのモブにしか思えなかったキャラが次々成長して視聴者にとっても大事なチームメイトになる話の連続でちょっと泣けちゃうよね。
でもそれは原作の力なんですわあ。
敵キャラもそれぞれに持ち味があってエース以外もしっかり印象に残るから主人公以外ライバル以外が活躍してる場面もしっかり楽しくて25点分たっぷり楽しめるよね。
でもそれは原作が凄いだけなんですわあ。
このアニメはここが凄いって所ないんですわあ。
見てる側が置き去りにならないように必要な情報を順番に与えつつ新必殺技っぽく見せるの上手いから気楽に楽しくバレーを理解できるよね。
でもこれも原作で既にそうなんですわあ。
どのキャラが今どういう場所で何をしようとしているかがしっかり作られているからどのプレーも納得感が凄いしリアリティがあるよね。
だけどやっぱり原作がそうだからアニメもそうなってるだけなんすわ。
丁寧な描写?
何が起きてるか分かる?
それは全部全部原作に既にそうだった事をおっかなびっくり丁寧になぞってるだけの焼きましコピーでしかないんですよ。
このアニメの価値って原作今まで読んでなかったけど売れてるらしいから追いかけたいけど単行本買うほどじゃないって人向けの販促がいい所ですよねえ?
いやいやそれも素晴らしいと思いますよハイキュー凄いいい作品なのに作者が有名じゃないとかジャンプのスポーツ物だからって理由で敬遠していた人も多いでしょうから後から追いつけるようにするのはとても大事です。
でもさああくまでその程度の存在でしか無い作品をさも日本一のアニメみたいに持ち上げるのは違うよね?
素晴らしい作品のバカ丁寧なアニメ化ってのは確かにやってる事は正しいけどそこに新しい素晴らしさはないよね?
多分だけどハイキューのアニメを(ものすごく)褒めてる人って原作読んだこと無いんだろうなって思うんだよね。
スポーツ漫画興味ない系?
まあ理由はどうでもいいんだけどハイキューの原作読んでないよね多分。
だって原作読んでてアニメ見たらあー懐かしいけどこれ原作の方が面白いなーって思うでしょ絶対。
試しに読んでみ?
そしてこう思うだろうね、「ハイキューのアニメってこの原作から生まれたことを考えたら全くみじんも大したことないな。でも原作が素晴らしすぎるんだから仕方ないよね」って。
【インタビュー】字幕翻訳者・戸田奈津子さん「エッ?と思う字幕は、どこかおかしいの」
https://www.buzzfeed.com/eimiyamamitsu/interview-with-natsuko-toda?utm_term=.bhpJ8y62dK#.pf3GDwzR2e
を読んだ。全体的には一方的な自己弁護を垂れ流すだけの提灯記事だが、インタビューという性質上これは仕方のないことなのだろう。この記事の良い点は、戸田奈津子という人の見当違いな自己顕示欲を浮き彫りにしているところだ。
「叩く扉もなかった」字幕翻訳という仕事に、その道の第一人者に直接食らいつくようにして取り組んでいった前半生は感動的でさえあるし尊敬もしよう。しかし一人前として仕事を任され、一定の地歩を固めつつあった頃には、質的な研鑽よりも量的なアピールに重きを置く仕事ぶりだったことがよく分かる。
それは時代というか当時の映画産業の要請でもあって、戸田個人に責任を帰すことも出来ないだろうが、何度も立ち止まるチャンスが有ったにも関わらず、過剰な自信に満ちた「職人魂」みたいなもので自分を虚飾したい一心で、本質的には作品に奉仕するべき字幕翻訳者のあり方を歪めた自己像を描出し、直そうともしなかった。それがこのインタビュー記事で表現されている「字幕翻訳の女王」の実態だ。彼女はことあるごとに「文字数は自由だし調べ物にもゆっくり時間をかけられる文芸翻訳とはわけが違うのよ」式の言い訳(師匠の発言の一部を都合よく切り取ったものだ)をして、質を犠牲にしてることを棚に上げて早業自慢を繰り返すが、この記事もまさにその例を一歩も出ていない。ほとんど馬鹿の一つ覚えだ。
せっかく日本一名の売れた字幕翻訳者になったんだから、個人の早業を自慢するよりも、字幕の質的向上のために制作・配給側が用意する時間や予算の拡充をアピールするのが筋なんじゃないのか? と私などは思うのだが、そんなことは自己否定になりかねないのでできない。映画や観客より自分が大事だからだ。徹底して裏方仕事に向いてない性格なのに(だからこそ喰らいついていけたとも言えるが)、なぜか字幕翻訳者になっちゃった人で、その上根っからのダンピング体質なんである。広く「第一人者」と呼ばれるものの最悪の事例として歴史に記録されるに値する人物だろう。
戸田字幕の具体的な問題点については、今ではある種のネットミームと化していて、山のように検証を綴ったページがヒットするので、ここでいちいちあげつらうことはしないが、この記事を読んでそれらガッカリ字幕の根本的な原因を確信できた気がする。戸田奈津子自身の映画作品に対する理解力が低いのだ……というのはあまりにも失礼なので、観客(想定読者)の理解力を低く見積もりすぎ、と留保つきで言うべきなのかもしれないが、とにかく画面に映っているものや脚本に対する読解力が低い翻訳をしてしまっている。軍事用語や「指輪物語」の専門用語に通じてないせいで勝手流に造語しちゃうみたいなことは、専門の監修者をつければ(それさえ不服のようですが)済むことだが、理解が浅いまま手癖で字幕をつける悪癖についてはせめて直そうとする姿を見せてほしいと思う。
どんな作品であれ受け手によって読み出せる情報量は変わるものだが、戸田字幕はその理解力の設定が最小限になってるみたいな字幕なのだ。そんなとこを端折ってしまったら、まるで子供の頃に見た「大人の映画」のように途中で筋が追えなくなるだろうな、と思うことさえある。一通りセリフが聞き取れるとか、背景知識も揃っているような人間が見ると「エッ?」となるような訳を乱発してしまっているのである。これは映画字幕という表現媒体そのものの制約なのだろうか? 単に投下すべきコスト(時間と人員)をケチってるだけじゃないのか? なにしろ理解力が乏しいゆえにかえって回りくどい表現をして、大切な字数を浪費している例さえあるのだ。単にこなした本数が多いから下振れが記録されているだけと擁護することも出来るが、それを言うとかえって早業自慢の露悪性が強調されるというものである。
そして戸田字幕に感じる理解力の低さ、雑さの遠因が、このインタビューでは明らかにされている。ただの映画ファンとして、「作品のファン」としての経験を積まずに映画を見まくった原体験が、映画を十分理解せずに、ざっくりと筋がわかれば(たまにそれにも失敗する)いい、という仕事を次々とこなすことを良しとする「映画字幕の女王」を産んだのだ。それは映画というものの立ち位置が変わってしまった現在には全くそぐわない態度であると私は思う。
多くの人が週末には何かしらの映画を見て、学生なんかは金の続く限り映画館に入り浸って、それ自体が楽しみで、何度かに一回面白いものがあったら儲けもの、といった時代はとっくに過ぎ去った。多少荒っぽい仕事があっても、「まぁそんなこともある」と納得してすぐにまた映画館に足を運んでくれる観客は絶滅危惧種と言っていい状況で、「とりあえず筋の追えるものを今週中に」みたいな品質でつけられた字幕を使う理由はほとんどないと言って良いんじゃあるまいか。なにもタコツボ化したマニアだけが字幕翻訳者の理解不足を責めているのではない。字幕でスクリプトの情報量を100%伝えろという不可能を要求しているのでもない(そんなことを言ったら、原語が完全に理解できても伝わらない部分は常にある)。娯楽が多様化する中で、金と時間を使うに値する丁寧な仕事で競争できているかが問題なのだ。
そもそも多くの映画は長い時間をかけて作られるものだ。製作に着手してから数年かかることはザラだし、驚くべき短期間で撮影が終わったというような作品でも、原作を読み込んで脚本化するのに何十年もかけていることだってある。そしてそれを待つファンも何十年越しで待っていることだってある。それだけの労力と期待を集めて公開される作品の最後の工程に、パッと見の印象を伝えるので精一杯みたいな字幕がついていて良いのだろうか? 日本人の英語力の向上には役立つかもしれないが、自分で聞き取れるようになったからといって問題が無くなるわけではない。「自分は内容がわかっても、あまりにも作品に無理解な字幕がつけられていることに耐えられない」という作品のファンの心理を考慮せずに仕事を続けることは、今や娯楽の王座から落ちて、比較的嗜好性の強いものになった洋画のファンには悪印象しか与えない。それに洋画ファンだけの問題でもない。どんなジャンルの仕事であっても、雑な仕事というのはそれに初めて触れる者に「なんとなく面白くないな」という印象を与えてしまうものである。それを防ぐために必要なのは、十分な準備期間と作業時間を用意することによって得られる翻訳者の深い作品理解だ。翻訳者に十分な時間とリソースが与えられ、一つの作品に使える労力を拡大することのほうが誰にとっても良いことなのではないか? すべての原因を「文字数の制約」や「納期の短さ」に帰することが出来るという甘ったれた足かせを自慢できればそれでいいのか?
戸田字幕の映画理解力の低さが、意図的に設定されているものではないと疑う理由がもう一つある。戸田は字幕翻訳が単独作業である理由として、「セリフの言い回しやリズムを統一するのに余計な時間がかか」るということを挙げている。そんなことを言っていたら、作中でセリフの言い回しやリズムを敢えて変えることで、登場人物の心理的変化や場面転換を表現する映画は原理的に字幕に乗らないことになる。これほど馬鹿な話はない。「こいつは最終的に悪ものになるやつだから、最初は丁寧にしゃべってても荒い口調で統一しとくのが親切」みたいな字幕が付けられた映画を、誰が見たいだろうか? 一つ一つの映画作品の性質をよく理解しないまま、ちぎっては投げみたいな仕事を続けてきたせいで、どんな映画も同じような構図に当てはまるよう訳すのが当たり前になってしまっているからこそ、セリフの統一感があることが「透明な字幕」の必要条件だという勘違いを起こしてしまうのだろう。映画が転調したときには字幕も転調するのが「透明な字幕」で、そのためには複数の視点が必要になることだってある。脚本や演出の意図を読み違ったまま、理解をし損なうことは避けられないからだ。いつまでも「一人の字幕翻訳者が短い期間で理解できた範囲」としての映画字幕が作られ続ける状況を肯定することは、この人の取るべき道ではない。それは決して映画のためにはならない。
「ロード・オブ・ザ・リング」の第二作以降は、原作の翻訳者がスクリプトの全訳を事前に行った上で、それを参照して戸田が字幕を作成し、改めてチェックを受けるという体制が敷かれたようだ(インタビューではその経緯をまるっきり無視していて、結果的に監修者の仕事を貶める傍若無人ぶりが表れている)が、これに似たことが常識的に行われるように働きかけしているんですよ、といった風のアピールをするほうが、「第一人者」としての尊敬を集めるのではなかろうかと私は思う。
現在の洋画の年間公開本数は80年代末以来の第二のピークを迎えている一方、戸田の仕事は当時の1/5近くまで減っている。文芸関係に限って言えば50歳ごろに確立した仕事のペースを守っている80歳なんていくらでもいるので、年齢のせいばかりでもないだろう。その事自体、戸田が翻訳者の待遇改善に取り組んだことの証左だと弁護することも出来るかもしれないし、実際にセリフを聞き取りながら見て「ここをこうやってまとめるのか、上手いなぁ」と思える翻訳者が増えてはいるので、まぁ戸田奈津子の問題ある訳というのも、そろそろ過去の話だよね……と最近は思っていたのだが、私はこのインタビューを読んで気が変わってしまった。やはり早いとこ全面的に後進に道を譲って、ご自身は字幕翻訳の質的向上のために翻訳者の待遇を改善する言論を起こされるなどしたらいかがだろうか。それが名の売れたものの使命と思ってはもらえまいか。いい年してよいしょインタビューに答えて、自分の大ポカで迷惑をかけた監修者の名誉を傷つけるような非道い言い訳を垂れ流している場合ではない。
今さら早業自慢を封じられるのは、自己認識からすれば転向に映るかもしれない。ひょっとしたら一気に老け込んじゃうかもしれない。しかし、昔よりずっと観客同士の横のつながりが強くかつ広範囲で、作品についての情報も手に入れやすい今だからこそ、字幕翻訳に要求される水準が上がっていることを認識し、それに適切に対応するように送り手たちに働きかけをする姿は、映画ファンの心に強い印象を残すはずだ。個人的な快刀乱麻の仕事ぶりを自慢するのはもうやめて、業界全体で作品の質に貢献する、充実した作業環境を残せるよう声を上げる好機なのではないか。それでこそ「字幕翻訳の女王」としての尊敬を集められるのではないか。今のままではせいぜい良くて「時代の徒花」といったところである。
そろそろこういう記事について語っていくべきだと思う。
こういう記事ってのは、3行程度の情報量が皆無な記事のことで、主にはてなブックマーカーのための大喜利お題となる増田記事のことだ。
書いてる増田はおそらく狙ってやってるだろうし、それに喜々としてつられるブックマカ共の、この無邪気な顔よ!
誰の利益にもならないが、ホットエントリー内にデブリをばら撒く行為としては、おめーら互助会のことを責められる立場にねーぞ! と言いたくなる。
なんか面白い記事はないかとはてブを使ういち利用者として、普通にイラッと来るんで、そいった記事を増田産業と名付けてやる!
増田産業の社畜どもは、どの口で互助会を批判するんだか! と、重要なことだから2回言ってやったぞ!
どっちがネタで、どっちがシャリかなんてどうでもいいけど、記事にブクマコメントが付くことでひとつの握り寿司となるんだよ。自分的には。
そりゃまあネタがまずそうな時はシャリだけいただいたりもするけど。主に互助会系エントリーとか。
だからってネタのうまさに頼ってシャリが3粒じゃ寿司として成立しないし、シャリにまかせてネタが3mm四方でもいかんだろ!
そういうことも言いたいんだ!
http://anond.hatelabo.jp/20161204095016
ブコメで、ディベートが大事だと言ってたので、ディベート経験者として、経験者だとどういう思考になるのか書いてみた。
まず知ってもらいたいのは、ディベートは完全なターン制のゲームだということ。相手がしゃべっている時にインタラプトできる機会は質疑くらいしかない。
基本的には、2チームに分かれて、自分たちの主張(立論)→相手チームからの質疑応答タイム(質疑)→反論タイム(第一反駁)→反論タイム2(第二反駁)
という流れで進行する。高校ディベートなら、4分、2分、3分、3分のフォーマット。それぞれの間には、準備時間がある。
だからその場で反論はできず、相手の主張が終わった後にまとめて反論することとになる。
こうしたルールがあり、かつよく考えて有効な発言をしないと全く試合に勝てないので、じっくり考えて話す素養
がつくと主張する。
まずは相手の立論をよく聞いて、内容を理解しないことには反論などはできない。ディベートの立論というのは、あらかじめ時間をかけて作ってくる。
無駄な語句や内容が一切省かれており、聞き逃したら困る密度の高い内容が1分あたり500~600字の高速で読み上げられる。
4分の立論なら、原稿用紙6枚分。
はっきり言って、初めてディベートの試合を聞く人は、情報量が多すぎて聞き取れない。ディベーターはまずこれを聞き取って、メモを取る訓練から始める。
論理構造を把握し、どことどこが繋がっているかも把握する必要がある。
これができないと、反論すら考えることができない。反論の基本は、まず相手の話を正しく理解することである。
正直、社会でこれだけの情報処理能力を使うことはないので、これができるようになるだけで、相手の話を「理解」することについて常人よりもはるかに勝る。
ディベートの立論というのは、時間が限られている以上、ほとんど無駄な内容がないように作る必要がある。
一般社会では関係のない話に脱線することもあるが、それがない。
立論を作る際には、「なぜこの内容を入れたのか」を徹底的に考え、一字一句の校正を繰り返す。
また反論をする時も同じだ。
反論する時間は限られているので、相手の立論の一番致命的な部分を、短い準備時間の中で見極め、重点的にスピーチする必要がある。
反論しても意味のないものは反論しない。本当に反論して価値のある部分だけを見繕う。
相手の反論に対しての再反論も同様。相手が反論していても、再反論する意義がないもの、反論になっていないものなどは、あえて再反論しない。
ディベートでは、10の適当な反論よりも、1の的確な反論の方が効果がある。
話す量、ではなく、どれだけ価値のある情報、反論を伝えられるか、が重要である。
ディベートをやっていれば、その発言がどういう影響を与えるか、とても敏感になるので、言うべきことと言う必要のないことが判断できる。