マナーってのは結局のところ、異文化の人間という、害になるリスクが高い相手を見分け、排除するためにある。
異文化交流推進なんてのがもっともらしく言われてるが、自衛策としては棲み分けの方がずっと安全だ。
もしマナーの全国・全世界的教科書なんてものができてもすぐにそれに収録されていないマナーが新しく生まれるだろう。
ネットでもリアルでも、どの分野でも業界用語やジャーゴン、ローカルルールがすぐ生まれるではないか。
匿名掲示板なんか、句読点の打ち方一つでもヨソモノっぽさが見られると排除されたりする。
あれは内輪ウケの産物とも言えるが、人間が内輪ウケを求めるのは同文化と確認し安心したい欲求があるからだ。
ずっと昔から、もしかしたらナワバリ争いをしてた獣の頃から異文化は危険な相手であり、我々はそれが身にしみついてるのだ。
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