はてなキーワード: マグニチュードとは
先日、クリエーター系の友人と東日本大震災が与えた影響について話した。影響と言っても創作界隈に関する話に限ってだ。
一応、立場を明かしておくと僕ら二人はどちらも震災による被害(計画停電を含め)は全く受けない地域にいた日本人だ。
友人曰く「311」がクリエーターの精神に与えた影響は凄く大きくて、震災前、震災後で明らかに作風が変わってくるであろうし、時代を分けるべきだ、とまで言っていた。
友人の言うところによると、震災や津波や原発事故はまさしく震災前に想像された世界の終わりであって、SF作品が書いてきたものだった。しかし、現実には世界は終わらなかったし、被災地以外では何一つ変わらない日常が続けられていた。そのことでSF作家というのは衝撃を受け、あの程度で世界は終わらない、と彼らが描く未来というのは決定的に変化してしまった……、まあそのようなことを言っていた。
その友人は震災というのを大きく受け取っていて、震災の当日や原発爆発の映像、連日の報道は「世界の終わり」に感じられたそうだ。津波の動画を見て涙を流した、と言っていた。
僕はまったく逆で、震災を小さく受け取っていた。友人の前ではそれに同調するように悲しいことだったよね、怖かったよね、と僕は言っていたけれど、内心は違った。僕はあの大震災にドラマを見ていた。僕にとって震災はエンターテイメントだった。最高に楽しく、ドキドキとわくわくの非日常を提供してくれる見世物にすぎなかった。世界の終わりなんて微塵も感じなかった。次の日も普通に日常が続いてたからね。動画を見て涙を流すという感覚が分からなかった。当事者以外にとっては対岸の火事だろうと思った。まぁ、こういうのはサッカーの日本代表が負けて泣いちゃう感覚と似ているんだろうと思う。僕の友人はそういうスポーツとかに感情移入するタイプだったから。僕にはスポーツを見てるだけの面白さがわからないので、津波動画で涙する感覚もわからなかったけど。
初日に津波が全てを洗い流したところに言い知れない高揚を覚え、原発が爆発している動画を見て思わず破顔した、これからこの国がどうなっていくのだろう、という期待感があった。ネットはお祭り騒ぎで、日本中がニュースにかじりついて浮き立っていた。その雰囲気を楽しみながら僕は極めて健全にコンテンツを消費していた。それには、どうせ僕には関係ないという、あくまで観客としての視点があった。僕と友人は被災地にはいなかったという環境は同じにも関わらず、こうも受け取るものが違っていた。友人はどこまでも日本人としての当事者意識があったのかもしれない。僕には日本の遠い一地域であった非日常な、それも歴史的にも珍しい10年単位でしか見れないだろうというようなビッグイベントとして見ていた。
その後は日本人と政府による茶番劇が始まって、この国はもう根本的なところで駄目になっているんだなとせせら笑って、楽しんでいた。そしてこのつまらない日常が帰ってきた。残ったのは日本という国に対する絶望だけだった。そういう意味で、震災は確かに影響があったかもしれない。直接的な影響なんてせいぜいFPSに水浸しのステージが増えたぐらいにしか感じられなかった。
震災はエンタメだったなんて言えば、人格を疑われるだろうからきっと言えないし、おそらくこのような考えを描いた創作物というのは10年経っても出てこないだろう。僕も自分の作品の中でこんな話はおそらく持ち出さないだろう。クリエーターの端くれとして、この感情を創作に取り入れたい、面白いとは思っているけれど、絶対に世に出せないだろうし、出しても正義感の強い方たちに袋叩きにされてひどい目に遭うだろう。それどころか、少なくとも2011年から5年ぐらいは震災を『ネタ』((題材、あるいはインスピレーション、元ネタ、設定の一部としての利用、様々な意味で))にしたエンタメ作品(ルポや感動の復興物語!以外の作品)というのは不謹慎だというので作られないだろう。だから、友人にはそのようなことは一切言えなかった。僕は情の深いふりをして、この場面に僕も胸が引き裂かれるようだったと言った。
創作に携わっていた人間なら、あるいはもっと広く、コンテンツを提供している人間であれば誰しもが、あの震災はネタになると確信したに違いない。現にどこかのアフィサイトの管理人だかが上手いこと震災でお金儲けしていたし、投資家や会社員だって、あの震災を利用しておいしい思いをした人は多いはずだ。とあるポンプ会社の社員は、震災の復興需要で業績もいいよと嬉しそうに僕に語ってくれた。あの一大イベントに皆が興奮していた。メディア関係者も視聴率にニコニコして、震災を報道するとき、歴史に残るような大きな出来事に携わり、自分が業界に入った理由を思い出しながら、使命感と臨場感、そしてちょっぴりゲスな気持ちでわくわくしていたはずだ。東北を救おうと盛り上がっていた皆が、日本の団結するときだと、あの雰囲気に、非日常に酔っていたに違いない。不謹慎なネタをネットに書き込み、他方でニコ生で電気をつけてる配信者に電気消せ、pc消せ不謹慎だろ、と書き込んでみたり、そうやって楽しんでいたはずだ。
僕はあの震災で絆だ、不謹慎だなどと喚き散らしたこの国の人々にもう何の愛着も沸いていない。元からそんなものはなかった。愛国心や愛郷心なんて一度も持ったことはなかった。これは僕だけじゃないはずだ。
さあ、もう一度、来てくれ。今度はこの国を吹き飛ばすぐらいに大きな地震を僕は待っている。
滅ぼそうぜ、世界。
あなたは正義感の強い人で、僕は確かに間違っているかもしれませんが、死ねとか言ったり人格否定するのはやめてください。上でも書きましたが人前では常識的な対応をしてます。事件現場で写メとかとりません。たぶん、この人たちと僕は理解しあえないんだなぁと思いました。
この国が吹き飛ぶぐらいの地震が来たら僕も喜んで巻き込まれますよ。もちろん、被害に遭ったときは泣き叫ぶかもしれないし、恐怖に震えるかもしれません、でもそれは僕が自殺願望を持っていたとしても、殴られれば泣いてしまうし、ナイフで脅されれば怖くて動けなくなるのと同じことなんです。実際に遭遇したときの反応と、願望は全く別のところにあると思います。夢を見すぎているかもしれませんが、全てが崩壊した退廃的な光景というのを生で見てみたい、この国なり、世界が滅びる瞬間が見たいっていうのは、現実的かどうかは置いておいて、多少願ってる人もいるんじゃないかなぁ、と思っていたんですけど、世界滅ぼそうという賛同は全然得られなかったのでした。
僕一人じゃなくてよかったーと思いました。
今後の参考にさせていただきます。皆様のクリエイティブな人生を心よりお祈りしております。
911に触れてる方、鋭いです。残響のテロルを見終えた後、911をネタにするなとマジギレしてる人を見て、創作に使って何が悪いと思ったのが、この記事の発端です。阪神淡路大震災はエンタメ的創作物でたまに見かけるのに、東日本大震災がネタになってはいけないのはなぜか、とか事件はいつからネタにされてよいのか、東京マグニチュードが震災後、自粛され扱いが変わったこと、ピングドラムもモチーフにサリンや酒鬼薔薇なんかを使っているが好意的に受け止められていたことなどを友人と話しているうちに3.11が創作に与えた影響という話に辿り着きました。
ほんとは個別で拾ってみたいブコメもあったのですが、慣れてない上に長くなりそうだったのでこのへんで。
いやマジで解らない。解る人教えて欲しい。
5月5日早朝に震源の深さ約160km、マグニチュード6.2の地震が発生。
NHKが都内の様子を中継するために表参道を映したところ、ちょうどそこにいた女性が「地震なんかないよ」とカメラに向かって発言し、路上で煙草を吸って、一緒にいた男性とチューしたらしい。
その女性がタレントの東森美和さんだったということで、本人がブログで5月5日早朝に起こった地震のNHK地震速報の件についてというエントリをあげたところ、コメント欄は「謝罪しろ!」の大合唱。
お祭り騒ぎにかこつけて、ただ叩いている人も多いと思うけど、真剣に謝罪を求めてる人もいそう。いったい何がどうなると謝罪を求めたくなるのか。
「芸能人たるもの、公でもプライベートでもメディアにのるときは、発言に気をつけねばならない」とか「うかつな発言するとこの頃はネットですぐ叩かれるから気を付けないとね」というのは、芸能界の先輩が後輩に諭す事柄だよね。
それをなんで一介の素人が偉そうにその道のプロに言ってんだろ。しかも「だから謝罪しろ」だって。
おまえ被災者なのか。そうでないならなに勝手に代弁してんだよ。
まあそれはさておき。「地震なんかないよ」と言ったら被災者の気持ちを踏みにじってることになるの? ここが解らん。
休日明けの表参道で一晩飲み明かしたであろう酔っぱらいが「地震なんかないよ」と言ってたら「これは表参道は大した被害なさそうだな」となるだけだと思うけど。
これは、まあ、解る。
「地震中継でやるのはやめろよ。ズームイン朝の中継の後ろでピースするぐらいにしとけ」ってことだよね。
まあ、ただ、あれ売名行為でやってるようには見えないな。「いや、あれは売名行為としてやってるよ」って思ってる人いたら、どうしてそう思うのか教えて。
NHKなんじゃねえの。
人のプライベートを勝手に全国に流して、そのために一人のタレントがぼこぼこに叩かれてる。
あの中継で東森さん達を映す必要はなかったし、「地震なんかないよ」の発言のあとですぐにカメラの向きを変えても良かったはず。
もし「面白そうだから撮っとこ」と思ってカメラを向けたなら、それこそ糾弾されるべきでしょう。
「我社のプライバシーへの配慮に欠ける報道により東森さんにご迷惑を掛ける事態となり大変申し訳ない」と釈明会見すべきじゃないか。
まあ、それやったら街中の様子を映すニュース映像が使えなくなっちゃうから、NHKはやらないと思うけどね。
地震で目は覚めて「大きいな」とは思ったけど、揺れの続く時間が全然短かったし「大したことないな」とそのまま寝てた。
地震でなんらかの被害がでるのは震度6超えてからだね。今回はとてもそこまでいく感じじゃなかった。
それを「震度5弱!!!」と大騒ぎしてみたり。しかも大手町の一部だけで、あとは震度4以下でしょ。まあ普通にちょっと大きな地震だな。
それなのに大騒ぎする人を見るとね「震度5弱でガタガタ言うなよ!」という気分だった。だから東森さんの「地震なんかないよ」発言は寧ろスカッとしたね。
東森美和さんにどうして謝罪を求めるのか理由が解る人教えてね。
はてな民には真剣に謝罪を求めてる人は少なそうだから、あんまり理由が集まらないかも知れないけど、それでも少しでも良いから意見聞きたいです。
木村政昭氏の地震予測を一部の人が知って偉く驚いてるようだけど、なんか過剰評価にしか見えないので。
TwitLonger — When you talk too much for Twitter
ざっとネットで調べても、どうも木村政昭氏の地震の目理論というのがよくわからないんだけど。ちゃんと見るものを見ればわかると思うんですけど今はパス。
精度を調べると、多少見たところ「少なくとも一般の利用者にとっては現時点でそんなには高精度じゃない」というのが私の結論。
せめて 科学的・論理的な姿勢で原発の廃止を求める原発懐疑派のブログ ネット反原発派の極北・「@tokaiama 東海アマ管理人」氏の地震予知は真実かデマか? 並みにチェックしたかったんだけど(これでも本来不十分だけど少なくとも東海アマの予測がでたらめであることだけははっきり分かる)、そこまではできなかった。
ざっと見たところ、東海アマのレベルよりは比較にならないほど当てになる可能性は否定できなかったが、上記ブログにあるような「木村先生が阪神淡路大震災以降、ほとんどの地震の予測に成功されていて、」っていうのは「え、ホントかいな?」というのが私の見解。
まず、見てみよう。
彼の公式サイトのうち、2011/3/11のもっとも直前2011/02/18の日本列島地震予測図だ。
2007年には一度予測していたはずの、三陸沖の予測が書かれていない。
木村説に基づく私案 (2009年8月6日公表)にも、やっぱり三陸沖はない。
そして、2011/3/9、後から「前震」であったとわかった地震直後
これの目があったと突然言っている。
目があったと言っている。しかし、それまでの上記引用すべての図と違うように見えるのだが。
2011/3/9の前震の予兆と2011/3/11の予兆を取り違えることはあってもおかしくはないかもしれない。また、この比較だけをもって、地震の目理論の中身をデータと比較して検討しなければ「地震の目」理論そのものの妥当性(多少なりとも役に立つかもしれない、という可能性も含めて)を否定することはまったくできない。が、現時点で「木村政昭氏は2011/3/11三陸沖地震を的確に予想していた」と言われると、まったく予測してなかったこと断言できる情報には欠けるが、的確な予想が出来ていたというのは無理ではなかろうか。実は予想してたんだけれども政治的理由等で隠していたとか言われたらちょっとまぁ私には手に負えないが。
で、本当はもっと過去の予測と実績を予測履歴と比較すべきなのだが、ぱっとぐぐっても私には見つからなかったので、
みつかったうちの最も古い前述の「木村説に基づく私案 (2009年8月6日公表)」でみてみよう。
このうち、台湾付近(2009±2)のは当たってれば来てるはずなので、とみてみると
NEIC: Earthquake Search Results
…なさそうに見えますが。M5.5以上検索。2009/8/1~本日。当たっていればLAT21付近にあるはずなんですけど(このシステムのデータ漏れがあったらわかりませんが)。そんな地震があったというエビデンスがあったら教えてください…。他のは予測期間が終わってないんで判定できませんが。。。
千葉周辺はなんか最近の他の学者が言ってるのと似てないこともない気がしますので、これは当たるのかもしれません(既に311余波で起こってたりします?)
鹿児島南東沖はまだ予測範囲終わってませんが、気象庁 | 震度データベース検索とかで見る限り、鹿児島震度1以上で震源地とマグニチュードが一致するものは見当たりません。
で、2011/8/9版をみると
随分変わってますね。
まぁ、3/11で大きく事情が変わったとかいうのが地震の目理論に当てはまるかわかりませんが(311でまったく過去のデータが使い物にならなくなってたとすると多分私が見た数ページからして地震の目理論はたぶん、当分の間精度ががくおちです)。
#過去のは図から抜いてるだけで予測を撤回してないって話だと過去のも全部並べて重ねないと予測の意味がだいぶ減ってしまいそうですが)
外れが多かろうとも、一定の精度があるのであれば、まぁ備えることに無意味とは必ずしも言えないので、私が見た限り、「東海アマみたいに信じるのがバカ」レベルであるという判断はできませんでしたが、警戒情報として参考にするならともかく、現時点であまり祭り上げるのはどうだろうかと思うわけですが。
また、上記検証では理論の正しさは何も検証してないので、この理論の今後についてもなんら評価してませんので、将来この手法が精度を上げて実用化される可能性を否定するものではありません(とりたてて肯定もしませんけど)。
もうみんな忘れてると思うけど、おれは粘着だから覚えてるけど、去年の10月に北大の森谷武男という人が「再びマグニチュード9の地震が発生する確率が高くなってきました」という発表をしたのね。その魚拓が残っているので紹介しておく。
http://megalodon.jp/2011-1028-2242-46/nanako.sci.hokudai.ac.jp/~moriya/M9.htm
そんでその中に
どう責任を取るんだ、とか眠たいことはいわないけど、こんな研究者にお給金払うくらいだったらそこらへんで路頭に迷ってる高齢ポスドク雇ったほうがマシだよね。時給1400円(これは産総研の1号非常勤職員の最低時給だけど)出せばいくらでも集まると思うぜ。
Life is beautiful: なぜ1000年に一度の天災を考慮する必要があるのか
上記のブログは何がしたいのか。
そもそも「1000年に一度の天災」というもの定義が当初書いてすらなかったわけだが、何か珍妙な「これは百歩譲って、それぞれの原発に、1000年に一度程度、原発の設計で想定している以上の天災が起こり、それがシビアアクシデントに繋がると仮定した場合の計算である。」という定義が追記されている。
「東日本大震災」の被害の及ぶ範囲は広く、程度は違ったが、女川も襲っている。あえてこの2立地の原発に限定しても、やはり1000年に一度の災害がそれぞれ別々に襲ってくると言いたいのだろうか?
「1000年に一度の天災」という言葉が一人歩きしているが、東日本大震災をきっかけに言われている所から考えて、これってぶっちゃげ「貞観地震(869年)から1100年以上ぶりだったっぽいのでだいたい1000年に一度に当たったねと言われてるだけのこと(※学術的にそうでないもっと別の定義で使っている専門家の存在は排除しないが、大抵のマスコミ、一般人等にこれ以上の明確な定義が共有されている気配は感じない)で、これがそれ以前も今後も1000年に一度程度起こるという計算は一体誰がした。
地層型だろうとプレート型だろうと、百数十年前以前の過去の地震についてのデータは少ないため震源・規模・被害に不明点は多いし、1500年以上前に至っては資料はさらに激減する。また、地震は周期性がある時期あったとしても大地の性質上変わっていくものなので、地震リスクが1000年に一度程度などと一定の根拠を持って算出されたものがあるだろうか?ちなみにいえば、東日本大震災について「1000年に一度の天災」とある程度確率が認められたとしてもその分布は一様ではなかろう(プレート型であるか、少なくともプレート型との関連は指摘されている。プレート地震の翌年は、大きな余震等はあるかもしれないが、M9クラスの翌年はM9クラスの確率は下がりはしないだろうか?)。断層型にしたって、同一断層で1000年に一度クラスの大地震が2年連続で発生する確率が毎年独立の1/1000の確率で計算できるというのだろうか。分布が偏った確率だと考える方が普通ではないか。
これに対して、「1000年に一度とは日本全土である」などという批判(I田のぶのぶ他)も見かけたが、それはそれでおかしい。
「東海東南海南海連動大地震」がM9級で来る可能性が東日本大震災と合わせて1000年に一回?どういう計算なのかさっぱりわからない。実のところ1000年に一度と言っているが、東日本大震災と同程度のリスクを抱えているかもしれないところとして、私は少なくとも「東海東南海南海連動大地震」を挙げることができる。他にもあるかもしれない、しかし、そんなものが数えきれないほど日本に眠っているかというとそんなことはあるまい。山ほどあったら「ある地域が東日本大震災級の地震系災害にあう」確率は跳ね上がって1000年に一度どころではなくなる。
だから、そもそも「1000年に一度ってなんやねん」。上記ブログに従うと「1000年に一度の天災」は「(日本全体で見れば、100年に2〜3度は起こると覚悟しておいた方が良い」って確率なので来ない時には来ないのだが、それを加味したって日本史をひも解いて「1000年に一度の災害が100年に2~3度起こることはよくある」と読むと正直に何をいっているかわからない。「1000年に一度の天災でも偶然集中すれば100年に2〜3度は起こることがありうる」という話ではないようだ(文脈よりそう読解)。日本史をひも解いて「1000年に一度の天災が日本全土でみれば100年に2〜3度程度発生している」のか?正直何を言っているかわからないというか、それが「東日本大震災」級のことだとすればどういうデータに基づいているかわらかない。そうではなく「日本全土でみれば100年に2〜3度程度発生してきた災害」を指すなら多分世間一般には1000年に一度とは言われないんじゃないだろうか。
#東日本大震災級未満の「日本全土でみれば100年に2〜3度程度発生してきた災害」でも「原発にシビルアクシデントが起こる」可能性の話をしたいならそのようになさればよろしいかと。実際には原発毎に耐震想定には差はあるし、福島第一が他のもっと軽い災害でもこのようになった可能性を私は否定するつもりはない。
実際問題、三陸海岸に限定してみれば、明治三陸地震や昭和三陸地震の津波等見ると1000年に一度ってわけでもないという評価もあろうかと思う。しかし、福島にそんなにしょっちゅう同規模の揺れ・津波が来ていたという記録はまだないはずだ(実は全然知られていないだけで今後明らかになるという可能性は否定はしない。もっと低い津波ならもちろん記録があると公表されている)。地震は震源地によって被害が変わるのでマグニチュードだけで単純計算はできないのだが、
1000年に一度の災害、というキーワードが出回っているからといって、1/1000という数字で確率を計算するのがそもそも無謀である。
確かに、「それぞれの原発に、1000年に一度程度、原発の設計で想定している以上の天災が起こり、それがシビアアクシデントに繋がると仮定した場合の計算である。」という前提の話なら、その確率分布に一定の条件を加えることでこのような計算は可能とならないことはないのだが、どのような根拠をもってそのようなことを言っているのかさっぱりわからなない。
ともかく、正直なところ前述のブロガーが何を言っているかわからないので、「日本全体で見れば、100年に2〜3度は起こると覚悟しておいた方が良い」というのが、過去200年に日本史では具体的にどの災害にあたってどれぐらいに頻度・被害だったと想定しているのか教えてもらいたい。この200年が確率による偶然の空白期だというならもっとさかのぼってもらっても構わないので、「日本全体で見れば、100年に2〜3度は起こると覚悟しておいた方が良い」というのは具体的に過去のどれなのかぜひ教えてもらいたい。
その説明が学問的に正しかろうとそうでなかろうと、そこを説明してもらえば何を言いたいかは少しは理解できる気はする。その内容次第では誰か別の式の導出を提案してくれるかもしれない。
そもそも大地震に周期性を仮定していいのか良くわからん。マグニチュードが大きくてもサイレント地震やスロー地震もあるし、東海地震よりも発生確率が低い場所で大地震は起きてきているし。ロバート・ゲラー東大大学院教授(地震学)は地震予知不可能だと批判している。
1000年でマグニチュード9.0のエネルギーがたまる勘定だとすると、1年あたりではマグニチュード7.0なんだよね。これだって大地震だ。広島投下の原爆だってマグニチュードに直すと6.0いかないらしい。人類史上最大の核爆弾もマグニチュード8.4相当だそうで(まあwikipediaの「エネルギーの比較」にある噂なんで間違ってるかもしれないが)。
ま、ともかく、エネルギー量だけで考えると、チリ地震の前では他の巨大地震もほとんどが霞んでしまう。地震ってやつは、大から小まで実に幅が広い。
科学雑誌『ニュートン』の2011年6月号は東日本大震災の特集で、地震の大きさについていろいろ書いてあった。
なんでも、マグニチュードの数値が1上がると地震の持つエネルギー量は約32倍になるとか。
と、言われてもド文系の私には何がなんだかわからない。だから、インターネットの力を借りて地震の大きさについてメモってみる。
http://www.convertalot.com/earthquake_power__calculator.html
Earthquake Power Calculator
まず、1995年の阪神淡路大震災(兵庫県南部地震)について。
M7.3 エネルギー量は5600兆ジュール。TNT火薬に換算すると1.3メガトンぶん。
これを便宜上「1阪神」と名づけよう。1995年の阪神は弱かった。関係ないけど。
M7.9 エネルギー量は4京4000兆ジュール。TNT火薬に換算すると10メガトンぶん。
1995年の阪神を1とすると7.8倍のエネルギーだ。すごい。つまり年間ワースト記録の年間84敗(1995年)の7.8倍
つまりシーズン通産655.2敗を喫するということだ。すごい。
今年三月の地震はどうか?というと、当初の速報値では
M8.4 エネルギー量25京ジュール。TNT火薬に換算すると60メガトンぶん。
阪神が44チーム。これはなかなかすごい。一塁手グレンが44人も。打点も3388点は期待できる。
しかし翌日、M数が修正された。
M8.8 エネルギー量は100京ジュール。TNT火薬に換算すると230メガトンぶん。
っていうか、昨日の数値の4倍近くじゃねえか。178阪神。新庄が178人いるので気の迷いで買ってしまったランボルギーニLM002・チータも178台ということになる。ちなみに大失敗作のチータは301台しか生産されてないのでほとんどが新庄の愛車ということに。
翌々日、正式な値が出た。
M9.0 エネルギー量は190兆ジュール。TNT火薬に換算すると470メガトンぶん。
やっぱり昨日の倍近くじゃねえか。どんだけ丼勘定なんじゃいと突っ込みたくなるのを抑えてみるが、やはり339阪神というのは途方もない。シーズン終了時のゲーム差は36.0だったからその339倍で…12204ゲーム差。追いつける気がしない。
M9.5 エネルギー量は1100京ジュール。 TNT火薬に換算すると2600メガトンぶん。
1995年の阪神の1964倍の規模ということだ。もう気が遠くなる。シーズン途中の監督交代も1964人。シーズンが4~10月の七ヶ月だとしても(阪神のシーズンがそんなに長い事は90年代には滅多になかった)毎月280人の監督が必要になる。2.5時間に一度監督が交代する計算になる。
http://www.47news.jp/CN/201104/CN2011041301001002.html
「(常に)日本全土が地震の危険にさらされており、特定の地域のリスクを評価できない」とし、国民や政府に「想定外」に備えるよう求めた。
「今こそ(政府は)地震を予知できないことを国民に率直に伝えるとき」とも提言しており、世界的な学術誌への掲載は地震多発国・日本の予知政策に影響を与える可能性もある。
論文では、予知の根拠とされる地震の前兆現象について「近代的な測定技術では見つかっていない」と指摘し、「国内で1979年以降10人以上の死者が出た地震は、予知では確率が低いとされていた地域で発生」と分析。マグニチュード8クラスの東海・東南海・南海地震を想定した地震予知は、方法論に欠陥がある
つまり、
ただし、東北新幹線は事前の微細動の検知のおかげで脱線せずに済んだのである。注意すべきは
である。
1:に関してはご存じの方も多いと思う。今の科学では、比較的大きな地震が来たら「これはプレスリップかもしれないから、次にもっと大きな地震が来ることもありえるので注意してね」というぐらいの周知と備えへの啓蒙しかできないのだ。これまでは経験的に「こんなでっかい地震来たら次はしばらくこないやろ~」という人が多かったと思う。しかし、そんなものは思い込みでしかないことが、今回でおわかりいただけたかと。
2:に関してもそう。統計的に地震を予測するにしても、圧倒的にコーパスが足りない。1000年に1度の規模の地震が起こったとして、それがほんとうに1000年に1度の頻度であるかというのは、また話が違うのだ。
これは先の経験的な件と重なるが、一度の巨大地震が歪みをリセット(ゼロになる)するわけではない。「1000年に1度の地震が起こったのだから、次は1000年後までないに決まってる」わけがないのだ。そもそもその「1000年に1度」を疑う必要があるということ。
3:に関しても同じ。私たちが生きている間にその技術が確立することはないだろうが、「その研究は無駄だから仕分けしましょう」などとは話が違う。
また、これを「緊急地震速報は無駄」だと話をすり替えられても困る。緊急地震速報はP波である可能性が高いものを検知して、速報している。実際今回の本震においても速報は機能した。ただ、今の技術では「それがどの程度の規模の地震か」という予測まではできない。できるのは「地震が来るか来ないか」であり、「これから宮城県沖でM9.0の地震が来ます」ではない。地震が来ることがわかるならそれに越したことはないのだ。「あの音が嫌だからやめろ」なら音を作った人の努力も浮かばれるというもの。
とにかく、今の地震観測技術は、岩だけの離島に鳥の糞で植物のタネが落とされた程度だし、それをひとつの植物に育て上げるにはこれまた長い年月が必要だということ。
今使いものにならないからイラネ、という態度だけはやめていただきたいし、この教授もそういう意味で言っているわけではないということを理解してほしい。
1000年でマグニチュード9.0のエネルギーが溜まるということは…。っと、その前に最近の東北沖あたりでの地震エネルギーを足しあわせてみると…本震以外は足しあわせても本震の50分の1くらいにしかならない。なので本震だけで考える。
本震のエネルギーはマグニチュード9.0だが、1000年かけて蓄積されたエネルギーと考える。これが1年しか蓄積されず、毎年1回ずつ地震が起こってエネルギーが開放されると仮定する。するとエネルギーは1000分の1ずつとなり、マグニチュードでは…だいたい2.0を減じたものとなる。つまり、毎年起こるならばマグニチュード7.0の地震である。…えーと…これでもすごい大地震。
マグニチュード7.0でも大きいので、津波が起きる下限という噂のあるマグニチュード6.0、ここまでエネルギーがたまったら地震が起きると想定してみる。さらにエネルギーは32分の1くらいしかためられないことになってしまったので、365日の1/32だから10日ちょっとしかもたない。毎月3回くらい中程度の地震…
せめて地震が小出しになってくれればと想像して(いろんな部分で強引だが)計算してみたが、予想外に厳しすぎるシミュレーション結果がでてしまった。地球は生きているという表現があるが、もっともっとおとなしくなってくれないものだろうか、そう思ってしまった。
今回のアクシデントを、単純に評価すればレベル5とか6かもしれないが、
ここでいう「レベル」は、地震で言えばマグニチュードに相当する概念
これに対して、実際に蒙る被害の総量は、
原発後背地の気象条件、地形、人口密度、社会インフラ(道路鉄道の整備具合)、
人々の知的リテラシー、経済力、政治的要因によって変わることになる。
人口密度が北海道以下のウクライナで起こった「レベル7の事故」と、
人口稠密地帯(福島県だけでもそれなりの人口密度がある上、後背地に仙台、さらに首都圏を抱える)
「日本のレベル5(~6)の事故の方が被害が大きい」ことも十分ありえるのだ。
人口密度が希薄なアラスカとかでマグニチュード8.0の地震が発生するより、
人口密度が稠密な阪神間でマグニチュード7.2の地震が発生する方が、被害が大きいのと同じ理屈である。
※「人々の知的リテラシー」「経済力」「政治的要因」の点では、
業務の前に書店に寄ることが、半ば習慣化していた。
人の声の重なりのような、妙なざわつきを感じる。
地面が揺れていることに気づいたのは、その後だった。
一昨日の余震だろうか?それならばすぐに収まるだろう。
生まれて初めて体験する激震が、我が身を、そして店全体を揺らしたのは、そんな甘い考えが脳裏をよぎった瞬間のことだった。
本を買うより、身の安全の確保が第一だ。
店を出る瞬間に、視界の片隅だけに見えていたものだけど、その光景は良く覚えている。
激しく揺れ動く地面と同様に、あまりにも落ち着きのない思考が私を動かしていた。
だけど私は運が良かった。ガラスが割れる軽やかな音に気づけたから。
目の前で、ガラス造りの街灯が落ちて地面に砕け散った。
あと数秒、私の走りが早かったら、危なかったかもしれない。
まずは身の安全の確保だ。最優先事項にやっと気づいた私は、元々いた書店の入り口近くにある金属の柱にしがみつく。
建物の近くにいては倒壊に巻き込まれるのではないか、という考えもあったが、倒れそうには見えない外見のビルであったし、何よりも、屋根があった。
何かが落ちてきても、屋根があれば最悪の事態を免れることが出来るだろう。
一息ついて油断した、その瞬間を見逃さずに追撃するかのように、それはやってきた。
もっとも、どんな覚悟も、あれの前には無意味だったと思う。
視界に入るもの全てが揺れ動いていた。地面が左右に揺れる、というのを視認したのは初めてだったと思う。
地鳴りと悲鳴が重なる。震度表には「立っていられないほどの揺れ」という表現があるが、まさにそれであった。
銀色の柱にしがみつき、身体を支えること以外、何も出来なかった。
勇気ある人は、危険な位置にいた女の子たちを比較的安全な場所へと誘導していた。
その後、ガラスの街灯がまたひとつ落ちた。ガラスの破片が散らばったけれど、気にしている余裕はない。
私は死ぬのか、この世は終わるのか。本当にそう思った。
長い、長い、私の体感では3分ほど、実際はもっと短いだろう(これを書いている時点では正確なデータがないのです)、
だけど長い地震が終わって、私の思考はまた落ち着きのないものへ切り替わっていた。
そうだ、職場に行かなければならない。
揺れが収まり、身動きが取れることを確認すると、私は職場のビルへと向かった。
エレベーターは動かない。12階立建てのビルの3階に職場はある。
階段の壁は一部が崩れ、破片がそこらに落ちていた。非常灯がなかったので、昼と言えど薄暗かった。
それは階段だけではく、各階でも同様のようであった。日の光が差し込むだけ、階段よりは明るかった。
ドアを押しあけ、オフィスへ入るとほぼ同時に、余震が襲いかかった。あの本震の直後の余震である。実際にどれほどの震度の余震だったのか、これも現時点ではわからないけれど、本震と同じくらい強いものに感じた。
「危ないから入ってきちゃ駄目!」と悲鳴に近い声が私に掛けられたけれど、入ってきてしまったものは仕方ない。
オフィスの中にいた他の方々とともに、私は机の下に身を隠した。
自ら飛び込んできた私はともかく、朝から働いていたオフィス内の人々は、突然の、しかも未曾有の大きさの地震を受け、憔悴しているようだった。
それから、階段を降ってビルを出て、一度は近くの小学校へ避難した。しかし、地域の方々の避難が最優先であるため、解散の命令が出るまで、私たちは歩道で待機していた。
その間も余震はまるで容赦しない。地面が揺れる、街灯や電線が揺れる。大きな看板が地震で壊れていて、たくさんの人が携帯電話で写真を撮っていた。
本震の最大震度が7と聞き、やっぱりね、とか、宮城県沖地震かな、などという話題が上がった。少量ながら雪が降り始めて、とても寒かった。
地震保険の話があった。我が家には適用されるのだろうか。いや、それよりも我が家は無事か。
携帯電話を操作して、自宅に電話をかけるも、繋がらない。当たり前のことだった。
それからしばらくして、今日のところは解散、ということが上司から伝えられた。私は家まで歩いて帰ろうとしていたけれど、同じ方向に住まいがある同僚がいたので、家の近くまで送っていただくことになった。
車道は当然のように渋滞していた。加えて、一部を除いて、信号も動いていない。
仙台市中心部から郊外へ移動しようというのだから、渋滞に巻き込まれるのは致し方ないことだ。30分で100メートル移動出来たかどうか、ということもあった。
正直に言えば、自宅まで徒歩で戻った方が、早く家についたかもしれない。しかし、車で送って頂いて本当に良かったと思う。
そう思う理由はいくつかある。ひとつは、複数の人とともに移動することによって、不安や恐怖と言ったものを少しは紛らわせたということ。また、車にはラジオが搭載されているから、最新情報を確認することが出来たのも大きい。外気を遮断し、暖をとりつつ移動出来たというのもある。被災直後から、仙台市内には断続的に雪が降り、吹雪くことさえあったから。
最終的なマグニチュードが8.8であるという報道を聞き、私たちは笑うしかなかった。この地震で亡くなった方が出るかもしれない、という話題にもなった。これを書いている今現在、確認されている死者は1000人以上であると聞いている。ここまで多くの方が亡くなってしまうとは、あの時、思いもしなかった。
移動中、私は家族が心配でならなかった。特に、自宅にいるであろう、母。我が家は築25年の木造住宅である。自宅が倒壊してしまったのではなかろうか、それに母が巻き込まれてしまったのではないか、心配で心配で溜まらなかった。
同乗している同僚は、2歳のお嬢さんを心配していた。夫の実家に預けているのだが、連絡が取れないのだという。
私も母との連絡は取れない。「頼りがないのは良い証拠」であるという、この場にはまるでふさわしくない故事を信じるしかなかった。
被災直後であるから、携帯電話は全く役に立たない。それはとうに承知していても、家族の安否を確かめたいというのは当然のことだ。電話はとても繋がりにくかったが、幸い兄との連絡はついた。それから、機械に疎い家族が見るかどうか分からないが、災害伝言板に書き込みをしておいた。
車に乗っていても、余震は我が身に伝わる。窓から見える外では、多くの人が歩いていた。結婚式の最中だったのか、よそ行きの格好のまま避難する人、スーパーのビニール袋を被る人、クリーム色のカーテンを纏う人、様々いた。
1、2時間も経つと、日が傾き、徐々に日の光が失われていった。明かりがあるのは車ばかりで、どの店、どのビル、どの建物も真っ暗なままだった。唯一、警察署だけは明るかったけれど、自家発電装置はいつまで持つのだろうか。
これだけの巨大な地震であるにも関わらず、高層ビルの倒壊がなかった、このことはすごいことだと思う。
しかし、それは外見の話だ。どこも大なり小なりの被害を受けていて、壁が崩れたり、窓ガラスが割れたりするのは当たり前、水道管が壊れて、水が溢れだしている家もあった。
3時間半ほどの時間を掛けて、自宅の近くまで送って頂いた。ここからは、歩いて帰ることになる。
外はやはり寒かった。実際の気温だけではない。街のどこにも光がない。駅の近くにある大きな交差点、そこの信号は機能していたけれど、他の信号は依然光を失ったまま。これまで車で通り過ぎてきた光景と同じく、街のどこにも灯りはなかった。
この夜の空は、山中で見るもののようだった。星座が確認出来るくらい、綺麗な星空。あまたの星がいつもと同じように、黒のキャンパスの上で煌めき、瞬く。暗い街並みといつにも増して美しい夜空を、私は生涯、忘れないと思う。
さて、この地震では、かなり多くの方が避難所での生活を余儀なくされている。
我が家はかなりましな状況であるということを、ここで記しておく(こうやって被災最中に手記らしきものを書いている時点でお察しの方も多いだろう)。
何せ、不自由なことは多いものの、自宅で生活が出来ているのだ。現在、これを書いている3日目の朝も、白いご飯を食べ、暖かな野菜のスープを飲み、ゆで卵まで頂くことが出来ているのだから。
4時間かけて自宅まで戻ってきたが、電気はついているはずもない。もしかしたらみんな、避難所にいるのかもしれない。あるいは……。
最悪の事態を思い浮かべながら、玄関を開ける。ただいまと誰もいないかもしれない家に声をかける。返事はすぐに戻ってきた。
家族は全員、茶の間にいた。みんな、無事だった。そのことに安堵の息を漏らしつつ、私は茶の間に入った。
意外なことに、茶の間は暖かだった。捨てるつもりでいた石油ストーブを物置から持ってきて動かしていたのだ。停電していても暖が取れるのはありがたかった。さらに、ストーブの上にやかんを置けば、時間はかがるがお湯が湧く。パンを置けばカリカリに焼ける。外は氷点下にまで冷え込む中、石油ストーブで外から身体を暖め、お茶で内からも暖める。とても幸せなことだった。これを呼んでいらっしゃる皆様には、是非一家に一台、石油ストーブの購入をお勧めする。
家の中には、父、母、兄、それに近くに住む親戚の小母さんがいた。小母さんは、この地震で誰とも連絡が取れず、また誰も帰ってこないという。家の中は地震で家具が散乱しており、中にはとても入れない。一人でいるのも不安である。そのため我が家に来たのだという。
自宅へ帰って来た頃、時刻はもうすぐで8時を迎えようとしているところだった。こたつの上には大きな蝋燭が立てられていて、その脇にラジオが置かれていた。懐中電灯もあるにはあるが、あまり明るくないので、部屋全体は照らせない。そのため、トイレに行く時等、移動する際に使われていた。
そういえば、自室に小さなライトがあるのを私は思いだした。いつだかに、ゲームセンターのUFOキャッチャーで取ったものだ。おもちゃに近いが、電球ではなくLEDなので、大きさの割には強い光を出す。
本棚が倒れたため、本で埋め尽くされ、足の踏み場がない部屋へ行く(自室の荒れ方がまた素晴らしかったので、出来ればお見せしたいところであるが、この時既に携帯電話の電池が切れていた。残念である)。机の引き出しの中にライトはあった。スイッチを入れると、白い光が散乱した部屋を照らした。
また、その時の私は、黒いタイツにストッキングと随分冷える格好をしていた。荒れ果てた部屋からジーンズを引っ張りだして着替えた。ついでに、タオルケットと毛布を茶の間へ持ち出した。
茶の間に戻り、ライトで辺りを照らしてみせると、蝋燭や懐中電灯よりも広い範囲をより明るく照らせたので、当座はこのライトで部屋を照らすことになった。裸火がなくなり、火事の可能性が低くなったのでひとまず安心した。
余震は断続的に続いていた。これを書いている今もそうだが、大小の関係なしに、何度も何度も地震に遭っていると、いつも地面が揺れているような感覚に襲われる。恐怖が完全に拭われることはなく、むしろ大きい余震があるたびに増大していった。
母は、少し昼寝をしようとしていた時に地震に見舞われたそうだ。これほど大きな地震であれば、逃げることをまず第一に考えそうなものだが、母は42型の液晶テレビが倒れないか心配だったらしい。テレビを支えつつ、近くの柱にしがみついて、本震を耐えきったそうだ。
兄は仕事をしていた。オフィスの中にあったパソコンは全て倒れて使えなくなったそうで、しばらくは仕事にならないだろう、それどころか解雇されるのではないか、と心配していた。
父もまた、仕事をしていた。スーパーでカゴ集めのパートをしている父は、地震の瞬間に店内にいた。これは危ない、と思い、しかし出口からは遠い場所にいた父は、普段は閉じられたままのガラス張りのドアをこじ開けて外に出たという。後から聞いた話によると、父の勤務地のスーパーは、天井が落ちてしまったそうだ。
ラジオから聞こえてくる男性の声が、この地震による被害の状況を伝える。泉区で家がひとつ倒壊した、壁に挟まれて死んだ人がいる、火災が発生した、津波で何もかも飲み込まれた……。いつもの夜のラジオなら、軽やかな音楽や楽しげに話すDJの声が漏れてくるのに、今宵は厳しい現実と、それを乗り越える手段が、無機質に流れ出ているだけだった。
私が自宅に帰宅して、1時間ほどして、親戚の小母さんの娘さんが帰ってきた。
この時、電話はまともに使えなかったが、メールやインターネットならば使用可能な状態にあった。
機械音痴らしい小母さんは、メールを打てない。私が代わって、娘さんに「小母さんは我が家にいる」との内容を打ち、送信したところ、娘さんはすぐに我が家に駆けつけた。それまでは近くの避難所を当たっていたらしい。
娘さんの勤め先は、長町にある。我が家は仙台市泉区に位置しており、長町とはかなりの距離がある。娘さんは同僚の方から自転車を借り、ここまで帰ってきたのだった。それまでに1時間半の時間を要したそうだ。
午後の10時頃に、小母さんの旦那さん、つまり小父さんが帰ってきた。小父さんは地震発生直後に車に乗ったのだけど、ひどい渋滞に巻き込まれて、この時間に帰ってきたのだという。実に7時間もの時間をかけての帰宅だった。
先にも述べたが、被災はしたものの、我が家はかなりましな方だった。屋根瓦が吹っ飛んだり、壁に多少のひびがはいったりはしたけれど、とりあえず住める状態にはあったのだから。停電していて茶の間以外は真っ暗だし、ガスも当然止まってはいるけれど、この時点で水道は使用できた。トイレも流せる。これだけで、精神に随分と余裕ができた。とは言っても、時間が経つにつれて水圧は低下していき、2日目の昼には断水になってしまうのだけど。
しかし、断水前に風呂に水を貯めておけたのは良かったと思う。おかげで、今のところ、トイレの水には困っていない。流石に大しか流せないので、そこらへんの節約は必要だ。
とにかく、電気とガスが使えないのが痛い。そうは言っても、ライフラインが回復するまでは今ある環境で耐えるしかない。母に菓子パンを食べるように勧められたが、遠慮して、お茶だけ飲んでいた。……皮下脂肪が厚いので、少しの間飲まず食わずでも耐えられる。
夜の11時を迎えたところで、両親に就寝するように言われた。どうせ、余震が続いて眠れないので、次の日の夜明け、6時50分頃まで起きているつもりだったが、せめて横になるように、と言われたので、茶の間の畳の上に体を横たえた。今夜は座布団が枕の代わりだ。寝転がり、目をつぶるだけで、少しは休むことができる。
形だけの就寝をし始めて1時間。日付が変わった後、ふと母の携帯電話を見てみると、2、3時間前まであった電波がなくなっていた。メールやネットならば使えたのに、それすら出来ない。ラジオ以外の情報獲得手段がない。ニコニコ動画やユーストリームでNHKの放送をしている、とラジオは伝えていたけれど、そんなもの役に立たない、と思った(もちろん、まだ電池のある携帯電話等を持っている人には重要なのだと思うけど)。ちなみに、家に帰ってきた時点で、私の電話の電池は切れてしまった。
日の出まであと6時間。ラジオは伝える。どうか日の出まで、希望を持ってと。ラジオは伝える。現実を。荒浜に、200から300の遺体が流れ着いたとの報を聞き、涙が頬を伝った。
3時か4時になった頃、NHKのラジオが音楽を流した。2曲流れて、1曲は確か「カノン」だったと思う。そのおかげがどうかは分からないが、私は少し、眠ることが出来た。余震がある度に起こされはしたものの……。
長い、長い夜を過ごしているうち、私はひとつ思いついた。
被災している最中から、忘れないうちに、体験談を記しておこうと。
携帯電話は使えない。iPadは不向きだ。だから今、pomeraを使って書いている。我が家にて、単4電池を使う懐中電灯等もなかったから、こうやって書いている。
これは被災してから2日目に書き始めた。現在荒削りながら、被災当日のことを書き終えて、5日目である。出来れば電気が繋がった3日目のことまで書いて、増田に上げられれば、と思う。私なんか、とてもとてもましな方だったけれど、千年に一度とも言われる天災の体験談は書いておかなければならないと思った。……エゴイストで申し訳ない。
また、普段は趣味で小説のようなものを書いているので、そのような表現があり、読みにくい箇所も多々あったかと思う。このことについてもここでお詫びする。
私が住んでいる仙台市泉区のとあるところでは、3日目で電気が繋がり、4日目で携帯電話の通話及びメールが使用可能に、そして現在、5日目の朝にネットが復旧した。
就職活動を成功させたいのなら、就活塾や説明会にいくよりも、エントリーシートを書くよりも、やるべきことがあります。
人助けをしたいのならば、デマツイートをドヤ顔でRTするよりも、「僕にできることはないだろうか(キリッ」とドヤ顔で呟くよりもやるべきことがあります。
それはどんな努力よりも効果的で、短期間で出来て、就職活動を成功に導く方法です。
それは地震災害ボランティアに参加することです。災害ボランティアは考えられる限り最強の就職活動対策です。
理由は三つあります。
(1)日本企業が求める「誠実さ」「協調性」「行動力」「自己犠牲の精神」「相互扶助の精神」ほぼ全てを一発でアピールできます。
今の地震は安西先生も裸足で逃げ出すレベルです。その余震リスク、放射能リスクを物ともせず、今、困っている人を助ける為に行動する人間を評価しない人間はおそらく日本企業にはひとりもいません。他人を助けたいと思う「誠実さ」「自己犠牲の精神」「相互扶助の精神」は日本の企業が喉から手が出るほど欲しい能力です。
震源地に赴く行動力は「チャレンジ精神」「行動力」として企業に高く評価されます。
(2)マグニチュード8・8のインパクトとオリジナリティがある
「塾講師」「サークルの副リーダー」「飲食店バイト」なんていう自己PRは、アルマゲドンのシナリオ級にありきたりです。
誰でも出来て、誰でもやっているので何のインパクトもなく、就職活動で有利になることはありえません。
しかし、地震ボランティアなら、誰もやりたがりませんし、誰でも出来ないので、インパクトがあります。
インパクトがある行動は記憶されやすく、選考に通りやすくなります。
(3)わかりやすく、ケチがつけにくい
様々な学生時代の活動は、オリジナリティがあればあるほど、周辺条件を説明するのに手間がかかります。
特別な経験であるほど、説明コストがあがるのです。また、面接官によっては「他にやるべきことがあったんじゃないの?」
「ボランティアが好きならなんで民間企業に就職するの?」とケチをつけられることもあります。
しかし、地震ボランティアなら、日本人全員が周辺状況を共有しているため、一発で伝わります。
また、まともな大人なら公衆の面前で地震ボランティアにケチをつけることは出来るわけがありません。
この三つの理由から、地震災害支援ボランティアは数ある就職活動対策の中で、ほぼ最強の就職活動対策です。
この自己PRがあれば、トヨタだろうと、パナソニックだろうと、どんな難関企業の面接も屁ではありません。
どんな面接官もハンカチで涙をぬぐって、あなたを採用することでしょう。日本人にとっていい話は「TOEIC900点のアメフト部主将」を上回ります。
デマ情報をRTしている暇があるなら、 全国社会福祉協議会 03-3581-7851にボランティアを申し出ましょう。
中には、「そんな不純な動機でボランティアなんかするな!」と憤る方もいるでしょう。
しかし、凍える夜に配給される、飢えた胃を癒すおかゆに純も不純もありません。
乾いた喉を潤す、おいしい水に純も不純もありません。
ヘレン・ケラーですら見えない・聞こえないフリをするレベルのこの大震災の震源地に、善意だけで支援を申し出ることのできる人はほんのわずかです。
ほんのわずかな人ができる善行もほんのわずかです。ほんのわずかな行動では恐らく、今、困っている人達を救うことはできません。
偽善による善が行われないならば、善行が将来的に自分の利益になるものでないならば、世の中の善行のほとんどは死滅します。
ハリウッドスターのチャリティーなんかほとんど広報の一環ですが、多くの富を寄付しています。
純粋な善行ではなく、自分の利益の為に打算的な考えで、ボランティアを申し出る普通の人はたくさんいます。普通の人が自分の為に行動することが、今、救える命を救うことにつながるのです。
だから、今救える命を救う為なんかではなく、「一流企業に内定して、ブランド社名をチラつかせて合コンで美人OLをお持ち帰りするために」「一流企業の内定で、自分の自己顕示欲を満足させるために」「就活武勇伝を後輩に自慢するために」こそ、ボランティアをするべきです。
救助を受けている人達にとって、ボランティアの人が何を考えているのかなんてどうでもいいことです。たとえ、あなたが「このボランティア経験をアピールして、一流企業に内定して、合コン無双して、童貞を捨てるぜ!うひゃっほう!」と思っていたとしても、温かい毛布は毛布で、おいしい炊き出しは炊き出しです。