はてなキーワード: 棲み分けとは
実際どうなっているのかな?
タバコ廃止しろといってる人々は、皆全員、苛立つ事も無く幸せな日々を送れるのか?
勿論「元々体が弱く、タバコを吸うと死ぬ」とか「タバコの火が原因で家が全焼して人生ずっと借金地獄だった」とかそういう不幸な人は居なくなるかもしれない。
ただ、少なくとも、何割かの人々はタバコが無い世の中でも苛立って人生を過ごしていると思う。
何に苛立っているのか?
おそらく、何か他の別のものに苛立っているのではないだろうか。
例えばアルコール。
このデータでは体に良くないという結果が出ている、規制しろ!アル中は死ね!
・・・といった具合に。
勿論、また別のものに苛立ってるのだろう。
悲しい事だけど、上記のような人々は、ストレスのない幸せな生活はどの世界でも出来ない。
もちろん、分煙等、喫煙マナーを守るべきというのは正しいと思ってるし、
歩きタバコ、ポイ捨て等、マナーの悪い人々も存在していて、そういう箇所は改善していくべきだとは思う。
ただ、タバコ廃止しろとか、喫煙してるやつは死ねとか言ってる人はさすがにどうかな、と。
嫌煙厨と呼ばれるほどにタバコが嫌いな方々、実際タバコのない世の中だったらストレスもなく幸せな日々を過ごしてると思いますか?
色々な問題の解決を加味するのなら、例えば自動運転は国道や高速道路をはじめとする太い道路に限り、狭い道路での使用は禁止される流れが一般化しそうな気がします
どこまで技術が発展しても、例えば小さな道路で曲がり角から子供が飛び出してくるようなケースには対応出来ないというか、人間でも無理なわけでw
自転車くらいのスピードに押さえたとしても、ぶつかった時点で、転んだ時に打ち所が悪ければ最悪人は死ぬと
人間機械関係なく防ぐ事が無理な事態に対して「メーカーが悪い」などと言えないのはもちろん、その道を通らないと帰れないのに「その道を選択した人の責任だ」とも言いにくい。飛び出した子供が悪いともなかなか言えない
でも手動で運転していれば「運転している貴方が悪い」と一様に言えると
また、小さな道を自動運転出来ないようにすれば、タクシーなども棲み分け出来ると思います。縮小は免れないでしょうが。
バスは雇用問題解決の一環として政府の援助の元、地方自治体が抱え込むしかないと思います。
また、スイッチ一つで運転可能だとしても、老人の中にはスイッチが2つ以上あったら混乱する人も少なくないので、バスはそういう人たちに需要があると思います。
http://anond.hatelabo.jp/20160119105229
の増田がジャニーズとファンの横暴さが露わになってしまっているが、
そういえばこんな気持ちを昔したなあ、というのを思い出した
それは約10年前、ジャニー喜多川が週刊文春の「元ジャニ」の告白記事を訴え、裁判沙汰になった時のこと
そこで元ジャニは、ジャニー喜多川による同性愛行為などを暴露し、それが争点の一つになったのだが、
裁判の過程で、ジャニー側は同性愛行為があった事実を認定した。これはwikipediaにも載っている
つまり、裁判によって事務所の上下関係を利用した同性によるセクハラ行為が発生しているということが白日の元に晒されたのだ。
これは戦時中の従軍慰安婦の話ではなくて、現代の日本で起きたことですよ。
しかし、前者の件では発言一つ一つを仔細に報道するマスコミが、この件をほとんど全く報道しなかった。
その時に何が起こっていたのか。
ここで少し、話を脱線する。
DA PUMPというグループがいますね。彼等がデビューした時にも真っ先に恐れたのはジャニーズ側からの圧力による「つぶし」だった
そこで、彼等の所属事務所ライジングの平は徹底的な「棲み分け」を提案し、共演は絶対にしないことを条件にした。
それによって彼等や後続の男性グループはジャニーズが出演する番組、例えば毎週ジャニーズ枠があるMステには出演できないが、
例えば、ダウンタウン司会のHEY!HEY!HEY!などは、ジャニーズがダウンタウンと接触することに拒否感があったのか
また安室奈美恵などを通してライジングとの関係が良好だったためか
その裁判が起こるまでは
この判決後、突然HEY!HEY!HEY!は路線を変更
今週はV6、次はキンキキッズ、次はKAT-TUNと堰を切ったように相次いでゲスト出演し
しかもやけに自分たちとジャニー喜多川氏との親しいエピソードを語り、
いかにジャニー喜多川が優れた指導者で、自分たちが強力な信頼関係を作っているかというトークをしていた。
明らかにこの時、この大量のバーター出演と引き換えに、何らかの「戒厳令」が敷かれたと勘ぐっても不自然ではないと思う
これはフジだけではなく、他の音楽番組でもこの時期に散見された光景だった。
(ちなみに、この時割を食ったのがライジングのDA PUMPの弟分として売り出していたw-indsで、
この時期を境にほとんど出演する地上波の音楽番組が消滅してしまい、彼等は結果、海外市場へ向けたシフトチェンジを余儀なくされた。)
これだけなら、昨日の会見でも見た「事務所の力関係によるパワハラ」という、
まあ決して気分の良いものではないが、業界という特殊な環境のルールで行われた一つの事例として済んだだろう
そんなジャニーズたちが、上司にパワハラ(というか枕営業ですね)されているのを知った彼女たちがどうしたのかというと
なにもしなかった。
当時も2ちゃんなどでこれらの話題が挙がることは多々あったのだが、そのときのジャニファンの回答に度肝を抜いた
「あんまり騒がないで。そんな事を言って、問題が大きくなって、ジャニーズの彼等がテレビに出れなくなったらあなた達責任とれるの」
彼女たちは「自分たちがジャニーズを見れなくなる」という理由から、彼等のセクハラ、パワハラを黙認したのだ。
あれだけ女性スキャンダル一つにはキーキー叫び、結婚も許さないジャニーズファンが、上司との枕営業を黙認
結局彼女たちは、ジャニーズの「応援者」ではなかった。「消費者」だったのだ。
今回のSMAP騒動も、おそらく彼女たちは「SMAPが解散しなくてよかった」という方向で意見をまとめてくるだろう
というかこの増田がそうだよね
元々はてなが自分の軸足じゃないんだけど、ちょっと自分の情報ファイルに保存が利かないタイプの話だから。
>フェミニストがオタクを憎むのは恋愛市場のズルやダンピングだと思われてるから
http://togetter.com/li/897474?page=2
この手のまとめって、大抵ツリーの下の方にぶら下がっている野次馬の意見の方が面白い例が多いんだけど、
これは珍しく元のまとめの方が深いタイプ。
自分も、「本来の被害者がいるアダルトビデオやジュニアアイドルの媒体を作っている奴等」よりも「とりあえず被害者のいない架空の二次作品のエロ」を
というか、自分だったら前者を圧倒的に糾弾したいし(実際の元ジュニアアイドルの話とか聞くとホント悲惨だし)それなら支援もするが、
後者に関しては、「リアルに二次元の常識を持ち込まないで完全に棲み分けする」を貫いてくれていれば
相手の「内面の自由の問題」だから口出しは出来ないと考えている訳よ。
(むしろ三次元媒体たるAVを学習参考書にしてリアルの女性に被害を与えている莫迦男の方が遥かに加害度が高いと思うんだけど、まーそれはさておき)
LOなんかの、リアルの少女に手出しはしません宣言なんかが有名どころだと思うんだけど、
そうやって「自律」のできている他人のオナニーに、赤の他人である俺がまた口出しするってのも変な話だしね。
ただまあ、実際は、オタ男による、「二次元は至高、惨事はタヒね」みたいなヘイトまき散らしの書き物は
ほんとそこここに見られて、うんざりはさせられるんだけど。
とはいえ、被害度で言えば、それも少数のアフォ男による書き込みでしかないわけだから
(多くのオタ男はキチンと棲み分けをして、平和的におなぬーをして、女子に被害を与えずに一生を終えるわけなんだから)
わざわざ好き好んで叩き潰すべきとはとてもじゃないが思えない。
元のTwitterまとめの話に戻るけど、トロフィー女の話(概念)は、頷いてしまった。
確かに、上野千鶴子なんて、トロフィー女のままフェミのできた、典型だもんね。
女としてちやほやされたい、ってところは死守して、そのままおばさん→婆へと進めた、レア且つ幸運なケース。
女子率の低い東大であの容姿だったら、生意気なフェミ女でも男からの賞賛は途切れなかっただろうな、などと下種い連想をする程度には。
それはさておき。
一方で、そういった、トロフィーのような名誉職から降りたい、って思っている女でフェミの奴等もたくさんいるわけで。
だから、トロフィーすげーっていう価値観の解体みたいな話も、結構あるんじゃないかと思うんだが。
探していないから知らないけど。
オタだから、どうしてもオタバッシングの話に先に目が行くもんだから、
二次ヒロイン叩きみたいな(俺からするとどうしても勘違いにしか思えない)フェミの話はコンスタンスに拾えるんだけどねー。
どう考えてもそれ、そのエネルギー、ジュニアアイドルの解放戦線に向けた方が良いと思うよ、的なことはよく感じるわけよ。
そこいらへんを好んで叩いているフェミ女達のエネルギーを見るにつけ。
あと、こういう時、オタ女が不可視になるのが、いっつものパターンなんだよね、ホント不思議。
結構なボリュームがある存在だし、昔からずっと存在していたことは事実だし。70年代末のコミケの資料とかからも引けた筈なんだけど、
70年代というコミケの初っ端の頃から、女子比率の物凄く高い遊びが「オタ」って分野だった筈。
でもまーそういうの無視して、時折腐女子(BLで抜いてる)が扱われる程度で、
BLに興味の無い女子オタがオタ媒体をどう活用しているか、そこでどういう救いがあるか、みたいなことに
一向に関心が向かないのよね、批判するフェミたちも、受けて立つ二次オタ男たちも。
男オタ達に至っては、まあオタ業界は俺たち男のものだ、みたいな勘違いのままの輩も多そうだけど。
ガンダムどころか、宇宙戦艦ヤマト初代ですら、普通に女子オタはいたからね。腐も、そうではない女子オタも。
五年生と六年生が休刊になったのは覚えているが、その下もなくなっていたとは。
もちろん少子化の影響が大きいのだろう。
だが、考えてみれば、男女向けのコンテンツを同時に載せるモデルに、そもそも無理があった気がする。
自分の記憶を振り返っても、学年が上がるごとに、女子向け作品の空気についていけなくなった。
おそらく、女子の方も同じことを考えていたに違いない。
だったらお互い、棲み分けた方がいい。別々に専門誌を買った方がいいに決まっている。
話は変わるが、インターネットは基本的には今なお男社会である。
だからネトゲをやってもニコ生に行っても、チヤホヤされるのは少数派の女性と決まっている。
しかし、小町やガルちゃんなんかにはまとまった数の女性ユーザーが存在していよう。
そして、男がこれらを閲覧するにあたって、本屋で少女漫画を買うほどの心理的抵抗は必要ないのである。
男女それぞれがターゲットの雑誌で好き勝手書く分には、異性に見られるリスクもある程度抑えられたのに、
今では調子こいたライター崩れが適当な男女論を書き散らし、さらに混沌とした様相を呈している。
だがそれも仕方ない。
仮にインターネットがやらずとも、他の技術がいずれ達成していたことだろう。
それでもやはり、この箱を開けるべきではなかった気もする。
ああ、なるほどね。
>他者に与える事を恐れているのでしょうか
いや、単純にオタな人たちははてなにはあんまいないからじゃないの。
オタの集まりとかで、はてなが話題になることなんてまずないじゃん。それと一緒。
かくいう俺も、かつて脱オタしていた頃ははてなで情報集めしていたけれども、オタ戻りしてからはとんとはてな自体ご無沙汰になったよな、って感じだし。
稀にガンタムネタとかでトンガッたエントリー(ブログ)書ける人とか、某ビアンさんブログ(今もお元気でブロガーしてるのかしらん)のエロゲ批評とか、
はてなでいるそういう人たちは、どっちかっつーたら少数先鋭タイプ。
そういや、ありむーさんなんつー人もいたな。あの人も、結局ははてなから移住したよね。それ以前にメンヘラ治せよってレベルだけど。
はてなの主流はリア充寄りというか、リアルにはとりあえず足が地についている人たちのあれこれがネタ元。
オタ情報は、そのリアルを補充する何か、みたいな扱いな人がホント多い。
この間も、カドカワがはてなと新しい小説投稿サイトを開始することにかこつけて、なんか粘着質溢れる小説家になろう批判(?)みたいなのが上がってたけど、
>(■ぼくがKADOKAWA×はてなの小説投稿サイトに一番求めること )
2,3件除いて、コメントの殆どが「なろう」に足を踏み入れたこと無い人にしか書けないコメントばっかだし、
たぶんラノベすらまともに読んだこと無い人なんだろうなーってレスポンスばっかだったからね。
まーオタの中ですら、ラノベ読みとアニオタは変に対立していたり、ラノベ読みがなろう民を批判してたりとか、
井の中の蛙たちがちょっとの差異をもってしてそれを敵の弱みとばかりに叩き合いしている感じの
まー、そういうのは棲み分けってことでいいんでねーの。
酒飲みへの絡みっぷりがしつこいな。
こっちはこっちで楽しくやってるから、ほっといてくれ。
言いたいことがあるのなら、ネットじゃなくて直接相手に言えばいいじゃないか。
とにかく、いつまでも詮無いことをぐだぐだねちねちとしつこい。そんなんだからモテないんだ。
俺たちは別にお前たちに興味など欠片もないし、絡む価値もないと思っている。
飲み会に参加するのが嫌なら、さくっと断って家で水飲んでネットしてオナニーして黙って寝ればいい。
いいか、二度と絡んでくるんじゃないぞ。
分かったな。
居酒屋は俺たちの居場所だから、水だけ頼んで焼き鳥とか食いに来るなよ。
棲み分ければいいんだ。俺たちはスイーツパラダイスとか行かないから。
どうしても我慢出来なければイスラム教国へ移住することを本気でおススメする。
じゃあな、達者でな。
ここさけとやらを全然知らないんだが
いわゆるリア充やスポーツマン、根っからのオタクなどその中でもカテゴリは存在していたものの、それぞれに学園ヒエラルキーが適用されるのではなく、お互いに棲み分けを行うような形で折り合いをつける。結果、異分子的な存在に対しても特に働きかけることもない一方でいじめのような状況は発生しない(しなかったと思っていると付け加える)。
おそらく「ここさけ」の舞台の学校も、近いような環境、学力的にステロタイプに表すなら、偏差値が高いほうではある一方で、エリート校と言うほどではない奇跡的な案配といったところなのだろうと想像した。
これが「奇跡的」なの?
と言うから小学生くらいなのか?と思ったけど、調べたら高校生だよね?
高校生にもなりゃ共働きで当たり前じゃね?例え母親が専業主婦だったとしても、子供を置いて出掛けたりする事もあるよね?
それでいちいち「びくりと身構える」とか「胸が張り裂ける」とか大げさすぎでは?
増田んちの母親はずーっと専業主婦で、高校生の子供を一人で留守番なんて絶対にさせないザマス!とかいう人だったの?そっちの方が異常では?つーかマザコン??
彼女の家はいわゆる分譲住宅だ。幼少期の描写ではぽつんと一軒成瀬の家だけが建っていたところから、現在では周囲に家が立ち並んでいるところをみると、成瀬の父親は転勤族であり、新しくできた分譲住宅に飛びつくような形でやってきた新参者だったのだと想像できる。
転勤族が子供幼いうちから一軒家なんて買うかよ。いつ転勤になる=引っ越すか分からんのに。
新興住宅地に住む=転勤族・新参者、という発想って事は、そうでなければ親の家に同居するはずとか思ってんの?どんだけ田舎?
母親は子供を養うために働きに出るしかなく、自動的にご近所づきあいは破滅的に。地域性というバックボーンがない新参者のために、塞ぎがちになった成瀬に対しても「近所のガチンチョ」だとか、「面倒見の良いおばちゃん」のようなケアは存在しなかった。
いやだから高校生にもなりゃ母親働いてて当然だっつーの。金持ちばかりの高級住宅地ってならともかく普通の住宅地だろ?
そもそもそんな濃い近所づきあいなんてのも新興住宅地では存在しねえっつの。どんだけ田舎?
えっいかにも「心に一物抱えてる子供です」的説明に見えるけど?
そんな子供は中二入ってる思春期ならごくありがちだから何だかんだで平凡だ、ってなら分かるけど、そういう意味で平凡つってる訳じゃなさそうだし。
彼の影響下の元、彼と同じ家庭環境に育まれ、坂上は父親の人格をしっかりと継承しているのである。いくら自覚がなくても、子供は親の影響を受けて育ち、それらを継承してしまう。
むしろ(「父親」側である)製作者&視聴者の「普段子供にあまり関われてないけど子供は自分の影響受けていて欲しいなあ」と言うドリームを反映した、
家族モノとしてはごくごくありがちで手垢の付いた設定だと思うけど。
それは成瀬の母親だ。彼女は頼れる両親がいなかったのかもしれないが、どちらにしろよそに頼ることなく、女手一つで子供を育てる選択をした。再婚もせず、もちろん育児を放棄することもなかった。
離婚した女は再婚して男に頼ったり育児放棄するのが当たり前でそうしないのが特別だと思ってるの?どんだけDQN?
全体的に、ホラーでもないしありがちにしか見えないなあ、と思ったんだが
私はこの映画を、友人たちと連れだって見に行ったのだけれど、そのうちの一人の境遇がまさに、「片親という家庭環境で育ち」「現在父親」というものだった。
感受性高い高校生とかならともかく、父親になるような年齢でその精神力って幼稚過ぎるんじゃない?
と思ったが父親なのに友人と連れだって映画行くって辺り、若くて父親の自覚なくて奥さんと子供放置で独身時代と同じように友人と遊んでるみたいな父親か?
やっぱり、どんだけDQN?
http://anond.hatelabo.jp/20151005175917
の続き
「心が叫びたがっているんだ」を語るにあたって、最も欠かせない部分。それは学園パートではなく、家庭でのシーンにあると思う。
意外に思ったはずだ。学級会議で突然歌い出した成瀬に対するクラスメイトの人間的にまっとうすぎるリアクション。そしてそもそも成瀬のような生徒がいじめられていないクラスという環境。最初の印象は「やさしい世界」そのものだった。
しかし一方で、私はこのクラスの環境について、全くのファンタジーだとも思わない。私自身、近い環境は経験したことがあるからだ。私は高専という5年間同じクラスで学生が生活をし、工業系ということでオタクばかりが集まった中で学生生活を送ったことがある。それがちょうどあのクラスの環境に似ていた。いわゆるリア充やスポーツマン、根っからのオタクなどその中でもカテゴリは存在していたものの、それぞれに学園ヒエラルキーが適用されるのではなく、お互いに棲み分けを行うような形で折り合いをつける。結果、異分子的な存在に対しても特に働きかけることもない一方でいじめのような状況は発生しない(しなかったと思っていると付け加える)。
おそらく「ここさけ」の舞台の学校も、近いような環境、学力的にステロタイプに表すなら、偏差値が高いほうではある一方で、エリート校と言うほどではない奇跡的な案配といったところなのだろうと想像した。
ともかく、「やさしい世界」的に描かれた学校のシーンは、とても淡泊なものとなった。これはいじめ描写を除外することでその他のドラマに描写を注ぐためだったのだろうと思う。(本当は少し違うと思うのだが、後述する)
そのドラマとは当然青春ラブストーリーもあるが、それよりも重要なのは家庭のシーンだったと考えている。
まずは描写も直接的でわかりやすい成瀬の家庭について説明する。
まず、女手ひとつで子供を養うために母親が就いた仕事が「保険の勧誘員」というところ。ある程度年齢がいった女性が中途で採用される職業で、比較的安定しており生活が成立する収入を得られるものとして、典型的なものだ。彼女らの仕事は半歩合制であることが多く、望む収入によって仕事の量が変わってくる。夫婦共働きなら昼間だけつとめれば良いが、一般的サラリーマン並みを一人で稼ぐとなると残業は当たり前で、劇中のように帰りが遅くなることが多いだろう。
そして、母が在宅していない時、成瀬一人で自宅にいるときの「明かり」の付け方。あれもものすごく写実的だ。リビングのうちシステムキッチンの明かりだけつけて最低限の明かりを確保するだけ。ひどくリアルだと感じた。これは単に成瀬の暗い性格を表す演出というだけではなく、親が出かけており子供一人で留守番をしている光景として、典型的なものだと思う。電気代を節約して家計に貢献だとか、そういうことでは恐らくない。単に子供一人にとって、一軒家が広すぎるからだ。どうしても明かりは最低限となり、家全体で見たとき、点々と明かりがぼんやりとついているような状態になるのだ。何も片親だった人だけでなく、夫婦共働きの子供だった人なら思い当たるところがあるだろう。
車の音やインターホン、他人や親の気配を感じてびくりと身構えるあの感じも、そのものを写し取ったかのような正確さだと思う。
片親の親、あるいは子。共働きの親なら胸が張り裂けるような描写であっただろう。
登場人物のうち、自宅の描写があるのは成瀬と坂上だけだが、坂上が昔ながらの一軒家の形式に対して、成瀬の家が異なっていることはすぐ気づくところだと思う。
彼女の家はいわゆる分譲住宅だ。幼少期の描写ではぽつんと一軒成瀬の家だけが建っていたところから、現在では周囲に家が立ち並んでいるところをみると、成瀬の父親は転勤族であり、新しくできた分譲住宅に飛びつくような形でやってきた新参者だったのだと想像できる。
そこでまもなく彼女の意図しない密告により、両親の関係は決裂してしまうことになる。母親は子供を養うために働きに出るしかなく、自動的にご近所づきあいは破滅的に。地域性というバックボーンがない新参者のために、塞ぎがちになった成瀬に対しても「近所のガチンチョ」だとか、「面倒見の良いおばちゃん」のようなケアは存在しなかった。
建物一つの描写をとっても、このように彼女が今に至るまでで、そうなってしかるべきであったという状況が、写実的に示されているのだ。
この状況は、成瀬本人にとってはもちろん、母親にとっても過酷だ。母は成瀬に対して辛く当たるひどい親として描写されてはいたが、彼女の立場に立ってみれば、同情を禁じえない境遇といえるだろう。
坂上家で成瀬の母が「娘がおしゃべりで電話代がたいへん」なんて見栄を張っている描写もあったが、恐らく彼女は仕事場でも同じ嘘をついている。
典型的な母親のつく仕事である「保険の勧誘員」という職場において、子供の話題というのは避けて通れないものだろうから。
「心が叫びたがっているんだ」という映画。うわっつらはありきたりで平和な青春ラブストーリーであるが、このように少し掘り下げるだけで緻密で残酷な描写がちりばめられている。
しかしこれだけではない。行間に隠されてはいるが、物語の読解に重要なもう一方。勝るとも劣らない残酷な描写がある。
それはもちろん坂上の家庭環境だ。
坂上は父方の祖父母の元で生活している。そこは父親の実家であり、本宅でもある。しかし父親は家には寄りつかず、事実上は別宅みたいな扱いになっている。坂上の両親も成瀬の家庭と同じく離婚しており、母親が居ない片親の環境。子供の世話は父の両親、坂上からすれば祖父母に任せっきりだ。
以上が物語上で語られ、描写された内容ほぼすべて。祖父母が居ると言うことで、成瀬の家とは異なり暖かい明かりに包まれており、表面上とても平和に描写されているし、事実、平和なのだろうと思う。
しかしこれらの「行間」には、特に現役の父親にとって、致死量のカミソリが仕込まれているのだ。
それは、直接的には描写されない坂上の父親の影を追っていくことで明らかになっていく。
まず、成瀬が初めて坂上の家を訪れたとき通された父親の部屋。あれで一気に、坂上の父親の像がはっきりする。
普通の一軒家に見える家屋の二階に突如出現する、完全防音の音楽室。典型的な趣味人の部屋だ。防音設備など普通のサラリーマンでは考えられないような出費を伴うものだ。そもそもがあの家自体、広大な土地がある北海道において「坪庭」など、まさに道楽者そのものだと言える。※坪庭というのは家屋の中に四角く切り取った庭をこしらえたもの。本来は土地の限られた京都などのような所でふさわしいものだ。
そこから推測できる父親像はつまり、かなりの収入を得ている人物。さらに推し量ると恐らく音楽関係の業界人。それも相当名の高い人物と考えられる。
坂上は幼少期いやいやピアノを習わされた。しかし次第に夢中になり、ピアノに専念したいから私立校に進学するのはいやだと母親の勧めを突っぱねることになる。彼を擁護する父親、反対する母親。それが坂上の両親の離婚の原因になったという。しかし言葉の上では確かにそうかも知れないが、少なくとも現代の日本において離婚はまだそこまで軽々しいことではない。子供の進路についてもめることはどこの家庭でもあることだし、私はそこまで致命的な問題ではないと思う。
恐らく坂上の母親は、その件がきっかけで堪忍袋の緒が切れたのだ。家庭を顧みず、父親ではなく趣味人としてしか生きない男に。
男の片親。子育てを彼の両親に一任して自分は仕事に専念する。頼れる両親の健在な父親にとって、至極妥当な選択かつ、リアルなものに感じる。恐らく音楽の業界人ならば、仕事は都心のことが多いだろうし、それは当然家庭にほとんど寄りつかなくなるだろう。それに、当人にしてみれば、苦言を言う妻という存在がなくなり、以前よりよりいっそう父親の任を感じることなく趣味の延長のような仕事に没頭できるようになったのだ。坂上の祖父母はとても温厚だ。孫相手だというのもあるだろうが、坂上父のこれまで推察した人物像から考えれば、彼もまたこの二人に甘やかされて育ったのだろう。
今の彼は、もう一度独身貴族を楽しんでいるような感覚でいるかも知れない。「お子さんいるんですかぁ?信じられなぁい」なんて言われたりして。
父親が習わせたピアノで、坂上は母親を失うことになった。少なくとも表面上の因果的には。
しかし恐らく、父はそれについて罪の意識は抱いていない。そもそも、ピアノを教えたことが正しかった、間違っていたの葛藤すら抱いていないと思う。
ピアノを習うことは彼にとって当然だからそうしただけのこと。彼は自分が息子に与えた影響というものを全く意識していないのだろう。そもそも、父親としての自覚が希薄だから。
息子の坂上自身について考えてみよう。公式サイトにおいての彼のキャラクター紹介はこうだ
まるで平凡で人畜無害な子供のような説明になっているが、本編を見れば明白なとおり、事実とは真逆だ。
まずクラスでの立ち位置。無口でエアー的に振る舞う様は説明の通りではあるが、実行委員に選抜されたあと、坂上は学級会議の司会を堂々とつとめている。それを受けてのクラスメイトの態度、そして平時からのDTM研での扱い。これはいわゆる「表立って目立つタイプではないが一目置かれてるタイプ」の生徒のそれだ。成瀬や仁藤を除いても、もう一人や二人くらい、彼を思っている女子がいてしかるべき立ち位置に彼は居る。これは上で説明した彼の家柄によるものと考えることもできるが、彼の振る舞いを観察すれば、なんとなく推測できるところがある。
まず、その人格が常軌を逸している。言うなれば英雄的なところ。
完全に異常者である成瀬に対して、彼は最初から一切、一ミリも物怖じすることなく接した。普通にできることではない。彼の異常性というか、異端、あるいは抜きんでた人格を表していると思う。
「やさしい世界」のクラスメイトも成瀬に対して差別的な態度はとっていなかったものの、進んで接触するようなことはそれまでしなかった。
そのハードルを素知らぬ顔で乗り越える。というより、彼自身の異常性のためその特別さに気づいていないだろうところ。彼が一般人とはかけ離れている描写だと思った。
そして音楽の才能。
彼は「作曲はできない」と謙遜してはいるものの、ミュージカルの曲目において、それぞれのシーンを象徴する完璧と言える選曲を行った。そして即興でクラシックのマッシュアップさえしてみせたのである。それも、もう一つの結末の案を成瀬から聞いてたった数秒の逡巡の後にだ。才能があると言うほか無い。
つまりそこに集約される。クラスから一目おかれ、常人離れした振る舞いをし、音楽の才能がある、彼はいわゆる「天才」である。
ここで先ほど挙げたシーンに立ち戻ることができる。
「あこがれのお城」での彼の涙の理由について。
彼はもちろん、彼が説明するとおりの理由で涙した。「坂上拓実」と連呼する彼女の言葉に聞き入りながら。
奇しくもミュージカルの最終幕の歌詞をなぞらえるように、音の上では名前を呼んでいるだけのそれが、「愛しています」と聞こえてくるその芸術性に感じ入って涙したのだ。
言葉はその意味を越えて話し手の気持ちを投影するものなのだと。
あの切迫した状況においてである。天才の感受性と言うにふさわしい。
さて、彼の父親は誰だったか。
音楽業界において有力な人物である。彼もまた、音楽の天才と言えるのだろう。こんな自覚が希薄な男でも、坂上にとって彼は間違いなく「父親」であった。
彼の影響下の元、彼と同じ家庭環境に育まれ、坂上は父親の人格をしっかりと継承しているのである。いくら自覚がなくても、子供は親の影響を受けて育ち、それらを継承してしまう。
ところで、ここまで一切触れることはなかったが、仁藤の人格についても考えよう。
チア部のリーダーで責任感が強い。ラストのミュージカルで急遽代役を務める事になったときの態度からも読み取れるように、背負い込み、気負いすぎる性質を持っている。
私には彼女がある人物に重なって見える。
それは成瀬の母親だ。彼女は頼れる両親がいなかったのかもしれないが、どちらにしろよそに頼ることなく、女手一つで子供を育てる選択をした。再婚もせず、もちろん育児を放棄することもなかった。
彼女もまた、責任感が強く、背負い込み、気負いすぎる性質を持っているといえるだろう。
一方坂上はといえば、父親としての役目を全うできない道楽者の生き写しである。
ここまで考えると想像せずには居られなくなる。
彼らが結ばれ、子供をもうけるようなことになったとき、待ち受けている結末について。
そうならないと信じたい。
交流会を通しての経験から何かを得、成瀬や田崎のように坂上もまたその業からぬけだすことができるのだと。
以下は蛇足になる。
ここまで残酷で緻密な描写ができる監督、脚本家というのは何者なのだろう?と考える。もしかしたら、彼、あるいは彼らもまた、過酷な家庭環境で育ったのではないだろうか。そうでもなければ、ここまで緻密な描写など不可能なのではと思えてならない。
そして劇中の「やさしい世界」としてのクラス。部活でもクラスでも一目置かれる坂上の立場。
彼は過酷な家庭環境をもつ一方で、その救いを学校生活に見いだしていたのではないだろうか。
さらに推し量るなら、彼の担任教師の高校教師らしからぬ立ち振る舞い。そして文化祭の主役という立場を、スケープゴートとしてしか捉えない大人びた生徒達。彼の原体験は、大学生活にあったのではないか(あるいは高専?)と想像してしまった。
そして家庭シーンの原体験は成瀬と坂上の家庭の合いの子。きっと彼は「坂上と仁藤」の間に生まれたのではないだろうか。
そして彼は「父」になることを恐れているのだ。
ここまで書いたが、実は以上の内容、ほとんど筆者である私が気づいたことではない。
私はこの映画を、友人たちと連れだって見に行ったのだけれど、そのうちの一人の境遇がまさに、「片親という家庭環境で育ち」「現在父親」というものだった。
彼はその境遇故に、この映画の行間に仕込まれた凶器すべての気配を感じ取り、とても傷ついていた。一方で私ともう一人の友人といえば青春ラブストーリーとしてみていたので平和なものだったが。
彼は「もう二度と見たくない」とは言っていたが、その理由を聞いていくうちに、「心が叫びたがっているんだ」という映画の全体像を捉えることができた。私はこのことにとても感動したので、彼にぜひブログポストするように勧めたが、とてもできないということだったので、許可を得てこの文章を書いている。彼の現在の家庭は幸いにして、父親である彼と母親、両方かけることない家庭を築けている。(今のところ)
しかし彼の反応を観察するに、とても子を持つ親に勧められる作品とは言いがたいのかも知れない。
下衆の勘ぐりが正しいとすれば、この作品はつまり「サマーウォーズ」対抗軸、家庭という環境、父、母という存在を否定し、子供は学校などの社会でその人間性を開花させていくものだと説いたものなのだから。
事実、子供である成瀬に対して救済はあったが、彼女の母にそれはなかった。ミュージカルのシーンは母への救済と取ることもできなくはないが、今の私には罪と向き合い自分の無力さに泣き崩れる母親に見える。
ともあれ、ここまで読み解いてみてつくづくこの映画の凄さ、恐ろしさを感じる。
「青春ラブストーリー」としても、「核家族ホラー」としても、核心の部分をすべて行間に潜め、合致する感性を持つ人、あるいは何度も繰り返し視聴した人が、ここまで深く読み解くことができる作りになっていることがだ。
「心が叫びたがっているんだ」は傑作というほかない。
■クラブ文化みたいな人にサブカルチャーを浸食されるのが耐え切れない
http://anond.hatelabo.jp/20150925200734
こういの見ると平謝りしたくなるのは何故だろう。
ただ少し服飾に興味があってそれなりに気にしていて、でも俗にいうファッションスナップサイトは怖い感じで。けれど、コレクションはチェックするし情報収集もけっこうしている方だと思う。
クラブもよく行ってた。チャラい王道agehaとか(日の出見れる場所って都内なかなかなくて…)も含め。
「理解あるそぶり」じゃなくて、好きなんだ。どれも。アニメも。クラブも。
そういう垣根なくならないかな。クラブで会う友達ともアニメ話でもりあがったり、アニメ趣味で仲良くなった子とクラブいけたらなって思う。
カテゴライズされた棲み分け、無くしたいのにな。好きなものが好き、でいいのにな。
ついでに。昨今のサブカルってなんだろう。自分が学生のときなんかスタジオボイス!って感じだったけど。最近はテレビブロスのサブカル臭に圧倒されたり。よくわかんない。
ほんとに棲み分ければいいのになんで他人の家庭までずかずか入ってきてあげつらうの?
いや書いた方が悪いんでしょ、わかるけどブログって日記じゃん。私事じゃん。個人の感想じゃん。一応は、ね。
ちょっとブクマつくたびにいちいちあげつらったらなんかお仕事もらえるの?スターうれしい?承認欲求みたされるの?
ていうか、「こんな言動をトップにあげられたら苦しむ人もいるんです、守ってあげたい!」っていうけど
その守ったつもりの側のプライドを気にせずずたずたにしてるんだよね。現に私は不愉快だもの。
あの書き方だともんのすごいへんな人にしか承認されないと思うんですけどね。
少しもプライドがない人しか感謝なんかしないし感謝してるように見えても
「ありがと、それで私の愚痴をもっと聞いて!無限にかわいそがってよ!!」っていう愛情乞食さんしかあつまってこない。
ていうか親子のスキンシップ全否定でみんなホント概念の世界にいきてんのね…
そりゃ少子化にもなるね
http://anond.hatelabo.jp/20150902124558 (こちらを読んで)
そうだよな!!!!わかるよ!!!!ポッと出のオリキャラに自分が好きなキャラが殺されたらたまらんよな!!!
たしかに特殊性癖だよなそんなの!!!!普通にいちゃついてるのが見たい人にとっちゃたまらんよな!!!
ヘイト創作が特殊性癖すぎてつらいから住み分けしようっていう提案ならよくわかる!!大賛成!!!
ホラーとかグロとかエロとか全部住み分けしてるのに、”特殊性癖”がまかり通るのも納得いかないよな!!!
そこのところはよくわかった!!!!!
だからちょっと住み分けについては一旦置いておいて、ひとつだけ言わせて欲しい!!!!
もしかしたら、好きなキャラがうっかり殺される現場を目撃してしまって嫌悪や怒りはあるのかもしれない。
「こんな創作に愛があるはずがない」って思うのも当然かも知れない。
まして、住み分けをしていない人たちが我が物顔で界隈を席巻してるのは問題かもしれない。
(そのへんのどうしようもないやつらがマナーが悪いと言われるのは自業自得だ)
理解できないかもしれません。
いや、理解できないのが一般だからこそ住み分けされるべきなのはわかっています。
でも、「こんな創作には愛がない」というのだけは納得がいきません!!!!!!
愛はあるんです。こじれきったしょーーーーーもないような愛ですが、愛情はあるんです。
反ヘイト創作派の皆様は一概に、「こういうのはヘイト創作」「ヘイト創作は愛がない」と仰られる。
でもそうではないというのだけは知っておいて欲しいです。
ヘイト創作なんか好きな弱小基地外野郎がでかい面すんなっておっしゃられそうですけどね!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!
***
どうしたものかね…
別にヘイト創作に限った話ではないと思うけど、住み分けされるべきはされるべきだよね。
一般的に・・・ というのが非常に曖昧で難しいんだけど、広い目を持つ必要はある ・・・ぱっと見で「うーん」ってもんはなんらかの注意や住み分けは必要だよね。
***
「ヘイト創作」
ヘイトって言われるとなんか悪意を持った言い方にさえ聞こえてしまう。
厳しめ表現ありとかそういう言い方ではだめだったんだろうか?
***
ヘイトっぽいなってものを全部隔離してしまえば手っ取り早いかもしれないけど
そうもいかないんだろうな。
でも、キャラが死亡する、怪我をする、性的表現がほのめかされている、とか
逆に「エロは気持ち悪いから棲み分けて欲しい」って思うことあるし。
あとタグに用いる文字もどうするかっていうのは、
NTRだと違う意味になるし、とかの問題と並行して無視してはならないよね。
かといって事細かに分類しようとすると無謀になるわけだから・・・
ざっくりとした分類がなにかしら作れればいいよね。
さにらぶ、も悪くないとは思うんだけど・・・まぁなんかコレジャナイ感はするかもしれないね・・・
***
まあ、とりあえず・・・
ブラック本丸もの、本丸NTRと呼ばれるジャンルにはヘイト創作に分類される表現が数多く含まれています。
前回『ブラック本丸・本丸NTR・ヘイト創作』作者・読者のみなさんへというタイトルでこちら (http://www.pixiv.net/novel/show.php?id=5636851)に書かせていただいた内容ですが、長すぎると不評で、かつ皆さん本筋に目を向けて下さらないようなのでさらに短縮したヘイト創作の問題点部分のみをもう少し詳しく書いてみました。
ブラック本丸もの、本丸NTRものというジャンルそのものを責めているわけではなく、こうした影響があるので少し考えて欲しいという内容です。
こちらの投稿では決して該当の作品を創作するな、私に見せるなということを言いたいわけではありません。
こうした影響があるということを考えて欲しい、公式に迷惑をかけないように活動するという二次創作のマナーに関してもう一度考え、思い出してほしいというのが趣旨です。
長い文章は読めない方が多いようなので、簡潔にまとめて書きます。
上記のような理由で、ブラック本丸・本丸NTR・ヘイト創作そのものは否定しないものの、一般のファンへの配慮や公式に迷惑をかけない工夫が必要ではないかと考えています。
もう一度言いますが、こちらの投稿では決して該当の作品を創作するな、私に見せるなということを言いたいわけではありません。
こうした影響があるということを考えて欲しい、公式に迷惑をかけないように活動するという二次創作のマナーに関してもう一度考え、思い出してほしいというのが趣旨です。
ヘイト創作であるかどうかは、描写方法・創作意図にかかってきます。
創作の意図が「主人公をいじめる刀剣男士を懲らしめてやりたい」「主人公をいじめた刀剣男士に復讐する話が書きたい」などのように、最後の部分が怒りや憎悪で締めくくられている場合はヘイト創作に分類されます。
これが「いじめられている刀剣男士に萌える」「虐待されている刀剣男士に萌える」「暴力を振るわれている刀剣男士に萌える」という気持ちで書いている場合、ヘイト創作ではありませんが一般的な嗜好ではありません。
暴力やいじめ、報復等の行きすぎたものに関しては、一般の映画・漫画・アニメでも年齢制限が行われたり、具体的な部分が見えないようになったり、先に暴力やグロテスクな展開があることについての注意が行われます。
特にそうではない、ブラック本丸や本丸乗っ取りを題材にしていても刀剣男士たちが立ち直っていく様子を描きたい、刀剣男士たちが救われるまでを描きたいのような動機である場合、暴力表現等への注意書きさえ設ければそこまでの配慮は必要ありません。
そちらはあくまで題材としてのブラック本丸ものであり、ファン活動の一環であり、原作を貶める意図のある創作物ではないためです。
これで三回めですが、こちらの投稿では決して該当の作品を創作するな、私に見せるなということを言いたいわけではありません。
こうした影響があるということを考えて欲しい、公式に迷惑をかけないように活動するという二次創作のマナーに関してもう一度考え、思い出してほしいというのが趣旨です。
これは前項にも書きましたが、一般的には「NTR」とは寝取られを指します。
そのため本丸NTR、いわゆる本丸乗っ取りもの(見習い等が審神者から本丸をのっとって、後に刀剣や乗っ取った見習いに制裁が加えられるもの)に関して言えば現在、これまで存在していた別のタグをのっとってしまっている現状があります。
好きな女性を他の男に寝取られてしまい、それを見ることで興奮するというジャンルです。
主に男性向の18禁界隈で使われる言葉なので、そういった用語が全年齢の場で、しかも従来の意味とは違う意味でつかわれるのは望ましくありません。
寝取られとしての描写にNTR表記は問題ないのですが(ただこれはあくまで上記のような男性向ジャンルの意味合いとしての寝取られである場合で、単純に寝取られたことを示す場合には使わないほうが良いと思います)そうでない場合には乗っ取りと記載するか、別の用語をおつくり下さい。
何度も言いますが、今回やり玉に挙げられている作品に関して思うところはありません。
正直なところ、公式に迷惑がかかるのでなければ好きにすればよいと思っています。
私はランキングを見ることもありませんし、探したい作品はCPタグで検索するので特に困ってはいません。
ではなぜ、どうしてこの文章を書くに至ったのかと言えば、前回の投稿でもあった通り、ブラック本丸もののコメント欄やキャプションを拝見していて原作に大幅な誤解のある方が多いということについて危惧したためです。
原作のゲームには見習い審神者制度というものはありませんし、本丸を乗っ取ることは不可能ですし、引き継ぎすることもできません。
真名を知られると神隠しされるというシステムもなければ、霊力の相性などという設定もなく、演練でほかの審神者を攻撃することもできません。
もちろん自由に想像し創作することは二次創作の醍醐味です。自由に行っていいと思います。
大事に扱っていない場合、せめて大事に扱っていないこと、原作では作中に含まれる●●のような設定はないことなどを最低限記載すべきではないでしょうか?
腐向け・夢向け・創剣乱舞について同様のことを言わないのは、原作タグを使用していないからです。
別のタグを使用しているということは辿りつくまでに少し手間がかかるということです。何も知らない人間が迷い込むことは少なくなります。
何も知らない人間がヘイト創作の中に迷い込まないようになること、それによって誤解を生むことがなくなるようになること、通常の刀剣乱舞ファンがヘイト創作ではない二次創作を探せるようになること。
それは果たして、現在ブラック本丸ものを愛好している方々にとってマイナスになることなのですか?
公式に迷惑をかけないようにしませんか、という呼びかけは迷惑なことなのでしょうか?
ただ今のような<それでもブラック本丸・本丸NTR・ヘイト創作を書きたい、読みたい方へ>
何度も言いますが、今回やり玉に挙げられている作品に関して思うところはありません。
正直なところ、公式に迷惑がかかるのでなければ好きにすればよいと思っています。
私はランキングを見ることもありませんし、探したい作品はCPタグで検索するので特に困ってはいません。
ではなぜ、どうしてこの文章を書くに至ったのかと言えば、前回の投稿でもあった通り、ブラック本丸もののコメント欄やキャプションを拝見していて原作に大幅な誤解のある方が多いということについて危惧したためです。
原作のゲームには見習い審神者制度というものはありませんし、本丸を乗っ取ることは不可能ですし、引き継ぎすることもできません。
真名を知られると神隠しされるというシステムもなければ、霊力の相性などという設定もなく、演練でほかの審神者を攻撃することもできません。
もちろん自由に想像し創作することは二次創作の醍醐味です。自由に行っていいと思います。
大事に扱っていない場合、せめて大事に扱っていないこと、原作では作中に含まれる●●のような設定はないことなどを最低限記載すべきではないでしょうか?
腐向け・夢向け・創剣乱舞について同様のことを言わないのは、原作タグを使用していないからです。
別のタグを使用しているということは辿りつくまでに少し手間がかかるということです。何も知らない人間が迷い込むことは少なくなります。
何も知らない人間がヘイト創作の中に迷い込まないようになること、それによって誤解を生むことがなくなるようになること、通常の刀剣乱舞ファンがヘイト創作ではない二次創作を探せるようになること。
それは果たして、現在ブラック本丸ものを愛好している方々にとってマイナスになることなのですか?
公式に迷惑をかけないようにしませんか、という呼びかけは迷惑なことなのでしょうか?
ただ今のような誤解を生み続ける状況に対しては問題があるのではないか、とお尋ねしたいのです。
今のままではいつ「こんなひどい創作物は作らないようにしてください」と公式から言われるかわからないのです。
これまで好きだった作品が読めなくなったら悲しいと思いませんか?
棲み分けというのは、二次創作を守るためのものでもあると思います。よくよくお考えいただければ幸いです。 誤解を生み続ける状況に対しては問題があるのではないか、とお尋ねしたいのです。
今のままではいつ「こんなひどい創作物は作らないようにしてください」と公式から言われるかわからないのです。
これまで好きだった作品が読めなくなったら悲しいと思いませんか?
棲み分けというのは、二次創作を守るためのものでもあると思います。よくよくお考えいただければ幸いです。
『ブラック本丸・本丸NTR・ヘイト創作への問題提起まとめや反応まとめへの反応』http://togetter.com/li/857788
『ブラック本丸・本丸NTR・ヘイト創作の製作者の方に望むこと』http://togetter.com/li/858109
『ブラック本丸・ヘイト創作の人気作品まとめ』http://togetter.com/li/858887
『審神者中心のとうらぶ二次創作を楽しむ作者・読者さんたちへ』http://togetter.com/li/859690
『ブラック本丸・ヘイト創作の人気作品まとめ2』http://togetter.com/li/861911
『なぜブラック本丸もの・ヘイト創作が問題視されるのか、本当の理由』http://togetter.com/li/862966
昨今、Pixivの全年齢ランキングはほぼすべてと言っていいほど「ブラック本丸」や「ヘイト創作」作品が埋め尽くしています。この現状について一石を投じられればと思いしたためたのがこの文章です。
私の目的は主に「ヘイト創作」であることの多い「ブラック本丸」作品がランキングを席巻することで刀剣乱舞というゲームが誤解されることのないようにすることです。ブラック本丸、ヘイト創作などを好む方を攻撃したり、貶めたりする意図はありません。
ただ、現状ランキングを埋め尽くしている「ブラック本丸」作品があることで、ヘイトがヘイトを呼ぶような現状になっています。
ゲームをプレイしていない状況で、こうした作品を書けば人気が出るという考えのもとに、原作にはない設定や原作を大幅にマイナス方向に歪めた設定を元にした創作物が増えているのです。
もちろん、そうした創作物を書くこと自体は自由です。どんな意図で創作しているのだとしても、それは責めるべきことではありません。
ただ現状ではそのせいで原作が誤解され、何の罪もない原作キャラクターが貶められ、風評被害を受けているのです。
とあるブラック本丸作品のキャプションには「刀剣乱舞という作品の性質上」というような枕詞の元にブラック本丸によくあるような審神者への暴力表現等が含まれることが記載されていました。
実際にプレイされたことがあれば、原作はそのようなゲームではないということは一目瞭然ですが、Pixivで流行しているのだからそういう原作なのだろう――と誤解されてしまっているのです。
もちろん創作は自由です。ただ、現状のブラック本丸ものはコメント欄やタグ欄を含め原作キャラクターへの怨嗟で満ちていることが多く、そういったマイナスの感情を元にした創作物は通常「特殊嗜好」として同好の士の間でだけ閲覧されるべきものです。
それならなぜ「腐向け」作品はよくて、「ブラック本丸」作品は駄目なのか? なぜ「ヘイト創作」に対して苦言が呈されるのか? 過去の別ジャンルの事例等も踏まえて書かせていただければと思います。
これは私が説明するより、よくまとまっているPixiv辞典(http://dic.pixiv.net/a/%E3%83%96%E3%83%A9%E3%83%83%E3%82%AF%E6%9C%AC%E4%B8%B8)のタグ説明を引用させていただいた方が早いかと思うので、リンクさせていただきます。
簡単に説明いたしますと、もともとブラック本丸とはブラック企業をもじった言葉です。
身を粉にして働くブラック企業社員のように、資源やレア刀剣のために疲労状態になっても繰り返し出陣させられる刀剣男士たちの物語をコメディ調に描いたものでした。
それが途中から刀剣男士への虐待描写が混じるようになり、刀剣男士が審神者への反撃として性的虐待や暴行を行うものが増えていき、過去に他のジャンルで流行した「嫌われ」作品のように最終的には刀剣男士へ制裁が加えられるようなものへと変化しました。
今でも当初の意味合いでブラック本丸を使っているもの、変わってきた意味合いのものであってもヘイト創作ではないものも少しは混じっていますが、ほとんどがヘイト創作になってしまっています。
ブラック本丸ものでは近頃はよく「NTR」という表記がされているものがあります。
これは乗っ取りの略でいわゆる見習いと呼ばれるキャラクター(原作にはそのような制度は存在しません)が刀剣男士たちをたぶらかして…というような傾向の作品につけられています。
が、このNTRという言葉、実は男性向の用語として既に別の意味があります。
「寝取られ」という特殊嗜好で、男性向のセックスを含む描写をしていると受け取られかねない用語です。
本来NTRとは、主人公の男性が好きな女性を他の男に寝取られて悔しさを噛みしめるような作品(主に濃厚な男性向けのセックス描写を含むもの)を指しているのです。
既にある用語を別の意味で、しかも全年齢の作品で使う場合、読んでいない方から「刀剣乱舞の二次創作というのは全年齢作品でもそういった男性向セックスを描く作品が人気なのか」と誤解をされかねないため、タイトルなどへの使用は避けられる方がよいかと思います。
二次創作というものは基本的にはファンアート、つまりは「それが好きだから、好意を表現するために創作する」ものです。
作者や読者が好きなのは主人公になっている女審神者・男審神者・政府職員などで、刀剣男士には憎しみが向いていることが多くありませんか?
これは原作や原作キャラクターのファンによる創作物と言えるでしょうか?
もし、貴方が原作キャラクターが好きで貶めたいと思っている、いじめたいと思っているのだとしたら、それは「特殊嗜好」だと認識してください。
リョナと呼ばれる、キャラクターに暴力を振るったり傷つけたりすることを好む性癖も存在しますが、そういった性癖はやはり一般には受け入れがたいものです。
暴力や損壊などの描写は映画などでも年齢制限がかかるような、何の準備もなく見せていいものではないと思われているのだということをご理解ください。
たとえば道端で、誰かを一方的に踏みつけたり、罵声を浴びせている人を見つけたらどう思いますか? 顔をそむけたくなりませんか?
同様に創作物においても、一方的に誰かが暴力を受けている場合、顔をそむけたくなる人が多いのです。
あなたのお父さんやお母さんに見せた場合に怒られそうなものの場合、基本的には棲み分けが必要なものだと思ってもいいかもしれません。
だって、Pixivには色々な年齢層の方がいますから、中にはあなたのお父さんやお母さん、場合によってはおばあちゃんやおじいちゃんくらいの方もいるのですから……。
さて、それでは棲み分けが必要なものとそうでないものについての話の前に、ヘイト創作の基準について書かせてください。
ヘイト創作であるかどうかは、作者の創作意図と描写方法にかかってきます。
おおまかにいって、以下のような特徴を持つ場合、悪気があるなしに関わらずヘイト創作に分類しておいたほうがトラブルにはなりません。その理由は後述します。
●メインとなるキャラクターが女審神者、男審神者、政府職員など原作で明確に容姿や設定が登場していないキャラクターであり、刀剣男士はその添えものである
●刀剣男士が主人公や他の刀に対して暴力を振るったり、暴言を吐いたりする描写がある
●主人公が刀剣男士に対して暴力を振るったり、暴言を吐いたりする描写がある
●刀剣男士を一般的に見て魅力的に描くことを目的としていない創作物である
1~3が揃っていても、例えばそれが「苦境に立たされた刀剣男士たち(のうちのひとり)が何とか本丸を立て直そうと努力する話」であればヘイト創作という分類はされないことが多いのです。
(もちろん、その場合でも暴力描写などについての注意書きが必要であることは言うまでもありませんが……)
※審神者受小説などの強引に性行為に持ち込む描写などに関しては、広い意味では暴力描写ではありますがヘイトとは違う場合が多いかと思います。審神者が刀剣を無理やり…の場合には少し気を遣われた方がいいかもしれません。その理由も5ページ目に追記させていただきましたのでご参照ください。
ブラック本丸ものはちゃんねる形式と言われる、匿名の人間が大勢書き込んだログをまとめることで記事を作るような形式の創作物であることが多いです。
これは実際に存在する匿名掲示板を元にしたネタで、そのものを見たことはなくとも、まとめブログなどの形で目にしたことがある方が多いかと思います。
そうしたまとめブログでもよくあるのですが、書き込みする人間が何か酷い目に遭わされ、その報復を行う……、という勧善懲悪形式のテンプレートをブラック本丸ものでも踏まえていることが多いです。
勧善懲悪形式の内容というのはおおむねすっきりするでしょうし、人気があるのも確かなのですが、まとめブログなどでは登場人物がすべて仮名であるのに対してとうらぶちゃんねるでは登場人物は明らかに誰なのか分かる形での描写になっています。
そうするとどうなるかというと、敵役に配置されたキャラクターへの憎しみが募っていく形になってしまうのです。
憎しみが募ったところでそのキャラクターが酷い目に遭わされてすっきりする、という繰り返しが昨今流行のブラック本丸ものの多くで見られる傾向です。
ただ考えていただきたいのですが、たとえば制裁を受ける側として描写されているのがあなたの友人知人であったらどんな気持ちになるでしょう? もしくはあなた自身であったら? 腹が立つと思いませんか?
まとめブログが問題にならないのは、全員が仮名で、仮に実在の人物がいたとしてもいち個人であるためです。
刀剣男士はそうではありません。誰のことを書いているのかはっきりわかる状態でキャラクターを貶めるような描写をしているのですから、当然、配慮が必要なのです。その配慮のわかりやすい形が「ヘイト創作」タグです。
刀剣男士を貶めることが目的である・ないに関わらず、原作ファンへの配慮としてヘイト創作タグをつけて棲み分けすることを推奨します。
また、可能であればランキングに掲載されて悪目立ちしないような配慮も必要かと思います。
ブラック本丸が好きな読者はタグで検索してきますから、ランキングに掲載されなくても読みに来てもらえますし、口コミで読者は増えます。その方がこういう口うるさいファンからの横やりも入らなくなりますし、お互いにストレスフリーの環境が実現できるのではないかと考えます。
審神者や政府職員を主人公に据えた作品の場合、必ずしもヘイト創作であるとは限りません。
ですが、いくつか注意しなければならない場合があります。それは「審神者」や「政府職員」が刀剣男士を相手に無理やり性行為に持ち込んでいる場合や、逆に刀剣男士が審神者・政府職員を相手に無理やり性行為に持ち込んでいる場合についてです。
●審神者・政府職員とキャラクターがお互いに恋愛感情を抱いている場合
●審神者・政府職員とキャラクターがお互いに恋愛関係に至るまでの過程でその行為に至る場合
上記のような場合であれば、一般的にヘイト創作であるとはみなされないので安心してください。
ただ描写の程度によっては強姦描写がある旨などは記載しておいた方がいいかもしれませんし、無理やりというのが殴り倒して気絶させたうえで…、というような通常の性行為では行われないレベルのものである場合には注意書きが添えてあるほうが親切ではあります。
《気にした方がいいパターン》
●審神者・政府職員が権力をかさにきて刀剣男士に一方的に性行為を強要する場合
●審神者・政府職員が仲間の命などを盾に刀剣男士に一方的に性行為を強要する場合
●刀剣男士が腕力等を用いて抵抗できない審神者・政府職員に一方的に性行為を強要する場合
こちらは主に現実世界ではパワハラと呼ばれるものです。昨今では犯罪行為であるとみなされることも増えて来ています。そうした描写は好きな方は好きですが、苦手な方は苦手な特殊嗜好です。
特にブラック本丸における上記に置いては、そのつもりがなくてもヘイト創作のタグをつけるか注意書きを設けたほうがよいです。
ただしモブ×刀剣のようなジャンルもありますので、あくまで刀剣男士を貶めたいのではなく「刀剣男士がモブに性行為を強要されているのに萌える」という性癖である場合には、その旨を記載し、刀×主や主×刀タグをつけ、モブレなどのタグをつけておけば問題ありません。
※モブレ=モブレイプ、特に個性などを設定されていないモブキャラに原作キャラクターを犯させるのが好き、という性癖を持つ作品のためのタグです
Pixivのランキングは、投稿した日とその翌日のブックマーク数・評価回数によって順位づけされます。
そのため、たとえば最初の数日間はマイピク限定公開とし、数日後に全体公開にすることでランキング入りを防ぐことができます。
最速で読みたいファンにはマイピク申請をしてもらい、そうでもない読者には全体公開後に読んでもらう形式にすることでファンとの交流も深まりますし、悪い意味で目立つことがなくなるのでお互いにうまく棲み分けができるようになるかと思います。
たとえば刀剣乱舞でいえば、刀剣乱腐や刀剣乱夢のように棲み分けタグが使用されています。
現状、刀剣男士たちのほのぼの作品を検索しようとしても、ブラック本丸ものなどが多いため、見つけ出すことができなくなってしまっています。
腐向け作品や夢作品はジャンルタグの代わりに代替タグを使用することによって検索の邪魔になることを防いでいるため、そこまで問題にはなっていません。
そのため、ブラック本丸作品やヘイト創作も代替タグを使用してはいかがでしょうか?
過去に他ジャンルでは●●嫌われ、●●ヘイトなどのように代替タグ使用をしていました。刀剣乱舞もたとえば「刀剣嫌われ」「刀剣乗っ取り」「刀剣ヘイト」などのようにマイナス検索用のワードを残しつつパッと見で内容のわかるタグ付をしてはどうでしょうか?
私はこちらのアカウント以外でPixivプレミアムに入っているのでタグ検索の解析が見られるのですが、ジャンルタグで検索してくる方はほとんどいませんでした。全体の10%にも満たないごく少数です。
代替タグを使用するようにしたとしても閲覧数にはおそらくそう変化はありません。ジャンルタグの始祖を目指してみていただければ……と思います。
現状、ブラック本丸ものもほとんどが「刀剣乱舞小説○○users入り」タグなどで分類されているかと思います。
ですがこれは前項でも記述した通り、刀剣男士同士のほのぼのものを探している方にとっては邪魔になってしまっています。
他ジャンルでは「●●ちゃんねる小説○○users入り」「●●嫌われ小説○○users入り」などのようにusersタグも独自のものを使うことで棲み分けをしています。
専用タグがあるほうがブラック本丸ものを探しているユーザーもより目的のものを探しやすくなりますし、現状のusersタグ使用よりもメリットがあるのではないかとも思います。
みんな大好きPostgreSQL。
複数DBマルチテナントシステムを構築するなら忘れてはいけないコネクションプーリング。
大量コネクションを扱うなら都度forkやpre-fork式ではちょっと辛い、イベントベースが好ましい。
もうお分かりですね。pgbouncer1.6の話題です。
PostgreSQL界隈では有名なコネクションプーリングの実装が2つあります。 pgpool-II と pgbouncer。
ざっくり言うと高機能の pgpool-II に対して、軽量・大規模向けの pgbouncer という棲み分けがあると言えるでしょう。
pgpool-II は最近は日本の トレジャーデータ社の Prestogres ( https://github.com/treasure-data/prestogres ) という痺れるようなプロジェクトのベースとして採用されていることで名前を聞いたことのある方もいるのではないでしょうか。
pgbouncer は少し古いですが LastFM( http://www.lastfm.jp/user/Russ/journal/2008/02/21/zd_postgres_connection_pools:_pgpool_vs._pgbouncer )の事例が有名でしょう。Instagram も使ってますネ。
pgbouncerは現行のバージョンは1.5系で、最新は1.5.5です。1.6系は8月1日にリリースされ、複数DBマルチテナントシステムに向けた大規模な機能強化が行われています。
この1.6系では複数DBマルチテナントシステム開発者にとって嬉しい機能がたくさん搭載される予定です。本番運用に投入する前に一足お先にリリースノートを読んで夢を感じましょう。
本バージョン、2013年ぐらいからリリースノートは準備されているのにさっぱりリリースされなくて関係者をやきもきさせていました。(想像)
本記事では以下のリリースノートをもとにザックリ読み解いたものです。
http://pgbouncer.github.io/2015/08/pgbouncer-1-6/
・接続ユーザーやパスワードハッシュをDBからロードできるようになった
・プーリングモードの設定をデータベース毎、ユーザー毎に設定できるようになった
・データベース毎、ユーザー毎にコネクションの最大接続数を制御できるようになった
・新しいコネクション確立を避けるための DISABLE/ENABLE コマンドが追加された
・新しい推奨のDNSバックエンド c-ares が追加された
・設定ファイルに include ディレクティブを追加した
新しく以下のパラメータが追加された
1.5までのpgbouncerは userlist.txt というテキストに静的に接続ユーザを書かなければいけませんでした。
これは動的に接続先ユーザーが増えるようなマルチテナントシステムを構築するのに不向きという事です。
タイトルがすべてを物語ってます。柔軟にできますねぇ('∀`)
ただ、私にはちょっと有用な利用シーンが思いつかなかったです。
たとえば分析用ユーザーではトランザクションなんて使わないので statement モードにしてコネクションの消費を抑えたりできるという事でしょうか。
max_db_connections と max_user_connections という設定が追加されます。
テナント毎にユーザーを分けているような複数DBマルチテナントシステムにとって必須といえる機能です。
特定のユーザーのリクエストにコネクションをすべて占有されてしまい、他のユーザーにサービスできないという事態を避けることができるようになるでしょう。
特定のデータベースの新しいコネクション確立を抑止・再開することができます。
c-ares は名前解決の非同期化を行うためのライブラリです。c-aresは名前解決をブロックしないし、いろいろな方式の名前解決に対応している唯一のプロダクトとのこと。
名前解決をブロッキングしてしまうようではpgbouncerのような大規模向けシステムでは役に立たないのだというpgbouncerの強い意志を感じる。
というか、ドキュメントを見る限り pgbouncer は名前解決にかなりこだわりを持っているらしい。それだけそこが重要ということでしょう
(個人的には困ったことがないのでそこまでだわる理由はよくわからない。)。
UNIXドメインソケットで接続しているクライアントと、TCPまたはUNIXドメインソケットで接続しているサーバーでremote_pidを取得できるようになりました。
tcp serverの場合、pid はキャンセルキーから取得できる。(?ドキュメントから意味が読み取れず)
キャンセルキーとは何でしょうね。ちょっとリリースノートからは判断できませんでした。
pg_cancel_backend とかに使えるPIDだよという事なのでしょうか。
DBの数なんてもはや何台あるかわからない。ホスト名の解決はもはやDNSで行っておるよという皆様にとって必須の機能。
…なのでしょうが、ちょっとこの機能が必要となるようなシステムとはどんなものなのか、私も未経験なのでよくわからないです。
この設定は application_name_add_host=on にすることで有効となる。
今や接続元アプリケーション名がWebだとかBatchだとか区別できるだけで問題が解決するような時代ではない。
どのホスト(ポート)レベルで区別しないと。という事なんだろう。
「おお、Webサーバーから死ぬほど重いクエリが飛んでる、今すぐ調べないと!で、どのWebサーバーよ?100台あるんだぜ」みたいなときに助かりますね。
設定ファイルが大規模化してくると、切り出して整理したいという要望はどうしてもでてくるもの。
データベース毎、ユーザー毎に設定できる項目が増えてきたので必要になったという事でしょう。
以降はバグフィックスとかクリーンアップだとかで自分はあまり興味がないので各自読むように。
本番運用に突撃するPostgreSQL界の猛者の報告待ってます。
「中国の侵略に脅える安倍首相は、ひたすらアメリカに媚び摺り寄って、『守ってもらおう』としている。しかし、アメリカが中国と全面戦争してまで日本を守ることなど、絶対にあり得ない。……その証拠に、アメリカは日米両政府が四月に合意した『日米防衛協力の指針』(新ガイドライン)の内容を、公表前に中国に見せている」「アメリカは日本を利用するだけ利用するが、イザとなれば日本を餌食にして、中国と太平洋を二分して棲み分けしようと考えている」「では憲法第9条だけを守っていれば日本は安全なのか。これは空虚な観念論にすぎない」「アメリカも、憲法9条も、国の柱ではない。では何を柱とすべきか。ここに日蓮大聖人の重き重き御存在がある。諸天に申し付ける絶大威徳と大慈大悲の、御本仏日蓮大聖人以外に日本の柱は断じてない。……日本一同、日蓮大聖人に帰依し奉り、国立戒壇を建立する以外に、亡国を免れる術は断じてない」と。
小学生くらいから腐ってのも多いから、「元は一般人だったのに」ってのは通用しないかと。
「作品によっては純粋に楽しんでいるから」より「BLなら何でも良いという訳じゃないから」では。
彼女らの自重論棲み分け論って、腐以外の他人に向けてると言うよりは、どっちかっつーと腐同士の気遣いだからね。
A×Bは大好物だけどB×AやC×Bは死ぬほど嫌い、なんて腐女子は全然珍しくないので、
ならお互い注意書き徹底して嫌いなものは目に入らないようにしましょう、って所から生まれた文化なんだよあれは。
それをよく分かってない奴が女性差別だーとか同性愛差別だーとか言ってるけど。
でも男オタは美少女エロでさえあれば何でも良い(少なくとも「死ぬほど嫌い」というものはない)、ってのが普通だから垂れ流しOKとなる。
マナーってのは結局のところ、異文化の人間という、害になるリスクが高い相手を見分け、排除するためにある。
異文化交流推進なんてのがもっともらしく言われてるが、自衛策としては棲み分けの方がずっと安全だ。
もしマナーの全国・全世界的教科書なんてものができてもすぐにそれに収録されていないマナーが新しく生まれるだろう。
ネットでもリアルでも、どの分野でも業界用語やジャーゴン、ローカルルールがすぐ生まれるではないか。
匿名掲示板なんか、句読点の打ち方一つでもヨソモノっぽさが見られると排除されたりする。