はてなキーワード: マグニチュードとは
http://manato-kumagai.hatenablog.jp/entry/2019/02/20/175730
私(女)は過去に不妊治療していて、旦那さんに精液検査受けてもらった。
よく女性向けの不妊治療レポなんかで、旦那さんがなかなか検査に乗り気じゃなく行ってくれない話を目にする。
不妊の原因が自分(男)にあるとは思ってない(不妊は女性に原因があると思われがち、卵子と精子が元になって受精卵となる訳なので、男性原因であることも多い。半々とはいかないまでも)あるいは、原因がもしあった=生殖能力がない事を突きつけられることの恐怖があるようだ、と私は認識している。
精液検査の部屋は、ブログに書かれていた通り、病院(クリニック)の小部屋にエロ本やらAVのDVDが置いてある事がほとんどみたいで、外観や受付が綺麗な病院でも、開業して10年とかやってるクリニックだと、精液検査部屋は割と改装後回しでボロかったりDVDが古めだったり、その部屋の備品でヌケる人は少なそう。
精液検査では、精液量、精子数、運動率なんかが分かるけど、その日の体調やコンディションで数値が結構異なると言われているので一回の検査の結果で一喜一憂するのはオススメできない。
また、うちの旦那さんの場合でいうと普通の精液検査では複数回やったけも結果は悪くなかった。
私側も特に原因なく、人工授精で何度かトライしたけど妊娠しないから体外受精にステップアップするにあたり、精液検査の精密なのをやってもらったら、精子奇形率が高くて男性原因だった、って事になった。
ということで、精液検査にも簡易的なのと精密なのがあるよ!って事を言いたかったのと、
女の人は不妊検査で何度も何度も病院通って、大事なところをぱっかーんして、時には痛い思いをしながら検査しているので、男の人は出したもので検査出来るのだから、ぜひ奥さんに検査受けてと言われたら、病院でオナるのは嫌かもしれないけど、是非協力してね!って話でした。
吹田市民です。
私のスペック。30代男性。大阪市内の会社に勤務。妻、30代、専業主婦。
自宅。築40年のマンション。古い。6階。
朝、いつもアラームは8時20分に設定している。(始業は10時なので、ゆっくりめ起床)
妻も既に起きていて、本能的に体を寄せ合う。
阪神大震災の時は、目覚めた時、既に揺れており、部屋が平行四辺形にグラグラ揺れていたのを覚えている。
違ったのは、振動の長さ。阪神大震災の時は1分ぐらい続いたと思うが、今回は15秒ぐらいで済んだ記憶がある。
震源に近かったせいか、緊急地震速報は、揺れの最中から鳴り出した。
玄関にいき、下履きを持ってきて、泥を払った上で、室内用として使用する。(ガラスや陶器が割れて散乱しているので)
ダイニングの食器棚が倒壊し、食器は約半分が使い物にならない。
書斎のPCモニター(24インチ液晶)が机から落ちていた。正常に動作するかどうかは、未検証。
書斎の本棚が倒壊し、再起不能なほどに壊れた。当然、中の本はすべて書斎内に散乱。
寝室は、引き出し式のクローゼットが私の寝床に倒れていた。すぐに飛び起きていなければ、頭直撃コースだったに違いない。
それ以外は深刻な被害はなかった。
続いて、風呂に水を貯める。ガスの元栓を閉じる。ベランダなど、すべての扉が開くかどうかをチェック→正常に開いたので、問題なし。
自分と妻のワイモバイル回線→音声通話は不可だったが、4Gは通信できた。
我が家は、基本的に必要なものしかストックしないという妻の方針のため、非常食になるようなものがない。
会社の上司に連絡。電車がいつ動くかわからないこと、部屋の中に割れた食器と家財道具が散乱していることを伝えると、出社しなくて良いとの連絡。
(家の惨状を写真に撮って送ったら、たいそう驚かれた。上司は京都に住んでいるので、ここまでひどくなかったのかもしれない)
確認したところ、こういうときに必要なものとしては、2リットルのミネラルウォーターが2本と、昨晩沸かしたお茶約1リットル弱しかない。
そこで、コンビニへ買い出しに行くことにした。
買ったものは、昼食の弁当×2、非常食相当のカップラーメン×2、朝食相当のカロリーメイト×1、紙パックのお茶1リットル とりあえず、夕方まではしのげる量の食料を確保。
自宅に戻り、午前中の間はテレビとネットで情報収集しつつ、下手に動いて余震にやられないよう、寝室で待機。
正午過ぎにお昼を食べて、そこから部屋の片付けを開始。
下履きを履きながら、室内の割れ物を回収していく。みかんのダンボール箱相当で、3箱分ぐらいの、ガラス・陶器の割れ物が発生。
細かい割れ物は新聞に包んで、特に営利で凶器になってしまいそうなものは、ガムテープとラップで養生してから、マンションのゴミ捨て場に捨てに行く。
同じような割れ物が、たくさん捨てられていた。
片付け作業中、1時間に1回ぐらいの割合で、テレビをつけて情報収集。私はずっとつけっぱなしにしたかったが、妻はこういう状況で災害の放送をずっとつけていると、精神的にもよくないと反対。
私も納得して、必要以上に情報に接しないよう心がけた。単純に、片付けにも集中できるという意味で、効果は高かったと思う。(私はテレビ見ながらの作業は、ついつい手がお留守になりがちなので)
5時になり、ライフラインの疑問が解決しないかと思い、マンションの管理室に行ってみる。
水道水がにごっていること、ガスを使っていいのか、この2点を尋ねに行った。
ガスは、一定の震度に達すると自動的にストップするので、再始動の手順がガスメーターに記載されていることを教えてもらった。
昨晩の残り物、白ごはん、ねぎ焼きが残っていたのでそれを電子レンジで温めて、惣菜といっしょに食べた。
室内の掃除はあらかた終わり、あとは細かい破片を取るために粘着ローラーをかけるだけとなった。
夜は、寝室とは別の、一番家具の少ない部屋で寝ることにした。
念の為、天吊の灯具は外した。寝るにしか使わない部屋なので、当面困ることもない。
翌日は普通に出勤するも、一部でJRが動いていないため、阪急で出社。30分の遅刻。
妻は、最後の片付けをしていたようだ。
一部の交通機関を除き、平常運転だったようだが、街の中には様々な傷跡がのこっていた。
マンションや駅のエレベーターは、軒並みストップ。点検して安全が確認されるまで封鎖。
公共施設の多くで、天井や壁に亀裂(クラック)が入っており、これも点検修理が終わるまでは近づかないよう、カラーコーンなどで規制線がはられている。
街ゆく車の中には、工事関係の車が目立った。かんでん○○とか、ガスサービスセンター○○といった、インフラ系関連会社や、
○○ビルテクノ・サービスといった、ビル管理系の車がよく目につく。
自分の会社の自席は奇跡的になにも倒壊していなかったが、いくつかのモニターは倒れていたようだ。
あと、うちの会社の部屋だけエアコンがついておらず、昨日今日と暑い中、汗をふきふき仕事をしている。
マスコミの報道内容とか、ヤフーニュースのトピックを見ていると、地震の扱いは過去の地震と比べて小さいように思う。
死者の数は1桁、翌日から通常営業できるようになったせいか、さほど深刻に受け止められていないように思うが、
実際に震源の近くで暮らしているものからすると、余震に怯えたり、想定外の後片づけに悩まされたりと、色々苦労をしている。
ただ、これだけの震度でありながら、犠牲者の数が少なく済んだのは、阪神大震災の経験が大きいと思う。
私は小学生の時に自宅で震度7を経験したが、揺れ方だけ見れば、あの時の悪夢と全く同じだった。
それにもかかわらず、倒壊損壊した建物、火災になった建物がわずかばかりであったのは、過去の教訓が行きていると思う。
当時幼いながらも、そのことで、人の生死なんて、いつどうなるかわかったもんじゃない、と感じた。
改めて今回思うのは、儚さだ。人の命もそうだし、割れた食器たちを拾い集めている時も、同じ気持ちを抱いた。
しかし、22年前と比べると、確実に社会は変わったと思う。もちろん、前向きな意味で。
マグニチュードや震度だけ見れば、当時より少し小規模だが、被害の規模は明らかに小さい。
建築物は、確実にあの時よりも丈夫になっている。
情報インフラも発達し、被害状況がほぼリアルタイムで分かるようになった。
色んな課題を抱えているこの社会だけど、耐震性というか、カウンターディザスタネスとでも言えばいいのか、
亡くなったクラスメイトの命も含め、過去震災や災害で命を落とした人々の尊い犠牲の上で、私達は日々暮らしているのだと実感した出来事だった。
いつまでスタンバッてればいいの..
1927年に発生した北丹後地震では本震発生後24日後にマグニチュード6以上の余震が起こっていたことがわかります。
本震発生から約4日後にマグにチュード6.1の余震が発生したほか、2週間以上経ってからもマグニチュード5.9の比較的規模の大きな余震が発生しています。
http://www.data.jma.go.jp/svd/eqev/data/aftershocks/kako_aftershock.html
今気象庁で詳細な情報を発表していて、震源地は大阪府茨木市の南東側、JR総持寺駅や茨木駅の市街地のある一帯。
当初の地震規模はマグニチュード5.9だったけど、6.1に修正された。
震度6弱の範囲は大阪市北区、高槻市、茨木市、枚方市、箕面市。大阪市北区については、あそこは元々地盤の弱い埋立地なので、本来は震度5強程度の揺れが6弱に増幅されたものと思われる。
今回地震のあった大阪北部は、1995年に起きた阪神大震災でも震度5強の強震に襲われた経験があるから、地震に強い街づくりをやっていたおかげか、家屋の倒壊などの被害は震度の割には大きくないのは幸いだったようだね。
ヤフーの産経ニュースによると、「有馬高槻断層の南端と上町断層の北端がクロスするあたりが震源と思われる」とのこと。
大阪平野や神戸市街地の縁に広がっている六甲山地や千里丘陵、北摂山地は断層運動によって生まれた地盤の圧縮帯なので、というよりは断層運動によって山そのものが出来た場所なので、元々地震の多い場所なのかもしれない。
高槻や枚方は、江戸時代から大坂と京都を結ぶ京街道の宿場町であり、現在は大阪のベッドタウンとして住宅化された地域。前述のように江戸時代から続く宿場町だったので、ベッドタウンの割には市内を通る道路の道幅が狭く、古い住宅が建ち並ぶエリア。火災の初期消火に失敗すると、延焼する危険性がある。
不謹慎な言い方かもしれないが、震源地が大阪都心部や堺市のような人口密集地帯で無かったのは不幸中の幸いだった。震源地がさらに大阪都心に近い場所で、M6.1だと更に被害が大きかった可能性がある。
当時は全教科とも80点は取れていたと思う。
生まれた都道府県と違うけれど、そこは誤差みたいなものとして。
5択ではなく、筆記で書かせる問題が多くて、しかも登場人物の心情を書かせたりで、難しいところがあった。
現代文はセンター試験よりも難しいくらいだと思ったが、自分がセンター試験を受けたのは遠い昔なので、なんともいえない。
現代文の文法問題を解きながら、現代文の文法は古文のそれに比べて難しいように感じた。
いまいち型にはまりきってないし、解説を読んでも解釈の余地があるような気がした。
古文はとてもやさしい。
図形に補助線を入れたりして、相似の三角形を見つけて、比を取って長さや面積を求める問題が全然解けなかった。
余弦定理を使って解けないかと思ったが、やっぱり相似を見つける必要があって、結局全然無理だった。
中央値や最頻値を計算させるなど、データ処理の基礎が問題になってたりするのが、昔とカリキュラムが違うんだろうなという感じを受けた。
みたいな問題があった。
地震速報が間に合わない理由を書かせるとか、やっぱり震災の影響ってこういうところにもあるんだなと実感。
生物の細胞の絵や模式図は、解くには問題ないが、ちょっと変で、中学校の授業大丈夫か?と感じた。
地図やグラフから読み取らせる問題が多かったりして、すっかり暗記科目だった高校の社会科よりも、SPIに近い感じで面白かった。
歴史の問題は、かなり易しかったが、その反面ちょっとどうかと思ったりした。
断片的に「~の改革」みたいなキーワードだけ覚えてもつまらないと思う。
歴史はある程度のボリュームを学ばないと、そうさせたダイナミズムを学ばないと楽しくないと思う。
これはかなり易しく感じた。
これも、単純に高校の授業が中学の上位互換だったからだと思う。
英文読解が、将来の夢だとか、未来の地球にむけてとか、夢のあるテーマなのが中学生らしくて、泣きそうになった。
簡単な文章で、こんな少ない語彙で、こんなにも人を感動させられるのかと思った。
全体を通してみて、思いのほか楽しかった。
高校の授業が中学の上位互換だった科目(古文、代数、英語)は、非常に易しく感じた半面、高校で選択科目になったような幾何や、地学は久々に解くとかなり疲労した。
何事も慣れなんだなと思った。
出来ないのではなくて、難しいのではなくて、慣れていないだけ。
努力すれば、人はなんでも出来るようになる。
それから、18歳選挙権や、地震についてかなりのボリュームが割かれてたのが、とてもよかった。
大学入試だと、多少の時事ネタはあるものの、これほどは割かれない。
あの時はわからなかったことが、今だとわかることもあった。
http://www.sankeibiz.jp/compliance/news/170616/cpc1706160300001-n1.htm
2017.6.16 03:00
南海トラフの海溝付近でプレート(岩板)境界が徐々に動く「ゆっくり滑り」を海洋研究開発機構などの国際チームが初めて観測した。想定される巨大地震の予測精度を向上させる重要な手掛かりになるという。16日付の米科学誌サイエンスに掲載される。
ゆっくり滑りはプレート境界が1日~数年かけてゆっくりずれる地殻変動。発生した場所では地震を起こすひずみが解消される一方、周囲の断層破壊を促して大地震の引き金になる可能性がある。
南海トラフではフィリピン海プレートが陸側プレートの下に沈み込み、境界部にある断層でマグニチュード(M)9・1の巨大地震が想定されている。ゆっくり滑りは断層の深部で発生が確認されていたが、海溝付近の浅い場所は観測が難しく未解明だった。
地球深部探査船「ちきゅう」が紀伊半島沖の海溝付近を掘削し、チームが観測機器を設置。平成23~28年のデータと海底地震の記録を分析した。その結果、ゆっくり滑りが8~15カ月間隔で発生し、境界部に蓄積するひずみの30~55%を解放したことを突き止めた。
"21世紀における金融政策” (教科書、2062年出版)より
2012年の安倍自民党政権成立後、日本銀行は金融政策実施に当たって政府との連携を強め、年率2%のインフレ実現を目標に掲げて、「異次元緩和」と呼ばれる大胆な金融緩和策を実施した。
2013年以降、日銀は国債とETF(指数連動型上場投資信託)を最初毎年50兆円、そして80兆円づつ買い続けた。さらに2016年には「マイナス金利」政策を導入し、イールドカーブの人為的な操作にも手を染めた。
それらの結果、2018年4月時点で、日銀の国債保有割合は発行済総額の5割に達し、ETF総額に占める日銀の保有割合も8割に達していた。
にもかかわらず、日銀はまだ2%のインフレターゲットに達成することができなかった。2017年の物価上昇率はわずか0.3%であった。
「もう買うものがない。」というのが2018年度を迎えた日銀にとって最大の問題であった。
市場に流通している国債が極端に少なくなっていく中で、日銀による国債の買入れオペを拒否する金融機関が出始めていた。
2018年4月に黒田前総裁の後を承けて就任した石黒玄総裁への圧力が高まっていた。
そんな中、同年5月中旬、日本の基幹産業である自動車産業の雄トヨタ自動車が本社を置き、日本のみならず世界有数のものづくり拠点でもある愛知県において、マグニチュード8を超える巨大地震が発生した。
地震発生から24時間以内に、東京、ニューヨーク、ロンドンなど、世界の為替市場で、円が対ドルで110円から130円まで一気に下落した。それまで「安全逃避先資産」とされ、発生地が日本であろうが、世界のどこかで危機が起こったときに大量に買われていた円が、初めて売り浴びせられ、暴落したのである。
日本政府はすぐ復興債を財源とした大型補正予算を発表したが、それまで毎年のように編成されていた補正予算に景気浮揚効果はなく、補正以外にこれといった対策を講じることの出来ない政府の経済政策への期待はもはや皆無であった。日銀による緊急対応を求める強い声が経済界からが発せされた。
就任直後から厳しい立場に置かれていた石黒総裁は、この期を逃さずに早速手を打った。
日銀は5月26、27日に緊急の政策決定会合を開催し、政府が発行する復興債を直接全額購入することを発表した。同時に、それまで手を出さなかった「実物資産」についても買い始める、という新しい政策枠組みを発表した。
日銀による芸術作品買入れ(「芸術作品買い入れオペ」と呼ばれた)の枠組みは、以下の通りであった。
① 政策発表から2週間後、日本国籍を保有している者は誰でも、その保有する芸術作品・骨董品を日銀に売ることができる。日銀は適切な判断に基づいて値段を決めて現金で購入する。売却は一人一年に一回のみだが、複数のアイテムを同時に売却することは可能とする。
② 高齢世代(先の世代)が書画や陶器など多くの伝統的芸術資産を保有している一方、若い世代はそのような伝統的芸術資産を保有していない。そこで、芸術資産を持っていない個人・家庭からは、手作り芸術作品や新たなカテゴリーの芸術作品を購入することとする。
③ 日銀は、都道府県ごとに購入した芸術作品を展示するための「アートスペース」を設置し、購入した芸術作品を一般に公開展示する。入館料は大人500円。障害者・12才未満の子供は無料。展示会の収入は全額震災復興に寄付する。
④ 芸術作品買入れオペは、年度単位で行う。即ち、オペ開始から一年後、日銀は購入した芸術作品をすべて焼却する。焼却は一般市民の参加による「焼却式」によって行う。この式の参加費は500円。焼却式後、日銀は改めて次年度の「芸術作品買入れオペ」を開始する。
⑤ インフレが安定的に2%を超える状態が達成されるまで日銀は芸術作品買入れオペを続ける。
この日銀の新しい枠組みは、2000年代後半の世界金融危機後に欧米中央銀行に採用された金融政策とは根本的な断絶を表すものであった。
伝統的な金融緩和の波及経路は主に金利だと思われていた。即ち、中央銀行が金融機関から国債などを買うことによって、銀行は貸出金利を下げることができ、その結果、個人や法人への貸し出しが容易となり、市中に資金が提供される。
他方、日銀の新しい政策枠組みは、金融機関を通さずに直接個人から資産を買うことによって市中に資金を提供する、というものであり、かつ、購入した資産は定期的に廃棄、拙い手作り芸術作品には事実上セカンダリー市場が皆無であったから、定期的に保有資産が消滅していくこの新しい政策には出口がないと日銀が暗黙に宣言したも同然であった。 実際日銀は、新しい枠組みによって増えたマネタリーベースはそのまま放置するつもりであった。
日銀がなぜ国民に直接現金を配らず、敢えて「資産」を買ったのが当時批判されたが、数年後に発表された決定会合の議事録によると政策委員は現金配布という手法に対して懐疑的だったことが明らかになった。
景気が改善しても現金配布ー現金のばらまきーをやめることは政治的に極めて困難、事実上やめられないのではないか、と過半数の政策委員が懸念を示した。資産を買って現金を渡すという仕組みにすれば、国民の芸術的衝動や芸術資産がいつか枯渇されるため日銀はスムーズにテーパーリングできる、と多くの政策委員が考えたのである。
発表から2週間後、全国日銀支店や郵便局でこの「芸術作品買入れオペ」が始まった。当時の記事と日銀の統計によると、最初は書画や陶器など骨董品の買入れが多かった。遊び心のある作品も少なくなかった。毎日新聞の記事によると、男性がお尻と手を会社のコピー機でコピーをとって印刷したものを、日銀が20万円で買い取った。鴻海シャープ株式会社の社員が割り箸で作った家電が1億円で買い入れられ、日本経済新聞の一面に載った。
しかし、買入れオペが始まってすぐ深刻な問題が起こった。日銀の「芸術」の定義があいまいすぎていた。メディアによると、砲身に「金融政策」と大書した張り子のバズーカ砲が日銀に買い取りを拒否された。女性器の形をしたティッシュ箱も断られた。
芸術の知識を持っていない中央銀行が芸術の価値を判断するのはどうか、とアーティストや学者からの批判が強まった。村上春樹が特別記者会見を開き、中央銀行に芸術を売るな、と国民に強く促した。
買入れオペへの参加が低迷した。日銀がオペ開始から半年の時点で行った全国調査によると、日本人のたった1割がしかこのオペに参加していないことがわかった。同調査によると、60歳以上の世代は代々家に受け継がれてきた「家宝」を売ることを躊躇し、若い世代は仕事や育児で忙しく芸術を作る暇がなかった。さらに総じて見れば、日本人はあまり芸術作品を売ったり買ったりすることに興味がなかった。芸術を実物資産として考える人たちはそれほど多くはなかったのである。
市場では、震災直後の暴落から回復した円がドルに対して日々高くなっていた。景気は引き続き低迷し、むしろ後退に直面していた。行き場のない資金が市場を彷徨する一方で、日銀は微妙に価値のある大量の芸術作品を保有していた。
もはや日銀は政策の失敗から自力で立ち直れないと判断した石黒総裁は、善後策を安倍総理に相談した。
しかしながら、政府もまた、残された対策は補正予算の早期執行と復興債の日銀直接引き受け位しかなく、為替市場に対しても株式市場に対してもコントロール能力を失っていた。
あたりまくりだな
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13日09時42分頃地震がありました。
震源地は千葉県北西部(北緯35.7度、東経140.1度)で、
震源の深さは約70km、地震の規模(マグニチュード)は3.5と推定されます。
各地の震度は次の通りです。
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13日06時07分頃地震がありました。
震源地は青森県東方沖(北緯41.3度、東経141.6度)で、
震源の深さは約120km、地震の規模(マグニチュード)は3.5と推定されます。
各地の震度は次の通りです。
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13日04時29分頃地震がありました。
震源の深さは約50km、地震の規模(マグニチュード)は3.7と推定されます。
各地の震度は次の通りです。
茨城県 震度2 日立市助川小学校* 笠間市石井* 東海村東海*
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震源の深さは約40km、地震の規模(マグニチュード)は3.9と推定されます。
各地の震度は次の通りです。