「プリント」を含む日記 RSS

はてなキーワード: プリントとは

2023-11-22

anond:20231122183748

プリントサインならともかく個数的にサインはきつい

限定100個までだな

途上国鉄道と、たばこ

6、7年前のこと。

当時、私は大学を1年休学し、アルバイト貯金を貯めては発展途上国に旅に出るという生活を送っていた。

いわゆるバックパッカーという奴で、当時はうだつの上がらない大学生を中心にとても流行っていた。

私はとある発展途上国にいた。というか、タイにいた。

国民からの支持も厚きプミポン国王陛下(大変偉大だった。名前の響きも良い)がまだご存命であらせられた頃の微笑みの国で、途上国と言っても過ごしやす場所だった。

主な活動拠点であった首都バンコクにはそこら中にコンビニがあるし、バンコクでなくても観光地ならそこら中にコンビニがあった。

距離の移動も楽で、自動車バイクトゥクトゥクなんかのタクシー車道を(適宜信号無視しながら)縦横無尽に行き交っていた。

足に自信があればレンタル自転車でも移動できたし、自信がなくてもレンタルエレファント騎乗することによってなんか自分がとても偉くなった気分にもなれた。

だが、長距離の移動は辛かった。

何十キロも移動する場合貧乏学生に与えられた選択肢乗合バス国有鉄道の2択になる。

私はこの1年後、南国フィジーで偶然出会った黒人雰囲気でビガップするまで乗合バスというもの食わず嫌いしていたのでタイで乗ったことはない。乗り込んだら最後ギャング鮨詰めになったファベーラっぽい場所に連れて行かれるような気がしていたからだ。

なので国有鉄道ばっかり乗っていた。

国有鉄道は大変安価で、バンコクから国中に放射状に線路が伸びていたっぽい。バンコクのなんか名前の長い駅からどこへでも行けるし、どこからでもバンコクに戻れた。

だだ、乗り心地は酷かった。

座面も背もたれも材質不明の硬い何か(プラスチックっぽい)で長時間乗るとケツが割れる。

はいつも半開きなくせになぜか換気能力が低く、どの車両に乗っても独特の臭いがした。しかもこの窓は出入り口でもあった。車両が駅に停車すると野生の物売りたちが華麗な身のこなしで窓から乗り込んでくるのだ。なので泥とか砂とかがいろんなとこについてた。

最も難儀したのは、夕方夜にかけて、バンコクから地方に向かう鉄道の車内である

一つ考えてほしい。我々日本人は、夜にへとへとで電車に乗りこんだものの、座席が空いていなかったらどうする? 観念して空いている場所に立つか、次の電車を待つかするだろう。

タイ疲れた人々はどうだろうか。そんな非効率的なことはしない。

何故なら、電車には床があるのだ。そして疲れているのだ。疲れている人は、座るか、寝るのだ。

そう、電車の床に座って、寝るのである。それも、スペースがあればあらゆる場所に。

座席の肘置きはもちろん、座席の下に潜り込んで疲れを誤魔化す。始発のバンコクならまだスペースに余りもあるが、途中の街から乗り込もうものなら、扉をあければもうみっちみちである

しかも、地方に行くほど駅が減る。1時間停車しないということもあった。つまり、長時間、めちゃ揺れる車内に、みちみち。

さて、以上が前情報である

私はその日の夕方とある観光地から別の観光地に向かう鉄道に乗り込んだ。そして、普通に行き先を間違えた。

動揺を押し隠して途中下車し、優しい駅員の指示のもと折り返しの電車を待った。折り返しの電車が来るころには、空は暗く、月が輝いていた。

やたら笑顔の駅員にはにかみながら、私はやってきた車両に乗り込んだ。

それはバンコクが始発の地方へと向かう鉄道だった。

扉を開けると、わぁ……人がみっしりしていたぁ……。

足の踏む場もないほどの人の密集具合に、育ちのいい小学生ほどもあるバカみたいにでかいリュックを背負っていた私は、車両にいることさえ不可能なのではないか思った。

そしてちゃん不可能だった。

行き場所を失い、半分外みたいな場所に追いやられた私は、そこが電車の連結部であることに気づいた。(賢いので)

日本電車の連結部は大抵、人間がおっこち線路脇のゴミにならないように何かしらで覆われている。だがその車両は違った。

連結部の左右は吹き抜けで、端的に言うとめちゃくちゃ危なかった。

だが、私の居場所はそこにしかなかった。私は肩の荷を慎重に下ろし、それに腰掛ける形で車両入り口の扉に向かい合った。バランスを崩すとそのまま車両から脱落する可能性が大いにあったので、足を広く開き、腕は胸の前で組んだ。RPGボスみたいな座り方だな、と思った。

それからしばらく、私は連結部の主だった。

どれぐらい動的不動の時間が過ぎたか、12、3歳の少年が、扉を開いて入ってきた。

続きはまた今度書く。

さて、続き。

少年の年齢は私の推測である。見慣れた日本人ならともかく、他人種の正確な年齢など私にとっては一目見て分かるものではない。

ただ、少年は成人男性の顎ぐらいの身長スポーツ刈りだった。よれよれのシャツを着て、よれよれのズボンを履いていた。

少し話は逸れるが、私がタイを訪れ、タイ人と出会って抱いた強い印象の中に『なんか目がキラキラしている』というのがある。これは漫画的な表現ではあるけれど、これが一番適切な表現だと信じている。涙袋のせいだとか二重がどうこうといった美容的なことは知らないので詳しくはわからないが、タイ人の多くはどことなく目が大きく、それでいて黒目が抱き込んでいる光がたくさんあるように見えたのだ。今昔の写真で見返すとそんな風にも感じないのが不思議だが、とにかく、当時の印象としては、大人から子供まで、とにかくキラキラした瞳を持った人間が多く、特に子供たちはだいたいキラキラだった。屈託のないとか、卑屈な感じじゃないとか(実態はともあれ)そんな感じだったのだ。ちなみに、現地でインド人もたくさん会ったが(外人スーツを仕立てさせる押し売り流行ってたっぽい)特にそんな印象はなかった。

さて、話を戻すと、その少年もまた瞳がキラキラしていた。表情は特に無かったと思う。連結部は車両の光で明るく、顔はよく見えたはずなのだが、今思い出せるのは瞳の印象だけである

少年は私を見ると、なんか言った。タイ語は全くわからなかったので、私は唯一知っているタイ語で挨拶をした。

「サワディカ」どこでも使えて便利な挨拶だった。

すると少年は少し笑って、挨拶を返してくれた。浮かれた様子はまったく無かったので、彼にとっては電車の連結部で見知らぬ外国人がふんぞり返ってる状況など慣れたものだったのかもしれない。

私は気が楽になって、アイフォン(当時はオンボロの5を使っていた)を取り出してイヤフォンを耳に入れると、昨日ホテルWi-Fiダウンロードしていたアニメを見始めた。

画面に青白い顔でピンク色の制服を着た女子高生がウロウロしたり電気をつけたりするオープニングが流れ出すと、少年が近づいてきてそれを覗き込んだ。

私は少年の顔を見た。少年は、驚きとか、興奮とかそういう表情を浮かべてはいなかった。ただ、じっとアニメーションを見ていた。私は途中からイヤフォンコードを抜いて、音量をあげた。

そのオープニングが終わると、別のアニメのオープニングを流した。それからアイフォンに入れていた日本アーティストMVや、ディズニー映画ミュージカルシーンなんかをいくつか再生した。

私は映像を流し見しながら、少年を見た。少年はだいぶ負担のかかりそうな首の角度で、画面を凝視していた。

海外の反応集みたいな大きな反応を期待したが、そういうものはなかった。だが、私には分かるような気がしていた。幼い頃、実家で兄が怪物と戦うゲームを遊んでいた時、たぶん私もこんな風に画面を凝視していた気がする。

しばらくして、私は再生するのをやめて、アイフォンしまおうとした。少年に見えるように持っているのが普通にしんどかったかである

すると、少年がなにやらそれを止めた。

まだ何かが見たいのかと思ったが、どうやらそれも違う。自分写真を撮ってほしいということを身振りやら表情で伝えてきた。

そんなことならとカメラを向けると、少年ポケットからさな箱を取り出した。

それはたばこだった。

真っ黒な内蔵の写真が雑にプリントされた、やたらグロテスクパッケージタバコである。当時、タイたばこは全て買う気が失せるようなパッケージをしていた。(今もかもしれない)

私は少しだけ衝撃を受けた。少年は明らかにタバコを吸っていい年齢ではない。タイではそういうものなのかもと思ったが、そんなわけないなとすぐに思い直した。

が、一介の腐れ大学生で、この国のことを何も知らない観光客である私には、目の前の未成年喫煙を止めるような義務も、権利もない。

少年は慣れた手つきでたばこを取り出すと火をつけて、口元に持っていって、動きを止めた。

どうやらポーズが決まったらしい。私は写真を撮り、それを見せた。

少年素人のブレブレで光の加減も適当写真を見て、口の片方だけを上げるやたらニヒルな笑い方をした。私も真似した。

それが気に入ったのか、少年は私にタバコの箱を差し出した。吸うか? ということらしい。

私は普段タバコを吸わない上に、未成年からこんなものを勧められるとは、などと色々と迷ったが、こんな経験も貴重だろうと一本いただいた。

少年ライターを借り、私はタバコに火をつけた。そして一口吸った。普通の煙たいタバコだった。

私と少年は少しの間、揺れる車両の連結部で煙をふかした。吐いた煙もタバコの先から出る副流煙も、すぐに飛ばされていった。

少年は私がたばこを吸い終わるのを待って、吸い殻を引き取ってくれた。そして、車両の外に放った。私はポイ捨てとかが嫌いな人間だったが、それをここで誇示してもしょうがないなと思ったのを覚えている。

私は車両に戻ろうとする少年の肩を少し叩いて、アイフォンの内カメラを見せた。一緒に写真を撮ろうという意思表示である

少年は少し照れくさそうにしていたが、写真を撮る瞬間だけ何故かすごいハードボイルドな顔をしていた。たばこを吸っている写真を撮らせたり、なにかそういうのが流行っていたのかもしれない。

そして、少年は人でみっしりの車内に戻っていった。

私は車両連結部の主に戻った。

私は時折車両の揺れによって荷物経由でケツを叩かれてバウンドしながら、ぼんやりと思った。

この電車は、私が乗り込んだ駅から、まだどこにも停車していない。私が乗り込んだ駅にはあの少年はいなかった。つまり、彼はどこか遠くからずっとこの電車に乗っているのだ。連結部で少しの時間を過ごしたが、親や兄弟と思しき誰かが様子を見に来ることも無かった。時刻はとっくに夜だった。平日だった。少年の様子は、何も特別ものではなかった。

の子は家から離れた場所に働きに出ているのだろう。と結論づけた。

翻って白状すると、私は就職活動から逃げるためにバックパッカーをしていた。

ただし、当時の私は反省などしなかった。今もしていない。自分がやっていることは間違いじゃないし、こういうことしていたからこういう経験ができたわけだし。

だが、瞳だけはキラキラで、貧乏風体の、サラリーマンみたいな貫禄の少年に、思うところがないわけでは無かった。

少年自分比較して、自分の子時代評価していたことにも気づいた。

意味のないことをした。と思ったと同時に、何かとても価値のあるイベントに参加したような気もした。

それから電車はいくつかの停車地を経て、私を目的地へと運んだ。

電車を降りる時、さりげなく少年を探したが、彼は見当たらなかった。

私は何故かさらに少しだけ気分が良くなり、意気揚々と宿を探すことにした。

宿を探すのにはさらに1時間近くかかり、しかも宿のベッドで南京虫と格闘することになったため、私は激怒した。

そして、私は再びろくでなし大学生に戻った。

結局、特に何かを伝えたい話ではない。

2023-11-20

anond:20231119094719

スマホが普及したのでプリンターがいらなくなったんだよ。

思い出して。

地図プリントしていたあの頃を。

クーポンプリントしていたあの頃を!

スマホプリンターの役目を奪ったんだよ

2023-11-19

追記ありソシャゲやってる女性プレイヤーに言いたい

ゲームに関してお気持ちメール文章長すぎて殆ど効果なくなってます

窓口担当の大半は自分含めて3行以上文章読むと死ぬので3行以内にまとめて欲しい

基本カスみたいなスパムとか言い捨てメール以外は全部開発に共有するんだけど、開発の時間も有限なのでお気持ち長文メールは3行以上あるとこっちで勝手添削して共有するのが基本(少なくともうちの会社では)

そしてその添削センスは窓口担当の気力と知能に依存するので長い文章の本意が全然違った形で伝わる事も珍しくない

文章量的には特にシナリオの話だと300文字以内にまとめてくれるとそのまま回しやすいのでそうしてくれると助かる

ただUI関係は専門部署にそのまま投げるからいくらでも長文書いて構わない

野郎向けのソシャゲ要望通りやすい傾向あるのは男性向けの場合口調はチンピラみたいなのでも本意が明確であることが多いか

あと女性向けソシャゲは開発は女性多くとも窓口担当基本的に男が多いので男にも伝わりそうな感じで書いて欲しい

特に共感を得ようとする書き方は悪手

零細ソシャゲ(TSUTAYAオンラインゲームとか)なら窓口と開発兼任してることは珍しくはないから長文でも良いかもしれないけど…

あ、お褒めメールは全文プリントして回します、いつもありがとうございます

回送ってくれる人、皆名前覚えてます

追記

>女に限らなくない?

立場男性向け女性向けいろんなゲームに回されるけどゲーム毎のお問い合わせ件数で見ても長文比率ダントツ女性が多いです マジでもうダントツ

そりゃあ男でも長文はあるんだけど、女性の長文は長の部分の桁が違う

標準的ななろう1話分(3000文字)より多いとかザラにあります

文字制限すれば?

一時期文字制限してた時期あったんだけど分割して送られてくるので意味いねということになりました

回文字数500文字制限してたけど1/8 2/8 3/8…って並んでるの見て絶望したよね

>ChatGPT使えば?

機密保持の点で使うの躊躇してるのが実情

>良い例・悪い例、あるあるなウザい書き方・レアな嬉しい書き方、などフェイク入れて文例載せて欲しい、ぜひ真似したい

まず最初の「運営様いつも楽しませて貰ってありがとうございます」みたいな文頭の挨拶いらないっす

プレビューこれで埋まってるとほぼ100%次行からお気持ち砲飛んでくるのが分かってるので身構えるし

あとはもう指摘したいなら事実だけ書いて欲しい

◯◯の章の4クリック目に表示されるこの文章、この表現では彼の気持ちが云々…とかそういうの

素直に文章コピペしてこの文だと◯◯と矛盾するのでは?みたいにとにかく簡潔に伝えて欲しい

特に長文お気持ちで頻出するのが「違和感」「モヤモヤ」という言葉で、言いたいことは本当にわかしわかってあげたいんだけど

「私は違和感を抱いた、解決するのは貴様らだ」みたいな上位存在ムーブされてもマジでわかんないんだよね

素直にどうしてほしい、を教えてくれ

誰も見てないんだから

あとレアな嬉しい書き方はありません

最初から最後まで称賛で詰まったメールが一番うれしいです

特に文書く人にありがちなんだけどバランス取ろうとして称賛と批判ミルフィーユにして送ってくる人

こういう文章を書く人が一番辛いし扱いに困る

称賛と批判メール分けるのが一番良いと思う

興味本位だけどチンピラ文体でも伝わるメールってのも知りたい

「◯◯は××だろ◯章の記述矛盾しとるわちゃんとやれやボケ

「◯◯は◯◯すればいいだろセンスない」

とかそんなの

野郎向けは野郎向けでスパムの量が女性向けと比較して半端ない(金返せとか死ねとかの言い捨てが多い)から

こっちはこっちでダメージ食らうんだけど、基本時事挨拶ないのでプレビューで大まかな内容が分かったりする

こういうの見えると一応確認して文章暴言直して上に上げるって事はやってる

UIは長文もいいのなんで?

UIはまさに「違和感」「モヤモヤ」「何かおかしい」を具体化・修正することで飯食ってるからだね

特にUIテスター含め日常的に触って作ってる側からすると慣れきってうーん、このUI完璧やな…!ってなってること多いか

香水の詰め替え用ボトル2本

トラベルスプレーケースのおまけつきで7500円

詰め替え1本で5000円くらいの相場トラベルケースも5000円〜で値段がついてる感じ

持ち歩いたので傷だらけなのでオマケです、要らないならそう言ってくださいとの説明

トラベルスプレーケース込みだからこそ欲しい、というところなのでむしろそっちの説明が欲しい

商品画像からトラベルスプレーケースを見ると、ケースとスプレー部分は正規品だが、スプレー瓶は無地のもの 

本来ならあるはずの対象ブランドと品物のラベルプリントがない

出品者がケースはオマケ、と強調するのはこのあたりが理由だろうか

こちらとしては購入後そのままケースでスプレー使用したいところなのでちょっと悩みどころ

うーんどうしようかな

anond:20231119094719

いまでこそコンビニでだいたいのものプリントできるけど昔はコピー機コピーしかできんかったからね

モバイルデバイスも普及してなかったら紙で出力には一定重要があった

使わん人はまったく使わんからそういう人にまでセットで売ったからその名残だろう

2023-11-13

異食症

小学校入学から高校途中まで

抜毛した髪、皮膚、爪、鉛筆のお尻、学校でもらってくるプリント教科書クリアファイルの閉じた?ところ、消しゴムカスティッシュ新聞紙、チラシ

など色々食べるのやめられず、頭の病院に連れて行くよ!と怒られては怖くて泣いてたけど、今思うと連れてってもらえばよかったな。

数年前に診断おりたASDアラサー女の独り言

学校藁半紙プリントは、バニラに似た風味で甘くておいしかった記憶

2023-11-02

anond:20231102121751

そうだぞ、オマエも等身大サイズプリント生地抱き枕カバーを天日干ししないように気をつけろよ

2023-10-25

中学受験をしてない人生経験してみたかった

docomo配信サービス配信されている、とあるアイドルオーディションサバイバル番組にどハマりしてずっと見ている。過去シリーズまで追って、そこからデビューしたアイドルを推すほどハマっている。

そんな番組出会ってしまたことをきっかけに、自分人生について、過去に無いくらい考えて悔やんで分析して、を繰り返している。

両親のことは大好きだ。

奨学金なんて必要いくらいの収入があった父親専業主婦毎日「おかえり」と言ってくれる母親、3食おいしいご飯、たまの家族旅行、何一つ不自由なく育ててもらった。

中学入って以降は、私のやりたいことが私の成長に繋がるのならばと、できる限りを尽くしてやらせてもらった。

ガチャかい言葉だって必要ないほど恵まれ環境で育った。


でも、自分のことはびっくりするほど好きじゃない。

顔とかスタイルとか容姿ではなくて、人としての中身の問題だ。

根暗で、卑屈で、俯瞰してて、ひねくれていて、粘着質で、冷めていて、僻みがちな中身の問題だ。

絶対に生まれた時からこんなんだったわけじゃない。

少なくともまだ年齢の数字が1桁だったときは、明るくてよくしゃべる、放課後毎日遊びに行くような友達の多い子だったと思う。

それなのに変わってしまったのは自分の中で明確なターニングポイントがあって、それが「中学受験」だったと思っている。

身バレしたらしたで仕方ない。

ずっと抱えてきた贅沢な息苦しさを誰かに聞いてほしい。

から話す私の生い立ちがとんでもなく恵まれていることなんてわかってる。今から話す全てがとんでもなく甘いことなんてわかってる。無いものねだりの高望だってことだってわかってる。だから、この長くてまとまりのない文章をもし読んでくれるのであれば、この親不孝ものが、甘ったれが、クズが、って、思う存分バカにして反面教師にして笑ってほしい。


物心ついたときから、歌ったり踊ったり楽器演奏したりするのが大好きだった。

私の通っていた郊外幼稚園にはたしか必須クラブ活動があって、年少さんのときは親の意向で「お作法クラブ」に入れられた。お着物を着てお茶の飲み方を教わったり毛筆書道を並んで書いたり、素敵なことなんだけれど、3歳の私は幼いながらにかなり堅苦しさを感じていた。

クラスで一番仲の良かったおともだちがバレエクラブに入っているのがとても羨ましかった。ことあるごとに私もバレエクラブがいい、来年は変えて!と主張し続け、年中になった時には晴れてバレエクラブに入れてもらえたが、年長に上がった段階ではなぜかもとのお作法クラブに戻されていた。

幼稚園の3年間はクラブ活動とは別で習い事をしていた。英会話教室と、今は無きn田チャイルドアカデミー(n=7)だ。英会話教室は5歳になっても何のために何をやっているのかわからなかったのと、言葉先生に通じないのとでかなりストレスを感じていたと思う。

n田は、英会話教室なんかよりもはるかに何のために何をやっているのかわからなかったのと、毎日課される難解な宿題プリントと、自分習い事をどういうふうにおともだちに説明すれば伝わるのかがわからなさすぎて、何が何だかよくわからないまま終えた。

ピアノバレエを習っているおともだちがそれはそれは羨ましかった。


小学校に上がるタイミング関東の割と都会な地域引っ越した。その地域から無理なく通える範囲に高偏差値私立中高一貫校が2つもあり(以下A中学•B中学、A中学のほうがレベルが高い)、どうやら親はその学区の良さに惹かれてその地域に引っ越すことを決めたようだった。

n田の難解な宿題プリントはなぜか小学生に上がってからも続いた。学校宿題とは別で、毎日ノルマを課されていた。新しい学校で持ち前の明るさを発揮し、近所に友達もたくさんできて、遊びたい盛りだった低学年の私には、異常に難しい問題を怒られながら泣きながらこなすのは相当な苦行だった。

小学2年生になってからは、年に2,3回、大手中学受験塾のオープンテストを受けるようになった。気づいたら申し込まれていて、気づいたら受験票があって、気づいたら当日その塾に連れて行かれて謎のテストを解いている、そんな状態だった。n田の毎日プリントのおかげか、成績は相当良かった。

あなたはこれからA中学を目指すのよ、みんなと同じ隣の中学校にはいけないの。地元中学校に行くのはちょっとばかなのよ。と言われる(刷り込まれる)ようになる。

地域お祭りに行った時にステージで見た、小学生ダンスチームの発表がとてもかっこよく見えて、釘付けになった。家に帰ってから親にそのことを話し、「私もダンスやってみたい、習い事したい」とお願いをしたら、「5年生くらいになったらいいよ」と言われ、私はその言葉を信じて3年待ってみることにした。

風呂オリジナルの歌を歌ってみたり、適当な踊りを作ってみたり、自分カリスマアイドルとしてデビューするような妄想をしていたのもこの時期だったと思う。

小学3年生になってもオープンテストは言われるがままに受け続け、2月には「新4年生」としてついに入塾していた。ちょうどこの頃、近くの高校中高一貫ではない、以下C高校)の合唱部が私の小学校演奏会をしに来てくれて、その演奏の素晴らしさに感動し、ほのかにC高校に行きたい!という思いが芽生えた。


4年生になり、中学受験がはじまった。目標はA中学県内屈指の進学校を目指して塾通いが始まった。事前の数年間のオープンテストの結果、クラスは一番上になり、受験が終わるまでクラスが落ちることは一回も無かった。

自体はとても楽しかった。10数年経った今でも連絡を取り合うような大事な仲間もできたし、なにより当時は小学生にして他校に友達がいるという事実が誇らしかった。


常になにがなんだかわからないままテストを受け続けてついに始まった中学受験生活だったが、私の意識は常に「親に怒られるから仕方なく勉強している」だった。

今までは存在しなかった授業ごとの予習•復習の行程、難しい問題で躓き、とくに算数強敵だった。ほんとうに難しかった。

からなくて、理解できなくて、私の勉強のあまりの進度の遅さに怒られ、毎日のように殴られ、教科書を破られ、ノートを破られ、こっそり楽しんでいたニンテンドーDSliteは見つかって真っ二つに折られ、悔しさと意味のわからなさに泣き叫び、近所から苦情が入り、さらに怒られ、テストの点が悪いとため息をつかれ、そんな日々が3年間続いた。

受験直前にはもう燃え尽きていて、自習と嘘をついてショッピングモールに出かけたりもしていた。当然バレて、さらに怒られた。口も悪くなったし、このあたりから私も何かあるとすぐキレてしまうような難しい性格になった。


学校環境も少し問題だった。

小学4年生ともなるとだんだん人間味を帯びてくる。ヒソヒソ話や悪口友達グループ化が激化する。塾に行くようになってからは遊びに行くことも減り、放課後も付き合いがあるような友達も減った。

塾に行くようになったことで、授業中の発言普段言動に対して「いい子ぶってんじゃねーよ」「頭いいからって偉そうにしないでくれる?」と言われるようになった。

自分問題があるんだと思い、明るかったのが嘘のようにあまりさな子どもになった。実際何かしら偉そうに聞こえるような言動はあったんだと思う。

5,6年生のときクラス3分の1が中学受験をしている子たちだった。

学年の受験生がほぼ固められているにもかかわらず、次の担任中学受験に対する理解がまるで無かったので、日記帳を1日見開き1ページ書くという宿題毎日出た。

大体の日はそれにプラスしてワークなどがあった。当然、学校宿題の量と塾の与復習の両立に苦戦した。家ではそれが原因でさらに怒られた。

周りの受験生も学校宿題が大変と愚痴をこぼしていたので、私だけじゃないと知って安心した。

クラスで私を仲間はずれにした女子のことを陰で女王様揶揄っていたら、誰かにそれを担任にチクられ、授業をひとつ潰してまで説教された。

泣いて謝り許しを乞うまで説教は終わらなかった。世の中には私の味方なんていないんだと思った。

そういえば、2年生だったあのときから待ちに待っていた5年生になったので、めちゃくちゃダメ元で親に「ダンス、習わせてくれるんだよね…?」と聞いたら、何わけわかんないこと言ってんの勉強に集中しなさいと一蹴された。

中学受験中にダンスなんてやってる場合じゃないのはわかってはいたけど、それはそれでつらかった。

頭打ちの成績、勉強に対するやる気の無さ、新しいクラスでできた友達とも遊びたい、そんないろいろな要因が重なって、家庭内でも勉強をしたがらない私に対する怒鳴り声は常に飛んでいた。

怒られない日の方が珍しかった。

自分の気力、体力、学力には到底合わない高いレベルの内容には正直ついていけていなかった。

当然勉強は嫌いになった。少し理解できない問題が続くとなんでそんなにできないのと怒られ顔を引っ叩かれ毎日泣いて、ある日勇気を出して「受験をやめたい」と言ってみた。

親にはA中学B中学に行くとこんなにいいことがあるんだよお前の将来の選択肢が広がっていい大学にもいけるしいいところに就職できるんだよ、それはみんなは高校受験競争率が高い中やることだから中学のうちにやっておいた方がいいんだぞ、それでもお前は受験をやめるのかと言われたが、私はある日にはC高校に行きたいと自分意思で思ったんだから高校受験でそこを目指したいんだと強い意志を持って受験をやめる選択をした。

地元中学に行く奴はバカと言われて育って来たので少しプライドが許せなさそうだったが、それよりもこの受験生活が、「私のため」の名のもとに暴言暴力の飛び交うこの異常な家庭が嫌だったので、受験をやめる決断をできたことにほっとしていた。

後日優しい口調の親に丸めまれ、なぜか受験は続行することとなった。正直どうしてこうなったのか何も覚えていない。

結局中学受験は完遂し、A中学は落ち、B中学そもそも受験せず、家からは少し遠い第3志望のD中学入学することになった。

B中学よりはレベルの高い進学校だったので、A中学に落ちたことによってプライドが傷つくこともそこまでなかった。

中学に上がり、かねてより部活というものに、特に運動部に憧れがあったので、そのまま運動系部活に入った。

チアリーディング部はあったが、正直ヒップホップ系ダンスがやりたかったのと、小学生の時にあてられた記憶女子集団が完全に苦手になってしまったので、チアリーディング部には入らなかった。

これが「初めて自分で何かを選択できた瞬間」だった。

毎日練習が楽しくてヘトヘトになって帰ると、勉強する体力とやる気なんて残っていなかった。

最初地頭で乗り切っていた定期試験だんだん順位が落ちていき、高校に上がってから留年スレスレ彷徨うこととなった。

中学受験で完全に捻くれた性格が災いし、人間関係の構築は部活以外では皆無であった。

内向的になりかけていた自分性格さら内向的になり、何重にも殻に閉じこもるようになった。

順調に過ごす周りの同級生を見て、どうしてこの子達は同じ壮絶な受験経験しているはずなのにこんなに真っ直ぐで明るいのだろうと疑問に思っていた。

中高一貫校性質上、入学早々にやらかすとそこから卒業までは取り返しがつかなかったので、本当に部活の仲間以外の友達はいないに等しかった。

進学校勉強についていけないことと友達のいないストレスが相まって、学校の授業は休んだり遅刻したりすることが多かった。それでも部活時間には必ず練習場に行って、毎日練習には参加した。その甲斐あって、部活の方は最終的には目標だった県の上位層に食い込むことができた。

家庭では大学受験を見据えろとか勉強しろとかは一切言われなくなった。

流石に留年が危ぶまれた時は進級できるくらいにはなってくれとは言われたが、それくらいだった。希望ではないもの進学校に入れることができた満足と、あと妹の中学受験が始まっていたのも一因だったと思う。

結果的に妹は黙々と学習を重ね国内トップレベル中学入学したし、私は大学受験勉強を相当サボりつつも、運良く上位校と呼ばれるような私立大学のよくわからない学部に現役で合格した。

私の中学受験生活が酷すぎたぶん、妹には重い重い期待がかかっていてプレッシャーだったと思う。妹は妹で家庭でもあまり感情を出さずおとなしくして親の言うことを素直に聞いているように見えた。

姉のふり見て我がふり直せ、だったんだろう。

申し訳ないことをしたと思っているし、やはり我が家中学受験なんて向いてない家庭だと思っている。


半年に一回くらい、ボイストレーニング無料体験に申し込んで、無料体験レッスンだけ受講したことが何回かあった。ボーカリストオーディションとか受けてみたいなと思い調べることもあったが、一回も応募したことはなかった。



そして今、私は大学生をしている。

持ち前の勉強嫌いを発揮していくつかの単位を落としながら、中高でやっていた運動は続けながら、アカペラサークルミュージカルサークル所属してステージに立ってみたこともあった。

お金が想定よりかかったり、思ったよりも本気で音楽に向き合う人がいないいわゆる形だけのサークルだったりで、どちらもすぐ辞めてしまった。

そして、とある前世持ち練習生の存在きっかけに、冒頭に書いた某アイドルオーディションサバイバル番組配信に辿りついた。

が、その番組や前シリーズやそこからデビューしたグループを見ていくうちに、自分と同年代の子達がデビューに向けて取り組むのを見ていくうちに、何か動悸がするような、焦るような気持ちが抑えられなくなっていた。

大きいステージに立っているアイドルを見ていると涙が出てくる。

私もそっちに行きたいって。

アイドルを目指していたなんて言えるほどの努力は一切していないけど、ステージ表現して人の心を掴むということに対する強い憧れはずっと持っていて、悔しさがこみ上げてきて。

私の好きなアイドル10年を超えるダンス歴で、とにかくいろんなステージに立っていろんなオーディションを受けて大きな挫折も味わって、そんな長い下積みの末やっとデビューした。

その人が「小学生の時にダンスを習い始めて、そのおかげで内気だったのが明るい性格になった」とたびたび話していて、でもそれを聞くたびにすこし胸が苦しくなる。


中学受験じゃなくて、ダンスだったら?

私は音楽が好きで、自分で何かを表現たかったという気持ち絶対にずっとあって、それを無理に抑えてこなかったら?

中学受験の時のあの地獄のような家庭環境が無かったら、ダンスというずっとやりたかたことで自己表現ができていたら、もっとまっすぐな明るい子だったのではないか

小学校からダンスや歌を本格的にやらせてもらっていたら、私もあの番組ステージに立てたのではないか

私の勉強嫌いは完全に中学受験からきているわけで、それが無かったら別に高校受験からでもこの大学に入ることはできたんじゃなかろうか。勉強自発的にできるようになって、もっと良いところに行けてた可能性もあったんじゃなかろうか。逆も然りだけど。

今考えたらあの習い事クラブ活動も全部親の決めたもので、私の意思なんてこれっぽっちもなくて、全てが勉強につながるようなもので、だから今の私は勉強がとてもとでも嫌いだし、大学生になった今でも勉強自分のためではなくて新卒大卒獲得のためにやらされるものだと心の底では思っている。

中学受験の時の生活は今考えたら虐待だったね本当にごめんねと親は言ってくるけれども、明るかった小学3年生以前の私の性格はもう帰ってこない。

元の形の記憶を失うほどにねじれて拗れてズタズタになってしまったあの時の私から変われる気配なんてない。今から明るく優しい子になんてなれない。

家庭内でたまに言い方がきついと怒られそれがきっかけで大きな喧嘩になることもあるけれど、あの多感な時期に毎日怒られ怒鳴られ殴られ続けて親の口調が移らないわけない。私の口調と親の口調はびっくりするほどそっくりだ。


全部、中学受験のせいだと思ってしまう。


私のために全力でサポートしてくれたんだと思う。でも別に中学受験させてくれなんて頼んでなかった。あんな怒鳴り声と泣き叫ぶ声と暴力の絶えない家にしてくれなんて頼んでなかった。あんなんなるなら、地元中学でもよかった。


やりたいことなんて何もできなかったし私の話なんて微塵も聞いてくれなかったなと思ってしまう。


それでも、ここまで育ててくれて、私のことを考えて人生設計の手助けをしてくれて、中高大10年間の私立学費を惜しみなく出してくれた親には本当に感謝している。本当に恵まれた家庭で何ひとつ不自由なく育ったと思う。


それに、本当にダンスや歌がやりたかったなら、中学に上がったタイミング部活に入らずに、今度こそダンスを習わせてほしいボイトレに通いたいと親を説得することだってできたはずだ。そうしなかった段階でそこまで本気じゃなかったんだと思う。このことに気づいて、初めてあ

中学受験をしてない人生経験してみたかった

docomo配信サービス配信されている、とあるアイドルオーディションサバイバル番組にどハマりしてずっと見ている。過去シリーズまで追って、そこからデビューしたアイドルを推すほどハマっている。

そんな番組出会ってしまたことをきっかけに、自分人生について、過去に無いくらい考えて悔やんで分析して、を繰り返している。

両親のことは大好きだ。

奨学金なんて必要いくらいの収入があった父親専業主婦毎日「おかえり」と言ってくれる母親、3食おいしいご飯、たまの家族旅行、何一つ不自由なく育ててもらった。

中学入って以降は、私のやりたいことが私の成長に繋がるのならばと、できる限りを尽くしてやらせてもらった。

ガチャかい言葉だって必要ないほど恵まれ環境で育った。


でも、自分のことはびっくりするほど好きじゃない。

顔とかスタイルとか容姿ではなくて、人としての中身の問題だ。

根暗で、卑屈で、俯瞰してて、ひねくれていて、粘着質で、冷めていて、僻みがちな中身の問題だ。

絶対に生まれた時からこんなんだったわけじゃない。

少なくともまだ年齢の数字が1桁だったときは、明るくてよくしゃべる、放課後毎日遊びに行くような友達の多い子だったと思う。

それなのに変わってしまったのは自分の中で明確なターニングポイントがあって、それが「中学受験」だったと思っている。

身バレしたらしたで仕方ない。

ずっと抱えてきた贅沢な息苦しさを誰かに聞いてほしい。

から話す私の生い立ちがとんでもなく恵まれていることなんてわかってる。今から話す全てがとんでもなく甘いことなんてわかってる。無いものねだりの高望だってことだってわかってる。だから、この長くてまとまりのない文章をもし読んでくれるのであれば、この親不孝ものが、甘ったれが、クズが、って、思う存分バカにして反面教師にして笑ってほしい。


物心ついたときから、歌ったり踊ったり楽器演奏したりするのが大好きだった。

私の通っていた郊外幼稚園にはたしか必須クラブ活動があって、年少さんのときは親の意向で「お作法クラブ」に入れられた。お着物を着てお茶の飲み方を教わったり毛筆書道を並んで書いたり、素敵なことなんだけれど、3歳の私は幼いながらにかなり堅苦しさを感じていた。

クラスで一番仲の良かったおともだちがバレエクラブに入っているのがとても羨ましかった。ことあるごとに私もバレエクラブがいい、来年は変えて!と主張し続け、年中になった時には晴れてバレエクラブに入れてもらえたが、年長に上がった段階ではなぜかもとのお作法クラブに戻されていた。

幼稚園の3年間はクラブ活動とは別で習い事をしていた。英会話教室と、今は無きn田チャイルドアカデミー(n=7)だ。英会話教室は5歳になっても何のために何をやっているのかわからなかったのと、言葉先生に通じないのとでかなりストレスを感じていたと思う。

n田は、英会話教室なんかよりもはるかに何のために何をやっているのかわからなかったのと、毎日課される難解な宿題プリントと、自分習い事をどういうふうにおともだちに説明すれば伝わるのかがわからなさすぎて、何が何だかよくわからないまま終えた。

ピアノバレエを習っているおともだちがそれはそれは羨ましかった。


小学校に上がるタイミング関東の割と都会な地域引っ越した。その地域から無理なく通える範囲に高偏差値私立中高一貫校が2つもあり(以下A中学•B中学、A中学のほうがレベルが高い)、どうやら親はその学区の良さに惹かれてその地域に引っ越すことを決めたようだった。

n田の難解な宿題プリントはなぜか小学生に上がってからも続いた。学校宿題とは別で、毎日ノルマを課されていた。新しい学校で持ち前の明るさを発揮し、近所に友達もたくさんできて、遊びたい盛りだった低学年の私には、異常に難しい問題を怒られながら泣きながらこなすのは相当な苦行だった。

小学2年生になってからは、年に2,3回、大手中学受験塾のオープンテストを受けるようになった。気づいたら申し込まれていて、気づいたら受験票があって、気づいたら当日その塾に連れて行かれて謎のテストを解いている、そんな状態だった。n田の毎日プリントのおかげか、成績は相当良かった。

あなたはこれからA中学を目指すのよ、みんなと同じ隣の中学校にはいけないの。地元中学校に行くのはちょっとばかなのよ。と言われる(刷り込まれる)ようになる。

地域お祭りに行った時にステージで見た、小学生ダンスチームの発表がとてもかっこよく見えて、釘付けになった。家に帰ってから親にそのことを話し、「私もダンスやってみたい、習い事したい」とお願いをしたら、「5年生くらいになったらいいよ」と言われ、私はその言葉を信じて3年待ってみることにした。

風呂オリジナルの歌を歌ってみたり、適当な踊りを作ってみたり、自分カリスマアイドルとしてデビューするような妄想をしていたのもこの時期だったと思う。

小学3年生になってもオープンテストは言われるがままに受け続け、2月には「新4年生」としてついに入塾していた。ちょうどこの頃、近くの高校中高一貫ではない、以下C高校)の合唱部が私の小学校演奏会をしに来てくれて、その演奏の素晴らしさに感動し、ほのかにC高校に行きたい!という思いが芽生えた。


4年生になり、中学受験がはじまった。目標はA中学県内屈指の進学校を目指して塾通いが始まった。事前の数年間のオープンテストの結果、クラスは一番上になり、受験が終わるまでクラスが落ちることは一回も無かった。

自体はとても楽しかった。10数年経った今でも連絡を取り合うような大事な仲間もできたし、なにより当時は小学生にして他校に友達がいるという事実が誇らしかった。


常になにがなんだかわからないままテストを受け続けてついに始まった中学受験生活だったが、私の意識は常に「親に怒られるから仕方なく勉強している」だった。

今までは存在しなかった授業ごとの予習•復習の行程、難しい問題で躓き、とくに算数強敵だった。ほんとうに難しかった。

からなくて、理解できなくて、私の勉強のあまりの進度の遅さに怒られ、毎日のように殴られ、教科書を破られ、ノートを破られ、こっそり楽しんでいたニンテンドーDSliteは見つかって真っ二つに折られ、悔しさと意味のわからなさに泣き叫び、近所から苦情が入り、さらに怒られ、テストの点が悪いとため息をつかれ、そんな日々が3年間続いた。

受験直前にはもう燃え尽きていて、自習と嘘をついてショッピングモールに出かけたりもしていた。当然バレて、さらに怒られた。口も悪くなったし、このあたりから私も何かあるとすぐキレてしまうような難しい性格になった。


学校環境も少し問題だった。

小学4年生ともなるとだんだん人間味を帯びてくる。ヒソヒソ話や悪口友達グループ化が激化する。塾に行くようになってからは遊びに行くことも減り、放課後も付き合いがあるような友達も減った。

塾に行くようになったことで、授業中の発言普段言動に対して「いい子ぶってんじゃねーよ」「頭いいからって偉そうにしないでくれる?」と言われるようになった。

自分問題があるんだと思い、明るかったのが嘘のようにあまりさな子どもになった。実際何かしら偉そうに聞こえるような言動はあったんだと思う。

5,6年生のときクラス3分の1が中学受験をしている子たちだった。

学年の受験生がほぼ固められているにもかかわらず、次の担任中学受験に対する理解がまるで無かったので、日記帳を1日見開き1ページ書くという宿題毎日出た。

大体の日はそれにプラスしてワークなどがあった。当然、学校宿題の量と塾の与復習の両立に苦戦した。家ではそれが原因でさらに怒られた。

周りの受験生も学校宿題が大変と愚痴をこぼしていたので、私だけじゃないと知って安心した。

クラスで私を仲間はずれにした女子のことを陰で女王様揶揄っていたら、誰かにそれを担任にチクられ、授業をひとつ潰してまで説教された。

泣いて謝り許しを乞うまで説教は終わらなかった。世の中には私の味方なんていないんだと思った。

そういえば、2年生だったあのときから待ちに待っていた5年生になったので、めちゃくちゃダメ元で親に「ダンス、習わせてくれるんだよね…?」と聞いたら、何わけわかんないこと言ってんの勉強に集中しなさいと一蹴された。

中学受験中にダンスなんてやってる場合じゃないのはわかってはいたけど、それはそれでつらかった。

頭打ちの成績、勉強に対するやる気の無さ、新しいクラスでできた友達とも遊びたい、そんないろいろな要因が重なって、家庭内でも勉強をしたがらない私に対する怒鳴り声は常に飛んでいた。

怒られない日の方が珍しかった。

自分の気力、体力、学力には到底合わない高いレベルの内容には正直ついていけていなかった。

当然勉強は嫌いになった。少し理解できない問題が続くとなんでそんなにできないのと怒られ顔を引っ叩かれ毎日泣いて、ある日勇気を出して「受験をやめたい」と言ってみた。

親にはA中学B中学に行くとこんなにいいことがあるんだよお前の将来の選択肢が広がっていい大学にもいけるしいいところに就職できるんだよ、それはみんなは高校受験競争率が高い中やることだから中学のうちにやっておいた方がいいんだぞ、それでもお前は受験をやめるのかと言われたが、私はある日にはC高校に行きたいと自分意思で思ったんだから高校受験でそこを目指したいんだと強い意志を持って受験をやめる選択をした。

地元中学に行く奴はバカと言われて育って来たので少しプライドが許せなさそうだったが、それよりもこの受験生活が、「私のため」の名のもとに暴言暴力の飛び交うこの異常な家庭が嫌だったので、受験をやめる決断をできたことにほっとしていた。

後日優しい口調の親に丸めまれ、なぜか受験は続行することとなった。正直どうしてこうなったのか何も覚えていない。

結局中学受験は完遂し、A中学は落ち、B中学そもそも受験せず、家からは少し遠い第3志望のD中学入学することになった。

B中学よりはレベルの高い進学校だったので、A中学に落ちたことによってプライドが傷つくこともそこまでなかった。

中学に上がり、かねてより部活というものに、特に運動部に憧れがあったので、そのまま運動系部活に入った。

チアリーディング部はあったが、正直ヒップホップ系ダンスがやりたかったのと、小学生の時にあてられた記憶女子集団が完全に苦手になってしまったので、チアリーディング部には入らなかった。

これが「初めて自分で何かを選択できた瞬間」だった。

毎日練習が楽しくてヘトヘトになって帰ると、勉強する体力とやる気なんて残っていなかった。

最初地頭で乗り切っていた定期試験だんだん順位が落ちていき、高校に上がってから留年スレスレ彷徨うこととなった。

中学受験で完全に捻くれた性格が災いし、人間関係の構築は部活以外では皆無であった。

内向的になりかけていた自分性格さら内向的になり、何重にも殻に閉じこもるようになった。

順調に過ごす周りの同級生を見て、どうしてこの子達は同じ壮絶な受験経験しているはずなのにこんなに真っ直ぐで明るいのだろうと疑問に思っていた。

中高一貫校性質上、入学早々にやらかすとそこから卒業までは取り返しがつかなかったので、本当に部活の仲間以外の友達はいないに等しかった。

進学校勉強についていけないことと友達のいないストレスが相まって、学校の授業は休んだり遅刻したりすることが多かった。それでも部活時間には必ず練習場に行って、毎日練習には参加した。その甲斐あって、部活の方は最終的には目標だった県の上位層に食い込むことができた。

家庭では大学受験を見据えろとか勉強しろとかは一切言われなくなった。

流石に留年が危ぶまれた時は進級できるくらいにはなってくれとは言われたが、それくらいだった。希望ではないもの進学校に入れることができた満足と、あと妹の中学受験が始まっていたのも一因だったと思う。

結果的に妹は黙々と学習を重ね国内トップレベル中学入学したし、私は大学受験勉強を相当サボりつつも、運良く上位校と呼ばれるような私立大学のよくわからない学部に現役で合格した。

私の中学受験生活が酷すぎたぶん、妹には重い重い期待がかかっていてプレッシャーだったと思う。妹は妹で家庭でもあまり感情を出さずおとなしくして親の言うことを素直に聞いているように見えた。

姉のふり見て我がふり直せ、だったんだろう。

申し訳ないことをしたと思っているし、やはり我が家中学受験なんて向いてない家庭だと思っている。


半年に一回くらい、ボイストレーニング無料体験に申し込んで、無料体験レッスンだけ受講したことが何回かあった。ボーカリストオーディションとか受けてみたいなと思い調べることもあったが、一回も応募したことはなかった。



そして今、私は大学生をしている。

持ち前の勉強嫌いを発揮していくつかの単位を落としながら、中高でやっていた運動は続けながら、アカペラサークルミュージカルサークル所属してステージに立ってみたこともあった。

お金が想定よりかかったり、思ったよりも本気で音楽に向き合う人がいないいわゆる形だけのサークルだったりで、どちらもすぐ辞めてしまった。

そして、とある前世持ち練習生の存在きっかけに、冒頭に書いた某アイドルオーディションサバイバル番組配信に辿りついた。

が、その番組や前シリーズやそこからデビューしたグループを見ていくうちに、自分と同年代の子達がデビューに向けて取り組むのを見ていくうちに、何か動悸がするような、焦るような気持ちが抑えられなくなっていた。

大きいステージに立っているアイドルを見ていると涙が出てくる。

私もそっちに行きたいって。

アイドルを目指していたなんて言えるほどの努力は一切していないけど、ステージ表現して人の心を掴むということに対する強い憧れはずっと持っていて、悔しさがこみ上げてきて。

私の好きなアイドル10年を超えるダンス歴で、とにかくいろんなステージに立っていろんなオーディションを受けて大きな挫折も味わって、そんな長い下積みの末やっとデビューした。

その人が「小学生の時にダンスを習い始めて、そのおかげで内気だったのが明るい性格になった」とたびたび話していて、でもそれを聞くたびにすこし胸が苦しくなる。


中学受験じゃなくて、ダンスだったら?

私は音楽が好きで、自分で何かを表現たかったという気持ち絶対にずっとあって、それを無理に抑えてこなかったら?

中学受験の時のあの地獄のような家庭環境が無かったら、ダンスというずっとやりたかたことで自己表現ができていたら、もっとまっすぐな明るい子だったのではないか

小学校からダンスや歌を本格的にやらせてもらっていたら、私もあの番組ステージに立てたのではないか

私の勉強嫌いは完全に中学受験からきているわけで、それが無かったら別に高校受験からでもこの大学に入ることはできたんじゃなかろうか。勉強自発的にできるようになって、もっと良いところに行けてた可能性もあったんじゃなかろうか。逆も然りだけど。

今考えたらあの習い事クラブ活動も全部親の決めたもので、私の意思なんてこれっぽっちもなくて、全てが勉強につながるようなもので、だから今の私は勉強がとてもとでも嫌いだし、大学生になった今でも勉強自分のためではなくて新卒大卒獲得のためにやらされるものだと心の底では思っている。

中学受験の時の生活は今考えたら虐待だったね本当にごめんねと親は言ってくるけれども、明るかった小学3年生以前の私の性格はもう帰ってこない。

元の形の記憶を失うほどにねじれて拗れてズタズタになってしまったあの時の私から変われる気配なんてない。今から明るく優しい子になんてなれない。

家庭内でたまに言い方がきついと怒られそれがきっかけで大きな喧嘩になることもあるけれど、あの多感な時期に毎日怒られ怒鳴られ殴られ続けて親の口調が移らないわけない。私の口調と親の口調はびっくりするほどそっくりだ。


全部、中学受験のせいだと思ってしまう。


私のために全力でサポートしてくれたんだと思う。でも別に中学受験させてくれなんて頼んでなかった。あんな怒鳴り声と泣き叫ぶ声と暴力の絶えない家にしてくれなんて頼んでなかった。あんなんなるなら、地元中学でもよかった。


やりたいことなんて何もできなかったし私の話なんて微塵も聞いてくれなかったなと思ってしまう。


それでも、ここまで育ててくれて、私のことを考えて人生設計の手助けをしてくれて、中高大10年間の私立学費を惜しみなく出してくれた親には本当に感謝している。本当に恵まれた家庭で何ひとつ不自由なく育ったと思う。


それに、本当にダンスや歌がやりたかったなら、中学に上がったタイミング部活に入らずに、今度こそダンスを習わせてほしいボイトレに通いたいと親を説得することだってできたはずだ。そうしなかった段階でそこまで本気じゃなかったんだと思う。このことに気づいて、初めてあ

2023-10-22

買って損はないこち亀の巻

94巻 地面にお酒を撒く会の回が入ってるくらいだがそれでおつりがくる、万博で揉めてる今タイムリー未来博回ってのもある

96巻 少し前の日本が描かれてる回が多いか勉強になる 写真屋プリント競争とかもはや何の話だろうけど確かにあった

97巻 笑い的にかなり面白い回が詰め込まれてる最初に買うならこれが良いと思う

2023-10-21

学生時代にされた「何々が出来ない奴は人生を舐めている」という呪いが解けてきた

運動を習慣的にするようになった

読める字が書けるようになった

挨拶をするようになった

体重食事管理可能になった

睡眠時間が安定してきた


学生時代に親や教師から何度となく「こんなことも出来ないのはお前が社会を、他人を、人生を、人間というものを舐めているからだ」という罵倒を受けてきたことが、今は普通に出来る。

それは自分社会人になってから少しずつ図書館小学生レベルの本を借りて勉強し直したおかげであり、私を呪ってきた奴らが言うような「社会舐める」をやめたからではないと断言できる。

学習意欲を削ぐような言葉を投げかけられ、彼らの言葉に従うことが自己肯定感を大幅に下げる行為につながるように誘導されてきた呪いがとけたおかげだ。

もし当時の私が彼らの言葉に素直に従ったらそれは自分自分の全人格否定することにほかならない。

「字が汚い奴は人間としても薄汚れている」等という意味不明差別意識にまみれた狂人の側に与するわけにはいかないのだ。

それが通るならこの世界人間がありとあらゆる要因によって全人格否定されるべきであり、たまたま否定やす理由を見つけただけで相手人間性を指図するには奴らだってそうやって否定されるべき悪癖の塊なのに。

息が臭い癖にツバをつけてプリントを配ったり、イケメンにだけ猫撫で声で話しかけて何でも甘やかしたり、女子生理不調を訴えるとズル休みを穿たうくせに自分頭痛が酷いからといってすぐ休んだり、「字が汚いか人間として駄目」と同じレベル否定されるようなことをいくらでもしておいて、改善する気もなく堂々と生き延びてやがる我田引水カス共の身勝手な暴論になんでおもねってやらねばならんのだ?

学校という牢獄を飛び出てから10年程して、私はその頃にかけられた呪いの数々からようやく解き放たれることが出来た。

「字が汚いことが人間性を貶める訳ではないが、字が綺麗な方が自分メモを後で読み返すのが楽になって便利だから字を綺麗に書こう」

運動能力人間存在価値の全てではないが、長く歩けたり重いもの簡単に持てると便利なことがあるから体力はつけておこう」

そういったポジティブで前向きなプラス意識を持って訓練に当たるようになってから、今まで苦手だったことが出来るようになるのがだんだんと楽しくなってきた。

「この行為を改めようとしても、それは全人格自己否定ではなく、単に伸ばしておきたかったスキルの取りこぼしをやり直しているだけだ」と思えるようになったことが、私に学習をやり直す意欲や機会を与えたのである

他人生き方に口を出す時に全人格否定してはいけない」というのは非常に重要なことのようだ。

少なくとも、私はそういう事をされると完全に改善への意欲を失うらしい。

年齢的にも自分が後続に物を教えることが増えてきた。

周りと話していても「パワハラとして訴えられるのが怖いから気軽にゲンコツとか出来なくて不便だよね」なんて愚痴を聞かされることも出てきた。

そうじゃない、そうじゃなくて、そもそも能力の有無を理由相手人格否定してたら伸びるものも伸びなくなるんだよ。

今はまだこのことを人に上手く伝えられる所まで行ってない。

そもそもこれが本当なのかも分からない。

単に自分がなんだかんだで生真面目であり、同時に反抗心の強い人格だったからそうなだけかも知れない。

まだ仮説の段階だ。

人に偉そうに「いやいやそもそも人格否定で気軽に相手の気を引き締めるとか単なる妄想から」なんて言うにはまだ早い気がする。

あくま自分が人に物を教える時に相手否定しないようにするまでだ。

それで相手から「舐められ」たとき、どうしたらいいのかはまだ思いつかない。

まあ単にメリットデメリット説明して相手選択させるだけでいいんじゃないかって気はする。

だけどそれを「増田さんって上から目線で「俺がいつも正しいからさ、結局」みたいな態度取ることありますよね」って思われたらどうしよう……

2023-10-20

我が子が不登校の子プリントなどを毎日届けさせられている

家が近いからという理由なんだけど、はっきり言ってそこまで近くない、車で行ってもいいかなぐらいの距離。まあ人によっては歩くかもだけど。

息子にはもう届けなくていいよと言っているのだが、特に辞めるつもりはないようだ。

そんなある日、学校側にもうやめてくれと言った時、担任が一回に届けるにつき100円息子に支払っていることがわかった。

から息子もやめたがらなかったのだ。小遣い稼ぎである

双方納得しているようなのでこれ以上は特に何もいうつもりはないが、なんで教員が届けるなり、向こうの不登校児の親が取りに行くなりしないんだ。

私がもし不登校の親だったら申し訳なくてかなわん。

まぁまともな親なら不登校になんてなりはしないだろうが。

2023-10-19

anond:20231019084853

プリントときたいニーズってほんとないもんな

どうしてもはその通りでコンビニ印刷に任せちゃう

2023-10-08

重曹ちゃんモデルの人の家庭がひっそりと崩壊している

重曹ちゃんの子役としてのエピソード容姿は元子役春名風花さんをモデルにしている。

風花さん本人がそうツイートし、そのツイートを作者もリツイートしているのでこれは噂ではなくガチ

芸能人としてよりも、はるかぜちゃんという愛称でのネット活動の方が有名だろう。

風花さんは都条例に物申したことネット有名人となったが、実はその前から2ちゃんねるでは注目されていた。

正確には、彼女母親が狭い世界有名人だった。

https://archive.md/2Dq9r

このプロフィールページと、風花さん、柊夜さん(弟)のWikipediaを見比べると納得はいくだろう。

風花さんの母親ひとみさんという名前ネット上で活動し、しばしば2ちゃんねる降臨してレスバなどしていた。

https://archive.md/7YB8i

https://archive.md/QX4vf

彼女痕跡は他にも残っている。

詳しい経緯をまとめている人は既にいるので、ひとみさんが2ちゃんねるオモチャと化して消えた後で、風花さんが「2代目」になった流れは省く。

ひとみさんは十数年ほど表からは姿を消し、風花さんが「面白くて美人ママ」として語るのみとなった。

風花さんは2代目として10代をネット炎上に捧げ、そして20代になってから大人しくなった。

炎上知らずの無風となった風花さんから、まるで弾き出されたかのようにひとみさんは再び表に出てくるようになった。

今度はリカちゃんアカウントcherry」と、無名アーティストマネージャー「いくり」という名前で。

cherryさんもいくりさんも、風花さんの名前を頻繁に出し、舞台を見に行くよう宣伝し、誰かが風花さんを悪く言おうものなら飛んで行って「私は母ですけどそれは違います」とレスバしている。

風花さんの弟の柊夜さんは先日、こうつぶやいて、すぐに削除した。

>先に出れるの羨ましいね末っ子最後まで取り残されて、崩壊する家族の後始末させられるんだぜ 母親LINEブロックして実家に帰らん姉、ずるいな

https://archive.li/Vuehn

前後を見るとなにかの物語の話をしているわけではなく、友達とお互いの家庭の事情愚痴っているようだった。

柊夜さんの姉は風花さんだけなので、風花さんが母親LINEブロックして実家に帰らないのだろう。

崩壊する家族」とはなんなのか。

前後に、柊夜さんはこのようにも発言している。

>嫌いな人間と過ごすことを〝あなたのために今まで耐えてきたんだよ、もう十分でしょ〟と親たちが言うのなら、私が今まで家出も何もせずグレてこなかったことも、〝よく耐えた、もういいよ〟って言ってほしい

ペット責任もって〝最後まで〟飼うって、飼い主の最後じゃなくて、ペット最期まででしょ???

子供ってペットなんだな 一度飼われると自然界で餌を自力で取る方法がわかんないんだ、頭でわかっていても、知識じゃどうにもできないんだ

春名夫妻は離婚危機にあるらしい。

春名母はひとみさん時代自分本名は古臭いからと「ひとみ」に置き換える一方、子供と同じく夫の実名は出し、その上で夫妻の赤裸々な日常マメに記していた。

ひとみさんは柊夜さんを妊娠中に夫にある裏切りを受け激しい喧嘩になり、夫に「お前にもう愛情はない。でも子供への責任があるから別れないだけだ」と言われたという。

子供二人が20をすぎたので、もう責任は果たした、ということだろうか。

柊夜さんは家庭環境への悩みから精神科に通院しており、大学の休学を考えているという。

春名母はいくりさんとして、つい最近にこのように発言した。

中井さんに少し似た子がいました。文章が上手く繊細でファンサも良く個性的で、自分意見をしっかり持っていて。これは出せば売れる、確信がありました。でも良かれと思ってその子プロモーションとしてSNSやらせたことで、いくりはその子を世に出すことが出来ましたが、その子の貴重な芸能人生のうち10もの月日も不意にしました。

誹謗中傷に向き合い疲弊して、裁判して、告訴して、今やっとそのたたかいが終わって、警察捜査が終わったところです。悔やんでも悔やみきれない。謝って済むことではないけれど、彼女には一生かけて詫びていきます

※「中井さん」はいくりさんがマネージャーをしているアーティスト名前


なぜ、一生かけて詫びることをインターネットにわざわざ書くのだろう。

家族なら直接言えばいい、遠距離なら電話でもLINEでもいい。第三者プロモーションするように見せびらかす必要はない。

直接会うことを拒否され、電話LINEブロックされているからできないのか。

柊夜さんの言っていたことは、やはり何かの物語の話ではなく母と姉の間に起こっていることなのか。

文章が上手く繊細でファンサも良く個性的で、自分意見をしっかり持っていて」

この誉めそやされている人は、その文を本当に書いた人は、風花さんなんだろうか?

また、彼女が世に出れたのは本当にSNSのおかげなんだろうか?

「都条例ぷんすか」の頃のことは後追いで知ったのみで当時の空気感は知らないのだが、芸能人としてのピークは、グリコ第一生命花王などの大手メーカーCMに出演していた、SNS開始以前に見える。

いくりさんの贖罪の翌日、風花さんはこうつぶやく。

>実は颯汰くんがXを始めたと知ってから 彼の魅力を語りたい気持ち

>元子役として”誰かの期待”の影響を受けすぎないでいて欲しい気持ち狭間で揺れていた

>本当に素敵な少年

>君のその才能と感性は 自分自身のためだけに使ってね!

※「颯汰くん」とは、風花さんの舞台共演者である子役名前

風花さんに期待をかけすぎた「誰か」とは?

才能と感性自分自身のためではなく「誰」のために消費したのか。

重曹ちゃん子役時代は売れていたが、今では伸び悩んだ売れない役者である

だが売れないといっても深夜ドラマヒロインをもらえているし、売れっ子時代の多額の貯金が残っている。

風花さんはといえば、芸能活動ピークであった役時代ですら、ドラマでも映画でも端役のみだった。

また春名家お金に苦労しているようだ。短大学費は払えず奨学金。柊夜さんも奨学金

風花さんといえば、何年か前にネット上の中傷書き込みを訴え、示談により300万円ほどを勝ち取っている。

短大学費の大部分を支払える金額だ。

だが、示談金は学費には使われなかったようだ。

春名母のリカちゃんアカウントcherryさんが生まれたのは、示談金を得た翌年から

cherryさんは子供の頃にはリカちゃんを集めていたが、一度全てを手放し、最近になってまた集め始めたという。

リカちゃんと聞けばおもちゃ屋に売っている量販品を思い浮かべるだろう。

リカちゃんには、直売店オンラインショップ限定で売られるマニア向けの、より精細で個性的なアイプリントが施され髪色やメイクバリエーション豊富ラインもある。

そういったリカちゃんは7000円以上、ものによっては1万円を超える。

cherryさんはリカちゃんを300体以上買い集め、ドールイベントに赴いては個人制作衣装や関連グッズを購入した。

最近になって働きに出るまで専業主婦だったcherryさんが、子供が二人とも奨学金を抱えている経済環境cherryさんが、一体どこからその費用を捻出したのだろう。

そこに、LINEブロック理由があるのではないだろうか。

春名夫妻は離婚危機にあるそうだが、いくりさんは新しい恋をしているらしい。

>久しぶりの女子会でした!!楽しかったー!!!積もり積もった業界話と恋バナに花が咲く🌸笑笑

https://archive.li/D2zoC

いくりさんの近影は、ひとみさんの面影を残している。

https://archive.li/Y71RV

https://archive.li/ztEN3

2023-10-07

anond:20231007153918

便利な時代になったなぁ

俺が学生の時は学校に来た写真屋かクソ高いスピードプリントだったわ

家の近くに証明写真機を置いてるところがなくて、30分あるいて駅まで行って一駅先が一番近い

さすがに遠いので自撮りしてコンビニプリントすることにした

便利な時代になったなあ

値段もたった300円、しかシールプリントなので糊も両面テープもいらない

写真自撮りなので好きなだけ撮り直しもできる

印刷された写真画像データよりもやや白っぽく光で飛ばした感じにはなってた

証明写真に適する形式に微調整ということなんだろうけど まあ十分か

受験票の写真貼り付け欄に、裏面に氏名生年月日と受験番号を必ず記載せよとあり、いやシールだし…とそのまま貼り付けた

受験票の注意事項に腕時計スマートウォッチ等は不可との記載があり、時代だなと思ったが

写真貼付欄の記載コンビニシールプリントに適した文章に変わっていくんだろうな

2023-10-02

いかわよりおれのほうがかわいい

いかわが現在収まっているポスト本来であればおれが座るはずだった。ぐぬぬぬ。

女児女子高生OLたちがおれのぬいぐるみを購入する列に並び、おれの顔の形のポーチにおれの缶バッチをつけておれのコラボカフェにいきおれの顔のマカロンと一緒にお茶をしてトイレでおれのプリントされた紙でケツを拭く。地方イオンモールではおれの着ぐるみダンスしておれのアニメ全国放送。おれ役の声優女子小学生。そんな未来が来るはずだったのに…。

いかわが…。ちいかわのやつが、おれから奪ったんだ!!

今日の買い出し兼お散歩終わりッ

レジで「袋はどうしますか?」って店員に言われたお爺ちゃんが耳が遠いのか苦笑いしてて

店員がちょい大き目の声で袋をどうするか聞き返すも苦笑いしたまま

店員が袋を見せると首を横に振り支払いを済ませるも

プリントが擦れ薄茶けたトレーナーを着たお爺ちゃんはそこから去らず

もう会計終わりましたよ行っていいんですよと店員に諭されようやく帰って行った

永世独身であろう俺もああなるんだろうか

う~ん

他人事に思えなくてうんにょりしちゃったよ

2023-09-25

追記】「勉強なんて心底どうでもいい」って人間は相当な数いる

地方国立大に通っていた四年間のアルバイトと、新卒を鬱で退職してからバイト先に拾ってもらい、フルタイムパートで二年ほど。計六年ほど、個別指導講師をやっていた。


俺が働いていたのはSAPIXとかみたいなお受験予備校じゃなく、「町の塾」みたいなとこ。

小三くらい(小一とか小二は受け入れてはいるけど見たことない)から高三までを受け入れていた。

お受験予備校は月謝は高いし指導も厳しい(からどうせ続かない)し、「月謝も安いし、定期テスト対策と『やってる感』のために取りあえず放り込んでおけばいいや」的なスキマ産業である


わざわざそういうところを選んでくる親と子だから、総じてレベルは低かった。公立中学校定期テストでいうと五科目200~350/500点くらいの層だ。

まあ中には勉強に楽しさを見出したりしてグングン伸びる子もいた。

様々な理由(本当は塾なんて行きたくないが、親が強く勧めるからから近い/楽そうなところを選ぶ等)から稀に元から勉強ができる子も来た。


だが大部分、体感七割くらいはそもそも勉強が嫌で嫌で仕方がなく、さらに三割くらいはもう手の施しようがない子だった。


働き始めたばかりのころは、あの手この手を使って算数数学なら理論方法論を、現文なら文章読解のコツを教え込もうとした。

だがこれは一部(先に触れた伸びる子と元々できる子)を除いてほとんど意味をなさなかった。


塾に通うペースはだいたいの子は一日2~3hを週二回程度、多い子だと週三、少ないと週一だ。

コマに空きがある講師が割り振られるから毎回俺が見られるわけでもない。

するとどうなるか。

だいたいの子自学自習なんて一切しない。塾に行って勉強してるんだから塾以外で勉強する必要がない、と本気で思ってる。なんなら親すらそう思ってる。

から次にあったときは俺が必死こいて教えたことをすっからかんに忘れている。この徒労感ったらないぜ。

それでも覚える→忘れるを繰り返し繰り返し行ったらいつか定着するんじゃないかと信じた。結果、半年経ってもすっからかんだった。

思うに、「こうして・こうして・こうなる、ってパターン理解して覚えて、別の問題に応用する」ってのは、やつらの脳みそには高等すぎるんじゃないか


まあたしかに俺の教え方が悪いのはそうかもしれない。だが俺もバイトパートながらに書籍を読んだり教育者に話を聞いたりした上でいろんなアプローチを試せるだけ試したんだ。少なくとも指導中の反応は良かった。でも全部忘れる。

宿題プリントを持たせてみても、答えを全部写すのはまだマシで大概はやってこない。それを責めすぎると辞めてしまう。

加えて学校の授業なんて一切聞いてないし、予習復習なんて一回もしたことがない。

あ、授業を聞いてないつっても別に授業中ずっと漫画読んだりスマホいじったりしてるわけでもないんだ(まあそういうやつもいるが)。

とりあえず教科書ノート開いて、なんか書いてるフリしてずっと上の空みたいなイメージ結構前に「真面目系クズ」って概念流行ったがだいたいそんな感じだ。

そういうレベルのやつらは、そもそも覚える気がないんだよな。

んで義務教育で教わることが頭に入っていないことを、子はもちろん親すら問題視していないんだ。だって親もそうだから


じゃあどうしたかって話。

俺の働いていたとこみたいな小規模塾では大概「定期テストの点数アップ」がアピールポイントになっていた。

から数学だろうが現文だろうが定期テスト範囲をひたすら暗記させる。

語呂合わせもバンバン使う。本質じゃないって問題視される「みはじ(はじき)」とかもフル活用する。

それでも湯水の如く抜けていくけど、微かに引っかかった残滓みたいなので少しばかり点数が上が……ったらいいな、って感じ。



んでこのレベル学力人間はお前らが思っているよりもずっと、ハチャメチャに多いわけ。

そもそも大学進学率自体が6割くらいだし、まあ短大とか専門とか含めた高等教育進学率は8割くらいあるけど、義務教育過程で学ぶことを歯抜けがなく概ね身につけている、って言えるレベル人間は2割もいないんじゃないか

自分名前漢字で書けたら合格、ってレベル私大があるって信じられるか?

そんでそういう奴らでも入れる、学力が優先されないとこに就職する。

手に職系ならいい。だがそうじゃないとこも多い。そして若いうちに子ども産んで、同じような子を再生産するわけだ。



んでこの増田自体蛇足みたいなもんだが蛇足蛇足

生活が苦しくなるとこういう暮らしの下層にいるやつらから皺寄せの打撃を受けるじゃん。

こういうやつらは自暴自棄になっての通り魔や道連れテロみたいなのよりも、カネがありゃなんとかなるって短絡的発想から強盗とかが増えるんじゃないかってずっと思ってたし実際そうだった。

(次のトレンド身代金誘拐じゃないかって思ってる。監視網が発達したいまリスキーリスキーだが、たとえば裸の写真でも撮ってそもそも警察沙汰にさせないってパターンじゃないかと。まあ勝手な予想だ)


ITでもなんでもいいんだけど、もしお前らが就職転職するとき、to C の業務があるならこのレベル人間相手をするって覚悟したほうがいい。老婆心から忠告だ。


追記

思った以上に伸びていて驚いた。読んでくれてありがとう。想定よりもずっと「そんなの知っとるわい」ってブコメが多かった。

きっかけってほどじゃないが、はてなやXを見てると「中学で習っただろ」みたいな発言しょっちゅう見かけるので、中学で習ったことをずっと覚えてるやつなんてほとんどいねーんだよ、って思いから書いた。衝撃を受けるってほどじゃないかもしれんが、そんなやつがいっぱいいるのか…って思ったやつも少なくないんじゃないか塾講師経験者(かなりいて笑った)から概ね共感を得ていたようだったのも知れてよかった。


なお俺自身地方公立から受験したクチだ。勉強は嫌で嫌で仕方がなかったが、他にやりたいことも特技もないので仕方なくやっていた。なので別に塾講師になって初めてこんなやつらがいるのか! って知ったわけじゃない。ただ地方の一エリアとはいえ、色んな学校の色んな年齢で満遍なくこういうやつらはいることを示せるので取り上げた。

強盗云々は論理の飛躍があったかもしれん。すまん。やらなきゃいけないってことになってるもんを適当スルーし続けて、そのまま大人になって適当に生きてるやつらに俺が我慢ならんだけかもしれない。

トラバでもらった、

要するに、「世間には想像以上にバカが多いから、知能レベルを低く見積もったアプローチをしないとマスにはリーチしないぞ」ってこと?

これがだいたい俺が言いたいことだ。いまは役所で働いてるんだが、窓口に来る大人が言ってることを理解しない、すぐ忘れる、書類も不備だらけで最初のうちは本当に困ったが、なんとか帳尻を合わせてやっている。ストレスを吐き出したかった。

2023-09-21

カードゲーマーへの違和感

私はカードゲームは全くやらないが、アニメゲーム等の分野のライトオタクであり、オタク友達もある程度いる。

そんな私が先日買い物に行くとどうやらその商業施設内のカードショップ催事場的な場所カードゲーム大会を行っていたらしく、多くのカードゲーマーが集まっていた。


カードゲーマーの知り合いはいないがネット上ではよく「カードゲーマーは臭い」というのが話題になっているのは知っている。

カードショップ風呂に入ってくるように掲示したり、カードゲーマーがファミレスに集まって周りから臭いに苦情みたいな話はネット上に生息していれば誰でも見聞きしたことがあるだろう。

なので近くを通った時には「なんとなくここだけ空気がよどんでる気がする」みたいには感じたが、まぁそういう先入観があるからかもしれないし、あれだけの人数(大半が男)が集まってればカードゲーマーでなくてもそういう物なのかもしれない。


しろ臭いよりもそこにいたカードゲーマーたちに対しては別の違和感を覚えた。

前述の通り私はアニメゲーム系が好きなオタクはそれなりに見てきていると思っている。アニメ系のショップに行ったり、アニメライブイベントに参加したり、もしくはコミケで友人のサークルの売り子をしたりしてきたので「アニオタ」の一般的イメージは出来上がっている。

対してカードゲーマーも一種オタクだと思うのだが、しかしその催事場に集まっていた人たちはどうも私の知るアニオタとは雰囲気が違うように感じたのだ。


何が違うのか。失礼を承知一言で言ってしまえば・・・カードゲーマーは、大きくなった中学生しか見えなかったのだ。それもいわゆる陰キャ中学生である。決してサッカー部野球部ではない。

私は別にカードゲーム自体に対して偏見は無い。ボードゲーム類(いわゆるドイツゲーム)は好きでよく遊んでいるし、カードゲームもそういう面から面白いんだろうなとは思っている。

だがそのカードゲームで遊んでいる人たちが、どうもなんか「大人」に見えなかったのだ。


まず服装に対してそう思った。

例えばよく分からないプリントがされたTシャツを着ている人がかなり多い。あんまり良い大人がそういうの着なくない?というファッションなのだ

カードゲーマーが臭いのは風呂に入らないからではなく服を洗わないからだ、なんて言われたりするが、もしかして中学生の頃に買ってもらった服を延々と着続けているのではないだろうか。


次に髪型

これもまたなんか子供っぽい髪型が多いように思う。なんというか密度が高くてもっさりしていて、床屋で長さだけ短くしてもらって何か月か放置してぼさぼさ、髪質もガサガサだったりべったりしているような感じである

社会で働いていれば、オシャレに興味がない人だとしても定期的に美容室である程度整えるのが普通じゃないのかなと思うのだが、多分彼らはそんなことさえ興味がないのかもしれない。


さら・・・これこそ差別的発言かもしれないが正直思ったのは、カードゲーマーは顔つきが幼いのだ。いや、締まりがない顔と言ったらよいだろうか。

口が半開きで、はっきりとした表情が無い。無表情か、なんか薄笑いのような感じ。表情筋が鍛えられていないのか、笑顔にしてもとてもぎこちなく感じる。

子供の頃の大人しく目立たなかった男子たちってそんな顔をしていたなと思うが、大人になったら中々そういう人たちってあまり見ないように思っていた。ただ単に生息している場所が違っただけなのだろうか。


この辺りのことは「カードゲーマー オタク」なんかで画像検索してもらえれば私の言っていることが伝わるんじゃないかと思う。

よく分からないプリントT、野暮ったい髪型、締まりのない顔・・・そういう写真が沢山出てくる。

正直言ってしまえば、彼らには「社会性」が感じられない。普通に社会に出て普通に働いていればそうはならなくない?と思うのだ。時間中学卒業時点で止まっているんじゃないだろうか。


どうしてカードゲーム界隈がそういう人たちばかりなのかはよく分からない。もともとそういう人たちがカードゲームにハマりやすいのか、カードゲームにハマった結果その界隈に染まっていってそうなったのか、もしくは「普通」の人たちはカードゲーム出会っても私と同じように違和感を覚えてその中に入って行こうと思わないということなのか。

なんにせよ「濃縮」された空間であることはひしひしと感じたし、ボードゲーム好きとしてカードゲームにも興味を持ってはいもののその中に入って行こうとは思えなかった。私だって別にオシャレしているわけでもないただのアニオタではあるが、それでも社会人として働いている私がいるべき場所ではないと感じた。


あれは正直「風呂に入る」とか「洗った服を着る」とかの問題ではないと思う。それは対症療法としては必要かもしれないけど、カードゲーマーたちの中身からガラッと変わらないといつまでもネット上ではカードゲーマーは」と言われるだろうなと思う。

アニオタたちは昔に比べて大きく変わった。20年ほど前は秋葉原に行けば「いかにも」なオタクばかりであったが、今は秋葉原に行ってもそういう人たちを見ることは殆ど無い。アニメ系のショップも、イベントも、コミケでさえも、社会に出て違和感がない「普通」の人たちが多い。

これは紆余曲折合ってアニメという物が市民権を得てきたからだろうなと思うが、カードゲーム場合は狭い閉じた世界なのでこのままずっと変化がないのかもしれない。せっかく面白いゲームだったとしても、カードゲーマーがあれでは中々広まることはないだろうなというのが今回の感想である別に彼らからしたら仲間内で楽しめればOKで広める必要もないのだろうが。

2023-09-20

メディアコントロールデー(ノーメディアデー)の案内が来た

小1の子学校からメディアコントロールデー(ノーメディアデー)に取り組みましょう」というプリントを渡されて帰ってきた。

そういうのがある、というのはなんとなく聞いたことがあったし、家族と会話をしたり、非電源ゲームなどをして団らんを作りましょう、という趣旨はまぁ解る。

こういうのは未就学児の頃から習慣になっていないとなかなか難しい面があると思うが、うちは普段からタブレット時間制限をかけたり(iPadスクリーンタイムを設定している)、食事中はテレビを点けないようにしているので、普段から意識して出来ているといえば出来ている、といってよいのではないかと思っている。

思うに、メディアコントロール(ノーメディア)とは言うが、要は「家族との生身の団らんがどれだけあるか」というのが大事なのであって、別に会話しながらタブレットゲームをしたっていいし、テレビ視聴やゲームをしながらワイワイしたって、それも立派な団らんではあるはずだ。

のだが、どうも「ノーメディアであることが大事」というのが主題なようで、前述したような機器を介しての団らんは「メディアコントロールデー」の趣旨に反するらしい。

小1の子は絵を描くのが好きで、放っておくとずっと会話もなく描き続けている。これはノーメディアではあるが、団らんであるとは言い難い。描き終わった絵を見せてきて、こちらが描いた絵の感想を述べたりはするが、描いている途中はアレコレ会話するのが嫌なようで(そりゃ集中していればそうなる)局所的なコミュニケーションになってしまいがちだ。

ゲーム悪者論ではないが、目的よりも手段の方が重要視されているのがなんか引っ掛かる。が、あまり真面目に取り組まない家庭も多いとのことで、うまい落とし所がないというのも理解はできる。

とりとめもない日記です。

俺の元カノ最悪だわ

陰口聞こえるように言うやつ嫌いって言いながら俺の陰口聞こえるように言うし、自分の席じゃないとこにいるか先生プリント配られなかったのに「先生いじめですか?」とか嫌味言ってるし、人としてキモすぎる

ログイン ユーザー登録
ようこそ ゲスト さん