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2022-08-19

絶対おかし消費税!【2】」税の基本理念破綻している!「消費税は、弱い者いじめ税!」この“悪税”を廃止にしなければ国民の“幸せ”はない!

https://news.yahoo.co.jp/articles/4c531c3e0ca8d5fdc9f105146cf048b969c03450

この人の主張は全面的に正しいと思うけれど

日本人は「頑張って高収入になったのに税金が上がるのはおかしい!」という、ノブレスブリージュの欠片もない人間ばかりだからなあ…

しか高所得者やその見込みのある人間のみならず、生涯高所得にはなれそうもない底辺までもがその考えを支持するという)

そりゃあ海外でも格差は勿論酷いだろうが、建前だけでも弱者を助けようという世論はあるからまだマシだと思う

消費税って、いじめ気質日本人性質にあまりにもぴったり合い過ぎる税制なんだよ

から海外で如何に消費税が浸透しようとも、日本では導入してはいけなかったんだと思う

2022-08-18

エデン組のチャット欄はきっしょいと思って配信中見るのも苦痛から閉じてたし、配信画面にのってるのもみてられなかったから追うのを辞めた人間だけど、とうとうリスナーが原因で休止する人が出たのか…と思うと同時にそんなに言われるのが嫌なら配信を見に来ているリスナーだけじゃなく新規入口にもなってる切り抜きで過去分も含めかわいい可愛い禁止しなかったのはなぜなのかとても疑問に思う。流動的なんだから今いる人だけどうにかしてとどうにもならないだろって。

女は大抵のもの・ことをかわいいですませる癖があるから動画で言っていたかわいいで埋めつくされて異常って言っていたが、ゲームの腕前を楽しみに見ていないなら(楽しそうにゲームしていて)かわいい、(キルして嬉しそうなのが)かわいい感想しかでないのは仕方がないし、ゲームの腕前やトークで人を呼べない自分の力量を見直すことが大事だろうし、かわいいって言われて嫌ならば本人が好きだと言っていた先輩のようなエロ下ネタよりのオタクトーク男性特化のゲームを擦ればその層のリスナーは振るい落とせたのでは…と思うところがある。

にもかかわらず(誹謗中傷スパムリスナー側が全面的に悪いけれど)個人配信に関して自分理想でない部分は自分努力不足ではなくリスナーが悪いと言うような言い方だったので本来届くべき排除したいリスナーだけでなく全うなリスナーも傷付けて居たように見えた。それに会社が言うのやめた方がって言われたのもその狂人リスナーが金払いの良い客だから逃がすのは本人にとっても痛手になる部分あると思ったからではと思う。

全てがおちついたときに厄介リスナー排除され理想的な状況だったとしてもまともなリスナーも居なくなり復帰を祝うのは箱押しだけという状況でないことを祈っています

ネタバレONE PIECE FILM RED 尾田栄一郎はもう映画から手を引くべき

こんなん読むのは見た奴か見る気のない奴だけだと思ってたかネタバレは悪かった。あと改行した。



初めに、俺は正当な読者である。今年35歳でワンピースの連載第一からジャンプを読んで生きてきた。

最初映画から全て見に行っている。単行本も103巻持っている。

今回の映画も行った。行った結果のタイトル結論である


興行収入に騒いでいるが、そりゃこうなるだろう事くらい誰でも予想出来る。俺のようなファンは特典の為に行き、Adoファンが行き、ワンピースは東の海しか覚えていない連中がシャンクスに何かあったのかと行く。

そんな単純な話でここまで興行収入にはならないと思うかもしれないが、人間死ぬほど単純でミーハーだ。

そういえば昔読んでたわ。サンジが仲間になったくらいまで知ってる。みたいな連中も大騒ぎに乗じてそんなに話題なら見ようと行く。

最初が騒げばあとは勝手に付いてくる。


そこからワンピース新規ファンが増えるのはいい事である別に俺はファンが増える事になんの問題も感じていない。こんな映画で増えるなんてアホだなとは思うが。


今回の映画はひとえに監督暴走総合プロデューサー監督不行き届きにより出来た映画であるONE PIECE magazineという雑誌があるが、あれを読めばいい。尾田栄一郎大丈夫ですかと確認している事に対し、監督大丈夫からやらせて欲しいと言って進めたのがREDである

そもそも女が描きたいと言ったのは尾田栄一郎だが、これは後述する。※1


そして出来上がったのがライブ不要ミニキャラに圧迫され突然闇堕ちするウタとかいうポッと出にしか見えないシャンクスの娘の感動()ストーリーである大丈夫なんじゃなかったのか。

監督脚本は、感動映画がどういうものかを理解してないのか?とも思ったが、俺はGOLDに対してもルルーシュに対しても特別不満を持った覚えはない。

あるとすればGOLDの特典だが、これも後述する。※2


という事は極簡単結論になる。

監督脚本の手に、この映画の素材が余ったのだ。


これを映画だといって公式宣伝しているが、こんなもんは映画ではない。ライブでもない。最初にいらんくらい長々とAdoPVを流しておまけの様に辻褄の合わない話を取り付けただけの出来の悪い宣伝アニメだ。

ちなみに、辻褄が合わないというのはパラレルからとか阿呆な事を言ってくる奴がいるが、映画の中ですでに辻褄が合わない。しかもその上パラレルのくせに原作と時々合わせようとするから余計に合わなくなる。映画パラレルという事くらい知ってるに決まってんだろ。全部見てんだぞ。

同じ宣伝でもホビアニの方がはるかに出来がいい。

残りは感動系だが、感動系にしてはあまりにお粗末すぎる。

ウタは突然キレて騒いで世界滅亡させようとするハタ迷惑なガキ、シャンクスドヤ顔しながら遅刻するクソ親父、ルフィは突然宗教にハマった俺の知っている顔をした別人、仲間はもうストーリーの為だけに喋らされている棒人間並みに存在感がない。実際はそんなキャラではない。そうにしか見えない演出問題である

唯一存在感を感じるのは監督こだわりのミニキャラだが、一番いらないとなぜ誰も思わなかったのか疑問である


言っておくが、ウタが突然キレた闇堕ち迷惑人間になったのはウタのせいではない。尾田栄一郎のせいでもない。ライブミニキャラを入れたい自分エゴを抑えられなかった監督責任である

新しい事への挑戦は歓迎したい。ワンピースもここまで続けるとマンネリ化している事は間違いないからだ。

ただ手に余る事が目に見えているのに強行するのは自分オリジナル映画にしてくれ。


Twitterでオマツリ男爵が好きならREDも好きだとかいうとんでもない意見散見されるが、いい加減にしてくれ。

REDとオマツリ男爵共通している事はオリジナルでやれという事くらいであって、似てるというのは細田守とオマツリ男爵への侮辱である

俺は細田守映画の大半が嫌いだが、あれは細田守監督作品として、完璧に完成された映画だ。尾田栄一郎が腹を立てたらしいが、あれだけ癖と我が強くなければオリジナル監督作品評価などされるわけがない。

あれはワンピース映画の中では確かに賛否両論映画だが、群を抜いて映画として監督脚本、画面構成に至るまで優れた作品でもある。あの邪魔家族細田守のこだわりなので諦めるしかない。


ここで※1になるが、ONE PIECE magazineを読む限り伝説ジジイを描きたくないと言ったのは尾田栄一郎である

女がいいと言うよりジジイが嫌という話であり、そこで監督が女にしたのか話し合いで女になったのかは不明だが、じゃあ描かなきゃいいだろ。

いい加減、自分総合プロデューサーとしている限り自由度が下がる事くらい気付いてくれ。細田守が許せないのなら最初草案を貰い、脚本のチェックをして駄目な箇所だけ言えばいい。ワンピースキャラデザなんてしたいヤツは山のようにいる。斬新なものが欲しければ若手に任せてみればいい。想像出来ないような伝説ジジイだって出てくるはずである

監督ジジイが駄目ならババアというわけにもいかない等と言っているが、いいだろババアで。少なくとも扱えないシャンクスの娘より誰とも関係のない伝説ババアの方が監督の力量には見合っていたはずだ。


そして監督脚本のどちらか知らないが、ルフィ達が強くなりすぎて並の女では太刀打ち出来ない為に、ならばシャンクスの娘はと言い、自分総合プロデューサーなら原作との辻褄も保証出来るからという事でシャンクスを出そうと尾田栄一郎が言い出したとの事なのだが。

こうなると散々言っている通り、監督脚本の力量に見合ってない材料を渡した総合プロデューサー責任は大きい。本人は脚本監督も最高だと考えているらしいが、本気でそう思うなら辞め時である

そしてもちろんそれだけデカ材料を渡された挙句ライブミニキャラゴリ押しし、配分を完全に間違えてた監督脚本も当然悪い。


尾田栄一郎の頭の中でどうシャンクスの娘でルフィの幼馴染みのウタがなんの問題もなく存在しているのか知らないが、それらは全く映画に反映されていない。

俺は映画館で突然知りもしない世界歌姫MVを何曲も見させられ、突然ルフィ友達だと紹介されられ、シャンクスの娘だと言われる。

そして突然キレまくって信仰宗教教祖となり闇堕ちするウタに置いてきぼりになる俺。

ワンピースにお馴染みの過去の子時代が流れ、必死過去に読んだ第一話を思い出すはめになる。

死んでからいいようにお涙頂戴エピソードに引っ張りだこのエースでさえ、頂上決戦で突然あたかもメインキャラのように過去が出てきて、第一話との噛み合わせの悪さに苦労したというのに、その比ではない。

陳腐な感動ストーリー()の為に壊れる第一話と、その間にも情緒不安定教祖呆然と眺めるしかない俺。


ウタのエピソードマジで駆け足で進む。アニメ第一シーズンダイジェスト映像並み。なぜなら監督が序盤のライブにこだわり尺を圧迫しているにもかかわらず、阿呆みたいになんの意味もないミニキャラを出すからである

magazineによると、ベポを出したが大きくて邪魔なのでミニキャラにしている。ローが先かベポが先かは知らないが、ロー欲しさにベポを出したが邪魔だったようにも見える。だとすればクソだ。そして、ローはシャンブルズとローの女ファンを釣るためだけに出されているのでそれ以外に活躍の場などない。

どうせブルーノ能力は欲しかったがあとは邪魔なのでミニキャラになっている。あそこで力を同じように使ってもローがミニキャラにならないのは顔くらいの理由しかない。

そして監督こだわりのサニー君だが、コイツこそ終始何の意味もないキャラだった。コイツ時間を割くならシャンクスかウタに割けよ。一応この映画のメインキャラじゃないのかよ。

移動能力最後シンクロをしたいが為に集められた奴らも不幸だが、そのせいで割りを食ったメインキャラが一番不幸だろ。


まり尾田栄一郎の中では矛盾なく完璧にハマったシャンクスの娘でルフィの幼馴染みという存在は、尾田栄一郎の頭の中だけに存在している。

そしてこのFILM REDという映画は、本人も監督脚本も多少映画内で説明漏れたとしても、特典冊子40億巻で補えばいいと考えているとしか思えないほど、映画脚本杜撰で穴だらけなのが最悪なのだ

俺は子供の遊びをかねて日曜日に行き、田舎からかまだ貰えたが、土日に働いていて映画に行けない熱心なファンは貰えたのだろうか甚だ疑問である


ここで※2だ。

俺は会場限定の特典冊子というものが嫌いだ。キャラ服装デザインなんて、そんなもんは単行本の後ろに載せろと言いたい。映画表現出来なかったメインキャラの心情を特典冊子で補うなんてもっての外だ。買えるのに買わないのと、貰えないでは意味が違う。

こんなもんを映画に付けるのはガチ興行収入観客動員数のためしかない。

これをファンサだという奴は一回頭でも打ってみろと言いたい。ファンサとは最初マーケティング時点で想定される鑑賞人数に対して大幅に少なく作るものではない。


今回俺がこんな記事を書いたのは、第三弾の特典冊子にキレたからだ。一体いつからワンピースはここまで拝金主義になり、恥ずかしげもなく未完成映画を放映し、追加情報のように人数限定の冊子など配るようになったのかと腹が立ったが、よく考えれば最近ワンピースはずっとそうだ。

繰り返される発行部数突破!の煽り文句も、実際に売れたのはどの位なのかは絶対に出ないし、引き伸ばしが続く原作にも最近ウンザリしてきている。妻が単行本を持っているが、まとめて5冊くらいを読まないと話が一つも進んでいない。いらん寒いギャグを繰り返し、初期の神がかった展開など消えた。

小さいコマ割りに必要もの不要ものも詰め込み画面だけは埋まっているが、初期の大ゴマを使った胸に迫るシーンなどもうしばらく見た覚えがない。

昔のコマをほじくり返し辻褄を合わせ後付けをし、阿呆ファンが尾田神スゲーこんな昔から伏線を張っていたなんて!と大騒ぎさせる事に命をかけてさえいる。そしてそれが重要伏線かといえば、半分くらいは別に無くてもいいのだから笑うしかない。

そして1000話突破だのなんだの騒ぐだけ騒ぐ。俺にはギネス欲しいんだろとしか見えない。こち亀にもコナンにも鬼滅にも勝たねば気が済まない俺至上主義の結果が、今の引き伸ばし漫画とこの特典冊子商法映画かと思うと言葉も出ない。


とりあえず尾田栄一郎はもう総合プロデューサーを辞めた方がいい。

漫画家に必要能力はあっても、総合プロデューサー必要能力は兼ね備えていなかった事を理解した方がいい。監修では駄目なのか。

もはや尾田栄一郎と特典におんぶに抱っこの監督脚本は、映画の出来が中途半端でも特典冊子で補おうとする。そして何弾にも分かれて配られる特典がある限りどんな中途半端な出来だろうと興行収入は伸びるので余計に酷くなる。最初は良かったのだろうが、ここまでくると悪影響しかない。

頼むから興行収入突破数字より映画を見てくれ。特典を読む限りウタの大半の人生ライブミニキャラに潰されている。

アニメ連動エピソード映画で描け。それが映画だ。

第三弾はウタ?新時代とか描かれたものをチラ見せしているが、映画で描け。描く必要がないなら単行本の巻末かジャンプに載せろ。特集を組んだのだからONE PIECE magazineでもいい。それがファンサービスだ。


上手く書けないのなら書けないほどの背景をキャラへ付けるべきではない。

原作もそうだが、尾田栄一郎エピソードの削り方を忘れたらしい。付けれるだけ後付けして引き伸ばしてきた弊害だろ。キャラ映画内で語れるかどうかも分からない総合プロデューサーなんてもの総合プロデューサーではない。

そして監督脚本はそれを削るのが仕事のくせに削るところを間違え、全てを特典冊子に丸投げすんな。

ウタの過去を考えたのか?これを感動ものにするつもりがあったのか?ライブミニキャラとくだらないベポの鬱陶しい三段ギャグの方が大事だったのなら末期だ。


GOLDでも謎だったがここまで酷くはなかった。REDで落ちるところまで落ちた。ワンピースはそんな姑息な事をしなければ鬼滅やヒロアカ呪術コナンに勝てないのか。そんな情けない漫画応援してきたつもりはない。

特典などあってもなくても映画が素晴らしければ俺は何度だって通う。ワンピースを信じてないのは尾田栄一郎監督脚本じゃないのか。


楽しいという意見を山ほど見かける。第三弾の特典に喜んでいるファンは、自分達がどんな映画を作っても離れず金を落とすと思われていると気付かないのか。


ワンピースの一つの大きな謎だったシャンクスの正体をバラされ、これから原作を読んだ時の驚きを無能すぎる五老星の台詞に取られてなんとも思わないのか。

あんな突然ルフィ新時代とか聞いた事もない事を言い始め、女だからと悪くても殴らず、初見人間には知らん人間しか見えないギア5になり、取ってつけたように決め台詞を叫んでもさすがルフィと思うのか。

とりあえず全員のアクションシーンを入れる為に一箇所に固められ、まとめて戦闘シーンを消化された麦わらの一味を見て最高だと思うのか。

自分の好きなキャラを、倒し方がシャンクスを出したいだけのお粗末な魔王の前に無能にされても、新衣装かっこいいと喜ぶのか。


馬鹿にされてると気づいたほうがいい。コイツらはかっこいいセリフを人気のキャラに言わせてオリジナル衣装を着せ、尾田栄一郎が描いた特典冊子を付ければ歓喜悲鳴と共にリピートをし、映画を見る目など何一つ持っていないと思われている。

キャラクター)かっこいい。(キャラクター)可愛い燃えた。TikTokももう少しまともな感想が出るだろう感想しか褒め言葉が出ない時点でお察しか

プロアマチュアREDイラストを描き良かった!などとツイートすればバコバコ数字が稼げる現象は見ていて宗教染みた気持ち悪ささえ感じる。その時間で納得出来る感想を言ってくれ。


クソみたいなあからさまな拝金主義特典商法であり、中身はといえば映像脚本構成も何一つ平凡か平凡以下な映画に負けた全ての映画が哀れである



阿呆みたいな事言ってるので追記

俺はジャンプを毎週買って読んでるし、ワンピースが縁で知り合った妻と単行本が被るために俺が本誌、妻が単行本を買っている。特典冊子の為に仕事のある日曜日有休を取って子供連れて行ってんだよ。

積極的に読んでないとかクソみたいな事を言われる筋合いはない。

まぁ初日日曜日を間違えたのは俺のミスなので全面的に俺が悪い。訂正しておいた。

あと正当な読者の意味わからん奴はワンピース原作を読め。

尾田が総合プロデューサーになって映画成功してるんだから降りる必要ないと言っている奴は、これをそもそも読んでないんだろう。俺はこの映画総合プロデューサーでいる事がマイナスに働くようになっていると言う話をしているんだが、俺の悪筆のせいだろうし読まなくていい。

じゃあ見るな論法の奴って日本の政治文句言ったらじゃあ海外行けば?とか言いそうな思考回路してんな。


そういえば魔王が第3形態であるのはシューベルト魔王のせいか?そんな全くワンピース関係のない小ネタに拘るくらいなら第2形態までにしてウタの話をしろ


どうでもいいが、このページの広告がすべてFILM REDになる。クソったれ。

anond:20220818001633

今の職場トップ2が嫌いすぎて。

保身に終始したり、すぐ人のせいにしたり、残業代ケチろうとしたり、判断を下せなかったり、組織の上に立つ者としてあるまじき姿だ!!とか思っていた。

しかし本当に無能なのは、そういった無能トップを的確にロントロールし、全体最適を実現することができるだけの力がない私のほうだった、ということ。

有能な私を重用できない上が無能なのではなく、自分は有能であると的確にアピールできない私だけが一方的かつ全面的無能だった、ということだ。

シャンプーとボディーシャンプー

これはまだ私が学生だった頃の話です。

自転車で転倒して怪我をしてしま救急車で運ばれました。命には別状なかったのですが、重症だったのでそのまま入院することになりました。その頃、私は実家を離れて独り暮らしをしており、自宅の近くの病院入院したのですが、入院生活のために必要な物を母が持ってきてくれました。下着や洗面用具などの日用品と、そしてシャンプーとボディーシャンプーでした。

幸い、思ったよりも早く回復し、すぐに日常生活問題ないレベルまで体調は戻りました。退院はまだ先だったのですが、特に不自由なく入院生活が送れるようになりました。ありがたいことに母は入院当日から全面的サポートしてくれていたのですが、特にサポート必要なくなった後でも片道2時間かけて毎日お見舞いに来てくれました。遠いからわざわざ来てくれなくても大丈夫なのに、母親というのは心配性なもんなんだな、と思っていた気がします。

その後、体調も十分回復し、たしか2週間ぐらいで退院できたと思います。母が持ってきてくれた日用品は自宅へと持ち帰り、シャンプーとボディーシャンプーもまだまだ残っていたのでそのまま自宅で使うことにしました。

実は実家にいた時も含め、今までは髪の毛はシャンプーで洗い、体は石鹸で洗っていたので、ボディーシャンプーを使うのは初めてだったのです。ボディーシャンプーって、ボディーって書いてあるから体を洗う物っぽいけど、同時にシャンプーでもあるから髪の毛も洗って良いのか、とあまり良く分からず少し悩みました。私は短髪だったのであまり髪の毛を気にしていなかったし、使い分けるのも面倒だったので、髪の毛もボディーの一部だとの謎理論を作り上げ、髪の毛から全身までボディーシャンプーで洗うことにしました。

その後、そのボディーシャンプーを使い切り、シャンプーけが残りました。ボディーは髪の毛の一部じゃないし、さすがにシャンプーでボディーを洗うのは無理があるよな、と観念してシャンプーを眺めた時に気付きました。母からシャンプーだと言われて受け取ったそれにはボディーシャンプーと書かれていたのです。母が持ってきてくれたのは、シャンプーとボディーシャンプーではなく、ボディーシャンプーとボディーシャンプーだったのです。シャンプーと間違えてボディーシャンプーを買う母を想像おかしく思いました。

でもその時に思い出しました。退院した後で聞いたのですが、お医者さんが母に伝えていたそうです。「残念ながら後遺症が残る可能性が高いです。本人がショックを受けるかもしれないのでできるだけ一緒にいてあげてください。」とのことでした。だから1日も欠かすことなくわざわざ片道2時間かけてお見舞いに来てくれていたのです。残念ながら後遺症は残ってしまいましたが、無事日常生活が送れています。そして母の看病のおかげで精神的にもショックを受けることもありませんでした。

シャンプーとボディーシャンプーがうまく区別できない母からまれた私もシャンプーとボディーシャンプー区別ができませんでした。そういう親子の絆と、母親の深い愛情を強く感じた体験でした。

2022-08-17

anond:20220817035548

ワンピ映画が毎年作られるなら映画オリキャラ全面的推しだしてお作りするのもいいと思いますが、数年ぶりの映画かつあと数年以内に終わると宣言されている状態でそういうことされたってのが辛かったです。

出来は良かったと思います

ただ、ワンピースというコンテンツを使ったオリジナル映画という感じでした。

Adoちゃんは好きになったけど、どうでもいいウタちゃんのことを2時間見させられるのがキツかった……

2022-08-15

なんで医療統一見解がないんだよ

以前からつくづく思うんだけど、医者によって言っている事がバラバラ過ぎるんだよ

そもそも医療には個々の医師病院ごとの個性なんか要らない。

患者が求めているのは最良の医療なんだから医療は全て統一したマニュアルに沿って最善の治療を行うべきだと思っているし

仮に近藤誠の主張が全面的に間違っていたとしたら問題があるのは近藤誠から医師免許剥奪しなかった事にあるのであって

近藤誠個人は認められた権限範囲内で活動していたにすぎないんだから何も悪くないだろと思うんだが

なんでニセ科学批判クラスタってその矛先を政治行政には一切向けず

常に個人攻撃に終始するのか不思議でならない

2022-08-13

強い国が攻めて来るのに対して、良い戦略なんてあるのか

第二次世界大戦ときに国力が違うアメリカに、日本が挑んだのは馬鹿な決定だったという意見は多いと思う。

総力戦研究所分析上司が聞かなかったといった具合で、わかりやすい。


では、圧倒的に国力が高い国が一方的に攻めてくる場合、どうすれば良いのか、ウクライナを見ていてもよくわからない。

台湾を見ていてもそうだ。具体的な軍事行動に移られた時点で、ほぼ負けではないか


良い負け方なんてあるのだろうか。

すぐ降伏したとすると、侵略国の要求全面的に飲むことになる。損切りは早いほうが良いとは言えない。

抵抗したとして国力差が大きすぎて押し留められないときは、どうするのか。今更本土決戦するのか?


米国が守ってくれるとして、前線までの補給線は中国の方が近い。

1回火の子を払ったとしても、現状に戻るだけで、次、何時攻めてくるかも分からない。

2022-08-12

飽きるだろにだけ注目するお気持ち界隈

そもそも児童に「平日1日どれくらいゲームをやるか」と質問して、3時間以上と答えた小中学生が30%もいるのは多すぎる。飽きるだろ。親に聞くか「みまもりswitchアプリなどを見て、もっと科学的に分析した方が良いのでは。放っておくと「ゲーム悪者」という方針になるので適宜指摘していきたい。

赤松の「飽きるだろ。」の感覚は間違っていてゲームに詳しくないだろうな。

とかアンケート結果のゲーム時間が多いのは正しいだろ、という論点だったら全面的同意するんだが

お気持ち界隈はお気持ちだけ読んだら残りの日本語が読めなくなるらしい。

親に聞くか「みまもりswitchアプリなどを見て、もっと科学的に分析した方が良いのでは。

どう考えても正しい客観的データこそが正しい結論を導くという当たり前の科学的な結論の導き方は認識としてあるだろう。

お気持ち第一主義からお気持ちこそが文章の最重要ポイント誤読ちゃうんだろうな。

正しいデータ赤松感覚 と結論を出す方針なのは文章から明らかだ。

アンケートデータ素人感覚で違うと断じる態度は問題だが、正しいデータの前には意見を変える。


そもそも特大ブーメランなんだよね。

犯罪統計には暗数ガー。GGIに注目するがジェンダー平等指数無視する。

赤松失言お気持ち主義の人らの行動は一緒だ。

ダブスタ指摘する前に自分らのスタンダード見直したら?

フェミニズムお気持ち主義赤松失言レベルでクソだってさ。

個人感覚>正しいデータ で赤松以上にクソな界隈だとね。

ゲーム時間は増加傾向にある

のように赤松の間違いを指摘するだけでいい話が、お気持ち第一主義のせいで暴走し始めるありさまがお気持ち界隈の惨状だ。

さすが不利なエビデンスは隠せばいい界隈だぜ。

anond:20220812115158

anond:20220812123400

そうですね、最終的には私側に立って判断をしたという感じです。

ここまで増田さんとお話しして気づいたのですが、これはただの私のさみしい・わがままが起因で、私から言わないと当然のように一族旅行に行くつもりだった旦那について不満があったのだと思います

(察してちゃんになるので、ここは全面的に私が悪いですね)


旅行なんて正直かなり気を使うし、私が義実家一族と一緒の際はかなり気を遣って過ごしているのを旦那もわかっているのですが、「もっと楽に過ごしていいよ」の一点張りでして。

ただ、前述の通りヒステリック義母センシティブ一家を前にして気楽に過ごすことが私には難しいんだよな…と悩んでいました。

また、私の前の彼女は楽観的で気を使わないタイプだったそうですが、義母はその子をかなり毛嫌いしていたとの前情報を得ていたので、どうにも気が休まらないのです。

(現時点では、義母は私のことを気に入っているそうですが、上記を踏まえてかなり身を弁えながら、月一で数万円の食事おもてなしを欠かさないなど行っているからだと思います。)

すみません、これは純粋にただの愚痴ですね…。

上記旦那に伝えていませんが、純粋に「旅行ダルいな」「何で普段から義母をこんなもてなした上で、さらに今後面倒まで見ないといけないんだ」という捻くれた感情根底にあるように感じてきました。

でも、結婚ってそういうものか。

私は、性格がよくないけどそれを旦那に隠そうとしているのでしょうね。

旦那は私側に立ったの判断をしてくれた、それでいいか、で一旦ここはすませられるようなすっきりした人格を持つことも意識します。




依存関係というのは言い過ぎなのですね。

16歳という子どもが、父親母親起因での自殺で失った子どもが、のちに10数年も母親を支えていたという構図がどうしても、その子どもが不憫に見えて仕方がなかったのです。

本来なら、父親自殺したショックを母親ケアするものだろ、どうしてそれをしなかった、その上自分の息子を旦那が代わりにして養ってもらうなんて、酷い親に見えてしまうのです。

私の最愛存在義母ではなく旦那なので、子ども〜30歳の今までの旦那のことがどうしても、不憫に見えてしまます

旦那はそんなに頑張ることなかっただろ、義母は他に頼れよ、何子どもに頼ってんだよという強い怒りもあります

でも、これもまた、私が口出しすることではないですよね。

旦那がこれ以上何かを支える人生になるのはかわいそうなので、私自身は強く自立して、これから旦那が私をたくさん頼ってくれるといいなと思いました。

ふと、旦那が「増田ちゃんの、自立してて生活力もあるところが好き」と言っていたのを思い出しました。私の役目を感じます



後出ししてすみません。どうにも一気に書くには長文すぎて色々端折りすぎました…。

夢にチャレンジできたのも正直、私が金銭的に余裕があるからできた選択だとも思うのですが、結果オーライですかね。

義母も「xxが好きだった職種にやっと就いてくれて嬉しい」と言っていました。どの口が言ってるんだか、と思ったのですがここも流して行った方がいいですね。

本人は養ってもらった自覚があまりないようなので。

anond:20220812114360

後出しモリモリな上にめっちゃ冷酷な人でワロタ

周りの同年代を見る限りでは独居の母親を毎月様子見に行くことは稀

確認したいんだけど、あなたの知合いで同年代高齢独居の母親持ちって人がどんだけいるのよ。

60代で配偶者が死んでる夫婦って、激レアとは言わんけど多くはないでしょ。

絶対数が少ないんだから稀になるの当たり前だし、親の様子をどう見てるとかよっぽど親しくないと一々他人に言わなくね?

あなたが知らないだけの可能性は?

母親の言うことを全面に受けていいなりになる形のように暮らしてきた

だったら年越しの件で旦那さんが折れること無いやろ。

そこで折れてくれたんだから本当に全面的に受け入れていたわけじゃなくて、そこには旦那さんなりの判断が色々あったってことやろ。

人柄を信じてといいますが、依存傾向にある関係性が構築されてる以上、人柄はあまり関係ないと思います

異存傾向にある関係性が構築されているってのはあなたの中ではもう事実なんや

そこを疑え、旦那を支えてやれつってんのに。

あなたの言うエピソード範疇では異常な異存傾向とまで言えるようなもんはねえよ。

そもそも家族はある程度依存しあうのは当たり前)

他に具体的な共依存エピソードがあるならまた後出しで言ってみなよ。

2022-08-11

リコリス・リコイル』はドストエフスキー児童搾取テーマに通じるメタアイドルサバイバルアニメの傑作だ!

 ども、皆さん、アニメリコリス・リコイル』観ています? めちゃくちゃ面白いですね! 後世に残る名作かといったら必ずしもそうとはいえないと思うのだけれど、少なくとも「いま」、このときリアルタイムで見る作品としては破格に面白い


 一方でいったいこの面白さの正体は何なのだろうと考えてみてもうまく言語化できないわけで、何かこう、隔靴掻痒のもどかしさを感じないでもない。第一話を観た時点で直観的に「これは新しい!」と思ったのだけれど、その「新しさ」を言葉にしようとするとうまくいかない。


 そこで、以下ではなるべくていねいに『リコリコ』の「面白さ」と「新しさ」を的確な言葉に置き換えていきたいと思う。読んでね。


 さて、まず、いま人気絶頂の『リコリコ』についていえることは、これが何か非常に「不穏」なものを秘めた作品だということです。


 一見すると現代日本と同じように平和社会舞台にしているようで、そこでは「リコリス」と呼ばれる高校生くらいの女の子たちがその平和を守るために命がけで戦っている。そして、じっさいにどんどん死んでいる。


 このグロテスクともいえる構造が、第一話の冒頭の時点であっさりと、あたりまえのことであるかのようにライトかつスムーズ説明されている。


 しかし、もちろんこれはまったく「あたりまえのこと」ではありません。年端もいかない少女たちが銃を持って戦う。戦わされている。そこにはあからさまに倫理的問題がある。この「少女と銃」というコンセプトについて、原案アサウラさんはインタビューでこのように述べています


アサウラ:柏田さんが読んでくれていたのが僕の「デスニードラウンド」という小説で、これが最初から最後まで銃を撃ち続けるような作品なんです。それを読んで僕を呼んでくれたので、銃が出てくることは決まっていました。女の子と銃で何かをやってくれという感じだったと思います


https://www.animatetimes.com/news/details.php?id=1656464389


 最初の時点から少女と銃」がメインコンセプトだったわけですね。すでに指摘されているとおり、この「少女と銃」というコンセプトには先行作品系譜があります虚淵玄最初期の作品として知られる『Phantom of Infelno』がそうだし、『NOIR /ノワール』などのアニメもある。


 現在アニメ業界ではもはや「美少女ガンアクションもの」はひとつジャンルといっても良いかもしれません。


 ちょっと現実的に考えればかぼそい体格の女の子がそうそう的確に銃を操れるわけがないと思えるわけですが、そこの違和感ねじ伏せてでも少女と銃を組み合わせることにはある種のフェティッシュな魅力があるのだと思います


 それらの先行作品のなかで、おそらく最も重要で、しかも『リコリコ』に近いのは相田裕の『Gunslinger girl』です。


 これは洗脳されてテロリストと戦う少女たちと、彼女たちとコンビを組んで戦う男性たちを描いた物語で、「平和社会を維持するため少女たちが陰で戦っている」というところが『リコリコ』と共通していますね。このタイトルは『リコリコ』の監督インタビューで直接的に言及されています


――足立さんが入って、物語が明るい空気になったそうですね。


足立アニメを見て暗い気分になったりするのは、今はあんまり求められていない気がするかなって…。自分DVD買うくらい『GUNSLINGER GIRL』が好きなだけに、そのフィールドでは勝てないと思いましたし、ポイントをずらしたほうがいいんじゃないですかねっていう話は初日にしたと思います


https://www.animatetimes.com/news/details.php?id=1656605844


 この言及を見ると、『リコリコ』と『Gunslinger girl』の設定上の共通項は意識的ものであることがわかります。ただ、その一方で「ポイントをずらした」と語られているとおり、『リコリコ』と『Gunslinger girl』には決定的な差異がある。


 ひとつパートナー役の大人がいないことで、もうひとつ少女たちが洗脳されておらず、自分意思戦闘に参加していることです。


 前者に関しては原案アサウラさんの作風かもしれません。アサウラさんは過去にも少女たちが「百合」的にコンビを組んで戦う作品を書いているようですから(筆者は未読)。


 しかし、決定的に重要なのは後者でしょう。『Gunslinger girl』の洗脳されて戦う少女たちに対して、『リコリコ』のリコリスたちは(少なくとも表面的には)自発的意思で戦っているわけです。


 もちろん、「自発的意思なのだから問題ない」ということにはならない。リコリスたちはみな孤児であり、「戦うことしか選択肢がない」状況に置かれているともいえる。リコリスたちが「大人」たちに搾取され、かりそめの平和のための犠牲として利用されていることは間違いないでしょう。


 きわめていびつかつ不自然かつ欺瞞的な構造です。このディストピア的ともいえる構造をどう見るかが『リコリコ』を批評的に判定するときひとつのカギとなる。この点に関して批判的に触れた記事はてな匿名ダイアリー投稿されています


前線少女と銃後の大人という構造からガンスリ(とかエヴァとかあのへん)の亜種として良いと思うが、それら先行作品と比べたときリコリス少女のみで構成される理由(※)や、少女前線に立たせる搾取構造に対する大人側の自覚とか罪悪感がすっぽり抜け落ちていてさすがに気味が悪い。


アサウラバニラのころからこういうところがあって、物語少女大人社会)という対比ではなく少女少女という2者間の関係性で回収することで、俎上に載せたはずの搾取構造をうやむやにしようとする。要するに百合を出せば他がザルでもオタクブヒブヒ鳴くんだろという作り手の舐めた態度がアニメから透けて見えてキモいという話なんだが、増上慢になるだけのウェルメイドな仕上がりになっていてそれもまたなんか鼻につく。


まあしかしこういうザ・老害みたいな感想を書くと自分老いを感じて嫌になるね。たぶん若い世代はああいうのなんの疑問も持たずスッと面白がれるんだろうな。


https://anond.hatelabo.jp/20220806182309


 しかし、これはぼくにはやはり表面的な批判に過ぎないように思える。「うやむやにしようとする」も何も、全然うやむやになっていないよね?と。


 「社会正義平和を守る組織」としてのDA欺瞞はあまりにもあきらかであり、ごく平凡な視聴者でも確実に気づくことではないでしょうか。じっさい、監督インタビューでもその点は触れられている。


――完成した作品を見ても、2人の関係性は大きな軸としてありました。ただ、DAという謎の組織が、犯罪を力で抑止しているというのも軸として描かれていますよね。


足立子供が銃を持って仕事をしているってことは、誰か大人に強いられているということになるでしょ?きっと悪い大人が、騙してるんだろう。「君たちは良いことをしてるんだぞっ」ってね。DAがしていることの是非は視聴者に考えてもらいたいところですね。


――それが第1話の冒頭で紹介されているわけですが、この世界の仕組み的なところは、とても面白い発想だと思いました。


足立:確かな事実として、日本世界の中でも極めて治安が良く平和で、その自認もありますよね。でもそれを支えているのが、全然知られていない闇の組織で、社会性の無い人を何千年も前から秘密裏に殺してきたから、規範意識の高い人しか子孫を残せなかった。だから日本人全体がだんだんそうなっていったんだ、みたいな設定はどうだろうかという提案をしたんです。監視社会に対するアイロニーあるかな


要するに、みんなが知っている事実を、大きな“ウソ”が支えていたという構造にしようと思って、DAがどんな組織なのかをアサウラさんに考えてもらったという感じですね。


https://www.animatetimes.com/news/details.php?id=1656605844


 ようは「大人たちが子供たちをだまして搾取している欺瞞構造」は制作者側により作品の一部として自覚的に提示されているのであって、単にその点を指摘するだけでは作品批評したことにはならないのです。


 そして、個人的感覚としては、まず大半の視聴者はその提示を正確に受け止めることができていると感じます。つまり、この欺瞞的なディストピアユートピア構造はこの作品を語る上で、気付かなくては話にならない「当然の前提」であり、そしてじっさいに大半の視聴者は気付いている。


 とすれば、この認識の上にさら議論を重ねていくべきでしょう。ちなみに、上記匿名ダイアリーでは「リアリティライン」が「ガバガバであるという指摘もなされていますが、これもあきらかに意図的ものでしょう。


 「現代日本では女子高生が最も警戒されないか子供たちに銃を持たせて戦わせることには合理性があるのだ!」という設定は控えめにいっても荒唐無稽というしかなく、通常の意味でのリアリティはまったくありません。


 さらにその女の子たちのうちのふたり喫茶店に勤めながら殺人が絡む仕事をしているって、いや、ふつうに考えればありえないとしかいいようがないでしょ。しかし、だからダメなのかといえばそうではない。


 このあからさまにめちゃくちゃな設定は『リコリコ』がリアルアクションストーリーというよりは一種寓話志向していると見るべきです。この作品はおそらく意図的ウソくさく、うさん臭い印象を与えるように設定が練り上げられている。


 そして、そのウソくささ、うさん臭さがひとつの魅力にまで昇華されている。だから、「リアリティがないじゃないか!」と指摘することには意味がない。まずはそこに込められた皮肉寓意を見て取るべきなのです。


 それでは、その欺瞞的かつ偽善的かつ人工的な、「まるでリアリティがない」設定と物語を通して『リコリコ』が描こうとしているものは何か。それは「子供犠牲にして成立している社会」の欺瞞だと考えます


 まさに上記匿名ダイアリー批判されている、子供たちを「消費」することで成立している日本アニメ産業欺瞞でもある。


 評論家杉田俊介は、新海誠監督映画『天気の子』について、このように書いています


ひとまず重要なのは、『天気の子』は、日本アニメ批判するアニメ、「アニメ化する日本現実」を批判するアニメである、ということだ。「アニメ化する日本現実」とは、少女人柱アイドル犠牲搾取によって多数派幸福となり、現実を見まいとし、責任回避するような現実のことである物語最初の方に、風俗店求人宣伝を行う「バニラトラック」が印象的に登場すること、陽菜チンピラに騙されて新宿性風俗的な店で働きかけることなどは、意図的演出だろう)。


https://gendai.media/articles/-/78976


 ぼくは杉田の『天気の子』論にはまったく賛同しませんが、ひとまずこの「見立て」は面白いと思う。


 杉田の指摘をこのようにいい換えてもまったく違和感がないのではないでしょうか。「「アニメ化する日本現実」とは、少女リコリスアイドル犠牲搾取によって多数派幸福となり、現実を見まいとし、責任回避するような現実のことである」。


 つまり、『天気の子』は、そして『リコリコ』もまた、日本アニメと、日本アニメに似た構造になりつつある(なってしまっている?)日本社会構造のもの批評的に設定に抱え込んだ「メタ日本アニメであるわけです。


 『リコリコ』の設定はあまりにも「リアリティがない」かたちで矛盾欺瞞偽善を抱え込んでいますが、それは視聴者に対する問題提起なのです。これは杉田が挙げている「アイドル」の問題とも一脈通じるものがあると思います


 その意味で、『リコリコ』は、じつは一種アイドルアニメなんですよ! な、なんだってー。まあ、それはひとつの「見立て」に過ぎませんが、じっさい、アイドル界隈のほうでもこの「ファンによるアイドルの抑圧」問題はしばしば議論されているようです。


 たとえば、『アイドルについて葛藤しながら考えてみた』というアイドル現象批評の本では、このような問題が取り上げられています


今日アイドルは広く普遍的な人気を獲得し、多様なスタイル可能性をもつジャンルとしても注目されている。しかし、同時に多くの難点を抱え込んでいることも見過ごせない。

暗黙の「恋愛禁止ルールとその背景にある異性愛主義、「年齢いじり」や一定の年齢での「卒業」という慣習に表れるエイジズム、あからさまに可視化されるルッキズムSNSを通じて四六時中切り売りされるパーソナリティ……。アイドルというジャンルは、現実アイドルとして生きる人に抑圧を強いる構造的な問題を抱え続けている。スキャンダルトラブルが発生して、旧態依然ともいえるアイドル界の「常識」のあり方が浮き彫りになるたび、ファンの間では答えが出ない議論が繰り返されている。


その一方で、自らの表現模索しながら主体的ステージに立ち、とき演者同士で連帯して目標を達成しようとするアイドルたちの実践は、人々をエンパワーメントするものでもある。そして、ファンのなかでも、アイドル本人に身勝手欲望規範押し付けることと裏表でもある「推す」(≒消費する)ことに対して、後ろめたさを抱く人が増えている。


https://www.amazon.co.jp/dp/478727449X/


 アニメ場合美少女キャラクターたちは実在しないのでアイドル業界ほど問題は先鋭化しないようにも思えますが、そのキャラクターを支持しているはずのファンキャラクターに「身勝手欲望規範押し付け」て「消費」している構造は同じです。


 そして、その「大人たちが子供たちをだまして食い物にしている」欺瞞構造現在日本社会全体を象徴するものでもある。『リコリコ』や『天気の子』は(そして『Gunslinger girl』も)この問題テーマとして作品内にメタ的に胚胎しているといえます


 もっとも、この児童搾取問題は、文学的に見れば遥か昔の作品にも見て取れるものであり、きわめて普遍性の高いテーマであるということもできます


 この問題に関して文芸作品を振り返るとき、だれもが即座に思い浮かべるのがドストエフスキーの『カラマーゾフの兄弟であることは論を待たないでしょう。


 この小説のなかで、イワンカラマーゾフは、弟のアリョーシャに向かって、神話的な過去原罪を犯した人間たちは「神の国」へ迎え入れられるために苦しみを耐えなければならないというキリスト教論理を踏まえ、そんなことは子供たちには何の関係もないじゃないかと語ります


 そして、たったひとりの子供の苦しみを理由にでも、自分は「最高の調和」を拒絶するというのです。


 俺は一般的人類の苦悩について話すつもりだったんだが、むしろ子供たちの苦悩にだけ話をしぼるほうがいいだろう。俺の論証の規模は十分の一に縮められてしまうけど、それでも子供だけに話をしぼったほうがよさそうだ。もちろん、俺にとってはそれだけ有利じゃなくなるがね。しかし、しかし、第一相手子供なら、身近な場合でさえ愛することができるし、汚ならしい子でも、顔の醜い子でも愛することができる(もっとも俺には、子供というのは決して顔が醜いなんてことはないように思えるがね)。第二に、俺がまだ大人について語ろうとしないのでは、大人はいやらしくて愛に値しないという以外に、大人には神罰もあるからなんだ。彼らは知恵の実を食べてしまったために、善悪を知り、≪神のごとく≫になった。今でも食べつづけているよ。ところが子供たちは何も食べなかったから、今のところまだ何の罪もないのだ。


(中略)


 まだ時間のあるうちに、俺は急いで自己防衛しておいて、そんな最高の調和なんぞ全面的拒否するんだ。そんな調和は、小さなあの痛めつけられた子供一人の涙にさえ値しないよ!


 つまりイワンはここで子供犠牲にして成り立つユートピア欺瞞告発している。(続く)

リコリス・リコイル』はドストエフスキー児童搾取テーマに通じるメタアイドルサバイバルアニメの傑作だ!

 ども、皆さん、アニメリコリス・リコイル』観ています? めちゃくちゃ面白いですね! 後世に残る名作かといったら必ずしもそうとはいえないと思うのだけれど、少なくとも「いま」、このときリアルタイムで見る作品としては破格に面白い


 一方でいったいこの面白さの正体は何なのだろうと考えてみてもうまく言語化できないわけで、何かこう、隔靴掻痒のもどかしさを感じないでもない。第一話を観た時点で直観的に「これは新しい!」と思ったのだけれど、その「新しさ」を言葉にしようとするとうまくいかない。


 そこで、以下ではなるべくていねいに『リコリコ』の「面白さ」と「新しさ」を的確な言葉に置き換えていきたいと思う。読んでね。


 さて、まず、いま人気絶頂の『リコリコ』についていえることは、これが何か非常に「不穏」なものを秘めた作品だということです。


 一見すると現代日本と同じように平和社会舞台にしているようで、そこでは「リコリス」と呼ばれる高校生くらいの女の子たちがその平和を守るために命がけで戦っている。そして、じっさいにどんどん死んでいる。


 このグロテスクともいえる構造が、第一話の冒頭の時点であっさりと、あたりまえのことであるかのようにライトかつスムーズ説明されている。


 しかし、もちろんこれはまったく「あたりまえのこと」ではありません。年端もいかない少女たちが銃を持って戦う。戦わされている。そこにはあからさまに倫理的問題がある。この「少女と銃」というコンセプトについて、原案アサウラさんはインタビューでこのように述べています


アサウラ:柏田さんが読んでくれていたのが僕の「デスニードラウンド」という小説で、これが最初から最後まで銃を撃ち続けるような作品なんです。それを読んで僕を呼んでくれたので、銃が出てくることは決まっていました。女の子と銃で何かをやってくれという感じだったと思います


https://www.animatetimes.com/news/details.php?id=1656464389


 最初の時点から少女と銃」がメインコンセプトだったわけですね。すでに指摘されているとおり、この「少女と銃」というコンセプトには先行作品系譜があります虚淵玄最初期の作品として知られる『Phantom of Infelno』がそうだし、『NOIR /ノワール』などのアニメもある。


 現在アニメ業界ではもはや「美少女ガンアクションもの」はひとつジャンルといっても良いかもしれません。


 ちょっと現実的に考えればかぼそい体格の女の子がそうそう的確に銃を操れるわけがないと思えるわけですが、そこの違和感ねじ伏せてでも少女と銃を組み合わせることにはある種のフェティッシュな魅力があるのだと思います


 それらの先行作品のなかで、おそらく最も重要で、しかも『リコリコ』に近いのは相田裕の『Gunslinger girl』です。


 これは洗脳されてテロリストと戦う少女たちと、彼女たちとコンビを組んで戦う男性たちを描いた物語で、「平和社会を維持するため少女たちが陰で戦っている」というところが『リコリコ』と共通していますね。このタイトルは『リコリコ』の監督インタビューで直接的に言及されています


――足立さんが入って、物語が明るい空気になったそうですね。


足立アニメを見て暗い気分になったりするのは、今はあんまり求められていない気がするかなって…。自分DVD買うくらい『GUNSLINGER GIRL』が好きなだけに、そのフィールドでは勝てないと思いましたし、ポイントをずらしたほうがいいんじゃないですかねっていう話は初日にしたと思います


https://www.animatetimes.com/news/details.php?id=1656605844


 この言及を見ると、『リコリコ』と『Gunslinger girl』の設定上の共通項は意識的ものであることがわかります。ただ、その一方で「ポイントをずらした」と語られているとおり、『リコリコ』と『Gunslinger girl』には決定的な差異がある。


 ひとつパートナー役の大人がいないことで、もうひとつ少女たちが洗脳されておらず、自分意思戦闘に参加していることです。


 前者に関しては原案アサウラさんの作風かもしれません。アサウラさんは過去にも少女たちが「百合」的にコンビを組んで戦う作品を書いているようですから(筆者は未読)。


 しかし、決定的に重要なのは後者でしょう。『Gunslinger girl』の洗脳されて戦う少女たちに対して、『リコリコ』のリコリスたちは(少なくとも表面的には)自発的意思で戦っているわけです。


 もちろん、「自発的意思なのだから問題ない」ということにはならない。リコリスたちはみな孤児であり、「戦うことしか選択肢がない」状況に置かれているともいえる。リコリスたちが「大人」たちに搾取され、かりそめの平和のための犠牲として利用されていることは間違いないでしょう。


 きわめていびつかつ不自然かつ欺瞞的な構造です。このディストピア的ともいえる構造をどう見るかが『リコリコ』を批評的に判定するときひとつのカギとなる。この点に関して批判的に触れた記事はてな匿名ダイアリー投稿されています


前線少女と銃後の大人という構造からガンスリ(とかエヴァとかあのへん)の亜種として良いと思うが、それら先行作品と比べたときリコリス少女のみで構成される理由(※)や、少女前線に立たせる搾取構造に対する大人側の自覚とか罪悪感がすっぽり抜け落ちていてさすがに気味が悪い。


アサウラバニラのころからこういうところがあって、物語少女大人社会)という対比ではなく少女少女という2者間の関係性で回収することで、俎上に載せたはずの搾取構造をうやむやにしようとする。要するに百合を出せば他がザルでもオタクブヒブヒ鳴くんだろという作り手の舐めた態度がアニメから透けて見えてキモいという話なんだが、増上慢になるだけのウェルメイドな仕上がりになっていてそれもまたなんか鼻につく。


まあしかしこういうザ・老害みたいな感想を書くと自分老いを感じて嫌になるね。たぶん若い世代はああいうのなんの疑問も持たずスッと面白がれるんだろうな。


https://anond.hatelabo.jp/20220806182309


 しかし、これはぼくにはやはり表面的な批判に過ぎないように思える。「うやむやにしようとする」も何も、全然うやむやになっていないよね?と。


 「社会正義平和を守る組織」としてのDA欺瞞はあまりにもあきらかであり、ごく平凡な視聴者でも確実に気づくことではないでしょうか。じっさい、監督インタビューでもその点は触れられている。


――完成した作品を見ても、2人の関係性は大きな軸としてありました。ただ、DAという謎の組織が、犯罪を力で抑止しているというのも軸として描かれていますよね。


足立子供が銃を持って仕事をしているってことは、誰か大人に強いられているということになるでしょ?きっと悪い大人が、騙してるんだろう。「君たちは良いことをしてるんだぞっ」ってね。DAがしていることの是非は視聴者に考えてもらいたいところですね。


――それが第1話の冒頭で紹介されているわけですが、この世界の仕組み的なところは、とても面白い発想だと思いました。


足立:確かな事実として、日本世界の中でも極めて治安が良く平和で、その自認もありますよね。でもそれを支えているのが、全然知られていない闇の組織で、社会性の無い人を何千年も前から秘密裏に殺してきたから、規範意識の高い人しか子孫を残せなかった。だから日本人全体がだんだんそうなっていったんだ、みたいな設定はどうだろうかという提案をしたんです。監視社会に対するアイロニーあるかな


要するに、みんなが知っている事実を、大きな“ウソ”が支えていたという構造にしようと思って、DAがどんな組織なのかをアサウラさんに考えてもらったという感じですね。


https://www.animatetimes.com/news/details.php?id=1656605844


 ようは「大人たちが子供たちをだまして搾取している欺瞞構造」は制作者側により作品の一部として自覚的に提示されているのであって、単にその点を指摘するだけでは作品批評したことにはならないのです。


 そして、個人的感覚としては、まず大半の視聴者はその提示を正確に受け止めることができていると感じます。つまり、この欺瞞的なディストピアユートピア構造はこの作品を語る上で、気付かなくては話にならない「当然の前提」であり、そしてじっさいに大半の視聴者は気付いている。


 とすれば、この認識の上にさら議論を重ねていくべきでしょう。ちなみに、上記匿名ダイアリーでは「リアリティライン」が「ガバガバであるという指摘もなされていますが、これもあきらかに意図的ものでしょう。


 「現代日本では女子高生が最も警戒されないか子供たちに銃を持たせて戦わせることには合理性があるのだ!」という設定は控えめにいっても荒唐無稽というしかなく、通常の意味でのリアリティはまったくありません。


 さらにその女の子たちのうちのふたり喫茶店に勤めながら殺人が絡む仕事をしているって、いや、ふつうに考えればありえないとしかいいようがないでしょ。しかし、だからダメなのかといえばそうではない。


 このあからさまにめちゃくちゃな設定は『リコリコ』がリアルアクションストーリーというよりは一種寓話志向していると見るべきです。この作品はおそらく意図的ウソくさく、うさん臭い印象を与えるように設定が練り上げられている。


 そして、そのウソくささ、うさん臭さがひとつの魅力にまで昇華されている。だから、「リアリティがないじゃないか!」と指摘することには意味がない。まずはそこに込められた皮肉寓意を見て取るべきなのです。


 それでは、その欺瞞的かつ偽善的かつ人工的な、「まるでリアリティがない」設定と物語を通して『リコリコ』が描こうとしているものは何か。それは「子供犠牲にして成立している社会」の欺瞞だと考えます


 まさに上記匿名ダイアリー批判されている、子供たちを「消費」することで成立している日本アニメ産業欺瞞でもある。


 評論家杉田俊介は、新海誠監督映画『天気の子』について、このように書いています


ひとまず重要なのは、『天気の子』は、日本アニメ批判するアニメ、「アニメ化する日本現実」を批判するアニメである、ということだ。「アニメ化する日本現実」とは、少女人柱アイドル犠牲搾取によって多数派幸福となり、現実を見まいとし、責任回避するような現実のことである物語最初の方に、風俗店求人宣伝を行う「バニラトラック」が印象的に登場すること、陽菜チンピラに騙されて新宿性風俗的な店で働きかけることなどは、意図的演出だろう)。


https://gendai.media/articles/-/78976


 ぼくは杉田の『天気の子』論にはまったく賛同しませんが、ひとまずこの「見立て」は面白いと思う。


 杉田の指摘をこのようにいい換えてもまったく違和感がないのではないでしょうか。「「アニメ化する日本現実」とは、少女リコリスアイドル犠牲搾取によって多数派幸福となり、現実を見まいとし、責任回避するような現実のことである」。


 つまり、『天気の子』は、そして『リコリコ』もまた、日本アニメと、日本アニメに似た構造になりつつある(なってしまっている?)日本社会構造のもの批評的に設定に抱え込んだ「メタ日本アニメであるわけです。


 『リコリコ』の設定はあまりにも「リアリティがない」かたちで矛盾欺瞞偽善を抱え込んでいますが、それは視聴者に対する問題提起なのです。これは杉田が挙げている「アイドル」の問題とも一脈通じるものがあると思います


 その意味で、『リコリコ』は、じつは一種アイドルアニメなんですよ! な、なんだってー。まあ、それはひとつの「見立て」に過ぎませんが、じっさい、アイドル界隈のほうでもこの「ファンによるアイドルの抑圧」問題はしばしば議論されているようです。


 たとえば、『アイドルについて葛藤しながら考えてみた』というアイドル現象批評の本では、このような問題が取り上げられています


今日アイドルは広く普遍的な人気を獲得し、多様なスタイル可能性をもつジャンルとしても注目されている。しかし、同時に多くの難点を抱え込んでいることも見過ごせない。

暗黙の「恋愛禁止ルールとその背景にある異性愛主義、「年齢いじり」や一定の年齢での「卒業」という慣習に表れるエイジズム、あからさまに可視化されるルッキズムSNSを通じて四六時中切り売りされるパーソナリティ……。アイドルというジャンルは、現実アイドルとして生きる人に抑圧を強いる構造的な問題を抱え続けている。スキャンダルトラブルが発生して、旧態依然ともいえるアイドル界の「常識」のあり方が浮き彫りになるたび、ファンの間では答えが出ない議論が繰り返されている。


その一方で、自らの表現模索しながら主体的ステージに立ち、とき演者同士で連帯して目標を達成しようとするアイドルたちの実践は、人々をエンパワーメントするものでもある。そして、ファンのなかでも、アイドル本人に身勝手欲望規範押し付けることと裏表でもある「推す」(≒消費する)ことに対して、後ろめたさを抱く人が増えている。


https://www.amazon.co.jp/dp/478727449X/


 アニメ場合美少女キャラクターたちは実在しないのでアイドル業界ほど問題は先鋭化しないようにも思えますが、そのキャラクターを支持しているはずのファンキャラクターに「身勝手欲望規範押し付け」て「消費」している構造は同じです。


 そして、その「大人たちが子供たちをだまして食い物にしている」欺瞞構造現在日本社会全体を象徴するものでもある。『リコリコ』や『天気の子』は(そして『Gunslinger girl』も)この問題テーマとして作品内にメタ的に胚胎しているといえます


 もっとも、この児童搾取問題は、文学的に見れば遥か昔の作品にも見て取れるものであり、きわめて普遍性の高いテーマであるということもできます


 この問題に関して文芸作品を振り返るとき、だれもが即座に思い浮かべるのがドストエフスキーの『カラマーゾフの兄弟であることは論を待たないでしょう。


 この小説のなかで、イワンカラマーゾフは、弟のアリョーシャに向かって、神話的な過去原罪を犯した人間たちは「神の国」へ迎え入れられるために苦しみを耐えなければならないというキリスト教論理を踏まえ、そんなことは子供たちには何の関係もないじゃないかと語ります


 そして、たったひとりの子供の苦しみを理由にでも、自分は「最高の調和」を拒絶するというのです。


 俺は一般的人類の苦悩について話すつもりだったんだが、むしろ子供たちの苦悩にだけ話をしぼるほうがいいだろう。俺の論証の規模は十分の一に縮められてしまうけど、それでも子供だけに話をしぼったほうがよさそうだ。もちろん、俺にとってはそれだけ有利じゃなくなるがね。しかし、しかし、第一相手子供なら、身近な場合でさえ愛することができるし、汚ならしい子でも、顔の醜い子でも愛することができる(もっとも俺には、子供というのは決して顔が醜いなんてことはないように思えるがね)。第二に、俺がまだ大人について語ろうとしないのでは、大人はいやらしくて愛に値しないという以外に、大人には神罰もあるからなんだ。彼らは知恵の実を食べてしまったために、善悪を知り、≪神のごとく≫になった。今でも食べつづけているよ。ところが子供たちは何も食べなかったから、今のところまだ何の罪もないのだ。


(中略)


 まだ時間のあるうちに、俺は急いで自己防衛しておいて、そんな最高の調和なんぞ全面的拒否するんだ。そんな調和は、小さなあの痛めつけられた子供一人の涙にさえ値しないよ!


 つまりイワンはここで子供犠牲にして成り立つユートピア欺瞞告発している。これは、『天気の子

リコリス・リコイル』はドストエフスキー児童搾取テーマに通じる

 ども、皆さん、アニメリコリス・リコイル』観ています? めちゃくちゃ面白いですね! 後世に残る名作かといったら必ずしもそうとはいえないと思うのだけれど、少なくとも「いま」、このときリアルタイムで見る作品としては破格に面白い


 一方でいったいこの面白さの正体は何なのだろうと考えてみてもうまく言語化できないわけで、何かこう、隔靴掻痒のもどかしさを感じないでもない。第一話を観た時点で直観的に「これは新しい!」と思ったのだけれど、その「新しさ」を言葉にしようとするとうまくいかない。


 そこで、以下ではなるべくていねいに『リコリコ』の「面白さ」と「新しさ」を的確な言葉に置き換えていきたいと思う。読んでね。


 さて、まず、いま人気絶頂の『リコリコ』についていえることは、これが何か非常に「不穏」なものを秘めた作品だということです。


 一見すると現代日本と同じように平和社会舞台にしているようで、そこでは「リコリス」と呼ばれる高校生くらいの女の子たちがその平和を守るために命がけで戦っている。そして、じっさいにどんどん死んでいる。


 このグロテスクともいえる構造が、第一話の冒頭の時点であっさりと、あたりまえのことであるかのようにライトかつスムーズ説明されている。


 しかし、もちろんこれはまったく「あたりまえのこと」ではありません。年端もいかない少女たちが銃を持って戦う。戦わされている。そこにはあからさまに倫理的問題がある。この「少女と銃」というコンセプトについて、原案アサウラさんはインタビューでこのように述べています


アサウラ:柏田さんが読んでくれていたのが僕の「デスニードラウンド」という小説で、これが最初から最後まで銃を撃ち続けるような作品なんです。それを読んで僕を呼んでくれたので、銃が出てくることは決まっていました。女の子と銃で何かをやってくれという感じだったと思います


https://www.animatetimes.com/news/details.php?id=1656464389


 最初の時点から少女と銃」がメインコンセプトだったわけですね。すでに指摘されているとおり、この「少女と銃」というコンセプトには先行作品系譜があります虚淵玄最初期の作品として知られる『Phantom of Infelno』がそうだし、『NOIR /ノワール』などのアニメもある。


 現在アニメ業界ではもはや「美少女ガンアクションもの」はひとつジャンルといっても良いかもしれません。


 ちょっと現実的に考えればかぼそい体格の女の子がそうそう的確に銃を操れるわけがないと思えるわけですが、そこの違和感ねじ伏せてでも少女と銃を組み合わせることにはある種のフェティッシュな魅力があるのだと思います


 それらの先行作品のなかで、おそらく最も重要で、しかも『リコリコ』に近いのは相田裕の『Gunslinger girl』です。


 これは洗脳されてテロリストと戦う少女たちと、彼女たちとコンビを組んで戦う男性たちを描いた物語で、「平和社会を維持するため少女たちが陰で戦っている」というところが『リコリコ』と共通していますね。このタイトルは『リコリコ』の監督インタビューで直接的に言及されています


――足立さんが入って、物語が明るい空気になったそうですね。


足立アニメを見て暗い気分になったりするのは、今はあんまり求められていない気がするかなって…。自分DVD買うくらい『GUNSLINGER GIRL』が好きなだけに、そのフィールドでは勝てないと思いましたし、ポイントをずらしたほうがいいんじゃないですかねっていう話は初日にしたと思います


https://www.animatetimes.com/news/details.php?id=1656605844


 この言及を見ると、『リコリコ』と『Gunslinger girl』の設定上の共通項は意識的ものであることがわかります。ただ、その一方で「ポイントをずらした」と語られているとおり、『リコリコ』と『Gunslinger girl』には決定的な差異がある。


 ひとつパートナー役の大人がいないことで、もうひとつ少女たちが洗脳されておらず、自分意思戦闘に参加していることです。


 前者に関しては原案アサウラさんの作風かもしれません。アサウラさんは過去にも少女たちが「百合」的にコンビを組んで戦う作品を書いているようですから(筆者は未読)。


 しかし、決定的に重要なのは後者でしょう。『Gunslinger girl』の洗脳されて戦う少女たちに対して、『リコリコ』のリコリスたちは(少なくとも表面的には)自発的意思で戦っているわけです。


 もちろん、「自発的意思なのだから問題ない」ということにはならない。リコリスたちはみな孤児であり、「戦うことしか選択肢がない」状況に置かれているともいえる。リコリスたちが「大人」たちに搾取され、かりそめの平和のための犠牲として利用されていることは間違いないでしょう。


 きわめていびつかつ不自然かつ欺瞞的な構造です。このディストピア的ともいえる構造をどう見るかが『リコリコ』を批評的に判定するときひとつのカギとなる。この点に関して批判的に触れた記事はてな匿名ダイアリー投稿されています


前線少女と銃後の大人という構造からガンスリ(とかエヴァとかあのへん)の亜種として良いと思うが、それら先行作品と比べたときリコリス少女のみで構成される理由(※)や、少女前線に立たせる搾取構造に対する大人側の自覚とか罪悪感がすっぽり抜け落ちていてさすがに気味が悪い。


アサウラバニラのころからこういうところがあって、物語少女大人社会)という対比ではなく少女少女という2者間の関係性で回収することで、俎上に載せたはずの搾取構造をうやむやにしようとする。要するに百合を出せば他がザルでもオタクブヒブヒ鳴くんだろという作り手の舐めた態度がアニメから透けて見えてキモいという話なんだが、増上慢になるだけのウェルメイドな仕上がりになっていてそれもまたなんか鼻につく。


まあしかしこういうザ・老害みたいな感想を書くと自分老いを感じて嫌になるね。たぶん若い世代はああいうのなんの疑問も持たずスッと面白がれるんだろうな。


https://anond.hatelabo.jp/20220806182309


 しかし、これはぼくにはやはり表面的な批判に過ぎないように思える。「うやむやにしようとする」も何も、全然うやむやになっていないよね?と。


 「社会正義平和を守る組織」としてのDA欺瞞はあまりにもあきらかであり、ごく平凡な視聴者でも確実に気づくことではないでしょうか。じっさい、監督インタビューでもその点は触れられている。


――完成した作品を見ても、2人の関係性は大きな軸としてありました。ただ、DAという謎の組織が、犯罪を力で抑止しているというのも軸として描かれていますよね。


足立子供が銃を持って仕事をしているってことは、誰か大人に強いられているということになるでしょ?きっと悪い大人が、騙してるんだろう。「君たちは良いことをしてるんだぞっ」ってね。DAがしていることの是非は視聴者に考えてもらいたいところですね。


――それが第1話の冒頭で紹介されているわけですが、この世界の仕組み的なところは、とても面白い発想だと思いました。


足立:確かな事実として、日本世界の中でも極めて治安が良く平和で、その自認もありますよね。でもそれを支えているのが、全然知られていない闇の組織で、社会性の無い人を何千年も前から秘密裏に殺してきたから、規範意識の高い人しか子孫を残せなかった。だから日本人全体がだんだんそうなっていったんだ、みたいな設定はどうだろうかという提案をしたんです。監視社会に対するアイロニーあるかな


要するに、みんなが知っている事実を、大きな“ウソ”が支えていたという構造にしようと思って、DAがどんな組織なのかをアサウラさんに考えてもらったという感じですね。


https://www.animatetimes.com/news/details.php?id=1656605844


 ようは「大人たちが子供たちをだまして搾取している欺瞞構造」は制作者側により作品の一部として自覚的に提示されているのであって、単にその点を指摘するだけでは作品批評したことにはならないのです。


 そして、個人的感覚としては、まず大半の視聴者はその提示を正確に受け止めることができていると感じます。つまり、この欺瞞的なディストピアユートピア構造はこの作品を語る上で、気付かなくては話にならない「当然の前提」であり、そしてじっさいに大半の視聴者は気付いている。


 とすれば、この認識の上にさら議論を重ねていくべきでしょう。ちなみに、上記匿名ダイアリーでは「リアリティライン」が「ガバガバであるという指摘もなされていますが、これもあきらかに意図的ものでしょう。


 「現代日本では女子高生が最も警戒されないか子供たちに銃を持たせて戦わせることには合理性があるのだ!」という設定は控えめにいっても荒唐無稽というしかなく、通常の意味でのリアリティはまったくありません。


 さらにその女の子たちのうちのふたり喫茶店に勤めながら殺人が絡む仕事をしているって、いや、ふつうに考えればありえないとしかいいようがないでしょ。しかし、だからダメなのかといえばそうではない。


 このあからさまにめちゃくちゃな設定は『リコリコ』がリアルアクションストーリーというよりは一種寓話志向していると見るべきです。この作品はおそらく意図的ウソくさく、うさん臭い印象を与えるように設定が練り上げられている。


 そして、そのウソくささ、うさん臭さがひとつの魅力にまで昇華されている。だから、「リアリティがないじゃないか!」と指摘することには意味がない。まずはそこに込められた皮肉寓意を見て取るべきなのです。


 それでは、その欺瞞的かつ偽善的かつ人工的な、「まるでリアリティがない」設定と物語を通して『リコリコ』が描こうとしているものは何か。それは「子供犠牲にして成立している社会」の欺瞞だと考えます


 まさに上記匿名ダイアリー批判されている、子供たちを「消費」することで成立している日本アニメ産業欺瞞でもある。


 評論家杉田俊介は、新海誠監督映画『天気の子』について、このように書いています


ひとまず重要なのは、『天気の子』は、日本アニメ批判するアニメ、「アニメ化する日本現実」を批判するアニメである、ということだ。「アニメ化する日本現実」とは、少女人柱アイドル犠牲搾取によって多数派幸福となり、現実を見まいとし、責任回避するような現実のことである物語最初の方に、風俗店求人宣伝を行う「バニラトラック」が印象的に登場すること、陽菜チンピラに騙されて新宿性風俗的な店で働きかけることなどは、意図的演出だろう)。


https://gendai.media/articles/-/78976


 ぼくは杉田の『天気の子』論にはまったく賛同しませんが、ひとまずこの「見立て」は面白いと思う。


 杉田の指摘をこのようにいい換えてもまったく違和感がないのではないでしょうか。「「アニメ化する日本現実」とは、少女リコリスアイドル犠牲搾取によって多数派幸福となり、現実を見まいとし、責任回避するような現実のことである」。


 つまり、『天気の子』は、そして『リコリコ』もまた、日本アニメと、日本アニメに似た構造になりつつある(なってしまっている?)日本社会構造のもの批評的に設定に抱え込んだ「メタ日本アニメであるわけです。


 『リコリコ』の設定はあまりにも「リアリティがない」かたちで矛盾欺瞞偽善を抱え込んでいますが、それは視聴者に対する問題提起なのです。これは杉田が挙げている「アイドル」の問題とも一脈通じるものがあると思います


 その意味で、『リコリコ』は、じつは一種アイドルアニメなんですよ! な、なんだってー。まあ、それはひとつの「見立て」に過ぎませんが、じっさい、アイドル界隈のほうでもこの「ファンによるアイドルの抑圧」問題はしばしば議論されているようです。


 たとえば、『アイドルについて葛藤しながら考えてみた』というアイドル現象批評の本では、このような問題が取り上げられています


今日アイドルは広く普遍的な人気を獲得し、多様なスタイル可能性をもつジャンルとしても注目されている。しかし、同時に多くの難点を抱え込んでいることも見過ごせない。

暗黙の「恋愛禁止ルールとその背景にある異性愛主義、「年齢いじり」や一定の年齢での「卒業」という慣習に表れるエイジズム、あからさまに可視化されるルッキズムSNSを通じて四六時中切り売りされるパーソナリティ……。アイドルというジャンルは、現実アイドルとして生きる人に抑圧を強いる構造的な問題を抱え続けている。スキャンダルトラブルが発生して、旧態依然ともいえるアイドル界の「常識」のあり方が浮き彫りになるたび、ファンの間では答えが出ない議論が繰り返されている。


その一方で、自らの表現模索しながら主体的ステージに立ち、とき演者同士で連帯して目標を達成しようとするアイドルたちの実践は、人々をエンパワーメントするものでもある。そして、ファンのなかでも、アイドル本人に身勝手欲望規範押し付けることと裏表でもある「推す」(≒消費する)ことに対して、後ろめたさを抱く人が増えている。


https://www.amazon.co.jp/dp/478727449X/


 アニメ場合美少女キャラクターたちは実在しないのでアイドル業界ほど問題は先鋭化しないようにも思えますが、そのキャラクターを支持しているはずのファンキャラクターに「身勝手欲望規範押し付け」て「消費」している構造は同じです。


 そして、その「大人たちが子供たちをだまして食い物にしている」欺瞞構造現在日本社会全体を象徴するものでもある。『リコリコ』や『天気の子』は(そして『Gunslinger girl』も)この問題テーマとして作品内にメタ的に胚胎しているといえます


 もっとも、この児童搾取問題は、文学的に見れば遥か昔の作品にも見て取れるものであり、きわめて普遍性の高いテーマであるということもできます


 この問題に関して文芸作品を振り返るとき、だれもが即座に思い浮かべるのがドストエフスキーの『カラマーゾフの兄弟であることは論を待たないでしょう。


 この小説のなかで、イワンカラマーゾフは、弟のアリョーシャに向かって、神話的な過去原罪を犯した人間たちは「神の国」へ迎え入れられるために苦しみを耐えなければならないというキリスト教論理を踏まえ、そんなことは子供たちには何の関係もないじゃないかと語ります


 そして、たったひとりの子供の苦しみを理由にでも、自分は「最高の調和」を拒絶するというのです。


 俺は一般的人類の苦悩について話すつもりだったんだが、むしろ子供たちの苦悩にだけ話をしぼるほうがいいだろう。俺の論証の規模は十分の一に縮められてしまうけど、それでも子供だけに話をしぼったほうがよさそうだ。もちろん、俺にとってはそれだけ有利じゃなくなるがね。しかし、しかし、第一相手子供なら、身近な場合でさえ愛することができるし、汚ならしい子でも、顔の醜い子でも愛することができる(もっとも俺には、子供というのは決して顔が醜いなんてことはないように思えるがね)。第二に、俺がまだ大人について語ろうとしないのでは、大人はいやらしくて愛に値しないという以外に、大人には神罰もあるからなんだ。彼らは知恵の実を食べてしまったために、善悪を知り、≪神のごとく≫になった。今でも食べつづけているよ。ところが子供たちは何も食べなかったから、今のところまだ何の罪もないのだ。


(中略)


 まだ時間のあるうちに、俺は急いで自己防衛しておいて、そんな最高の調和なんぞ全面的拒否するんだ。そんな調和は、小さなあの痛めつけられた子供一人の涙にさえ値しないよ!


 つまりイワンはここで子供犠牲にして成り立つユートピア欺瞞告発している。これは、『天気の子

リコリス・リコイル』はドストエフスキー児童搾取テーマに通じる

 ども、皆さん、アニメリコリス・リコイル』観ています? めちゃくちゃ面白いですね! 後世に残る名作かといったら必ずしもそうとはいえないと思うのだけれど、少なくとも「いま」、このときリアルタイムで見る作品としては破格に面白い


 一方でいったいこの面白さの正体は何なのだろうと考えてみてもうまく言語化できないわけで、何かこう、隔靴掻痒のもどかしさを感じないでもない。第一話を観た時点で直観的に「これは新しい!」と思ったのだけれど、その「新しさ」を言葉にしようとするとうまくいかない。


 そこで、以下ではなるべくていねいに『リコリコ』の「面白さ」と「新しさ」を的確な言葉に置き換えていきたいと思う。読んでね。


 さて、まず、いま人気絶頂の『リコリコ』についていえることは、これが何か非常に「不穏」なものを秘めた作品だということです。


 一見すると現代日本と同じように平和社会舞台にしているようで、そこでは「リコリス」と呼ばれる高校生くらいの女の子たちがその平和を守るために命がけで戦っている。そして、じっさいにどんどん死んでいる。


 このグロテスクともいえる構造が、第一話の冒頭の時点であっさりと、あたりまえのことであるかのようにライトかつスムーズ説明されている。


 しかし、もちろんこれはまったく「あたりまえのこと」ではありません。年端もいかない少女たちが銃を持って戦う。戦わされている。そこにはあからさまに倫理的問題がある。この「少女と銃」というコンセプトについて、原案アサウラさんはインタビューでこのように述べています


アサウラ:柏田さんが読んでくれていたのが僕の「デスニードラウンド」という小説で、これが最初から最後まで銃を撃ち続けるような作品なんです。それを読んで僕を呼んでくれたので、銃が出てくることは決まっていました。女の子と銃で何かをやってくれという感じだったと思います


https://www.animatetimes.com/news/details.php?id=1656464389


 最初の時点から少女と銃」がメインコンセプトだったわけですね。すでに指摘されているとおり、この「少女と銃」というコンセプトには先行作品系譜があります虚淵玄最初期の作品として知られる『Phantom of Infelno』がそうだし、『NOIR /ノワール』などのアニメもある。


 現在アニメ業界ではもはや「美少女ガンアクションもの」はひとつジャンルといっても良いかもしれません。


 ちょっと現実的に考えればかぼそい体格の女の子がそうそう的確に銃を操れるわけがないと思えるわけですが、そこの違和感ねじ伏せてでも少女と銃を組み合わせることにはある種のフェティッシュな魅力があるのだと思います


 それらの先行作品のなかで、おそらく最も重要で、しかも『リコリコ』に近いのは相田裕の『Gunslinger girl』です。


 これは洗脳されてテロリストと戦う少女たちと、彼女たちとコンビを組んで戦う男性たちを描いた物語で、「平和社会を維持するため少女たちが陰で戦っている」というところが『リコリコ』と共通していますね。このタイトルは『リコリコ』の監督インタビューで直接的に言及されています


――足立さんが入って、物語が明るい空気になったそうですね。


足立アニメを見て暗い気分になったりするのは、今はあんまり求められていない気がするかなって…。自分DVD買うくらい『GUNSLINGER GIRL』が好きなだけに、そのフィールドでは勝てないと思いましたし、ポイントをずらしたほうがいいんじゃないですかねっていう話は初日にしたと思います


https://www.animatetimes.com/news/details.php?id=1656605844


 この言及を見ると、『リコリコ』と『Gunslinger girl』の設定上の共通項は意識的ものであることがわかります。ただ、その一方で「ポイントをずらした」と語られているとおり、『リコリコ』と『Gunslinger girl』には決定的な差異がある。


 ひとつパートナー役の大人がいないことで、もうひとつ少女たちが洗脳されておらず、自分意思戦闘に参加していることです。


 前者に関しては原案アサウラさんの作風かもしれません。アサウラさんは過去にも少女たちが「百合」的にコンビを組んで戦う作品を書いているようですから(筆者は未読)。


 しかし、決定的に重要なのは後者でしょう。『Gunslinger girl』の洗脳されて戦う少女たちに対して、『リコリコ』のリコリスたちは(少なくとも表面的には)自発的意思で戦っているわけです。


 もちろん、「自発的意思なのだから問題ない」ということにはならない。リコリスたちはみな孤児であり、「戦うことしか選択肢がない」状況に置かれているともいえる。リコリスたちが「大人」たちに搾取され、かりそめの平和のための犠牲として利用されていることは間違いないでしょう。


 きわめていびつかつ不自然かつ欺瞞的な構造です。このディストピア的ともいえる構造をどう見るかが『リコリコ』を批評的に判定するときひとつのカギとなる。この点に関して批判的に触れた記事はてな匿名ダイアリー投稿されています


前線少女と銃後の大人という構造からガンスリ(とかエヴァとかあのへん)の亜種として良いと思うが、それら先行作品と比べたときリコリス少女のみで構成される理由(※)や、少女前線に立たせる搾取構造に対する大人側の自覚とか罪悪感がすっぽり抜け落ちていてさすがに気味が悪い。


アサウラバニラのころからこういうところがあって、物語少女大人社会)という対比ではなく少女少女という2者間の関係性で回収することで、俎上に載せたはずの搾取構造をうやむやにしようとする。要するに百合を出せば他がザルでもオタクブヒブヒ鳴くんだろという作り手の舐めた態度がアニメから透けて見えてキモいという話なんだが、増上慢になるだけのウェルメイドな仕上がりになっていてそれもまたなんか鼻につく。


まあしかしこういうザ・老害みたいな感想を書くと自分老いを感じて嫌になるね。たぶん若い世代はああいうのなんの疑問も持たずスッと面白がれるんだろうな。


https://anond.hatelabo.jp/20220806182309


 しかし、これはぼくにはやはり表面的な批判に過ぎないように思える。「うやむやにしようとする」も何も、全然うやむやになっていないよね?と。


 「社会正義平和を守る組織」としてのDA欺瞞はあまりにもあきらかであり、ごく平凡な視聴者でも確実に気づくことではないでしょうか。じっさい、監督インタビューでもその点は触れられている。


――完成した作品を見ても、2人の関係性は大きな軸としてありました。ただ、DAという謎の組織が、犯罪を力で抑止しているというのも軸として描かれていますよね。


足立子供が銃を持って仕事をしているってことは、誰か大人に強いられているということになるでしょ?きっと悪い大人が、騙してるんだろう。「君たちは良いことをしてるんだぞっ」ってね。DAがしていることの是非は視聴者に考えてもらいたいところですね。


――それが第1話の冒頭で紹介されているわけですが、この世界の仕組み的なところは、とても面白い発想だと思いました。


足立:確かな事実として、日本世界の中でも極めて治安が良く平和で、その自認もありますよね。でもそれを支えているのが、全然知られていない闇の組織で、社会性の無い人を何千年も前から秘密裏に殺してきたから、規範意識の高い人しか子孫を残せなかった。だから日本人全体がだんだんそうなっていったんだ、みたいな設定はどうだろうかという提案をしたんです。監視社会に対するアイロニーあるかな


要するに、みんなが知っている事実を、大きな“ウソ”が支えていたという構造にしようと思って、DAがどんな組織なのかをアサウラさんに考えてもらったという感じですね。


https://www.animatetimes.com/news/details.php?id=1656605844


 ようは「大人たちが子供たちをだまして搾取している欺瞞構造」は制作者側により作品の一部として自覚的に提示されているのであって、単にその点を指摘するだけでは作品批評したことにはならないのです。


 そして、個人的感覚としては、まず大半の視聴者はその提示を正確に受け止めることができていると感じます。つまり、この欺瞞的なディストピアユートピア構造はこの作品を語る上で、気付かなくては話にならない「当然の前提」であり、そしてじっさいに大半の視聴者は気付いている。


 とすれば、この認識の上にさら議論を重ねていくべきでしょう。ちなみに、上記匿名ダイアリーでは「リアリティライン」が「ガバガバであるという指摘もなされていますが、これもあきらかに意図的ものでしょう。


 「現代日本では女子高生が最も警戒されないか子供たちに銃を持たせて戦わせることには合理性があるのだ!」という設定は控えめにいっても荒唐無稽というしかなく、通常の意味でのリアリティはまったくありません。


 さらにその女の子たちのうちのふたり喫茶店に勤めながら殺人が絡む仕事をしているって、いや、ふつうに考えればありえないとしかいいようがないでしょ。しかし、だからダメなのかといえばそうではない。


 このあからさまにめちゃくちゃな設定は『リコリコ』がリアルアクションストーリーというよりは一種寓話志向していると見るべきです。この作品はおそらく意図的ウソくさく、うさん臭い印象を与えるように設定が練り上げられている。


 そして、そのウソくささ、うさん臭さがひとつの魅力にまで昇華されている。だから、「リアリティがないじゃないか!」と指摘することには意味がない。まずはそこに込められた皮肉寓意を見て取るべきなのです。


 それでは、その欺瞞的かつ偽善的かつ人工的な、「まるでリアリティがない」設定と物語を通して『リコリコ』が描こうとしているものは何か。それは「子供犠牲にして成立している社会」の欺瞞だと考えます


 まさに上記匿名ダイアリー批判されている、子供たちを「消費」することで成立している日本アニメ産業欺瞞でもある。


 評論家杉田俊介は、新海誠監督映画『天気の子』について、このように書いています


ひとまず重要なのは、『天気の子』は、日本アニメ批判するアニメ、「アニメ化する日本現実」を批判するアニメである、ということだ。「アニメ化する日本現実」とは、少女人柱アイドル犠牲搾取によって多数派幸福となり、現実を見まいとし、責任回避するような現実のことである物語最初の方に、風俗店求人宣伝を行う「バニラトラック」が印象的に登場すること、陽菜チンピラに騙されて新宿性風俗的な店で働きかけることなどは、意図的演出だろう)。


https://gendai.media/articles/-/78976


 ぼくは杉田の『天気の子』論にはまったく賛同しませんが、ひとまずこの「見立て」は面白いと思う。


 杉田の指摘をこのようにいい換えてもまったく違和感がないのではないでしょうか。「「アニメ化する日本現実」とは、少女リコリスアイドル犠牲搾取によって多数派幸福となり、現実を見まいとし、責任回避するような現実のことである」。


 つまり、『天気の子』は、そして『リコリコ』もまた、日本アニメと、日本アニメに似た構造になりつつある(なってしまっている?)日本社会構造のもの批評的に設定に抱え込んだ「メタ日本アニメであるわけです。


 『リコリコ』の設定はあまりにも「リアリティがない」かたちで矛盾欺瞞偽善を抱え込んでいますが、それは視聴者に対する問題提起なのです。これは杉田が挙げている「アイドル」の問題とも一脈通じるものがあると思います


 その意味で、『リコリコ』は、じつは一種アイドルアニメなんですよ! な、なんだってー。まあ、それはひとつの「見立て」に過ぎませんが、じっさい、アイドル界隈のほうでもこの「ファンによるアイドルの抑圧」問題はしばしば議論されているようです。


 たとえば、『アイドルについて葛藤しながら考えてみた』というアイドル現象批評の本では、このような問題が取り上げられています


今日アイドルは広く普遍的な人気を獲得し、多様なスタイル可能性をもつジャンルとしても注目されている。しかし、同時に多くの難点を抱え込んでいることも見過ごせない。

暗黙の「恋愛禁止ルールとその背景にある異性愛主義、「年齢いじり」や一定の年齢での「卒業」という慣習に表れるエイジズム、あからさまに可視化されるルッキズムSNSを通じて四六時中切り売りされるパーソナリティ……。アイドルというジャンルは、現実アイドルとして生きる人に抑圧を強いる構造的な問題を抱え続けている。スキャンダルトラブルが発生して、旧態依然ともいえるアイドル界の「常識」のあり方が浮き彫りになるたび、ファンの間では答えが出ない議論が繰り返されている。


その一方で、自らの表現模索しながら主体的ステージに立ち、とき演者同士で連帯して目標を達成しようとするアイドルたちの実践は、人々をエンパワーメントするものでもある。そして、ファンのなかでも、アイドル本人に身勝手欲望規範押し付けることと裏表でもある「推す」(≒消費する)ことに対して、後ろめたさを抱く人が増えている。


https://www.amazon.co.jp/dp/478727449X/


 アニメ場合美少女キャラクターたちは実在しないのでアイドル業界ほど問題は先鋭化しないようにも思えますが、そのキャラクターを支持しているはずのファンキャラクターに「身勝手欲望規範押し付け」て「消費」している構造は同じです。


 そして、その「大人たちが子供たちをだまして食い物にしている」欺瞞構造現在日本社会全体を象徴するものでもある。『リコリコ』や『天気の子』は(そして『Gunslinger girl』も)この問題テーマとして作品内にメタ的に胚胎しているといえます


 もっとも、この児童搾取問題は、文学的に見れば遥か昔の作品にも見て取れるものであり、きわめて普遍性の高いテーマであるということもできます


 この問題に関して文芸作品を振り返るとき、だれもが即座に思い浮かべるのがドストエフスキーの『カラマーゾフの兄弟であることは論を待たないでしょう。


 この小説のなかで、イワンカラマーゾフは、弟のアリョーシャに向かって、神話的な過去原罪を犯した人間たちは「神の国」へ迎え入れられるために苦しみを耐えなければならないというキリスト教論理を踏まえ、そんなことは子供たちには何の関係もないじゃないかと語ります


 そして、たったひとりの子供の苦しみを理由にでも、自分は「最高の調和」を拒絶するというのです。


 俺は一般的人類の苦悩について話すつもりだったんだが、むしろ子供たちの苦悩にだけ話をしぼるほうがいいだろう。俺の論証の規模は十分の一に縮められてしまうけど、それでも子供だけに話をしぼったほうがよさそうだ。もちろん、俺にとってはそれだけ有利じゃなくなるがね。しかし、しかし、第一相手子供なら、身近な場合でさえ愛することができるし、汚ならしい子でも、顔の醜い子でも愛することができる(もっとも俺には、子供というのは決して顔が醜いなんてことはないように思えるがね)。第二に、俺がまだ大人について語ろうとしないのでは、大人はいやらしくて愛に値しないという以外に、大人には神罰もあるからなんだ。彼らは知恵の実を食べてしまったために、善悪を知り、≪神のごとく≫になった。今でも食べつづけているよ。ところが子供たちは何も食べなかったから、今のところまだ何の罪もないのだ。


(中略)


 まだ時間のあるうちに、俺は急いで自己防衛しておいて、そんな最高の調和なんぞ全面的拒否するんだ。そんな調和は、小さなあの痛めつけられた子供一人の涙にさえ値しないよ!


 つまりイワンはここで子供犠牲にして成り立つユートピア欺瞞告発している。これは、『天気の子

2022-08-10

小宮友根先生千田有紀先生の「論争」について

https://twitter.com/frroots/status/1556797875123732480

https://twitter.com/frroots/status/1556856073016856577

https://twitter.com/ekodayuki/status/1556829119878336517


小宮友根先生千田有紀先生の「論争」について、内容自体は専門的なものも多く、その当否については判断できないが、Twitter上では千田先生への同情票が多いように感じる。しかし、あくま個人的な印象としては小宮先生に対して軍配をあげている。というのは、小宮先生のほうが、明らかにトランスジェンダー研究クラスタ多数派に沿っているかである


外野から見ると、千田先生トランスジェンダー研究クラスタから不当に排除されているに見えるかもしれない。しかし、歴史でもサブカルでもなんでもいいが、冷静になって自分が関心のある詳しい分野について思い浮かべて欲しい。そこに必ず少数・異端の「トンデモ」な人がいて、専門内の人から相手にされていないが、専門外の人から妙に共感を集めている人がいて、それを苦々しく眺めていないだろうか。


たとえば自分の関心は社会保障だが、時々経済学者による社会保障政策論で、「鈴木亘」を全面的に参照しているものを目にすることがある。その時点で、こいつは真面目に社会保障勉強する気がないのだなと見切りをつけて、もう読まない。関心のない人からすれば、特定の説を読まずに排除するなんて閉鎖的でけしからんと感じるだろうが、関心のある人間からすれば、「鈴木亘」を跋扈させたことで、どれだけ社会保障への不信感を増大させ、ネオリベ的な政策誘導させていったことか、長年蓄積されてきた怒りや恨みがある。事実鈴木氏は社会保障入門というタイトル新書を書いているため、最初に手に取って厚労官僚陰謀論世代対立論にはまる学生一定確率で生んでおり、現場大学教員はそれをたしなめることが最初指導になっている。鈴木氏も学会誌に書くことがあるが「こんな奴になんで書かせるんだ」と苦々しく思っているのは、自分だけではないと思う。


ジェンダー研究は全くの素人だが、小宮先生も同じ気持ちなのだろうと想像する。千田先生を直接というよりも、反トランスの人たちとつるんでいたり、反トランスの人たちの差別的言動に甘くなっていたり、ということに怒っているのだろうが。


そもそも一般論として、「異端」の人は多数の「正統派から批判を意に介さないかアンチスタンスをとることが自己目的化しているので、「トンデモ」な情報に飛びつく可能が高くなる。それに対して「正統派」は身内の多数の専門家から批判に敏感にならざるを得ないので、間違った情報を流さないように慎重になる。一般にはガリレイのような事例ばかり思い浮かべてしまうけど、基本的に「異端」と「正統」が論争して、前者が正しいことは滅多にない。

2022-08-09

靖国神社はさっさと大声で「我々は統一教会とは関係がありません!」って声明を出したほうがいいでしょ

御國を守護った英霊霊魂を預かっている身としての自覚が足りない。

政治に利用されて我々もいい迷惑だ!もう政治家の参拝は全面的禁止するぞ!」ぐらい言えないのだったら、右翼のチンポをペロペロしてお捻りを貰う堕ちた宗教法人の謂れを受けることは覚悟した方がいい。

anond:20220807175346

私もちょうどこの週末に学歴差のあるお見合いに失敗したので吐き出させて欲しい。

 

コミュニケーションって双方向でのやり取りのはずだから片方の過失になることはそうそう無いと思ってるんだけど、今回のお見合い責任全面的こちら側に問題があったなーと思ってる。

 

ひとことで言えば目の前の人のことを全然見れてなかった。物理的にも精神的にも。

事前に相手方プロフィールを見て色々と想像を巡らせて、こういう経験があるならこういう話に興味持ってくれるんじゃないかとか、自分のことを知ってもらうためにこういこと喋ろう的な準備を色々したはずなのに、そういうのを一切出せずに終わってしまった。

緊張があったのか何なのかわかんないけど、学歴云々というよりまじでコミュニケーションの中で相手の望むことを汲み取れてなかったし、途中からだんだん自分が何を伝えたいのかわからなくなっててた。

相手方は色々盛り上げるために聞きたいこと知りたいことを聞いてきてくれてたのに。

本当に申し訳なかった。

 

相手方活動はじめたてっぽくて、増田と重なる部分があったので隙自語させていただきました。

自分不手際活動の出鼻をくじいてしまい、本当にすみませんでした。

あなたに良い出会いがありますよう、心から願っています

2022-08-08

Nキャス見てたら

なんか全面的ペロシさんが悪いらしいぞ

すごい番組だった

2022-08-06

[] 自己愛パーソナリティ障害と誠実さ

誇大妄想しか楽しみを見出せない人がいる 

単なる病気(自己愛パーソナリティ障害)だからニートでも社会人でもそこそこ成功者(金持ち)でもいる

現実ソーシャルランクはあまり関係ない

からさまな嘘松を見ると『ああ・・・😔』って気分になる

 

あと誇大妄想好きな人は微小妄想(自分を過剰に過少評価する。鬱病の特徴とされる)するのも趣味で生きがいな人が多い

好き好んで自分ダメなヤツ、こんな人生意味ない、だからゴミって年がら年中やってる

これもやっぱり現実ソーシャルランクはあまり関係ない。ニート世界的なアーティストでも微小妄想して自死したりもする

からさまな微小妄想を見ると『ああ・・・😔』って気分になる

  

なお、発達障害(特にアスペ)と自己愛パーソナリティ障害は、重なるとこが多く、併せ持ってることも多いそうな

ちなどっちも遺伝的傾向が強いとのこと

直球で『テロリスト』とか『引きこもり』とかの背景要因になり得るとかそういう視点研究バンバン出てくるので

病識があるなら治療改善にあたった方が良いと思う

 

Autism & Narcissism: The Connection & Differences

https://www.elemy.com/studio/mood-disorders/autism-and-narcissism/

 

Mass Violence in Individuals With Autism Spectrum Disorder and Narcissistic Personality Disorder: A Case Analysis of Anders Breivik Using the ‘Path to Intended and Terroristic ViolenceModel. (2016). University of Salford Manchester.

http://usir.salford.ac.uk/id/eprint/40449/1/Faccini%20%26%20Allely%20%282016%29.%20.pdf

 

ただ遺伝の傾向が強いとはいえ、結局のところは環境問題なんだよな

なろうとか薄っぺら創作では、"間違った、偉そうなことを言う" 雑魚キャラは甘やかされてるみたいな描写がなされるが

現実では逆だ。現実尊重されず踏み躙られることが多かったから、自己防衛でそういう言動が出るようになる

そして『自己愛性』のパーソナリティ傾向です。「私は特別、私はすごい」という思いが前面に出るパーソナリティ傾向のことですが、

こうした万能的な自己像が損なわれることを恐れて、対人関係回避する、試される場を回避するといった受身的な形で表れる

自己愛性の高さもありますひきこもりの背景要因となる自己愛性とはこの傷つきやす受身的・回避的な自己資性パーソナリティ傾向だと思われます

これは、甘やかして育てら れた人、傷つくことなく育てられた人のパーソナリティ傾向と誤解されがちですが、

実際 には健全自己愛の展開を阻まれたり踏みにじられたりした経験を通じて、

特に思春期青 年期のある局面で均衡を欠くほど高い自己愛性を顕わにするという形成過程を持つの普通です。

から自己愛パーソナリティ障害の人は、自分特別であるということにこだわりながら、傷つくことを非常に恐れているのです。

なお、ひきこもる中でこうした自己愛性が二次的に高まっていく心理過程もありうると思われます

 

思春期ひきこもりをもたらす精神科疾患の実態把握と精神医学治療・ 援助システムの構築に関する研究 | 内閣府

https://www8.cao.go.jp/youth/suisin/pdf/shien/k_1/k1.pdf

 

自分は、誠実さが無いヤツ・嘘つきが嫌いだが、自己愛パーソナリティ障害の人に誠実さと正確さを求めるのは無茶振りに思える

じゃあ辛いことが多かったであろう自己愛パーソナリティ障害の人をありのままで受け入れられるのか?と言われたら正直言って難しい

仕事とか趣味とかのシーンであらかじめ枠組みを作って、枠組み内ならお互い様精神で受け入れる事は出来るけど

枠組み無しで全面的に受け入れるとなったら、親兄弟か幼馴染でも無い限り無理だなぁ

 

あと自己愛パーソナリティ障害だと自己申告があれば配慮するが、自己申告が無ければ、

ただ単に誠実さが無いない嘘つきなのか、病気なのかは見分けつかないよね

 

正直者は損をするとかいうけれど、やはり嘘を付かない誠実さは美徳というか、集団生活を送る上での最低限の条件に思う

人生を困難にするのは空気を読まずバカ正直に受け答えをすることではなく、

悪気があろうがなかろうが嘘(能力問題結果的に嘘になるも含む)をつく事だな

2022-08-03

私は明日海賊にはなれないが、小学生を襲うことはできるという記事、( https://t.co/zqNOgqSrcC )

・小児ラブドールレポツイには賛否ある。SNSだし公開アカウントだし…

・でもラブドールを買ったら性犯罪者になる!とは言っていない

・小児ラブドール規制しろとも言っていない

小児性愛は実際に加害しなければまあ個人自由範疇(児ポ所持のような間接的加害もアウト)

・でも何より問題は、「小児性愛危険性を大喜利ネタツイでぼかしすり替えしまう」こと

・それに「ショタラブドール買うと小児性犯罪者予備軍ならとっくに日本大海時代」みたいな理論は、アニメに影響されてキャンプへ行ったりギターを買ったりスポーツを始めたりしている人間がいるので成立しないのでは?

表現の自由趣味嗜好の自由を主張したいのならば、冷笑文脈ネタツイはしないほうがいい

というようなことを主張しているのだと読み取ったんだけど、なんかショタラブドール買おうと人の勝手だろ!とか小児性愛何が悪い!(超意訳)みたいな感じの反論が飛び交ってて首を傾げた。

俺の立場としては

小児性愛は正直全然わからん理解出来る気がしない

先天的ものにせよいじめや家庭環境等の理由による後天的ものにせよ、俺個人感情として小児性愛嗜好者は嫌い

・でもショタラブドール買うのは自由だと思う

別にコミケ2次元の成人向けロリものショタものがあってもいいと思う

上記ブログ全面的肯定しているわけではない。特にショタラブドール買うと小児性犯罪者予備軍ならとっくに日本大海時代」と発言した人間オタク呼称し、オタクに対しもっと責任感を持てと呼びかけているあたりは間違ってる気がする。あと大航海時代世界史用語

そもそもショタラブドール買うと小児性犯罪者予備軍ならとっくに日本大海時代」と発言した人間は、小児性愛嗜好やオタクという属性からくる擁護反論ではなく、「炎上ネタを茶化して冷笑し、議論余地のある事柄一方的論破解決したものとして片付ける」というインターネット特有の悪意の形なのでは?

・ちなみに俺はアニメとかマンガの影響で動物園に行ったしNFL見に行ったこともあるし大洗巡礼して毎年富士総合火力演習観るようになった

って感じ。

まあTwitter匿名掲示板の延長と思っている層と、他SNSのようにモラルマナーを求める層とですれ違うのは当然だよな。

俺は金が無いから買えないけど、見た目新人OLラブドールとかなら少し興味あるわ。

あれ実際性能どうなんだろうね。

2022-08-02

わりと好きだったクリエイターの近況を久々に覗いたら毒電波みたいなこと言い出しててひえーってなった。

全面的に身を持ち崩してるならなんかあったんやろなで終わりなんだけど、それ以外の点では全然おかしな点もないし、なんなら自分糖質と見られてることすら客観視できてる節があるのが怖い。

基本優秀な人でもあるガバ理論自分実体験とか認知の歪みに綺麗にフィットしてしまうとガバ認知できなくなるし、その人より基礎ステ低い自分には猶更色々刺さってるんだろうなと思った。

2022-07-27

バイト日記

 今日バイト希望高校生面接に来たというのに、オーナーの機嫌がすごく悪かった。オーナーはいきなり事務所から出て来て、女子フリーターアルバイトさんに怒鳴った。

「お母さんに送ったLINEがいつまで経っても既読にならないんだけど!!」

 二人の会話する声がやたらでかいので全部聞こえてしまった。女子フリーターアルバイトさんのお母さんはつい最近早朝勤で働き出したのにもう辞めてしまったらしく、「辞めます」と言って出勤しなくなってからというものオーナー電話LINEをしても全然連絡がつかないし未読無視だという。一週間もその状態が続いているとか。

「いったいお母さんはどうしちゃったの?」

 とオーナーが聞けば、女子フリーターアルバイトさんは

「私知りません! 私だってお母さんと喧嘩たからもう一週間もお母さんと口きいてないもん!」

 と言い返す。

仕事をもう辞めるのは分かったけど、でも働いたぶんの給料の受け渡しとかまだ用事があるから連絡がつかないと困るんですよ。お母さんはなんか連絡を出来ない理由とかあるんですかね忙しいとか病……」

お金なら銀行に振り込めばいいじゃないですか!」

「振込っていわれたって、まだ試用期間の退職から給料は手渡ししないとだからね、直接」

「じゃあ私がお母さんn」

「いや、あなたがじゃなくてね、社会人として自」

「じゃあ私お母さんにオーナーLINE読んでってお母さんにLINEしましょうか!?

「だーかーら、あなたが何するとかじゃなくてね、普通自分が辞めるんだから自……っあいらっしゃいませー」

 なるほど。女子フリーターアルバイトさんのお母さんはもう辞めますと言ってから本当に仕事に出て来なくなり、オーナーとの連絡を経った。オーナー社会人としてそれはおかしいんじゃないの? と腹が立ったが、試用期間中でも給料ちゃんと発生するから現金で直接渡すし、あとユニフォームと名札を返して欲しいと思っているらしい。

 まあ、社会人として自分の始末を自分で着けるのは当然で、同じ職場にいる娘をメッセンジャーにしようなどとは言語道断からちゃんLINEに返信して店に顔を出せよというオーナーの主張は最もだけど、そんならオーナーだって女子フリーターアルバイトさんのお母さんへの不満を女子フリーターアルバイトさんにぶつけるのはおかしい。女子フリーターアルバイトさんは激昂して

「私なにも悪くありません!! 私なにも悪くありません!!」

 とオーナーに怒鳴り返した。

 しかし、オーナーのいつもの言動からして、オーナーが言いたかったのは女子フリーターアルバイトさんがお母さんをどうにかして店に顔を出すよう説得すべきということではなくて、単に「LINE通じないんだけどなんか病気怪我で寝込んでるとか事情があるの?(それなら治るまで待つけど)」ということなんだろう。

 そんな言い合いを聞いてから時間くらい経った後、オーナーがまた突然事務所から飛び出して来て私の方を見ているようないないような角度でこっちの方に顔を向けながら、

「そろそろドリンクの補充にちょっと入ってください!」

 というので驚いた私はうっかり、

「私ですか?」

 と言い返してしまオーナーイライラの火に油を注いでしまった。

「私ですかーじゃなくてどっちでもいいか相談して今すぐドリンクの補充!!!

 とんだウッカリかまししまった。オーナー命令には余程の事でないかぎり「反論」は禁物。私は確認のつもりでもオーナー的に反論という名の「不平不満」に聞こえてしまうのでダメなのだ。この時には女子フリーターアルバイトさんが「じゃあ私がすぐ行ってきます!」と言ってレジカウンターから飛び出してウォークイン冷蔵庫へと走って行ったので、オーナーはさっさと事務所に戻っていった。

 上着も持たずに冷蔵庫に入ってしまった女子フリーターアルバイトさんは、短時間で寒さに負けて戻って来たが、その15分程度の間に大体の補充は終わったという。

 女子フリーターアルバイトさんに、「なんか今日オーナーの機嫌、かなり悪いね」と言ったら、

「ああそれ私のせいですー」

 という。それはさっきのお母さんが仕事を半ばトンで音信不通の件ではないらしい。女子フリーターアルバイトさんがわざわざDさんが今月末までで円満退職するのに合わせてバイトを辞めたいとオーナーに打診し、渋られたのでシフトを減らすと言い張って、週1の出勤ということで押し通した。それが原因でオーナー女子フリーターアルバイトさんの顔を見るだけでイライラしているんだと思う。と、女子フリーターアルバイトさんは思っているそうだ。

 いやまあ、辞めるという通知は1ヶ月以上前にする事っていうのは就労契約書に書いてあったので、それを一方的に破り、あまつさえ自分の都合のいいシフトを組むように圧をかけるとか社会人としてというかそれ以前に人としてどうなの? って感じだが、19歳のお子さまは万能感に溢れまくっててわからいか……。

 私は女子フリーターアルバイトさんに「へぇ。」と言った。女子フリーターアルバイトさんは、他の仕事を始めるから週1しかシフトに入れないし、本当は当店を完全に辞めて新しい仕事本業にしたいんだという。

 その本業にしたい新しい仕事とは、先日Aさんから又又聞きしたガールズバーバイトに違いない。ガールズバー自体は悪いとも危ないとも言えないが、勧誘された経緯が胡散臭くてほのかヤバい臭いがする。女子フリーターアルバイトさんはシフトリーダーとDさんにだけ話したのだが、Dさんは自分女子フリーターアルバイトさんに苦言を呈する訳でもないのにAさんにそれをリークし、面白がりつつヤバくね? と思ったAさんが私に全部喋った、という流れで私は皆まで知りつつ、何も知らないふりをして、

「何かもっと良さげなバイトを見つけたん?」

 とかまをかけたが、女子フリーターアルバイトさんは完全にスルーして、

だってオーナーが悪いんです」

 という。オーナー何が悪いのか? オーナーは確かに欠点だらけでお世辞にもいい人とは言えない人だが、給料ちゃんと払いボーナスもくれ、セクハラはしない……が、パワハラはたまにする……のでまあ、恨まれどころは沢山ありそうだなとは思うが、女子フリーターアルバイトさんもこの二年弱の間に何度も仕事ドタキャンして信用は地に落ちていて、そんなベースがあるところへ今回、親子揃っての不義理騒動を起こしている訳で。

「私は何も悪くないです」

 と女子フリーターアルバイトさんはまた言った。

オーナー奥さんがお母さんに酷い事を言うから

「ほう、酷いこととは」

「こんな所じゃ言えないから言いませんけど、とにかく悪いのはオーナーなんで」

 女子フリーターアルバイトさん的には全面的オーナーが悪く、これまでの二年弱の恨み辛みがあるからして、従業員から雑な退職をされるのはオーナーの業だから当たり前だってことらしい。

「まあさ、早朝勤って死ぬほど忙しいでしょ。そんな時間帯にキリキリ舞い状態で、ただでさえあまり人柄のいいとは言えないオーナー奥さんが、新人バイト新人からって多目に見ることは出来ないし、むしろ八つ当たりの的にするでしょ。オーナー夫妻が新人を中々信用しないでイライラの捌け口にするのはいものことだし。だから、お母さんは悪くないんだよね。それはわかるよ。早朝勤でオーナー奥さんと上手くやれる人はいいからさ、まあ、しょうがないんだよ」

 と私は女子フリーターアルバイトさんに言った。ところでそういえば、女子フリーターアルバイトさんはここ一週間お母さんと全然口を利いてないって、オーナーとの口論最中に言っていたなあと思ったので、

「お母さんと喧嘩なんて珍しいじゃん。仲いいんでしょ?」

 と言ったら、女子フリーターアルバイトさんは、

全然。こんなのよくあることですよ。てゆうか今回はまだマシなんです。1ヶ月も口利かなかったこだってあるんだから

 という。

「えーっ、前は仲良いって言ってたよぉ。お母さんのこと好き好き大好きって言ってたじゃん」

「私、そんなこと言ってません! 全然仲良くないし、お母さんのこと好きなんて言ったことないし絶対言いません!」

 なんか冗談じゃなくガチで言うからちょっと怖くなってきた。えぇ……記憶めちゃめちゃ改竄されてね?

「で、今回はなんで喧嘩になったん?」

「これも私は何も悪くないんです。私はなにもしてないのに、お母さんが急に口利いてくれなくなったんだもん!」

 おま、さてはお母さんにストレートに「私、ガールズバーで働くことにした!」って言ったな……?

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