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はてなキーワード: マグニチュードとは

2014-07-12

東日本大震災を振り返って

先日、クリエーター系の友人と東日本大震災が与えた影響について話した。影響と言っても創作界隈に関する話に限ってだ。

一応、立場を明かしておくと僕ら二人はどちらも震災による被害(計画停電を含め)は全く受けない地域にいた日本人だ。

友人曰く「311」がクリエーター精神に与えた影響は凄く大きくて、震災前、震災後で明らかに作風が変わってくるであろうし、時代を分けるべきだ、とまで言っていた。

友人の言うところによると、震災津波原発事故はまさしく震災前に想像された世界の終わりであって、SF作品が書いてきたものだった。しかし、現実には世界は終わらなかったし、被災地以外では何一つ変わらない日常が続けられていた。そのことでSF作家というのは衝撃を受け、あの程度で世界は終わらない、と彼らが描く未来というのは決定的に変化してしまった……、まあそのようなことを言っていた。

その友人は震災というのを大きく受け取っていて、震災の当日や原発爆発の映像、連日の報道は「世界の終わり」に感じられたそうだ。津波動画を見て涙を流した、と言っていた。

僕はまったく逆で、震災を小さく受け取っていた。友人の前ではそれに同調するように悲しいことだったよね、怖かったよね、と僕は言っていたけれど、内心は違った。僕はあの大震災ドラマを見ていた。僕にとって震災エンターテイメントだった。最高に楽しく、ドキドキとわくわくの非日常提供してくれる見世物にすぎなかった。世界の終わりなんて微塵も感じなかった。次の日も普通に日常が続いてたからね。動画を見て涙を流すという感覚が分からなかった。当事者以外にとっては対岸の火事だろうと思った。まぁ、こういうのはサッカーの日本代表が負けて泣いちゃう感覚と似ているんだろうと思う。僕の友人はそういうスポーツとかに感情移入するタイプだったから。僕にはスポーツを見てるだけの面白さがわからないので、津波動画で涙する感覚もわからなかったけど。

初日津波が全てを洗い流したところに言い知れない高揚を覚え、原発が爆発している動画を見て思わず破顔した、これからこの国がどうなっていくのだろう、という期待感があった。ネットお祭り騒ぎで、日本中がニュースにかじりついて浮き立っていた。その雰囲気を楽しみながら僕は極めて健全コンテンツを消費していた。それには、どうせ僕には関係ないという、あくまで観客としての視点があった。僕と友人は被災地はいなかったという環境は同じにも関わらず、こうも受け取るものが違っていた。友人はどこまでも日本人としての当事者意識があったのかもしれない。僕には日本の遠い一地域であった非日常な、それも歴史的にも珍しい10単位しか見れないだろうというようなビッグイベントとして見ていた。

その後は日本人政府による茶番劇が始まって、この国はもう根本的なところで駄目になっているんだなとせせら笑って、楽しんでいた。そしてこのつまらない日常が帰ってきた。残ったのは日本という国に対する絶望だけだった。そういう意味で、震災は確かに影響があったかもしれない。直接的な影響なんてせいぜいFPS水浸しステージが増えたぐらいにしか感じられなかった。

震災エンタメだったなんて言えば、人格を疑われるだろうからきっと言えないし、おそらくこのような考えを描いた創作物というのは10年経っても出てこないだろう。僕も自分作品の中でこんな話はおそらく持ち出さないだろう。クリエーターの端くれとして、この感情創作に取り入れたい、面白いとは思っているけれど、絶対に世に出せないだろうし、出しても正義感の強い方たちに袋叩きにされてひどい目に遭うだろう。それどころか、少なくとも2011年から5年ぐらいは震災を『ネタ』((題材、あるいはインスピレーション元ネタ、設定の一部としての利用、様々な意味で))にしたエンタメ作品ルポや感動の復興物語!以外の作品)というのは不謹慎だというので作られないだろう。だから、友人にはそのようなことは一切言えなかった。僕は情の深いふりをして、この場面に僕も胸が引き裂かれるようだったと言った。

創作に携わっていた人間なら、あるいはもっと広く、コンテンツ提供している人間であれば誰しもが、あの震災ネタになると確信したに違いない。現にどこかのアフィサイト管理人だかが上手いこと震災お金儲けしていたし、投資家会社員だって、あの震災を利用しておいしい思いをした人は多いはずだ。とあるポンプ会社社員は、震災復興需要で業績もいいよと嬉しそうに僕に語ってくれた。あの一大イベントに皆が興奮していた。メディア関係者視聴率ニコニコして、震災報道するとき歴史に残るような大きな出来事に携わり、自分業界に入った理由を思い出しながら、使命感と臨場感、そしてちょっぴりゲスな気持ちでわくわくしていたはずだ。東北を救おうと盛り上がっていた皆が、日本の団結するときだと、あの雰囲気に、非日常に酔っていたに違いない。不謹慎ネタネットに書き込み、他方でニコ生電気をつけてる配信者電気消せ、pc消せ不謹慎だろ、と書き込んでみたり、そうやって楽しんでいたはずだ。

僕はあの震災で絆だ、不謹慎だなどと喚き散らしたこの国の人々にもう何の愛着も沸いていない。元からそんなものはなかった。愛国心愛郷心なんて一度も持ったことはなかった。これは僕だけじゃないはずだ。

さあ、もう一度、来てくれ。今度はこの国を吹き飛ばすぐらいに大きな地震を僕は待っている。

滅ぼそうぜ、世界

ブコメ返しとかしたことないので勝手がよくわからないんですが、いくつか返事しておきます

  • マジギレしてる人

あなた正義感の強い人で、僕は確かに間違っているかもしれませんが、死ねとか言ったり人格否定するのはやめてください。上でも書きましたが人前では常識的対応をしてます事件現場写メとかとりません。たぶん、この人たちと僕は理解しあえないんだなぁと思いました。

この国が吹き飛ぶぐらいの地震が来たら僕も喜んで巻き込まれますよ。もちろん、被害に遭ったときは泣き叫ぶかもしれないし、恐怖に震えるかもしれません、でもそれは僕が自殺願望を持っていたとしても、殴られれば泣いてしまうし、ナイフで脅されれば怖くて動けなくなるのと同じことなんです。実際に遭遇したときの反応と、願望は全く別のところにあると思います。夢を見すぎているかもしれませんが、全てが崩壊した退廃的な光景というのを生で見てみたい、この国なり、世界が滅びる瞬間が見たいっていうのは、現実的かどうかは置いておいて、多少願ってる人もいるんじゃないかなぁ、と思っていたんですけど、世界滅ぼそうという賛同全然得られなかったのでした。

僕一人じゃなくてよかったーと思いました。

今後の参考にさせていただきます。皆様のクリエイティブ人生を心よりお祈りしております

911に触れてる方、鋭いです。残響のテロルを見終えた後、911ネタにするなとマジギレしてる人を見て、創作に使って何が悪いと思ったのが、この記事の発端です。阪神淡路大震災エンタメ創作物でたまに見かけるのに、東日本大震災ネタになってはいけないのはなぜか、とか事件はいからネタにされてよいのか、東京マグニチュード震災後、自粛され扱いが変わったこと、ピングドラムモチーフサリン酒鬼薔薇なんかを使っているが好意的に受け止められていたことなどを友人と話しているうちに3.11創作に与えた影響という話に辿り着きました。

ほんとは個別で拾ってみたいブコメもあったのですが、慣れてない上に長くなりそうだったのでこのへんで。

2014-05-09

東森美和さんに謝罪要求する理由が解らない

いやマジで解らない。解る人教えて欲しい。

起きてること

5月5日早朝に震源の深さ約160km、マグニチュード6.2の地震が発生。

NHK都内の様子を中継するために表参道を映したところ、ちょうどそこにいた女性が「地震なんかないよ」とカメラに向かって発言し、路上煙草を吸って、一緒にいた男性とチューしたらしい。

その女性タレント東森美和さんだったということで、本人がブログ5月5日早朝に起こった地震のNHK地震速報の件についてというエントリをあげたところ、コメント欄は「謝罪しろ!」の大合唱

お祭り騒ぎにかこつけて、ただ叩いている人も多いと思うけど、真剣謝罪を求めてる人もいそう。いったい何がどうなると謝罪を求めたくなるのか。

メディア仕事をする人が、あの発言はなんだ」という人

あんた芸能人なの。もしくは芸能批評家かなんか?

芸能人たるもの、公でもプライベートでもメディアにのときは、発言に気をつけねばならない」とか「うかつな発言するとこの頃はネットですぐ叩かれるから気を付けないとね」というのは、芸能界の先輩が後輩に諭す事柄だよね。

それをなんで一介の素人が偉そうにその道のプロに言ってんだろ。しかも「だから謝罪しろだって

被災者の気持ちを考えたことがあるのか」という人

おまえ被災者なのか。そうでないならなに勝手に代弁してんだよ。

まあそれはさておき。「地震なんかないよ」と言ったら被災者の気持ちを踏みにじってることになるの? ここが解らん。

休日明けの表参道で一晩飲み明かしたであろう酔っぱらいが「地震なんかないよ」と言ってたら「これは表参道は大した被害なさそうだな」となるだけだと思うけど。

売名行為やめろ」という人

これは、まあ、解る。

地震中継でやるのはやめろよ。ズームイン朝の中継の後ろでピースするぐらいにしとけ」ってことだよね。

まあ、ただ、あれ売名行為でやってるようには見えないな。「いや、あれは売名行為としてやってるよ」って思ってる人いたら、どうしてそう思うのか教えて。

しろ謝罪するのは・・・

NHKなんじゃねえの。

人のプライベート勝手に全国に流して、そのために一人のタレントがぼこぼこに叩かれてる。

あの中継で東森さん達を映す必要はなかったし、「地震なんかないよ」の発言のあとですぐにカメラの向きを変えても良かったはず。

もし「面白そうだから撮っとこ」と思ってカメラを向けたなら、それこそ糾弾されるべきでしょう。

「我社のプライバシーへの配慮に欠ける報道により東森さんにご迷惑を掛ける事態となり大変申し訳ない」と釈明会見すべきじゃないか。

まあ、それやったら街中の様子を映すニュース映像が使えなくなっちゃうからNHKはやらないと思うけどね。

僕は何をしていたか

地震で目は覚めて「大きいな」とは思ったけど、揺れの続く時間全然短かったし「大したことないな」とそのまま寝てた。

地震でなんらかの被害がでるのは震度6超えてからだね。今回はとてもそこまでいく感じじゃなかった。

それを「震度5弱!!!」と大騒ぎしてみたり。しか大手町の一部だけで、あとは震度4以下でしょ。まあ普通にちょっと大きな地震だな。

それなのに大騒ぎする人を見るとね「震度5弱でガタガタ言うなよ!」という気分だった。だから東森さんの「地震なんかないよ」発言は寧ろスカッとしたね。

じゃあ、そういうことで

東森美和さんにどうして謝罪を求めるのか理由が解る人教えてね。

はてな民には真剣謝罪を求めてる人は少なそうだから、あんまり理由が集まらないかも知れないけど、それでも少しでも良いから意見聞きたいです。

2013-09-08

2020年6月ぐらいに

東京湾震源とする、マグニチュード10地震がおきるかもしれないというのに、

みんなよくそんなにのん気にしていられるよね。

それがなかったとしても、7月から8月上旬にかけての、日本殺人的な暑さをナメてはいけない。

今年の夏に甲子園の件で燃えがったところではないか

室内競技はともかく、屋外競技をその時期にやるのは狂気の沙汰だということを。

あと今回はっきり分かったことは、やはりみんな放射能よりも実弾の方が怖いということ。

放射能がどうのこうのといったところで、やはり実弾の怖さにはかなわないという事だと思う。

東京実弾に当たることはまずないからね。

とにかくあと7年あるから、反対派の人はなんとか会社家族を説得して、東京なり日本なりを出ていく準備をすることだね。

2013-08-08

http://anond.hatelabo.jp/20130808205010

誤報と言うよりはシステム上の問題なのではと思ってる。

 

場所からして、地震計測系のごく近距離で地すべりとか類似の事象が起きたのを、地中で起きたと勘違いしてマグニチュードの計測を誤ったとかなのでは?

だとすると、マギシステムじゃないけど、複数の計測の結果をマージして1つの異常があっても弾けるシステムになってなかったことが問題で

もしそうなら、なんでそんな根本的なことが・・・とはおもう。

 

そこまで、基礎的じゃないにしろシステムの問題では?

2012-10-26

Pocket Planes 都市解説日本語

アフリカ

Al Fashir
エル・ファシールは、周辺地域でつくられた穀物や果物を供給する農業市場です。
Algiers
アルジェは、海から迫り上がるように建てられた白く輝く建築群のために、別名「白のアルジェ」と呼ばれています。
Bamako
バマコという名前はバンバラ語で「ワニの河」を意味する言葉に由来しています。
Beira
ベイラは、ジンバブエ、マラウィ、ザンビアなど南アフリカ諸国が輸出入を行う、古くからの主要な交易地です。
Benghazi
ベンガジの地は、2011年のリビア内戦で転換点となりました。
Cairo
カイロは、スフィンクス像やギザのピラミッドに近いことから、古代エジプトとも関係が深い都市です。
Cape Town
ケープ・タウンは、東アフリカインド、極東への供給基地として、オランダ東インド会社によって開発された都市です。
Casablanca
カサブランカ港は世界でもっとも大きな人工港の一つで、モロッコの経済、ビジネスの中心とされています。
Dakar
ダカールは、かの有名なダカールラリーの終着点でした。
Djibouti
異国情緒あふれる建築群が立ちならぶジブチは、「紅海におけるフランスの香港」と呼ばれてきました。
Durban
ダーバン市の有名な海浜地帯は、ゴールデンマイル、あるいは日常的に「マイル」という名前で呼ばれています。
Harare
ハラレ(1982年以前はサリスベリー)は、ジンバブエ最大の都市であり、首都でもあります。
In Salah
サラという名前は「よい泉」という意味の言葉に由来していますが、イン・サラの水はむしろ悪質で塩辛いことで知られています。
Johannesburg
ヨハネスブルグは世界の輝かしい首都であると主張していますが、その栄冠を主張する都市は他にもあります。
Juba
(Wiki のリンク先がムンバイになっています)
Kaduna
カドゥナのシンボルは、現地ハウサ語でカダと呼ばれるワニです。
Kampala
ブガンダのカバカ(王)、ムテサ・イは、やがてカンパラと呼ばれるようになるこの地域をお気に入りの狩り場としていました。
Kananga
カナンガとは「平和と愛の場所」という意味です。植民地時代以前は、領土問題を解決する条約の制定会議のために首長たちがここに集まったためです。
Khartoum
(Wiki のリンク先が長崎になっています)
Kinshasa
キンシャサは、コンゴ川リビングストン滝上流において航行可能な、初めての港として建設されました。
Kisangani
サンガニは、コンゴ密林地帯最大の都市です。
Lagos
ラゴスは、小川に隔てられた、ラゴス潟湖の南西口を縁取る島々に生まれた大都市です。
Lilongwe
リロングウェにはたくさんのヨーロッパ人と南アフリカ人が住んでおり、多くの国際支援機関がここを本拠地にしています。
Livingstone
リビングストンは、巨大で美しいビクトリア滝の水源地です。またの名をモシ・オア・ツニャ、「雷鳴轟く煙」という意味です。
Lobito
ロビトは、アフリカで最も良質な天然港を利用するために、ポルトガルマリア二世の命令で1843年に建設されました。
Mahajanga
マハジャンガは、美しい浜辺、ココナッツの木が並ぶ遊歩道を備え、そして雨のふらない晴れ間が8ヶ月続く、人気の観光地です。
Mogadishu
モガディシュは、インド洋沿岸のベナディール地方にあり、数世紀にわたって重要な港として機能してきました。
Mombasa
モンバサは、近代において香辛料、黄金、象牙貿易の重要な中心地でした。
Monrovia
1822年に建設されたモンロビアの名前は、リベリア植民地化の突出した支援者であった合衆国大統領ジェームズ・モンローにちなんで名付けられました。
Nairobi
ナイロビ国立公園にはライオンキリン、クロサイなどたくさんの動物がおり、また400種以上の鳥たちの繁殖地にもなっています。
Port Elizabeth
ポート・エリザベスにある聖ジョージ公園のクリケット競技場は、オーストラリアイングランド以外の地で練習試合が開かれた最初の会場です。
Port Sudan
ポート・スーダンは、紅海からナイル川までを繋ぐ鉄道の終着駅として、1909年イギリスによって建設されました。
Timbuktu
ティンブクトゥはサハラ砂漠の南の端にあります。砂丘に囲まれ、道路は砂で覆われています。
Tripoli
トリポリは、そのターコイズブルーの海と白亜の建物で、情緒を込めて地中海の人魚と呼ばれています。
Windhoek
ナミビア大学、ナミビアで唯一の劇場、中央省庁本庁舎、また主要なメディア金融機関はすべてウィンドフックにあります。
Zanzibar
ザンジバルの主要産業は香辛料、ラフィア椰子と観光業です。特に島嶼部では、クローブナツメグシナモン、胡椒を産出しています。

アジア

Aden
アデンは、1937年までイギリスインドの一部として統治され、アデン居留地として知られていました。
Ahmedabad
アフマダバードは、20世紀前半におけるインド独立運動の最前線でした。
Anadyr
アナディリは、ロシア東端の街であると同時に、ロシア極東地方にとって重要な港と空港になっています。
Baghdad
チグリス川沿岸に位置するバグダードの街は8世紀に成立し、アッバース朝の首都となりました。
Bangalore
バンガロールは庭園都市とも呼ばれ、かつては隠居生活天国と呼ばれていました。
Bangkok
バンコクでは、夜の繁華街に加えて文化的建造物やアトラクション異国情緒を醸し出しています。
Beijing
北京首都国際空港は、世界で二番めに多い利用者でごった返す空港です。
Butwal
ブトワールは、西ネバールカトマンズ都心を繋ぐ主要な玄関口です。
Cebu
セブでもっとも有名なランドマークマゼラン十字架です。1521年に、フェルディナンド・マゼランが鋳造したと言われています。
Chengdu
成都には、世界的に有名なジャイアントパンダ生育研究所が設立されています。
Delhi
ニューデリーの設立記念碑は、英国王ジョージ5世とマリー妃によって1911年12月15日キングスウェイキャンプに定礎されました。
Dhaka
ダッカの街では毎日40万台の自転車リキシャが走り回っており、世界一のリキシャの首都として知られています。
Guangzhou
1514年、欧州人として初めて広州にたどり着いたポルトガル人は、遠隔貿易の独占権を確立しました。
Hanoi
ベトナムの首都ハノイは、2010年、公式に建設から1000年を迎えました。
Harbin
ハルピン国際雪祭りは、世界四大雪祭りの一つです。
Hong Kong
香港は、1997年に中国が統治権を取り戻すまで、大英帝国植民地となっていました。
Hyderabad
ハイデラバードは、トリウッドとして有名なテレグの映画産業の中心地です。
Istanbul
今はイスタンブールです。コンスタンチノープルではありません。
Jakarta
ジャカルタは、別名ビッグドリアンといいます。ビッグアップルと呼ばれるニューヨーク市インドネシア版と目されているためです。
Jerusalem
イェルサレムは、三つのアブラハムの宗教、ユダヤ教キリスト教イスラム教の聖地です。
Kabul
カブールは3500年の歴史を持っています。交易路に位置するその立地の戦略性のために、多くの帝国がカブールの谷を巡って戦ってきました。
Kandahar
カンダハール地方は、高級フルーツ、特にザクロブドウの産地です。
Karachi
カラチは、南アジアと広域イスラム世界における高等教育の中心地です。
Kolkata
かつては英語綴りの Calcutta が正式名称でしたが、ベンガル語の発音にあわせるため2001年に Kolkata に変更されました。
Kuching
クチンはブルネイ首長国の一部でしたが、1841年に、英国人冒険家ジェイムズブルックの個人王国として割譲されました。
Kuwait City
1936年の油田発見によって、衛生、教育サービスなどクウェート市の生活水準は劇的に向上しました。
Lhasa
ラサは、ポタラ宮、ヨハン寺院やノルブリンカ宮殿など、チベット仏教の強い文化的特徴をもつ土地です。
Magadan
マガダン経済の主な収入源は、金鉱業と漁業です。
Manila
マニラは、1平方キロメートルあたり43,079人が住む、世界一人口密集率が高い都市です。
Mumbai
かつてボンベイとして知られたムンバイは、インドで1番、また世界では4番めに人口が多い都市です。
Muscat
マスカットは、アラビア海オマーン湾岸、戦略地であるホルムズ海峡の近くに位置しています。
Nagasaki
1945年8月9日、長崎はアメリカによる2度目の原爆攻撃の標的になりました。
Nanping
南平を取り囲む高い城壁は、古代に敵襲に備える防壁としてつくられ、砲撃を防ぐために使われました。
Norilsk
リリスク、タルナクのニッケル鉱床は、世界最大のニッケル、銅、パラジウム鉱床です。
Novosibirsk
ノボシビルスクは、モスクワサンクトペテルブルグに続いてロシアで3番めに人口が多く、アジアンロシアでは最大の都市です。
Osaka
大阪では、大阪湾湾岸にある人工島につくられた関西国際空港が営業しています。
Padang
(Wiki 記載の英文が他の街のものになっているような…。)パダンは、平均年間降水量が4,300ミリで、インドネシアでもっとも湿度の高い都市の一つです。
Palu
パルの主婦業は、木材彫刻、木材加工、編み物、さらにカゴづくりや敷物づくりを含みます。
Pevek
20世紀を通してソ連に錫、ウラニウムを供給したペヴェクの労働者は、強制労働制度による囚人たちでした。
Port Moresby
1975年9月、パプワニューギニアはポート・モレスビーを首都として独立しました。
Rangoon
ラングーンの下町は、緑に包まれた通りと、デカダン調の建築物で知られています。
Riyadh
サウジアラビアの首都として、リヤド南アジアイエメンスーダンなどの出身の住民も住む多様性のある都市です。
Sapporo
札幌は、サッポロビールと、有名なホワイトチョコビスケット、白い恋人の地元です。
Sendai
2011年3月、マグニチュード9.0の地震とそれに続く大規模な津波が仙台を襲い、深刻な災害を引き起こしました。
Seoul
ソウルは、世界でもっともインターネット接続率が高い都市です。全人口の半分以上がブロードバンド接続を活用しています。
Shanghai
上海は、人口において中国、世界でもっとも大きな都市です。
Shenyang
瀋陽は、中国東北地方における主に日本、ロシア、朝鮮との交通、商業の中心地です。
Singapore
シンガポールは、シンガポール島、またの名をプラウ・ウジョン島として有名な本島を含む63の島々で構成されています。
Taipei
台北101は、101階建ての超高層ビルで、完成時には世界で一番高い建物でした。今は2番めです。
Tehran
イランはその歴史上、何度も遷都をおこなってきました。テヘランイラン国家の首都として32番めになります。
Tiksi
ティクシの冬はとても寒く、11月から2月まで、気温はずっと氷点下です。
Tokyo
東京は日本の首都で、世界最大の都市です。ゴジラなどの巨大怪獣に定期的に破壊されます。
Ulan Bator
ウランバートルは、1639年に遊牧民仏教修行の中心地として建設されました。1778年に、現在の位置に恒久的に落ち着きました。
Urumqi
中国西域最大の都市ウルムチは、世界一海から遠い都市の記録を保持しています。
Vladivostok
ウラジオストクロシア太平洋艦隊の母港であり、太平洋におけるロシア最大の港です。
Xi'an
秦始皇帝陵と兵馬俑は、西安郊外にあります。
Xining
西寧は、夏の涼しさから中国避暑地の首都とも呼ばれてきました。
Yakutsk
ヤクーツクは、1880年から1890年代に金やそのほかの鉱物の大規模な埋蔵が発見されて以降、都市として発展しました。
Yinchuan
銀川は、周辺草原地帯の遊牧民が飼う家畜の群れから生産される動物製品を取り扱っています。

2012-02-03

琉球大学木村政昭名誉教授地震予測

木村政昭氏の地震予測一部の人が知って偉く驚いてるようだけど、なんか過剰評価にしか見えないので。

まともに素人向けに検証したサイトないの?

TwitLonger — When you talk too much for Twitter

ざっとネットで調べても、どうも木村政昭氏の地震の目理論というのがよくわからないんだけど。ちゃんと見るものを見ればわかると思うんですけど今はパス

精度を調べると、多少見たところ「少なくとも一般の利用者にとっては現時点でそんなには高精度じゃない」というのが私の結論。

せめて 科学的・論理的な姿勢で原発の廃止を求める原発懐疑派のブログ  ネット反原発派の極北・「@tokaiama 東海アマ管理人」氏の地震予知は真実かデマか? 並みにチェックしたかったんだけど(これでも本来不十分だけど少なくとも東海アマ予測がでたらめであることだけははっきり分かる)、そこまではできなかった。

ざっと見たところ、東海アマレベルよりは比較にならないほど当てになる可能性は否定できなかったが、上記ブログにあるような「木村先生阪神淡路大震災以降、ほとんどの地震予測成功されていて、」っていうのは「え、ホントかいな?」というのが私の見解

まず、見てみよう。

彼の公式サイトのうち、2011/3/11もっとも直前2011/02/18の日本列島地震予測図だ。

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2007年には一度予測していたはずの、三陸沖の予測が書かれていない。

日本付近の地震予測図(M≧6.5)

木村説に基づく私案 (2009年8月6日公表)にも、やっぱり三陸沖はない。

そして、2011/3/9、後から「前震」であったとわかった地震直後

My Blog

これの目があったと突然言っている。

2011/3/11が終わってのち、

My Blog

目があったと言っている。しかし、それまでの上記引用すべての図と違うように見えるのだが。

2011/3/9の前震の予兆と2011/3/11予兆を取り違えることはあってもおかしくはないかもしれない。また、この比較だけをもって、地震の目理論の中身をデータ比較して検討しなければ「地震の目」理論そのもの妥当性(多少なりとも役に立つかもしれない、という可能性も含めて)を否定することはまったくできない。が、現時点で「木村政昭氏は2011/3/11三陸地震を的確に予想していた」と言われると、まったく予測してなかったこと断言できる情報には欠けるが、的確な予想が出来ていたというのは無理ではなかろうか。実は予想してたんだけれども政治的理由等で隠していたとか言われたらちょっとまぁ私には手に負えないが。

で、本当はもっと過去予測と実績を予測履歴と比較すべきなのだが、ぱっとぐぐっても私には見つからなかったので、

みつかったうちの最も古い前述の「木村説に基づく私案 (2009年8月6日公表)」でみてみよう。

再掲)日本付近の地震予測図(M≧6.5)

このうち、台湾付近(2009±2)のは当たってれば来てるはずなので、とみてみると

NEIC: Earthquake Search Results

…なさそうに見えますが。M5.5以上検索。2009/8/1~本日。当たっていればLAT21付近にあるはずなんですけど(このシステムデータ漏れがあったらわかりませんが)。そんな地震があったというエビデンスがあったら教えてください…。他のは予測期間が終わってないんで判定できませんが。。。

千葉周辺はなんか最近の他の学者が言ってるのと似てないこともない気がしますので、これは当たるのかもしれません(既に311余波で起こってたりします?)

鹿児島南東沖はまだ予測範囲終わってませんが、気象庁 | 震度データベース検索とかで見る限り、鹿児島震度1以上で震源地とマグニチュードが一致するものは見当たりません。

で、2011/8/9版をみると

My Blog

随分変わってますね。

まぁ、3/11で大きく事情が変わったとかいうのが地震の目理論に当てはまるかわかりませんが(311でまったく過去データが使い物にならなくなってたとすると多分私が見た数ページからして地震の目理論はたぶん、当分の間精度ががくおちです)。

過去のは図から抜いてるだけで予測撤回してないって話だと過去のも全部並べて重ねないと予測意味がだいぶ減ってしまいそうですが)

外れが多かろうとも、一定の精度があるのであれば、まぁ備えることに無意味とは必ずしも言えないので、私が見た限り、「東海アマみたいに信じるのがバカ」レベルであるという判断はできませんでしたが、警戒情報として参考にするならともかく、現時点であまり祭り上げるのはどうだろうかと思うわけですが。

また、上記検証では理論の正しさは何も検証してないので、この理論の今後についてもなんら評価してませんので、将来この手法が精度を上げて実用化される可能性を否定するものではありません(とりたてて肯定もしませんけど)。

2012-01-29

マグニチュード9の地震はどうなったの?

もうみんな忘れてると思うけど、おれは粘着から覚えてるけど、去年の10月北大の森谷武男という人が「再びマグニチュード9の地震が発生する確率が高くなってきました」という発表をしたのね。その魚拓が残っているので紹介しておく。

http://megalodon.jp/2011-1028-2242-46/nanako.sci.hokudai.ac.jp/~moriya/M9.htm

そんでその中に

発生時期は12月から2012年01月にかけて と考えられます

って書いてあるけど地震おきそうにないね

どう責任を取るんだ、とか眠たいことはいわないけど、こんな研究者にお給金払うくらいだったらそこらへんで路頭に迷ってる高齢ポスドク雇ったほうがマシだよね。時給1400円(これは産総研の1号非常勤職員の最低時給だけど)出せばいくらでも集まると思うぜ。

2012-01-24

いっそ東京都心に積雪100cmぐらいの大雪が降ればいいんだ

あるいはマグニチュード8クラス地震永田町兜町とだけが木っ端微塵になればいい

そうでもしないと日本は変わらない

えーん

2011-10-17

Re:なぜ1000年に一度の天災考慮する必要があるのか

Life is beautiful: なぜ1000年に一度の天災を考慮する必要があるのか

上記のブログは何がしたいのか。

そもそも「1000年に一度の天災」というもの定義が当初書いてすらなかったわけだが、何か珍妙な「これは百歩譲って、それぞれの原発に、1000年に一度程度、原発設計で想定している以上の天災が起こり、それがシビアアクシデントに繋がると仮定した場合計算である。」という定義が追記されている。

東日本大震災」の被害の及ぶ範囲は広く、程度は違ったが、女川も襲っている。あえてこの2立地の原発に限定しても、やはり1000年に一度の災害がそれぞれ別々に襲ってくると言いたいのだろうか?

「1000年に一度の天災」という言葉が一人歩きしているが、東日本大震災きっかけに言われている所から考えて、これってぶっちゃげ貞観地震(869年)から1100年以上ぶりだったっぽいのでだいたい1000年に一度に当たったねと言われてるだけのこと(※学術的にそうでないもっと別の定義で使っている専門家存在は排除しないが、大抵のマスコミ一般人等にこれ以上の明確な定義が共有されている気配は感じない)で、これがそれ以前も今後も1000年に一度程度起こるという計算は一体誰がした。

地層型だろうとプレート型だろうと、百数十年前以前の過去地震についてのデータは少ないため震源・規模・被害に不明点は多いし、1500年以上前に至っては資料はさらに激減する。また、地震は周期性がある時期あったとしても大地の性質上変わっていくものなので、地震リスクが1000年に一度程度などと一定の根拠を持って算出されたものがあるだろうか?ちなみにいえば、東日本大震災について「1000年に一度の天災とある程度確率が認められたとしてもその分布は一様ではなかろう(プレート型であるか、少なくともプレート型との関連は指摘されている。プレート地震の翌年は、大きな余震等はあるかもしれないが、M9クラスの翌年はM9クラス確率は下がりはしないだろうか?)。断層型にしたって、同一断層で1000年に一度クラス大地震が2年連続で発生する確率が毎年独立の1/1000の確率計算できるというのだろうか。分布が偏った確率だと考える方が普通ではないか

これに対して、「1000年に一度とは日本全土である」などという批判(I田のぶのぶ他)も見かけたが、それはそれでおかしい。

東海南海南海連動大地震」がM9級で来る可能性が東日本大震災と合わせて1000年に一回?どういう計算なのかさっぱりわからない。実のところ1000年に一度と言っているが、東日本大震災と同程度のリスクを抱えているかもしれないところとして、私は少なくとも「東海南海南海連動大地震」を挙げることができる。他にもあるかもしれない、しかし、そんなものが数えきれないほど日本に眠っているかというとそんなことはあるまい。山ほどあったら「ある地域東日本大震災級の地震災害にあう」確率は跳ね上がって1000年に一度どころではなくなる。

から、そもそも「1000年に一度ってなんやねん」。上記ブログに従うと「1000年に一度の天災」は「(日本全体で見れば、100年に2〜3度は起こると覚悟しておいた方が良い」って確率なので来ない時には来ないのだが、それを加味したって日本史をひも解いて「1000年に一度の災害が100年に2~3度起こることはよくある」と読むと正直に何をいっているかからない。「1000年に一度の天災でも偶然集中すれば100年に2〜3度は起こることがありうる」という話ではないようだ(文脈よりそう読解)。日本史をひも解いて「1000年に一度の天災日本全土でみれば100年に2〜3度程度発生している」のか?正直何を言っているかからないというか、それが「東日本大震災」級のことだとすればどういうデータに基づいているかわらかない。そうではなく「日本全土でみれば100年に2〜3度程度発生してきた災害」を指すなら多分世間一般には1000年に一度とは言われないんじゃないだろうか。

東日本大震災級未満の「日本全土でみれば100年に2〜3度程度発生してきた災害」でも「原発にシビルアクシデントが起こる」可能性の話をしたいならそのようになさればよろしいかと。実際には原発毎に耐震想定には差はあるし、福島第一が他のもっと軽い災害でもこのようになった可能性を私は否定するつもりはない。

実際問題、三陸海岸に限定してみれば、明治三陸地震昭和三陸地震津波等見ると1000年に一度ってわけでもないという評価もあろうかと思う。しかし、福島にそんなにしょっちゅう同規模の揺れ・津波が来ていたという記録はまだないはずだ(実は全然知られていないだけで今後明らかになるという可能性は否定はしない。もっと低い津波ならもちろん記録があると公表されている)。地震は震源地によって被害が変わるのでマグニチュードだけで単純計算はできないのだが、

1000年に一度の災害、というキーワードが出回っているからといって、1/1000という数字確率計算するのがそもそも無謀である

確かに、「それぞれの原発に、1000年に一度程度、原発設計で想定している以上の天災が起こり、それがシビアアクシデントに繋がると仮定した場合計算である。」という前提の話なら、その確率分布一定の条件を加えることでこのような計算は可能とならないことはないのだが、どのような根拠をもってそのようなことを言っているのかさっぱりわからなない。

ともかく、正直なところ前述のブロガーが何を言っているかからないので、「日本全体で見れば、100年に2〜3度は起こると覚悟しておいた方が良い」というのが、過去200年に日本史では具体的にどの災害にあたってどれぐらいに頻度・被害だったと想定しているのか教えてもらいたい。この200年が確率による偶然の空白期だというならもっとさかのぼってもらっても構わないので、「日本全体で見れば、100年に2〜3度は起こると覚悟しておいた方が良い」というのは具体的に過去のどれなのかぜひ教えてもらいたい。

その説明が学問的に正しかろうとそうでなかろうと、そこを説明してもらえば何を言いたいかは少しは理解できる気はする。その内容次第では誰か別の式の導出を提案してくれるかもしれない。

2011-05-10

地震エネルギーは実に幅が広い…

1000年でマグニチュード9.0のエネルギーたまる勘定だとすると、1年あたりではマグニチュード7.0なんだよね。これだって大地震だ。広島投下の原爆だってマグニチュードに直すと6.0いかないらしい人類史上最大の核爆弾マグニチュード8.4相当だそうで(まあwikipediaの「エネルギー比較」にある噂なんで間違ってるかもしれないが)。

ま、ともかく、エネルギー量だけで考えると、チリ地震の前では他の巨大地震ほとんどが霞んでしまう。地震ってやつは、大から小まで実に幅が広い。

http://anond.hatelabo.jp/20110510020457

地震の規模の違いについて考えてみた

科学雑誌ニュートン』の2011年6月号は東日本大震災の特集で、地震の大きさについていろいろ書いてあった。

なんでも、マグニチュードの数値が1上がると地震の持つエネルギー量は約32倍になるとか。

と、言われてもド文系の私には何がなんだかわからない。だからインターネットの力を借りて地震の大きさについてメモってみる。

参考にしたのはwikipedia

http://www.convertalot.com/earthquake_power__calculator.html

Earthquake Power Calculator

まず、1995年阪神淡路大震災兵庫県南部地震)について。

阪神淡路大震災(1995)

 M7.3 エネルギー量は5600兆ジュール。TNT火薬に換算すると1.3メガトンぶん。

これを便宜上「1阪神」と名づけよう。1995年阪神は弱かった。関係ないけど。

関東大震災(1923)

 M7.9 エネルギー量は4京4000兆ジュール。TNT火薬に換算すると10メガトンぶん。

 地震の規模は「7.8阪神

1995年阪神を1とすると7.8倍のエネルギーだ。すごい。つまり年間ワースト記録の年間84敗(1995年)の7.8倍

つまりシーズン通産655.2敗を喫するということだ。すごい。

今年三月の地震はどうか?というと、当初の速報値では

東日本大震災(2011)速報値

 M8.4 エネルギー量25京ジュール。TNT火薬に換算すると60メガトンぶん。

 地震の規模は「44阪神

阪神が44チーム。これはなかなかすごい。一塁手グレンが44人も。打点も3388点は期待できる。

しかし翌日、M数が修正された。

東日本大震災(2011)速報値2

 M8.8 エネルギー量は100京ジュール。TNT火薬に換算すると230メガトンぶん。

 地震の規模は「178阪神

っていうか、昨日の数値の4倍近くじゃねえか。178阪神新庄が178人いるので気の迷いで買ってしまったランボルギーニLM002・チータも178台ということになる。ちなみに大失敗作のチータは301台しか生産されてないのでほとんどが新庄の愛車ということに。

翌々日、正式な値が出た。

東日本大震災終値

 M9.0 エネルギー量は190兆ジュール。TNT火薬に換算すると470メガトンぶん。

 地震の規模は「339阪神

やっぱり昨日の倍近くじゃねえか。どんだけ丼勘定なんじゃいと突っ込みたくなるのを抑えてみるが、やはり339阪神というのは途方もない。シーズン終了時のゲーム差は36.0だったからその339倍で…12204ゲーム差。追いつける気がしない。

参考までに、人類史上最大の地震比較してみよう。

チリ地震(1960)

 M9.5 エネルギー量は1100京ジュール。 TNT火薬に換算すると2600メガトンぶん。

 地震の規模は「1964阪神

1995年阪神の1964倍の規模ということだ。もう気が遠くなる。シーズン途中の監督交代も1964人。シーズンが4~10月の七ヶ月だとしても(阪神のシーズンがそんなに長い事は90年代には滅多になかった)毎月280人の監督が必要になる。2.5時間に一度監督が交代する計算になる。

 やはり地球というのはすごいものだ。

2011-04-30

千葉県東方沖深度30Kmマグニチュード7.5

地震で目が覚め、震源とマグニチュードを確認してまた寝る。

これが311以降の現実

2011-04-16

余震まらないな…

11日間くらいでマグニチュード6.0くらいエネルギー溜まっちゃうだろうからなあ……(1000年でマグニチュード9.0になる計算で)

もし余震がなかったとしたら、本震終えてからすでにマグニチュード6.3くらいは溜まっちゃってる計算なわけで……

1年経ったらもうマグニチュード7.0溜まってる計算だもんなあ……

2011-04-14

地震の予知と精度

http://www.47news.jp/CN/201104/CN2011041301001002.html

地震予知、即刻中止を」 東大教授、英誌に掲載

 「(常に)日本全土が地震危険にさらされており、特定の地域リスクを評価できない」とし、国民政府に「想定外」に備えるよう求めた。

 「今こそ(政府は)地震を予知できないことを国民に率直に伝えるとき」とも提言しており、世界的な学術誌への掲載は地震多発国・日本の予知政策に影響を与える可能性もある。

 論文では、予知の根拠とされる地震の前兆現象について「近代的な測定技術では見つかっていない」と指摘し、「国内で1979年以降10人以上の死者が出た地震は、予知では確率が低いとされていた地域で発生」と分析。マグニチュードクラス東海・東南海南海地震を想定した地震予知は、方法論に欠陥がある

つまり、



ただし、東北新幹線は事前の微細動の検知のおかげで脱線せずに済んだのである。注意すべきは

  1. 本震とプレスリップの違いを見極める技術確立していないということ。
  2. 天気予報のような統計に基づいた予測はできないこともないが、数千年という有史ではその予測下駄飛ばしと同列だということ。
  3. これから技術発展によってはそうとは限らないということ。

である

1:に関してはご存じの方も多いと思う。今の科学では、比較的大きな地震が来たら「これはプレスリップかもしれないから、次にもっと大きな地震が来ることもありえるので注意してね」というぐらいの周知と備えへの啓蒙しかできないのだ。これまでは経験的に「こんなでっかい地震来たら次はしばらくこないやろ~」という人が多かったと思う。しかし、そんなものは思い込みでしかないことが、今回でおわかりいただけたかと。

2:に関してもそう。統計的に地震予測するにしても、圧倒的にコーパスが足りない。1000年に1度の規模の地震が起こったとして、それがほんとうに1000年に1度の頻度であるかというのは、また話が違うのだ。

これは先の経験的な件と重なるが、一度の巨大地震が歪みをリセットゼロになる)するわけではない。「1000年に1度の地震が起こったのだから、次は1000年後までないに決まってる」わけがないのだ。そもそもその「1000年に1度」を疑う必要があるということ。

3:に関しても同じ。私たちが生きている間にその技術確立することはないだろうが、「その研究無駄から仕分けしましょう」などとは話が違う。


また、これを「緊急地震速報無駄」だと話をすり替えられても困る。緊急地震速報はP波である可能性が高いものを検知して、速報している。実際今回の本震においても速報は機能した。ただ、今の技術では「それがどの程度の規模の地震か」という予測まではできない。できるのは「地震が来るか来ないか」であり、「これから宮城県沖でM9.0の地震が来ます」ではない。地震が来ることがわかるならそれに越したことはないのだ。「あの音が嫌だからやめろ」なら音を作った人の努力も浮かばれるというもの。

とにかく、今の地震観測技術は、岩だけの離島に鳥の糞で植物のタネが落とされた程度だし、それをひとつ植物に育て上げるにはこれまた長い年月が必要だということ。

今使いものにならないからイラネ、という態度だけはやめていただきたいし、この教授もそういう意味で言っているわけではないということを理解してほしい

2011-04-12

1000年でマグニチュード9.0ということは…

1000年でマグニチュード9.0のエネルギーが溜まるということは…。っと、その前に最近東北沖あたりでの地震エネルギーを足しあわせてみると…本震以外は足しあわせても本震の50分の1くらいにしかならない。なので本震だけで考える。

本震のエネルギーマグニチュード9.0だが1000年かけて蓄積されたエネルギーと考える。これが1年しか蓄積されず、毎年1回ずつ地震が起こってエネルギーが開放されると仮定する。するとエネルギー1000分の1ずつとなり、マグニチュードでは…だいたい2.0を減じたものとなる。つまり、毎年起こるならばマグニチュード7.0の地震である。…えーと…これでもすごい大地震

マグニチュード7.0でも大きいので、津波が起きる下限という噂のあるマグニチュード6.0、ここまでエネルギーたまったら地震が起きると想定してみる。さらにエネルギーは32分の1くらいしかためられないことになってしまったので、365日の1/32だから10日ちょっとしかもたない。毎月3回くらい中程度の地震

せめて地震小出しになってくれればと想像して(いろんな部分で強引だが計算してみたが、予想外に厳しすぎるシミュレーション結果がでてしまった。地球は生きているという表現があるが、もっともっとおとなしくなってくれないものだろうか、そう思ってしまった。

2011-04-02

余震収束しつつあるのか?

東京では大きな揺れを感じることは少なくなった気がするが、

昨夜も東北では震度5強が発生している。

はたして余震収束傾向にあるのか?

ニュースでは取り上げられているのを見ない。

気になったので、気象庁データグラフにまとめてみた。

 

震度ベース

http://twitpic.com/4fx9pz/full

マグニチュード ベース

http://twitpic.com/4fxaek/full

(3/11-4/1 西日本など関係ない地域地震も含む)

 

かに収束傾向にはある…のか?まだまだといったところか?

やれやれだぜ

2011-03-26

原発事故尺度を示す「レベル概念」は「マグニチュードに相当」するので、被害とは相関しない

 今回のアクシデントを、単純に評価すればレベル5とか6かもしれないが、

 ここでいう「レベル」は、地震で言えばマグニチュードに相当する概念

 

 これに対して、実際に蒙る被害の総量は、

 原発後背地の気象条件、地形、人口密度社会インフラ道路鉄道の整備具合)、

 人々の知的リテラシー経済力政治的要因によって変わることになる。

 人口密度北海道以下のウクライナで起こった「レベル7の事故」と、

 人口稠密地帯(福島県だけでもそれなりの人口密度がある上、後背地に仙台、さらに首都圏を抱える)

 である日本で起こる「レベル5(~6)の事故」では、

 「日本レベル5(~6)の事故の方が被害が大きい」ことも十分ありえるのだ。

 人口密度希薄アラスカとかでマグニチュード8.0の地震が発生するより、

 人口密度が稠密な阪神間マグニチュード7.2の地震が発生する方が、被害が大きいのと同じ理屈である

 ※「人々の知的リテラシー」「経済力」「政治的要因」の点では、

   確かに旧ソ連よりは今の日本の方がはるかに上回っている。

   しかし残念ながら「社会インフラ」の部分が、震災で決定的にダメージを受けているため、

   その部分チェルノブイリより被害が拡大することになる。 

 なので、「レベル5~6」であっても「チェルノブイリと同程度の被害」を受ける可能性があることを留意すべきではないか

2011-03-22

http://anond.hatelabo.jp/20110322012142

エネルギー効率(さすがに)

・CO2排出

エネルギー自給率プルサーマル計画)

原発利権ウラン採掘権を持つ某S商事とか、資源エネルギー庁から天下りとか、ゼネコン関係とか、いっぱーい)

で、結局のところ、問題はこの4番目の比重次第だよね

モーメントマグニチュード気象庁マグニチュードの話とか、色々とおかしすぎる

2011-03-19

http://anond.hatelabo.jp/20110319133347

うむ。

そして原発付近に隕石落下

マグニチュード9.5以上の衝撃発生

想定外の事態で放射能汚染

→やっぱり原発NGだよね

隕石に耐えられない限りは原発建てちゃだめだよね。

というロジックができるのですね。

http://anond.hatelabo.jp/20110319132452

マグニチュード9.5に耐えて、なおかつ15メートル以上の津波に耐えられない限りは原発建てちゃだめだよね。

ところで今回の福島原発って30年の使命を終えて、はやぶさのように命尽き果てようとしているのだけど、誰も感動話にしないよね。

これは逆説的に安全なところにあれば萌え化することができるということで、

はやぶさも所詮は他人事(わかりきったことだけど)

福島原発他人事じゃない(被曝したくないしね)

2011-03-15

1日目

その時、私は書店にいた。仕事は3時から始まる。

業務の前に書店に寄ることが、半ば習慣化していた。

買いたい本を片手に持って、レジへ向かう。

人の声の重なりのような、妙なざわつきを感じる。

地面が揺れていることに気づいたのは、その後だった。

一昨日の余震だろうか?それならばすぐに収まるだろう。

生まれて初めて体験する激震が、我が身を、そして店全体を揺らしたのは、そんな甘い考えが脳裏をよぎった瞬間のことだった。

平成23年3月11日午後2時46分の出来事である

本を買うより、身の安全の確保が第一だ。

左手に持つ本を放り投げ、私は出口を目指して駆け出した

棚の高い場所から、多くの本が勢い良く吐き出されていった。

店を出る瞬間に、視界の片隅だけに見えていたものだけど、その光景は良く覚えている。

職場はすぐ近くにある。職場へ向かおう。

激しく揺れ動く地面と同様に、あまりにも落ち着きのない思考が私を動かしていた。

だけど私は運が良かった。ガラスが割れる軽やかな音に気づけたから。

目の前で、ガラス造りの街灯が落ちて地面に砕け散った。

あと数秒、私の走りが早かったら、危なかったかもしれない。

まずは身の安全の確保だ。最優先事項にやっと気づいた私は、元々いた書店入り口近くにある金属の柱にしがみつく。

建物の近くにいては倒壊に巻き込まれるのではないか、という考えもあったが、倒れそうには見えない外見のビルであったし、何よりも、屋根があった。

何かが落ちてきても、屋根があれば最悪の事態を免れることが出来るだろう。

一息ついて油断した、その瞬間を見逃さずに追撃するかのように、それはやってきた。

もっとも、どんな覚悟も、あれの前には無意味だったと思う。

視界に入るもの全てが揺れ動いていた。地面が左右に揺れる、というのを視認したのは初めてだったと思う。

地鳴りと悲鳴が重なる。震度表には「立っていられないほどの揺れ」という表現があるが、まさにそれであった。

銀色の柱にしがみつき、身体を支えること以外、何も出来なかった。

勇気ある人は、危険な位置にいた女の子たちを比較的安全な場所へと誘導していた。

その後、ガラスの街灯がまたひとつ落ちた。ガラスの破片が散らばったけれど、気にしている余裕はない。

私は死ぬのか、この世は終わるのか。本当にそう思った。

長い、長い、私の体感では3分ほど、実際はもっと短いだろう(これを書いている時点では正確なデータがないのです)、

だけど長い地震が終わって、私の思考はまた落ち着きのないものへ切り替わっていた。

そうだ、職場に行かなければならない。

揺れが収まり、身動きが取れることを確認すると、私は職場ビルへと向かった。

本震があって間もなく、仙台市内全域は停電となった。

エレベーターは動かない。12階立建てのビルの3階に職場はある。

階段の壁は一部が崩れ、破片がそこらに落ちていた。非常灯がなかったので、昼と言えど薄暗かった。

それは階段だけではく、各階でも同様のようであった。日の光が差し込むだけ、階段よりは明るかった。

ドアを押しあけ、オフィスへ入るとほぼ同時に、余震が襲いかかった。あの本震の直後の余震である。実際にどれほどの震度の余震だったのか、これも現時点ではわからないけれど、本震と同じくらい強いものに感じた。

「危ないから入ってきちゃ駄目!」と悲鳴に近い声が私に掛けられたけれど、入ってきてしまったものは仕方ない。

オフィスの中にいた他の方々とともに、私は机の下に身を隠した

自ら飛び込んできた私はともかく、朝から働いていたオフィス内の人々は、突然の、しかも未曾有の大きさの地震を受け、憔悴しているようだった。

それから階段を降ってビルを出て、一度は近くの小学校へ避難したしかし、地域の方々の避難が最優先であるため、解散の命令が出るまで、私たちは歩道で待機していた。

その間も余震はまるで容赦しない。地面が揺れる、街灯や電線が揺れる。大きな看板地震で壊れていて、たくさんの人が携帯電話写真を撮っていた。

本震の最大震度が7と聞き、やっぱりね、とか、宮城県沖地震かな、などという話題が上がった。少量ながら雪が降り始めて、とても寒かった。

地震保険の話があった。我が家には適用されるのだろうか。いや、それよりも我が家は無事か。

携帯電話操作して、自宅に電話をかけるも、繋がらない。当たり前のことだった。

それからしばらくして、今日のところは解散、ということが上司から伝えられた。私は家まで歩いて帰ろうとしていたけれど、同じ方向に住まいがある同僚がいたので、家の近くまで送っていただくことになった。

車道は当然のように渋滞していた。加えて、一部を除いて、信号も動いていない。

仙台市中心部から郊外へ移動しようというのだから渋滞に巻き込まれるのは致し方ないことだ。30分で100メートル移動出来たかどうか、ということもあった。

正直に言えば、自宅まで徒歩で戻った方が、早く家についたかもしれない。しかし、車で送って頂いて本当に良かったと思う。

そう思う理由はいくつかある。ひとつは、複数の人とともに移動することによって、不安や恐怖と言ったものを少しは紛らわせたということ。また、車にはラジオが搭載されているから、最新情報を確認することが出来たのも大きい。外気を遮断し、暖をとりつつ移動出来たというのもある。被災直後から仙台市内には断続的に雪が降り、吹雪くことさえあったから。

最終的なマグニチュードが8.8であるという報道を聞き、私たちは笑うしかなかった。この地震で亡くなった方が出るかもしれない、という話題にもなった。これを書いている今現在、確認されている死者は1000人以上であると聞いている。ここまで多くの方が亡くなってしまうとは、あの時、思いもしなかった。

移動中、私は家族が心配でならなかった。特に、自宅にいるであろう、母。我が家は築25年の木造住宅である。自宅が倒壊してしまったのではなかろうか、それに母が巻き込まれてしまったのではないか、心配で心配で溜まらなかった。

同乗している同僚は、2歳のお嬢さんを心配していた。夫の実家に預けているのだが、連絡が取れないのだという。

私も母との連絡は取れない。「頼りがないのは良い証拠」であるという、この場にはまるでふさわしくない故事を信じるしかなかった。

被災直後であるから携帯電話は全く役に立たない。それはとうに承知していても、家族の安否を確かめたいというのは当然のことだ。電話はとても繋がりにくかったが、幸い兄との連絡はついた。それから機械に疎い家族が見るかどうか分からないが、災害伝言板に書き込みをしておいた。

車に乗っていても、余震は我が身に伝わる。窓から見える外では、多くの人が歩いていた。結婚式最中だったのか、よそ行きの格好のまま避難する人、スーパービニール袋を被る人、クリーム色のカーテンを纏う人、様々いた。

1、2時間も経つと、日が傾き、徐々に日の光が失われていった。明かりがあるのは車ばかりで、どの店、どのビル、どの建物も真っ暗なままだった。唯一、警察署だけは明るかったけれど、自家発電装置はいつまで持つのだろうか。

これだけの巨大な地震であるにも関わらず、高層ビルの倒壊がなかった、このことはすごいことだと思う。

しかし、それは外見の話だ。どこも大なり小なりの被害を受けていて、壁が崩れたり、窓ガラスが割れたりするのは当たり前、水道管が壊れて、水が溢れだしている家もあった。

時間半ほどの時間を掛けて、自宅の近くまで送って頂いた。ここからは、歩いて帰ることになる。

外はやはり寒かった。実際の気温だけではない。街のどこにも光がない。駅の近くにある大きな交差点、そこの信号は機能していたけれど、他の信号は依然光を失ったまま。これまで車で通り過ぎてきた光景と同じく、街のどこにも灯りはなかった。

この夜の空は、山中で見るもののようだった。星座が確認出来るくらい、綺麗な星空。あまたの星がいつもと同じように、黒のキャンパスの上で煌めき、瞬く。暗い街並みといつにも増して美しい夜空を、私は生涯、忘れないと思う。

さて、この地震では、かなり多くの方が避難所での生活を余儀なくされている。

我が家はかなりましな状況であるということを、ここで記しておく(こうやって被災最中に手記らしきものを書いている時点でお察しの方も多いだろう)。

何せ、不自由なことは多いものの、自宅で生活が出来ているのだ。現在、これを書いている3日目の朝も、白いご飯を食べ、暖かな野菜スープを飲み、ゆで卵まで頂くことが出来ているのだから

時間かけて自宅まで戻ってきたが、電気はついているはずもない。もしかしたらみんな、避難所にいるのかもしれない。あるいは……。

最悪の事態を思い浮かべながら、玄関を開ける。ただいまと誰もいないかもしれない家に声をかける。返事はすぐに戻ってきた。

家族全員茶の間にいた。みんな、無事だった。そのことに安堵の息を漏らしつつ、私は茶の間に入った。

意外なことに、茶の間は暖かだった。捨てるつもりでいた石油ストーブを物置から持ってきて動かしていたのだ。停電していても暖が取れるのはありがたかった。さらに、ストーブの上にやかんを置けば、時間はかがるがお湯が湧く。パンを置けばカリカリに焼ける。外は氷点下にまで冷え込む中、石油ストーブで外から身体を暖め、お茶で内からも暖める。とても幸せなことだった。これを呼んでいらっしゃる皆様には、是非一家に一台、石油ストーブの購入をお勧めする。

家の中には、父、母、兄、それに近くに住む親戚の小母さんがいた。小母さんは、この地震で誰とも連絡が取れず、また誰も帰ってこないという。家の中は地震家具が散乱しており、中にはとても入れない。一人でいるのも不安である。そのため我が家に来たのだという。

自宅へ帰って来た頃、時刻はもうすぐで8時を迎えようとしているところだった。こたつの上には大きな蝋燭が立てられていて、その脇にラジオが置かれていた。懐中電灯もあるにはあるが、あまり明るくないので、部屋全体は照らせない。そのため、トイレに行く時等、移動する際に使われていた。

そういえば、自室に小さなライトがあるのを私は思いだした。いつだかにゲームセンターUFOキャッチャーで取ったものだ。おもちゃに近いが、電球はなくLEDなので、大きさの割には強い光を出す。

本棚が倒れたため、本で埋め尽くされ、足の踏み場がない部屋へ行く(自室の荒れ方がまた素晴らしかったので、出来ればお見せしたいところであるが、この時既に携帯電話の電池が切れていた。残念である)。机の引き出しの中にライトはあった。スイッチを入れると、白い光が散乱した部屋を照らした

また、その時の私は、黒いタイツストッキングと随分冷える格好をしていた。荒れ果てた部屋からジーンズを引っ張りだして着替えた。ついでに、タオルケットと毛布を茶の間へ持ち出した

茶の間に戻り、ライトで辺りを照らしてみせると、蝋燭や懐中電灯よりも広い範囲をより明るく照らせたので、当座はこのライトで部屋を照らすことになった。裸火がなくなり、火事可能性が低くなったのでひとまず安心した

余震は断続的に続いていた。これを書いている今もそうだが、大小の関係なしに、何度何度地震に遭っていると、いつも地面が揺れているような感覚に襲われる。恐怖が完全に拭われることはなく、むしろ大きい余震があるたびに増大していった。

地震当時、各々が何をしていたかを話した

母は、少し昼寝をしようとしていた時に地震に見舞われたそうだ。これほど大きな地震であれば、逃げることをまず第一に考えそうなものだが、母は42型の液晶テレビが倒れないか心配だったらしいテレビを支えつつ、近くの柱にしがみついて、本震を耐えきったそうだ。

兄は仕事をしていた。オフィスの中にあったパソコンは全て倒れて使えなくなったそうで、しばらくは仕事にならないだろう、それどころか解雇されるのではないか、と心配していた。

父もまた、仕事をしていた。スーパーでカゴ集めのパートをしている父は、地震の瞬間に店内にいた。これは危ない、と思い、しかし出口からは遠い場所にいた父は、普段は閉じられたままのガラス張りのドアをこじ開けて外に出たという。後から聞いた話によると、父の勤務地のスーパーは、天井が落ちてしまったそうだ。

ラジオから聞こえてくる男性の声が、この地震による被害の状況を伝える。泉区で家がひとつ倒壊した、壁に挟まれて死んだ人がいる、火災が発生した津波で何もかも飲み込まれた……。いつもの夜のラジオなら、軽やかな音楽や楽しげに話すDJの声が漏れてくるのに、今宵は厳しい現実と、それを乗り越える手段が、無機質に流れ出ているだけだった。

私が自宅に帰宅して、1時間ほどして、親戚の小母さんの娘さんが帰ってきた。

この時、電話はまともに使えなかったが、メールインターネットならば使用可能な状態にあった。

機械音痴しい小母さんは、メールを打てない。私が代わって、娘さんに「小母さんは我が家にいる」との内容を打ち、送信したところ、娘さんはすぐに我が家に駆けつけた。それまでは近くの避難所を当たっていたらしい

娘さんの勤め先は、長町にある。我が家仙台市泉区に位置しており、長町とはかなりの距離がある。娘さんは同僚の方から自転車を借り、ここまで帰ってきたのだった。それまでに1時間半の時間を要したそうだ。

午後の10時頃に、小母さんの旦那さん、つまり小父さんが帰ってきた。小父さんは地震発生直後に車に乗ったのだけど、ひどい渋滞に巻き込まれて、この時間に帰ってきたのだという。実に7時間もの時間をかけての帰宅だった。

先にも述べたが、被災はしたものの、我が家はかなりましな方だった。屋根瓦が吹っ飛んだり、壁に多少のひびがはいったりはしたけれど、とりあえず住める状態にはあったのだから停電していて茶の間以外は真っ暗だし、ガスも当然止まってはいるけれど、この時点水道は使用できた。トイレも流せる。これだけで、精神に随分と余裕ができた。とは言っても、時間が経つにつれて水圧は低下していき、2日目の昼には断水になってしまうのだけど。

しかし、断水前に風呂に水を貯めておけたのは良かったと思う。おかげで、今のところ、トイレの水には困っていない。流石に大しか流せないので、そこらへんの節約は必要だ。

とにかく、電気とガスが使えないのが痛い。そうは言っても、ライフラインが回復するまでは今ある環境で耐えるしかない。母に菓子パンを食べるように勧められたが、遠慮して、お茶だけ飲んでいた。……皮下脂肪が厚いので、少しの間飲まず食わずでも耐えられる。

夜の11時を迎えたところで、両親に就寝するように言われた。どうせ、余震が続いて眠れないので、次の日の夜明け、6時50分頃まで起きているつもりだったが、せめて横になるように、と言われたので、茶の間の畳の上に体を横たえた。今夜は座布団が枕の代わりだ。寝転がり、目をつぶるだけで、少しは休むことができる。

形だけの就寝をし始めて1時間。日付が変わった後、ふと母の携帯電話を見てみると、2、3時間前まであった電波がなくなっていた。メールネットならば使えたのに、それすら出来ない。ラジオ以外の情報獲得手段がない。ニコニコ動画ユーストリームNHKの放送をしている、とラジオは伝えていたけれど、そんなもの役に立たない、と思った(もちろん、まだ電池のある携帯電話等を持っている人には重要なのだと思うけど)。ちなみに、家に帰ってきた時点で、私の電話の電池は切れてしまった。

日の出まであと6時間ラジオは伝える。どうか日の出まで、希望を持ってと。ラジオは伝える。現実を。荒浜に、200から300の遺体が流れ着いたとの報を聞き、涙が頬を伝った。

3時か4時になった頃、NHKラジオ音楽を流した。2曲流れて、1曲は確か「カノン」だったと思う。そのおかげがどうかは分からないが、私は少し、眠ることが出来た。余震がある度に起こされはしたものの……。

 

長い、長い夜を過ごしているうち、私はひとつ思いついた。

被災している最中から、忘れないうちに、体験談を記しておこうと。

携帯電話は使えない。iPadは不向きだ。だから今、pomeraを使って書いている。我が家にて、単4電池を使う懐中電灯等もなかったから、こうやって書いている。

これは被災してから2日目に書き始めた。現在荒削りながら、被災当日のことを書き終えて、5日目である。出来れば電気が繋がった3日目のことまで書いて、増田に上げられれば、と思う。私なんか、とてもとてもましな方だったけれど、千年に一度とも言われる天災体験談は書いておかなければならないと思った。……エゴイストで申し訳ない。

また、普段は趣味小説のようなものを書いているので、そのような表現があり、読みにくい箇所も多々あったかと思う。このことについてもここでお詫びする。

私が住んでいる仙台市泉区とあるところでは、3日目で電気が繋がり、4日目で携帯電話の通話及びメールが使用可能に、そして現在、5日目の朝にネットが復旧した

ガスと水道は未だ使用不能。ライフラインが完全に復旧するまで、一ヶ月はかかるそうだ。

しかし、命があるだけ儲け物である。生きていれば何とかなる、との言葉を信じてみようかと思う。

2011-03-13

この大地震を利用して就活を大成功させる方法

就職活動を成功させたいのなら、就活塾や説明会にいくよりも、エントリーシートを書くよりも、やるべきことがあります

人助けをしたいのならば、デマツイートドヤ顔でRTするよりも、「僕にできることはないだろうか(キリッ」とドヤ顔で呟くよりもやるべきことがあります

それはどんな努力よりも効果的で、短期間で出来て、就職活動を成功に導く方法です

なおかつ、地震災害に苛まれる人達を助ける方法です

それは地震災害ボランティアに参加することです災害ボランティアは考えられる限り最強の就職活動対策です

地震災害ボランティアはなぜ最強の就職活動対策なのか?

地震災害ボランティアが最強の就職活動対策である理由

理由は三つあります

(1)日本企業が求める「誠実さ」「協調性」「行動力」「自己犠牲精神」「相互扶助精神」ほぼ全てを一発でアピールできます

今の地震安西先生も裸足で逃げ出すレベルです。その余震リスク放射能リスクを物ともせず、今、困っている人を助ける為に行動する人間を評価しない人間はおそらく日本企業にはひとりもいません。他人を助けたいと思う「誠実さ」「自己犠牲精神」「相互扶助精神」は日本企業が喉から手が出るほど欲しい能力です

震源地に赴く行動力は「チャレンジ精神」「行動力」として企業に高く評価されます

(2)マグニチュード8・8のインパクトオリジナリティがある

塾講師」「サークルの副リーダー」「飲食店バイト」なんていう自己PRは、アルマゲドンシナリオ級にありきたりです

誰でも出来て、誰でもやっているので何のインパクトもなく、就職活動で有利になることはありえません。

しかし、地震ボランティアなら、誰もやりたがりませんし、誰でも出来ないので、インパクトがあります

インパクトがある行動は記憶されやすく、選考に通りやすくなります

(3)わかりやすく、ケチがつけにくい

様々な学生時代の活動は、オリジナリティがあればあるほど、周辺条件を説明するのに手間がかかります

特別な経験であるほど、説明コストがあがるのです。また、面接官によっては「他にやるべきことがあったんじゃないの?」

ボランティアが好きならなんで民間企業就職するの?」とケチをつけられることもあります

しかし、地震ボランティアなら、日本人全員が周辺状況を共有しているため、一発で伝わります

また、まともな大人なら公衆の面前で地震ボランティアケチをつけることは出来るわけがありません。

この三つの理由から地震災害支援ボランティアは数ある就職活動対策の中で、ほぼ最強の就職活動対策です

この自己PRがあれば、トヨタだろうと、パナソニックだろうと、どんな難関企業面接も屁ではありません。

どんな面接官もハンカチで涙をぬぐって、あなた採用することでしょう。日本人にとっていい話は「TOEIC900点のアメフト部主将」を上回ります

デマ情報をRTしている暇があるなら、 全国社会福祉協議会 03-3581-7851にボランティアを申し出ましょう。

凍える夜の温かいおかゆに純も不純もありません。

中には、「そんな不純な動機でボランティアなんかするな!」と憤る方もいるでしょう。

しかし、凍える夜に配給される、飢えた胃を癒すおかゆに純も不純もありません。

乾いた喉を潤す、おいしい水に純も不純もありません。

ヘレン・ケラーですら見えない・聞こえないフリをするレベルのこの大震災の震源地に、善意だけで支援を申し出ることのできる人はほんのわずかです

ほんのわずかな人ができる善行もほんのわずかです。ほんのわずかな行動では恐らく、今、困っている人達を救うことはできません。

偽善による善が行われないならば、善行が将来的に自分利益になるものでないならば、世の中の善行ほとんどは死滅します。

ハリウッドスターチャリティーなんかほとんど広報の一環ですが、多くの富を寄付しています。

純粋善行はなく、自分利益の為に打算的な考えで、ボランティアを申し出る普通の人はたくさんいます。普通の人が自分の為に行動することが、今、救える命を救うことにつながるのです

から、今救える命を救う為なんかではなく、「一流企業内定して、ブランド社名をチラつかせて合コン美人OLをお持ち帰りするために」「一流企業内定で、自分自己顕示欲を満足させるために」「就活武勇伝を後輩に自慢するために」こそ、ボランティアをするべきです

救助を受けている人達にとって、ボランティアの人が何を考えているのかなんてどうでもいいことです。たとえ、あなたが「このボランティア経験をアピールして、一流企業内定して、合コン無双して、童貞を捨てるぜ!うひゃっほう!」と思っていたとしても、温かい毛布は毛布で、おいし炊き出し炊き出しです

ツイートしか善意をしめせない善人よりも、自分の為に行う不純な善行の方が5000倍価値があります


自分のためにこそ、人を救いましょう。

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