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はてなキーワード: 侮蔑とは

2017-05-29

http://anond.hatelabo.jp/20170529130423

批判監視憎悪侮蔑を分けられない感じだよね

なのに自分が逆にやられるとすげー怒ってる

アベがなんか相手おちょくるような答弁したことについて

小田コラムがすげー怒って人格非難してたけど

いやあんたのコラムが全方位にやってるのはなんなんだと

2017-05-18

補足解説 ともあれ、ハイヒールは滅ぼさねばならない。

ともあれ、ハイヒールは滅ぼさねばならない。

http://anond.hatelabo.jp/20170516141639

↑ これの筆者である。私がこのエントリを書くにあたって意識したのは、共産主義ファシズム、ラディカル・フェミニズムだ。そこにミソジニーの味を加えてみた。

ついでに、最近話題ポリコレも組みこんだ。その点ではリベラル思想も汲んでいる。

文章はいい加減だし、今日日本において実現可能性はゼロだと思うが、この主張自体はマジメに唱えているつもりである

  

  

"自由"の抑圧こそが必要

たとえば、労働問題について考えてみよう。

過労死するほど働く自由」と「過労死するほど働かない自由」の両方を労働者に与えれば、それで十分だろうか?

私はそうは思わない。読者諸君も、一部のリバタリアンを除けば、「過労死するほど働く自由」を認めないはずだ。

  

過労死するほど働く自由」なんていうものは、たとえそれを望む労働者がいるのだとしても、決して認めてはならない。政府長時間労働を厳しく規制し、それを抑圧することが必要だ。

人が趣味や遊びをやりすぎて死ぬというのは愚行権範囲で、一応は自由だと言えるかもしれない。しか労働問題においては、そういう権利適用するべきではない。

  

長時間労働は、それをやる自由とやらない自由の両方を認めてしまった場合ブラック労働環境の中で強制的にやらされて苦しむ人が続出するのが明らかである

女性労働するときハイヒール・化粧についても、これと同様のことが言える。

  

「上から改革」が必要

明治時代日本でも、あるいはどこかの後進国でもいいが、近代化過程では必ず「上から改革」がある。

旧弊に従う自由も、旧弊に従わない自由も、どっちも認めましょう」という生半可な方法では、おそらく近代化を達成できない。国民はややもすると旧弊に従おうとするからだ。だから政府が強権的に指導し、旧弊排除することで、国民はようやく新時代適応できる。

  

たとえば女性差別がひどい国では、政府女子教育権利提唱しても、おそらく多くの国民はそれに従おうとしない。

権利を与えるだけでは、都市部のごく一部の家庭が娘を学校に通わせるにとどまるだろう。貧困層田舎にまで女子教育を普及させるには、政府国民権利を与えるだけでは不十分であって、その権利行使することを国民義務付けなければならない。

  

重要なのは政府国民全員に強制することである

「おらが村では女子教育なんてやらない」とか、「うちの家庭は伝統的な女性にふさわしい育て方をしたい」とか、そういう保守的な反発をするのは男性だけではない。母親祖母も「女はかくあるべし」と考えている。「女子学校に行かせる余裕なんてない。家の手伝いをさせたい」と思っている毒親もいるだろう。

そして女子児童は、当人まだ子であるため、自分がどういう価値観に従うべきかを判断できずにいる。

ここにおいて「多様な価値観尊重せよ」などという主張は有害だ。政府旧弊にまみれた価値観をきっぱりと否定しなくてはならない。

  

当然ながら現代日本で、後進国近代化するときのような強権的なやり方は適さない。とはいえ、政府会社のお偉いさんが主導しなければ何も改善しないというケースが多いのも事実だろう。

たとえば就活会社説明会服装自由と言われたら、参加者は皆がスーツを着てきたという笑い話がある。こういう未開社会のごとき状況を改善するためには、「必ず私服を着ろ。スーツを着るな」という強権的な命令必要だ。

から改革をおこなって、下々の者は全員一斉に従う。――今日でもこれが最も現実的手段なのだ

  

ポリティカル・コレクトネス必要

私はなにも女性からハイヒール・化粧の権利を奪おうというのではない。会社官庁ではそれを禁止しろと言っているだけである

前回に書いたとおり、ハイヒールも化粧も、やりたい人だけがプライベート時間に楽しめばよい。(短髪はすぐに伸ばせないけれども、それならカツラをつけて好きなヘアスタイルにすればよい)

  

私がこのように主張するのは、リベラル思想の影響を受けたからだ。

もし本物の極左ファシストであれば、プライベート時間にもどんどん介入し、ハイヒール・化粧を完全に禁止するであろう。しかし、私はそこまで厳しい統制には反対である

  

近年、女性蔑視の"萌え絵"等が問題になっているのをよく見る。

そのときリベラル側の主張は、「女性蔑視表現政治的に正しくない。プライベートでその表現を楽しむ自由制限するつもりはないけれども、公共の場所ではちゃんとポリコレ配慮せよ」というものであった。

私はこれに賛成だ。そしてそうである以上、ハイヒール・化粧もまた、公共空間から追放せねばならないと思う。それらのものは非常に女性蔑視であるからだ。

  

もっとも、ハイヒール・化粧は女性たちが好んで選択しているという場合が多いだろう。

女性主体性尊重しましょう」――これがリベラルにとっての錦の御旗なのだ

しかし、私は世のリベラルほど無邪気になってその御旗を掲げることはできない。前回に書いたことの繰り返しになるが、女性ハイヒールや化粧を好んで選択することは、被差別者がなぜか自分の受けている差別肯定するという現象からである

被差別者が望むならば差別を受ける自由はあるのか? 被差別者であればその差別正当化してよいか? これはきわめて難しい話である。ただ一つ言えるのは、ここにポリコレ的な問題意識を持たないリベラルは、よっぽど鈍感か、よっぽど不誠実ということだ。

(この意味では、リベラルを気取っているフェミニストなんかより、ラディカル・フェミニズムの方が先鋭的になって突っ走っている分だけ、かえって正しい認識を持っている。)

  

ミソジニー必要

私は歴史に詳しくないため、このさきは与太話しか書けないが、昔の中国には纏足という習俗があった。

そしてこれはあまり知られていないことだが、お上纏足強制していたわけではない。とりわけ清朝漢民族のこのバカらしい習俗忌避し、それを禁止する傾向にあった。にも関わらず人々は好んで纏足選択し、競うようにその美しさを賞賛していたという。

女真族満州族)の建てた清朝纏足禁止令を出しても止めようがなく、結局、義和団の乱以後の近代国家への動きの中で反対運動が起こり、まずは都市部罰則との関係で下火になった。しかし隠れて行われ、中国全土で見られなくなるのは第二次世界大戦後のこととなる。最終的に絶えた理由として、文化大革命反革命行為と見なされたこともある。このため、現在でも70歳以上の老人に一部見受けられる。

Wikipedia纏足

孫引きになってしまうが、以下のような話もある。

当時、女性が嫁に行くと、嫁ぎ先では何よりもまず最初に、花嫁の足を調べた。大きな足、つまり纏足をしていない普通の足は、婚家の面目をつぶすものだ。姑は、花嫁衣装の裾をめくって、足を見る。足が十二、三センチ以上あったら、姑は裾を投げつけるようにして侮蔑をあらわし、大股で部屋から出て行ってしまう。婚礼に招かれた客は、その場にとり残された花嫁に意地の悪い視線を投げかけ、足を無遠慮に眺めて、聞こえよがしに侮蔑言葉を口にする。母親なかには、幼い娘の苦痛を見るにしのびなくて纏足を解いてしまう者もいる。だが、成長した娘は、嫁入り先で屈辱を味わい世間非難あびると、母親が心を鬼にしてくれなかったことを責めるのである

ユン=チアン(張戒)/土屋京子訳『ワイルド・スワン』上 1993 講談社刊 p.19-20

http://www.y-history.net/appendix/wh1303-082.html

この引用で注目するべきは、姑や母親たちが纏足を推進していたということだ。

そして子供とき纏足を痛がっていた娘自身も、親に纏足してもらえてよかったと考えていることだ。

  

さらに言うと、纏足は、男性中心の社会から女性たちが悪弊強制されていたという観点だけで語ることはできない。それは女性自身が願望するところの"オシャレ"でもあった。

纏足は、女性の誇りだった」「女性は肉体で動くから、痛みに耐えれば、高貴でよりよい人間になる」「母から娘への 女性になるための教え」「痛みを通して、身体を使って、女性成功する」「足をより小さく、洗練して優美にすることで、女性は大きな誇りを感じた」

http://coconutpalm.cocolog-nifty.com/blog/2010/01/--10---0239.html

西洋女性を苦しめたコルセットにしても、きっと纏足と同様、女性自身が望んでやりたがるオシャレという側面があったはずだ。

これはまさしく、現代日本女性が「ハイヒール・化粧はめんどくさい。強制されるのは嫌だ」と考えていながら、一方ではそれをやりたい願望を持っていて、結局それが手放せなくなってしま自家撞着するのと同じ心理だ。

ハイヒール・化粧をやるかどうかに関して、「女性主体性尊重しましょう」とか「強制にならないかぎり両方自由です」ということを言っているリベラルは、あまりに鈍感かあまりに不誠実か、そのどちらかのために、この観点を見落としている。

無論、健康面やそれにかかる手間を考えれば、纏足コルセットよりもハイヒール・化粧は随分とマシである。ただ、それは差別過酷ものから軽いものになったというだけだ。進歩はしているけれども、まだ差別を克服できていない。

から我々はさらなる進歩のため、おしゃれをしたいという女性の願望を抑圧しなければならない。ハイヒール・化粧を好んで選んでしま女性性(女性らしさ)は、政治的に正しくないのである。逆にそれを憎悪するミソジニーこそが政治的に正しいのだ。女がオシャレをやめることで初めて男女平等を達成できると私が主張するのは、この洞察に基づくものである

なお、議論はここにおいて、私が冒頭に書いた長時間労働問題につなげることができる。「過労死するほど働く自由」を是認しようとする資本家知識人は、プロレタリアの敵である。我々はこれを打倒しなくてはならない。

この理論適用すれば、女がオシャレをする自由是認しているリベラルと一部のフェミニストこそ、女性差別の温存を図っている連中だと言えるだろう。

  

終わりに

twitterをなにげなく読んでいたら、たまたま的確な言葉を見つけた。

リベラリズム本質的価値-自由平等など-は、どこにあるのか? 逆説めくが、リベラリズム自体はその本質的価値原理主義の激しい攻撃から救えるほど強くはない。 リベラリズムがその重要遺産を生き延びさせるためには、ラディカルな左派の同志愛による助けが必要となるだろう。

スラヴォイ・ジジェクbot @SlavojZizek1949」より

https://twitter.com/SlavojZizek1949/status/864981669509332995

前回のエントリは、穏健なリベラリストから散々顰蹙を浴びた。それは投稿前に分かっていたことだ。

しかし私は、どちらかと言えば多分「ラディカルな左派」寄りの立場から、まじめに女性差別撤廃せよと主張したつもりである

ジジェク言葉どおり、リベラルはここからの援護を受けなければ、その遺産を存続させることさえできないであろう。

2017-04-23

発達障害かもしれないか病院行け」の弊害

生きることに悩んでいる人の苦しみがネット上で吐露されると「あなたはもしかすると発達障害可能性があるかもしれません。心療内科受診しましょう。」という趣旨書き込みがなされることが多々ある。

実際に病院に行ったことで、原因不明だった生きづらさが何なのか解明する手がかりを掴む人も確かにいるはずだ。

だが発達障害というものはここ10年ほどの間で、その名前けが世間認知されていった。

その定義も特徴も曖昧難解なこの障害説明することは容易いことではないのだ。

マスメディアを通じこの聞きなれない障害を知った人々は、ネット上で絶えず繰り返される人生の悩みと、それに対し発達障害を疑う返答というやりとりも幾度となくみてきた。

俺が指摘したいのはこれによって発達障害=変人無能という誤った認識インプットしてしまった人が多いのではないかということだ。

学校に馴染めない。虐められる。

仕事がうまくいかない。職場に居場所がない。

ご近所付き合いがうまくいかない。周りから浮いている。

このような悩みに発達障害可能性を指摘する書き込みが寄せられるイメージにより、逆説として発達障害は、集団に溶け込めず一般的事務的労働をこなすことができない人間が抱える障害と捉えられてしまってはないだろうか。

集団に溶け込めず一般的事務的労働をこなすことができないということは個人的体験であり、発達障害の特徴を端的に表した事象とは言い難い。

発達障害者には特有の苦手なことがあり、不幸にもそのために悩みの語り手はトラブルに巻き込まれしまったのである

発達障害者からといって皆が皆総じて友だちがうまく作れず仕事ができず社会から孤立しているわけではない。

定型発達者の中にもうまく社会生活が送れていない人がいるように発達障害者の中にもそういった人がいるというだけではないか

悲惨な状況にいる発達障害者ばかりが可視化されてきたことで、どうも日本では発達障害というものに過度にネガティヴイメージがついてしまったのではないかと思う。

発達障害者を「協調することができず通常の業務遂行することもできない人間」というふうに捉えてしまえば、配慮して共生していこうという寛容を保つことも難しくなってしまう。

最近では変わった人や冴えない人を蔑むためだけに発達障害という言葉が投げかわされているよう見える場面に出くわすこともあるようだ。

せっかく生きづらさを抱える人に発達障害というヒントが提示されても、発達障害者として生きることが世間の好奇と侮蔑眼差しに苦しむことになってしまっては意味がない。

これから時代必要なのは発達障害者社会参画を特に知識経験のない一般人イメージしてもらうために、実際に活躍する障害者ロールモデルとして紹介していくことではないだろうか。

障害者にも感情や慈愛はあるし、彼らは彼らが持つ道理にしたがって行動しているわけで決して思慮の浅い人間というわけではない。

このことをもっと意識するべきなのだろう。

2017-04-18

http://anond.hatelabo.jp/20170418103714

学校地域の為に協力しようとする人が「脳無しの暇人」として見下されるってなら、そりゃ誰も協力しようとは思わなくなるわな。

こういう日本人によくある、面倒な役割を引き受けてくれる人に対し感謝尊敬ではなく侮蔑で返すって風潮は何なんだろうね。

「"学校地域の為に協力しようという思い"は他のあらゆる非効率性より尊い」、という思想いかんのだと思う。

「かけがえのない人々の気持ち」が一番大事、という日本人に非常によくある文化

どんな誠実な想いがあろうとダメものダメ、という合理的判断を下すことを否定するのがいけないのではないかと思うよ。

http://anond.hatelabo.jp/20170418103714

こういう日本人によくある、面倒な役割を引き受けてくれる人に対し感謝尊敬ではなく侮蔑で返すって風潮は何なんだろうね。

考えてみた。

まずボランティアが見下されてるってのがある。

日本ボランティアって、「暇人」「偽善者」的な否定的イメージで見られがち。

宗教的下地があるキリスト教圏なら違うんだろうし、最近価値観欧米化日本でも違った(肯定的な)感覚の人も増えて来たけど、

やはり昔の感覚のまま「暇人以下略な人もまだまだ多い。

PTAアメリカで生まれものだけど、アメリカならボランティア価値あるものと認められているから上手く行くんだろう。日本はそうじゃない。

更に、そもそも学校全体や教師からして見下されてたりする。

あいサービス業というか、目に見えるものを売るのではなく目に見えない労力を売る人が全体的に侮蔑される文化がある。

給料貰ってるプロですら見下されるんだから、タダ働きのボランティアたるPTAの扱いは推して知るべし

更に男尊女卑文化も強いから、母親が中心なPTAはそういう意味でも(男だけではなく「名誉男性」な働く母親からも)見下される。

他のボランティアも「仕事が忙しい立派な社会人」は関わら(れ)ず、「暇人主婦学生が多いから見下されるってのはよくある話だ。

(まあ最近はそういう「社会人様」を「社畜」と言い侮蔑する風潮も出ては来ているが)

この辺の要素が合わさって、全体的に侮蔑されるんじゃなかろうか、と思う。

ブコメhttp://www.iwasakishoten.site/entry/2017/03/28/184851があったけど、

自分の得意なことを活かしてやることで感動が生まれ、それが成果につながるんじゃないかと思ったんです。

(略)

例えば学校お祭りでおばけやしきをやろうということになったとき保護者の中に暗幕や大道具仕事経験がある方もいたし、デザイナーさんがポスター描いてくれたり、動画編集も得意な方が担当してくれたのです。PTO活動の中心となるウェブサイトも、ホームページ制作仕事にしている方が作ってくれました。

こういうのも、周囲の皆がそれに感謝し、協力的であればうまく行くんだと思う。

でも日本だと絶対「お前プロなんだからやって当然だろ」「お前が言い出したんだから完璧にやれよ、少しでも不満があれば容赦なく文句つけるからな」

とか言う奴出て来るだろ。

高い金貰って仕事として請け負った方が、何故かこういう事を言われない、ってのもよく聞く。

「タダor安い金で仕事を請け負ってくれる人=安い人間=雑に扱ってもいい」みたいなのが一定数いるんだよね。

それへの反発として「プロに頼むなら正当な対価を払うべき」だの言う奴も出て来たりして。

この手のPTA改革話はよく記事になってるけど、そういう面倒な連中がせめて最小限で済むような地域性で、

かつそういうのを黙らせられるだけの人が上に立たないと、上手く行かないと思う。

最終的には金取って全部仕事として外注しろ、になるんだろうね。

その金を誰が払うのか、って問題になるけど。

金払える人が多い裕福な地域で、かつ金を払うよう制度を変える事が可能なくらい皆が協力的なら、↑のような改革案も上手く行くだろうしね。

大体文句ばかりの煩い人間ってのは、金も払わないんだよな。

名門私立みたいに「金払うのも当然だし母親の協力も当然、それが出来ないなら入学してくんな」って学校ならいいんだろうけどね。

公立は色々な人がいるから難しい。

http://anond.hatelabo.jp/20170418102858

そういうのは地域の協力がなければ無理だからねえ。

つかそれが出来る地域は、保護者学校運営に協力的で教育熱心で子供の為に労力を厭わない人が沢山いるから揉めないってのもある。

有志で募集しても必要な数が足りるってのは、そういうこと。

元増田みたいな地域は、地域にも保護者にも協力的な人がいないか強制せざるを得ないわけで。

酷い地域になると、有志募集して出て来た人を何もやらない奴が寄ってたかって叩くって事もあるらしいね

から内心やりたいと思ってる人ですら「頼まれたから仕方なく嫌々引き受けた」というポーズをとらなければならない、という。

http://anond.hatelabo.jp/20170418103250

うそ、こういう連中もやる気がある人のやる気を削ぐ。

PTAなんて暇な主婦自己実現だろw」ってやつね。

「暇なジジイやらせときゃいーだろw」ってのもね。お前の何がそんなに偉いのかと。

何故か、何も知らないし知ろうともしないしやろうとしない人ほどこう言いたがるらしい。

学校地域の為に協力しようとする人が「脳無しの暇人」として見下されるってなら、そりゃ誰も協力しようとは思わなくなるわな。

こういう日本人によくある、面倒な役割を引き受けてくれる人に対し感謝尊敬ではなく侮蔑で返すって風潮は何なんだろうね。

2017-04-10

【ノマカス】の正体、真相とは?

以下は、いわゆる【ノマカス】特有性格性癖性向、発想等に関する所見です。

(1) 腐女子に対する、抑えがたい差別意識侮蔑の念の虜になっている。

(2) 人種性格ネトウヨに近く、ヘイトスピーチ恫喝が得意である

(3) 【男女】、【公式】の価値など、【本音】では全く信じていない。

(4) 自分他人との関係を、優劣、強弱、上下という視点で捉えたがる。

(5) 姑息な【ステID】、【ID非公開】による、無責任投稿をしたがる。

(6) 自分オタクであることを棚に上げたまま、平然と他人(主に腐女子)に罵詈雑言を吐きたがる。

(7) 腐女子に対する、異常なまでの猜疑心、不信感に凝り固まっている。

(8) 【本音】では、【男女】の恋愛結婚など考えていない。

(9) セックス結婚、貞操に関する既成概念固定観念に囚われている。

(10) 価値判断を下す際、安易に既成の規範権威追従迎合したがる。

(11)「なぜ?」、「なぜなら」という論理的因果論的思考を苦手とする。

(12) 自己批評諧謔性、ユーモアへの興味・関心が驚くほど欠けている。

(13) 他人建設的な議論をするよりも、問答無用自己主張をしたがる。

(14) 自説・持論の根本的な拠り所も、人生の最終目標も見えていない。

(15)【腐女子】だけでなく、【男女カプ派】からも嫌われているとの自覚がない。

(16) 自分を【ノマカス】ではなく、【男女カプ派・女オタク】だと勘違いしている。

(17) 確たる証拠裏付けのないまま、すぐに【腐叩き】に囚われたがる。

(18) 内部に無数のコンプレックスを抱えているのに、その自覚がない。

(19) 【ノマカス】は同性愛への過干渉DVモラハラ危険性を孕んでいる。

(20) 自分不如意自力解決しようとせず、腐女子のせいにしたがる。

(21)他説を批判する際、原文引用を避け、故意に歪曲して紹介したがる。

(22)【not腐】と【ノマカス】の間の明確な線引きを求めると口を噤んでしまう。

(23)男女カプ好きか【ノマカス】かどうかを客観的に調べる方法には触れたがらない。

(24)【男女】で語るのは自然と言うが、自然が何かの説明はない。

2017-04-03

http://anond.hatelabo.jp/20170403004449

ブコメGACKTGLAYHISASHIはどうなんだ?ってコメがあるけど、

ヴィジュアル系はおしゃれじゃないかオタクもすんなり受け入れた。

小林幸子にも言えることだけど、

へんな格好してへんなことしてる人には

侮蔑と親近感と好奇心がごちゃ混ぜになった気持ちで接するんだ、オタクは。

オタク気質のあるネットコミュニティ

(2ちゃんとかニコニコとかはてなとか)

もやっぱりそういう傾向がある。

からヨッピーにもシンパがつく。

http://b.hatena.ne.jp/entry/anond.hatelabo.jp/20170403004449

はてなブックマーク - アニメゲーム - 星野源にこっちに来ないでほしいという思い



多分星野源が「福山雅治とかウザくね?じゃあねバルディア〜」とかいったら

元増田も手のひらくるくるパーでしょ

2017-04-02

非モテ男がツラいのは「受け身であることが許されない」から

基本的恋愛文化は「男から動かないと始まらない」らしいので

本当に「行動しない男」という存在侮蔑される。

男は頑張って女性不快感を与えないよう機嫌取りしないといけないし、

デートコースとか全て綿密にエスコートしないと行けない。

そこにめんどくささやら恐怖感を抱くやら「女性迷惑をかけたくないしやめとこ…」なことは許されない

「要は勇気が~」と煽られる

発達障害コミュニケーションが不得手だとか過去いじめられてトラウマ抱えてるとか個々人の事情もあるだろうに、

そういう事情は一切考慮されない。

ひたすら数撃ちゃ当たる主義だ。トライエラートライエラー主義だ。当たって砕けろ主義だ。

(というか恋愛アドバイスってよくよく見ると言ってることが体育会系マチズモ臭さが漂う所あるよなあ。

普段体育会系的なものを嫌ってる人でも、こと「恋愛」となると言う事が体育会系くさくなる)

はっきり言ってものすごく泥臭い

から昨今叫ばれる「男らしさなんてくだらない!解放されよう!」とかのジェンダーレス思想とかもイマイチ飲み込めない。

「なんだよ、結局恋愛成功するには男らしさが必要なんじゃないかよ」と言った具合に。

まあ根本的に、「恋愛文化」において「非モテ男の愚痴」は「ノイズ」としか扱われないのである

2017-03-07

http://anond.hatelabo.jp/20170307192944

よくあるネットスラングって言っても

その文化に触れてない人からすれば

初めて聞くとんでもない侮蔑だよ

http://anond.hatelabo.jp/20170305022101

私が言いたかったのは、「作り手に対する敬意がない状態」で悪意的に見た人の個別の内容に対する批判を、「内容に対する反論」で納得させるのは「不可能」だということ。

よくある2chアニメアンチたちが「この脚本がクソ、寒いガバガバ」とか言って個別のこういう展開がダメだと言っているようなこと対して、

どんなに上手に言語化して長文で物語とはどういうものか、というレベルから説得したとしても、絶対理解させることができないし、自分が感じた「欠点」に対して寛容な見方に変えさせることはできないんです。

それは、先のエントリで述べたように、非対称性があるからです。だから結局、どうしても、デフォルトの視聴姿勢を変えるくらいしか忠告のしようがない。

それに、主体性ウーマンパワー的なもの巧遅拙速を再評価しよう的なイノベーション思考自由に動いてこそ答えにたどり着く、多様性と寛容、…

そういった作品テーマ性にかかわることがらは、個別的な部分で表現されているものではなく、全体で少しずつ積み重ねられているもの

でも、「クソ寒いわ」と思って見ている人は、その積み重ねの部分部分をことごとくはねのけて、1ミリも積み重なっていない状態になっているので、

個別にこのシーンはこうなんだよと解説した所で、「やっぱうさんくせーわこじつけ信者乙」って気分になって感性アンテナが反応しない。

結局、初見で運良く自分の中にするりと入り込んでこなかった表現は、他人ブログで長文で書いているようなものを読んで、視座のとっかかりを得てから全編見直すくらいの事をしないと、その良さを理解できないわけです。

人生体験は人それぞれ違うので、するりと入り込む部分とそうでない部分が一作品の中にも必ずあるから、きちんと公平に論評しようとするならそういう作業必須

もちろん、そこまでする気がなくても、あくま自分感性に従った感想もつことは自由だけれど、

そうして至ったネガティブな捉え方をネットで発信して、悪意の感染に加わってしまうことが、いかクリエーターにとって辛いことなのかを考えてみてほしいというのが趣旨です。

とくに、アニメというのは敏感になるべきなんです。

視聴者は若年層やASD傾向の人が多いため、その人生経験の少なさや精神気質ゆえに、著しく思慮に欠けた受け止め方をする方が非常に多い(決めつけですが、ネットをみている限りではそう感じます)。

また映像表現であることに由来する難しさもある。

すべて、とは言わないまでも大部分が文章説明されている小説とは違って、映像作品表現やその意図曖昧になりがちだし、尺の都合または演出上の省略が多用されるので観る側が擦り寄ってある程度補完してあげる必要がある。

また、その作品が本当に自分向け(年齢・性別文化嗜好のクラスタ的な意味で)のアニメなのか、見極めるのが難しいという問題もある。

そういった諸々を考えると、ネットで悪い(と自分が感じた)部分を書いて作品侮蔑するのはたしか自由だけれども、極力慎重になってほしいと強く思うんです(そのための「謙虚」を説いたのが先のエントリーです)。

そういう思いが強すぎて、つい偉そうな攻撃的口調になったことは謝ります。私も未熟で自己矛盾を抱えた30代のおっさんなんです。

こういう事を話すことで、少しでもあらゆる趣味理解と敬意を示せる人がネットに増えてほしいし、すぐ何かをクソ呼ばわりしたり、丁寧に長文で特定方面disするような人やメディアが減ってほしいと思う。

私はアニメが好きだけれど、女児向け、BL系、右翼系、日常系などはあまり好まないので見ない。でも、それらの作品を内心でもバカにはしたくないし、そのファンバカにしたくない。

はてブでもはてな有名人系、まとめブログ系、タブロイド系は非表示にしているけど、それらのメディア攻撃はしない。ただ避ける。それらを好む人もバカにしたくない。

そういう人が増えてほしいんです。

いや、増えたところでそういう人は「見えなくなる」から増えたかどうかも分からないのですが。

ただ、そういう人、静かな怒れる人の存在を、あなただけでなく、すべてのネットユーザーはてなユーザー意識してほしいと思いその一心で書きました。

2017-02-28

ツイッター受験生の報告にクソリプ暴言の類吐いてるのって負け組負け惜しみとかじゃなくて

高学歴による侮蔑とかそういうのもふんだんにあるからより闇感が深そう。

2017-02-15

売春ツアー批判女性観点

これは単純に母親から売春婦になるな」と言われてただけのような気がする。

彼女は、売春婦を買う男性を訳もわから批判し、売春婦に対する徹底的な侮蔑を持つ。

前世代的な価値観自分の力で変えられないお前こそ、「国の恥」だよ。

2017-02-09

http://anond.hatelabo.jp/20170209070306

この文章にも"ラベリング意識刷り込み他人侮蔑することを当たり前にやる"きらいがありますよ。

老婆心ながら申し上げます

http://anond.hatelabo.jp/20170208105212

ダメだ。

そうやって、さも当たり前の共通言語のように、ツイカスだとかクズだとか、品性に欠ける単語を使ってしまっては。そうやってラベリング意識刷り込み他人侮蔑することを当たり前にやるというミーム感染拡大させる、それは増田が嫌うネットの人々がやっていることと何も変わらない。特に、私達のようにWebを見てきた30や40を超えた人間は、ネット空気になじんだような口調になってはいけない。

どんな嘲笑を受けようが、自分高潔さを保ちながら、丁寧な言葉を選びながら誠実に謙虚に核心を突く議論を(たとえ匿名でも)展開していく。そういう事を続けて、わずかでもその姿勢共感して倣ってくれる人を増やしていかないといけない。ただでさえネット上ではみな次第に同じような卑しい口ぶりと思考回路になっていくバイアスがあるのだから、それに抗って「ネットの向こうの人」の多様性を見る者に意識させていく必要性が、今ますます高まっている。

想像してみてほしい。Web言論悪化してみえる大きな原因の一つは、発信者リアルに低年齢化しているからではないか10年以上前の時点ですら、小中学生PCを使ってMMORPGに入ってくることがあった。今の子どもは幼稚園以前からスマートデバイスに触れて、小学生でも大人以上に使いこなす。そうしてネット上で、子ども子どもを「キッズ」だなんだと揶揄しているような中に、そうと気づかず青年中年までも同じようなノリでやれやれと叩きはじめる。現実に、小中学生しょうもないいがみあいをしている所に大人が一緒に混じってやりあうことがあるだろうか。ネット上では、ある。しかも悪いことに、子どもたちは彼らが自称ながらも本当に大人であろうということを知ってしまっている。世の中はそういうレベルものだという認識を強めていってしまう。そんな中で、そういう輪の中に大人たちが立ち入らない(スルーする)ことは賢明ではあるけれども、場合によっては、きちんと良識ポリティカル・コレクトネスをふまえた丁寧な注意をしてあげるべき状況も少なからずあるはずだ。その時ただちに理解されずに、袋叩きにされて逆効果のように思えたとしても、子どもたちが育っていったとき「あの時はアホだと思ったけどマトモな大人が確かに存在した」と思って貰えることが重要だ(ただし上から目線にならないよう相当注意しないと、本当に逆効果になってしまう)。それがないと、ネット同調性に囚われ、低みにとどまり続け、自省能力を失った大人たちが将来多数派になってしまう。その後の未来はもう誰もが薄々感じているような様相になるだろう。実際のところ、ネット上での振る舞いを教えてあげられるのは、教師でも親でもない。彼らはその場に居合わせていないのだから同級生から学ぶことも難しい。この問題を現状で一番どうにかできる可能性があるのは、その場に居合わせ大人だけ。その事実をもう少し重く捉えてほしい。

から、本当に憂いているならば、そう簡単に「さよなら」を言ってほしくない。日本人性質的に無理なんだとか、そういう諦念をバズらせて思考感染させないでほしい。

2017-01-30

http://anond.hatelabo.jp/20170130183504

ああすげーよく分かる

例えば最低賃金レベルの時給出す、ってなったら

今いるPTAを熱心にやってる(自ら本部役員立候補するような)人も軒並み逃げ出すと思う

PTAを熱心にやるのって、大抵金もあり社会的地位も高くて子供教育にも熱心な方々なんだよね

そういう人は無償からこそやるわけで、「最低賃金でこき使われる」立場になりたがる訳がない

しか役員以外の人も、役員が「無償でやってくれる」うちは感謝尊敬の念で持って見るけど

最低賃金となったらもう侮蔑の目でしか見なくなるわけだ

「金払ってるんだから」と無茶をいうモンペが激増するのも容易に予想がつく

となると「最低賃金ですら必要なくらい貧しくて、かつ他の仕事に就けない」人の吹き溜まりとなる

相当のレベル低下が予想される、というかやって行けるのか?

それに裕福な人が多い地域ならそんな人は必要な人数存在しないだろう

逆に貧困地域なら争奪戦になるのかもしれないが

2017-01-28

腐女子が「ホモ」って言うのが嫌いなホモがここにいる件について。

http://anond.hatelabo.jp/20170127201528

腐女子であろうとなかろうと、腐女子ジャーゴンとしてホモを使う人がいる。現実ホモである私は、私に対する侮蔑表現を使う人だなって思い、残念な気持ちが胸のうちに広がる。私は過去さんざん「ホモみたい」「ホモが伝染るから近づくな」みたいな罵倒をされてきた人間なので、気軽にホモって使われるとビクッとなる。トラウマフラッシュバックするのをなんとか押さえ込む。

男性同性愛を指すのに、なぜ我々自ら使い出したゲイという言葉を使ってくれないのか。

侮蔑歴史にまみれたホモという言葉を、どうしてあんなに気軽に使えるのか。

理解に苦しむ日々を過ごしている。

2017-01-17

文学を知らなければ、どうやって人生想像するのだ(アニメか?)

懐かしい

君の名のヒット前だったんだな

あと3ヶ月、半年遅ければこんなコピー死んでも出せなかっただろうに

侮蔑する意図はないとかよく言うわ

たかれたらそりゃそう弁明せざるをえないだけってだけのくせに

ほんと原辰則

2017-01-15

盛大にブーメランを投げ合おう。

世の中には盛大にブーメランを投げている人間がなんと多いことだろう。

と思わないだろうか。

僕は思う

特に価値観の凝り固まった人間が、あるクラスタに対して批判をしているのは、聞くにも見るにも耐えない。

角度を変えれば簡単に跳ね返ってくることが理解できていないのだろうかと理解に苦しむ。

具体例を挙げよう。

僕はバンドマンアイドルオタク侮蔑しているのを目にしたことがある。

アラサーフリーターバンドマンアイドルオタクが抱いている幻想に対して現実をみろと発言していたのだ。

信じられるだろうか。

背後から超特大のブーメランが迫っていることに気付かずにブーメラン木材から作成しようとしているようなものである

さらにもうひとつブーメランをぶちこむ。

時事ネタ話題を振った際に自分には関係ないと言われたことがある。

ならばお前の話もだいたい僕には関係がないし、そもそもニュースや時事なんてだいたい直接的には関係がない。

雑談をする際、僕には関係のない話ですというのはご法度なのだ

ブーメランとして跳ね返ってくる。

からしたらお前の関係あると思っている話はお前の飼ってる猫や家族の話?

最近はじめた趣味の話?

ってなものだ。

まあ興味がありそうな話題を振るように努めることは大事だろう。

でもお前に関係ある話の大半が僕には関係なくて糞つまんねえけどな!

となる。

いかがだろうか。

馬鹿しかない。

こんなに不毛で低レベルブーメランの投げ合いが生じてしまう。

安い批判自分自身を安くする。

いま、僕もこうしてブーメランを投げた訳だが本エントリー趣旨はここにある。

なんか疲れたからもう気にしないでブーメランを投げ合おう。

今まで僕が気にしすぎていただけかも知れない。

これからは盛大にブーメランを投げよう。

ただし僕は愛のあるブーメランを投げることにする。

2017-01-07

クレーム処理】慰安婦像対抗措置に関連し、韓国メディア読んでて思うこと

今回の件に関しては、韓国メディア全体的に批判熱量が低い。

日本による従来にないほどの「強硬的な措置なのだから

いつも以上に憎悪をむき出しにした批判論調韓国メディア批判の口調はすごいです。朴大統領批判とかも)

を見るかと思ったのに、そうでもない。


日本過去には、さまざまな局面韓国に対して「譲歩的な措置」をとってきましたが、

そういうときのほうが韓国側批判は激しかったし日本への要求水位は高かった。

日本を罵り、侮蔑し、自分たちの優位を示すように上から目線説教しまくってました。

それを考えたら、今回の日本の「生意気対応」をもっともっと罵っても良さそうなものなんだけど。


それで、あれ、これクレーム処理に似てるな。と。

接客業で対面のクレーム処理やってた経験ちょっとあるんですけど。

すごく雑に分けると最初怒ってるお客さんには2パターン居て。


A.譲歩や誠意や説明を見せればスッと怒りを納めて申し訳なさそうにし始めるタイプ

B.原則強硬な顔であたるとフッと怒りが冷めておどおどしはじめるタイプ


別にお客さんのことを憎くはないけど(毎日やってるといちいち感情なんか反応しなくなる)

テクニックとしてそれぞれのパターン対応はありました。

これ、それぞれに合わない逆の対応をすると怒りに油注いで酷くなるんです。


何が言いたいのかというと、

韓国人達は、国民的に、Bなんじゃないのかなあ……と。

2017-01-04

職場の同僚に好きな女性がいました。私と同じ新卒入社女の子で、周りよりも落ち着いた雰囲気を持ち、それでも気持ち良く笑う、明るい女の子でした。

彼女と私はこれまで何があったというわけでもなく、ただただ同じフロアに机を並べ、仕事をし、たまにある同世代での飲み会では職場上司愚痴を言い合う、はたから見れば仲の良い同僚でしかありませんでした。

一度、一緒に外出する用事があり、二人ともそのまま直帰となった日、彼女からの誘いで夕食をご一緒したことがあります比較的早い時間、客先での用事を済ませ、二人で東西線に乗っているときのことでした。彼女から「疲れちゃいました。飲みに行きましょうよ。」と誘ってもらえたときは、電車内のこもった空気の息苦しさがたまらなくなり叫び出しそうになったほど、気持ちが高鳴ったことを覚えています。二人の乗り換えの駅となる飯田橋で降り、神楽坂の通りに面したお店で、二人でワインを飲みました。

彼女東京での生い立ち、学生時代の思い出などをひとしきり聞き、これまでずっと丁寧語だった彼女が、別れ際には「じゃあね」と言ってくれたことが、嬉しくてたまりませんでした。

同期の男から彼女が私の直属の上司不倫関係にあるらしいという噂話を聴いたのは、それからひと月ほど経った頃のことでした。

不倫という関係については、世の中で騒がれているニュースが時折耳に入ってくるという程度の印象しかなく、彼女のそんな噂話を聴いても、彼女に対する侮蔑の念は爪の先ほども起こりませんでした。

私はもう救いようもなく恋をしていました。

それからというもの、同じフロアに、彼女と、私の上司とがいる中で仕事をせねばならぬという状況が、いよいよ耐え難いものとなっていきました。

上司から仕事について指摘を受けるような場面があると、彼女の目が以前に増して気になって仕方がなく、上司の頭は頭に染み込まずただただ叱責を受けているということにパニックを起こしてしまいそうになりました。また上司を見返すつもりで取り組んだ仕事評価を得られたときには、必要以上に舞い上がってしまい、どうにも自身気持ち落ち着けられなくなってしまっておりました。

同期の男の指摘通り、上司が退社していくと数分後に彼女がいそいそと出ていく日が、少なくない頻度でありました。彼女が出ていったあと、残された(彼女意図して残していったというわけではもちろんありませんが)私は、残業どころではありませんでした。どこかのお店で以前神楽坂で飲んだ日のように、上司の前で酔っ払って顔を赤らめ、どこかの一室でスーツスカートの下に履いたストキングを降ろされている彼女想像するだけで、胸が引き裂ける想いでした。

私が何度となく想像した彼女の服の下、下着を取った彼女の白い身体丘陵、指を沈めるとそれを温かく受け入れるとろりと濡れた場所。そんな色々を今彼女差し出し、あの男は存分に堪能し、甘ったるい時間を過ごしているのだろうか。

そんな想像を、私は止める術を持ちませんでした。

想像力よ、お前は私に容赦をしない」

昔読んだ本にあったそんな一節を思い出したりしながら、進まない仕事を前にデスクで呆け、とがりきった自分気持ちがなんとか落ち着いたところを見計らい一人で退社する、そんな日々を過ごしていました。

しばらくはそんな毎日を過ごしていたのですが、彼女がある長い出張から帰ってきた頃から彼女らの関係に変化が見られるようになりました。

その出張の時期がきっかけであろうという自信はないのですが、ずっと見ていた私の目から見て、どうやらあの時期からであろうと思います。ある日、彼女がたいそうに目を晴らして出勤してきて、目に見えて元気のない日がありました。それから、示し合わせたかのように同じ時間に退社していく日もなくなり、同世代同士の飲み会でも彼女の出す話題には変化が見られ、また恋愛関係の話となったときに、少しだけ緊張がほぐれたような印象を、私は受け取りました。

彼女らの関係は終わったのだろうか。

そんな予感を少し感じるだけで、私の会社での生活も幾分平穏を取り戻してゆきました。

これから年末差し掛かる。またどこかで食事でもできないだろうか。

そこからまた始められないだろうか。

以前から、何が始まったというわけでもありませんでしたが、なぜだか私の心持ちはそんな風で、少し前向きなものとなっていました。

そんな頃、ある同僚の呼びかけで、同世代若者同士での忘年会企画されました。年末忘年会の重なる時期で、日程が仕事納めも終わった休業日にしか設定できず、集まったのは私と彼女含め数人での小さな飲み会となりました。

休みの日ということもあり、中目黒の外れにあるカフェバーに、開店とほぼ同時刻に入店しました。こじんまりとしたお店で、店員は二人しかおらず、客もまだ私たちグループだけのようでした。今時の洋楽が小さな音量で流れるこざっぱりとしたお店で、好感が持てたことを覚えています

最初飲み物の注文もそこそこに、彼女が手洗いに立ちました。その数分後、続いて私も尿意を感じトイレへと向かいました。そこは男女共有の個室で、その狭い部屋に入ってすぐに私が考えたことは、恥ずかしくも「つい先程彼女が使ったのだ」ということでした。私は立って用を足しながら視線を滑らせました。今は上げてあるこの便座に彼女腰掛け、ホルダーに設置してあるトイレットペーパー彼女は使ったのだ。誰にも覗かれることのない私のその思考は遠慮を知りませんでした。

ふと視線を下げた瞬間、私の心臓は一番の大きな伸縮をし、熱い血が全身へと駆け巡り、息が止まりました。サニタリーボックスが目に入ったのです。

まだ酔ってもいませんでしたが、頭に血がのぼった私は、躊躇うことをしませんでした。震える手をそれに伸ばし、つまみを持ち蓋をあけると、そこにはトイレットペーパーでくるめられたものが入っており、それを手に取り周りの紙を剥がすと、丸めテープで止められた紙ナプキンが入っていました。

私はそこで個室の鍵がかけられていることを確認し、便座に腰掛けゆっくりテープ剥がしました。これを開いて私はどうしようというのか、これまで見たこともない、血に染まったグロテスクものを見てしまっては、その衝撃が人生に大きな爪痕を残してしまうのではないか、そんな恐れのような感情が大きかったように思います。にもかかわらず、なぜ私は手を止めることができなかったのでしょうか。そのごわごわとした紙を開いてみると、少しの恐れとともに想像したような鮮血はなく、薄黄色に染まった濡れた箇所があるだけでした。

ショッキング赤色ではなかったことに安心すると、今度は自分の手中にあるそれがたまらなく愛おしいものに思えてきました。私はその濡れた箇所を自分の鼻と口とにつけ、息を吸い込みました。女性の秘部の香りが鼻孔を抜け、そこでしばらく止まった息を整えると、ゆっくりとその香りと味を味わいました。

そこからのことは、余り覚えておりません。このまま長居しては怪しまれてしまうと思い、それを元と同じように包んで箱へ戻し、自席へと戻りました。彼女とも二三言葉を交わしましたが、私の頭の中は先程の個室での光景で一杯でした。そんな上の空のまま宴も酣となり、会計を済ませ、次に会うのは年明けだね、良いお年をと言って、それぞれに別れました。

それからというもの、この年越しはあの紙ナプキンのことで頭が一杯なままでした。年始もろくに出かけることができず、自室のベッドに横たわり彼女彼女ナプキンのことを考えておりました。しかしながらいつまでもこうしているわけにもいかず、明日仕事始めとなります

明日出勤すると、新年の挨拶の飛び交う中彼女とも顔を合せます。おそらくその時も愚かな私は「もう月経は終わったのだろうか」などと考えてしまうのでしょう。

嗚呼、なんという2017年の始まりなのでしょうか。いっそこのままトイレットペーパーの芯にでもなってゴミ箱に放り投げられたい気分であります

2016-12-09

http://anond.hatelabo.jp/20161209111123

2016-12-06

ネットは見たいものだけ見ている方がいい

ネットばかり見てると「自分が見たいものしか見えなくなってくるから、あえて「自分が見たくないもの」を見るように心がけていた。

自分と考え方や主義主張属性が違う人たちの意見も極力目に入れるようにしていた。

そうしていたら、見たくもないような他人の醜い本音がどんどん見えるようになってしまった。

自分と違う人間をなぜ平気でそんなに侮蔑できるんだ。なぜ公開の場でそんなに偏見を丸出しにできるんだ。

人間の性、悪なり!その善なるものは偽なり!

心を病んだ。見たいものだけ見ていればよかった。

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