はてなキーワード: ステイとは
SDGsのSはは英語のsustainableだから、「tai」のところは「テイ(音読みの「低」みたいな読み方)」で読んでいたんだけど
テレビ・ラジオの主流は「ティ(teaみたいな読み方)」な印象があっていまだに馴染めない
エレクトーンの鍵盤を離しても音がしばらく鳴り続ける機能は「サステイン」という名前が付いていて「テイ(低)」の方の読み方をしていたし
SDGsが出てきたときも「S」は「サステイン」のあれだなと思ったけど
メディアで聞くSDGsはteaの方の「サスティナブル」が多い
独身アラフォー。IT系の営業をやっている。営業がものすごく好きと言う訳ではないが辛うじてできているという感じ。会社の評価はよく分からない。換えのきく役割とは思っているのでいつまで続けられるか。ゾーンみたいのに入るとオンオフ関係なくあることが頭から離れない。それから逃れるために仕事を片付ける。ジェットコースターのような上がり下がりの中一段落つくと本当にホッとする。やりがいというか安堵感に近い。
タイトルについてだがプライベートを後回しにしてきたら好きなことに対する熱量がすっかりなくなってしまった。新しく何かしようとしても面倒だし今まで手を止めていたことを再開するのも億劫。これは心の問題ではないかと心療内科に行ってみたけれどそうではないようだ。一人でやろうとしているからなのかも。ゴールデンウィークは休んでいたけれど計画たてなかったから何もしなかった。何もしない頭のどこかで仕事のことを考えていた。仕事のことを考えている時は行動の目的がはっきりするというか、自分がなぜ存在しているか自信を持って言えるような気がするから。そうでないと独り身の自分なんて空っぽ以外の何ものでもない。別に仕事が特別できるわけじゃないしミスだってたんまりする。それで深刻なストレスになることもあるけれど、結局それしかないんだ。コロナでステイホームとか言われていたけれど会社でのコミュニケーション機会が減って辛かった。仕事以外に楽しみを見つけたい。ただの愚痴。
言いたいことはタイトルで言い切ってしまったので、以下は蛇足である。
5/8で新型コロナが5類感染症に移行となる。時を同じくしてWHOの緊急事態宣言も終了となり、世界的に猛威を振るったパンデミックもひとまずは収束と言えると思う。
自分なりにこの3年を振り返ってみて、楽しかったと思えるファクターはいくつかある。
台風だの大雪だのに不謹慎なワクワク感を覚える人はそれなりにいると思うが、まさにそれの最上級。世界的なパンデミックという、一生に一度遭遇できるかどうかの非日常イベント。
何気ない国際ニュースのひとつとして武漢の新型肺炎(当時は肺炎がフォーカスされていた)が報道されたのが19年の12月末だったと思うが、年の瀬の賑やかさに紛れて不穏なニュースがカットインされる、まさにスリラー映画やSF漫画の導入にありそうなシークエンス。
年を越して2020年、武漢の状況が悪化するにつれて報道の扱いも大きくなってきても、この時点でまだ大多数の人は対岸の火事、せいぜいが以前のSARSや新型インフルのような、それなりの騒ぎにはなっても所詮は限定的な影響で終息すると考えていたと思う。
「これは何かが違う」と思い始めたのは1月下旬、中国全土への拡大から欧州に飛び火し、日本国内でも感染者が報告されたあたりからと記憶している。
マスクが品薄になり、テレビでは連日クルーズ船内の状況がトップニュースに。都市封鎖などという物騒な(しかし蠱惑的な響きの)言葉も飛び交うようになってきた。
日常がじわじわと崩壊していく感覚は極めてスリリングで、眉間に皺を寄せ、表向き深刻を装いつつ、内心に抑え難い高揚感があったことを覚えている。
自分の状況でいえば、2月から在宅勤務が推奨されることになり、急遽work form homeの日々が始まった。並行して外出自粛の風潮が広がり、4月にはついに緊急事態宣言。生活のすべてが自宅に集約されることになった。
幸いなことにコロナ前年に家を買ったばかりで、自宅に引き篭もることに不便がないどころか、快適な自宅を24時間満喫できることは僥倖であったと言える。
とはいえリモートワークに耐えられるだけの設備はなく、当初はダイニングテーブルでPCを開いていた。1ヶ月もせずに硬い椅子に腰が悲鳴を上げたことでオフィスチェアを購入。不用品を片付け、部屋を空け、家具を購入して4月ごろには快適な仕事環境を整備した。
仕事中に仕事そっちのけねデスク整備のブログを参照し、Amazonやヨドバシでアイテムを精査しながら少しずつ環境を整えるプロセスは楽しかった。
通勤という概念の消失は、日常生活に不可逆的な変化をもたらした。これまで通勤に費やしていた毎日往復1.5時間が突如として可処分時間としてカウントされることになったのみならず、「起床してひとまず勤務開始、2〜3のチャットを返したら顔を洗い、洗濯。カメラオフのオンラインMTGに出席しながら朝食」とか、「勤務終了後、夕食を食べてまったりしていたら、メールの返信忘れを思い出した。PCを開いてメール送信だけを行い再び勤務終了」といった極めて柔軟な動きが取れるようになった。
通勤含め10時間近くを毎日無意味に拘束されるオフィス勤務にはもう二度と戻りたくない。
この三年間、世界はコロナを中心に回っていた。政治や経済は当然のこと、社会活動や家族の営み、個人の価値観に至るまでがこの未曾有の疫病に激しく揺さぶられた。
コロナ禍の初期には「ソーシャルディスタンス」が合言葉となり、これまで当然と疑わなかった人と人の近距離での接触が絶対悪となった。
他人との物理的な接触、特に人混みに対する忌避感が急速に醸成された。
飲食店は休業を余儀なくされ、観光地は軒並み閑古鳥が鳴き、興行という興行が中止になり、ついにはオリンピックが延期となった。
全国民に微妙にサイズが合ってないマスクが届き、(結局、その旗振りをした首相を除き、あのマスクを着用している人を見たことがない)、その後10万円が振り込まれた。
公衆衛生と経済停滞のチキンレースの中で、緊急事態宣言が出て、まん防が出て、東京アラートで東京タワーの色が変わった。GoToが始まって終わり、ワクチン接種と副反応は国民の共通体験となった。そして、そのすべてで国民を巻き込む大論争が展開された。
毎週のように状況が変わり、トピックが移り変わる状況には飽きることがなかった。
他にも、欧米諸国での大混乱や中国のゼロコロナ政策を対岸の火事的に眺めることや、未だ謎めいている発生源やそれにまつわる陰謀論の百花繚乱など、不謹慎ながら楽しんでしまったトピックは尽きない。
無論、COVID-19という疾病がなくなるわけではないし、現に今でも着々と感染者は出ている。これからも残り続けるだろう。
ただ、人類史に確実に残るであろう「コロナ禍」というタームは終わる。長かった非日常が終わり、日常が戻ってくる。
それ自体は歓迎すべきことでありまったく異論はないのだけど、一抹の寂しさがあることもまた事実であり、2023年5月6日時点の思いとして増田に残しておく。コロナ禍は楽しかった。
あのさ、
その尋ねた人が拾得したスマートフォンを私に渡してじゃお願いします!って
なんか落とし物押しつけられたんだけど。
これってさ
「内緒の積み荷の中身を見たな!」って
それとか
「娘は預かった!」って
って音したスマートフォンにかかってきた電話大喜利みたいになりそうで、
私が結局交番まで届けに行ったんだけど、
その間着信がないかどうか冷や冷やしたわよ。
だけど、
着信が無かったのでセーフよ。
そんで交番に届けに行って交番の人も場所場所で対応がまちまちで
あるときは
あるときは
もう口頭でよろしくでーす!って手渡しだけでオーケーだったりと、
まあお礼は要りますか?みたいなので連絡先を訊ねられるけど、
スマートフォンを届に行ったお礼がギガだったらそれはそれでパケあえて良いなと思ったけど、
実際にはパケット分ける融通はきかないでしょ?
なので、
こちらの連絡先も告げずに交番に無事スマートフォンを届けることが出来たのよ。
でも酷くない?私に拾得物を押しつけるのって。
まあその人もとなりのビルに出入りしている人で知らない会社の人だけど、
なんとなく朝とか顔は見て知っている人だったから気持ち何となく無下にできなくて引き受けちゃったのよ。
思ったけど無事に落とし主にスマートフォンが手もとに戻ると良いなぁって思ったわ。
道とかさ訊ねられたりすることはざらだけど、
拾得物を押しつけられて交番に私が届けに行ったパターンは初めてだったので
後これは前にも書いた鴨鹿なんだけど、
私が拾った拾得物を交番に届けに行ったけど交番に誰もいなくて困った話し。
あれも困ったわ。
交番ってなにかお巡りさんが誰かがいつでも常駐していそうな感じがしていたんだけど居ないときは居ないのね。
それしかも、
2軒目の交番に行ってそこも誰も居なくって、
結局そのときは
パトロール帰りのパトカーの帰りを待つ羽目になった羽目羽目なのよ。
つい私もだれもいなかったもんだから、
交番内の内線で本部と話しちゃったから待っててください!って言われた手前離れられなくなったのもあるのよね。
あれポンと交番内の机においてそっと帰っておけば良かったわ。
察してよって思うわ。
まあとにかく
「内緒の積み荷の中身を見たな!」なんて着信がかかってこなくて良かったわ。
うふふ。
まあ時期も時期なので朝超ゆっくりだわ。
いつもランダムの内容は鮭か鯖かのどちらかで
今日は鯖でした。
最近鯖続いているような多さが気がするけど
まあいいわ。
鯖も美味しいもんね!
お茶っ葉無くなったので買って補充しておかなくちゃって思ったわ。
ホッツもホッツだけど、
結構冷ましめの温ホッツって感じかしら。
すいすいすいようび~
今日も頑張りましょう!
ウィスコンシン州で暮らし、嫌なことがあるとパニックになって周囲が見えなくなる。
バービーの他害の激しい時期には、ケンがカサンドラ症候群になったり、きょうだいのスキッパー、ステイシー、チェルシーが学校で大変な時期もあった。
だけど、最後にはみんな笑ってCNNのチャリティードキュメンタリーの撮影に臨める。
番組をたまたま見ていて感銘を受けたバイデン氏のガーデンにも招かれて、みんなでパフォーマンスを披露する。
そんなお人形。
たとえばここ5年くらい毎週ニチアサを見てるんだけど、キャラの名前が全く出てこない。
トロピカルージュプリキュアめっちゃ面白かったし最高傑作なんだけど、まじでひとりも名前が出てこない。
魔法つかいプリキュアの続編が出るらしい。好きだった作品だ。全くキャラの名前が出てこない。
スマイルプリキュアはキュアピースの声優が金元寿子だったことは覚えている。しかし本名が出てこない。
今のプリキュアの名前、ググらず出そうとしたがスカイしか出てこない。本名が出て来ない!ピンクのプリキュアの子の名前が出てこない!キュアバードだったかキュアウィングだったかどっちだったかわからない!カバトンは覚えている!
ゼンカイジャーのヨホホイの名前が出てこない!ステイシーは覚えている!五色田カイトは覚えている!それ以外は出てこない!
ドンブラザーズはわかりやすい!桃井はわかりやすい!雉野は覚えている!けど猿、犬が出てこない!あとひとりも出てこない!
キングオージャーは全く出てこない!めちゃくちゃおもしろいし、毎週名前呼んでるのに!地獄のミサワみたいな主人公と、ラクレスに勝手につけたホームランダーってあだ名しか出てこない!ラクレス出てきた!
コロナが流行り始めた頃、30代以下は直接的にコロナで亡くなる人より、経済的理由で間接的にコロナに殺される人のが多くなるんだろうなと思った。
コロナ禍から3年で漸く5類以降となろうとしてる今、実際のところどうなのだろう?
個人的な所感では、コロナで「無理しない」方が善という価値観が広がって、むしろ労働環境がましになって生きやすくなったのでは?と思う。
体調不良で無理に出勤する方が仕事にとっても悪影響、ステイホーム推奨、接待や会食も控えようという新しい生活スタイルに社会全体がシフトして、
同時にハラスメントへの対応や心理的安全性の確保も浸透した気がする。
観光業や飲食業など打撃を受けた業界ももちろん多いだろうが、案外コロナのおかげで生きやすく働きやすくなった人も多いんじゃないか?
はてなで囲碁の話題が出ると一定数「将棋のほうがわかりやすい」というコメントがあるんだけど、囲碁将棋両方やってた自分にはその感覚が全く理解できなくて、そろそろそれが無視できなくなってきたので一回ぶちまけたい。
「将棋の方がわかりやすい」派の皆様におかれましては、もしも可能であれば、時間的・精神的リソースの許す範囲内で以下の論点に反論いただきたい。
囲碁の場合、黒の石が多くある場所は大方の場合、黒が優勢とみていい地点である。
基本的に陣取りゲームで、囲った場所が勝利点となるので、ルールを知らなくとも見た目にたいへんわかりやすいのではないか。
一方将棋について、「王様に迫っている方が攻めているんだなとすぐわかる」という意見を見たことがある。
これは残念ながら頷けない。中級者以上同士の競り合いであれば、中終盤は大抵、お互いがお互いの王を攻めている。特に将棋の上手い人は「手数を計算して相手の攻めより一手早く攻めを間に合わせる」みたいなのが基本なので、そういう叩き合いの状態になると今どちらが攻めているか、どちらが優勢かといった局面を読み切るのは経験がない人には難しい。名人戦とかの終盤の局面、理解できない人の方が多いのではないだろうか?
それに対して囲碁はタイトル戦であってもイラストのように局面を眺めることができ、何が起きているかはわからなくとも大まかな戦況は比較的わかりやすかったりする。
囲碁のルールは少ない。互いに石を置く。囲ったら取れる。囲った場所が陣地。細かいのを除けばだいたいこれだけだ。
こういうと将棋の方が互いに一手動かすだけでシンプルだと言う人もいる。
しかし、それは駒の動きが頭に入っていればの話だ。将棋には駒が八種類あり、さらに成駒もある。それら駒の動きと成りの総体、そして初期配置も含めたものが、将棋のルールとなる。
囲碁に駒は一種類しかない。石という一つのオブジェクトに全てのルールが込められている。これにより、将棋と比較してルール総体が極めてシンプルとなっている。
上に述べた「だいたいのルール」から逸脱する処理は、取られる石は置けない(着手禁止点)、千日手、コウ、セキ、それに敢えてコミ(先手ハンデの6.5点)を入れても5つくらいだろう。
対して将棋では、動けない駒の禁止、千日手、二歩、打ち歩詰め、入玉計算、ステイルメイトが挙げられる。まあステイルメイトはさすがに抜きにしても、例外処理の数としては同じになるし、中身も将棋のほうがいかにも例外処理チックという感じがする(個人的見解)。
囲碁にも将棋にも定石(定跡)というものがあるが、囲碁のそれは将棋に比べて覚えるべき数は少なく、手順も長くないものが多い。
対して将棋は、矢倉に相掛かりに角換わり、四間飛車三間飛車中飛車、それぞれの中でも速攻だの持久戦だの腰掛け銀だの藤井システムだの丸山ワクチンだの無数の定跡があり、自分が型を絞って戦ったとしても相手の振る舞いでそれぞれ違う定跡に分岐せねばならない。
手筋とかは、囲碁にしろ将棋にしろちゃんと覚えないといけないが、こと序盤においてはそういう意味で囲碁のほうが遥かに覚えることは少なく、シンプルであると思う。
将棋のほうがわかりやすいとする意見を読んで思うのは、将棋のほうは駒の動きや全体の流れなどある程度知っている人間、囲碁のほうはルールや全体の流れも含めて全く知らない人間を前提に、意見を組み立てているのではないか?ということ。
自分は囲碁も将棋も全く知らなかった小学生の頃、初めてその二つにセットで出会って、将棋の方は駒の動きが覚えられず苦手だったが囲碁はすんなり入っていけた。
ボクサーを撲殺したのは僕さ
これから満で数つけるわ
ナンを何枚も食べるのなんて、なんでもないよ
新患の新幹線に関する新刊に新館を立てて震撼し信管が作動する。
ケニアに行ったら生贄や
柑橘類の香りに歓喜し、換気を喚起したが乾季が訪れたので、寒気がした。
塗装を落とそうか。
観光客がフイルムに感光させた写真を刊行することが慣行になった。
サボってサボタージュ
景気が良くなりケーキを食べる契機を伺う徳川慶喜(とくがわけいき)
夫を成敗するオットセイ
つまらない妻の話
竹の丈は高ぇなー
餅を用いて持ち上げる
ロストしたローストビーフ
サボテンの植え替えサボってんな
過度な稼働は可動範囲を狭める
伯爵が博士の拍手に拍車をかけて迫真の爆死をし白寿の白人を白紙にもどす。
紅葉を見て高揚する
甲子園で講師をする公私混同した孔子の実力行使には格子窓も耐えられない。
死んでんのか?「心電図を取ってみよう!」
夜祭で野菜を食べる。
信玄餅を食べながら震源を特定するように進言する新元素を発見した人。
蜂の巣(honeycomb)を見てはにかむ
五反田で地団駄を踏む
ようやく要約が終わった
海溝で邂逅
豪華な業
甲板で甲板をかじる
甲板で乾パンをかじる
店頭で転倒
大枚をはたいてタイ米を買う
醤油をかける人「えっっ?」
神田でした噛んだ
少食な小職
牛の胆嚢の味を堪能する
あの娘にはどう告っても(どうこくっても)慟哭する結果に終わるだろう。
キーンという高音の起因が掴めない。
こんな誤謬は秒でわかるだろ
壊疽した箇所が治るというのは絵空事だ
経口補酔液
痴的好奇心
セントーサ島に行くのは正恩が先頭さ
軽微な警備
冬眠する島民
ベットは別途用意してください
The deserted desert in desert desert.
九尾のキュービズム
罹災者へのリサイタル
画家の画架
不納が富農になるのは不能だ
理工がRICOHに利口な履行
I sensed tha it is in a sense sense.
私はそれをある面では扇子だと感じた。
鯖を食べている人と、それを見ている人の会話
鯖 ça va?
ça va 鯖
ça va
ゆめゆめゆめをみるわけにはいけない
早漏で候
凪に難儀
東上線に搭乗した東條が登場
高校を後攻で煌々と口腔で孝行
蝉が転んでセミコロン
道徳をどう説く
写真はフォトんど撮りません
ダリ「絵ぇかくのだりぃなあ」
華美な花瓶のカビに過敏に反応
檻に入っておりいった話をする
夏のおサマー
夜は寝ナイト
渦中のカチューム
渦中のカチューシャ
リスボンでリスがborn
どうないはどないなってんねん
苫小牧でてんてこ舞い
市内を復旧しないと
石狩の石を借りる
おが置いてあるのを見た人「おはおっかねぇーから置かねぇ方がいいぞ」
砂がどしゃーw
東上線に登場した東條が登場
飽きない商い
おなか吹田市
観劇で感激する
側転に挑戦し即、転倒
別件を瞥見
凹地のお家
魚を初めてみた人「うぉー」
カラヤンの頭の空やーんw
豚をぶった仏陀
只見線をタダ見w
菊名でそんなこと聞くなよ
五秒で死んで御廟に埋葬
がらんとした伽藍
有給を使いすぎて悠久の時が流れた
長谷に想いを馳せる
Thinkerの真価
不具の河豚
暗記のanxious
半世紀にわたる半生での藩政を反省
タンチョウが単調増加
ショック死内親王w
カルカッタの石軽かった
天皇のこと知ってんのー
蒋介石を紹介した商会を照会した商會の船で哨戒する
其方のソナタ
先王に洗脳される
防潮堤で膨張した傍聴人
砂漠で鯖食う鯖を裁く
筒に入った膵島
サイコロを使った心理テスト(psychological test)
カラシニコフが辛子個踏んだ
皇帝の高弟が公邸の校庭の高低差を肯定する工程に拘泥した記録を校訂
にようかで酔うか?
うるさい人が売るサイ
どんなもんだい、を、どんなムンバイ、と言い間違える人
透徹した饕餮の眼球
チャカで茶菓を破壊
slimyなすり身
ゆうほど広くない遊歩道
いにしえのイニシエーション
コーランをご高覧ください
K殻の傾角を測定する計画
協賛した共産党員に強酸をかける
負けたのは聖者の静寂のせいじゃ
裏地見るウラジミール
カミオカンデの上に紙置かんでw
県大会がおわり倦怠感を感じる
夕暮れのユーグレナ
ストライキをする公務員に呼びかける人「 Stay calm(公務)」
エド・はるみの穢
祭壇を裁断
腐卵ダースの犬
全然人が集まらないクラブの人「参加数人は我々の十八番ですから。だけに。」
四苦fuck
都バスが人を跳ね飛ばす
怒るカロテン「なにカロテンねん」
嫌がる慰安婦「いやんっ」
かえるがえる帰る蛙
沈厳な青梗菜
トリコロールの虜
布陣を組む夫人
栗けっとばすクリケット🦗
婉容と遠洋漁業
アマルガムで余るガム
ハラスメントの疑いを晴らす
滋賀を書けない人を歯牙にも掛けない
他意はないタイ人の鯛の態度
鯛が蛇足
ダジャレではない↑
割と面白い
ハラッパーの原っぱ
紫に関して思案を巡らす
Huluが夏の風物詩だと思っている人「Huluですなぁ」(風流)
下調べのムニエル
わからないので
意味ない諱
よく分からんリポーター「うわぁ〜美味しそうですね!少なくとも不味そうには全く見えません!」
どうしても下がりたくない人「黄色い線の内側は、境界を含みますか??」
計算ができない人
着ていく服を決めた高橋是清「これ着よ」
enough、enoughは工夫がenough
負け負け山(カチカチ山)
薬師丸せま子
トーマス・マンの書いたふるさと「うさぎ〜おーいし、魔の山〜♫」
その心は
焼結が猖獗を極める
これはstaleだから捨てるか
衒学的な弦楽を減額
完全な勧善懲悪
イボ人の疣痔
イブに慰撫
(訳 ぬるぬるしてるありふれた魚)
盲いるのに飯いるの?
アーヘンで阿片を吸った人「あー変」
毒吐く独白
明借りるアスカリ(車)
丁寧な砂浜「Could you九里浜」
ゴーンと奉公
その心は
サンクチュアリに山窟あり
熟れたウレタンは売れたんか?
清澄な声調を静聴し成長
プエルトリコで増える虜
象さんを増産
兄弟が今die
Dose heで始まる疑問文に答える京都人、Yea, he どす
ソフィカルのソロカル
美人局に筒持たせる
十把一絡あげ
篤信な特進が涜神を得心
これは何という植物かな?ムユウジュでは?あそっか、なるほど。
クートゥを食うとぅいいよ
マイソールで昧爽に埋葬
ドクサは毒さ
暗殺で朝死んだ
クラシックについて語る人をそしる人「弦楽なんてペダンチックだなあ」
凛々しいリリシズム
衛生的な俳人
御髪も亂とはオクシモロンだ
コロナ後の世界を分析する学問→postcoronialism
影響が色濃いイロコイ諸族
あてのあてないアテナイ
ワクチン接種が始まる
各国行動規制緩和
ウクライナ戦争が始まる
安倍晋三が撃たれる
ーーー
最近「あの出来事って2年前だっけ?3年前だっけ?」って考えるときにコロナ元年からのストーリーを頭で追ってる
例:まずコロナがあって、自粛になって、そのあと7月に歯の矯正始めて、次の年にワクチンがはじまりオリンピックがあって、その後戦争が始まったのが去年だから、歯の矯正初めてのが3年前の7月だから今2年半かー
これを「歯の矯正初めたのはコロナ元年の7月で、今は4年だから、今度の7月で3年かー」となると良い
震災は覚えてるよ、でも「2011年からもう12年かー、じゃあ小学生って生まれないんだな」と考えると脳が破壊されるので忘れることにした
え、コロナの19って2019の19なの??
ステイサムみたいにするのが正解。
ポコチンルッカビリティが高い小便器が増えてきてるのは、ポコチンルッキズムが高まってるからなんだよな
ポコポリ(ポコチンポリコレ)が酷くて公衆の面前で出せない分、トイレで見せようって風潮がある
ポコタイ(ポコチンタイパ)を重視するメンズも増えてきて、見られてもいい、それより早く済ませたい若者が多い
ポコサス(ポコチンサステイナビリティー)も大事だから、いかにポコチンの威厳を持続的に維持するか、それも問題だよな
だからといってポコハラ(ポコチンハラスメント)になってもいけない
俺も最近ポコリス(ポコチンリスキリング)始めたから、適度に見せて適度に隠してる
先生が「あとはお家で一緒にいてあげるのがいいのではないかと思います。」と言った。かねてから治療についての選択は彼女が一番苦しくないものを、しかし最後となったら家でゆっくり過ごさせたい、と伝えていたから。もうこれ以上治療はしない。
彼女は三年前、「中国で肺炎を患う謎の風土病が流行っている」くらいの気分のニュースがちらほら出てきた頃我が家にやってきた。しばらくして始まったステイホームとリモートワークのお陰で三年間のほとんど、本当にほぼすべてに近い時間をふたりきりで過ごした。極端な甘え方をする猫だった。椅子の下を通る度にいちいち肩からしっぽまでがこちらの足にスーッと触れるように歩いた。トイレも風呂も洗い物も歯磨きもとりあえずついてきてチョコンと座ってこちらを見入っていた。コンビニから帰る度にレジ袋を嗅ぎに来る旺盛な好奇心とは裏腹にヤマトが来てもUberが来ても玄関から一番遠い物陰に隠れる人見知りでもあった。
コロナによって仕事は波乱に満ちた日々だったけれど、生活空間は驚くほど平坦な毎日だった。早朝の大運動会を付き合わされたあと二度寝してから仕事を始めると、彼女は飛び乗ってきてお昼まで膝の上から離れなかった。ギュウッと抱きしめうなじをマッサージしてやると目を細めた。ノソノソと膝から降りてしばらく窓の外を眺め、午後は日向で仰向けにのんびり過ごし、こちらの晩御飯を嗅ぎにきてはカリカリのお茶碗に戻り、夜はベッドに潜り込んできた。姿が見えなくてもくしゃみをするとニャオミャーオと合いの手が返ってくる。休日は昼間からちびちびビールを飲み一緒にNETFLIXを観た。彼女の存在が時空間を歪め時間の流れをゆったりとさせた。この部屋ではそんな毎日の繰り返しが起伏もなくずっと続く、それ以外の未来はリアリティを感じなかった。いつか別れが訪れることはわかっていたけれど、10年は先の話だと頭から切り離していた。
様子がおかしいことに気づいてからはあっという間だった。治療の度一旦元気になるものの数日と続かない。希望の持てない病状であることが即ち彼女との時間に限りがあることを徐々に、今更のように突きつけてきた。退院のたびに一緒に過ごす時間の愛おしさは、平坦だったあの頃にもあふれていたことに今更気づかされた。何もかもが今更だ。
残りの時間をいくらかでも楽に過ごせるような処方をもらって帰宅し、だらりとコの字で横になっている。まだ近づけばこちらをじっと見返しているし、名前を呼べばしっぽの先を少しだけ振り上げて返事をする。うなじをクリクリしても押し返してくる元気はもうない。
天寿と言うには短すぎたけれどこればかりは彼女の天寿であるのだから致し方ない。特別出演か友情出演のように短かったけれど、この人生に登場してくれて心からありがとう。本当に特別なシーンの平坦な連続だった。
あと数日。長くてもせいぜい一週間。精一杯ありがとうと念じて静かに撫で続けよう。
これから猫を看取る。