ここさけとやらを全然知らないんだが
いわゆるリア充やスポーツマン、根っからのオタクなどその中でもカテゴリは存在していたものの、それぞれに学園ヒエラルキーが適用されるのではなく、お互いに棲み分けを行うような形で折り合いをつける。結果、異分子的な存在に対しても特に働きかけることもない一方でいじめのような状況は発生しない(しなかったと思っていると付け加える)。
おそらく「ここさけ」の舞台の学校も、近いような環境、学力的にステロタイプに表すなら、偏差値が高いほうではある一方で、エリート校と言うほどではない奇跡的な案配といったところなのだろうと想像した。
これが「奇跡的」なの?
と言うから小学生くらいなのか?と思ったけど、調べたら高校生だよね?
高校生にもなりゃ共働きで当たり前じゃね?例え母親が専業主婦だったとしても、子供を置いて出掛けたりする事もあるよね?
それでいちいち「びくりと身構える」とか「胸が張り裂ける」とか大げさすぎでは?
増田んちの母親はずーっと専業主婦で、高校生の子供を一人で留守番なんて絶対にさせないザマス!とかいう人だったの?そっちの方が異常では?つーかマザコン??
彼女の家はいわゆる分譲住宅だ。幼少期の描写ではぽつんと一軒成瀬の家だけが建っていたところから、現在では周囲に家が立ち並んでいるところをみると、成瀬の父親は転勤族であり、新しくできた分譲住宅に飛びつくような形でやってきた新参者だったのだと想像できる。
転勤族が子供幼いうちから一軒家なんて買うかよ。いつ転勤になる=引っ越すか分からんのに。
新興住宅地に住む=転勤族・新参者、という発想って事は、そうでなければ親の家に同居するはずとか思ってんの?どんだけ田舎?
母親は子供を養うために働きに出るしかなく、自動的にご近所づきあいは破滅的に。地域性というバックボーンがない新参者のために、塞ぎがちになった成瀬に対しても「近所のガチンチョ」だとか、「面倒見の良いおばちゃん」のようなケアは存在しなかった。
いやだから高校生にもなりゃ母親働いてて当然だっつーの。金持ちばかりの高級住宅地ってならともかく普通の住宅地だろ?
そもそもそんな濃い近所づきあいなんてのも新興住宅地では存在しねえっつの。どんだけ田舎?
えっいかにも「心に一物抱えてる子供です」的説明に見えるけど?
そんな子供は中二入ってる思春期ならごくありがちだから何だかんだで平凡だ、ってなら分かるけど、そういう意味で平凡つってる訳じゃなさそうだし。
彼の影響下の元、彼と同じ家庭環境に育まれ、坂上は父親の人格をしっかりと継承しているのである。いくら自覚がなくても、子供は親の影響を受けて育ち、それらを継承してしまう。
むしろ(「父親」側である)製作者&視聴者の「普段子供にあまり関われてないけど子供は自分の影響受けていて欲しいなあ」と言うドリームを反映した、
家族モノとしてはごくごくありがちで手垢の付いた設定だと思うけど。
それは成瀬の母親だ。彼女は頼れる両親がいなかったのかもしれないが、どちらにしろよそに頼ることなく、女手一つで子供を育てる選択をした。再婚もせず、もちろん育児を放棄することもなかった。
離婚した女は再婚して男に頼ったり育児放棄するのが当たり前でそうしないのが特別だと思ってるの?どんだけDQN?
全体的に、ホラーでもないしありがちにしか見えないなあ、と思ったんだが
私はこの映画を、友人たちと連れだって見に行ったのだけれど、そのうちの一人の境遇がまさに、「片親という家庭環境で育ち」「現在父親」というものだった。
感受性高い高校生とかならともかく、父親になるような年齢でその精神力って幼稚過ぎるんじゃない?
と思ったが父親なのに友人と連れだって映画行くって辺り、若くて父親の自覚なくて奥さんと子供放置で独身時代と同じように友人と遊んでるみたいな父親か?
やっぱり、どんだけDQN?
http://anond.hatelabo.jp/20151005175917 の続き 「核家族ホラー」としての「ここさけ」 「心が叫びたがっているんだ」を語るにあたって、最も欠かせない部分。それは学園パートではなく、家庭...
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最後の章をぶつ切りにするところがホラーっぽくって非常に良い。