はてなキーワード: 木曜日とは
悩ませてる時点で、幹事の人は拙いな。
俺ならクールにこう誘うね。
~企画段階~
幹事「来週の土日どちらかで飲み会考えてるんですが都合どうですか?」
幹事「土曜日のほうがあいてる人が多かったので土曜日になりました。ごめん」
~飲み会の後~
幹事「みんな君に会いたがってたよ。今回は予定合わなかったけど次はぜひ!」
~翌週~
幹事「今週上司が出張でいなくて毎日定時でヒマ~。この前会えなかったし、今週どっか空いてたらご飯でもどう?」
女「木曜日だったら早く帰れそうかな。8時くらいで良ければいけるよ!」
みたいな感じにもっていける。ターゲットの子も、みんなの近況を聞きたいって言う動機があるから結構乗り気になる。
メジャーリーグのワールドシリーズがついに始まりましたね。そこで、5日ほど前のものですが、アメリカ3大ネットワークの1つNBCによる上原の記事を翻訳してみました。誤訳があったらご指摘ください。
ウエハラ・フェノメノン
http://hardballtalk.nbcsports.com/2013/10/18/the-uehara-phenomenon/
さて、君もおそらく、今年のボストン(レッドソックス)の上原浩治が、野球史上の全投手と比べて、最も塁に出るのが難しい投手だったということをご存知だろう。それはとてもいいことだ。ここにWHIP(1イニングあたりの被安打と与四球の合計。少ないほど出塁されていない)の歴代トップ10、少なくとも50イニング以上を投げた投手のリストがある。
2. デニス・エカーズリー, 1989年, 0.607
3. デニス・エカーズリー, 1990年, 0.614
8. J.J.プッツ, 2007年, 0.698
興味深い小ネタを2つほど――リストの11位はまたも上原で、2011年のことだ。12位は? ペドロ(ペドロ・マルチネス)だ。それは2000年のことで、WHIPは0.737であった。彼がほかの選手の3倍のイニングを投げたことを考えると(訳注:ペドロ・マルチネスは先発投手)、彼の三振四球比(K/BB)が284割る……まあ、多くの人々が、ペドロの2000年のシーズンこそ野球史上で最高のシーズンであったと信じるのも、驚きではないだろう。
とにかく、トップ10を見れば君も気づくだろう……クローザー(抑え投手)だ。いや、そのうちの2人――ベノワとメレディス――はセットアップマン(セットアッパー、中抑え)だが、残りは全てクローザーである。歴代のWHIPトップ10のうち8人がクローザーだという事実は「9回はアウトを奪うのが最も難しいイニングだ」という神話に小さな短剣を投げつけるかも知れない。だが、今日のポイントはそこではない。我々が焦点を絞っているのは上原だ。
上原がキャリアをスタートさせたのは日本である――大阪大学(訳注:大阪体育大学の誤り)を出て、ドラフト1位で指名されたのだ。上原は1年目に20勝を挙げて、読売ジャイアンツの先発投手として活躍。また、オリンピックやWBCなどでは、日本代表の先発投手としてめざましい活躍を遂げた。2007年、32歳のときに、上原は読売のクローザーになり、そこでも周囲を圧倒した。2008年のシーズン終了後、上原は先発投手としてボルチモア・オリオールズと契約する。(しかし2009年)彼はもがき苦しんだ。彼は故障した。翌年、オリオールズは上原をブルペンに送った(リリーフに転向させた)。上原は驚くべきコントロールを見せ(44イニングで与四球は5個)、いくつかの試合では実際にボルチモアのクローザーもつとめた。だが、誰も彼に熱狂することはなかった。
そして2011年、当時は誰も驚異とは考えなかった驚異のトレードが行われることになる。
オリオールズは上原と幾ばくかの金銭をテキサス・レンジャーズに送った。レンジャーズはトミー・ハンターという悩める先発投手と、クリス・デービスというマイナーリーグの一塁手を送り返したのである。
私は、彼らが言うことも正しいと思う。将来の50本塁打男(訳注:デービスは今年のアメリカンリーグ本塁打王・打点王)と、年間WHIPの史上最少記録保持投手を、小さなトレードが生むことになるなんて知るよしもない。OK、それがことわざだかどうかは分からない(訳注:ここら辺ちょっと自信なし)。上原はレンジャーズでいい投球をしたが、怪我なしで居続けることはできなかった。テキサスでのWHIPは驚天動地の0.685。純粋に安打を打たれなかったし、四球も出さなかった。だが、1年半でたった54イニングしか投げなかった。そしてともかく、ただ1つ、誰もが本当に注目したのは、上原が2011年のポストシーズンの3試合で苦しんだということだった。それはおおむね1試合のことだ。2011年の地区シリーズ、タンパベイ(レイズ)との一戦で、上原は7対3でリードする7回に登板。すぐさまデズモンド・ジェニングスに四球を与えると、B.J.アップトンにライナー性の安打を打たれ、エバン・ロンゴリアに本塁打を打たれた。そして降板させられた。
上原はまた、デトロイト(タイガース)とのアメリカンリーグチャンピオンシップシリーズにおける、次の二度の出番でも失点を許した。しかし私は、それが酸っぱい後味を残した初めての出番だったのではないかと思う。上原はそれまで、アメリカの野球ファンたちの心に、何一つ印象を残してこなかった。無地のスレート(屋根葺き用の石板)のようなものだったのである。ロンゴリアの惨事のあと、誰もが皆、上原に(悪い)印象を持った。翌年、上原はボルチモア(オリオールズ)とのワイルドカード決定戦に、レンジャーズがすでに3対1で負けている状況で登板。トレード相手のクリス・デービスを三振に仕留めた。アダム・ジョーンズも三振に仕留めた。マット・ウィータースも三振に仕留めた。だが、それは大事な局面ではなかったし、ロンゴリアの記憶を消し去るのに十分ではなかった。
レッドソックスは、425万ドル(約4億2500万円)という以前と同じくらい少額の契約で、上原と1年契約を結んだ(とはいえ、今では2年契約になっている。付与オプションが有効になったからだ。ボストンにとって大変嬉しいことだろう)。上原はクローザーではなく、セットアップマンでもなく、セットアップマンのためのセットアップですらなく、単なるチームの6イニングの選択肢になろうとしていた。レッドソックスの本来のクローザーは剛速球投手のジョエル・ハンラハンであった。ハンラハンは9試合で肘を破裂させ、トミー・ジョン手術を受けた。
そこで全員1つずつ繰り上がった。つまり、今やアンドリュー・ベイリーがクローザーになったということだ。ベイリーはアスレチックスのクローザーとして2009年に新人王を獲得し、翌年もまた周囲を圧倒していたが、その後はあらゆる怪我と辛苦を経験していた。ベイリーはレッドソックスのクローザーを3カ月弱つとめ――そして肩を故障した。6月26日、レッドソックスは上原をクローザーに指名した。
ではここで、上原の残りのシーズン(クローザー指名後)の成績をご紹介していこうと思う。拍手喝采は紹介が終わるまでお待ちいただきたい。
投球回:44 1/3
被安打:14
ふざけてるよな:分かるよ。
失点:3
被本塁打:1
三振:59
与四球:2
待った、今すぐ止めろ:2四球。よく見ろ。
被打率:.094
被長打率:.152
早く言えよ:ちゃんと頼め。
WHIP:0.358
紳士淑女の皆様、ご来場ありがとう。気をつけてお帰りください。
どうやって? OK、これはたった44回1/3でサンプルとして少なすぎるし、クローザーは1試合でたった1イニングしか投げないし……、どうやって?? 上原浩治は剛速球を投げない。Pitch f/xは上原の速球が平均で89.2マイル(143.6キロ)だと示しており、これは彼が日本から来たときとだいたい同じままだ。上原のマネーピッチ(決め球)、スプリットフィンガー・ファーストボールは約81マイル(130.4キロ)。102マイル(164.1キロ)の速球の世界で、一体どうすれば上原は対戦相手に出塁するのが無理だと証明できたのだろうか?
もちろん、コントロールの話から口火を切ることができるだろう。これはマリアノ・リベラの栄光の輝きの中で、常に最も過小評価されてきた部分の1つである――そう、リベラは対戦したみんなのバットをへし折ってきたし、同じ球を繰り返し繰り返し投げ続けてきたが、四球で自滅することはまずあり得なかった。リベラの最高のシーズンはおそらく2008年だ。彼は70回2/3で6人の打者にしか四球を出さなかった。
上原は、大リーグでのキャリアを通じて常に、気が狂うほどコントロールが良かった。2012年のレンジャーズでは、わずか36イニングしか投げなかったが、四球を出したのはたった3人だ。我々は、キンブレルの代名詞である剛速球を投げるようなクローザーと恋に落ちている(訳注:ここら辺自信なし)。しかし、剛速球を投げない代わりに、ピンポイントコントロールと多くの惑わし(投球術)で成功した名クローザーたちは、これまでにも多数――デニス・エカーズリーを筆頭とするが、偉大なるダン・クイゼンベリーとダグ・ジョーンズも含まれる――存在した。上原も明確にそれらを備えている。
2つめはこれだ:上原の投球――特に、ツーシーム・ファーストボールとスプリッター――が非常に鋭く動き、メジャーリーグの打者たちはしばしば当てるのに失敗しているということ。それがストライクゾーン内であったとしても。これは重大だ。大リーグの打者はストライクゾーン内のボールにバットを振るとき、一般に大成功を収めるものである。今年、打者がストライクゾーン内でスイングした上原のボールは、31.1%が空振りだった。これはいうまでもなく球界で最高のパーセンテージだ。
ストライクゾーン内のボールで打者を空振りさせた投手のトップ5は:
2. エルネスト・フリエリ, 26.9%
3. アロルディス・チャップマン, 25.6%
さて、同じトップ5の速球の平均急速は:
ああ、そうだ。君にも違いが分かるだろう。彼らは打者のバットを吹き飛ばす。上原は打者のバットの上下を通り抜けるのだ。上原には、大きく違う方向に動く2つの球種がある。ツーシーム・ファーストボールは右打者に向かって突っ込んでくるかのように見えるし、左打者を引き剥がす――リベラの代名詞カッターの逆バージョンのようなものだ。そして、スプリットフィンガー・ファーストボールはチェンジアップのように機能する傾向がある(速球より8マイル遅い。これは理想的な差に近い)上、遅くになって急降下する。打者の観点からすると、これは見たところ(飛び回る)スズメバチと、地中から現れるゾンビの手に、攻撃されるかすら定かではないまま、草原に踏み入れるようなものらしい。打者はどこを見ればいいのか分からないのだ。
全力の上原を前にしては、今や逃げ場などどこにも存在しないのだ。
特に、上原は今38歳で、レッドソックスは上原をクローザーとする前に2人の男たちを試していたということを考慮すると、これは極めて異例な才能の行列である。ここまでのポストシーズンで上原は7試合に登板し、そのうちの1試合でタンパベイのホセ・ロバトンにサヨナラホームランを許した。ほかには、落ち着く前にタイガースの2人から安打を打たれたが、失点は許さずにイニングを終わらせた。木曜日、上原は1回2/3をパーフェクトに抑えた。
全体として、このポストシーズン、上原は8イニングを投げて安打を4本で抑えた。WHIPは0.500。ここまで、一人の打者にも四球を出していない。
>>> 月曜日に大規模なFX詐欺が発生するかもしれない② からの続き <<<
From: 裁量の天才7億トレーダー <sprakfx224@gmail.com>
お世話になります。
昨日のシグナル配信結果を出す事ができず申し訳ございません。
エントリーをする際にリミットとストップをいれる一般的なシグナル配信のやり方は自分の手法と異なる為まだまだ勉強が必要です。
この手法ももっと特訓しなければなりませんが諦めず次は成果が出るよう頑張ります。
分かっていると思いますがシグナル配信は自分の手法とは全く違いますのでその点はご理解ください。
飽くまで弟子に教育している方法は、インジケーターのシグナルを見てエントリーをしシグナルが出てくるまで待機をする方法で単純です。
エントリー後の動きを見て駄目な流れを早期発見する事で損を最小限に抑えることができその判断が出来るよう常勝トレーダーを目指します。
基本的にはエントリー後の動きで決済を判断していく手法となりますので予めターゲットは決まっておらず成行での注文オンリーとなります。
凄く単純で簡単ですが実力を付ける為にはインジケーターの力が必要不可欠となりますが、弟子達にはそのインジケーターを使ってもらい成果を上げエントリー決済ポイントの見分け方を学んで頂く事で将来常勝トレーダーへ成長する事が実現できます。
弟子になる条件として、「ブログを書くことができない」「忙しくてなかなか連絡がとれない」「自信がない」そんな方でも大丈夫です。まずは挑戦してみてください。
挑戦して無理があるならば中退しても構いません。
これからいっきに1万人の読者様を教育して参りますので、もしご興味がございましたら是非「弟子希望」とご連絡頂けると幸いです。しっかりと教育させて頂きます。
今後も応援宜しくお願い致します。
▼私のブログ
From: 裁量の天才7億トレーダー <sprakfx224@yahoo.co.jp>
お世話になります。
先日は三期生応募の際メーラーのトラブル等が生じ大変ご迷惑をおかけ致しました。
届いていましたら折り返し「優先ナンバーをタイトルに記載」しご連絡ください。
大事な時にメールが届かないと言ったことをないようにする為にご確認の程宜しくお願い致します。
頂いたメールを振り分けルールにて専用受信BOXを開設いたしましたのでしっかりと届くかと思います。もしそちらも受信設定を行って頂けると幸いです。
現在の予定では、来週の木曜日あたりに再度面接についてのご連絡を差し上げます。
面接の際は必ずタイトルに優先ナンバーを記載してください。その後特別なご連絡をさせて頂きます。
諦めない限り必ずこの手で常勝トレーダーへ成長させてみせます。
お金を増える楽しさや、皆様に広めて喜んでいただける楽しさ、これから様々な楽しい事や幸せに出会う事と思います。楽しい事や幸せな事は何でも話し合い共通できる仲間になりましょう。
一緒に活動出来る事楽しみにしております。
今後とも宜しくお願いします。
▼三期生特別窓口
From: 裁量の天才7億トレーダー <sprakfx224@gmail.com>
お世話なります。
▼ブログ
分からない方がいらっしゃいますので簡単にご説明させていただきます。
自分はFX専業トレーダーです。FXでは10億近く利益を上げておりますが、他の投資もしておりますので数十億規模の資産を築いております。
趣味程度にはじめたブログで「無料シグナル配信」をお送りしていました。
短期間で+1500ピップス程の利益をだし皆様からご好評いただける様になりました。
これが切欠でたくさんの読者様と交流を行い、FXで勝てていない方がこれまで多いのかと驚きまして、困っている方の力になれないかと考えたところこの伝説企画を行う決意をいたしました。
自分の手法を弟子に明かし弟子達の協力のもとFXで負けている方々を勝てるように指導をし常勝トレーダーへ成長させるという企画です。
100人の弟子で1万人の読者を常勝トレーダーへ導き、1兆円の経済効果をもたらす伝説企画です。
その企画を立ち上げ開始すると大勢の方々が共感してくださり、今では大勢の方がこの伝説企画に挑戦しご協力頂けるようになりました。
指導内容は、自分が作成した手法教材と、優秀なインジケーターを参考に実践トレードを行い身に着けていただく方法です。
教育する時間には縛りがなく暇な時間を利用し勉強して頂きます。期間は3週間程です。
優秀なインジケーターを使えば今まで勝てなかった方々も勝てるようになり、勝ちながら手法を身につけてもらう方法なので、金銭的な不安や臆病になる必要がない教育方法です。
その方法で一期生、二期生と指導して参りましたが、負け組みトレーダーの弟子が現在ではほとんど負ける事がなくなり勝ち続けております。
FXだけではなく、最近ではバイナリーオプションでも勝率8割以上を出せる事が証明されてきました。
挑戦した皆様がしっかりと潤い自信をつけ将来の夢を掴もうとしております。
最近ではランキング上位にいる方からもご応募頂けるまでとなりました。
いくら勉強しても中々勝てない。
そんな事実が問題となっていますが、そういう方には自分の教育方法が一番です。
インジケーターの上か下かシグナルが出たらエントリー出来れば大丈夫。
誰でも出来ます。
そのインジケーターを使い教えたとおり勉強すればインジケーターがなくても勝てるようになります。それこそが我々が目指す常勝トレーダーです。
一人前になりましたら我々と一緒に伝説企画を盛り上げて参りましょう。
▼ブログ
From: 裁量の天才7億トレーダー <sprakfx224@gmail.com>
お世話になります。
予期せぬ事がございましたので急いでご連絡させて頂いた次第です。
本題ですが、弟子の教育の為に重要な「インジケーター」が使えなくなりました。
というのはどういう事かと言いますと、元々インターネットで有料で販売されたいたインジケーターなのですが、利用前に無料期間が設けられており、その無料期間を利用し弟子達皆様にご利用頂いておりました。
実際には「一ヶ月間無料登録」⇒「ダウンロード」⇒「期限」⇒「一ヶ月間無料登録」の繰り返しで使えていました。
今までこんな事が無かった為、皆様に紹介する事により無料ダウンロードをする数が急激に増えてしまったのが理由ではないかと想定しております。
いずれこのような事があるのではないかと不安な点もあり無くなっても勝てるようにならなければならないと強く願っていましたが、こんなに早くなるとは思っていなかった事もあり軽視していた点もありました。
優秀なので使った方からしたら有料でも安いと思われると思いますが、決して安くはない金額ですので自分としてはご紹介する気が進みません。
2日間お時間をください。
年内に1万人の常勝トレーダーを生み出す計画は絶対やり通してみせます。
諦めなければ必ず達成できます。そう信じてこれからも変わらず付いてきてください。
▼私のブログ
http://ameblo.jp/uranaifxmail/
▼メール窓口
※免責事項(必ずお読みください)
From: 裁量の天才7億トレーダー <sprakfx224@gmail.com>
お世話になります。
昨日、優秀なインジケーターが使えなくなりましたと報告をいたしました。
いつかはそうなる。常にそういう事を想定しておりました。
その為、以前から実はある業者様へ同じ物もしくは近いものが作れないかと、このインジケーターの解明を依頼しておりましたがセキュリティやロジックが複雑過ぎて解明出来ませんでした。
他にも有料のインジケーターを1つ買って、それを100人でシェアすれば100分の1で購入できるのでは?とも考えましたが。それも特性上不可能でありました。
今回の無料キャンペーン終了も、待てばまたいつか無料で、、、と期待をしたいところ無料キャンペーンは以後行わないと断言されています。
ん~、、、凄い対策です。
我々が利用しているインジケーターの値段は、126万円、84万円、52万5千円の3種類ですが、お金がない方は貯まるまで無料で使うよう弟子には指示をしておりました。
販売店の敵となるような行動をとってしまっていたという事です。今ではもっと先に相談していればと、非常に後悔しております。
大勢の皆様からの強く願うコメントを頂き正々堂々と交渉にのぞみました。
100人の弟子で10000人の常勝トレーダーを生み出す伝説企画にはこの優秀なインジケーターが必要不可欠なのでご協力頂きたいという交渉です。
明日ご返答をいただける事となりました。
不安な反面、これが提携できれば従来以上に将来が明るく見えてきます。
大きな賭けではありますが、目先で出来ることはこの交渉にかかっておりますので、最悪なケースも想定しつつ返答を待とうと思います。
答えはどちらにせよ、我々は決して諦めません。
次の手次の手をどんどん打ち必ず年内に伝説企画を達成させてみせます。
皆様にはこれからも変わらず何でも公開していこうと思っておりますので、弱気にはならず強い気持ちでのぞんでください。
一人で成し遂げる企画ではありません。我々はチームです。
チーム一丸となって立ち向かえば必ず10000人の常勝トレーダーを達成できます。
ここで諦める人は、所詮自分の事だけしか考えない方々です。そう思うしかありません。
どんな試練が目の前に現れようが我々は決して足を止めたりしません。
ここで諦めたら皆様の夢が台無しです。絶対やったりましょう!
皆様が付いてきてくださるからこそ、強い気持ちで挑むことができますので今後とも応援宜しくお願いいたします。
▼私のブログ
http://ameblo.jp/uranaifxmail/
▼メール窓口
※免責事項(必ずお読みください)
From: 裁量の天才7億トレーダー <sprakfx224@gmail.com>
お世話になります。
昨日、優秀なインジケーターを取り扱う販売店へ真っ向から交渉いたしました。
ただいまそのご返答を頂けましたのでご報告のご連絡です。
皆様から頂いたコメントを頼りに何パターンか交渉して参りました。
結論から言いますと、今まで販売していたものを無料公開するとなると今までの購入者様を裏切る行為となり販売点側でそれを許す事ができないそうです。
でも、我々の強い気持ちは伝わったそうで耳を貸して頂けました。
次のパターン次のパターンといくつか交渉をし今出来る最大限の対応をして頂けるようになり弟子80名分をロット割引していただけるようになりました。
その話を受ける場合は、インジケーターを手に入れた80名を三期生の弟子とし常勝トレーダーとなってもらう事を優先する形となります。
常勝トレーダーに成長した弟子達と伝説企画の流れをもう一度見直す方向性です。
強く弟子を希望としている方を先に常勝トレーダーへ育成するという流れとなります。
その話を受けない場合は、我々が次の手を考えるまでは現状足踏みという流れとなります。
足踏みはしたくないという気持ちは皆様と同じ気持ちですが、方向感が無い時に動いても失敗に終わるだけです。
自分と弟子達が利用している優秀なインジケーターは全てで3種類あります。
全てを使うのですが良く使う順番の値段としては下記の通りです。
80名限定で特別に割引を頂けるようになりました。
126万円→84万円(42万円割引)
84万円→63万円(21万円割引)
52万5千円→42万円(10万5千円割引)
ここまで大幅に安くしていただけるとは想定外でした。
皆様より有料でも欲しいという声が多く、確かに将来1億2億を稼ぐと考えると非常に安い値段だとは思いますが、想定外の展開で正直お勧めはしたくありません。ただし、やむを得ない事も理解しております。
そちらの判断は皆様に委ねたいと思っております。
今後とも応援の程宜しくお願いします。
▼私のブログ
http://ameblo.jp/uranaifxmail/
▼メール窓口
※免責事項(必ずお読みください)
From: 裁量の天才7億トレーダー <sprakfx224@gmail.com>
お世話になります。
想像以上に多くの皆様から「先に進みましょう」と力強いコメントをたくさんいただきましたので決心しました。
皆様の意見を尊重し優秀なインジケーターを手に入れて頂いた方から第三期生の教育を開始いたします。
三期生以降の教育方法に関しては、弟子と共に考えていきそれまでは三期生を常勝トレーダーに教育する事に専念させてください。三期生が成長すれば未来があります。
絶対にこの伝説企画を諦めたくありませんので兎に角前進します!
自分のポリシーに反しているという事もあり何度も辞めようと考えましたが、やる気がある皆様に「今更弱気にならないで」と怒られてしまいました。
まさにその通りです。
インジケーター無しでまたスタートラインに戻るとなるとそれこそが真剣に付いてきてくださる方に失礼ですね。
今まず出来る事はこの教育方法で付いてくる方に対して真剣に答えなくてはならない。
それしかありませんでした。その後はその後です。
たくさんの意見を頂きやっと前に踏み込む事が出来ました。皆様本当にありがとう。
インジケーターを手に入れた方から順に三期生として指導いたします。割引対象となる先着80名のみとなります。
『10月21日(月)の朝8~9時位に販売会社を一斉にご紹介いたいます』
インジケーターを手に入れたい、弟子になりたい。そういう方はご自信の判断でご購入ください。
皆様からのメールを見ていると80名規模だと恐らくすぐに完売してしまいます。
予約などはありませんのでどうしても早いもの勝ちとなってしまわれますので、公平を保ち先程の日時に一斉にお送り致しますのでご理解ください。
84万円(42万円割引されています)
63万円(21万円割引されています)
42万円(10万5千円割引されています)
3種類纏め買いでの特別割りもして頂く事けるようなりました。
157万5000円(総額73万5千円の割引となります)
高額商品の為クレジット決済はないそうです。無料利用期間も後払いや分割制度も交渉しましたが無理でした。サポートはしっかりとしており安心です。
ロジックは3種類あり値段が高い順に優秀なシグナルをだしてくれるロジックです。
一期二期生へは3種類のロジックで教えていますので可能であれば全て揃っているのがのぞましいです。でも1つでもかなり前進出来ます。一番安いから勝てないという訳ではなくどれも優秀です。
商品ページには詳細が書かれていますので詳細をご覧になり判断してください。
▼「インジケーター申し込み」とご連絡ください。ご案内いたします。
尚、正直このような対応はポリシーに反している為気が進みませんので、自分に委ねずご自信の判断でお選びください。
ただしこの値段で手に入れて後悔する事は無いはずです。
また、第三期生の弟子として採用し億稼げるトレーダーへ教育してまいります。相当自信がありますので付いてきてくだされば真剣に教育へ取り組んで参ります。
必ず常勝トレーダーになってみせましょう。
そして今後の皆様の為に一緒に頑張って活動して参りましょう。
見返りを求めず今まで応援して頂けた方も多くいらっしゃいます。
金銭的に今回どうしても参加できない方へは違う方法を考えて参ります。
今回みたいな壁を必ず乗り越え、乗り越えた人にしか見えない世界を見に行きましょう。
今後とも応援の程宜しくお願いします。
▼私のブログ
http://ameblo.jp/uranaifxmail/
▼メール窓口
※免責事項(必ずお読みください)
>>> 月曜日に大規模なFX詐欺が発生するかもしれない④ へ続く<<<
自分のブログのアクセス解析をみていて思ったのだが、曜日で規則性がある。
木曜日がピークで、金曜日にがくっと下がり階段のように徐々に木曜日に向けて上がっていく。これが毎週繰り返されている。
別に木曜日に決まって更新してるわけではない。というか1ヶ月以上放置してた。でも申し合わせたように毎週毎週きれいな繰り返しが見れる。
調べてみると他にもそういうのを感じたブロガーはいるみたいだ。
プログラマー系のブログを書いてる人は同じく木曜日にアクセス数が上昇すると書いている。
逆にエッセイ系のブログを書いている人は木曜日は異様に少ないと書いている。
木曜日は何かのターニングポイントなのか?と思いきや、水曜日がピークのブログもある。ただ、案外土日にアクセスが増えるブログは少ないみたいだ。
自分は旅行が趣味だが、定年を迎えた後、「東京から各地へ1泊2日のワンショット旅行を繰り返す」というのは、
極めて非効率な気がする。
例えば北海道であれば、札幌のウィークリーマンションに腰を落ち着けて、そこから日帰り旅行なり1泊2日旅行を繰り返す、という方が、
もっとも、定年を迎えたら体力も衰えるから、毎日旅行するのはツライし、そんなにカネも続かない。
だから例えば
てな按配で、1ヶ月程度札幌に滞在すれば、札幌200キロ圏は概ね旅行し尽くして、
体力も温存でき(荷物移動がないから)、費用もそんなに掛からない、という気がする。
「休み」の日も家に閉じこもるんじゃなく、適度に札幌市内の近場を楽しむ。
「土日」は混雑するから、定年後の身分としてはなるだけ外出は避けたいが、
「土日しかやってないイベント」の類もあるから、その辺は適宜。
「ウイークリーマンション」の類は、調べてみたら、県庁所在都市レベルの大きさの町だと存在しているようなので、
それを「ハシゴ」する。
ということで、65歳定年迎えてから、74歳になるまで、9年間で、概ね日本・世界都市の主要スポットを訪問できるような
65歳になって、カネと健康に恵まれていたら、実践してみたいものだ。
A期間=4月10日~4月25日
B期間=5月15日~7月15日
C期間=9月1日~10月31日
D期間=11月15日~12月15日
E期間=1月15日~3月15日(この期間は春節に注意!)
65歳D期間:下関を拠点に山口県制覇した後、熊本へ行って、熊本を拠点に熊本県制覇
66歳C期間:釧路を拠点に道東制覇した後、旭川へ行って、旭川を拠点に道北制覇
66歳D期間:神戸を拠点に兵庫県制覇した後、大分へ行って、大分を拠点に大分県制覇
67歳D期間:広島を拠点に広島県制覇した後、鹿児島へ行って、鹿児島を拠点に鹿児島県制覇
67歳E期間:ナイロビを拠点にアフリカ東部制覇した後、ケープタウンへ行って、アフリカ南部を制覇
68歳D期間:名古屋を拠点に、愛知県岐阜県三重県を制覇した後、宮崎へ行って、宮崎を拠点に宮崎県制覇
68歳E期間:ムンバイを拠点に、インド西部を制覇した後、デリーに行って、インド北部・ネパール等を制覇
69歳C期間:ウィーンを拠点に、オーストリアやハンガリーなどを制覇した後、ワルシャワに行って、ポーランドを制覇
69歳D期間:徳島を拠点に、徳島県制覇した後、高知に行って、高知県を制覇
69歳E期間:リオデジャネイロを拠点にブラジル制覇した後、ブエノスアイレスに行って、アルゼンチンを制覇
70歳B期間:コペンハーゲンを拠点に、デンマークを制覇した後、ストックホルムに行って、スカンジナビア3国を制覇
70歳C期間:ロサンゼルスを拠点にアメリカ西海岸制覇した後、バンクーバーに行って、カナダ制覇
70歳D期間:福岡を拠点に福岡県を制覇後、長崎に行って、長崎県佐賀県を制覇
70歳E期間:ホーチミンを拠点にベトナムを制覇後、マニラに行って、フィリピンを制覇
71歳B期間:シドニーを拠点にオーストラリアを制覇後、オークランドに行って、ニュージーランドを制覇
71歳C期間:ドバイを拠点に、アラブ諸国を制覇後、テヘランに行って、イランを制覇
71歳D期間:高松を拠点に香川県を制覇後、松山へ行って、愛媛県を制覇
71歳E期間:マドリッドを拠点にスペイン制覇後、リスボンへ行って、ポルトガルを制覇
72歳B期間:モスクワを拠点に、ロシアを制覇(ヨーロッパロシアだけだが)
72歳C期間:札幌を拠点に道央を制覇後、函館に行って、道南を制覇
72歳D期間:松江を拠点に山陰を制覇後、那覇に行って、沖縄を制覇
72歳E期間:イスタンブールを拠点にトルコを制覇後、アテネに行って、ギリシャを制覇
73歳D期間:静岡を拠点に静岡県を制覇後、和歌山へ行き、和歌山県制覇
73歳E期間:シンガポールを拠点にシンガポールマレーシアを制覇後、ジャカルタへ行き、インドネシアを制覇
・A、B、C、D、E期間:ハイシーズンを避けている
・たまに(2~3ヶ月に1回)、東京の自宅に戻ることを想定している。
・「キャンピングカーを買えばいい」という話もある。
確かにその通りだが、キャンピングカーで連泊するのは、体力的にどうかなあ?
・いっそのこと、東京の自宅を売り払って、
1~2年は札幌を自宅とし、その後は福岡に移り住んで・・・というジプシー生活を送るのも、いいかも。
・定年を迎えたら、世界一周航空周遊券を買って1年間世界を豪遊し、
その後で福岡辺りで再就職&転居して、九州・中四国・韓国・中国を旅行しまくる、というのもいいかも。
・でも結局、孫ができたら、それを最優先にするんだろうなあ。
・東京から100キロ離れた県(例:栃木)を複数周遊する場合、カーシェア使用前提だと、宇都宮に拠点移した方が、安いのかなあ。
100キロ先まで観光するなら、6,500円+100キロ×2×15円=9,500円。その差5,600円。
「宮城エリアで、半澤直樹を始めとして、ドラマの視聴率が軒並みダウンしてる」というネタがあった。
仮にそうなら、「震災以降、不急不要の視聴を控え、選別視聴してるから」の仮説成り立つと思う。
要は「有限の可処分時間の配分」の中で、ドラマは「視聴リストラ」の第一候補となる(ニュースや情報番組より優先度低い)ということじゃないかと思う。
現代人は多忙で、多量の情報を高速処理する必要に迫られてるから、「情報摂取を最大限に効率的にしたい」。
だからいわゆる「フィクションの消費量」(ドラマ視聴率・映画視聴回数・小説読書量)は
10年20年のロングスパンで眺めたら、被災地に限らず全国的に低下してるんじゃないか?と思う。
バラエティー番組、雛壇芸人番組も、情報の質としてはジャンクフードみたいな情報でしかないし、
時に「ヤラセ」も混じってるが、一応は「情報」の一種ではある。
適当に2倍速・10倍速でスキップ視聴すれば、まあ役に立つと言えば役に立つ。
※「ドラマには情報がない」と書いたが、変な話だが数十年前のドラマを視聴するなら「情報」は取れる。
先日社内旅行で植木等の昭和30年代ドラマをバス内視聴したが、
「当時はキャバレーが流行ってた」「当時はサラリーマンもビル屋上で昼休みにバレーボールしてた」と言う「情報」が取れた
そもそも、日本のテレビ局は、相変わらずドラマを製作し過ぎているのではないか?
ドラマが本格化して既に30年、40年経過しているのに、過去の膨大なドラマストックを有効活用する、という発想もない。
自分に言わせれば、1局について「1シーズンに1本だけ制作」して、
他は5年前・10年前・20年前・30年前のドラマをゴールデンタイムに堂々と再放送したら、
今はどの企業も「投下資本に対する利益回転率」を要求されるから、
一からドラマ制作しても、25年前のドラマを再放送しても、同じ利潤を得られるのなら、
それとも、ドラマ製作部門の首切りになるから、そこまで出来ないのか?
テレビ局はいわゆるF1層をメーンターゲットにしてるが、F1層にとって、25年前のドラマは「産まれてないか、記憶にない」。
だからF1層をターゲットに25年前ドラマを放映しても「既にこれ見た」とクレーム受けることなく、初モノ扱いしてもらえる
植木等時代のドラマは、まだ高度成長前だったから、画面に描かれてる生活は今より明らかに貧しい。
だが25年前ドラマなら、今との違いは「ネットやスマホがあるかないか」の違いだけで、他は現代とほぼ同じだから、
ということで、日本のテレビ局は「ドラマは新作を作り続けなきゃならない」というナゾの思い込みがあるようだが、
他にも日本のキー局のゴールデンタイムの編成には、目に見えないルールのようなものが存在する。
例えば「20:30スタート」「21:30スタート」の番組はない。
「何を当たり前のことを?」と思われそうだが、韓国ではドラマを「火曜日の夜に放映、次回作を木曜日の夜に放映」と
週2回ペースで放映するらしい。
なので日本も「番組はウィークリーが常識」の思い込みは捨てた方がいい
30年前は「ゴールデンタイムの番組は、いわゆる「ジャストタイム」、21:00や22:00にスタートする」が不文律だったが、
ニュースステーションが21:54開始で不文律破ったため、なし崩し的にジャストタイムルールはなくなった。
毎週木曜日、職場から少々離れたところにあるコーヒーの自販機で行われるメンテナンスを見ることが、私のちょっとした楽しみだ。
エンジニアの端くれとして、普段はお目にかかれない機械の内部をのぞくのは、それが"マシン"である限りどんなものでも心が踊るものだ。ましてや、その機械を弄るメカニックが軽巡長良型の可愛い(たぶん)溌剌系姉ちゃんなら尚更。
缶コーヒーに迷うふりをして、ちらちらと横目に眺める正味1-2分は一日のスタートを切るには最高のひと時だ。彼女がメンテナンスを行う木曜日の10-11は、ヤニでうっすらと汚れた休憩室がオアシスに変わる。彼女は乾ききった男やもめの研究棟に湧いた水に違いない。
彼女の容姿だけではこんなに愉しい気持ちにはならなかっただろう。ここまで盛り上がれるまでになったのには、個人的なとある発見があった。
あれは二ヶ月前のこと、この頃はちらっと眺める程度だったのだが、ちょうど彼女が後ろに下がったところで接触してしまった。頭を下げてすみませんと向き合ったところで、たまたま、はねたコーヒーが所々染みをつくる作業用手袋が目に入った。
『この染みの色がもう少し濃ければ、重油で汚れているように見えないか?』
その瞬間、私の脳裏に爆雷が投下された。彼女は機関部で外国製の変速ギアのメンテに一人奮闘する女子メカニックなのかもしれない。川内が出ないと半泣きになりながら2-2を繰り返していた私が、その設定から、長大な脳内プロットを書き起こすまでさほどの時間は掛からなかった。彼女が海軍の機関学校を卒業し、沈みゆく船と最期を共にするまで。その最期を思い浮かべた瞬間、私の目にはうっすらと涙が浮かんでいた。
設定とは、かくも力強いものだろか。妄想するようになってから木曜日が待ち通しくてたまらない。工廠から我が艦娘が一日をかけて修理されようが、一週間の長さに比べれば短いもの。
今日も今日とて、眺めていたら、何を思ったのか彼女から声を掛けられた。試飲させてくれるという。観音開きのまま、言われるがままにボタンを押すと初めて動いているところが生で見られた。蓋をつけて手動で渡してくれた。燃料缶が心強い。そんなことを思いつつ、お礼を言って後にした。
http://anond.hatelabo.jp/20130619121232
1996年としたのは作者が1981年生まれと言うことからでした。
検索が雑なのかもしれませんが、月日のソースは見当たりませんでした。
なので早生まれならば1995年はあり得ますし、夏休み突入から夏祭りの期間で言えば1995年の方が"らしい"と思っていたほどです。
(ちょうど7月中間から夏休みとなり、夏祭りが月末29日となるため)
ただし現在手元に8巻がないので、常盤さんの家以降の情報は確認出来てません。
12月14日(月) こないだ楽しかったなカラオケ 歳末セール 街でからまれる 古本屋 雪
12月15日(火) 本を2冊借りる 明日までに考えといて (龍臥亭事件と同シリーズを一冊借りる描写あり)
12月16日(水) 本を2冊とも返す 本のリストを渡す (借りる描写はなし)
12月17日(木) 傷完治 『龍臥亭事件』返却 シリーズで1番発言 常磐さんの家へ
この想定で行くと1998年12月18日(金)は情報が合致します。
ただし携帯の描写は苦しくなります。(ネットやカメラがなく折りたたみ式もないため)
カラオケが翌日とすると、"こないだ楽しかったなカラオケ"は土日休みを挟んで月曜日となり、自然な表現となります。
ただそうするとツッコミであったかなりタイトなスケジュールはその通りで、土日以外空きの日がありません。
特に時間経過を思わせる龍臥亭事件シリーズ発言と、同日傷が完治している描写はかなり微妙なものとなります。
作品として年代を決定させないためにいろんなぼかしを入れているということはよくあることなので、惡の華においてもあると思います。
ただし17日の不自然さは春日が予めある程度シリーズを知っていたとしても借りた描写がなくカバーし切れないため、破綻してます。
恐らく冒頭の"10日だから10番春日"が不用意だったのではと思われます。
劇中の時系列としては破綻が見えましたが、ベースとして作者の年齢に合わせて1995年、1998年説はやはりあるのかなと思いました。
話を聞いてる限りひどい。
でも私にできることは何もない。
話を聞いてあげるしかできないのがくやしい。
本採用になるまで3年間、別の学校で臨時採用教員として働いていた。
その頃は楽しかったようで、東京で暮らす姉の私のところに電話やメールなんて、数カ月にいっぺん、
それが、4月の半ばから頻繁に、電話がかかってくるようになった。
理由は初任研修の担当の教師(学年主任)と相性が悪いからとのことで、
その内容の大半はつらい、でも、子どもたちのことが好きだから辞めたくない、
という内容の愚痴だった。
私も社会人なので、どんな職場にも折合いが悪い上司っているよ、
それは転職しても同じだよ、逃げないでがんばりな、と励ましてた。
でも、今日ついに「辞めてもいいかなあ」と泣きながら電話がかかってきた。
断わっておくと、妹は小さいころから責任感が強いタイプで、明るくはきはきした子だった。
コミュ障の私とは対照的な、小中高で生徒会長をやるような、誰からも好かれる元気な子だった。
(思い返せばそういう明るい人は明るいだけ闇も深いんだろうと思うけど…)
「辞めたい」なんて言う子じゃなかった。「学校へ行きたくない」という言葉も聞いたことがない。
中学の時にやってたバレー部でつらいことがあっても、大学受験がうまくいかなくても、
ちょっと愚痴聞いてあげれば「がんばるね!」と明るく出て行って何とかして自力で解決してくる子だった。
だから「逃げたい」「辞めたい」と言われた時、これはやばいと思った。
話を聞けば、その「パワハラ先生」は、周囲の人にはごくごく普通の、
いや、むしろ普通よりすごくいい先生で、いつもにこにこして、優しい先生らしい。
周りの人からも「パワハラ先生が教育担当なんてよかったねー」なんて言われるらしい。
でもその先生は、二人きりのところではねちねちと陰湿な言い方で指導をするらしい。
「何でこやんともわからんとや」とか「お前は人格がおかしい」とか「全てが間違ってる」とか。とにかくもう全否定。
やったことのない仕事をいきなり何も説明を受けずにやらされて、失敗したら「何やってんだよお前」、
そして周囲の人の前では大声で「なんで相談してくれなかったんだ?」とかって優しく言うんだって。
周囲の先生に助けを求めても、「パワハラ先生がそんなはずないじゃん」って感じで信じてもらえないらしく、
妹は誰にも相談できず、一人で苦しんでいる。
月曜日に、病院に行ったら「一週間休みなさい」って言われたらしい。
でもどうしても外せない学校行事があったから、火曜、水曜と行ったんだって。
そうしたら木曜日、悲しくないのにポロポロポロポロ涙が出て、布団からどうしても出られない。
休みますという電話さえ、そのパワハラ先生が出るからおそろしくて震えてかけられない。
でも職場の人には誰も相談できない。校長、教頭ですら、パワハラ先生はいい先生、って言ってるんだから
解決の糸口が全く見えない。
こんなことになるまでどうしてやることも出来なかった私。
学校に怒鳴り込みに行ってやりたいけど、
でもこのまま妹が泣き寝入りするしかないなんてあまりにもくやしいし、むかつく。
あんな思いはもう二度としたくないし、
今度そこまで追い詰められる人が私の周りに現れたら、何としても助けようって決めてた。
でも私には何が出来るんだろう?
何がしてやれるんだろう。何も思いつかない。くやしい。
(1) 毎週、月曜日と木曜日に、かなりのテキスト量のデータ入力をしなければなりません。
(4) 社内では、この処理をやっている人がたくさんいます。
この想定だと、このデータ入力には週4時間かかります。正月休みやお盆休み、GWなどもあると考えて実働はざっくり年50週程度と考えると、この仕事には年間約200時間を費やすことになり、膨大な作業量だと言えます。
さて、当然のことですが、普通の人はこの仕事をできるだけ短時間で効率的に処理しようと考えます。いろいろな手段が考えられますが、クオリティを下げずスピードを上げる一番手っ取り早い手段は、「タイピングのスピードを上げる」ことです。タッチタイピングを会得するのは実はそんなに難しくなく、粘り強い人なら1週間もあればスピードは格段に上がります。私の感覚だと、ちょっと練習しただけでも、2倍程度のスピードは出せるのではないかと。
仮に2倍のスピードでタイプできるようになれば、この仕事にかかる時間は年間100時間、つまり-100時間のコスト削減になるわけです。ここでは、これをパターンAと呼ぶことにします。
まあ、実際のビジネスはこんな単純には効率化できないわけですが...。
それはさておき、実際の事務系の現場ではというと、効率化の取組としてパターンAを取る人というのは、実はそんなに多くはいないだろうと思います。入力するデータの簡略化を試みたり、より入力しやすいコンソールへの改善を求めたりします。基本的に個人では努力をせず、システムやタスクの側で何とかしようとします。実現すればもちろん効率化の目的は果たされます。この考え方でも例えば-100時間のコスト削減は可能かもしれません。この取組をパターンBとします。
ここで、普通は「だったら両方やれば良いのでは?」という、至極全うなアイデアが浮かぶはずです。パターンA+Bですね。しかし、実際にはこの動きは非常に起こりにくくなるんじゃないかと思うのです。
それは、少数であったとしてもパターンAを採用する、いわゆる「仕事ができる人」にとって、パターンBは邪魔に映るからです。
パターンBによって、200時間から-100時間が実現すれば、それに重ねてパターンAによって削減できるコストは100/2で-50時間になります。同じ労力をパターンA採用者は自力で100時間で処理ができ、なおかつ非採用者は200時間がかかるわけで、その「100時間の差」が相対的に「仕事ができる幅」ということですね。
パターンAを採用する人は、パターンBの採用に消極的になります。パターンBも併せて採用してしまうと、同じ労力で「50時間の差」しか生まれないわけですから。さらに言うと、100時間で処理できてしまう人にとっては、自助努力のみで負担感も半分になるわけですから、効率化への意識も下がります。
こういうところに、「仕事ができる人」が組織の効率化や構造改革を阻む構図があるのではないかと思うわけです。仕事ができない人ができないままでいてくれる方が、仕事ができる人の「評価の幅」が大きくなるからですね。非常に狭い視野で語っていますが、実際のビジネスの現場ってこういうレベルの低い話に充ち満ちているんじゃないかという気がします。
これはあくまで個人レベルの話で、組織レベルではまた違うのですが、私にはあまり組織レベルの話に興味はないので...。
別におつたかさんだったかおっとっとさんだったかの話ではない。店の予約の話である。
昔、電話が苦手だったので、店の予約は極力しなかった。インターネットで検索、店直行である。人数が多い場合はさすがに電話して確保するが、コースの話とかされてもテンパるので、基本は直行である。四人以下なら予約なしである。
が、いろいろあって最近はちゃんとするようになった。というか予約なしで行くことがかなり減った。特に友達と、とかデートで、とかそういう場合は確実に予約をしていく。
なぜか。
ダメな大人とダメでない大人にたくさん出会い経験値がたまったからである。
あと、年食っていろいろとめんどくさくなった。辛抱たまらんこともふえた。要するにわがままになった。歩くのめんどくさいし、期待してたものが手に入らないと疲れる。新しく店を探す気力もない。歳である。歳は取りたくないものである。だが歳を取れば知恵がつく。経験値が上がる。どうにでも、切り抜けられるようになる。それが年をとるということである。
だめな大人は予約をしない。年末の新宿で、宴会に使われそうな店でも予約をしない。木曜日だから大丈夫だよね? などと同意を求めさえする。だめだろと思うが、そこはグッと我慢の子である。入れなかったら、まぁしょうがないですよね、また次回リベンジしましょう!(はーと)とフォローするのが女子力である。若いころはそれだけでよい。しかし、三十路も近づく八十八夜ともなれば、そういえば知り合いがいいって言ってた隠れ家的な店が近くに…などと検索能力をアッピールせねばならない。これは大人力である。面倒である。大人は面倒なのである。そのうえ自分は怠惰な人間であるがために、女子力上げさえも放棄している。むしろ女子だったかどうかも怪しい始末である。どちらかといえば男子である。肉と酒がありゃいいんだろ、ガツンとだ、ガツンと! という気持ちである。ただし、胃袋だけは女子である。むしろ年寄りである。三十路ともなれば胃は弱るのだ。肉は食えない。
閑話休題。
だめでない大人は予約をする。だめそうでだめでないやばい大人は予約をせず、バックアップが本命である。めんどくさくねーのかなと喪女は引く。だが、泣く腹と地酒には勝てないのである。さっくり店に入れるとそれだけで満足してしまう。良い店であれば少し気分がいい。しかし相手と気が合うか否かはまた別問題である。楽しい食事になるかどうかは資質である。滑舌である。頭の回転の速さである……三十路は全て藪の中である。
三年ぶりに聞いた、大学時代の知人の肉声だった。
『ご無沙汰しています。Nです。突然なんですが、GWに研究室の同期で一度集まろうと企画しています。連絡下さい。』
急いで折り返し電話をかけると、知人
はメアドが繋がらなくて困ってたんだとぷんぷん怒りながらも連絡がとれたことを喜んでいた。
わざわざ連絡先を探してくれた労と再開を喜ぶ気持ち、そして切れてなかった縁に、じんわりと心があたたかくなるのを感じてた。
そして、昨晩がその日。大学の研究室で同期だった皆で会食をした。
焼き肉屋の暖簾をくぐるとすでに研究室のメンバー8人全員が揃ってた。
『久しぶり』『変わってないね』
時間ギリギリだったにも関わらずかかる声は明るくて、お座敷にさっと出来たスペースの気遣いが嬉しかった。
一番来ない人だと思ってたと絶句してた人もいたけど、後で話したら悪い気持ちは含まれてなくて純粋に驚いてたみたい。
くったくない会話で近況を語り合い、時折上がる歓声に、人見知りの私の心がどんどん溶かされていくのを感じてた。
木曜日の4限と5限、肩を並べて勉強してゼミ合宿に論文の輪読、あのときいつも傍らにいたのはこの人達だったんだ。
そのことを改めて思い出したら、泣きそうになっておしぼりで咄嗟に目もとを拭ったら隈取りみたいになって、姉御のA嬢に化粧室に連れていかれた。
前は立場が逆だったのにな。えづいた彼女を慌てて化粧室に連れていったら、あとあとおめでたって分かったんだっけ。
あの娘は元気?と聞くと携帯で幸せのスライドショーが始まった。
一本締めをKから、とドSのA君に振られたK君はN君の尽力に改めて感謝してた。
今日はホテルを借りてるんだというS君と途中まで一緒に帰った。
上京した時、N君の部屋に時々泊まるという彼から、今日研究室のメンバー全員が揃った理由を聞いてみた。
N君が水面下で、地方に行っちゃった他の人たちや音信不通になっていた人たち(主に私)と
連絡やスケジュール調整が出来るように色々頑張ってたんだと暴露話。
集まることが出来てN君様々だなという彼に大きくうなづいて、仲の良さとお泊まりの実態を少し聞き出してみたり。
同期のT嬢をお持ち帰りするかもしれないから今日はホテルを取ったというS君の気遣いに
また違った友情の形がそこにあるのを確認した。
何だって作れてしまうモノづくりの世界、second life
現実世界だってそう変わらないのに、なぜこんなにも好きでいられるんだろう。
実はしばらく、もう3年ほどやってない。
でもあの感覚を忘れることはなかった。
麻薬にでもハマるかのようにがっつりと捕らわれてしまっている。
当時どんなにバッシングを受けても、以降冷めた目で見られても、まるで痛覚を遮断されたかのように熱が冷めたことはない。
とても魅力的な世界。
たとえ廃れ行くとも、消えて行く世界すら儚くて素敵。
最近ひょんなことからまた熱が膨れ上がってきてて、とてもやばい。
新しいPCを買う算段や、またイチから始めてぶらりと世界を巡る妄想をしてしまっている。
先日書いた増田エントリー、拾ってくださりありがとうございました。
ご本人様の耳にも入ってしまったようで、嬉しいやら恥ずかしいやらです。
土曜日の朝のこと。目が覚めてさて顔を洗おうと思ったら体が動かないのだ。
そのときはただ疲れてるのかな?と思うだけで、ゆっくり寝たら良くなると思ってた。
疲れてるから寝れば良くなるという思考のもと、ちょっと寝るつもりが目覚めたら18時間もたっていた。
明日こそは家のことをやりたいと思っていたけど、案の定、次の日も体が動かなかった。
誰かに会うのが怖かった。
外に出るのが億劫だった。
月曜日になり、会社に行く準備をする時間になっても、布団から出られなかった。外が怖かった。
ただ仕事に行くのが嫌なわけじゃない。いまの仕事はとても好きで楽しい。ようやく実力が認められ始めてきた時でちょうど軌道にのってきたところ。
それなのに休んでなんかいられないよ。今日出社しなくちゃ回らない仕事がたくさんある。社内にも社外にも迷惑をかけてしまう。
それに、せっかく仕事での成果を認められ始めてきたのに期待を裏切ってしまうことで嫌われちゃうんじゃないかって怖かった。
会社に行きたい。行かなくちゃいけない。嫌われたくない。そんな思いでいっぱいだった。が、体は動かなかない。
明日こそは、と思っていたが火曜日も布団から出ることができなかった。
携帯電話を触るのが怖い。メールの通知、電話の着信が怖い。インターネットに触れるのが怖い。
Twitterからメンションの通知が来れば悪口を言われてるのだろうかと思ってしまう。
Facebookの通知も連絡も全てが怖かった。ログイン時間を見られたら責められるんじゃないかって。
家にいて道路で物音や話し声がしたら誰かが来たんだ、わたしを責め立てに来たんだって思ってしまっていた。
わたしが今、こんなふうになってしまっているのは自分が悪いんだ。何もできない自分が悪いんだ。また迷惑かけてしまった。
存在価値がない。死んだほうがいいのかなって考えては、死ぬ妄想ばかりしていたりして。
それほど精神状態はギリギリで、布団にくるまりながらずっとごめんなさいごめんなさいってつぶやいていた。
結局この一週間で大きな迷惑をかけてしまったことがとてもとても申し訳なかった。
水曜日、このままじゃダメだって思って病院にいこうと考え始める。どこにいけばいいのかな?精神科?心療内科?
手当たり次第評判のいい心療内科を探しまくって、近所の心療内科に問合せた。でも人と電話で話す勇気が出なくて結局予約できたのは夕方だった。
しかし予約時間になっても外に出ることがとても怖くてその日病院に行けなかった。ごめんなさい。そればかりつぶやく。
木曜日も外からの刺激を全てを遮断して布団にくるまっていた。苦しくて寂しくて、哀しくて、怖い。ごめんなさい。
金曜日、この状態のことを初めて友だちに打ち明ける。その友だちの助言もあってその日の夕方、病院に行く事を決めた。
一週間ぶりに外に出てみて人の視線がとても怖かったけどメガネにマスクをして帽子までかぶっていたから誰とも目を合わせないでいられる気がした。
病院はとても混雑していてちゃんと診療してくれるかとても不安でバクバク。落ち着かない様子でずっとソワソワしてたと思う。
名前が呼ばれて、病室に入り、「どうしましたか?」と聞かれてからは自分でもびっくりするほど涙が出て、支離滅裂な言葉たちを堰を切るように話した。
仕事のこと、家庭のこと、いま不安に思っていること、苦しいこと、怖いこと、辛いこと。
号泣しながら話すわたしの言葉をふんふんと聞き取ってくれる。それだけで嬉しかった。
話しながら自分でも整理できてきた。
先週は母が亡くなって3年目、4回忌だったのだ。
そこを堺に自分の中で耐えていた精神的な糸がプツリと切れた。身体がおかしくなった。
月に200〜250時間の労働。膨大なタスクは終着点の見えないものばかり。
頑張らなくちゃいけない、という責任感。家庭のいざこざも相まっていろんなもので心が潰されてしまったと。
診断結果は今すぐ休養をとりなさい、休職しなさい、ということだった。
お薬を処方してもらって、飲むと驚くほど不安がなくなりすっきりとした。お医者さんに洗いざらい話せたのも良かった。心がすっとした。
でも、休職がとてもこわい。こわい。こわい。もう復帰できないんじゃないかっておもうと、すごく怖い。
どうしたらいいんだろう。休みが必要なこともわかる、でも、働きたい。でも、また休むことがあると迷惑をかけてしまう。でも、、、
わたしはもともと明るくて悩みなんてなさそうだね、と言われるタイプの人間だった。
だから今こんなことになっている自分が信じられない。こんなの自分じゃないって受け入れられなかった。
医者に復帰できなくなるのが怖い、と伝えたら冷静な判断がとれていないから今はまず休養しなさいと言われた。
姉に相談してみたらいまは何も考えず休養しなさいと言われた。
友だちに相談してみたら環境を変えよう、あなたが活躍できる場所はそこだけじゃない。人生は長いのよ、とも言われた。
現にお薬を飲んでも外出できていないし、この一週間ロクに水も食べ物も口にしていない。。
誰かに言われたから何をする、のではなくてこのことはちゃんと自分で決断しなくてはいけないと、思う。
どうしよう。どうしたらいいんだろう。人生の分かれ目かもしれない。
キー局は、ゴールデンタイムを「全て新規製作番組で埋めよう」と高い目標を掲げずに、
いっそのこと
「月曜日~水曜日の放送の中で、金曜日にもう一回放送して欲しい番組をリクエストして下さい」と
木曜日にツイッターで公募して、それに従って金曜日に「再放送」した方が、コンスタントに数字を稼げるのでは?
以前あった「家政婦のミタ」のような、お化け視聴率の番組であれば、
「見逃した人」や「話題になったから見てみようか、という人」を落ち葉拾いするだけでも、
10%程度視聴率稼げたりするのでは?
あるいは、
「金曜日にチャンネルザッピングしていたら、たまたま家政婦のミタを放送していた、
じゃあ見ようかな?」という需要もあるだろう。
(1週間分ハードディスクに溜めて、後から見たい番組を見る、という録画機もあるが、
そういう録画機を持っていない人の方が多い)
「月~水で高視聴率の番組、リクエスト強い番組で、2度稼ぐ」というやり方の方が「堅実」では?
「次の10~3月の水曜9時に再放送して欲しいドラマを投票して下さい」とリクエストして、
中高と男子校の一貫校を卒業した僕は、取りも直さず童貞であった。
漫画は好きだが、二次元にどっぷりハマるというわけでもなく、熱烈に好きなアイドルがいるわけでもない。なんとなく陸上をやって、モンハンにハマって、受験勉強に追われていたら気づいたら大学生になっていた。悪友が手に入れた、女子高の文化祭のプラチナチケットを握りしめ、行ってみたりもしたがナンパなんてできるわけもなく「清い」高校生活はあっという間に過ぎ去った。
4月入学式。新歓コンパというイベントに巻き込まれた。入学式で隣の席になった同級生(関ジャニの横内クンにちょっと似てる)とキャンパスを歩いていると、次から次へと歓迎会のビラが渡された。「ねぇ、君たちフットサルとかやってみない?」「とりあえず、飲み会だけでも来てみてよ!」と、僕らにビラを渡すのは決まって美人な女子の先輩たちだった。僕はビビった。これが大学なのかと。今まで、話す女性は母親、祖母、いとこの結婚してるお姉ちゃん。まあそれぐらいしかいなかったのに、なんだここは。と。そして、僕はこの世の春を感じていた。
さっそく、横内くんを誘い新歓コンパなるイベントに参加した。フットサルのサークルなのに、なぜかやたらと女の子が多かった。意味がわからない。マネージャーなんて多くても3人くらいいれば事足りるだろうに、なぜこの飲み会の半数が女子なのだろうか。そんな疑問をかかえながら、新歓コンパの宴は始まった。
目の前では、浅黒く焼けたゴリラっぽい先輩(FUJIWARAのフジモンにチョット似てる)が、次々といろんな1年生の女の子に楽しそうに話しかけていた。まったく女子と話したこと無い僕は、とりあえず座って砂肝の唐揚げを黙々とつついていた。時計の針は2時間が過ぎようとしていた。横内くんは1時間もしないうちにバイトがあるからと切り上げて行ってしまっていた。1人のときよりも、騒がしい輪の中のほうが、どうやら孤独は浮き彫りになるらしい。
やばい。劇的につまらない。そう思い始めたとき、酔っ払っているっぽい3年生の女の先輩(ちょっと芹那に似てる)が声をかけてきた。「君たち、なんでうちのサークルきたの??サッカーすきなの?」「うちのサークル可愛い子多いでしょ。絶対入った方がいいと思うよ!」「若いんだから、肉食べなダメたほうが良いよ。男子は肉食べないとね!」などなど、僕はまくし立てられた。そのたびに、はあ、とか、はいといった気のない返事しかできなかったが、芹那さんは僕の隣からなぜか動こうとせず、ずっとしゃべりまくっていた。
2件目に移動する話が出たころ、メンバーは1/3くらいに減っていた。帰るチャンスを芹那さんに完全に奪われた僕は、そのまま引っぱりこまれていた。2件目はひどかった。最初からイッキコールが始まった。急性アル中で問題がおこり、完全に無くなったもんだと思っていたが全然そんなことはなかった。飲みなれないお酒は、僕を酷く酔わせた。僕が飲みきれずむせ返ると、残った酒を芹那さんはかわりにイッキしていたようだったが、すぐに僕の記憶はフェードアウトしていった。
目をさますと、そこは見たことのないボロボロの部屋だった。横にはゴリラ…もとい、フジモン先輩が転がっていた。全身に走る筋肉痛と飲み過ぎのムカムカした感じをこらえつつ起き上がるとフジモン先輩も起きだした。「おー、おはよう純ちゃん。昨日はやばかったなー。記憶全然ないんじゃないの?」と言うと、僕の消失した記憶を刻々と語りはじめた。酷くよっぱらった僕は、今まで一度も彼女が居ないこと、童貞であることを高らかに宣言してたという。そして、自分のことは「純血の戦士DT」と読んでくれと口走ったらしい。そして、最後は動けなくなった僕を芹那さんが、ずっと介抱してくれてたと教えられた。
僕は入学2週目にして、早くも鬱になりそうだった。とりあえず、芹那さんにまず謝ろうと昨日教えてもらったLINEにメッセージを送ろうと思った。が。。。なんて書いたら良いか解らない。1時間書いては消してを繰り返し、最後に書けたのは「昨日は、すごい迷惑かけてしまってスミマセン!でも、本当に楽しかったです。」の一文だけだった。すぐに、芹那さんから返事がきた。「全然!こっちこそ、ほんとうに楽しかったよ。来週の木曜日の練習で会おうね!」というメッセージとグッジョブをしているスタンプが送られてきた。
おそらく、その瞬間だった。僕は芹那さんに恋に落ちた。そして、サークルに入ろうと決意した(邪な目的で)。
1週間後、練習に行ってみると打って変わって、女子が少なかった。でも芹那さんはそこに居た。白とピンクのジャージがめちゃくちゃ似合っていて、可愛かった。僕は思わず見とれそうになったが、恥ずかしかったので気づかないふりをしていると「あ、純ちゃんきてくれたんだねー」と声をかけられた。どうやら、このサークルでの僕のあだ名は純ちゃんで決まったようだった。
そして、あっという間に3ヶ月が経った。バーベキューしたり、他の大学と試合したり、いろいろなイベントが走馬灯のように一瞬で流れていった。芹那さんとは、毎日LINEでメッセージするようになり、会話も普通にできるようになった。何回か、僕の家に遊びに来て飯(主に肉料理ばかり)を作ってくれたりもした。僕は嬉しくて嬉しくて嬉しくてたまらなかったが、告白して気まずくなることが怖く、特に付き合うみたいなことにはならなかった。
ええ。チキン野郎ですよ。でも、童貞にこんな夢のような時間訪れると思わないじゃないですか!
8月も終わりの頃、夏休み実家に帰っていた芹那さんはお土産物を届けるといって、うちに遊びに来た。その日はなぜかゆるい関西弁だった。不思議に思った僕は、なんで関西弁なんですか?と聞くと「あ、神戸弁になっとうね。うちな親しくなると神戸弁でちゃうんよ」と答えて、にっこり笑った。
はい。無理!無理!無理!無理!
こんなん言われて、告白しない男なんて1人も居ないよ。
帰り道、芹那さんを駅まで送る途中、東京では珍しく明るくて大きな満月が出ていた。僕は駅に着く直前の駐車場で芹那さんを呼び止めた。一呼吸置き、喉から心臓が飛びでるんじゃないかと思うほど鼓動は高鳴り、頭は何をしゃべっていいか真っ白になっていた。でも、勇気をふりしぼり「芹那さん。初めて会った時から、ずっと好きでした。僕と付き合って下さい」と伝えた。
沈黙。
「ごめん。うち、純ちゃんとは付き合えんのよ。」
と言われた。え???え???え???僕はパニックになった。なに?親しくなると神戸弁になるって言ったのあれなに?今日、料理作ってくれたのとかなに??え?え???僕の理解の範疇を大きく超えた。動揺している僕に芹那さんは続けた。
「ごめんなさい。本当にごめんなさい。純ちゃんのこと好きだったんよ。でも、神戸戻った時に昔好きだった人から付きあおう言われて。今は、その人が大事なの。実はうちな、去年からフジモンとつきおうとうよ。でも、フジモンめちゃ女の子好きで、浮気ばっかしてて二人になるといつも喧嘩ばっかりしとったん。」
全然サークルきてる時に普通にしてたから、全く気づかなかった!!
「だからな、うちも遊んでやる!思って、純ちゃんち来たりしとったんよ。純ちゃんは、ほんと素直でいい子やなーっておもってて、フジモンと別れて純ちゃんとつきあっても良いかなあって思っとうたんだけど・・・」
「ほんと、ゴメンナサイ。純ちゃん絶対うちより良い人彼女にできると思うから。本当にゴメンナサイ」
芹那さんが、そう言い終わるか、その前かに僕は居てもたっても居られず、「ん、わ、かり、まし、た」とようやく声をひねりだすと、きた道を泣きながら走って家に帰った。
ばーかーばーかばーか。惚れた自分も、フジモンも、芹那さんも、芹那さんの新しい彼氏も、みんな死ね!死ね!死ね!!!
そんなんから、2週間経ちました。
僕の貞操はまだ守られております。
本件の印象は、「初動でつまずいたが、うまくリカバリしつつあるな」というものである。
推測だが、本件は、次のような流れなのではないだろうか。
→3. 5/25時点 危機管理に強い弁護士・コンサル投入(←イマココ!)
5月16日の発表(http://www.yoshimoto.co.jp/cmslight/resources/1/108/120516.pdf)を見てみよう。
しょっぱなから「週刊誌の記事やインターネット上の風説が流布されており」と書かれている。
通常、「風説の流布」とは、金商法上の用語として用いられるもので、法律家であればこのような文脈では使わないから、おそらく広報担当部署のみでの対応であったのだろう。
普通は、広報担当者には危機管理能力の高い人間を置くものだが、非上場化したので株主に叩かれることもないし、元々吉本ということでマスコミに叩かれることはないから、適当な人材を置いて対応しているのだろう。
更に、主語と動詞の関係を見ても、「週刊誌の記事…が流布されており」となっており、意味をなしていない。
アホくさいのでこれ以上は詳しくは触れない。
2.の時点でも、弁護士を入れて火消しに走ったようだが、イマイチだったようだ。
http://www.kotono8.com/2012/05/25komotojunichi.htmlによると、
とのことだが、当たり前である。記者会見で話したことは、吉本側の言い分であるのだから。
過去に発表した事実と矛盾しないように、かつ、新たな事実が判明しても嘘にならないように、巧妙に仕組まれている。
(そうでなければ、吉本側も高いフィーを払っている意味がない。)
2から1週間経って、満を持しての会見である。予行演習もバッチリやって、想定問答もバッチリ用意されているだろう。
タイミングについても、おそらくは木曜日発売の週刊誌で報道されることを見越してのものだろう。
更に、土日の情報番組で何度も取り上げられることも期待しているのかもしれない。
5月25日の発表(http://www.yoshimoto.co.jp/cmslight/resources/1/109/120525.pdf)も、垢抜けている。
ざっと見ても、(1)まず謝罪から入り、(2)(過去の行為の)責任を認めない(「自主的に」、「違法な行為があったことを前提とするものではありませんが」、「道義的な責任」)、(3)(将来の行為に対する)明確なコミットはしない(「…予定でおります」「…調整させていただきたいと考えております」)、(4)謝罪で〆る、という綺麗な流れである。
とのことであるが、このような人は、ディフェンス側の企業から見ると、善意であればあるほど、ありがたい。
妻は、悲しんだり喜んだりする感情が薄い。ほぼ無いといっても言いぐらいだ。
結婚してから10年以上になるが、涙を流しているのを見たのは1回だけ。
おいらが結婚して仙台から静岡まで嫁を連れていくときに、途中の福島のホテルで夜に「帰りたい」と言って泣いた。
それだけ。しかもそれもほんの10秒程度で、すぐにいつもの嫁に戻っていた。
喜んでいる所さえもほとんど見たことがない。
-----
妻は実は苦労人だ。
小さいころ両親が離婚し、父親側についたが、父親も飲んだ暮れで女遊びや博打がひどく
多額の借金を抱えている。
おいらの会社がだんだんと大きくなってくると、何度も無心をしてくるような輩だ。
そんな状況だから嫁は学生時分から兄弟3人を半ば養っていたに近い。
-----
いつ寝てるんだ、という生活を8年近く続けていた。
-----
嫁は飲んだ暮れのおやじと二人で滅入っていた。
嫁はおいらが何とかしなきゃと思い、結婚を申し込んだ。
ろくすっぽ付き合ってもいなかった。
嫁はうんともすんともいわなかった。
しかし一緒に来てくれた。
-----
その後だって、好きとも嫌いとも言われたこともない。
嫁に言わせりゃ、自分を取り巻く環境が変わり、生活のために結婚した、というが
-----
昨晩、嫁のおかあが無くなった。
癌だった。
嫁は二人の小さい子供をつれて、木曜日におかあのところに新幹線で行った。
基本的に連絡もほとんど取り合わないおいらたちの間だが、
-----
おいらは体調が優れずかつ仕事に追われていたので、特に返事をしなかった。
-----
そしてその日の夜、突然亡くなった。
夜中の2時56分ごろに電話がなり、不眠症もちで寝れずにもたもたしていたおいらはすぐにピンと来た。
「おかあ、亡くなったから。それだけ」
-----
嫁はおかあのことだけは、この世で慕っていた。
おかあおかあといつも言っていた。
おかあの面倒を見たいと、柄にも無いことを言っていたことさえある。
-----
おいらは今、新幹線に乗り、嫁の亡くなったおかあのところに向かっている。
おいらは感情のない嫁を何とかしてあげたいと思い続けている。
おかあもそれをおいらに言いたかったんだと思う。
-----
2ヶ月前に癌が宣告され、最後の旅行と言うことでおかあをつれて嫁含めて旅行に行った。
おかあは、おいらがそこそこの会社で働き、家も購入し、安定していることに深く感謝していた。
ただただ泣きながら嫁をお願いされた。
嫁は何でこうなってしまったんだろう、と後悔の念も口にしていた。
-----
でもそれは本心で、いつか嫁が心から笑ったり心から感動して泣いたりしてくれるよう
おいらは妻が安心できる状況を作りだすんだ。
-----
おいらはおかあにそれを約束しに行く。
-----
ありがとう、おかあ。
ーーーーー
ーーーーー
おかあは冷たくなっていた。
おかあは本当に亡くなってしまっていた。
おいら、おかあに謝りたいことがあるんだ・・・
-----
おかあは貧乏だった。
おかあは離婚後、よせばいいのに飲み屋で知り合った男性と一緒に暮らしていた。
いい人だったが、お金は全く稼いでこなかった。
おかあは毎日、せこせこせこせこと新聞配達や清掃のパートで働いていた。
-----
おいらも嫁もおかあが人と仲良く話しているのを見たことがなかった。
どちらかと言うと気が強く、
平気で近所の人と喧嘩するぐらいの威勢の良さだった。
それはそれで格好良かった。
-----
おいらはおかあのことが好きだった。
しかしおいらは正直、おかあの家に泊まるのが嫌だった。
おいらは全く心が休まらなかった。
言葉は悪いけど、おかあの家で出された食事も気が進まなかった。
嫁がおかあの家に泊まりたい、というと
おいらは何かしら理由をつけて遠ざけた。
嫁はそんな気を察して、おいらに不満をストレートにぶつけてきた。
-----
2DKの広めのアパートだったが、やはりおいらは泊まるのがいやだった。
広さの割りに家賃がべらぼうに安く、住んでいる住民たちもおかしな感じで、
遊びに来ているおいらたち家族に、聞こえるようにいやみを言ってきたりした。
壁もヒビだらけで、お風呂は今にも崩れんばかりであった。
-----
おいらはおかあを心のどこかで遠ざけていた。
それは、貧乏だったり、家がぼろかったり、汚かったりという理由だった。
-----
しかしおかあのもとには、80名以上の方がいらっしゃってくれた。
おかあは孤独ではなかった。
-----
嫁の弟が大きな声で呼んできた。
「おかあにお別れの言葉を読んでくれる人が来たよ!」
そんな人いたんだ、と皆驚いた。
物静かで清楚な感じの女性だった。
-----
「私によくお孫さんの話をしてくださいました。」
「二人目のお孫さんが生まれたあと、少しでも孫が来やすい様にと、広めの家に越されたんです」
・・・・・。
おいらは号泣した。人目をはばからず大きな嗚咽を出して泣いた。
おいらは雷に打たれたような気分になり、自分の気持ちと態度を恥じた。
おいらはどれだけバカなんだ。。
おかあはおいらたち家族が来てくれることを、何よりも楽しみにしていたんだ。
それなのになぜ、相手の気持ちも汲み取れず、自分の気分で判断をしていたんだ。
人間としてクズだ。本当に情けない。自分が許せない。。。ばかだ!ばかだ!ばかだ!!!
-----
そしてお葬式が終わった。
とにかく一からやり直さないといけない。
人として、おかあのように立派な人間にならないといけない。
こんなんで妻のことをきちんと養っていけるのだろうか?
小さな子供を立派に育てることができるのだろうか?
-----
そのなことを考えているうちに、ふと現実に戻った。
-----
おいらは嫁に聞いた。
嫁は抑揚のない声で淡々と言った。
「おかあは、葬式代もお墓も住んでいた家の整理も、その他すべて自分で整理して死んでいった。
おいらは再び号泣した。
だっておかあはお金もないのに、日雇いのお酒好きを養っていたんだよ。
なぜできたの?
おいらだったら延命したいとしがみついて、自分の亡き後のことなんて考えられないよ。
-----
おいらはもう一度やりなおす。
おいらは会社で若くしてそれなりの立場となり有頂天になっていたのだ。
おいらは新しいマンションを手に入れて、身の丈以上のモノや環境を手に入れていただけなのだ。
おいらは変わる。
おいらはおかあの前に自信を持って出れる人間になる。
-----
おかあ、ごめんなさい。
そして本当にありがとう。