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[PDF]関東大震災と文豪 - 成蹊大学図書館の展示から -
http://repository.seikei.ac.jp/dspace/bitstream/10928/526/1/kokubun-47_56-86.pdf
ブコメ経由で知った論文だが、あまり目立ってなかったので引用しておく。「関東大震災朝鮮人虐殺」とは別に朝鮮人だけが殺害されたわけではなくて、「朝鮮人と間違われる」などして多くの日本人や中国人も殺害されていることは覚えておきたい。
僕は善良なる市民である。しかし僕の所見によれば、菊池寛はこの資格に乏しい。…菊池と雑談を交換してゐた。…その内に僕は大火の原因は○○○○○○○○さうだと云つた。すると菊池は眉を挙げながら、「嘘だよ、君」と一喝した。…しかし次手にもう一度、何でも○○○○はボルシェヴィツキの手先ださうだと云つた。菊池は今度も眉を挙げると、「嘘さ、君、そんなことは」と叱りつけた。…
再び僕の所見によれば、善良なる市民と云ふものはボルシェヴィツキと○○○○との陰謀の存在を信ずるものである。もし萬一信じられぬ場合は、少くとも信じてゐるらしい顔つきを装はねばならぬものである。けれども野蛮なる菊池寛は信じもしなければ信じる真似もしない。これは完全に善良なる市民の資格を放棄したと見るべきである。善良なる市民たると同時に勇敢なる自警団の一員たる僕は菊池の為に惜まざるを得ない。
(〇〇は言論統制の時代に伏字にされた「不逞朝鮮人」などの言葉。これはデマに踊らされた「善良なる市民」への芥川龍之介ならではの皮肉の文章)
××を持つて、合言葉を使ふなどと云ふことは、大正の世にあるまじき事と思つてゐたが、震災後四五日の間は、私も××を手にして、合言葉を使つて、警戒に当つた。
あの震災に関聯して、今思い出しても日本人として堪らない気持ちのするのは、各地に起った例の鮮人騒ぎである。…とにかく鮮人に対して、あの時日本人の行ったことは、これは何とも弁解のしようのない野蛮至極のものであった。ああ云う場合、この国の人間には、野蛮人の血が流れているのではないかという気がする。…
「そんな莫迦な話があるものか。鮮人が地震を予知していたわけではあるまいし、何処で勢揃いし、何処からやって来るというのだ。…そんなことは絶対に考えられないよ。僕はこれから寝るから、ほんとうに鮮人が来たら起こしてくれ。」…と云って、人々を安心させるために、畳の上にひっくり返ったら、実際に眠ってしまった。
井戸に毒を入れるとか、爆弾を投げるとかさまざまな浮説が聞こえてくる。こんな場末の町へまでも荒らして歩くためには一体何千キロの毒薬、何万キロの爆弾が入るであろうか、そういう目の子勘定だけからでもじぶんにはその話は信ぜられなかった。
アラララ、と聞こえる高い叫び声は朝鮮語らしく聞こえる。竹刀でも激しく打ち合うような音も聞こえる。朝鮮人がこの大動乱に乗じて暴動を起こしたという筋書を疑う力もないから、空地の周囲の叫び声や、打ち合うもの音を、朝鮮人との戦いなのだ、と私は思っていた。…
私はこのときのことをおもい出すたびに、同じ長屋で親しくしていたひとりのおかみさんの言った言葉を同時におもい出す。…長屋のものが半壊のわが家のまわりに寄り合ったとき、ひとりが自分のゆうべの恐ろしかった経験を話し出した。話し手の彼女は、一晩中朝鮮人に追いかけられて逃げて歩いた、というのだ。それを聞いたとき、興行師のおかみさんは、利口にその話を訂正した。彼女はこう言ったのである。朝鮮人が暴動を起こしたなんていったって、ここは日本の土地なんだから、朝鮮人よりも日本人の数の方が多いにきまっている。
朝鮮人に追いかけられたとおもっていたのは、追われる朝鮮人のその前方にあんたがいたのだ。逃げて走る朝鮮人の前を、あんたは自分が追われるとおもって走っていたにすぎない、と。
私はこの訂正を聞いたとき、強いショックでうなずき、かねてのこの人への尊敬をいっそう強くした。…貧しい興行師のこの妻のような怜悧で正しい判断は、あの当時住民の多くは持ち得なかった。政府の流した蜚語は、大地震という自然の脅威におののいている住民の、異常な神経を煽った。
東京では朝鮮人が暴れ廻つてゐるといふやうな噂を聞く。が自分は信じなかつた。
松井田で、警官二三人に弥次馬十人余りで一人の朝鮮人を追ひかけるのを見た。
「殺した」直ぐ引返して来た一人が車窓の下でこんなにいつたが、余りに簡単すぎた。今もそれは半信半疑だ。…
丁度自分の前で、自転車で来た若者と刺子を着た若者とが落ち合ひ、二人は友達らしく立話を始めた。…
「―鮮人が裏へ廻つたてんで、直ぐ日本刀を持つて追ひかけると、それが鮮人でねえんだ」…「然しかう云ふ時でもなけりやあ、人間は殺せねえと思つたから、到頭やつちやつたよ」二人は笑つてゐる。
(汽車内で足を踏んだ踏まないの騒ぎが始まって)
喧嘩はしばらく続いていた。すると在郷軍人らしい方が、…突然座席へ突っ立ち上がった。
「諸君、こいつは鮮人だぞ。太い奴だ。こんな所へもぐり込んでやがって」…
…時どき脅えきったその男の声が聞こえた。しかも相手がおろおろすればするほど、みんなの疑いを増し興奮を烈しくするばかりだった。(その男は次の駅で引きずりおろされ)物凄いほど鉄拳の雨を浴びた。
私は思わず窓から首を出してこう叫んだ。側にいた二三の人もやはり同じようなことを怒鳴った。…こうして人の雪崩にもまれながら改札口の彼方にきえて行ったその日本人の後姿をいまだに忘れる事はできない。私には、一箇月ほどたった後に埼玉県下に於ける虐殺事件が公表された時、あの男も一緒に殺されたとしか思えなかった。そして無防御の少数者を多数の武器と力で得々として虐殺した勇敢にして忠実なる「大和魂」に対して、否、それまでにしなければ承知のできないほど無条件に興奮したがる「大和魂」に対して、心からの侮蔑と憎悪とを感じないわけにいかなかった。ことに、その蒙昧と卑劣と無節制とに対して。
急いで東京へ帰らうとして、先ず護身用のピストルを買つた。それを何かに包んで、ルツクザツクの奥深く納めた。…
学生の目には、車中の誰も彼もが○○に見えた。学生は車中の総ての人に荷物の検査を迫つた。
耕作君の袋の中にはピストルがある。…若し、それを見られたら、自分は殺されると思つた。
耕作君は終に立ち上がつて演説した。(荷物検査をするなら陸軍の出張所に行くように説得し、みんなの賛成を得る。)
耕作君はほつとした。
「実際、もうお終ひかと思つた」と、耕作君は幾度も言つた。
(震災の2日後に平沢が警察に連行され、その翌日、著者が石油と薪を運ぶ巡査と会った時の回想)
「石油と薪を積んで何処へ行くのです。」
「殺した人間を焼きに行くのだよ。」…
「昨夜は人殺しで徹夜までさせられちゃった。三百二十人も殺した。外国人が亀戸管内に視察に来るので、今日急いで焼いてしまうのだよ。」
「皆鮮人ですか。」
(そこで、著者はその死体のある場所を教えてもらい、そこへ向かう。)
自分は一眼見てその凄惨な有様に度肝をぬかれてしまった。自分の目はどす黒い血の色や、灰色の死人の顔を見て、一時にくらむような気がした。涙が出て仕方がなかった。…
「全体どういふ理由で自分はこんな目に…あんまり幸福でありすぎたからだらうか…然し自分の生活はそれほど幸福ではなかつた筈である…」
(同房の男は好きなもの一つ食べずに貯めこんだお金を火事場泥棒と間違えられて取り上げられてしまった。)
「あゝ口惜しい…。ほんとに好きなドラ焼き一つ喰はず辛抱したんだ。浅草から逃げて来る時も五銭の西瓜一切喰べるのをこらへて来たんだ。あゝ口惜しい…」彼はわんわん泣き叫んだ。
(そして、取り調べのないまま 4 日目を迎える。)
童貞性とか童貞力って別段童貞だけにあるものじゃないんだよ。男性なら誰でも持ってて、たいてい思春期には高くて、歳を経るに従って低くなっていく。童貞を失うと激減するけれど、それも個人差がある。
ざっくり説明してみると、その童貞性ってのは「女性を尊くて素晴らしいものだと思い込み希求する精神」だ。まあ、性欲とかそういうのはあるんだが、その性欲がレイプ的な方向に向かわず、挙動不審になるのは「素晴らしいところである女性に内心を見透かされて嫌われたり軽蔑されるのが怖いから」だ。
長年思ってるんだけど、男性のこの童貞力によって、一番利益を得ているのは女性自身だと思うぞ。デートなんかで優遇されるのもサークルでちやほやされるのも、若年男性に影響力を発揮できるのも、男性のこの童貞性のおかげって部分は確実にある。フェミの人はおそらく「頼んだわけじゃない」「気持ち悪い視線を向けられるのはハラスメント」とか言い出すんだろう。その意見や気持ちも、年取っちゃった俺には理解できる。
けれど、総体を公平に見た時、女性はやはりこの男性の童貞力によって利益得ていると思うよ。アイドルなんていう一部の職業でそれは可視化されるわけだけれど、何もそんな特別な職業じゃなくても、会社の部署や学校のサークルで、あるいは近所付き合いで、ある種の優遇や特別の配慮を受けている女性は多い。というか、若い頃は大抵その種の優遇措置を受けられてるんじゃなかろうか。
性の商品化は断固許さん、とフェミの人は言うけれど、ファッション誌や女性誌を見る限り、自分たちの性の商品化に一番熱心なのは女性自身だよね。じゃなければ結婚戦略に、自分の容姿やセックスを男性に提供する反対給付としてカウントするはずがないわけで。
童貞性にみられる、(おそらくほとんど根拠のない)女性への憧れ、フィクション的に言うなら「女神様扱い」ってのは、おそらくロマンチック・ラブイデオロギーによる教育の結果であって、それって悪いものじゃないと思うんだよ。もちろんすべてが善だなどと強弁するつもりはないけれど、すくなくともその一個前の封建時代における女性は男性の私有財産というところから離陸するのには役立った。
いま、俺たちの社会は長い長い数百年の過渡期にあって、女性の権利ってのは男性と全く同じであるとまだ胸を張って言える状況ではない。けれど、その過渡的な状況の中で、自分の性を商品化して社会の中で地位を高めようとする女性と、女性の加護者として自分を規定したい男性は、思想的には共犯関係にある。童貞性はその思想上のツールなんだよ。
女性は、そのことにもうちょっと感謝してもいいと思う。感謝という言葉が気に障るなら「ちょろく騙されてくれる連中に対する惻隠の情」と言い換えてもよい(その惻隠の情をビジネススキームに落とし込んだのが、アイドルの握手会だと思う)。
童貞いじりも男嫌悪も社会浄化運動も良いけれど、そうして清潔になっちゃった社会に、現代を生きてる普通の女性の殆どは生きられないと思う。なんせ俺ら全員は、過渡期を生きてる過渡的生き物なもんだからね。
ps.俺個人は童貞性を非常に良いものだと思ってるよ。少年性とも接続する。ボーイミーツガール系の物語において、別段大した利害関係もないヒロインに対して、主人公が時に命をかけるほどの献身的助力を行えるのは、まさに童貞性の発露だよ。フェミ的には純愛とか言いたいのかもしれないけれど、その種のナイーヴな純愛こそ童貞性の結実だといえると思うよ。絵面が綺麗な童貞性は純愛だといわれ、絵面が汚い童貞性がキモ男の告白ハラスメントだと侮蔑される。それだけのことだよ。前者の価値を認めるのならば後者を貶めないってのが、反差別だと思うわけ。
最近俺のホームである2ch嫌儲板にて、嫌儲に蔓延る俺のような弱者男性を汚い言葉で煽り立てる通称まんナイト(フェミニストのふりをして女を擁護し弱者男性を攻撃するが、その実態は単なる逆貼り厨のま~ん(笑)が大好きな精子脳ジャップオス)とフェミま~ん(笑)が非常に多い
それは男女の対立を煽るスレを立てて論争の場を作り出すケンモメンにも責任はあるけど、やはり一番責任があるのはこいつらまんナイトやフェミま~ん(笑)だろう
俺が思うに、小林ギリ子なんかをRTしてるTwitterのフェミま~ん(笑)界隈やガールズチャンネルのババま~ん(笑)、果てはここはてなに生息するリベラル気取りのフェミま~ん(笑)やまんナイト達は、対立軸の設定を間違っていると思うわけだ
俺達弱者男性は近年根底から問題提起されている制度的かつ文化的に蔓延した男尊女卑を作り出した元凶ではない
その元凶は24時間戦えますか?的マッチョイズムを是として昭和のジャップランドを建設してきたジジイ共であって、俺達弱者男性はむしろそうしたジャップバブルの時代に於いては、こうしたジジイ達にフィギュア萌え族等と蔑称を与えられ差別されてきたことは歴史が証明しているではないか
そいつは年収200万そこそこで毎日素うどん食べてる俺達弱者男性の仲間だと思うか?
男尊女卑に関して言えばマスメディアの影響を無視しては語れないはずだが、マスメディアに勤めている人間は年収200万そこそこで毎日素うどんすすってるか?違うだろ?
あとホモソーシャルって言葉があるけどさ、ああいう関係性が顕著に現れる集団って例えばラグビー部だったりサッカー部だったり所謂卓球やバドミントンを陰のスポーツとした時に陽のスポーツに分類されるスポーツマン達が挙げられるわけだが、そいつらってかつてファギュア萌え族と侮蔑された俺達弱者男性の仲間なのか?違うだろ?
はっきり言うけど日本に蔓延る「男尊女卑」を牽引してきたのは俺達弱者男性の対極に位置する、こうした強者男性達だろ
そんなの俺達弱者男性は社会に大した影響力を有してないんだからちょっと考えれば当たり前の話なんだよ
俺達にはそんな社会全体の流れを作り上げるようなエネルギーはないんだよ
ここまで読んだらもういい加減理解できただろ?
フェミま~ん(笑)やまんナイト共は俺達弱者男性を叩くのを今すぐ止めろ
もっとこう体育会系のさぁ、女性を性的に消費するのが日課ですみたいな広告代理店社員とか野球選手とかタレント俳優アイドルお笑い芸人とか秋元康とか責めるべき奴はいっぱいいるじゃん
追記
もう15年くらい前。
当時の私は高校生で、部活で帰りが遅くなる日々を過ごしていた。
そんなある日、自転車での帰り道、もう午後9時を過ぎたくらいの時間の頃。田んぼの中の一車線にしかならない細い道のT字路の手前で軽トラが私の前に回り込んで止まった。そして車から降りて来た男性がこちらにずんずん近づいてくる。
軽トラと男性の体で道は塞がれてしまい、こちらは自転車を降りざるを得なくなってしまった。
男性は何も言わずに近づいてくる。私は男性を警戒しながら「何かご用ですか!?」と声をあげる。しかし男性は無言のまま。
で、一方的にこちらの顎を掴んで、顔を覗き込んで来た。私はパニックで「何の用なんですか!?」としか言えない。
男性はそのまま私の顔を凝視すると、また何も言わずにこちらを突き飛ばして来た。
とりあえず男性の手からは解放されたので、急いで自転車に乗って逃げた。でも、軽トラで追いかけて来て、こちらを轢くつもりなんじゃないだろうかというくらいにギリギリまで近づいて通り過ぎて行った。
当時はケータイが出始めの頃で、私はまだケータイを持っていなかったので公衆電話があるところまで急いで行って家に電話した。そして弟に迎えに来てもらって家に帰った。
帰り道、私は自分が思ったよりもパニックになっていたことを自覚した。あれだけの目にあっておきながら逃げもしないで「何かご用ですか!?」としか言えなかったなんて。もっと危ない目にあっていた可能性がいくらでもあったことに気がついて、背筋が寒くなった。
そして、男が何を考えていたのか考えた。その結果、誰かを探していたのだろう、という結論になった。それだけでなければ、私が助かった理由がない。
けれども逆に言えば、あの不審な男に探されている、危険な状態にある女性がいることになる。
そして家に帰って当然通報をした。自分がどんな目にあったのか説明して、男と車の特徴を伝え、誰かあの男に追いかけられている女性がいるかもしれない、ということもはっきり言った。
「で、あなた怪我してないんですよね?」
確かに私は怪我をしていない。男に掴まれた顎に赤い跡が残っているだけだ。
それを伝えると、じゃあもういいですね、と言われ、電話を切られた。本当にそれっきりだった。
本当に心の底から、あの警察官仕事してないな、と侮蔑している。
だからこそ、その後大学に進学し上京して、夜中に一人チャリで走ってた時に職質された時は、言い過ぎだと思うが感動した。都会では警察がちゃんと仕事をしている、って。
まともな言及するのは大体が「PC」と表現する人で、「ポリコレ」と表現するのはこの増田みたいな雑な人間が多い/揶揄されてる時は括弧付きであえて「ポリコレ」と書く場合もあるが
これマジ?
中国を「シナ」と言ったり、フェミニストを「フェミ」と呼ぶような侮蔑語なんだろうか。
ポリティカル・コレクトネスの価値を重視している人たちが、ふつうに肯定的文脈で「ポリコレ」という略語を使っていたから、特に侮蔑のニュアンスはないと思っていたんだけど……。
揶揄するつもりがないときは、この略語の使用をひかえるべきだってことでOK?
ところでさ、PCと略したら、パソコンのことか何のことか、よく分からくて不便だと思う。
アルファベットじゃなく、カタカナで別の呼称はないのだろうか。
https://anond.hatelabo.jp/20170820185129
https://anond.hatelabo.jp/20170820201300
元増田やで。
なんか応答ほしそうなので返しとくわ。
全然違うよ。
批判するならエアじゃなくて本編読んでからにしろよとは思うけど、とりあえず言っておくと、JKハルが批判(悪口って意味じゃないぞ)しているのは、男性女性に関わらず双方向であるはずのコミュニケーションを取ろうとせず一方的に何かをおしつけてくるやつだよ。
キヨリという女キャラがいるけど、こいつは登場当初、ハルがコミュニケーションとろうとしても話をきかず突っ走るのでけっこうめんどくさがられたりしていた。
オタクキャラである千葉がめんどくさがられてるのもハルの話を聞かず自分の世界に入り込むところとか、周囲に認められたいと思っているにも関わらずチートに頼りっきりで努力しようとしないところだよ(ハルはチートの力を使わず神ファイブを狙っているのに!)
上記のような観点からするとだいたいあの世界に出てくる男キャラは批判されてしかるべきやつらだから(違うのも一部いるし、そいつらは批判の対象にならない)ってだけ。
>スクールカースト最底辺のオタクってだけでその千葉っていう奴もゴミみたいな人格に設定する
>侮蔑して楽しむためだけの設定だよねそれ?
最後まで読めばわかるけど、千葉には作者なりの愛情が注がれてる。もちろん小説だから役回りってのがあって、千葉はけっこうきっつい立ち回りだけど、ただ侮辱するためにああいう設定がなされているわけではない。これも読めばわかる。
これも違うね。
俺の感想まともに読んだのかな? って思うけど、これはクソみたいな男をいっぱいだしてそれを倒して溜飲をさげるような小説じゃないんだわ。あくまで行き過ぎた男尊女卑という女にとってキツイ世界で、肉体をはりながらそれでもサバイブしていく根性の座った女の子が主人公の物語で、ある種の人間賛歌なの。
たしかに【相手を人間とも思わない身勝手さ】が批判されてはいるが、そういう世界を前提にどう立ち向かうかの話なの。
これでわかってもらえるかな?
オタクを見下しているんじゃなく、人気者になりたい・認められたいという気持ちを持ちながら、その為に努力をしない人間を軽蔑しているんだよ。
オタクだというだけでそんななろう小説みたいな人格と扱われるだけでもウンザリするし
ハルは男全般を嫌っている(=ミサンドリストである)のではなく、男性規範に囚われる男のみっともなさと、女性規範に囚われる女のみじめさを批判してるだけだよ。
これもよくある言い訳だが結局男全般嫌ってるのと変わらないじゃん
結局普通に生きてる男全体にガバッとお前は加害者ダーとかなんとかいうアレっしょ
なおそれ以外の指摘は正当だと思う。
少し別の捉え方してる2人が言い争ってるからこそわかりやすくて助かるけど
そもそも前らにききたいけど
人気者になりたいとか認められたいとかそんな気持ちがそんなに強くある?
そういうのがある奴はネットでもはてなやtogetterでうぞうぞやってないでyoutuberにでもなると思うんだけどなあ
なんでオタクが人気者になりたがってることにしたいかというとそれが「みっともない内心」だからでしょ?
叩いて侮蔑するために最大限にみっともなくチューンした人格をオタクって呼んでるんだよね
スクールカースト最底辺のオタクってだけでその千葉っていう奴もゴミみたいな人格に設定する
侮蔑して楽しむためだけの設定だよねそれ?
別に陰キャオタクが性格よいとは言わんけど人間のクズってほど性格腐ってるわけでもないだろ
でもお前等が楽しんだ小説では陰キャのオタクな時点で最低のクズに決まってるわけだろ?
いやなろう小説の一部はヘイト性はあんまりない単純な(アホな)英雄譚もあるから
って、そんなチョロい言い訳があるかよ
ミソジニークズが「俺はクソ女を叩くだけで女のことを憎んではいない」とか言ってたらお前等だって笑うだろうに
それをひっくり返したレベルの言い訳は真顔でいっちゃうんだよな
要するに自分に甘くて頭がわるい
男とか女とか以前の問題だわ
https://anond.hatelabo.jp/20170809081556
http://koganeisyobou.hatenablog.com/entry/2015/12/02/104911
髪の毛の薄い人に対して「はげ」という言葉は、今の社会では割と一般的に使われています。テレビなどでも「ハゲ」って普通に使われていますよね。
そのことに対して私はどうも違和感があります。一言でいうと、これは髪の毛の薄い人に対する侮蔑的な言葉であって、みんな普通に使っているけれど本来は差別にあたる言葉なのではないかと思うからです。
とはいっても、「禿げ」とか「禿げる」という言葉自体は、単に髪の毛が抜けて頭皮が露わになる様を差す言葉にすぎませんし、また、山などの草木がなくなることを指す言葉でもあるので差別用語ではないと思います。
問題なのは、いわゆる「ハゲ」と表記されるような、人を笑ったり馬鹿にしたりするような使い方です。
人にはそれぞれに様々な身体的特徴があるものですが、他の身体的特徴と違って髪の毛が薄いというのは、昔から笑いの対象にされやすいようです。
ところで、社会では障害者を差別したり人権を侵害してはならないということがルールになっています。
そういう人たちは、自分のせいではなく生まれつきの(または不慮の事故や病気などによる)特徴によって生活に制限を受けているのだから、そのことで人権が損なわれることがあってはならない、と。
だったら頭髪の薄い人や、その他の身体的特徴がある人も同じではないでしょうか。
そういった人たちも、生まれつきの体質や自分の意志でどうにもできない身体の特徴を理由に人としての尊厳を傷つけられてはならないはず。
でも今の世の中ではどうでしょうか。「ハゲ」という言葉はごく普通に使われていますし、テレビなどではよく笑いのネタとして扱われています。
よくよく考えて見れば、これはおかしいことなのではないでしょうか。
薄毛の人を笑ったり馬鹿にするというのは、侮蔑的な行為だと私は感じます。
別に薄毛に対する笑いを全て禁止しろ、などと言うつもりはありませんが、笑っていいのは、本人がそれを望んでいたり許容している場合だけではないでしょうか。
めいろまさんは、本当に海外に行っているから、これで日本語発信を止めてくれさえすれば何の不満も無いんだけど。
他の皆さんにも日本以外のどこかの国で、好きなように生きて欲しい。日本語での発信を止めて、素晴らしくない日本人は相手にせず、その国の言葉だけで会話していて欲しい。
どんなに立派な自分を演出しても、言っているのが日本人男性の悪口ばかりの人生は下らないよ。下らない者への不満や侮蔑を撒き散らし続ける人生って本当に無駄だから。
ジャップオス界隈には、日本語が上手な韓国人女性とかもいて、本当に意味が解らない。何が悲しくて、異国の言葉でそんな話ばっかりしているのかと…
喫煙者なら、お前は「人殺し!」と言われても文句を言う権利を持たない。何回でも言ってやろう。人殺し!人殺し!人殺し!殺人鬼のゴミ!人間のクズ!
自分の意志でタバコを吸い、他人の健康に有害であると分かっている副流煙を垂れ流す。他人に迷惑をかけると分かっていることを、自分の意志で明確にやっている。
お前が配慮しているつもりでも、ちょっとでもタバコを吸えば、臭いでわかるんだよ!お前は、自分の意志で、自分の身勝手で、他人に迷惑をかけて、他人の健康に害をなしている。
実際問題、お前の副流煙が原因で死んだ人がいる確率は0ではないのだから、お前は「人殺し!」と詰られても反論してはいけない。
お前は、社会的には、耳元で一生「人殺し!」と詰られる義務がある。人殺し!人殺し!人殺し!社会に償え!償え!償え!謝れ!苦しめ!謝れ!償え!人間の心を持たないひとごろしの外道!
お前は、いかなる葬式でも泣いてはいけない義務がある!喫煙者で、自分の意志でタバコを吸い、他人を殺す確率がゼロでないとわかっているのに、自分の意志で他人を傷つけ続けたのだから、人が死んでもなんとも思わない人格異常者だ!人格異常者なのに、葬式で泣くとは矛盾している!お前の涙は、お前の吐いた副流煙で死んだ「かも知れない」人々を侮蔑していることになる!
恨まれろ!ひとごろし!罪人!悪人!お前には生きている価値などない!気持ちよくなるために人を殺す可能性のある行為を続ける殺人鬼には生きている価値などない!社会のゴミだ!償え!苦しんで社会に償え!
役場の部落担当オッサンが「部落担当はやりたくないんですがね、仕方なくね」とモゴモゴ説明して適当な部落差別映画を流してから
「部落と言えども私達と同じ赤い血が流れてる人間なのですから差別はいけません」と適当に語って帰って行った。
これ言われたら誰でもガチギレするやろ。
例えば
オタクと言えども私達と同じ赤い血が流れてる人間なのですから差別はいけませんとか。
https://www.youtube.com/watch?v=iKcWu0tsiZM
動画”Modern Educayshun”の大まかな日本語訳
※数学の授業という設定。
先生「ようこそ」
白い箱がガタッ
男性「2?」
サイモン「多文化主義(multiculturalism)です」
先生「その通り。よく出来ました」
男性「9?」
ペネロピィ「男女平等(gender equality)です」
先生「よく出来ました」
まぬけ君(サンシャイン)「そうだ!」
先生「さてみなさん、宿題のレポートをみんなやってくれたと思います。そして、最高得点の人には、ニューヨークの世界数学サミットで発表してもらいます」
先生「ペネロピィ。よく出来ました。60点(6/10点)です」
サイモン「おい。気をつけろよ。お前、ペネロピィのこと10秒も見つめてただろ」
男性「は?」
サイモン「女性を15秒以上“ストレート”(連続)で見つめたらセクハラだろ! で、僕が“ストレート”っていうのは連続って意味で、“伝統的じゃない”性的趣向の人を批判してるわけじゃないからな! で、僕が“伝統的じゃない”って言うのは、別に歴史的に“普通”となったことに反対する人たちを批判しているわけじゃ・・・」
男性「わかったわかった」
男性「私はフォーリエ変換を電気数学的手法の中に用いて患者の電気回路を分析し、心臓発作を経験したことがある人のリスクを計算しました。全く新しい手法ですが、これで数千人規模の命を救える可能性があります」
先生「はーっ」(ため息)(レポートを投げて戻す)「70点ね」
男性「は?!」
ペネロピィ「なぜあなたは一つの色にこだわって全てを蔑むの? 人間っていうのは虹色の美と霊性でしょう?」
サンシャイン「そうだ~」
男性「わかったよ。70点でいいよ。だけど、70点でも俺が最高得点だ。サミットに行くのが俺だろ?」
先生「まだ採点は終わっていないわ。さて、私達は“平等”の社会に生きています。ですから、全員の特典を合計して、それを生徒全員で“平等”に分割します」
(ホワイトボード 6+6+1+7=20 20÷4=5)
先生「みなさんよくできました。これで“平等”ですね。これでみんな“平均”です」
サンシャイン「やった~!」
ペネロピィ「まだ“特権ポイント”を加算してないでしょうが! 何も知らないのね」
先生「さて、ペネロピィ。あなたは女性だから、+1特権ポイントね。だけど白人だからそれは-1ポイント」
先生「じゃあ+1ポイント、ということは、合計で60点ね(平均点50+10点)」
先生「サイモン、残念ながらあなたは性的には“ストレート”だし、白人、そして男性だわ」
ペネロピィ「それに“シスジェンダー”よ」(※シスジェンダーとは、生まれつきの身体的、生物学的性別と、自分の性自認が同じこと。あたりめーだ)
先生「そうね。だから-4特権ポイントね。だからあなたは10点(平均50―40点)」
先生「さて、あなた(男性)。あなたは男性で、それにアンタのことは嫌いだわ。だから-2特権ポイントね。だけどあなたは白人じゃないし、ゲイっぽい(直訳:性的に曖昧)から、+2特権ポイントね。だから合計得点は50点ね(平均50-20+20)」
サンシャイン「あー、ボクはゲイだし、トランスジェンダーだし、アジア人だし、デブだし、貧乏だし、頭は悪いし、ブスだし、乳首に毛が生えてるし、体臭はやばいし、ちゃんと走れないし、それに自分で靴ひもも結べないんだ。それに、一回、鳩が死ぬところを見ちゃったんだよね」
先生「サンシャイン、素晴らしいわ。+130特権ポイントよ! 合計、180点だわ!(50+130)よく出来ました。ニューヨークのサミットに行くのはあなたです!」
サイモン「お前ならやれると思ってたよ!」
紙を取り上げる
男性「このレポートなんだよ。“びょうどう”って文字とハートが書いてあるだけじゃないか! 1枚しか書いてないし!」
男性「“びょうどう”のスペルも間違ってるじゃないか!(ekwaLity)
ペネロピィ「あなたは数学や科学みたいな“事実”は得意かもしれないけど、“感情”はどうなの?!」
サンシャイン「そうだ!」
男性「こんなの間違ってる! お前らみんな狂ってる!」
ペネロピィ「傷つけられない権利は意見を言う権利より重要よ! それに、あなたが言葉で私達を侮辱するのをやめなければ、正当防衛であなたを攻撃するわ」
サイモン「許されるんだな」
サンシャイン「そうだ!」
男性「狂ってる」
ペネロピィ「死ぬ用意はいい?社会的正義は勝つということを覚えておきなさい。死ね!」
箱が動く。
(END)
「ゆらぎ荘の幽奈さん」に関する炎上について、批判する発言に一理あると考えた方もいると思いますが、元の発言者や積極的に燃やしていた人たちがどのような行動を取る連中か、ということくらいは確認して欲しいと思います。もちろん批判者全員がこんな人間だというわけではないですよ。
炎上の発端である 中 @kanakanakana35 https://twitter.com/kanakanakana35 のお仲間である Erin@反ミソジニー @makoamd https://twitter.com/makoamd が、先日ある未成年者に対し、ちんぽよしよし王女様という凄まじい暴言を吐き、これについての一連の流れが絶句するほど酷すぎたので抜粋しました。未成年者の名前は×で伏字にしてありますが、実際のツイートには名前が記載されてやり取りしています。
ツイッターを実際確認されることをお勧めしますが、精神的に要注意です。。
ちなみに Erin@反ミソジニー の元ツイは削除済のようですが、驚くことに関連するツイは以前ありました。
○○○は原文です。本人が嫌がるので削除しました、と言い訳しておきながらこれを再掲し続けて、自分が加害した相手に責任を押し付ける神経が理解不能ですごい。この人たちは女性の味方などではないです。
Erin@反ミソジニー @makoamd
××××は
【○○○よしよし王女様】
さんざん叩かれた過去から学んだ保身と思うと可哀想な部分もあるけど【表現の自由王女】として真面目な批判を的外れに非難攻撃してくるようじゃ、批判するしかない。
Erin@反ミソジニー @makoamd
返信先: @hieveryone0さん、@pe_san25さん
Erin@反ミソジニーさんがErin@反ミソジニーをリツイートしました
こちらの感想と評価であり、彼女がエゴサしなければ知らずに済んだことです。バズったとしたらそれは彼女が引用RTで数万フォロワーに読ませたからです。彼女がバズらせたんですよ。そこお間違えのないように。
こういうネット上の厄介な人たち、いわゆるツイフェミに対し、ミソジニーの逆をしてるだけ、常に被害者ぶって自分の加害は棚上げ、自分のお仲間以外はどうなろうとどうしようとかまわない、という批判はよく言われることですが、今回もそれが伺えます。
そしてこの元ツイを引用した未成年者××××と、それに対する 中 と Erin@反ミソジニーの反論
中 @kanakanakana35
私はもっと言われてますよ。あの表現はジャンプにはよくないと言っただけで。あなたのズレた意見も彼らの罵倒にますます力を与えています。それなのに自分がされた時だけ性暴力!ですか?
Erin@反ミソジニー @makoamd
返信先: @kanakanakana35さん、@××××さん
ゆらぎ荘が少年誌にふさわしいかどうかで批判しておきながら未成年者に対して暴言を吐き、直接「自分がされた時だけ性暴力!ですか?」などと絡みに行って、自覚が一切ない様子なのが非常に怖いです。
暴言を吐いた Erin@反ミソジニー 本人と 中 のやり取り
Erin@反ミソジニー @makoamd
自分は基本的にエアリプはしない。本人に言いたいことは@をつけて送る。@をつけない時「届かないように悪口を言う」意図はなく、純粋に感想。だから本人がエゴサして引用RTしているのを見て「ありゃ」とは思った
中 @kanakanakana35
返信先: @makoamdさん
わかります。エゴサで拾ってきた言葉をあたかも攻撃されたように引用したことについては卑怯すぎると思います。他に直でたくさん意見来てるのに。
今までの主張は正しいと思ってましたが高校生に対してこれはない。
>私はもっと言われてますよ。あの表現はジャンプにはよくないと言っただけで。あなたのズレた意見も彼らの罵倒にますます力を与えています。それなのに自分がされた時だけ性暴力!ですか?あなたの誤解だらけの主張が暴力になって
中 @kanakanakana35
もちろん、××××への性的な悪口を擁護するものではありません。
ただあなたはこれ一つで性被害とおっしゃってますが、あなたのやっていることも同じように攻撃となっていますということをお伝えしました。その点では高校生だということはあまり関係ないですね。有名人としてお話しています。
Erin@反ミソジニー に対する批判と、それへの 中 の反論
弁護士 村松 謙 @kmuramatsu
××××にたいして「ちんぽよしよし女王」とか言っている人がいるのに、ジャンプ批判側は、まじめにゾーニングについて考えているんだっていわれましてもですね。。。
中 @kanakanakana35
まんま返すわ。感想をツイートしただけの一個人に対して死ねだのなんだのと罵倒しまくるような奴らは真面目に表現の自由について考えているとでも??
Hi! @hieveryone0
あなたには「擁護するような発言は止めた方がいいのではないですか」としか言ってませんよね。
中 @kanakanakana35
返信先: @hieveryone0さん、@makoamdさん
答えになってないね。なんでこの一つの暴言にだけずっと粘着してんのかって言ってんの。そんなに正義感強いなら私に対する暴言にも粘着して文句言ってくれ。
××××は攻撃者で、やってる事が擁護派の煽動であり論点ずらしだってことからもともと批判が来てたんだよ…流れも知らず喋るなよ…。
中に対する批判と、それへの Erin@反ミソジニーの反論
Hi! @hieveryone0
この罵倒の言葉、ミソジニー男ですら言うのをためらうような酷すぎる性的な罵倒だよ。常識がない人をかばうのは止めた方が良いです。
Erin@反ミソジニー @makoamd
返信先: @hieveryone0さん
>罵倒
あなた物書きの類の人じゃないの?
Erin@反ミソジニー @makoamd
返信先: @hieveryone0さん、@kanakanakana35さん
>罵倒
間違い。あいまいな認識で間違った表現をされると行動を間違って認識されて大変迷惑です。
私が罵倒する気なら本人に届くように@付けました。
それの善悪はまた別個の話。
Hi! @hieveryone0
さすがに16歳の女の子に「ちんぽよしよし女王」なんて言っているのは論外なので、「自分がされた時だけ性暴力!ですか?」という発言は撤回なさるべきかと思います。
Erin@反ミソジニー @makoamd
××××の「嫌だ」「やめてほしい」の意思表示を受けて削除した言葉を、しかも間違ったまま連呼するのは「あいつはこんな酷いことを言った!」の喧伝ですよね。言われた本人が嫌がった言葉を何度も再現するのは本人への配慮なんかどうでもいいって感じ。
Erin@反ミソジニー @makoamd
>(炎上したら発言だけ消してる@makoamdの行動も極めて卑怯ですね)
「嫌だ」「やめてほしい」という意思表示と理解しましたが、先方の感情に沿うつもりで削除したら「発言だけ消してる」?「極めて卑怯」?
削除を非難するってどういうこと?
↑繰り返しですが削除後伏字で同じ言葉を再掲しています。未成年者本人が嫌だから削除した、という建前の話でこの発言はすごい。
中 @kanakanakana35
じゃああんたは何をしたいの?本人が削除済みのツイートをいつまでもいつまでも批判し続けたいの?私はこの何百倍も言われてて、それに××××が加担してるからやめてくれって言ってんだけど私に言われてる暴言はよくてなんでコレにだけ粘着してんの?自分にだけは筋が通っているとでも?
別のお仲間? 潤 @jun_ftmg
潤 @jun_ftmg
誰が言い出したかソースもない「ちんぽよしよし女王」をジャンプ批判側の発言だとデマを流すミソジニストどもほんっとに汚いですね。仮に百万歩譲ってジャンプ批判者が言ったとしても、どうせ「きちょまん」みたいなずっとある侮辱語は黙認するんだろ。
元「○○○よしよし王女様」 →弁護士のうろ覚え発言「○○○よしよし女王」 で拡散しているんだけど パワーワードとして面白がっている人たちが 誰一人として「○○○=俺」ということを理解していないのが闇。 即物的な状況しか想像していないのが彼らの想像力の貧しさ。
Erin@反ミソジニー @makoamd
返信先: @makoamdさん
「○○○よしよし女王」(うろ覚えから拡散の方)が彼女の称号として定着しそうな勢いなのね。これ、彼女としてはどうなんだろう。
Erin@反ミソジニー @makoamd
返信先: @makoamdさん
中のその後
中 @kanakanakana35
発言自体は良くないと何度も書いてるけどさ、普段どんだけでもセクハラ発言しまくってるネット民たち、及びそれを全く問題視しなかったネット民たちが、一人の女性が自分のホームで呟いた一言で、あー!セクハラだ!!って大騒ぎしてんのほんと醜いな…。あいつらのものさしはどうなってるんだ…。
ジャンプに対する批判意見自体には一部妥当性があったかも知れないけれど、積極的にジャンプを燃やしていたのはこういう人たちでした。
安易にフェミとかリベラルなどと言うのは嫌いですが、これが相手ではまともな話になるわけがありません。「女性への性暴力」をどう考え、どう自分に都合よく利用しているのかが上記の発言からわかるかと思います。
元の炎上の件にしても、後付けの誤魔化しで自分たちが正しく見えるようにしているだけでした。炎上してから初めてゆらぎ荘の中身を読んでおいて、感心する部分もあった、などと発言してみせるのが如何にも姑息です。
ジャンプ炎上騒動では、「性暴力を肯定する表現を小学生に見せるのはいかがなものか」という部分に賛同し、彼女らを擁護するような方も見受けられましたが、実態はこんなです。自分たちの都合だけで表現を規制しようとしている、と言われているのも納得してもらえると思います。
今回のように仲間が性暴力を働いても、「でも被害者の方が悪い」と平気で言える人たちです。女性の味方でも決してありません。
ジャンプ騒動への意見を変えろなんてことは言いませんが、まともな議論をするにはまともな発言をするしかないのは、ジャンプ批判派も擁護派も同じだということです。
http://www.mext.go.jp/a_menu/sports/ikusei/1386963.htm
引っかかる事は多くある。
特に「一度流れると回収が不可能」などと世の大人達をうまく丸め込んでお上は賛同させようとする。
「一度流れると回収が不可能」だと言うなら、性的な文脈においては成人女性がAVに出演するのもそうではないか?
誤解しないでほしいのだが、私は反ポルノグラフィーを掲げている訳でもなければ、AV強要問題とか、そういう筋について語っているのではない。
寧ろ私は、表現規制にも反対だし、ポルノグラフィも完全に認めるべきだと思っている。
漫画でしか見た事がないが、「AVに出演した過去が彼にバレた……」「AV出演の事実が友達の間で噂された」などとよく聞く。名前のない女たちかな。
最近ではそういった事は昔に比べては減っているとは思うが。
AV強要問題は、タチの悪いAVメーカーならそういった事はしているのかもしれない。
ただね、私は合意の上であれば例え未成年と大人、未成年同士でも性行為はOKだと思っているし、売買春も構わない。
性教育がダメだったり一部の保守派が反対するなら、家で教えるのもありだし、今はWikipediaもある。
Wikipediaは難しい?性教育の本を図書館で読み漁ったりすればいい。
手段は無制限にある。他人の基本的な権利を侵害しない限りなら。
マジレスすれば、他人の基本的な権利を侵害する手段も選べるのは選べるが、それは高い代償を払わねばならなくなる。
私も小学生の時は性教育の本を読み漁ったり、Wikipediaで調べまくったりしてたよ。今もだけど。
というか、未成年が自発的にやる売買春に国家が介入すべきでないと思うよ。
というか、合意の上での児童売買春を禁じる根拠が薄いと思うんだよ。
先の話で言うと、「裸の写真を送れ!」と無理矢理送らせるのは強要罪であり、自己決定権の侵害です。
それを、お偉方が「裸の写真を送らない!」と啓発するのは、裏に(裸の写真なんか送るから被害に遭うんだ)と言う言外の意図が含まれていると私は考えます。
これでは、ISISにジャーナリスト・後藤健二さんが殺害された事件で、「シリアに行ったからお前は殺された。行かなきゃいいのに」と言うのとどこが違うのでしょうか?
もっと言えば、「レイプに遭うのは露出度の高い服を着ていたりふしだらな行いをしているからだ」となり、こうなるとふしだら侮蔑と変わらないと思うのですが。
最も、後藤さんの件でも、フィフィやデヴィ夫人など、自己責任論を振り翳して一定の支持を得る所を見ると、こういうものには寄せ付ける何かがあるのかもしれない。
会社の人が見てるかもしれないけど、今聞いてもらえる人が誰もいないから書く。
なのに、会社の二次会のカラオケに参加してしまった。帰れたのに。ズルズルと。
結局、歌うこともせず、楽しそうにもせず、お金だけを置いて、途中で逃げるように帰ってきてしまった。
会社の人から見れば自分のことが恐かっただろう。いや、あの後侮蔑の対象になっていただろう。
途中でキレたように逃げてきた自分にも嫌になる。吐き気がする。
そもそも、自分のことばかり書いているが、むちゃくちゃ言いたいのは上司の方だ。
自分のことをよく気にかけてくださっているのに、面目を丸つぶれにしてしまった。
どうしよう。
どうしようもない。
辞めたい。
辞めても次も繰り返す。
辞めたところで次はあるのか?
夜になるとまた、こんなことが延々と、ぐるぐるぐるぐる頭の中を回るのが止まらない。
不幸になる人は、自分から不幸になりにいっていると聞いたことがあるが、その通りかもしれない。
そんなどうしようもないことが頭の中で止まらない。
これの筆者です。
id:netcraft3さんに「このままシリーズ化してほしい」と言われたんですが、そのつもりはないです。歴史学に対してろくな知識もないから恥をかきそうだし、人気の増田(国会ウォッチャー)みたいに注目をあびるのは恐ろしいです。
なので今回で最後になるかもしれませんが、ひとまず「遣唐使」について見ていきましょう。
山川出版社『詳説日本史』の「遣唐使」という項は、次のように書かれています。全文引用します。
618年、隋にかわって中国を統一した唐は、東アジアに大帝国をきずき、広大な領地を支配して周辺諸国に大きな影響をあたえた。西アジアとの交流もさかんになり、都の長安(現、西安)は世界的な都市として国際文化が花ひらいた。
東アジア諸国も唐と通交するようになり、日本からの遣唐使は8世紀にはほぼ20年に1度の割合で派遣された。大使をはじめとする遣唐使には留学生・留学僧なども加わり、多い時には約500人の人びとが、4隻の船にのって渡海した。しかし、造船や航海の技術はまだ未熟であったため、海上での遭難も多かった。遣唐使たちは、唐から先進的な政治制度や国際的な文化をもたらし、日本に大きな影響をあたえた。とくに帰国した吉備真備や玄昉は、のち聖武天皇に重用されて政界でも進出した。
朝鮮半島を統一した新羅とも多くの使節が往来したが、日本は国力を充実させた新羅を従属国として扱おうとしたため、時には緊張が生じた。8世紀末になると遣新羅使の派遣はまばらとなるが、民間商人たちの往来はさかんであった。一方、靺鞨族や旧高句麗人を中心に中国東北部に建国された渤海とは緊密な使節の往来がおこなわれた。渤海は、唐・新羅との対抗関係から727(神亀4)年に日本に使節を派遣して国交を求め、日本も新羅との対抗関係から渤海と友好的に通交した。
これはひどい。遣唐使の派遣再開が何年だったかという記述がありません。
そもそもこの派遣が再開であるという基礎知識すら、この教科書では把握できません。ページを戻って第2章「1,飛鳥の朝廷」の「東アジアの動向とヤマト政権の発展」という項では、「倭は630年の犬上御田鍬をはじめとして引き続き遣唐使を派遣し」たとあるのですけど、その後にしばらく派遣を中断した時期があることは記載なし。
一時期は中断していたからこそ、702年の派遣再開に歴史的意義があります。第1回の遣唐使派遣が630年ですから、何と、まだ大化の改新をやっていない時代ですよ? それくらい古い時代から派遣していたにもかかわらず、多くの教科書が8世紀初頭の出来事として遣唐使のことを説明するのはなぜでしょうか。それは再開というターニングポイントを重視しているからです。本書もそれに従って、「3,平城京の時代」という単元に「遣唐使」の項を配置しています。それならば、中断・再開の経緯について説明を載せるべきです。
ちなみに、他の教科書では、遣唐使の派遣再開についての説明が次のようになっています。
「7世紀前半にはじまった遣唐使は、天武・持統天皇の時代にはしばらく中断されていたが、702年久しぶりに難波津を出発した。」
「白村江の戦いののち、30年あまりとだえていた唐との国交が、701(大宝元)年の遣唐使任命によって再開され、以後、遣唐使がたびたび派遣された。それまで、半島からの渡来人や新羅などに学びながら、ある程度の国家体制を整えてきたが、この年の大宝律令とともに、唐との直接交通を始めたのである。」
「律令制度を整えた朝廷も、702(大宝2)年に遣唐使を復活させ、唐の文物や制度の摂取につとめた。[中略]
こうしたなか、朝廷は新都の造営や貨幣の鋳造、国史の編纂などを次々に実行して、中央集権体制にふさわしい国家づくりに励んだ。」
[引用者注:教科書のページを戻って「白村江の戦いと国内体制の整備」の項では、白村江の戦いののち、遣唐使が「669年を最後に中断した」という記述あり。]
遣唐使が中断していた理由もわかるし、大宝律令の制定と遣唐使の再開という2つの出来事を結びつけて理解することができます。
三省堂の記述もおもしろいです。私は前回、この教科書について、「時代の流れがよくわかる」「時系列にしたがった記述が多い」というようなことを書きましたけど、ここでもその特徴が出ています。
大宝律令の制定、平城京への遷都、貨幣の鋳造、国史編纂というのは国内政治です。一方、遣唐使、新羅・渤海との関係は、外交政策です。普通の教科書はこれを別項に分けますが、三省堂はこれを同じ項にまとめて一つの時代の様相として語っているのがすごい。
東京書籍、実教出版も、中断・再開に触れています。その点は『詳説日本史』より絶対にマシです。
山川出版社『高校日本史 改訂版』(日B 017)は、教科書のページ数が少なくて、内容もぺらぺらに薄いです。『詳説日本史』と同様、これでは大雑把に奈良時代の初め頃だったということしか分かりません。(しかも正確には702年に派遣再開されたので、これを奈良時代の出来事と把握すると誤りになります)
東大入試(2003年)は、遣唐使の本質にせまる問題を出しています。
次の(1)~(4)の8世紀の日本の外交についての文章を読んで、下記の設問に答えなさい。
(1) 律令法を導入した日本では、中国と同じように、外国を「外蕃」「蕃国」と呼んだ。ただし唐を他と区別して、「隣国」と称することもあった。
(2) 遣唐使大伴古麻呂は、唐の玄宗皇帝の元日朝賀(臣下から祝賀をうける儀式)に参列した時、日本と新羅とが席次を争ったことを報告している。8世紀には、日本は唐に20年に1度朝貢する約束を結んでいたと考えられる。
(3) 743年、新羅使は、それまでの「調」という貢進物の名称を「土毛」(土地の物産)に改めたので、日本の朝廷は受けとりを拒否した。このように両国関係は緊張することもあった。
(4) 8世紀を通じて新羅使は20回ほど来日している。長屋王は、新羅使の帰国にあたって私邸で饗宴をもよおし、使節と漢詩をよみかわしたことが知られる。また、752年の新羅使は700人あまりの大人数で、アジア各地のさまざまな品物をもたらし、貴族たちが競って購入したことが知られる。
設問:この時代の日本にとって、唐との関係と新羅との関係のもつ意味にはどのような違いがあるか。たて前と実際の差に注目しながら、6行以内で説明しなさい。
山川出版社『新日本史B 改訂版』(日B018)です。これ以外は、どの教科書も上記引用した『詳説日本史』と似たり寄ったりの内容ですから、いくら熟読をしても答案を書くことが難しいと思います。(三省堂をのぞく。後述)
8世紀に入ると、日本は20年に1度の回数で大規模な遣唐使を派遣した。日本は唐の冊封を受けなかったが、実質的には唐に臣従する朝貢であり、使者は正月の朝賀に参列し、皇帝を祝賀した。[中略]
一方、日本の律令国家内では天皇が皇帝であり、日本が中華となる唐と同様の帝国構造を持った。日本は新羅や渤海を蕃国として位置づけており、従属国として扱おうとした。
白村江の戦いののち、朝鮮半島を統一した新羅は、唐を牽制するために日本とのあいだにひんぱんに使節を往来させ、8世紀初めまでは日本に臣従する形をとった。やがて対等外交を主張したが、朝廷はこれを認めず、藤原仲麻呂は新羅への征討戦争を準備した。一方で、新羅は民間交易に力を入れ、唐よりも日本との交流が質量ともに大きくなった。現在の正倉院に所蔵されている唐や南方の宝物には、新羅商人が仲介したものが多いと考えられる。[後略]
以上に準拠しながら、私なりに要点をまとめておくと、次のとおりです。
(1)は、日本が唐から律令を学び、その中華思想の影響を受けたことを言っています。つまり、日本はみずからが「中華となる」という「帝国構造」を作ろうとしたのです。「日本は新羅や渤海を蕃国として位置づけ」て、彼らを野蛮だと侮蔑し、従属国として扱おうとしました。ですが、唐だけは別格です。あのような大国を敵にまわすと、恐ろしいことになりかねません。そういう遠慮があって、唐のことだけは尊重して隣国と呼びました。
(2)は、「日本は唐の冊封を受けなかったが、実質的には唐に臣従する朝貢」をしていたということです。唐の臣下となって朝貢する国々の中にも、その立場にはランクがありました。日本と新羅はともに唐の臣下だったのですけど、日本は新羅より格上の臣下になろうとしたのです。
(3)は、日本と新羅の関係悪化について述べています。新羅が「8世紀初めまでは日本に臣従する形をとった」ので、その間は関係がうまくいっていました。しかし、新羅が「やがて対等外交を主張」するようになったから、両国関係はこじれてしまったのです。それが最終的には藤原仲麻呂が「新羅への征討戦争を準備」するくらいにエスカレートします。
(4)は、日本と新羅が政治的には対立しつつも、経済的には交流が盛んだったという内容です。「新羅は民間交易に力を入れ」ました。「新羅商人が仲介し」、日本へ「唐や南方の宝物」をもたらしたのです。それは貴族たちが競って購入したがる垂涎の的でした。現在「正倉院に所蔵され」ている宝物も、そういうルートで輸入したものが多いのです。
教科書の読み比べをすることの目的は、なにも入試に対応するためだけではありません。
例えば『詳説日本史』には、最初に引用したとおり、「日本は国力を充実させた新羅を従属国として扱おうとしたため、時には緊張が生じた」とか、「8世紀末になると遣新羅使の派遣はまばらとなるが、民間商人たちの往来はさかんであった」という記述があります。この短い記述が伝えようとしていることの本当の意味は、『新日本史B 改訂版』(日B018)のような他の教科書と併読することにより、はじめて正確に把握できるのです。
ところで、この教科書の著者は、東大の先生が3人、京大の先生が1人です。本書だけに載っているネタを使って入試問題がつくられたのは、そのへんの事情もあるのかなと勘ぐってしまいます。
もしくは、これは2003年の入試問題ということだから、ちょうど講談社の『日本の歴史』シリーズ(2000年~2003年)が発行されていた時期ですし、そちらの内容を意識しているのかもしれないですね。一応、そっちのシリーズからも引用しておきましょう。
国内及び新羅などの諸国に対する時と、唐に対する時とで天皇の顔を使い分けるという、まことにすっきりしない状況でもあった。このような努力・苦心を払って日本が手に入れようとしたのは、東アジアの有力国としては新羅より格が上、という地位の確認であり、また初期の遣唐使が唐の高宗に蝦夷を見せたことに示されているように(『日本書紀』斉明五年七月三日条)、日本は隼人や蝦夷などの異民族をも支配下にいれた大国かつ君子国であるという評価であった。いわば唐を盟主とする諸国の中での相対的に高い地位を求めるとともに、自らの小帝国であることを唐に認めさせようとしたのである。(石母田正『天皇と諸蕃』)
さきにもふれたように、「日本国」は唐帝国との公的な外交関係では「天皇」の称号を用いることができず、実際には二十年に一度の使い――遣唐使――を送る唐の朝貢国に位置づけられていたと考えられるが(東野治之「遣唐使船」朝日新聞社、一九九九年)、国号を「倭」から「日本」に変え、「天」をつけた王の称号を定めたのは、唐帝国に対し、小なりとも自ら帝国として立とうとする意志であったことも間違いない。
実際、「日本国」は「蛮夷」を服属させる「中華」として自らを位置づけ、「文明」的と自任するその国制を、周囲の「未開」な「夷狄」におし及ぼし、国家の領域を拡げようとする強烈な意欲を、その発足当初は持っていたのである。
[中略]
このように、朝鮮半島に対しても圧力を加えて、朝貢を強要する姿勢を示す一方、「日本海」をこえてたびたび使者を送って交易を求めてきた渤海については朝貢国として扱うなど、「日本国」は自らを「中華」とし、帝国として四方に臨もうとしていた。しかし東北侵略を止めた9世紀に入ると、こうした「帝国主義」的な姿勢、列島外の世界に対する積極的な動きはしだいに退き、十世紀になれば、ほとんどそれは表に現れなくなっていく。
日本が置かれている立場としては、唐への朝貢という屈辱外交をやめるためには、遣唐使の派遣を中止するしかないわけです。しかし、日本は唐と断交して敵対的にのぞむ国力も、その覚悟もありませんでした。
いっぽう、遣唐使は唐の皇帝から賜った国書(日本国王へ勅す)を持ち帰るわけにはいきません。日本が唐に朝貢していると認めることは、天皇の威信を傷つけることになるからです。
こうなると、実際には日本が唐に朝貢していることが明らかなのに、国内での建前としてはそれを否定してみせる必要が出てきます。要するに、「遣唐使の派遣は朝貢ではない。天皇が唐に臣従しているという批判は当たらない」という建前をでっちあげ、国内的にはそれをゴリ押しすることで、この矛盾を乗り越えようとしたのです。
私がこのエントリの題名に「白紙に戻せぬ遣唐使」と付けた由来は、多分みなさんもご存知の、894年に遣唐使が廃止されたことを指す語呂合わせ「白紙に戻そう遣唐使」です。しかし、日本がほんとうに、この"遣唐使"的なるものを白紙に戻せたかというと、それは甚だ疑問です。為政者が国内と国外で異なる顔を見せたり、外交姿勢の実態と建前を使い分けているというのは、室町時代に明に朝貢して「日本国王」となった足利義満に、ほとんどそのまま適用できる視点だと思います。
それに、このことは現代の外交問題についても、重要な示唆を与えてくれます。例えば政府が国内に向けて愛国心やナショナリズムを煽っておきながら、それと同時に国外に向けて国際協調のアピールをするというチグハグな状況は、まさにこの延長にあるんじゃないでしょうか。
あるいは唐側の視点で見ると、日唐関係はこんな見方もできるかもしれません。唐は日本がおとなしく朝貢するかぎり、細かいことに目くじらを立てなかった。唐としては蕃国をヘタに刺激して事を荒立てるより、多少その尊大なふるまいを黙認しておく方がメリットがあった。すなわち唐は日本と妥協しあって、朝貢関係があるとも無いとも、どちらとも言える状況を作りあげた。――こういう分析がどれだけ妥当か分かりませんけど、2国間に争いがあるとき玉虫色の決着をつけ、両国政府がそれぞれ自国民の耳に心地よい解釈で説明をしているというのは、これまた現代によく見かける話でしょう。
遣唐使についての解説が長くなりすぎましたが、じゃあここから、各社の教科書の読み比べをしていきます。
おもしろい特色がありません。
無理に良い所探しをするなら、「よつのふね」という文学的な呼び方を紹介し、その規模がいかに大きかったかを強調していることです。
華々しく飾り立てた大使節団というのは、それを送りだす側も、それを受け入れる側も、両国にとって国威発揚のイベントになったと推測できます。もっとも、沈没や行方不明になることも多々あったので、華々しさとはかけ離れたのが実態だったかもしれませんし、どうなのでしょう?
つづきを書きました→ http://anond.hatelabo.jp/20170611234459