はてなキーワード: ディベーターとは
https://news.yahoo.co.jp/articles/61a073a8498650142ed39dfe6897abd98a3479eb?page=2
まず司会の宮根誠司(61)が「残念な結果とはいえ、相当手応えを感じた選挙戦ではなかったかと僕は思うんですが、いかがでしょうか?」と質問すると、石丸氏は「言葉を返してしまって恐縮なんですが、残念でもなければ手応えという評価も特にはしていません」と一笑に付す。
宮根が心境を尋ねると、苦笑しながら「山ほどおんなじ質問に答えてきたんですが」と前置きした上で「繰り返すと、都民の総意が可視化されたというだけの現象ですね。メディアがよく注目されているのは、候補個人がああだこうだという話でしかないので。実に些末な視点だなというふうに、一蹴しています」と返答。
「石丸さんがやりたいこの先の政治っていうことを考えると、国政レベルなのか都政レベルなのか、どっちが重きが大きいですか。今の気持ちとして」と尋ねると、石丸氏は苦笑しながら、こう話した。
「大変申し訳ないですが、前提のくだりがまったく正しくないなというふうに感じましたよ。ゼロ公約と私が今回掲げた政策、どこに共通点があるというふうに。全然次元が違うと思うんですけども」
改めて山崎が「国政の規模でしかできないことが、都政で実現したいって打ち出してる公約の中にもあったのかなっていう声も、私は受けたんですけど。そこの声に対しては、どうお考えですか」というと、石丸氏は「見方が違うんじゃないでしょうか。国政のレベルでやる、例えば国防とか外交はもちろん、都の範疇に入りません。ただ私があの中でうたったものは全て東京都として関与できる、裁量がある、その範囲に限定しています。当たり前の話ですけど」とコメントした。
だめだコイツ
<追記>
この動画みたけど、日本の田舎の昭和土人たちに囲まれてそうなってしまったのかなと。。。
http://anond.hatelabo.jp/20161204095016
ブコメで、ディベートが大事だと言ってたので、ディベート経験者として、経験者だとどういう思考になるのか書いてみた。
まず知ってもらいたいのは、ディベートは完全なターン制のゲームだということ。相手がしゃべっている時にインタラプトできる機会は質疑くらいしかない。
基本的には、2チームに分かれて、自分たちの主張(立論)→相手チームからの質疑応答タイム(質疑)→反論タイム(第一反駁)→反論タイム2(第二反駁)
という流れで進行する。高校ディベートなら、4分、2分、3分、3分のフォーマット。それぞれの間には、準備時間がある。
だからその場で反論はできず、相手の主張が終わった後にまとめて反論することとになる。
こうしたルールがあり、かつよく考えて有効な発言をしないと全く試合に勝てないので、じっくり考えて話す素養
がつくと主張する。
まずは相手の立論をよく聞いて、内容を理解しないことには反論などはできない。ディベートの立論というのは、あらかじめ時間をかけて作ってくる。
無駄な語句や内容が一切省かれており、聞き逃したら困る密度の高い内容が1分あたり500~600字の高速で読み上げられる。
4分の立論なら、原稿用紙6枚分。
はっきり言って、初めてディベートの試合を聞く人は、情報量が多すぎて聞き取れない。ディベーターはまずこれを聞き取って、メモを取る訓練から始める。
論理構造を把握し、どことどこが繋がっているかも把握する必要がある。
これができないと、反論すら考えることができない。反論の基本は、まず相手の話を正しく理解することである。
正直、社会でこれだけの情報処理能力を使うことはないので、これができるようになるだけで、相手の話を「理解」することについて常人よりもはるかに勝る。
ディベートの立論というのは、時間が限られている以上、ほとんど無駄な内容がないように作る必要がある。
一般社会では関係のない話に脱線することもあるが、それがない。
立論を作る際には、「なぜこの内容を入れたのか」を徹底的に考え、一字一句の校正を繰り返す。
また反論をする時も同じだ。
反論する時間は限られているので、相手の立論の一番致命的な部分を、短い準備時間の中で見極め、重点的にスピーチする必要がある。
反論しても意味のないものは反論しない。本当に反論して価値のある部分だけを見繕う。
相手の反論に対しての再反論も同様。相手が反論していても、再反論する意義がないもの、反論になっていないものなどは、あえて再反論しない。
ディベートでは、10の適当な反論よりも、1の的確な反論の方が効果がある。
話す量、ではなく、どれだけ価値のある情報、反論を伝えられるか、が重要である。
ディベートをやっていれば、その発言がどういう影響を与えるか、とても敏感になるので、言うべきことと言う必要のないことが判断できる。
一応、誰が誰に入れたのかを公開することには形式的問題があるかもしれませんので、
下記のような理由でマイナーボートをした人もいた。と認識しておいてください。
※全く関係ない人へ…本日(6/24)全日本学生新人ディベート大会が行われ、(http://www.coda.or.jp/)そこの決勝戦(7人ジャッジ)で審判をしましたので、その判定理由の概要を示しています。論題は「日本は死刑制度を廃止すべき」
略語…Aff:肯定側 M:メリット Neg:否定側 DM:デメリット
■議論整理
Aff.
スタンスをスタンスとして抜き出しておく必要があったのかどうかは謎だが、とりあえずこれ自体は反駁もなく、発生はしていて、残っている。ただし、犯罪を増やしてまで採用すべきメリットなのかどうかについては立論・反駁中でも示されておらず、そこまで強いインパクトではないであろうとの判断。他の人の生命が守れれば正当化されてしまうと自ら言っているので。
発生するはするけれど、多少の合理的な反駁や、(そんなわけないのだけれどdropされた)再審請求していれば執行されないとの反駁もあり、数としては非常に少ないという判断。
拡大自殺に関しては、Negが言うように死刑があろうがなかろうが周りを巻き込む人もいるだろうし、一方で「死刑になりたくてやった」という人の存在自体は否定されず、多少は残るだろうという判断。
★この反駁と立証の評価でジャッジの判断は結構分かれた。反駁を大きくとりこのメリットをほぼ発生しないとしたジャッジも複数
問題は後半で、犯罪が減ったところもある、というのは分かったが、それが拡大自殺だけを反映しているわけではないだろうとも思うものの、触れられていないので明示的にはとれず。また、後述するが、背景要因の検討もこの試合においては不十分。まあとにかく減っているところもある、とだけ。
惜しむらくはせっかく質疑で残忍化効果を匂わせたのにそれを使わなかったところ。
Neg.
A 一般抑止 「死ぬのは怖い」-「ずっと閉じ込められるのは嫌だ」の差分がuniqueness。正直どれくらい大きいのかは不明だし数も不明。いなくもないだろうが、どっちも普通は嫌だし、Affの反駁にも返していないのであまり大きくはとれていない。
別に終身刑でも悪いこととは分かるであろう、という話を採用。上記の差分ともリンク。要は、その差分が大きいと思うか小さいと思うかはかなりジャッジの主観で分かれている。(数十年たたないと云々言っている割には、自ら後で出している資料は直後の増減を論じているというのも疑問)
C 抑止力低下
アーリックモデルに対して、社会的変数などが考慮されていないなど、これでもかというような反駁資料がつけられて、再反駁なかったので、このeviで実際に犯罪増えるとは言えない、という判断。
★このアーリックモデルに対する反駁のeviをこの試合の中でどの程度重視するか、単にこのカードへの返しとだけ考えるか、資料の立証責任レベルを上げるものと考えるかはジャッジで分かれ、投票割れにもつながる
D
・誘拐→「そもそもあまり知られていないのに抑止になるのか、時代も古すぎる」をほぼ返さず、大きくはとらず。まあ、なくもない程度。
・組織犯罪→塀の中から戻ってこれなければ、やはり元も子もないわけで、固有性不明。(なぜ親分に殺されるという話をしなかったんだろう) まあ、なくもない程度。
E 再犯の増加
特に反駁なかったが、結局Aの差分が効いてくるわけで、そこまでも大きくとれず。
S1 アメリカでは2倍に増えたらしい
ここはNeg.のアーリックモデルのカードを援用して立証評価。要は、経済条件はどうだったのかとか移民が増えたのではないかとか、そういう背景を全く言わずに「そのへんの年から2倍に」と言われてもこの試合ではそこまで単純に取れない。そういうことも考慮すべきであるとAff.から示されている以上。
ただ、そこまで考えるべきかどうかはジャッジで分かれていて、結果から言うとそこまで援用しなかったジャッジが多数派。本当はAff.がちらっとでも言うべきであった。
別に死刑囚じゃなくても諸外国ではよく暴動起きてるし…。質疑で応答した、期間が問題というのもよく分からない。それ以上の証明も深刻性言及もないし、立証不足。ていうかこれ発生過程じゃなくて全然別個のデメリットではないんだろうか。
深刻性は、まあそうですね、という判断。
■比較
結局、犯罪が増えるのか減るのかディベーターが明示的に比較していないのでジャッジが考えざるを得ない。
犯罪が増える可能性があるスキームも、減る可能性があるスキームも両方わずかながら生き残っていて、しかも相反しないので、両方起きると考える。
とした場合、減るという資料も増えるという資料もあって、どっちも背景証明が不十分となると、現状とほぼ変わらないのではないか、と判断。