(1) 毎週、月曜日と木曜日に、かなりのテキスト量のデータ入力をしなければなりません。
(4) 社内では、この処理をやっている人がたくさんいます。
この想定だと、このデータ入力には週4時間かかります。正月休みやお盆休み、GWなどもあると考えて実働はざっくり年50週程度と考えると、この仕事には年間約200時間を費やすことになり、膨大な作業量だと言えます。
さて、当然のことですが、普通の人はこの仕事をできるだけ短時間で効率的に処理しようと考えます。いろいろな手段が考えられますが、クオリティを下げずスピードを上げる一番手っ取り早い手段は、「タイピングのスピードを上げる」ことです。タッチタイピングを会得するのは実はそんなに難しくなく、粘り強い人なら1週間もあればスピードは格段に上がります。私の感覚だと、ちょっと練習しただけでも、2倍程度のスピードは出せるのではないかと。
仮に2倍のスピードでタイプできるようになれば、この仕事にかかる時間は年間100時間、つまり-100時間のコスト削減になるわけです。ここでは、これをパターンAと呼ぶことにします。
まあ、実際のビジネスはこんな単純には効率化できないわけですが...。
それはさておき、実際の事務系の現場ではというと、効率化の取組としてパターンAを取る人というのは、実はそんなに多くはいないだろうと思います。入力するデータの簡略化を試みたり、より入力しやすいコンソールへの改善を求めたりします。基本的に個人では努力をせず、システムやタスクの側で何とかしようとします。実現すればもちろん効率化の目的は果たされます。この考え方でも例えば-100時間のコスト削減は可能かもしれません。この取組をパターンBとします。
ここで、普通は「だったら両方やれば良いのでは?」という、至極全うなアイデアが浮かぶはずです。パターンA+Bですね。しかし、実際にはこの動きは非常に起こりにくくなるんじゃないかと思うのです。
それは、少数であったとしてもパターンAを採用する、いわゆる「仕事ができる人」にとって、パターンBは邪魔に映るからです。
パターンBによって、200時間から-100時間が実現すれば、それに重ねてパターンAによって削減できるコストは100/2で-50時間になります。同じ労力をパターンA採用者は自力で100時間で処理ができ、なおかつ非採用者は200時間がかかるわけで、その「100時間の差」が相対的に「仕事ができる幅」ということですね。
パターンAを採用する人は、パターンBの採用に消極的になります。パターンBも併せて採用してしまうと、同じ労力で「50時間の差」しか生まれないわけですから。さらに言うと、100時間で処理できてしまう人にとっては、自助努力のみで負担感も半分になるわけですから、効率化への意識も下がります。
こういうところに、「仕事ができる人」が組織の効率化や構造改革を阻む構図があるのではないかと思うわけです。仕事ができない人ができないままでいてくれる方が、仕事ができる人の「評価の幅」が大きくなるからですね。非常に狭い視野で語っていますが、実際のビジネスの現場ってこういうレベルの低い話に充ち満ちているんじゃないかという気がします。
これはあくまで個人レベルの話で、組織レベルではまた違うのですが、私にはあまり組織レベルの話に興味はないので...。
パターンAはいわゆる「仕事のできない人」では???