はてなキーワード: 大袈裟とは
最近婚活アプリ・マッチングアプリというものをはじめた。恋活ではなく婚活系のアプリ。
俺は今年30になる普通の男性サラリーマンだが、今まで仕事に打ち込んできた。
仕事ばかりだったのと、男性比率が極端に高い職場なので出会いはなかった。
流石にやばい、というか結婚して子供欲しいと思い、婚活をすることにしたんだが・・・。
アプリを使っていたり活動していたりする年齢層的に仕方ないのかもしれないが、売れ残りのヤバいやつしか検索に引っかからないし、申請してくるのもそいつら。
もちろんたまに良さげな人もいるが、ごくわずか。おそらくPairsだとかの上位層と同じ状況になっているだろうから、よほどの超ハイスペックな男性でないとマッチングしないと思う。
とにかく女性側の会員がやばすぎる。
例を挙げるとこんな感じだ。
お前ら今まで何してたんだ?
まあ申し込むのはただだから本人たちは良いんだろうけど、全員釣り合ってないんだよね。身の程を弁えてほしい。
子供欲しいならなんで20代後半、30代前半で結婚しておかないの?出産リスク分かってる?男は馬鹿じゃないのでその辺すごく見てるけど。
実家暮らしで金かからない点は良いと思うけど、金遣いが荒いの見えてるんだよなあ。
旅行とか観劇とかライブとかゴルフとか。これらがプロフに書いてあったら必ずしもNGだとは言わないけど、かなり金は使っているはずなので危険に見える。年に100万以上海外旅行に使ってる女とか、観劇(これは実はジャニヲタだったり宝塚ヲタだったりする)に100万以上使ってる女とか、嫌だよね。趣味が旅行しか書いてなくて頻繁に行っているとか、ヤバすぎる。他に趣味作った方がいい。もっと(結婚目線で)健全な趣味作ってプロフに書いてくれ。
あくまでプロフ見たりしただけで内面が分かっていないので、魔窟と言うには早いのでは?と思うかもしれないが・・・
マッチングしてもメッセージのやり取りをしない、続かない、返事が来ても遅いことがなんと多いことか・・。
お前ら人付き合い舐めてんの?
婚活アプリに限らないが、女性は特に返事が遅い。優柔不断いいかげんにしてほしい。複数の男抱えてるならとっとと決めろって感じ。
基本的に受け身の女性が多い点も気になる。俺はあなたの申し込みを承諾したのだからあなたからメッセージがあっても良いのでは?とよく思うが大抵はメッセージを送ってこない。
どこのサービスかは言わないけど、はっきり言って売れ残りのヤバいやつしかいないので、魔窟と言っても大袈裟じゃない。
さて、どうしたものか。
頭が良いとか、年収が高いとか、身の程を弁えているとか、気立てが良いとか、そもそも若いとか、ハイスペックな女性はどこにいるんでしょうかね。
https://pmazzarino.blog.fc2.com/blog-entry-372.html
を受けて。
法手続き上の正義というのは、その社会の構成員が「確かに存在している」と合意していることが前提だ。
罪を犯した人物が、その程度に見合った刑罰を受けること。
罪を犯していない人物が、証拠もなく「怪しいから」などというだけで裁かれないこと。
それが実現している様子を社会の構成員が見届けることで、「司法に任せておけば大丈夫」となる。
池袋暴走事件で「上級国民」と世の中が沸騰したのは、法手続き上の正義の存在が揺らいだからだろうと思う。
確かに法律には、逃亡や証拠隠滅の恐れがない場合は逮捕の必要はないと書いてある。
罪を犯した疑いがどれほど濃厚だとしても、それが確定するのは司法の場であって、それまでは不当に身柄を拘束されることはないというのはまさに法手続き上の正義だろう。
だが、他の誰かが同じことをした時にその正義は同じように適用されるだろうか。そうした疑念が「上級国民」という言葉で形を得て、容疑者やその家族に向けられることになった。
先だっての裁判でも同じ疑念の目が向けられていることがわかる。
被告には無罪を主張する権利がある。だが、検察の追求は正しく行われるのだろうか。
この疑念は裏返せば司法に対する期待でもあるだろう。
ひとりの構成員として、正義が為されることを祈っている。
さて、この話はここで終わりではない。
この国ではつい最近、法手続き上の正義が大きく揺らいだ出来事があった。
黒川元東京高検検事長と検察庁法改正案をめぐる一連の騒動だ。
法手続き上の正義は、何人であっても平等に適用されなければならない。
たとえ元高級官僚であろうとも、国会議員であろうとも、総理大臣であっても、罪を犯せば裁かれる。
だからこそ司法権は独立していなければならない。
あろうことか、安倍元首相及び自民党はそこに手を突っ込んだ。
それによって黒を白に書き換えたとまでは言うつもりはないが、疑念を抱かせるには十分であろう。
当の本人たちは「そんなつもりはない」「何をそんなに大袈裟な」と思っているのかもしれないが、それであれば事の重大さが分かっていないということであり、なお厄介だ。
法手続き上の正義が存在するとの合意が失われると何が起きるかを示しているのが、Black Lives Matter運動だろう。
法律の上では白人も黒人も平等だが、法手続き上はそうなっていないと多くの人が感じていた。
暴動や略奪を肯定するつもりは一切ないが、法手続き上の正義が存在していないと考えているのであれば、そういった事が起きてしまうことも理解できる。
トランプ大統領はよりによって「法と秩序」と繰り返し言っているが、それが揺らいでいるからこんなことになっているんだろう。
この国にも経済的・社会的な格差が存在する。
性差別が存在する。
人種や国籍での差別が存在する。
法手続き上の正義は、万人に対して平等に為されなければならない。
貴方もしかして「『感情をあまり表に出さない』演技」と「只の棒読み」の区別がついてないんじゃない?
>アニメの場合画で細かい表情を作りこむとコストが跳ね上がるので声で大袈裟にやる方法が取られる、とはいえジブリみたいに大袈裟にやらないものもある。
「響け!ユーフォニアム」なんか正にそれ「画で細かい表情を作りこむ」に該当する作品なのでは?よって「(アニメ特有の)大袈裟な演技」は恐らくNGになる。
お笑い芸人、舞台役者は観客が客席からステージを見る形式が多いため細かい表情で演技をしても客が読み取れない、だから声で大袈裟にやる必要がある、それ故にゲスト声優として当たりが多いとされる
映画、テレビドラマの役者はスクリーンや画面にいっぱいに顔が映るため細かい表情を客が読み取ることができ、声で大袈裟に演技する必要はない、それ故にゲスト声優で出た場合有名でも外れが出る
アニメの場合画で細かい表情を作りこむとコストが跳ね上がるので声で大袈裟にやる方法が取られる、とはいえジブリみたいに大袈裟にやらないものもある
アニメ声でも静かなドラマの演技でも半沢直樹でも統一感があればいい、統一感がなければ異物感が出る、作劇上の演出でもない限り異物感は劇の質の向上のために避けるべきものである
「マーフィーの法則ね」
タイナイが言うには、マーフィーの法則というのは“推測可能なことは起こりうる”って前提に基づいている。
そこから失敗の可能性を掘り下げ、ひいては日常で起こりうる不幸や不運について解析するのが、この法則ってことらしい。
例えば、置き傘をしていない時に雨が降るだとか、ニキビは一番カッコ悪いところにできる、なんてのもそうだ。
「うん、マーフィーの法則だね。僕の場合だと、深夜に書いてしまったブログ記事ほどバズりやすいかな」
しかし、挙げられた例の多くは法則というには大袈裟で、言ってしまえば“あるあるネタ”のようなものだった。
どちらかというと、認知バイアスに基づいた経験則といった方が正しい。
「うーん、こんなものを法則っていうのは、少々おこがましくないか?」
「けどマスダの言っていたことも、ほとんど似たようなもんだよ」
確かに、今日の俺の出来事で、いくつかは当てはまるものもあるだろう。
だが、それだけだ。
現時点では、俺の体験には「マーフィーの法則」っていう如何にもな呼称があり、それを知ったに過ぎない。
あの馬面教師のありがたい言葉から拝借するなら、「学んでなくても出来ること」ってやつだ。
計算式を学び、解き方を勉強しなければ答えは導き出せないんだ。
それでも俺は、この法則に自分の求める“何か”が隠されていると感じていた。
その“何か”は、かかっている靄を晴らすには頼りなく、あってもなくても変わらないかもしれない。
精々、ペンライト程度の頼りない光だ。
だが、そんなものでも、目的地の道しるべくらいは見えるだろう。
そんな予感があったんだ。
言葉をオウムのように繰り返しながら、自分の中で咀嚼していく。
そして、ふと違和感の在り処に“あたり”をつけた。
それはマーフィーの法則そのものではなく「法則」という一部分だった。
その糸を手繰り寄せられるかは疑問だったが。
「うーん……やるだけ、やってみるか」
俺は緩く決心した。
「ねえ、結局マスダは何に悩んでいたの?」
「その答えは、これから、だ」
「え、どういうこと」
社会学者の津田氏による「リメイクが続くとしたら、男女役割分業の描き方は変更せざるをえない気がする。」というツイートを批判していたが、作者の田中芳樹先生も同意見であった事が分かり、梯子を外されてしまった批判側。
一方津田氏は9月13日、「今回の騒ぎで「作り手が無理に変更を強いられた」というような印象を一部のファンのあいだで作り出すのであれば、それは非常によろしくなかったし、謝罪したいと思う。」と謝意を示した。
興味深いのは津田氏が示した「同じ変更をするにしても「外から押し付けられた」か、「制作者が自発的に取り込んだ」かでその意味合いは全く変わってくる」という見解だ。
これは田中芳樹先生の意見が判明した後、批判側が食い下がっていた際の意見にかなり近い。田中芳樹先生やアニメ製作スタッフが自分の意志で変えるのと、外部が変えさせるのは違う、という事だ。
これにより「田中芳樹先生も津田氏と同じ意見じゃんw梯子外されてやんのw」と喜んでいた津田氏擁護側も津田氏本人により梯子を外された形になる。
津田氏の謝罪文は理知的に状況をとらえて振り返り、分析しているのでどちらの陣営も読んでみる価値があると思う。
例えば彼の発言について、「ネット上のただの発言を重く捉えすぎ」「影響力を大袈裟に考えすぎ」といった意見があったが、
彼は謝罪文で「ネット言論がある種のプレッシャーとして機能してしまう部分はある。「ネットで炎上してるけど、気にしなきゃ平気」というのはなかなか難しいのではないか(体験済み)」と今回の自身の体験を含めてネット言論の無視できなさ、プレッシャーを振り返っている。
制作者の自発性を尊重しようという態度はなるほどと思わされた。
彼の発言を以って「これだから社会学者は」といったリアクションが見られたが、今回の彼の謝罪文を見れば、むしろ社会学者を見直す者も出てくるのではないだろうか。
追記:
リンクを貼ってくれとコメントがあったが、ツイッターのリンクを直接貼っていいか分からなかったので(ツイッターの引用って面倒臭い規約があった気がしたが、記憶違いかもしれない)ツイートへのブクマのリンクを貼っておく。ここから辿ってくれ。
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/twitter.com/brighthelmer/status/1305033407043231748
また、誤解がありそうなので追記しておくが、私は津田氏の当初の発言が「田中芳樹先生に対して修正を求めた」ものとは解釈していないし、その解釈は津田氏批判側の中でもマイナーだと思っている。
修正を求めているとしても明らかに対象は「リメイク(アニメ)」でありその製作スタッフだ。
そして彼の謝罪文は、そのアニメ製作スタッフに対して自分の発言が「「作り手が無理に変更を強いられた」というような印象を一部のファンのあいだで作り出すのであれば、それは非常によろしくなかった」という趣旨である。(加えて、その影響について「ネット言論がある種のプレッシャーとして機能してしまう部分はある」と影響力を軽く見ない事を宣言している)
一度作ったものではなくこれから作られるリメイクに対しても、「変更」は発生し得るし、その変更の受け止められ方に対する懸念と反省なのである。
プリンターのインクなくなったらちゃんとなくなったって言って下さい!
ストックないじゃん!
もー!
しかも私のところのプリンターじゃなくて隣の部署のプリンターで
買いに行ってあげんだからね!って
せこせことポイントゲットだぜ!ってポイントを集めるって作戦だろ!って思われないように演じるの。
でもほんとマジ最後に使った人は言って欲しいわ。
なんかさー、
勝手にインクも補充してくれるようなビジネスモデルないかしらね?
それはともかく、
私凄いこと発見したの!
ビックビジネスのチャンス!
あのね、
一定の決まった長さに切ってくれるオートマチックなテープ台ってのは、
この世の中には存在していないみたいなのよ。
これ開発したら一攫千金大もうけじゃない?
そして、
もしかして決まった長さに切ってくれる自動的なオートメーションの仕組みが確立されたら、
でもさ、
ワンハンドで測って封筒に測れる分だけ切ってダイレクトに貼り付けることが出来る器具ができたら、
もう昨日の晩は
テープをいかに一定の長さに切れる機械が作れない買って事を一生懸命考えた一夜であったわ。
でも
カッターのところに定規のゼロセンチをあわせてテープを引っ張ったら、
まあ結構正確に測れるじゃない!って
落とし所に落ち着いた訳なんだけど、
これはきっとブルーオーシャンビジネスの匂いがプンプンするわ!
って相田みつを先生が言いそうな味の素のシーエムのキャッチフレーズのように
でもそんなことを考えながら、
テープ貼りしていると、
全部終わっちゃってその達成感のためか、
すっかり今の今まで忘れていたわ!
このビジネスチャンス誰か掴んでもいいわよ!
うふふ。
己に従うわ。
すいすいすいようび~
今日も頑張りましょう!
>ムカついてる自分を平易にムカついたんだねって認める人と、大袈裟に傷付いたーって言い出す人と、どっちが思考の雑な人間ですか。
どっちが人に迷惑かけず自分の人生を無駄に暗くしない人間ですか。
後者だろ。
本人にバレても構わないので書く。
お前じゃバズれないんだ。そろそろわかってくれ。
僕ヤバの更新日には、大袈裟に、誇張表現を使った感想ツイートが大量に流れる。
そして感想の中心になる人物が複数いる。そういう人は何を言ってもいいねが100件くらいつくし、リツイートもされる。
で、俺のフォロワーに一人、「感想の中心の人物」になりたがっている奴がいる。
普段は凡庸なツイッタラーで、ガチャの結果を載せたり仕事の愚痴を呟いたりしている。
なのに、僕ヤバの感想だけ、バズろうとしている。
「山田、市川を性的に見過ぎなんだよな(これは例文)」みたいな言葉遣い普段全然しないじゃん。
どうしたんだよ。
お前はさ、いいねされたりリツイートされたりする環境が整備されてないんだよ。
感想マンたちを見ろよ。大体フォロワーが1000〜10000くらいいるだろ。
だから「僕ヤバ読みました………………………」だけでも100いいねがつくんだよ。
同じことを200フォロワーのお前がしても"同じ"じゃないんだよ。
「○○なんだよな…」みたいなバズり構文を使うのももうやめてくれ。
僕ヤバの感想なら誰でもバズれるわけじゃないんだよ。
お前が同じこと呟いても誰もいいねしようと感じない。
僕ヤバの更新日にお前のツイートを楽しみにしている奴はいないとそろそろ気付いてくれ。
僕ヤバの感想で承認欲求を満たそうとするのをもうやめてくれ。いつものお前はどこいっちゃったんだよ…。
9/9追記
フォロワーのこと書いた記事を読んでもらうことで承認欲求を満たす形になっているので追記しない方がいいと思ってたんだけど一つだけ。
togetterでまとめてる人がいたんだけど、あなたのことではないし、あくまで俺と俺のフォロワーの話だから気にしないで欲しい。こんなはてブ書いておいて言える話じゃないけど。
私は傷付いたことがないんですよね。
「傷付く」って中学生ぐらいの頃に少女漫画とか女性向けコンテンツによく出てくるのを見て「これなんなんやろう?」と思ってました。
なんやそれうざったい。気に食わないことあって拗ねとるだけやん。
と思っていました。
いや今でもそう思っています。
「傷付く」っていったいなに?
私も中学生時代なんか人並みにいじめられたり頭おかしい教師と激突したりもしましたが
「傷付」いたことなんかないんですよね。
ムカついたことは沢山あるけど。
みんなに聞きたいのは
本当に「傷付」いてるの?ってことなんです。
陶器かよ。
いや泥沼のベトナム戦争に放り込まれて一週間もベトコンにおびえながらジャングルをさまよったり
爆弾で吹っ飛ばされた戦友のはらわたかき集めて脚を探したりしてたら
それはなんか後遺症とか出るのかもしれない。
でもさあ、普通の社会の人間同士のやり取りで「傷付いた」ってなんなの?
リアルで「傷付いた」とか言ってる奴って、少女漫画の恋愛をリアルの恋愛で生かそうとしてるのと同じぐらい痛いでしょ
なんか傷付いたらすごい人生全体にデバフがかかることになってるんですよ。
いやそれ自分でそうやってるだけじゃん。
自分で自己憐憫して浸ってそういう方向に自分で向かってるんじゃん。
「傷付いた」っていうののほとんどは単にむかついただけだと思う。
むかついたら一旦そのむかつきに正当性はあるのか、相手と立場ひっくり返したりして考える。
それでもむかついてるならやりかえせよ。
私はなんか電車で結構おっさんに絡まれる方で2年に1回ぐらい強めのトラブル起きてるんだけど
相手がどれぐらいの気持ちでやってきたかに関わらず本気で「殺すぞ」の勢いで瞬発で行くからね。
まあ身体も大きんだけどさ。小さくても負けることは無いと思うね。
顔中汗かいてブツブツ言いながら逃げていくおっさん、走って逃げていくおっさん、いろいろ見てきたし
ほんとに深夜で人通りが無かった時には口から血をボトボト出させてたやったこともあるね。(そのへんは今後の人生で2度と通らんからいいやと思ったし。)
でもそのあとは全く引きずらないし、傷付いたことなんかない。
そんなこと言って自分を縛ってどんどん人生を暗い方に自分で持ってってるんでしょ。
まあそういうことをする余裕がある人なんだろうなとも思うけど。
なんも余裕なくて必死に生きてる奴は傷付いたーとか言ってられんし。
ただムカついたりビビったりするだけ。
>でもそのあとは全く引きずらないし、傷付いたことなんかない。
それにしては詳細に覚えてるし、それをわざわざ書くのはむしろ引きずってるように見える。
なんで覚えてるかって、印象的だからだよ!
私は結構暴力的な事件に巻き込まれる方ですが、それでもエキサイトした体験は一件一件印象には残ります。
ていうか、
「何人も〆てやった」「相手はおっさん」「一度口から血がどばーって出るほどしばいたことも」
程度の記述は言うほど詳細か?
人を〆ながらきみは傷付いていたんだよ!って言われても、それどんな奴なの。
やっぱり「傷付く」って言葉を擁護する人間は少女漫画文化にやられてる気がする。
厄介イケメンてだいたい人間としてめっちゃ悪質だと思うんだが、彼は傷付いてるの!的に免罪されるの謎すぎるよな。
髪の白い悪質イケメンじゃなく髪の黒い真人間イケメンのほうにしとけと。
自慢じゃないけどわりと円満でゆるくて裕福な家庭に育ったんだ。
ていうかさ「傷付いた」の内容物、コンテンツはなんやねん、ほんとはそんなんないやろ、という申し立てをしてる人間に対して
「君は幼少期に傷付いたのではないか?」って質問は日本語噛み合ってなくないか?
「傷付いたとはこれこれこういうことなんだ、だから君のご指摘は当たらない。」
という風に、傷付くってことの説明をまずせーよ。
あんたの無茶な理論で行くと、印象的な思い出は全部「傷付」いてたことになっちゃう。
でも「傷付く」ってそれぐらいガバガバであいまいな言葉なんだよね。
使ってる奴らもよく考えてないでしょ絶対。
今から書くこと全部外れてて欲しいんだけど
とか言いながらこんな雑な心理分析もどきでなんとか煽ろうと顔真っ赤にして頑張っちゃってるじゃん?
要するにあんたは私にムカついたわけよ。
簡単に言えば「こいつなんかエラそう」っていう反発だし、
もうちょい深く言えば「定義不明コンテンツ不明な言葉を振り回してる自分の日頃の無考えを指摘されてカチンと来た」わけ。
これは単に「ムカついてる」んだと思う、私は。
でもあんたの理論だとすべて「傷付」いてることになるんだっけ?
増田を書くのは傷付いてるからで、おっさんを〆てるときも傷付いてたと。
それに対してめっちゃ煽ろうと頑張るあんたは私が傷付けてしまった被害者なのだと。
世の中傷だらけすぎかと。アホかと。
そんななんでも全部「傷付」いてることになるんなら、
「ムカついてる」よりはるかに乱暴で大雑把な概念じゃない?「傷付く」って。
sds-page 感情が無い設定のキャラ、だいたい感情がある 増田
2020/09/08
人の話聞いとるんか。
感情がないなんてどっこにも主張してないだろ。
「傷付く」ってなんなんですか?「ムカつく」とか「ビビる」じゃないんですか?と言ってる。
私は情緒は豊かな方だしなめてきたおっさんにムカついてカッとなって〆たことは何度もあると供述もしてる。
pptppc2 傷ついたことがない増田 VS ギザギザハートの子守歌に出てくる触るものみな傷つけた奴 VS ダークライ
2020/09/08
けどあんなん要は「やなことあってイライラしてて弱いやつ狙って当り散らしてる」ってだけじゃん
イケメンだから許されてるけどきたねえおっさんがやってたらどうなの
alpha_zero alpha_zero 幼少期にこういった繊細な概念を学ぶ機会がなく、まとめて「ウザい」「ムカつく」等の大雑把な表現しか出会わないと自分の感情が理解できなくなり、キレやすくなるケースがあると児童心理の本で読んだことあるなぁ
2020/09/08
お前らと私とどっちが思考が細やかかをフェアに見比べてほしいわけ。
脳が粗雑だと難しいだろうけど。
何でもかんでも「傷付いた―」に放り込む人間と
「いや、それはムカついただけ。それはビビっただけ。
傷付いたってなんだ?ほんとにそんなのあるのか?」って懐疑を提示する人間と。
今回の文はつまり「傷付いたーとか言ってるやつは雑に生きてるせいで頭悪いんちゃうか?」と疑ってるんです。
「俺はお前らよりタフガイ」ではなく「私はお前らよりは頭いい」と言ってるんです。
反論は大歓迎だけど、ちゃんと問題文読解したうえで反撃してほしいな。
それは貴方の傲慢と人生経験の不足です。他人の心の中は文字通り想像を絶する程わからない。貴方には嘘としか思えないクソみたいな理由で人は傷ついたり自殺したりします。他人の心中を嘘と断定できる訳が無いのです
うんだからそれはただのアホでしょ。
傷付いたーって深刻ぶっみたせいで始まっとるでしょ。
「ムカついたから自殺します」ならこれただのアホやんけって気付いて自殺しなくてすむでしょ。
あと「じゃあムカつくってなんだよ」という質問が結構あるから答えると、要するに怒りですよね。
怒りってなんなのか、「自分の思う通りでない」ってことです。
例えば女に告白したのにフラれてムカついた。
思う通りでなかったことへの瞬間的反応です。
でもフラれる可能性なんて当然あったのになんでムカついてんだ?と。
そこを掘り下げると、
もしくはなんかうぬぼれてたんだなとか、
もしくは告白しながら実は相手の女のこと見下してるとこあったんだなとか、
客観的に見れるでしょ。
そしたらこのムカつきは単に自分でやってるだけじゃんてなって終わりでしょ。
これを「フラれて傷付いた」にしたら大変で、自己陶酔したまま逆恨みで相手をストーカーしたり悪口言ったり刺したり、自分が死んだり、大変でしょ?
ムカついてる自分を平易にムカついたんだねって認める人と、
大袈裟に傷付いたーって言い出す人と、
どっちが人に迷惑かけず自分の人生を無駄に暗くしない人間ですか。
みたいに一生懸命煽ってる奴、
要するにこんな話でムカつくーとかムカついたーとかを「傷付いた」扱いしえ頑張ってるわけで、
私の懐疑である「単にムカついただけのことを大袈裟かつよくわからん感じにするために「傷付いたー」って言ってない?」はますます当たりなんじゃない?
そういう攻撃性や「ムカつく」という感情の背後、識閾下には深い悲しみがあることが多い。怒りはあくまで第二感情。その悲しみが意識されれば無駄に少女漫画に切れるというようなことも多分なくなる。
逆だと思うな。
怒り、「思い通りでないこと」に対する不満が全てで、悲しいって言うのは怒りの亜種だよね。
身内が死んでなく人は「ずっといてほしかったのにいなくなった」っていう現実に不満で泣いてるわけ。
ていうか感情を意識してないのは、そういうことをきちんと分析して考えることがなく「傷付いた」ですませる雑な人達の方では。
思考が雑な人の特徴は明瞭で、語彙が雑。あと辛抱して読む力がない。これは怠惰なのではなくてやろうとしても出来ない。
この文にしたってどの辺で少女漫画にキレてるのよ。
ちゃんとした読解力や洞察力ある人ならむしろ「こいつ相当少女漫画好きやろ」と気付く。
少女漫画というのは精神的快楽をすごい突き詰めて分析して再構築する勝負なのであんな面白いものはなかなかないし頭のよい人間が読むに足るコンテンツだから。
少女漫画の文法や約束を現実にそのまま適用しようとするのは毒されててキチガイじみてるからやめろと言うだけ。少女漫画自体は卑下してないだろ。
mozukuyummy 勝てると思ったおっさんに反撃されて血ぃドボドボにされたら傷つくのではないかな?
2020/09/08 リスト
それはどうだろうなー
ていうか反撃しとるのはこっちだし
ただああいうことって色んな状況を想定しながらその瞬間に全力で行くわけ
後から傷付いたとかゴニョゴニョいうならその瞬間に全力でやってみなとは思ってる
やっていくうちに慣れてくるし慣れてるからこその緩みとかも出たりする
勝つか負けるかじゃないんだよ
汗流して逃げてったおっさんも口から血がドボドボ出たおっさんもその体験をどうとらえるかは
別に毎回必ずやり返せとか言ってるんじゃなくてちゃんとやれと言いたいわけ
ムカついたけど考えたら自分にそんなに理はないなってときはやるべきではないしさ
そういうことをちゃんと考えずに全部「傷付いたー」
瞬間に全力で当たらずに後からぐずぐずぐずぐ「傷付いた―」
それは雑に生きてるだけじゃない?
「傷付いたー」って言ってるだけの人間がなんで自分をなんかとても繊細でよく考えてるかのように思い込めるのかがわからんのよね
「熟考したけどそんなんないやろ」って言葉を尽くして疑問を提起する人間が、
傷付いたとは何なのか説明もできないのになんでも傷付いたー処理のやつより粗雑って
そんなことあるか?
konikko 関係ないけど過去の暴力行為をペラペラ喋る奴はマジキチ認定されるからリアルでは言わないように気をつけてな!まともな奴は去ってマジキチとペテン師に取り囲まれるぞ。
2020/09/08
ak248 傷ついたと言ってまわる若い女はうざいのはよくわかる。アイツらは地雷。同時に静かに黙って色々なところで涙を流して悲しむ人がいるのも事実。人の心は自分にも他人にも正確にはわからない。
2020/09/08
それどっちも等しくアホちゃう?って思う
imash 傷心:悲しく思うこと
悲しいって要するに思い通りにならんて泣いてるだけで
大したこっちゃないよね
2020/09/08
むしろ傷付いた傷付いたっていうのを中学生ぐらいで学んで盛んに言うようになるじゃん?それやるのが好きな奴はさ
そんで大人になってもまだおんなじことをやってるんなら、
「本当にこのやり方は自分の人生を豊かにしてるか」って一度真剣に検討した方がいいと思うんだけどね
同じでしょ
たとえばはてなとかでよく見る、痴漢のおっさんのことずっと恨んでる女
曖昧な「傷付いた」よりずっと精度が高くて対処しやすく分解できてると思うけどなこれ
unigame 傷ついたことなくて増田よかったじゃん。そんないい人生歩んでる上に他人の事嘘つき呼ばわりして傷つけるとかマジ許せんな。お前それ新型コロナかかってないからって「新型コロナとかいうデマ」言う奴と同レベルやぞ
だから傷付けてるんじゃなくて怒らせてるんでしょ
ムカつく―!ってなってるだけやん
違うんならムカついてるのと傷付いてるのが厳然と違うってことを説明してみなよ
違わんからろくに反論も出来ずにムカつく――っ!キーーーーっ!ってなってるんでしょ
月経カップを初めて使用してみたという方が、その体験を所謂「オタク構文的」に仕立てたレポがバズったことがきっかけらしい。
月経カップはユーザー数自体が国内にはまだ少なく、能動的に調べない限り情報が入ってこない中、親しみのあるオタクノリで語られたことで存在を身近に感じられた方が多くいたのだと思う。
興味深くその流れを追っていた中で、「月経カップのユーザーはメリット面ばかりを強調して勧めてくるのでなんか宗教っぽい」という意見を多く目にした。そこで、月経カップユーザーは何となく胡散臭い、という疑念への回答をユーザーとして自分なりに考えてみることにした。
第一に、月経カップは決して安い買い物ではないし、一般的に薬局等での取り扱いもされておらず、ちょっと気軽に試してみる、ということが難しい。
誰だってそのままドブにお金を捨てたくはないわけだから、自分に合うものかどうか、各メーカーの製品を比較するなどして購入する前にかなり慎重に検討している人がほとんどではないかと思う。
「使用が慣れるまで痛い思いをした」という情報もレビューなどを調べればそれなりに目にするので、そのあたりのリスクも引き受ける覚悟の上で(というと大袈裟かもしれないが、ある程度は仕方がないと受け入れて)実際の購入に踏み切っている人が多いのではないか。
そこまで行き着く動機というのは、私の場合には、それまでの生理用品の使用に著しく不快感や不自由を感じていたことだった。
ここで特定の生理用品についてのディスを書くつもりはないので、具体的にどこがどう悪いといったことは詳しくは言わないが、元々皮膚が荒れやすい体質だというのが大きい。
言うなれば最初から、「ナプキンなどの使用に伴う苦痛A」が解消されるのなら、「月経カップの使用に伴う苦痛B」は許容できるという不等号になっているのだ。
苦痛Aの解消にフォーカスが当たっている自分のような人間にとっては、苦痛Bというのは既に自分の中で飲み下してしまっている部分なので、つい「不快が”全部”なくなった!」みたいな言い方をしてしまいがちなのかもしれない。
しかし当然ながら何をより不快、苦痛に感じるかというのは人によって大きく異なるわけで、苦痛Aの方が苦痛Bよりずっとましだという人がいるのは全くおかしいことではない。
それぞれ自分が安心できる道をとるべきなので押し付けるような言い方だけはお互いにするべきではないが、何にせよ人の言う「快適さ」にはその人の価値観や個体差によるバイアスがかかっているという当たり前の話でもある。
加えて、体質や心持ちの方が変わらなければおそらくはずっと要因としては残り続けるであろう苦痛Aに比べて、苦痛Bの方は多くの場合、慣れによって無くなるか、少なくとも軽くはなってくるという、怪我のリハビリテーションのようなところがある。
リハビリとして考えてみると、「この器具を使えばあなたの身体はずっと自由に動かせるようになりますが、慣れない内は痛かったり違和感を感じたりしますよ」という選択肢を自分で納得して選んだ場合、その後練習を積んでだいぶそれを使いこなせるようになったという時に「確かに自由にはなったけれど、リハビリのこういう所がこれだけキツかった」とデメリットを伝える方に向かうよりは、今まで強い苦痛を感じていた人であればより一層「この器具を使ってよかった!同じ悩みがある人にぜひ薦めたい!」という感動ばかりが全面に出てしまうというのも、心理としてそこまでおかしなことではないのではないか。
そういった性質と、元々ある程度各自でリサーチした上で使用している人が多かったという背景から、ある種の「前提」を共有しているコミュニティで閉じてしまっていたという面はあり、そこが傍から見た時の”怪しさ”に繋がる要因であるかもしれない。
そもそも今回バズったきっかけのレポートを書いた方のように、「今までナプキンでもそこまで苦労をしていたわけではないか、人からもらったので使ってみた」というケースは結構特殊なほうではないかと思う。
しかしバズったことで月経カップ含めて色々な生理用品について率直に、気軽に語られるきっかけになったのならばそれはいい機会だし、また、月経カップを使用してみたが上手く使えなかった、という人が自分を責めてしまわない為にも、バズったレポートのような「失敗談」がオープンに聞ける機会があるのは良いことと思う。
私自身初心者の頃は着脱に苦労した経験があり、個人的には「慣れれば絶対にうまくいきますよ」という言葉の方に勇気づけられて練習できたタイプではあるが、「同じように上手くいかない人がいる」とか「諦めてもいい」という声によって安心を得られる人もまたいると思う。
反面、拡散される中で月経カップユーザー側からすると少し「怖いな」と感じられるノリもあった。
ここで少しだけ、仮に今、日本では圧倒的に月経カップ(もしくはタンポン)を使っている人がメジャーで、紙ナプキンを使う人が一番少数派である、という反転した状況を想像してみてほしい。
この状況が反転した世界では需要が少ない紙ナプキンは高級品で手に入りにくいが、それでも”わざわざ”紙ナプキンを使っている人たちというのは、体内に何かを装着する事への心理的な抵抗感など、各自の切実な理由があってそれを選択しているのである。
そうやって自分なりの安心を得ている人が少数いる中で、突然「なんか紙ナプキンていう生理用品があるらしい」という話題がSNSでバズったとする。
紙ナプキンユーザーが圧倒的に少数派である状況で、「紙ナプキンとかいうやばいツールw」みたいに面白コンテンツとして消費されたり、「経血を体内に溜めないで自然に外に出すっていうのがいかにも子宮系カルトの人が好みそうだよね」と特定の思想や集団と結び付けられたり、「公共のトイレに毎回ゴミを出すなんて不潔、感染症スプレッダーになっている」などというネガティブな意見がワッと湧き上がるのを想像されると、少しこの「怖いな」という気持ちが理解いただけるのではないだろうか。
意見を言う自由があるのは当然のこととして、「オープンに語る」ということと「他人の領域に踏み込む」ことは違うし、特に生理用品は単なる「嗜好」や「趣味」という基準からではなく、もう少しプライベートな身体・健康上の理由から選択している人が多いと思うので、その辺りはデリカシーを持って語っていったほうが良いのではないか。
最低でも、〇〇をつかっている人はこうなんじゃないかとか、勝手なイメージや想像に基づいた偏見をばらまくのは良くないし、そういう姿勢こそカルト等と揶揄される”疑似科学”と何も変わらないように思う。
一応補足しておくと、今回バズったことでレポート主の方を責めたりするつもりは全くない。むしろ予想外にバズってしまったことで色々と矢面に立たされてしまい大変なことだろうと思う。
使った人が率直な使用感を述べることは全くの自由だと思う。しかし、その中でも少しだけ読んだ方への誤解に繋がるのではと心配になる部分はあったので、以下は参考として書かせていただく。
月経カップのメーカーのHPなどには身長体重や出産経験のありなしによって推奨されるサイズが書かれており、先ずは自分に合ったサイズを買うことでリスクを抑えられる。
レポ主の方はMサイズを人から貰い受けたとのことだったが、未経産かつ性交経験がないと書かれていたので、サイズが合っていない可能性があり少々心配になった。もちろん体格や個人差があるので一概には言えないが、Sサイズやさらに短いタイプ等もあるので、基本的にはこれから使用される方は最初の月経カップは自分で選んだ方が間違いがないと思う。
また、着脱の度に煮沸消毒したほうがいいか、という点に関して。メジャーな月経カップメーカーの使用方法には基本的には月経期間が終わった後と始まる前に1回煮沸消毒すればよいと書かれており、メーカーによっては必ずしもそこまで神経質にやる必要はないと書いているところもある。月経カップは区分的には一般医療機器にあたるので、「なんとなくこうじゃないか」と各自で判断するよりは、使っている製品ごとに書かれている使用方法を守るのが安全だと思う。
最後に、処女の場合性具等で拡張しないと月経カップは入らないのではないか、という懸念については、逆に経産婦の方やパートナーのペニスは入る方でも月経カップは最初痛くて入らなかった、という意見もよく見る。月経カップ装着の仕方にクセがあるので、ディルド等の性具と比べて考えるより、やはり月経カップ特有の装着の仕方に慣れていくことでしか痛み等は解決しないように思う。
ただ、確かに今まで膣に何も挿入経験がないという方とそうでない方とでは心理的な抵抗感なども大きく変わってくるとは思うので、まずはタンポンなどで挿入しやすい角度や感覚などを練習してみるというのは有用だと思う。
◆追記
ツイッター上で、ここで言及しているレポート主の方に何点か指摘を頂いたようだったので補足。
先ず、「マイノリティとまで言って「月経カップを使う人」をコミュニティや属性にしている時点でうわあと思ってしまう」、という指摘に関して。
文章内で”マイノリティ”という言葉を使用したことに関しては、単に”少数派”という意味で使用したつもりだったが、意図しない含みを連想させる言葉であることも確かだと思ったので、そのまま”少数派”に訂正した。文章の至らなさがあり申し訳なかった。
そして確かに話を分かりやすく進めるために「月経カップを使う人」をひとまとめのように表現してしまっている部分はあるかと思うが、勿論、月経カップユーザーを特定の属性に押し込めたい意図はなく、私の主張はむしろその真逆のところである。
月経カップユーザーが閉じたコミュニティになっていかない為にも件のレポートがバズったことには良い作用があった、という事を書いたはずだったのだが、この日記がレポート主の方に向けて月経カップを「庇え」と言っているように受け取られてしまったようで残念だった。
また、「ナプキンのネガキャンをしている月経カップユーザーだって居た」、という指摘については、もしその「ネガキャン」の内容がナプキンを使用している人を不当に貶めたり、偏見のある発言をしていたということなら、私が問題視しているのはまさにそういう声や、この日記のコメント欄にも発生している「布ナプキンの方が云々」のような発言のことだ。
元々この日記はレポート主の発言に向けてではなく、あくまでその流れに便乗して乱暴な発言をする人たちを危惧して書いたものだったが、結局レポート主個人の気を悪くさせる結果になってしまったことについては申し訳ないし、ここで交換日記めいてしまうのも良くないので以後は更新しないことにする。
国内外から安倍政権に対する評価が出てきているけれど、安倍政権を支持するか/しないかの間には、埋まらない断絶があるなと改めて思った。
評価しているポイントが全く異次元なので、互いに、そもそも会話すら出来る気がしないのではないかとも感じる。
リベラルサイドからは、戦争法案の呼称で反対され、かの有名な「女の盾」作戦で女性議員に触れたらセクハラと叫ぶことで議決を阻止しようとしたり、SEALDSが国会外でラップを歌って大活躍した法案だ。
集団的自衛権によって日米同盟が強固になり、その後の中国(尖閣諸島への言動)と、それに対する米国の反応を考えれば、
日本の安全保障にとっておおきな恩恵をもたらしていることは明白で、防衛費の増大という課題はありつつも安倍政権の大きな成果といってもいい。
安全保障が強固になった点は、日本人の経済活動や生活にとって計り知れない利益があるし、安倍政権がのこしてくれた大きな成果だろう。
リベラルサイドからは、特高が出来て逮捕されるぞ、自由がなくなるぞと、国民が監視されると反対されていた法案だ。
これも結局のところ、ファイブアイズとの間で情報を交換する上で、ファイブアイズが納得するだけの法整備が必要であったと言うだけにすぎないと私は理解してるし、
現にシックスアイズにしてもいいよ?という反応が出てくるようになったのは、この法案のおかげでもある。
我々が実感できる機会はないだろうけど同盟国との間で情報共有がしやすくなれば安全保障の上でのメリットは大きいはずだ。
心配されたような恣意的な運用どころか、機密情報漏洩による立件も数件しかないようなので、外交的なメリットだけが残ったと言ってよく、安倍政権の成果の一つとなった。
リベラルサイドからは、共謀罪だ、国民が監視されると反対された法案だ。
これのメリットはシンプルに、TOC条約の締結と加盟だった。これによって犯罪捜査、テロ対策において国家間で協力しやすくなったことで、
当時は予定されていた東京五輪開催に向けての不安材料の一つが解消されたと言ってもいい。
反政府活動家にとってはさぞかし窮屈だろうと思うが、我々にとっては日常の安全がまた一つ保障されたわけで、これも安倍政権の成果の一つと言える。
当時は、アメリカが承認しない可能性が濃厚となることから、強く反対しないまでも私にも疑問はあった。
だが、TPP11加盟を推進して以降の、日本の国際的な地位の向上や、英国が加盟を望んで接近してくるなどの外交面でのメリット
知的財産権の保護、政府調達、国有企業の改革などでルールが定まった事によるメリットを考えると、これは正解だったなと思える。
株価、GDPなど経済的な指標が軒並み大きく回復し、雇用状況も改善された。
個人的には、壊滅的だった金融資産が復活し、所得が10%以上伸び、賞与も毎年5か月分受け取れるようになったなど、大きすぎるメリットがあった。
GDP600兆円未達で達成までの道のりも示されたとは言えず、大成功だったとまではいわないが、アベノミクスの成果には個人的には高評価しかない。
説明不要だろう。これによって長らく続いた不毛な議論から解放された事は大きい。
その後、日韓慰安婦合意を無効にしたがる、日韓請求権協定を無視するなど、国際法違反連発するに至って、国内外に韓国の実態が知れ渡った功績は小さくはない。
他の功績に比較すれば、大きなものではないが、国民的には拍手喝采を送りたい成果だろう。
何かと批判があったアベノマスクにしても、その後にはWHOもCDCも布マスクにも有効性を認めマスクを推奨するに至った。
施策を打ち出した当時はマスクの流通がなく、買い占めを抑制する意味でもマスク配布決定そのものに意味はあったし、経済対策にしても世界的に見ても屈指といっていい規模のものになった。
国民に10万円支給はやりすぎかつ不要だと私には思えていたが、それによって助かった人もいるのだろうし、まったくダメとは思わない。
被害者数も世界的には非常に少なく、強制的なロックダウンを憲法違反になるために行えないという制約がありながらも、世界的に高い評価が得られる防疫実績を残している。
他国を見た時に、非常によくやった国の一つになったことは、専門家を信じ切った安倍政権の成果だろう。
仰る通り。維新の党も含めて、与野党の折衷案に携わった政治家はいい仕事をしたと思う。維新のおときたが動画で手柄を自慢してたね。
訪日観光客の増加、対インド外交、消費税増税なども成果とは言えるか。
消費税増税は、2050年には医療費が年間50兆円に達し、医療の崩壊は確実視されるなかでは避けられないものだったし、いつかは誰かがやるべきものだった。
その点では、野田政権もそうだし、泥をかぶった政権を高く評価したい。50年後に私たちの孫や子供の負担軽減の為にも消費税増税は必要だったと思っている。
振り返ってみると、とりわけ大きな話題に限っても安倍政権が残した実績は小さくない。
10年未来の方向性を定めることは出来たし安倍政権で良かったと思うが、懸案事項だった改憲が達成できなかったなど、更に未来にまで残る大きな功績は残せなかったなとも思う。
また、対露・対北朝鮮外交においては、北方領土問題、拉致被害者問題解決に向けて失敗したのではないかと思う。この点では評価を下げざるを得ない。
「関与していれば首相を辞める」と言わなくてもいい発言をしたことで、その後、モリカケ桜でくだらない時間を浪費して、首を最後まで狙われ続ける事になった。
ストレスが病状の悪化の一因になっていた可能性は高いだろうし、その意味では野党は嫌がらせの目的は達成したのかもしれない。
官公庁の問題が明るみに出たから、全く無駄な時間だったとまでは言わないが、官庁の問題を正すに必要以上の時間を使い、生産性の低い難癖に終始するだけで時間を浪費した原因は不用意な一言にあったと言っていい。
国会運営において老練の手腕を示すどころか、青いなと思わされる発言もあった。その点が悔やまれる。
長期間にわたって国会運営を邪魔され、時間を空費してなければ、より大きな成果を遺せたはずだ。
既にいくつも報道があったように海外メディア、政治家の安倍政権にたいする評価はおおむね高い(朝鮮は除く)。国内世論調査でも70%の人が肯定的に評価している。それも当然だろう。
私も同様に概ね安倍政権を高く評価しているけれど、安倍政権を評価できない人の頭の中にはモリカケしかなく、互いにまるで理解できないだろうとは思う。
恐らくは、この記事のブコメを見てもそう感じる事になるだろうし、両者には相当な断絶がある。
安倍を評価しないという人々にとっては上記は成果ではない。政権を支持すれば、偉大な知性ではない死んだほうがいい、とまで博士号を取得した大学教員に言われるほどだ。
博士を取得した最高の知性の持ち主まで、出てくる言葉が「死んだ方がいい」となると、相互の理解など、まず不可能だろう。
政権を吹き飛ばす証拠として修正液で名前を消したように見せた書類を持ち出すくらい妄想にまみれた彼らからはモリカケ以外の語彙が失われている。
彼らの感情に寄り添えない私は諦めたよw
全て見てないけど、見る感じではブコメは想像通りに、モリカケでしか安倍政権を評価したくない人々が並んでるはずだ
一方で、他国からは世界の損失とまで評価され、日本でも私とは多少の違いはあってもプラス評価と言う人も多くいるのは事実ではある。
断絶は明白だし、次元の低い方へ高い方が歩み寄らないと会話は成立しない訳だけど、ただの官僚のミスや民主党政権時代もあった官庁の欠陥(それを知ってたから利用したのだろうが)
を大袈裟に騒いで首相のクビを狙うどころか、官庁における出世を絶望的状態にして自殺に追いやって、しかも無自覚な連中の視点に降りるのもね・・・
(大学教員が、死んだ方がいいと公言して、まともな謝罪も出来ない程、死に無自覚で残酷なリベラルらしいと思うが)
取るに足らない事を言い続け、多数派を説得できるどころか、支持を失い続けている少数派など捨てておいて問題ないのが民主主義
すまん、5分は大袈裟だった。ものにもよるが1、2分程度かもしれん。4、5セットはそんなもんかな、という感じ。とにかく疲れるまでやる。
すまん、5分は大袈裟だった。ものにもよるが1、2分程度かもしれん。4、5セットはそんなもんかな、という感じ。とにかく疲れるまでやる。
自分が、部屋が寒いときに何も言わずにエアコンの温度を上げることがずっと気に入らなかったらしく(それも過去に何か言われたことがあるわけではなく殴られて初めて知った)、今日はそれに加えて換気のために窓を開けたら突然殴られた。
はじめは何が起こったのかわからず、話そうとしてもお前誰に向かってものを言ってるんだと恫喝されさらに殴られた。
とりあえず直属の上司がその場にいたので上司に同僚を止めてもらい、さらにその上の上司に相談した。
直接そう言っていたわけではないが、多分上司2名は暴行事件にはしたくないらしい。社内での処分も特にしない感じの雰囲気だった。
誰だってそうだと思うし、自分も大袈裟なことにして会社に迷惑をかけたくはない。
確かに何も言わずにエアコンの温度を上げることに腹が立っていたという気持ちも言われてみればわかる。最近暑いし。
ただ、殴ったり恫喝したりする前に、それならそうと言ってくれればよかったのにと思ってしまう。
知ればお互いの妥協点を探ることもできただろうに。
殴られたことについては9時間ほど経過した今も全く納得できていない。
その同僚は後から上司に言われてさすがにまずいと思ったのか、すまんなという感じで軽く謝罪してきたが、正直自分の中ではこの件を全然消化できていない。
金的を一発くらっていて股間に違和感があるので、病院へ行って診断書を書いてもらい、被害届を出せば十分警察沙汰にできると思う。(素人判断だけど、多分放置しておいてもこのまま治るのではないかとも思うけど)
ただ、会社で面倒なやつという感じになりたくないので、事実上泣き寝入りをするしかないように思う。
上司も社内で何か処分をするとかには積極的ではないし、個人的にも大ごとにしたくはない。
会社を辞める気はないし、辞めさせるように戦う気も湧かない。
ちなみにその同僚は安田大サーカスのクロちゃんみたいな顔をしたスキンヘッドに口髭の強面のおじさんで、怒鳴りつけられながら暴力を振るわれるとさすがに怖かった。
今これを書く手がまだ震えている。
力で屈服させられてハラスメントや性犯罪の被害を受けた女性とかもこういう気持ちなのかなと勝手な想像してしまう。
(性犯罪被害者の気持ちを軽く見るつもりは全くありません。全然見当違いの感情だったらごめんなさい。)
家に帰ってきてから明らかに普段と様子が違っていると思うので、妻からも不審に思われてるかもしれないが、いい大人が同僚に殴られてびびってるとも言えず…
トップブコメにもある「子どもだから」「自我が確立してないから」仕方ないみたいな態度は子どもを軽んじてるし、そんな素振りを見せるのは逆効果だから絶対やめたほうがいいと思う。
読書感想文や作文が書けない子はとどのつまり褒められたいんだよ。大袈裟に言い切ってしまうと、書けない子は人から承認されうることがないと自分には存在意義がないと思う傾向にある。
変わった趣味を持ってて周りと話が合わなかったり、おっとりしていて出し抜かれがちな子。そんな子ほど周りより目立って称賛される立場でないと釣り合いがとれないんじゃないかと考えるのでは?と僕は思う。
もはや自分の思考なんかに興味を持つ人間なんていないというぐらい悲観的な子も中にはいる。現に自分はそういう小学生だった。
幼稚で平々凡々なものを提出して「自分は人より劣っているのでは?」「取り柄なんてないのでは?」という不安に苛まれること。それは彼らにとってのアイデンティティクライシスであり避けなければならない事なんだ。
そして本をよく読む子ほど文庫本の解説や雑誌新聞の書評といった「洗練された感想文」を目にしているため、自分もそういうものを目指して書こうとする。
評論や解説というのは対象をよくリサーチしそれで得た情報を整理していく作業。なので「かっこいい文章を書きたい」と手段と目的を倒錯させて取り掛かると当然うまく書けない。
この場合だと読書感想文のための読書になってしまうので本をちゃんと読めていないんだ。本を読んでいても、先生を唸らせる様な独創性がありかつ思慮の深い自論をどう構築するのかみたいなことばかり考えている。
(流石に小中学生でそれを明文化できるほどのメタ認知ができる天才なら苦もなく文章なんて紡げるので、本人は自分のそういう感情をはっきり把握はできていないだろうけど)
僕個人の体験からいうと「エルマーの竜の続きを考えよう」とか「ごんぎつねを一人称視点にアレンジしよう」みたいな課題は楽しく書けてた。そういう二次創作は対象を読んだときの解釈等で個性は出るけど、ベースは原作の世界観や設定を引き継ぐので気持ちが楽。
万が一「それは変だ」と指摘されても、「課題の物語がああなんだから仕方ないだろう」「自分の勝手な想像なんだから自由だろう」というダブスタで煙にまける。卑怯かもしれないがそうでもないと自分は書けなかった。
なので物は試しで増田もお子さんに課題図書の続きを考えることを一度進めてみてはどうだろう?
それですらすら物語を紡げる子ならなんとかそれを書き留めておく。そんで休み終盤でにっちもさっちもいかなくなった頃合にそれを基に読書感想文を完成させることを勧める。
自分の経験だと親に変わったアプローチを勧められると、どんな評価が下されるかわかったもんじゃないと反発していた。おそらくその案を採用するしかないというところまで追い詰められてないとすんなりそれを飲んで書き進められなかっただろう。だからあえて終盤まで書くことを意識させない方が却っていいかもしれない。
早い段階から取り掛かってしまうと「先生ベタ褒め完全無欠の読書感想文」を休み中ずっと追い求めるという地獄にのまれる可能性もある。それで苦手意識を強めるのもよくないので、そのためにも一旦読書感想文の存在を忘れさせてあげるのもいいのではないか。
「なぜ読書感想文を書くことが苦痛なのか?」という切り口の作文にスライドさせてけみたいなブコメもちらほらあるね。でも本の感想というテーマ設定があっても書けない子に、より自由度の高い作文は茨の道だろう。